Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

「不安大国」日本がめざすもの

2006年04月23日 | 一般
人がどう生きるか、どんな人であるか。こういうことを決めることができるのは自分自身だけです。国家や宗教指導者たちによって決めてもらうものではありません。うつの症状を引き起こす人たちには、自分というものがわかっていません。自分のほんとうの気持ちがわかっていません。「…であるべき」、「…と考えるべき」という外から教え込まれ、習慣づけられた規範を自分の見解であるとカン違いしているのです。「ありのままの自分でいる」というのは欲望の無制限な解放ではなく、また現状維持を通すためのいいわけやわがままを正当化するために使うものでもありません。それは自分のほんとうの気持ち、ほんとうの意欲、自分の自然体を大切にするということです。

でもこれまでわたしたちは、他人が決めた枠組みや目標を、「一人前」であるための必須事項であるかのように追い求めさせられてきました。企業社会における成功、有名になること、指導者になることが「良い」目標であり、それ以外のことは「負け組」とみなされるよう宣伝され、また教育されてきました。それでも、教育基本法で、「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を徹底普及しなければならない(教育基本法前文)」、「教育は人格の完成をめざし、平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない(第1条)」と定められている間は、周囲の圧力に屈せずに、自分の生きたいように生きる権利を主張することができるのです。日本においては、この教育基本法によって、個人主義が共同体主義より優先されているからです。個人主義とは、人間一人一人の意思、尊厳が社会に先行するという考え方です、一方共同体主義というのは、人間は社会集団に依存し、依存する集団に貢献することによって初めて有徳な存在になってゆくという考え方です。 「個人主義の考え方を取るべきか、共同体主義の考え方を取るべきか。これは、哲学の世界ではギリシャ時代から続く論争のテーマです。(ルナ註:つまり今に至るまで決着はついていない。)日本国憲法の下で理解された民主主義の中では、個人主義を基板に置いた考え方のほうが一般的だったかもしれません。しかし、欧米社会の中では、公に対する責任を引き受けることを通じて人間が価値ある存在になるという、共同体主義にもとづく民主主義の理論も唱えられています(「教育基本法『改正』-私たちは何を選択するのか」/ 西原博史・著)」。

エホバの証人の場合は、「共同体主義にもとづく民主主義」ではありません。「共同体主義にもとづく絶対専制制度」です。互いが互いを監視し合い、個人的な意向は抑えこまされる社会です。逸脱に対してはこれみよがしな「刑罰」が下されたりはしませんが、代わりに心理的な処罰が加えられます。心理的な処罰というものを分かりやすく示してみましょう。以下はエレン・ベンスとマイケル・ベイマーによって1993年に発表された、「女性虐待のタイプと虐待方法」による分類です。

--------------------------------------------

この分類はドメスティック・バイオレンスの心理的な構造に重きを置いた分類である。

1.孤立させること。
○仕事や学校教会に行かせない。家族や友人に会わせない。
○IDカードや免許証を取り上げる。
○被害者の後をつけまわす。
○手紙を開封する。
○電話を勝手に聞いたり、電話機を外したりする。

2.経済的コントロール。
○お金に触らせない。
○おカネを下さいと言わせる。
○お金に関して嘘をつき、隠す。
○仕事に行くのを妨げる。
○被害者の金を盗む。
○家計に必要なお金を与えない。
○クレジットを使えないように邪魔をする、ぶちこわす。
○児童扶養手当の書類をダメにしてやると脅す。

3.脅し。
○身振りや表情で脅す。
○ものを投げつける、放り投げる。
○女性の持ち物を壊す。
○ペットを傷つけたり、殺したりする。
○女性を怖がらせるために武器をもてあそぶ。
○女性や子どもを殺すとか自分が自殺すると脅す。
○移民や難民の状態にあるとき、追放処分にしてやると脅す。

4.情緒的虐待。
○女性を非難する。
○悪態をつく。
○家族や友人の前で恥をかかせる。
○女性に、自分が無能だと思わせる。
○虐待者が間違ったことで、女性のほうを非難する。

5.性的虐待。
○女性の性的な行為や反応をばかにする。
○女性が不快になるような性的行為を強要する。
○子どもに性的な行為をするぞと脅す。
○ポルノグラフィーを真似るように強要する。
○ポルノビデオを見るよう強要する。
○レイプしたり、レイプするぞと脅す。

6.身体的被害。
○押す、突く、つかむ、腕をねじ上げる。
○たたく、なぐる、喉をしめる、火で焼く、ひどい目に合わす。
○ものや武器を使う。

この表にあがっていることはすべて、日本でもあてはまることである。単なる暴力の恐怖だけではない。ドメスティック・バイオレンスの心理的虐待もこの表には表現されている。いまだに「妻子を殴ることのどこが悪い」とおおっぴらに言う人がいることからも、ドメスティック・バイオレンスが罪の意識なく広がっていると言えるだろう。実際にドメスティック・バイオレンスの被害を受けて、家庭裁判所に調停を申し立てた女性がよく言うのは、調停委員のドメスティック・バイオレンスに対する理解のなさである。
「それくらいの暴力だったら、我慢したほうがいいんじゃないか」
「自分のことばっかり、勝手なことを言っていてはならない。子どものことを考えたら夫婦はずっと一緒にいたほうがいい」というアドバイスが安直になされてきた。数年前のことだが、「殴られる以外は問題ないんでしょう」といわれた人の話も聞いた。殴られるだけでも十分離婚の理由になると思うが、「殴られる以外に問題のない」夫婦などありえない。むしろ殴られることだけが問題だ、しかもそれは被害者のほうで我慢するべきことだと思いこんでいるほうの人に問題があると言いたい。

(「ドメスティック・バイオレンス」/ 小西聖子・著)

-------------------------------------------------

エホバの証人の場合は、「4.情緒的虐待」の、
○家族や友人の前で恥をかかせる。
○女性に、自分が無能だと思わせる。
○虐待者が間違ったことで、女性のほうを非難する。
に類する心理的帆罰がほんとうに多用されます。エホバの証人の集会では講演が行われているわけですが、講演者が名指しはしないものの、すぐに誰と分かる仕方で講演の中で非難、侮辱します。会衆の人々の中で恥ずかしい思いをさせるのが主な手段であり、常習的に行われているのです。指導者の方針へのクレームは事実上禁止されています。抗議すれば「反抗的」「サタン的」というレッテルを貼られて、心理的処罰や教理で定められている、おもに孤立化させる処罰が加えられることになります。そのほか、言葉による脅しも常套手段ですし、経済的コントロールは信者全般に対して行われている「政策」に匹敵する手段です。布教活動を管理し、報告用紙を毎月提出させ、その月に布教に費やした時間を増やすよう指導します。神への信仰は、布教に費やした時間で測定されると彼らは言います。つまり独身男性であれば、生計を立てるための就労時間を削って、布教に費やさなければ評価されないところまで、布教時間を増やすよう求められます。さらにその状態を維持するよう、結婚を遅らせるのです。こういうことがいわば「法制化」されているのです。エホバの証人であるためには、教団の教理はしたがわねばならない「法」なのです。監視社会であるということと、全体主義ということが、この教団の特徴を言い表すキーワードです。

このような話を聞いたら、非人間的だと思いませんか。まともじゃないと思うでしょう? それは日本国憲法や教育基本法で定められている、個人主義優先の理念を基準にして考えているからです。ところが現実にはそうは思わない人もおおぜいいるのです。上記引用文の最後に出てきた記述に注目してください。家裁の調停委員には、傷つけられた人への無理解がはびこっていました。このような人たちは、身体的暴力でさえ理解できないのですから、心理的な傷などには真面目に取り組まないでしょう。それは、共同体の安定維持のためには個人の問題は気にかけなくてよいという、共同体主義の極端な解釈が信じられているからです。エホバの証人にいたっては、この風潮が徹底されています。そして「教育基本法『改正』」がめざすのも、先鋭的な共同体優先主義なのです。

--------------------------------------------------

Ques.1 現在の教育基本法が制定されてから、すでに50年以上の歳月がたっています。この間に社会の姿は大きく変わりました。新しい時代にはそれにふさわしい新しい教育の理念にそった改革が必要なのではありませんか?

Ans. 「新しい時代」の中身が問題です。中央教育審議会(以下、中教審と略)の想定する「新しい時代」とは、「東西の冷戦構造崩壊後」の「世界規模の競争が激化」する時代、つまり経済のグローバル化時代のことです。教育は今、グローバル化した大競争時代に勝ち抜くための国家戦略の一環として位置づけられているわけです。こうした時代認識を背景に提唱された教育改革には二つの側面があります。第一に、教育における市場原理・競争原理の徹底した導入、いわゆる新自由主義改革ということです。第二に、教育における国家主義の拡張です。新自由主義改革は、自由競争のもとに社会階層の格差を拡大し、国家主義は教育における統制を強化します。

Ques.2 経済のグローバル化を背景にした教育改革は、教育基本法の理念にどう関係してくるのでしょうか?

Ans. 直接的には、大競争を勝ち抜くために、個人の尊重から国家による人材養成へと教育目的が移行します。中教審答申が前提としている国際社会における日本の役割は、現在の憲法、教育基本法の前提としているものとは大きく異なります。教育基本法改正推進論は、平和主義にもとづく国際社会への貢献から、世界規模の市場競争を勝ち抜くために軍事貢献する国家、すなわち「戦争に加われる国家」へ向けてシフトチェンジしようという流れの中にあります。中教審答申がめざす教育理念の構築は、そのような国家戦略に役立つ人材養成なのです。これは教育基本法理念の根本的な転換を意味しています。

Ques.3 新自由主義改革によって教育はどう変わるのでしょうか? 教育における規制を緩和して自由が増えるのならよいのではありませんか?

Ans. 「自由」ということばに踊らされないで下さい。わたしたちが「自由」というときにイメージすることと、新自由主義が重んじる「自由」とは意味が違います。新自由主義が重んじる「自由」とは市場における「競争の自由」ということであり、つまり商売するのに面倒でうるさい約束事(もちろん、倫理も)を減らしに減らすということです。思想・良心の自由とか、表現の自由というときの「自由」とは異なり、人々を営利追及、儲けた者が「官軍・正義」という意味の、弱肉強食の競争へと駆り立てるものです。「競争しない」自由は、むしろ縮小することになります。教育において新自由主義政策を推進するならば、生徒間の能力主義的差別を促進し、各学校間の序列化をもたらし、社会を急速に階層化することはほぼ確実です。 

Ques.4 能力に応じて差が生じるのは仕方がないことではありませんか。むしろ、個々人の能力や適性に応じて個性を伸ばす教育が求められているのではありませんか。

Ans.  中教審答申では「個性に応じて自己の能力を最大限に伸ばしてゆく」教育がうたわれていますが、この「個性」の中身が問題です。現行の教育基本法前文にある「個人の尊厳」や第一条【教育の目的】にある「個人の価値」が、国家に対して個人のほうを尊重することを求めているのと、中教審答申は全く逆の方向性を持っていることに注意する必要があります。改正教育基本法に「個性」が書き込まれることは、国家によって、「自己の能力を最大限に伸ばしてゆくこと」が強制されることを意味しています。個性化教育の具体的施策としては、少人数指導や習熟度別指導など、「才能」に重点を置く能力主義的な教育政策が提起されています。これは教科によって「才能」のある子ども、「できる」子どもを早い段階から選別して少人数指導を行うことですから、それは生徒間の競争を若いうちから激化させ、学力格差を助長することになります。結果として少数のエリ-トを育成するために予算を割き、その他大多数の「普通の能力」の児童・生徒を犠牲にするものです。これが中教審のいう「能力に応じた」教育の実態です。

(「教育基本法改正論批判」/ 大内裕和・著)

-------------------------------------------------

Ques.3への回答で、「教育において新自由主義政策を推進するならば、生徒間の能力主義的差別を促進し、各学校間の序列化をもたらし、社会を急速に階層化することはほぼ確実です」という一文があります。これは、人の人生が、生まれた家庭や環境や障害などに運命づけられるという意味です。一方、現行の教育基本法第3条には、すべて国民はひとしく、その能力の応じる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位、または門地によって、教育上差別されない。第2項、国および地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない、と教育の機会均等を保障しています。「その能力に応じる教育を受ける機会を与えられなければならない」というのは、企業にとってあまり有用でない研究、芸術活動への訓練などを受ける権利を有しているということです。エホバの証人は布教の時間を割くくらいなら、大学教育も受けさせません。新自由主義者の考えかたによれば、産業振興に有用な研究には予算を割くが、社会科学や芸術などにはカネを出さないということになります。また、障害をもって生まれてきても、教育基本法上は教育の機会を制限されないということをも意味していますが、近年、小泉改革の一環として、障害者福祉は大きく減退しました。

今日本がめざしている教育改革は、要するに経済振興のための子どもの選別であり、その議論の中では優生学さえおおっぴらに主張されています。以前にも引用しましたが、それは以下の主張です。

---------------------------------

三浦朱門・前教育課程審議会会長の証言を紹介しよう。

「学力低下は予測し得る不安というか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、今度はできる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張って行きます。限りなくできない非才、無才にはせめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです。

トップになる人間だけが幸福とは限りませんよ。わたしが子どものころ、隣の隣に中央官庁の局長が住んでいた。その母親は魚の行商をしていた人で、よくグチをこぼしていたのを覚えていますよ。息子を大学になんかやるものじゃない、おかげで生活が離れてしまった。行商もやめさせられてぜんぜん楽しくない。魚屋をやらせておけばよかったと。裏を返せば自慢話なのかもしれないが、つまりそういう、家業に誇りを与える教育が必要だということだ。大工の八っつあんも熊さんも、貧しいけれど腕には自信を持って生きていたわけでしょう。

今まで、中程度以上の生徒を放置しすぎていた。中以下なら、「どうせオレなんか」で済むところが、なまじ中以上は考える分だけキレてしまう。昨今の17歳問題は、そういうところも原因なのです。

(日本の)平均学力が高いのは、遅れてる国が近代国家に追いつけ追い越せと国民のお尻を叩いた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になってゆかなければなりません。それが『ゆとり教育』の本当の目的。エリート教育とはいいにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」。

インタビュアー:それは三浦先生個人の考えですか。それとも教課審としてのコンセンサスだったのですか?

「いくら会長でも、私だけの考えで審議会は回りませんよ。メンバーの意見は皆同じでした。経済同友会の小林陽太郎代表幹事も、東北大学の西澤潤一名誉教授も…。教課審では江崎玲於奈さんのような遺伝子判断の話は出なかったが、当然そういうことになってゆくでしょうね」

(「機会不平等」/ 斉藤貴男・著)

--------------------------------

江崎玲於奈博士の「遺伝子の話」というのは以下の通りです。

--------------------------------

人間の遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。これからの教育では、そのことを認めるかどうかが大切になってくる。僕はアクセプト(許容)せざるを得ないと思う。自分でどうにもならないものは、そこに神の存在を考えるしかない。その上で、人間のできることをやってゆく必要があるんです。

ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子どもの遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ。

遺伝的な資質と、生まれた後の環境や教育とでは、人間にとってどちらが重要か。優生学者は天性のほうだといい、社会学者は育成のほうだという。共産主義者も後者で、だから戦後の学校は平等というコンセプトを追い求めてきたわけだけれど、僕は遺伝だと思っています。これだけ科学技術にお金を投じてきたにもかかわらず、ノーベル賞を獲った日本人は僕を含めてたった5人しかいない。過去のやり方がおかしかった証拠ですよ。

(「機会不平等」/斉藤貴男・著)

--------------------------------

わたしたちはだれのために生きるのでしょうか。だれに認めてもらいたいのでしょうか。そのために自分の望んでいないことのために自分の人生の貴重な機会を消費するのでしょうか。うつ病やバーンアウトはそういうことの結果生じているのです。そこまでして「経済大国」を追い求めるのはどうしてでしょうか。加藤諦三さんの著書、「無名兵士の言葉」にこのような指摘があります。

「大きなことを成しとげるために強さを求めたが、謙遜を学ぶようにと弱さを(神から)授かった」。

--------------------------------

神経症的野心は復讐心などとともに名声追求のひとつの要素である。それは社会的成功への衝動である。それは「不安からの防衛」としての野心である。不安から自分を防衛するために、他人より優位に立とうとする人が持つ野心である。したかって社会的成功が必要になる。彼らは社会的成功によって人より優位に立っていなければ不安でならない。

(「無名兵士の言葉」/ 加藤諦三・著)

-------------------------------

今日の日本を建国した幕末・明治の指導者たちは「大国」を目指しました。その理由の一つに、不平等条約の改正を求めたことがあります。しかしその一方で、朝鮮半島や中国大陸に進出し、日本がアメリカやイギリスに押しつけられたのと同じ不平等条約を、朝鮮と中国に押しつけて侵略を行ったのです。それはやがて日本を徹底した破局へと導きました。人間を動物のように、選別して経済大国のための部品のように用いてそれで何を得るのでしょうか。一部の人たちの「不安からの防衛」を一時的に癒すだけでしょう。私たちが望むのは豊かな人生です。それは巨万の富を築いたからといってかならず得られるものではありません。

--------------------------------------
【ポストにしがみついてノイローゼになる人】


人はほんとうの自信をつけることができないから、脅迫的に力を求め、富を求める。そしていったん得たポストにしがみつく。そのポストでストレスからノイローゼになる人がいる。それでもポストを放さない。

ある女性の文化人である。「あなたは何を求めているのか?」と聞きたくなるくらいに「上に、上に」と脅迫的に名声を追求する。そして自分が今している勉強が好きではないようである。彼女は一時的には華やかである。しかし華やかさの中で自分を見失う。華やかさに捕まっている人は、いずれ華やかさがなくなる。テレビのワイドショーを降りる。そのときに一気に老いが来る。今までの人生のツケが来る。つまり自分は何をしてきたのか、何がしたいのか、どうやって生きていっていいか分からない。

エリートコースを歩む人、華やかさを求める人は、たとえば「どうしても」ほしいポストや賞がある。しかし、その「どうしても」欲しいポストや賞にしがみつかないことが大切なのである。それが心の自由である。人は「どうしても」欲しいものを手に入れられなくても生きていけるし、逆にかけがえのないものと思っているものを失っても、やがてそれなしででも生きていける。

その悲しみや絶望を乗り越えて人間の幅ができる。ただ、人と心でふれあえない人は、それを乗り越えることができない。

人と親しくなれないということに、人間のほとんどの重要な心理的問題が隠されていると言っても過言ではないからである。アメリカの離婚原因を調べてみると、女性も男性も第一原因としてあげるのはコミュニケーション問題である。

-------------------------------------------

人生を豊かにするものは、人との交流です。コミュニケーションの能力にかかっています。大国を、大国をと目指してきた日本はバブル崩壊で手痛い打撃を受けたのではないでしょうか。それでもあきらめないのです。心理的に病んだうつ病「大国」日本の真の状態が見えてきたように、わたしには思えます。「不安」が今、日本を突き動かしているのです…。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妙な出来事

2006年04月16日 | 一般
実はね、ヘンなことになっちゃっているんですよ…。

先回の、「きけ、わだつみのこえ」の記事を出したあとにね、教育基本法のことを扱ったgooのブログを見てみようと思い立ったわけね。で、検索してみたら、わたしのブログが検索にヒットしないんです。

で、編集画面のブログ情報のところから、設定を確認したら、「新着記事を送る」の設定にちゃんとなっているんです。どうしてだろう、と思ってgooに問い合わせてみたのね。そしたら、記事内容に「不適切な表現がある」というんですよ。どんな表現ですかって聞いたら、それは公開していないとにべもない返事。不適切な表現っていっても、わたしのブログは読書案内みたいなものだから、ほとんど引用文なわけですよ。その道の研究者たちが書いた文章だから、不適切な表現なんてあるか? と思ったんです。

最初はね、天皇制を批判的に書いたり、教育基本法や憲法改正反対の立場だから、排除されたのかも…、なんてコワ~イ可能性も考えたんです。イラク派兵反対のビラを配布した学校の教師が検挙されているご時世ですからね。でも、たかだか無名のブログの記事までそんなことするか?と思いなおしました。いくらなんでもそこまではないでしょう、と。そうすると、いったいなんでしょうか。

まさか「エホバの証人」批判でマークされたのか?

いや、これもありえないですよね? ものみの塔ならやるか? いや、でもウチのブログはそんなにアクセスの多いブログでもないし、全体的にエホバのことなんて扱っていないし。どうなんでしょう? エホバの証人系のブログを書いておられる方がもし、このブログを見てくださっていたら、いちどご自分のブログが新着記事なり、検索なりにヒットするかどうか試してみてくださいね。

あ~気持ち悪~い!!!
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然は賢明である、自由に生きよう!

2006年04月16日 | 一般
或る宵


瓦斯の暖炉に火が燃える
ウウロン茶、風、細い夕月

それだ、それだ、それが世の中だ
彼らの欲する真面目とは礼服の事だ
人工を天然に加へる事だ
直立不動の姿勢の事だ
彼等は自分等のこころを
世の中のどさくさまぎれになくしてしまつた
かつて裸体のままでゐた冷暖自知の心を

あなたは此を見ても何も不思議がる事はない
それが世の中といふものだ
心に多くの俗念を抱いて
眼前咫尺(しせき:近い距離。「咫」は八寸、「尺」は一尺。)の間を見つめてゐる、
厭な冷酷な人間の集まりだ
それ故、真実に生きようとする者は
むかしから、今でも、このさきも
却て真摯でないとせられる
あなたの受けたやうな迫害をうける
卑怯な彼等は
又誠意のない彼等は
初め驚異の声を発して我等を眺め
ありとあらゆる雑言を唄つて彼等の暇な時間をつぶさうとする
誠意のない彼等は事件の人間をさし置いて
ただ事件の当体をいぢくるばかりだ
いやしむべきは世の中だ
愧ず(=恥じる)べきはその渦中の矮人だ

我等は為すべき事を為し
進むべき道を進み
自然の掟を尊んで行住坐臥 (ぎょうじゅうざが:もと仏教用語で、仏教の戒律にかなった日常の起居動作をいう。俗語に転じて、日常の立ち居振る舞いの全般。) 我等の思ふ所と自然の定律と相もとらない境地に至らなければならない
最善の力は自分等を信じる所にのみある
蛙のような醜い彼等の姿に驚いてはいけない
むしろ其の姿にグロテスクの美を御覧なさい
我等はただ愛する心を味わへばいい
あらゆる紛糾を破つて
自然と自由に生きねばならない
風の吹くやうに
必然の理法と、内心の要求と、叡智の暗示とに嘘がなければいい
自然は賢明である
自然は細心である
半端物のやうな彼等のために心を悩ますのはお止しなさい
さあ、又銀座で質素な飯でも喰いませう

大正元・10

(「智恵子抄」/ 高村光太郎・作)

-----------------------------------------------

読めばだいたい、ふたりがどういう状況下にあったかは、想像がつきますよね。新潮文庫版の「智恵子抄」には、高村光太郎自身による、「智恵子の半生」という一文が収録されていて、おそらくこの詩を生み出した事件であろうと思われる事情が書かれています。




「長沼智恵子を私に紹介したのは女子大の先輩柳八重子女史であった。
…(略)…
丁度明治天皇様崩御の後、私は犬吠(いぬぼう)へ写生に出かけた。その時別の宿に彼女が妹さんとひとりの親友と一緒に来ていて又会った。後に彼女は私の宿に来て滞在し、一緒に散歩したり食事したり写生したりした。様子が変に見えたものか、宿の女中が一人必ず私達二人の散歩を監視するためについて来た。心中しかねないと見たらしい。智恵子が後日語る所によると、その時若し(もし)私が何か無理な事でも言い出すような事があったら、彼女は即座に入水して死ぬつもりだったという事であった。私はそんな事は知らなかったが、此の宿の滞在中に見た彼女の清純な態度と、無欲な素朴な気質と、限りなきその自然への愛とに強く打たれた。君ヶ浜の浜防風を喜ぶ彼女はまったく子供であった。しかし又私は入浴のとき、隣の風呂場に居る彼女を偶然に目にして、何だか運命のつながりが二人の間にあるのではないかという予感をふと感じた。彼女は実によく均整がとれていた。

やがて彼女から熱烈な手紙が来るようになり、私も此の人の他に心を託すべき女性は無いと思うようになった。それでも幾度か此の心が一時的のものではないかと自ら疑った。又彼女にも警告した。それは私の今後の生活の苦闘を思うと彼女をその中に巻き込むに忍びない気がしたからである。その頃せまい美術家仲間や女人達の間で二人に関する悪質のゴシップが飛ばされ、二人とも家族などに対して随分困らせられた。然し彼女は私を信じ切り、私は彼女をむしろ崇拝した。悪声が四辺に満ちるほど、私達はますます強く結ばれた。私は自分の中にある不純の分子や混濁の残留物を知っているので時々自信を失いかけると、彼女はいつでも私の心の中にあるものを清らかな光に照らして見せてくれた。私を破れかぶれの廃頽気分から遂に引き上げ救い出してくれたのは彼女の純一な愛であった」。




模範的な恋愛ですよね。「君ヶ浜の浜防風を喜ぶ彼女はまったく子供であった」っていうのは、言うまでもなく、子どもっぽいっていうことじゃなく、屈託がなくって、自分の感情を素直に表現できるっていうこと。これってすごい大切なことだと思います。無理をしてる人とか、自分を大きく見せようとしている人って、そうは振舞わないですもんね。これは、智恵子さんのお相手の高村さんが、安心できる人だっていうことでもあると思います。自分をさらけだしてもそれを評価裁定したりしないで、そのまんま受けとめてくれる方だったんでしょうね。

引用した詩のほうですが、現代にもりっぱに通用するメッセージじゃありませんか。日々、世間の目に迎合して生きている人間って、その人たちの観点からの「ルール違反」を見つけたら、すかさず攻撃を始めます。世間の目にビクビク怯えて生きている自分と、自分の生きかたに内心では大きな不満があるんですよね。ほんとうは自分たちを縛っているしきたりや世間体を攻撃したいんだろうけど、それができないから「真実に生きようとする」人たちを代わりに攻撃するんですよね。エホバの証人のお局たちのイジワルもひょっとしたら、そんなところなのかもしれませんね。「平和と平等をあきらめない」という、「機会不平等」の著者、斉藤貴男さんと、「靖国問題」「心と戦争」の著者、高橋哲哉さんの対談を収めた本では、生計のために不平等で無慈悲な競争原理の中で自分を抑えつけて生きている人々は、自分たちを束縛する枠組みの外で人生を展開しようとする人を陰湿きわまる仕方でバッシングする、と話しておられました。何の事件についてそういうコメントが出たかというと、2004年4月に起きた、イラクでの人質事件です。実は、わたし自身もあの人質の方々には、当時、当時はですよ、何か得体の知れないいら立ちを覚えていました。あの時分は、わたしはどん底にいまして、そんなうまくいかない事態の渦中にある情けなさが、自由に生きる人たちへの攻撃のエネルギーとなったのでしょうね。

「彼らの欲する真面目とは礼服の事だ
人工を天然に加へる事だ
直立不動の姿勢の事だ
彼等は自分等のこころを
世の中のどさくさまぎれになくしてしまつた
かつて裸体のままでゐた冷暖自知の心を」

いい指摘じゃないですか。伝統やしきたりはもちろん、ある種の礼儀作法も同じかもしれないな、なんて思ったりします。人を好きになったり、好きになった気持ちを素直に表現するのに、どうして世間の合意を求めなきゃならないんでしょう? わたしはいまエホバの証人のことを言ってるんですよ。「模範的」でなければ、不愉快な言いかたをされなきゃならないなんて、またおとなしくそれに従っていたなんて、ホンッとにバカでした。自分の意欲、自分の目的、自分の感情、自分の考え、自分で決めたものならどんどんチャレンジしてゆこうじゃありませんか。生きかたを宗教指導者や、熟練布教者や、国家などの評価に俟つ必要なんてないんです。日本は今、国際的大競争時代を勝ち抜くのに必要な人材の育成にだけ、財政支出を絞ろうとしています。教育基本法を変えて、国家が教育内容に介入できるようにして、人間の生きかたに画一的な枠組みを押しつける法的根拠を設けようとしています。これが人間をどれだけ押しつぶすことか、エホバの証人だったわたしにはよく理解できます。このブログのブックマークにある、「エホバの証人にツッコミをいれる」の筆者の方が、はじめてエホバの証人の集会に出席されたときに、若い人たち、おそらくは2世の人たちの目が死んでいるというような感想を持った、と書いておられます。等身大の自分を表現することを心理的に罰せられる社会ではそうなるのです。蛙のようなグロテスクさと高村光太郎さんは表現されました。

「あらゆる紛糾を破つて
自然と自由に生きねばならない
風の吹くやうに
必然の理法と、内心の要求と、叡智の暗示とに嘘がなければいい
自然は賢明である
自然は細心である
半端物のやうな彼等のために心を悩ますのはお止しなさい」。

自分の人生、自分の命、自分の表現。大切にしたいです。自然な人間の情愛(テモテ第二3:5)、自分の嘘偽りのない感情、考えをそのまま表現できる自由と、勇気をこれからは大切に、命がけで大切に守ります。他人を喜ばせるだけに生きる人生なんて、死んでいるも同然だもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きけ、わだつみのこえ!

2006年04月09日 | 一般
人間の本性たる自由を滅ぼす事は絶対に出来なく、例えそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つという事は…真理であると思います。

上原良司 ・所感 より。

(「きけ わだつみのこえ」/ 日本戦没学生記念会・編)

--------------------------------------------

岩波文庫に所収された1995年新版の「きけ わだつみのこえ」の巻頭に置かれた手記です。上原良司さんは慶應義塾大学経済学部在学中に召集された学徒兵士で、1945年5月11日に沖縄嘉手納湾の米軍機動隊に突入して戦死されました。終戦まであと三月でした。改訂新版に際して、編者はこのように書いています。

「新版では上原の遺稿のうち『所感』と題する手記をプロローグとした。特攻出撃の前夜に認め(したため)られ、偶然にも軍の検閲を免れたものであり、それだけに、日本の敗北を目前にしながら死んでいかなければならなかった学徒兵の思いが端的に表現され、期せずして同世代の悲劇的な運命の証言ともなっているからである」。


「自由」という言葉には人間の心をかき立てる力があります…。


この文章はものみの当聖書冊子協会も以前に使いました。現状の不満から自分を解き放つ、何か崇高なもの、そういうイメージを持たせるのでしょうね。上原さんはこの「自由」という言葉にどんな思いを託していたのでしょうか。以下、「上原良司・所感」を引用します。どうぞみなさんが読み取ってください。

--------------------------------------------

所感

栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきを痛感しております。

思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、これはあるいは「自由主義者」と言われるかもしれませんが、自由の勝利は明白な事だと思います。人間の本性たる自由を滅ぼす事は絶対に出来なく、例えそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つという事は、彼のイタリヤのクローチェ(哲学者。1866-1952)も言っているごとく真理であると思います。権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には破れる事は明白な事実です。我々はその真理を、今次世界大戦の枢軸国家において見ることができると思います。ファシズムのイタリヤは如何、ナチズムのドイツまた、既に破れ、今や権力主義国家は、土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。

真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ、過去において歴史が示したごとく、未来永久に自由の偉大さを証明してゆくと思われます。自己の信念の正しかった事、この事はあるいは祖国にとって恐るべき事であるかもしれませんが、吾人にとっては嬉しい限りです。現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望は遂に虚しくなりました。真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。世界のどこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢みた理想でした。

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人が言った事は確かです。操縦桿を取る器械、人格もなく感情もなく、もちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば、彼らが言うごとく自殺者とでも言いましょうか。精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何も言う権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめん事を、国民の方々にお願いするのみです。

こんな精神状態で征った(いった)なら、もちろん死んでも何にもならないかもしれません。故に最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。

飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も働きます。愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

明日は出撃です。

過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。なにも系統だてず思ったままを雑然と並べた事を許してください。明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼をお許しください。ではこの辺で。




出撃の前夜記す




*自由主義…「自由」と「自由主義の理念」を「人間性・人間の本性・唯一の理想」とされたこの思想を、当時口にすることは「国賊」、「非国民」を自ら宣言するに等しかった。

*特攻による艦船の被害は、米側資料で沈没16隻、損傷185隻で、敵艦への命中率は1ないし3%といわれている。特攻による戦死者数は、海軍が2,527名、陸軍が1,388名と記録されている。

(「きけ、わだつみのこえ」/ 日本戦没学制記念会・編)

--------------------------------------

上原さんが「自由」という言葉にイメージしておられたのは、「権力主義国家」の統制からの自由でした。イタリアとドイツの崩壊に言及したあと、「今や権力主義国家は、土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります」と記述したのは、明らかに「大日本帝国」を意識していたと、見て取るべきでしょう。「自由」ということばはそもそもどういう概念なのでしょうか。広辞苑は「自由」という単語の意味だけでなく、その概念も簡略に説明しています。第3版から引用してみます。

---------------------------------------

一般的には、何かをするときに障害(束縛・強制など)がないこと。自由は、こうした条件からの自由であるから、条件次第でさまざまな自由がある。無条件的な絶対の自由というものはない。

何かをする自由は、障害となる条件を除去、緩和することによって拡大するから、人間の目的のために自然的・社会的条件を統制することも自由と呼ばれる。この意味での自由は、自然・社会の法則を認識することによって実現される。
イ) 社会的自由。社会生活で、個人の行動が他の勢力によって妨げられないこと。歴史を通じて成立するようになった社会的自由として重要なものに、①市民的自由と、②政治的自由がある。①は企業の自由、契約の自由、財産・身体の自由、思想・良心の自由、言論・集会・結社の自由などを指し、②は参政権その他政治的目的のための行動の自由を意味し、両者ともにそれらに対して国家権力の干渉がないことを意味する。
ロ) 自由意志。個人の意志が他から束縛されないで、自由に思慮・選択・決定すること。
ハ)倫理的自由。自律と同意。意志が、自然的・感性的欲望に束縛されないで、理性的な道徳命令に服すること。

【自由主義】近代資本主義の成立とともに、17~18世紀に現われた思想および運動。封建制・専制政治反対し、①経済上では企業の自由をはじめとして、すべての経済活動に対する国家の干渉を排し、②政治上では政府の交替を含む自由な議会制度を主張、個人の思想・言論の自由、信教の自由を擁護するものであり、英・仏・米における革命の原動力となったが、19~20世紀に発展してきた労働者運動の民主的要求には応えることができず、その圧力の下で種々変容を遂げている。

【自由放任】18世紀中葉以後、行われた経済政策上の主義で、経済上の事柄について国家または政府はできるだけ干渉を避け、自然の成り行きに任せるべきであるとすること。

(広辞苑・第3版)

-----------------------------------------

全体主義とは、つまるところ、少数の意向のために多数がその道具にさせられることです。おなじ人間であれば、道具にされるほうにもそれぞれの意志、希望、夢があるのですが、それらはたとえば明治憲法下の日本においては、皇国民としてふさわしくないとされ、弾圧されました。日本国民であるならば、皇運を発展させることのために、自らの命を賭け、「蛮勇を振るって(教育勅語)」、自分を犠牲にしなければなりませんでした。それは特攻隊のパイロットが、飛行機に搭乗した瞬間から「機械の一部」となって、「人格も感情も理性もなくなってしまう」という表現が物語っているように感じました。その代わり特典はつけてもらえます。お国のために自分を犠牲にすれば、靖国神社で祀ってもらえる、というわけです。

上原さんが、「自由の勝利は明白な事だと思います、人間の本性たる自由を滅ぼす事は絶対に出来なく、例えそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つ」と言った場合の「自由」は、間違いなく、広辞苑第3版で説明されているところの、「市民的自由」、特に「財産・身体の自由、思想・良心の自由、言論・集会・結社の自由など」を指しているに違いありません。「人間の本性たる自由は絶対に滅ぼせるものではない、たとえ一時的に抑えこまれているにしても、底のほうでは常に闘いつづけており、最後にはかならず勝つ」という「真理の普遍さは、…今、日本の現実において証明されている」と上原さんは看破されました。そして、「このことは祖国にとっては恐るべきことだ」。

明治以来、日本の目標は欧米列強と対峙できる強大な帝国となることでした。明治政権は江戸時代の武士教育を受けた薩摩・長州藩士出身の人たちです。江戸時代には幕府は一貫して、人民の権利を尊重どころか、認めることすらしませんでした。以前にも書きましたが、儒教教育によって、身分は自然の摂理同様であり、農民・平民、賎民として生まれついたら、その人生を全うすべしと固く信じきっていました。しかも農民から年貢は搾り取るので、江戸時代は一揆の時代でもありました。決して一般に言われるほど「泰平」であったわけではありません。戦がないから平和であるとは言えないのです。「農民は生かさず殺さず」、「民は寄らしむべし、知らしむべからず」という方針に見られるとおり、自分たちの享楽のためには、人民の人権を平気で蹂躙する人たちですから、開国維新と時代が変わったら、即座に朝鮮、中国の搾取に取りかかれたのでしょう。

国のあり方を考えるために、岩倉具視を団長とする使節団が欧米に送られたことは前に書きました。で、結局岩倉使節団はどんな感化を受けて帰ってきたのでしょうか。

---------------------------------------

彼らは欧米諸国をまわってみて、西洋もけっして自由平等ではなく、かのフランスでさえも、「大統領チェールなる者は、断然不撓、圧制し居り、さすが豪傑」と政府の権威の強大なことのみに感服した(大久保利通)。政府中の最進歩派をもって自他ともにゆるした木戸孝允は、旅行中にたえず故国の「軽々進歩」に反対の手紙を書いている。彼らは、英国へ行き、国を富強にするには、自由が専制に勝ることを聞かされたが、「英米仏等は(日本よりも)開化登ること数層にして、(日本がいくらまねようとしても)及ばざること万々なり」、「依て普(プロイセン)魯(ロシア)の国には必ず(日本の)標準たるべきこと多からん」と考えた(大久保利通)。ことに1871年の対仏戦争に勝利したばかりのプロイセンのビスマルク政権には、使節団一行は心から魅了され、これこそ「富国強兵」の手本と信じた。

彼らはまた大工業を急速に興す必要を強く学んだ。
「何方に参候ても地上に産するもの一物もなし。ただ石炭と鉄のみ。製作品は皆他国より(原料を)輸入して之を(加工して)他国に輸出するもののみなり。製作場の盛んなることはかつて伝聞する所より一層まさり、至る所黒煙天に朝し英国の富強なる所以を知るに足る(大久保利通)」。「凡そ欧米諸所の景況を窺候(うかがいそうろう)に小製造の多きは却って其利少なく、絹にても力を集め致さず候ては、所詮大なることはむつかしく候(木戸孝允)」。

ここに明治政権の目標が定まる。古い形の封建制の固執ではないが、さりとてブルジョア民主主義の英・米・仏でもなく、「帝権盛んな」文武官僚の支配するドイツ(プロイセン)とロシア、とくに日本と直接利害対立がなく、工業化も進んでおり、旭日昇天の勢いのドイツが、日本の手本とされる。

(「日本の歴史・中巻」/ 井上清・著)

------------------------------------------

フランスで、人民が圧政下にあるのを見て、人民に共感するよりも、そういう圧制をおこなう為政者を「豪傑」と賞賛する感覚は、まさに江戸時代の武士だな、と思い、とても不快に感じます。だから、進歩派の木戸孝允でも、「軽々進歩」を行わないように手紙で知らせました。儒教教育で培われた感覚ではデモクラシーはとても受けつけられるものではありませんでした。英米仏は民主主義を開発してきた歴史があって、そういう国柄となっているが、日本はまた違う国柄だから、民主主義など真似できない、と大久保は言っています。第一、国威を発揚するという無意識下にさえ根ざした暗く深い動機があるので、民が自分の思うままに人生を謳歌させることはできないのです。国を挙げて国威発揚、富国強兵を目指して、儒教の教えの下に、身分をわきまえ、人民は低い身分の者として、高貴な天皇の皇運のために生きるという考えを持たせなければならないのでした。

そこで重要なのが教育でした。

-----------------------------------------

どのように整備された官僚制と軍隊があっても、人民の精神的支配がなければ、権力は安定しない。その精神的支配のために、政府は天皇の神格化につとめ、また義務教育をはじめた。

天皇政権成立当時には、人民の大多数は、天皇が何者であるかも知らなかった。1868年3月、新政府の九州鎮撫総督が発した諭告は、「この日本という御国には、天照皇太神宮様(要するに、アマテラスさんのこと。何と読むのかは分からない)からお継ぎあそばされたところの天子様というものがござって…」と、人民に「天子様」の存在を知らせることから、はじめねばならなかった。1869年2月、奥羽人民が各地で一揆をおこしたときも、政府は「天子様は天照皇太神宮様の御子孫様にて、…神様の御位、正一位など国々にあるも、みな天子様のお許しあそばされたものにて…」と、天子様は「正一位稲荷大明神」より偉いことを教えている。

天皇への畏服を国民にしみこませるために、五節句そのほか民俗的伝統に根ざした祝祭日は国家の公的制度からは外され、新たに、1月1日天皇が四方の神々を拝する四方拝、天皇の誕生日(天長節)をはじめ、天皇および神道と結びつけた祝祭日制度がつくられた。たとえば春秋の彼岸という民間の祝日も、天皇が祖先を祭る国家の祭日(皇霊祭)という意味づけをされた。また、1873年(明治6年)1月1日から太陽暦が採用されたが、この年、『日本書紀』に神武天皇の即位とある日(辛酉年1月1日)を、太陽暦に「換算」したと称して、2月11日を日本国の始まった祝日「紀元節」とした。神武天皇は実在の人物ではなく、したがってその即位の日なるものも架空の日である。またその日はどんな暦法による日でもない創作であるから、それを太陽暦に換算する科学的方法はありえないのに、「換算」したという。

政府はまた神道を事実上の国教とし、1869年には神仏分離を令し、1870年から「神道皇道による大教宣布」なるものを大々的にはじめた。これとならんで、1872年に、政府は学制を定め、全国の市町村に必ず小学校を設け、男女ともに小学校に入れることを親の義務とし、それを怠るものは処罰した。学校の建設、維持、教師の給与等はすべて市町村民の負担で、児童一人につき一ヶ月50銭までの授業料を取ることも認めた。大雑把な推計であるが、1878年の有業人口一人平均の年間所得がわずかに21円しかないのに、年額6円もの授業料は、民衆にはどんなに重い負担であったことか。徴兵制の反対と並んで、義務教育の負担に反対する大一揆が各地で起こったが、それも当然であろう。



さいごに、国民の精神的支配のための原理として明治憲法発布の翌1890年(明治23年)10月、「教育に関する勅語」が発布された。これは軍人勅諭につぐ天皇の国民への直接の訓諭である。

教育勅語は、天皇の祖先が宏遠の昔に国をはじめ、国民の道徳を深厚に打ち立てたといい、国家と天皇と道徳の根源とを一体化し、天皇への忠と親への孝を道徳の根幹とし、儒教倫理の徳目をならべ、また国憲を重んじ国法に従い、勤勉に働き、戦争の際には天皇のために勇敢に戦い、天地とともに天皇が栄えるよう、全力を尽くせという。

これには「愛国」という道徳はなく、国民の権利や自由や平和は一字も出てこない。これより教育統制は、微にいり細をうがつようになる。1896年には学校の式日に「君が代」その他を必ず歌うことまで制度化された。「君が代」は1880年制定の天皇賛歌であって国歌ではなく、当初は宮中と軍隊だけで歌われていた。

教育勅語はいっさいの学校教育の基本原理とされただけでなく、国民の精神生活の最高のおきてとされたが、道徳ないし精神生活の原理を君主がその祖先以来の伝統として定め、国民に強制することは、近代国家には例のないのみか、キリスト教の支配した西洋の絶対主義にもない。これは近代天皇制の古代アジア的専制主義の側面を示すものであった。これによって、明治維新以後ようやく芽生えていた学問・思想・信仰の自由は、おおいに妨げられた。宗教ではキリスト教、学問では社会科学、とくに日本歴史学が、最大の被害を受けた。第二次世界大戦で敗北するまで、日本国歌の期限の科学的研究や国家神道の批判やそのほか皇室に不利な歴史的研究を公然と発表することはできなかった。学校教育では、日本国は天皇の祖先の神々がつくり、その神の子孫である天皇が永遠に日本を支配するものと定まっており、天皇中心に日本歴史は進んできたという、系統的な虚偽を説くことを強制せられた。これが日本人の、歴史についての科学的な知識と考え方の発達をおしとどめた害ははかり知れない。その余毒は現代(この本は1965年10月発行開始)もなお広く強く残っている。

(「日本の歴史・中巻」/ 井上清・著)

----------------------------------------------------

こうして、皇民として育てられ、皇運のために人生をささげる生きかたしか知らない日本人のありようそのものが、真理ではなかったものとして滅亡してゆく、このことは祖国にとって恐るべきものだが、人間の本性である自由は最後には必ず高く掲げられ、人々に受け容れられるようになると、上原さんは書き遺したのでした。

「愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望は遂に虚しくなりました。真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。世界のどこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢みた理想でした」。

上原さんも、日本人として欧米に引け目に感じない、胸を張れる日本を築きたかったのでしょう。それは明治政府の官僚たちにも共通した想いでした。でもそのために取った方針に間違いがあったとしか結論できないでしょう。日本がアジア諸国に与えた害、また自らに被った被害を考えるならば。植民地を搾取する帝国としてしか道がなかったのではありません。不幸にも明治の官僚たちが徳川に教化された武士階級上がりの人間であったこと、儒教の原理主義的な考えかたに凝り固まっていた人たちであったこと、そのために民主主義への理解がされなかったのでした。日本は戦後も、民主主義がきちんと尊重されることが少なかったようです。教育勅語への反省から、教育基本法が制定されましたが、戦争責任をきちんと果たす事がなかったため、戦前の教育を受けた人々が政界に復帰し、しきりに教育基本法改訂、憲法改訂を主張し続けてきました。教育現場では、教育基本法を骨抜きにするような法制が定められ、憲法を嘲笑するように違憲立法が制定され、今日、ついに改定目前に来ています。

広辞苑第3版で、「自由」という言葉の定義としてこのような説明がありました。

「【自由主義】近代資本主義の成立とともに、17~18世紀に現われた思想および運動。封建制・専制政治反対し、①経済上では企業の自由をはじめとして、すべての経済活動に対する国家の干渉を排し」

経済上の企業の自由、企業活動への政府の干渉を最小限にあるいはまったく放任されることへの希望が、表面的には矛盾するように見える国家主義と結びついて、ナショナリストたち悲願の教育基本法と憲法の改定を強力にバックアップするようになりました。今や、自由市場主義路線が憲法改正、教育基本法改定を進める強力な力となったのです。それとともに、国民の間でも、長引く不況や東アジアでの緊張が不安を生み出し、安心を求めて力の支配を受容する素地が醸成されました。拉致問題などが北朝鮮への脅威をはっきりさせましたが、時に、財政改革のために老後の人生設計が見えないことから来る国民の間の不安を、その北朝鮮への脅威にすりかえようとしているんじゃないかと思うことがあります。

特攻隊員の上原良司さんは、世界で胸を張って歩けるような、そんな日本を思い描いておられました。でも経済大国となった80年代後半に、日本が世界から高い信頼を勝ち得たとはいえないでしょう。むしろ湾岸戦争でひどくプライドが傷つけられていたようです。自衛隊を派遣できないことで、引け目を感じる状況が生じました。あのときに憲法9条はかなり嫌悪の情を持って見る人がいたように思います。でも軍事介入ができるようにしても、経済力回復のために教育を利用しても、日本は、上原良司さんの思うようには胸を張れないでしょう。そして今この時のように、人権と平和が、国家の威信や、経済力の回復よりも軽視されてはいても、上原良司さんは真実を突いておられます、それは「自由」というものは、「人間の本性である」ゆえに、「絶対に滅ぼすことは出来ない」、「底においては常に抑えつけるものと闘い、必ず勝つ」ということが普遍の真理であると。わたしたちは天皇家の「御栄」のための奉仕者として生まれてくるわけじゃないし、国家経済の膨張のための奴隷となるために生まれるのでもない、ましてどこに存在するわけでもないエホバのための奉仕者となるために生まれるのでもない、わたしたちひとりひとりは、自分に授けられた人間としての人生を、たぐい希な機会を精いっぱいエンジョイするために生きるんです。この主張をすることが、上原さんの死を無駄にしないで生きることだと、わたしはこういう信念を固く抱いています!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある災害ボランティアのはなし

2006年04月02日 | 一般
インド洋大津波を覚えておられますか。津波のもようが生々しくTV放映されました。人が流されてゆく映像があってわたしはとてもショックを受け、呆然としてしまったのでした。

「2004年12月26日午前8時(現地時間)頃にインドネシアのスマトラ島北西沖で起きた大地震と、それにともなう大津波によって、インドネシアのみならず、インド洋沿岸のインド、スリランカ、タイ、マレーシア、モルディブ、そして東アフリカ諸国などに大きな被害がもたらされました。死者・行方不明者はおよそ23万人、津波から半年たっても避難生活を余儀なくされている人々の数は百数十万人にのぼると見られています」。(「あなたにもできる災害ボランティア・津波被害の現場から」/ スベンドリニ・カクチ・著)

しばらく堅苦しい話が続いたので、今回はひとつ、ヒューマン・ドキュメントをご紹介します。インド洋大津波の被害国の一つ、スリランカでの実話です。スリランカはインドの脇にぶら下がるように位置している、北海道よりひとまわり小さい島です。ここでは津波によって3万数千人の死者・行方不明者が出ています。2005年12月現在でも多くの人がテント生活などを強いられているそうです。

スリランカは、シンハラ人、タミル人、ムスリムの人々が住む多民族国家で、とくに分離独立をめざすタミル人組織と政府の間でおよそ20年にわたって内戦が続いていましたが、2002年に停戦合意が成立し、現在、和平への努力が続けられています。長年にわたって紛争の場となってきた北部や東部は、内戦と津波という二重の打撃を受け、分離独立派の支配地域には十分な復興支援が行き届かないという問題も起きているそうです。

そんな中で、組織からは離れて、個人で救援を行われた、ひとりのデンマーク人の男性の話です。

-----------------------------------

コスゴダは、津波に襲われたスリランカの海辺沿いにある漁村です。漁業や小さな観光ビジネスで生計を立てていた村の平和な暮らしは、2004年12月26日の津波で破壊されてしまいました。

背が高く日焼けしたデンマーク人、ジャニック・クリステンセンさんは、この村の人たちから、「われらの天使」と呼ばれています。「津波で何もかも壊されてしまって呆然としているとき、ジャニックさんが車に救援物資を山のように積み込んでやって来てくれて、どんなにうれしかったことか。しかも、そのあと何ヶ月も続けて助けに来てくれました。だからわたしたちは彼のことを『天使』と呼ぶのです。もし彼が来てくれなかったら、わたしたちは生きのびることはできませんでした」と、70歳になる漁師のヴィマラダサ・ソイザさんは言います。

ジャニックは、妻とふたりの幼い息子と二年前からスリランカで暮らしていました。それまではデンマークの首都コペンハーゲンで人気のあるジャズ・バーのオーナーとして店を切り盛りしていました。けれども大手ビールメーカーに勤めている妻のブリジッドがスリランカへ転勤することになったため、店は友人に任せて、一緒にスリランカに行くことにしたのです。

ジャニックは、スリランカでの暮らしを待ち望んでいたと言います。スリランカへは以前にも来たことがあり、その南国のみずみずしい美しさと長い歴史を持つ伝統的な文化に関心を抱いていました。ですから民族間の対立があるとはいえ、スリランカで暮らし、この国の人々と知り合えると思うとワクワクしたそうです。ブリジッドの仕事はフルタイムだったので、ジャニックが育児と主夫の仕事を引き受けることにしました。これはまさに人生の新しいステップでした。

スリランカに到着した一家は、大都市コロンボ郊外にあるバタラムラ地区に落ち着きました。そこは都会の喧騒を嫌う外国人駐在員たちに好まれている高級住宅街です。しかし、ジャニックは、ここで普通のスリランカ人の生活とかけ離れた、典型的な外国人駐在員のような生活をする気はありませんでした。まわりの金持ちたちの贅沢な暮らし方よりも、飾らないライフスタイルのほうが自分にあっていると思ったのです。そして手のかかる幼い子どもがふたりいるので、働きに出ることなく家庭生活に専念することにしたそうです。ジャニックには、ひとつ大事な目標がありました。それは、スリランカの人たちと交流することです。そのための第一歩として彼は、スリランカ南部・中央部で主に話されているシンハラ語を習い始めました。「質素で地道な暮らしぶりのスリランカの人たちといると、心がなごむのです」と、ジャニックは言います。

(「あなたにもできる災害ボランティア・津波被害の現場から」/ スベンドリニ・カクチ・著)

-----------------------------------------

このジャニックさんの生きかた、人生観というものに、わたしはとても惹かれました。わたしが理想としている考えかたなのです。ジャニックさんは、妻が仕事で海外へ、しかも生活水準の高いヨーロッパから途上国のスリランカへ転勤になったとき、妻に仕事を辞めろと強要することはしませんでした、どこかの国の男性のようにね。しかもジャニックさんご自身は、スリランカへ行けば失業することになるのです。ジャニックさんは、妻の仕事を柱にすることに決め、ご自身は手のかかる年ごろの子どものため、「主夫」としての役割を引き受けられました。

ここには、アメリカ式の伝統的な福音主義的キリスト教の厳格な役割意識やしきたりにとらわれない思考があります。ジャニックさんはアメリカ人ではありませんが、ここでわたしが「アメリカ人のように」と持ち出したのは、アメリカ人はヨーロッパに較べ、たいへんに時代がかったキリスト教の教条に厳格に従う風潮を守るからです。大陸から先住民を殲滅に近いやり方で駆逐し、異文化圏にアメリカ流の原理主義的民主主義を押しつけるのも、福音主義的な使命感に駆られての思考、行動なのです。この辺のところも書くつもりですが。

またもちろん、東洋の儒教が教えるように、女性は家庭で召使いの地位に甘んじさせようというしきたりにもとらわれないのです。社会の伝統的なしきたりにあてはまろうという意識ではなく、人間主体の意識があります。重要なのは人間の家族が限られた人生の時間をもっとも満足のゆくように生きることです。ですからジャニックさんご家族は状況に応じ、臨機応変に対応したのです。奥さまのブリジッドさんもとても自立した女性でいらっしゃるようで、男性だからこの役割であるべき、女性だからあの役割であるべきという思考にもとらわれません。このような自由な思考を生みだす価値観というものが少し明らかにされていますね。ジャニックさんご家族はお金持ちの外国人が多く住む高級住宅街ではなく、スリランカの人々の市井に融けこんで行こうとされました。ここにも、西洋流の物質中心主義ではなく、人間主義ともいえる価値観が伺えるのです。人間の生の充足は、人間との良質な交流にある、ということを理解しておられたのでしょう。

日本でもアメリカでも、ヨーロッパの上流社会でも、そしてエホバの証人たちも、一人前の成人というのは社会のしきたりに従順で、ぴったり枠型にあてはまっていることという意識があります。欧米型の社会でのしきたりはたいてい、大きな企業の企業人として成功していること、あるいは高級な官僚、政治家、または学術、芸術、芸能その他で名声を得ていることを評価します。多様な生きかた、ありかたを寛容に認めないですね、特に日本では。エホバの証人に至っては、組織に認められ、何かの「特権」を割り当てられていなければ、「誉のない目的のための器」と暗黙のうちに見なされ、未熟者のように扱います。

(ルナ註:エホバの証人の成員が大人としての敬意を払われるためには、巡回監督に認められなければなりません。巡回監督が「特権」を割り当てるためには、布教のためにもっと時間を割くように、仕事を辞めることになっても、と暗にほのめかせば、愚かな男性は「特権」を得るために仕事を辞めて、ある人は正職にも就かずに布教に走り回ります。その代わりに妻が生計を支えるのかと言えば、「妻は家庭を与るのが女の務め」なのでやはり正職に就きません。そうすることが信仰のある選択肢なのです。一に、生活はエホバが顧みてくださるという信仰、二に、世界の終わりが近いので世俗の業務からは遠ざかっているほうが「安全」だし、世俗の業務から遠ざかるのは、世界の終わりが近いことを本当に信じていることの証しと見なされるからです。かなり極端な解釈ですよね、これって。)

でも人間が持つ意欲、目的は何も「成功した企業人」でなければならないわけではありません。生計を立てるためにはどこかの会社に勤めるか、自分で商売を立ち上げるかしなければなりませんが、自分の人生を満足させるものは必ず会社経営や企業人である必要はないのです。近頃の若い男性は、お金がないからという理由で結婚に臆病になっているというニュースを以前見たことがあります。お金がないから女性を満足させる自信をもてないのだそうです。ここにも人間というものが見えていない現代人の未熟さが表れています。どれほど多くの夫婦が仕事に時間を取られて、お互いの交流が妨げられ、結果関係が冷め切ってしまったことか。それが原因で離婚に至るケースも多いのに。

人間は触れあうことによって、認め認められることで愛を実感し、安心する生きものなのです。必要なのはまず第一に相手の存在を認めあうことなのです。おカネを稼ぐことよりもまず、コミュニケーションのスキルを学ぶほうが現実的なのです、人間関係を深めたいのであれば。ジャニックさんはこのことをよく理解しておられます。だから人間とのふれあいを求めて、スリランカの市井の人々の中へ入ってゆかれたのでした。そのために地元の言語を学ばれたのです。コミュニケーションを図るためでした。瀬戸内寂聴さんは「生きることとは愛すること」と言います。要点を突かれています。ふれあうこととは相手を肯定すること、肯定することとは認めること、そして認めあうことが愛を実感させることなのです。ジャニックさんの人間味溢れる愛情は、スマトラ沖の地震による津波被害が生じたときに明らかになりました。

----------------------------------------

デンマークでその年のクリスマスを過ごしたジャニックの一家は、津波の3日後にスリランカに戻ってきました。津波のニュースを聞いて、助けを求めている被災者に何とかして援助の手を差し伸べたいと思いました。ジャニックはまず赤十字に連絡して、「自分はスリランカ南部のことをよく知っているので、救援物資を運ぶ車の運転手の仕事でもかまわないから手伝わせてほしい」と担当者に話しましたが、仕事はないと言われてしまいました。次に国連の災害援助活動への参加を申し出ましたが、すぐに返事をもらうことはできませんでした。

何かをしたいのに手立てが見つからずいらだちながらも、被災者を絶対に助けようと決意していたジャニックは、妻の勤務先の運転手をしているクムドゥさんに声をかけました。なぜなら彼は、コロンボの南約70kmのところにあるコスゴダという漁村の出身だったからです。話を聞くと、その村にはまだ救援の手が届いていないことがわかりました。そのことを知って、自分が働く場所はここだと決めたジャニックは、さっそく行動に取りかかりました。幼い子どもたちには、津波に遭って困っている人たちを助けるために、しばらく自宅を留守にすることになるけれども我慢してくれと言い聞かせました。

彼はデンマークにいる友人たちに連絡して、自分が行う救援活動のための資金を寄付してくれないだろうかと頼みました。友人たちはみんな快く寄付に応じてくれたそうです。誰もが被災者のために何かをしたいという思いを強く持っていたからだとジャニックは言います。こうして数千ドルが集まりました。

そこでまずジャニックは、被災者が緊急に必要としているものを援助することに全力を注ぎました。そして、まさに「天使」のように、被災者の村に現れたのです。彼が運転する赤いジープには、食料、衣料、調理道具、石鹸、ろうそく、ござ、枕といった救援物資が積まれていました。その時のようすをジャニックはこう話します。
「コスゴダに着いたとき、数百人の被災者が目の前に現れました。炎天下、何の家財道具もなく野宿していた人たちですが、救援物資を手に入れようと、わたしの方に向かって駆け出してきました。そして怖ろしいことに、物資を奪い合ってケンカが始まったのです。それで、その次からはこのようなことが起きないように、村長に取りまとめをお願いしました。村長が被災者名簿を作り、もんなに整列してもらってから救援物資を配るようにしたのです」。

年が明けてから、ジャニックは「サルボダヤ・シュラマダナ運動」にも参加しました。シュラマダナとは、シンハラ語で「地域のために共同作業をする」という意味で、井戸掘りや道路整備など、住民が身近な生活環境を改善してゆくために共同で行う地域活動です。ジャニックはスリランカ人たちの大きなグループに加わり、津波で校長が亡くなり、校舎もめちゃくちゃに壊れた学校の修復作業をしました。参加者の中で、ジャニックはただひとりの外国人でした。作業が終わるまでの二日間、彼はスリランカの慣習に従ってご飯とカレーを手で食べ、学校の硬いコンクリートの床に敷かれたござの上でみんなとざこ寝をしたのです。村の人たちは誰もジャニックがそのようなきつい生活に耐えられるとは思わなかったのですが、その予測は見事にはずれたのでした。 「べつに無理をしたわけではありません。いつも言っていたことですが、ただみんなといるだけで僕は幸せなんです。そのことをようやくみんなにわかってもらえました」。

学校の修復を終えると、次の仕事は村の井戸の浄化作業でした。住民は主に井戸の水を飲料水として使っていましたが、津波のせいで海水や遺体が井戸の中に入り込んでしまっていました。そのために井戸はにごって悪臭を放ち、飲むことができずに水不足が起きていました。飲料水は生きてゆくための必需品ですから、ジャニックはすぐに手を打ちました。デンマークの友人たちからの寄付金を使い、村の人たちを雇って作業チームをつくり、国産ポンプを6台購入して井戸を浄化する仕事にかかりました。ジャニックはこう説明します。 「僕は、住民にとって最も必要なプログラムを支援することにしました。津波の後、決定的に重要なことは、人々が一日も早くふだんの生活に戻れるようにすることです。僕はそのために寄付金を使うことに決めたのです」。 こうして井戸は再び使えるようになりました。

井戸の浄化作業が終わると、こんどは家屋の建設に取りかかりました。全壊した家ではなく、部分的に崩壊した家だけを再建することにしました。それがもっとも現実的な方法だったからです。 「新しい家をゼロから建てるのは、自分には荷が重すぎると思いました。予算も時間もかかりすぎます。ですから、次善の策として、すぐに再建できそうな半壊の家に的を絞ったのです」。 この計画は非常にうまくいき、66件の家が短期間で修復されました。井戸の浄化作業のときと同じように、地元の人を建設作業員として雇い、建設資材の大半を地域の店で購入することで、困窮した村の人たちに収入が入るようにしたのです。

「おそらく緊急の救援活動で最もむずかしいのは、その地域の住民が全員困っている中で、誰が援助をより必要としているか、誰にはそれほど緊急性がないかを決めることです。そのために、僕はあたかも神さまのようになって采配を振らなくてはなりませんでした」とジャニックは少し深刻な表情になって説明しました。

外国から殺到した寄付や援助には、周辺地域に住む多くの貧しい人々の関心も集まりました。そのため、津波の被害を受けていない人までもが、分け前にあずかろうと海岸地域にやってきたのです。また、受けとった救援物資の建設資材を家に持ち帰ってから、再度もらいに来てそれを市場で売ろうとする人もいました。 「ほんとうに困っている人だけがまちがいなく援助を受けるようにしなくてはだめだと思いました。村長は信頼できる人だったので、最終決定は村長と一緒に行いました」とジャニックは言います。

ジャニックの仕事がどんどん進むので、おおぜいの津波被害者の救援に苦労しているNGOなど、他の援助ワーカーたちからうらやましがられました。彼らのような従来どおりの活動をしている人々から見ると、ジャニックは新しいタイプの援助ワーカーでした。組織にとらわれず、自らのアイデアを自らの意思と行動力だけで実行し、人々の直接のニーズに応えるプロジェクトを最小の経費でてきぱきと進めてゆくのです。 「僕のように、救援活動では新米の個人ボランティアたちは、自分たちだけでさっさと仕事をしてしまうので、援助ワーカーならぬ『援助カウボーイ』とNGOの人たちからあだ名をつけられたんですよ」。

こうした「カウボーイ」が成功した理由は、個人の判断で働くことによって、多くの組織をしばっている政治的配慮や合意のシステムにとらわれることなく、迅速にものごとを決めることができたからでしょう。その結果、ジャニックたちが再建した家の費用は、政府や他の大きな国際NGOが行う大規模プロジェクトに較べて格安でした。ジャニックのような個人による活動の規模は小さいですが、彼らの知恵と地元の人に対する熱意に支えられた効率的な活動は、今後の救援活動を成功させるうえでの教訓となるはずです。

ジャニックさんは、このような真に被災者の必要な応えるボランティアを行うにあたり、いくつかのアドバイスを挙げてくれました。
☆ 常識を使おう。
☆ 自分自身を信じよう。
☆ 一緒に仕事ができるような信頼できる人たちの小さなグループを作ろう。
☆ 頭を使い、できるだけだまされないようにしよう。
☆ プロジェクトを始める前に、自分で下調べをしよう。
☆ 地元に人たちに声をかけ、人々の話を聞き、地元のニーズを知ろう。
☆ 地元の人々とうまく協力し、最大の効率を得るようにしよう。

(「あなたにもできる災害ボランティア・津波被害の現場から」/ スベンドリニ・カクチ・著)

----------------------------------------------------------

組織で行う救援はひょっとしたら、一部にトップダウン方式で行われるものがあって、地元の人々の真のニーズに応えられず、また被災者の心理的なサポートにも疎い場合があるのではないかと、想像します。よくあることですものね、そういうのって。この本にはほかに、池橋みね子さんという日本人被災者の経験も載せられていました。池橋さんはこのようなアドバイスをしておられます。

「トップダウン方式でボランティアの仕事を考えないようにしよう。ボランティアは人の上に立って弱者を助ける存在ではない。それでは自己満足になってしまう。長い目で見ると、人を助けることによって自分自身が助けられているのである。常に被災者の立場になって考えるようにしよう。それがボランティアの仕事を効率的にさせる」。

ここでも最も重要なのは「共感する」ということであるのが分かります。共感するのいうのは相手の感じ方、考え方、を受け入れると言うことです。消極的だとか言って、自分の基準で、もちろん聖書や宗教団体の基準で裁いたりせずに、マイナスの感情もそのまんま受け容れてあげることです。人間は自分の本当の気持ちを理解されてはじめて、自分は愛されていると感じるものだからです。傷ついたときに、そんな考え方ではダメだだの、こうあるべきだだのと説教されたのでは反感や敵意を醸成するだけです。

ジャニックさんは救援に当たって、目前で物資をめぐる争いを目撃しましたし、アドバイスで「だまされないように」と述べていることから、地元の人々の醜い部分にも多く直面されたことでしょう。しかしそれでもあきらめずに救援を続けました。誰かから表彰されたいからではありません。そのていどの動機では、地元の習慣で食事をとり、地元の労務者とともに硬いコンクリートの上でざこ寝したりはできないでしょう。人々から感謝されたいからでもありません。ジャニックさんは家屋の修復作業に当たって、選別を行われました。全壊の家の人々を救済するのを断念し、半壊の家のほうの修復に当たりました。効率を考えたのです。他人から感謝されたいだけではこのような決断はむずかしいでしょう。ジャニックさんは自分を押し出したのではなく、地元の人々のニーズをしっかり理解しました。地元の人たちにそれだけ共感されたのです。相手の立場や気持ちを汲み取るというのはほんとうに大切なことだと思います。

ジャニックさんにそれができたのは、やはり人生観が人間の本性に沿ったものであったからだとわたしは思います。誰かと競争して勝つことにしか、つまり誰かを打ち負かすことにしか生きがいを感じることができず、そのために生涯孤独な人生を生きる人とは違い、人々と共生する生きかた、価値観を持った人なのです、ジャニックさんは。わたしはこういう人が好きです。わたしもこのようでありたいです。というか、わたしには競争して相手を打ち負かすなんてことはできませんしね。 「あなたにもできる災害ボランティア・津波被害の現場から」は新書版の小著です。ジュニア向けに書かれたものですが、それは書き方がジュニア向けであると言うことであって、内容は大人にも訴えるものです。重みのある内容でした。みなさんにもぜひ読んでもらいたいな、と思う一冊でした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする