年の瀬にこのブログ恒例の「今年の墓碑銘」です。主に科学分野と芸術分野から10人、独断で書いていますが、科学と芸術以外の人もいます。
[1] ピエール・ブーレーズ(1月5日。フランスの作曲家・指揮者。享年90才)
訃報があったときにとりあげましたが、私は指揮者としての彼、現代音楽論客としての彼が好きです。指揮はやはりフランス近代モノ。ナマで聴いたことはないのですが、レコードやCDは楽器の位置の空間分解能が高いことと相俟って、理知的で明晰な演奏が醍醐味です。ドイツ音楽は合わないかなという先入観があったのですが、今後は自分を解放して聴いてみようとも思います。
[2] デヴィッド・ボウイ(1月10日。アメリカのロック・ミュージシャン。享年69才)
「ロック・ミュージシャンをとりあげるとは珍しい」と思われるかもしれません。実際彼のロックは聞いていません。なぜとりあげたかというと、1970年代後半のこと、プロコフィエフの青少年向け管弦楽曲「ピーターと狼」にナレーションを付けた音楽劇LPレコードが発売されました。これがオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団という豪華演奏陣だったのですが、それに加えナレーションがなんとデヴィッド・ボウイだったのです。当時は「あのロックスター、デヴィッド・ボウイがクラシックに出演?」と一大センセーション。私もさっそく聴いたのですが、これがすばらしい。当時「出火怒・暴威」とも言われたロックの権化のイメージと打って変わって、優しさに満ちた大人の魅力に感心してしまいました。これなら子供達も夢中になって聴いたことでしょう。演劇もやるというマルチタレントだからできたことですね。
[3] ニコラウス・アーノンクール(3月5日。オーストリアの指揮者。享年86才)
ハルノンクールと呼ばれることもあるドイツ生まれのオーストリア人ですが、フランス式に最初のHを発音しない呼び方が一般的。実は2015年の墓碑銘で「まだ亡くなったわけではないが12月7日、引退を表明した」と書いて取り上げてしまいました。そのときは引退しただけでシベリウスみたいに長いこと余生を過ごすのだろうと思っていましたが、すぐに亡くなってしまったので、このブログでも改めてとりあげました。やはり引退したからといってすぐ墓碑銘に書いてしまってはいけませんね。
[4] はかま満緒(2月16日。日本の放送作家、ラジオパーソナリティー。享年78才)
科学や芸術ではないかもしれませんが、まあ芸術に関係はあるでしょう。この人は私がちょうど就職したころからNHK-FMの「日曜喫茶室」という番組のキーパースンで、喫茶店のマスターの役で登場していました。常連客に加えしばらくするとゲストが1人登場、またしばらくすると2人目のゲストが登場して様々な話題でトークを綴り、ときどき客のリクエストに応じてジャンルを問わずいろいろな音楽を流すという、比較的単純な番組でした。実際にスタジオで喫茶していると思われるコーヒーカップやスプーンの音が合間に雰囲気を添えるといった番組でした。登場人物や音楽がバラエティーに富んでいたこともありますが、マスターのはかま満緒の司会ぶりが絶妙でした。当時日曜のその時間帯は車を運転していることがよくあり、心を落ち着けて運転することができました。
[5] レイ・トムリンソン(3月5日。アメリカのプログラマ。享年74才)
あまりなじみのない人なのですが、この人に多大な影響を受けているのは私だけではないでしょう。電子メールの発明者です。特に@を使って、宛先となるメールユーザー(@の左側)とメールサーバー(@の右側)を区別し、メールユーザーがメールサーバーの直接のユーザーである必要をなくしたことが画期的とされています。それまでは同じコンピューターのユーザーの間でしか通信できませんでしたからね。その後アメリカ軍の内部で使われた電子メールが一般人も使えるインターネットになりました。日本に導入されたのは30年少し前のことですが、その過程で奮闘していたソフトウェア研究者達を身近に見ていた私は、彼らに感化されて電子メールを使うようになりました。結婚したばかりの妻に「電子メールっていうすごく便利なものができたんだよ」と喜々として語っていたといまだに妻が言うのですが、昨今はあまりものメールの多さに翻弄され「電子メールなんて発明したのは誰だ」と嘆くこのごろです。
[6] 多湖輝(たご・あきら。3月15日。心理学者。享年90歳)
一応科学畑の人かな。昔「頭の体操」の著者として有名だった人で、テレビで活躍していました。就職したときの研修の外部講師として来られて講演されたのですが、内部のお偉いさん達の講話に比べてさすがに話がずっとうまいと思ったことを覚えています。テレビでこの人が行った心理実験でよく覚えているのですが、20人くらいの被験者に向かって「このボンベには酢酸系の(もちろん無毒の)ガスが入っています。今からこれを開けますので、酸っぱい匂いがして来たら手を挙げてください。他の人の影響を受けないように目を閉じてください」と言ってボンベの栓をシューッと開けたのです。しばらくすると一人、二人、と手を挙げ始めました。全員には至りませんでしたが、結構な人数手を挙げました。実は何も匂いのしない、ただの空気ボンベだったのです。
[7] 冨田勲(とみた・いさお。5月5日。日本の作曲家、編曲家 、シンセサイザー奏者。享年84才)
このブログでも取り上げました。それと一部かぶりますが、私は、冨田勲が審査委員長を務めたローランドシンセサイザーテープコンテストにて3回賞をとっています。(1978年佳作、1980年作曲賞、同年編曲賞)
[8] 中村紘子(なかむら ひろこ。7月26日。日本のピアニスト。享年72才)
言わずと知れた日本の代表的ピアニストの一人です。10代半ばで長い振り袖姿で演奏したショパンのピアノ協奏曲第1番。当時の動画は白黒で解像度が悪いのですが、それもなんのその、着物といういでたちだけでなく演奏も印象的です。(しかし振り袖はめまぐるしいパッセージを弾くときじゃまではないかな?) 大御所となってもリサイタルを欠かさず行っていたことは超人的に思えます。ショパンのワルツ第2番など、いつ聴いても大迫力。まさか癌とは知りませんでした。よくリサイタルを続けていたものです。
[9] 千代の富士(7月31日。元大相撲力士・横綱。享年61才)
スポーツ関係者を取り上げるなんてどういう風の吹き回しかと思われそうですね。ロンドンにマダム・タッソーの蝋人形館というのがあります。世界の著名人がリアルな蝋人形で展示してあって面白いところです。ごった返す来館者の一人があまりにもじっとしているのでよく見たら蝋人形だったりします。およそ10年ごとに私はそこを訪れるのですが、時代の変遷が感じられて面白いものです。特に英国で日本人がどのように思われているのかがわかります。最初に行ったときは日本人はたった一人でした。それは吉田茂。カダフィの方が特等席に展示されていました。吉田茂よりカダフィの方が上なのか。(そういえばカダフィも今年亡くなりましたね。)次に行ったときは千代の富士に替わっていました。廻し姿で目立ってはいましたが、日本人はやはり一人しか展示されていませんでした。三回目に行ったときは・・・日本人はいませんでした。英国における日本のプレゼンスは低下しているのでしょうか。そもそも一番有名な日本人は葛飾北斎だと現地友人が言っていましたから。あれからそろそろ10年。最近行っていませんが、英国のEU離脱に強気のクレームをつけた安倍首相は展示されていませんかね。
[10] ネヴィル・マリナー(10月2日。イギリスの指揮者、ヴァイオリニスト。享年92才)
バロック演奏に始まり、最後はバロック以前や近現代までレパートリーを拡大した指揮者です。このブログでも取り上げましたのでそちらをご覧下さい。
[1] ピエール・ブーレーズ(1月5日。フランスの作曲家・指揮者。享年90才)
訃報があったときにとりあげましたが、私は指揮者としての彼、現代音楽論客としての彼が好きです。指揮はやはりフランス近代モノ。ナマで聴いたことはないのですが、レコードやCDは楽器の位置の空間分解能が高いことと相俟って、理知的で明晰な演奏が醍醐味です。ドイツ音楽は合わないかなという先入観があったのですが、今後は自分を解放して聴いてみようとも思います。
[2] デヴィッド・ボウイ(1月10日。アメリカのロック・ミュージシャン。享年69才)
「ロック・ミュージシャンをとりあげるとは珍しい」と思われるかもしれません。実際彼のロックは聞いていません。なぜとりあげたかというと、1970年代後半のこと、プロコフィエフの青少年向け管弦楽曲「ピーターと狼」にナレーションを付けた音楽劇LPレコードが発売されました。これがオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団という豪華演奏陣だったのですが、それに加えナレーションがなんとデヴィッド・ボウイだったのです。当時は「あのロックスター、デヴィッド・ボウイがクラシックに出演?」と一大センセーション。私もさっそく聴いたのですが、これがすばらしい。当時「出火怒・暴威」とも言われたロックの権化のイメージと打って変わって、優しさに満ちた大人の魅力に感心してしまいました。これなら子供達も夢中になって聴いたことでしょう。演劇もやるというマルチタレントだからできたことですね。
[3] ニコラウス・アーノンクール(3月5日。オーストリアの指揮者。享年86才)
ハルノンクールと呼ばれることもあるドイツ生まれのオーストリア人ですが、フランス式に最初のHを発音しない呼び方が一般的。実は2015年の墓碑銘で「まだ亡くなったわけではないが12月7日、引退を表明した」と書いて取り上げてしまいました。そのときは引退しただけでシベリウスみたいに長いこと余生を過ごすのだろうと思っていましたが、すぐに亡くなってしまったので、このブログでも改めてとりあげました。やはり引退したからといってすぐ墓碑銘に書いてしまってはいけませんね。
[4] はかま満緒(2月16日。日本の放送作家、ラジオパーソナリティー。享年78才)
科学や芸術ではないかもしれませんが、まあ芸術に関係はあるでしょう。この人は私がちょうど就職したころからNHK-FMの「日曜喫茶室」という番組のキーパースンで、喫茶店のマスターの役で登場していました。常連客に加えしばらくするとゲストが1人登場、またしばらくすると2人目のゲストが登場して様々な話題でトークを綴り、ときどき客のリクエストに応じてジャンルを問わずいろいろな音楽を流すという、比較的単純な番組でした。実際にスタジオで喫茶していると思われるコーヒーカップやスプーンの音が合間に雰囲気を添えるといった番組でした。登場人物や音楽がバラエティーに富んでいたこともありますが、マスターのはかま満緒の司会ぶりが絶妙でした。当時日曜のその時間帯は車を運転していることがよくあり、心を落ち着けて運転することができました。
[5] レイ・トムリンソン(3月5日。アメリカのプログラマ。享年74才)
あまりなじみのない人なのですが、この人に多大な影響を受けているのは私だけではないでしょう。電子メールの発明者です。特に@を使って、宛先となるメールユーザー(@の左側)とメールサーバー(@の右側)を区別し、メールユーザーがメールサーバーの直接のユーザーである必要をなくしたことが画期的とされています。それまでは同じコンピューターのユーザーの間でしか通信できませんでしたからね。その後アメリカ軍の内部で使われた電子メールが一般人も使えるインターネットになりました。日本に導入されたのは30年少し前のことですが、その過程で奮闘していたソフトウェア研究者達を身近に見ていた私は、彼らに感化されて電子メールを使うようになりました。結婚したばかりの妻に「電子メールっていうすごく便利なものができたんだよ」と喜々として語っていたといまだに妻が言うのですが、昨今はあまりものメールの多さに翻弄され「電子メールなんて発明したのは誰だ」と嘆くこのごろです。
[6] 多湖輝(たご・あきら。3月15日。心理学者。享年90歳)
一応科学畑の人かな。昔「頭の体操」の著者として有名だった人で、テレビで活躍していました。就職したときの研修の外部講師として来られて講演されたのですが、内部のお偉いさん達の講話に比べてさすがに話がずっとうまいと思ったことを覚えています。テレビでこの人が行った心理実験でよく覚えているのですが、20人くらいの被験者に向かって「このボンベには酢酸系の(もちろん無毒の)ガスが入っています。今からこれを開けますので、酸っぱい匂いがして来たら手を挙げてください。他の人の影響を受けないように目を閉じてください」と言ってボンベの栓をシューッと開けたのです。しばらくすると一人、二人、と手を挙げ始めました。全員には至りませんでしたが、結構な人数手を挙げました。実は何も匂いのしない、ただの空気ボンベだったのです。
[7] 冨田勲(とみた・いさお。5月5日。日本の作曲家、編曲家 、シンセサイザー奏者。享年84才)
このブログでも取り上げました。それと一部かぶりますが、私は、冨田勲が審査委員長を務めたローランドシンセサイザーテープコンテストにて3回賞をとっています。(1978年佳作、1980年作曲賞、同年編曲賞)
[8] 中村紘子(なかむら ひろこ。7月26日。日本のピアニスト。享年72才)
言わずと知れた日本の代表的ピアニストの一人です。10代半ばで長い振り袖姿で演奏したショパンのピアノ協奏曲第1番。当時の動画は白黒で解像度が悪いのですが、それもなんのその、着物といういでたちだけでなく演奏も印象的です。(しかし振り袖はめまぐるしいパッセージを弾くときじゃまではないかな?) 大御所となってもリサイタルを欠かさず行っていたことは超人的に思えます。ショパンのワルツ第2番など、いつ聴いても大迫力。まさか癌とは知りませんでした。よくリサイタルを続けていたものです。
[9] 千代の富士(7月31日。元大相撲力士・横綱。享年61才)
スポーツ関係者を取り上げるなんてどういう風の吹き回しかと思われそうですね。ロンドンにマダム・タッソーの蝋人形館というのがあります。世界の著名人がリアルな蝋人形で展示してあって面白いところです。ごった返す来館者の一人があまりにもじっとしているのでよく見たら蝋人形だったりします。およそ10年ごとに私はそこを訪れるのですが、時代の変遷が感じられて面白いものです。特に英国で日本人がどのように思われているのかがわかります。最初に行ったときは日本人はたった一人でした。それは吉田茂。カダフィの方が特等席に展示されていました。吉田茂よりカダフィの方が上なのか。(そういえばカダフィも今年亡くなりましたね。)次に行ったときは千代の富士に替わっていました。廻し姿で目立ってはいましたが、日本人はやはり一人しか展示されていませんでした。三回目に行ったときは・・・日本人はいませんでした。英国における日本のプレゼンスは低下しているのでしょうか。そもそも一番有名な日本人は葛飾北斎だと現地友人が言っていましたから。あれからそろそろ10年。最近行っていませんが、英国のEU離脱に強気のクレームをつけた安倍首相は展示されていませんかね。
[10] ネヴィル・マリナー(10月2日。イギリスの指揮者、ヴァイオリニスト。享年92才)
バロック演奏に始まり、最後はバロック以前や近現代までレパートリーを拡大した指揮者です。このブログでも取り上げましたのでそちらをご覧下さい。