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Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

「自虐史観批判」はなぜひろく受入れられたのか (下)

2007年10月08日 | 日本のアイデンティティー
社会の底流にある不安や不満に火をつけるのは扇動者の役割である。彼らはきまって一般民衆の不満をとらえ、常識をこえた考え方をどぎつく提示し、これまでの常識は誤まった思いこみだ、今こそ考え直す時だ、という。それが共通の特徴である。第二次世界大戦前夜のドイツや日本の歴史はそれを証明している。

「自由主義史観」グループの中でも、藤岡信勝氏は当初、「東京裁判史観」は認められないが、「大東亜戦争肯定論」にも与しないといっていた。「自由主義史観」という看板の手前もあるからだろう。しかし、運動が広まりだすと、藤岡氏はたちまち日本の戦争免責・戦争肯定論に移行してしまった。

99年の西尾氏になると、さらにふみだしてアメリカ批判、自尊的ナショナリズムの論調に変わる。藤岡氏の当初の日本近現代史、戦争理解は「明治はよかった、昭和は悪い」という司馬遼太郎氏の考えに従っていたが、西尾氏は「明治・大正・昭和一貫して、日本だけが悪いということはない」、むしろ、いつも「相手の方がもっと悪い」という論調である。政治的アジテーションの性質をもつ言説は、いくら学問的装いをもっていても、状況の中でどんどんエスカレートし、変わるものである。



(「『自由主義史観』批判」/ 永原慶二・著)

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《これによって日本は事実上の再軍備に踏み切らされたが、その「防衛力漸増政策の遂行に妨げになる空気を除去するように、教育を通じて日本の国民意識を誘導する」ことが決められた。これを転機に教育は反動的旋回を始め、「憂うべき教科書の問題」(1955年、「日本民主党」による、当時の自省的歴史教科書への非難・攻撃したパンフレット)が発行され、文部省(当時)による教科書検定(組織・内容)強化が進められだした。》

戦後わずか10年もたたないうちに、いいえ、現実にはほんの数年後から(1948年ころから)、アメリカは日本の再軍備化を画策するようになっていたのでした。悔しいじゃないですか。「教育を通じて」、日本国民は歴史意識をコントロールされてきたのです。憲法についての理解がないことも、アジア諸国への共感にかける思考も、意図的につくりだされてきたものなのです。わたしたち国民の知能レベルは戦前となんら変わっていない、と言ってもいいすぎじゃないでしょう。

朝鮮戦争による特需景気をきっかけに、日本は60年代を通して驚異的な経済的発展を見るようになりました。しかしその陰で犠牲になったものもあります。「人間」です。水俣病に代表される「市場の失敗」は大きな問題ですが、個々人の家庭における「父親不在」も深刻な問題を21世紀になるまで暗い影を落としてきました。子どもの精神的な成長を阻害してきたのです。性的虐待というような事件は決してここ数年の現象ではありません。昭和30年代にはすでにぽつぽつと報告はあがってきているのです。当時は今よりずっと戦前に近い時代でしたから、「家の恥」という思考様式は色濃く残っていて、大部分は表面化しなかったものと思われます。しかし、「機能不全家族」に育った子どもたちが80年代前後に親になり、その子どもたちが今また親になってきるのです。

今日わたしたちが見聞きしている子どもへの虐待による致死、子どもたちによる凶悪犯罪などは単に学校や家庭レベルの問題ではありません。

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社会学的観点からしても、心理学的観点からしても、経団連や日経連をはじめとする経済団体と系列企業が日本にもたらした経済構造は、日本にたいへんな損害を与え続けている。戦後日本の二つの「偉業」、奇跡の経済(成長)と中産階級の抑圧(ウォルフレン教授によると、戦後の経済大国化は、労働者個々人の人間としての自然な欲求や人権を抑圧することによって、まるで機械の部品のように酷使することによって成し遂げられてきた、とされている)が、日本人の個人生活に多大な犠牲を強いていることは、何度言っても言い過ぎることはない。家庭生活の質や個人の人格形成に、日本ほど企業が大きな影響を及ぼしている国は他に見当たらないだろう。

日本の制度で、経済組織の利益とその社会的重要性に何らかの形で強い影響を受けていないものはほとんどない。たとえば日本の教育制度は、経済組織の要求にもとづいて、その利益に合致するようにつくられており、経済組織から受ける影響は欧米の教育制度よりもはるかに大きい。企業のもつ力が、ある種の社会的環境をつくりだし、そのために日本の若者が自己を確立させるのはひどく難しくなっている。

サラリーマンは会社で知的なエネルギーも気力もほとんど使い果たしてしまうため、有意義な家庭生活を営む元気を失っている。中流階級の男性社員は、目を覚ましている時間のほとんどすべてを会社に吸い取られる結果、会社以外の個人的な関係に費やす気力が残らない。そのために最悪の影響を被るのが、サラリーマンの家庭生活である。

日本人の結婚生活の多くが情緒的に空虚であることは、これまでに何度も論じられてきた。これらの問題をここで詳しく述べることはしないが、明らかな結論だけは言っておきたい。つまるところ、責任のほとんどは日本の企業にある。社員に対する精神的な要求が多すぎるのだ。

…(中略)…

サラリーマンは会社と「結婚」することを求められているので、サラリーマンの妻たちは夫の愛情不足の代償を探さなくてはならない。そのために、たいていは子どもに、特に息子に過剰な愛情を注ぐことになる。そこから生じる不健全な結果については、これまでにもいろいろと書かれている。少なくともあるTVドラマでは、十代の息子に、宿題をかたづけた褒美として、マスターベーションをしてやる母親が登場したほどだ。

母親にも会社にも抑圧され、さらには職場の同僚から幼稚な振る舞いをそそのかされるために、若いサラリーマンはしばしば女性と不器用につきあうことしかできなくなり、実りのない冷え冷えとした関係しか結べなくなる。

若者向けの漫画には性的な空想が生々しく過激に描かれ、ロープや凶器を使って女性に暴力をふるう場面がたくさんあるのを著者は(日本で暮らすうちに)見てきた。こうした驚くべき現象も、中流階級の男性が情緒的な成熟を妨げられているために生じる結果なのだ。そもそも暴力によって女性を従順に飼い馴らし、そのうえで痛めつけようと空想するのが情緒不安定であることの、そしてもちろん未成熟であることのあらわれであることは世界共通である。

つまるところ、成長過程にある人間には一定の自由が必要なのだ。その自由があってこそ、人間は成熟した「愛情に基づく人間関係」を獲得できるのだ。日本の若いサラリーマンは、そのことを悟るための自由を持っていない。そういうことを考え抜くための時間的な余裕も心理的な余裕も与えられていない。ましてや、そのような愛情関係を育んで維持していくことなどできない。


(「人間を幸福にしない日本というシステム」/ カレル・ヴァン・ウォルフレン・著 1994年刊行)

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人間性を剥奪させる大きな影響となってきたのは、企業体質であり、そういう企業体質を生み出す経済最優先の思考でした。今の若いサラリーマンはもっと過酷な状況に置かれています。家を持たずにネット喫茶をねぐらに使う、日雇い労働者たちです。企業はかつて社員たちに会社に全身全霊の献身を要求しましたが、いまや労働者を切り捨て、使い捨ての消耗品としてしか見ません。

こうして職場からも社会からも、そして親からさえ愛情を受けずに育ってきた世代が、国家主義に「母親」的抱擁感を見いだし、そこに自分の居場所を見いだすようになる構図が見いだされます。

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わたしが右翼だったころに考えていたことや活動について書きたいと思う。右翼にはさまざまな団体があり、人によっても考え方はいろいろだ。ただ90年代の後半に20歳そこそこで右翼の思想に惹かれた自分について書くことは、「右傾化」と呼ばれる現代の現象とも通じるはずだ。

右翼に入る前に、わたしがいちばん苦しかったのは、「世界は矛盾だらけなのに、自分は無力である」ということだった。「世界の矛盾」はいろいろある。たとえばアフリカなんかで植えて死んでいく子どもたち。差別や在日コリアンの人たちへの差別。自分の派閥とお金のことばかり考えて腐敗している政治家、などなど。だけど、どんなことを思おうとも、わたしにはこの世界を1ミリたりとも動かせない。そのことがどうしようもなく絶望だった。

また、自分自身のフリーターという立場も大きかったと思う。そのころのわたしはどこかに帰属したくてたまらなかった。学校も出てしまっているのに会社にも入れず、ただひとり社会の中を漂っていたからだ。就職したいと思っていても、時代は就職氷河期。なんだか出口がなかった。それまで、いい学校、いい会社という幻想に尻をたたかれ、いちおうそれなりに頑張って勉強してきた。それなのに、バブル経済の崩壊によって自分が社会に出るころには、そんな幻想はこっぱみじんに崩れていた。学校の先生も親も、多くの大人がいう「頑張れば上昇できる」ということが通用しない時代になってしまったのだ。

誰にでもできる仕事の単調なフリーター生活の中、「自分は何をしているのだろう」と思った。何か、生きる意味を見つけたかった。自分にしかできないことを見つけたかった。

だけどそんなものはなかなか見つからない。当時のわたしは貧乏な上、不安定だった。そんな中、「それでもアフリカなんかの飢えている子どもたちに比べればまだマシだ」と自分に言い聞かせていた。自分についてせめて幸せだと思えることが、先進国である日本に生まれたことくらいしかなかったのだ。

こんな状況は、わたしが右翼に入る下地になったと思う。そして今、若いフリーターに話を聞くと、当時のわたしと同じようなことを言うから時々驚く。彼らは過去のわたしのように貧しい国の子どもと自分を比べ、そして靖国神社に祀られている戦争で死んだ人たちと自分とを比べている。そして先進国の上、平和な時代に生まれた自分の幸運に感謝している。その切実さがわたしにはよくわかる。

こんなことも、右傾化と言われる背景にあるのではないかと思う。


(「右翼と左翼はどうちがう?」/ 雨宮処凛・著)

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はじめに旧帝国軍部思考とアメリカありき。

アメリカが日本を対共産圏防衛前線にすべく、「教育を通して」、再軍備に無抵抗な国民意識を醸成しようと画策した。歴史の改ざんはここから本格的に開始された。そこへ経済成長がもたらされ、豊かになり、日本人は過去の傷と過ちを乗り越えた、という意識が形づくられた。さらにさらに、戦争・敗戦を体験した世代が現役を引退し、戦争体験のない世代が世の中を背負い始めた。ちょうど高度経済成長の時代に、エコノミック・アニマルの父親を持った子どもたちだった。

その子たちは機能不全家族の中にいたため、人間らしい愛情をあまり受けてこなかった人たちで、愛情とか情緒とかいった目に見えないものよりも、「お金、結果」のような目に見えるものでしか自分の価値を信じられない人たちだった。一生懸命働いて結果を出すが、なんだか気持ちが落ち着かない。大きなものに帰属したい。そこへ反動勢力にからめ取られる。

そこで、日本の美点を主張すると、アジア諸国からたたかれ、日本は引っ込んでしまわざるを得なかった。悔しい。「連中はいつまで戦争被害にこだわるんだ。自分たちは昔の人たちのように、中国を侵略しようなんて考えていないのに。これも日本が軍備が弱いからだ。もっと主張できる日本でなければならない」。湾岸戦争が起きた。日本はお金を出すだけで、血を流さなかったので、アメリカを始め、世界から嘲笑された。「なんなんだ、憲法9条って。そんのものがいまどき通用するかっていうの」。

バブルが崩壊して、会社にも入社できない自分。日雇いの派遣労働で明日をも知れない暮らし。自分っていったい何なんだ。なにか自分にしかできないことをやってみたい。自分をもっと認めてもらいたい。

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わたしは右翼の集会に連れて行かれた。右翼の人たちの言葉はすんなりと耳に入ってきた。

「お前らが生きづらいのは、アメリカと、そして戦後日本のモノとカネだけの価値観しかないことが悪いからだ!」

その言葉は、わたしがずっと抱いてきた疑問に答えをくれた気がした。わたしはその団体に入った。


(「右翼と左翼はどうちがう?」/ 雨宮処凛・著)

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歴史改ざんは、官僚主導によって行われ、歴史の反省が国民に十分に行われないようにコントロールされ、時代の成り行きによって、家庭が崩されたサラリーマンの子どもたち世代、アイデンティティを喪失した戦後世代によって国家主義が支持されるようになり、やがて改ざんされた歴史が受入れられるようになった、というのが、まあ、おおざっぱな流れ、ということなのでしょう。

でも沖縄の人たちは騙されなかった。日本と日本軍に利用され、切り捨てられ、集団自決によって、自分の家族を自分の手で殺める、という凄惨な経験をしてきた人たちだった。

わたしもかれらに連なりたい。どこかに帰属するんなら、若かったから、とか、女だからとかいう理由で、わたしの個性も人格も努力と成果も決して認めてくれない日本という「伝統・風習」じゃなくて、ひとりひとりの人間を個別に尊重しようと宣言してくれている日本国憲法に、自分のアイデンティティを帰属させます。それと、エホバの証人というカルト宗教に逃避していた経験からも、全体主義の危険性を熟知できたので、同じ過ちを犯さないようにしたい。もう二度と、考えることを他人任せにしてしまう愚行は繰り返すまい。いま、わたしはこういう決意を決して大きくはない(笑)胸に抱いているのです。


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