親戚からヘチマ

2007-11-27 01:23:40 | 日々のこと(一般)
をもらいました。数週間前のことですが。と言っただけでは鉢植えなのか、実なのか、はたまたヒョウタンみたいに作った水筒のようなものなのか、わかりませんね。実は、実の繊維だけ乾燥させた網目状のもので、金属タワシのような用途に使うものです。私は食器洗いに使います。

昔はそういうものを使っていたということは知っていましたが、実際数週間ほど使ってみて、結構感心しました。なにしろ植物だからモノを傷つけません。かといって弱々しいわけではなく、かなり強い繊維です。ゴシゴシ洗いからソフトな仕上げまで使えます。結構弾力性のある棒状のものなので、細いコップの底までとどきます。スポンジよりは長持ちする感じです。そのうち擦り切れてきたりするのかもしれませんが、そのときは土の中にでも捨てれば肥料になるのでしょう。

その親戚はパソコンもネットも携帯も使っていません。無ければ無いで、ご自分も回りの我々も一向に困りません。まあ私はそういうものが無い生活にはいまさら戻れませんが、もしかしたらずっと豊かな生活をおくっているのではないかと思います。
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このところキーシン

2007-11-24 00:46:59 | 日々のこと(音楽)
が好きになっています。というからには、かの12才のときのショパンピアノ協奏曲を聴いてとりこになったのではありません。

ベートーヴェンは神童が好きではありませんでした。そんなベートーヴェンが感心した神童が一人いました。その子のピアノ演奏を聴いたあと、ベートーヴェンは額にキスしながら「そんなにうまく弾くもんじゃないよ」と言ったそうです。誰のことかといえば、フランツ・リストです。

私は神童を見たいとは思いますが、やはり騒ぐ気はことさらしません。特にレコード会社から鳴り物入りで登場したような場合には。もちろんキーシンは本人がそれを望んだわけはないでしょうが。そういうわけでずっとキーシンを聴かずに来ました。例のショパンの2つの協奏曲も、実はいまだに聴いていません! 少年キーシンの上品な風貌からすると、多分心に沁み入る演奏なのでしょう。

10年以上前のことだったでしょうか、家から自転車で行ける地方ホールにキーシンが来ることを知りました。キーシンに関する「鳴り物入り宣伝アレルギー」はその頃はおさまっていたので、ま、そんなにそっちから至近距離に来てくれるなら一度は聴いておこうか、と聴きに行ったわけです。

いや驚きました。それまでの清楚な美少年のイメージと違って颯爽と登場したのは健康そのものの自信に満ちた青年。バリバリ、ズッカーンと弾くのに驚きました。ハイドンの傑作変ホ長調ソナタ、月光ソナタ、リストのイタリア奇想曲、どれも炸裂していました。ハイドンはまるでベートーベンの後期ソナタかと思うようなオーケストラ的迫力。月光も、終楽章でppから上昇する分散和音の最後二つの和音の一つ目がスフォルツァンドですが、その爆発力の凄まじいこと。その一発の和音だけオグドンに入れ替わってfffで弾いているかのようです。どうやって弾くんだろう。何回も出るフレーズですが全部決まってます。リストのスペイン狂詩曲も「アイ・ロボット」の包丁さばきみたいに目にも止まらぬメカニック。イメージ一変です。

ではそれで一気にとりこになったのかというと、まだそれほどでもありませんでした。

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ソフトの相性不具合

2007-11-20 23:29:47 | 日々のこと(一般)
が起きました。何とか解決したので、同じ問題を抱えている人がいたらご参考。

ことの起こりはソフト購入得意先からMacの最新OS、Leopardが送られて来たことに始まります。頼んだ覚えがないので、これは何だろう?開封して使っていいものか? ゴルフ300回だとまずそうだけれど、Leopard1つくらい構わないか、いや最初の一歩を踏み外すことがゴルフ300回に繋がるぞと悩んだ末(そんな大物ではありませんが)、どうやら「OS更改時自動更新契約」でパソコンを購入していたことが判明しました。頼んだ覚えはあるべきだったのですが全く記憶になく、書類を見てはじめて、そうしていたのか、というありさま。とにかく大手を振ってインストールしました。

そうしたら、今使っているメールソフトEudoraが不安定になり、しょっちゅうハングるようになってしまったのです。しばらくだましだまし使っていましたが、とても仕事にならず、とうとうMacについている「Mail」に変えました。もちろんこれは快適です。膨大なメールボックスも簡単に引き継ぎできました。ところが、今度は「Mail」には「送信トレイ」がないらしいことがわかりました。これではどんなメールを送ったか一覧できず、仕事上大変不便です。「Mail」で「送信トレイ」を見れるようにする方法があればいいのですが。

同じ問題をかかえている人もいるはずだと思い、Leopard & Eudoraでネット検索してみました。そしたらやっぱり怒りのブログがいくつか引っかかりましたが、そんな中でアメリカの掲示板で「メール到着告知音の設定をoffにしてみたか?」という書き込みを見つけました。その返事には「Thank you!」とあったので、まさかそんなことと思いながら、告知音をoffにしてみました。もともとスピーカー音はゼロにしているのでoffで一向に構いません。そうしたら、なんと!ハングらず快適に使えるようになりました。かくしてMacMailからEudoraに戻りました。

それにしてもなぜそんなことになっているのか? なぜそんなこと発見できたのか? 全く不思議ですが、ともかくネットはありがたいものです。ここ数日のメール大混乱が解決し、やっと平常の仕事に戻りました。

しかしこの際MacMailも---送信トレイが見れないことを除き---相当使いやすいことがわかりました。送信トレイが見れるものならMacMailに乗り換えるのになぁと思う次第です。

(ところでLeopard、goodです。)

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ベーゼンドルファー

2007-11-18 18:31:37 | 日々のこと(音楽)
の売却が避けられないというニュース、悲しいです。単なる経営のしくじりか、社会の変化の背景があるのか、気になります。売却先にヤマハも有力候補とのこと。ヤマハになったら喜ばしいのかどうかも、すぐにはわかりません。売られてもベーゼンドルファーの文化が簡単になくなるとは思いませんが、気になります。

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ハチャトゥリアン

2007-11-11 12:00:38 | 日々のこと(音楽)
をまた書くと言ったきりなので一段落つけましょう。一般にはマイナーだけど私は相当好きな曲、と言ったのは、交響曲第1番と3番です。これにとりあえずピアノ曲「トッカータ」も入れたいと思います。とりあえずというのは二つ意味があって、一つは日本でマイナーでなかった時代があったようなのです。もう一つは、バッハはもちろん、シューマン、ドビュッシー、ラベル、プロコフィエフという素晴らしいトッカータ群と並べるのはいかがなものか、という気がしないでもないからです。しかしトッカータ音楽としては叙情的な部分もあって、リズムや曲想の起伏はバッハに匹敵するほど変化に富む、面白い音楽になっています。

さてもう少し書きたい交響曲について。第1番ですが、これはハチャトゥリアンの音楽学校卒業作品として書かれたもの、つまり学生時代に書いたものです。そういうものは普通「習作」扱いを受けますが、私は実はこの曲、第2番にも比肩し得る傑作という気がします。卒業作品といっても、遅咲きの彼が卒業したのは30才でしたから、充実したものになっていて不思議はありません。この曲、第2交響曲と雰囲気も似ています。導入部が静かに始まる点は違いますが、それでもまあ同じ作曲家だなという感じがします。第一主題はフーガ向きの主題で、通俗的あるいは民族的あるいは近代的に感じられたりもします。第二主題や次々出てくるエピソードは、後年のヴァイオリン協奏曲や第2交響曲を予感させますが、それはこの曲の方が初期作品と知っているから言えることで、初めて聴いたらこの曲の方が後から書かれたと思うかもしれないというほど現代的な曲だと思います。

さて第1交響曲には第2交響曲との決定的な違いがありますが、それはこの曲にあえてつけたい注文と関係があります。まず第一楽章も第二楽章も、あれ、いつ終わったの?という感じで終わります。仮にそれが「まだ続くからまあフィナーレに期待してください」という複線だとしても、第三楽章で曲が終わってしまいす。第三楽章はさすがにフィナーレらしく終わりますが、この楽章、スケルツォにも聞こえるので、「さていよいよ次のフィナーレはどうかな」と思いたくなるのです。第四楽章をつけたらめっぽう長大な交響曲になってしまいますが、それでもいいじゃないか、何でここで止めたの?と思ってしまうのです。

そこで、個人的には次のような鑑賞をお薦めします。実は持っているCDがアルメニア交響楽団のものですが、第1交響曲に続けて第3交響曲が入っています。この第3交響曲も知られざる名曲と思っていますので、まずその紹介を数行はさみますが、これは20分ほどの単一楽章交響曲で、オルガン付きという点が特徴です。しかしサン=サーンスの3番や法悦の詩とはオルガンの扱いがだいぶ異なります。このオルガンパートはかなりの難曲と聞いています。ずっと以前N響が取り上げたとき初めて聞きましたが、それ以来好きな曲です。この単一楽章の曲、第2交響曲のフィナーレと曲想が似ていて、雄大かつ複雑な感じがします。つまり大きな交響曲の大規模な第4楽章といった風情です。そこで鑑賞の仕方の話に戻ると、第1交響曲のあとこの曲を聴くと、この曲をフィナーレとする60分の大交響曲を聴いたような気分になり、大きな満足感が得られるのです。この60分の大交響曲と、50分を要する第2交響曲がハチャトゥリアン音楽の双璧をなしているような感覚になります。変な鑑賞のしかたかもしれませんが、時間があれば一度お試しあれ。
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ベートーヴェン

2007-11-07 07:29:55 | 日々のこと(一般)
没後180年を記念するコンサートやCD発売が行われています。

 ところで、ものさしの感覚がどうも感覚に合わないことがあります。
たとえば砂粒の大きさは大体1mmですが、その1000倍は1m。歩いて一歩強です。そのまた1000倍が1km。あそこまで歩いて10分ちょい、という距離です。ここまでは感覚があります。ところがその1000倍となると、東京博多間です。一気に遠くになったような気がしませんか? さらにその1000倍は地球と月の距離の3倍弱。光で3.3秒かかります。(ひかりは一年くらい)
 どうも目で見積もれるかどうかがポイントのような気がします。想像するしかない距離は感覚的にわかりません。1mmの千分の一、これはμm(マイクロメートル、ミクロン)でそのまた千分の一はnm (ナノメートル)。どれくらい小さいか感覚的にわかりませんよね。ところが顕微鏡や電子顕微鏡でいろいろな倍率の像を見たり実験したりしていると、なんだかわかったような気にならないでもないです。金銭も似たようなものです。1億円(そんな買い物しませんが)くらいまでなら「これは無駄遣い、これは正しい投資」という感覚が持てる気がしますが、百億、千億円、一兆円となると、それがどの程度の影響をもたらすかすぐにはわからないでしょう。仕事で扱うとかいろんな統計を見たとかの経験が必要でしょう。経験してないことへの想像が感覚を持てない原因のようです。

 ものさしの感覚が狂ってしまうのは長さだけでなく時間にもあります。ベートーヴェン没後180年。もちろん知ってはいたわけですが、あらためて聞くと、えっベートーヴェンって没後まだ180年しか経っていないの?と思います。親戚に100才近い人もめずらしくないのに。
 特に西洋音楽史と日本政治史の時間のものさしが私の中ではどうも合わないのです。徳川家康とバッハはどっちが古い?と問われれば、年号から徳川家康が古いに決まっているでしょうと頭では答えられますが、よく考えると150年古いのです。ベートーヴェンと我々くらいの時間差です。徳川家康と同世代はジョバンニ・ガブリエルやスウェーリンク、あるいは先日紹介したCDのようなルネサンス後期です。バッハはというと8代将軍吉宗、ベートーヴェンはというと第11代将軍家斎と同世代です。
 明治維新といえば、日本はやっと滝廉太郎が出て来たところで、その頃西洋音楽はずっと進んでいたでしょう、となんとなく思います。いえいえ、よく考えてみると、明治維新は1867年。ロマン派も後期が始まってそんなに経っていない頃ですよね。滝廉太郎は西洋最先端の音楽によく肉薄したものだ、と言ったら過言でしょうか? 西洋で音楽が近現代への急展開を見せ始めるのは大正時代からです。ラヴェルが没したのは昭和11年。ラフマニノフが没したのは私が生まれるン年前。私はどうも感覚が合いません。
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今放映最中のNHK

2007-11-05 22:35:56 | サイエンス
スペシャルで、再生医療がとりあげられていました。トカゲやイモリのような再生能力が人間の骨髄にもあるというのです。私の知り合いの知り合い(すぐ前の記事を引きずってスミマセン)の医者にもそういうことを研究している人がいます。特に脳梗塞の治療に有望なんだそうです。骨髄幹細胞は、どの細胞にでも化ける可能性があるという、なにか細胞分裂初期の受精細胞みたいな性質があるんですね。患者に投与すると、脳に回り、脳梗塞でやられた脳神経細胞を補充するんだそうです。しかも骨髄中の細胞は培養によって何桁も増やせるという話。また心臓の一部が壊死した細胞の再生にも有効とのこと。

脳梗塞は指が動かなくなったりするので、ピアノを弾く人には(いやまあどんな人でも)恐い話です。こういう、いつ誰がなってもおかしくない病に少なからず有効になるならば、すばらしい話です。

量子力学も相当に不思議で夢の広がる舞台ですが、やはり生命も不思議で底知れない可能性がありそうですね。
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友達の友達

2007-11-03 07:47:16 | 日々のこと(一般)
発言が問題になっているようです。が、さらに「の友達の友達の友達」だったら全く普通の話になります。というのも、地球上の任意の二人を取り出すと、「知り合いの知り合い」を5回繰り返すと到達するという有名な話があります。根拠のほどは知りませんが、ま、世の中意外と狭いということはときどき感じます。

ところで「私の友達の友達がアルカイダなんですね」が英訳されると問題かもしれません。そもそもfriendは単なる知り合いというより「強い味方」「アライアンスを組んでいる仲間」というニュアンスが強いですから。要するにenemyの反対語ですね。知り合い(いや友人と言いたいな)にアメリカ人ピアニストがいます。とても陽気でjoke好きな、アメリカ人のいい面を全面に持っている人です。その人がある現存のアメリカ人作曲家の作品をよく取り上げるので、「知り合いなんですね?」と訊いたら、ニコニコ顔はそのまま声を低くしてゆっくりと
「I think so. We never know.」
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