詠里庵ぶろぐ

詠里庵

あっという間に大晦日

2007-12-31 00:05:53 | 日々のこと(一般)
になってしまいました。今年も知人や先輩後輩の引っ越しや転職の挨拶状がいろいろ来ました。転職は企業から教育職に変わるパターンが少なからずあります。中には第二の人生から第三の人生へも。

それでふと思い出したのが東大教授の定年延長問題。ってもう65に決まっていて、現在スライド中ですね。これに関し随分前に面白いサイトがあったのを思い出して、まだあるかなと見てみたら、なんと、まだありました! 今となっては過去の話? いやいや決してそんなことはありませんか。圧巻は東大定年後の24人の意見。年齢的には私より一世代近く上の人達ですが、名の通った人(小柴さん、黒川さんなど)も結構あります。このそれぞれの意見も相当面白いのですが、各人意見の前にある「創造的な研究の年齢割り振り自己申告」棒グラフ、これが傑作。人によって随分違いがあります。まだあったとは感激ですが、このページ消さないで欲しいですね。

で、今日はこれらの意見---大変勉強になりますが---を論ずるのではありません。こういう棒グラフ描くというアイデア自体が面白いと思うのです。(折れ線グラフの方が適していると思いますが。)これをいろんな職業で書いてみたらどうでしょう。たとえば音楽で言えば、指揮者は一人前の創造活動するにはある程度経験積んで信望を得る必要がありますが、100才近くまで現役だった人がいます(名前すぐ浮かびますね?)。ピアノは10代で一人前になる人もいますが100才までは不可能です。バイオリンはもっと不可能です。声楽はもっともっと不可能です。作曲は案外年とって続けている人も中にはいます。評論家は---まあ何でも一流という条件付きですが---吉田秀和が90過ぎてもすばらしいですよね。スポーツ選手は極端に若いところにピークがあります。監督ならオシムがいます(オシム頑張れ!)。いろいろな職業でこういうグラフをエイヤッと描いてみると、若い人の人生設計にも役立つのではないでしょうか? 適当な時期に転身するときの参考にもなるかもしれません。いつぞやの新聞によると、プレトニョフがピアノをやめて指揮に専念するんだって!? も、もったいない。アシュケナージも専念まで行ってないのに。まああまり一流どころの例ばかりでは参考にならないかもしれませんが、こういう「職業別折れ線グラフプロジェクト」面白いかもしれません。

高校時代に何でもできてすごく頭の切れる友人がいました。理数系が出来たのでてっきり理科系に行くと思ったら、そいつは文科系に行きました。なぜ?と理由を聞くと「理科系は若くしてピークを迎えてしまうけど文科系なら息長く活動できそうだから」ですと。そんなこと高校生のときに考えてしまう頭の良さがはたしていいのかどうか。上の棒グラフを見ると、一口に理系文系といってもいろいろなパターンがありますし。

ま、あまり若いうちから先々が見えてしまうのはどうかと思いますが、たまにはこういう「グラフ考察」も悪くないかなと思います。

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今日は2時間×3回

2007-12-29 02:00:20 | ぐるめ
の会議が今年最後の仕事日を飾りました。今年はあと二つパソコン仕事が残っていますが、それは明日片付けよう。おっと、既に今日明日ではなく昨日今日ですね。しかし師走とはよく言ったものです。

それはともかく、お酒の紹介を一つ。写真はBlack Bushというアイリッシュ・ウィスキー。香り芳醇で口にまろやか。スコッチと似てます。この手のモルトウィスキーはいつもはオン・ザ・ロックで楽しみますが、冬なのでストレートが一番。度数は高いはずですが刺激なく、含んだ途端口中に、いや体中にふわーっと幸せが広がります。

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ちょっと多忙に

2007-12-27 23:37:23 | 日々のこと(音楽)
していたら、いつのまにかオスカー・ピーターソンが亡くなっていました。結構好きなんですが、ジャズヲタクに言わせればあまりにもスタンダード過ぎるでしょうか? 近年は便利な世の中で、DVDでジョー・パスとの来日共演や「ウィーンの夜」など見ることができます。これらの晩年の演奏は味があるといえば味があるのですが、まあ私は好みの基本がクラシックなので、タッチが荒く感じられます。やはり数十年前のレコード時代の演奏が白眉に思われるなぁ。
 その頃のピーターソン、どんな凄いパッセージも楽しんで軽々弾いています。左手がでかくて、速いナンバーでも10度のベースと中音域コードの跳躍交代が全く何でもない。技巧派ジャズピアニストの最高峰ですが、私はバラード的なものが好きです。特に(これがまた好きと言うと何とありきたりなと思われそうですが)My one and only one love。いくつかアレンジしてますが、特にA♭ヴァージョン。作曲家としても多くのオリジナルを持っていますが、カナディアン組曲などいいですね。

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パキスタン

2007-12-27 22:59:27 | 日々のこと(一般)
まずいですね。予断を許しません。安定を祈ります。
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さて昨日の徹夜

2007-12-26 01:13:41 | 日々のこと(音楽)
をもって、溜まっていた仕事を相当一掃しました。やれやれというところで、今年楽しかったことでまだ書いていなかったことを思い出しましょう。実は春の終わり頃、ピアノのレッスンを一回受けました。Vovka Ashkenazy (Vladimirの息子) に3ヶ月教わったのを最後に17年ぶりです。しかし今回は彼ではなく、風雅異端帳でときどきとりあげるピアニストのコレヴァールさんのレッスンを1時間受けたのです。

実は、昨年度の多忙役を終えたのを機に、今年度(2007年度)からピアノのレッスンを定期的に受けることが可能かどうか、検討したことがありました。まあ結果としては、やはり今の自分にはそんな時間はない、という結論を下しました。しかし毎年春または夏アメリカからやってくるコレヴァールさん、レッスン料はそこそこしますが、時間と場所の都合が一致することと、こんな不定期でも快く見てくれるというので、思い切って一度見てもらったのです。結果は・・・長くなるので細かいことは書きませんが、いやー無茶苦茶良かった。

前にも書いたことがありますが、彼の演奏、どこをとっても素敵ですが、特に感じ入るところがあるのです。そう彼に言ったら、「当ててみましょう。私のペダリングではないですか?」と当てられてしまったのが、彼との最初の出会い。

とにかくこの方、「楽譜に忠実」なのです。彼がハッキリそう言うわけではありませんが「個性はその上に立つもの」という感覚が伝わってきます。そこのところが強い説得力を持ちます。もっとも「あなたは作曲家の自筆ファクシミリ譜を買うべきだ」というのには閉口しますが。そんなもんばかり買いこんでいたら大変です。しかし来年もまたレッスンを受けたいものです。このところピアノに触っていませんが、来年も是非都合をつけるぞ。

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滝廉太郎記念館

2007-12-08 23:22:58 | 日々のこと(音楽)
に行きました(写真)。一週間ほど前大分大学に出張したときの話です(ボンバルディアに乗ったのはそれです)。帰る日4時間ほど空き時間があったので、豊後竹田(タケタ)市にある記念館に行ったわけです。行くまでは生家なんだろうと思っていましたが、そうではなく東京生まれで、この記念館は12~15才のとき住んだ家ということです。しかし「荒城の月」のモデルになった城跡があったり、短いながらも多感な時期を過ごした滝廉太郎としては思い入れ深い場所だったということです。

写真にあるようにちょうど紅葉が映える季節でしたが、その右にバラが咲きまくっています。バラって5、6月じゃなかったっけ? 何で180度位相ずれているの? と思いましたが、後で調べたら11月もバラの開花時期なんだそうです。

そのバラですが、「メンデルスゾーン」という品種なんだそうです。あるとき、荒廃の進んだメンデルスゾーンの生家を国際メンデルスゾーン基金が復興したとき、日本の後援会が多大な貢献をしたそうです。そのお礼として新種のバラ「メンデルスゾーン」が日本に贈呈されたのですが、植樹地に日本で唯一この滝廉太郎記念館が選ばれたということです。それは何故か? 彼が留学したのはライプツィッヒ音楽院。と言えばピンと来るでしょう。メンデルスゾーンの創立した音楽院として有名です。

知られているように滝廉太郎は留学中に結核を患い、文部省から帰国命令を受けて帰国、大分で23才で夭折しました。つまり彼の作曲のほとんどは留学前のものです。この派遣を当時文部省がどう総括したか、わかりませんが、報告書的には「発病により中断し成果は得られなかった」となるのが普通でしょう。そうだとしてもいたしかたありませんが、後世への影響はそれ以上のものがあったと言えないでしょうか? 研究プロジェクトの報告も「これこれの成果があった」と書くのは当然ですが、世の中へのその後の影響は、「これこれ」の意義は実際には大したことなかったり、「これこれ以外」での意義が見いだされたりするものです。それでいいわけですが、滝廉太郎の留学はどう考えるべきでしょう? 留学が無くても、今でも口ずさまれている彼の作品は全部存在しているわけです・・・

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ボンバルディア機

2007-12-02 22:20:09 | 日々のこと(一般)
に乗るはめになりました。
機体を見て気づき、胴体着陸しないでくださいねと祈りつつ、小さな機体に乗り込みました。この写真にあるプロペラを見るとわかりますが、回転軸に対して羽根が垂直に近い扇風機と違って、回転軸にほぼ平行な羽根です。そうでないと高速で飛ぶとき、羽根が空気をネジ切って進むより飛行機の方が速いので、逆に抵抗になってしまいます。

さて乗り込んだら景色が良さそうな窓際の席でラッキー、と思ったのも束の間、真横には窓が無く自然な姿勢では外が見えない。ツイてない席だなと体を前にせり出して前の窓から外を見たら、何と巨大なプロペラが私の真横に。上の写真見るとわかりますが、羽根の先端は結構至近距離まで来ます。こいつが目の前で高速回転するのか、と頭を抱えてしまいました。見えないように窓がそこに来ないようにしてあるのか、それならその方がいいと思いましたが、離陸したらプロペラ音のうるさいこと。見えなくても回転を想像してしまって気持ち悪いもんです。そうしたら人間の心理は不思議なもので、また体をせり出して恐る恐る見てしまいました。案の定、半透明の円盤になってブン回っているのが見えて、また頭を抱えてしまいました。プロペラよ、おまえには途方もない遠心力がかかっているだろうが、耐えろよ。そうでないと私は木っ端微塵だ。ああどこか遠くに空いている席はないか、と思わず見たが満席。まあプロペラが破損するようなことがあれば、どの席に座っていようがどのみち終わりだから関係ない、と理性は言うのですが、やっぱりすぐそばの席は気持ち悪いですね。

しかし人間の心配ごとの集中力も長くは続かないのか、あるいは日頃の寝不足のせいか、この爆音の中で深い眠りについて、着陸のショックで目が覚めたのでした。

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