詠里庵ぶろぐ

詠里庵

今週の一曲

2006-10-29 08:47:56 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック

先週の一曲はプロコフィエフの「トッカータ」作品11でした。この曲、なんといってもアルゲリッチの録音が有名ですが、聴き比べないで欲しいものです。学生の頃ピアノ録音を集中的にやったあと、将来シンセサイザーを買うための商品勉強を始めていたとき、私より若い人達が大学でピアノサークルを立ち上げたのを知り、私も仲間に入れてもらいました。すばらしい友人達で付き合いはまだ続いていて、多分一生続くような気がします。

この曲は1912年、プロコフィエフが21才のときに書かれました。その頃にあって非常に先鋭的音楽と言えるでしょう。私はひそかにこの曲に「突過多」とあだ名を付けていました。
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昨夜帰宅したら

2006-10-27 07:10:06 | 日々のこと(一般)
日本シリーズの8回表を家族が見ていました。いくらプロ野球を見ない私といっても、昨日の8回からをプイと通り過ぎるほど興味がないわけではありません。観客も選手も盛り上がっていてテレビからオーラが出ています。ダルビッシュ交代のとき新庄を含めた野手3人が彫刻のようなマスゲームポーズを決めていたのが面白い。これはパフォーマンスなのか? 試合再開で日本ハムの勝利が予感される中、守りにつく新庄は早くも涙顔。8回裏稲田のホームランはソロなのに満塁みたいな盛り上がり。バッターボックスに泣きながら立つ新庄にちょっとこっちもウルッとしつつも、そんなに目をぬらしていたら三振するぞと家族で異口同音したら的中。9回表の最後の打球もあわや新庄の方へ。落としたらまずいぞと見てたら森本がキャッチ。その後はご存じの通りの胴上げシリーズ。見応えのある8回9回でした。1年分のプロ野球観戦はこれでいいやという感じでラッキーなタイミングの帰宅でした。
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部屋を整理してたら昔の

2006-10-25 04:51:41 | サイエンス
写真が出てきました。よく顔や体型が変わったので別人みたいに思われることがありますね。変わったのが顔なのか体型なのかは想像にお任せするとして、あるときそう言われて「そりゃ別人だよ。新陳代謝があるから7年も経てば体の物質はすっかり入れ替わるんだから」と言い訳したことがあります。どこで読んだか忘れましたが、7年で総入れ替えになるという説を聞いたことがあります。もちろん短時間で入れ替わる皮膚や爪もあれば時間のかかる部位もありますが。ま、こんな言い訳が成り立つなら、昔の悪事に「それをやったのは私ではない。7年前の別の物体がやったんだ」と開き直ることも出来てしまいますが。

7年で「入れ替わってしまう」というのはどうやって推定するのでしょう。「電子や同種原子が入れ替わったかどうかは、量子力学的には意味がない」などと突っぱねることはしないとして、多分若い細胞が生まれてから死滅して排泄のコンベアに載せられるまでの時間のことなのでしょう。その「時定数」をきちんと測定するにはどうするのでしょうね。たとえば炭素の同位体自然比はC12が99%でC13が1%です。で、C13でつくった栄養ドリンクばかり摂らせて体全部を同位体人間にするのに7年かかるとか、その人が逆に普通の食事で1%に戻るのに7年かかることがわかるなら誰も納得するでしょうが、そんな実験しているわけがありませんね。ちょっと生命体分野の専門家に聞いてみたいところです。

さて、7年かはともかく本当に物質がすっかり入れ替わるとすると、「私」「あなた」「彼」「彼女」のアイデンティティーは物質にあるのではなく、それが運んでいる「ソフトウェア」にあるということになるんでしょうか? 脳細胞も、脳の記憶は保ったままに何年かで入れ替わるのでしょうか?

そうだとすると「私」「あなた」「彼」「彼女」の記憶は炭素系化合物の上に乗って存在する必要はなく、シリコンや他の物質系、はたまたコンピューターやロボットのような機械の上に存在してもいいのでしょうか?  もちろん脳の記憶はコンピューターのように全て0と1で覚えるのと違うやり方だとは思いますが。

疑問のタネは尽きません。
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マウイ島

2006-10-22 16:17:50 | 日々のこと(一般)
に出張していました。またそんなところで?そうです、そんなところで会議です。でも全編有意義な会議だったので観光ゼロ・レジャーゼロの出張でした。ハワイまで行って何と甲斐性なし!の感もありますが。

 ところで今回はハワイ沖地震の影響を食らいました。といって実際起きたのはホノルルに着陸する1時間ほど前らしいので、感じたわけではありません。地震とは関係ありませんが、着く前から風が強く飛行機は揺れていました。それでも予定通り朝8時前に飛行機が降りてゲートまで行ったところで「理由はわからないがタラップが出て来ないのでドアが開けられない」とアナウンスがあったあと、「地震で全島停電。このまま待て」といいます。まんじりともせず窓の外を見ると、確かにライトのたぐいは全く点いていません。こりゃ入管のデジカメと指紋採取コンピュータが動かなければ入国できないぞと覚悟を決めたのですが、2時間近く経ってバスが来て入管に連れて行かれました。日本人参加者20名弱がかたまって移動し、予備電源がポツンポツンと点いている暗い所で写真撮影も指紋採取もなく入管通過。壁の時計を見ると7時20分で止まっていました。
 さてホノルルからマウイ島への便に乗り換えなければなりませんが、チェックインが人で溢れかえって処理は全くストップ。しばらくして「今日はマウイ島への便は全部キャンセル」。さてホノルルでホテルを探さなければなりません。20人の流浪の民でホノルルまで行ったり来たり。いっぱいで断られたり、最終的にはなんのことはない、結局元の空港近くの安ホテルに決まったのが午後3時。一日中の外回り仕事です。昼食抜きなので腹は減ったがとりあえず荷物を置いて旅の垢を落としてからというわけですが、窓からの光以外、明かりはない。お湯は?まさか?と思って恐る恐る開けると、案の定水しか出ない。でもとにかく旅と流浪の垢を落としたいので、薄暗い中の水シャワーでリフレッシュ。
 さてレストランは開いているのか?何といっても停電ですから、やってるわけがありません。電気でなく火を使う中華料理ならという噂を誰かが聞いて来て、有志の斥候部隊だけ行きましたが、やはりアウト。結局その安ホテルのレストランが開くというので行くと、蝋燭ほどの薄明かりで開店! メニューは大したものはなくハンバーガーと少々のビュッフェと飲み物ですが、一日動いた空腹と喉の渇きにはありがたい食事でした。付いてきた飲み物はというと、缶入りのコカコーラ。飲むの何年ぶりだろう?普段はアメリカン・ジャンクフードと思っていたハンバーガーとコーラがこんなにおいしいものだったとは。若手から学会の重鎮まで大勢でありがたくいただきました。
 翌日のフライトの予約が決まって皆で喜びましたが、よく考えると、行けるのはこの停電が回復すればの話。ホテルで発表準備をするつもりでしたが、パソコンの充電もできず、本当に暗くなってきたので、とりあえず寝るしかありません。寝ていると、夜中に部屋中の明かりがパッと点いて起きました。時間は夜11時半。急いでパソコン電源を繋いで発表準備にとりかかりました。とりあえず翌日にはマウイ島に着けそうです。
 翌日マウイ島に着くと、ラゲージがなかなか出て来ない。やっと全員分揃って外に出ると、今度は熱帯性スコールのような大雨。道路は数十センチほど冠水しあちこちで乗用車が動けなくなっています。幸い乗ったのはバスだったので多少の冠水でも動きましたが、水はドアまで来ています。写真はわかりにくいかもしれませんがそれを撮ったものです。ハワイで撮ってきた写真がこんなつまらないものとは。「風と地震と停電と大雨洪水と来たら、残るは火山の噴火くらいですかね」などと言いあいながらやっと会場に着きました。
 ま、今回は出張経験の中では最大のトラブルでした。といっても丸1日遅れただけなので大した話ではありませんが、記憶から去らないうちにとりあえず書き留めておいた次第です。
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今週の一曲

2006-10-15 11:42:11 | 詠里庵・新着案内
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック。1976年頃、某ピアノサークル演奏会での録音です。少々はずかしいですが青春時代の思い出です。

先週の一曲はバッハ「フランス組曲」第2番より「サラバンド」でした。1973年録音。この演奏、装飾音の入れ方が問題です。(A)拍の前に入れるか(B)拍と同時に弾き始めるか(C)その中間とするか。現在の私は(B)で演奏することが多くなっていますが、この録音は(A)で弾いています。速度も速すぎるところもあります。何十年ぶりにオープンリールテープを引っ張り出して、あの頃は装飾音をいい加減に弾いていたのだなぁと思いました。
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君はファジル・サイ

2006-10-08 00:14:27 | コンサート・CD案内
を聴いたか? というコピーをどこかで見たように思いますが、私は、ファジル・サイを見たか?と言いたいところです。もちろんCDを買って聴くのでも相当衝撃的ですが、見たらさらにすごかったというのが、コンサートでナマを見聴きして思った感想です。これほど全身全霊で音楽に没入し、聴衆をもミューズの神の世界に一緒にひきずり込むような演奏は見聴きしたことがありません。いや、よくあるような、真上を向いて瞑想して弾いていたかと思うとカッと目を見開いて鍵盤に顔面を打ちつけんばかりにガガーンとやる、などの「どっかで見た」ような入れ込み方ではないのです。比喩的に言うと、あちらの世界に行ってしまった憑依した巫女のようなところがあります。しかしおどろおどろしいのではなく、こんなに心のきれいな人はいるんだろうかと思わせるようなやさしい表情と心配そうな表情が交代し、そのため彼一人でなくこちらも一緒にミューズの世界にひっぱりこまれる思いでした。体の動きは大きく、向こうの壁を向いたりこちらを向いたり、体をひねってほとんど後ろを向いて瞑想しながらの演奏場面もありました。演奏はもちろんCDから想像されるユニークなものでしたが、視覚的スタイルと融け合って極めて個性的なものでした。個性は強すぎると合わない場合もあるものですが、彼の個性には私は共感を感じます。

曲目はモーツァルトイヤーを反映して前半が「きらきら星変奏曲」「トルコ行進曲付きソナタ」、それに「幻想曲ニ短調」のところを急遽変更してバッハの「パッサカリアとフーガハ短調」。後半がバッハ=ブゾーニのシャコンヌニ短調と熱情ソナタ。曲目変更の意図はわかりませんが、変更により演し物全部が「変奏曲」になりました。またこのパッサカリアとフーガは譜めくり人をつけて楽譜を見ての演奏でした。暗譜する前のレパートリーを披露してくれたことになり、嬉しく思いました。演奏はあまりにユニークで、細かく書くと長くなるので書きません。ぜひコンサートに行ってください。

アンコールはかの「ブラック・アース」と自身の編曲による「サマー・タイム」と「トルコ行進曲ジャズ版」という盛り沢山。カプースチンのようなすごいスピード感を随所に含む超絶技巧を披露してくれました。メインプログラムがヨーロッパものばかりで彼の故郷のトルコ物も聴きたいと思っていた矢先なので、ブラック・アースには「待ってました」という気分になりました。この人、この先もっと有名になるはずだから、そのときブラック・アースはラフマニノフにとっての「前奏曲嬰ハ短調」みたいになるかもと思いました。ラフマニノフはアンコールの最後にこの前奏曲を弾き、聴衆は「待ってました」とばかりに最初の三つの音が鳴ったところで拍手を入れたといいます。ブラック・アースも私は最初の和音のあと心の中で拍手を送りました。



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R.シュトラウスの続き

2006-10-06 23:44:11 | 日々のこと(音楽)
ですが、前にシュワルツコップについてブログで触れたこととも関係して、R.シュトラウスのナチス関与疑惑というのがあります。前に書いたように「現代の我々が当時の人のナチス関与を追及しようと思ったなら、当時自分がその状況にあるつもりほどの覚悟で考証に臨む必要があるのでは?」という感覚が私にはありますが、最近その感覚の網に引っかかった一冊の書物がありました。それは山田由美子著の「第三帝国のR.シュトラウス―音楽家の“喜劇的”闘争」という本です。

著者によるとこの本は「ユダヤ人台本家ツヴァイクとの共作喜劇オペラ『無口な女』を、当時ナチスの帝国音楽局総裁だったシュトラウスがなぜヒットラーとゲッベルスに逆らってまで上演強行したのか?そのリスクを冒すことにどんな意義があったというのか?」という疑問を解くために調査した結果をまとめたものだそうです。

本の結論を拙い文で数行で書いてしまうのはマナー違反のような気がするので、興味ある方はぜひ原本を読んでいただきたいのですが、と言いながら話を先に進める必要上多少書きますが、要するに「内なる欲球を抑えられるのは耐え難かった」ことと「ヒットラーも一目置くほどの名声と力がシュトラウスに備わっていた」ということが綿密な考証のもとに展開されています。その「内なる欲球」がどんなもので、どんな起源や意味があったのかなども論じてあります。

メインの推論については他の説も紐解く必要があるかと思いますが、考証の過程で示される資料は大変興味深いものでした。それによるとR.シュトラウスが単純な「人生の勝利者」ではなかったことがわかります。これは外面と内面の両方があります。外面的には、なまじ超有名実力者であることから仲間に引き込もうとするヴィルヘルム二世やヒットラーをかわすことに相当の精力を注ぎこまざるを得なかったこと。内面では、一般に外面的には黄金コンビと思われている相棒の脚本家ホフマンスタールとの芸術方向の違いという内なる軋轢があります。これらについて、本当の支持者であるがゆえの歯に衣を着せぬロマン・ロランのシュトラウス批評も頻繁に引用されています。

詳しくは本を読んでいただくとしましょう。いずれにせよR.シュトラウスの音楽とりわけ後半生のオペラ群を、知っているものは再度、知らないものも意欲的に鑑賞してみたいという気になりました。いつになるかわかりませんがまたその感想は書いてみたいと思います。
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大倉集古館

2006-10-02 00:21:35 | 日々のこと(一般)
に家族で行きました。この美術館についてはここ参照。今日、ではなかった、昨日は特別展「金色(こんじき)の織りなす異空間」の最終日でした。日本美術には金文字や金箔がけばけばしくなく独特の雰囲気を出しているものがあります。

私は秀吉の金の茶室は好きになれません。金閣寺は美しいと思いますが、それでも銀閣寺の方が好きです。金色は基本的に派手なので、気を静めるようなものではありませんから。

でも昨日見たお経や平家物語を金文字で書いた巻物は心が落ち着くものがありました。金文字ですから、下地は白い紙でなく濃い色の紙です。特にいいと思ったのは紺色の下地のものでしたが、手を突っ込むと入って行きそうな深い色調の、しかし上品な紫も連想させる、微妙で複雑な色合いです。完全なのっぺり一様ではなくパソコンで発生するのは難しそうな紺です。これが金文字を安っぽくなく奥ゆかしい芸術品にしています。いや、もっと言うと、下地こそが主役かもしれないと思いました。この紙なら金文字でなく何が描かれていても深い味わいのものにしてしまうのではないでしょうか。

そう考えると、金の茶室は何か味のある背景の上に金色があるのでなく、そこに入ると全立体角が金色でかこまれてしまうのが好きになれない理由の一つだったのですね。金閣寺も全部金色ですが、回りに自然の緑や池があるから美しく映えるのでしょう。

金はそれ自身だけでは、私にとって工芸としての鑑賞の対象になり得ないようです。
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今週の一曲

2006-10-01 06:25:46 | 詠里庵・新着案内
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先週の一曲はヴィラ=ロボスの組曲「赤ちゃんの家族」第1集より「道化」でした。1980年SOUND PROJECT'80でのライブ録音。この作曲家と曲集についてはここを参照。「道化」は先々週の一曲「霧」と同じく白鍵と黒鍵を両手に振り分ける技法ですが、両手の役割が逆転しています。またペダルでもやもやさせず旋律らしきものが浮き立っていて、「霧」より輪郭の明瞭な音楽になっています。
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