でした。いつも数ヶ月前に申し込むのですが、そのときは「よし当日までは摂生しよう」と思って申し込みます。しかし忙しくしていると忘れ、「しまった、もうあしたか」となります。かくして人間ドックは正しい抜き打ち検査となります。
ところで申し込むときどの日にするか、少し考え込みます。この場合一つの指針があるので、私の経験をお話しましょう。昔、職場で大きな公開イベントを来週に控えているというときに、それを仕切っていた上司が人間ドックに入りました。イベントを控え、念には念を入れスッキリして臨もうというわけです。そうしたら、その人は何の自覚症状もなかったのですが何か致死性の内臓破裂寸前ということがわかり、そのまま帰宅も許されず数ヶ月入院となりました。そのために回りがどんなに大変な思いをしたか、想像に難くないでしょう。その上司は助かりましたが「大変でしたねえ」という同情の声はなく「なぜあんなときに人間ドックに行ったんだ。イベントの後にすればいいものを」という声しきり。
つまり大事な行事の後にせよという教訓です。その上司に対して皆なんて冷たいんだと思うかもしれませんが、もっと極端な例を想像すれば明らかでしょう。自分がいなければはじまらないイベントがあったとしましょう。その直前に内臓破裂で死んだら、回りは惜しんで嘆いてくれるでしょう。しかし人間ドックに行ってそのまま入院してイベントがパーになったら、非難ごうごう間違いなしです。
でも本人にとっては死ぬよりましじゃないかと思うかもしれません。ここでポイントは、「イベントの後回しにすることが命を粗末にすることにはならない」という点です。つまり(何か自覚症状が出た場合はイベントだろうが医者に行くべきですが)定期点検のたぐいは「周期を決める」ことが重要で、「周期の中のどの位相で行うか」は任意性があるわけです。毎年一回やると決め、年間の決まったイベントがあるなら、その後に設定すればいいだけです。
(この話をしたら「そうか、イベントの前に行けば正当にサボれるかもしれないんだ」と言った同僚がいました。)
ところで申し込むときどの日にするか、少し考え込みます。この場合一つの指針があるので、私の経験をお話しましょう。昔、職場で大きな公開イベントを来週に控えているというときに、それを仕切っていた上司が人間ドックに入りました。イベントを控え、念には念を入れスッキリして臨もうというわけです。そうしたら、その人は何の自覚症状もなかったのですが何か致死性の内臓破裂寸前ということがわかり、そのまま帰宅も許されず数ヶ月入院となりました。そのために回りがどんなに大変な思いをしたか、想像に難くないでしょう。その上司は助かりましたが「大変でしたねえ」という同情の声はなく「なぜあんなときに人間ドックに行ったんだ。イベントの後にすればいいものを」という声しきり。
つまり大事な行事の後にせよという教訓です。その上司に対して皆なんて冷たいんだと思うかもしれませんが、もっと極端な例を想像すれば明らかでしょう。自分がいなければはじまらないイベントがあったとしましょう。その直前に内臓破裂で死んだら、回りは惜しんで嘆いてくれるでしょう。しかし人間ドックに行ってそのまま入院してイベントがパーになったら、非難ごうごう間違いなしです。
でも本人にとっては死ぬよりましじゃないかと思うかもしれません。ここでポイントは、「イベントの後回しにすることが命を粗末にすることにはならない」という点です。つまり(何か自覚症状が出た場合はイベントだろうが医者に行くべきですが)定期点検のたぐいは「周期を決める」ことが重要で、「周期の中のどの位相で行うか」は任意性があるわけです。毎年一回やると決め、年間の決まったイベントがあるなら、その後に設定すればいいだけです。
(この話をしたら「そうか、イベントの前に行けば正当にサボれるかもしれないんだ」と言った同僚がいました。)