年の瀬にこのブログ恒例の「今年の墓碑銘」です。主に科学分野と芸術分野から10人、独断で書いています。
[1]無量塔蔵六(むらた ぞうろく、1月30日。日本のヴァイオリン制作者。享年92才)
この名は村田蔵六にあやかった名前で、本名は村田昭一郎。日本人で初めてのヴァイオリン製作マイスター。今は絶版となった「ヴァイオリン」(1975年岩波新書)は、今でもときどき読み返すことがあります。ピアノに比べるとべらぼうな値段が付くことがあるヴァイオリンですが、あとがきに興味深い記述があります。「ヴァイオリン関係の書物の多くは楽器商と結びついています。楽器商と直接関係のない岩波新書の中で自分の考えるところを自由に書ける機会が与えられたことは非常に幸せでした。」
{2}ピーター・ゼルキン(Peter Adolf Serkin、2月1日。アメリカのピアニスト。享年72才)
父親はボヘミア出身ユダヤ系ピアニストで、こちらも非常に高名なルドルフ・ゼルキン。ルドルフはベートーヴェンを中心とするドイツ音楽の大家であるのに対し、ピーターは現代音楽まで手掛けています。ピーターの弾くバッハも好きですが、現代音楽は一層精緻かつ知的な演奏で、とても相性がいいと思います。アンサンブル・タッシで室内楽でも活動していました。
[3]フリーマン・ジョン・ダイソン(Freeman John Dyson、2月28日。イギリス生まれのアメリカの理論物理学者。享年96才)
ダイソンは、1965年に朝永振一郎がくりこみ理論でファインマンやシュヴィンガーと共にノーベル賞を受賞した「量子電気力学」に大きな貢献をしたほか、多様な貢献があります。2014年の来日インタビュー記事は実に興味深いものです。また幼少よりピアノを弾き、「窮理」でも物理と文学と科学史の合奏――窮理サロン協奏曲第1番でも話題にさせてもらいました。
[4]クシシュトフ・ペンデレツキ(Krzysztof Eugeniusz Penderecki、3月29日。ポーランドの作曲家。享年86才)
オーケストラ作品が有名。興業の才で成功した作曲家という第一印象を持ってしまったため、あまり熱心に聴いてこなかったのですが、音楽そのものもいいなと思うようになって来ました。もう少し聴いてみようと思います。最近は演奏や録音がいいからかもしれません。やはり現代音楽はいい演奏で聴かなくては。
[5]藪崎努(やぶざき つとむ、4月10日。日本の物理学者、京都大学名誉教授。享年79歳)
直接の指導を受けたわけではありませんが、学会でよくお会いして示唆に富むお話を拝聴しました。飲みに行っても面白いかたで、そういうときに間接的指導を受けた関係、という感じです。印象的だったのは飲みに行ったとき原子のトラッピング実験の話になって「そこで原子をほかすんですよ」とおっしゃったこと。「ほかす」という動詞(に違いない)はどういう意味だろう、と思ったのですが、拝聴しているうちに「トラッピングから自由にする」つまり捕獲ポテンシャルをoffにして原子を「捨てる」ことだとわかりました。
[6]長倉三郎(ながくら さぶろう、4月16日。日本の化学者、東京大学・岡崎国立共同研究機構分子科学研究所名誉教授。享年99才)
このブログでも訃報をお伝えしました。長倉先生は総合研究大学院大学の初代学長なんですが、そのことに触れた訃報はなかなか見つからず、やっとひとつ見つけました。
[7]皆川達夫(みながわ たつお、4月19日。日本の音楽学者、合唱指揮者。享年92才)
中世・ルネサンス音楽の研究で知られています。NHK「音楽の泉」のパーソナリティ、同「バロック音楽の楽しみ」のパーソナリティを務めました。氏の著書「キリシタン音楽入門」のあとがきに、あまり知られていない話だと思いますがちょっと興味を引くことが書いてありますので、引用しましょう。
——— わたくしの先祖が仕えた水戸藩は、キリスト教徒を厳しく弾圧しました。(中略)その負い目、贖罪の思いが、わたくしをしてこの研究に導いているように思われてならないのです。 ———
[8]ニコライ・G・カプースチン(Nikolai Girshevich Kapustin、7月2日。ウクライナ生まれのロシアのピアニスト作曲家。享年82才)
ジャズ的なんだけれどガーシュインとはまた違った、めくるめく疾風怒濤のようなピアノの難曲を多数残しています。クラシックなので、アドリブかと思うようなところも、音符が全部書いてあります。技巧派のプロやアマチュアのピアニストに人気があります。誰も彼を知らないころ日本へ紹介したり来日を実現したのは「東大ピアノの会」のOBの人達でした。
[9]小柴昌俊(こしば まさとし、11月12日。日本の物理学者。享年94才)
超有名なかたなので多言は無用でしょう。一昨年書いた2018年の墓碑銘の晝馬輝夫(ひるま てるお)の項をご参照ください。
[10]フー・ツォン(傅聰/FOU Ts'ong/FU Cong、12月28日。上海市出身のイギリスのピアニスト。享年86才)
だいぶ前、テレビでショパンを弾くのを見たことがあります。以来、詩情豊かな演奏が印象に残っています。国籍はWikipedia中国語版によると、中華民国(1934〜1949年)、中華人民共和国(1949〜1965年)、英国(1965年〜本年)。1955年の第5回ショパン国際ピアノコンクールでポーランドのアダム・ハラシェヴィチが優勝したとき、アシュケナージが2位だったことに腹を立てた審査員のミケランジェリが退場した話が有名ですが、そのとき3位だったのがこのフー・ツォン。1960年からロンドンを拠点に活躍しています。その人生に大きな影響を与えた両親が文化大革命の犠牲となって1966年自死しています。最近の演奏は一層詩情に磨きがかかっていたように思います。
【番外編】
・ジュリアン・ブリーム (Julian Bream、8月14日。イギリス出身のクラシックギタリスト。享年87才)
心地よい、質の高い演奏をするので、安心して鑑賞の身を任せられます。特にバッハやバッハ以前、それにスペインものがそうです。一方、イギリス出身だけあって、ブリテンを弾くと、魂を揺さぶられるような演奏に引き込まれます。
・森部一夫(もりべ・いつお、9月25日。ミツミ電機創業者の一人、前会長。享年88才)
人物について情報のない人を墓碑銘に挙げるのもどうかと思いましたが、ミツミ電機と聞いて、私がラジオ工作少年だった頃「ミツミのポリバリコン」をよく買いに行って、これで共振周波数を変え、ラジオ局を選局した記憶がフワーッと蘇ったので挙げてしまいました。
・筒美京平(つつみ きょうへい、10月7日。日本のポップス作曲家。享年80才)
私はカヨーキョクの作曲家にも興味がある、というと、たいてい驚かれます。しかしどうしてどうして、作曲技法に優れ音楽的にもクールな人でないと、永く歌い継がれる曲は作れません。
[1]無量塔蔵六(むらた ぞうろく、1月30日。日本のヴァイオリン制作者。享年92才)
この名は村田蔵六にあやかった名前で、本名は村田昭一郎。日本人で初めてのヴァイオリン製作マイスター。今は絶版となった「ヴァイオリン」(1975年岩波新書)は、今でもときどき読み返すことがあります。ピアノに比べるとべらぼうな値段が付くことがあるヴァイオリンですが、あとがきに興味深い記述があります。「ヴァイオリン関係の書物の多くは楽器商と結びついています。楽器商と直接関係のない岩波新書の中で自分の考えるところを自由に書ける機会が与えられたことは非常に幸せでした。」
{2}ピーター・ゼルキン(Peter Adolf Serkin、2月1日。アメリカのピアニスト。享年72才)
父親はボヘミア出身ユダヤ系ピアニストで、こちらも非常に高名なルドルフ・ゼルキン。ルドルフはベートーヴェンを中心とするドイツ音楽の大家であるのに対し、ピーターは現代音楽まで手掛けています。ピーターの弾くバッハも好きですが、現代音楽は一層精緻かつ知的な演奏で、とても相性がいいと思います。アンサンブル・タッシで室内楽でも活動していました。
[3]フリーマン・ジョン・ダイソン(Freeman John Dyson、2月28日。イギリス生まれのアメリカの理論物理学者。享年96才)
ダイソンは、1965年に朝永振一郎がくりこみ理論でファインマンやシュヴィンガーと共にノーベル賞を受賞した「量子電気力学」に大きな貢献をしたほか、多様な貢献があります。2014年の来日インタビュー記事は実に興味深いものです。また幼少よりピアノを弾き、「窮理」でも物理と文学と科学史の合奏――窮理サロン協奏曲第1番でも話題にさせてもらいました。
[4]クシシュトフ・ペンデレツキ(Krzysztof Eugeniusz Penderecki、3月29日。ポーランドの作曲家。享年86才)
オーケストラ作品が有名。興業の才で成功した作曲家という第一印象を持ってしまったため、あまり熱心に聴いてこなかったのですが、音楽そのものもいいなと思うようになって来ました。もう少し聴いてみようと思います。最近は演奏や録音がいいからかもしれません。やはり現代音楽はいい演奏で聴かなくては。
[5]藪崎努(やぶざき つとむ、4月10日。日本の物理学者、京都大学名誉教授。享年79歳)
直接の指導を受けたわけではありませんが、学会でよくお会いして示唆に富むお話を拝聴しました。飲みに行っても面白いかたで、そういうときに間接的指導を受けた関係、という感じです。印象的だったのは飲みに行ったとき原子のトラッピング実験の話になって「そこで原子をほかすんですよ」とおっしゃったこと。「ほかす」という動詞(に違いない)はどういう意味だろう、と思ったのですが、拝聴しているうちに「トラッピングから自由にする」つまり捕獲ポテンシャルをoffにして原子を「捨てる」ことだとわかりました。
[6]長倉三郎(ながくら さぶろう、4月16日。日本の化学者、東京大学・岡崎国立共同研究機構分子科学研究所名誉教授。享年99才)
このブログでも訃報をお伝えしました。長倉先生は総合研究大学院大学の初代学長なんですが、そのことに触れた訃報はなかなか見つからず、やっとひとつ見つけました。
[7]皆川達夫(みながわ たつお、4月19日。日本の音楽学者、合唱指揮者。享年92才)
中世・ルネサンス音楽の研究で知られています。NHK「音楽の泉」のパーソナリティ、同「バロック音楽の楽しみ」のパーソナリティを務めました。氏の著書「キリシタン音楽入門」のあとがきに、あまり知られていない話だと思いますがちょっと興味を引くことが書いてありますので、引用しましょう。
——— わたくしの先祖が仕えた水戸藩は、キリスト教徒を厳しく弾圧しました。(中略)その負い目、贖罪の思いが、わたくしをしてこの研究に導いているように思われてならないのです。 ———
[8]ニコライ・G・カプースチン(Nikolai Girshevich Kapustin、7月2日。ウクライナ生まれのロシアのピアニスト作曲家。享年82才)
ジャズ的なんだけれどガーシュインとはまた違った、めくるめく疾風怒濤のようなピアノの難曲を多数残しています。クラシックなので、アドリブかと思うようなところも、音符が全部書いてあります。技巧派のプロやアマチュアのピアニストに人気があります。誰も彼を知らないころ日本へ紹介したり来日を実現したのは「東大ピアノの会」のOBの人達でした。
[9]小柴昌俊(こしば まさとし、11月12日。日本の物理学者。享年94才)
超有名なかたなので多言は無用でしょう。一昨年書いた2018年の墓碑銘の晝馬輝夫(ひるま てるお)の項をご参照ください。
[10]フー・ツォン(傅聰/FOU Ts'ong/FU Cong、12月28日。上海市出身のイギリスのピアニスト。享年86才)
だいぶ前、テレビでショパンを弾くのを見たことがあります。以来、詩情豊かな演奏が印象に残っています。国籍はWikipedia中国語版によると、中華民国(1934〜1949年)、中華人民共和国(1949〜1965年)、英国(1965年〜本年)。1955年の第5回ショパン国際ピアノコンクールでポーランドのアダム・ハラシェヴィチが優勝したとき、アシュケナージが2位だったことに腹を立てた審査員のミケランジェリが退場した話が有名ですが、そのとき3位だったのがこのフー・ツォン。1960年からロンドンを拠点に活躍しています。その人生に大きな影響を与えた両親が文化大革命の犠牲となって1966年自死しています。最近の演奏は一層詩情に磨きがかかっていたように思います。
【番外編】
・ジュリアン・ブリーム (Julian Bream、8月14日。イギリス出身のクラシックギタリスト。享年87才)
心地よい、質の高い演奏をするので、安心して鑑賞の身を任せられます。特にバッハやバッハ以前、それにスペインものがそうです。一方、イギリス出身だけあって、ブリテンを弾くと、魂を揺さぶられるような演奏に引き込まれます。
・森部一夫(もりべ・いつお、9月25日。ミツミ電機創業者の一人、前会長。享年88才)
人物について情報のない人を墓碑銘に挙げるのもどうかと思いましたが、ミツミ電機と聞いて、私がラジオ工作少年だった頃「ミツミのポリバリコン」をよく買いに行って、これで共振周波数を変え、ラジオ局を選局した記憶がフワーッと蘇ったので挙げてしまいました。
・筒美京平(つつみ きょうへい、10月7日。日本のポップス作曲家。享年80才)
私はカヨーキョクの作曲家にも興味がある、というと、たいてい驚かれます。しかしどうしてどうして、作曲技法に優れ音楽的にもクールな人でないと、永く歌い継がれる曲は作れません。