ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ザンクト・ペーター寺院のカタコンベ〜ザルツブルグを歩く

2019-08-23 | お出かけ

いよいよザルツブルグ最後の日になりました。
車で来ているので、時間の制限はありませんが、MKが車なら
ウィーンからこちらに来る途中に見た湖に寄ってみたいと言い出したので、
午後には出発することにして、午前中を最後の観光に当てました。

ホテルのバルコニーから改めて写真を撮っていたのですが、見れば見るほど
メンヒスブルグの岩山を垂直に切り取って作った人口の「壁」がすごい。

ろくな重機もない昔どうやってこんな狂いなくまっすぐに崖を
切り取ることができたのか、不思議でなりません。

街に出たものの、特に目的があるわけではないので、
気になったお店にふらりと入って買い物を楽しみました。

ここではお店の人に相談して、紅茶を三種類選んでもらい・・・・、

ここでは調味料を見ましたが、収穫はなし。

外から見ていかにもセンスがいい物を置いているように見えたので、
地元のブティックにも入ってみました。
ちょっとカルチャーショックだったのは、ジーンズなども置いていながら、
オーストリアの民族衣装、ディアンドルなるドレスも扱っていたことです。

アルプスの少女ハイジが来ていたようなあれですが、オーストリアでは今でも
晴れ着としていろんな場で活用されていることがわかりました。

日本人が買って帰ってもコスプレでもしない限り着る機会もないので、
その代わり一着、普通のロングカーディガンを購入しました。

モーツァルトの像のある広場に出てきました。
後ろのピンクの建物は、モーツァルトの未亡人コンスタンツェが、
銅像ができるのを待ちながら住んでいたとガイドさんは言っていました。

結局広場から遺跡が出てきて工事が遅れ、銅像の除幕式
(ってのがあるのかどうか知りませんが)を待たずして彼女は亡くなります。

MKが学校のツァーで来た時にここで食べたジェラートが美味しかった、
というので広場のテーブルで一休み。

カフェのテーブルの下にはザルツブルグスズメがいました。
アメリカのスズメより日本のに似ていますが、頭が灰色です。

ザルツブルグにいわゆる郊外型モールがあるのかどうか走りませんが、
旧市街の本屋さんは大型書店ではありません。

ドイツ語で本屋を「ブッヒャー」と言います。

洒落た埋め込み式看板は「ホテルヴォルフ」。
小さなホテルだと思いますが、部屋もセンスが良さそう。

と思ったらやっぱり。

ホテル・ウルフ画像

この「ヴォルフ」、狼というより、ザルツの街を作ったという、あの
ちょいワル大司教ヴォルフ・ディートリッヒから来てるんだろうな。

こちらはカフェ黒猫、ガット・ネロ。

トースト、フランクフルトソーセージ、ヌードルサラダ、
モッツァレラ入りサラダ、バゲット、うーん、美味しそう!

崖の下の通りに差し掛かると、少し異質な赤い傘とカフェテーブル登場。

「MANEKINEKO・・・・招き猫、ですと?」

「もしかしたら日本人の経営かな」

もしかしたら、と疑ったのは、海外で堂々と日本語の店名を名乗っていても
中国人や韓国人が経営していて変な日本料理を出している
インチキジャパニーズレストランは普通に存在するからです。
特にアメリカではこれに散々嫌な思いをさせられているので、
すっかり疑り深くなっているわけですが・・・・。

「中国人だね」 ( ゚д゚)、ペッ

わたしはこの、一見日本のゆるキャラ風を装った招き猫(皆ソーラー内蔵で
ゆらゆら揺れている)を見て、一目で断言しました。

腹掛けにひっくり返した「福」の字を使うのは、倒した福、
「倒福」=タオフー=「到福」(福がやってくる)
と中国で言われているからで・・・つまり日本人ではありません。

よく見ると招き猫が持っている小判も地面に置かれておらず、
さらにその小判の「百万両」の百の字が簡体字だというね。

はいそして極め付け、決定的な状況証拠。
どこの世界にこんなたくさん蒸籠を使う日本料理があるよ?

通り過ぎながら食べている人の料理とメニューの字を見たところ、
シェフのおすすめは「Bento Box」。弁当ですよ。
台湾では弁当はもう日本語から台湾語になっているそうですが、それでも
弁当と書いて(ベンタン)と読むわけだし。

案の定、覗き込んだベントーボックスには、餃子とか点心とかが・・・。
もうね、頼むから文化の剽窃、盗用、そして侮辱はやめて下さい。

それも大嫌いな日本語の店名を名乗るなんて、あなたがたにプライドはないの?

とプンスカ怒りながら街のはずれにやってきました。

「justizgebäude salzburg」=正義の建物ザルツブルグ

ってことでザルツブルグ裁判所のようです。

裁判所からUターンしもう一度広場に戻ると、
巨大な金の玉の上に人が立っていました。

噂ではこの金の玉上おじさん、ホーエンザルツブルグ城を睨んでいるとか。
アートなのか?

MKが突然、確信を持ってある方向に歩き出しました。

「ザルツブルグの墓地、確かこっちだったと思う」

お城の鉄道のふもとに当たるところに、水車があります。

 この左側には世界最古のパン屋があり、水車は
粉を挽くために使われていたのだとか。
パン屋さんは今でもちゃんと営業しているそうです。

「あった。ここだ」

MKが連れて行ってくれたのは、ザンクト・ペーター教会の墓地でした。
どこの国に限らず、よその国のお墓というのは大変興味をそそるものです。

ヨーロッパの墓は色とりどりの花を植えて花壇のようにしていることも多く、
墓地といっても公園のような雰囲気が漂います。

ビーデンバーガー、マルナー、シュルツといくつか名前がありますが、
皆一族のようです。
こちらでは結婚して名前が変わっても元のお墓に入るんでしょうか。

DDが何かわかりませんが、ドクトルでいらしたようですね。

時間がないので中を見ることはありませんでしたが、これが聖ペーター教会。
1401年創建と記してあります。

左胸に忠誠を誓うポーズで立つ兵士、墓石の上のヘルメット。
これは武人の墓に違いありません。

DAS OFFICERS CORPS DES K.K.INFANTRIE REGIMENTS N

LIX EHRET 

DAS ANDENKENDAS ANDENKEN SEINES OBERSTEN

UND REGIMENTSUND REGIMENTS COMANDANTEN

これを直接翻訳にかけても正確には出てこなかったのですが、
とにかくこのお墓の主であるフランツ・なんとかベルグという人物が、
歩兵連隊の指揮官であったことだけはわかりました。

お墓の状態から見て第一次世界大戦の頃の人でしょうか。

ザンクト・ペーター教会には、崖をくりぬいて作ったカタコンベがあります。
まるで岩に張り付くような状態で建物が見えますが、この内側は
岩を掘って作った階段の通路が続いているのです。

カタコンベというからには岩の中にお墓があって、そこに葬られている
死者がいると思われますが、そもそもこここがカタコンベだとわかったのは
19世紀になってからの調査の結果なんだそうです。

死者が葬られていたのは3〜4世紀ごろのことです。

右側に、もう文字も定かでない墓石のようなものがはめ込んであります。
墓石の上部には

「DAS ANDANKEN 」「ZUM ANDNAKEN」

とあり、これがドイツ語の「イン・メモリアム」らしいとわかります。
そして、もし映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見た方がいたら、
最後にトラップ一家が逃げ込み、隠れた墓場を思い出してください。

それがここという「設定」です。(もちろんあれはセットです)

いくらハリウッドでも、実際のお墓で夜ロケをするなんて罰当たりな真似は
できないし、そもそも許してもらえなかったと思われます。

わたしたちがぼーっとここに立っていると、急に係員がやってきて
人が中に入って行きました。

「あ・・・中入れるんだ」

「え?行く?」

「行きたい」(わたし)

というわけで、偶然中に入る時間に居合わせたので内部を見学しました。

カタコンベがあるとわかるまで、ここには人が住んでいたということですが、
信じられないくらい歩きにくい階段が続いています。

よくまあこんなところに窓枠をはめ込んだもんだ。
内部から眺める外の墓地。

少し広い石室には祈りを捧げる祭壇がしつらえられています。

カタコンベの中から見る聖ペーター教会とザルツブルグ大聖堂。

割と最近作られたらしい鐘楼がありました。

さらに進んでいくと、もう一つの祭壇が。
このチャペルでは今でも祈りが捧げられているということです。

おそらくこのカタコンベができた時からあるラテン語の経文が書かれた岩。

見学できるのはここまでで、これを見終わると元来た道を帰ります。
カタコンベというからにはお墓があるはずなのですが、
その部分はおそらく岩の内部にあって発掘されていないのかもしれません。

パレルモのカタコンベみたいなのだったらどうしようと思っていたので、
内心ちょっとホッとしました。

カタコンベに眠る人々の墓石なのでしょうか。
これらの墓石を見ると、ほとんどが1800年代の死者で、
「ここに眠る」と書かれているので、もしかしたらこの裏側に
本当にお眠りになっているのかなとも思ったのですが・・。

板に描かれた「死の物語」。
翻訳しようとしましたが、ラテン語と亀の甲文字で挫折しました。

というわけで思ってもいなかったカタコンベ見学が終わり、
チェックアウトのためにもう一度ホテルザッハに戻ります。

「愛の南京錠」の橋には、昨日はなかった近代美術館の
新しい展覧会のポスターが。

「ゼログラビティ」

なかなかこの橋にマッチしています。

荷物を取りに来てもらい、ホテルに別れを告げました。
改装して天井がガラスになったせいで、こんなに明るい空間になっています。

ホテルザッハのマスコットであるザッハくん(多分)がお仕事中の写真。
ザッハくんはホテルマンで、この制服から見てどうやらフロント係なのですが・・・。

なぜベッドで寝ているー!(笑)

さて、わたしたちは車でザルツブルグを後にしました。
これから、帰路途中にある湖を目指します。

 

続く。


最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
紅茶 (Unknown)
2019-08-24 06:40:20
オーストリアには行ったことありませんが、一般的にはヨーロッパ(大陸)には紅茶を飲む人が少ないので、あれだけ多品種の紅茶を売っているお店は少ないと思います。さすが全世界から人が来るザルツブルグ!

>ちょっとカルチャーショックだったのは、ジーンズなども置いていながら、
オーストリアの民族衣装、ディアンドルなるドレスも扱っていたことです。

かわいいから買われたらよかったのに(笑)プリクラを置けばはやりそうですけどね。
返信する
unknownさん (エリス中尉)
2019-08-26 01:38:33
おっしゃるようにイギリスでもない限り、紅茶を飲む人口は少ない、
とわたしも認識してきたのですが、最近、アメリカでも州を問わず、
紅茶の店が増えてきているのです。
好みの多様化に合わせてか、モールには必ず一つは紅茶専門店が入っているし、
街角にはスターバックスと同じ数だけ紅茶専門の喫茶店があります。

今住んでいるピッツバーグでも、紅茶や中国茶、日本茶を飲める店が
狭い地域なのに2件もあり、葉っぱの量り売りをしています。

今回都会であるウィーンでもそんな感じだったので、いつの間にか
コーヒー地域にも紅茶派が人権を持ってきているという感があります。

>買われたらよかったのに
日本であれをオーストリア人でない人が着て歩いたら完璧に変な人ですわ。

ザルツのガイドさんが夏用のディアンドルを着ていましたが、
オーストリアだからまあなんとか許されると思いつつも、中年の日本人女性の
「アルプスのハイジコスプレ」には違和感がないとは全く言えませんでした。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。