詠里庵ぶろぐ

詠里庵

ナイジェル・ケネディ

2006-09-30 07:33:41 | 日々のこと(音楽)
の最新消息を、今週まで私の研究室に滞在していたヨーロッパの研究者から聞きました。グダニスクの岩塩坑でコンサートをやったそうです。そういう所でコンサートをやるのは日本でもありますね。大谷石採掘場跡やカミオカンデなど。で、グダニスクで演奏されたヴィヴァルディはその年の最良演奏に選ばれたそうです(何の範囲の最良演奏かはわかりませんが)。容貌は相変わらずあのスタイルということです。

ナイジェル・ケネディ。見かけはロックンローラーかモヒカンかという髪型ですが実力はすごいヴァイオリニストです。15年ほど前イギリス暮らしをしていたころテレビによく出ているのを見ました。何を弾いても完璧ですが、ベルクのヴァイオリン協奏曲などは絶品でした。この、今となっては現代音楽というより近代音楽の叙情的無調音楽を、透き通る音色や暖かい音色を使い分け、水晶のように演奏していました。目をつむり指揮者を全く見ない演奏スタイルには驚きましたが、オケとぴったり合っていました。

ナマで聴いたことはありませんが、何年か前来日したときのコンサートは非常にユニークだったと聞いています。テレビでのベルクは画像がなければパールマンかツィンマーマンかとも思うまともな演奏していましたが、普段のライブではかなりアドリブを入れた、ジャズに近いスタイルの演奏のようです。ジミヘンの「紫の煙」などやるところもクロノス・カルテットなんかに似たところがありそうです。ぜひナマを聴きたいものです。

ナイジェル・ケネディを見ていると、個性の尊重ということを感じます。日本で彼やクロノスのような「クラシック?」演奏家が普通に生まれるようになるのはいつのことでしょうか?
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また若者会話

2006-09-28 06:48:04 | 日々のこと(一般)
の横聞きです。関東圏某大学での学会の昼休み、横でランチを食べていた女学生達の会話。

A:「ねぇねぇ信じられる? このまえ友達にメール送ったんだけど、会ったときに受信メールと見比べたの。そしたら、違ってるところがあったの」
B:「何それ、うそー、あり得なーい」
A:「でね、××××(携帯電話運用会社)のショップに行って文句言おうと思ったのよ」
B:「当然よねー、ひどいよそれ」
A:「でも止めたの」
B:「えっ、なんでなんで?」
A:「だって中身見せなきゃなんないじゃない」
B:「アハハ、恥ずかしいこと書いたんでしょ」
A:「そうなのよー。店の人じゃとどまらないじゃん? きっと上の人とかその上の人にも見せなきゃなんないから。あんなの見せたらクレームなんかじゃなくワイワイ騒がれちゃうよ」

いったいどんな恥ずかしいメール打ったんでしょうね?その先は話題が変わって行ってしまいましたが。
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今週の一曲

2006-09-24 06:48:07 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック。1980年のライブ録音です。

先週の一曲はドビュッシー前奏曲集第1巻より第8曲「亜麻色の髪の乙女」でした。1973年録音。ドビュッシー中期にあって初期のようなロマンティックな音楽です。青柳さんによれば、この曲とミンストレルはリヒテルが決して弾かなかったそうです。ミンストレルの方は(人種偏見を感じるのかなぁと)理由が想像できる気がしますが「亜麻色・・」の方はなぜ弾こうとしなかったのかわかりません。シリアスなリヒテルには甘い旋律すぎるのかとも思いますが、ラフマニノフの超甘い旋律もリヒテルは弾いているのだし。もっともこの曲に関しては、リヒテルがどう弾くか是非聴いてみたかったとは、特に思いません。ミンストレルの方は面白い音楽の筆頭とも思えるので、リヒテルの演奏を聴きたかったのですが。
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オーボエ

2006-09-22 07:49:03 | 日々のこと(音楽)
という楽器、軽やかである一方、哀愁を帯びた特徴のある音色です。「運命」第一楽章再現部でのレシタティーヴォ。何という効果でしょう。新世界第二楽章では兄弟分のイングリッシュホルンも胸を打ちます。

昔、職場の合奏団でバッハのヴァイオリンとオーボエのための協奏曲ニ短調をやりましたが、そのときのヴァイオリンとオーボエのカッコいいこと。彼らをまぶしく見ながらチェンバロパートを弾いていました。

しかし曲が終わるとオーボエ奏者は汗だくで疲労困憊になっていました。どうもオーボエという楽器は重厚長大と逆の見かけや音(チャルメラに似ていますね)から想像される楽器とは違うようです。ダブルリードを自分で削る普段の手入れも大変ならば、音の出し方も指使いも複雑。クープランの墓のプレリュードなど、聞こえの爽やかさと裏腹に死ぬほど難しい曲ということです。この曲は原曲のピアノの方が楽かもしれません。

オーボエに話を戻すと、ハインツ・ホリガーの吹くベリオのゼクェンツァは鬼気迫るものがありました。オーボエのあらゆるテクニックを駆使したソロの曲で、管一本でこんな表現まで可能なのかと思いました。

(ただし、その新テクニックの中には二つの音つまり和音を同時に出すというのがありましたが、それはあまりオーボエらしい音でもなかったので、その前で止めておいても良かったようにも思いましたが。)
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リヒャルト・シュトラウス

2006-09-20 01:34:40 | 日々のこと(音楽)
の音楽には、私は昔から没頭して来たとは言い難いものがあります。彼の音楽はあまりにもtriumphantで、ベートーヴェンのような苦悩を克服した力強さというよりは初めから勝利を約束されたような明るい音楽であり、そのことが表面的共感以上のものを感じさせなかったからだと思います。そのため彼の人生そのものも、生まれたときから神童で、若くして世界の最前線に引きあげられ、やることなすこと全て成功の壮年期を経て、重なる栄誉の内に大往生を遂げた人、というイメージをいつしか持っていました。

このことは彼の前半生の神髄である交響詩を見ただけでもわかります。上に述べたような彼自身を描いたのではないかと思わせる、あるいはそうだと本人が公言している交響詩ばかりです。作曲時期順に見ると、快進撃で進む若きドン・ファン。いたずらっ子が奔放に世間を翻弄するティル・・・。哲学の教祖のようなツァラツストラ・・・。世に出る成功から妬み中傷を克服した真の成功を見る英雄の生涯。結婚にも家庭にも親戚にも恵まれた家庭交響曲。まるで作曲で自己の成功人生設計をしているのではないかという感じで、もうごちそうさまと言いたくなります。

しかしあるとき「人の内面まではわからないものだし、そんなに人生全てが常に勝利だった人なんているのだろうか?」と思うようになってから、彼の音楽というより彼自身に少し興味を持ち始めました。上記のイメージは単純過ぎるのではないだろうかということと、いま一つには、ラフマニノフと同じく、私が生まれるそれほどはるか以前でもない時期まで生きていたのに「後期ロマン派」などという後ろ向きレッテルを貼られかつこんなに有名な人というのはどんな人だろうということも理由ではあるのですが。(そのことで同類とはいえ、ラフマニノフが短調の人とすればリヒャルト・シュトラウスは長調の人ですね。)

そんなときに出会った本があるので紹介しようと思って書き始めたのですが、続きはまた後日にしましょう。
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今週の一曲

2006-09-17 09:21:07 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック

先週の一曲はドビュッシー前奏曲集第2巻より第1曲「霧」でした。1973年録音。ドビュッシーの音楽は後期に(最晩年を除き)現代音楽的になります。月の光やアラベスク等いわゆるドビュッシー初期の明るく美しい作品に比べてこの曲は随分曖昧模糊とした感じです。ストラヴィンスキーやヴィラ=ロボスが好んで用いた、右手は白鍵ばかり、左手は黒鍵ばかり(あるいはその逆)という手法をやわらかくppで奏するため、全体に灰色がかった、それこそ霧のような感じになっています。同時代のヤナーチェクの「霧の中で」の方は色彩的で、これも大変好きな音楽ですが、題は「霧の中で」でなくても納得しそうですが。
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家族の一人

2006-09-15 23:52:43 | サイエンス
が免許を取ってから1年。で、予想通り塀にこすって車に傷をつけてくれました。で、直していません。免許取って2年くらいはまたこするに決まっているからです。その後きれいにするか考えます。ま、ボディーはどうでもいい部分です。もっと本質的に修理しなければならない部分ならすぐ直しますが。

では車で本質的部分とはどこでしょうか? こればかりは修理せずにおけないものとは? あるいは「これがないと車とは言えないもの」とは? とりあえず最低限シャーシーとタイヤはあるとして、それ以外ということにしましょう。これとても多少凹んだりパンクしたくらいでは直さず買い物くらい行けますが。

明らかなのは窓や屋根は重要ではないでしょう。これがない車だってある、というか、その方がステータスが高いのだから。フロントガラスだって、なくても使えないことはないでしょう。(映画「ブッシュマン」が懐かしい)

エンジン? 確かにこれがないと進みませんね。でもギヤをニュートラルにすれば手で押しても動くから、リヤカーや人力車代わりには使えそうです。

ハンドル? 確かにこれがないと、動いたとしても好きな方向へ持っていけませんね。でも鉄道だってハンドルはないのだから、軌道を決めてしまえば使い道はありそうです。

私は、実は、ブレーキなのではないかと思うのです。これがないと止まれない。止まれなければ使い物になりません。坂でもあろうものなら駐車しておくことすらできません。ブレーキの異常はどんなに小さくても放置できませんね。およそ輪っかのついた乗り物と呼ばれるものの中でブレーキ機構のないものは存在しないのではないでしょうか。

エンジンよりブレーキ。逆説的でしょうか? エンジンもハンドルも、ブレーキの健在を前提に活躍できる、というのは人、組織、国なんかにも言えるのかもしれません。
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今日は人間ドック

2006-09-13 21:20:05 | 日々のこと(一般)
でした。いつも数ヶ月前に申し込むのですが、そのときは「よし当日までは摂生しよう」と思って申し込みます。しかし忙しくしていると忘れ、「しまった、もうあしたか」となります。かくして人間ドックは正しい抜き打ち検査となります。

ところで申し込むときどの日にするか、少し考え込みます。この場合一つの指針があるので、私の経験をお話しましょう。昔、職場で大きな公開イベントを来週に控えているというときに、それを仕切っていた上司が人間ドックに入りました。イベントを控え、念には念を入れスッキリして臨もうというわけです。そうしたら、その人は何の自覚症状もなかったのですが何か致死性の内臓破裂寸前ということがわかり、そのまま帰宅も許されず数ヶ月入院となりました。そのために回りがどんなに大変な思いをしたか、想像に難くないでしょう。その上司は助かりましたが「大変でしたねえ」という同情の声はなく「なぜあんなときに人間ドックに行ったんだ。イベントの後にすればいいものを」という声しきり。

つまり大事な行事の後にせよという教訓です。その上司に対して皆なんて冷たいんだと思うかもしれませんが、もっと極端な例を想像すれば明らかでしょう。自分がいなければはじまらないイベントがあったとしましょう。その直前に内臓破裂で死んだら、回りは惜しんで嘆いてくれるでしょう。しかし人間ドックに行ってそのまま入院してイベントがパーになったら、非難ごうごう間違いなしです。

でも本人にとっては死ぬよりましじゃないかと思うかもしれません。ここでポイントは、「イベントの後回しにすることが命を粗末にすることにはならない」という点です。つまり(何か自覚症状が出た場合はイベントだろうが医者に行くべきですが)定期点検のたぐいは「周期を決める」ことが重要で、「周期の中のどの位相で行うか」は任意性があるわけです。毎年一回やると決め、年間の決まったイベントがあるなら、その後に設定すればいいだけです。

(この話をしたら「そうか、イベントの前に行けば正当にサボれるかもしれないんだ」と言った同僚がいました。)
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さて、ゴジラ

2006-09-12 06:49:22 | 日々のこと(音楽)
の続きですが、その前に、「宇宙戦争」という映画を知っているでしょうか? 最新のスピルバーグ+トム・クルーズのものでなく、ジョージ・パル+ジーン・ケリーの1953年のものです。最新のリメイクものも筋は同じということですが、あまり見る気がしません。H.G.ウェルズ原作の「宇宙戦争」、アメリカのラジオでニュースのような迫真の放送でパニックを引き起こしたことで有名です。さて1953年制作になる映画「宇宙戦争」、私は若い頃テレビで見て感激しました。何に感激したかというと、内容もそうですが、戦後10年も経たないうちにこんなSF映画が作られたということにです。襲ってくる火星人の宇宙船は今見てもモダンな感じですし、きれいなカラーで迫力満点の特撮。さすが国力に余裕のあるアメリカ、SF映画はやはりアメリカ、という思いを強くしました。(火星人の「目」には笑っちゃいますが。映画人らしい発想です。)

ところが和製映画「ゴジラ」もそのたった1年後だったんですね。こちらはまだモノクロですが、今回飛行機内で見て、実は宇宙戦争以上に感銘を受けました。まず音楽から言うと、伊福部昭はやはりすごい。場面場面の音楽がやっつけ仕事ではない音楽。どこもいいと思ったのですが特に良かったのは、恐ろしい威力を持つ自分の研究を封印することを決めた芹沢博士を対ゴジラ対決へと心変わりさせた子供達の大合唱の場面。この転調しないモード和声の祈りの音楽はアルヴォ・ペルトを先取りするものではないか。

第五福竜丸的発端も、水爆実験で太古の眠りから醒め放射能を帯びたゴジラという社会問題的設定も、演技・撮影技術も、全く宇宙戦争にひけをとらないと思いつつ見ました。いやもっと言うと、宇宙戦争は設定が「外部から突然出現した敵」の多少ご都合主義の閾を出ていませんが、ゴジラは「人類の身から出たさび」的掘り下げがあります。また最後の結末も、いろいろな映画が既にある現代から見ればありがちといえばありがちかもしれませんが、宇宙戦争の結末よりはずっとヒューマニズムに溢れています。ただ見ても感銘を受けるのに、これが敗戦をまだ引きずっていた1954年の作品ということには驚きを隠せません。日本映画に限らず文化というのは、戦後急に変わったのではなくその前から脈々と伝統が形成されていたということなのでしょう。

ふんだんに金を使った最新映画を大画面大音響で楽しむのも映画なら、ヒューマニズムやしっとり感も根底に流れるこの作品のようなものも映画です。
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今週の一曲

2006-09-10 17:57:38 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック

先週の一曲は自作自演で「Pluto」でした。1976年録音。この曲については9月1日のブログに解説しました。
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二日間

2006-09-09 23:20:08 | 日々のこと(一般)
ネットも電話もアクセスできないところに出張していました。その間携帯電話も鳴らないようにしていたので、外部との連絡法は携帯メールだけ。

何というさわやかさ、何というリフレッシュ。何と仕事が進んだことか。アドヴァイザーをしている研究報告会を聴きながら内職で執筆+職場と携帯メールやりとり+もちろん本来の質疑応答という一石三鳥。携帯メールでできない仕事はできません。おかげで、職場では進まない執筆をせかす矢のような催促に「いま書いています」と言い続けて来た懸案の執筆を片付け、いまは秋の青空のような気分です。出張から帰って来たいま、すごい量の仕事メールが溜まっていましたが、まあ焦らず処理すればいいのです。

ネットにアクセスする手段があったら必ずメールもウェブも見たでしょう。そしてメールの逐次処理に追われ、執筆は一行も進まなかったでしょう。

まじめな話、物理的にネットアクセスが不可能な場所あるいは日を作ることを考えたくなります。そういうプロヴァイダあるいは通信会社の新商売、ありませんかね? 指定した曜日はネットが繋がらない契約とか。
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エアバス社

2006-09-08 06:50:05 | サイエンス
が業績不振ということですが、その中にあって新型巨大機A380の試乗があったそうです。エコノミーのみの座席にすると800人越えるということで、ちょっとした会社や学校は丸ごと移動可能ですね。中でオフィスワークや授業でもしようものならビルごと空を飛んでいる感じです。

日本からアメリカに行くとき偏西風の影響で西行きと東行きで1時間ほど違いますが、A380みたいにでかくても同じでしょうね。飛行機はフリスビーのようにわずかに上に凸の翼が風を切るときの揚力で浮いている(クッタ・ジューコフスキーの定理)ので、大気あっての浮遊です。地面に降りているときは翼が胴体にぶらさがっていますが、飛んでいるときは胴体が翼にぶらさがっているわけです。窓から見ていても角度の違いがわかることがあるほどです。

大気からの相対速度というのは火星でも同じでしょうか? 火星の大気圧は地球の100分の1ですが、地球から砂嵐が見えるほどですから風はあります。そういう環境で飛ぶ飛行機が作られたとしたら、やはり大気に対する相対速度になるでしょう。

では真空中でも浮いたり飛んだりするロケットはどうでしょう? 大気を利用するのでなく、モノ(燃料)を放り投げる反作用で推進しているわけですが。これも大気の中で運動している場合は同じはずです。

ちょっと考えるとこれは不思議です。だってロケット打ちあげ直前は地面に固定されているのに、浮いたとたんに風の速度ヴェクトルをプラスしなければならないのでしょうか? そんなことはないでしょう。

ロケットが浮いた直後はやはり直前まで固定されていた地面に対し水平方向の速度はゼロです。しかし風に押されて徐々に水平方向は風速に一致して行くでしょう。その時間が経った後は大気からの相対速度になります。風向きや風力が急に変われば、それに追随する時間のあとは、新しい風速ヴェクトルを足したものになります。(追随時間---緩和時間ともいう---より速く風速が変化する場合は、慣性の勝った運動になりますが。)

というわけで、飛行機もロケットも木の葉も追随時間の差があるだけで、追随時間の後の定常状態では火星といえども浮いているものは大気が基準となるでしょう。もっと真空に近い薄い大気でも、定常状態を考える限り大気からの相対速度で推進することになります。地球の大気中を長時間飛ぶエアバスは間違いなく偏西風の影響を受けますね。
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朝晩しのぎやすく

2006-09-05 07:04:08 | 日々のこと(一般)
なって来た今日このごろですが、なんて書き出しは手紙みたいですが、実感しています。大阪は暑い。関東にもよく出現する身ですが、夏は明らかに違います。何しろ「今日の最高気温は35度になる?そりゃ涼しいね。昨日より3度も低くなるんだね」という会話が成り立ちますから。

しかししのぎやすくなって来たら来たで、あの猛暑の真夏がいとおしくなります。(そんなことはないっという声も聞こえそうですが)今も聞こえてくる虫の音に「ああ、夏も終わるんだなぁ」という感が関東よりも強くこみあげてきます。

ちょうどテレビが天気予報になりました。なに、最高気温は昨日より2度下がって32度になる? もういい加減に夏が終わって欲しいものです・・・意見が安定していませんね。

(しかし台風12号というのは何なんでしょうね? ハリケーンが遠くからやってきて台風に変身するなんて、前代未聞では?)
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楽器を作る

2006-09-04 00:29:54 | 日々のこと(音楽)
あるいは整備する人というのに私は興味があります。もちろん調律師さんも含みます。自分が弾ける(弾けた)楽器であるピアノ、シンセサイザー、ギターのうちピアノはとても作れませんが、シンセサイザーは売り物でなく自分好みのものを作りたいと思うくらいです。時間のある自分を仮想するならば、ギターも作ってみたいものです。イエペスの十弦ギターみたいなものを。

日本のピアノ製造・整備技術については以前のブログで少し触れ、草思社の「日本のピアノ100年-ピアノづくりに賭けた人々」を紹介しました。他に大変感銘を受けた本として杵渕直知の「ヨーロッパの音を求めて」を挙げたいと思いますが、これは杵渕家の自費出版らしく、入手は困難かもしれません。ヨーロッパで客死された杵渕氏のご遺族から私はいただいたのですが、その後連絡法がわからずにいます。連絡法を知っている人がいたら是非nob@fuji.email.ne.jpに教えていただきたいものです。

さて楽器製作についての本は、実はピアノより先にヴァイオリンのものを読みました。自分では弾けないから作るはずもないのに、興味があったのです。その本とは無量塔蔵六(むらたぞうろく)著の「ヴァイオリン」という岩波新書で、1975年くらいのことです。日本初のヴァイオリン製作マイスターとはどんな大家なんだろうと想像しながら小さな新書を両手で握りしめて読んだ記憶がありますが、今から思うとマイスター無量塔がこれを書いたのはなんと40代後半、今の私より若いときだったんですね。それでも今読み返しても、自分など及ばない巨匠という感覚が拭えません。今ご存命なら80才近く。マイスター無量塔に関する5年ほど前の情報が写真入りでここにありましたが、その後どうされているのでしょう。

自分の所属する学部・研究科で「ものづくり」や「モノの性質」を扱っているから言うのではありませんが、どう考えても私はマネーゲームで稼ぐだけの人より「ものづくり」に携わるあるいは関係する人の方が素晴らしいとしか思えません。(もちろん実際に作らないけどその「理論」などをやっている人も含みます。)

ところで無量塔蔵六というのは本名なのでしょうか? 村田蔵六こと大村益次郎を意識して付けたマイスター名なのでしょうか? どこにも書いてないのでこれも誰か知りませんかねぇ。
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飛行機の中

2006-09-03 07:12:58 | 日々のこと(一般)
というのは、資料作成や雑誌読みくらいの仕事はできますが、考え事には向かないようです。椅子に縛り付けられていると、何だか発想も狭きに縛られる感じがします。本を読むというのは悪くありませんが、これも自然に包まれて読みたい気もします。

それ以外では何をするか? 音楽はとても聴けません。プログラムを見ると結構食指を動かされる選曲なのですが、飛行音がうるさくて音楽鑑賞環境としては最悪です。ノイズキャンセラー付きヘッドフォンは威力ありますが、まだまだですね。

フライトの長い国際線なら映画? 確かにこれは一つの過ごし方です。でも目の前の小さな画面とやはりうるさい環境がいまいち。それに見たいと思う映画はあまりありません。まずアクションものはダメ。特にカーチェイスの場面になるともういけません。「はいここに5分間カーチェイスね」と映画の設計図が目に浮かぶようで、白けてスイッチを消します。だから、これは面白そうかなというのを見つけて画面の小ささや環境雑音を忘れるほどのめりこんでしまったときは、得した気分になります。

前に「三丁目の夕日」が良かったと書きましたが、今回もいい映画に当たりました。それは「ゴジラ」。笑わないでください。見たのは1954年の第一作目です。普通は封切り前の最新映画をやっていたりもするのですが、何でまたこんなのをやっていたのかわかりません。怪獣映画なんてと思っている私がちょっと見てみようかと思ったのも、音楽が伊福部昭だからです。有名なゴジラのテーマ以外に全編の音楽も聴いてみたくなったのです。でも音楽以外でもゴジラに感銘を受けました。

どこがいいと思ったか、あらためて書きましょう。(それにしてもゴジラのテーマ、ラヴェルのピアノ協奏曲に似ています。違う和声があてがわれていますが。)
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