について「サティの曲なら、頭で暗譜して買わずに済ますこともあった」と、
8.15の風雅異端帳「4分33秒」で一瞬触れましたが、そのサティが昨日の日本経済新聞朝刊の最終ページ「文化」面に
「仏の異端作曲家生誕150年」としてとりあげられていました。草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバルで上演されたサティの音楽喜劇「メドゥーサの罠」を中心に文化部の岩﨑貴行という記者さんが書いたものです。
この音楽喜劇、起承転結のある喜劇というよりは日常と非日常が混じったような、ややシュールな感じもあり、サティ自身の台本になるひとつながりの寸劇の切り替えに7つの短い音楽が — 劇と関係あるようでもあり、ないようでもある音楽が — 入るという趣向です。現代に受ける感性の作品だと思います。その音楽はサティ独特のもので、シリアスな藝術を斜に見るような洒落た雰囲気は劇とよくあっています。どれも短い音楽ながら、ジムノペディやグノシェンヌに比べると「頭で暗譜して買わずに済ます」には複雑ですね。
そういうわけで今年(2016年)はサティ企画モノが散見されますが、今年は武満徹没後20年でもあるので、武満モノも結構あります。いずれ感想を
風雅異端帳でとりあげましょう。ついでに言うなら来年は、サティと同世代のドビュッシー没後100年。青柳いづみこがドビュッシーの最後の5年間を100年後の今、カウントダウン・コンサートとして進行中です。これはまだ続いているシリーズです。