研究室有志で京都の紅葉を楽しみました。今年は遅いけど立派な紅葉と聞いていましたが、いやこれは、誰かさんじゃないけど、見事だ!感動した!ということで写真を貼ってしまいます。行ったのは南禅寺と永観堂だけなのですが、じっくり散策でリフレッシュ。そのまま京都ロイヤルホテル脇の「イスタンブールサライ」でトルコ料理を満喫。これも美味!
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック。
先週の一曲はドビュッシー前奏曲集第1巻より第3
曲「音と香りは夕暮れの大気を漂う」でした。サティが付けそうなへんてこな題です。録音は1973年10月19日。この曲集については8月24日と9月25日ブログで解説しました。私はこの曲、ドビュッシーの中でも、したがってあらゆる音楽の中でも、大変好きな一曲です。作曲の規則が読めない神秘性。わざとらしいところは皆無。不思議な和声。分析は明晰にできなくとも、直感的・心情的に非常なな共感を覚えるので、どう弾いていいかわからないということはない。この曲集最大の傑作といわれる「沈める寺」も相当好きですが、この曲はさらに好きです。
先週の一曲はドビュッシー前奏曲集第1巻より第3
曲「音と香りは夕暮れの大気を漂う」でした。サティが付けそうなへんてこな題です。録音は1973年10月19日。この曲集については8月24日と9月25日ブログで解説しました。私はこの曲、ドビュッシーの中でも、したがってあらゆる音楽の中でも、大変好きな一曲です。作曲の規則が読めない神秘性。わざとらしいところは皆無。不思議な和声。分析は明晰にできなくとも、直感的・心情的に非常なな共感を覚えるので、どう弾いていいかわからないということはない。この曲集最大の傑作といわれる「沈める寺」も相当好きですが、この曲はさらに好きです。
する研究に関する記事が、たまたま目にした11月18日産経新聞の第一面に出ていました。全文はpdfファイルを参照あれ。研究したのは大阪大学社会経済研究所で、手法はアンケート分析だそうです。
記事を読むとわかりますが、最も幸せな日本人像は「文系大卒都会暮らしの30代専業主婦または女性事務職員」なんだそうです。また幸せポイントの高いのは、
・年収1700万円を超さない(そんな心配要りませんね)
・タバコを吸わない
・ギャンブルをしない
・宗教心を持つ
・他人の生活水準を気にしない
・高齢者にならない(無理ですね。誰でも年をとります)
という人のようです。
脇道に逸れますが、私が上記で「研究結果によると」と書かず「記事によると」と書いたのはワケがあります。研究成果がマスコミに載るときは、研究者の意図から話がずれて行くことが多々あるからです。研究者の意図通りに取り上げられられる方が珍しいかもしれません。何故かというと、研究成果をありのまま発表するのが研究者にとって当たり前ですが、それでは一般向けの話としてつまらなくなることがあります。マスコミの方達は言外に「もっと売れる記事にしなければデスクに採用されません」というニュアンスでストーリーを誘導しようとしていると感じることがあります。そう言うとマスコミの人たちが悪いと言っているように聞こえるかもしれませんが、そうでもありません。読者(皆さんです。あるいは記事と分野の異なる私を含めた市民です)が欲する記事に仕上げるべく、マスコミは読者の意向に沿って動いているだけという面もあります。(タレントの結婚離婚がなぜあんなに記事になるのか不思議に思いますが、単に社会が欲しているからでしょう。)いま一つには、研究者の「話の作り方」が下手という問題もあります。如何にして正確性を保ちながら不要な回りくどさを無くすか、私も含め研究者はもっと勉強しなければなりません。上記研究を遂行した人と産経新聞の間の整合性はとれているとは思いますが、研究者本人の発表原稿を見ないうちは「記事によれば」と書くことにしたわけです。
それはともかく、この結果どう思います? 研究の良し悪しでなく(研究は面白いですよね)こういう結果を出す社会でよいのかという問題です。特に、
・年収1700万円超すと幸せ度低下
・高齢者の幸福感が欧米の同種研究結果よりポイントが低い
が気になります。これは、人が責任ある職責に就く意欲にブレーキとなりかねませんし、日本は欧米より高齢者に厳しい社会であることを意味しますから。
記事を読むとわかりますが、最も幸せな日本人像は「文系大卒都会暮らしの30代専業主婦または女性事務職員」なんだそうです。また幸せポイントの高いのは、
・年収1700万円を超さない(そんな心配要りませんね)
・タバコを吸わない
・ギャンブルをしない
・宗教心を持つ
・他人の生活水準を気にしない
・高齢者にならない(無理ですね。誰でも年をとります)
という人のようです。
脇道に逸れますが、私が上記で「研究結果によると」と書かず「記事によると」と書いたのはワケがあります。研究成果がマスコミに載るときは、研究者の意図から話がずれて行くことが多々あるからです。研究者の意図通りに取り上げられられる方が珍しいかもしれません。何故かというと、研究成果をありのまま発表するのが研究者にとって当たり前ですが、それでは一般向けの話としてつまらなくなることがあります。マスコミの方達は言外に「もっと売れる記事にしなければデスクに採用されません」というニュアンスでストーリーを誘導しようとしていると感じることがあります。そう言うとマスコミの人たちが悪いと言っているように聞こえるかもしれませんが、そうでもありません。読者(皆さんです。あるいは記事と分野の異なる私を含めた市民です)が欲する記事に仕上げるべく、マスコミは読者の意向に沿って動いているだけという面もあります。(タレントの結婚離婚がなぜあんなに記事になるのか不思議に思いますが、単に社会が欲しているからでしょう。)いま一つには、研究者の「話の作り方」が下手という問題もあります。如何にして正確性を保ちながら不要な回りくどさを無くすか、私も含め研究者はもっと勉強しなければなりません。上記研究を遂行した人と産経新聞の間の整合性はとれているとは思いますが、研究者本人の発表原稿を見ないうちは「記事によれば」と書くことにしたわけです。
それはともかく、この結果どう思います? 研究の良し悪しでなく(研究は面白いですよね)こういう結果を出す社会でよいのかという問題です。特に、
・年収1700万円超すと幸せ度低下
・高齢者の幸福感が欧米の同種研究結果よりポイントが低い
が気になります。これは、人が責任ある職責に就く意欲にブレーキとなりかねませんし、日本は欧米より高齢者に厳しい社会であることを意味しますから。
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック。最も好きな曲の一つです。私はこの曲に秋を感じます。
先週の一曲はバルトーク「ミクロコスモス」第5巻「バグパイプ」をいろんな楽器のために編曲し、重ね録音したものですが、チェンバロの調律を12平均律から適当に変えています。録音は1975年8月9日。この編曲については元ページ「音律の話」の新記事「非平均律音階(イントロ)」を参照してください。バルトークの原曲を知りたい人はこれどうぞ。こちらは1973年4月29日の録音。
先週の一曲はバルトーク「ミクロコスモス」第5巻「バグパイプ」をいろんな楽器のために編曲し、重ね録音したものですが、チェンバロの調律を12平均律から適当に変えています。録音は1975年8月9日。この編曲については元ページ「音律の話」の新記事「非平均律音階(イントロ)」を参照してください。バルトークの原曲を知りたい人はこれどうぞ。こちらは1973年4月29日の録音。
で「高校の統廃合を機に新しいスタイルの校歌で学校をアピールする高校が増えつつある。たとえばサビの部分が英語の校歌は生徒達に人気だ。売れっ子の作家やポップス作曲家の作詞作曲もある。学校名や地域名が歌詞になく一般への普及の可能性のある校歌もある」など。聞いてみると少しポップス調。そういえば昔ユーミンのF dur(いやFメジャーというべき?)の歌を校歌にした小学校がありました。
元ページのここにも書きましたが、甲子園大会で聞く校歌の画一性やつまらなさに辟易します。次世代以降でこれが改善されると、本当に文化自体も変わるんだろうなと思っていましたが、案外早くそれがやってくるかもしれませんね。常々「社会は個人より速く変化する」と思っていますが、またそれを感じた次第。
元ページのここにも書きましたが、甲子園大会で聞く校歌の画一性やつまらなさに辟易します。次世代以降でこれが改善されると、本当に文化自体も変わるんだろうなと思っていましたが、案外早くそれがやってくるかもしれませんね。常々「社会は個人より速く変化する」と思っていますが、またそれを感じた次第。
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック。編曲モノですが、原曲を知っている人も知らない人も、こりゃ一体何じゃ?と思われるかもしれません。
先週の一曲はショパン前奏曲集作品28から第3曲ト長調と第4曲ホ短調でした。
7月24日と8月21日ブログで試みたコルトーとのイメージ比較の続きをしてみましょう。
第3曲ト長調
私 :「草原を駆ける馬と笛吹く牧童」
コルトー:「小川は歌う」
サラサラ川が流れるように弾ける人の発想は違いますね。
第4曲ホ短調
私 :「エレジー:止められない下降」
コルトー:「墓の傍らで」
これはあまり違わないですね。
ところでこの録音は1989年12月11日キネブチピアノ小ホールで開いたミニ音楽会のライブ録音です。このホール、大ピアニスト達がこぞって指名したピアノ調律師として著名な故杵渕直知氏が鷺宮に設けたショールーム兼小ホールで、プロやアマの音楽家達の仕上げ練習や本番の場所としても名が知られていました。私が練習に借りたとき、直前に練習していたフルートの小出信也とすれ違ったこともありました。N響での黒い服装しか見たことなかったので、ジーンズにセーターといういでたちが新鮮でした。ベーゼンドルファー、スタインウェイなどのピアノやチェンバロが置いてありましたが、この録音はスタインウェイだったと思います。若干記憶が不確かですが。
キネブチピアノ、その頃は奥さんと娘さんが経営していました。現在はもう無いと聞きます。その後の消息を知りませんが、どうされているのでしょうか。世界に誇る日本のピアノ技術界に貢献した人たちが報われる世の中であって欲しいものです。
話はそちらの方に流れますが、草思社の「日本のピアノ100年-ピアノづくりに賭けた人々」は二人のジャーナリストが書いた労作。徹底した調査とインタビューに基づき、これらの人々に半分情が移っていながら、ジャーナリストならではの冷静な俯瞰的分析も忘れていない力作だと思います。日本はピアノを弾く人・聴く人だけでなく、作る人・調律する人の情熱も交錯して独自のピアノ文化が築かれた希有な国だと思います。つくづく幸せな文化の地に生まれたものです。
先週の一曲はショパン前奏曲集作品28から第3曲ト長調と第4曲ホ短調でした。
7月24日と8月21日ブログで試みたコルトーとのイメージ比較の続きをしてみましょう。
第3曲ト長調
私 :「草原を駆ける馬と笛吹く牧童」
コルトー:「小川は歌う」
サラサラ川が流れるように弾ける人の発想は違いますね。
第4曲ホ短調
私 :「エレジー:止められない下降」
コルトー:「墓の傍らで」
これはあまり違わないですね。
ところでこの録音は1989年12月11日キネブチピアノ小ホールで開いたミニ音楽会のライブ録音です。このホール、大ピアニスト達がこぞって指名したピアノ調律師として著名な故杵渕直知氏が鷺宮に設けたショールーム兼小ホールで、プロやアマの音楽家達の仕上げ練習や本番の場所としても名が知られていました。私が練習に借りたとき、直前に練習していたフルートの小出信也とすれ違ったこともありました。N響での黒い服装しか見たことなかったので、ジーンズにセーターといういでたちが新鮮でした。ベーゼンドルファー、スタインウェイなどのピアノやチェンバロが置いてありましたが、この録音はスタインウェイだったと思います。若干記憶が不確かですが。
キネブチピアノ、その頃は奥さんと娘さんが経営していました。現在はもう無いと聞きます。その後の消息を知りませんが、どうされているのでしょうか。世界に誇る日本のピアノ技術界に貢献した人たちが報われる世の中であって欲しいものです。
話はそちらの方に流れますが、草思社の「日本のピアノ100年-ピアノづくりに賭けた人々」は二人のジャーナリストが書いた労作。徹底した調査とインタビューに基づき、これらの人々に半分情が移っていながら、ジャーナリストならではの冷静な俯瞰的分析も忘れていない力作だと思います。日本はピアノを弾く人・聴く人だけでなく、作る人・調律する人の情熱も交錯して独自のピアノ文化が築かれた希有な国だと思います。つくづく幸せな文化の地に生まれたものです。
も担当しています。懐かしく思いながら授業しています。昨日は原子間結合と結晶の種類の話を終わったところ。
話は変わって、宝石ってあまり意に介してないのですが、本物はさすがに違いますね。昔イギリスにいたころ、ロンドンタワーの宝物庫を妻と見物しましたが、これには驚きました。デパートのジュエリー売り場など素通りする私も、ここはちょっと感激。まず分厚く巨大な金の盾(とても持てそうもないから盾じゃないと思うけど、そう見える)がずらり。メッキではありません。中身まで金です。これだけでも圧倒ものですが、そのあと見た宝石がもっとすごい。キラキラ光る宝石を所狭しとまぶした王冠や、見たこともないような大きなダイヤやエメラルドが次から次へ。ガラスの破片とはわけが違います。目が眩むとはこのことです。両手からこぼれる宝石の光に恍惚としている海賊の気持ちがわかるような気がしました。このあと再びさっきの金の展示を見たら、何だこのどんくさい金属の塊は、真ちゅうと変わらないじゃないの、と思うくらい、本格的な宝石の魔力はすごいものでした。
しかし最近、妻との会話で宝石の話題になったとき・・・
「ダイヤモンド? ああ、炭素ね。炭と同じ。原子間の結合の仕方によるけど、グラファイト構造をとると真っ黒な炭になって、sp3混成軌道で結晶化するとダイヤモンドになるね」
「サファイヤ? 酸化アルミニウムつまりアルミニウムのサビね。不純物で青く色が着いてるけど。不純物がクロムだとルビーになるね」
まずいですね、これは。サイエンスを語るのも時と場合を考えるようにしましょう。
話は変わって、宝石ってあまり意に介してないのですが、本物はさすがに違いますね。昔イギリスにいたころ、ロンドンタワーの宝物庫を妻と見物しましたが、これには驚きました。デパートのジュエリー売り場など素通りする私も、ここはちょっと感激。まず分厚く巨大な金の盾(とても持てそうもないから盾じゃないと思うけど、そう見える)がずらり。メッキではありません。中身まで金です。これだけでも圧倒ものですが、そのあと見た宝石がもっとすごい。キラキラ光る宝石を所狭しとまぶした王冠や、見たこともないような大きなダイヤやエメラルドが次から次へ。ガラスの破片とはわけが違います。目が眩むとはこのことです。両手からこぼれる宝石の光に恍惚としている海賊の気持ちがわかるような気がしました。このあと再びさっきの金の展示を見たら、何だこのどんくさい金属の塊は、真ちゅうと変わらないじゃないの、と思うくらい、本格的な宝石の魔力はすごいものでした。
しかし最近、妻との会話で宝石の話題になったとき・・・
「ダイヤモンド? ああ、炭素ね。炭と同じ。原子間の結合の仕方によるけど、グラファイト構造をとると真っ黒な炭になって、sp3混成軌道で結晶化するとダイヤモンドになるね」
「サファイヤ? 酸化アルミニウムつまりアルミニウムのサビね。不純物で青く色が着いてるけど。不純物がクロムだとルビーになるね」
まずいですね、これは。サイエンスを語るのも時と場合を考えるようにしましょう。
を更新しました。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック。1989年のある音楽会でのライブ録音です。
先週の一曲はルイ・ヴィエルネの「パストラール(田園曲)」でした。録音は1973年10月19日。これは、一昨日アップしたバイオリンソナタ第4番第4楽章でバイオリンを弾いている友人から借りたオルガン用の楽譜にあったもので、ピアノでも行けそうなので弾いてみました。オルガンといってもパイプオルガンでなくリードオルガン(アルモニウム)用の曲で、足の鍵盤はなく2段楽譜なのでピアノで弾けます。
Louis Vierneという作曲家・オルガニスト、20世紀初頭フランスで活動した人のようですが、生死年以外たいした情報を持っていません。知っている方は教えていただければ幸いです。
先週の一曲はルイ・ヴィエルネの「パストラール(田園曲)」でした。録音は1973年10月19日。これは、一昨日アップしたバイオリンソナタ第4番第4楽章でバイオリンを弾いている友人から借りたオルガン用の楽譜にあったもので、ピアノでも行けそうなので弾いてみました。オルガンといってもパイプオルガンでなくリードオルガン(アルモニウム)用の曲で、足の鍵盤はなく2段楽譜なのでピアノで弾けます。
Louis Vierneという作曲家・オルガニスト、20世紀初頭フランスで活動した人のようですが、生死年以外たいした情報を持っていません。知っている方は教えていただければ幸いです。