Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

再開・日本のアイデンティティ/揺らぐ幕府の威信と「挙国一致」の概念のはじまり

2009年11月29日 | 歴史

「日本のアイデンティティ」シリーズが中断したまま長らく放置されていました。もういちど仕切りなおして(前もこんなこと書いたような記憶が^^)、再開します。まずは、ペリーを浦賀へ派遣させるに当たり、持たせた当時の合衆国大統領ミラード・フィルモアさんの新書の抜粋をご紹介します。


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私(ミラード・フィルモア合衆国大統領)はペリー提督に命じて、余が陛下と陛下の政府とに対してきわめて懇切の情を抱いていること、および私が提督を遣わしたる目的は、合衆国と日本とが友好を結び、相互に商業的交通を結ばんことを陛下に提案しようとする以外の何ものでもない、このことを陛下に確言しようとしています。

私はペリー提督に命じて、陛下に以下のことを告げさせる。われわれ合衆国の多くの船舶が、毎年カリフォルニアから中国に赴いています。また合衆国の多くの人民が日本沿岸で捕鯨に従事しています。天候が荒れた際には合衆国の船舶の一部が貴国沿岸において難破することもたびたびあるでしょう。そのような場合には合衆国の救援が派遣されるまでは、難破した船舶のクルーを親切に遇し、その財産を保護してもらうことを貴国に期待し、また願いたいのです。私はこのことを熱望しています。

私はペリー提督に命じて次のことも告げさせます。私たちは、日本帝国内に石炭及び食糧が豊富であることを聞き知っています。われわれの汽船は太平洋を航行するに当たり、多くの石炭を必要とします。それをアメリカから直接補給するのは不便ですので、どうか合衆国の汽船及び船舶が日本に寄港して石炭、食料、および水の供給をいただけるよう許可していただきたいのです。


ミラード・フィルモア合衆国大統領親書 1852年11月13日署名

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19世紀には欧米では、テクノロジーと資本主義が発達し、蒸気機関が実用化され、市場を拡大しようとして世界中の海を行き巡っていました。今日まで続く、経済のグローバル化の思潮は欧米では19世紀にすでに成熟していたのです。すなわち、自国で作られた商品を世界中で売り、開発された外国市場からその国の原料や食料を持ち出して自国での販売・生産に使う、そののために市場を開こうとする外国の社会構造を作り変えさせる、という経済グローバリズム戦略です。この時代は(今も似たようなものですが)そのやり口が露骨で、軍事力の行使をためらわず、植民地化を強制していました。中国のアヘン戦争はその露骨なやり方の典型的な実例です。

事実、ペリー提督への指令にも、日本があらゆる説得にも頑として応じないようであれば、語調を変えて、断固とした態度をとる(=軍事行動も辞さない)と議会において決定していることを日本に政府に知らせるようにと明記されていました。アメリカはこういうふうに、自分たちの行動は議会の決定であると伝えて、恫喝するのを常套手段にしてきました。現在の沖縄基地移転問題でも、同様に恫喝を与えています。


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鳩山新政権は、日米安保条約に即した政策の取りかたについて多くの情報を持っている防衛官僚の助言に聞き従うべきだと述べたという。

「もし、そうした情報なしに、民主党が『沖縄政策を変える、インド洋から撤退する』などと言ったらほんとうに後悔する。…率直に言って米国側には、海兵隊や議会には、グアム移転に反対する人が多くいる。いったん計画が止まれば、計画自体がバラバラになってしまうだろう。(鳩山)民主党にとって、沖縄に関する現行政策に実現を延期しようとしたり、あるいは中止しようとすることは、日本にとって非常に危険なことだ」(マイケル・グリーン米戦略国際問題研究所日本部長/ 「朝日新聞」09年8月28日付け)。


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そして今も、ペリーの時代も同様に、軍事力の格差は歴然たるものでした。当時の日本にとって中国(当時は清帝国)はやはり大国でした。その大国が1842年、イギリス軍に大敗したニュースは幕府も知っていました。ペリーが来航する以前から、軍事対決では当時の日本では無理であることは知っていたのです。目の黒い大名たちはうすうす幕藩体制の改変の必要性に気づいたことでしょう。


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ペリー来航の一ヵ月後、水戸藩主、徳川斉昭(なりあき)は時の老中、阿部正弘に「海防愚存」と題する意見書を呈したが、そこでは次のように述べていた。

「和」ではなく、「戦」を国家の基本方針として定めるべきである。戦うという心構えを固めて、開国の要求を拒絶するべきだ、ただし「武家はもちろん百姓町人までも覚悟」を決めて「神国総体」の「心力一致」を実現することが肝要である、とこのように主張していた。

また8月末に、彦根藩主、井伊直弼が老中に提出した意見書(「別段存寄書」)では、将来の富国強兵を実現するための手段として開国を選ぶ方がよいと述べていたが、同時にいま重要なのは「人心を一致させる」ことであると述べていた。

開国をやむなしと述べていた直弼も、拒絶論の斉昭も、日本にとっての緊急の課題は「心力(=人心)一致」による挙国一致の体制を構築することであると主張していたのである。斉昭も直弼も直接には天皇と朝廷に言及しないが、挙国一致には天皇が不可欠の存在であるという意識の下で主張していた。

 

(「幕末の天皇 明治の天皇」/ 佐々木克・著)

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徳川幕府が敷いた身分制社会では、軍事は武家の仕事であり、民衆には与り知らぬこととされていました。ですからペリー来航騒動でも、民衆の方は武家方に比べややのんびりとした態度があって、わざわざ黒船を見物に来た町人の人だかりすらあったのでした。

ところが、強大な軍事大国アメリカの開国要求を突きつけられた幕府のほうは、いまや挙国一致でコトにあたらなければならぬ、挙国一致のためには天皇をかつぎ出す必要がある、と考えたのです。これまでの幕府と朝廷の力関係(幕府優位)が揺らいだので、意義の大きな出来事でした。そしてこの出来事から、「日本臣民」という概念の走りが明確に登場したのでした。

もうひとつ大きな変化は、幕府が独裁的判断をかなぐり捨て、ペリー対策について、幕府の役人や外様を含めた有力大名たち、そしてなんと一般民衆にさえ諮問したのです。もともと経済的には薩摩藩や加賀藩が富裕になって行ったのに比して、幕府財政は逼迫するようになっていました。幕府の威信はすっかり揺らいでいたのでした。この事件を機に雄藩諸大名が幕政に発言権を得るようになったのです。

諮問の結果、水戸の徳川斉昭は極右で攘夷論、薩摩の島津斉彬(なりあきら)と越前の松平慶永(春嶽・しゅんがく)は開国派、土佐の山内豊信(とよしげ)と宇和島藩の伊達宗城(むねなり)は中間派だったようです、最初のうちは。斉昭や豊信は後に開国論者に転向します。貿易から利益を上げられると踏んだからです。また、西欧列強の軍事力を取り入れたいという意図もありました。

雄藩大名やふだんは評定に加われなかった幕府役人たちに政治意識を持たせる原動力になったもうひとつの理由は、老中阿部正弘の開明さです。


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時の老中阿部正弘は、諸大名の意見を重んじ、オランダ教官を雇って、近代海軍学の講習をはじめ、それには幕臣のみならず諸藩士をも学ばせ、蕃書調所をもうけて諸藩の新知識人を登用するなど、諸藩と一致協力の政策を取ったので、彼の在職中は、改革派大名も幕府に期待した。

(「日本の歴史 中巻/ 井上清・著)


阿部老中は人材も集めた。老練な川路聖謨(としあきら)や、水野忠徳(ただのり)、岩瀬忠震(ただなり)をはじめ、多彩な能吏が下級幕臣から抜擢される。またこのころ、老中と海防掛のあいだで、(当時の習慣である身分差へのこだわりを越えて)率直な議論が交わされたという。阿部、(阿部後の)堀田という幕閣は、開明的な政権であった。

(「幕末・維新」/ 井上勝生・著)


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当時は、能力で幕僚に登用されるということはなかったのです。あくまで家系に従っていました。どんなに天然でも幕僚の家系に生まれれば、幕政を行いました。逆にどんなに有能でも、下級武士の家系なら幕政には与らなかったのです。

開明的な、目の黒い人物が指導部にいるなら、たいていの危機には対処できるのです。事実、わたしが中学生の頃は、アメリカの圧力に幕府は弱々しく振り回されるだけだったというような教えられ方をしましたが、最新の研究では幕府は大国アメリカに、小国の意地を見せた交渉を行ったという見方が主流になっているようです。この点は次の機会にご紹介しましょう。

現代日本はどうでしょうか。今も危機中の危機ですが、自民党の旧態依然とした施政にとって代わった民主党は「開明的」と評される仕事をするでしょうか。事業仕分けはたしかに画期的でした。自民党にはできないことです。さあ、では経済政策はどうでしょうか、対等な日米関係を公言しましたが、沖縄基地移転で強力なリーダーシップを取れるでしょうか。どうも鳩山さんは小沢さんに頭が上がらないようですし、政治資金疑惑でお尻に火がついているようです。あんまり頼り甲斐がないように思えてしまうのですが…。

 

コメント
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