さて、「過去と今をつなぐトンネル」を通って、中世ヨーロッパのゾーン、
ホテルザッハに戻ってきたわけですが、夕食に出るまでに時間があったので、
思わず腰に手を当ててそこに立ち、人々の群れを睥睨しながら
「・・World is mine・・・・」
と悪の帝王風につい呟きたくなるようなホテルのテラスから外を眺めていました。
ホテルの前のザルツァハ川の岸では、旅行者らしいカップルが
川の水に脚を浸して休憩中。
今回は時間がなくて見学できませんでしたが、大聖堂の向こうには
ザルツブルグ一の歴史的遺産であるホーエンザルツブルグ城がそびえています。
これは、1077年、当時の大司教が、皇帝派の南ドイツ諸侯の
カノッサの屈辱への報復を恐れて
市の南端、メンヒスブルク山山頂に建設した防衛施設です。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世"バルバロッサ"がザルツブルグを
焼き討ちした時にも、失われることなく現在に至ります。
15世紀後半になるとハプスブルク家など反乱に備えて強化され、鐘楼、
薬草塔、鍛冶の塔、囚人の塔、武器庫、穀物貯蔵庫等が建設され、
防壁が強化されていきました。
城の右側からはどう見ても線路のようなものが下に向かって伸びており、
ホテルにチェックインしたときから気になっていたのですが、
これは
ライスツーク(独: Reißzug、英: Reisszug Reiszug)
といい、城への貨物搬入を行うための鉄道でした。
正確な敷設年は明らかになっていませんが、少なくとも1500年前後には
もうここにあって利用されていたようで、もし本当ならば
これが世界最古の鉄道となると言われています。
運用形式はフニクラー、つまりケーブルカーのようなもので、
当初レールは木製、牽引は麻のロープでされていたとされます。
1910年までは、人間または動物の力によって動かしていたそうですが、
その後何度も改修され、今日では、鋼製レールとケーブルを使用し、
電気モーターによる牽引が行われています。
最新のアップデートによって、運行を監視するために
閉回路テレビ・システムが使用されているところまできていますが、
動力は手動で、片道5分かかるそうです。
さて、その後、わたしたちはホテルから歩いて、メンヒスブルグ山頂にある
レストランに行くことになりました。
レストランに行くには、やはり山頂に繋がるエレベーターを利用します。
エレベーターに乗るには料金が必要です。
無料にしてしまうと、景色を見るためだけに人が押しかけるので、
已む無い措置だと思われます。
チケットは自動でなく、恐ろしく愛想のないおじさんが
1日に何千回も同じことを言わされているせいか、無表情に
エレベーターの乗り方を説明してくれました。
エレベーターは崖の岩を山頂までくり抜いて60mの高みに達しています。
最上階?に到着すると、エレベーターホールの天井も壁も、
岩肌がそのままの状態になっていました。
メンヒスベルグ山は、昔からこれをくり抜いてトンネルを作ったり、
崖に寄り添うように家屋が建っていたりしますが、よほど地質が堅牢で
崩れることがないということなのでしょう。
この眺めは、ガイドさんによると「ザルツブルグ一番」だそうです。
もちろん、向かいにあるホーエンザルツブルグ城からの眺めもなかなかですが、
そちらからだとお城が見えませんしね。
帝王カラヤンの生まれたという家の全体像も手に取るように見えます。
「愛の南京錠」のおかげですっかり色づいて見える橋もこの通り・・・・
あれ・・・?
ザッハホテルのテラスから下に見えていた川岸のカップルが・・・。
さっき、下を見たら熱烈な愛の交歓中だったんですが、まだやっとる(笑)
ちなみに、わたしがテラスから写真を撮って、歩いてメンヒスベルグまで行き、
頂上に登って展望台にたどり着くまでに軽く1時間半は経っております。
仲良きことは美しき哉。
というわけで、この、ザルツブルグ旧市街らしからぬ建築が近代美術館です。
今日予約したレストランはここの一階にあり、テラス席から見る夜景が売り。
ザルツブルグの観光案内をしてくれたガイドさんが、
「時間がなくて立ち寄ることができない方にはお教えしません。
なぜなら、羨ましがらせるだけであまりに気の毒なので」
と言いつつオススメしてくれた絶景レストラン。
彼女はお願いすると、その場で次の日の夜に予約を取ってくれました。
昔、このメンヒスベルグ山頂には「カフェ・ウィンクラー」なる有名なカフェがあって、
実に何十年もの間、ザルツブルグの名所として人気を博していました。
しかし、ザルツブルグ郊外にあるバロック式宮殿の「クレスハイム」に
カジノが入ることになると、そちらに観光客が流れ、すっかり山上のカフェは
閑古鳥が鳴く状態になってしまったのです。
そこで再開発の計画がたち、建築のデザインをコンペで決定し、
2004年にここに近代美術博物館ができることになりました。
レストランはメインというわけではないのですが、
ザルツブルグを一望できる絶景ポイントとして人気を集めています。
恋人、友人同士はもちろんのこと・・・、
おそらく会社ぐるみで来ているらしい団体のテーブルもありました。
わたしたちの近くのテーブルは、中年のオーストリア男性と、
アジア系の若い女性のカップルでした。
女性はこちらが気まずくなるくらい男性に媚びていて、何かと言えば手を
男性の身体においては耳元で囁いたり、二人の写真を5分おきに撮ったり、
ボーイさんに二人の写真を撮らせたりと大忙しでしたが、
何かそうしなければならないよっぽど切羽詰まった事情でもあったのでしょうか(棒)
などと、周りの様子を見ながらメニューを選び、待っているうちに日が暮れてきました。
パンはサワドー、無塩バターにザルツブルグらしく塩の付け合わせです。
ミートボールの一つ混入したスープですが、やはりこれも辛めでした。
オーストリアの人は塩辛いものを辛いと認識しないのかもしれません。
鮮やかなエディブルフラワーをあしらった前菜。
これを頼んだのはTOですが、花を食べ残そうとするので、
「これは食べなくてはならない花である」
と説得して無理やり食べさせました。
「味がない」(´・ω・`)
だから、食べることができるんだってば。
TOにいわせると、魚は結構いけたそうです。
わたしは珍しくビーフのアントレを頼んでみましたが、
ちょっと、いやだいぶ硬いかなという歯ざわりで、感激するほどではありませんでした。
「これが一番美味しいような気がする」
という声が上がった、マッシュドポテトトリュフ添え。
TOが頼んだスープです。
上にかまぼこのような天ぷらのようなものが乗っていますが、
これがなんだったかは聞きそびれました。
さらに日が落ちると、屋内のバーは赤い照明が点灯されました。
オーストリアは日没が遅いので9時近くになってもこんな明るさです。
ここは、レストランを出てエレベーターに向かう途中にある場所で、
街を一望できるこの展望を楽しみに来る観光客でいっぱいです。
ただしわたしの見たこの日は全員が中国人でした。
エレベーターにはこの中世風石畳の通路を通って行きます。
帰りのエレベーターのチケットはレストランがくれました。
純粋な感覚を超えた色の輝度
眼は必然的にこれを問う
あなたはなぜこれを赤と青と認識し記憶しているのかと
あなたにとって赤と青の色は何を意味するか
どこが赤の始まりでそして終わりであるか
青の始まりで終わりであるか
そしていつそれらは混じり合い一つになるか
と書かれたこれも近代美術館所蔵の作品の一つです。
夕刻のザルツブルグの街を高みから堪能した後は、
ブラブラと歩いてまた「愛の南京錠」の橋を渡りました。
この頃になってようやくこの街は太陽が沈み、夕闇が迫ってきています。
明日は最後のザルツブルグ観光をし、ウィーンに戻ります。
続く。