Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

倒幕までの時代の流れ(上)

2006年05月29日 | 一般
「尊皇攘夷」とは本来、天皇の下に幕府諸藩が挙げて一致しよう、というものです。つまり「反幕」、「倒幕」とは反対の概念だったわけです。つまり徳川将軍家の独裁は、天皇より政治を委託されたものなので神聖である、だから夷狄(いてき=外国の蔑称)は撃ち攘う(はらう)べし、という考え方です。ペリー提督率いるアメリカ艦隊は鉄製の威容を呈していて、日本の支配者たちに技術力の差を思い知らせたのでした。

当時、幕府は財政改革に次々に失敗していて、逼迫していました。封建体制ですから、幕府と諸藩の財政が貧しくなれば、庶民とくに農民への搾取がよりいっそう厳しくなるわけで、ただでさえ生きるための最低限の食糧事情に定められていた農民の生活は、より厳しく年貢を取り立てられて、デッドラインを超えるところまで追いつめられました。そこへ数々の飢饉にたたられて、死を決して一揆を起こすようになります。こういう状況は17世紀中盤にはすでに表面化していたのですが、幕末には、幕府への求心力を低下させる事件、すなわちヨーロッパ資本による帝国主義的侵略の手が日本にも迫ってきたことによって、一揆・暴動は頻々と起こされたのです。

そんな状況でしたから、幕府は新たな強敵、欧米列強の高度な工業技術を駆使した軍事力の前には、戦意も萎えるのでした。もはや外交を幕府だけでは切り盛りできないと悟ったため、対応についてついに有力大名や幕府役人、もちろん天皇にも諮問したのでした。それだけではなく幕府はひろく一般人民にまで意見を伺ったのです。ここに幕府独裁は崩壊したのでした。この機会から、親藩だけでなく、外様大名まで幕政に発言力を持つようになりました。新たに幕政に加わるようになった有力で有能な大名たちも、鎖国を続けるか、開国するかについては意見が分かれていました。それでも一致できたのは、彼らの目的が自分たちが幕政に参加できることを求めており、改革によって幕府による支配を繕って、続けてゆこうとするものだったからです。

しかし、幕府は永らく幽閉してきた伝統的な権威である「朝廷(天皇政府)」を再び覚醒させるのです。アメリカ海軍の到来に、それでも対抗するため軍備を強化しますが、そのために金属材料を求めて、寺院の鐘を鋳替えようとします。そこで1854年、幕府は寺院に対して権威を持つ天皇に「太政官符(だじょうかんぷ)」を出させたのです。それは古代の天皇制政府の時代の法令でした。天皇が再び政治的な法令を発したのです。将軍だけではありません、幕政を改革しようとする諸大名も、幕政改革の勅令を得ようとして、宮廷工作を盛んに行うようになったのです。天皇が政治の舞台に引き出されてきました。

幕府は有力諸大名を外様からも集めてきて、その意見を次々に採用するようになります。それは時の老中主席、阿部正弘が彼ら諸大名を重んじたからです。しかし彼は志半ばで、1857年没します。そうすると保守派の譜代大名の勢力が盛り返してきて、改革派と鋭く対立するようになります。ところへ、一年前に新しく着任したアメリカ新領事、タウンゼント・ハリスが戦争を仕掛けると脅し、通商航海条約の締結を迫ってきます。改革派大名たちは、調印するなら勅許を得よといいますが、長いあいだ政治から遠ざかっていた宮廷・天皇に世界情勢が理解できたはずもなく、容貌の異なる欧米人への恐怖と嫌悪から、改革派大名たちと衆議を尽くすようにと答えるばかりです。

幕政改革によって幕藩体制を維持しようとする改革派大名たちはなぜ、勅許を得てから調印するようにと迫ったのでしょうか。彼らにとっては条約の調印よりも、自分たちの幕政参加の保障がまず、ほしかったからです。幕府内の勢力争いに競り勝つことが主眼だったわけです。このへんは今日の政治とそっくりですね。政策よりも党利党略最優先というわけです。そこへ将軍の後継ぎ問題が起こります。改革派は、改革派の徳川斉昭の子、一橋慶喜を推薦し、保守派は紀州徳川家、慶福(よしとみ、のち家茂)を推します。将軍家にもっとも血縁が近いという理由でした。幕府内勢力争いでも、後継ぎ抗争でも、保守派は不利になってきたため、突如として1858年、譜代彦根藩主、井伊直弼を大老に任じて、一橋派、つまり改革派を罷免しはじめました。

このころイギリス・フランス連合軍が大陸の大帝国、清国に侵略戦争を仕掛け屈辱的な不平等条約をムリに締結させるという歴史事件が起きました。駐日総領事ハリスはこの情勢を巧みに利用し、英仏連合軍は次に日本に向かうだろう、そうすると今の日本の技術力では清国の二の舞だ、しかし今のうちにわがアメリカと通商条約を結んでおけば、それを先例として英仏を留めることができると脅迫しました。井伊直弼は勅許を得ずに、独断でアメリカの脅迫に乗って、1858年6月19日に調印しました。開国が決まったのです。

でも井伊直弼は幕府改革反対の保守系最右翼だったのに、開国には理解をもっていたのでしょうか。もちろん違います。むしろ井伊直弼は頑迷な攘夷排外主義者でした。そんな彼が、「開国」を意味する、アメリカとの通商条約の締結に踏み切ったのは、ただ単に改革派の勢力を追い落とすためであり、幕府独裁を回復しようとする反動的判断でした。大局的な判断を欠いていたのです。旧体制を守ろうとするときには、人間はいつでも的確な判断力を失っているものですね。 (これは個人のレベルでも同じだと思います。これまでどおりの生きかたにしがみついて、新しい変化を避けようとするとき、人はやはり的確な判断力を見失っているのです。)
 実際、開国と外国との貿易は封建体制を崩壊させます。 「あたかも棺の中に密封されていたミイラが急に外気にさらされたように、封建体制は経済的にも、政治的にも急速に分解しはじめた。幕藩体制は、天保改革の失敗した1840年代にはすでに、全体制的危機に瀕していたが、開国がそれに決定的な打撃を与えた。幕府は開国からわずか8年にして倒される(「日本の歴史」/ 井上清・著)」。

直弼は日米条約調印後、将軍継嗣(けいし)は紀州慶福に決定させ、水戸・尾張・越前の徳川3藩主に隠居・謹慎を命じ、一橋派大名、役人を次々に処分し、恐怖政治を始めました。改革派松平慶永の重要なブレーンだった橋本佐内や長州出身の吉田松陰などの有力な人材を処刑しました。橋本佐内と双璧と見なされていた西郷隆盛も直弼配下の幕府に追いつめられ、ついに鹿児島湾に身を投げましたが、一命を取り留めました。これが「安政の大獄」です。こうして幕府改革により幕藩体制を再び強固にし、挙国一致を実現しようとした、改革派大名たちのもくろみは挫折しました。

有力大名は沈黙させられてしまいましたが、新たな勢力として、いわゆる「幕末の志士たち」が政局の前線に進んできました。彼らは大名たちの補佐役だった人たち、またその下働きのような立場だった藩士や、進歩的な浪人・地主・商人たちが、「ご主君」の異同を越えて(武士たちは第一に藩主に忠節を尽くすのを武士の本分と見なしていたので、主君である藩主を棄てて、理念に尽くすというのは思考の大転回だった)、結集したのでした。あの坂本竜馬や中岡慎太郎もこの「志士」の一員でしたし、明治時代に陰然と政界に勢力を及ぼし続けた、後の元老山形有朋(やまがた・ありとも)も志士のひとりでした。この契機となったのが、桜田門での井伊大老暗殺事件でした。1860年、旧暦3月3日、水戸と薩摩両藩の浪士数名により決行されたものです。そしてこの「志士たち」の共通のスローガンが「尊皇攘夷」だったのです。ところが「尊皇攘夷」は当時の「国体」だった幕藩体制護持の用語でした。将軍は天皇より政治を委託されている、だから正当な権威がある、そんな幕府を擁護して外国を排撃しようという意味です。どうして反幕府の志士たちは「尊皇攘夷」を掲げたのでしょうか。

上記の通り、幕府は勅許を俟たず、アメリカと通商条約を結びました。「攘夷」というのは外国を排撃するという意味です。ところが今や幕府は開国推進派なのです。外国を排するのではなく、手を結んだのです。したがってこの時点で「攘夷」派は、つまり排外派は幕府に反対の立場になりました。しかも勅許を得ずに条約を結んだので、「尊王」をも破る形になったのです。もっとも井伊直弼は勅許を得られなかったことを残念に思っていたのですが。幕府の総代表井伊直弼は、天皇の許可を得ずに、外国と手を結んだ、ここで尊皇攘夷派は幕府と袂を分かったのでした。これ以後、尊王攘夷派は反幕府派、開国派は佐幕となりました。

反幕府はでも、この時点で「倒幕」ではまだなかったのです。反幕府は「尊王」を掲げていて、それは天皇を頂点に、諸藩の結束をより高めて、国を挙げて外国勢力に対抗しようとするものでした。しかし「攘夷」とは外国勢力を打ち払えという考えかたです。この「攘夷」論からやがて幕府を倒せという考えが出てきたのです。

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攘夷論は将軍・天皇から下級武士にいたるまで、全ての武士が本能的に持った封建的排外主義であり、儒教の朱子学がいう華夷内外論で合理化され、日本は神国であるという国学によって排外主義がいっそう激しくなり、やがて外国と手を結ぶ幕府は倒せ、という考えにまで至った。

華夷内外論: 宇宙の根源として「理」があり、理には静と動の要素があり、それが陰と陽をなし、陰陽ニ気の作用によって天地自然の万物および人間の社会とその秩序が生成される。理は自然と社会と人間を一貫しており、人間社会の秩序も、たとえば君臣上下の秩序は、天が上にあり地が下にあるのと全く同一の理の貫徹であり、永遠不動である。これよりして、君臣上下の「大義」と臣たり子たるものの忠孝を尽くすべき「名分」、および中華〈内〉を護持し、夷狄〈外〉を排除するという華夷内外別を明らかにし、厳守することは、社会の最高のおきてとされる。封建的秩序と封建道徳の基礎をなす。すなわち身分制度と家父長制を人民支配の最重要の制度とする徳川封建制度の頂点に立つ封建領主には非常に都合のよい思想だった。

(「日本の歴史・中巻」/ 井上清・著)



…つづく
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「高次の愛国心」

2006年05月22日 | 一般
人がその祖国を批判することは、国家に対する奉仕と敬意を意味している。批判は祖国の現状をより良い方向に駆りたてうるから奉仕となるのであり、また祖国が現状以上のことをなしうる存在であるという確信の表明であるゆえに、敬意を意味している。

(「世界」/ 岡本厚・記/ 2006年6月号 編集後記)より。

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これは、日本でも「フルブライト留学」の名で知られる米国の政治家、ジェームズ・W・フルブライト氏が上院外交委員長であった1966年春、ベトナムへの介入を深める米国の外交政策を憂慮し、厳しく批判した講演の一節である(「高次の愛国心と強権の驕り」/ 鶴見良行・訳/ 「世界」/ 1966年7月号)。

開放的で受容的、寛大で創造的な社会、思想と討論の自由がある民主社会が米国であり、それを信頼し、誇りを持つからこそ、誤った政策に対しては批判し、正さなければならない、というのである。教育基本法改訂をもくろむ政治家や東京都教育委員会のような、政府の行う行為には、無批判に従うべきだというが如き、せせこましい「愛国心」とはレベルが違う。

ベトナム戦争に突き進み、膨大なベトナム人を殺し、また自国の若者を犠牲にした米政府が正しかったのか、それともそれを批判したフルブライトのような人びとが正しかったのか。どちらが国と国民を愛していたのか。答えは明らかである。今また、米政府はイラクに侵攻し、無数の人々を殺戮している。それにただ従うのが正しいのか、批判し政策を変えようとしている人々が正しいのか。この答えも明らかであろう。

政府の誤った政策に対する批判と抵抗は、その社会と人びとに対する敬意と信頼と希望の表明である。東京都で、脅迫と強制によって学校現場を荒廃させている教育委員会に抵抗し、闘っている教師や父母たちこそ、自由と民主主義を守り、この「国」を愛し、未来を切り拓こうとする人々である(「世界」/本号、宮村博史氏)。辺野古で米軍基地新設に立ちはだかり、米国に盲従するだけの日本政府の誤った政策を批判し、抵抗している人びとも同じだ。

フルブライト氏は同じ講演でこうも言っている。
「高次の愛国心は、現在あるがままの状態のために国を愛するのではなく、そうあって欲しいと願う状態のためにこの国(つまり米国)を愛するのである」。

60年間武器をとらず、他国の人々を殺さなかったことを誇りにし、一日も長くこの状態を続けようと努力する「国」。外国人も含めてここに生きる人びとの生活と人権を守り、より平等な社会を目ざす「国」。道徳を上から(権力によって)説教するのでなく、学びたいと願うあらゆる人びとに、無料で、教育の機会と施設を保障する「国」。自国の過去に真剣に向き合い、他国の人々の心を踏みつけにしない「国」…。フルブライト氏の言う「そうあって欲しい」とはまさに、「平和憲法」を中心にして、経済・社会・外交を追及してゆく「国」のことではないだろうか(「世界」/ 本号・河野・品川両氏対談より)。

中国には「愛国賊」という言葉があるそうだ。「愛国」を騙って(かたって;だます、の意)大衆を煽動し、名声や利益を得ようとする。戦前、戦中、日本には「愛国賊」が跋扈(ばっこ)し、国を誤らせた。いままた「愛国賊」がはびこり始めている。彼らが強要しようとする低次の愛国心は、この「国」の未来を賭けて、はねのけなければならない。

(「世界」/ 岡本厚・記/ 2006年6月号 編集後記)より。




2005年には、都立高校の卒業式での君が代斉唱の強制に反対するビラを配布していた東京の市民グループや、神奈川県大和市のマンションの外階段から眼前の米軍厚木基地を“ウオッチング”していた反基地団体のメンバー、沖縄の米軍嘉手納基地のゲート前でビラを撒いた僧侶らが次々に逮捕されていった。早稲田大学や法政大学、大阪経済大学などでも、反戦運動に関わる学生たちが相次いで投獄され、あるいは退学処分を受けている。

テロや犯罪に対する恐怖が高まる一方の世相を背景に、住居侵入のような罪状を前面に掲げながら、実は思想・信条を取り締まるのが、昨今の公安警察のやり方だ。対象も特定の党派に偏らず、反戦(・反米)を訴える者は何者であろうと潰すという姿勢がうかがえる。

自分の生活を守ることに汲々とした、せざるを得ない大衆が、そこで機を見るに敏なマスメディアの論調に誘導されて、むしろ積極的に権力の側に立ち、現行の日本国憲法で保障されているはずの表現の自由を自ら放擲しつつある構図ができあがっているのではないか。

一連の流れの中で勾留された若者が話してくれた。公安刑事による取調べは、直接の容疑案件にはまるで触れられることのないまま、始終、こんな調子で続けられたという。
「反戦なんて古いんや」
「俺の顔をよう覚えとけよ。何度でも挙げたるからな」
「早よう真っ当な道に戻れや、コラァ。おまえ、社会的地位とかカネとか欲しゅうないんか。うまいもん、食いたないんか?」
(ルナ註:こりゃまさに“特高警察”ですね…)

(「ルポ・改憲潮流」/ 斉藤貴男・著)

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みなさんにとって、「愛国心」ってどういうものですか? 日本国憲法の基本的原理は「個人の尊重」です。個人が尊重されない現代の風潮は、憲法の精神をお飾りとしか見ないで、実践してこなかったからです。日本国憲法や現行の教育基本法のせいではありません。ただ単にマスコミの論調を鵜呑みにし、世間の流れに身を任せて、「個人の尊重」から「国家への無条件の献身」への移行を容認するのなら、そのまえにもう一度、エホバの証人に戻ってみませんか? そこでは「神」を」騙る宗教団体の教導者たちへの「無条件の献身」が要求され、個人的な意欲は全て断念すること、道徳や生きかたは上から一方的に押しつけられること、不公正な待遇を「地上の楽園での永遠の命」という神話を信じ込まされて忍び、今生きている命、今生きている人生を自分の達成感のために費やすことをあきらめさせる、といった、大日本帝国時代の体質を肌で実感できるのです…。
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T 子の思い出

2006年05月14日 | 一般
用事ができて、実家に戻らなければならなかったが、その帰りに通っていた中学校を通ってみた。新しい校舎などが建っていたり、校庭に植わっていた木々がなくなっていたりで、ちょっと風景も変わっていた。でも体育館は昔のままで、なつかしさを感じさせてくれた。年をとると、むかしと変わっていないものを見つけて、遠く遥かな感慨に浸れるのが心地いい。きのうの雨も上がり、よく晴れて風が心地よい涼しさで、わたしは、自分が中学生だった頃に思いをはせていた。

中学校の頃の親友でT子を思い出す。T子はしっかり者で、気が強く、人柄も大人っぽい子だった。いつもわたしの味方になってくれたし、励ましてもくれた。T子がいなければ、わたしはきっと引きこもりになっていただろう。エホバの証人ということで、いろいろと制約があって、学校行事にひとりだけ参加できなかったとき、いちばん目立つ女の子からすごい意地悪をされた。わたしがクラスでいちばん背が高かったので、おとなしいのにやたらと目立つヤツっていうことで、おもしろくなかったのだろう。でもそんな時にもT子はわたしにいつもどおりに接してくれた。先生もいい人で、わたしをすごく助けてくれた。

わたしを高校に進学させないようにさせるつもりだった親を必死に説得してくれて、3流だけれどなんとか女子高に行かせてくれた。当時は1975年で、エホバの証人にとってはハルマゲドン到来の年だったのだ。わたしはそれでもバプテスマは受けなかった。伝道がいやだったからだ。学校の友だちの家とか、わたしを嫌っているかのナンバー1の女の子とかの家なら、最悪だもん。母はそんなわたしを狂わんばかりに責めたて、なんとかバプテスマを受けさせようとした。父もわたしをひっぱたいても受けさせようとした。でもその頃には、わたしは母よりは大きくなっていたので、抵抗して押しのけたり、父の腕を制したりできたので、会衆では「ワル」のように見られていた。家庭では地獄のような毎日をわたしは送っていたのだった。

だから学校でT子と一緒にいられる時間は、とてもしあわせだった。ハルマゲドンが来ても、T子と一緒なら、死んでもいいと思っていた。T子は勉強がよくできた子だったので、市内の有名な公立進学校へ進むことになった。お別れやね。うん、でも見かけたら声をかけるようにしような。卒業式が近づいていた、小春日和の日に、いっしょに浜まで自転車で出かけた。空はほんとに春霞で、白くてまぶしく、波も穏やかで、キラキラ輝いていた。T子はそのときに、隣のクラスのある男子のことが好きだと打ち明けてくれた。知ってたよ、そんなこと。チョコレート持ってたでしょ? うん、でも渡せなかった。同じクラスなら何とかなったろうに、さすがのT子も隣のクラスに入っていく、ということはできなかったみたいだ。恋をすれば誰だって内気になっちゃうもんね。その日はきれいな夕焼けを見るまでおしゃべりして、夜に家に帰ることになってしまった。その時に撮った写真はいまでも大切に持っている。

集会を休んだので、家にはだれもいなかった。帰ってきたらまたカミナリだ。わたしはさっさと寝た。でもたたき起こされて怒鳴りつけられ、家から閉め出されそうになったが、近所の人が介入してくれてどうにかこうにか収まった。

ハルマゲドンは来なかった。4月、わたしは女子高の入学式の場にいた。T子はもういない。高校生活はわたしにとっては暗い、暗い時代だった。高校には行ったり行かなかったりで、毎年ぎりぎりの出席日数で学年をあがることになった。T子から、1年生の頃までは暑中見舞いの代わりの手紙、年賀状の代わりの手紙が来ていたが、年賀の挨拶状はわたしは出さなかった。すっかりひねくれていて、どうせT子はもっといい友だちを持っているに違いないし、あたしなんてもうどうでもいい人だと思っているに違いない、なんて考えに落ち込んでいた。

T子。今、どうしているかなあ。幸せな家庭を持っているんだろうなあ。高校を卒業して、わたしはエホバの証人になった。社会の責任から逃げたのだ。もういちど、あの頃に戻りたいなあ。今なら、その時その時に何をすべきか分かるのに。風の涼しさが、ちょうどいっしょに海に行ったときのようだったので、かなり感傷に耽ることができた。とてもしあわせな気分になれた。風に当たっているのって、わたしは好きです。身体中を通り抜けてゆくような、心が透明になるような、すがすがしい気分。でも、ほんとうは、何かを成しとげなかった後悔への感傷よりも、何かを成しとげた楽しい思い出への感傷のほうがずっと勝っている。あたしは、もうそのような思い出を今日一日、明日一日、作ることを旨として生きている。じっと年下の人と一生懸命恋をする、どんなにばかにされたって。中学校の頃、図形の問題が好きだったから、数学の独習もする、海外にどんどん旅行する。やりたいことはなんでもする。人間の命を、人生を精いっぱい使い尽くす。ニンゲンとして生まれてきたこのチャンスをおもいきり楽しもう。



「ただ、今この瞬間に生きよ」。 エピクテトス
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嫌われる話しかた

2006年05月12日 | 一般
「PHPスペシャル」という自己啓発モノの雑誌で、ちょっと目を引く記事を見つけました。題して「人生が決まる! ひと言の習慣」。

たったひと言で、人間関係を壊してしまうこと、経験ありませんか? 最近、某掲示板が荒れまして、そこでとくにギャラリーのひんしゅくを買ったのが、正論を語る人。「自分が言ってることって、どこが間違ってる? 正しいでしょ?」という言いかたは、つまりは「あなたが間違ってるのよ!」というふうに相手には、自分が厳しく責められているように聞こえるのです。コミュニケーションでは、自分がどういうことを言おうとするかということも大切ですが、相手にどう受け止められるかということに気を配るのはもっと大切じゃないかな…。上で紹介した記事のリードはこんな内容でした。

「何気なく言った『そうよね』のひと言。
 状況や言い方によって、
 相手を喜ばせることも、逆に怒らせてしまうこともあります。
 あなたがさっき言ったひと言が
 人づきあい、ひいてはあなたの人生を決めてしまうこともあるのです。
 人生をもっと輝かせる『ひと言』を
 あなたも身につけませんか?」

人間関係にヒビを入らせるタイプの話しかたには、
1.陽気でせっかち型
2.知的でシニカル型
3.優しくて心配性型
…とそして
4.まじめでお堅い型
…があるそうです。

たとえば、心をひどく傷つけられた人に、「いつまでもクヨクヨするのって、キライだな…。誰々さんなんかは、こんなふうに考えて立ち直っているのに」なんて言う人。これは№4の「まじめでお堅い型」の人です。記事では、このようにアドバイスされていました。

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☆まじめでお堅いあなた…、「説教」より「提案」スタイルで。


お堅いあなただけに、誰かが間違ったことをしていると黙っていられず、つい「そんなことだから上達しないのよ」などとお説教的な物言いをしがちでしょう。また、「これで決まりね」といった、まとめ的なひと言も嫌がられるもとです。

これを避けるには、上からものをいうような口ぶりは避け、あくまでも助言や提案といった感じにとどめることです。



☆対処;正直な私的で信頼感アップ!


まじめで意志の強いあなた。多くの人が反撃を怖れて本当のことを言わないときでも、あなたなら「おかしくないですか」といったひと言を口にできるはず。

また人の髪型や着こなしなどに対する「あまり似合わないわ」というコメントも、正直者のあなたが口にすれば反感を買わずに済むし、逆に感謝されることも多いでしょう。

「PHPスペシャル 2006/6月号」より。

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どうして正論をいうことが「上から見おろした」言い方なのでしょう。それは、人間がコミュニケーションを交わすときに、ほんとうに求めているのは、気持ちを伝えることだからです。伝えたい気持ちが、ネガティブなものだったら、ほしいのは共感してもらうことであって、評価や裁定、ましてや修正ではないからです。人間はつらい気持ちはひとり胸にしまっておくよりは、誰かに話したほうがすっきりします。人間は群れを成す生き物だから。そうやって感情がなだめられたら、今度は自分で処理を始められるのです。だって、自分の人生は他人に操作されるものじゃないから。自分でやってみて失敗するほうが、他人にやってもらって成功するより満足度はずっと高いのです。自分でいちど想像されてみたら容易に理解できるでしょう。

そういえば、アサーションの話がほうったらかしになっていますね。また近々書きますね。今日、ちょっと書いたことを、ほんのちょっと詳しくした内容をね。

それとね、まじめなことって、ふつうは誰でも考えるものです。人の助けになりたいって思うのも、立派なことですが、それは真に相手の必要としているものを理解できていてはじめて「助け」になるのであって、自分を認めさせるためとか、くらい話、ネガティブな感情を抱くことを「悪いこと」なんて考えから、相手を矯正しようとする動機が底にあると、決まって反感を買います。ほんとうに人さまの助けになりたいのなら、ネガティブな感情の吐露も、そのまんま受け止めるのが、相手の必要に真に応じることなのです。マザー・テレサも同様のことをおっしゃっておられます。

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自分たちのことしか考えていない親たちの姿を見るとき、わたしはこう自分に言います。
「この人たちは、アフリカ、インド、その他開発途上国で飢えている人たちのことを気遣うことができるでしょう。人類が感じている飢えに終止符を打つことができる日を夢みることもできるでしょう。しかしながら彼らは、自分の家庭の中に、同じような貧しさと飢えが実は存在していること、自分の子どもたちのそれに気づかずにいるのだ。更に言えば、利己的な自分たちがそのような飢えと貧しさの原因なのだということにも気づいていない」。

「愛は身近な人、つまり家族を気遣うところに始まります。わたしたちの夫、妻、子どもたち、または親たちが、一緒に住んでいながら、十分に愛されていないと感じ、孤独な生活をしているのではないかということを、まず反省してみましょう」。

「聞いてくれる人を持たない人の話しに耳を傾けるのは、すばらしいことです」。


「マザー・テレサ 愛と祈りのことば」/ 渡辺和子・訳

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ほんとうに人の助けになりたいと思われるのなら、重く、痛ましく、耳を覆いたくなるような内心の吐露の話を、すべてその人の観点に立って受け止めてみてください。あなたはこのように考えるべきですとか、その考え方はおかしいとか、消極的な話や怨みごとはやめてくださいとかいう、常識とか、自分の生きかたから得てきた個人の信念とか、宗教信条の善悪の基準とかで評価裁定することなく、その人の感じ方をそのまんま受け止めてみてください。

今すぐ心を押しつぶす問題を解決することはできません。でも個人個人になにもできないというわけではありません。自分の隣にいる人に共感するということはいますぐ始めることができます。気持ちを理解しようとするということは今この時から始められます。人を指導しようとか、教え諭して悔い改めさせようとか、人の生きかたや考え方を自分の思うとおりに変えさせようとするのを止めることも、今すぐに始めることができます。人の助けになりたいとか、人の役に立ちたいとか思うなら、こういうことが基本であり、すべてだとわたしは考えています。どう思われますか?

でも単に暗い話しがイヤ、とか、消極的な感情を抱くのは弱いこと、弱いことはいけないこと、などという精神医学的見地からしても間違った考えで、あくまで正論を主張しないとおさまらないのであれば、あなたはいわゆる「困った人」です。心理療法を試すことをオススメします。
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「自己犠牲」が尊い、というレトリックの効用

2006年05月05日 | 一般

親が子どもの治療に輸血を拒否して結局死なせてしまった、という例はたくさんあります。いつだったか、エホバの証人の機関紙「ものみの塔」には、親の宗教信念を信じ込まされて輸血を拒み、死に至った子どもたちの顔写真が表紙になったことがあります。あの子たちを見習うべき殉教者として顕彰でもしているつもりだったのでしょうか…。

異端的な聖書解釈を護って子どもが死を選択する、というのはとてもエキセントリックな印象を内外に与えます。エホバの証人信者でも、できるだけ我が身には起きてほしくない事態です。でもそんなめぐり合わせに出会ってしまえば、「究極の選択」に迫られます。ものみの塔協会への忠誠を取るか、子どもの命を取るか。たいてい、このような場合、「輸血をしたから必ず助かるというわけではない」というレトリック=修辞法(ことばを巧妙に操作して説得に至らせようとする技術)が使われます。また「輸血をするほうがリスクは大きい」という言いかたもされます。このレトリックのごまかしについては、「まいけるのおうち:http://blog.goo.ne.jp/jw2」をぜひご覧下さいね。「輸血問題」というカテゴリーに3本の記事が出されています。

殉教者を顕彰するっていうこと、わたしは大嫌いです。同じようにしろ、という教唆の目的があるからです。またそれには、エホバの証人の上層部の人たち自身、内心では十分に自信が持てないでいる「血の教え」で子どもたちを死なせてしまったことへの責任問題を回避する効果もあります。実際には、子どもを失った親たちの、それこそ血の出るような悲しみ、重苦しさをも打ち消してしまって、さらにきれいに飾りたてる効果も持ちます。死人を神格化したりするべきじゃない、死んだ人の家族を慰めること、二度とそのような時ならぬ死者を出さないような対策を立てること、そういうことに努力を傾けるべきであって、同じように殉教に習えというようなお手本にしてしまってはならないと、強く、強く確信しています。

今回は、殉教者を顕彰するということの真意を、戦死者の国家的な祭祀を考察した一文章から明らかにしてみようと思います。いつかはやろうと思っていた靖国神社の問題から、ね。

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9月29日までの報告に拠れば、日清役並に台湾戦争に於いて我軍人の戦死せし者851人、傷死233人、病死5385人、合計6469人にして、其後の死者も少なからざることならん。生き残れる人々は夫々名誉を担うて故国に帰り、親戚故旧に迎えられ国民に感謝さるるのみならず、爵位勲章を授けられ金円を賞せられて光栄を極むれども、独り幾千の勇士は此光栄に与る(あずかる)を得ず、爵位勲章以て其功を輝す能ず(あたわず)、金円を賜うて以て其労を慰する能わず、国民の歓迎用うるに所なく、親戚故旧手を握て無事を祝するに由なし。其遺族は多少の扶助料等を得て細き煙を立て得べしと雖も(いえども)、必ず功名手柄して無事に帰れよがしと日夜に祈りし其父兄は復た(また)影にも見えず、其戦友が赫々(かくかく)たる勲爵を得て揚々たるを見るにつけても先だつものは涙なる可し(べし)。世に不幸の者は少なからずと雖も、身に大功ありて而も(しかも)其報酬を受るに及ばずして死せし者ほど不幸なるものは非ず(あらず)。

国に尽くすの道は一にして足らざれども、危急の場合は身を棄てて職に斃るる(たおるる=倒れる、の意)より切なるは(=大切なことは、の意)非ざる可し。蓋し(けだし)今回の戦争に真実文字通り連戦連勝の奇功を奏して国光を発揚したるには種々の原因ある可しと雖も、士卒何れも(いずれも)戦場に斃るるを以て武夫の本分と為し、死を視ること帰るが如く、生を豪毛の軽きに比したる大精神こそ、其奇功の本源にして、戦死者必ずしも皆強しと云うに非ず、生存者亦(また)固より(もとより)弱きが故に生き残りしと云うに非ず。時の運、生死の別を生じたるに相違なしと雖も、国家が戦死者に負うところのものは凱旋者に負う所のものよりも軽しと云う可らざるは勿論なれば、独り凱旋の士卒に厚くして死者に薄かる可らず。特に東洋の形勢は日に切迫して、何時如何なる変を生ずるやも測る可らず。

万一不幸にして再び干戈(かんか)の動くを見るに至らば、何物に依頼して国を衛る可きか。矢張り夫(そ)の勇往無前、死を視る帰るが如き精神に依らざることなれば、益々此精神を養うこそ護国の要務にして、之を養うには及ぶ限りの光栄を戦死者並びに其遺族に与えて、以て戦場に斃るる(たおるる=倒れる)の幸福なるを感ぜしめざる可らず。然るに聞く所に拠れば、戦死者に対しては只其遺族に扶助料其他僅か許り(わずかばかり)の金円を賜うのみにして、何等の恩典もなしと云う。如何にも気の毒なる次第にして、国民の元気にも関することなれば、此際大いに其英魂を慰むるの挙あらんことを我輩の切望する所にして、先般来各地方に於いては戦死者の招魂祭を営みたれども、以て足れりとす可らず。更に一歩を進て地を帝国の中心なる東京に卜して(ぼくして;占うこと。亀の甲を焼いてできるひび割れを読むことを指していた。ここでは方角を読む、の意か?)此れに祭壇を築き、全国戦死者の遺族を招待して臨場の栄を得せしめ、恐れ多きことながら大元帥陛下(天皇のこと)自ら祭主と為らせ給い、文武百官を率いて場に臨ませられ、死者の勲功を賞し其英魂を慰するの勅語を下し賜わんこと、我輩の大いに願う所なり。

過般佐倉の兵営に於いて招魂祭を行いしとき、招かれし遺族中一人の老翁あり。親一人子一人の身なりしに、其子が不幸にも戦死したりとて初めは只泣く許りなりしが、此の盛典に列するの栄に感じ、一子を失うも惜むに足らずとて、後には大いに満足して帰れりと云う。今若し(もし)大元帥陛下自ら祭主と為らせられて非常の祭典を挙げ給わんか、死者は地下に天恩の難有謝し奉り、遺族は光栄に感泣して父兄の戦死を喜び、一般国民は万一事あらば君国の為めに死せんことを冀う(こいねがう=請い願う)なる可し。多少の費用は愛しむに(おしむに)足らず。呉々も此の盛典あらんことを希望するなり。

-「時事新報」1895年11月4日付け、論説より。 (時事新報は福沢諭吉主宰の新聞です)。



《大意》

日清戦争と台湾戦争において、日本軍の戦死者は合計6469人にのぼった。ところが、その多数の戦死者が国や社会から十分な注目を浴びていない、その功績が評価されていない。これは大問題だ。戦争から生還した将兵たちは、国民に感謝され、国から勲章を受け、報奨金も給付されて、光栄をきわめている。なのに戦死した人たちはまったく逆である。もちろん、戦死者たち自身は、そのような光栄は受けられない。その遺族たちは多少の扶助金を給付はされているかもしれないが、それによって細々と生活を立てているだけで、決して国家による十分な待遇を受けていない。戦友たちは生き残って帰ってきて、たいへんな光栄に包まれているのに、自分たちの父兄は戦死してしまい、社会からも国家からも十分な手当てを受けられない。ほんとうに気の毒なことだし、これはおかしい。戦死者の功績は帰還兵の功績に較べて決して軽くはないからだ。

国家危急の際には身命を賭して戦う。戦場に倒れることをもって軍人の本分となし、命を捨てても国家のために尽くし、そのためには自分の命など鳥の羽ほどの軽さに過ぎないものと考える、そういう「大精神」こそが、戦争に勝つ本源であるのだ。だから、凱旋した軍人・軍属にのみ手厚くして、戦死者とその遺族に薄くするのはおかしい。

それに今、東アジアの情勢は日に日に緊迫度を増してきている。いつどんな戦争が起こるかも予測できないし、予断を許さない状況である。もし今また不幸にしてふたたび戦争になれば、皇国は何によって守られるだろうか。それはなんといってもあの勇壮な精神、皇国のためならば自分の命を羽毛の如く軽いものとし見なし、喜んで棄てるという「大精神」によってである。この精神によって国を守るよりほかないのであって、そうだとすれば、ますますこのような精神を養うことが、国を守る上での必須条件になってくる。さらに、そのような精神、国を守るためなら自分の命などいつでも棄てるという軍人精神を養うには、可能な限りの光栄を戦死者とその遺族たちに与えて、それによって「戦場で死ぬこと」が「幸福なことである」と感じさせなければならない。国のためならば、命など投げ捨てるという精神をつくり上げることこそが戦争に勝つためのエッセンスである。

そのような精神を養うには、現在のように、戦死者とその遺族に冷たくしていたのではだめなのであって、逆に可能な限りの栄光を戦死者とその遺族に与え、彼らが戦場で死に、そして家族を戦争で失ったがゆえに、そのような最大限の栄光を受けることができたのだと思わせ、戦場で死ぬことが幸福であると感じさせなければならない。戦死者はもはや感じることができないから、遺族とそれを見る国民に、戦場で死ぬことがむしろ幸福なのだと感じさせない限り、進んで戦場で命を棄てる精神を作り出すことはできない。

しばらく前に、千葉県の佐倉の兵営で招魂祭を行った際、そこに招かれた遺族の中に、ひとりのお爺さんがいた。そのお爺さんは親一人子一人の身であったが、その一人息子が不幸にも戦死したといって、最初は泣いてばかりいた。そのお爺さんがこの招魂祭に参列したところ、その名誉心をくすぐられ、ハレの場に昂揚して、自分の息子を失ったのも『惜しむに足りないことだった』といって、大いに満足して帰っていった。

もしも今から、明治天皇が自ら祭主となって、非常の大祭典を挙行すれば、戦死者は黄泉の国で、天皇の恩がいかにありがたいかを感じ入って感謝するだろう。『天皇陛下が、私の功を讃え、私に感謝するために、祭りをやってくれた』と。遺族はそういうことになれば、その光栄に感きわまって嬉し泣きをして、父や兄が戦死したことを喜ぶようになるだろう。さらに重要なことは、このようにして天皇に、そして国家に褒め称えられ、顕彰される戦死者や遺族を見ている一般国民は、万一戦争になったら、天皇=国家のために死ぬことを希望するようになるであろう。自分たちも、あの戦死者たちに続いて天皇の国家のために死ぬことによって、永遠に天皇の国家から感謝され、褒め称えられたいと思うようになるであろう。そうすれば次の戦争に対する十分な準備になる。こういう効果を考えると、費用を惜しんでいてはならない。

(「国家と犠牲」/ 高橋哲哉・著)

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ものすごい露骨な文章ですが、これは実在する記事です。そしてこの記事に呼応するかのように、この記事が出された同じ年の12月、明治天皇が参拝する招魂祭が実施されたのです。引用した時事新報の記事には、どこの神社で行うかまでは指示していませんでした。「帝国の首都で」とだけ書いてあります。1895年12月に実施された日清&台湾戦争の臨時招魂祭は靖国神社でした。当時の政策を遂行するために、国民を総動員させようとしたのですね。国民の心に国家の方針にまったく賛成させる思考回路を、国家が設置したのです。

しかも、その効果もこの記事は明らかにしています。最後のほうにある、おじいさんの実例ですね。ひとり息子を失った悲しみを、国家が意味づけして癒しました。現代人なら、二度と自分のような悲しみを人々が味わわないようにと、反戦運動を行ったかもしれません。そういう活動に意味を見出し、子どもの喪失の傷を癒そうとしたかもしれません。今現在は、個人の心は国家の干渉を受け得ない法の下にあるからです。たとえば、親が子どものために自分の命を投げ出すというのは、これは人間の自然な感情です。だれに指図されなくとも湧きあがってくるものでしょう。しかし、国家のために自分の子どもの命を棄て去るという考えはどうでしょう。それはやはり特殊な教育を受けなければ心に上ってくるものではないでしょう。

エホバの証人はそういう教育を行います。イエス・キリストは「杭」、十字架ではなく「杭」で磔刑に処された、それは父エホバが人類を救うために、自分の子どもの命を投げ棄てたのであり、それほどまでに人類を愛しているのだ、それゆえ人類よ、悔い改めてエホバに帰依せよ、エホバが地上で用いている唯一の宗教団体である「ものみの塔聖書冊子協会」の指導下に入れ、入ったら無条件で協会の指導に服するようにと。わたしには明治時代以降、大日本帝国の崩壊に至るまでの日本の体制とエホバの証人の体質とがぴったり重なって見えるのです。エホバの証人の教育を受けるまでは、だれも自分の子どもに輸血をさせないようにしようなどとは思いません。エホバの証人の教育を受けて初めて、そういう選択を苦悩のうちに行うようになります。そしてそうやって失われた子どもたちを、大会の経験や、世界中のエホバの証人の信者に配られる機関紙で褒め上げます。過度に悲しまないように、来るべき神の王国で、彼らは復活するであろうと教えます。ものみの塔協会の指導者たちが、子どもを失った親たちに代わって、メンタルケアを行い、子どもの死に栄光を賦与し、意味づけを行います。他の信者たちが、同じような局面を迎えたときに、協会の支持にしたがって、命がけで「血の禁令」を擁護しようという意思を持つように。危険なカウンセリングです。

カウンセリングの倫理は、本人の心のなかでの葛藤は本人で決着をつけることができるように、カウンセラーはサポートをする、というものであり、決してカウンセラーが本人に取って代って、解決してしまってはならないというものです。アメリカでは、精神分析医療の現場で、カウンセラーが、事実無根の「児童期における性的虐待の記憶」をクライエントに植えつけた実例があります。その事件の後の研究によって、そういうことが可能であることが証明されました。子どもを失ったという事件は深いトラウマを心に残します。そのトラウマを乗り越えるのは、あくまで本人なのです。それを国家や宗教団体が一方的に意味づけを行って、解決しようとするのは心理操作であり、人権の甚だしい侵害になります。エホバの証人で、輸血治療を拒んで家族を失った人の中には、「ほんとうにこれでよかったのか」という気持ちが意識から抹消されえないでいる人たちもいるかもしれません。そういう気持ちを、ほんとうの気持ちをはっきり意識に上らせることが、心理操作されないで、自律的に生きる秘訣なのです。

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子どもが、夫が、立派にご奉公申上げることができたと喜ぶのと、折角大事に育てた子どもを、御国のためとはいへ、不幸にも亡くしてしまったと悲しむのとは、非常に心持が違うと思ひます。喜ぶのも、悲しむのも、つまりは自分の心の持ちやうです。

いったい自分のものだと思っている財産も、実は自分のものではありません。みんな国家のものです。いや、財産ばかりではない。この身体も、生命も、みんな上御一人からお預かりしているのです。だから、いざといふ場合、立派にお役に立つように、ふだんから大切にせねばならぬわけです。

遺家族の方々は、このたび大切に育てた倅、大切に仕えた夫を、潔く醜の御盾(しこのみたて)として捧げられたのです。陛下からお預かりしたものを御返しになったのです。しかも、その息子、その夫はいまや靖国の神として祀られ、いつまでもいつまでも、上、陛下の御参拝を仰ぎ、下、国民からは護国の忠霊として仰がれるのです。男子の本懐これに過ぐるものはないと存じます。

ふつうに死んだのでは、同情こそせられ、決して尊敬され、感謝せられることはありません。遺家族の方々は、君国にわが身を捧げた息子のお陰で、見ず知らずの人々から、非常な感謝と尊敬を受けられているのです。

「靖国の精神/忠霊の遺族に贈る」/高神覚昇・著より

(「靖国問題」/ 高橋哲哉・著)

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ここら辺の教え方はまったくエホバの証人そのものです。個人の尊厳などかけらほども認められていません。人間は罪を受け継いでいる、だから本来生きるに値しない、しかしイエスの贖いの死によって請け戻された、だからエホバとイエスに従うことによってのみ、人間は価値ある生を享けることができる、だから今、ものみの塔協会に黙って従え、不平を言うなというのがエホバの証人の言い分です。ですから、このような他人による自分の存在の操作から脱出する方法は次のようになります。すなわち、自分という個人に尊厳を見いだすことです。自分は誰かから表彰されなくても、誰かから感謝されなくても、価値ある存在であるということを知ることです。喜びも悲しみも心の持ちようである、それは事実です。感情は思考に規定され、考えかたによって感情はコントロールできる、でも「自分の感情はあくまで自分の思考によってコントロールするもの」であって、他人の思考を無批判に受け容れてコントロールするものではないのです。そうでなければ、自分は他人の思惑で生きることになるからです。自分の心は自分だけのものです。それが基本的人権の要であるのです。高橋教授はこのように訴えておられます。

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もしそうだとすれば(ルナ註:喜ぶのも、悲しむのも、つまりは自分の心の持ちやうです、というとおりならば)、靖国信仰から逃れるためには、必ずしも複雑な論理を必要としないことになる。ひと言でいえば、「悲しいのに嬉しいと言わないこと」。それだけで十分なのだ。(ルナ註:「時事新報」の記事で取り上げられていたおじいさんのように、ほんとうは悲しいけれど、天皇陛下=国家が大々的に祀ってくれているので光栄に思う、などとごまかさないこと、という意。)

まずは家族の死を、最も自然な感情にしたがって悲しむだけ悲しむこと。十分に悲しむこと。ほんとうは悲しいのに、無理をして喜ぶことをしないこと。悲しさや虚しさや割り切れなさを埋めるために国家によって用意された物語や、国家が用意した意味づけを決して受け容れないことである。

「喪の作業」を性急に終わらせようとしないこと。とりわけ国家が提供する物語、意味づけによって「喪」の状態を終わらせないこと。このことだけによっても、もはや国家は人々を次の戦争に国民を動員することができなくなるだろう。戦勝主体としての国家は機能不全をきたすことだろう。

(「靖国問題」/ 高橋哲哉・著)

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この文章の「国家」を「エホバの証人」に置き換えると、そのままエホバの証人によるマインド・コントロールから脱却する特効薬となるでしょう、この文章は。悲しむことは悪いことじゃない。弱いことでもない。それは自然なことなのです。気落ちするのも、迷うのも、優柔不断になってしまうのも。いつからかわたしたちは、こういうネガティブな感情を、持ってはいけないもの、抱くべきじゃないもののように扱うようになりました。それはひょっとしたら、不安に対処する術を見失った、わたしたちの未成熟さが、大人になっても、老齢になっても解決しないままになったことの表れなんじゃないでしょうか。それとも成果を上げることが最重要で、そのために一休みしたり、座り込むことを許さない雰囲気が蔓延したからかも知れません。自分たちの生活のための社会活動が、いつのまにか社会のための自分というふうにすり替わってしまっていたのではないでしょうか。すでにファシズム思考は徐々に醸成されてきたのではないでしょうか。戦後昭和のずっと早いうちから。でも、いまならまだ取り戻せる、心理療法の発達した今なら、明治の頃の国民のようには騙されにくくなっている、いくら公に表彰されても、愛する人とともに生きることに勝るものはないと思える、自分の自然な感情を決して見失ったりしないと…。そのためにも、わたしたちは、ネガティブな感情と向き合うことを怖れていてはならないのだと思うのです。


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ケータイから

2006年05月03日 | 一般
「共謀罪法案」がまた審議再開されます。これは、ある団体が犯罪の相談をしただけで罪に問うというものです。「ある団体」、「犯罪」っていうのは決してわたしたちがふつうに思いつくような、凶悪犯罪だけをいうのではありません。政府の方針に反対のデモを行う計画に「よし!」というだけでも、適用される可能性もあるのです。

すでに通信傍受法や住民基本台帳法などが成立しており、国民への監視はますます強化されつつあるのです。もうこれで、日本がいま目ざす方向が疑いのないものになりました。「統制」です。今回の統制は以前のように軍国主義ではありません。この度の国家主義のコアは企業側の論理です。日本は世界的な市場に打って出るため、国民を総動員するつもりなのでしょう。

至急、専門的な評論を集めます。みなさん、もう自民党は信頼できない、小泉流のキャッチフレーズ政治に騙されていては、結局わたしたちの首を自分で絞めることになります。煩雑な問題をひとつひとつていねいに考えてゆくのはたしかに面倒なことです。でも、わたしたちが小泉純一郎のフレーズに期待していることと、彼がそのフレーズにこめている意図とはぜんぜん違います。次の選挙では、ちょっと神経を使い、頭を使って、よーく見究めましょうね。

とりあえず、携帯電話から、投稿します。新聞を含め、一般的なメディアも鵜のみにしてはならないです・・・
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マザー・テレサの眼

2006年05月02日 | 一般
ルナはバリバリの無神論者です。神はいないと判断しました。進化論は実際にあるもの、実際に起きていることをもとにして筋道を立てて考察しているからです。エホバの証人時代のトラウマのせいで、宗教には今では生理的に拒絶反応が起きます。「エホバとイエスが自分をつかんで下さっているので、エホバへの信仰を失いそうになるところを、踏みとどまれました」などという話を聞くと気分が悪くなります。かつてさんざんわたしを傷つけてきたあの宗教団体を支持するということは、わたし自身への攻撃であるように感じてしまうのです。それほどエホバによって受けたトラウマは根深い、ということです。

ああ、そんなわたしなのに、なんということでしょう…。偶然、通勤駅にある本屋さんでみつけた一冊の文庫本…。思わず読み入ってしまいました。「マザー・テレサ 愛と祈りのことば」。それだけではありません、すべてのことばに対してではありませんが、多くのことばに心が温まってしまったのですぅ…。うう、わたしのこれまでのアイデンティティが大地震によるかのように大きく揺さぶられたのでしたああっ。

でも…、でも! やっぱり神=造物主は認めなーい! 近々人類の進化について、わたしが読んで納得した本からおもしろい話をご紹介しますね。ここは、キリスト教に対してではなく、人間アグネス・ボワジュ(マザー・テレサの実名だそうです)の人間観察、人生観に感じ入りました、ということにして、感動的なことばをいくつか紹介します。

くどいようですが、一つの点を強調しておきます。わたしはアグネス・ボワジュに頭を垂れたのであって、キリスト教の軍門に下ったわけじゃないぞ、っていう点です。さらにさらに、これを負け惜しみと取られることは心外だぞおー、っと。

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以下、かぎかっこは、「マザー・テレサ 愛と祈りのことば/ 渡辺和子・訳」より引用。

「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」という、野外奉仕用の「ブロシュアー」とエホバの証人が呼ぶブックレットに、このような一節があります。

「インドの大聖モハンダス・K・ガンジーでさえ,インド駐在の英国総督に,『あなたの国とわたしの国が,この山上の垂訓の中でキリストが述べた教えについて意見の一致を見るならば,わたしたちの二国の問題のみならず全世界の問題をも解決することになるでしょう』と言ったことがありました。ガンジーは聖書のマタイ 5章から7章までのことを語っていたのです。あなたも,その力強い音信に感動をおぼえないかどうか,ご自分でそれらの章をお読みになってみてください」。

だから、日本人も聖書を読んで、エホバの証人独特の解釈を受け容れなさい、というように話を持って行くのですが、アグネス・ボワジュはこのように述べています。

「ガンジーは、キリストのことを知ったとき、興味を抱きました。しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです(「マザー・テレサ 愛と祈りのことば」/ 渡辺和子・訳)」。

そっくりそのまま、エホバの証人にあてはまりますね、断言しますよ! 「キリスト信者たち」の部分を「エホバの証人たち」に置き換えても、まったく違和感なくウイットに富んだことばとして通用します。またアグネス・ボワジュはこうも言っています。

「キリスト者であるためには、キリストに似た者でなければならないと、わたしは固く信じています。ガンジーがかつてこう言いました。『もしもキリスト信者たちが、その信仰に忠実に生きていたら、インドにはヒンズー教を信じる者たちは一人もいなくなってしまっただろう』と。人々は、わたしたちがキリスト信者らしく生きることを期待しているのです(同書から)」。

やいっ、日本支部の偉いさん、本部の偉いさん! 聞いたか? お前らのやってることをぜーんぶ、隠さずに公表してみろ! かなりの数の信者は首をひねるぞ? 日本では毎年頭数がわずかに増えたりどーんと減ったりしてるだろ! あんたらがキリスト信者らしく生きることに期待していたのが、もう見限ったからだぞ! 信者の努力不足じゃないぞ、肝に銘じておけ!

「キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。言葉でだけきれいなことを言って、自分は実行していないことがあるからです。人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります(同書より)」。

これは聖書のテトス書の1章16節と同じですよね。お局、お前らに言われていることだ、わかってるか? わかってないよね…。

「事実,あなた方を殺す者がみな,自分は神に神聖な奉仕をささげたのだと思う時が来ようとしています。しかし彼らは,父をもわたしをも知っていないので,そうした事をするのです(ヨハネによる書 16:2‐4)」。



相手の人を尊重するということを理解させるこんなことばがありました。

「ある夜のこと、一人の男性が訪ねてきて、『8人の子持ちのヒンズー教徒の家族が、このところ何も食べていません。食べるものがないのです』と告げてくれました。そこでわたしは、一食に十分なお米を持ってその家に行きました。そこには目だけが飛び出している子どもたちの飢えた顔があり、その顔がすべてを物語っていました。母親はわたしからお米を受け取ると、それを半分に分けて、家から出てゆきました。しばらくして戻ってきたので、『どこへ行っていたのですか、何をしてきたのですか』と尋ねました。『彼らもお腹を空かしているのです』という答えが返ってきました。『彼ら』というのは、隣に住んでいるイスラム教徒の家族のことで、そこにも同じく8人の子どもがおり、やはり食べるものがなかったのでした。この母親はそのことを知っていて、僅かばかりの米の一部を他人と分け合う愛と勇気を発揮したのでした。自分の家族が置かれている状況にもかかわらず、わたしが持って行った僅かの米を隣人と分け合うことの喜びを感じていたのです。その喜びを壊したくなかったので、わたしはその夜、それ以上の米を持っていくことはせず、その翌日、もう少し届けておきました(同書より)」。

「善意」って、こういう行為を言うんですよね。「善意」と「親切の押しつけ」との違いがよくわかる話ですよね。「善意」は相手の感情や考えを尊重します。押しつけは施すほうの人の自己満足や宣伝に過ぎません。そういう親切は、実はたいへんにありがた迷惑で、施しを受けたほうには決まって屈辱感が残ります。施すほうは施される方の人を、内心では見下しているからです。

「与えることを学ばねばなりません。でも、与えることを義務と考えるのではなく、与えたいという願いとすることが大切です。一緒に働いている人たちにいつも言っていること。『余ったもの、残りものは要りません。わたしたちが仕えている貧しい人たちは、あなた方からの憐れみも、見下すような態度も必要としていないのです。彼らが必要としているのは、あなた方の愛と親切なのです。彼らが求めているのは、あなた方のお情けではなく、あなた方の愛と優しさなのです。彼らは自分たちの人間としての尊厳に敬意を払ってほしいのです。そして彼らが有している尊厳は、他の人間のそれとまったく同じ質と量の尊厳なのです』。貧しい人の惨めさ、物質的な貧しさばかりでなく、その精神的な傷口をこそ、わたひたちは手当てをしてあげねばならないのです。わたしたちが彼らと一つに結ばれてその悲しみを分かち合うときにのみ、彼らの生活に神をもたらし、また彼らも神に近づいて癒されるのです(同書)」。

人間が幸福に、豊かに生きるとはどういうことなのでしょうか。アグネス・ボワジュはこのように話しました。

「インドでは、貧しい人々は僅かばかりのお米を他人から受けることで満足し、幸せになれるのです。一方、ヨーロッパの貧しい人々は、自分の貧しさを受け入れることができずにいるので、その多くにとって、貧しさは失望の源でしかないのです(同書)」。

深いことばですね…。生きるっていうことは、自分だけを守ることじゃない、ともに守りあうんですよね。新自由主義の下、「勝ち組」だけを拾い上げてゆくこれからの日本では、失望する人が増えていって、きっと社会秩序が深刻にダメージを受けるでしょう。なおも経済大国の幻想を追い求めて国民から安全を取り上げてゆこうとする日本。身のほどをわきまえずに背伸びをしてまで豊かな資源を有する一部の外国と苛烈な競争をめざす日本。等身大で生きようとすることを忘れた日本。地域で互いに協力し、結びついてゆこうとする庶民の智恵を退ける日本。わたしは、アグネスのこのことばの中に、日本がほんとうにめざすべきスピリットがあると思います。日本のありのままの国力というものを受け入れることができないのが、新自由主義者のほんとうの姿です。日本は経済力を一時的に伸ばせても、それは長続きしない。生活に「豊かさ」がなくなるからです。国家を富ませるのは何のためでしょうか。自分たちの生活を押しつぶしてしまえば、生きて働くことにいったいどんな意味があるのですか? 武力によって韓国や中国に批判されないような国にすることに、どんな重要な意味があるのですか? そのために夫や子どもの命を犠牲にして、それで家族は幸せですか? 夫や子どもが靖国神社に祀られる方が、生きて自分のそばにいてくれるより値打ちが高いのですか?

「わたしたちは雲の上と言いましょうか、非現実の世界に住んでいてはなりません。わたしたちの周りの人々を理解するように懸命の努力を尽くすべきです。そして、ともに住む人々をよりよく理解するために、自分自身をまず理解することがどうしても欠かせないのです(同書)」。

国家権力や、暴力的な人に取り入るのは、自分をそういうものに同一化して、他人の力を借りて自分を高めようとすることです。そういう人は自分自身をしっかり持っていないのです。ひとりになると、自分は何をしようとしているのか、いえ、自分は何がしたいのかさえわからないのです。「かくあるべき」という囚われがあって、つまり心の自由が奪われていて、自分がほんとうにしたいことを「悪いこと、いけないこと」と決めつけて抑圧してきたのです。そういう抑圧は何を生みだすと思いますか? コミュニケーション能力の萎縮、そしてそれがもたらす孤独です。孤独の惨めさ、怖ろしさをご存知ですか?

「折にふれて、自分の行動の指針としていくつか自問してみてはどうでしょう。たとえば、わたしは貧しい人を知っているだろうか。食べ物に困ってはいなくても、貧しい人が自分のごく身近に、まず家族の中に、家庭の中にいないだろうか、と自分に問いかけるのです。より内面的なもので、同じように辛い、異なったタイプの貧困があります。夫または妻が求めているもの、わたしの子どもたちや親たちが求めているものは、もしかしたら衣服や食物ではなく、わたしが与えようとしない愛なのかもしれないのです。貧しさにはいろいろあります。経済的にはうまくいっているように思われる国にさえも、奥深いところに隠された貧しさがあるのです。それは見捨てられた人々や、苦しんでいる人々が抱えている極めて強烈な寂しさです。わたしが思うのに、この世で一番大きな苦しみは一人ぼっちで、誰からも必要とされず、愛されていない人々の苦しみです。また、温かい真の人間同士のつながりとはどういうものかも忘れてしまい、家族や友人を持たないがゆえに愛されることの意味さえも忘れてしまった人の苦しみであって、これはこの世の最大の苦しみと言えるでしょう(同書)」。

自分の不満は、ほんとうに韓国や中国の右翼の人々に対するものですか? 実は自分の望むことを行えず、自分のほんとうの目標が否定されてきたことへの怒りではないでしょうか。友人ができない、恋が長続きしない、愛し方が分からない…。そんな日常の不満、怒り。そういうふうに自分を追いつめたのは、アジア諸国ではなく、日本国憲法や教育基本法の精神に背を向けてきた、この社会ではないでしょうか。家庭を犠牲にして経済成長のために自己犠牲的に生きてきたオトコたち。そんな社会が経済成長にうつつをぬかしている間に作ってしまった何百兆円もの借金の処理のために、わたしたちは自分と自分の家族と、自分の老後の生活を投げ捨てよと言われているのです。わたしたちの不満は、そんな国の要求が醸し出す、老後の不安へのものではないですか? 自分自身をもういちど、みんなで調べてみましょうよ。


「この地球上に二つの飢えた地域がある。一つはアフリカ、もう一つは日本。アフリカは物質的な飢え、日本は精神的な飢えである/ マザー・テレサ(「平成大改革」/武田修男・著)」。
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