Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

慰安婦問題で日本に行動促す・オバマ氏「甚だしい人権侵害」~日本の「オヤジ」考

2014年04月27日 | 「世界」を読む

 
 



 
 
 【ソウル共同】
 アジア4カ国歴訪中のオバマ米大統領は25日、日本に続いて韓国を訪れ、ソウルの青瓦台(大統領官邸)で朴槿恵大統領と会談した。オバマ氏は会談後の共同記者会見で、日本政府による法的責任の認定や賠償を韓国側が求めている従軍慰安婦問題に触れ、「元慰安婦らの声は聴くに値し、尊重されるべきだ」と述べ、暗に日本の行動を促した。



 朴氏は「北朝鮮は4回目の核実験を強行するための準備を完了した状態だ」と明言。両首脳は米韓が結束して対応していくことを確認した。



 オバマ氏は慰安婦問題について、戦時中とはいえ「甚だしい人権侵害だ」とした上で「衝撃を受けた」と表明した。
 
 
 
 
 

共同通信  2014年04月25日20時30分

こちらより転載



 



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「嫌韓」を標榜する人たち、慰安婦バッシングをするハラサー(ハラスメントを行う人、ハラスメントの元凶)の考えかたは、売春はいつの時代にもあるものだから、なぜ日本を非難するような問題にしなければならないか、というものです。
 


売春を容認しているし、売春婦になる人々に落ち度がある、というオヤジ的考えかた。「オヤジ」という言葉はある用語として使われることがあります。それは権力のある側に媚びて取り入り、その権力者の威光によって自分も権力をふるおうとする姿勢で生きるひとを指して使われます。もちろん、わたしもここではそういう意味で使っているわけです。



有無を言わせない力づくで他者を、その他者個々人の気持ちや希望、意向などまったく蹂躙してしまって、自分の思い通りに動かそう、という男を、女や男の子はたいへん嫌います。家族内であればその嫌悪は生理的なレベルです。触られるのももちろんキモイし、同じスリッパをはくことすらキモイ。



ひと昔前、ふた昔くらい前…かな、「キモイから」という理由で、父親とは別の洗濯機で自分の洗濯物を洗う女の子が面白半分に語られたことがあります。その時代には、女の子のわがままという視点で評論されていましたが、実は違います。親しみのある人間関係というのは、相手へ配慮を払う、相手の意向、意見、願望などを尊重する、というところからしか生じません。



でも「オヤジ」男型父親はそういうことをしないのです。男が家族に気を遣うのではなく、家族が家長たる父親・夫に気を遣うべきであり、年長者である親が子どもに気を遣うのではなく、子どもが親に気を使うべき、なぜなら年上の者には従うべきだから、という基準を信じ込んでいるからです。つまり頭から抑えつける方法で家族に接するので、親子間、夫婦間に温かい親しさが生まれません。ある妻は、そんな「オヤジ」的夫への嫌悪、反感、不満を女の子の前でももらすし、子どもに八つ当たりをすることさえするかもしれません。そんな母親から子ども、特に女の子は父親へのいっそうの嫌悪を、学習心理学のいうところの意味で「学習」してゆく、つまり自分の内面に規範として取り入れてゆく。日本は家父長制の意識が根強く残ってきており、専制的な男性支配が容認されてきているので、こんな家庭はけっこう多く、だから「オヤジ」型男嫌いはかなりの多数だとわたしは踏んでいるのですが…。

 




またまた話はそれていったので戻しましょう。



「オヤジ」型の男は権力側に媚びるので、売春をしなければ生きてゆけないような構造になっている社会を変えようとはしません。むしろそんな社会の不公正な制度の上に乗っかってあぐらをかく。そのうえで、売春をしなければならなくなったのはその個人の努力不足であり、その女に何か欠点があるからだ、という見方に立ちます。自分では売春婦を喜んで「消費」するくせに、人間としては彼らを軽蔑します。売春婦だから大きな口はきくな、みたいに扱い、「どうせ売女」と思っています。



でも、「オヤジ」型男たちを議論の末抑え込み、個人をもっと尊重しようという考えかたで社会をまとめることに、一時的ではあっても成功したことのある欧米では、オバマ大統領の言うように、だまし連れてきて「強制売春」をさせた日本帝国陸海軍、ひいては「大」日本帝国のやりかたははなはだしい人権侵害である、と考えるのです。



そこには、「社会の伝統的な制度・思考を維持継続させるために個人個人には犠牲になってもらうことは了解すべし」という日本の伝統的な考えかたとは対極の、「個人個人が豊かな生存・生活を送れるような、個人個人の幸福を保障できる社会制度を編んでゆこう、個々人は生まれながらにして人間として尊重される権利=人権があるのだから」という思想・構想があるのです。こういう考え方を持っている男性は、決して「オヤジ」とは言われないでしょう。たとえいい年齢になっても「素敵な男性」と見られます。その娘も、「そばにいると息がくせぇから寄るな」とはいわないのです。



でも日本では男たちは「オヤジ」と呼ばれて嫌われている。飽和脂肪酸の摂取しすぎと深酒による皮膚の焼け、またアルコール過剰摂取によって首のうしろが赤黒くこわばった、象の皮膚のようになってしまった見た目にも醜い生き物が肩で風を切って、いまにも襲いかからんばかりの攻撃性をオーラのように放ち、がにまたでのっしのっしと歩く。それが男らしさ、かっこよさ、強さだと勘違いして思い込んでいるんです。



こんな男たちが政界、役人、財界で、日本のリーダーシップをとっている。「オヤジ」型の男たちが娘たちに毛嫌いされているように、「オヤジ」型男のような方針をとる日本も、人権への配慮が強い「先進国」からは異質、異物とみなされているでしょう。いや、事実、国連からは人権の問題で頻繁に日本に警告を出していますが、やはり「オヤジ」型男たちに経営されているマスコミは、そんな事実は報道しません。



だから慰安婦バッシングをしても、靖国参拝でサンフランシスコ講和条約体制打破への挑発をしても、「国際社会の理解は得られている」などと信じ込めるのです。相手への配慮をしたことがないから、他人の気持ちを推し量る能力が委縮してしまっているのです。

 


 

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