Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

状況証拠だけで死刑判決を下してはならない! (上)

2009年04月26日 | 「世界」を読む
 

裁判員制度は、日本人にはまだまだ拙速な制度だとつくづく感じさせられます。

なぜかというと、最近の自白は警察の拷問に等しい心理的圧迫によるものである場合が多いし、被害者感情に便乗して、犯人視された人をよってたかってバッシングする傾向が強いと感じるからです。

特に、被害規模の大きい事件となると、犯人と目された人物を異常扱いするために、プライバシ-侵害など平気で行うマスコミの姿勢には毎回怒りを感じます。あえて扇情的な記事を垂れ流し、自ら垂れ流した煽情記事に自らが酔い、つまり、自分で垂れ流した扇情記事で自分を納得させてしまい、犯人視を固めてゆく、という心理の変化の流れを見ていると、魔女裁判を彷彿してしまうのです。

松本サリン事件がこの格好のケースとなっています。あの事件がきっかけで、毎日新聞などは反省をこめて事件報道を検証したりしましたが、どこまで取材に反映させているのでしょうか。和歌山ヒ素入りカレー事件は、松本サリン事件より3~4年後の事件でしたが、反省は口先だけだったのではないかという気がしてなりません。

 

わたしのうちでは、今は新聞を取っていないんです。インターネットでいろんな新聞を閲覧できますから、ね。日本の新聞はもう信用できないので、そんなものに四千円近くのおカネを月々払うのは無駄だと判断したのです。

今回のような犯罪を判断するに当たって、新聞をはじめ、TVニュースなどの「報道」らしき情報で心象をあらかじめつくってしまうのは危険です。裁判員制度をこのままはじまらせていいというのなら、少なくとも新聞、TVは見聞しないようにしましょう、とわたしは言いたいです。

 

人を裁くときの原則は、「疑わしきは被告人の利益に」というものです。

日本をはじめ、民主主議諸国では人権の保護を最大限に保障しようとします。死刑の廃止が民主主義諸国で広がっていっているのは、人を強制的に死に至らしめる行為が、まず、人権に反するからです。ですから殺人は犯罪なのです。しかし、殺人者に対してまた国家が殺害するなら、それは人権を奪う行為を自らが行ってしまうという矛盾を生みます。そこで、法で死刑を制定したり、さらに進んで死刑を廃止したりするのです。

まして無実の人にまちがって有罪の決定を裁判所が下してしまうと、その無実の人の幸福に暮らす権利はこれ以上ないくらい蹂躙されることになります。ですから、被告人が犯人であるということが疑う余地のないくらいに証明されなければ有罪としてはならないのです。このような考え方を、「疑わしきは被告人の利益に」という格言で表されています。つまり、被告人が犯人であるという確かな証拠がないのであれば、その場合は「無罪」という判決を下さなければならないのです。


----------------------------


でも、そうなると、本当は犯人なのに、うまくごまかしたために無罪になって、罪を免れる人が現れることが心配されるかもしれません。

しかし、たとえそのようなまちがいが起きたとしても、まちがって無実の人を罰してしまうよりはずっとましだと考えるのです。


(「新版・わたしたちと裁判」/ 後藤昭・著)

 


刑事裁判においては、犯罪事実の証明に関し、検察官が「挙証責任」を負う。すなわち、証拠調べを尽くし、提出されたすべての証拠をみても、ある事実があったかなかったか、いずれとも明らかにならないというとき、検察官側に不利益に、被告人に有利に事実を認定しなければならない。その場合、被告人に不利な事実、従って犯罪事実の全部または一部は、それが存在しなかったものとして扱われる。これを「疑わしきは被告人の利益に」の原則、という。

証明の程度としては、「証拠の優越」の程度では足らず、「合理的な疑いをこえる」証明、すなわち、普通の人ならば、疑いをさしはさむことはないであろうというほどの証明が必要である、とされている。したがって、被告人は、弁護人の助けを借りて、検察側の犯罪立証に少しでも疑いを生じさせることに成功すれば、有罪をまぬがれることができる。

このことは、万が一にでも、「罪のない者を処罰することを避ける」ための制度的保証としてきわめて重要である。

 

(「基礎から学ぶ・刑事法」/ 井田良・著)


----------------------------


「疑わしきは被告人の利益に」という考え方は、そのために真犯人の特定が遅れることになっても、それでも無実の人間を罰する、という、あるいは人権侵害を執行してしまうことの方を重大視して、それを回避する、という、基本的人権擁護の立場なのです。一方、状況証拠だけであっても、証拠の数が多いので、有罪であると断定が可能、と見るのは、とにかく殺人鬼を罰しなければならない、そのためにはプライバシー侵害にも目をつむるし、ひょっとしたら冤罪で数名を罰してしまう危険があるが、そちらには目をつむろう、という姿勢があります。この場合たいてい、被害者感情、遺族感情が利用されます。被害者や遺族はこんなに苦しんでいる、それなのに犯人視されている人はあんなにふてぶてしい、こんなことでいいのかという感情がこういう状況証拠だけで死刑判断を下すという暴挙を後押しするのでしょうか。

基本的人権をなぜ重要視しなければならないのか、ということを、わたしたちは学校でも学びませんでしたし、家庭や地域でも学習することはありませんでした。きっとこういうことがこの死刑確定への擁護論の背景にあるんだと思います。

 

何度も言いますが、和歌山ヒ素混入カレー事件のような被害の大きい事件になると、犯人視されたひとがTVなどでプライバシー無視で取材が続けられます。個人の家がカメラや報道の車で包囲され、大勢の人が集まって、これでもかこれでもかとフラッシュが焚かれます。あのフラッシュを執拗に焚き続ける行為というのは一種の暴力です。わたしは、あれはやめるべきだと思います。

そういう行為が執拗に続けられることによって、犯人だと疑われている人がほんとうに犯人のように思えてくるんでしょう。自分たちの行為という「形」が、自分たちの心に影響を及ぼすようになることもあると思います。そういう心理から扇情的な記事が書かれ、煽情的な映像が全国に垂れ流されます。プライバシー侵害を執拗に続けるTVカメラについキレて、犯人視されている人が、TVカメラに向かって放水などするとします。すると、その映像が全国に放映され、放水した当人はふてぶてしい人物であるという心象を形成させるのです。もし、そうやって作られた心象によって、裁判員の方々が死刑判決を下すとしたら、これはもう近代裁判とはいえないと思います。



つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

状況証拠だけで死刑判決を下してはならない! (中)

2009年04月26日 | 「世界」を読む

(承前)

 

裁判員制度が間もなく始まろうとしているこの時期に、状況証拠だけで死刑を確定させた判決が下ったということに、重く暗い空気をひしひしと感じましたので、ちょっとみなさんに考えていただきたいと思い、以下の情報を紹介しようと思います。マスコミによる人権蹂躙暴力に注目していただきたいと思うのです。

 

----------------------------


1998年に67人がヒ素中毒に陥り、4人が死亡した和歌山カレー事件。

直接証拠はなく、自白もなく、動機も未解明にもかかわらず、林眞須美被告人に対する一審、二審の死刑判決に疑問を投げかける声は最近まであまり聞かれなかった。

その最大の原因は、当時の熾烈な犯人視報道が世間に与えた、「林眞須美=毒婦」という強烈な予断であろう。

事件発生当時には、眞須美被告人が保険金目的で夫や知人にヒ素や睡眠薬を飲ませていた疑惑が洪水のように報じられていた。保険金詐欺などの容疑で眞須美被告人が別件逮捕されてからは、本人のカレー事件の有力な証拠が見つかったかのような報道も相次いだ。

が、しかし、公判記録などをもとにこの事件の初期報道を検証したところ、事実誤認の記事や、裏づけ取材を怠ったことが明白な「飛ばし記事」が実に多い。眞須美被告人に関する10年前の犯人視報道がいかにデタラメだったか、以下、具体的に提示してゆく。

 

■三大紙の報道も嘘まみれ

公判で検察は、眞須美被告人が、
夫の健治さん(63歳)、
友人の田中満さん(58歳)、
知人のI氏(46歳)、
D氏(56歳)、
M氏(46歳)、
Y氏(享年27歳)
…の6人に対し、死亡保険金目的でヒ素や睡眠薬を飲ませた事実がカレー事件以前に23件あったと主張した。

このうち、健治さんと I氏に対する6件の疑惑が一審、二審では、眞須美被告人の犯行、もしくは関与があったと認定されたうえでカレー事件の状況証拠とされ、有罪の認定の材料になっている。

しかし、上記6人のうち、眞須美被告人と共謀のうえで3件の保険金詐欺をはたらいていたとして懲役6年の実刑判決も受けた夫の健治さんは、公判で「ヒ素は自分で飲んでいた」旨を証言し、今も妻の無実を訴えて活動中だ。08年夏からは田中さんも眞須美被告人の無実を訴え、その支援集会に参加するなどとしている。刑事事件で「被害者」とされた人物がふたりも被告人の無実を訴える前代未聞の展開になっている。

以上をふまえた上で、検察の主張のなかで「カレー事件以前の被害者」とされた6人のうち、健治さんと田中さん以外の4人に関する初期報道の誤りを指摘してみよう。

4人のうち、初期報道にもっとも頻繁に登場したのが I氏とD氏だ。検察の主張では、二人は「被告人夫婦の保険金詐欺の協力者だったが、被告人にヒ素や睡眠薬を飲まされていた」という被害者だったため、公判では本当に被害者なのか、単なる共犯者なのかが激しく争われている。そんな二人に関する誤報はとくに多く見つかった。

「毎日新聞」は98年8月30日付け朝刊で、I氏が同年3月に起こしたバイク事故の原因について、「ヒ素中毒による可能性がきわめて高いことが29日、和歌山県警の調べでわかった」と書いたが、完全な誤報だ。公判で I氏本人が事故は故意に起こしたものだと認めているからだ。

林夫妻が詐取した保険金の多くの受取人だった法人について、D氏が「従業員」だと書いた「朝日新聞」98年8月26日付け夕刊や、「読売新聞」同日付け夕刊の記事も重大な誤報の一つだ。正しくは、D氏は問題の法人の「代表取締役」。保険金詐欺に使われていると知りながら、D氏は会社の名義を林夫妻に貸していたのである(つまり、詐欺の加担者ということ)。しかし、D氏が「従業員」だと書いた記事を見た人は、D氏が被害者だという予断を抱いただろう。

I氏とD氏の二人がカレー事件以前にヒ素中毒や、ヒ素による中毒症状に陥った事実があるとした報道は多かったが、これもデタラメだ。D氏には、ヒ素中毒にもヒ素中毒に似た症状にも陥った事実はない。D氏に関する眞須美被告人の疑惑は、「睡眠薬を飲ませ、自損事故を起こすなどをさせた疑惑」があったのみのうえ、この疑惑は裁判では事実とは認められなかった。D氏のヒ素中毒の罹患の有無については多くのメディアが複数回、誤報を飛ばしている。

 


■愛人説のデタラメ

検察の主張では、眞須美被告人にヒ素入りのお好み焼きを食べさせられたとされたM氏に関しても、ひどい誤報が多かった。

「週刊宝石」98年12月3日号には、「M氏は入院中、体重が減り、髪の毛が抜けるという症状がでた」という旨を語るM氏の「知人」が登場したが、M氏がそんな症状に陥った事実はない。

「週刊ポスト」98年12月11日号の「M氏の体内からヒ素が検出された」という旨の報道も事実無根である。

ちなみに、M氏も退院後に独自に2000万円の保険金を手にしていたことなどから、公判では本当に被害者か否かが激しく争われた。結果、M氏に関する(ヒ素を盛ったという)眞須美被告人の疑惑も事実と認められなかった。

 

検察の主張では、85年に眞須美被告人にヒ素を飲まされ、殺害されたとされたY氏に関しても、ひどい誤報や飛ばし記事があった。

「サンデー毎日」は98年10月4日号で「Y氏が死亡する直前、病院関係者に『林家で腐ったような味の麦茶を飲んだ』と話していた」という旨の話を紹介し、この「腐ったような味」が「ヒ素の味」であるかのように思わせぶりに書いている。だが、ヒ素は「無味無臭」なのである。なおY氏に関する眞須美被告人の疑惑も裁判では、事実と認められていない。

このY氏や前出のD氏、M氏に関する眞須美被告人の疑惑を事件発生当時に書き立てていたメディアがそろいもそろって、それら記事の疑惑が裁判で事実と認められなかったことをきちんと報じていないのも問題だ。

 

また、眞須美被告人に愛人が存在する疑惑もよく報じられたが、目だったのが「前出D氏が眞須美被告人の愛人」ではないかとする報道。
「FOCUS」98年10月21日号、
「サンデー毎日」98年10月25日号、
「女性セブン」98年10月29日号、
「週刊現代」98年10月31日号
…の4誌が匿名人物に語らせる形式などで、{D氏のアパート(もしくはマンション)の “ベランダ” で眞須美被告人が洗濯物を干していた」旨の記事はとくにひどい誤報である。現地を確認したところ、そのアパートにはそもそもベランダがないのだ。

この「ベランダがないアパート」は林家から徒歩数分のところにある。事件発生当時に林家を一日中取り囲み、犯人視報道合戦を展開した記者たちが、些細な裏取り取材も怠っていたことをこの4誌そろい踏みの誤報は示している。

 

■次々報じられた架空の証拠

次々に飛び出した「有力証拠発見」の報道にも、ひどい誤報が多かった。

「週刊ポスト」は98年11月27日号で、林家の台所の流し台下から「亜ヒ酸の付着した空き缶」が発見されたように報じたが、そんな物証は存在しない。この記事には、この架空の空き缶と同じ場所から発見され、ヒ素反応が検出された「タッパー容器」に眞須美被告人の指紋が付着していたとも書かれているが、この容器から眞須美被告人の指紋など検出されていない。

目撃証人が存在するかのような報道もあったが、いずれもデタラメであり、架空だった。

「週刊ポスト」98年9月25日号で、「ある人物がカレー鍋に何か混入する決定的な現場を目撃したという女子小学生が存在する」旨の「警察庁幹部」名義のコメントを載せているが、そんな目撃証言は存在しない。

「週刊文春」98年10月15日号が、「眞須美被告人がカレー鍋の周りをうろうろし、周囲を見渡すような素振りをしていたと複数の主婦が証言している」旨の「さる捜査関係者」名義のコメントを載せているが、そんな証言は法廷に提示されていない。

「週刊新潮」98年10月29日号で、「眞須美被告人本人がカレー鍋の見張りをしていたとき、自分の子どもから “何か” を受け取り、ゆっくりした動作でカレー鍋に近づいていった」という場面を目撃した女子高生が存在する旨の「捜査関係者」名義のコメントを載せているが、この女子高生はそのような証言はしていない。

 

また、実際に存在する目撃証言に関しても事実誤認の報道が多かった。

「毎日新聞」は98年12月7日付け夕刊で、眞須美被告人がカレー鍋の置かれたガレージに一人でいたのを目撃した女子高生が「鍋周辺で白い煙のようなものが上がった」と証言しているとしたうえで、「亜ヒ酸粉末が風で飛散した可能性も」と書いたが、その可能性はゼロだ。この目撃証言におけるカレー鍋は、正確には「現場に二つあったカレー鍋のうち、ヒ素が入っていなかった鍋」だからだ。「毎日」以外でも、この女子高生の証言におけるカレー鍋を「ヒ素の入っていた鍋」と誤認した記事は多かった。

これも、この事件の初期報道のデタラメ振りを如実に物語っている。

 

このような嘘まみれの報道によって10年前、眞須美被告人はカレー事件の犯人と思い込まれ、その予断が解消されないままに裁判で判決が下されるのだとしたら、メディアはどう責任を取っていくつもりなのか。

 

(「週刊金曜日」2009年2月13日号)

----------------------------


このような事実というものに対して不誠実で、より多く販売するために、ドギツイ、扇情的な記事を垂れ流し、明らかな誤報であることが判明しても訂正も謝罪もしない、マスコミの流す情報を鵜呑みにして、予断を作ってしまったところへ、裁判員として招集がかかったら、どうなるでしょうか。とくにわたしたちは憲法についてきちんと教育されておらず、人権について誤まった見方が形成されています。人権派弁護士などという言葉で、民主的な裁判を守ろうとする弁護士たちを攻撃さえするのです。それは結局のところ、自分たち自身を害することであるのに。林眞須美さんが保険金詐欺をはたらいたのは事実です。ならば保険金詐欺で裁かれるべきでしょう。ヒ素混入カレー事件では、眞須美さんが犯人だという確証は何一つないのです。状況証拠だけで、あろうことか死刑判決が下されていいはずがないのです。もし間違っていたら、取り返しがつかないじゃないですか。

4人も死者が出たことはたいへんな問題ではあります。では実際にはやってもいない人が罪に定められて死刑にされてしまうのは、カレー事件で殺害されることよりも程度が軽いからいいのでしょうか。そんなことはないでしょう。何の罪もない人が殺された、遺族の悲しみは測り知れない、じゃあ、無実の罪で死刑にされていった人の遺族の悲しみも測り知れないんじゃないですか。無実だったということが分かれば、じゃあ、死刑判決を下した裁判官、死刑を求刑した検察官、誤まった捜査をした警察官たちは、無実の人を殺害した罪に問わなくていいのですか。わたしは、人が人を裁くということは本質的に不可能なことなので、死刑制度には大反対です。それ以上に、こんな状況証拠だけで人を死刑に定めてしまうことには、まともな感覚では理解できない異常な事態だと言いたいのです。これはもう魔女裁判まであと数センチというところまで来ています。こんな判決には絶対に承服できないし、承服してはならない、さもないと、恐怖体制の社会が実現してしまいます。もはや日本はそんな社会建設に片足を踏み出しているのです。




次に、「冤罪ファイル」№5から情報をご紹介します。メディア批判の月刊総合誌「創」の編集長篠田さんの特別寄稿文です。


----------------------------


眞須美さんは、保険金詐欺とカレー事件に関わったとされて、殺人、殺人未遂、詐欺で起訴されていたのだが、死刑判決となったのは、カレー事件で4人を殺害したと認定されてからだ。

彼女には「平成の毒婦」などという悪罵のレッテルが貼られ、この事件はもう決着がついているかのように思いこんでいる人も少なくないが、ことはそう単純ではない。

後述するが、裁判での争点は幾つもあるが、一番大きな問題は、一体何を目的に住民を大量に殺害するという犯罪が行われたのかという、事件の骨格とも言うべき「動機」が未だに解明されていないことだ。どう考えても、眞須美さんに近隣住民を無差別殺害するような積極的動機があったとは思えない。

実は、裁判官もその点は同じと見えて、判決文でも動機が解明されていないと書かれているのだ。その意味では「和歌山カレー事件」とはいったい何だったのかというのは、いまだに明らかになっていないのである。なにか新しい事実が見つかれば、この事件は根本からひっくりかえるかもしれない可能性を持っている。

この点で、現在の弁護団が08年、集会などで興味深い意見を披露している。08年7月20日の集会での安田好弘弁護士の発言を紹介しよう。

 


カレー鍋に入っていたヒ素は135グラム、ということになっています。ヒ素は耳かき一杯分が致死量ですから、これはたいへんな量です。カレーの鍋は直径30センチ、高さも30センチ程度の大きさですから、ここに135グラムの砒素を入れたら、濃度もたいへんなことになります。

となると、この事件の犯人は、ヒ素の怖ろしさや毒性を知らない人が、もしかすると自分がカレー鍋に入れた粉がヒ素だということ自体を知らなかった人だという可能性も考えられるわけです。つまり、カレー鍋にヒ素を入れたのは、ヒ素に関する知識のない人だと考えるのが合理的なんです。

ところが眞須美さんはヒ素の怖さを知っている人です。夫の健治さんがカレー事件以前、保険金目的で耳かき一杯分のヒ素を飲んでひっくり返ったことを知っているんですから。こうしてみると、眞須美さんは犯人像から外れます。

そして重要なのが、犯人が四つの鍋のうち、一つの鍋にしかヒ素を入れていないことです。殺人を目的とするなら(ターゲットを決めていて、住民もろとも殺そうと企てたのなら、という意)四つの鍋すべてにヒ素を入れるのがふつうですから、一つの鍋にしかヒ素を入れていないとなると、特定の誰かを殺そうとしたわけではないんです。

すると、この事件の犯人が企てたのは無差別殺人か、あるいは被害規模こそ大きいですが、実際は(真犯人の本来の目的は)イタズラやイヤガラセ(の類)だったという可能性もでてくる。しかし、無差別殺人は通常、先日の秋葉原事件のように「開かれた場所」で起こるものです。カレー事件のように地域の夏祭りといった「小さなコミュニティのなか」で起こるようなものではないんです。

また犯人がヒ素をガレージに持ってくるのに使ったとみられる紙コップは、ガレージに置かれていたゴミ袋から発見されています。こんな重要な証拠が無造作に現場に残されていたということは、犯人は自分の行為が、多くの人の亡くなられる事件に発展するとは思っていなかったのではないか。

こうしてみると、この事件の真相は「ヒ素に関する知識のない人」によるイタズラやイヤガラセだったと考えるのにも合理性がとてもでてくるわけです。

 

残る問題は、イタズラやイヤガラセに走った動機ですが、それを考える上で重要なヒントが、この事件が発生当初は「集団食中毒」として報道されていたことです。ここで結論をいうと、われわれ弁護団はこの事件が「食中毒偽装事件」ではないか、と見ています。

実はこれはわれわれが言い出したことではなく、現地を調査した際に住民に言われて気づいたことです。事件現場の住民の方々の中でも、地域の中心にいる方々がこの事件の真相を「食中毒偽装事件ではないか」と口をそろえるんです。それを聞いて、われわれは目からうろこが落ちたんです。

この事件が食中毒を偽装したものであり、犯人がヒ素の毒性を知らない人なら、和歌山カレー事件は無差別殺人ではなく、傷害および傷害致死ということになります。

実際、このあたりでは、トイレや庭にヒ素が殺虫剤としてまかれていて、多くの家庭にヒ素がありましたから、犯人が家にあったヒ素を殺虫剤か何かだと思ってカレー鍋に入れたのだとしても何も不思議はありません。

そして、この事件の真相が傷害および傷害致死となると、重要なのがこの08年7月25日に時効が成立することです。

 

(「冤罪File」№5 より)

----------------------------


ヒ素の毒性を十分意理解していなかった人が、殺虫剤程度の毒だと思って、イタズラ目的でカレーに混入した、ということですね。それでも、普通殺虫剤なんか食べ物に入れたら人が死ぬかもしれない、ということくらい分かるのではないかと、素人のわたしなどは思ってしまいます。安田弁護士のお話は、わたしたち素人から見ると、なんだか論理を複雑に操作しているようで、難解なんですが、要するに、この事件は「無差別大量殺人目的のテロ」的な思い込みで捜査する警察の解釈だけでなく、傷害致死という意図で行われた犯罪であるというようにも解釈ができる、ということを言おうとしているのだそうです。


つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

状況証拠だけで死刑判決を下してはならない!(下)

2009年04月26日 | 「世界」を読む

(承前)


事実、警察と保健所の発表は当初たいへんに混乱していました。最初は「集団食中毒」という発表でした。事件発生後6時間経過した時点の記者会見で、「毒物混入の可能性はないのか」という記者の質問に、和歌山保健所所長は、「その可能性は1%です。99%は食中毒です」と答えていました。次に青酸化合物だという発表になって、つまり、「1%」のほうの可能性に発表が変わって、ヒ素混入という発表になったのは、事件から8日後でした。この混乱がなければ、適切な治療ができて、被害者は助かったのではないかという反省は今でも語られます。

平成2002年に、中学3年生の女の子がインターネットで事件当時の新聞報道を調べて、「食中毒」から「青酸中毒」、そして「ヒ素中毒」と報道が代わって言った事実に注目し、適切な対応がなされていれば、被害者は助かったのではないかという論文を、「文芸春秋」に発表し、話題になったそうです。その論文はやがて単行本として発売もされたそうです。

警察はこの混乱によって面目を失ったわけですが、ヒ素混入と決まると、今度は一直線に捜査が進みます。林健治さんがシロアリ駆除の仕事をしていたことがあり、ヒ素を所有していたのがすぐに判明したからですが、それと共に、林夫婦には保険金詐欺の疑いがあることが知られ、一気に疑惑が林夫婦に向かったのでした。つまりは林夫婦もかなりアヤシイ人たちだったのでした。篠田さんの寄稿文から、林夫婦が保険金詐欺を行うに至った経緯を抜粋して書き写しておきます。


----------------------------


林夫妻の証言によると、経緯はこうだったらしい。

96年10月に眞須美さんの母親が死亡し、保険金一億四千万円を取得するのだが、翌97年1月末に眞須美さんが金庫を開けてみると300万円くらいしか残っていなかった。驚いて夫を問い詰めると、「 I と二人で競輪に使い、すってしまった」と聞かされた。これで眞須美さんは激怒する。

その剣幕に罪悪感に感じたのか、しばらくすると健治さんが「わしが身体張って億のカネ稼いだら文句ないやろ」と言ってきた。

それで三人(健治さん、眞須美さん、同居人の I さん)で相談し、健治さんがヒ素を飲んで高度障害を装い、保険金を取得する計画を立てた。健治さんはコーヒーの中に耳かきで少量のヒ素を入れて口にしたが、すぐに吐き気を催し、トイレに駆け込んだ。その後病院に入院し、病院内でもコーヒーカップに抹茶カタクリとヒ素を入れ、スプーンでかきまぜて飲むなどした。健治さんは涙を流して激しく嘔吐しながら、I 氏に、「よう見とけよ、億のカネ稼ごうと思ったら、こんだけ(=これだけ、の意)しんどい目せなあかんのやぞ(=しんどい目しないといけないのだぞ、の意)」と言っていたという。

裁判で明らかになったところでは、林夫妻らの保険金関係の収入は7億円以上、受領金額は6億5千万円を越えていたという。健治さんは以前従事していたシロアリ駆除の仕事を辞めてからは定職についていなかったのだが、高額の保険金収入によって、林家はぜいたくな暮らしを送っていたという。

健治さんはその後、集会などで、ヒ素を飲んだらどういう気分になるか、という質問にこう答えている。

「いかなるものに混ぜて飲んでも、食堂から胃にいたる過程で、焼け火ばしを飲んだような焼け付くような感じになるんです。それが胃に落ちてからは、胃や腸がひっくりかえるような、すべての内臓が口から飛び出してしまいそうな、そんな感じですね。よく嘔吐と下痢があるとか言われますが、嘔吐はありますが、下痢はないです」。

このあたりの夫妻の生きかたや、健治さんが保険金を受け取るために、自分の足を金属バットで I 氏に殴らせたといった話は、そういう話が裁判上、意味合いを持っているということを念頭においておかないと、誰もが驚いてしまうに違いない。


(上掲書より)

----------------------------


いや、驚きますよね。
…っていうか、わたしも関西人なので、ここだけ読むと、

「…こいつら、やっぱり、変わっとるわ…」

…と思ってしまうわけですネ。「変わっとる」というのは、標準語で言うと「フツ-じゃない」という意味です。


一億四千万円というおカネを3ヶ月ほどでギャンブルですってしまう神経、それを責められると、じゃあ、自分がヒ素中毒になって保険金を詐取しようと本気で計画し、実行する思考回路、それを容認する眞須美被告人の心理など、ふつうの市民感覚では、かなり違和感がありますよね。少なくともわたしは、この夫婦のものの考え方には一部ついて行けないものを感じました。

まあ、こういうネジのゆるんだ頭で生きていると、カレー事件のような究明不能な大事件が起こたとき、自分の身に疑惑を招くことになる、という教訓のようなものを、わたしはこの話から得たわけですが、それでも、日本国憲法の精神に則って、人は、(たとえ林夫妻のような人たちであっても)やってもいない罪で処罰されてはならないし、まして確たる証拠もないのに死刑になどなっては断じてならないのです。

 

さて、冤罪を生むしくみですが、捜査の段階、起訴の段階、公判の段階と、それぞれの段階で、冤罪を生む仕組みがあるわけですが、捜査の段階では、このような問題があります。


----------------------------


まずはじめに、捜査の段階についてみると、冤罪=誤判は捜査の歪みから生じるといってよい。その歪みとは、客観的証拠や科学的捜査を軽視し、主観的な見込みや勘によって捜査を進めようとする非科学的・非合理的手法と、見込みや勘に合うような成果を上げるために行う糾問的な手法(*)のことである。冤罪=誤判を防ぐためには、「見込み」や「勘」に頼る糾問的捜査を許さないことが必要である。


(*)自分たちのストーリーに沿った自白を得ようとする取り調べのこと。被疑者が事実を言っても信じてもらえない、脅迫され、精神的に追いつめられ、警察の作ったシナリオどおりにしゃべるまで解放してもらえない、という捜査手法がまかり通っているのです。


まず第一に、別件捜査に代表される、見込みにもとづく逮捕を許してはならない。そのためには、逮捕状を出す際に裁判官は、逮捕するだけの証拠があるか、逮捕しなければならない必要があるか、違法な別件逮捕ではないかなどを慎重に判断しなければならない。現在は、逮捕状が捜査官から請求されると、裁判官はごく形式的に審査して機械的に発行する傾向がきわめて強い。裁判官はこの傾向を改めなければならない。

第二に代用監獄を廃止することである。代用監獄こそは暴力的・糾問的捜査の温床であり、冤罪=誤判の温床だからである。

第三に、被疑者の取り調べの方法に対し、法律的規制を加えて改善することである。取り調べの開始時間、終了時間、休憩時間、取り調べ継続時間を規定する。食事時間と就寝時間を保障する。被疑者の要求があれば弁護人の立会いを認める。原則として取り調べ状況の録音テープ化やビデオ化を義務づける。こういった規制を加える必要がある。

第四に、取り調べの結果として、捜査官が作成する供述調書について、その作成を法律的に義務づける必要がある。またそのコピーを被疑者に交付することも法律的に義務づけるとともに、取り調べの実態が反映されるよう、そのスタイルを一問一答式の速記的なものにあらためることも必要である。

第五に、誤鑑定を防ぐために、鑑定は原則として複数の者に依頼するよう義務づけることが必要である。

第六に、捜査段階の国選弁護人制度を新設し、弁護活動の権利を強く保障することが必要である。

 

(「冤罪はこうして作られる」/ 小田中聰樹・おだなかとしき・著)

----------------------------


ここで注目するのは、第一・第二と第三の点です。つまり、思い込み一本やりで突き進む捜査、警察製シナリオのための取り調べ、代用監獄、というあり方です。上で述べられている通り、林夫妻は保険金詐取目的で、ヒ素を実際に服用していました。即警察は目をつけ、まず、眞須美さんご夫婦と同居していた I 氏が事情聴取されたのですが、そのやりかたがあまりに拷問的でした。


----------------------------


後に眞須美さん有罪の決め手のひとつとして証人になった林夫妻宅の元同居人 I 氏が最初に事情聴取を受けたのはヒ素混入の正式発表のあった98年8月2日とされる。そしてその後、眞須美さんが逮捕され、カレー事件で再逮捕、起訴される12月29日まで、この証人はほとんど警察に囲われたような状況に置かれたのだった。

和歌山地裁での一審の弁論で、弁護団はこう述べていた。

「 I 氏は、カレー事件発生後約一週間後の平成10年8月2日ころから同年12月29日までの約5ヶ月間、カウント不能ともいえるくらいの膨大な時間、捜査官から尋問を受けている。

8月2日頃から8月30日頃までは、2~3日に一度であったが、8月31日から12月29日の約4ヶ月間は、ほぼ連日、かつほぼ終日の事情聴取を受け、なんとこの四ヶ月間は、金屋町の警察官宿舎で警察官と文字通り寝食を共にしていたと言うのである。

欧米的発想からすれば、この一事をもって、同人の供述の任意性、信用性は否定されるといっても過言ではない。

かかる異常事態については、マスコミからの取材を回避すること、あるいは林夫妻からの嫌がらせを避けるためということを表向きの理由とするが、その実態は捜査官の監視下に同人を置き、いわば無令状(=取り調べるための時間的制限がないということになるそうです)拘禁を行い、事情聴取(=つまり、ほぼ「取り調べ」に匹敵する形式になった)を敢行したのである」。

 

眞須美さんが起訴された罪名のうち殺人未遂は、この I 氏らを保険金目当てでヒ素を使って殺害しようとした、というものだ。

検察側は、ヒ素を使った保険金詐欺とカレー事件とをひとつながりの事件と捉え、I 氏を眞須美被告の被害者として証人に担ぎ出したのだった。

 

(「冤罪File」№5より)

----------------------------


最後にあるように、警察と検察は、カレー事件と保険金詐欺事件を関連させて解釈し、しかもその解釈は一方的な思いこみであって、そのために I さんを被害者に仕立てあげたのです。しかし、先に書写しておいたように、I さんは保険金詐欺の共犯者であり、I さんは保険金詐欺に合意の上で加わっていたのです。あきらかに警察・検察は、事件の実際の様相とは異なるシナリオで起訴しているのです。小田中さんの著書にあるとおりの筋道をたどって、冤罪路線をまっしぐらに進んでいるわけです。弁護側の主張も引用されていますので、そこも写しましょう。


----------------------------


I 氏は少なくとも林ファミリーの保険金不正受給に多かれ少なかれ関与しており、後に立件された一連の詐欺事件について共犯的立場にあったと断じてよい。

次に、検察官の主張を前提にすれば、
 同人に対する殺人未遂事件の被害者の立場も(可能性として)あるということになる。
 さらに、本件捜査の本命たるカレー事件のきわめて重要な参考人でもあった。

かかる立場におかれた I 氏の位置(とくに、心理的な)はきわめてデリケートで複雑なものであったことは想像に難くない。

 

かかる位置に置かれた I 氏に対し、捜査官から「カレー事件の犯人は眞須美に違いない」ということを徹底的に刷り込まれ(つまり長期にわたり拘禁され、連日、終日事情聴取にさらされ続ける状態)、「おまえ自身何度も殺されかけていた」ということを繰り返し聞かされ、おそらくある場面では「お前を逮捕することもできる」と脅され、さらには「協力すれば…」という利益誘導的な、あるいは取り引き的なやりとりがあったのではないかと推測することも、前記状況(長期拘禁状態にあったという状況の説明)に照らせば当然許されるはずである。


(上掲書)

----------------------------

篠田さんは、この弁護側主張を引用したあとに、このように感想を述べておられます。

「つまり捜査側は、どうしても本命というべきカレー事件を立件するために、保険金詐欺事件の共犯者たちを取り込み、眞須美さんの有罪を証言する『被害者』に仕立てていった、というわけだ」。

 

カレー事件自体は非人道的な事件で、許すわけにはいきません。ああいう事件があれば、地域は心理的にも動揺しますし、犠牲になった被害者やその遺族は詳細を知りたいと思うことでしょう。しかしそれは、真相が分からない不安から逃れるために、保険金詐欺をはたらくようなアブナイ夫妻を犯人に仕立ててしまってよい、ということでは決してないのです。そんなことがあってはならないのです。

ここにご紹介した情報をできるかぎり誠実に受け止めてほしいです。被害者感情に同化して日頃鬱積した不満を発散しようというのは卑怯です。不満があるならその都度、はっきり表明するのが大人です。しがらみなどで、はっきり反論したり抗議するのを引っ込めてきたのなら、それは澄んだこととして忘れるべきでしょう。あるいは面と向かってまだいえないのであれば、このようなブログを開設して、ヴァーチャルに反論の演習をしてみるのはいい練習になります。

少なくとも、水に落ちた犬をバッシングするような卑劣な態度はやめましょう。そんなことをして一番傷ついているのは、自分自身なのです。世間の流れに便乗して辛辣な意見をヤイヤイ言っている自分を外から眺めてみてください。なんと矮小でみっともないことか。

眞須美さんは、うさんくさいことを、つまり保険金不正受給という犯罪に手を出した人です。しかし、カレ-事件では確たる証拠は何一つないのです。であれば、有罪にはできない。こんな裁判がまかり通りと、わたしたちはみんな安心して生きていくことができなくなります。どうか、日本国民の多くの方々が、こういう裁判には反対の世論を作っていこうという気持ちを取り戻してくださいますように。




「林眞須美さんを支援する会」のブログ、ぜひご覧になってみてください。




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする