Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

ただ一度限りの人生を後悔しないために

2005年07月22日 | 一般

意味のない遠慮をしていませんか?




「ご自由にどうぞ」と言われているのに、なんとなく遠慮してしまったり、他の人がそうしないので、待っているうちにチャンスを逃してしまった…など、つまらないことで遠慮したりモジモジしてしまったことはありませんか。「控えめな自分がすき。そういう生きかたがわたしのポリシー」というのなら、それは「自分と言うものがある人」と言えると思いますが、無意味な遠慮や周りの目ばかり気にするような自分がイヤだ、と思って生きている人が圧倒的に多い、というのが現状のようです。

ところで、むかし「オバタリアン」と言われていた人たちは、一般的には「図々しい」の形容詞のようになっていますが、彼女らも若いときには遠慮したり、モジモジしたりしてチャンスを逃すだけ逃した経験の持ち主なのではないかとわたしは思うのです。それで、こんな自分ではダメだと、彼女たち自身、自分を奮い立たせて、一見図々しいと思われるような行動も取れるようになったのではないか、とこっそり思ったりするのです。

つまり、オバタリアンは、あなたにこう言っているのかもしれない。
「わたしも若いときには、人目を気にして自由に振る舞えずに悩んだものよ。でも、結局は自分が変わらない限り、自分の欲しいものは手に入りはしないということなの」

オバタリアンの中には、人を平気で押しのけて電車の席を取るような人が目立つので、あんなふうにはなりたくないと思うでしょう。でもわたしはあんなふうになりましょう、と言っているのではないのです。控えめにして損をしたり、遠慮ばかりしているうちに孤独になったり、心の奥底で自由な人や活き活きとしている人などを妬むような醜い自分になってしまうくらいなら、それは理想的ではない、そこで、オバタリアンが持つ「自分の欲しいものを率直に欲するエネルギーと、得ようとする行動力」をちょっとみならって見るのも価値があるかもしれないですね、とわたしは言いたいのです。

控えめにしている理由はほんとうはない。
欲しいものを欲しいと思うことと、そう表現する権利は誰にでもある。
それをどう表現し、自分の理想を手にしてゆくか、
それが「あなたのありかた」であり、「あなたの人生」であるのです。



***

「願いはぜったい叶うもの!/リズ・山崎・著」より
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聞くスキル(1)

2005年07月18日 | 一般
暑いですね…。もう梅雨は明けたんでしょうね、これは。わたしの住んでる地方では夏空です。太陽がギラギラ、うんざりです。学生の頃ならうれしいんですが。

さて今回は、「思いやりの人間関係スキル」からの引用第2弾です。今回ご紹介するスキルは、実行するならあなたの人間関係を大きく変えるでしょう。「思いやり」の中心的な要素なのです、今回のスキルは。このスキルを身につければ異性の関心を惹くことすら容易になります。保障します。女性の魅力というのは豊かな胸などのセックスアピールが主要なものではありません。女性の特徴は「共感的」であることです。「受容」する能力です。人間関係を営むスキルは圧倒的に女性の方が優れています。ただ現代の孤立した家族のあり方や、親の情緒的な成長の未熟さから、十分に情操の成長が見届けられなかったので、人づき合いが上手に営めないという悩みを抱えるようになったのです。でも「聴く」スキルを身につけることによって、人間関係を深めることができるなら、自分自身も変わってゆくでしょう。ずっと、なりたかった人間になれるのです。では、各項目を手短に引用をはじめます。

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人間は、自分が受け入れられているという確信を必要としています。自分が認められ、尊重されていると確認できることで生きてゆけるのです。だからコミュニケーションにおいては、キャッチボールであることが大切です。ことばであっても態度であっても、相手がなにか発信したならそれに答え応じることで、相手の存在を認めたという意思を返すことになります。心理学の本では、こういうのを「報酬」という概念で説明されているようです。答え応じ方にも、肯定的なものとそうでないものがあります。「報酬」は肯定的に反応することです。肯定的することで相手に「報酬」を与えれば、相手の人は心を開きやすくなります。否定的な反応ではそうはいかないでしょう。それでも人間はまるっきり無視されるよりは、否定的な反応であっても、人からかまわれようとします。人間にとって、自分に無関心であるという人間関係がもっともつらいことなのです。たとえ虐待されようとも、無視されるよりはましであると人間は思うのです。よく掲示板なんかに登場する「荒らし屋さん」などがいい見本です。彼らは叩かれることを期待して、荒らしに来る、というタイプがけっこう多いのです。ここまでは、エリック・バーンという精神分析医の意見です。彼は「交流分析」を興した有名な博士です。でも、わたしは豊かな人間関係を作ってゆきたいと強く願っています。だからいかにして「肯定的な報酬」を与えるか、という観点に立ちます。でははじめます。

【聞くこと:なぜ基本的なスキルなのか】
*話し手を肯定する。
「報酬」を与えるしかたで聞くということは、相手を肯定することです。おもいやりというのは相手を肯定し、素のままで受容することです。

子どもたちが成長する過程で、食べ物が身体の発達に必要なのと同様に、周囲の大人たちの聞き方は、子どもたちの心理的発達にとって大きな活力となります。周囲の大人たちから注意深く聞いてもらっている子どもたちは、他の人から受け入れられていると感じるばかりでなく、自分自身を受け入れるようになります。自分に価値を置くようになるのです。こうして健全で高い自己評価が形成されるのです。また周囲の大人たちから注意深く聞いてもらっている子どもたちは、自分の感情を確かめ、表現しても安全だという感覚を持ちます。こうして彼らは「内的な聞き取り能力」を獲得してゆくのです。「内的な聞き取り能力」とは、自分の感情や反応に耳を傾け、肯定する能力のことであり、他者のことに耳を傾ける「外的な聞き取り能力」の本質的な部分を成しているのです。

よく話を聞いてくれる大人をひとりでも持っている子どもは、安心感の拠りどころを得て、探索的行動を進んで行い、さまざまなことを自ら試してみるようになります。逆に適切に聞いてもらっていない子どもたちは、自分の感情、特に不安定感、不安、怒り、攻撃性などを表現せず、むやみに抑えこもうとするようになります。たとえ意図的でないにしろ、報酬を与えない聞き方を日常的に行うことは、心理的暴力を与えていることになります。子どもたちの話を中断するような聞き方を一日に何回となく行って、子どもたちの存在を否定するならば、重い精神的な病気を引き起こすことになりかねません。

大人にとっても、聞くということは他の人を肯定したり、否定したりする機能を持ちます。うまくいっていない人間関係で最もよく言われる不平は、一方または双方が十分に話を聞かないということです。

*相手を知る。
*自分自身を知る。
*人間関係における信頼と安定を築く。
*年齢、性別、文化などの違いに橋を架ける。

【スキル1 自分と相手の違いを知る】
報酬を与える聞き方の核心は、相手と自分との基本的な区別、つまり「あなた」と「わたし」の区別、
「あなたについてのあなたの見方」と、「あなたについての私の見方」の区別、
「私についてのあなたの見方」と「私についてのわたしの見方」を区別することです。

ここで、
「私についてのわたしの見方」と「あなたについてのあなたの見方」のことを、内側からの見方、あるいは内的観点と呼びます。一方、
「私についてのあなたの見方」と「あなたについての私の見方」を外側からの見方、外的観点と呼びます。
他の人を理解するスキルは、外的観点ではなくて、内的観点によって「私」と「あなた」との間の違いを十分に認識することにもとづいています。

相手の見方を正確に理解していることを相手に示すなら、それは相手の内的観点から、つまり相手の立場から相手に反応することになります。逆に、外的観点から反応するということは、相手の立場ではなく、自分の立場、つまり、自分としては相手はかくあるべきだと考えることを伝えて反応することです。エホバの証人が言うところの「裁く」というのはこの外的観点に立った反応の仕方なのです。以下の例は、聞き手が外的観点で反応している例です。

「私が聞きたいのは、君の計画がどの程度順調に進んでいるかであって、失敗した話じゃないんだ」
「あなたは相手のことを常に尊重するべきです」
「俺がおまえだったら、そいつを殴り倒すよ」
「あなたは困っているようだ。私の話を聞きなさい」
「寒いわね。あなたセーターを着なさい」

話し手の内的観点に立って反応するということは、話し手の用いていることばで話し手を理解することです。そのためには注意深く耳を傾け、話し手に自分の話しをする心理的空間を与えてあげなければなりません。以下は聞き手が内的観点で反応している例です。

「こお数ヶ月間、ずっとつらい思いをしてきたのね」
「あなたは結婚に対して矛盾した感情を持っています」
「失業のことを考えると怖くなることに気づいたんですね」
「彼女がついに受諾してくれたんで、君はわくわくしているんだね」
「わたしは寒がりで、すぐ着込んじゃうんだけれど、あなたって平気なんですね」

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内的観点と外的観点の違いをよーく飲み込んでくださいね。なんか話を聞いていてイライラするって感じるときは、たいてい相手の人は外的観点から話しているのです。つまり自分の考えを押しつけがましく話していたり、こちらを否定しようとしたりの意図が見え隠れするからです。裁かないこと、相手の考えや感情に共感すること、つまりわたしにはわたしの感じ方があるように、相手には相手の感じ方があり、それは相手の領分のことだから、尊重しなければっていう立場が、内的観点に立つっていうことです。この本には練習問題が載せられていました。ちょっとやってみてください。

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問い 妻の反応の仕方が3つあります。それぞれ内的難点か、外的観点かを言い当ててみてください。

夫:ぼくは子どものことが心配だ。あの子はこのごろいつも遅くまで外出していて、何を考えているのか分からなくなってきたよ。

妻:①( )あなたがもう少し子どもたちのことに感心を持てば、あの子達の考えていることがもう少し分かるようになるわ。
:②( )あなたは子どもたちと会う時間が少ないから、子どもたちと距離ができてしまったと心配してるのね。
:③( )あなたはいいパパよ。何も心配いらないわ。
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次回は【スキル2 尊敬と受容の態度を身につける】です。おつきあいいただければうれしいです。
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破壊的カルトから身を守るには

2005年07月10日 | 一般
ちょっといい小文を見つけました。

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カルトから身を守るには


宗教との出会いをきっかけに、考えや行動が変わっても、その人本来のよさや、主体性は失われず、むしろ輝くようであれば、それはすばらしいことです。しかし、それがもし、マインド・コントロールなどの悪質な手法で信者を獲得したり、不正な脅しをかけて大金を巻き上げるなど、本人のみならず、周囲の人間や社会にまで被害を与える団体だったなら、それは避けるべきだし、周囲の人々としては助け出したいと思うのが当然です。

そのような団体を「破壊的カルト」と呼びますが、破壊的カルトの特徴はマインド・コントロール以外にも次のことがあげられます。
1.一般社会や信者以外の人間への敵視や蔑視。
2.教祖、教団組織への絶対服従。
3.目的のための手段の正当化。
4.脱会者への身体的に痛めつける制裁。
5.これまでの人間関係のシャットアウトや、人生の目標を奪うこと…など。

破壊的カルトは教団を唯一とする絶対主義で、個人の意見は封殺されます。そしてそれ(教団絶対主義)をより完全なものに近づけるために、外界との接触を断とうとするのです。


破壊的カルトにはまりやすいタイプの人とは、

1.暗示にかかりやすい人。
2.いつも誰かと一緒にいたいという「親和欲求」の高い人。
3.孤独感の強い状態の人。
4.家庭内に不幸があるなどの、弱みを持つ人。
5.お金や社会的地位を得ることでは満足できないような、自己実現欲求の高い人。
6.お金や社会的地位など、社会的欲求に価値を見出さない人。

…などです。

破壊的カルトから身を守る最大のカギは、
常に自分を見失わず、
人生の目標を持ち続けるなど、前向きに生きていくことです。
そして、家族や友人との関係を大切にし、彼らの声に耳を傾け、
自己を冷静に客観視することも必要です。

不安や不幸を抱えているときこそ、自分自身としっかり向き合い、問題の根源から逃げない強さを持つことも大切です。

(すぐに使える! 心理学/渋谷昌三・著/PHP文庫)

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…ということです。

「破壊的カルトにはまりやすい人」のところで、
「いつも誰かと一緒にいたいという親和欲求の高い人」という指摘は、なるほどなあ、と思いました。現役さんのHPに設置されている掲示板などを見ていると、うなずけます。「いつも誰かと一緒にいたいという親和欲求の高い人」に対して、できるだけ支えになってあげよう、という意欲にもし目覚めることができたなら、つまり誰かに頼るだけの生き方から、頼りつ支えつの利他的な生き方が出来るようになれば、破壊的カルトを卒業できるのかもしれません。「おもいやりの人間関係スキル」の知識はそういう気持ちに目覚めた人にきっと役立つものです。

ところが、「破壊的カルトから身を守る最大のカギ」で提案されている、
「家族や友人との関係を大切にし、彼らの声に耳を傾け」という点で病んでいるということが、現代社会の問題なのです。相手の感情、気持ち、意欲、目的などを受け入れず、世間体とか親の見方の押し付けとかで、本当の心情に耳を傾けることが非常に少なくなっています。

先回の記事で、

***
1. 指図したり、先導したりする
 相手が何について話すか、その内容をコントロールすること。
「ものごとがうまくいっている話には興味があるけれど、うまくいっていないからって、愚痴っぽい話は聞きたくないな」
「わたしは、あなたとあなたのお母さんの関係についての話を聴きたいのです」
「あなたがどうやって仕事をしているかっていう話に絞りましょう」

2. 判断したり、評価したりする
 黒白、良し悪し、○×…といったような判断を下すようなことを言うこと。
 とくに、自分の立場から見て、話し手に欠点があることを示そうとすること。
「君は彼女にさよならを言うべきじゃないと思う」
「あなたは自分の人生を台なしにしてしまった」
「あなたは自分のことを表現するのが下手だね」

6. 助言したり、教示したりする
 あなたにとって何をするのが一番いいかは自分の方がよく分かっている、というやり方で反応すること。
 相手が自分を見つめ、自分で考え、自分で判断する余地を与えない。
「その仕事から彼をはずせ、というのが私の考えだ」
「なるほど、それで君は寂しいわけだ。外へ出て人と会うようにする必要があるな」
「もっと戸外で時間を過ごすようにしなさい」

***

というのがありました。
進路について、親がレールを敷いてしまう。子どもが本当の意欲を言おうものなら、不機嫌な表情を見せたり、「あなたにはそんなこと無理よ」などと一蹴する、「自信がないとかいうような話は、お母さん嫌いだな」と言う言い方で、子どもをコントロールしようとする、「お父さん、お母さんはね、あなたのためを思ってしてあげてるのよ」と恩を着せる、「どれほどたいへんか、あなた分かってる?」と、子どもが自分で決めたことよりも、親が決めたことの方が優れていて間違いがない (つまり「あなたが自分でものごとを決めたことは駄目なのよ」という隠されたメッセージとして子どもに伝わり、子どもの判断力、ひいては自活力を育たないように誘導する) などなど、こういう態度がつまり、子どもの声を聞いていないということであり、子どもの心の意識しない部分に疎外感や孤独感を感じさせてしまうのです。日ごろ、どれほどおしゃべりしていても。

こういうことについて、今「傷つくのが怖い/根本橘夫・著」を読んでいて、とてもわかりやすく書かれていましたので、また近いうちに簡略に引用してみます。とにかくこんな理由で、今という時代は人々にカルトにはまりやすいよう教育しているような状況なのです。「聞く」ということは相手の目標や心情を理解し、まず受け入れてあげてこそ「聞いている」のです。たとえ、子どもが言い出した将来観が現実離れしていても、まず、「さっちゃん、そんな夢を持つようになったのね。知らない間に大人になっていたのね。ちょっと見直したわ」って、まず子どもの成長を認めてあげてこそ「聞いている」のです。なんだか大会の実演のようなしゃべりですが、これが「共感」なのです。大会の実演と違うのは、そうは言っても結局組織が決めた進路に誘導しようとする態度と、できるだけ子どもの意向を叶えてあげようとする態度です。「聞く」スキルはまず、親の希望を押しつけない、親が知らない世界だからといって頭から拒絶しないというような精神態度が土台です。

押しつけ、親の知らない世界への恐怖を子どもに植えつけると、子どもは自分を分かってくれる人を、親以外のところに見つけようとします。そんなところにカルトが現れます。「自己実現欲求」の強い人は破壊的カルトにはまりやすい、ということでした。現代は危険に満ちています。仕事で失敗するというのはつらいことではありますが、人格を破壊されること、本来もっている能力を萎縮させられてしまうことに比べれば、ずっと程度の軽いものです。人格がしっかりしていれば、失敗のためにすねたりしませんし、やがて思い返して立ち直れます。能力をいかんなく発揮できれば、また意欲を取り戻せますし、現実世界で生きて行けるでしょう。

「聞く」ことは孤独感を癒し、人間に自信を与え、前向きな考え方を育みます。破壊的カルトに対抗するには、そういう「人間力」というか、健全な精神力をひとりひとりが培うことだと、わたしは考えています。
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息もできない…

2005年07月07日 | 一般
ぎっくり腰、やってしまいました。
けっこう腰が弱いんです。ここしばらくは何でもなかったんですが…。

朝、拭き掃除のときに、経理の部長が来てわたしを呼ぶんです。何でも書庫の高い所にあるダンボールを下ろしてくれって言うことなんです。わたしはまたバカみたいに背が高いからお呼びがかかったんですが、その段ボール箱がまた重い…。男性社員に頼めよって言いたいんですが、「部長」に口答えもできず、なにやら綴じた書類がびっしり詰まった箱を下ろすときに…。ばらまいちゃって、なのに部長は「あ~、おいおい!」って、書類の方を気にかけるんです…。

音がしましたからね、なにせ。何かが切れるような…。息をするのも苦しい一瞬でした。年には勝てませんねえー。でも今日は午前であがっていいって言われて、まあ、それはよかった…。でも明日も休んでいいとは言ってもらえなかった。従業員を何だと思ってるんだ。

制服のまま帰ったんですが、お昼の電車ってガラガラにすいていて、なんだか高校生の頃を思い出しました。学校に行くのがイヤで、よく引き返したりしていましたから。こんなことじゃなきゃ、買いものにでも行きたいんだけれどなあ。近くの開業の整形外科は4時からなので、ちょっと寝てます。みなさんも、腰は大事にしてくださいね。
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脅威的な言語反応

2005年07月05日 | 一般
人間のコミュニケーションにおいて言葉の果たす役割はそんなに多く占めているわけではありません。おおくは声色とか、表情とかが意図を伝えるものです。それでもことばの果たす重要性は重いものです。自分には悪い意図なんてないのに、ことばの使い方のせいで信頼関係に亀裂が走ったりします。カウンセラーは話を聞く訓練を受けます。患者が自分の内面を率直に話すには信頼感と安心感がなければならないからです。
今回と次回は、カウンセラーが訓練される聞き方のテクニックを紹介します。エホバの証人時代に叩き込まれてきた、遠まわしな非難や暗黙の圧力、「お上品なことば」でありながらしっかり人格を否定する技術が染みついてしまった人に、ぜひ知ってもらいたいです。

今回参照する本は「思いやりの人間関係スキル・独りでできるトレーニング/リチャード・ネルソン・ジョーンズ・著」からです。この本と、トマス・ゴードンが著した「親業」はわたしの救世主です。この2冊でわたしは変わることができたからです。今回参照する「思いやりの…」は3500円もする高価な本ですが、それだけの価値がある本です。今回の内容から興味を持たれた方はぜひご自分でお読みになってください。ほんとうに役立つ本です。人間の性格でさえ変えることは十分可能なのです。まして話しかた、聞きかた、相手との距離の保ちかた、詰めかたを学ぶのはもっと容易なことです。

では、はじめます。

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カウンセラーの会話はクライエントの話を注意深く聞くことに徹したものですが、一般の社交的な会話は、「ふたりの人間がお互いのエゴを交互に鍛えあっている」と皮肉交じりに言われるような種類のものであり、両者は全く異なったものです。

カウンセラーは、クライエントが受け入れられていると感じて、安心できるような聞き方の訓練を受けています。この訓練の中には、日常会話にはごく当たり前に行われている「脅威的な言語反応」を避けることが含まれています。

友人同士、夫婦、恋人同士などの親密な関係でしばしば起こる悲劇は、当人には悪意はないのに、訊きかたのスキルが弱いがために、お互いに相手の話を十分に聞かない、という事態です。誰にも友人や恋人を助けてあげて、思いやりを示してあげたいと思うときがあります。そのようなときに、友人や恋人に、自分のことを自由に話してもいいんだ、という気持ちを持たせてあげることが、思いやりを示すということなのです。

以下にあげたのは、思いやりを示すのに失敗する「脅威的な言語」の例です。これらは人間関係の中で、必ずしも用いてはいけないというものではありません。むしろ、これらのことばを話す前に、これらのことばがもたらす否定的な効果について知っておく必要がある事項です。


1. 指図したり、先導したりする
 相手が何について話すか、その内容をコントロールすること。
「ものごとがうまくいっている話には興味があるけれど、うまくいっていないからって、愚痴っぽい話は聞きたくないな」
「わたしは、あなたとあなたのお母さんの関係についての話を聴きたいのです」
「あなたがどうやって仕事をしているかっていう話に絞りましょう」

2. 判断したり、評価したりする
 黒白、良し悪し、○×…といったような判断を下すようなことを言うこと。
 とくに、自分の立場から見て、話し手に欠点があることを示そうとすること。
「君は彼女にさよならを言うべきじゃないと思う」
「あなたは自分の人生を台なしにしてしまった」
「あなたは自分のことを表現するのが下手だね」

3. 非難する
 相手を指すようなやり方で、責任を相手のせいにすること。
「全部おまえのせいだぞ」
「そっちが言い出したことだ」
「あなたのおかげで、いま、大変な思いをしているのよ」

4. 攻撃する
 相手をけなしたり、苦痛を与えたりすることを言うこと。
「今までものごとをうまくやったことって、ないんじゃないの」
「バカだな」
「やる気がないんなら、帰れ」

5. 道徳的なことを言ったり、お説教したりする
 お高くとまって、相手が人生をどう進むべきかを言うこと。
「あなたは両親を常に尊敬すべきです」
「正直は最良の策ですよ」
「セックスが人生のすべてではありません」
 「結婚が幸福のすべてではありません(エホバの証人時代によく言われたことば)」

6. 助言したり、教示したりする
 あなたにとって何をするのが一番いいかは自分の方がよく分かっている、というやり方で反応すること。
 相手が自分を見つめ、自分で考え、自分で判断する余地を与えない。
「その仕事から彼をはずせ、というのが私の考えだ」
「なるほど、それで君は寂しいわけだ。外へ出て人と会うようにする必要があるな」
「もっと戸外で時間を過ごすようにしなさい」

7. 相手の感情を受け入れない
 相手がいま感じている感情とは別のことを感じるべきだと、相手に言うこと。
「いつまでもめそめそしていたって、物事は先へ進みませんよ」
「弱虫だけだぞ、そんなことでビクビクするのは」
「何がそんなに嬉しいのか分からないわ」

8. 不適切に自分のことを話す
 相手が自分のことを話しているのに、それを遮って、聞き手が自分のことを話すこと。
「大変だったのね。でも私の話も聞いて」
「私って聞き上手なんだわ。だってみんなが私にその話をしたがるんですもの」
「私の(あるいは誰か英雄視されている人の)体験を聞かせよう。君にも大いに参考になるだろう」

9. 尋問する
 相手が望んでいないのに、探りを入れて相手を脅すような質問をすること。
「マスターベーションしてる? 何を空想しながらしてるの?」
「この前まで誰とつきあっていたか話せよ」
「あなたの欠点は何でしょうか」

10.安易に元気づけたり、笑わせたりする
 相手のためではなく自分のために、相手の感情をいい方に変えようとすること。
 相手の真の感情を全く理解せず、理解しようともしない。相手の個性を否定している。
「誰だって、たまにはそんな風に感じるものだよ」
「あなただったら切り抜けられる。前向きになれって」
「ほら、いま、笑ったでしょう。これはそんなに悪いことじゃないはずよ」

11.レッテルを貼ったり、診断したりする
 素人なのに精神科医のように相手に病名、症状をレッテル貼りしたり、診断したりすること。
「あなたって、ヒステリー性格じゃない」
「あなたは誇大妄想の傾向があるね(組織擁護のためにエホバの証人がよく使う)」
「本当に神経質だな」

12.過剰な解釈をする
 客観的な立場から相手の行動を説明し、しかもそれは相手が自分のことについて
 思ったり感じたりすることとはほとんど一致しないこと。
「君は僕のことを恐れていて、それでもう僕とは外出したくないんだと僕は思うね」
「あなたがその仕事に就くのをためらっているのは、お父さんの考えに逆らうことになるんじゃないかと恐れているからでしょう?」
「あなたは子どもとして愛されてこなかったから、私に感情を出すのが下手なのです」

13.話を分散させたり、関係ない話をする
 話の本筋からズレたことを言って混乱させたり、煙に巻くようなことを言うこと。
「…わかったわかった、とにかく場所を変えよう」
「話は違うんだけれど…」
「このこと、そんなに考え込むほどのことかな。楽しくやろうよ」

14.注目しているふりをする
 心にもなくおおげさに、相手の話に興味や関心があるふりをすること。
「おもしろそう!」
「信じられない! すご~い!」
「うっそ~! かっわいい~!」

15.時間の圧力をかける
 聞くための物理的な時間がないことを相手に知らせること
「ちょっと、今から出かけなきゃならないの」
「短めに話してね」
「この頃とても忙しくて」
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いかがだったでしょうか。
話されていることは筋が通っていて、うなずけることなのに、なぜかイライラする。正しいことを話されて、理解はできたけれど屈辱感が残る。そういった経験がありませんか。

なぜでしょう?
話されたことは正しいことなのですが、思いやりがかけていたからです。共感がないからです。エホバの証人の使うことばで言えば、「裁く」からです。人間というものは感情の生きものなのです。ですから理屈では絶対に説得できないのです。感情を理解し、受け入れてあげることで信頼を勝ち得ることができるのであり、信頼の上に納得や説得が成立するのです。

元エホバの証人が集まる掲示板などでは、ときにどろっとした書き込みが表れて、それに対して説教されるようなことがあります。しかし信頼関係がないのに、前向きにとか恨み言を言うのって見苦しいなとか言っても、傷つけあうだけなのです(上記の1、6、7参照)。掲示板ならそのままそこから消えてしまえば済むことですが、現実の人間関係の中でそのように傷つけあうと、日常生活がストレスで苦しいものになります。

人間として大人になるというのは、世渡りが上手なことでもありませんし、折り目正しい行動を取れることや、道理にかなったことをいつでも冷静に話せることでもありません。それは人間に思いやりを示せるかどうかだとわたしは断言できます。道理も常識も、思いやりがあってこそ血の通ったものになるのだとわたしは思うのです。もちろん誰にでも愛を向けることは現実的ではありません。傷ついた人の重い打ち明け話を聞くのは、誰にとっても重苦しいことです。実際、カウンセラーの中には、自身が傷ついてしまったり、無力感に陥ってうつになったりする人もいるくらいです。境界性人格障害の方の場合には、その打ち明け話には、共感にも限度を設けて聞くようにしないと、周りの人も振り回されてしまうのです。

しかし、愛する配偶者や恋人、大切な友人、自分を身代わりにしても守ってあげたい子どもであるなら、思いやりのスキルをフル活用して、支えてあげたいのではないでしょうか。そういうつもりなのに、スキルが弱いためにかえって溝を深めてしまった、なんてことになるのは、避けれる方法があるならぜひ避けたいでしょう?
思いやりを持つ人は幸せになれる人です。でも思いやりも表現できなければ、相手に「思いやり」として伝わらないのです。思いやりを上手に伝えるスキルを解説した本が、今日、引用した本です。わたしたちはほんとうにいい時代に生まれたと思います。心理学の進歩したおかげで、愛をはぐくむ技術を誰もが身につけれるのですから。

人間にとって、いちばんの幸福は、いい人間関係にあるものです。お金に執着する人、地位に執着する人もみんな、実は愛を求めているのです。お金や地位があれば、愛や尊敬を得られるというまちがった思い込みがあるだけなのです。愛や尊敬は、コミュニケーションの能力にかかっているのです。お金を稼ぐあまりに家族と顔をあわせる時間が持てない、有名人が名声を保つために夫婦が顔をあわせる時間が持てない、人間関係の破綻はこういうところから生じるのです。わたしは若干45歳でありながら、こんな重大な哲学的な事がらで、今、断定的な言い方をしています。真実であると確信しているからです。

技術と言ってしまえば、思いやりなんて表面的なものなのでしょうか。心には思いやりがなくても、ことばの使い方で思いやりを装うこともできるから。…思いやりは装うこともできる、たしかに事実です。結婚詐欺師や女たらしが闊歩できるのは、思いやりは装うことができるからです。エホバの証人のような宗教に絡めとられてしまう人があとを絶たないのも、思いやりは装うことができるからです。でもあなたは今、エホバの証人という宗教を全体としてどう思われますか。愛にあふれた神の霊の宿る「霊的パラダイス」だと思っていますか。エホバの証人自ら話しています、仮面は心を覆い隠せない。装うだけのものはいずれ化けの皮をはがされることになります。

思いやりは決して表面的なものではありません。思いやりがなければ愛情も、友情も、信頼もなりたたないでしょう。上記の事項と、次回紹介する「反射」という聞き方のスキルを身につければ、ただ単に「人間の歓心」を買うだけのこともできます。でもわたしとしては、自分の人生を豊かなものにするために、いい同僚、いい友人、いい恋人、いい配偶者、いい人間関係を勝ち得るためにこういう技術を身につけたいと願っているのです。
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