枇杷

2006-06-30 22:20:20 | 日々のこと(一般)
って読めます? ビワです。今が季節です。植物分類的には

界:植物界 Plantae
門:被子植物門 Magnoliophyta
綱:双子葉植物綱 Magnoliopsida
目:バラ目 Rosales
科:バラ科 Rosaceae
属:ビワ属 Eriobotrya
種:ビワ E. japonica

ということです(Wikipedia)。バラ科の果物といえばサクランボ、梅、モモ、スモモ、リンゴ、花梨、梨などがあります(だいぶ前から知ってた、僅かに十八番の知識)。皮はモモに似て剥きやすく、果肉はスモモを薄くしたみたいで、タネはリンゴや梨のタネをでかくしたような感じですね。

なぜまた枇杷の話かというと、妻の実家から送られて来たのです。クセがなくほのかに甘酸っぱい、上品な風味。サイズが不揃いですが、飽きずに次々食べられます。しばらく枇杷漬けで、他の果物を買う必要がありません。こんな風にしばらくそればかりというのも季節感があっていいものです。いつでも果物が買える現代はイチゴの季節さえ知らない子たちもいるそうです。枇杷はスーパーでも今時分しかないと思いますが、高いですね。でも話のタネにためしにいかが?
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電車にて(その2)

2006-06-27 21:35:14 | 日々のこと(一般)
電車で立っているときは他にすることがないので最も非生産的時間と思われるかもしれませんが、私にとって考え事をするのに最も適した時です。研究、サイエンスエッセイ、音楽を問わず、いろいろな思いつきはこの時間帯に起こるので、貴重な時間です。

もちろん、側で面白い会話をしている人がいれば、ついそれを聴いてしまうこともあります。先日も若いカップルの会話を楽しみました。いや、特別なことはない会話ですが、ちょっと紹介:

女「この線変わっちゃったよねー。高架とか複々線とか」
男「ホント。すごい変わって行ってるよね」
女「このままだと10年後にはどうなっちゃうんだろうね」
男「10年? んー、そうだなあ・・・」
女「きっとあれじゃない? あれあれ」
男「あれって? リニア?」
女「それ!リニアモーターカーになっちゃうんじゃないかなー。ぜーんぶ」
男「ウーン、そうかもしれないねー。けど、俺はどっちかというと・・・」
女「何?」
男「あのさー、車がもっと進化してさー、みんな車使うようになって電車に乗る人いなくなっちゃうんじゃないかな」
女「えー!そんな。でもそっかー。それすごーい」

もう一丁行きましょう。こちらは話を聞いてるとラグビー部員二人と女友達の3人連れのようですが・・・

男1「ワールドカップ面白いね」
女 「ウンウン」
男2「そう? 俺あんまし見てないから」
男1「いやロナウジーニョはやっぱすごいよ」
男2「ロナウ・・・?」
女 「えーっ! ロナウジーニョ知らない人がいたー!」
男2(慌てて)「いゃいゃわかるよ。あれでしょ。あの・・・気持ち悪い顔したの」
男1「そぅそぅそぅ、スターウォーズに出てきそうな」
男2「出っ歯のやつでしょ」
女 「知ってるンじゃん」
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今週の一曲

2006-06-25 00:40:19 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック

先週の一曲はショパン24の前奏曲集より第23番でした。例によってコルトーとの比較:

   私   :「紫陽花に注ぐ柔らかい雨」
   コルトー:「戯れる水の精」

水が共通点ですね。私のは日本的感覚かもしれません。お琴で聴いても合いそうです。もちろんショパンは梅雨のないフランス*で、箏なんて想像もせずに作曲したでしょう。多分箏では弾きにくい音型だと思います。

*ショパンは作品28のプレリュードの多くをマジョルカ島で作曲しましたが、新Peters版解説によると、23番はマジョルカ島ではなかった可能性が大きいようです。
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日本、決勝T

2006-06-23 07:17:12 | 日々のこと(一般)
進出ならず。

今朝のテレビで見るサポーターの反応は・・・いいじゃないですか。悔しい-まともな感覚です。怒ってない-怒るようなことなかったですからね。選手に感謝-そうですよね。

よく言われるジーコの采配ミス? まあ、あるかもわかりませんが、別に普通でしょう。個々の交代ミス?・・・結果論でしょう。普段も試合も選手を自由にさせ過ぎ?もっと組織プレーを?・・・どうですかね。組織プレーで負けたら「もっと自主性を」となっていたかも。

大体、私の人生のほとんどは、日本がワールドカップに出るなんて、夢のまた夢でした。それがたて続けに決勝T進出してばかりなんて、あり得ないでしょう。ブラジル相手に半分の時間勝っていただけでも、へー日本てこんなになったんだ、と。この3回のワールドカップ、日本の歴代の選手・歴代の監督ともに、実によくやったとしか言いようがありません。もちろん戦っている最中はそんなこと言う必要ありませんが。

結構さわやかな気持ちで今朝は出勤しますが。
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ショパンマニア

2006-06-20 05:18:16 | 詠里庵・新着案内
に朗報。新しいPeters版のショパンがやっと一冊出ました。「A New Critical Edition:Preludes Op.28, Op.45」です。

元ページ詠里庵/音楽の間/風雅異端帳に2002年のJim Samson教授来日講演会の記事を書きましたが、そこでSamson氏が「現在ショパンの最も良い版はエキエル版である。しかしそれより良いのは、私自身が編集に携わっている、これから出る予定の新Peters版である」と言ったことを書きました。それ以来ずっと待っていたのですが、やっと、まず前奏曲集から出ました。(しかしこんな調子では私が生きている間にショパン全部出してもらえるのかな?)

序文を読むと、いや、面白い。ショパン全作品を斬る(29才)で私は「バッハはハ長調から始まって半音ずつ上げて行く配列をとったのに対しショパンは♯を一つずつ増やす配列を採っている。実はこの配列はフンメル『24の前奏曲集』作品67で既に使われていて、ショパンはそれを採用したと考えられる。フンメルのは創作ノートに書きつけたいろいろな音型のメモといった感じであるが、ショパンのは芸術作品に仕上がっている」ということを書きましたが、それと全く同じことが指摘されているだけでなく、さらに詳しい考察が書かれています。

楽譜出版社にはそれぞれ特徴があります。Doverはとにかく安い。けど解説は一切なし。Peters版ももともと高価でないのが取り柄で編集・校正の解説が非常に少ない版でしたが、この「A New Critical Edition」は並々ならぬ意欲をうかがわせます。かつてPeters版を写しただけの全音楽譜出版社も、最近はそれぞれの作曲家の専門家の手になるすばらしい編集と解説で新しい楽譜を次々と出しています。

長いこと世界への安価な楽譜の普及を担ったPetersと日本への安価な楽譜の普及を担って来た全音。音楽が浸透しきちんとした楽譜を人々が求めるようになった今、両者ともスタンスを変えたように私には見えます。音楽之友社も以前同様かさらにアカデミック指向になって来たように思います。ヘンレもベーレンライターも(ショパンではエキエル版も)うかうかしていられないかもしれません。
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今週の一曲

2006-06-18 06:03:54 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック

さて、先週の一曲ですが、高田三郎作曲「海鳥の詩」でした。これはカイチョウノウタと読みます。電電公社にいたころ、職場に男声合唱団がありました。指揮者のSさんは指導力があり、いろいろコンクールで賞を取っていた合唱団でした。男声合唱曲の多くはアカペラです。理由は恐らく、女声合唱と違ってピアノで低音を補う必要がない、とか、男ばかりでピアノのない職場でも手軽にできる、とかいうこともあるでしょうが、伴奏なしの方が男声の迫力がストレートに伝わるということもあると思います。この合唱団もいつもはアカペラの曲をレパートリーにしていました。

もちろんこの「海鳥の詩」のように、ピアノ伴奏付きの曲もあります。この合唱団にはSさんをはじめ知り合いが多かったので、助っ人で伴奏したことが何回かありました。この録音も1989年ころ、西東京あたりの合唱祭のライブ録音です。どこの子か、幼児のむずかる声が入っていたりしてご愛嬌。この合唱団、結構活躍していましたが、人事異動などもあって人数が減り、いつしか無くなったようです。そのSさんも今はT大教授。

ところでこの曲、一曲目が「オロロン鳥」二曲目が「エトピリカ」ですが、両方とも北海道沿岸に棲む絶滅寸前の鳥です。その画像や解説はここ(オロロン鳥)ここ(エトピリカ)をご覧ください。両方とも6月が産卵の時期ということです。
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「電話は出んわ」

2006-06-16 06:42:07 | 日々のこと(一般)
って知ってますか? いかにもレトロなギャグですが、私が電電公社に入ったかれこれン十年前、訓話などで耳にタコができるほど聞いた話です。
「少し前までは電話をかけてもなかなか繋がらなかったので『電話は出んわ』とバカにされていた。しかし先輩達の頑張りもあって、最近はそんなことはなくなって来た」
「電話を申し込んでもすぐに付かないという『積滞』も、解消は間近い。積滞解消を一刻も早く達成するのが我々の務めである」
ン十年前はそんな時代だったのです。

その後ほどなくして、電話は申し込んだらすぐ付くし、かけたらすぐ相手が出るようになり、「電話は出んわ」は昔話になりました。最も確実で便利な通信手段として電話が君臨する時代が少し続きました。

しかしです。最近は電話といえば「携帯にかけてください」という人がほとんどです。固定電話を持っていない人もざら。で、用があって携帯にかけても、まず出ません。「ただいま電話に出ることができません。ピーと鳴ったら・・・」とか「電源が入っていないか電波の届かないところに・・・」と流れます。留守録に電話するよう伝言しても、すぐ返事くれたためしがありません。念のためメールも出しておくことになります。実は今週も仕事でそんなんばっかりだったので、こんなブログを書いているわけです。ま、自分もこの二日間携帯を充電器に着けたまま忘れて出張に出てしまったのですが。

今や電話は「すぐ通じるわけはない」ものになっています。「電話は出んわ」の時代に逆戻りです。ただし技術的要因でなく社会的慣習として。

昔、テレビドラマで、夜中に何回もかかって来る電話に怯えて「もうイヤっ」と枕を投げつけたり布団をかぶせたりして、結局ワナワナと受話器を取ってしまうようなシーンがありましたが、私は「電話コード外しておけばいいのに」と思ったものです。しかし今やそれが当たり前。携帯は電源切っておいたりマナーモードにしておくのが「マナー」の時代。上記のシーンはドラマとして成り立たなくなってしまいました。最近のシーンは「携帯メールが来た。見ると、例の不吉なメールが・・・恐怖に目を見開く」といった感じでしょうか。

メールにも似たようなことが起こりつつあるかもしれません。スパムメールは開けずに即スパムボックスに捨てればいいのであまりイライラしませんが、仕事やまじめな用事のメールに限っても、その数のあまりの多さに、処理するスピードより溜まるスピードの方が速くなっています。間違ってマトモメールがスパムボックスに入ってしまい、あとで発見する場合もたまにあります。だんだんメールも「すぐ返事が来るわけはない」ものになって行くような(あるいはそのことに加担してしまっているような)気がします。大事な用事はメールと電話と場合によってはファクスの複合攻勢でないとちゃんと返事がもらえないようになってしまうのでしょうか?
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リゲティ、岩城宏之

2006-06-14 05:46:40 | 日々のこと(音楽)
に合掌。リゲティは一昨日、岩城宏之は昨日亡くなったそうです。偉大でした。リゲティーについてはまた書きましょう。初演魔などと自分を茶化していた岩城宏之-実際彼によって日の目を見た日本の現代音楽がどれほどあったことか。このブログで去年紹介した矢代秋雄のP協等のCDも彼の指揮でした。

ところで伊福部昭が昨年亡くなったときのブログ記事、消してしまったようなので、もう一度転載しておきます。
   ◇ ◇ ◇    ◇ ◇ ◇
伊福部昭が亡くなりました。91才だったんですね。この訃報で知りました。日本作曲界の大家・巨匠です。ゴジラのテーマの作曲者と言えば「ああ、そういう人なの」と思うかもしれませんが、れっきとした正当派作曲家です。黛敏郎、矢代秋雄、三木稔他有名作曲家を教えた教育者でもあるといえば、そのすごさがわかるでしょう。私が最も好きな作品は

「リトミカ・オスティナータ」(1961)

外国人演奏家も演奏する名曲です。ピアノ協奏曲と言ってよいでしょう。激しく演奏困難な曲です。でも、ことさら音楽に凝っている人でなくても引き込まれるでしょう。一番よい演奏は小林仁(Pf)若杉弘指揮読売日響でしょう。もう30年以上前になるでしょうか。

若いころの歌曲も心にしみ入ります。たとえば

「ギリヤーク族の古き吟誦歌」(1946)
「サハリン島先住民の三つの揺籃歌」(1949)
「アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌」(1956)

滅び行く民族の歌謡。しっとりした情感の中にも明るかったり力強かったりする内容で、一層悲哀をそそります。サハリンの歌などは、フォーレのバイオリンソナタみたいな高貴さ。私のピアノの師匠・石渡日出夫の歌曲と裏表でカップリングされたLPレコード・・・私の宝になっています。
合掌
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今週の一曲

2006-06-11 07:07:55 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック。1989年頃、ある男声合唱団にピアノ伴奏を頼まれたときの録音です。二つの曲が続けて演奏されます。

先週の一曲はヴィラ=ロボスの組曲「赤ちゃんの家族」第1集から第6曲「ぼろ布の人形」でした。この作曲家とこの曲集については2005年7月31日のブログ参照。SOUND PROJECT'80でのライブ録音でした。
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「記憶を妨げる遺伝子

2006-06-09 20:26:10 | サイエンス
の数が学習で半減することを貝を使った実験で解明」というニュースがありました。パブロフの犬の貝版みたいな実験です。貝はよだれはたらしませんが、どんな実験かはここを。

ところで「この貝の脳は構造が単純で、細胞数もヒトの1%以下の数十万個と少ないため・・・」とありますが、これはちょっと・・・人間の脳の細胞数はもっと多いと思われます。ある京大関係のサイトでは2000億個と書いてあります。まあ、2000億個だとしても、最近のコンピューターのCPUの方が集積度は高い(素子サイズが小さい)ですね。そもそも動作原理が全然違うでしょうが。余談ですがCPU単位体積あたりの消費エネルギーはコンピュータよりヒトの脳の方がずっと少ないらしい。脳はエコマークですね。

それにしても貝に脳があるとは。漠然と「脊椎が発達したのが脳だろう」と思っていましたが、軟体動物にもあるようです。確かにイカやタコにも目があるし敵に向かって墨を吐いたりするのだから、脳があっても不思議はありません。マグロはもちろん脊椎動物だからあるでしょう。ウニはどうでしょうね?(発想が・・・寿司屋に行ったもので)

このニュースの研究者は「これらの遺伝子はヒトにも存在しているので、記憶力の向上に役立つ薬剤開発につなげたい」とのこと。そんな危ない薬ができたら、健常なうちはともかく老後は欲しくなるかもしれません。
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「電車にて」

2006-06-08 05:11:40 | 日々のこと(一般)
では音楽の題にならないでしょうかね。「戸外にて」だとバルトークのすばらしい曲がありますが。

前の職場ではずっと車通勤だったので、電車の乗り方がヘタになっていました。ヘタという意味は、急行や準急の乗り継ぎを間違えて、よけいな時間をかけてしまったり、ひどい場合は目的の駅に停まらない電車に乗ってしまったりするのです。

しかし最近電車で出かけることが増え、ようやく電車の感覚を取り戻しつつあります。この前も目の前の鈍行に乗らずに見送り、さりとてずっと来ない急行を待ちすぎることもなく、正解の準急に乗って最短時間で目的地に行きました。

そのときの話ですが、その準急はかなり混んでいました。乗ってからしばらく経ったときのことですが、近くに立っていたおじいさんが突然「あれ?あれ?」と言いながら、回りの人たちのポケットに手を突っ込み始めました。なんだこの人は?スリにしてはありえないな、と思っていると「財布スラれたみたいだから、ちょっと確かめさせて」とか言って私のポケットにも手を突っ込んできます。

そのおじいさん、「さっき降りたのかな、素早えな」と言いながら自嘲気味に苦笑いし「早えーよな、まったく!」とため息をついてました。身近にいたのかな、そんなのが。私も含めそこら中の人が何かスラれてないか自分のポケットを確認しまくったことは言うまでもありません。ハァーとあきらめたおじいさん、ちょっとかわいそうな感じで電車に揺られていました。

これが鈍行だったらスリはいないかもと思いました。というのは、あまり空いているとスリはしにくいのではないでしょうか。逆に急行だと、混んでいる点でスリしやすいかもしれませんが、駅をとばしてずっと停まらないので、逃げるのが難しそうです。準急は適度にギュウギュウ詰めで、適度に駅に停まっては人がゴッソリ入れ替わるので、条件がいいのかも、などと考えてしまいました。

それからというもの、たとえ時間的に最適解でも、混んでる準急には乗らないことにしました。
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ブログを始めて

2006-06-05 00:53:02 | 日々のこと(一般)
一年経ちました。もともと新しいものに飛びついて実験のつもりで始めたのですが、ブログという媒体が持つ微妙な特徴が段々わかり、なかなか面白いものです。

先日職場の雑談で「ブログの匿名性」が話題になりました。アメリカではブログに会社の悪口を書いたり秘密を漏らしたりしてクビになる人が少なくないので、自分への危機管理としてブログはなるべく匿名でやることが勧められています。

しかしブログで匿名を通そうというのは無理があると思います。私のこのブログも本名を出していませんが、教えていないのにいつの間にか見つけて知っている知人もいます。それも私が思っている以上にいるようです。(知らぬが仏) しかしそれこそブログの特徴、いや特長ではないかと思うのです。オフィシャルな付き合い程度の人にはなかなか知られないけど、少し親しい人には読めばわかる、というところが。

完全に白日の下に晒されるとなると、発言できることは限られて来ます。たとえば「昨日はコンサートに行きました」などという何の問題もなさそうな記事でも、読む人が読めば「何っ!それで委員会欠席したのか。こっちはもめて大変だったのにィ」となります。オフィシャルな付き合いの人にも知られてしまうとなると、何も自由に書けなくなってしまいます。

一方匿名性があまりにも守られるとどうなるか。それはどこぞの掲示板でも覗いてみればわかるでしょう。目を覆いたくなるような汚い言葉や酷い発言のオンパレード。これが完全匿名になったときの人間の性なのかなぁと思います。

だから中途半端にしか匿名性が守られないのが匿名ブログのいいところだと思うわけです。気持ちがオープンになると同時に紳士的にもなる感じです。精神修養に一役買っているような気がします。(ホントかな?)

電子メール、ホームページ、ニュースグループ、掲示板、ブログと、いろいろ情報発信の形態が生まれて来ましたが、それぞれが持つコミュニケーションの特徴の微妙な違いが、それぞれのあり方を大きく方向付けています。大体5年ごとに新しい形態が生まれて来たようですので、今後はどんな形態が出てくるでしょう?
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今週の一曲

2006-06-04 07:18:13 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック。1980年のライブ録音です。

先週の一曲はドビュッシーのピアノ連弾「小組曲」から第3曲「メヌエット」でした。1975年の一人二重奏録音。ピアノ調律は私自身です。ダビング時のワウ・フラッター(今や死語か)のため若干音が震えていますがご愛敬。

以前、第2曲「行列」をupしたことがありますが、この「小組曲」はドビュッシー27才の1889年に作曲されました(1889)。遅咲きのドビュッシーとしては、これは初期の作品に入ります。オーケストラ版も有名で、後輩・友人で指揮者のアンリ・ビュッセルの編曲によるものです。

前にドビュッシーは長調が好きだと書きました。小組曲も全4曲が長調で書かれていますが、その中にあってこの第3曲は短調っぽい感じがします。この曲はト長調で書かれていて、出だしの8小節は確かにト長調(のドミナント)ですが、これは序奏で、続く「主題」の旋律は一見(一聴)イ短調です。主題の5小節目から、イ短調主和音がト長調ドミナントの9の和音の上三つに等しい、という事実を使って、巧妙にト長調主和音に解決します。この「交代するドミソとレファラの和音で長調の性格を弱め短調っぽくする」手法は、ベルガマスク組曲の第1曲冒頭ではもっと直接的に使われています。メヌエットのトリオはニ長調ですが、主部に戻ると相変わらずイ短調→ト長調で短調のイメージが見え隠れします。速度も中庸、強弱も中庸、長調か短調かも中庸、何もかも中庸な曲なのに、見え隠れするウィットと知性と情感。ウーン、かなり好きな曲です。
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昨日は衣替え

2006-06-02 06:54:43 | 日々のこと(一般)
でしたね。今年は5月が涼しく昨日暑かったので納得できましたが、一般には6月1日の衣替えを厳格に守っている人は少ないでしょう。私もいい加減です。昔、職場の研究所で企画部勤務の時期がありましたが、企画部の人は厳格に守っていたので、研究現場とは違うなぁと思いました。

衣替えの風習はかなり昔からあったようですが、この時期(旧暦だと5月)になったのは江戸時代だそうです。洋服の現代人が、しかも温暖化が進んだ今、従う必要はないと思います。

一方、2月18日ブログにも書きましたが、京都のコンサートに行ったとき着物姿の人がー女だけでなく男もー少なからずいて、なかなかいいもんだなと思いました。こういう文化の人達は当然衣替えの時期を守っているのでしょう。いまどき着物姿で仕事するのは大変でしょうが、仕事以外くらい着物を着る人が増えて、衣替えの文化を守ってくれるといいのですが。(自分がやれば?でしょうか)
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