Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

人間関係を上手にサーフィンしよう! (1)

2006年06月27日 | 一般
「世の中」という言葉は人間の社会を念頭においています。世の中を渡る、というのはつまり人間関係をこなす、ということです。これがわたしたちにとっては、かなりなストレスです。人間関係が原因でうつ病になる人もいるんですから。でも、生きていればいろんな人とつきあわなければならないのは現実です。そこで、「生きかた」をいろいろ読み解いていこうとするルナのブログでは、たま~に「人間関係を上手にサーフィンしよう!」というシリーズで、さまざまな、智恵ある文章をご紹介して行こうと思います。今回は第一回です。↓以下のような「困った人」対策をご紹介します。

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鋭く切り返してくる相手は柔和に包み込む





会議の席はもちろん、何人かで和やかな雑談をかわしているような場合にも、ここぞというタイミングを見計らっていたかのように、切り返してくる人がよくいるものだ。切り返すだけならまだしも、さらに鋭く切り込んで切る者もいる。

もともと人の話を聞き入れようとしないタイプに多く見られる。そして、何でも知っているような顔をしたがる多弁家であることも共通している。必ず一度は切り返さないと気がすまないのだから、たいていは自己顕示欲型であるところも似ている。

人の話を横取りするクセの人間もいるが、それと「切り返したがり屋」とはかなり性格が違うように思われる。「横取り」タイプは人の話をグチャグチャにまぜ返し、収拾がつかなくなると口数が減るからまだかわいいところがある。しかし、「切り返し」タイプは、相手から一本取ってやろうという魂胆がありありで、何よりも意地が悪い。

たとえば、「それは違う、ぼくはそうは思わない」からはじまり、「君の考えは問題の核心から逸れているよ。もっと掘り下げていかないと、核心を突けないんじゃないか」などと、いかにも自分は問題の急所が分かっているかのように言う。何しろ能弁家が多いうえに、なかなか引き下がろうとしないのには辟易することがある。

しかし、このタイプに参ったフリを見せるのは禁物である。こちらが弱気であると見るや、ますます調子に乗ってくるからだ。さりとて強く反発しても火に油を注ぐ結果になりかねないから厄介である。言ってみれば一種の揚げ足取りなのだが、キリで揉みこむように急所をぐいぐい突いてくるところが、たんなる揚げ足取りとは違う。この手の人間に対しては、できるだけ防備をかためて臨んだほうがいい。真っ正面から「そうは言うが…」などと切り返しを跳ね返すのではなく、鷹揚な構えでやんわりと受け止めることが大事である。さもないと、口角から泡を飛ばすハメになる。

それ、きたぞ、と思ってもあわてることはない。むしろ柔和な笑みを浮かべるくらいの態度で応酬してみよう。
「そこなんだよね。こっちもそこが甘いんじゃないかとは考えたんだ。もう一度検討はするが、そちらにいい考えがあればぜひ聞かせて欲しい」。

たとえばこのように言って、相手を呑み込んでしまえばよい。すると悦に入っていた相手のトーンは必ず下がる。もともと問題解決の決め手になるような意見を持っているのではなく、だいたいが「切り返し」の切れ味を楽しみ、相手をへこましたいだけのための意見でしかないのだから、それ以上はつっ込みにくくなるものだ。このような関係がしばらく続けば、「あいつには切り返しがやりにくい」という考えがしだいに固まってくる。



同じように、「それはちがう」と正面から否定してくるが、人間性はまるで異なるタイプがいる。コチコチの真面目人間で、いい加減なことが大嫌いな性格の人だ。どちらかといえば寡黙である。ちょっとでもおかしいと思えば、正面切って反対意見を述べる。真面目人間なのだから言うのはかまわないのだが、彼らにも、実は大きな欠点があることが多い。

「それはちがう、正しいのはこうだ」と、たしかに正しいことを言うのだが、それを自分が言うと相手はどうなるだろうかといった気ばたらきが足りないことだ。おおぜいの人の前で相手に恥をかかせても、知らんぷりをしている。これを言えば相手の心にキズをつける結果にならないかなど、思いやりということまで気が回らないのが多い。

小さいときから人を思いやる気持ちが育っていないのだから、そんな相手に、よくも恥をかかせたな、と怒ってもしようがない。むしろ相手は真面目な気持ちで「正しいことを教えてやったのに」と、そう思っているにちがいないのだ。

石部金吉金兜(融通が利かず、がんこ一徹なさま)も、度を越えるとつき合いにくい。しかし、彼らは生来が悪人でないことは確かだ。人づき合いも決して上手とはいえないし、友人も少ないようだ。彼らのほうから近寄ってくることはまず考えられないだろうから、こちらから積極的に歩み寄ってゆくことだ。つき合ってみると、なかなか面白いタイプの友人になれる。



(「きちんと生きてる人がやっぱり強い!」/ 内海実・著)

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帝国主義的発想の起源

2006年06月25日 | 一般
老中主席阿部正弘は、諸大名の意見を重んじ、オランダ人教官を雇って、近代海軍学の講習を始め、それには幕臣のみでなく諸藩士をも学ばせ、蕃書調所(ばんしょしらべしょ)をもうけて、諸藩の新知識人を登用するなど、諸藩と一致協力の政策をとったので、彼の在職中は、改革派大名も幕府に期待した。しかし、1857年に阿部正弘が病死すると、彦根藩主井伊直弼ら保守派の諸大名の勢力が強くなり、改革派との対立が激化した。

この間に、1856年、アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが下田に着任し、通商航海条約の締結を幕府に迫った。ハリスは世界の大勢の抗しがたいことを説くとともに、もし日本が要求に応じなければ、「かねておことわり申し置き候通り戦争に及び勝敗一時に相決し申すべし」と脅迫して、1858年1月、「日米修好通商航海条約」案を幕府役人とのあいだに議定した。幕府はそれに全責任を持って調印する自信はなく、諸大名の意見を問い、また勅許を得ようとした。

(「日本の歴史(中巻)」/ 井上清・著)

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なんだか、このハリスの要求の仕方って、今のアメリカの牛肉輸入圧力とそっくりだと思いません? 早々に日本が輸入を始めなければ報復関税をもって対応する、なんてわめいている今のアメリカと…。話を戻します。

欧米諸国の帝国主義的な開港要求は、幕府にとっては屈辱的な要求でした。鎖国のためにテクノロジーの面で大きく差があって、軍事的には太刀打ちできないのです。しかし幕藩体制という、自分たちの暮らしだけでなく、アイデンティティの拠りどころとさえなっていた国体を変えさせられることには絶対に抵抗したかったのです。武士階級の間では、外敵は追い払えという攘夷派のひとびとと、天皇を立てて国体を改革しようとするひとびとが幕政に口を挟むようになってきました。阿部正弘という当時の総理大臣のような立場の人は、有能な諸藩大名の意見を取り入れようとします。改革派勢力の松平慶永とそのブレーン橋本左内は、ひとつの意見書を、死去した阿部正弘に代わった老中主席堀田正睦に提出しました。そこに書かれていたのは、当時の日本が民族の独立と国体を護持するために採られた、日本の進むべき針路でした。今、振り返って眺めると、それはまさに明治以降、日本が歩んできた帝国主義の道筋だったのです。

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日本の開国は、究極の攘夷をめざすものであり、それはたとえば、次のような基本戦略を生みだした。越前福井藩主松平春嶽(しゅんがく=慶永に同じ)と橋本左内が、幕府の主席老中の堀田正睦に提示した意見書の一節。

一、方今(現在)の形勢、鎖国いたすべからざる義は、具眼の者、瞭然と存じ奉り候。
一、強兵のもとは富国にあるべくござ候えば、今後、商政をはじめ、貿易の学を開き、有無相通じ、皇国自有の地利により、宇内(天下)第一の富饒(ふじょう・饒〈じょう〉は豊かという意味があるみたいです)を致したきことにござ候。
一、居ながら外国の来攻をまちおり候よりは、我より無数の軍艦を製し、近傍の小邦を兼併(けんぺい)し、互市(交易)の道繁盛にあいなり候わば、かえって欧羅巴諸国に超越する功業もあい立ち、帝国の尊号終に久遠に輝き、虎狼の徒自ずから異心消沮(読み不詳)いたすべく、これただひたすら懇願の次第にござ候。

(大意)
すでに幕府の鎖国政策が世界史の大勢に合わない。むしろ開国・通商・貿易によって、ヨーロッパ帝国主義からの侵略を防ぐための「強兵」、そしてその基盤となる「富国」の建設をすべきである。



この、後の明治国家の基本路線となった「富国強兵」策には、きわめて具体的に、軍艦の製産などを通じて「近傍の小邦」を併合し、それによってヨーロッパ諸国を「超越す」べき、とどのつまり帝国主義化の道すじが指し示されていた。そしてそれは、すぐに徳川幕府によって推し進められる、開国路線そのものであった。

(「日本の失敗・『第二の開国』と『大東亜戦争』」/ 松本健一・著)

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日本の近代化は「上からの近代化」といわれます。それは、人民主権確立の過程ではなく、国家絶対主義が推進される過程でした。天皇が神格化され、天皇は国家を具現する現人神に仕立て上げられ、国民は天皇の血筋の繁栄=国家の繁栄のための奉仕者であれ、とする方針でした。上記の引用文を見ると、それはヨーロッパ資本の帝国主義的侵略から、国体を護持するために選択された活路であったようです。つまり、日本自らがヨーロッパ型帝国主義を選択し、軍艦を無数に建造し、近隣諸国を「併合し」、すなわち侵略してヨーロッパ諸国を越える勢力を持つことで、ヨーロッパの侵略を追う払おう(=攘夷)とするものでした。松本健一さんがおっしゃるとおり、まさに「究極の攘夷」だったのです。したがって、日本の「近代化」はむしろ人民主権、自由民権運動を抑圧する方向に進みました。国を挙げて「富国強兵」を達成し、戦争によって近隣諸国を征服して行くという使命を選択採用し、そのために国民をも総動員しようとしたのでした。

福沢諭吉が「学問のスヽメ」のなかで、ふつうの市民も学問を身につけることによって、身分に関わらず人間は出世できる、時代は変わった、と説いたのも国民にヨーロッパ型文明を身につけさせ、工業にたずさわらせることができ、兵隊として行動できるようにするためであったのです。江戸時代には農民の子は農民の子、農業についての技術が伝承されればそれでよく、学校へ行って勉強したってなんの役に立つ、と思われていたのです。なぜなら、身分は絶対的であったので、農民の子が商工業にたずさわることは、為政者たちは期待しなかったのです。農民には教育を施すな、というのが幕府の政策でした。

ところが今や、学校へ行って勉強すれば、町で工業に従事することができます。会社の仕事をするには字を読み、文章を書き、計算する知識がなければならないからです。そうすれば「月給取り」になれます。定期的に収入が入ってくるのです。農業のように天災飢饉による収入の途絶もありません。やがて徴兵制が敷かれると、兵隊として行動するのにも、文章の読み書き、計算能力は要求されるので、やはり国民教化は必要でした。しかし、教育には危険もあります。ヨーロッパの草の根から起こった人権意識、人民主権の要求、さらに国家主義者が蛇蝎の如く嫌うヨーロッパの幽霊、共産主義、労働運動などが伝わることです。ですから、明治憲法は立憲主義とはいえないような内容の、天皇=国家の権力の確認のような形に納まったのです。人民主権はもちろん、共産主義などという「狂気」がはびこらないよう、人民の権利は抑圧された内容でした。

国民に対してさえ、このような扱いでしたから、近隣異邦諸国への蔑視はそれ以上でした。それら諸国は日本の為政者たちの目的のための利用できる道具でしかなかったのです。まさに徳川幕府の時代から、帝国主義的侵略は目論まれていたのでした。日本の近代化は封建領主たちの発想から推し進められたものであり、彼らの発想というのは儒教朱子学の都合のよい部分だけ受け容れたものでした。つまり、「天が地より上にあるのが自然の理であるように、人間にも上下の区分がある。それも自然の摂理だ」というめちゃくちゃな思想です。そしてこういう発想は太平洋・大東亜共栄圏での戦争後も生き残り、日本の行政に復帰し、隠然と影響を与え続け、今、その牙をむいて来ているのです。日本の為政者たちの発想の起源はどこにあるのか、今回、少しだけヒントとなる文章を引用してみました。詳しくは、おいおい、歴史を追ってゆきますので、それまでにいろいろ文献を集めますね。
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人間的成熟とは本音の話を聞けること

2006年06月18日 | 一般
《話を聞いてください》

私の話を聞いてくださいと頼むと、あなたは助言を始めます
でもわたしは助言など望んではいないんです

私の話を聞いてくださいと頼むと、あなたはその理由について解明しはじめます
申しわけないとは思うけれど、私は不愉快になります

私の話を聞いてくださいと頼むと、あなたは解決策を必死に考案しようとしてくれます
でもそれは、私の気持ちに反するのです

祈ることに慰めを見いだす人がいるのはこのせいかもしれません
神は無言だということです

無言の神は、助言したり調整したりはしません
神は聴くだけで、悩みの解消は私に任せてくれます

だからあなたもどうか黙って私の話を聞いてください
話したかったら、私が話し終わるまで、少しだけ待って下さい
そうすれば私は必ず、あなたの話に耳を傾けます

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あい子さん(仮名)は2年ほど前に夫を見限って別居しました。夫にとっては寝耳に水、青天の霹靂そのものでした。ある日いつものように会社から帰宅してみたら、妻と子どもの姿がない。二人の荷物もあらかた消えている。裏切られた、傷つけられた、俺の何がいけなかったというんだ。夫は憎しみと怒りの塊になりました。

あい子さんにしてみれば、長く悩み苦しみ、思いを夫に訴えてはつっぱねられ、もうどうにも耐えがたくなってから、準備を重ねた上でのことでした。あるていどまとまったお金を確保し、アパートも借り、一人娘の転校の手配もし、とうとう別居せざるを得なくなるまでの彼女の側の事情も丁寧な置き手紙にしたためました。

けれど、あい子さんの事情がどうあれ夫は怒り、混乱するしかありません。突然の別居以降、夫はあい子さんの実家を通じて、怒りと憎しみの非難や説教を投げかけてきました。あい子さんはそれらのメッセージに痛みを感じながら、深いため息を繰り返しました。

「ああ、やっぱり少しも分かってくれない。ほんのわずかでも分かろうとしてくれない。彼にとって私の悩みや苦しみは他人事でしかなかったのだ」。あい子さんはどうしても離婚するしかないという決意の上で別居に踏み切ったわけではありませんでした。けれども、少しもあい子さんの気持ちを汲み取ろうとしない夫にさらに落胆し、非難の痛みが重くなるにつれ、離婚の決意を固めてゆきました。

あい子さんと夫は幾度となく手紙をやり取りしました。夫は常に、「なぜなんだ、わからない」と問い続けました。あい子さんはそのたびに説明しました。 「なぐったわけでもない、裏切ったこともない、経済的な不満もなかったはずだ。子どもだってかわいがってきた。それなのに、どこにどんな不満があったというのだ。行き違いはあったとしても、突然に別居されるほど悪いことをした覚えはない」、夫はそう繰り返しました。

「そうね、なぐられたわけではないわ。経済的には満たされていた。子どもへの態度に不満はなかった。でも、あなたは私を尊重してくれなかった。私の気持ちを意に介さなかった」、彼女も繰り返し説明しました。
「尊重しなかったつもりはない。そんなにお前が悩んでいたなんて気づけなかっただけだ」。夫は応じました。「ああ、やっぱりわかってくれないんだ」。あい子さんは落胆を深める一方でした。

女性の中には、あい子さんの気持ちをリアルにイメージできる人も幾人かおられるかもしれません。けれども多くの熟年男性にはきっと、何がなんだかさっぱり分かりません。理解しようにも理解できないのだ、と思ったほうがよいかもしれません。

尊重できなかったところがある、悩みや苦しみに十分耳を傾けなかったことも多かった。だからといってそれだけで別居や離婚を考えなければならないのがわからない。第一、娘がかわいそうじゃないか。母親の身勝手や我慢の足りなさで両親が別れてしまうのは娘を犠牲にすることではないか。夫の反論は、そのレベルにとどまりました。




「ところで、今にして振り返ってみると、ご主人さんの落ち度は何だったのでしょうね。あらためて考えてみて、彼の何が、あなたの心に決断をさせてしまったのでしょう」。

「あらゆる場面で、私の意志や願いが無視された。つらい気持ちが軽視された。そのことがどうしても耐えられませんでした。私は夫から暴力を受けたことがないから、ほんとうのところはわからないけれど、たとえ一度や二度なぐられたことがあったとしても、彼が私の意志や願いを受けとめ、つらい気持ちに寄りそってくれる人だったら、離婚なんて考えもしなかったと思います」。

あい子さんは別居してまもなく、夫のお母さんと会いました。「なぜなの」と問う義母に、あい子さんはあるがままの自分の気持ちをていねいに説明しました。すると義母は「そう…。それならしょうがないわね」とうなずかれたのでした。

「息子の父親(つまり義母の夫)もまったく同じで、身勝手で鈍感な人。なにもかも、何の相談も問いかけも配慮もせずに、自分だけで決めつけて、いつだって事後報告、いいえ、報告や説明なんてほとんどしない。でも、私は我慢し続けた。あきらめてあきらめて、自分をないがしろにしてきた。良かったのか悪かったのかわからないけれど、そのほかの生き方なんか考えられなかったの。あい子さんの気持ち、とてもよくわかるわ。息子の心中や孫のことを思えば、母親として胸も痛むけれど、しょうがないわね」。義母はほんのわずかも責めることなく、意見することもなく、あい子さんの決意と思いを受け止めてくれたと、あい子さんは言います。




私はすべての男性に警告したくなります。社会的地位や経済力だけで女性の心をつなぎとめることなどできないよ。身勝手じゃダメ。誠意を持って説明責任を果たさなくちゃ。手を上げるだけが暴力じゃない。語り合わなくちゃ。妻の心に、黙って、ひたすらに耳を傾けるときを持たなくちゃ。妻が聞いてくれるときには、自分の心も開いて語らなくちゃ。そうじゃなかったらお互いの心が何も分からなくなってしまう。問わず語らずの阿吽の呼吸なんて、老境の夫婦にだってむずかしい。

「人間としての未熟」は「コミュニケーションできない状態」でもあります。心を交し合えない。人間としてそれほどの未熟はありません。説明するのは面倒くさい、話を聞くのも面倒くさい。だから自分一人で決めて押しつける。それこそ未熟な心がする横暴です。カウンセリングルームにやってくる妻たちは異口同音に訴えます。
「話を聞いてくれない」
「何を相談しても上の空」
「まじめに話しているのに目はテレビ」
「私の話を半分も聞かずに、ご意見、非難、アドバイス」
「何かといえば、おまえは甘いとか、しょせん女は…で終わり」etc...

誤解されないように明記しておきましょう。離婚の陰には異性の存在がありがちです。けれどあい子さんに、その気配は全くありません。彼女に咎があるとすれば、耐えて我慢しすぎる心のクセでしょう。つらさ、苦しさ、腹立ちを、もっとはっきり強く訴え続けていたなら展開は違っていたかもしれないし、夫も気づけるチャンスがあたかも知れません。冒頭の「話を聞いてください」という詩はカウンセラーの間では比較的よく知られている詩です。通常は、母親に向けて「子どもの心を理解する第一歩ですよ」などの説明とともに伝えられるものです。

この詩は、男性のみならず女性も、深くじっくり味わってほしいものです。つまるところ、人間的未熟とは、話を聞けないこと、イコール相手を尊重しないこと。成熟とはじっくり黙って聞き続けられること、イコール相手を尊重できること。人間的未熟は経済力や社会的地位で補いきれるものではありません。ちなみに、心理カウンセラーになるためにもっとも重視されるのは「聞き上手」になるための訓練です。自戒をこめていうなら、未熟なカウンセラーは「聞く」よりも「アドバイスや話題提供」に熱中しがちです。未熟はどこにだって転がっているものです。

(「『未熟な夫』と、どうつきあうの?」/ 山崎雅保・著)

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わたしがエホバの証人にいつづけることが、もうどうにもできなくなったのは、これなんです。私の本当の気持ちをエホバの証人の人たちはだれも真剣に取り上げようとはしませんでした。本音を話そうものなら、本音の内容によっては「危険人物」扱いになることもあるのです。いつも自分の本当の気持ちを抑えて、みんなに受ける自分でいなければならない。イヤミを言われ続けて、ずっと「謙遜に受け入れてきた」けれど、今日はもうそんな気分じゃない、そう思って奉仕を休んだり、集会を休んだりすると、「どうしたの?」って、電話が来る。「どうしたの」って、あんた、わからんかい? あれだけイヤミを言われれば意気消沈するのが人間だろ? 分かってて「どうしたの」って訊くのは、じつは責めているんです。つまり「長老が不完全さを表しても、集会に集わないのはアナタが間違っているよ」という意味です。組織を通して与えられる「霊的教育」はいわば信仰を養う「食事」である。イスラエル人は荒野を放浪しているとき、天から備えられたマナに不平をとなえたために、エホバへの不敬罪に問われた、アナタも同じ轍を踏むのか、と。

成員が集会を休みはじめるのは、組織、会衆の人たちのやり方に不満があるということ、あるいは自分はそれについていけないということ、自分の本当の気持ちはそんなことじゃないということ。それをあたまから否定して、組織的手順に自分を合わせることだけを要求し続ける、拒否するのは「甘え」「わがまま」「未熟さ」だという。いいえ、違います! 人間は心、感情で行動するもの。心、感情を否定されてニコニコ笑ってなんかいられない。人の気持ちを尊重することが「人間的成熟」です! 未熟なのはあなたたちのほうですよ! 人生を喜ぶことを、否定しなければならないんですね、あなたたちは。自分が喜び、愉しむことよりも、長老たちや組織の人たちに認めてもらうことのほうが大事なの? それって、「自分を見失っている」っていうことでしょう?

エホバの証人にはいい人もいるかもしれない、いいことも言うかもしれない。でも、個人の尊厳を否定しようとする精神態度にはついていけない。愛する人やいい人たちがいても、わたしは、日本国憲法が保障しようとする個人の尊厳の尊重のほうについていきます。わたしは、わたしの望むことを追い求めます。自分の内側から自然と湧いてくる興味、意欲、関心、それらがわたしを充実させてくれるからです。もう偉い人たちに認めてもらわなくてもいいんです。大会のステージに上がって、経験を話したりできる「特権」を与えられなくてもいいんです。興味、関心が同じ人たちの中には、わたしの努力や挑戦を認めてくれる人がいます。その人たちは、わたしをその人たちの思惑通りうごかそうと操作する目的で褒めたり認めたりするわけじゃない。素直にいいと思ったから、それをそのとおり表現してくれるんです。自分の感じたことを素直に言い表せるって、これこそが自由だとわたしは今、声を大にして表明することができます。
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憲法改正国民投票法案:どこがうさんくさいか

2006年06月17日 | 一般
日本国憲法には、憲法を改正するための手続きを定めている条項があります。「第9章 改正」と、章として設けられており、第96条がそれです。第96条1項にはこうあります。

「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」。

まず、改正を発議するのに、衆参両議院において総議員の3分の2以上の賛成を得なければなりません。その上で、特別の国民投票を行い、その過半数の賛成があってようやく憲法改正が成立するのです。つまり、憲法の改正は国民によって決定されるのです。

ところが、実際の国民による投票法は制定されていません。1990年代以前には、憲法を改正しようという強い要望が国民からも、政治家からも上がらなかったからです。ところが湾岸戦争のころよりこっちになって、憲法を改正しようという意見が政党はもちろん、財界から、マスコミからも出されはじめました。その理由には、ひとつに、アメリカから日本に対する軍事貢献の要求が強まったこと、もうひとつに、日本の企業の多国籍化にともなう政治的、軍事的バックアップの要請が強まってきたこと、さらに、経済不況への対処として、構造改革による新しい社会秩序を形成しようという要求が財界だけでなく国民からも上るようになり、その波へ積年の復古的ナショナリストたちの悲願がサーフィンするようになってきている、ということがあります。

9条の改正から始まって、24条の改正を通って、全面改正まで主張されています。さらに日本国憲法に則った教育基本法までも改正の要求は及んでいます。こういう流れの中で、2001年11月に、「日本国憲法改正国民投票法案・要綱」が作成されました。作成者は、超党派の国会議員によって構成されている、「憲法調査推進議員連盟」です。これには、とにかく早く憲法を改正してしまおうという意図がありありと表されているという点で問題があると批判されています。批判しているのは、日本弁護士連合会、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本民主法律家協会、自由法曹団のような法律に携わる人々や法学者をはじめ、良心的なマスコミ関係者や、市民団体などです。

今回は、日本弁護士連合会(以下、日弁連、と略す)による意見書から、批判されている諸々の問題のうち、国民投票運動、つまり賛成・反対の意見を公に公表する自由が巧みに制限されている、という点をご紹介します。引用文献は「Q&A 国民投票法案・憲法改悪への突破口/ 菅沼一玉・笠松健一・著」からです。菅沼・笠松両氏は共に、日弁連の成員です。

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憲法改正国民投票法案に関する意見書…2005年(平成17年)2月18日 日本弁護士連合会



2 表現の自由、国民投票運動の自由が最大限尊重されなければならない

国民投票にあたっては何よりも投票者にできる限りの情報提供がなされ広く深く国民的議論がなされることが必要である。そのためには、表現の自由が最大限尊重されるべきであり、基本的に国民投票運動は自由であるとされなければならない。例外的に、これらに対する規制は、放置することにより著しい不公正が惹起されることが明白である場合等、当該規制について十分な合理性と高い必要性が認められるような例外的な場合に限られるべきである。

ところが「法案骨子」は、かかる視点が不十分であり、国民投票運動について、広範な禁止制限規定を定め、不明確な構成要件により刑罰を科すものとなっている。例えば、公務員の運動の制限、教育者の運動の制限、外国人の運動の全面的禁止、国民投票の結果を予想する投票の経過または結果の公表の禁止、マスコミの規制、マスコミ利用者の規制、放送事業者の規制、不明確な要件で処罰を可能にする国民投票の自由妨害罪及び、演説・放送・新聞紙・雑誌・ビラ・ポスターその他方法を問わない煽動の禁止等である。

もし、これらの規制が、公職選挙法における選挙運動禁止規定を参考にしているものだとすれば、それは、候補者のうちから当選人を選ぶ公職の選挙と国の最高法規たる憲法改正の是非を問う国民投票とは概念的に全く異なるものであることを考慮しない論と言わざるを得ない。加えて、公職選挙法における選挙運動禁止規定よりも禁止制限する範囲が拡大されていることは、二重の意味で問題がある。

「法案骨子」の禁止規定は国民投票運動に甚だしい萎縮効果をもたらし表現の自由を著しく制限するものというべきである。そのような禁止規定は到底容認することはできない。

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「国民投票にあたっては何よりも投票者にできる限りの情報提供がなされ広く深く国民的議論がなされることが必要である」、というのはつまり、こういうことです。

憲法というのは、国民の基本的人権を保障するために国家権力を制限する、という目的を持って制定されます。このような精神を「近代立憲主義」といいます。憲法は、権力機関がその権力を濫用して主権者である国民の権利を侵害することがないように監視するためのルールなのです。ですから、憲法は国民が自らの基本的人権を守るために制定するものであり、したがって改正する権利も国民にあるものです。とくに日本国憲法は国民主権主義を謳う憲法ですから、なおのこと改正は国民の意思が決定的に必要なのです。

それを簡単に権力機関の恣意によって変えられないように、「慎重性が要請」され、憲法改正手続きは通常の法律の改正よりも難しい手続きが設けられています。つまり、改正発議に総議員の3分の2以上の賛成を要求し、さらにその上で、国民の過半数の承認を要求するのです。通常の法律ならば、国会において議員の過半数の賛成があれば成立します。

憲法は国民を権力機関の権力乱用から守るためのものですから、改正しようとするならば、まず国民の意思による承認が必要となるのは当然なのです。国民投票法はその目的で設けられるものなのです。これは「民主制の要請」と呼ばれるそうです。このことはまた、憲法改正が発議されたなら、改正について国民の間で十分な議論がなされねばならないのは容易に理解できることです。そのために必要なのは、国民投票運動です。

「国民投票運動」とは、国民投票法案・骨子案(2001年11月に公表された、憲法調査推進議員連盟による骨子案。以下、議連案、と略す)によると、「国民投票に関し憲法改正に対し賛成又は反対の投票をさせる目的を持ってする運動」と定義されています。つまり、国民に対して、ある改正案に賛成または反対するように働きかける表現活動すべてをさします。したがって、日弁連意見書にあるように、「そのためには、表現の自由が最大限尊重されるべきであり、基本的に国民投票運動は自由であるとされなければならない」のです。当然のことですよね。「Q&A 国民投票法案・憲法改悪への突破口」にはこのように解説されています。

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憲法は第21条で、表現の自由を保障していますが、この表現の自由は憲法が保障する基本的人権の中でも、精神的自由権の中核として、最大限に尊重しなければならない、とされています。意見を言ったり、文書や絵画で表現をすることは、人間の基本的な欲求です。また、自由に意見を言えること、特に政府や多数の人が推し進めようとする政策に対して反対意見を言うことは、民主主義の基本をなすものとして、もっとも尊重されなければならないものです。

また、表現の自由は、「送り手」としての表現する側の自由のみならず、「受け手」としての表現を受ける側の「知る権利」としても重要です。国民が主権者としての権利を行使するためには、国民に十分な情報が提供されなければならないからです。

戦前のわが国では、政府を批判する表現活動は、厳しく取り締まられました。その結果、戦争を進めようとする政府の政策に表向き反対する人はいなくなり、悲惨な戦争に突き進んでいったのです。日本国憲法は、この歴史に対する反省から、少数者の批判の自由を最大限尊重しようと考えました。そこで、表現の自由は、基本的人権の中でも最も尊重されることになったのです。

国民投票運動は、国会からの憲法改正の提案に際して、憲法改正に賛成するのか反対するのか、自らの意見を外部に表明し、自らの意見に賛同する人を増やしていこうとする運動です。憲法改正は国民主権が端的に現れる場面です。国民が国の主人公であり、国民が憲法を定め、国民が憲法を改正するのです。そのための表現活動である国民投票運動は最も重要な表現活動として、すべての表現活動の中でも最大限の尊重を受けなければなりません。また、国民が、憲法改正権を正しく行使するためには、十分な情報が国民に提供されなければなりません。したがって、国民投票運動に対する制限は、本当に必要最小限度のものに限定されなければなりません。

(「Q&A 国民投票法案・憲法改悪への突破口」/ 菅沼一玉・笠松健一・著)

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「ところが『法案骨子』は、かかる視点が不十分であり、国民投票運動について、広範な禁止制限規定を定め、不明確な構成要件により刑罰を科すものとなっている(日弁連意見書)」。

日弁連意見書はこのように抗議しています。まず、「禁止制限規定が広範」である、という根拠はどこにあるのかというと、国民投票法案議院連案では、国民投票運動に対して、憲法改正国民投票法独自の規制を設けようとしていません。そこには公職選挙法の選挙運動制限がほぼそのまま引き写されており、さらには部分的にはさらに規制を強めたと見える制限を、罰則付きで課しているのです。その国民投票運動への制限は、「公務員の運動の制限、教育者の運動の制限、外国人の運動の全面的禁止、国民投票の結果を予想する投票の経過または結果の公表の禁止、マスコミの規制、マスコミ利用者の規制、放送事業者の規制、不明確な要件で処罰を可能にする国民投票の自由妨害罪及び、演説・放送・新聞紙・雑誌・ビラ・ポスターその他方法を問わない煽動の禁止等」に及びます。日弁連意見書はこのように抗議しています。

「もし、これらの規制が、公職選挙法における選挙運動禁止規定を参考にしているものだとすれば、それは、候補者のうちから当選人を選ぶ公職の選挙と国の最高法規たる憲法改正の是非を問う国民投票とは概念的に全く異なるものであることを考慮しない論と言わざるを得ない(日弁連意見書)」。

憲法改正国民投票と公職選挙とは性質が違う、それなのに公職選挙法の禁止をそのまま引用するのは、憲法改正を手っ取り早く片付けてしまおうとする意図の表れではないか、ということです。どういうことか、一例を挙げてみましょう。

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公職選挙法では、教育者が生徒たちに対する教育上の地位(影響力を持つ地位)を利用して選挙運動をすると、選挙運動の公正を害する怖れがあるとして、教育者の選挙運動を規制しています。児童、生徒、学生を利用して選挙運動を行うこと、それらのものを通じて父兄等に働きかける場合のみならず、父兄会の席上で学校関係者以外の一般の人に対して選挙運動をすることも、その状況によっては制限されることもあるとされています。

では、憲法改正については、どのような場合が、教育者が「教育上の地位」を利用して国民投票運動をしたということになるのでしょうか。この判断は困難です。たとえば、大学の憲法学の教授が、講義で憲法改正問題にふれ、憲法改正に賛成もしくは反対の意見を述べることはどうでしょうか。また、大学の外でのシンポジウムなどで、憲法改正に反対もしくは賛成の意見を述べることはどうでしょうか。憲法学の教授としては、憲法改正についての意見を述べることは本来の職務であり、学生に対して、憲法改正賛成に1票入れてくれとか反対に1票入れてくれとか言わない限り「教育上の地位を利用して」とはいえないと思います。

しかし、大学の教授の意見は学生やシンポジウム参加者に対する影響力が大きいとして、たんに憲法改正についての意見を講義で述べただけでも「教育上の地位を利用して」と曲解されかねない怖ろしさをこの規定は持っているのではないでしょうか。このような解釈がなされたのでは、学問の自由、教授の自由は著しく歪められることになります。

大学ほどではないにしても、小中学校や高等学校でも、同じような危険性があります。教師が、児童や生徒に憲法改正について話をするときも気をつけなくてはいけないことになってしまいます。もちろん、教師が話をした具体的状況によって判断されることになるとは思いますが、本来、学校では、教師や生徒が自由に憲法について話し合うことが望ましいのです。

公職選挙法で規制している、教育者たる地位を利用して特定の候補者や特定の政党に投票させようとする行為と、憲法改正についての賛成や反対の意見を述べる国民投票運動とは本質的に違うのです。このように考えてゆくと、教育者に対する国民投票運動の規制はそもそも不必要だと思いますが、仮に規制する場合でも、自由な議論の場を失わせたり、意見を述べることまで規制するのではなく、憲法改正に対し、賛成又は反対の投票をすることを薦める行為に限定することを明らかにすべきです。

(上掲書)

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「大学の教授の意見は学生やシンポジウム参加者に対する影響力が大きいとして、たんに憲法改正についての意見を講義で述べただけでも「教育上の地位を利用して」と曲解されかねない怖ろしさをこの規定は持っているのではないでしょうか」…

こんなことが起きることはないだろう、心配しすぎだ、と思われるでしょうか。しかし、以前にご紹介したように、イラク派兵反対のビラを郵便受けに投函したことに対して、「住居侵入罪」が適用されて、市民団体のメンバー3人が拘禁された実例があるのです。つい2年ほど前のできごとです。類似の出来事はほかにもたくさん行われています。心配しすぎる根拠は十分にあるのです。それに、「憲法改正に関して行われた表現活動のうち、どのような活動が国民投票運動として規制されるのか、明確に記されていない」という問題もあります。

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また、憲法改正に関して行われた表現活動のうち、どのような活動が国民投票運動として規制されるのかが明確にされていません。単に、憲法改正に賛成、反対と意見を表明することも、規制の対象となる可能性があります。上に述べたように、教育者が「その教育上の地位を利用して」行った国民投票運動に対する規制の場合には、「地位を利用し」たか否かの判断は、その表現活動が行われた具体的状況によって判断されるとされていますから、非常に難しい判断となります。

そうすると、表現活動を行う者から見れば、どのような表現活動まで許されているのかよく分からないため、危ない活動はやめておこうということになりがちです。そのため、表現活動は自然と萎縮してしまうことになります。逆に規制する側から見れば、規制の限界が曖昧なので、規制権限を濫用する危険性が高くなります。そして、規制権限が濫用されて、実は、本来規制されるべきでない国民投票運動が規制されることになると、それがますます表現活動を萎縮させることになり、この悪循環から、憲法改正という国政上最も重要な場面で、国民が何も意見を言えないことにもなりかねません。

表現の自由、特に国民投票運動の国政上の重要性という観点から見ると、憲法調査推進議員連盟による日本国憲法改正国民投票法案には重大な問題点が含まれているのです。

(上掲書)

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規制条項が原則だけ記されていて、明確でないことからくる、言論・行為の萎縮ということは、エホバの証人の社会では頻繁に起こっています。命は神聖なものであるので、百害あるタバコを吸うことは罪とされています。では販売業でタバコを売ることは罪でしょうか。隣人愛があるならば健康に害あるタバコを売ることはできない、だからタバコを専門に売ることは罪かもしれないが、例えばコンビニなどでたくさんある商品の中から、タバコも売ることはどうだろうかとか、ポルノを見ることはキリスト教の教えを蔑ろにしていることだ、ではふつうの映画のなかで一部にヌードで絡み合うシーンがあれば、それを見ているのはキリスト教の教えを蔑ろにすることだろうか、なぜならば観る人はポルノを楽しむことを目的としているのではなく、それとは関係のない物語を鑑賞していると言えるのではないか、とかでかなり気を使います。会衆によっては非難の的となったり、公に叱責されて針のむしろに座らされたりします。

また運動会などでエホバの証人のA君は戦闘的な棒倒しに参加しているのに、同じB君はエホバの証人は戦いを学ばないという聖書の教えを尊重して、棒倒しには参加しない、どっちが正しいのかといった問題など。協会としては、「聖書には原則だけが書かれているのであって、それをどう適用するかは本人の問題なので、それを非難しあってはならない」という公式見解を打ち出していますが、現実には噂の種にされたりで、非難しあったりしています。こういう雰囲気はまた、密告の隠れた習慣をも生んでいます。その結果、学校などではエホバの証人の子供同士には不信感と監視の空気が流れる場合がままあります。そうして自発的に、活発に振る舞えなくなることもあるのです。

明確に規定されていないと、たしかに権力は濫用されがちである、ということはエホバの証人だった人にはよーく理解できるのです。国民投票法案でそのようにされているのには、実は憲法改正について、国民に十分な義論をさせないようにしようという意図さえ感じられるのです。それは、国会による憲法改正の発議から国民投票までは60日以後90日以内に行われる、とされていることからも伺えます。憲法改正という重大な問題をたった2~3ヶ月の期間しか考慮できないのです。国民は今、不景気やリストラや、年金のことなど、生活に追われていて、憲法改正というような大きな問題についてじっくり考えている余裕を持っていない場合が多いのです。日々の生活に追われているうちに、そんな重要な問題について判断せよといわれれば、小泉さんのようなキャッチフレーズの上手な人がいれば、よく考えもせずにイメージだけで判断してしまわないでしょうか、国民は。わたしはこんにちの生活状況からすると、少なくとも数年間の猶予を設けるべきだと思います。このようなところからも、憲法改正を手っ取り早く行ってしまおうという意図が見え隠れしているようにわたしには思えるのです…。

最後に、憲法調査推進議員連盟による日本国憲法改正国民投票法案の国民投票運動への規制を挙げている部分だけを引用しておきます。もっともっと引用したい問題があるのですが、1万字以内という次数制限があるので、ここでいったん置きます。

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《憲法調査議員連盟憲法改正国民投票法案》

第13章 国民投票運動に関する規制

(特定公務員等の国民投票運動の禁止)
第63条 (字数の都合で略)
第64条
次に掲げる者は、その地位を利用して国民投票運動をすることができない。
1 国若しくは地方公共団体の公務員又は特定独立行政法人(独立行政法人通則法(平成11年法律第103号)第2条第2項に規定する特定独立行政法人をいう。以下同じ。)の役員若しくは職員
2 公団等の役職員等(公職選挙法第136条の2第1項第2号に鋭定する公団等の役職をいう。)

(教育者の地位利用による国民投票運動の禁止)
第65条  
教育者(学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する学校の長及び教員をいう。)は、学校の児童、生徒及び学生に対する教育上の地位を利用して国民投票運動をすることができない。

(外国人の国民投票運動の禁止等)
第66条
外国人は、国民投票運動をすることができない。
2 外国人、外国法人又はその主たる構成員が外国人若しくは外国法人である団体その他の組織(以下この条において「外国人等」という。)は、国民投票運動に関し、寄附(金銭、物品その他の財政上の利益の供与又は交付及びその供与又は交付の約束で、党費又は会費その他債務の履行としてされるもの以外のものをいう。以下同じ。)をしてはならない。
3 何人も、国民投票運動の関し、外国人等に対し、寄附を要求し、又はその周旋若しくは勧誘をしてはならない。
4 何人も、国民投票運動の関し、外国人等から寄附を受けてはならない。

(国民投票に関する罪を犯した者等の国民投票運動の禁止)
第67条
この法律に規定する罪により刑に処せられ国民投票の投票権を有しない者及び公職選挙法第252条の規定により選挙権及び被選挙権を有しない者は、国民投票運動をすることができない。

(予想投票の公表の禁止)
第68条
何人も、国民投票に関し、その結果を予想する投票の経過又は結果を公表してはならない。

(新聞又は雑誌の虚偽報道等の禁止)
第69条
新聞紙(これに類する通信類を含む。以下同じ。)又は雑誌は、国民投票に関する報道及び評論において、虚偽の事項を記載し、又は事実をゆがめて記載する等表現の自由を濫用して国民投票の公正を害してはならない。

(新聞紙又は雑誌の不法利用等の制限)
第70条
何人も、国民投票の結果に影響を及ぼす目的をもって新聞紙又は雑誌の編集その他経営を担当する者に対し、財産上の利益を供与し、又はその供与の申込み若しくは約束をして、当該新聞紙または雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載させることができない。
2 新聞紙又は雑誌の編集その他経営を担当する者は、前項の供与を受け、若しくは要求し、又は同項の申込みを承諾して、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載することができない。
3 何人も、国民投票に影響を及ぼす目的をもって新聞紙又は雑誌に対する編集その他経営上の特殊の地位を利用して、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載し、又は掲載させることができない。

(放送事業者の虚偽報道等の禁止)
第71条
日本放送協会又は一般放送事業者は、国民投票に関する報道及び評論において虚偽の事項を放送し、又は事実をゆがめて放送する等表現の自由を濫用して国民投票の公正を害してはならない。
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わーるどかっぷ・じゃぱん・追加

2006年06月13日 | 一般
みなさん、W杯、観てますか?

わたしは、同点ゴールされた瞬間、TVを消しました…。

結果はどうなったろう…

1.…まあ、次はがんばろう。

2.まさか

3.…これは、奇跡…だよね…

もう何も考えるまい、寝よう…

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追加:

この記事に、トラックバックがついています。見知らぬブログで、扱われているテーマもぜんぜん違うので、きっとオート・トラックバックなんでしょうね。

「九州っ子」というブログです。覗いてみると、サッカー大好きな方のようです。先日の日本の敗戦を、この方の視点で分析されています。わたしなんて、点が入るかどうかという関心程度なので、十分な記事が書けません。まあ、上記の内容がせいぜいです。でも、九州っ子さんの記事は、十分詳しい説明がなされています。

ぜひ、ご覧になってみてください。トラックバックをクリックすると読むことができます。

2006年6月13日 23:38 
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倒幕までの時代の流れ(中)

2006年06月11日 | 一般
井伊直弼が勅許を俟たないまま、最初にアメリカ、次いでロシア、オランダ、イギリス、フランスと、欧米列強と結んだ条約は、学校の教科書でも「不平等条約」と書き表されています。安政年間に締結された条約なので、安政条約とも言われます。それらの条約は、資本主義列強による、日本の植民地化を図るものでした。ですから、その条約を締結したことは、攘夷派にとって、深刻な日本民族の危機という感覚を持たせるものでした。それは以下の点で「不平等条約」でした。

1.外人に治外法権を認めさせられている。
2.日本の輸入関税率を日本が自主的に決定することが認められていなかった。
  関税は相手国との協定を必要とする、とされていた。
3.外国に、一方的に最恵国待遇を与えさせられていた。
4.貿易港には、外人居留地が設置され、その居留地内では外国が永久借地権を持つとされ、
  同時に自治権をも持つとされていた。
5.これらの条約には有効期限が設けられておらず、条約改定には相手国の同意が必要だった。

ここで、「4」の外国人居留地における永久借地権と「1」の治外法権が結びついて、事実上、外国人居留地は外国の領土同然になります。また関税率を日本人が決定できないので、貿易において利益がだせない。日本はまさに、隣の清国のような欧米資本主義による半植民地の市場にさせられてしまう、危機的状況だったのでした。それだけではありません。欧米列強は圧倒的な軍事上の優位をバックに、政治的、軍事的にも日本を従属させようとしました。

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1861年春から秋にかけて、ロシアがまず、日本海を中国の東海から切り分けて、日本と朝鮮半島をつなぐ要所、対馬の一部を占領し、対馬藩主に土地の一部に永久租借を要求、そこに海軍基地の建設をすすめた。

ところが幕府は、これに対してまじめに抵抗せず、もっぱらイギリスに頼り、対馬藩主らも、九州本土に新領地をもらえることができれば、対馬を捨ててもよいとした。しかし、漁民や農民や青年郷士たちだけが、自分たちの郷土を守ろうとして、命がけで抵抗した。百姓の安五郎はロシア兵の上陸を阻止しようとして、討ち死にした。対馬は人民の抵抗によってロシアの支配化に乗っ取られることから守られたのでした。幕府も藩もほとんど何にもしなかった。やがてイギリスがロシアに干渉して、そうしてロシア海軍は対馬を去った。対馬危機は人民の抵抗が基礎となって乗り越えられたのだった。

ロシアだけでなく、イギリスもフランスも対馬をねらっていた。彼らは対馬を「極東のべリム島」(紅海とインド洋の接点にある小島。中東とインド洋を制圧する、イギリスの最重要海軍基地)にしようとした。アメリカは対馬を、欧米列強で共同管理する「自由港」にしようとしていた。つまり、列強が互いにひとつの獲物をねらい、互いに牽制しあう構図になっていたので、(日本の)人民がしっかりここを守れば、守り通すことができたのである。

イギリスは、日本に対しては、自由で平和な貿易の発展の他は何も望まない、と口では言いながら、実は日本を、ロシアに対抗するための極東における政治的前哨基地にしようとしていた。そして英・仏両国は、攘夷主義武士から居留外国人を守るという口実の下に、1863年以後、横浜に、条約上の何らの正当な権利もなしに、陸軍部隊と海兵隊を駐屯させた。‘65年には、イギリスは幕府に強要して、横浜駐屯軍の兵舎、弾薬庫、軍病院など、建坪4600坪という広大な陣営を、幕府の費用でつくらせた。その兵力は、多いときは陸兵1200名、海兵隊800名に達した。横浜港はイギリスの軍港同然になった。

今や、日本民族もまた、自国の封建制を倒し、民族の力を結集し、急速に資本主義化して、列強の圧迫から自らを解放するか、ほかのアジア諸国民と同様の(植民地支配に屈するか)の分岐に立たされた。

(「日本の歴史」(中)/ 井上清・著)

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このような状況で、幕藩体制という当時の「国体」に依存していた幕僚たちは、国体を護持するために、軍事力で列強を打ち攘うことができない以上、彼ら列強に依存して保身を図るより仕方がなかったのでした。しかし、儒教系朱子学によって教育されてきた封建的排外主義を固く守ろうとする武士たち、とくに開国による経済の逼迫にあえいでいた下級武士たちは、儒教的攘夷主義の道徳観、良心をいたく傷つけられます。そこへ、森前首相のような、「日本は神の国だ」という国学に煽られていっそう過激な闘争へと駆られるのでした。また、開国によって、日本から海外視察に出かけていった攘夷論者の指導者たちは、封建的幕藩体制護持などという枠を超えた日本民族防衛・独立という近代的な愛国心を持つようになる人も現れてきました。

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また一部の指導的攘夷論者には、民族防衛、愛国主義の要素がはじめからあった。たとえば、吉田松陰門下の高杉晋作は、1861年に清国上海に旅行し、その地が英仏の植民地同然にされているのに胸を痛め、日本の独立のために戦う決意を固めるとともに、清国の「固陋(ころう)」が自滅をもたらすとし、「外国日新の学」を取り入れる必要を痛感していた。ところが高杉は帰国後、長州攘夷派の急先鋒となって、江戸のイギリス公使館を焼き討ちする(‘62年末)。欧米列強の「日新の学」の必要を認めていたのになぜか。その真の目的は、外国に屈従する幕府を窮地に陥れるにあったことが、事件後、彼らの首領、桂小五郎(のちに木戸孝允)が述べている。

高杉の同志、久坂玄瑞(くさかげんずい)も、開国の必要性は十分知っていたが、外国に屈従する幕府の下での海外貿易には反対して、攘夷をとなえた。この点において彼らは、幕藩体制護持のための攘夷願望からは決定的に離れたのである。

(上掲書より)

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先にわたしは、「攘夷主義者たちの道徳観、良心」と書きました。「良心」というのはどういうつもりで書いたかというと、儒教では身分の上下を絶対的なものとして受け容れます。数学でいえばそれは「公理」であって、あえて証明する必要も、討論する必要もない、絶対的原理でした。それはまた封建制を特徴づける基本的な要素でもあります。「自然の理において、天が地よりも高いのと同様に、人間の身分にも上下のけじめがあり、それもまた『自然の理』である」というのが朱子学の理論です。そしてその理論が理念として受け容れられて250年以上、人々の心を支配してきたのでした。

被支配者たちは支配者たちを、女は男を、子は親を、何があっても、どんな不公正があっても、不平を言わずに、批判すらせず、無条件に「上」に置いて、服従すべしというのが、封建的良心でした。今日、時代劇が受け容れられるのは、ひとつにこのような身分社会がもたらす「安定・安心」への憧憬があるからだと、わたしは想像しています。そして今日、新自由主義によって搾取される側にいるはずのわたしたちふつうの国民が、小泉流改革に諸手を上げて賛成したのも、その「安定」、「安心」を求めているのだとも、わたしは思うのです。ですが、そこには決して求めるものはありません。時代に逆流する反動的な思想がもたらすのは、格差社会であり、経済格差以上にとくに深刻なのは情報の格差、あるいは知識の格差、知ることの格差です。教育の機会に不平等が持ち込まれ、エリートが大衆を操作しやすいように、知識を制限されてしまうことです。徳川支配にある、「民は知らしむべからず、依らしむべし」の再現です。人間性の剥奪がそこにはあるのです。

次に、攘夷主義者の良心を示す事件からはじめて、歴史を追ってゆきます。

-----------------------------------

開港後の数年は、物価高騰、経済混乱を背景にして、外国公使館員や、日本人商人に対する攘夷派の襲撃事件が頻繁に起きた。そうする間に尊攘派の指導者たちは、攘夷断行のための倒幕を計画しはじめた。

幕府がときの天皇(孝明天皇)の妹、和宮を将軍家茂(いえもち)の婦人に迎え、「公武合体」をはかったのを、尊攘派は、皇妹を人質にするものとして憤怒し、大橋訥菴(とつあん)ら関東地方の志士グループは、倒幕の挙兵を計画したが、十分の準備が整わぬうちに’62年正月、数人で老中主席安藤信正を江戸城坂下門外に襲撃したが、失敗。

同じころ、薩摩の有馬新七らを中心とする九州諸藩の志士は、薩摩藩主の実父、島津久光が熱烈な攘夷主義者であることに望みをかけ、彼をおしたてて倒幕の兵をあげようとした。ところが久光の攘夷主義は、封建秩序を守ろうとするものであった。だから、藩士らが身分秩序を破るのを憤り、’62年4月、家臣をして、京都郊外伏見の旅籠寺田屋で会合中の新七らを斬らせた(寺田屋の変)。

寺田屋の変は、志士たちに諸侯の頼むにたらないことを悟らせた。そこで彼らは最大の望みを天皇にかけるようになるのである。各地の志士たちはぞくぞくと京都に集まった。その中には、信州伊那谷の豪農で生糸問屋と酒屋を兼ねた家の主婦、松雄多勢子(たせこ)もいた。彼女は生糸取引先を連絡場所にして、志士間の秘密レポーターの役割を果たした。長州の久坂玄瑞、土佐の地主で郷士の武市瑞山らが全国志士の指導者として重きをなした。政治の中心はいまや江戸から京都に移った。

(上掲書より)

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寺田屋の変を起こさせたのは、薩摩藩主、島津久光の封建的良心でした。久光の良心にとって、封建的身分制度が破られるということは、どうしても許されないことでした。彼のその良心を形成したのは、では何かといえば、やはり教育です。封建領主として朱子学を徹底的に教え込まれた結果、彼の思考、感情を司る枠組みそのものが、つまり良心が形づくられたのでした。「良心」というとき、人間が生まれつき持っているものとして考えられがちですが、わたしはそうは思いません。良心はその人が生まれた社会や文化、そしてその文化が教え込まれる教育やしつけによって、形成されるのです。だから教育は重大事なのです。

その社会でのスタンダードな道徳は、公正なものでしょうか。自民族の優位を根拠もなく称揚していないでしょうか。外国人や異人種、異民族への寛容な態度を持っているでしょうか、それとも差別的でしょうか。個人個人の尊厳を尊重しようとするでしょうか、それとも全体の前に個人の命、存在を「鴻毛のごとく」軽いものと扱うでしょうか。道徳を教え込む前に、そうした要素を考えてから、教育は施されるべきです。かってに、一部の人々にとってだけ都合の良い道徳を教え込む制度など設けようとする社会は、かなり不健全で、危険な、つまり封建的、絶対専制的な社会だと、わたしは思うのです。

ここまで、軍事的優劣の差を見せつけられた後、欧米列強から不平等な通商条約を推しつけられ、日本が、欧米列強の植民地化するか、あるいは欧米基準まで、社会を変革するかの岐路に立たされるようになったこと。外国の影響を排して、幕藩体制を維持しようとする勢力が、幕府の開国によって幕府と対立するようになったこと。そのために尊皇攘夷主義者たちの考えに内容的な変化が起こり、幕藩体制という国体の護持論から、日本民族独立を目指し、そのために幕府を倒そうという考えに至ったこと、その旗印、後ろ盾として天皇を掲げるようになったことまで、書いてきました。

しかしやがて、朝廷内部にも反動勢力が盛り返し、攘夷派は天皇からも狙われるようになります。そこに至ってようやく、倒幕派は真に味方につけるべき勢力はどこかということに気づきます。民衆です。倒幕派は民衆と結びつこうとしますが、しかし、現代の改憲論者が言うように、日本では市民革命は起きませんでした。日本での改革は上から推しつけられた改革であって、市民が個人の自由と基本的人権を求めて勝ち取った改革ではなかったのです。倒幕派も、しょせん武士階級の人たちであり、欧米諸国を視察した岩倉具視視察団は、イギリス、アメリカ流の民主主義よりも、ドイツ式の方式を取り入れることを望んだからです。

(下)につづきます。
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ちぐはぐな部品

2006年06月06日 | 一般
人生の目的とか、自己実現とか、わたしは、あんまり大上段に構えて、今すぐに見つけようなんて思うことはない、と考えています。

人生に何か大名義分がなければならない、なんて思っている人が、エホバの証人のような全人類の救済だのといったことを掲げる団体に飛びついたりするんじゃないでしょうか。

D.カーネギーの「名言集」を冊愛読しています。そこにこんなことばがありました。

「やるべきことは、遠くにぼんやり見えるものを見ることではなく、手近にはっきり見えるものを行うことである」

18世紀から19世紀にまたがって生きていた、トーマス・カーライルという歴史学者さんのことばのようです。一人の人間として今やるべきことをきちんと果たす、それが大事なのではないでしょうか。

じゃ、「手近にはっきり見えるもの」って何か…。

それは自分の家を清潔に保つとか、ゴミの分別などの、自治会から求められていることをきちんと行うとか、そういう実生活の責任をきちんと果たすことだと思います。カルト宗教などに入る人は、おどろくほどこういうことはしないのだそうです。自分の実生活をきちんとできない人が世界平和だの言ったって、だれも信用しないのではないでしょうか。

同じ「D.カーネギー名言集」にこんなことばも載っていました。

「一日、一日の生活が君の社(やしろ)、君の宗教だ(カーリル・ギブラン)」

宗教は個人個人の実生活のためにあるものであって、生活を投げ出してしまっては理想も平和も無意味だと思います。

成功哲学モノの本は、ナポレオン・ヒルの「成功哲学」を読んだことがありますが、内容はビジネス指南書というよりは、とても宗教的な、倫理的な内容のものでした。ナポレオン・ヒルさんはD.カーネギーさんに見いだされた方のようで、きっと「道は開ける」から影響を受けたのだと思います。

-------------------------

これは、わたしがあるHPのコメントに書いた文です。ちょっとした実験のためにアップしてみました。どうしても気になることがあるのです…。
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レイモンド・フランズを追いつめる手

2006年06月05日 | 一般
レイがアラバマに移って六ヶ月が経った頃、エホバの証人の社会では「魔女狩り」にも似た反動の雰囲気がますます高まっていた。

1980年の9月には、前々章で紹介した、新たな背教の定義、すなわち組織の教えと異なることを信じるだけでも背教となるという指示と共に、エホバの証人の間に背教者探しの雰囲気が高まっていった。この時に一致して、東ガズデンを管轄する巡回監督に、より強硬な方針を支持する人間であるベンナーが任命された。

この新巡回監督ベンナーは東ガズデン会衆の訪問に際して、先ずピーター・グレガーソンの調査を始めた。グレガーソンが「ものみの塔」誌の記事に公然と反論している、という噂が会衆の内外にたっていることがその理由であった。このベンナーの追求がすぐに終わらないことを知ったグレガーソンは、審理委員会の取り調べを受けて排斥されるより、自ら断絶届けを出して組織を脱退することを選んだ。グレガーソンの家族全員と、彼の事業の雇用者の何十人もがエホバの証人であった。彼が排斥されるということは、それらの多数の家族と雇用者に多くの迷惑をかけることを、グレガーソンはよく知っていた。その当時、自発的な断絶をした者は、排斥処分を受けた者のような厳しい処遇を受けないことになっていたのである。

1981年3月、ピーター・グレガーソンは会衆に辞退の届けを出し、これは大きな問題もなく受け入れられた。その時点では、グレガーソンはそのままガズデンの町で、それまでと同じ様な社会活動や、家族、友人、雇用者との関係を保つことができた。

しかし、この状況は1981年9月15日20頁の「ものみの塔」誌(英文)(日本語版「ものみの塔」1981年11月15日20頁「排斥-それに対する見方」)の記事で全く変えられた。排斥者にもある程度の温情的な扱いをすることを認める、それまでの1970年代の態度から、極端な強硬路線への方針転換がなされたのである。この「ものみの塔」誌の記事では排斥者に対する徹底した忌避が教えられると共に、自発的に脱退した者も排斥者と同じ様に扱うという教えが初めて打ち出された。

この記事が発表されるのとほぼ時を同じくして、レイの取り調べが東ガズデン会衆の長老によって開始された。その「罪」はレイが、自発的に脱退していたピーター・グレガーソンとステーキレストランで会食をしたというものであった。会衆の長老で、ピーター・グレガーソンの弟であるダン・グレガーソンが目撃したのであった。

最初のレイの取り調べはこの、長老ダン・グレガーソンによって行われた。もう一人の長老と二人でレイの家を訪れたダンは先ず、第二コリント13:7-9を読み、彼がレイの考え方に「調整」を加えるために来たと告げた。

ダンはレイがピーター・グレガーソンとステーキレストランで会食したことは、9月15日の「ものみの塔」誌の記事に照らして、彼の断絶された者に対する考え方を「調整」しなければならないことを意味すると述べた。レイはそれに対して、ピーター・グレガーソンは彼の地主であり、雇い主であると述べた。その上でレイはダンに対して、脱退した人間をそのように厳しく扱う聖書の根拠を尋ねた。

ダンは第一コリント5:11がその聖書的根拠であるとした。
レイはそれに対し、この部分では使徒パウロは、
「兄弟と呼ばれる人で、淫行の者、貪欲な者、偶像を崇拝する者、ののしる者、大酒飲み、あるいはゆすり取る者がいれば、交友をやめ、そのような人とは共に食事をすることさえしないように」
と言っているのであって、レイはこれに当たる人間と交際したことはないし、ピーター・グレガーソンはこのような人間ではないと述べた。

それに対してダンは、今度は第一ヨハネ2:19を取り上げて、この聖句が根拠であるとした。そこには「彼らはわたしたちから出て行きましたが、彼らはわたしたちの仲間ではありませんでした。わたしたちの仲間であったなら、わたしたちのもとにとどまっていたはずです」、とあった。レイはこのヨハネの手紙の前後関係を見ると、ヨハネが問題にしている人々は「反キリスト」のことであり、レイは一度も「反キリスト」、すなわちキリストと神に反逆した人とつき合ったことはないし、ピーター・グレガーソンはそのような人間ではないから安心するように、と述べた。

(レイモンド・フランズ - エホバの証人最高指導者の人生の軌跡とその信仰)

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元エホバの証人なら、だれでも知っているレンモンド・フランズ排斥事件。なぜわざわざミミタコの話をここに持ってきたかというと、どのようにエホバの証人式「魔女狩り」の手が延びているかに注目してほしいのです。それは、断絶したピーター・グレガーソンと会食をしたことが、ピーターの弟でもある長老ダン・グレガーソンに目撃され、チクられたからでした。

聖書には、「兄弟と呼ばれる人で、淫行の者、貪欲な者、偶像を崇拝する者、ののしる者、大酒飲み、あるいはゆすり取る者がいれば、交友をやめ、そのような人とは共に食事をすることさえしないように」、と書かれている、それなのにレイモンドは「忌まわしい」脱会者のピーターと会食した。これは当の聖句への違背である、したがって処罰されなければならない、というのです。

みなさん、共謀罪の及ぼす影響力というのは実はこれに類似しているのです。

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人が犯罪の遂行を思いついてから、犯罪の結果が発生するまでには次のような段階があります。

1.共謀=犯罪の合意。単独犯では、ひとりの人間の中の犯罪実行の『決意』に相当する。
2.予備=具体的な準備。
3.未遂=犯罪の実行への着手。
4.既遂=犯罪の結果の発生。

共謀罪は、予備罪の前の段階から処罰しようというものです。ちなみに、現在で「予備」の段階で処罰の対象となるのは、殺人罪や強盗罪、爆弾関係の犯罪など、ごく限られた重大犯罪でした。それが共謀罪が成立すると、619の罪について「団体性」、「組織性」があれば、「予備」段階より前の「共謀」の段階で、つまりそれら619の罪の合意だけで、処罰を執行できることになります。

(「危ないぞ、共謀罪」/ 小倉利丸・海渡雄一・著)

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「犯罪だから、共謀も処罰の対象になってもおかしくないんじゃない?」、こう思われますか。今、どんなことが罪としてみなされているか、次に引用する文章をご覧になってください。

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2004年2月27日、東京都立川市で長年にわたり反戦平和運動を行ってきた「立川自衛隊監視テント村」のメンバーである高田美幸さん、大西章寛さん、大洞俊之さんの3名が、一ヶ月以上前の2004年1月17日に行ったとされる、防衛庁立川官舎への「ブッシュも小泉もイラクに行かない」「イラクに行くな、殺すな、殺されるな」などイラク派兵反対を内容とするビラ配り(郵便受けへの投函)を理由に、「住居侵入罪」で逮捕され、同年3月19日に起訴された。

逮捕直後には、 「住居侵入罪によって保護される法益は、平穏な私生活であり、郵便受けは外からの情報を受け取る通路でもある。今回の措置は自由な民主主義社会の基礎を揺るがす」ものであり、この事件は「表現活動への抑圧」とする奥平康弘東大名誉教授、水島朝穂早大教授、坂口正二郎一橋大教授ら、憲法学者、刑法学者56名による抗議声明が出され、3月5日には、この逮捕・抑留への疑問を呈した「朝日新聞」の社説が掲載され、さらにアムネスティ・インターナショナルが上記3名を、日本ではじめての「良心の囚人」に認定するなどした。しかし、起訴後も身柄拘束は延々と続き、保釈が認められたのは第一回公判終了後、逮捕から75日後の5月11日だった。

本件逮捕・抑留・起訴は、自衛隊のイラク派兵に反対するテント村の活動を抑圧するとともに、同じような活動をしている全国の多くの市民団体の活動をも抑圧しようという政治的な意図にもとづいて行われたものだった。2004年6月3日付け「毎日新聞」は、東京地検八王子支部、相澤恵一副部長が、今回の事件をきっかけに「ほかの団体の『違法な』活動を抑える犯罪予防の目的もある」との発言をなしたことを報じている。

1.本件防衛庁官舎へのビラ入れは20年以上にわたって行われてきたが、従来一度も問題とされなかったこと、
2.テント村以外の市民団体による防衛庁官舎へのビラ入れも同様であること、
3.飲食店や不動産のチラシが郵便受けに無断で入れられるのは、日常茶飯事であるが、これについても摘発などはされていないこと、
4.ビラ入れ行為は、政治的なビラであろうと、商業的宣伝ビラであろうと、外形的には何ら変わりがなく、住居の平穏への侵害の点では何の違いも見出せないこと、
5.本件ビラと商業的宣伝ビラとの違いは、本件ビラがイラク派兵に反対する内容のものであったのに対し、商業的宣伝ビラは自衛隊とは無関係な内容であること
…等を考えれば、高田さんら3人が逮捕されたのはイラクへの自衛隊派遣反対のビラを配布したから、つまりその「内容」が問題とされたからであろう。

高田さんら3人に対して、逮捕後起訴されるまでの20日間にわたって、連続6~8時間にわたって行われた取調べ自体が、本件に関する強制捜査・起訴がテント村に対する弾圧という政治的意図を持ったものであることを示していた。

高田さんに対しては、「二重人格のしたたか女」「立川の浮浪児」「寄生虫」などという人格攻撃や、「ほかのやつらは、お前に罪をなすりつけようとしている」という友人らに対する誹謗中傷を受けただけでなく、「運動をやめて立川から出てゆけ」などと取調官が暴言を吐いており、大西さんに対しては、ビラ入れ行為とは無関係のことで長時間の取調べをし、「母親が介護保険を利用しているのは、義務を果たさずに権利ばかり主張している」「政府に反対するなら北朝鮮に行け」などと暴言を吐いている。

大洞さんに対しても、「家族や職場は心配ではないのか。このままではクビになるのではないか」と、テント村の活動から手を引くように迫ったりしている。また、大洞さんは検察官から、全国の防衛庁官舎への他の市民団体による反戦チラシの配布が、本件により、増えたのか、減ったのかを調べてみれば面白いだろうとも、言われている。検察官のこの発言は、本件逮捕・勾留による他の市民団体への萎縮効果を十分に意識したものであることを示している。

問題なのは取り調べ方法だけではない。高田さんらの逮捕と同時に行われた家宅捜索では、あらかじめTV局にリークし、TVカメラで撮影させるなどし、いかにも重大犯罪の捜索を行っているかのようなメディア操作をおこなっただけではなく、立会人が抗議したにもかかわらず、第三者の住所録など個人情報が多数入ったパソコンや他団体の発行物、集会資料などが広汎に押収された。これらのほとんどが、本件容疑とは関係ないものであった。捜索の目的が、ビラの発行主体であるテント村とその周辺の動向を調査士、最終的には、運動に介入してその活動を弾圧することにあったのは明らかである。

(「これが犯罪? 『ビラ配りで逮捕』を考える」/ 内田雅敏・著)

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反戦ビラを郵便受けに配布することが住居侵入罪に当たるとされ、商業宣伝ビラなら住居侵入にはならないのです。これが「犯罪」と見なされたのです。共謀罪が成立すれば、かれら「実行犯」3名だけでなく、「テント村」メンバーと関わったり、協力した人たちもみな、逮捕・抑留されるのです。これは言論封殺ではないでしょうか? こういう時代の風潮があって今、共謀罪法案が叫ばれているのです、「市民の生活の安全のために」。

ちなみに、彼らの裁判では2004年12月16日、無罪が言い渡されました。

…ところで、この検挙の指示はいったいどこから出たんだろう?
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共謀罪、ほんとうに必要に迫られているか

2006年06月04日 | 一般
共謀罪も教育基本法改訂もどうやら継続審議になりそうです。チャンスは与えられました。麻生外相はしきりに、修正案では国際越境組織犯罪防止条約が批准できないと言っていますね。ほんとうでしょうか。興味深いブックレットを見つけました。ご紹介します。

共謀罪という法律を今制定しようとされているのには、2000年12月に日本が、国連越境組織犯罪条約を批准したことにもとづき、同条約批准国に義務づけられる組織犯罪対策の一環として、日本国内法に組み入れようとする、という理由があります。では、国連越境組織犯罪条約とは何でしょうか。

その条約は、イタリアのマフィアに殺された予審判事を偲ぶ財団で提案され、わずか3年という猛スピードで国連総会で採択されたものです。拷問禁止条約でさえ採択までに10年かかっているのだそうですから、異例の速さであるわけです。これにはアメリカをはじめ、先進諸国の警察や検察の強力なてこ入れがあり、米政府などが多額の援助を国連に提供しています。

この条約は、マフィアなどの、国境を越える組織犯罪集団の犯罪を効果的に防止しようという目的を持ちます。条約の適用範囲も原則として、越境組織犯罪に限定されています。ところが日本の法務省が準備した法案は、この条約の求めている適用範囲を大きく超えているのです。

国連越境組織犯罪条約の5条は組織犯罪集団への「参加罪」か「共謀罪」のどちらかを制定するよう加盟国に義務づけています。日本政府は、条約制定経過の最中には、共謀罪の制定に反対し、現自民党案にあるような広範な適用・処罰化しようとするのは、国内法の原則と相容れないという意見を述べていたのだそうです。つまり、この条約の審議の冒頭に、日本政府が提出したペーパーには、共謀罪の新設は、日本の法制度の基本原則から見て不可能であると明記されているのだそうです。

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「…(前略)このように、すべての重大犯罪の共謀と準備の行為を犯罪化することは、我々の法原則と両立しない。さらに、我々の法制度は具体的な犯罪への関与と無関係に、一定の犯罪集団への参加そのものを犯罪化する如何なる規定も持っていない」と明記されていました。ですから当時、日本政府は次のような修正案を提案していました。「…このような立場に立って、日本政府は『重大犯罪』を『組織的な犯罪集団に関する重大犯罪』とすること、国連審議中に提案されていた二つのオプションに加えてさらに第3のオプションとして、『その者の参加が犯罪の成就に貢献するであろうことを知って、重大犯罪を犯すことを目的とした組織的犯罪集団に参加すること』を犯罪化する」よう提案しました。どういうことかと言いますと、参加と共謀を重ね合わせることによって、この提案は国連越境組織犯罪条約の適用範囲を原案よりも限定するもの、として提案されていた。このような慎重な態度をとっていた日本政府が、なぜ、国内での立法事実もないのに、さらにさらに広範囲な共謀罪の制定を提案するに至ったのだろうか…?

このような立場からは、この国連越境組織犯罪条約の5条そのものを、批准にあたって留保する選択は十分に合理的だったといえます。ところが、いったん条約が制定されると、このような慎重な姿勢を転換し、国連越境組織犯罪条約をはるかに上回る広範な立法を提案してきました。このような政府の対応は、明らかに自己矛盾しています。

共謀罪制定の理由について政府は国連国際越境組織犯罪防止条約の批准にともなう国内法化のためであるとしていますが(麻生外相など)、国内の犯罪情勢において、このような立法を必要とする立法事実(=立法の根拠となる状況)はないと説明していたのです。以下の引用は、2002年9月18日に開催された法制審議会第一回審議における議事録から、日弁連推薦委員と法務省とのやりとりです。





○ 諮問の第一について伺いたいのですけれども、これまで共謀罪ないし陰謀罪はごく例外的な犯罪類型にしか規定がなかったわけで、例外的なものであったわけです。今回の諮問では、広範な犯罪類型について共謀罪を認めることになっております。その点では、共謀罪に関して、例外的なことが一般的な犯罪化に転化したような感が一方ではするわけです。 
 #(一般化とは、既にある刑法全般に適用しようとすること)

しかし、他方、この犯罪類型には組織的犯罪処罰法3条の文言の縛りがかかっており、いわゆる組織性が前提になっている。そういう意味では、依然例外的な立法であるとも考えることができるわけです。結局これは評価の問題なのですけれども、審議を始めるに当たって、事務当局側のこの点に関する見解を伺いたいと思います。すなわちこれが共謀罪の一般的な犯罪化なのか、あるいは依然例外的なものにとどまるものなのかということについて、御説明いただければと思います。
 #(自民党案では長期4年以上の刑619の全般に適用しようとしている)

▽ 先ほども御説明させていただきましたが、この条約自体の成り立ちといたしましては、市民社会、あるいは市民社会におきます健全な様々な活動に対する組織的な犯罪の攻撃と申しますか、そういった犯罪から市民生活なり市民社会の様々な活動といったものを守っていくという観点から、犯罪の実行に着手する以前の段階であってもこれを犯罪化して、国際的な協調の中で処罰化を図っていくというのが今回の条約であるということでございます。原則的な形態から申せば、何らの要件を付さない共謀罪ということも一つ考えられるわけでございます。
 #(国民の生活を守るため、という理由をもってきている。しかし、個人のプライバシーも基本的人権も制約してしまうのであれば、いったい守られるのは国民なのでしょうか、むしろそれは国民の批判の対象となる人々なのではないでしょうか)
 
他方、今、委員から御指摘がございましたように、我が国におきまして共謀罪というものは既存の法体系に現にある、しかしながらこれが例外的なものに限られているといったことから、他の英米法の国などに見られますような共謀罪一般を犯罪化するというよりは、その中でも組織性と申しますか、こういう組織的な犯罪の共謀であるといったことから、危険性等の強いものに限って犯罪化を我が国としては行ってはいかがであろうかと、そして我が国の場合に組織性ということになりますと、刑事関係では組対法に要件が定められておるといったことから、この組織性をかぶせることをもっても条約上の義務履行としても許される制限なのではなかろうかと、その意味で限定的な共謀罪ということを条約締結の観点から御提案させていただいているということでございます。
 #(しかし今、多くの批判を意識してか、共謀罪の適用範囲を特殊なものへと限定することを選択肢として考えるつもりではある、というような答弁)

・ ○○委員、それでよろしゅうございますか。
・ はい。
・ ほかに御質問がございましたらどうぞ。

○ 先ほどの御説明でも、国際的な要求というのが幾つか出されているのですが、国内的な立法事実といいますか、今回の立法が必要であるというものが余り指摘されなかったというふうに思いますが、そういう意味でもやむなく今回提案したというような形のものだと理解していいのですか。
 #(国連審議では、日本では「参加罪」も「共謀罪」も制定は不可能だと、日本政府自身が明言していた)

▽ やむなくというのをどのように理解するかということにもよるわけでございますが、先ほど来御説明させていただいておりますが、国内的にそのニーズに応えるという形はとっておりませんで、条約締結のために必要な犯罪化等を図っていきたいということを基本に考えているわけでございます。
 #(法務省としても、国内的にニーズはないという理解を「知っている」と答弁している)




国内において、立法化するための国内事情がないのであれば、少なくとも条約が求めている最低限の立法にとどめる謙抑的な姿勢が法案の立案担当者には求められていたはずです。しかし現に自民党によって提案された法案は、国連越境組織犯罪防止条約の求める犯意をはるかに超える広範なものになっているのです。

(「危ないぞ! 共謀罪」/ 小倉利丸・海渡雄一・著)

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自民党は、国連での越境組織犯罪防止条約批准を契機として、ある方向へ日本を導こうとしています。なぜって、国連での条約が求めてもいない、「長期4年以上の刑を定める犯罪について」適用されることになっているからです。それは合計619あるのです。

民主党案では、共謀罪の対象犯罪を「5年超の懲役・禁固にあたる国際犯罪」に限定したものでしたが、麻生太郎外相は6月2日の記者会見で、「民主党案では国際条約の批准はできない」と言いました。ウソですよね。なぜ、ウソをつくんでしょうね? 上記引用文によれば、日本では共謀罪を立法化するほどの事情がないし、第一、日本の法原則に合わないと最初は日本政府自身が明言していたんですから。

以上、「危ないぞ、共謀罪」というブックレットを入手しましたので、緊急に内容の紹介をしました。これは「樹花舎」というあまり聞かない出版者から発売されています。税込み1050円です。みなさんも、ぜひお読みになっていただきたいです。

ルポライターの斉藤貴男さんが、その著書の多くで頻繁に引用されている、小説からの引用を、孫引きして引用します。

「飛行機の速度=0なら、飛行機は飛ばない。
 人間の自由=0なら、人間は罪を犯さない。
それは明白である。
人間を犯罪から救い出す唯一の手段は、
人間を自由から救い出してやることである。
(「われら」/ ザミャーチン・著)」

わたしたちは、自由と安心のどちらか一方の選択を迫られているのでしょうか。わたしはそうは思いません。他者の人権を尊重するときに、自由でありながら安心・安全は達成できると確信しています。犯罪も、犯罪に走らせるものも、他者の権利を尊重しないことですし、自分の子どもをふくめて他者の人格、権利を蹂躙するところから、敵意は生じるものだと思うからです。
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