Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

新刊書案内 「ルポ 貧困大国アメリカ」のご紹介

2008年01月25日 | 一般
“飛び込み”で新刊書をご紹介します。アメリカの貧困の現状とそれに立ち向かうべく立ち上がった人々のルポです。ジャーナリストが書かれたものですので、読みやすいです。わたしも一気に読み込んでしまいました。

この本の「あとがき」を今回、書き写しました。いかにもTV人の言いそうな、大上段に構えた、というか、大見得を切ったというか、あまりにもでき過ぎた美文で、目の冷めた方々にとっては、ちょっと興ざめかもしれません。

しかし、内容は決して空虚ではありません。取材をまとめた上で、多少大げさではあるにせよ、読者に訴えたいという意欲はググッと伝わっては来ます。またこのメッセージはわたしたちが考えなければならないことでもあります。

アメリカ盲従の日本に危惧を憶える方々にはこの本は特にお勧めです。わたしは、といえば、これもまた、今自民党に投票してはいけない理由のひとつとして、この本をお勧めしたいです。

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教訓は、いつも後になってからやってくる。2001年9月11日以後のアメリカで真っ先に犠牲になったもの、それはジャーナリズムであった。

9・11テロの瞬間をとなりのビルから目撃していた私の目の前で、中立とはほど遠い報道にあおられ攻撃的になり、愛国心という言葉に安心を得て、強いリーダーを支持しながら戦争に暴走していったアメリカの人々。

だが、実はすべてを変えたのはテロそのものではなく、「テロとの戦い」というキーワードのもとに一気に推し進められた「新自由主義政策」の方だった。何故ならあの言葉がメディアに現れてから、瞬く間に国民の個人情報は政府に握られ、いのちや安全、国民の暮らしに関わる国の中枢機能は民営化され、戦争に負け、転がり落ちていった者たちを守るはずの社会保障費は削減されていったのだから。

9・11で生かされたことをきっかけにジャーナリストに転向した私は、学校から生徒の個人情報を手に入れた軍にリクルートされた高校生を取材するうちに、知ることになる。

今起きていることは、あのテロをきっかけに一つの国が突入した「報復戦争」という構図ではなく、もっとずっと大規模な、世界各地で起きている流れの一環であることを。「民営化された戦争」という国家レベルの貧困ビジネスと、それを回してゆくために社会の底辺に落とされた人間が大量に消費されるという恐ろしい仕組みについて

それがアメリカとイラクという二国をはるかに超えた世界規模の図式であることを証明するかのように、日本もアメリカのあとを追うようにしてさまざまなものが民営化され、社会保障費が削減され、ワーキング・プアと呼ばれる人々や、生活保護を受けられない者、医療保険を持たない者などが急増しはじめた。

アメリカで私が取材した高校生たちがかけられたのと同じ勧誘文句で、自衛隊が高校生たちをリクルートしているという話が日本各地から私の元に届き始めたのは最近だが、同時にアメリカ国内では、この流れに気がついた人たちが立ち上がり始めていた。

兵士やその親たちだけではない。民営化の犠牲になった教師や医師、ハリケーンの被災者や失業手当を切られた労働者たち、出口をふさがれる若者たちや、表現の自由を奪われたジャーナリストたちが、今、声をあげている。生存権という、人間にとって基本的な権利を取り戻すことが戦争のない社会につながるという、真実に気がついた人々だ。

アメリカから寄せてくるこの新しいうねりは、同じ頃日本で急速に拡がった憲法9条を守ろうとする動きに一つの大きなヒントを差し出してくる。

戦争にブレーキをかけるために中将への昇進を目前にして軍を除隊したある米軍元少将は言う。
「問題は、何に忠誠を尽くすか、なのだ。それは大統領という個人でも国家でもなく、アメリカ憲法に書かれた理念に対して、でなければいけない」。

一つの国家や政府の利害ではなく、人間が人間らしく誇りを持って幸せに生きられるために書かれた憲法は、どんな理不尽な力がねじ伏せようとしても決して手放してはいけない理想であり、国をおかしな奉公に誘導する政府にブレーキをかけるために私たちが持つ最強の武器でもある。それをものさしにして国民が現実をしっかりと見つめたとき、紙の上(=憲法の条文が印刷されているページの上)の理念には息が吹き込まれ、民主主義は成熟しはじめるだろう。

何が起きているかを正確に伝えるはずのメディアが口をつぐんでいるならば、表現の自由が侵されているその状態におかしいと声を上げ、健全なメディアを育てなおす、それもまた私たち国民の責任なのだ。

人間が「いのち」ではなく「商品」として扱われるのであれば、奪われた日本国憲法25条(*)を取り戻すまで、声を上げ続けなければならない。

この世界を動かす大資本の力はあまりにも大きく、私たちの想像を超えている。だがその力学を理解することで、目に映る世界は今までとはまったく違う姿を現すはずだ。戦うべき敵がわかれば戦略も立てられる、とエピローグで紹介したビリー神父は言う。大切なのはその敵を決して間違えないことだと。

無知や無関心は「変えられないのでは」という恐怖を生み、いつしか無力感となって私たちから力を奪う。だが目を伏せて口をつぐんだとき、私たちははじめて負けるのだ。そして大人が自ら舞台を降りたときが、子供たちにとっての絶望の始まりとなる。

現状がつらいほど私たちは試される。だが、取材を通じて得たたくさんの人との出会いが、私の中にある「民衆の力」を信じる気持ちを強くし、気づかせる。あきらめさえしなければ、次世代に手渡せるものは限りなく尊いということに。


(「ルポ・貧困大国アメリカ」/ 堤未果・著)

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(*)
日本国憲法25条:
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(2) 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。



どうでしょう。歌舞伎なみの(歌舞伎を鑑賞したことはありませんが)大見得でしたが、でもメッセージには共感できませんでしたでしょうか。わたしは、もっともだと共感できました。

特に、「国民の責任」として、メディアを育てなおすこと、無知、無関心を棄てることなどは、今緊急に必要だと思います。わたしはとにかく、すべての日本人は、日本の憲法について、基礎的な知識を持つべきだと主張したいです。憲法を考えるに当たって、まず右翼の言い分を聞いて判断するのはフェアじゃありません。もちろん、左翼の言い分にもとづいて考えることも同様です。まず自分で憲法について知るべきなのです、とくに、現行憲法が成立したいきさつは絶対知る必要があります。

憲法の教科書でお勧めなのは、岩波ジュニア新書から発行されている、「憲法読本(杉原泰雄・著)」です。中高校生~大学初年級生向けに書かれてありますから、読みやすく理解しやすいです。かっこつけて専門性の高いものを買って、読まないままになるよりも、まず市民向けにやさしくかかれたものから始めるのが、理解を深めるベストな道だと、わたしは経験からこう思います。ちょっと専門性が高めのものなら、「憲法学教室(浦部法穂・著)」が解かりやすいです。熱く語りかける文体が魅力です。

とにかく、日本はこのままブッシュ政権配下の経団連=自民党に引きずられていてはならないです。はっきりいって、昭和30年代以後に生まれた人たちの老後に安心はかけらほどもありませんよ、マジで。特別のエリート階級に入り込めた少数の人々を除いて。

引用した一文は、つまり未果さんの大上段に構えた一大演説は、気持ちをきりっと引き立たせるものではあったでしょう。日本人はあまりにもお行儀がよくて、お人好し過ぎます。お行儀がいいのは決して美徳なんかじゃないですよ。ある場合は、行動することが怖くて、対決するのが怖いので、逃避していることをごまかして、お行儀を云々する場合もあります。怒りを忘れた人間はマインド・コントロールされきった人間です。

オウム真理教の人たちって、不気味だったでしょう?
エホバの証人の人って、イマイチどこか気味悪いでしょう?
それは彼らが考えることを他人任せにし、責任を回避しようとするからです。リスクを引き受けようとしないから、そういう卑怯さが「どことなくイヤな感じ」を醸し出すのです。社会をつくってゆく責任をうとましく思い、面倒がるのであれば、そんなわたしたちはオウムの信者やエホバの証人の信者と穴を同じくするムジナなんですから。

ぜひ、立ち上がりましょう!
日本政府は今、憲法25条に違反して、福祉と社会保障を減退させています。この流れには、わたしたちは抗議しなければなりません。家族を養う責任というのは、ただ単にお給料を稼ぐということだけではありません。憲法の理念に沿った社会を建設し、向上させてゆく責任を受けいれることも含んでいるのです。なぜなら憲法というものは、「一つの国家や政府の利害ではなく、人間が人間らしく誇りを持って幸せに生きられるために書かれた」ものなのですから!

未果さんの文章は少なくとも、そういうヤル気を起こさせます。また、この本で紹介されている、抵抗する人々は、正真正銘、その真剣な姿勢には心うたれます。岩波新書から発行されています。税込み735円です。
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不平等条約を結ばされる日本 (上)

2008年01月20日 | 日本のアイデンティティー
ペリー提督は、日本との交易を始めることには成功しませんでしたが、12条からなる日米和親条約締結にこぎつけました。

当時の合衆国大統領ミラード・フィルモアの徳川将軍宛の親書には、
「合衆国の蒸気船が毎週中国へ航海しているが、これらの船は貴国(日本)の海岸を通過しなければならず、暴風の際には貴国の港に避難しなければならない。だから、わが国の船に対して貴国の友情、寛大、懇切とアメリカ国民の財産の保護を期待する必要がある。わたしはさらに、アメリカ国民が貴国民と交易することを許可されることを願う。もちろんアメリカ政府は、彼らアメリカ国民が帰国の法律を犯すことを許したりはしない。

「われわれの目的は、友好的な交易であり、それ以外の何ものでもない。貴国はわれわれが喜んで購入する商品を生産することができ、われわれは貴国の国民に適した商品を生産し、供給するであろう。

「貴国には豊富な石炭が産出する。これはわれわれの船がカリフォルニアから中国に航海する際に必要なものである。われわれは、貴国の指定された港でいつでも石炭を購入することができればたいへん幸せである」(「『ザ・タイムズ』にみる幕末維新」/ 皆村武一・著)と記されていました。

アメリカはまず、当時の中国との貿易が主な眼目であったのでした。これは日本にとってはある程度幸いしたといえるでしょう。日本が中国のように完全植民地化を意図した本格的な圧力を受けなかった理由の一つでもあったのでした。

またペリーには、このような命令も与えられていました。
「あらゆる議論と説得をしても、日本政府から鎖国政策の緩和や捕鯨船の避難・遭難の際における人道的取り扱いについての保証を確保することができない場合には、語調を変えて、アメリカ政府は、目的達成のために断固たる態度をとる、ということを決定している旨を日本政府に知らせるべきである。もし上述の点に関して何らかの譲歩がえられたならば、条約という形にもっていくことが望ましい。…大統領には戦争を宣言する権利はないこと、この使節団は平和的な性格のものであり、艦船および乗組員の保護という自己防衛以外の場合に武力を行使してはならないということを、司令官は肝に銘じておかなければならない」(上掲書)。

つまりペリーには、何が何でも通商の扉をこじ開けなければならない、という使命はありませんでした。大統領親書に明記されていた希望に関して、「何らかの譲歩を引き出す」ことができればよかったのです。それでも「アメリカの断固たる」意志を示すために、「堂々たる兵力の示威」をデモンストレーションするようにとも命ぜられていました。実際に大統領親書を日本の地で渡したいことを伝えるのに、もしそれすら拒否されるならば、「すみやかに一戦に及び勝敗相決し申すべし」と強硬な態度をも見せました。

実はこのとき、ペリーと交渉をした日本側全権大使、林大学守(はやしだいがくのかみ)の巧みな交渉術が、交易を阻み続けさせたのでした。モリソン号事件という出来事がありました。アメリカが漂流した日本人漁民を救助し、彼らを送還するついでに交易を始めようとして、モリソン号を浦賀へ送ったのですが、当時日本は「異国船打ち払い令」という法律があったので、浦賀奉行が猛撃して追い返しました。

アメリカ国務省はこの事件をネタにして、「日本は自分の国の漂流民でさえ助けない未開国、野蛮国だ、そういう「不仁の至り」を戦争で打ち凝らしてやる、というアメリカ得意の正義の戦争の論理で迫ろう、という戦略を使ったのです。しかし、ペリーが戦争の意図を辞さない意思を示したとき、林大学守はこう受け答えをしたのです。

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「時期によれば戦争にも及びましょう」と切り出した林は、日本の政治は「不仁」ではないし、万国同様人命を重んじている、だから300年に渉る太平が続いている、と述べて、ペリーの「不仁の国」発言を批判している。

日本近海で他国の船が遭難したときは薪水食料を供給している。漂流民は長崎へ護送し、オランダを通じてそれぞれの国へ返してきた。だから非道の政治ということは一切ない、と。

貴国にても「人命を重んじる」ということであれば、「さして累年の遺恨を結んでいるというのでもないところ、強いて戦争に及ばなければならないと言うほどのこととも思われない。使節にても、とくと相考えられて然るべき儀と存知そうろう」と結んだ。



「累年の遺恨」ではない、という指摘がみごとにきいている。モリソン号事件はこのときより17年前の事件であった(1837年の事件)。たしかに累年(年々、の意。漂流民をいつもいつも必ず武力で追い返してきたのではない、という意図を伝えている)の事件ではなかった。17年前の事件を戦争の理由にするのはまったく強引である。

林全権大使の応答は、人命保護を口実にする強国の「正義の武力行使」の正当性を問うものであろう。林は「累年の遺恨」ではないというペリーの言い分の弱点を見つけて、一層的確に、戦争こそが最大の非人道だということを巧みに指摘したのである。


(「幕末・維新」/ 井上勝生・著)

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わたしがここで言いたいのは、軍事力でもテクノロジーでも圧倒的に弱者の立場であった幕末の日本が、強国のアメリカに対して外交術によって独立を守ることに成功した、ということです。正義の戦争を振りかざす軍事強国アメリカにほいほい言いなりにならなかったのでした。

最近、新テロ特措法案が衆議院再議決で成立しました。福田総理は最初、新テロ特措法は廃案にして、次の通常国会で出し直そうとしていました。ところが昨年、ブッシュ米大統領との会談で給油活動の早期再開への圧力を受けたとたん、強行採決路線へ転換しました。(「週刊金曜日」2008年1月18日号より)まるで犬です。愛玩犬ですね、アメリカの。一声恫喝されればオロオロすぐ手のひらを返します。

イラク戦争は大量破壊兵器が準備されているというウソを口実に始められたのでした。そのうそが発覚しても、日本はアメリカの言いなりになっています。イラク戦争そのものが非人道的なのです。なぜ読売新聞や産経新聞は、給油した油がイラク戦争に使われていた可能性が発覚したのに、給油活動を「人道支援」と言えるのか、わたしにはさっぱり理解できません。

日本は現在、ヨーロッパ諸国以上の通常兵器を装備した軍事大国です。でも幕末の日本はそうではありませんでした。中国の外側に位置する弓なりの長い国土を持つ国、という地政学的要素に助けられたとはいえ、林大使の交渉術、西欧列強の戦争に巻き込まれまいとする意志、信念には、今日の日本の政治家はおおいに学ぶところ大だと、わたしは思います。

今の政治家や外務官僚が当時の幕閣より劣っている、というのではありません。スキルではむしろずっと優れているでしょう。でも、信念や、ヴィジョンがあやふやなのです。日本をこういうふうにしよう、という強い信条がないのではないでしょうか、今の外務官僚には。ひたすらアメリカ頼りの外交でしたから、アメリカに見放されそうになったり、アメリカから恫喝が加えられるとカメのように首をすくめます。林大学守は、アメリカから強硬な態度を示されても、引きませんでした。交渉術というようなスキル以前の、これは信念とビジョンの差だとわたしは思うのです。

ペリーはこうした日本側の巧みな外交によって、交易は結べなかったものの、日本側が譲歩できるといった条項を盛り込んだ、
①薪水食料、石炭その他の欠乏品の供給、
②漂流民の救助と保護、
③下田・函館の二港の開港、
④領事駐在、片務的最恵国待遇などを含む日米和親条約を締結させました。

いうまでもなく、「片務的最恵国待遇」というのは日本がアメリカを「最恵国待遇」するということであり、アメリカは日本を「最恵国待遇」しない、という意味です。これは不平等な条約でした。しかし、実際に戦争するとなると、日本側に多大な損害が生じることは明らかです。日本側は西欧列強に較べ、武備がお粗末でした。外国強硬排除、つまり攘夷は賢明な選択ではないということは、当時の幕閣にも明らかに理解できたのでした。理解しなかったのは、当時の天皇、孝明天皇だけでした。





長い間、放置していた「日本のアイデンティティー」シリーズですが、今年はがんばって書いてゆくつもりです。ロシアとアメリカの来航は日本に危機を生じさせ、阿部正弘、堀田正睦といった進歩的な老中や、岩瀬忠震といった開明的な下級武士が登用され、また経済力を蓄えた雄藩の外様大名も幕政に参加するようになります。幕府の伝統的体質が変わろうとしたとたん、反動保守派の井伊直弼によって潰されるのでした。NHKの今年の大河ドラマのヒロイン、篤姫もこの時期の人物です。開明的大名たちや公家が安政の大獄と京都の8.18政変によって失脚していくと、今度は藩士や浪人が倒幕の原動力を担ってゆきます。

江戸時代と明治時代、明治時代と昭和時代には「断層」があるのでしょうか。わたしはむしろ連続していると思います。経済大国を標榜しようと躍起になる日本の源流は、その精神は明治時代にあるとおもうのです。そして明治時代は決して江戸時代と断層を持った時代ではなく、武家の精神が生きたまま受け継がれ、侵略戦争へと日本を導いていったのです。わたしはそう考えています。「日本のアイデンティティー」シリーズはその辺をおってみようと考えています。近代日本史を勉強しもってなので、不定期にはなりますがお読みになっていただければうれしいです。




さて、ペリーが去って、今度はアメリカは本腰を入れて、日本と通商条約を結ぼうとします。タウンゼント・ハリスがその命を受け、来日します。これを機に、日本の政局は大きく動揺します。(下)では安政の大獄にいたる過程を調べてみます。
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ぜひ、みなさんに読んでいただきたい図書のご紹介

2008年01月07日 | 一般
立て続けにエントリーしますが、お正月旅行の帰りに本屋さんに立ち寄って買った本を皆さんにお勧めします。一気に引き込まれてしまいました。タイトルは、

「『慰安婦』と出会った女子大生たち」です。

本の冒頭に挿絵つきの創作がありました。まったくの空想ではなく、学生が研究した成果に基づいてつくられたものです。それだけご紹介します。本文はぜひご自分でお読みになってください。歴史学の研究方法もろくに知らないFという東大出身の学者やHという裁判で恥をかいた「教授」の妄言だけを読んで、歴史を歪めようとするネット右翼の思考がいかに幼稚かがよーっく理解できます。

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手折られたままの人生



私は朝鮮のある村に生まれました。
遠くに山が見える小さな田舎の村でした。
貧しい生活でしたが、家族で力をあわせて暮らしていました。
故郷の記憶があたたかいのは、どこの国でも同じでしょう。

友だちと、機織りをしたことを覚えています。
布をつくるのは、子どもであってお、女の大切な役割でした。
早くお金をかせいで、家族みんなの役に立ちたい。
私は、いつも、そう思っていました。

十四歳のある日、日本人に声をかけられました。
あの頃の朝鮮には、日本の兵隊がたくさんいたのです。
「いい仕事がある」「学校にもいける」。
私は喜んで話を聞きにいきました。

でも、それはまったくのデタラメでした。
だまされたと知り、「家に帰りたい」と泣くと、殴られました。
それでもなくと、しばられました。
兵隊は鬼のようにこわく、子どもの私には、どうすることもできません。

私はずっと泣いていました。
泣いているうちに、戦地へと連れていかれました。
故郷の家族に、さよならもいえませんでした。
船には、同じように涙を流すたくさんの仲間がいました。

まっていたのは地獄のような毎日でした。
私は「慰安婦」にさせられたのです。
好きでもない男たちに、毎日、毎日、犯されました。
まだ十四歳の子どもだったのに。

私を犯すために、たくさんの兵隊がならびます。
次々と兵隊がのしかかかり、私を道具のようにあつかいます。
抵抗するとなぐられました。
刀で脅され、切られた傷は今も体に残っています。

朝鮮語を話すとなぐられました。
兵隊たちは、私に「ハルエ」という名をつけました。
親からもらった名前があるのに。
少しでも休めるのは、兵隊に性病をうつされた時だけです。

悪夢のような毎日です。
逃げ出したこともあり、死のうとして、薬を飲んだこともあります。
でも、つかまえられ、つれもどされ、なぐられて、また犯されました。
抜け出すことのできない地獄です。

毎日、毎日、犯されました。
何年も、何年も、犯されました。
あなたには想像がつきますか。
言葉にできない苦しみというのは、このことです。

戦争が終わり、兵隊は日本へ帰りました。
しかし、私は、捨てられ、その場に置き去りにされたのです。
その後、やっとのことで、なつかしい故郷に帰りつきました。
でも、私はすでに、死んだことになっていました。

「日本人に犯された女」。
もう、家族と暮らすことはできませんでした。
故郷で機織りをすることもできませんでした。
私の一生は、こうしてポキリと折られてしまったのです。

私の何がいけなかったというのでしょう。

あの戦争を起こした人は誰ですか。
私をとじこめる「慰安所」をつくった人は誰ですか。
「慰安所」の前に列をつくり、私を犯した人は誰ですか。
私はまだ、ちゃんと謝ってもらったことさえありません。
平和はまだ、私の心に、もどっていないのです。

もしもあなたが、私と同じ人生を送ったなら…。
もしもあなたの大切な人が、私と同じ人生を送らされたなら…。
あなたは黙っていられるでしょうか。

あなたの力を貸してください。
私の願いをかなえるために。
あなたの力を貸してください。
二度と戦争のない、平和なアジアをつくるために。


***

この物語は、編集者が、元日本軍「慰安婦」の方々の証言や、さまざまな資料に学んで制作しました。


(「『慰安婦』と出会った女子大生たち」/ 神戸女学院石川康宏ゼミナール・著)

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ゼミ学生のコメント:
ハルモニ(おばあさん)の証言聞いてな、日本で私らがその問題を広げて、ちょっとでも問題解決につながればいいと思ったけど、ほんまにうちら、ちっちゃい力しかないし、政府もちょっと言ったくらいじゃ聞かんやろ。だからこうして本つくって、少しでも、知らん人に訴えるしかないなって思った。

この本のあとがきより:
この本は、主に2005年度のゼミの取り組みを、7名の「出版プロジェクト・チーム」によってまとめたものです。内容は、「慰安婦」問題をどう学び、感じ、考えたかという学生たちの道のりの紹介と、その学生たちが、今、読者に伝えたい「慰安婦」問題の(学生たち自身が取材し、史料を調べて得た)事実という、二つの柱からなっています。

(上掲書より)

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「オンライン書店ビーケーワン」に書き込まれた書評:
1. 
犯罪的な反日日本人による偏向刷り込み
2006/03/20 9:26:50
これはひどい。先の敗戦直後にもてはやされたマルクス主義歴史学?者の服部之総はいみじくも「歴史学は過去に対する政治である」と正直に本音を吐露したが、これはまさに日本を貶める一派の政治活動である。秦郁彦先生が「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)、「現代史の光と影」(グラフ社)その他で真実を証明されておられるが、従軍慰安婦制度自体がそもそも欧州発の制度で後進国日本はこの制度を真似して導入したこと。軍は制度そのものに直接関与したことはないこと。それが判ると従軍慰安婦問題の総本山吉見義明教授は話をすりかえて「強制連行とは狭義の連行にとどまらない」と詭弁を弄し「慰安所で性サービスを強いられたこと自体が強制連行だ」と開き直った。さらに朝鮮戦争以降韓国自身が大々的に「従軍慰安婦制度」を採用していたのだが、その事実を突き止めた日本の女性学研究者は「これが公になると日本の右翼に利用される」として長らくその事実を非公開のままにしておいた。しかしVOWネットその他の反日団体が「韓国の慰安婦は強制ではなく自由意志だったとか、自国民同士のことで日本の例とは異なる」などと日本のウヨク顔負けの開き直りを展開するにいたっては「被害者中心主義に立つべき」と批判していることなども明記されていいだろう。ともあれ、こんな事実を勝手に切り貼りしてコラージュした偏向書を真に受けていたのでは、本当のことはわからない。秦郁彦教授の「歪められる日本現代史」(PHP)などの良書と併読して知性のバランスを取ることが不可欠であろう。

2.
遠い歴史じゃなくって、今起こっている問題だ
2006/03/18 17:15:19
 これ、すごい!
生きた体験とその体験に学んだ女子大生のナマの声が満ち溢れている。絶対お薦めできる。まずは読んで欲しい!と言いたい。
 従軍「慰安婦」の問題を扱った本というのはテーマがテーマだけに重いイメージがある。もちろん、従軍「慰安婦」の問題は性奴隷という許されないことであり、それを直視する必要はある。しかし、本書はそれだけには留まらない内容をもっている。
 大学のゼミで「慰安婦」問題をテーマにすることさえなかなかできることではない。それにも関わらず、それに参加した女子大生の意識の変化に驚かされる。
 「慰安婦」と言う言葉から、兵隊を慰め安んじた看護婦のイメージを描いていた生徒さえいる。その彼女たちが、「慰安婦」問題を勉強し、その後で韓国へ元「慰安婦」に会いに行っての衝撃と変化!学ぶとは何か、歴史を学ぶとは何か、それを受け止めた女子大生の言葉に心打たれる。
 事前に学んだのは、「慰安婦」とは何か、そして戦後どのようにこの問題が扱われたのかなどなど。「『慰安婦』被害者の数が数万から数十万とはっきりしないのは、敗戦時に、政府と軍が関係書類を焼いてしまったから」「すべての証拠が焼き尽くされた」わけではなく、「関する文書が見つか」ったなど、「慰安婦」をめぐる認識の深まる政治的、歴史的過程も研究されている。
 そうしたことを本で学んだことと、直接会って話を聞いた後の変化の大きさ、ここに本書の意義がある。まずは女子大生の声を聞いて欲しい。
 「悪いことをしたら、相手に謝って反省せなあかんなんて、だれでもわかることやと思う」との言葉が、政府の無責任さに向けられる。
 「まだ生きてはって、目の前でその人がそのことを語ってくれている−−私たちが本で読んだりしてきたのは、遠い歴史じゃなくって、本当にすぐ最近のことなんだ」
 「そういう『今起こってる問題』でもあるんだ」と気づいた女子大生の感想と、これから自分たちが何をすべきかを確信した報告に胸打たれる。
 そして、この問題がけっして過去の問題や別世界の問題ではなく、現在の日本の政治の現状を物語っていることを認識していること。今の政府や改憲を主張する人たちが、あの戦争を誤った戦争だったと認識していないことへの怒りと、そんな政治ではいけないとの意識に注目した。
 うまく伝えることができないのが歯がゆいが、活きた経験をした女子大生たちの真実と現在・未来を考える姿勢が写しだされたものとなっている。
 とにかく、騙されたと思って読んで欲しい!

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わたしの感想は(2)に同じです。とにかくこの本はオススメです。知性を磨くというのは、専門的な概念や用語を振りまわせるようになるということではありません。学んだことが社会で生きていく自分の方針というようなものを培うようでなければ無意味なのではないでしょうか。

東西南北さんというHNの方のコメントにもありましたが、ブログのコメント欄で素人相手に専門用語を振りまわして得意気になっている人は、ほんとうに問題に関心があるのでしょうか。ひょっとしたらバーチャルなイメージ(例えば、頭のよい人、読者から賞賛される人、のような)に浸りたいだけじゃないかな、なんて疑われてしまうかもしれません。

この本を読むときには、自分もこのゼミにいるような気持ちで、いっしょに学んでいく態度で読んでみると、ものごとの考え方、その道筋という方法論もかじれると思います。この本は是非に推奨します。
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山川菊栄の視点 (上)

2008年01月06日 | 一般
あけましておめでとうございます。旧年中、ルナのブログを訪問してくださったことに感謝いたします。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年はわたしの干支でして、人生も最後のターンに来たと受けとめております。30代半ばまでカルト宗教にくすぶっていたわたしには、多くの方々がお持ちのような充実した「青春の想い出」などはありません。何を以って「充実」というか、と申しますと、自分の内奥から自然にわいてくる興味や関心、意欲を自分のフィールドに選び、そこで自己を目いっぱい試す、という行動を経験することを、わたしは人間の生=「Life」の充実だと確信しています。そしてそれこそがカルト宗教に迷いこんでしまう人たちの求める「人生の意味」だと、これは議論の余地のない事実であると、わたしは考えています。そういう充実を若い時代に放棄してしまっていた代わりに、まだあれこれ努力・加工すればそこそこ若く見せれる今の時期を、わたしはおもいきり楽しもうと思っています。

人生を豊かにするコツは、「いい年になりますように」と願うものではなく、「いい年にしよう」と決断することです。さらに、ほんとうは不満に思う出来事なのに、それを権力を持つ他人の見地に置き換えて、「これこれこういう意義があるので“いいこと”なのだ」という欺きを行うわないことでもあります。

いやなことはいやなことだ。人間の自然な感情、自然な意欲を抑えつけるものに不快感や怒りを感じるのは当然のことです。当然のことを当然に主張できない時代、雰囲気、そうさせない「世間」という人間関係は病んでいるのです。

「いかに男子本然の要求であっても、女子にとって不都合な制度なら私は絶対に反対します」(山川菊栄)。

かつて政府が売春を制度化していた時代、公娼制度廃止を強く訴えていた女性活動家の文章を、今年の初めにご紹介します。




山川菊栄。

わたしが敬愛する、いわば心の「師」です。みなさんもそれぞれ、自分に最も影響を与えた人物への敬愛という感情をお持ちでしょう。「敬愛」が度を越して「崇拝」に至ると病的で、身のまわりの人々のうち、自分が崇拝する人と異なるタイプの人たちの人格や個性を否定するようになり、周囲に緊張や対立を醸成させます。そして自分の偶像のイメージを損なわない人々を味方に選びますが、その人たちの間にも不快感と屈従感を与えてしまいます。なぜなら、自らの偶像の影を薄くしない範囲に人々を画一化させようとするからです。彼らに自然な「自分」でいることを許さないからです。しかしそういう方針がやがて、時がたつにつれて彼自身を孤独にしてゆくのです。

それはこういう過程を経ます。周囲の人々の、屈従感に起因する不満が一定の限度に達すると怒りに変わり、怒りが蓄積されると抗議を生むのです。抗議は偶像崇拝者の偶像との対立を生み、やがて分裂に至ります。こうして偶像崇拝者は孤立するようになるのです。ここでは個々の人間関係のことで言いましたが、これは実は、ファシズムあるいは全体主義が案外早いうちに必ず衰退してゆくことの理由でもあります。持続的な社会というのは互いが互いを尊重しようとする対等な人間関係、民主的な価値観に基づくのです。

一方、自分が自然に尊敬するようになった人への自然で健康な「敬愛」は、自己を成長させる大きな要素です。「敬愛」には過度で不自然な賞賛がありません。敬愛する人の欠点も十分分かった上で (しかも敬愛する人の批判すべき点にはしっかり批判を表明しながら) なお尊敬するのです。人間が成長してゆくにはこういう敬愛の対象となるよいお手本が必要です。ほんとうは親がそうであるのが理想ですが、残念ながらわたしの親は未熟な人間で、子どもの甘えを受けとめることのできないどころか、子どもに甘えかかる、という日本に多いパターンの頑固親でした。わたしの場合、心に感銘を与えてくれたよいお手本は親ではなく、この山川菊栄さんなのです。





菊栄は1890年11月3日、東京の麹町に生まれました。父、森田竜之介は足軽出身、苦学してフランス語を修めて、陸軍省の通訳となりましたが、後に畜産業技術のさきがけとなって、「養豚新説」という著作も残したそうです。母は由緒ある血統を持つ人で、千世さんといいます。千世さんは、水戸藩の儒学者で藩校・弘道館の教授だった青山延寿という人の娘さんだった、とのこと。青山家は代々学者の家系だったそうです。千世さんは今のお茶の水女子大学の第一回卒業生でした。すごいですね。要するに、上流階級っぽい家系に菊栄は生まれたわけです。4人きょうだいの第三子、次女でした。

菊栄は1912年に今の津田塾大学(当時は、女子英学塾。)を卒業し、その後定職につかず、三省堂の英語辞典の編集手伝いや翻訳のアルバイトで家計を助けていました。1915年、後に社会党の衆議院議員になる神近市子(かみちかいちこ)に誘われて大杉栄の平民講演会に出席して、社会主義に接しました。翌16年に平民講演会の例会で共産主義者の山川均(ひとし)と出会い、11月に結婚します。

大正デモクラシーの時代、女性を拘束する旧式の道徳からの解放を意図する運動も起こりました。女性を男性の付属物という立場から、主権を主張する「市民」という立場におこうとする運動に、菊栄は身を投じます。当時の女性解放運動で名乗りを上げていたのは、俳人与謝野晶子と平塚らいてうがいましたが、菊栄は彼らとは一線を描した活動家でした。らいてうや晶子は国家主義や旧式の女性観の枠に捉われるきらいがあったのに対し、菊栄は女性を男性と同じ「市民」と捉え、労働者階級の女性が自らの運動によって、「平等」と「保護」をともに「正当な権利」としてたたかい取ろうという、現代的な思考をした人でした。菊栄がそういう思想を持つようになった原体験がありました。これはこういうものです。

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私はまた、七、八年前、救世軍や女子青年会(*)の人々と共に、押上(おしあげ)の大工場を観に行ったある冬の日のことをよく想い出す。

監獄のような高い長い煉瓦塀にとりまかれた一廓、その中には二月の極寒に羽織を着ている者はほとんどなく、十五、六から二十歳くらいの娘たちの多くの集まりの中に、細帯 -というより紐のような- もの(ふつうの帯をせず、紐を代わりに用いた姿。だらしない装い)ばかりしたのもだいぶ目についた。素肌に袷(あわせ。裏地がある着物。夏服。)を着ている者も少なくなかった、足袋をはいている者はまずなかったように思われた。中にはきれいな日本髪に結っていたのもあるが、たいてい頭髪はギリギリ頭の頂上へ巻き上げたきりか、いつ櫛の歯を通したともわからぬのばかりであった。

その日は月に一度のその工場の休日にあたり、救世軍の人々がこの日を利用して有志の女工に伝道をするのであった。

女工は何百畳かありそうな広い部屋の冷たい畳の上に -数えたら七、八十人だったと思う- 寒そうに薄着の身体を集めていた。そこに集まった若い、活気のない、無知な顔、救世軍の人々のわざとらしい誇張した身振りや口調に感心して、半ば口を開けたままドンヨリ演壇を見つめた、空虚な暗い鈍いその表情! 

ああ、これが人間(のありさま)だ、これが私たちの姉妹だ、そう思ったとき、私の胸はかきむしられるように感じた。彼らの魂、彼らの青春は早くすでに何ものかに吸い尽くされて、ここにあるのはただ彼らの残骸なのではないか、生きながら屍とならんとしつつある彼らではあるまいか。

私は胸を圧しつけられるように感じた。

しかし私の沈思は長く続くことを許されなかった。それはちょうどこのとき、私が一方に女工らのみじめな顔や姿を見入りつつ、耳にとめていた救世軍の人の説法はその極点に達し、それと同時にその説くところの虚偽に対する私の憤りが猛然と炎え立った(もえたった:原文ママ)からであった。

彼(説教師)といま一人の救世軍の婦人は、女工に歌を唄って聞かせ、一節ごとにそれを繰り返して女工に暗んじさせた(そらんじさせた)。その歌というのは、イエス・キリストは大工の子である、彼も労働者で、よく働いて、不平をいわなかった。働く者には神の恵みがある、われわれもキリストにならって不平なき「よき労働者」となり、神の恵みにあずかろう、労働は神聖である、といったようなものであった。

そして救世軍士官(説教師のこと。救世軍は軍隊式に組織するので、説教師をこのようにいう)の説法はこの歌を敷衍(ふえん:ある陳述などを、例証などでさらにくわしく説明すること)したもので、いっそう馬鹿げた、いっそう労働者の不利益になるような道徳を鼓吹したものであった。

話半ばに私は幾度席を立ち上がろうとしたことだろう? 唇をかみしめつつ、そしてそんな話にあるいは笑わされ、あるいは感心させられながら聞き入っている女工らの顔を見た私の心は、実にいいようのない悲痛に燃え立ったのであった。私は他の来観者と一所にいたプラットフォームからとび下りて女工らの中に行きたかった。私は彼らに詫びたかった、私は彼らの前に平伏したかった -何故なら、私は、私たちは彼らを汚している、彼らを欺いている、彼らを踏み躙っているという良心の呵責に堪えなかったから- 。

実際私は彼らの敵と共に、火鉢のある演壇のうえから、火の気のない大広間(聴衆である女工たちの席)に素足で座らされている彼らを見おろした気持ち、そのときの良心の悩みを今なお忘れることができずにいる。

さらに工場に付属する病室を見舞ったときの光景や、機械に手首をとられた娘の顔や、帰り際に二言三言口を利いた十五になるといった女工の「国に帰りたい」、「夜業があってつらい」といって涙ぐんだ眼など、いずれも私の脳裡に消すことのできぬ印象を刻んでいる。「あの子をどうかしてやりたい」と切に思いつつ遂にどうしてやることもできなかった私は、今もなお、「あの子はどうしたろう」としばしば思い出す。そして同時にその子と同じ運命にある幾十万の姉妹の上を思わせられるのである。




(「労働階級の姉妹へ」/ 山川菊栄・著 『日本評論』1919年2月号より/ 「山川菊栄評論集」所収 )

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菊栄の目線は人間にあったこと、これが菊栄をして他の女性解放運動家たちと、いえ、労働者解放運動家たちと大きな一線を画していた違いでした。菊栄はいわゆる「上から目線」ではなかったのです。あたりまえのことを言うようですが、これができない人が多いのです。

キリスト教団体の伝道は「上から目線」でした。極寒の二月に暖房のない職場や集会所で夏服を細帯だけでまとい、素足で置かれている女工たちに、その状態で労働することを励ましていたのです。当時の女性にはわたしたちと同じような「人権」、現行憲法で保障されている生存権、日本国憲法13条の「個人の尊重」、「生命、自由、幸福の追求は権利であり、立法その他の国政のうえで最大の尊重を必要とする」ということが保障されていない時代だったのです。

そういうふうに放置され、置き去りにされている女工たちの現状を追認しておきながら、どんな高邁な理想をたれようともそれが何を成し遂げるでしょうか。菊栄は同じ論文の中でこう書いています。

「私たちが一般の労働者のうえに期待しているような(全て人間は等しく幸福になる権利があるという意識への)覚醒や活動と、彼らの現状との間に横たわる距離を思うとき、真に憮然たるものなきをえないのである。ある人は日本における労働運動不振の理由を女工の多きことに帰しているが、これは確かに一理ある観察と思われる。女工の間における団結意識の困難は、日本ほどに官憲の圧迫が厳しくなく、日本ほどに婦人の卑屈を尊ばぬ外国においてさえ、既にしばしば絶望的な嗟嘆(さたん。なげくこと)を招かしめたのであることを思えば、日本における同様の試みがさらに幾倍の困難に遭遇すべきことは当然予想されねばならない(上掲書より)」。

当時に教育を受けた社会科学者たちの意欲は、女工たちを含む一般労働者には理解されず、かえって反発さえ受けたことでしょう。なぜならば、彼らはじっくり腰を落ち着けてものごとを考える精神的余裕すら持ち合わせていなかったからです。菊栄が観察したとおり、「そこに集まった若い、活気のない、無知な顔、救世軍の人々のわざとらしい誇張した身振りや口調に感心して、半ば口を開けたままドンヨリ演壇を見つめた、空虚な暗い鈍いその表情!」からそれは明らかにうかがえるものでした。




ちょっと脱線して、大日本帝国憲法下の女工たちの労働状況を調べてみますと、

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しかしてその労働時間は如何と見るに、一定の時間を示すを得ずといえども、先ず朝未明より夜の十時までは通例なるが如し、家によりては十一時まで夜業せしむるところあり、あるいは四時頃より起きて働かしむるところあれども、その間休息することを得るは飲食時間のほかはなし。夏七、八月頃に至れば、午後一時より二時頃まで休息せしむるのみ(「日本の下層社会」/ 横山源之助・著/ 明治31年刊)。

およそ紡績工場くらい長時間労働を強いられる処はない。大体においては十二時間制が原則となっているが、先ずこれを二期に分けて考えねばならぬ。第一期は工場法発布以前であってこの頃は全国の工場ほとんど、紡績十二時間、織布十四時間であった。しかして第二期に当たる工場法後から今日(大正14年ころ)へかけては紡績十一時間、織布十二時間というのが最も多数を占める。ところがここに『夜業』があるため、紡績工場の労働時間割はなかなか面倒になってくる。十一時間制だから十一時間働けばいいというごとく、簡単に片付かないのである。

この『夜業』がまた問題だ、これは二様に解釈される。つまり昼間一定の働きをしたうえ更に夜分若干の労働を加えること、これをむかしから『よなび』と言ったのだが、女工たちの場合は違う。それは昼間働く代わりに夜通し働く、すなわち深夜業のことを意味するのである。

日本でも欧米でも手工業時代には(工場に労働者が集まって働く工場制労働ではなく、家庭ではたらく手工業の形態)、夜寝る前に若干の時間を労働するというほかは、深夜を徹して働くなどということはなかった。これは飽くまで近代工業の所産であり、しかも日本がその創始者であるのはいかにしても申し訳が立たない次第だ。ちなみに組織だった大仕掛けな(深)夜業の始まりは、明治16年大阪紡績(1914年三重紡績と合併して東洋紡績となった)においてなされたものであった(「女工哀史」/ 細井和喜蔵・著/ 大正14年刊)。

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ものすごい長時間労働ですが、しかも福利厚生関係もすさまじく悪かったのです。前者の「日本の下層社会」にはこんなふうにルポされています。

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「かれら(女工たち)苦なきか、果たして平らかならざるものなきか、声を揃えて楽しげに謡うを聴けば、『嫌だ嫌だよ機織止めて甲斐絹織屋のおかみさん』、更に謡うものに耳を傾くれば、『お鉢引き寄せ割飯(わりめし:麦と米の混合飯)眺め、米はないかと目に涙』。…かれらが日々食するところの食物といえば、飯は米と麦を等分にせるワリ飯、朝と晩は汁あれども昼食には菜なく、しかも汁というも特に塩辛くせる味噌汁の中へ入りたるは通例菜葉、秋に入りたれば大根の刻みたるものありとせば、即ちこれ珍膳佳肴(ちんぜんかこう:豪華でおいしいごちそう、の意。大根が刻み込まれていればそれでごちそうだった、ということ)。お鉢引き寄せ割飯眺め米はないかと目に涙の哀歌を謡うもの、また宜(むべ:なるほどそのとおりだ、という意。肯定の意を表す)ならずや。さればかれら、物日(ものび:祝祭日のこと)の来るを数日前より指折り待ち、その日来れば胃の損ずるをも顧みずして腹に詰め、無常の快事なりとはなせり」。

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筆者は、こんな食生活をしているのは、「監獄の囚人と禅堂に業を修する居士のほかあらざるべし」とも感想を述べています。当時の女工たちはこういう生活を宿舎に監禁されたまま何年も何年も続けていました。女工といっても今日のような高卒、大卒ではもちろんありません。若い子なら12歳から見習いで紡績工場に入ります。「年限はおおむね3年ないし7年の間なりと見て可なり(「日本の下層社会」)」。年限ということから、いつでも辞めたくなったら辞められるというのではなく、要するに奉公に上がるというような形態だったんでしょうね。しかもお給料の支払いもいいかげんで、失敗作を出すと減給、失敗の程度に寄れば支給停止という措置が取られたため、失敗を出して給金をもらえない日が多くなると前借などをして、それをまた返済するのに年限が延びるというようなこともあたりまえにあったようです。

日本の近代化は「上から押しつけられてきた」ものだったので、日本型資本主義の当初はこんなだったんですね。こういう反省から、日本国憲法には基本的人権を保障し、労働権などの社会権も保障されるようになったのですが、近年、労働者はどんどん生存権が縮められてきています。「北朝鮮の脅威」とやらの官製のアジに乗せられて、MD配備に歓声を上げているどころじゃないぞ、とわたしは思うのですけれどもね。

特に上記引用文から発見したことは、深夜労働への当時の知識人の違和感です。現代人のわたしからすると、コンビニなどがふつうにある時代ですので、深夜労働など当然に思っていて、それを問題に思うことなどありませんでした。仲買市場など夜から仕事は始まりますしね。深夜労働の問題はまた別の機会に書いてみます。なんでも「あたりまえ」で片づけてしまうのは思考停止でしかありませんから、ね。

こういう生活を長期間強いられていると、人間は精神的に荒廃してゆくようです。「女工哀史」には「女工の心理」という章が設けられていて、詳細に観察されているのですが、これも機会を改めます。「日本の下層社会」には簡潔に書かれていますので、それをご紹介しましょう。

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…日々涙を以って郷国を慕い居れる可憐の場合にては、なお我儘(わがまま)を見ることなきも、年一年と慣るるに従い、いつとはなく父母を忘れ、朋輩に我を祈る事をなさず、もとより彼らに教育の素あるにもあらざれば、己を抑えむはずもなく、勝手出で我儘となり、すなわち衝突を見ることなるべし。しかして我儘出づると共に、かれらは父母と別れたる素志を忘れ、橋の上に集まり故国の事を語り合う事なくなると共に、彼女らは歩一歩救うべからざる堕落の境に身を陥るにはあらざるか。

…先ず工場に入りてかれらの言動挙動に注意せよ。米はないかと眼に涙の哀れむべきものを謡うに次ぎて、洒然として常に謡えるは「親が承知で機織させて、浮気するなと先きぁ無理だ」というが如き猥褻聴くに堪えざるものを耳にすることしばしばなり。これなお可なり、ここに挙ぐるを憚るを以って敢えて記せざれども、更に甚だしきものを平然として謡い居るなり。

かつてある機屋に工女の風儀を矯正せんとて一の規則を定めたる事あり。曰く、密交の確証ある者は罰金五円を課する事、(男性と)談話し居る場合を発見せられたる者は罰金3円、共に入浴せる時は罰金1円50銭といえる、これなり。

驚くべく、笑うべきが如しといえども、一にこれを以って見るもいかにかれら工女が風俗の乱れ居るかを推するに難からざるべし。


(「日本の下層社会」/ 横山源之助・著)





↓(下)へつづく
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山川菊栄の視点 (下)

2008年01月06日 | 一般


(つづき)-------------------------------

菊栄が、救世軍の説教を聞きに集まった女工たちの表情の死んだようなのを見て愕然としたのには、このような女工たちの精神的に追いつめられた事情があったのです。希望なくひたすら精神的・肉体的な苦痛を加えられ続けると、人間は堕落してゆくということですね。このことはわたしたちはよく心にとめておくべきだと思います。

人心の乱れを強制しようとして、教育基本法を反動的に変更し、刑罰と監視を強化してもそれは問題の根本的な解決には何の役にも立たないということです。力の行使によって人間が荒廃しているのですから、さらに力を加えたところで事態は一層悪くなってゆくばかりなのです。反対に道徳で人間を縛って現状維持を図ろうとするのも、卑劣なやり方です。菊栄はそれに憤りを抱いたのでした。

菊栄は女性問題を、哲学や考え方の変化によって解消しようとしたのではなく、制度を変革することによって成し遂げようと、論じてゆきました。当時は労働者の人権を確立しようとしていたのは社会主義さらには共産主義でしたから、菊栄は社会主義による資本主義の克服を訴えたのでした。菊栄の訴えは次のとおりです。

①戸主制度の撤廃、
②婚否を問わず女子を無能力者とするいっさいの法律を撤廃すること、
③婚姻および離婚における男女の権利義務を同等ならしむること、
④すべての教育機関および職業に対する女子ならびに植民地民族の権利を内地男子と同等ならしむること、
⑤民族および性別を問わざる標準生活賃金の実施、
⑥業務を問わず、男女および植民地民族に共通の賃金および俸給の原則を確立すること、
⑦乳児を有する労働婦人のためには休憩室を提供し、3時間ごとに30分以上の授乳時間を与えること、
⑧結婚、分娩のために婦人を解雇することを禁ずること、
⑨公娼制度の全廃…(以上、「婦人の特殊要求について(1925年)」より)。

どれも21世紀の現代の問題でもあります。またどれひとつとっても、人間一人ひとりの目線に立った提言です。こういう人は本物の「人物」です。またこういう人こそ「明晰な人」なのです。こういう人が「有能」な人なのです。いつでも人間の生活という基盤に立って考えておられます。生活とはつまりは「人間が生きること」です。人間が生きることをより豊かにしていこうとすることが「目が黒い」ということです。

「上から目線」というのはそうではありません。人間が生きる、ということを見ないのです。そういう人はイデオロギーだの神学だの国土拡張だのといった、抽象的なことをたいそうに話します。菊栄が怒りを覚えた救世軍の説教師もそうです。さらにいえば、道徳家たちや国益を語る人たち、犯罪やしつけへの厳罰主義者、体罰肯定論者、死刑存置論者、新自由主義者、ソビエトと中国の共産主義者 etc...。

わたしがこういう人たちに抱くイメージは、トラックや自家用車をゴテゴテ飾り立てるヤンキーたちです。彼らは自分を拡大するためにクルマを飾り立てます。自我を拡張したいのです。動物が自分を大きく見せようとするのはどんな時でしょうか。恐怖を覚えたときです。恐怖を覚えたとき、高等動物は攻撃するか逃避するかのどちらかの行動に出ます。生身の自分だけでは太刀打ちできないと無意識に知っているから、自分を大きくしようとするのです。

大義名分をつばを飛ばして語る人たちも同じです。国威高揚を意固地に語る人たち、軍事力を誇示する政治家たち、際限なく富を蓄積させようとする企業人(政治家よりも自意識が強い人たち)、こうした人たちは自分でも気づかない内面の恐怖に動機づけられています。外国が攻めてくる脅威がさもいますぐにでも起こるかのように吹聴しますが、実は自分たちのほうが外国への野心を持っているので、相手より大きくしていないと安心できないのです。犯罪を厳罰をもって片づけてしまおうとする人たちも、自分の弱さを直視して自分が変わって行こうとすることが怖ろしいのです。自分のほんとうの姿を人々に悟られたくないのです。みんなとうに知っているのに。子どもに体罰を持って従わせようとする人たちも同様です。ほんとうの自分に嫌悪していることを子どもに気づかれることが怖いのです。子どもは実は親がどんなに弱かろうと、自分を心情的に支えてくれる限り、親が大好きなのに。自信喪失した人たちは、何か特別な業績、特別な力を持っていないと他人から認めてもらえないという間違った信念に突き動かされています。

なぜそんなふうな信念を抱くようになったのかというと、過度の競争にさらされてきたからです。競争が異常に加熱するようになったのは、資本主義が野放しにされてきたからです。人間の暮らしには市場原理では運営できない部分の方が大きいことを考えてこなかったからです。私的所有物は所有者がどう使おうと自由だ、それは大切な権利ではあります。逆にそこから他人の所有物には自分勝手にすることはできない、だから窃盗は所有権の侵害だから罪になる、ということになります。ということは誰の所有権の下にもないものであれば気にしなくていいのでしょうか。

ここで公共という考えを学ばないと、たとえば市場で得た自分の所有物だから、どう使おうと自分の勝手だ、だから自分の家、自分の庭はきれいにするが、私的所有物から発生したごみを道路や公園に投げ捨てるのも気にならない、なぜならごみは私的所有物に属するから、どうしようと自分が決めることだ、しかも道路や公園は誰の私的所有物でもないから、誰かの権利を侵害することにはならない、だからかまうもんか、ということになるのです。市場原理主義というのは個人レベルまで分解すると、結局はこうなるのです。新自由主義なんて言葉はかっこよくても、中身は要するに悪ガキの我がままでしかないのです。

ところが、私有の権利は憲法で保障されていなければなりません。また水道事業や電力供給事業という公共事業は儲けになりにくいので公共で営まれなくてはならないし、それがなければ事業はカネがかかりすぎることになるでしょう。こういう公共事業が市場に任されるとなると、過疎地の人々には電気もガスもないということになりかねません。儲けが出にくいですから、ね。小泉=竹中の民営化路線が弱肉強食だといわれたのには、公共という考え方を放棄するものであったからです。

人間を忘れ、公共を無視した社会の運営は大勢のとり残された人々を生みます。そういう人たちは明治憲法時代の女工たちのように、精神的に衰弱し、荒廃してゆきます。安倍路線はそれでもかまわない、というものでした。負け組みに落ちるのは自己責任だ、というわけです。そんなことでは大多数の民衆は寿命が縮んで消滅するか、あるいは暴徒化するでしょう。そこで国家主義の出番です。国益のためにキミたちが犠牲的に労働するのは美徳だ、という教育が行われるのです。それが、菊栄に怒りを抱かせた救世軍の説教であり、また自由化されようとする安倍教育政策なのです。

みなさん、資本主義はわたしたち国民によってコントロールされなければならない。もういちどケインズの哲学に戻りましょう。日本は元々「大国」には向かないのです。むしろ「小国」としてアジア近隣諸国と強調して支えあって維持していく方が、暮らしを豊かにできるでしょう。トヨタ、三菱重工、キャノン、こういった新自由主義の旗手たちは強大でかなわないと思いますか。いいえ、わたしたちひとりひとりが行動すれば変えることができます。

菊栄はこうも言いました。

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あなた(雑誌「青鞜」の編集者、伊藤野枝)は社会百般の事象は表面に表れるまでには必ず確たる根をもち立派なプロセスをもっているものであり、偉大なる自能力の最も力強い支配力のもとにある不可抗力であって、わずかな人間の意力や手段では誤魔化せない正真正銘のねうちを失うことのない力であると仰しゃいます。

果たしてそうでしょうか。大化の改新は人間の手によって成されました、封建制度も人間に作られました、そしてまた人間の意力に倒されて明治となりました。立憲政体も人間が作ったのです。陸海軍も人間が作ったのです。要するにすべての社会制度は人間が作ったものであり、こわしたい時にはいつでもこわせるものであることは古今東西の歴史に現れた大小無数の革命が証拠です。また現在の事実も皆それを証明しております。またあなたもそれを信じていらっしゃればこそ、女に不都合な世の中を改革しようと志していらっしゃるのではありませんか。



(「日本婦人の社会事業について伊藤野枝氏に与う」/ 山川菊栄/ 「青鞜」1916年1月号)

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