詠里庵ぶろぐ

詠里庵

iPad

2010-01-29 21:38:42 | 日々のこと(一般)
Keynote見ました? スティーブ・ジョブズってダース・ベイダーみたいな声かと思っていたら、意外と甲高いんですね。しかし彼と後に続くプレゼンターとの差、歴然としていました。いや皆上手にプレゼンしていましたが、やはりカリスマ性あります。オバマもそうですがスピーチは大事ですね。

話は変わりますが、<学術雑誌>ネット購読料高騰に悲鳴 3年で2.5倍というニュースがありました。学術雑誌がネット上で閲覧できる「電子ジャーナル」の購読料が高騰を続け、各大学の図書館が悲鳴を上げ、国公私立の壁を越えて大学が値下げ交渉へ、という話です。私の分野はエルゼビアやシュプリンガーに大きくは頼らないでAPSなど学会主体の電子雑誌ですが、それでも他の分野が予算食うと影響がないとは言いきれません。

何でこんな話をするかというと、iPadでNew York Timesを読むのがとても快適に見えたからです。iPadで見るiBooksも、本物の本のように紙がしなって質感あるし、指でやるページめくりもペラッと音がしそうなほどリアリティーがあります。電子新聞なんて紙媒体の質感には敵うまいと思っていましたが、そのうちトイレにも満員電車にもiPadを持ちこんで新聞を読むようになるのでしょうか。

で、上のニュースですが、電子化は学術雑誌においてすごい勢いで進んでいます。もう製本された学術雑誌を読むことはめったになくなりました。大学や研究所の図書館のあり方も変わりそうな気配すら感じます。そうすると、上記の問題は一般社会で起こる問題を先取りしているのかもしれない。もちろん法人向け学術雑誌と消費者向け一般紙は競争原理が異なるとは思いますが。高くなるなら紙の新聞に戻ればいいと思うかもしれませんが、また戻りたいと思ったときにはかえって高くつくようになっているのが常です。

さてiPad。これでマルチタスクになって、LaTeXが使えるようになれば、買うか?
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リチウム

2010-01-20 23:20:21 | サイエンス
という物質、一昔前は全然有名でなかったのですが、最近はケータイやエコカーに電池として使うことで身近になって来ましたね。水素、ヘリウムの次の原子番号3の元素です。そう、ハイテクに必要なのに日本では採れないレアメタルの典型です。世界では南米、オーストラリア、中国のチベット自治区などで採れます。

そこへ来てこんな記事が。日本の商社がアルゼンチンでリチウム採掘権取得だそうです。

しかし、いろいろ数字が出ているこの記事を読むと、これも100年しか持たない話ですね。(150万トン÷1万5千トンでも3000万トン÷25万トンでもどちらでもいいですが) リサイクルすれば?と言うかもしれませんが、そもそもリチウムはリサイクルが難しいし。

とは言ったものの、100年は長いですね。100年前のことを思えば、今から100年も経てばテクノロジーは全く違ったものになっていることでしょう。需要はリチウムでなく別の物に変わっているでしょう。それにリチウムはリサイクルが難しいという話も早晩変わると思います。たとえばリチウム回収容易な電池の開発を売りにしている研究所は珍しくありません。(産総研など)

そういえば「石油はあと30年で枯渇」と声高に叫ばれてからとっくに30年経ちましたね。あの話はどうなったんだろう。いつまでたっても「あと30年分しかない」んですが。
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今日はちょっとした

2010-01-19 23:54:53 | ぐるめ
会で変わった焼きそばを食べました。味つけは普通のソース味ですが、半熟玉子ととろろが乗っかっているのです。また麺に弾力があります。これがなかなかいけました。前に紹介した納豆パスタとともに、かなりファンになりそうなヘンテコ麺類です。最近は忘れることが多いのでメモ代わりにちょっと記録。
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連休のうち二日間

2010-01-12 01:41:02 | 日々のこと(一般)
軽井沢にある某セミナーハウスに出張しました。普通は駅からタクシーで行くところ、ちょっと運動不足を感じていたので、往きは歩きました。木々の切れ目からかなたにちらつくゲレンデを視野の片隅に意識しながら。

空気もよく雪を踏みしめる感覚も爽快に歩き始めたのですが、森を開いたと思われる道を20分ほど歩いて、大概近くに来たかなというところで迷いました。地図にも目印となるものがなく、日は落ちて外灯も少い中、ちょっと不安になりました。やがてぽつんとコンビニがあったので道を訊くと
「すぐそこに信号があるからそこを曲がったところですよ」
というので、喜び勇んで徒歩再開しました。ところが歩けど歩けど信号が全くありません。

不安になりつつもまさかでたらめを言うわけないし、と10分ほど歩くと、ようやく信号が見えて来て、確かにそこを曲がったところでした。

寒い中を迷いつつ歩き、運動不足は解消以上のものがありました。それにしても密集地に住む私と軽井沢の住人で「すぐそこ」の感覚がこんなに違うものかと思いました。
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今年は武満徹

2010-01-03 01:56:09 | 日々のこと(音楽)
の生誕80年です。大々的にその種の企画があるというわけでもないようですが。

武満の同世代には大物作曲家がいっぱいいます。±10才違いまででは別宮貞雄、團伊玖磨、芥川也寸志、矢代秋雄、黛敏郎、間宮芳生、湯浅譲二、多田武彦、冨田勲、一柳慧、三善晃、八村義夫、高橋悠治、佐藤眞、野田暉行などの音楽が好きです。この中で5人に絞れと言われたら俄然、矢代秋雄、黛敏郎、湯浅譲二、一柳慧、三善晃を挙げます。

でも武満は独特というか別格というか、ちょっと違うのです。それは私の個人的趣味の問題といえばそうなんですが・・・

私はまず第一に西洋クラシック・近現代音楽を好みます。中でもピアノ音楽は大変好きです。だから詠里庵「音楽の間」でも大部分がこれらに関する記事になってしまっています。

ところがそれとは別に、非西洋音楽も好きなのです。それは音階やリズムが珍しいということもあるのですが、それだけでは、精神において西洋音楽と大差ないものも結構あります。そうでなく、本質的に違うものが好きなのです。私が言うところの「違うもの」とは何か?

ひとことで言うと、「明確な開始とそれに続く必然的発展と終結があり、その間、のべつ幕なしにしゃべり続ける音楽」とそのアンチテーゼの違いです。文学に比喩を求めると、「小説あるいは叙事詩のように構造がはっきりしていて、部分だけ取り出すと意味のないもの」と「詩、それも空白や余白が重要な、途中だけ読んでも鑑賞が成立するつぶやきのようなもの」とでも言いましょうか。非西洋音楽には後者のようなものが結構あります。それと西洋音楽の複雑に発達した書法が結びついたものを創造したら、真の、最もあるべき高みにある音楽になるのではないか? それを実現している1人として武満は第一人者ではないか、と思うのです。上に挙げた彼以外の同世代たちの音楽は、武満に比べると西洋の匂いがします。彼の音楽ー特に彼の後期にさしかかる前後の音楽ーを聴くと、上記のような意味において、深いーため息をついて動けなくなるほど深いー感動を誘うのです。彼の音楽では「無音の間」が極めて重要なのです。

西洋音楽の中でこのコンセプトに近い音楽の例を挙げるとすれば、ドビュッシー、ヤナーチェク、後期スクリャービン、インプロヴィゼーション、などの中に少し見られる気がします。

武満には多くの著作や対談がありますが、その中で印象的なのは
「ぼくの音楽はどこから始まってもいいと思っているから・・・」
という発言。これこそ私が感じて来た上述の感覚を端的に示すものではないかと思います。
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今年の初詣

2010-01-02 01:26:58 | 日々のこと(一般)
はいつもと趣向を変えてお寺に行きました。いつもは近隣の小さな神社ですが、今年はお寺、それも決して小さくはない傳通院というお寺です。まあまあ名の通ったお寺ですが、「でんづういん」と読みます。また正式には傳通院ですが伝通院と書かれることの方が多いようです。

こういう由緒あるお寺巡りの面白いのは著名人のお墓がいろいろあるところです。詳しくはネットでお調べいただければわかると思いますが、ネットで簡単には見つからない意外な人の墓碑があったりします。

正月なのに人気も少なくおみくじや甘酒ふるまいも獅子舞も無いなど、初詣気分はいまいちですが、近世の歴史が感じられておちつきます。天気に恵まれ、雲ひとつない青空に面白い形の大きな墓石が映えていました。
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新年おめでとうございます

2010-01-01 02:30:50 | 日々のこと(一般)
昨年は変革の年でした。
自分とその回りはというと、変革というよりsmooth sailingの年だったと思います。
今年もそうありたいと思いますが、意識としては、変革途上にある社会のことを念頭に置きたいと思います。たとえば、科学の面白さを自分で楽しむだけでなく伝えることが一層重要となるでしょう。それを効果的に行うには伝えること自体を―義務感でやるのでなく―楽しみにすべくオリジナリティーを盛り込むのが一番と思います。

ところで、世の中が安定しているときは年配者が社会を支配し、変革期には若い世代が変革を主導する傾向が、歴史から見てとれます。ですから若い世代はチャンスだと思って大いに活躍して欲しいと思います。ここで「若い」というのは精神年齢のことなので、その意味では私も他人事としてでなく「今年はチャンスだ」という気分になろうと思います。なにせ実年齢というのはあまり関係なく、私も指導いただいている先輩方には実に精神の若い人が多いので。
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