キーシン

2008-11-10 01:33:43 | コンサート・CD案内
の続きです。一年ぶりなので続きというのもなんですが、まあ続きです。
さてアルゲリッチは私の最も好きなピアニストの一人です。余計な話ですがone of the most+複数形って変な感じがしませんか? でも英語の影響を受けて、情けないことに日本語でも使うようになってしまいました。どことなく便利な表現ではありますが。
 何の話だったかな、そうそう、昔アルゲリッチのチャイコ1番とラフマニノフ3番を待ちに待っていたことがありました(古い話ですね)。チャイコ1番は1957年録音のホロヴィッツがこれ以上はないだろうという凄まじい演奏なので、アルゲリッチならどうかなと期待したわけです。で、彼女の弾くチャイコ1番のCDが出たとき、正直ガッカリしました。なんだか彼女の機嫌の悪いときで、「何回テイクさせるの!?もういいわよそれで! 売りたいなら売ればっ」と切り上げてしまったのでは?(←全くの空想)
 ところがその後出たアルゲリッチのラフマニノフ3番!これはもうホロヴィッツ1957年録音のチャイコ1番と同じですね。これ以外にラフマニノフの3番は要らない!

と言いたいところだけど、ふと、キーシンがラフマニノフの3番をやったらどうか? と、昔聴いてそのメカニックの凄さに驚いたリサイタル(前回記載)を思い出したのです。(やっとキーシンですね)

実はキーシンの弾くラフマニノフの3番、とっくにCD出ていたんですね。1993年の小沢+ボストン響のライブ録音で、もうその年に出ていたようです。遅ればせながらそのCDの情報を得たとき、例によって頭より先に体が勝手に動いたのではないかと思うほどいつの間にか購入していました。これはホロヴィッツやアルゲリッチを凌ぐもの凄い演奏か? ワクワクしながら針を降ろし、ではなかった、CDプレーヤーに突っ込みました。(最近の機器は風情がないですね) そしたら・・・

これは・・・えぇ!?

 冒頭、オケの静かな前奏が始まった・・・などという感覚ではない。音というより、柔らかな精神の波動が漆黒の宇宙から降りて来て、辺りを包み込んだ。やがて一筋のやわらかな光が差し始めた。これはもちろんピアノのユニゾンの主題。それは悲しげにして慈愛に満ちた語りかけ。語るのは観音菩薩かはたまた聖母マリアか。やがて流れは幾筋に分かれ、重なり、渦巻き、急流になったかと思えばたゆたう大河に。網膜に映る実際の室内の景色など脳には届いていなかった。目に浮かぶのは・・・楽器を弾く奏者達ではなく・・・大気に包まれた山、河、海。
 これからの音楽ディスクは、カラヤンじゃないが演奏映像付きじゃなくちゃ、などとという浅い持論を吹き飛ばすに十分な体験。これは「ラフマニノフのP協3」と思ったらいけない。ラフマニノフのP協3を聴くということは、ピアノ協奏曲の最たるモノを楽しむことなのだから。そうではなく、このCDの演奏は、ラフマニノフのP協3を借りてこの世へ通じるドアとし、神様が話をしているかのような感じなのです。

 そのつもりで聴けばいかにキーシンのテクニックが凄いかがわかるのですが、テクニックを聴こうなどという努力はすぐにかき消されてしまいます。この演奏は、キーシンはもちろん小澤・ボストン響も含めて、奇跡としかいいようがありません。聴衆の拍手の白熱感でもそれがよくわかります。この演奏会に居合わせた人たちのなんとうらやましいことよ。

そう、前に行ったリサイタルではそのすさまじいテクニックに目を見張らされたけれど、それでキーシンのとりこになったわけではない、と書きました。とりこになったのはこのCD聴いてからだったのです。それからキーシンのCDを買うようになりました。

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Korevaarさん

2008-06-07 01:29:43 | コンサート・CD案内
のCDを2枚聴きました。ご本人のサイトのCDページの2枚目と3枚目ですが(今日時点で)、ゴールドベルク変奏曲とベートーヴェンのソナタ3曲。

ゴールドベルク変奏曲と言えばグールドを思い浮かべるでしょう。グールドの二つのバージョン、非常に対比的ですが、やはりグールドですね。独特の乾いた感じがあります。どちらのバージョンも大好きな演奏ですが、一方で「これのアンチテーゼ的バッハ演奏もあるのではないか。刺激臭の一切しない、やさしく包み込むような」とずっと思っていました。

Korevaarさんの演奏はその答の一つのように思います。Korevaarさんの弾くドホナーニはめくるめく近代ロマンティシズムに溢れていますが、それとは全く違った面が楽しめました。もう一枚のベートーヴェンも基本的には同じ路線で、フリードリヒ・グルダのアンチテーゼみたいな演奏です。個人的にはこのところそういう路線で心地よさに浸りたい心境にあるので、ちょうど良かったという感じでした。

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まだイギリス

2007-10-28 12:31:38 | コンサート・CD案内
での話を引きずっていますが、ケンブリッジの街で聞こえて来た音楽で、いいなと思って買ったCDを紹介します。Jacob Regnart(1540-1599)というハプスブルク家に仕えた音楽家の声楽曲。演奏者は6人組の男声合唱団で、混声かと思うような高音から低音をカバーする、ヴィブラートをかけない澄み切ったアカペラ。というとKing's Singersでしょうと思うかもしれませんが、こちらはCinquecentoという団体です。イタリア語で16世紀という意味だそうです。写真はジャケットで、CD番号はHyperionのCDA67640。

教会のようなエコーがかかっているので6人とは思えない充実した響き。和声的には、ドミナントやサブドミナントからトニックに至る機能的推移というよりは、少々サティやドビュッシーのように和声そのものの美しい響きを並べたような音楽です。もちろんルネサンス音楽としての推移規則がありますが、古典・ロマン派を基準にしての話です。曲の内容はミサ曲、ハプスブルク家の重臣を称える音楽などです。歌詞はラテン語で、ミサ曲は「キリエ、レイソン・・・」と聞き取れますが、それ以外は器楽と同様に聴くしかありません。

新譜で出たばかりということで意気揚々と買いましたが、何もイギリスで買わなくてもAmazonにありました。値段もほぼ同じです。

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ハチャ/ピアノ協奏曲

2007-10-14 17:06:56 | コンサート・CD案内
の録音決定盤は、昔は1949録音のウィリアム・カペル/クーセヴィツキー/ボストン響でした。私は今でもこれは聴き逃せないと思います。難点はモノラルであることと、フレクサトーンを使っていない(もしくは使っていて全く聞こえない)ことでしょうが、それがどうした。この曲を聴くからには一度は聴いて欲しい演奏です。
 味がある点ではアリシア・デ・ラローチャ/ブルゴス/ロンドン・フィルですが、彼女にしてはやけにおとなしい演奏です。
 1987年録音のオルベリアン/ヤルヴィ/スコティッシュ・フィルの演奏は複雑な印象があります。全体として映画音楽のような迫力を出した演奏です。特に第1楽章の冒頭と第1主題。また第2楽章の主題再現もなかなか結構です。フレクサトーンもしっかり入っていてgood。しかしです。それ以外好きになれない演奏です。第二主題も展開部もカデンツァも、音符を見て義務で弾き進んでいるみたいで、ワケがわかりません。要するに第一、第二楽章は主題呈示部はとてもいいのですが、経過句や展開部が意味不明。私は経過句や展開部もしっかりやる演奏でないと、さわりだけ取り出したイージーな演奏の感じがしていただけません。第三楽章に至っては速度が足りない上に録音の安っぽさも災いしてモサモサしています。オルベリアンは最近は指揮の方が主な活動ですが、このピアニストとしての代表録音には複雑な気持ちがします。
 そうこうしているうちに最新の演奏がベレゾフスキーから出たので、これぞ決定版かと買いました! それは100%ではありませんでしたが、ほぼ当たりでした。不満の部分から書くと、まずピアノのテクニックはダントツなのですが、冒頭は余裕ありすぎて軽く聞こえます。たとえ話でいうなら、ムストネンがイスラメイを余裕を持った表現で弾いていますが、あれはやはりギリギリ燃え尽きるくらいに這々の体で弾いて欲しい、というのに似た不満か。また指が動きすぎてオケと同期するために細かく待ちを入れているように聞こえるところもあります。もう一つ、CDにはフレクサトーンが入っていなく、何か「特別プレゼントサイト」というのにアクセスすると、フレクサトーンの入ったヴァージョンが聴けます、とか言ってWarner Musicが個人情報を集めようとします。しかたないから入力したのですが「Invalid disc」とか表示されてうまく行かず、メールで問い合わせてもなしのつぶて。ちょっとなぁという感じです。
 当たりという部分は、ダントツのテクニックのおかげで、これまで聴いてよくわからなかったカデンツァや経過句がスッキリ。そう、なぞるように弾いたのではいろんな音型を使ってみましたとしか聞こえない部分も、疾風のように弾けばワクワク聴けます。またカペル以外のどの演奏でもそれほどいい音楽として聴けなかった第3楽章も、圧倒的爽快さ。

さて他にマイナーだけど傑作と私が思う曲がハチャトゥリアンにいくつかありますが、次に回します。
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イギリスでベレゾフスキー

2007-09-15 02:05:11 | コンサート・CD案内
の演奏を聴きました。ソロでなく室内楽ですが、ぜひ生で聴きたい人の一人でした。Dmitri Makhtin(1975生)のバイオリン、Boris Berezovsky(1969生)のピアノ、Alexander Kniazev(1989Moskow Conservatory卒)というロシア人ばかりのトリオです。

1990年のチャイコフスキーコンクールで優勝したときのベレゾフスキー、テレビで見た演奏は鮮烈でした。どんな曲も完璧。迫力ある音量で圧倒するかと思えば「鬼火」を目にもとまらぬ速さで均質なppで弾きます。目が隠れてしまう長髪からのぞく口元はクールなスマイル。不可能という文字を知らなさそうな青年。その後出たショパンエチュードのCDはさぞテクニック全開だろうと思って買ったら、意外に詩的な演奏。

Wigmore Hallは1階だけで500人ほど収容する19世紀風のシックなホール。ここで演奏した人の写真が廊下やロビーに飾ってありますが、ピアノではチェルカスキーやハフ、バイオリンはジョシュア・ベル、チェロはイッサーリスの写真がありました。イッサーリス知らないところでしたが田中さんに教えてもらっておいてよかった。ホールは2階を含めほぼ満席。オーケストラはとても乗っからない小ぶりのステージにスタインウェイのフルコンが蓋全開でドーンと置いてあります。半開でなくて音量バランス大丈夫なんでしょうか。

さて現れた三人、ベレゾフスキーを中央に山の字で挨拶。ベレゾフスキーは比較的短髪で今回は目元までハッキリ見えましたが、ペライアをハンサムにしたような顔立ち。口元だけでなく目鼻も動員したスマイルは一層自信に満ち、凛々しい立ち姿もスーパーマンのようです。ベレゾフスキーがそばに立つと小柄に見えてしまうバイオリニストは一番若く真面目そうな青年。武田鉄矢を彷彿とさせる人生経験豊富そうなチェリストは髪型顔立ちがイッサーリス風。

やがて始まった第一曲目はラフマニノフ17才の作曲になるOp.posthの単一楽章ピアノトリオ「エレジー」ト短調。「偉大な芸術家の思い出」を思わせる冒頭からラフマニノフらしいねっとりした旋律。一般的には習作に分類されるでしょうが、そうとは思えない多量の音符と完成度。この三人、みな音量豊富で、熱演ぶりもイッサーリストリオ風。バイオリニストとチェリストは初めて知る名ですが、蓋全開ピアノのベレゾフスキーでもかき消すことのない充実した音量。オーケストラのような豊饒な響きを作っていました。

それにしても日本より演奏中に咳をする人が多いですね。真後ろの人など肝心のppのところで大きな咳をしたあと、あわててクシャクシャと何かノド飴のようなものを取り出してカプっと口に含む音まで立てる始末。日本の聴衆より年齢分布が高齢まで層が厚いこともあるのかもしれません。こんな中でもものともせず集中度の高い演奏を聴かせる三人はさすがです。まあ咳だけでなく、演奏後の拍手も日本より激しいですね。

 続く2曲目はショスタコーヴィチの傑作、1944年完成になるピアノトリオ第2番ホ短調Op.67。これは今夕の白眉、信じられない名演、最高の集中度。同じショスタコーヴィチの交響曲のように深い世界。第1、2、3楽章についてはそれぞれ第5交響曲と雰囲気が似たテンポ・曲想ですが、さらに一般受けを無視したようなショスタコーヴィチ独自の世界に浸っています。第4楽章に至っては勝利・歓喜とは真反対の狂気と絶望。プログラムによるとユーモラスに聞こえる部分はホロコーストを前にダンスをさせられたユダヤ人達のダンスとあるが、そうかもしれない。そうでなくとも、一貫して悲劇性に満ちた音楽の裏返し部分です。この曲では、鬼火スラスラとは違ったベレゾフスキーを見ました。そして彼にひけをとらず対峙・協奏するバイオリンもチェロも素晴らしかった。この人たちのことをなぜ知らなかったのだろう。
 依然としてちらほら聞こえる客席の咳の度にいだいた聴衆の理解に対する一抹の不安は、消え入るような曲の終了とともに吹き飛びました。私も手が痛くなるほどの頭上拍手を止めることができなかったのですが、ふと気がつくと回りも拍手の嵐。まだコンサート終わっていないのに演奏者は何回も出て来てそれに応えなければなりませんでした。ベレゾフスキーは例によって自信に満ちたスマイル、チェリストは宙を見て満足顔、バイオリニストは、そんなにいいと思われたんだというようなびっくりした顔で客席を見回していました。そうですよね。咳は体調上止められなかっただけで、この最高の曲と最高の演奏に飽きたはずはないですよね。

 休憩の後はラフマニノフ20才の作品になるピアノトリオ「エレジー」ニ短調Op.9「偉大な芸術家の思い出」のはずでした。この曲はチャイコフスキーがルビンシュタインに対してしたのと同じことをラフマニノフがチャイコフスキーに対してしたわけです。ショスタコーヴィチのトリオも実は友人へのオマージュです。さてステージに現れた三人。と、ベレゾフスキーが突如「Ladies and gentlemen」と流暢な英語で切り出しました。さてはこの人も青柳さんのようにコンサートで話すのが好きなのかと思ったら、そうではありませんでした。「我々三人もロシア人ですが、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチならチャイコフスキーですよね、彼の『偉大な芸術家の思い出』に変更します」と言ってピアノの前に座りました。ラッキー!と同時にラフマニノフも聴きたかったなぁと少し複雑な気持ち。
 さてこれがまためくるめく名演奏でした。この曲、長いですよね。音符の量が多く、パターンの繰り返しがしつこいですよね。途中で満腹になってもかまわず音符が押し寄せてきますよね。しかしです。飽食をもてあますことなく、充実のうちにこの長い曲があっという間に過ぎてしまったのです。
 またダイナミックレンジの広いこと。それ以上弱く弾いたら音が途切れるでしょうというほどの弱音から強音までオーケストラのような色彩感でした。しかもどんな強音でも深く、柔らかいのです。いやあピアノトリオというのはどの作曲家も力を入れて作るものですね。ベートーヴェン、シューベルト以来の伝統でしょう。
 結局3曲とも消え入るように終わる曲ばかりとなりました。いいですねえ、間髪を入れず拍手というのでなく、最後の音が消え無音の間が絶妙の時間続いてから拍手が噴出する。この絶妙の間を紡ぐ聴衆も演奏に参加したようなものです。結局アンコールはありませんでしたが、室内楽はまあそういうものでしょう。しかし聴衆の反応はさすがだと思いました。この割れんばかりの拍手、曲によって雰囲気が違います。チャイコフスキーのときは共感的、ショスタコーヴィチのときの方は驚嘆的な拍手でした。

ベレゾフスキー、やはりただものではない。今回改めて凄いと思ったのは、ショパンエチュードのCDで多少予感はあったものの、単なる技巧派ではなく、音色がきれいで、柔らかく、深く、繊細だという点です。こんなに音量のある人がピアニシモも繊細に弾けるなんて、ずるい。「やっぱりピアニシモは大味だね」という面を残していて欲しい、などとは言いませんが。
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今日、

2007-05-07 02:00:59 | コンサート・CD案内
いやもう昨日ですが、内藤晃氏のリサイタルを聴きました。
この人は天性的に音楽を奏でるために生まれて来たみたいな感じです。
聞こえてくる音楽はひたすら美しく生き生きしている。
弾きぶりも魅力的です。弾くことがいかにも幸せそう。しなやかなタッチと指揮者のような腕と身のこなし。ちょっとファジル・サイやディーナ・ヨッフェを彷彿とさせます。
挨拶でも言っていたしブログにもありますが、病みあがりで約1年ぶりの演奏活動ということ。その前から素晴らしい演奏をすることは知っていましたが、今回はさらに磨きがかかっていました。終了後回りからも「素晴らしかった」と声が聞こえてきました。

さて少し脱線しますが、鍵盤が汗で濡れたのか、休憩時間中にスタッフの一人が鍵盤をていねいに拭きました。音が出ないよう片手でキーを持ってもう一つの手で拭いていましたが、キーは上に持ち上げると若干浮いてとどまることがあるので、その場合軽くポンとたたいて引っ込めないと高さが不揃いになります。案の定真ん中を中心に出っぱったキーがいくつか残りました。まずいな、内藤氏の精妙なタッチに影響しないたろうか。横から見ると微妙な不揃いがわかりますが、正面から見る彼は気がつくだろうか? 出向いて高さを揃えてあげたい気になりました。やがて出てきた内藤氏、休憩後のプログラムを弾き始めようとして、「ん?」という表情ででこぼこに気がつきました。自分でていねいに高さを揃えてから弾き出しました。ああよかった。

ちなみにピアノはベヒシュタイン。ガンガン鳴るようなことは皆無。フォルテもピアノも美しい響きです。彼にピッタリのピアノでした。

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Lynx

2007-03-10 03:33:26 | コンサート・CD案内
のコンサートに行きました。何日も前のことですが、書くヒマがなく今日になりました。ご存じフルート4人組で、結成10周年の新CD収録曲を中心としたプログラムですが、これは充実していました。このCD、タイトルが「LYNX flute」とシンプルで、ジャケットもCDも純白で絵も写真もないという斬新なデザイン。何とも自信が感じられます。一方でこれは「原点に帰る」という抱負なのかなとも感じさせます。選曲もオーソドックスなクラシックの名曲ばかりで、他の伴奏は一切廃した正にフルートオンリーの演奏。ちょっと多忙極まる中で書いているので中身の詳細は「LYNX flute」で検索すると出てきますのでそちらを参照。

編曲がいいこともあるのでしょう。本当にフルート4本オンリー?という感のある豊饒なサウンドです。一番感心したのは、もう寝なければいけないので一点しか書きませんが、バッハの音楽の解釈。装飾音から全体構成にいたるまで、ミュンヒンガーかアーノンクールかと思うような、深く、心にしみ入る演奏です。

一応公正を期すために書いておきますが、4人の中の一人は親戚です。しかし私を知る人はそんなことで批評の矛先が鈍る私ではないことはご承知と思います。その証拠にというわけではありませんが、要望を一点書くと、ロングトーンはもっと長く、と思う場面もありました。これは解釈でそうしているのか、フルートでは困難なのかは、フルート吹きでない私にはよくわかりませんでした。

いずれにせよ次なる企画が楽しみです。
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イッサーリス

2006-12-09 01:58:06 | コンサート・CD案内
のコンサートに行きました。田中さんのお薦めで興味を持ったのです。もうしばらく前に行ったのですが、このところ半徹夜続きで全く書けませんでした。豪壮雄大なロストロポーヴィチ、狂おしい情熱ほとばしるデュ・プレ、万能豊饒ヨーヨー・マ、奇才シュタルケル、ねっとりねばっこいマイスキー、癒しのフルニエ、古楽器的魅力のビルスマ。これらの中にあってイッサーリスはどの座標に位置するのか?

本当は協奏曲のコンサートに行きたかったのですが、都合がつかず、二番目に聴きたかった室内楽を聴きました。これで彼の全貌がわかるとはもちろん思いませんが。曲目はクララ・シューマンのピアノ三重奏曲ト短調、ブラームスのピアノ四重奏曲ハ短調、それにロベルト・シューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調。詳しくはここにしばらく出ているでしょう。このプログラム、ストーリー性が感じられますね。解説にもありましたがイッサーリスはプログラムに思慮深いところがあるようです。

クララ・シューマンのピアノ三重奏曲ト短調は初めて聴きました。シューマンの若い頃の作風に影響を受けているようですが、ショパン若書きのピアノ三重奏曲ト短調にも似ています。楽章の対比がもう少しあってもいいかなとも思います(たとえば第2楽章のスケルツォは若干メヌエット風、第3楽章の緩叙楽章は遅くない無言歌風、フィナーレも速くないアレグレットです)が、しっとりと楽しめる佳曲でした。フィナーレの最後は迫力あり、盛り上がりました。

ブラームスの室内楽は・・・素晴らしいことはいうまでもないですよね。どれも深い音楽である点はピアノ曲より徹底しているのではないでしょうか。フィンランディアみたいに始まるこのハ短調の四重奏曲ももう最高。演奏も言うことなし。

最後はシューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調。春やラインのように明るく、救われる思いがします。私は張りつめた深刻な短調系にシューマンの神髄を見いだしますが、それはシューマンの苦悩と重なって痛々しい感じもします。その中にあって、彼の長調系の曲群は明るさが引き立ってホッとします。

演奏は、面白かった、と言ったら不謹慎でしょうか。まずシリアス・クラシックにマッチした素晴らしい演奏だったことを言っておきます。で、何年も前パスカル・ロジェを中心とする似たコンサートがありましたが、それと比較してしまうのを免れず、興味深く聴きました。パスカル・ロジェの紀尾井ホールでの演奏会はやはりシューマンとブラームスのピアノ四重奏曲を中心としたもので、感動的な演奏会でした。それと同じくらい今回も感動しましたが、前者がピアニストを中心、後者がチェリストを中心としているのが演奏に現れていたのが面白く思われました。そんなに極端ではありませんが。でも、String Quartetのように「演奏者は誰?」というより「どのQuartet?」の方が重要なのが室内楽ですが、今回のように「誰の企画?」というのが音楽に色づけられるのもまた面白いものだなぁと思った次第です。今度はバシュメット企画の同じ曲目を聴いてみたいなどと考えたりしました。

ところでイッサーリスの演奏ですが、柔和なところはとことん柔和ですし激しいところは一層激しいですね。どの座標に位置するか? この室内楽だけでは何ともいえませんが、上記のチェリスト達のいい点を兼ね備えているようです。強いていえばシュタルケル的かという感じもしましたが、今後いろいろ聴くと印象は変わるでしょう。ひとつ、ピチカートとボウイングの自然さと奔放さは印象的でした。うっとりと目をつむって聴いているとき深みのあるピチカートの音にハッとして目を開けると、ライトにてらされた右手がまるで鬼火のようにしなやかにダンスしていました。ヴァイオリンとヴィオラの日本人も何の不足もない相当の名手と思いましたが、ピチカートとボウイングは明らかにイッサーリスの方が猫のようなしなやかさと諧謔性を帯びていました。

アンコールはシューマンの第3楽章をもう一回。これはパスカル・ロジェと同じでした。室内楽はアンコール向きの曲が少ないので、この四重奏曲をやったならこの楽章をアンコールにするのが最適解でしょう。作曲的にはワンパターンの繰り返しを4回目のギリギリのところで崩してくれてはいるものの、崩さなかったら駄作に分類しなければならないのでヒヤヒヤものという感じもあります。それにしても美しい曲ですね。終わると会場からため息が聞こえました。
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打楽器のCD

2006-11-16 06:29:49 | コンサート・CD案内
を紹介します。吉原すみれの「Eclogue」[Camerata36CM-6(1985)]。邦人作曲家を中心とした作品を4つ集めたものです。以前紹介したAmadindaの方が一般受けすると思いますが、ノヴェンバー・ステップス的音楽も好きならこのCDも楽しめるでしょう。

1.フルートと打楽器のための「エクローグ」(野田暉行)[フルート:中川昌三]
 フルートと打楽器のための曲、というイメージから想像される音楽からかけ離れてはいません。そもそも野田暉行はあまり奇をてらわなく、特有の「風がそよそよ流れる」ような音楽。演奏が良いのでさわやか。

2.十絃箏と打楽器のための「漂う島」(石井眞木)[十七弦箏:沢井一恵]
 私は石井眞木を必ずしも良く理解してはいないのだけれど、この曲は好きです。非常に静かに始まりクライマックスを形成してまた静かに終わるのですが、前後があまりに静かなため、クライマックスといっても絶対的には大した騒がしさではないのに相対効果で大きく印象に残ります。ピアノ・フェーズに似たパッセージが現れて盛り上げます。聴いた感じより演奏は困難と解説にありますが、聴いた感じも十分難しそうです。

3.2台のマリンバのための「ピアノ・フェーズ」(ライヒ)[マリンバ:山口恭範]
 この曲と演奏がこのCDで一番好きなのですが、これについてはこの曲の紹介ぶろぐに書きましたのでそれを見て下さい。

4.ホロスコープ(加古隆)
 ジャズ・ピアニストの加古隆が吉原のために作ったという曲だけに、いわゆる現代音楽とは少し違う感じ。といってジャズっぽいわけでもない。こういう作曲活動いいですね。
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君はファジル・サイ

2006-10-08 00:14:27 | コンサート・CD案内
を聴いたか? というコピーをどこかで見たように思いますが、私は、ファジル・サイを見たか?と言いたいところです。もちろんCDを買って聴くのでも相当衝撃的ですが、見たらさらにすごかったというのが、コンサートでナマを見聴きして思った感想です。これほど全身全霊で音楽に没入し、聴衆をもミューズの神の世界に一緒にひきずり込むような演奏は見聴きしたことがありません。いや、よくあるような、真上を向いて瞑想して弾いていたかと思うとカッと目を見開いて鍵盤に顔面を打ちつけんばかりにガガーンとやる、などの「どっかで見た」ような入れ込み方ではないのです。比喩的に言うと、あちらの世界に行ってしまった憑依した巫女のようなところがあります。しかしおどろおどろしいのではなく、こんなに心のきれいな人はいるんだろうかと思わせるようなやさしい表情と心配そうな表情が交代し、そのため彼一人でなくこちらも一緒にミューズの世界にひっぱりこまれる思いでした。体の動きは大きく、向こうの壁を向いたりこちらを向いたり、体をひねってほとんど後ろを向いて瞑想しながらの演奏場面もありました。演奏はもちろんCDから想像されるユニークなものでしたが、視覚的スタイルと融け合って極めて個性的なものでした。個性は強すぎると合わない場合もあるものですが、彼の個性には私は共感を感じます。

曲目はモーツァルトイヤーを反映して前半が「きらきら星変奏曲」「トルコ行進曲付きソナタ」、それに「幻想曲ニ短調」のところを急遽変更してバッハの「パッサカリアとフーガハ短調」。後半がバッハ=ブゾーニのシャコンヌニ短調と熱情ソナタ。曲目変更の意図はわかりませんが、変更により演し物全部が「変奏曲」になりました。またこのパッサカリアとフーガは譜めくり人をつけて楽譜を見ての演奏でした。暗譜する前のレパートリーを披露してくれたことになり、嬉しく思いました。演奏はあまりにユニークで、細かく書くと長くなるので書きません。ぜひコンサートに行ってください。

アンコールはかの「ブラック・アース」と自身の編曲による「サマー・タイム」と「トルコ行進曲ジャズ版」という盛り沢山。カプースチンのようなすごいスピード感を随所に含む超絶技巧を披露してくれました。メインプログラムがヨーロッパものばかりで彼の故郷のトルコ物も聴きたいと思っていた矢先なので、ブラック・アースには「待ってました」という気分になりました。この人、この先もっと有名になるはずだから、そのときブラック・アースはラフマニノフにとっての「前奏曲嬰ハ短調」みたいになるかもと思いました。ラフマニノフはアンコールの最後にこの前奏曲を弾き、聴衆は「待ってました」とばかりに最初の三つの音が鳴ったところで拍手を入れたといいます。ブラック・アースも私は最初の和音のあと心の中で拍手を送りました。



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シタール

2006-05-29 00:47:36 | コンサート・CD案内
という楽器知っていますか? インドの代表的民族楽器です。インドにはサーランギやサントゥールなど面白い楽器がありますが、シタールが圧倒的に有名です。ビートルズ世代は知っているでしょう。実は今朝(あ、もう昨日ですね)、たまたま「題名のない音楽会」の最後数分を見たら「ノルウェーの森」をやっていました。それで以下に書くCDを紹介しようと思いました。

この楽器はラヴィ・シャンカールという名手がビートルズと親しかったため、ビートルズがとりあげてから一躍有名になりました。このラヴィ・シャンカールは、シタール協奏曲まで作ってしまい、レコードを出しています。30年以上前のことですが。

私はこのシタール協奏曲、好きなのです。もちろんラヴィ・シャンカールの本領はこういう音楽よりはインドの伝統音楽でこそ発揮されるのだし、この曲はショパンのピアノ協奏曲のようにオーケストレーションが薄い感じもありますが、聴いていて実に心地よい音楽です。第一楽章はニ長調の落ち着いた音楽、第二楽章はハチャトゥリアンの協奏曲(Pf, Vn)の二楽章のような風情のロ短調、第三楽章はホ短調のスケルツォ、フィナーレは第一楽章に回帰しますが、牧歌的導入に始まり段々コープランド風の力強い舞踏になって終わるト長調の楽章です。つまり構成は西洋伝統の交響曲風協奏曲。激しい所もあるのですが、決して耳障りでなく、全体として癒し系の音楽です。楽しく、美しく、躍動的でもある、実に聴きやすい音楽。

CDは、というか音源は、シャンカール自身の独奏とアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の一種類しかありません。録音は1971年。たまにはちょっと変わった音楽を、という向きにはお薦めです。CD番号はEMI CE28-5529。協奏曲の他にジャン・ピエール・ランパルとの二重奏の「朝のラーガ」が入っています。

と、ここまで書いて来て、ジャケットをスキャンするの面倒なのでウェブを調べたら、どうも現在廃盤のようです。入手しにくいものは紹介しないつもりでしたが、せっかくここまで書いたのでupしてしまいます。先に調べればよかった。図書館にでもあればいいのですが。
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打楽器

2006-05-27 07:13:13 | コンサート・CD案内
のCD紹介です。5月11日のブログで紹介した「ピアノ・フェーズ」が入っているCDで、ハンガリーのAmadinda Percussion Groupという打楽器演奏グループの最初のCD「Amadinda」。これを聴けば「こんなコンピューターみたいな演奏が人間に可能なのか?」と思うか「コンピューターはこのくらい正確かもしれないけどこんなに味のある演奏はできないだろう」と思うか。一応どんな雰囲気の曲目か、誤解を恐れずに文字表現してみましょう。

1.ISTVAN MARTA (1952)
 Doll's House Story (1985) [12'46"]
   アフリカの打楽器とガムラン音楽を混ぜたような音楽です。シンセサイザーも入っているようです。
2.LASZLO SARY (1940)
 Pebble Playing in a Pot (1978) [7'56"]
   ミニマル・ミュージックです。マリンバなので響きは4.のピアノ・フェーズに似てます。
3.JOHN CAGE (1912-1992)
 Second Construction (1940) [7'34"]
   打楽器と(おそらくプリペアードされた)ピアノのための曲で、曲想は「プリペアードピアノのためのソナタとインターリュード」のようなひょうきんな感じ。
4.STEVE REICH (1936)
 Piano Phase (1967) [Zsolt S?rk?ny,Zolt?n V?czi - marimbas] [11'45"]
   5月11日のブログ参照。
5.Traditional African music [4'03"]
   5音音階の筒を叩いているような音楽。大変面白い。終わり方もなかなか思いつかないユニークさで大変いい感じ。
 GEORGE HAMILTON GREEN(1893-1970)
6.a) Log Cabin Blues (Blue Fox Trot) [2'21"]
7.b) Charleston Capers [2'29"]
   以上二つはラグタイム。マリンバアンサンブルなので大きなアンティークオルゴールのような響き。スピード感とともに独特の浮遊感あり。
8.Traditional African music [5'18"]
   いかにもアフリカの感じ。草原とジャングルが見えるよう。
9.GEORGE HAMILTON GREEN
 Jovial Jasper (A Slow Drag) [6'20"]
   6.7.と同様。ただし遅めのラグタイム。

打楽器の音楽、面白いですよー。打楽器のレコードは昔はオーディオ装置の性能を見るのに格好な音源として、ことさら現代音楽ファンでなくても使われましたが。
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ピアノ・フェーズ

2006-05-11 06:24:29 | コンサート・CD案内
という曲、知っていますか? 1967年スティーヴ・ライヒ作曲のいわゆるミニマル・ミュージックです。5音からなる12の等価な音符の単純な音型を2台のピアノのユニゾンで延々々々と繰り返す音楽なのです。それだけで音楽が成り立つのかと思うでしょうが、実は音楽の様相(フェーズ)が徐々に変化して行くマジックが隠されています。最初は完全なユニゾンですが、しばらくすると一人がほんのわずかに速度を速めます。その「ほんのわずか」の程度が本当に「無限小摂動」と思えるほど微小で、徐々にずれて行くさまは細かな音型に内包された大きなウナリを感じるような効果があります。そして隣の音の分だけずれると、リズム的には元に戻っていますが、二人は1音ずらした同じパターンをカノン的に弾いているわけです。これを12回繰り返すと全く元に戻りますが、戻るまでは全く同じ「フェーズ」は2度と現れていないので、一曲分の大きなうねりを体験したような感じです。その先は8音で同様のことを行い、さらに4音で行い、最後は一人だけ残って、突然終わります。一柳慧の「ピアノ・メディア」(1961年作曲:こちらの方が早い)と少し通ずるものがあります。

さて、この曲、私は2枚のCDを持っていますが、いずれもピアノでなくマリンバ二人で演奏されています。一つは吉原すみれと山内恭範の演奏、もう一つはAmadinda Percussion Groupの演奏。しかしこの二つの演奏は、聴いた感じが全然異なるのです。両方とも同じような音量で特にアクセントを付けるわけでもなく、楽譜に忠実に演奏されているのに。現代音楽でそのようなことが起こるとは思いませんでした。

何が違うか? 端的に言って演奏速度が違うのです。吉原の方は17分強、Amadindaの方は12分弱だから、1.5倍くらい速度が違います。「じゃあ、Amadindaの方が演奏技術が上なんだね」と思ったら大間違いです。この曲に関する限り遅く演奏する方が困難だと私は思います。そこは「ピアノ・メディア」と違います。

で、どのように感じが違うか説明するのが難しいのですが、Amadindaの方は速度が速い分、曲の推移も速いので「あ、いまずらし始めた」とか「いまずらし終わってまた元のリズムを再現し始めた」というのが感じられる、つまり「フェーズを変えるためのゾーンに入った、出た」のが感じられるのに対し、吉原の方はそれを明瞭に感じ取るにはあまりにも推移が人間の感覚に比べゆったりとしていて、フェーズがいつの間にか変わって行くといった風情なのです。速度が違うだけでこのような定性的な違いが感じられるのが大変面白いと思います。

ところで吉原のCDとAmadindaのCD、ピアノ・フェーズ以外の収録曲は全然異なる選曲ですが、それぞれ大変面白いCDなので、それぞれ後日まるごとCD紹介しましょう。
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1975年

2006-05-06 11:09:43 | コンサート・CD案内
というと「今週の一曲」でアップしている自演録音を私がせっせとやっていた頃ですが、その年のショパンコンクールでツィメルマンは1位となりました。そのとき、私は2位のディーナ・ヨッフェの方がいいと思いました。悦びを湛えた彼女の笑みそのものの飛翔するような演奏が忘れられません。(この人、「悲愴」も明るい音楽にして壊しちゃうんじゃないだろうかと思いましたが。) 彼女はソ連からイスラエルを経て今は愛知県在住で県立芸術大学の客員教授をしていると聞いていますが、正確な情報を知っている方がいたら是非教えていただきたいものです。おっと、話をツィメルマンに戻すと、彼はへたをするとハラシェヴィッチの二の舞にならなければいいが、と思っていました。

 果たして彼はそうはなりませんでした。それほど間をおかずに、ツィメルマンは、ミケランジェリかリヒテルかという境地を我々に聴かせてくれるようになり、現在に至っていることは周知の通りです。

 さて、関本昌平の演奏にしたツィメルマンのコメントですが、まず序奏である最初の4小節、特に最初の数個の音符にこだわりました。要は「最初の音符を弾くときのあり方は、小さな音楽を演奏し始めるときと大きな音楽とでは違う。ショパンのピアノソナタ第2番は大きな建造物で、あなたは今からそれを建てようとしている。最初の音はその礎だ。だからこの曲の場合、ステージに出てピアノに座り、時間をおかずに最初の音を鳴らすということは、私ならしない。最初の音は弾いたが最後、終わりまで考え直すわけには行かないので、精神を整え迷いを無くすのはその直前しかないのだ」というわけです。
 これは大変納得できるコメントです。思い返すと私も、「あ、始めちゃった。最後まで弾かなきゃ」に近い始め方をしたことが結構あるように思います。私ごとき修行の足りない者には実に有益なコメントでした。
 ツィメルマンにそう言われると、関本の演奏全体は非常に立派な建造物だったので、そこに通ずる入り口の門の構えももう少し厳かでもよかったかもと思えます。

 次いでしたコメントは第一主題について。ショパンとしてはめずらしく息を短く咳き込むようなぶつ切りの主題なので、ここは休符が大事だと言います。休符の意義を認識するためには、休符の代わりにわざと何かの音を入れて弾く実験が有益と。こんな難曲でこれをその場でやってみせるわけには行かないので、ピンと来なかったものの、後でやってみようという気にはなりました。

 第二主題のディナーミクの付け方もとても納得が行きました。第二主題はAs-F-Ges-F-Esという旋律ですが、関本は最初のAs-F-Gesを大変良く歌い、残るF-Esを消え入るように弾きました。これも味がありますが、ツィメルマン氏曰く「この旋律の重要な動線は2番目と3番目の音よりそれを抜かしたAs-(F-Ges)-F-Esなのです。だから最後の二つの音は、もちろんディミヌエンドなんですが、しっかり弾かなければなりません」

 関本は主題提示部の繰り返しをしませんでしたが、ツィメルマンは「私は繰り返しなしには生きて行けないから、して欲しかった。そして、するなら全く同じことを繰り返すのではなく」と言いました。これは私も同感です。関本は特に言い訳をしませんでしたが、もしかすると、リサイタルでなくレッスンなのだから時間の都合を言われていたのかもわかりません。

 展開部は、関本の演奏は細部漏らさずミクロの構造を明らかにする演奏で「ここはもっとマクロに構造を掴む演奏も考えられますよ」というようなことを言っていました。これはあまりよくはわかりませんでした。ここまで有名な曲だと、こちらも構造が分かっていて聴くので、今のはミクロ過ぎた、と気になることもありません。関本の弾く展開部は私は大変好きな演奏でした。

 再現部のコメントはまた納得。周知のようにショパンは再現部で第一主題を省略して第二主題から突入することが多いのですが、この曲もそうです。ここで関本は主題提示部と同じように極めて美しく柔和に演奏しました。これはこれで「ああ、またあの美しい主題ですね」と、味があります。しかしツィメルマンは「提示部を終えかつまた展開部でいろんなことがあった後なので、再現部の主題提示はそれを踏まえたものがよい」と言いました。これも全く納得です。やはり、熱くなっているのですから、一回目の「これが第二主題だよ」という教育的な歌い方よりは、興奮を隠しているかのような白熱感が欲しい感じもあります。ショパンも一回目より長6度も上げていますし、ここはtriumphantな凱旋的再現でもいいのでは?という気もします。

 ここまでですら予定時間を遙かに上回って第2楽章以下はすっ飛ばしたツィメルマンでした。そこのところもゆっくり聴きたいと思いました。後半の講演会がまた興味深いものでしたが、それもまた後日。
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ツィメルマン

2006-05-05 22:52:09 | コンサート・CD案内
公開講座を聴きに行きました。開演15分前に新宿文化センター着きましたが、大ホールの1階は満席で2階しか空いていませんでした。それもほどなく満席。カップルの多い普通のコンサートと違い、ピアノを勉強しているとおぼしき女性が圧倒的多数。この人達は一斉に楽譜を取り出しメモを取ったりしていました。あとは普通通り一般の音楽ファンと思われる老若男女が連れをなしていました。もう一つ特徴的だったのは、連れもなく単独で真剣な顔つきの青年壮年中年男がチラホラいたこと。このがさつな男達はきっと私と同じピアノヲタク達と思われます。

 ステージに現れたツィメルマンは、私服でした。ああ、彼も我々と同じ人間なんだ、という感じがしました。ところでよく見ると、ノーネクタイのジャケットスーツにリュックサックを背負っています。これって誰かさんの通勤スタイルと同じではないか。リュックには何が入っているのかと思いきや、後半のステージでやおら取り出したのはPowerBookと白い電源! そこまで誰かさんと同じか!と感激しました。

 さて、公開レッスンやNHKのピアノレッスン番組などで理想的な展開は何でしょう? まず生徒(モデルピアニスト)が一曲を通してミスもない素晴らしい演奏をします。しかし何かもっと良い演奏があると感じられます。でも具体的にどこがどうしっくり来ないのかわかりません。そこでマエストロ先生のレッスンとなり、今度は途中で遮っていろいろ指導を始めます。それを聴いて、なるほど、そこをそう改善すればいいのか。全体の構成もそうすればいいのか。目から鱗! という展開が理想的です。

 そのためには、もちろんアルゲリッチのようなピアニストをモデルピアニストに持ってくるわけにはいきません。それではレッスンが成り立ちません。NHK番組の生徒さん達は、この目的に合致する生徒さん達をうまく選んでいると思います。

 今回のモデルピアニストが関本昌平と聞いて、どのくらいレッスンとして成り立つのか、私は少し不安がありました。彼のピアノはまだ聴いたことはなかったのですが、ショパンコンクール第4位というのは、場合によっては1位の人より将来性があることは歴史の証明済みだからです。

 その予感は半分は当たったような気がします。初めにショパンのピアノソナタ第2番を通して弾きましたが、それは見事な、素晴らしいものでした。このまま彼の演奏が続いて2時間のリサイタルになったとしても、8,000円払ったことに不満は覚えなかっただろうと思われるほどでした。
 ツィメルマンもしきりに「彼が完璧な演奏をして何もコメントすることがないという、レッスンとして最悪のことになったらどうする、とスタッフと話しましたが、まさにそれが起きたようです」とか「これから言うことはそういう別の解釈もあり得るという話です」などと言っていました。

 そう言いながらもツィメルマンのしたコメントは大変興味深いものでした。それについては、ちょっと長くなりましたのでまた後日続きを書きます。

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