アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ジェイド・タブレットの3つのハードル-2

2024-07-25 06:16:23 | ジェイド・タブレット

◎1.霊がかりをやめること

 

20世紀前半までは、悟りはごく一部の精神的エリートのものであった。そういった状況下では、神がかり・霊がかり・シャーマニズムにより主神の意向を知るというのは、意義あることだったと思う。つまり、自意識が十分に発達していない人が大半である社会において、上意下達のスタイルで宗教組織全体を進歩向上させていこうとするためにシャーマニズム・霊がかりを用いることで、成果は上がっていたものだと思う。

 

ところが20世紀後半以降、自意識の充分な発達により、個々人が自分の悟りの実現を意識的に無意識的に課題とする社会となったところで、霊がかり・神がかりは、事実上その役割を終えたかに見える。すなわち万人に主神を霊がかりさせるのはほとんど不可能なのであることが大正時代の終わりにははっきりしたのである。

 

神がかり・霊がかりの舞台はアストラル体。アストラル体こそ神がかり・霊がかりの本丸であって、21世紀人類の進化に際しては、あくまでゴールではなく通過点に過ぎないものと位置づけなければならないものである。

 

ところが、チャネリング・シャーマニズム・霊がかり・神がかりに問題があることとは思っていない人が大半である。意外なことかも知れないが、『霊がかりを排す』ことこそ、20世紀初めに出現したアヴァターラ(覚者)達の主要テーマの一つだったように思われる。

 

超能力、霊能力、高級神霊については、夢、願望、祈りなど身近な浅い深層心理から発する場合もあるので誰にとっても身近であり、ともすれば理不尽な目に遭ってみじめで情けない自分にとって、最後の助けであることもままある。

このように、超能力、霊能力、高級神霊は、人によっては非常に切実なものではあるが、それで最終的な人間の救済に行きつけるかどうかは別の問題である。

また超能力、霊能力、高級神霊は、五感、潜在意識、微細身(エーテル体、アストラル体、メンタル体など)が複雑に入り組んでいるので、単純な一本道の説明はできない。

 

21世紀初頭のスピリチュアルの大きな問題の一つは、こうした霊がかり・神がかり系への世間一般の関心の高さを、相変わらず完全には払拭できていないという点である。

というのは、霊がかり・神がかり系への世間一般の関心の高さというのは、一般にはホラ-・オカルト映画や漫画の隆盛に反映されているが、その関心は主として漫才・お笑いに対する関心と同レベルの好奇心や一時的な感情の癒しであって、その関心が純粋な求道に転向していく例はほとんどないだろうからである

 

霊がかりとは、二元対立を出にくいものであり、二元対立を卒業しなければ、真の悟り、神人合一までには至らない。霊がかりは、中間段階であって、最終目標のニルヴァーナは遥かに先にある。

 

よって「みんなが霊能力をつけチャネラーになりましょうという」方向は全く誤ったものではある。というのは、現代人の不安定な心理状態のままで、霊能力をつけチャネラーになろうと努力したところで、その感受性の増進により、日々の生活に必要な生存競争に必要な闘争心が減退して、生活ができにくくなるだけで、一利はあるかもしれないが百害があるように思う。

 

あらゆる意味での二元対立は根が深い。

いわゆるオカルティズムにあっては、たとえば地獄的勢力があってそれが世の中全体を悪化せしめているから、それを弱体化、撲滅していくことが世を改善することだなどと説明する。それは天国と地獄があるとか、天界や神界や地獄もあるという霊的な構造で説明しているわけだが、ところがそういう世界観は無数にある世界観の一つにすぎない。

一方真正な世界観とは、覚者の側からすれば、天国も地獄も天界も神界も地獄もなく、今ここだけである。

 

戦後の古神道系新興宗教は、出口王仁三郎の大本教を源流とするものが多いのだが、大本教の教説自体が霊をメインとする教義であったがゆえに、そうした新興宗教は霊がかりな教義を持っているものが多い。

 

【ご参考1】

人間には正守護神というのが、一生涯ついてまわっているが、他に高級神霊というのもある。

 

【ご参考2】

霊がかりをやめること』については、前身のブログ【アヴァンギャルド精神世界】で、〈霊がかりを排す〉特集をして、力を入れて書いてきた。

【アヴァンギャルド精神世界の〈霊がかりを排す〉特集19本】

1 霊がかりを排すことの重要性

2 霊がかり・神がかり系スピリチュアルの弊害

3 中間的なものがなぜダメなのか

4 宗教史から見た脱霊がかり

5 日本宗教の奔流と霊がかり

6 道教ではもともと神像がなかったこと

7 チャネリングの限界

8 脱霊がかりの地ならしとしての出口王仁三郎

9 縁がない人たち

10 わかってる人は他人の悪霊払いはしない

11 釈迦の今、ここ

12 善と悪、光と闇、神と悪魔の対立

13 見ている自分を残す

14 本当に悟った人なら

15 アストラル人間には救いはない

16 一無位の真人

17 またの転生に及ばず

18 神智学とクリシュナムルティ

19 神がかりにだまされる者は、神の綱が切れる

コメント
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