詠里庵ぶろぐ

詠里庵

昔イギリス

2008-10-26 11:42:21 | 日々のこと(一般)
に引っ越したとき、荷物は当然安い船便で送りました。日本食が恋しくなるだろうと、乾物の日本食を大量に同梱しました。海外引っ越しのノウハウ記事を読むと、暑い赤道地域を何週間もかかって運ばれるので、衣類の箱には防虫剤を入れておけ、とあります。具体的品名は忘れましたが、よくある白い樟脳かナフタリンのたぐいを入れました。そうして首を長くして待ったその荷物がイギリスに到着。さっそく梱包を解き、待ちに待った日本食を食べることに。

ウェッオェッなんだこれは!? ナフタリン臭のにおいに変な味!

そうです。かなり厳重に分別梱包したつもりだったのですが、昇華した防虫剤の気体分子にとって梱包箱やビニール包装袋など、熱力学的には無いに等しい「自由透過壁」だったです。密閉されたコンテナの中で飽和蒸気圧に達した防虫剤が衣類だろうが食品だろうが関係なく行き渡って長期間熱平衡状態になっていたのでしょう。

特に防虫剤の吸着が顕著だったのは蕎麦などの乾麺類や米などデンプン質のもの。あまりにももったいないので、気が遠くなるほど長期間ー船便でかかった時間よりずっと長くー干し続け、自然拡散で臭いがなくなったころ食べました。どうしても違和感を感じるものは泣く泣く捨てました。

昨今のカップ麺騒ぎ、これと関係ないかもしれませんが、とにかく乾物食材を密閉度の高い最近の住宅内に長期間保存するのはアブナイです。同じ家の中に漂白剤やトイレ芳香剤なんかがあったりするでしょう。有機物質の中でも分子の大きさが小さな物質にとっては、ビニールや発泡スチロールや紙なんか素通りです。昔お米の保存箱は紅茶の缶をでかくしたような金属製でした。乾パスタもガラス容器にしまいますよね。保存するならこれくらい密閉度の高い容器にしまっておいた方がよさそうです。
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おいしいパスタ

2008-10-22 08:03:03 | ぐるめ
の店の話を前に書きました。もう2年前になるんですね。昨日夕食時に偶然近くを通ったのでまた行きました。前に書いた「なんと『納豆パスタ』というのがある。何でしょうねこれは。次回試さねば」を覚えていたので、試しました! 

結果は如何?

・・・

いけました!
たっぷりの紫蘇と焼き海苔の千切りで覆われているので、一目で納豆パスタとはわかりませんが、紫蘇と海苔を少しめくると、挽き割り納豆ベースの具が、もんじゃ焼きかイタリアピザの真ん中のように瑞々しくぐちゃぐちゃと。茹ですぎなく歯ごたえのよい生パスタの下には、醤油ベースのブイヨンのようなクリアスープがたっぷり。フォークとスプーンで普通に食べやすく、いただきました。

昨今好きな店がいろいろなくなったりしています。いいと思った店はわずかでもお客が増えて続きますよう、名前を書きましょう。阪急宝塚線石橋駅のタクシー乗り場向かいの2階、Albarという店です。

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シベリウス

2008-10-19 10:52:10 | 日々のこと(音楽)
のピアノ曲はなかなかすてきです。「ピアノは歌わないから好きでない」と言ったというのは本当?と思うほど。

ま、ピアノ曲のことは後日にして、ピアノ以外、特にオーケストラ作品が本領の作曲家ですよね。シベリウスを嫌いという人はあまりいないように思います。

しかし私は不思議な作曲家だと思うのです。大ざっぱに言って(I)はずかしいほどわかりやす過ぎるいい曲、(II)わかりやすく深い、いい曲、(III)わかりにくくて深い、いい曲、があると思います。(I)から(II)への変化は連続的で必然性が感じられますが、(III)はいったい何なのか、不思議なのです。

たとえば(I)はクレルヴォ交響曲、カレリア、フィンランディア、Sym.1第1楽章、Vn協第3楽章、Sym.2第4楽章、(II)はSym.1、Vn協、Sym.2、タピオラまで含む交響詩群があります。(III)はというと、俄然Sym.3~7です。(I)(II)は全ての音符の存在に納得が行き、それ以外の解はないだろうと思いますし、特に(II)は精神的にも大きな感銘をもって浸れます。でも(III)はというと、大好きなのですが、理解できないままなんとなく好き、という楽想や音符が非常に多くあるのです。

シベリウスの本当のマニアは、(I)はおいといて(II)の方を、しかしそれよりはずっと(III)を好むだろうと思います。その意味で私はまだ本当のシベリウス・マニアではないかもしれません。なにせ最初期のクレルヴォ交響曲なんかが好きなくらいですから。

しかしです。(I)と(II)の「好き度」が年と共に変わらないのに対し、(III)の交響曲第3~7番の「好き度」が年々上がって来ているのです。これを外挿すると、将来逆転する可能性があります。

まあ6番は元から好きです。5や7も血湧き肉躍るようなことはないにしても、美しく、のびやかで、雄大なところもありますね。3も不思議な冒頭ですがきれいな曲です。

問題は4です。若い頃これがさっぱりわからなかった。今でも楽譜を見ながらでないと、耳で聴いただけでは楽想が掴めません。小節線は何のために引いているのか、全く好き放題に見える展開。若い作曲家がいきなりこれを発表したら顰蹙を買うのではないか? Sym.1、2、V協の実績があればこそ許された唯我の境地ではないか、と思う一方、最も先鋭的なシベリウス・ファンはこの曲を一番好むんだろうななどと思ったこともありました。

それが最近「好き度」上昇の微分係数が一番大きいのがこの曲です。そこで昔買ったBreitkopfのスコアを取り出し、解説を読んでみましたが、面白いことが書いてありました。「ストラヴィンスキーやシェーンベルクをはじめとする最近の音楽の傾向に私は反発を感じる。そのアンチテーゼとして私は交響曲第4番を作った」のだそうです。

古典・ロマン派の語法を崩すというのがストラヴィンスキーやシェーンベルクが採った現代音楽確立派の道だとすれば、それに疑問を感じたシベリウスの感覚もわからないではありません。しかしシベリウスもロマン派にとどまることはせず、独自の方法で新しい道を探ったように見えます。方向はともかくロマン派にとどまることが許されなくなったあの時代から、作曲家は安心して頼れる太い指針を失い、分裂した小さな指針群に頼るか、自分ひとりで立てられる程度の小さな指針で作曲するしかなくなったようにも思います。シベリウスが約60才で創作をストップし、以後約30年間作曲しなかった(しては捨てた)ことはそのような状況と関係があるのではないかと思います。

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9月にアメリカ

2008-10-13 17:21:13 | 日々のこと(一般)
とヨーロッパ出張に行ったときの話。アメリカでは教授5人、研究者2人、院生3人と面会しましたが、その全てが東洋・中東・南米人でした。いったい白人はどこにいるんだ?という感じです。日本人教授もいましたが、アメリカ国籍を取ったというので、オフィシャルには日本人ではありませんでした。ヨーロッパでも、家庭を築き永住を決意した日本人教授に会いました。国籍を移したかどうかまでは聞きませんでしたが。イギリスに住んでいたときも、アメリカほどではありませんが事情は似ていました。移民第二世代まで含めればかなりの割合になります。大体、行ったことのある国の多くが、流動性の高い多民族国家でした。

こういう国々で南部さんや下村さんを何人と呼ぶかというと、アメリカ人以外ではあり得ないでしょう。でなければアメリカでは何をもってアメリカ人と呼ぶのでしょう?まさかWASPに限定するわけはありますまい。

二重国籍を認めるといろいろ不都合が起こるかもしれません。たとえば兵役の義務がある国の国籍を二つ持っていると、どちらの兵役にも服さなければならないのでしょうか?など。一昔前までは二重国籍を認めない国が多かったようです。しかし近年アメリカ、ヨーロッパなど、二重国籍を認める国が増えています。日本は認めていませんが、今後もそれでいいのか、考える必要があるように思います。
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杉原千畝の妻

2008-10-11 11:51:23 | 日々のこと(一般)
である幸子さんの訃報今朝ありました。先月杉原記念館を訪問したとき、奥さんはまだご存命なのかなと思ったばかりでした。

杉原記念館の解説の最初の一文を引用します:
"Under Second World War, the former Japanese Consul Chiyune Sugihara issued Transit visas from humanitarian perspectives, which he issued contrary to the wishes of the Japanese government, saved the lives of 6000 Polish Jews fleeing from German-occupied Poland."
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今日は宝塚歌劇

2008-10-06 01:40:26 | 日々のこと(一般)
を観劇した話です。いや行ったのはだいぶ前のことですが、例によってちょっとメモ書きしたまま忘れていました。ところが一昨日たまたま宝塚在住の知人に会って宝塚の話になり、ブログに書いていないのを思い出したわけです。

職場の同僚に「大阪に来たからには一度は見なきゃ」とか言われていたのですが、「そんなもんですかねぇ」と自分から最も遠い世界のように思って、一生行くはずもないと思っていた宝塚。なぜ行ったか? 何のことはない、あるクジで券が当たってしまったからです。もちろん一人で行ったわけではありません。宝塚歌劇を男一人で見に行ったら変態と思われるでしょう。あたったのはもちろんペア券だったので、妻と行きました。それでも演し物が「ベル薔薇」みたいなのだったら行かなかったかもしれません。なんとそのときは「黎明の風-白洲次郎の挑戦」という演し物だったのです。これなら私でも興味が持てます。

さて東京の宝塚でなく本家宝塚の大劇場に来たんだなぁと感じつつ中に入ると、すごい人だかりです。こんなに周りじゅう女だらけという世界に身を置いたことはありません。男性も何人か見かけましたが、全て女性と同伴でした。夫婦で行けば違和感は全くありません。妻は隣の見知らぬ女性とすぐ仲良くなっていましたが、しょっちゅう来るリピーターだと言っていました。

いよいよ開演。オペラと違って序曲なし。映画のようにすぐドラマが始まります。白洲次郎の話なんだから落ち着いたプロローグでも始まるかと思ったのですが、いきなり小気味良いテンポで話が始まるのはちょっと意外。以後ほとんど息を切らさず話が進む。しかし時代考証も描写も大変結構なものです。センスのあるギャグも交えてシリアスな場面もあり、満足のうちに歴史のひとこまを堪能することができました。

それにしても彼女ら、とても人間業とは思えません。一糸乱れずシンクロナイズしたパフォーマンスに驚くばかり。芝居も歌もこなす主役から末端役。誰もが全くトチらない。日程表を見ると、これを1日2回はやっており、毎日ではないけれど1日おきよりは毎日に近い。多少の入れ替えはあるのだろうけれど、これでよく体が持つものです。男性役は服装だけでなく、つま先がやや外向きなど、立ち居振る舞いも男のようです。いっときも油断せず演技しているのでしょう。ミュージカルだからオリジナル音楽なのですが、それは手放しで趣味が一致するものではありませんでしたが、歌は上手い。後半のショーは「ダッタン人の踊り」を含むスタンダードナンバーだったので音楽も楽しめました。最後の拍手喝采の中で隣のリピーターは感激して泣いていました。

まだ見ていない方、私も言いましょうか。「一度は見なきゃ」

コメント (1)
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先日の日本語誤変換

2008-10-04 02:48:53 | 日々のこと(一般)
の答です。

小売り    ←公理
今日会場券  ←境界条件
果敢漢    ←可換環
香典高価   ←光電効果
深く訂正原理 ←不確定性原理
清純猟師可  ←正準量子化
焼香塩山市  ←昇降演算子
精製塩残滓  ←生成演算子
他流死刑   ←多粒子系
漁師日は快速艇←量子非破壊測定
皇室委    ←光子対

いま私の辞書ファイルは私にチューンされていますので、こういう間違いはあまり出て来ませんが、中には「量子非破壊測定」を一括変換しようとしたときなど、今でもしつこく漁師日は快速艇と出てくるようなものもあります。くだらない記事でスミマセンが、たまには。
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