2019年の墓碑銘

2019-12-31 11:52:43 | 日々のこと(一般)
年の瀬にこのブログ恒例の「今年の墓碑銘」です。主に科学分野と芸術分野から10人、独断で書いていますが、科学と芸術以外の人もとりあげています。

[1]米沢 富美子(よねざわ ふみこ、1月17日。日本の理論物理学者、慶應義塾大学名誉教授。享年80才)
専門は物性理論、特に固体物理学。アモルファス研究で知られる。
 2016年も残り少ないころ、一般向け講演を聴いたことがある。その三年後に亡くなるとは想像できないお元気な様子だったので驚いた。しかしもっと近しい方に聞くと以前からご病気がちだったということで、お見かけする度にそんなそぶりも見せなかったことを思い出し、改めて驚いた。

[2]冷水 佐壽(ひやみず さとし、2月7日。日本の電子工学者。享年75才)
富士通時代に三村高志とともにHEMT(High Electron Mobility Transistor)を発明・開発したことで知られる。
大学勤めのころ、居室が隣だったことがあり、大層親切にしていただいたことがある。

[3]ドナルド・キーン(2月24日。アメリカ出身・日本に帰化した日本文学者・日本文化学者。享年96才)
流暢な日本語をテレビで耳にした人も多いだろう。日本に魅せられた学者として有名である。
 この人が西洋クラシック音楽のエッセイを書いているといったら、どのくらいの人が興味を示すだろうか? 氏の日本文化研究には到底及ばない、趣味の域だろうと思うのではないだろうか。ところがこれが尋常ではないのだ。私など録音でしか知らない往年の超一流歌手・指揮者・演奏家を悉くナマで聴いているという経験と、東洋に通じた西洋人の視点と、学者的な洞察が相俟って、並の音楽評論家では書けない数冊に仕上がっている。私は氏の専門の論文を読むことはないかもしれないが、この数冊の音楽エッセイを読んだだけで、この墓碑銘に取り上げずにいられない。

[4]ジャック・ルーシェ(Jacques Loussier、3月5日。フランスのジャズピアニスト、作曲家。享年84才)
プレイ・バッハシリーズで知られる、バッハのジャズ演奏の大家。
ジャック・ルーシェ・トリオによるエレガントな演奏は、聴いていてこの上なく心地良い。

[5]志村五郎(しむら ごろう、5月3日。1930年2月23日生まれ。数学者。享年89才)
志村五郎の名を知ったのは、1994年、ワイルズがフェルマーの最終定理を証明したことが報道されたときである(論文出版は1995年)。ワイルズが「谷山・志村予想」を証明し、それを使ってフェルマーの最終定理を証明したと表明したことで、谷山、志村とはどんな数学者だろうと思った。彼らの業績はその後暗号にも応用された。その辺については辻井重男の短い記事に触れられている。

[6]チャールズ・キッテル(5月15日。アメリカの物理学者。享年92才)
言わずと知れたロングセラー教科書「キッテル 固体物理学入門 上・中・下」(宇野他訳)の著者である。
 この教科書を初めて読んだ学生のころ、なんと経験知ばかりに立脚した、理論の段階的構築を感じにくい教科書だろうと思った。後年、この対極にあるグロッソ、パラビチニの「固体物理学 上・中・下」(安食訳)を読んだときは理論展開が大河のように繋がって納得感があった。
 しかし固体物理を教えるようになって、後者は写真や実験データが少なく、実際の物性を直感的に思い浮かべにくい面を感じた。両方必要なのだ。両方を網羅する教科書だと雑然としそうなので、相対する二種類それぞれ統一感のある現状の方がいいのかもしれない。買う方は大変だが。

[7]マレイ・ゲルマン(5月24日。アメリカの物理学者。享年89才)
クォークの概念提唱者、クォークの名称の命名者として知られる。
クォークの名称はどこから来たのかと思えば、どうも波乱の生涯を送ったジェームス・ジョイスの小説「フィネガンズ・ウェイク」に由来するようである。これもいずれ読んでみますか。

[8]アンナー・ビルスマ、オランダのチェリスト(7月25日。オランダのチェリスト。享年85才)
このチェリストで最も印象に残っているのは、バッハの無伴奏チェロ組曲集のCDである。この曲集はいろいろなチェリストで聴き比べると、表情が全然違って面白い。中でも鈴木秀美のCDに入れ込んでいるが、ビルスマは鈴木秀美の師なのである。そのビルスマは古楽器チェロと現代チェロの二種類のCDを10年の歳月越しに残している。これらを含め、名チェリストの演奏を比べたものを本家「詠里庵」の「風雅異端帳」に挙げた。


[9]佐藤しのぶ(9月29日、日本のソプラノ歌手。声楽家。享年61才)
声質、技量、情感のどれをとっても世界屈指のソプラノ歌手であることは書くまでもない。大ホールでのナマの歌唱は、CDより一層それがわかる。
 この人も米澤富美子と同じく、そんなに長いこと病魔と闘っていたのかと驚くほど、それを見せずに第一線で活躍していたのだなぁ。

[10]ジェシー・ノーマン(Jessye Norman, 9月30日。米国のソプラノ歌手。享年74才)
この高貴な黒人ソプラノはオペラやクラシックの伝統の継承だけでなく、黒人霊歌や現代音楽にも「チョット手出し」を大きく超えた本格的な活動を残している。


以下は補遺である。

・町田茂(まちだ しげる。1月16日。日本の物理学者、京都大学名誉教授。享年92才)
並木美喜雄とともに量子力学の観測の理論を研究した。観測の理論など研究すべきではないと言われていたころ、そういうことに興味を持つ者には勇気をくれた面がある。

・ジョン・ロバート・シュリーファー(7月27日。アメリカの物理学者。享年88才)
バーディーン、クーパーとともに超伝導の理論を完成させた(高温超伝導は除く)ことで知られる。

・2018年墓碑銘の追加:E. C. G. スダールシャン(Ennackal Chandy George Sudarshan、インド出身のアメリカの物理学者。享年86才)
光のコヒーレント状態の量子論をグラウバーと同時に独立に発展させたが、ノーベル賞はグラウバーに与えられた。この理論は大学院で講義していたが、光の量子状態表現にはP関数、Q関数、Wigner関数などの表現がある。SudarshanとGlauberはP関数の提唱者として貢献があるが、ひところ「Glauber P representation」ということがあったが、近年「Glauber-Sudarshan P representation」と呼ばれることが多い。
 遅ればせの訃報はPhysics Today誌の2019年4月号にSudarshanのObituaryで知った。亡くなったのは2018年5月13日というから、1年近く前である。Obituaryを書いているのはM. K. BalasubramanyaとM. D. Srinivasである。
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