詠里庵ぶろぐ

詠里庵

ロシア音楽ついで

2007-09-27 07:55:33 | 日々のこと(音楽)
ということで、少し話題を。まずはケンブリッジに有名な楽譜屋があると教わって行ったBrian Jordan。アカデミアの前の店舗のような風情でした→写真。コナンに出てくる執事のようなピシッとした老紳士がオーナーのようでした。ロシアでない話題から入りますが、いろいろ買った中の一つが、以前紹介したJim Samson編集になるPeter版のショパンCritical Editionの第2弾「Ballade」。うん、この調子なら生きている間に全部出してもらえるかも知れない。日本でもすぐ買えるだろうから何もここで買う必要はないのですが、大した荷物にもならないので記念に買いました。日本との値段比較もしたかったし。

若い学生が入って来て、リゲティのチェンバロ曲を買っていました。それ弾くの?音楽専攻なの?と訊くと、yes、これいい曲ですよねと言う。リゲティのエチュードなんか弾く?と訊くと「僕はチェンバロだからピアノとは弾き方が違う。あなたは弾くの?」と訊いて来たから、あれは難しいと言うと、そうですよね、とsmile。Nice meeting youと言って立ち去りました。

古今の管弦楽曲索引本に興味を惹かれました。一曲あたり数cmくらいの欄に楽器編成や入手可能音源などのデータがそっけなく書いてあります。よほど買おうかと思いましたが、あまり分厚いのでやめておきました。残念なことに日本人は武満くらいしか出ていないようでした。矢代は?黛は?西村は? 聴いてくださいよぉ。

管弦楽スコアのコーナーでは全音楽譜のプロコフィエフとハチャトゥリアンが置いてありました。あ、やっとロシア音楽の話題ですね。さっきの老英国紳士オーナーに何で日本の出版社を置いてあるのですかと訊くと「安いんです、純粋にeconomyの問題です」と言う。なぜ安いんですか?と訊くと、さあそれはわからないと言います。その楽譜、日本の大御所でハチャトゥリアンの弟子だった人が解説書いているから、そういうコネで版権安く買ったんでしょうかね、と言ってみたら「えっそうなんですか、それは可能性ありますね、ちょっと気にかけておきます」とのこと。
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イギリスでベレゾフスキー

2007-09-15 02:05:11 | コンサート・CD案内
の演奏を聴きました。ソロでなく室内楽ですが、ぜひ生で聴きたい人の一人でした。Dmitri Makhtin(1975生)のバイオリン、Boris Berezovsky(1969生)のピアノ、Alexander Kniazev(1989Moskow Conservatory卒)というロシア人ばかりのトリオです。

1990年のチャイコフスキーコンクールで優勝したときのベレゾフスキー、テレビで見た演奏は鮮烈でした。どんな曲も完璧。迫力ある音量で圧倒するかと思えば「鬼火」を目にもとまらぬ速さで均質なppで弾きます。目が隠れてしまう長髪からのぞく口元はクールなスマイル。不可能という文字を知らなさそうな青年。その後出たショパンエチュードのCDはさぞテクニック全開だろうと思って買ったら、意外に詩的な演奏。

Wigmore Hallは1階だけで500人ほど収容する19世紀風のシックなホール。ここで演奏した人の写真が廊下やロビーに飾ってありますが、ピアノではチェルカスキーやハフ、バイオリンはジョシュア・ベル、チェロはイッサーリスの写真がありました。イッサーリス知らないところでしたが田中さんに教えてもらっておいてよかった。ホールは2階を含めほぼ満席。オーケストラはとても乗っからない小ぶりのステージにスタインウェイのフルコンが蓋全開でドーンと置いてあります。半開でなくて音量バランス大丈夫なんでしょうか。

さて現れた三人、ベレゾフスキーを中央に山の字で挨拶。ベレゾフスキーは比較的短髪で今回は目元までハッキリ見えましたが、ペライアをハンサムにしたような顔立ち。口元だけでなく目鼻も動員したスマイルは一層自信に満ち、凛々しい立ち姿もスーパーマンのようです。ベレゾフスキーがそばに立つと小柄に見えてしまうバイオリニストは一番若く真面目そうな青年。武田鉄矢を彷彿とさせる人生経験豊富そうなチェリストは髪型顔立ちがイッサーリス風。

やがて始まった第一曲目はラフマニノフ17才の作曲になるOp.posthの単一楽章ピアノトリオ「エレジー」ト短調。「偉大な芸術家の思い出」を思わせる冒頭からラフマニノフらしいねっとりした旋律。一般的には習作に分類されるでしょうが、そうとは思えない多量の音符と完成度。この三人、みな音量豊富で、熱演ぶりもイッサーリストリオ風。バイオリニストとチェリストは初めて知る名ですが、蓋全開ピアノのベレゾフスキーでもかき消すことのない充実した音量。オーケストラのような豊饒な響きを作っていました。

それにしても日本より演奏中に咳をする人が多いですね。真後ろの人など肝心のppのところで大きな咳をしたあと、あわててクシャクシャと何かノド飴のようなものを取り出してカプっと口に含む音まで立てる始末。日本の聴衆より年齢分布が高齢まで層が厚いこともあるのかもしれません。こんな中でもものともせず集中度の高い演奏を聴かせる三人はさすがです。まあ咳だけでなく、演奏後の拍手も日本より激しいですね。

 続く2曲目はショスタコーヴィチの傑作、1944年完成になるピアノトリオ第2番ホ短調Op.67。これは今夕の白眉、信じられない名演、最高の集中度。同じショスタコーヴィチの交響曲のように深い世界。第1、2、3楽章についてはそれぞれ第5交響曲と雰囲気が似たテンポ・曲想ですが、さらに一般受けを無視したようなショスタコーヴィチ独自の世界に浸っています。第4楽章に至っては勝利・歓喜とは真反対の狂気と絶望。プログラムによるとユーモラスに聞こえる部分はホロコーストを前にダンスをさせられたユダヤ人達のダンスとあるが、そうかもしれない。そうでなくとも、一貫して悲劇性に満ちた音楽の裏返し部分です。この曲では、鬼火スラスラとは違ったベレゾフスキーを見ました。そして彼にひけをとらず対峙・協奏するバイオリンもチェロも素晴らしかった。この人たちのことをなぜ知らなかったのだろう。
 依然としてちらほら聞こえる客席の咳の度にいだいた聴衆の理解に対する一抹の不安は、消え入るような曲の終了とともに吹き飛びました。私も手が痛くなるほどの頭上拍手を止めることができなかったのですが、ふと気がつくと回りも拍手の嵐。まだコンサート終わっていないのに演奏者は何回も出て来てそれに応えなければなりませんでした。ベレゾフスキーは例によって自信に満ちたスマイル、チェリストは宙を見て満足顔、バイオリニストは、そんなにいいと思われたんだというようなびっくりした顔で客席を見回していました。そうですよね。咳は体調上止められなかっただけで、この最高の曲と最高の演奏に飽きたはずはないですよね。

 休憩の後はラフマニノフ20才の作品になるピアノトリオ「エレジー」ニ短調Op.9「偉大な芸術家の思い出」のはずでした。この曲はチャイコフスキーがルビンシュタインに対してしたのと同じことをラフマニノフがチャイコフスキーに対してしたわけです。ショスタコーヴィチのトリオも実は友人へのオマージュです。さてステージに現れた三人。と、ベレゾフスキーが突如「Ladies and gentlemen」と流暢な英語で切り出しました。さてはこの人も青柳さんのようにコンサートで話すのが好きなのかと思ったら、そうではありませんでした。「我々三人もロシア人ですが、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチならチャイコフスキーですよね、彼の『偉大な芸術家の思い出』に変更します」と言ってピアノの前に座りました。ラッキー!と同時にラフマニノフも聴きたかったなぁと少し複雑な気持ち。
 さてこれがまためくるめく名演奏でした。この曲、長いですよね。音符の量が多く、パターンの繰り返しがしつこいですよね。途中で満腹になってもかまわず音符が押し寄せてきますよね。しかしです。飽食をもてあますことなく、充実のうちにこの長い曲があっという間に過ぎてしまったのです。
 またダイナミックレンジの広いこと。それ以上弱く弾いたら音が途切れるでしょうというほどの弱音から強音までオーケストラのような色彩感でした。しかもどんな強音でも深く、柔らかいのです。いやあピアノトリオというのはどの作曲家も力を入れて作るものですね。ベートーヴェン、シューベルト以来の伝統でしょう。
 結局3曲とも消え入るように終わる曲ばかりとなりました。いいですねえ、間髪を入れず拍手というのでなく、最後の音が消え無音の間が絶妙の時間続いてから拍手が噴出する。この絶妙の間を紡ぐ聴衆も演奏に参加したようなものです。結局アンコールはありませんでしたが、室内楽はまあそういうものでしょう。しかし聴衆の反応はさすがだと思いました。この割れんばかりの拍手、曲によって雰囲気が違います。チャイコフスキーのときは共感的、ショスタコーヴィチのときの方は驚嘆的な拍手でした。

ベレゾフスキー、やはりただものではない。今回改めて凄いと思ったのは、ショパンエチュードのCDで多少予感はあったものの、単なる技巧派ではなく、音色がきれいで、柔らかく、深く、繊細だという点です。こんなに音量のある人がピアニシモも繊細に弾けるなんて、ずるい。「やっぱりピアニシモは大味だね」という面を残していて欲しい、などとは言いませんが。
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海外出張中

2007-09-13 00:32:50 | 日々のこと(一般)
は自然に入って来る以上に日本のニュースを得ようとしません。その方が帰国したとき面白いし、客観的に見られるような気がするからです。しかし帰って来て驚きました。国政無茶苦茶になっていますね。客観的も何も、よくわかりません。

ところで勝手知ったるイギリスのつもりでしたが、こんな国だったかなぁと思ったことをいくつか。

物価が高い。前から安いわけではなかったのですが、今回は非常に高く感じました。ロンドン地下鉄の初乗り(一駅でも)が4ポンド=千円近い。これでは駅三つ乗るくらいなら歩きます。レストランも高い。WAGAMAMAのRamenで節約食事のつもりが約1,700円。ラーメン自体は結構いけましたが。さらに節約のつもりのハンバーガーも(マクドナルドよりはおいしい店でしたが)約1,000円。安上がりのはずのものでこんな調子ですから、普通にレストランに入ったらどうなるか推して知るべし。ポンドが強いのか円が弱いのか。いや他の外国人も言っていたから物価そのものが高いのでしょう。

食べ物が不味くない。まあ先入観がたたき込まれていたこともありますが、上記節約食事を含め結構OKでした。知人言うには本格料理人でも若い人ほど腕が上がっているのだそうです。大学の学食ランチがそこそこ良かった、と言ったら信じられますか? (その学食はホーキングも食べに来るらしいのですが、残念なことに来ませんでした。)

天気がいい。ロンドンとケンブリッジで10日間でしたが、毎日晴れ。さては地球の気象変動か、と思ったらこれは間違い。「あなたが来る前の夏中雨か曇りでmiserableだった」とのこと。私は以前から晴れ男の傾向が若干ありますが。

最後におまけを一つ。ある日の夕食後たまたまビッグベンが見えましたが、4面ある時計のうちそこから見えた2面が違う時刻を指しています。現地人の仕事仲間が興奮して「あんなことはありえない。写真を撮れ。貴重だぞ」というので、ワケわからぬまま録りました。暗いですが、クリック拡大すれば見えるでしょう。
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Royal Society

2007-09-06 11:14:40 | サイエンス
つまりイギリス王立協会主催のとある会議に出ました。これで今回のイギリス出張の第一ミッション完了。ついでに第二ミッションも済ませ、あと二仕事です。近代ビルとは違う味わいのある建物の王立協会、ワトソン・クリックをはじめ錚々たる面々の肖像があったり、往き来の邪魔にならない程度に常設展示があるのですが、これがなかなか。写真はプリンキピアの自筆原稿本。作曲家の自筆原稿も感動しますが、これも身震いものですね。開いてあるページだけでは式の意味ははっきりとはわかりませんが、微分の定義式のようにも見えます。よく知られているように微分はニュートンとライプニッツによって独立に発見されましたが、現代の微分の書き方はライプニッツ流です。

Royal SocietyのFellowという人を何人か知っていますが、それになって何かいいことあるのかと訊くと、「全然。高い会費とられるばかり」と言ってから「そうそう、ここの宿泊施設が使えるんだ。これはオペラ観劇で遅くなったとき泊まれるから便利」だそうな。もう一人はロンドン在住なので全くいいことないですねと訊くと「いやここの駐車場が使えるんだ」ということ。うーん、ささやかな特典ですね。元とれていなさそうです。
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韓国・沖縄

2007-09-02 10:33:02 | 日々のこと(一般)
に続けて英国出張に行く空港の待ち時間に書いています。ソウルは44時間、沖縄は50時間の滞在で、ただ役をこなしてきただけの旅です。特にソウルは特段の見聞はありませんでした。ソウルのラッシュアワー時は大渋滞を覚悟しましょう、とか、空港(仁川:インチョン)のチェックインは大混雑なので早めに行きましょう、という程度でしょうか。仁川に限らず最近どこも国際空港は混んでますね。

ところで仁川空港周辺に広がる干潟の不思議な光景、何なのでしょう? 舟も使い物にならないし貝や海苔も取れなさそうです。少し海面が下がれば大工業地帯でもできそうですが、温暖化で海面は上がる方向でしょう。成立過程について専門家に訊いてみたいような、あまり見慣れない地形でした。

沖縄の方は少し見聞がありました。今回は用が済んだ帰り空港で3時間ほど余暇ができたのです。そこで行ったのが「平和記念公園」と「ひめゆりの塔」。運転手がガイドを兼ねた貸し切りタクシーで前払い約8,000円。内容を考えると決して高くない見聞でした。

沖縄には木造住宅がほとんどありません。白っぽく明るい外壁塗装のコンクリートの家ばかり。大理石の階段も見かけ、ギリシアを思い出しました。多分ギリシアほどでないにしても建築向きの木が少ないのでしょう。白っぽいのは日光の輻射熱を反射するためでしょう。

真夏の沖縄は暑いと思うでしょうが、大阪の方が気温は高い。かえって避暑になったと言っても過言ではありません。ガイドによれば気温33度を超えることはほとんどないそうです。しかし・・・
日差しが強い。刺すような輻射をまともに受けると、目だけでなく体の中から「まぶしい!」と息絶え絶え。そのかわり日陰に入ればOKです。舗装道路などは照り返しでフライパンの中を歩いているようです。

途中車窓から地面の異様な盛り上がりがいくつも見えました。あれは何ですか?と訊くと軍のオイルタンクだそうな。ははあ上から爆撃しようとしても何だか判らないようにしてあるわけですね。なんてこと書いてしまったら機密漏洩か? しかしタクシーさんも知っているくらいですし、知ったところでやはり上から見たらわからないでしょう。

タクシーさんの話によれば、戦前50万人だった沖縄の人口は今では3倍の150万人。暮らし向きも「見て下さい。立派なコンクリートの家だらけ。道路は車だらけ。豊かになりました」ということ。彼によれば本来150万人も養える島ではないのにそれが可能なのは、アメリカ統治時代は米軍の仕事の口が、返還後は日本政府の支援が安定してあったことによるそうな。特にアメリカは米軍に役立つ以外のインフラ整備は全くしなかった(当たり前)が日本になってから道路など完全に整備されたとのこと。アメリカと日本には感謝に堪えないとのこと。何か普通聞く話と違う感じもしますが、とにかくタクシーさんはそう言っていました。

さて目的の平和記念公園とひめゆりの塔ですが、これはなまじっかの言葉で書く感想を超えるもののように思います。テレビなどで紹介されることはありますが、実際に見るとやはり違います。単にモニュメントがあるだけでなく、資料が充実しています。非常なる印象の残る場所でした。機会があったらぜひ行ってください。
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