詠里庵ぶろぐ

詠里庵

今週の一曲

2006-04-30 22:30:33 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック

先週の一曲はショパン「24の前奏曲集」から第11曲ロ長調でした。1989年のライブ録音。例のコルトーとのイメージ比較ですが、

   私   :「小さな幸せ」
   コルトー:「乙女の願い」

まあ、かけ離れてはいません。違うとドキッとしますが、似ていると安心します。安心する必要もないと思いますが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25日ブログ

2006-04-29 21:54:59 | 日々のこと(一般)
のド根性大根の正体はノゲシ(ハルノノゲシ)と結論しました。タンポポみたいに綿帽子ができるらしいですが、数日見ないうちに綿帽子は飛んで行ったようです。またあちこちに根付くといいのですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立循環器病センター

2006-04-28 06:43:00 | 日々のこと(一般)
の研究で納豆の効用が見つかったというニュースをいまやっていました。普段納豆を食べない人大勢に一ヶ月間毎日納豆を食べてもらったら、コレステロール値が有意に下がったということです。

これって、無理矢理納豆を食べさせられて食欲が下がっただけではないのでしょうね?
むしろ毎日納豆を食べている人に納豆を絶食してもらって、コレステロール値が上がるか調べる方がまだいいかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オケの音

2006-04-27 07:17:58 | コンサート・CD案内
というものはどのように作られるのでしょう? あまり多いとはいえない私のこれまでの経験の中で一番美しいと思ったのはサル・プレイエルでパリ管の出す音でした。ドイツ系の音楽のコンサートでしたが、それは絶妙な音と演奏でした。名手を集めて来ただけでオケの音が一朝一夕に磨かれるはずはありません。セクション毎のトレーニングや全奏の積み重ね、それに指揮者との相互作用で形成されるのでしょう。音が熟成され、個性が出てくるのにいったい何年、何十年かかるのやら。

 先日の日本フィルの演奏会、日本フィルの音の美しさに参りました。真ん中よりわずかに左寄りの前から5番目に座ったのですが、こんなにオケに近かったのに、「うるささ」が全くのゼロ。低音の圧迫感や高音の耳をつんざく感じがゼロ。要するに物理的音波が寄せて来る感覚がゼロで、概念としての音が直接形成される感じなのです。それでいて大迫力。不思議な体験です。一体何デシベルの音量で私に届いていたのか、是非とも騒音計で測ってみたかった。恐らく最強の場面ではデシベル値自体は相当大きかったと思います。それなのに聴く者の体をスーッと通り抜けるような、「本当にいま音が鳴ってるの?音楽はそこにあるけど」という感じでした。夢見心地という表現はこの音のためにあるのでしょう。
 アンサンブルというレベルでなく、概念としての音が一つでした。何十人の演奏家の集団というのではなく、統一感のある有機体としての巨大な一つの楽器だったのです。それはバイオリンもあればラッパもマリンバもありシンバルもあるという、異質な音の集合であるはずなのですが、あたかも細胞の集合が全く異なる機能の器官のつながりになって一つの人間の個体が形成されているように。これらのことは、科学がどんなに発達しても、明快に分析するのは至難でしょう。
 それほどコンサート経験豊富というわけではありませんが、私は何となく「アメリカもイギリスも日本もオケの演奏技術は最高だけれど、音の熟成感と音楽の薫り高さは大陸ヨーロッパに一歩譲るなあ」と思っていました。でも、この日の東京芸術劇場の日本フィルは、サル・プレイエルのパリ管に近いものがありました。

 さて指揮者の沼尻にあまり触れませんでしたが、すばらしい音楽を形作っていたことは確かです。最初から最後まで水が流れるような自然な音楽でした。協奏曲でのソリストとの息合わせも丁寧でかつ自然でした。
 一回のコンサートだけで、その演奏結果に指揮者がどのくらい関与しているかについてさらに詳細なことが書けるためには、私はもう少しコンサートに通わなければなりません。これは渡邉曉雄指揮日本フィルのCDを聴いての推測ですが、フィンランドの血の混じった渡邉曉雄がシベリウスの演奏に熱心だったことが、オケの音を長年かけてこのようなものにしたのではないか? ザラつきのない、一枚のビロードのような弦セクション。つややかな金管の迫力。一つのオルガンのような木管セクション。日本フィルを育てた立役者の一人は彼というイメージが私の中にあります。だから、23日の演奏のどの部分が日本フィルの特徴でどの部分が沼尻の貢献だとかいう聴き方は、一日だけでなくロングスパンで沼尻/日本フィルをナマで聴かないとできないわけです。(今は無理ですが、そのうち、ね)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ど根性大根

2006-04-25 07:09:28 | 日々のこと(一般)
のようなものがベランダに発生して半年、水やりも何もせず放って来たのですが、大きくなって、ついに花が咲きました→写真。大根ではなさそうですが、すごいものです。コンクリートの上に根が浮いてますが、どこから栄養摂っているのでしょう。降り込む雨水か、大気からしかないでしょう。それでこんな花を咲かせたとは、たくましくもあり、健気でもあります。何という名前の草花でしょう? 画像を入力して草の名などをサーチする検索技術は未来を待ちましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日、日本フィル

2006-04-23 19:03:27 | コンサート・CD案内
第159回サンデーコンサートに行きました。

<指揮>沼尻竜典[日本フィル正指揮者]
<ピアノ>金子一朗[第29回ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ、日本フィル賞]

曲目:
小山清茂:管弦楽のための《木挽歌》
ラヴェル:ピアノ協奏曲
ドヴォルジャーク:序曲《謝肉祭》
レスピーギ:交響詩《ローマの祭》

まず、管弦楽のための《木挽歌》。和製オーケストラ曲としては古典的スタンダードな曲で、弦楽によるノコギリの描写や日本民謡に基づく旋律やリズムに特徴があります。この曲、日本フィルが初演しただけあり、今日の演奏も迫力があって感動的でした。後日書きますが日本フィルの音はすばらしく美しい。この曲は土臭い民俗性が魅力ですが、それには音が美しすぎたかもしれません。でも、この曲の違った面をまた見いだしたような気もします。つまりフランス管弦楽のような洗練さも含んでいるんだと。

ところで演奏が終わったあと指揮者が客席の作曲者を指し示し、拍手を向けました。これには驚きました。そうすること自体は普通なのですが、私は(大変失礼ながら)小山清茂がご存命だとは思っていなかったのです。昔買ったスコアには(1914年~ )と書いてありますが、今年92才。昨年91才で亡くなった伊福部昭と同世代です。とりまきに支えられていましたが手を振って元気そうでした。

次はラヴェルのピアノ協奏曲。金子一朗さんのピアノを聴くのが今日の主な目的だったのですが、始まる前、私の背後のおばさん達がプログラムを見ているのでしょう。「あら早稲田出の数学の先生ですって。プロじゃないのね。オーケストラはプロなのにいいのかしらねえ」とか言っています。振り向いて「その考えは間違っていますよ」とはやりませんでしたが、金子さん、彼女らの鼻をあかしてやりましょう。ソロリサイタルのときは静けさの中に情感と深淵さを浮き上がらせる演奏でしたが、それとはまた違って、オーケストラに対峙するコンチェルトの華やかさをよく表現した演奏でした。私が好きだった部分は2楽章冒頭の歌うソロ。音符は少ない部分ですが、ラベルが「2小節書き進めるのに僕がどのくらい苦労したか知ってますか」と言っただけある美しい旋律を見事に歌っていました。最後の長いトリルも均質で消え入りとてもいい感じ。そして魔の第3楽章。金子さんには魔ではないかもしれませんが、私も一応全楽章遊びで通したことがあるので、この楽章が鮮やかに弾かれると感心してしまいます。終わったら割れるような拍手の中で、お辞儀だけはベテランのプロに比べると堂に入っていないところがまたいい感じでした。例のおばさん達が背後でまた何か会話しています。耳をそばだてましたが、残念ながら拍手に埋もれて聞き取れませんでした。

ドボルザークの「序曲:謝肉祭」は作品番号91で、あと数年で作品95の「新世界」を生むというときの作曲です。冒頭からしてチェコの舞踊音楽の華々しさが炸裂します。ドボルザークの楽譜は次のレスピーギなど近代の管弦楽曲に比べると簡明だし、段数も少ないのに、音楽はぶ厚いサウンドで迫ります。よほどオーケストレーションが上手いのでしょう。特にシンバルと大太鼓が加わる序曲は大迫力の音楽。

最後は「ローマの祭」。昔はレスピーギを「中身のない職人芸」などという評があり、最近レスピーギ自身あまり流行らないようですが、どうしてどうして、私はイタリアのラベルとでも言いたい気がします。この曲、ご存じローマ三部作の最後の曲です。大好きなのですが、ナマで聴くのは2回目。1回目は学生時代、なんと大学オケで聴きました。この曲を大学オケでとりあげるとはすごい意欲ですが、そのとき初めてこの曲を聴いて、どんな音楽か隅々まできちんと理解できたので、相当上手な演奏だったと思います。今日の日本フィルはそれよりはるかに立派な(あたりまえ!)第一級の演奏でした。部分的に「もっとねばってよ」とか思うこともありましたが、あらためてこの曲はやはり傑作だと認識を強めました。音楽的にもオーケストレーション的にも爛熟した素晴らしい曲です。松もほとんど同じくらい大傑作だと思いますが、どちらか決めろと言われたら、私は祭に軍配を上げます。

ところで曲や演奏以外にも言いたいことがあります。それはまた後日にしましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たまにはCD評

2006-04-22 08:43:07 | コンサート・CD案内
を一つ。1月の青柳いづみこリサイタルのロビーで買ったものです。彼女のCDは少なからず持っているので、普段自分が買わなそうな「やさしい訴え ~ラモー作品集~」というCDを買ってみました。バッハと同世代のフランスの作曲家といえばラモー、クープラン、ダカンですが、バッハの陰にかくれて目立ちません。バッハの器楽曲は「トッカータとフーガニ短調」「無伴奏バイオリンソナタ」など標題を持たない絶対音楽ばかりですが、フランスの作曲家達は下の曲目を見てもわかるように標題音楽が多く、それもサティーばりの奇想天外な標題をつけています。私もいくつかの曲を知っていますが、どれがラモーでどれがクープランかなといった程度の浅い入れ込みでした。いくらドビュッシーの「ラモー讃」やラベルの「クープランの墓」があっても、やはり大バッハの存在が大きすぎますからね。

今回もたまには普段聴かない軽いものでも聴いてみようかというノリでカーステレオで聴いてみたのですが、これがけっこういけるのです。それも繰り返し聴いていると段々味が出て来ます。軽い音楽というわけではありませんね。集中して聴くとよく考えられた鋭い演奏でありながら、あっさりBGM的に聴いても引っかかりが何もない、自然な演奏です。クラブサンで聴くことも多い曲ですが、このCDでは1887年スタインウェイが使われています。古さは全く感じなく、美しい音です。思いがけなく愛聴盤になってしまいました。

作曲する立場から曲についても書きたいことがいろいろありますが、ここではひとことだけ。「異名同音」は非常に進歩的な、面白い曲です。

曲目:
「クラヴサン曲集」(1724)より 鳥のさえずり ロンドー形式のミュゼット タンブーラン 田舎風 やさしい訴え 喜び 気粉れ ミューズたちの対話 ひとつ目巨人たち

「新クラヴサン曲集」(ca1728)より ガヴォット ガヴォットのドゥーブル メヌエット めんどり 異名同音 エジプト女たち

「コンセールによるクラヴサン組曲」より5曲(1741) リヴリ 挑発的 内気 無遠慮

「王太子妃」(1747)

発売元:コジマ録音
レーベル:ALM RECORDS
価格:税込価格¥2,940
CD番号:ALCD-7098
録音:2005年6月7日~9日
使用楽器:1887年製スタンウェイ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大島ミチル

2006-04-20 07:43:17 | 日々のこと(音楽)
という作曲家知ってますか? NHKの主題曲を多く手がけています。つい先日の新聞に小随筆を書いていましたが、世界各国に行ってニュース番組を見ると、そのテーマ音楽にお国柄・国民の気質が現れていて面白い、ということでした。その内容は繰り返しませんが、なるほどと思える視点でした。今度出張があったらもっとその点に注意しようと思った次第でした。そもそも、同じドキュメンタリーでもバックに暗い音楽を流すか軽快な音楽にするかでイメージは全く違ってきます。

映像と音響の関係は、考えると面白いものがあります。話は飛びますが、アメリカはスミソニアンの博物館を訪れたときのこと、「アインシュタインプラネタリウム」というのがあって、これは楽しめました。特に惑星に接近するときの映像(特撮です)が美しく、迫力がありました。目の前を通り過ぎる土星や海王星。神々しさを表すようなゴォーッという音が近づいては遠ざかります。次々迫って通過する惑星の圧倒的な迫力。

でもなんか変ですね。だいたい実際に宇宙旅行をしたら全く無音のうちに星は近づき遠ざかるはずです。映画スター・ウォーズなんかも同じ。冒頭、視界の後ろから前にジェダイの宇宙船がキーンと逃げ去り、それを追う帝国の巨大な宇宙艇がグォーッと地響き?を立てて我々に覆い被さります。しかしジェット機と違って宇宙空間では音なんかしないでしょうって。

こういうときに本当は音が無いからって何にも音響効果を入れなかったら、娯楽映画としてはやはりつまんないんでしょうね。2001年宇宙の旅みたいな少しサイエンティフィックな映画はその点変な音は入れていませんが。

何でも現実の音にすればいいというわけでもないですね。場面にマッチした架空の音の方がいい場合の方が多いように思います。コンピューターのエラーアラームとかメール到着の音とか。最たるものはデジカメのシャッターの音でしょうね。これなんか、音を本物のシャッターにするだけでなく、手に伝わる振動まで作りつけたらいいのではないかと思いますが。

そのうち何が本当の振動で何が人工的振動なのかわからなくなりそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝のNHK

2006-04-19 07:08:22 | 日々のこと(一般)
はメチャメチャじゃないか。音声はとぎれるし画面は切り替わらない。それもずっと頻発。カラ出張もあったし・・・先に「NHKの受信料を払うのに私は全く文句は言えないですね」と書いてしまったばかりなのに。あ、またとちってる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三丁目の夕日

2006-04-18 06:59:53 | 日々のこと(一般)
のことを懐かしさに溢れるいい映画だと書きました。(3月23日のブログ) ふるさとは遠きにありて思うもの、と同じく、過去もまたそうかもしれません。いま本当にあの時代に戻ったらいろいろ不便に感じて仕方がないかもしれません。

しかし、その禁を破って、本当にどこまで「いろいろ」不便に感じるか、考えるのも面白いと思います。というのは、先日のことですが、私が若造の方に属するようなある学会運営の会合で雑談のとき「子供の頃無かったものでいま本当にありがたいと思うものはどのくらいあるか」という話になり、実はあまりないという話になったのです。ケータイは確かに便利ですが、私なぞはしょちゅう持ち忘れます。無くても全く平気です。パソコンやインターネットは無いと困りますが、回りも使っているから今無いと困るに過ぎず、社会全体で無かった頃に戻っても私は構いません。むしろ一日メールの処理に追われるとかトラブルの処理に追われるなんてことも無くすっきりした時代でした。文字修正のための白テープ付きタイプライターと手書き数式で論文書かざるを得なかったのは不便でしたが、できないことはありません。

そのときお話した学会の重鎮達はかなり骨のある人たちで、「エアコン?いらんいらん。うちわで十分」「電気冷蔵庫?昔の氷式冷蔵庫で十分」といったつわもの達でした。これには私もなかなかついて行けないものがありますが、理解できなくもありません。私も仕事場にはエアコン不可欠ですが、家では無くても我慢できる気がします。(エアコン無い頃いろんな方法で暑さをしのいでいたのを思い出します。ただしピアノのためにはあった方がいいなあ。)皆でいろいろ挙げては「そんなもの無いなら無いでかまわんじゃないか」という話で盛り上がりました。ちなみに電話は、普及率は低かったとはいえ、子供の頃に既にあったので、この議論の対象外です。車やストーブなんかも。私よりはるかに年配の人なら電話もなければないでいいじゃないかと言う人もいるかもしれませんが。

しかし、これらの年配者達も私も「これは確かにありがたいね。これだけは子供の頃に戻れと言ってもいやだね」と意見の一致を見たものがあります。何だかわかりますか? 長くなりましたので、また後日書くことにしますが、ちなみに「三丁目の夕日」には出てきませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週の一曲

2006-04-16 09:27:55 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック

先週の一曲は作曲者不詳のancient hymn「とうとし海の星」でした。1973年の録音。もうすぐキリスト教では復活祭の時期になります。この曲も賛美歌を集めたリードオルガンのための曲集で見つけ、むしろピアノに合っているのではないかと思い、ペダリングは施しましたがそのまま弾いてみました。

イギリスで1年暮らしたとき、行った日が復活祭の真っ最中で、店がやってないだけでなく、住むところを探そうにも不動産屋もやってなくて閉口した記憶があります。イギリスの隣人達は普段それほど信心深くもなさそうな人たちですが、要所要所では宗教的活動をしています。クリスマスのときなど村の有志がいきなり戸別訪問して来て「賛美歌を歌います」と言って玄関で一曲アカペラ合唱して、隣の家に移って行きました。とてもいい雰囲気でした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢の中身

2006-04-14 23:33:35 | 日々のこと(一般)
は年を取るにつれ起きても覚えていなくなるような気がします。ところが今日ついにこんな夢を見てしまいました。携帯での会話です。

私「ものすごくおいしいベーカリーを見つけたよ。バゲット買ってみたよ」
妻「食べたーい、それ添付ファイルで送って」
私「これおいしいからファイル重くなるけど、じゃ送る」
と言いながら、紙袋ごとバゲットをパソコンに突っ込む私でした。

そんなに量子テレポーテーションを実現させたい潜在意識があるのでしょうか。3行目の発言は全く科学的でありませんが、夢はえてしてそんなもんです。それに、本当に科学的でないかどうかは、今の段階ではわかりませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オペラ観劇

2006-04-12 22:11:04 | コンサート・CD案内
の話を一つ。3月のヨーロッパ出張の折、スロヴァキアの首都ブラティスラヴァで夜時間のとれる日があったので、ホテルから歩いて3分の国立劇場でオペラを観ました。と言うと、それ本場なんですか?と思うかもしれませんが、うーん、かなりいいと思いました。他の国から何台もバスツァーが来ていたほどです。

演目はヴェルディの「仮面舞踏会」。登場人物の服装が現代的なのが印象的でした。ヴェルディの時代より明らかに現代的な服装なので、これはそういう演出なのだなとはわかりました。言葉がわからないので大体しか追えませんでしたが、歌・オケ・指揮・大道具小道具・衣裳は第一級に思えましたし、観衆もまたいでたちから振る舞いから決まっていました。見せ場やカーテンコールでの拍手も、観客に同化してできました。帰ってからインターネットで解説を探し、そこでやっと鑑賞が完結した気になりました。橋田さんの解説がわかりやすいですね。

仮面舞踏会にはストックホルム王室を舞台とするオリジナル版と、ボストンを舞台とする通常版があります。ストックホルム国王暗殺の史実に基づいたオリジナル版では、当時まだ生々しいと思われたらしく、検閲に引っかかってボストンが舞台ということになったそうです。今回の演出はオリジナルヴァージョンでした。

さて、私はまだとてもオペラ通とはいえませんが、これはかなりのものだったのではないかと思います。歌の迫力もすごいし、歌手達の力量に明らかな差がなかったのも安心して聴ける一因でした。何と言っても音楽だけ勉強した人たちでなく、表情や仕草もプロの役者という感じです。昔日本で観たオペラでは、日本人歌手と本場歌手が混在していて、歌の力量や役者としての自然さに差があるなあと思ったことがありました。本場歌手はいつ指揮者を見ているんだろうと思うくらい仕草が自然ですが、日本人歌手は要所要所でチラッと指揮者を見たりしていました。それも昔のことだから今は進歩しているかもしれませんが。

配役などは次の通りです。知らない人ばかりですが、オペラ通だと知っているのでしょうか?
Gustav III: M. Lehotsky
Renato : J. Durco
Amelia : L. Rybarska
Ulrica : D. Hamarova
Oscar : J. Bernathova
Cristiano : D. Capkovie
Horn : M. Malachovsky
Ribbing : J. Peter
Armfelt : I. Pasel
Sluha : J. Hora

Conductor : P. Selecky
Orchestra of the Slovak National Theater(SND) Opera
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週の一曲

2006-04-09 08:16:33 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック。この曲、出版された楽譜に基づいて弾いていますが、聴いたことのある人はまずいないのではないかと思います。

先週の一曲はドビュッシーのピアノ連弾用「小組曲」から「行進」でした。1975年録音の一人二重奏。調性感の明瞭な初期においてドビュッシーはどちらかというと長調を好み、夢見るような曲や軽快な曲を作っています。短調の曲も悲しくてしかたがないというよりは、一応短調で書かれた印象派風の曲ばかりです。この曲は初期ドビュッシーの長調特有の明るさに溢れています。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日、松坂牛

2006-04-08 20:50:11 | ぐるめ
を食べました! 家族ですき焼きにして。実にソフトで、くせがなく、さっぱりして、こくがあって、さすがと思いました。

実は年賀状のお年玉くじで3等が当たり「ふるさと宅急便」が送られて来たのです。結婚以来最下賞の記念切手しか当たったことがなかったのに、こんなことは今年初めてです。年賀状の枚数からすると、確率論は本当に正しいのかと思うほど毎年わずかの記念切手しか当たらずに来ましたが、今年晴れて納得しました。誰からの賀状が当たったかって? 食べたらもう忘れました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする