Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

人間性回復のために(9)

2005年09月05日 | 一般
「豊かさ」とは「ゆとり」を持つことができるということであり、「ゆとり」とは畢竟、自分にとって有意義な時間を過ごす、ということ。わたしは「ゆたかな人生」とはこういうものである、と考えます。20世紀の終わりになってからこっち、多くの在野の経済学者たちも同じようにおっしゃておられます。

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山崎正和はその著「柔らかい個人主義の誕生」のなかでこう書いている。

「消費とはものの消耗と再生をその仮の目的としながら、じつは、充実した時間の消耗こそを真の目的とする行動」である、と。

「充実した時間の消耗」をもたらす手段としての財(ルナの註:商品等を指す経済学用語と思われる。「思われる」ですよ、あくまで…)・サービスという発想は、それを可能にするような環境への関心を呼び起こす。

…(難解な数行をカット)…

逆に、そうした環境を欠いたとき、財・サービスの増大そのものは、何ら豊かさを保証するものではないかもしれない。それにもかかわらず、戦後の経済成長の過程を通じて、われわれは財・サービスの生産増大こそが豊かさの実現であるとする思考のスタイルを、ほとんど疑うことなしに持ち続けてきたようである。

ここに、興味深いひとつのデータがある。朝日新聞社がこの数十年にわたって行ってきた世論調査によれば(「ザ・ニッポン人」 / 朝日新聞社世論調査室編・1988年)、

「日本は豊かか?」という問いに対しては、「豊かである」と答えた人の比率が、
1971年の   35%  にはじまり、
1977年には 64% でピークに達し、
1986年には 56% と若干下がっている。

一方、「あなた自身の暮らしは豊かか?」という問いに対しては、「豊かではない」という答えが、
1971年の 38% から、
1987年の 62% へと急上昇している。

「国」の豊かさと「個人」の豊かさとの、この際立ったギャップは果たして何を暗示しているのであろうか。財・サービスの生産増大といった、国の富の成長は必ずしも国民個人個人の「充実した時間の消耗」に結びつかないということではないか。豊かさの問題を「充実した時間を過ごすこと」という発想を軸として、あらためて問わなければならない状況が生まれているように思うのである。
…(中略)…
戦後四十数年(1945年から上記の統計が取られた1987年まで)、経済成長は社会に豊かに財・サービスをあふれさせることに成功したものの、われわれに生活の豊かさ、会社から離れた個人としての充実した時間を過ごさせることには成功していないのである。

(「豊かさの孤独」 / 中村達也・著)

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この本は言い回しが難しいので、ナカナカですが、要するに金は稼げても、それで家族との時間が取れなかったり、家・土地が高くてもっと労働に時間を割かねばならないので、「時間のゆとり」は失われる一方である。それはけっして個人としては豊かではない、という趣旨です。時間にゆとりがなければ生きていることにしあわせを見出せない、という感想はエホバの証人の出版物でも取り上げられたことがありました。


*** 目88 2/22 25ページ しあわせを求めた漫画家 ***

人気が出るにしたがって,生活の仕方も変わりました。上京してアパート暮らしをするようになってからは特にそうでした。仕事が終わるとバーやクラブへ行き,明け方まで遊んで,昼間は寝ているという生活の売れっ子漫画家たちをすっかりまねるようになっていました。

人気を維持するためには,より刺激的なものを描くと同時に,より多くの仕事をこなす必要があります。仕事が速いほうではないうえ,納得のゆくまでやるほうだったので,時間はいくらあっても足りませんでした。幾日も入浴しなかったり,1か月間部屋の掃除をしなかったりすることなど日常茶飯事でした。締め切り前には,30時間も40時間も続けて仕事をすることもありました。仕事のためにはどんなことをも犠牲にしました。

その結果,お金はあるのに,それを使う時間がないという欲求不満に陥りました。その反動でむだ遣いをするようになり,あまり着ることもない新しい服を毎月のように買い,どこへ行くにもタクシーを使い,一度にレコードを何万円も買ったりしました。それは空しさを強めたにすぎませんでした。

人気が物を言うこうした世界では,人気が上がるにつれて強烈なライバル意識がいやがうえにも強くなります。だれかが上がれば,だれかが下がります。ひとたびトップの座に就くと,他の漫画家は,自分をそこから落とそうとねらう敵にほかならなくなります。人気が落ちるとどうなるでしょうか。普通,一度上がった原稿料が下がることはないので,人気がなくなったのに原稿料だけ高い漫画家には仕事が来なくなります。忘れられてゆくのです。

私の味わった充足感はすばらしいものでしたが,華やかな漫画家の世界に私が見つけたのは,心の中を風の吹き抜けるような空しさや焦燥感でした。しかし,それを認めたくはありませんでした。

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この経験談の語り手は藤井由美子さんとおっしゃる漫画家です。じつは小学生の頃、わたしもこの方の「この」作品を愛読していたので、この経験談は親近感を持って読みました。この頃日本人の経験談というのが珍しかったのかもしれません。

ここにあるように、「お金はあるのに、それを使う時間がないという欲求不満に陥る」、つまり、エホバの証人ふうに言えば、「財産を持って自分を誇れるようにしても」生活を豊かにはできないということです。中村達也教授のご意見にしたがえば、豊かさとは「充実した時間を過ごす」ことにあるからです。しかも藤井由美子さんはゆっくりした時間を割くことはできなかったのです。人気を維持するためにはどんどん書いてゆくしかなかったのです。自分の書いた作品が評価されるという仕事上の成功は得られ、それはうれしいものの、商業の流れに乗っかっていたために、マイペースで仕事ができなかったため、仕事の成功に手放しで喜んでいられなかったということです。

しかも1980年代に入って、長時間労働はたいへんな社会問題にもなってゆくのです…。
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