Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

千葉 野田 小4女児虐待死 対応記録した資料開示 経緯明らかに

2020年01月27日 | 平成日本の風景

 

 

 

千葉県野田市で小学4年生の女の子が虐待を受けた末に死亡した事件から24日で1年です。NHKの情報公開請求で児童相談所の対応を記録した資料の一部が新たに開示され、誤った状況判断のもとで不適切な対応がとられた経緯が明らかになりました。

 

 

 

去年の1月24日、千葉県野田市の小学4年生栗原心愛さん(10)が浴室で死亡しているのが見つかった事件では父親の勇一郎被告(42)が傷害致死などの罪で起訴され、来月21日に初公判が開かれるほか、32歳の母親が虐待を止めなかったとして執行猶予の付いた有罪判決が確定しています。

 

この事件では心愛さんが被害を訴えたアンケートのコピーを教育委員会が親に渡すなど、不適切な行政の対応も明らかになりました。 このうち児童相談所の対応についてNHKが県に情報公開請求したところ、対応をまとめた「児童記録」の一部が新たに開示されました。 資料には事件の1年余り前に児童相談所が一時保護したものの、1か月半で解除した理由について「安全に生活できる環境が整えられた」などと記されています。

 

しかしそのわずか2か月後には、勇一郎被告が担当者に対し 「これ以上、家庭をひっかきまわさないでほしい」 とか 「訴えることも検討している」 などと敵対的な発言を繰り返していたことが記録されているほか、「一時保護解除時の約束が守られていない」 という記述も確認できます。 こうした記録からは児童相談所が誤った判断のもとで不適切な対応をとり、心愛さんを取り巻く状況が悪化していったことがうかがえます。

 

県の検証委員会は一連の関係機関の対応について「不十分、不適切だった」と指摘していて、今後、再発防止に向けた実効性のある取り組みをどう進めていくかが問われています。

 

 

 

■検証の専門家「父親の言いなりになってしまった」

 

今回の事件で行政の対応を検証した千葉県の第三者委員会の副委員長を務めた東京経営短期大学の小木曽宏教授がNHKの取材に応じました。 このなかで小木曽教授は敵対的な姿勢を取る父親を前に、関係機関が不適切な対応を繰り返したことについて 「教育委員会によるアンケートの開示など、子どもの権利を守る側が決して、してはならないことが行われた。こうした対応を疑問に思わなかったことを含め、父親のペースに完全に巻き込まれ、要求に従ってしまったと感じる。また父親から組織ではなく職員個人の責任を追及することを示唆され、言いなりになってしまった。そうした中で、女の子が発したSOSは見逃されてしまった」 と指摘しました。

 

また 「現場職員の専門性の確保や養成が十分ではなく、事案の重大性の見立てやリスクアセスメントが正しくできていないことは根本的な問題だ」 と述べ、現場で対応にあたる職員の知識や対応能力が十分なレベルに達していないことが不適切な対応の背景にあると指摘しました。  そのうえで今後取るべき対策について 「児童相談所などの人員を増やすだけではなく、職員の専門性を高めるための研修が必要だ。単に研修を受ければいいということではなく、効果を検証し、その結果を次の研修に生かしていくことが重要だ」 と述べました。

 

 


■有識者委「頼れる大人が1人でもいたら救える命だった」

 

千葉県とは別に、教育委員会などの対応を検証してきた野田市の有識者委員会は23日、報告書を公表し 「頼れる大人が1人でもいたら救える命だった」 と当時の対応を批判しました。 報告書の中では、心愛さんが被害を訴えたアンケートのコピーを父親に渡した教育委員会の対応について「子どもへの裏切り」で、「子どもの権利に対する意識の低さは非常に大きな問題だ」 と指摘しました。

 

また父親に迎合した教育委員会や学校の関係者がいたとして 「子どもより自分や組織を優先させていると言われても仕方がない」 と厳しく批判しています。 さらに市については関係機関の要として積極的に動くべきだったのに協議の場を設けないなど、対応に問題があったとしています。 そのうえで 「女の子は公的機関の大人を信頼することができなかった。頼れる大人が1人でもいたら救える命だった」 と指摘しています。

 

 

■事件の経緯

 

小学4年生だった栗原心愛さん(10)が自宅で亡くなったのは去年1月24日の夜でした。 父親から 「浴室でもみ合いになった娘が呼吸をしていない」 と110番通報があり、警察と消防が駆けつけたところ自宅の浴室で倒れて死亡していました。 警察は冷水のシャワーをかけるなどの暴行を加えたとして父親の勇一郎被告(42)を傷害の疑いで逮捕しました。10日後には暴行を止めなかったとして母親も逮捕し、心愛さんが日常的に虐待を受けていた疑いがあるとみて捜査を進めました。 その結果、勇一郎被告が心愛さんに胸の骨を折るなどの大けがをさせるなど、たびたび虐待を加えていた疑いがあることがわかりました。

 

さらに虐待と心愛さんの死因との関連について捜査が進められ、検察は食事や十分な睡眠を取らせず、シャワーを浴びせ続けるなどの暴行を加えたことによって死亡したとして、去年3月、勇一郎被告を傷害致死などの罪で起訴しました。 一方、母親は夫の暴行を止めなかったなどとして傷害ほう助の罪で起訴され、すでに執行猶予の付いた有罪判決が確定しています。 父親の勇一郎被告については来月21日に初公判が行われる予定です。

 

 

 

NHK NEWS WEB 2020年1月24日 5時31分

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「超国家主義の論理と心理」の目立った点~森友学園問題に寄せて

2017年03月10日 | 平成日本の風景

 

 

 

 

 

 森友問題にはため息をつかせられる。教育勅語自体はいいものだ、という開き直りにだれも明確な反論を言わない。この問題を追及して安倍政権に打撃を与えるには、もちろん、法的に追求できる問題、払い下げの違法性を問題にするべきだ。だが、この問題は、日本人の内面の暗闇を浮き彫りにしたようにわたしには見えてならない。

 

 ここでちょっと大変なのだが、丸山眞男の名論文、「超国家主義の論理と心理」を読んで、日本の真の病理は何かを突きつけてみたい。

 

 


 

(以下引用文)--------------

 

 


 まずなにより、我が国の国家主義が「超(ウルトラ)」とか「極端(エクストリーム)」とかいう形容詞を頭につけている所以(ゆえん)はどこにあるかということが問題になる。近代国家は国民国家(ネーション・ステート)と言われているように、ナショナリズムはむしろその本質的属性であった。こうしたおよそ近代国家に共通するナショナリズムと「極端なる」それとはいかに区別されるのであろうか。

 

 ひとは直ちに帝国主義ないし軍国主義的傾向を挙げるであろう。しかしそれだけのことなら、国民国家の形成される初期の絶対主義国家からしていずれも露骨な対外的侵略戦争を行っており、いわゆる19世紀末の帝国主義時代を俟たず(またず)とも、武力的膨張の傾向は絶えずナショナリズムの内在的衝動をなしていたと言っていい。我が国家主義は単にそうした衝動がより強度であり、発現の仕方がより露骨であったという以上に、その対外膨張ないし対内抑圧の精神的起動力に質的な相違が見いだされることによってはじめて真に「ウルトラ」的性格を帯びるのである。

 

 

 

(「超国家主義の論理と心理」より第2章の転載 / 丸山眞男・著 / 「世界」1946年5月号への寄稿)

 

 

 

--------------(引用終わり)

 

 

 

 日本の戦中戦前の国家主義は「超(ウルトラ)国家主義」あるいは「極端(エクストリーム)国家主義」と言われているが、そもそも近代国民国家はナショナリズムをその本質的特性としているのに、なぜ、日本の場合は「超(ウルトラ)」だの「極端(エクストリーム)」などという接頭語をつけられるのでしょうか。侵略戦争ならイギリスをはじめ、ヨーロッパ先進国だってやってきたことです。それにもかかわらず、日本のナショナリズムが「ウルトラ」呼ばわりされるのは、「対外膨張ないし対内抑圧の精神的起動力に質的な相違がある」からなのです。

 

 

 

(以下引用文)--------------


 

 

 ヨーロッパ近代国家はカール・シュミットが言うように、中性国家たることに一つの大きな特色がある。換言すれば、それは真理とか道徳とかの内容的価値に関して中立的立場をとり、そうした価値の選択と判断はもっぱら他の社会的集団(たとえば教会)ないしは個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、このような内容的価値から捨象された、純粋に形式的な法機構の上に置いているのである。

 

 近代国家は周知のごとく、宗教改革につづく16,17世紀に亘る(わたる)長い間の宗教戦争の真っただ中から成長した。信仰と神学をめぐっての果てしない闘争はやがて各宗派をして自らの信条の政治的貫徹を断念せしめ、他方、王権神授説をふりかざして自己の支配の内容的正当性を独占しようとした絶対君主も熾烈な抵抗に面して、漸次その支配根拠を公的秩序の保持という外面的なものに移行せしむるのやむなきに至った。

 

 かくして形式と内容、外部と内部、公的なものと私的なものという形で治者と被治者の間に妥協が行われ、思想信仰の道徳の問題は「私事」としてその主観的内面性が保証され、公権力は技術的性格を持った法体系のなかに吸収されたのである。

 

 

 

(同上)


 

--------------(引用終わり)

 

 

 

 ここの記述は重要だと思います。カール・シュミットについてはwikiで調べてください。ナチス時代のドイツの政治学者らしいです。それによれば、近代国家では、道徳や信仰などの「内容的価値」については個人の内面の問題として国家は介入せず、個人の意向に任せ、また「内容的価値」の選択も個人に委ねて尊重する、個々人が集まって社会生活を営むに必要な秩序維持という外面的な目的のために、国家権力は「法体系に従った手続き」という形式に則って執行される、ということです。

 

 このような考え方は、近代国民国家を生み出したヨーロッパの血まみれの宗教戦争への反省に由来しています。一方の信条が絶対正義で他方は悪とするような考え方で政治を行うことを断念し、思想信条に多様性を認め、尊重する寛容の精神が唱えられるようになりました。政治権力は個々人の内面の支配からはいっさい手を引き、公的秩序の維持だけを目的とする、ということで合意したのでした。

 

 だから、稲田朋美が代表を務める「道義国家云々」の会などは明らかに近代国家の定義に反しているし、塚本幼稚園で行われている「教育プログラム」は明らかに、個々人の内面を当人の自由選択に任せず、一部の大人たちの考え方を押しつけている点でも、近代主義に真っ向から反するものです。

 

 

 

(以下引用文)--------------

 

 

 

 ところが日本は、明治以後の近代国家の形成過程においてかつて、このような国家主権の技術的、中立的性格を表明しようとはしなかった。その結果、日本の国家主権は内容的価値の実体たることにどこまでも自己の支配根拠を置こうとした。幕末に日本に来た外国人はほとんど一様に、この国が精神的(スピリチュアル)君主たるミカドと政治的実権者たる大君(将軍)との二重統治の下に立っていることを示しているが、維新以後の(日本の)主権国家は、後者およびその他の封建的権力の多元的支配を前者に向かって一元化し、集中化することにおいて成立した。「政令の帰一」とか「政刑一途」とか呼ばれるこの過程において権威は権力と一体化した。しかもこれに対して内面的世界の支配を主張する教会のような勢力は存在しなかった。

 

 やがて自由民権運動が華々しく台頭したが、この民権論と、これに対して「陸軍および警視の勢威を左右にひっさげ、凛然として下に臨み、民心をして戦慄」(岩倉公実記~岩倉具視の著作物)せしめんとした在朝者との抗争は、真理や正義といったものの内容的価値の決定を争ったのではなく、「上(かみ)君権を定め、下(しも)民権を限り」といわれるように、もっぱら個人ないし国民の外部的活動の範囲と境界をめぐっての争いであった。

 

 およそ近代的人格の前提たる、道徳の内面化の問題が自由民権論者においていかに軽々に片づけられていたかは、かの自由党の闘将河野広中(こうのひろなか;wiki参照)が自らの思想的革命の動機を語っている一文によく表れている。その際、決定的影響を与えたのはやはりミルの「自由論」であったが、彼は、

「馬上ながら之を(「自由論」を)読むに及んでこれまで漢学、国学にて養われ、ややもすれば攘夷をも唱えた従来の思想が一朝にして大革命を起こし、忠孝の道位を除いただけで、従来持っていた思想が木っ端微塵のごとく打ち壊かるると同時に、人の自由、人の権利の重んずべきを知った(河野播州伝、上巻)」
…と言っている。

 主体的自由の確立の途上において真っ先に対決されるべき「忠孝」観念が、そこでは最初からいとも簡単に除外されており、しかもそのことについて何らの問題性も意識されていないのである。このような「民権」論がやがてそれが最初から随伴した「国権」論の中に埋没したのは必然であった。

 

 かくしてこの抗争を通じて個人の自由はついに良心に媒介されることなく、したがって国家権力は自らの形式的妥当性を意識するに至らなかった。そうして第一回帝国議会の招集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、日本国家が倫理的実体として価値内容の独占的決定者たることの公然たる宣言であったといっていい。

 

 

 

(同上)


 

--------------(引用終わり)

 

 

 

 日本のナショナリズムが「ウルトラ」あるいは「エクストリーム」と呼ばれるゆえんはまさに、国家が「道義」を決めよう、国家がただ一つの道義を体現しようとするところにあるのです。明治新政権は実権を握っていた幕藩体制の支配(それが「多元的」と書かれているのは、幕府が支配したのは各藩の大名たちであり、藩の領民たちはその各大名たちが支配していたから。こういう複雑な支配のしくみを指して「多元的」と呼んでいる)を天皇のスピリチュアルな「権威」に融合することによって、つまり、「内容的価値」を個々人の内面の自由から引き離して、それを国家によって決められ、与えられるものとし、つまり人間の多様性を否定し、国家にとって都合のよい単一の「人格」を一様に国民に植えつけようとした点がまさに「質的な相違」だった、それゆえに、日本のナショナリズムは「ウルトラ」であり、「エクストリーム」だったのです。20世紀最初の軍事作戦としての自爆攻撃を組織したところまで突き進むともうそれは「エクストリーム」を越えて「エキセントリック」あるいは「ファナティック」といってもいいでしょう。そんな「質的相違」なナショナリズム涵養の意志表明がまさに、第一回の国会開催直前の、教育勅語の発布だったのです。

 

 これは現代でも同じだと、わたしは思っているのですが、自由民権を擁護する、あるいはリベラルを自称する人たちさえその点を理解していないか、実践していないことが、真の近代主義が日本で育たなかった重要な原因となっていると思います。ここに挙げられている例では、河野広中が、自由民権運動を展開しながら、実は「忠孝」といった封建日本のゆがんだ儒教風の道徳観を総括できなかった、そんな風潮がやがて、大正デモクラシーをしてやがて昭和ファシズムの前に霧消せしめた、とされています。

 

 これとまったく同様の事態がわたしたちの眼前で繰り広げられています。教育勅語のなかから、親孝行(まさに「忠孝」の道徳則)、勤勉などの項目を切り出して、「これのどこが悪い」と開き直られたときに、リベラル派コメンテーターたちはもごもごと口ごもるか、反論しても明快とは言えないくどくどしいことしか言えないでいます。戦後、リベラル全盛の時代にも日本では依然と家父長制、年齢序列、子が親に気を遣うことを美徳とする「忠孝」則、体罰美化、根性論的精神主義は称揚されてきました。スポーツやTVドラマを通して。だって、いまだに高校野球は全員丸坊主です。あれは軍隊の習慣でした。個性を忘れさせるためです。それが21世紀のいまだに暗黙の了承とされているのです。

 

 ちなみに親孝行について言えば、子が親に従わなければならないのではない、親が子に気を配り、子どもが高い自尊心を培うよう指導し、真に自立してゆけるよう育てる義務があり、子どもはそういう教育を期待する権利があるのです。「忠孝」則はこの点で主格が転倒しています。さらに、学校のこまごました校則も、生徒の精神的成長とは逆の目的があり、それは、たとえ憲法の内面の自由に抵触していようが、直近の大人たちの脳内に生き残る「子どもらしさ、若者らしさ」観に従え、とにかく直近の権威者の方に従え…という意味の、旧態道徳の押しつけであり、近代的人格の養成というよりは、旧態依然たる「年少者は年長者に文句を言わず従え」式の道徳の押しつけなのだと、わたしは思っており、かつそうした考え方に強い憤りを持って反発を覚えるのです。そんなこんなで日本では近代的自由主義はまったく根づいていなかったといっても過言ではないでしょう。

 

 

 

(以下引用文)--------------

 

 

 

 果たして間もなく、あの明治思想界を貫流するキリスト教と国家教育との衝突問題がまさにこの教育勅語をめぐって囂々の論争を惹起したのである。「国家主義」という言葉がこのころから頻繁に登場したということは興味深い。この論争は日清・日露両役の挙国的興奮の波の中にいつしか立ち消えになったけれども、ここに潜んでいた問題は決して解決されたのではなく、それが片づいたように見えたのはキリスト教徒の側で絶えずその対決を回避したからであった。

 

 今年(1946年当時)初頭の詔勅で天皇の神性が否定されるその日まで、日本には信仰の自由はそもそも存立の地盤がなかったのである。信仰のみの問題ではない。国家が「国体」において真善美の内容的価値を占有するところには、学問も芸術もそうした価値的実体への依存よりほかに存立しえないことは当然である。しかもその依存は決して外部的依存ではなく、むしろ内面的なそれなのだ。

 

 国家のための芸術、国家のための学問という主張の意味は、単に芸術なり学問なりの国家的実用性の要請ばかりではない。何が国家のためかという内容的な決定をさえ「天皇陛下および天皇陛下の政府に対し(管理服務紀律)」忠勤義務を持つところの官吏が下す、という点にその核心があるのである。そこでは、「内面的に自由であり、主観のうちにその定在(ダーザイン)をもっているものは法律の中に入ってきてはならない(ヘーゲル)」という主観的内面性の尊重とは反対に、国法は絶対価値たる「国体」より流出する限り、自らの妥当根拠を内容的正当性に基礎づけることによって、いかなる精神領域にも自在に浸透しうるのである。

 

 従って、国家的秩序の形式的性格が自覚されない場合は、およそ国家秩序によって捕捉されない私的領域というものは本来、いっさい存在しないこととなる。わが国では私的なものが端的に私的なものとして承認されたことがいまだかつてないのである。この点につき「臣民の道」(wiki参照)の著者は「日常われらが『私生活』と呼ぶものも、畢竟これ臣民の道の実践であり、天業(=天皇への奉仕という臣民の務め)を翼賛し奉る臣民の営む業として公の意義を有するものである。 ~中略~ かくてわれらは私生活の間にも天皇に帰一し、国家に奉仕するの念を忘れてはならぬ」といっているが、こうしたイデオロギーはなにも全体主義の流行とともに現れ来ったわけではなく、日本の国家構造そのものに内在していた。したがって私的なものは、すなわち悪であるかもしくは悪に近いものとして、何ほどかのうしろめたさを絶えず伴っていた。営利とか恋愛とかの場合、特にそうである。そうして私事の私的性格が端的に認められない結果は、それに国家的意義を何とかして結びつけ、それによってうしろめたさの感じから救われようとするのである。

 

 漱石の「それから」の中に、(主人公の)代助と嫂(あによめ。=兄嫁)とが、
「一体今日は何を叱られたのです」
「何を叱られたんだか、あんまり要領を得ない。然し御父さんの国家社会の為に尽くす、には驚いた。何でも十八の年から今日までのべつに尽くしてるんだってね」
「それだから、あの位に御成りになったんじゃありませんか」
「国家社会の為に尽くして、金がお父さん位儲かるなら、僕も尽くしても好い」
…という対話を交わすところがあるが、この代助の痛烈な皮肉を浴びた代助の父は日本の資本家のサンプルではないのか。こうして「栄え行く道(野間清治・著)」と国家主義とは手に手をつなぎ合って近代日本を「躍進」せしめ、同時に腐敗せしめた。「私事」の倫理性が自らの内部に存せずして、国家的なるものとの合一化に存する、というこの論理は裏返しにすれば国家的なるものの内部へ私的利害が無制限に侵入する結果となるのである。

 

 

 

(「超国家主義の論理と心理」より第2章の転載 / 丸山眞男・著 / 「世界」1946年5月号への寄稿)

 


--------------(引用終わり)

 

 

 

 国家のために考え、国家のために自分のしたいことを抑え、国家のために服従しなければならないだけではない、内面の自由が侵食されきった社会では、「何が国家のためか」ということさえ国家が決めるのです。

 

 ここでドイツの哲学者ヘーゲルの難解な表現の文章が引用されていますが、わたしもヘーゲルが何を言ったのか詳しいことは知りません。しかしここでいわれているのは、近代国家であるなら、個々人の内面を法律で縛ってはならない、という理解でも大きく間違ってはいないでしょう。それとは反対に日本のウルトラナショナリズムは、国家が道徳的倫理的権威の体現であるため(おそらくそれが「國体」の正体だろうと想像します)、哲学、文学の人文学領域だけでなく、科学・芸術からそれこそ日常のルーティンワーク領域まで国家は干渉しうるのです。また事実干渉してきたのです。国家が道徳の体現であるなら、どんなことでも国家がよしとしたことが基準になるからです。これはまさに宗教原理主義というとらえ方が現代のわたしたちには理解しやすいでしょう。イスラム過激派と同様の性質の、そう、旧日本の「超国家主義」はまさに宗教原理主義だったのです。それゆえに「超(ウルトラ)」、「極端(エクストリーム)」だったのです。非合理的な思考、非合理的な判断、非科学的な判断が「八紘一宇」だの「一億総玉砕」だのという無内容な叫喚的スローガンで、根拠のないことを隠ぺいして、行き当たりばったりの政策・軍事作戦が推し進められたのでした。

 

 

 元エホバの証人の方々は、政府による内面干渉ないし指導要綱である「臣民の道」の上記引用文をみて気持ち悪くなったでしょう。まさにエホバの証人の「教育」内容そのものです。
「日常われらが『私生活』と呼ぶものも、畢竟これ臣民の道の実践であり、天業(=天皇への奉仕という臣民の務め)を翼賛し奉る臣民の営む業として公の意義を有するものである。 ~中略~ かくてわれらは私生活の間にも天皇に帰一し、国家に奉仕するの念を忘れてはならぬ」
エホバの証人の日本語教材では「臣民」はその通り使われていましたし、「天業」をエホバへの奉仕、「天皇」をエホバに置き換えれば、そのまんまものみの塔の研究記事かと錯覚します。エホバはいついかなる時も信者を見ている、それを意識して行動せよ、ということで、まさにフーコーのパノプティコン社会を実現させようとしていたのでした(フーコーの「監獄の誕生」についてはwikiで調べてみてください)。わたしはエホバの証人問題とは全体主義の問題だと主張していますが、その根拠は今日ここで述べたことです。だから、元エホバの証人の多くがネトウヨになるのを見るにつけ、こいつらは何にも目覚めていないな、まったく「マインドコントロールは解けて」いないな、と思うのです。

 

 

 丸山眞男に戻りますが、こうした内面の自由の浸食&支配はなにも昭和ファシズム興隆によって生み出されたものではなく、まさに明治維新の時期から日本人に刷り込まれていたものであり、その指針となっていたのが教育勅語なのです。そして内面の自由が国家によって支配されてしまっている中においては、「私的領域」というのは原理的に存在しえず、個人的な欲求についてはその一つ一つについて後ろめたさを感じなければならない、だから、なにかにつけて、「お国のため」という大義名分をこじつけるのです。その例が夏目漱石の小説から引用されていますが、うしろめたさを感じているうちはまだかわいいもので、開き直ってくると逆に「お国のために」等の大義名分で、何でも自分の好きに行おうとするのです。森友学園の園長は「強い日本を背負って立つ人材育成のために教育勅語の精神で育てる」学校開設のために、ありとあらゆるごまかし、国会議員による便宜利用などを平気で行うのです。それが「国家的なるものの内部へ私的利害が無制限に侵入する結果となる」ということなのです。

 

 この論文の第3章にはもっと衝撃的なこととして、こんな一文もあります。

 


 

 

(以下引用文)--------------

 

 

 

 国家主権が精神的権威と政治的権力を一元的に占有する結果は、国家活動はその内容的正当性の基準を自らのうちに、國体として持っており、したがって国家の対内および対外活動はなんら国家を超えた一つの道義的基準には服しない、ということになる。

 

~(中略)~

 

 わが国家主権は決してこのような形式妥当性に甘んじようとしない(=内容的価値の独占&支配・操作をやめようとしない)。国家活動が国家を超えた道義的基準に服そうとしないのは、…主権者(=天皇の権威をかさに着る官僚)自らのうちに絶対的価値が体現しているからである。それが「古今東西を通じて常に真善美の極致(「皇国の軍人精神」/ 荒木貞夫・著 8ページ)」とされるからである。

 

 したがってこの論理が延長されるところでは、道義(あるいは正義)は、こうした國体の精華が、中心的実体から渦紋状に世界に向かって広がってゆくところにのみ成り立つのである。「大義を世界に布く」と言われる場合、大義は日本国家の活動の前に定まっているのでもなければ、その後に定まるのでもない。大義と国家活動は常に同時存在なのである。大義を実現するために行動するわけだが、それとともに、行動することがすなわち正義とされるのである。「勝った方が正義」というイデオロギーが「正義は勝つ」というイデオロギーと微妙に交錯しているところに日本の国家主義論理の特性が露呈している。それ自体「真善美の極致」たる日本帝国は、本質的に悪を為し能わざるがゆえに、いかなる暴虐なる振る舞いも、いかなる背信的行動も許容されるのである!

 


 

(同上3章)


 

--------------(引用終わり)

 


 

 日本自身が「真善美の極致」の体現であるがゆえに、日本を越えた倫理観道義基準に従わなくていい、だから捕虜の扱いに関する国際条約に頓着しないし、日本の行動はすべて正義の基準なので、南京事件などの戦争犯罪もも「しようがなかった」、戦争犯罪も「当時としてはほかに取るべき道はなかった」などと無責任を鼓吹し、平気で某局せしめようということができるのだと思います。そしてそれは国家による隠ぺいだけでなされるものではなく、明治より刷り込まれてきたものであるがゆえに、まさに国民自身がその無責任の遂行者として率先できるのです。

 

 日本会議も籠池園長も稲田朋美も安倍晋三も、彼ら自身だけが特異なのではない、わたしたち国民のうちに、真の近代人としての資質が十分に育っていないのではないか、だから、教育勅語のなにが悪いと開き直られてすぐに明確に反論できないのだと思います。

 

 

 

 集中力が途切れてきたので、中途半端ですが、ここでいったん、筆をおきます。時間があるときにまた、第3章も読んでみたいと思います。

 

 

 


 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「奥さまは愛国」/朴順梨・北原みのり・共著 の目立った点

2014年08月21日 | 平成日本の風景

 

 

 

今の日本は、変だと思う。とても生きにくく、息苦しいと思う。

 

 

2012年冬、第2次安倍政権が誕生してから私はほとんどTVを見なくなってしまった。ニュースを見るのは気が重く、時代の空気をTVを通じて感じたり、何が起きているのかを直視するのに、疲れてしまったのかもしれない。考えてみれば、2011年の3月11日以来、ずっとTVや新聞の報道から目が離せない日々を送ってきたのだ。

 

東日本大震災の直後、私は数日間、涙が止まらなかった。あの日、家に帰れなかった友人たちが私の家に泊まっていた。スーパーに買い物に行き、6人分の朝食のため牛乳パックを数本買い物かごにいれていると、近くの男性が「買い占めかよ」と、ぼそ、とつぶやいた。近所のガソリンスタンドは全て閉まっていて車での移動は一切できず、とはいえそもそも行くあてがあるわけでもなく、東京に閉じ込められているような気分になった。目の前の映像で家や人や車が流されるのを見て、原発事故の全容は分からず何も手がつかないのに、牛乳パック一つを監視しあう日常に、名前のつけられない感情で泣き続けた。

 

耐えがたい気分で3月15日、私は行き先を決めずに新幹線に乗った。自由席はもちろんのこと、広島行きの新幹線はグリーン車も満席だった。メディアでは、東京の人が「逃げている」ことは報道されない。新幹線でツイッターを見ていると、知人が「逃げる者は恥を知れ」というようなことを書いていた。新幹線に乗っていることは、ネットでは書けない、と思った。

 

あの時メディアは「こんな状況でもパニックにならず、ゆずりあう日本人は世界から称賛されている」と紹介していた。確かに私たちは、奪い合うようなパニックを経験していないかもしれない。でも、この国ならではのパニックに確かに陥っていたのではないだろうか。互いに監視し合い、抜け駆けしないように注視し、批判しあい、みなが同じ方向を向くような力に、縛られていたのではないだろうか。

 

私が「愛国運動」を知ったのは、あの年の夏だった。人類史上最悪の原発事故から半年も経っていない8月に、フジTVに対し「韓流ドラマを流すな」という抗議デモが行われたのだ。あのデモは「愛国運動」ではなく「メディア批判」だ、という人も少なくなかった。が、人びとが振る無数の日の丸や、インタビューに答え「韓国スターは気持ち悪い」と笑う参加者の様子は、メディア批判の体すら取っておらず、嫌韓感情と熱狂的な愛国心が伝わってくるものだった。私は「彼等」のデモを週刊誌の連載などで批判した。

 

それからが大変だった。私は事実無根のことをネットに書かれ、会社の電話が鳴り止まず「日本が嫌いなら出て行け」と叫ばれ、会社のサーバーも攻撃を受け業務を停止せざるを得なかった。顔の見えない人たちから嫌がらせを受けるのが、次第に日常になっていった。

 

 

2013年8月15日、私はニコニコ動画に呼ばれて、「終戦記念日」の番組に生出演することになった。終戦の日に際して、数十人の言論人が一人ずつ10分間演説する、という主旨の番組だった。私は田母神俊雄氏の数人後くらいにステージに立つことになっていて、スタジオに着くと、ちょうど田母神氏が拳をふりあげ力一杯演説をしている最中だった。「韓国、ふざけるな‼」「反日教育するな!」と勢いよく韓国バッシングをする田母神氏に888888 888888の「拍手」が画面に溢れている。途端にその場に来たことを私は後悔した。

 

その日、私は祖母の話をした。今年89歳の祖母は、20歳の時に終戦を迎えた。その祖母が「戦争中一番怖かったのは、米軍でもB29でもなく、隣組のオジサンだった」と言っていた。空襲時に防空壕に入って、万が一そのあたりが火の海になったら確実に「蒸し焼き」になってしまう。だから防空壕には入りたくない、という祖母に、オジサンはギャーギャーわめいて「和を乱すな」と怒ったそうだ。また、戦後、旅館を経営していた祖母は、元日本軍兵士の戦友会で、お酒をつぐこともあった。その時に男たちは「中国で何をしてきたか」と繰り返し話していたという。どのように人を殺したか、どのように拷問したか。そんな話はきっと、妻や子どもたちにはできなかった、同じ境遇にいた男どうしだからこそ語れる話だったのだろう。祖母は「日本軍はそんなことをしていたのかって、本当に怖かったわ」と、私に「元日本軍兵士から聞いたこと」を話してくれた。

 

…そんな話をTVカメラの前で話した。戦争とは「かっこよく死んでゆく」ものでも、「あの国嫌い」というようなものでもなく、容赦なく自由を奪われ言葉を奪われ命を奪い奪うもの、そんなものは絶対にいやだ、と。

 

その話をしたことで何かが起きたわけではない。バッシングされたわけでもない。むしろ自分の話したいことを話せたのだから、それでよかったはずなのだ。それなのに、どういうわけなのだろう。私はその夜から激しい耳鳴りに悩まされるようになった。

 

 

ネットで何を言われても、叩かれても平気だと思っていた。私より激しく攻撃されている人はたくさんいるし、感情的な批判に振り回されないようにしよう、と思っていた。でも私はぜんぜん大丈夫じゃなかったのだと、あの夜に初めて気がついた。もしかしたら「買い占めかよ」と男に言われたときから」、もしかしたら新幹線の中で「逃げる者は恥を知れ」というツイートを読んだ時から、ずっとダメだったのかも。耳の中でずっとカサコソカサコソ音がしていて、動悸が激しく、不安な気分に押しつぶされそうになってようやく気がついた。私はずっと、もの凄いストレスの中を生きてたんだ。人と違うことを言ったり、自分の意見を言ったり、自分の思うままに行動して「間違った」ときに、ものすごい勢いで叩かれる空気が、もう限界だったのだ。

 

その時に、はっきりと私は自覚した。私はこの国が、嫌いだ。とても変な国になっている、この国が嫌いだと。

 

 

そんな私にとって、「愛国にはまる女性」たちは、まったく理解のできない存在に思えた。男とともに「韓流気持ち悪い」と言い、男とともに「慰安婦はうそつきだ」と言う。しかもそんな運動は、あはり3.11以降、目に見えて増えている。

 

もしあの震災と、あの原発事故が、彼女たちのきっかけだとしたら、私と彼女たちの違いは何だろう。3.11以降、この国をほんとうに怖いと思った。逃げたくてたまらないと思っている。一方で、同じように不安に感じ、怖いと思っただろう女たちが「国を愛そう」と動きはじめたのは、なぜだろう。彼女たちには、どんな未来が見えているのだろう。彼女たちの「生き方」は、新しいのか、それとも絶望なのか。

 

この国がどう変わったのか、なぜ私はこの国がここまで嫌になったのか。その答えを探るように、私は彼女たちを知りたいと思いはじめたのだ。

 

 

 


「奥さまは愛国」 / 北原みのり・朴順梨・共著 / 「はじめに」より

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビッグ・ブラザーの正体は? 「琉球新報」コラムより

2013年07月07日 | 平成日本の風景



 
 
 
 
 テレスクリーンという双方向のテレビで市民の行動は全て政府に監視されている。正体不明の「ビッグ・ブラザー」が率いる党が国を独占、思想や言語、結婚まで統制し国民の私生活は存在しない。
 

 1948年に英国の作家ジョージ・オーウェルが小説「1984」で近未来を予言的に描いた社会だ。日々歴史を改ざんする役人である主人公の男はある日、抹殺されたはずの人物が載る新聞記事を偶然見つける。以来、体制に不信を抱き、隠された真実を探り始める。
 

 米当局がネット上の個人情報を広範に収集してきたことを暴露した元CIA職員が、この小説の主人公と重なった。米政府が世界中の人々のプライバシーやネットの自由、人権などを壊すのが許せなかったという。
 

 だが米政府は「テロ対策だ」と強調するばかりで実態を明かさない。それが世界のネット市民の間に不安を広げている。
 

 問題発覚後「1984」のアマゾン・ドットコムでの売り上げが約70倍に急増したという。元職員の人物像や行方についての報道が多いが、市民が一番知りたいのは監視の真の姿、すなわち “ビッグ・ブラザー” の正体に違いない。
 

 今日はオーウェル生誕からちょうど110年。「1984」の発刊翌年に46歳で世を去った。政府に監視される恐怖を描き、65年たった今も輝きを放つ遺作に込めた彼の警告を、あらためて胸に刻みたい。
 
 
 
 
 
 
琉球新報 2013年6月25日
 


---------------
 



日本においては、「ビッグ・ブラザー」の正体は、アメリカよりはずっとはっきりしている。それはアメリカのネオコンに自らへつらう官僚たちであり、そういう官僚に依存せざるを得ない右派政治家たちであろう。
 


小説「1984」で歴史改ざんを行う省庁である「真理省」は、事実を報せない、という形でウソをつく企業としてのマスコミ業界の隠喩であるとみなす研究者が多い。情報操作は、「1984」の作者が名づけた「ダブル・シンク=二重思考」という一種の思考停止による国民の精神統制に必要不可欠のものだ。
 


ダブル・シンクとは、「1984」によれば、
 「ひとつの精神が(つまり国民個々人の思いのなかで)、同時に相矛盾する二つの信条を持ち、その両方とも受け容れられる能力のことをいう」。(「1984」/ 新庄哲夫・訳/ ハヤカワ文庫版、p275~p276)
 


たとえば、独裁国家を維持するためは、国民が現実に起きていることを批判的に見てはならないわけで、そのために現実を曲げて解釈するよう党(小説の中の、ビッグ・ブラザーを総裁とする政権党)のエリートたちは国民を指導教育しなければならない。もちろん、党のエリート官僚たちは自らをもダブル・シンクによって歴史の改ざん、出来事を歪曲して解釈したことを自ら受け入れて信じるのだ。
 


「党の知識人たちは、いかなる方向に自分の記憶を変造しなければならないかを熟知している。したがって、自分が『現実』をごまかしていることも承知の上である。それにもかかわらず、ダブル・シンク=二重思考を自らに施すことにより、彼らも、彼らに指導教育される国民も、現実は侵されてはいない(=歪曲されていない)と納得させているのである。
 


「その過程は意識的なものである。さもなければ充分な精確さによって実行されはしないだろう。しかし同時にそれは無意識的なものでなければならない。さもなければ虚構を捏造したという感情、さらには罪悪感にさいなまれるであろう。
 


「二重思考=ダブル・シンク」はイングソック(イングランド・ソーシャリズムをつくりかえた新言語、ニュー・スピークの語彙であり、ビッグ・ブラザー政権の、思考改造プログラムを含む指導方法)の核心である。
 


「なぜなら党の本質的な行動は、意識的な欺瞞手段を用いながら、『完全な誠実さに裏打ちされた堅固な目的を保持すること』であるからだ。
 


「一方で、心から信じていながら意識的なウソをつくこと、不都合になった事実は何でも忘れ去ること、ついで再びそれ(さっき忘れ去った不都合な事実)が必要となれば、必要なあいだだけ忘却の彼方から記憶を呼び戻すこと、
 


「客観的事実の存在を否定すること、それでいて自分が否定した事実を考慮に入れること…。以上はすべて不可欠な必須要件なのだ。
 


「『ダブル・シンク=二重思考』という用語を用いることそのものについても二重思考による脳内操作を施さなければならぬ。その言葉を用いるだけでも、現実を変造しているという事実を認めることになるからだ。
 


「かくて虚構はつねに事実の一歩前に先行しながら(=歴史の改ざん、現実の出来事の歪曲によって事実を国民から隠しおおせながら)、無限に繰り返される。結局、二重思考の方法によってこそ党は歴史の流れを阻止できたのである。そしておそらくは今後何千年ものあいだ、阻止し続けられるかもしれぬ」。(上掲書より)
 





こんな手法は決して特別なものではなく、わたしがかつて所属していた「エホバの証人」という宗教団体でも普通に行われていたし、いまでも、沖縄県民の集団自決といった歴史事実、従軍慰安婦の歴史事実、南京大量虐殺強姦事件…の消去を図るのにつかわれている手法だ。
 


そしてこんな手法が功を奏することができるのは、欺かれるほうにも、「欺かれていたい」、「現実の不安から目をそらせていたい」というとても強い欲求があるからだ。インターネットで匿名で自己の意見を書くことができるようになってからは、「自分探し」の目的で右左翼思想に入ってゆく人もおり、彼らは自分の価値を信じたいばかりに、インターネットの生半可な知識をかじって、自分と同じような弱い立場にいる人をバッシングして、強くて賢い自分というイメージに酔いたいばかりに、敵を見いだしやすい右派に染まってゆく場合もあるだろうと、わたしは感じている。
 


「1984」のビッグ・ブラザーは敵を明確にして国民の不安と憎悪をかきたてるという古典的な手法もフル稼働させている。また、上記引用文に、ビッグ・ブラザー政党が「ニュー・スピーク」という新しい言語を創造して使用している、とあったが、それはひとつの語彙にただ一つの意味を与えた、簡略化された言語だ。この手法は、単純なフレーズを繰り返し使うマスコミの手法に通じている。小泉郵政選挙では、世耕議員率いるスタッフが、スピン・ドクターなる言語操作技術に長けた技術者を使って、「B層」と名づけられた、保守系主婦・老人、低学歴貧困層の若者をターゲットにして宣伝攻勢をかけた結果、大勝したという記事も見たことがある。
 


中国脅威論をはじめ、領土問題で国民の不安を煽り、国民の精神状態を「だましてほしい」モードに追い込んで、そこへ単純化されたメッセージを繰り返し刷り込み、偉大な日本、美しい日本、とてつもない日本への希求を作り出し、自民党への帰依を促すここしばらくの政権運営を、「1984」に重ねてみてしまう。参院選も自民圧勝の予想がマスコミの口々に見え隠れし始めている。
 




---------------
 



孫崎享‏ツイート
  
 
 
自民党:不思議だ。自民党に投票して、原発再稼働させたいの。消費税上げたいの。TPPに参加して国家主権をなくし、国民健康保険を実質破壊したいの、消費税上げたいの。30日読売「参院選投票先、自民42%・民主9%…読売調査」
 
 
 
2013-06-30-sun.
 


---------------
 

 


わたしたちの将来は真っ暗だ。



 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治時代のような現代労働事情

2009年08月02日 | 平成日本の風景

ひとつ、新聞記事をご紹介しましょう。新聞といってもずっとずっとむかしの新聞記事です。明治時代の記事です。でもこの記事を読むと、労働者と国民の暮らしの様相はおどろくほど似ているのです。まあ、ご覧になってみてくださいな。


--------------------------


産業の発達には、資本と労働の精鋭活発なるを要す、而して資本の運用をして活発機敏に且つ効力あらしむる者は労働なり、東洋の実業家が労働賃金の廉き(安き)を頼んで事業の成功を望む所以(ゆえん)も、亦(また)同じく労働其者(そのもの)が産業に最大必要なることを認むる故なり。

 


…(中略)…

 


今や労働者は生活難の為に如何ともする能はざる(あたわざる=cannot)に至れり、之に加ふるに失業者は各業の労働者間に続出して益々困難を感ずるに至る、労働問題の起こるは当然の結果と云わざるべからず。

然るに労働問題は萎靡(いび=なえしおれること。萎縮しているさま)として振るはず、一時隆盛を極めたる労働組合も今や全然沈衰して其活動を見ず、事実起こらざるべからざる (《労働組合による争議が》起こってもいいはずの) 社会に於いて斯く(かく=このように、の意)寂寞たるは如何なる理由あって存するか、余の見解よりせば今や労働問題は実に激烈なる状態を呈せり、外形上寂寥たるは労働者の境遇止むを得ざる故なり (=労働問題は深刻な事態にあるが、労働争議がまったく盛り上がっていないのは労働者のおかれている環境がとても不利な状況のため、やむをえない)、

彼らは虐待され居れり、圧制の取扱ひを蒙れり (=被っている)、工場規約は残酷なり、賃金は安く時間は長し、加之 (しかのみならず) 工場は不潔なり、労働者は不平満々たり、然り而して (しかして) 彼らは工場雇主に圧迫さるるのみならず、更に社会より圧迫され経済上よりも苦しめらるるなり、彼らはひたすら職業を失はんことを恐れ、解雇を恐怖する実に甚だし、餓死するよりは優れりという感念は、今日の労働者が切歯扼腕 (せっしやくわん=歯を食いしばり拳を握りしめるさま。怒りなどの感情表明を食いしばっているようす) して守り且つ忍耐する所なり、

然り、彼らは之が為めに豚同様の生活も、心身を害するも、病気になるも、敢えてする所なり、彼らは権利を要求する声をも発する能はざる (声をあげることもできないでいる)、恰も(あたかも)奴隷の如し、そも斯くあらしむる者は何ぞや、固より(もとより)労働者は無教育なり、無気力なり、而して実際活動の余裕なきまでに圧迫され居り、地平線以下の (=置かれている立場が低い) 者なり、然りと雖も(言えども)其直接間接に労働者を斯くあらしむる者は治安警察法是なり。

そも治安警察法が労働者の束縛法たることは実に明確なる事実にして、資本家の為めには労働者圧制の唯一の武器なり、然り、労働者は治安警察法の為めに自由を剥奪されたり、彼らは憲法治下の臣民として其保証を得ざる者なり、集会結社の自由も其死活問題に関しては奪はれたり、

是れ彼ら労働者が斯く意気地なき所以なり、堕落腐敗せる所以なり、ヤケになりたる所以なり、労働運動は治安警察法に依って殆ど死刑の宣告を与へられたるなり、労働運動は為めに活動する能はず、労働者は運動の自由を奪はれたり、

労働問題の解決は先づ治安警察法を廃止して労働者に自由を与へ、自治の民なるの本分を以って自ら解決せしむるに在り、故に余は云ふ、労働問題焦眉の急務は治安警察法の廃止運動に在りと。

 

 

(「労働問題の将来」/ 片山潜・著/ 「週刊平民新聞」第二号 明治36年11月22日付け 3ページ)

--------------------------


ことば
■治安警察法■
 集会・結社・言論の制限と社会・労働運動の取締法。資本主義発展に伴う労働運動の勃興に対して、山県有朋内閣が1900年3月10日に公布した。
 政治結社や屋外大衆運動の届出制、女子の政治結社加入や政談集会参加の禁止、秘密結社の禁止とともに、労働者の団結や同盟罷業(どうめいひぎょう=ストライキのこと)を禁止する規定があり、労働運動抑圧の効果は大きかった。
 1901年の社会民主党や1925年の農民労働党、1928年の労農党の結社禁止などの社会主義運動の抑圧にも威力を発揮。
 敗戦後も日本政府によって存続が図られたが、GHQの指令で1945年11月21日に廃止された。(「岩波日本史辞典」/永原慶二・監修)

 

 

こういう新聞記事を回顧してみると、いかに現代日本が、21世紀の日本社会が逆流してきたかがまざまざと見て取れますよね。愕然とします。「治安警察法」こそないものの、事実上、労働デモは弾圧に等しい扱いを受けています。

 

--------------------------


宇部興産の子会社で、六つの工場を持つ生コン業界大手企業が27500円の「損害」だけで「威力業務妨害」の被害届を出し、それを口実に本来管轄外の公安が10ヶ所も家宅捜索して計5人を逮捕する…。

こんな首を傾げるような事件が、この2月12日に起きた。しかも5月25日現在に至るまで3人が拘留され、接見禁止処分すら解けていない。

 

この企業は、大阪市に本社がある関西宇部。事の発端は08年の春闘期間中、同社も加盟する「大阪兵庫生コン経営者会」が関西労組との集団交渉において、月6500円の賃上げや輸送運賃引き上げ等を認めた「08年春闘協定」を同年4月に交わしたことから始まる。

ところが業界で指導的立場にありながら、関西宇部は、本来なら加盟会社を拘束するはずの協定を履行拒否してしまう。このため08年7月2日、組合側が同社の吹田工場で抗議行動に取り組み、その際に構内で他社の生コン用ミキサー車運転手に対し、「運賃引き上げを協定どおりに実施するよう要求している」と説明した。

この行為に対して「発進を妨害した」というのが警察側の言い分だが、どう考えても会社側に協定遵守を求めただけの組合による正当な活動だった。

 

ところがそれから7ヶ月以上も経って、突如、大阪府警公安は抗議行動に取り組んだ「全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部・関西地区生コン支部」の執行委員二人と組合員3人を逮捕。そのうち組合員の一人は、出頭要請に応じて指定された場所におもむいたところ、いきなり公安刑事から羽交い絞めにされた上に、公衆の面前で手錠をかけられるという、凶悪犯まがいの扱いを受けた。

さらに同支部の事務所をはじめ、逮捕された5人の自宅、役員宅のみならず、何の必要あってか「経営者会」加盟社の役員宅まで家宅捜索が入った。そして09年3月2日になって、執行委員一人、組合員2人の計3名が起訴されてしまう。

 

「今回、家宅捜索を受けた会社幹部は、協定を結んだ際の経営者側交渉団の一人でした。個別企業が互いにダンピングをやるよりも団結して協同組合を組織し、品質と適正価格を維持すべきだ、という組合側の考えに理解を示していたので、(その理解ある態度に対する)まったくの嫌がらせとしか思えません」 と憤るのは、同生コン支部の高英男副委員長。

「そもそも労使関係のある職場で組合活動を行ったことが『威力業務妨害』とされるなら、労働運動が否定されたに等しい。公安の狙いは、どんな口実でもいいから逮捕や家宅捜索を繰り返し、組合の足を止めるつもりなのです」。

 

実際、同生コン支部はこの間じゅう、府警察公安によって、繰り返し「ここまでやるのか(高副委員長)」というほどの組み合いつぶしを狙ったと思われる捜査を波状的に受けてきた。以下はその一例だ。

①府内の生コン業2社に協同組合への加盟を働きかけたことが「強要未遂」などとされ、3回もの強制捜査が繰り返され、武建一委員長ら計8名が逮捕(05年1月)。委員長の拘留期間は1年2ヶ月、他の役員は9ヶ月にも及んだ。

②上の①の事件で起訴者の保釈許可決定が出る二日前に、ありもしない「政治資金規正法違反容疑」で武委員長と組合員の戸田ひさよし前門真市市議が逮捕(05年12月)。

③暴力団員を役員に雇って同生コン支部に加盟した組合員の脱退工作を仕掛けた斉藤建材(大阪府高槻市)に対し、団体交渉を申し入れようとした役員ら4名を、その際に社内で起きたもみ合いを口実に逮捕し、計17箇所を家宅捜査(07年5月)。

 

05年に逮捕された執行委員の一人に対し、公安の取調官はいみじくもこう言い放ったという。

「裁判が有罪だろうが無罪だろうが関係ない。お前らを一年ほど社会から切り離しておけたらそれでいい」。

 

公安にとって、法律など最初から眼中にない。組み合いつぶし、運動つぶしという政治警察の目的が達成されるなら、どんな口実を使っても逮捕を繰り返す。それがどれだけ民主主義にとって危険なことか、指摘する声はあまりにも今の日本社会ではか細いのだ。

 

 

(「繰り返される特定労組への弾圧」/ 「週刊金曜日」09年5月25日号より)


--------------------------


同じですよね、片山潜の時代も、この関西宇部と公安の結託による組合つぶしも。労働者、国民の暮らしが逼迫し、過労事故、過労自殺、年間3万人以上という自殺者、非正規労働という貧困、過労劇労によるうつ病の蔓延…。

それなのに、運動が警察沙汰になったという理由で、組合運動のほうをバッシングする国民…。これはいったいなぜかというと、片山潜のことばを借りていえば、

「彼らは之が為めに豚同様の生活も、心身を害するも、病気になるも、敢えてする所なり、彼らは権利を要求する声をも発する能はざる 、恰も(あたかも)奴隷の如し、そも斯くあらしむる者は何ぞや、固より(もとより)労働者は無教育なり、無気力なり、而して実際活動の余裕なきまでに圧迫され居り、地平線以下の者なり、然りと雖も(言えども)其直接間接に労働者を斯くあらしむる者は治安警察法是なり」、

そう、つまり「無教育」と「無気力」です。学校教育を受けてはいても、人権、社会権というものについてはまったく無知無理解であり、騒ぎを起こす方が悪いという前近代的な社会感覚=無気力、無関心というエゴイズムなのです。これはつまり、権力に与していれば自分は「勝ち組」の気分を味わえる、という先回の記事に書いたこととも関連があるに違いありません。

それにしても、この無気力・無関心、寄らば大樹の陰というエゴイズムはなんなのでしょうか。それはやがて自分たちの首をも絞めることになるものなのに。それを「不安型ナショナリズム」という概念で説明した学者がいます。これについては近々ご紹介します。

さあ、みなさん。そしてことばじりを捉えて声をあげようとしているブロガーに噛み付くことで、自分の心の空虚を埋め合わせようとする人たち。権力に踏みにじられる方をたたいていい気になれる無教養さを、これでも誇りにしたいですか。そうでしょう。あなたたちには怒りがある。恨みがある。それは親御さんかもしれないし、あなたたちを認めようとしなかった世間というものかもしれない。しかし堂々とそういう者と対峙するのではなく、むしろそういうものに踏みにじられる方を一緒にたたく転移行動をとる卑怯者たち、自分も滅びていいから、自分たち同様の無名の存在のくせに生意気な行動をとる連中とともに地獄落ちなら本望、という動機を持つ人たち。今がチャンスです。ここでもう一度自民党が勝利すれば、それは決定的な影響を及ぼすことができるでしょう。間違いなく憲法は改正に向けて大きく動き出すでしょうし、念願の北朝鮮先制攻撃もできる。なによりもわたしたち「生意気な」ブロガーに一泡も二泡も吹かせてやれる。でもそのかわりあなたたちの子どもも孫も危険にさらされることになるのです。上記のような国家権力の靴の裏がわたしたちの頭と顔を容赦なく踏みにじることになるでしょう。

そんなことが起こるはずはないって?
だって、すでに起きているじゃないですか、上で紹介したとおりに。現に、永原慶二先生の監修による日本史辞典には、治安警察法も治安維持法も、戦後も引き続き残そうとしていたのです、日本政府は。わたしはつくづくアメリカが介入してくれてよかったとほんとうにそう思います。


さあ、大したことができるわけではないが、それでも無気力や無関心そして権力に媚びるということには反対できるみなさん。わたしたちにはいまできることがあります。とにかく自民党を引き下ろすことです。この流れに「NO」を突きつけることです。民主党もうさんくさい、それはわかる。民主党に諸手をあげて支持を表明する必要はないです。とにかく自民党の圧制にはNOを言える、いまがチャンスです。

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする