Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

オピニオン・ブログって、しょせん「マスターベーション」に過ぎない?

2008年11月07日 | 一般
ここしばらく、更新していません。実は、ブログを書いている自分に今疑問を感じています。

わたしはもともとひとりのアダルトチルドレン(あるいは「メンヘラー」)として、人が人を支配する際の心理操作に興味を持ち、それを見極めようとしてこのブログを始めました。それはエホバの証人という宗教団体での経験がそうさせたのです。

でもマインドコントロールの手法について読んでいくにつれ、その手法は「宣伝」という形で、そして口惜しいことに、なんと「マスコミ報道」という形で、世の中でふつうに行われてきていることを知りました。さらに日本の社会の動きがまさに、人間から人間らしさを奪い去り、一部の少数の人間が多くの多数の人間を踏み台、あるいは捨て駒にして利益を追求するものであることに気がつき、衝撃を受けました。それなのに多くの人びとは抗議すらしない、それどころか「愛国」をはき違えて、自分たちを「搾取する」側を擁護すらするのです。まさに一億総カルト信者化という実態を目の当たりにしました。

とにかく酷い仕打ちが自分の身のまわりで起きている、しかもごく当然のことのように。ところがだれもそれに対して異議を唱えません。それどころか逆に、「自己責任」とか「甘え」とか、「日本人魂」みたいな精神主義っぽい言い方で起きている出来事を表現し、肯定的に捉えてゆくのです、ほかならぬ支配される側のわたしとよく似た立場の人びとが、です。

こんな残酷なアイロニー、この事態をブログを通してうまく表現してみようと、わたしは努力してきました。ではそれはどれほど成功しているでしょうか。




いいえ、むしろ失意を抱いているのです…。

「いったいこの個人的なブログで、読書してきた事柄をスクラップし続けることに何の意味があるのか。事態の進行にはまるで力がないのに…」。

「ひょっとしたら、わたしがやっていることはただの自己満足かもしれない」

…わたしはこういう疑惑を抱くようになりました。わたしがやっていることは、ただ単に「社会的アイデンティティ」を作っているに過ぎないのではないか…。

「今社会を動かしているフォース(force)は確実にわたし自身の将来を破壊して行っている。これは現実に起こっている動きだ。ここでブログを書いていることはこの現実への抗議になにか貢献できるのだろうか。世論を形成できるほどのアクセスがあるわけでもないのに…」。




PCの前に座って、文字を打ち始めようとすると、もう無力感に圧倒されてしまうのです。そう、これには遅々としてしか進まない作文作業のもどかしさもあります。一つのエントリーのためにいろいろ調べごとをする、その間にも次から次へとショックな出来事が起こってゆく。それは確かに一つの方向に向かって進んでいる。そしてわたしもこのブログも決して世論を喚起するのにまったく効力はないのです。

こんなことをしているのは、TVのニュース・ショーを見ながら評論家を気取るカモネギおやじと同じことでしかないんじゃないか…。いや、第三者の目から見るとおそらく「同じ」だろう。なんと惨めなことだろう。




でもオバマさんの勝利を見ていて、「PCのまえでえらそうな意見を吐くだけでは何も変わらない。わたしはもっと実効的な、そう、『行動』を起こさなければならないんじゃないだろうか…」、わたしはふと、そんなふうな示唆を受けたのです。

これはきっと、正解だ。PCのまえで匿名で意見らしいことを言うだけなら、責任を取らなくていい。でも行動を起こすとなると…そう、責任を自覚しなければならない。リアルな身体を働かせて、そう、実名で行動しなければ、自分の将来に何ほどかでも貢献できない。

これは、きっと、私自身の精神が社会の成員としての自分という自覚を芽生えさせているのだろうと思う。そうだ、きっとこれは間違いなく「成長」だ。わたしは四十代でようやく心理的に成人しようとしている。

大人になろう。心理的な大人にはもう少しだ。もっと具体的な行動のために、少ない時間を活用するべきだと、つよい衝動を憶える…ほんとうに。だって、自分の老後が想像力の射程距離に入ってきたから…。

コメント (7)
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