Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

(インタビュー)力の論理を超えて ハーバード大学名誉教授・入江昭さん

2014年06月21日 | 「市民」のための基礎知識

 

 

 

 

                                                                              

   「過去は変えられないのだから、国家間の相互依存をさらに高めるしかないのです」=米ケンブリッジのハーバード大学、坂本真理氏撮影
 

 

 

 
 日本では、安倍政権による集団的自衛権行使容認に向けた議論が大詰めを迎えている。国家と軍事力という「力」の論理が前面に出ているが、60年前に米国に渡り、歴史研究を続けてきた入江昭ハーバード大名誉教授は、グローバル化した現代において、国家中心の世界観はもはや時代遅れだという。いま必要な視点は「シェア」と「つながり」だという入江氏にその理由を聞いた。

 

 


  ――長く米国で暮らす歴史家の目に、安倍政権下の日本はどう映っていますか。


   「自国中心的な見方に陥っていると思います。 『美しい国』 『日本の誇りを守る』 といった言葉に象徴される国家中心の思考は、あまりに現在の世界のあり方を知らない」

 

 


  ――時代からずれている、と?


   「そうです。最近の歴史学は大国間の関係、領土問題やパワーゲームだけに注目するのではなく、多国籍企業やNGO、宗教団体などの非国家的存在や、国境を超えた人間のつながりに重きを置いています。環境問題やテロリズムをはじめ、一つの国の内部では理解も解決もできない問題がほとんどだからです」


   「僕自身、過去には英米や中国の歴史、国際関係史など、国を単位とした歴史学を研究していました。国家にとらわれずに歴史を見る風潮が研究者の間に生まれたのは1980年代の終わりごろですが、私自身もそう感じ始めていました。米歴史学会の会長を退任する際にスピーチをし、『歴史学はもっと世界全体を見ないといけない』 と訴えると、予想以上に賛同してくれた人が多かった。それまでの歴史学は時代区分も西欧史を他国に当てはめる発想でしたが、西欧を中心から外す、ディセンターという考え方が生まれた。さらに、国家ではなく地球を枠組みとするグローバル・ヒストリー、国家間ではなく国境を超えた関係に注目するトランスナショナルと呼ばれる研究が進みました」


 

 

  ――国際関係論や政治学では、まだパワーポリティクスの理屈が目立ちます。「国境を超える」と言っても、現実的じゃないと言われませんか。


   「国際関係論における 『現実主義的な見方』 は皮相的で、現在の世界ではあまり意味を持たないと考えています。 『大国の興亡』 を書いたポール・ケネディ氏はたいへん立派な学者ですが、国益の衝突が世界を動かすという史観は非常に一面的です」


   「日本では60年代に現実主義的な見方が浸透しました。 『現実主義者の平和論』 を書いた国際政治学者の故高坂正堯(まさたか)さんとは親しく、当時は僕の考えも近かった。日米安保への観念的な反対には違和感を持っており、日米間の緊密な連携は重要と考えていたのです。国際関係史を専攻すると、軍備競争や政策決定論を重視せざるを得ないものですから」


   「しかしパワーバランスばかりに注目し過ぎたため、90年前後の東西冷戦の終結を予想できた研究者は僕を含めて誰一人いなかった。現実主義は面目を失ったと言えるでしょう。例えば今では、75年のヘルシンキ宣言でソ連が人権尊重を認めたことにより、東側諸国に民主化の希望が広がったと考えられていますし、同時にグローバル経済がソ連体制へ与えた影響も予想以上に大きかった。そんな国家を超えた深いつながりを理解しないと、冷戦終結は導けない。現実主義というのは 『文化や社会、思想による世界の変化』 を認めない考えなのです」


   「力対力の外交も大切ですが、それは他のつながりに比べると根本的ではないと多くの歴史家が考えるようになりました。トランスナショナルな歴史学というのは国家を超えた関係、例えば移民や文化交流、環境問題、女性運動、さらにはテロリズムなどを研究対象とします。昔から、歴史家が現在の歴史を認識するには30年かかると言われてきましたが、ようやく概念が現実に追いついたのかもしれません」

 

 

 

      ■     ■


 ――日本では今、中国の拡張主義への懸念が強まり、逆に「国家」が前面に出ていますが。


   「旧来の地政学的な発想ですね。中国の拡張主義は一面に過ぎないでしょう。これだけモノと人とカネが国境を超えて動いているのに、領土という動かないものだけを重視するのは世界の潮流に逆行します」


   「中国もまた変わらざるを得ません。国民すべてが中国政府の命令で動いているわけではないし、私の知る中国の研究者や留学生はみんな政府とは違う考えを持っている。日中、日韓の間にはシェア、共有できるものがたくさんあります。世界各国が運命を共有する方向に向かっているのに、 『中国が侵略してくる』 とだけ騒ぐのは、全体が見えていない証拠でしょう。領土だけに拘泥し、東アジア全体の状況を深刻化させているように見えます」

 

 


  ――憲法9条は現実に合わないという声があり、安倍晋三首相は集団的自衛権に踏み込もうとしています。


   「時代遅れなのは憲法9条ではなくて現実主義者の方でしょう。過去70年近く世界戦争は起きていないし、武力では国際問題は解決しないという考えに世界の大半が賛成している。」

  「集団的自衛権を行使する代わりに米国に守ってもらおうというもくろみも、まったく第2次世界大戦以前の考え方です。戦後日本が平和だったのは日米安保の核の傘のおかげか、9条のおかげか、という問いに簡単に答えは出ませんが、少なくとも日本自身が近隣に脅威を与えることはなかった。これは経済成長に必須の条件だったわけで、日本こそグローバル化の動きに沿っていた。いまや米国もオバマ大統領の下で軍備を縮小しようとしており、日本は世界の最先端を歩んできたのです。卑下したり自信喪失したりする必要はまったくない。それを今になって逆行させるというのは、日本の国益にもつながりません」

 

 


  ――日本国内では、排他主義的な動きも目立ち始めました。


   「フランスでも右翼政党が躍進しました。各国に共通する過渡的な現象だとは思いますが、非常に深刻ですね。経済の停滞により、自分たちが取り残されるのではないかという焦りが生まれ、偏狭なナショナリズムに向かわせるのでしょう」


   「ナショナリズムと言えば、歴史を直視することを自虐史観と批判する人たちもいますが、本当に日本に誇りを持つなら、当然、過去の事実を認めることができるはずです。現代人の見方で過去を勝手に変えることはできないと、歴史を学ぶ上で頭にたたき込まれました。様々な角度から深掘りして見ることは大切だが、いつ何があったという事実そのものは変えてはならない。例えば日本人でもトルコ人でもブラジル人でも、世界のどの国の人が見ても歴史は一つしかない。共有できない歴史は、歴史とは言えないのです」

 

 

 

      ■     ■


 ――「国家を超える」と言っても、経済のグローバル化には、格差拡大などの負の側面もあります。


   「だからと言って、冷戦や保護貿易主義の時代に戻ることはできません。環太平洋経済連携協定(TPP)も国益の対立と捉えるのは誤りで、基本的に私は賛成です。マイナス面を是正するには、経済以外の結びつきを尊重し、人間の意識も国境を超えることが求められます。カネの動き、人の動きはもう止められない。これからは、非国家的存在、国際NGOのような人道主義的なつながりがグローバル化の世界にもっと入ってくる必要があります」

 

 


  ――ではグローバル化に、個人はどう向き合えばいいのでしょうか。


   「今年、イリノイ州の公立高校を卒業した孫娘は、母親が日本、父親はアイルランド系です。また今年、送り出した最後の教え子の大学院生も父はドイツ系、母は中国系で、たいへん優秀な生徒でした。このように米国社会は人種の融合が進んでいます。オバマ大統領もそうですから。人も社会もいわば『雑種化』していく。これからの世界に希望があるとしたら、そこだと思います」


   「日本でも、明治維新というのはいわば文化の雑種化でした。それにもかかわらず、今になって排外的で国に閉じこもるような動きがあることが理解できません。日本だけがグローバル化の例外というわけにはいかないでしょう。 『古き良き日本』 などに戻ることはできないのです」

 

 

 

     *

 


  いりえあきら 34年生まれ。
  高校卒業後に渡米、シカゴ大、ハーバード大の教授を歴任した。元アメリカ歴史学会会長。
  近著に「歴史家が見る現代世界」。

 


  ■取材を終えて


 入江さんの言葉を反芻(はんすう)し、「理想主義と現実主義」について、改めて考えさせられた。「現実を見ろ」と言いながら、世の中の変化を黙って見過ごし、現状を肯定する罠(わな)に陥ってはいないか。グローバル化した世界では、国家を超えたつながりやシェアが鍵だという考えは確かに理想論かもしれない。だが理想こそ、あるべき未来をたぐり寄せる。今年80歳になる歴史家のしなやかな知に学ぶことは多い。


  終戦直後、国民学校5年生だった入江さんは、教科書の軍国主義的な記述を墨で塗らされた。それが歴史家としての原点だったという。国家は歴史をねじ曲げるし、簡単に書き換えもする。この経験こそが、「国境を超えて共有される歴史を編む」という覚悟を生んだのだろう。


  (ニューヨーク支局長・真鍋弘樹)

 

 

 


 朝日新聞デジタル 2014年6月19日05時00分

 

 

 

 

 

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