詠里庵ぶろぐ

詠里庵

上海での話題その2

2010-10-30 23:14:58 | サイエンス
です。中国の研究者達と中華料理を囲んだときのこと。中国側もこちらも大人数だったので大きめの円卓が3つにもなりました。よその円卓がやけに盛り上がっていたので、後で何の話題だったのか聞いたら、驚くべき話を聞きました。

なんでも、同じ大学内で教員の給料が5倍程度の差があるとのこと。教授の中でのことか助教から学長までの話かは聞きそびれましたが、後者だとしても相当な格差です。居たのは教授ばかりでしたから前者の話なのかもしれません。どうしてそんなことになっているのかということも聞きましたが、その主な原因は、海外からの帰国者には海外での給料を保証しているとのことでした。盛り上がっていたのは「おまえ洋行帰りだから5倍もらっているんだろう」などという話になっていたんだそうです。お酒が入っていたから険悪ではなく和気藹藹とやっていましたが。

それが事実と仮定すると、これで一つナゾが解けました。これまで中国から欧米へ(またそれより少数ですが日本にも)留学したり職を得たりした研究者はそのまま海外に居残るケースが非常に多かったのです。韓国もそうでしたが、戻った人は明らかにactivityが落ちていました。ところが、このところ中国の人が中国に戻るケースが目についていたのです。なんでかなと思っていました。

戻った人達は重要職に就いたりリーダーになったりして中国の研究を牽引しています。その研究環境も決して以前ほど悪くはありません。いまや中国の研究はすごい勢いで最先端に肉薄しつつあります。いや、少し先の時点でこの2010年時点のブログに来た人は「なに古い話してるんだ、中国の研究環境はトップじゃないか」ということになっているかもしれません。

さて、それなら日本もそのくらいメリハリつけたらいいのでは?

これは簡単な話ではありません。

日本の研究環境は既に結構いいのです。そんな中で若い研究者がこぞって欧米に行きたくなる仕組みを整えること、これは重要だと思います。欧米は研究環境がよくても、あたかも悪いかのごとくハングリー精神が失われない、という精神環境の良さがありますから。

しかし帰国後の5倍の給料格差というのは極端すぎます。好待遇とそれに付随する期待が過度だと、どういうことが起こるか? おおかたの人はその期待通りに活躍するかもしれませんが、中には「その期待にふさわしい力を持つ人物」を演じ始める人が出て来るかもしれません。「演ずる」とは、酷い場合は捏造に走ったりしたニュースもありましたね。

仕組み作りというのはすごく難しいことと思います。が、これが将来を決めるのでしょう。
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上海交通大学

2010-10-28 23:06:19 | サイエンス
に数日前まで出張していました。有名な大学ですが、一般にはあまり知られていないかもしれません。交通大学という名前は歴史的経緯の産物で、意味は工科大学です。

成田や関空ほど遠い空港はストックホルムのアーランダ空港くらいかと思ったら、上海の浦東(プートン)空港もけっこう遠いのですね。おかげでバスからの景色を長時間見ることができました。上海交通大学も、本部のある上海市街端キャンパスから教育研究中心の郊外キャンパスまで離れています。前者に宿泊し後者に通ったので、この経路も景色をジロジロと見ることができました。

感想は山ほどありますが、二つだけ。今日はそのうち一つだけ書きます。やはりセイタカアワダチソウがはびこっているのですね。いや何のことかと言うと、セイタカアワダチソウというのはアメリカから来た帰化植物です。見た目は悪くないのですが、ススキと生息地競合があってススキを押しのけつつある植物です。日本では郊外を歩いたり新幹線から見たりするとどこにでも見られます。ウチの大学の敷地内でも見られます。「この辺はまだススキががんばっているな」「ここはせめぎあっているな」「ここらは完全にやられたな」などと思いながら原っぱを見ると、なんでもない景色が少しは興味を持って見られます。せめぎあっている原っぱなどは、なにか押し相撲でも見るように手に汗を握ります(オーバーか)。 ちなみに、日本の光景だと思いますが、ウェブで見つけた写真をここに引用します。

そのセイタカアワダチソウを上海郊外でたくさん見かけたわけですが、ではススキと拮抗しているのかというと、そうでもありません。空港へ向かうバスからほんの1箇所だけ拮抗の場面が見られましたが、結構セイタカアワダチソウに囲まれていました。そこで見られたのはススキといっても、ベルヌーイの定理を思わせるシュッシュッと流れるような日本のススキと違って、穂の開き角度が大きく、背も高い感じです。月と団子とススキといった風情ではありません。写真を撮りたかったのですが、このご時世、へたに写真を撮って「そこは軍用地だ」と言われても困るのでカメラを持って行きませんでした。どのみちバスからの遠景はうまく撮れなかったと思いますが。

セイタカアワダチソウがはびこる前はこの上海ススキがはびこる原っぱだったのだろうかと想像しながら、上海を後にしました。
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映画「天平の甍」

2010-10-16 02:25:24 | 日々のこと(一般)
を明後日の18日(月)21時からNHK-BS2でやるようです。井上靖の原作は約10年ごとに繰り返し読んでいるので、この映画、前から見たいとは思っていました。しかしちょっと用事があるんですよねー。録画してもいいのですが、「録画する=結局見ない」のではないかという気がします。しかし脚本が井上靖自身だし、なんといっても音楽が武満徹ですから・・・これはやはり再生して見るんでしょうね。
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生け花の続きですが

2010-10-10 01:12:15 | 日々のこと(一般)
こんなのどうでしょう。

この写真は実は生け花ではなく、豆苗(とうみょう)です。
スーパーで買って来た豆苗を根本でバッサリ切って調理し、残りの根っこを捨てずに生け花みたいに水を張って数日置いたものです。豆が残っているからこんなに再生するのですね。一番長いもので高さ30 cmに達します。密集の度合いは買って来た当初よりはもちろんスカスカで、もう一回やるともっとスカスカになります。実用的には二回が限度でしょう。

ちょっとミニ竹林のような風情なので、また食べるまで、しばし緑を楽しみましょう。
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ちょっとした義理

2010-10-02 19:44:53 | 日々のこと(一般)
もあって、生まれて初めて生け花展なるものに行きました。ある大きな流派の家元から多くの高弟までの作品展です。自分にはかなり遠い世界と覚悟して行ったのですが・・・やっぱりそうでした。

いや、正確に言いましょう。ダイナミックで美しい生け花群は大いに楽しめましたし、高い技術やたゆまぬ精進がなければここまでできないであろうことは素人目にもひしひしと分かって、こんな世界があるのかと感嘆したことは確かです。

でも、どこか心にグッと来るものがいま一つなのです。こちらの感受性の問題かもしれないのですが、どこかカラフル過ぎるし、造型もやかまし過ぎるのです。音楽で言えば、実力のある若い作曲家が大量の音符を書き込んだ力任せの音楽。演奏で言えば、繊細な場面から力強い場面まであらゆる要素をいかにも予定調和的に並べた演奏。なぜか食傷気味になるのです。たとえて言うなら、私でも買えるか買えないか程度の綺麗な絵がたくさん並んだ画廊、という感じです。ゴッホや棟方志功というわけには行きません。

おそらく日本古流の生け花とか、逆に前衛生け花だったら、そんなことはなかったかもしれません。あるいは何の変哲もない庭園にさりげなくあるような植物の方が心安らぐ感じがします。

その意味でおもしろかったのは、「子供の生徒さん達の作品」のコーナーです。当たり前ですがこちらはだいぶ素朴で、食傷気味になることはありません。それでも作品によっては小綺麗で、これから素朴さの芽が摘まれて行くのだろうか、などと思ったりします。

いや、他人の分野だから言いたい放題言えますが、どこか自省もうながされるような気もした生け花展鑑賞でした。
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集合住宅

2010-10-02 03:02:24 | 日々のこと(一般)
に住んでいると、ときどき当番のたぐいが回って来ます。なに、たいした仕事ではないんですが、共益費の徴収などがあります。いま住んでいるところは「やっかいな人」というのが皆無なので、楽なものです。

しかし前より不便になったこともあります。しばらく前は「なんとか自治会」などの名義の通帳で集金管理できて便利だったのですが、昨今は銀行も郵便局も個人名義しか受けつけなくなったので、誰かが代表で通帳を作って当番は集金後その人にお金を届ける、といったちょっとした面倒が発生しています。

確かに「なんとか自治会」で通帳が作れるなら、振り込め詐欺団はいくらでも通帳を作り変えて跡を残さず詐欺を続けることになるでしょう。社会が複雑になるにつれて知能犯が増え、それに対処するために不便を我慢しなければならなくなっているように思います。セキュリティと便利さには大なり小なりトレードオフがあります。

それにしても、規範みたいなものがなくなって来ているのでしょうか。頭のいい人がその知能を駆使して年寄りを欺して金を巻き上げるなど、自己の存在意義を否定するようなことをして平気なんでしょうか。いま話題の検察による確信犯的えん罪作りも似ていますが。
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