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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

トランプ大統領は人類の未来に何をもたらすか(2)

2025年06月28日 | 日記
町山智浩『トランピストはマスクをしない』には、こんなことも書かれています。

アメリカでは毎年1万2000~3万6000人が治療費を払えないためインフルエンザで亡くなる。
コロナの検査も貧しい人は受けられない。

2020年3月12日、ケイティ・ポーター下院議員が疾病予防管理センター(CDC)の医師に質問した。

「保険がないとコロナの検査にいくらかかるかご存じですか」
「い、いえ」
「だいたいでいいです」
「すみません。わかりません」
「1331ドルです。陽性で隔離入院になると4000ドルかかります。アメリカでは国民の4割が400ドルの医療費を払えず、3割が治療を延期しています」

レッドフィールド所長に尋ねた。
「コロナに感染するのは金持ちだけですか」
「誰にでも感染します」
「CDCには、検査や治療を無料で国民に提供すると決定する権限が法律で定められていますよね。それを行使しますか」
「そのために全力を尽くすとだけは言えます」
「いえ、それじゃダメです。この危機において、国民の検査を無料にしますか」
「詳細を精査して」
「詳細は手紙に書いて1週間前にあなたに届けました。検査を無料にしますか」
「その方法を話し合っている最中で」
「方法は明日考えましょう。無料にしますか」
「あなたは素晴らしい質問者ですね。答えはイエスです」
「素晴らしい。アメリカの皆さん、聞きましたね。保険のあるなしにかかわらず、誰でも検査を受けられることになりました」

日本の国会審議で、質問にちゃんと答えない(答えられない)首相、大臣、官僚に、野党議員がこういった突っ込みをしてほしいです。
この決定にトランプ大統領はどうしたのか気になります。

横田増生『トランプ信者潜入一年』からです。
アメリカでは、毎年約1000人が警官によって殺害されている。
黒人男性が警官に殺害される割合は、白人男性の約3倍。
黒人と白人の平均年収の差は1.7倍で、黒人の無保険者の割合は白人の1.8倍。

白人に比べ貯蓄高が低い黒人は、コロナ禍であっても、感染リスクの高い職業に従事することが少なくない。
また、密集した集合住宅で生活していることなどから、新型コロナに感染しやすくなる。
さらに、医療へのアクセスが乏しいことや、高血圧や肥満、糖尿病などの基礎疾患により、重症化するリスクが高まる。

制度的人種差別という言葉がある。
収入格差や資産格差、教育格差や医療格差など多くの面で、黒人は白人と同じ条件を享受することができない。

制度的人種差別とは、貴堂嘉之さんによるとこういう意味です。
社会的な弱者が不利となる仕組みが社会構造に組みこまれていて、黒人が黒人として生まれただけで、以後の人生が自動的に不利になってしまう。その悪循環から抜け出せない。そうして、個人の自助努力では克服しがたい構造的な差別のこと。

トランプやトランプ支持者は制度的人種差別の存在を認めません。
2020年5月、ミネアポリスで黒人男性のジョージ・フロイドが白人の警察官によって窒息死させられる事件が起きた。

制度的人種差別が原因だったが、トランプ大統領は否定した。
警官は素晴らしい仕事をしている。その中に、たまたま悪いやつがいるだけなんだ。警官が大きなプレッシャーにさらされて、事態をうまく処理できないこともある。そんなとき、首を絞めることだってあるだろう。けれど、制度的な人種差別があるなんてまったく信じられない。
https://www.fsight.jp/articles/-/48675

不法移民について「トランプ政権の移民摘発、背後に巨大ビジネス 米政府は移民取り締まり関連企業に対する支出を1~5月に前年比50%増額」(ウォール・ストリート・ジャーナル2025年6月3日)という記事があります。
https://jp.wsj.com/articles/the-billion-dollar-business-behind-trumps-immigration-crackdown-667e3932?st=M279mK

移民の摘発でも金儲けしているわけです。
やることなすことすべて「今だけ 金だけ 自分だけ」のトランプです。

トランプの手法をまねた政治家が増え、支持を広げています。
日本もポピュリズム政党が陰謀論、排他主義、歴史修正主義を唱えて議席を増やしており、嘆かしく思う日々です。

「サービス終了に伴い、10月1日にブログ記事の新規投稿及び編集機能を終了させていただく予定です」とのことなので、このブログはこれでおしまいにします。
長い間ありがとうございました。

トランプ大統領は人類の未来に何をもたらすか(1)

2025年06月23日 | 日記
今年1月にトランプが大統領になって、世界は悪い方向に進んでいるように思います。

2025年4月11日、トランプ大統領は共和党の晩餐会で「一部の政治家にあれこれ言わせてはいけない。だって世界中の国々が電話をかけてきて、私に媚びへつらっているのだから。みんな取引がしたくて必死なんだ。『お願いです、お願いです、大統領。取引してください。何でもしますから』ってね」と自賛しました。
https://jp.reuters.com/video/watch/idOWjpvCD85LZWM3XB7SRFZZD9599UX6E/

「権力は人を酔わせる」という言葉がありますが、そのとおりの状態にあるようです。
トランプ大統領は平和主義者で、戦争で悲惨な状態にある人たちを助けようとしている、と書いてある記事を読んだことがあります。
しかし、ウクライナとロシア、ハマスとイスラエルの停戦交渉はやめたようです。

6月20日、トランプ大統領は、インドとパキスタンの紛争やセルビアとコソボの紛争で仲介役を務めたのに、ノーベル平和賞に選ばれないことに不満を漏らしました。
6月21日、パキスタン政府はトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦することを決めました。
トランプ大統領に媚びたのでしょうか。

ところか、6月22日、アメリカ軍はイランの核施設を攻撃したのです。
日本政府はどういう対応するのでしょうか。
まさか媚びへつらうことはないと思うのですが。

6月4日、トランプ米大統領は12か国からの入国を原則として禁止する文書に署名しました。
2017年にも入国禁止措置をとっています。
トランプ大統領は「国境を開放したバイデン前大統領の政策のせいで、世界中の危険な地域からのビザの有効期限が切れた外国人によるテロが相次いで起きた」と主張しています。

そのどちらにもソマリア、スーダン、リビアが含まれていることに驚きました。
というのが、それらの国にガザの人たちを移住させようとしているからです。

3月14日、トランプ政権はガザ住民の受け入れを協議をするため、スーダンとソマリア、ソマリランドの当局者と接触しました。
5月16日、トランプ政権がガザの住民をリビアに移住させる計画を策定中だと報じられました。

「危険な地域」にガザの住民を追い出そうとしているわけです。
スーダン、ソマリア、リビアは内戦をしており、スーダンの難民は約1700万人、ソマリアの難民は約450万人です。
ソマリランドはソマリアから分離独立しました。
政情は安定しているようですが、承認している国連加盟国はありません。
アメリカも未承認です。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/42aeae30f0940b27a7441330d458e7a1

そもそもガザの人たちが移住を希望してはいません。
住民の考えも聞かず、内戦で国家としての体をなしていない国に一方的に移住させようと考える人間にノーベル平和賞を与えられるものでしょうか。

トランプ大統領の政策は朝令暮改です。
たとえば不法移民の摘発です。

6月14日、トランプ政権は、移民・税関捜査局に食肉加工工場を含む農業部門やホテル・レストランでの不法移民摘発を原則一時停止するよう指示しています。
全米農場労働者組合が強制送還措置の免除をトランプ政権に要請していたからだそうです。

カリフォルニア州で連邦移民・関税局による移民摘発への抗議に対し、6月7日、トランプ政権は州兵の動員を命じ、さらに海兵隊を派遣しました。
国民の声を聞こうとしていません。

平和的デモへは厳しい扱いをするのに、2021年の連邦議会襲撃事件で有罪とされた約1600人に1月20日、恩赦を与えました。
すると、6月6日、極右団体リーダー5人が起訴中に権利を侵害されたとして、政府を相手取り1億ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしました。

連邦最高裁判所の判事9人のうち、6人が保守派で、そのうち3人をトランプ大統領が指名しています。
この損害賠償請求についてトランプ大統領がどう考えているかわかりませんが、連邦最高裁判所判事の多くは忖度するのではないでしょうか。

2017年からの第一期政権でもトランプ政権はおかしなことをしていました。
町山智浩『トランピストはマスクをしない』にこんなことが書かれています。

ホセ・アンドレスは21歳でスペインからアメリカに移民したシェフで、全米にレストランを持つ。
2010年、ハイチ大地震の被災者に無料で食事を提供するNGOを立ち上げ、それをドミニカ、カンボジア、ペルー、ウガンダ、ニカラグアなどに広げ、飢えに苦しむ数百万の人々を救い、ノーベル平和賞にもノミネートされた。
2018年、メキシコとの国境の壁を築く予算を通さない民主党に、トランプは連邦機能の停止で対抗した。
各地の連邦職員は無給で働くことになったため、ホセ・アンドレスは食事を配給した。

トランプ政権はWHOからの脱退、国連人権理事会からの離脱をし、国連の拠出金を大幅に減額しています。
そのため、国連WFP(世界食糧計画)は資金不足のため食料支援の縮小を余儀なくされるなど、国連機関は活動が困難になっています。
トランプ大統領はホセ・アンドレスさんの爪の垢を煎じて飲んでほしいです。
https://note.com/bizrep_l/n/n33c2895a6269

久保田正志『オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝』(4)

2025年06月14日 | 問題のある考え
平成15年(2003年)10月、中川智正さんは一審で死刑判決。
平成17年(2005年)4月ごろ、弁護団は佐々木雄司博士に精神鑑定を依頼した。

意見書の執筆を受諾した佐々木雄司博士は6月に二度、中川智正と面会し、解離性障害(祈祷性精神病)と診断した。
佐々木雄司博士は8月と11月にも面会した。
佐々木雄司博士は意見書を4本作成している。

中川智正の症状はかなり激しいものだが、まれな例ではなく、現実には存在しないものが、見えたり、聞こえたり、感じたりする人は珍しくない。

麻原彰晃は光を放っており、そばにいると体が楽になる。
佐々木雄司博士は、中川智正は麻原彰晃と一体化しており、「麻原がそう考えていると思ったらそれはもうやらなければいけないこと。私と麻原とを結び付けていたのは神秘体験」という状態であったと指摘する。

解離性障害は朝鮮半島の巫女(シャーマン)の症状に見られることから巫病とも言われ、沖縄ではカンダーリという。
次第にコントロールが可能になると、巫者(シャーマン)・教祖となる。
同時に、体験の貧困化、職業的狡猾化などが加わってくる。

沖縄のユタや津軽のイタコ、霊能者や拝み屋、ヒーラーにもいる。
天理教の中山みきや大本の出口なおなどの教祖も巫病だった。
麻原彰晃も巫病で、神秘体験をしやすい特異体質だったらしい。
オウムの信者の修行については、先天的な巫者である麻原に憧れて後天的な巫者になるべく修行していた側面がある

巫病は、修行が先行してその後から神秘体験が出現する型と、神秘体験が先行する体験先行型がある。
体験が先行した非修行型には、治療が必要でないタイプと、治療が必要な状態を伴った修行型がある。
オウム真理教の信者の多くに見られる神秘体験は修行型に該当する。

神秘体験に振り回され、日常生活に支障をきたせば治療が必要となる。
中川智正は治療が必要な体験先行型に相当し、同症状の人の中ではかなり激しいものとされた。

控訴審において弁護団は、中川智正の神秘体験、状態が、社会人類学で言うところの巫病、精神科の病名で言えば解離性障害ないし祈祷性精神病に起因し、障害による責任能力の毀損を主張の中心にすえることにし、佐々木雄司博士による精神鑑定の実施を申し立てた。
しかし、高裁は精神鑑定の必要性を認めなかった。

巫病の発症原因はストレスによるものが多く、中川智正の場合は卒業試験や医師国家試験、沖縄県立中部病院の不採用、医師としての勤務開始などがストレスの要因として挙げられる。
沖縄には巫病者が大切にされる風習があり、もし中川智正が沖縄の病院に勤めていたら巫病に苦しむことはなかったかもしれない。
こうしたことが佐々木雄司博士の意見書に書かれています。

出家直後、中川智正はまず立位礼拝をさせられた。
大声で詞章を唱えて体を前方に投げ出すようにして伸ばし、またすぐ立ち上がって詞章を唱えて、という動作を10秒から15秒に1回行うことを繰り返す。

中川智正は立位礼拝をしようとするたびに、誰かに投げられるような感じで体が吹っ飛ぶように倒れて大きな音を出し、また突然立ち上がって歩き出し、障害物等を避けて普通に歩いていたのに、「わし何してた」と言ったりした。

ほんまかいなという話ですが、佐々木雄司博士は「典型的な精神運動性興奮」であるとし、夢遊病のような症状を呈したことについては「解離性遁走」としています。

様々な神秘体験、臨死体験を繰り返す中で、中川智正は輪廻転生を実感するようになった。
アメリカ、ドイツ、チベット、インド、江戸時代の日本などに転生した前世が見え、いずれも麻原彰晃と共にいた。

中川智正は周囲が真っ白になるという空の体験をしているそうです。
悟り体験でしょう。
覚ると三明を得るとされます。
その一つが宿明明、過去世を知る能力です。

生まれてから死ぬまでの間ではなく、何度も転生して修行する。
長い時間での視点からすると、殺したり殺されたりすることも修行の一つ。
死が終わりではないから、死は恐怖ではない。
生命がずっと続いているというのが恐怖だ。

平成19年(2007年)7月、二審で控訴棄却。
平成23年(2011年)10月、中川智正弁護団『絞首刑は残虐な刑罰ではないのか?』が出版された。
中川智正が支援者を通じて収集した明治期の新聞・官報にある絞首刑の記録をデータベース化したものに基づいた研究である。
実質的には中川智正の執筆といってよく、校正から題名、装丁にまで関わったが、著者として名前を連ねることを固持したため、弁護団の名前にしたと、後藤貞人弁護士は語っている。

この本をいただいたので、ブログで紹介しています。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/7b7140abd9acb8c5e42700c606da6fa2

平成23年11月、最高裁が上告を棄却、死刑が確定した。
江里昭彦さんと中川智正さんの同人誌「ジャム・セッション」を平成24年(2012年)に創刊。
中川智正さんは俳句と「私を取り巻く世界について」を投稿しています。
https://privatter.net/p/4318257

平成28年(2016年)、「現代化学」に「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」を発表。
この手記についてもブログで紹介しました。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/755c21f58a4341a2dac7501e8d86fb0e

平成29年(2017年)8月、再審請求。
平成30年(2018年)5月、再審請求は棄却。
6月、即時抗告。
7月6日、死刑執行。

「智正は巫者であり、麻原も巫者だったようである。先輩の巫者である麻原が後進の巫者であった智正をその状況を承知して利用した」と久保田正志さんは書いています。
麻原彰晃が都合よく中川智正さんを利用したわけではないと思います。

悪霊(?)が見えるという知人がいて、家に結界を張っていると言ってました。
母と自分だけが見えるそうで、知人も巫病なのかもしれません。
中川智正さんと会った時、今も何か見えるんですかと尋ねると、このあたりに光が見えると言うので、へえーと驚くと、全く何の役にも立たないと笑ってました。

私は悪霊は見えませんし、神秘体験をしたこともないですが、生活に支障を来しているわけではありません。
神秘体験など経験しないほうがいいようです。

久保田正志『オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝』(3)

2025年06月09日 | 問題のある考え
昭和63年(1988年)中川智正さんは2月10日から起きた異様な体験が繰り返し続いたので、オウム真理教に電話して、対応した平田信に自分の身に起こったことを1時間から1時間半くらい話します。
「霊性の高い人が電話をかけてきた」と喜んだり感心したりした平田信が井上嘉浩らに電話の話をすると、「それは霊性が高い」と賞賛したと、後から聞いた。

この世界でやっていけないと思った中川智正は、昭和63年(1988年)2月13日にオウム真理教大阪支部に行って入信した。

「平田信陳述書」(平成30年1月15日)
自分は信徒対応で何人ものノイローゼなどの精神疾患を抱えた人を見てきたが、それと同じ目つき・顔つきで「よく周りの人に入院させられなかったな」と思った。
当時のオウム真理教には麻原彰晃の本や教団での修行を通じての神秘体験にもとづく電話が少なくなかった。

中川智正は入信の際、中川智正が「子供の頃から光の粒が降ってくる」と話したところ、井上嘉浩はちょっと目をつぶって「今、あったでしょう」と言った。
その時に、中川智正も同時に光の粒が降ってくることを感じたため信用せざるを得なかった。
新實智光、井上嘉浩らが自身の状態を把握できていたようなので、少し安堵した。

頭頂付近を照らすような白い光は逮捕後の平成9年4月までずっと見え続けている。

大阪支部に行って話をすると、自分に入ってきた痛みや想念を引き取ってもらい、逆にエネルギーをもらっていると感じるので頻繁に通うようになった。

入信後の新しい神秘体験として、身体が勝手に跳びはねる体験があった。
最初の経験は2月17日頃で、夜、仰向けに寝ていたら体が突然、踵と頭だけを着けてブリッジするような形に背中が反り返る状態になり、あぐらをかいて座ったら今度は体が跳ね始めた。
座ったまま体が鞠のようにぴょんぴょんと10~20センチ跳ねては落ちるという状況が30秒ぐらい続いた。
数日後に大阪支部に電話したら、「それはダルドリー・シッディで、修行の途中で起こることである」という説明があった。

4月末に高校時代の友人に跳んでいるところを見せたが、友人によると2センチくらい跳ねただけだった。
久保田正志さんもダルドリー・シッディをやってもらったが、貧乏揺すりのようにしか見えなかったそうです。

脳の活動を調べてもらったり知能検査と心理検査を受けたが、異常は出ず脳腫瘍の疑いは否定された。
癲癇についても脳波の異常はなかった。

昭和63年(1988年)3月に京都府立医科大学を卒業してから神秘体験はひどくなった。
4月2日、医師国家試験を受け、5月15日に国家試験に合格した。
アルバイトで臨床検査の仕事を再開した。

心電図検査医の際、患者の痛みが自分の体内に入ってきて自分も痛みを覚えるという経験をするようになった。
しかも、複数の患者と接した場合はどんどんと入ってくる。
他人の想念もいつのまにか入ってきて、突然感情が混乱して何が何やら分からぬままに仕事が手につかなくなる。
その一方で、自分のエネルギーが人混みなどで流れ出るため、鼻水が出たり顔が浮腫んだりした。

広瀬健一さんも非信徒と接したり、街中を歩いたりすると、カルマ(悪業)が自身に移ってくるのを感じ、表現し難い不快な感覚も誘起されたと書いています。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/bb9459ec5d1d8a0c3f643100dcaf2bbf

昭和63年(1988年)の夏に麻原彰晃からシャクティパットを受けた。
仰向けに寝ている人の頭のほうに座った麻原彰晃が、額に手を当てて10分から15分くらいエネルギーを注入する。

受けた際、中川智正は踵と首が着いて腹が持ち上がる、弓なりに反るような体勢になり、体の中に温かいものが足の先からずっと入ってきて頭のほうに来るという体験をした。
そして、病院で受けていた悪い影響がすうっと治ってしまうという感覚を持った。

麻原彰晃は人にエネルギーを与えると変調があり、麻原の光がいつもより弱く、顔の皮膚はポロポロとはげ落ちるように崩れる感覚を受けた。
シャクティパットは何日かは効果があったものの、体調は元に戻ってしまった。

広瀬健一さんによると、シャクティパットはイニシエーションの一つです。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/2b0dcc7613655d08633c4409736150fd

元信者の三国さんがシャクティパットを受けた時の感想です。
一度目はクンダリニーが、上がってきたのを感じた。二度目の時は、頭がい骨の継ぎ目がバキバキいう音をたてた。セックスの絶頂で得る快感より数十倍もの快感だった。体が溶けていき、このまま死んでもいいという感覚だった。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/c56d72adc028bc63cab3bc5ba633793b

クンダリニーの覚醒、頭蓋骨のたてる音、快感は中川智正さんや広瀬健一も書いています。

麻原彰晃の唱えるマントラを録音して、音としても電波として再生すると、最初のうちは体調の回復に効いた。

自身に起きた巫病の体験の意味と今後の見通しを的確に説明できるのはオウム真理教しかなく、オウム真理教に頼る以外の選択肢がないというのが実情だった。
平成元年(1989年)2月くらいから社会生活を営めないという思いが出てきた。

6月から大阪鉄道病院に勤務するが、病院で倒れた。
周囲は過労と見て数日間休むことを勧められ、上司から精神科を紹介されて受診した。
1時間程度の受診で終わり、薬も出してもらえなかった。

入信してから出家までの間は、私は自分で自分を全くコントロールできず本当に大変で、その間に私は麻原氏に対する無力感・他動性を身に付けてしまった。(平成15年の久保田正志さんへの来書)

7月に出家を決意し、8月31日に出家した。
そして、11月4日、出家して2か月ちょっとで坂本弁護士一家殺害に関与した。
それからもボツリヌス菌や炭疽菌の生物兵器、核兵器、サリンやVXの化学兵器の研究にも動員された。

そして、平成7年(1995年)5月17日に逮捕。
取調べの刑事に「心臓に気をつけてください」と言い、刑事は実際に心臓が悪いので驚いた。

久保田正志『オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝』(2)

2025年06月03日 | 問題のある考え
『オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝』は中川智正さんの巫病について詳しく書かれてあり、非常に興味深い本です。
昭和63年(1988年)2月10日に起きた中川智正さんの神秘体験の続きです。

クンダリニーの覚醒の後、窓から外を見、部屋の中をうろうろして、また座って目をつぶった。 目をつぶっても、まだ目の前は真っ白に光っていました。
「えっ、まだある」
と思って、あっけにとられていると、
「昇ってこい」
という男性の声が自分の心臓の中から聞こえました。
「えっ、えっ、何、今のは」
また恐怖に陥っていると体の中の光が胸から頭頂へと上に昇り始めました。この時にも視野が二つあって上から胸を見下ろすものと、目の前が真っ白になっている視野でした。二重に重なって見えるのではないのですが、視点が二つあって、どちらも見えていました。大画面の映像全体を一度に見ている状態に近いでしょうか。それから頭頂に光が昇り切って、全身が硬直し、小刻みにぴりぴりと震えました。やはり男性の声で、
「お前はこのために生まれて来たんだ」
という声が心臓からしました。
電気が目の前でスパークしたかのように明るくなって続いています。そして私は突然、自分はなんと無駄な人生を歩いてきたんだろうという思いが何の脈絡もなく心の奥底から浮かび上がってきて、涙を流していました。自分に異変が起こっているのはよくわかっているのですが、それが制御不能だったのです。何でこんなことを考えるのだろうと思いつつ、今までの人生が全く無意味であるという感覚もあったのです。
また、光が頭頂に届いた瞬間に、性器に強い快感がありました。射精をした時の感覚というよりも、何か高いところから落下して尾骶骨を打った時のような衝撃があって、快感には違いないのですが、強烈すぎて何度も経験したいと思うようなものではありませんでした。

目をあけてあたりを見回すと夜で、電気をつけるといつも通りの部屋だった。
私の身にこんな大変なことが起こっているのに、この世界はどうして何も変わっていないのだろうと思いました。自分がこの世界の時の流れから外れて別の時間を過ごしているように感じ、また自分はここにいるんだけれど周りから切り離されているような感じがありました。
頭に熱間があったので触ってみると、頭頂部が熱くなって盛り上がっていました。
「えっ」
と思ったのですが、間違いなく盛り上がっていました。そればかりか床に座って頭部に触れて確かめていると、私が触っているうちにまた盛り上がりました。考えられないことだったので私はひどく混乱してしまいました。

広瀬健一さんも「熱くない気体のようなものが上昇しました。これが頭頂まで達すると圧迫感が生じ、頭蓋がククッときしむ音がしました」と書いています。

もっとも、中川智正さんが後日、寮の後輩に頭が盛り上がったと頭を触らせると、「いや、そんなことないと思いますよ」と首をかしげたそうです。

この体験以降、この世界で流れている時間と自分の中で流れている時間が違っている感覚や、この世が風景画のような起伏のない別の世界になってその中で自分が浮き上がっている感覚が始まりました。この世界を今までとは全く違うものと感ずるようになってしまったのです。つまり日常の中で体の中を光が昇っていく体験をして、また日常に戻ったのではなく、この体験を契機にして、私からすれば全く別の世界の中での日常が始まったのです。
医学書を調べ、統合失調症や側頭癲癇の発作、脳腫瘍ではないかと考えた。

次の朝、目を醒ました時、昨日あったことは夢ではないだろうかと思いました。もう一度、目をつぶってみました。まだ目の前が薄ぼんやりと明るくなってました。
「ああ、まだある。もうやめてくれ」
と思いながら起床しました。
いつもと同じ世界なのですが、自分はそこから浮き出していました。自分の皮膚と周囲の間に膜があって、自分がそこにいることや、時間が流れていくことにも違和感があるのです。

部屋でじっと座っていると、目の前で映像が流れはじめた。
麻原氏があぐらのような座り方をしていました。前でひざまづくように座り、麻原氏の組んだ脚に頭をうずめるような動作をしていました。
朝に食べた物を思い出すような感じで、前生で麻原彰晃の弟子だったという記憶が出てきて、否定しようとしても否定できない。

さらに突拍子もないことが次々起きます。
寮の近くの道を歩いていると、犬を連れた女性が歩いていたのですが、犬が女性にじゃれつきながら
「好きです、御主人様」と、声を出しました。

いつの間にか私はもう一人の知人と海の中に浮かんでいました。船の助けが来て、その船の方に人を押しやって、さあ、自分が助かろうと思ったら、私は水を飲みながら沈んでしまいました。本当に水を飲んで口からぶくぶくと泡を出して溺死していく感覚がはっきりとありました。暴走族のオートバイが走ってきて爆発したようなブーンバキューンという音がして、気が付くと自分の部屋でした。

休んでいると上半身が裸の屈強な男性が私の頭の側に座ってました。それは姿・形こそ違っていましたが麻原氏でした。そしてニコニコと笑いながら、私の首を絞めるのです。自分と麻原氏の前世だと分かりました。

夜寝てると、自分の体から別の自分が分離して浮き上がって、天井にぶつかって戻りました。

味がしなくなった酒を飲もうとすると、耳元に
「無駄な人生、無駄な人生」
というささやき声が聞こえてきました。

このようなことが二日くらいの間に起きた。

久保田正志『オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝』(1)

2025年05月30日 | 問題のある考え
久保田正志さんは中川智正さんとは中学1年のときの同級生で、それ以来の友人です。
逮捕されてから、そして死刑が確定してからも外部交通者として面会、文通を続けていました。

中川智正さんとの間では、生前に伝記を出すことについては合意ができていたそうです。
その伝記が『オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝』です。

『オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝』に中川智正さんは温厚で人の悪口を言わない、友人も多いとあります。
中川智正さんには一度会ったことがあります。
すごく気さくで話しやすい人でした。
藤田庄市さんの本に中川智正さんは巫病だとありますが、巫病でなければ患者に信頼される医師として活躍しただろうと思いました。

控訴審で弁護団に精神鑑定を依頼された佐々木雄司博士によると、巫病とはシャーマンになる途中などで神秘体験と結びついて起こってくる心身の異常。
巫病に陥ると、神や霊のごとき超自然的存在がその者に介入し、傍目には精神異常としか映らない態様を示す。
コントロール不能で、時や場所を選ばず頻発する。
幻覚、妄想に翻弄されて混乱するが、統合失調症の幻覚、幻聴とは違う。

中川智正さんは昭和37年(1962年)10月に生まれる。
幼少期から神秘体験の萌芽があった。
遠くの山を眺めていると、光の粒がサーッと落ちてくる。
小3のとき、母方の祖父が亡くなった。
その夜、そばに祖父がいて語りかけているような感じがした。

中学に入ると、ノストラダムスの大予言や占いに興味を持つ。
占いへの興味は逮捕後も持ち続けている。
同級生の死などから、死や運命について考えるようになった。

高校2年のとき桐山靖雄の本を読み、運命を変えるという触れ込みに魅かれて、阿含宗に入った。
しかし、運命を変える方法を教えてもらえないなど不信が募って足が遠のいた。

一浪して昭和57年(1982年)、京都府立医科大学に入学。
高校から大学にかけても宗教的なものに関心は持ち続ける。
統一教会のビデオセンター、モルモン教徒が共同で住んでいるマンションに行ったことがある。

大学2年の時に先輩が亡くなり、葬儀の合間に山を見ていると、細かな光の粒が降り注いで、身体の中を上から下へ流れていった。

昭和61年(1986年)に麻原彰晃の本を買っているが、完読したわけではない。
25歳の時、昭和62年(1987年)の秋ごろから身体に変調を来すようになった。

昭和63年(1988年)2月6日、オウム真理教の竜宮の宴にどうしても行かなければならないと思い立ち参加する。
催しの最中に身体の中を風が吹き抜けるような感じを受ける体験をしている。
2月7日か8日にオウム真理教の大阪支部を訪れたが、入信する気はなかった。

オウム真理教への入信の契機は2月10日にあった神秘体験である。
『オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝』に引用されている上申書「最初の体験から入信まで」(平成23年11月18日)を孫引きします。

寮の部屋でのことである。
私はしばらく座っていたのですが、目をつぶった視線の方向、自分の尾骶骨のあたりが白く光り輝きはじめたのです。昼間に太陽を見た時の光の強さよりも強烈で、輝く光でした。
そして、その光が尾骶骨のあたりから背骨の位置に沿ってゆっくりと上に登りはじめるのが見えました。目をつぶっていても、身体的な感覚で尾骶骨や背骨の位置はおおよそわかるものですが、正にその位置に光が見えたのです。
その光は明るさを増しながら胸の付近まで上がってきました。そして、まっすぐな一本の棒のように上がってきた光が左右に枝を出してループを作り、三本になって私の胸の位置で再び一つに交わったのです。その瞬間に目の前が、ストロボが光ったように真っ白になりました。
それまで私は上から見下ろすような視点で光を見ていたのですが、この時は視点が二つになって、自分の目の前にも映像が出ました。まばゆい光の中に自分の背骨と肋骨だけが骨格標本のように黒く映し出されたのです。私はそのまぶしさと何が起こったのか訳が分からない恐怖から目を開けました。
目を見開いて、吐き出すような溜息をつきながら、私は最初と変わらない姿勢であぐらをかいていました。。

これはクンダリニーの覚醒と言われる体験です。
広瀬健一さんも麻原彰晃の本を読んで一週間ぐらいして、ある夜クンダリニーの覚醒をしています。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/d524a50ddae81dc4fa1525676330bc9d

中川智正さんの体験とは少し違うようですが、麻原彰晃の本を読んだり、オウム真理教の催しに参加したことがきっかけという点では同じです。
突然こんなことになったら、オウム真理教に助けを求めるのは当然の成り行きだと思います。

ロバート・J・スミス、エラ・ルーリィ・ウィスウェル『須恵村の女たち』

2025年05月20日 | 
『須恵村の女たち』はロバート・J・スミスがエラ・ルーリィ・ウィスウェル(夫ジョン・エンブリーの死後、再婚してウィスウェル姓)の日録をもとに、ジョン・エンブリー『須恵村 日本の村』を参考にして書いた本です。

ジョン・エンブリーは性についても以前とは変わっていると書かいています。
夜這いや婚前交渉、女性の浮気など減っており、これも国や村の政策が影響している。

ところが、エラが10歳から23歳まで日本で生活していたので日本語が堪能だったためか、『須恵村の女たち』を読むと、性について女性があけすけに語っているように思われます。

寡婦はちょっとした贈り物をすれば近づきやすいと考えられている。
寡婦は性的には自由であり、隣人の冗談の対象であり、冗談を言い合う関係にある。
通ってくる既婚者や若い男が何人もいる寡婦がいるし、男好きと揶揄される女も。
村では愛人を囲うとか免田村の芸者屋に通う余裕のある人は多くない。
部落の寡婦はこの問題の解決策の一つである。

妻妾同居の家もあった。
妻の浮気も珍しくない。
再婚や離婚はごく普通で、10回結婚した女もいる。

電気がなかったころは、若者が家族にわからないようにお手伝いの部屋に入るのは簡単で、男が寝床に潜り込むまで娘が気づかないこともあった。
男は手ぬぐいで顔を覆っているので、誰だかわからない。
ところが、電気のある家は灯りがつけっぱなしで、秘め事を難しくしている。
しかし、夜這いが続いているのも事実。

娘が妊娠したら、親は子供が生まれる前に結婚させようとする。
妊娠した娘は下の階層の男と結婚することになる。
寡夫と結婚する娘も多い。

1935年には以前よりも未婚の若い女性が結婚前に性関係を持つことはあまり見られなくなったし、私生児も少なくなった。
1903年(明治36年)の婚外子の割合は9.4%で、1943年(昭和18年)の4.0%の2倍強。
https://x.com/danjokyoku/status/1552834728163971072/photo/1

道徳的になった理由の一つは学校教育。
純潔を保たねばならないという教育を受けている。
若い男は売春宿や料理屋があるので、村の女の子を追いかけない。

離婚も減った。
1883年(明治16年)の人口1000人あたりの離婚率は3.39で、2020年(令和2年)の約2倍。
1935年の離婚率は0.70。
夫が大酒飲み、暴力を振るう、姑との折り合いが悪いなどで、我慢の限界を超えると離婚した。

以前は離婚しても簡単に再婚できた。
それは労働力を必要としていたから。
離婚が減ったのは、持参金の額が大きくなり、結婚式の費用も多額になったから。

昔は5円で結婚できた。
5円あれば料理屋や売春宿で女を買える。
今は結婚に多額の金がかかるので、離婚する前に考えることになる。
結婚の年齢が高くなったこともある。
以前は女性が十代で結婚するのは普通だった。

エラ・エンブリーは1951年と1968年、1985年に須恵村に再訪しています。
1950年に死んだジョン・エンブリーの追悼会が1951年に行われ、エラが出席しました。
宴会は1935年の時と全く同じだった。

どんなふうだったかというと、宴会で歌と踊りを楽しんでは、午前さまになることもしばしば。
性行為に関する冗談と、それを真似た踊りは頻繁に行われる。
宴会での既婚の女の踊りには性的な特徴がある。
歌に合わせて性交の真似や誇張をするのは、女性の性的な感情の表現である。

女たちは猥談と噂話が好きで、煙草、酒、性に楽しみを見いだしていた。
一晩に2回は普通、5分で最高潮に達する、など。
田植えでは卑猥な冗談で笑い声が出る。
1951年の宴会もこんな感じだったのでしょうか。
しかし、1968年には全く違っており、村人は礼儀正しくなった。

戦前の農村は江戸時代と変わらない生活だったと、杉浦正健『あの戦争は何だったのか』にありますが、まったく変わらないということはあり得ません。
全国どの村も少しずつ変化しているのでしょう。

ジョン・エンブリー『須恵村 日本の村』(2)

2025年05月16日 | 
ジョン・エンブリー『須恵村 日本の村』に書かれている宗教についての記述の続きです。

神主や僧侶より重要なのは、病気を治し悪霊を追い払う祈祷師である。
村には3人の祈祷師がいて、稲荷神社2社と天台宗の寺がある。
この他に、祈禱によって病気を治す力を売り物にする者が2人いる。

多くの人が祈祷師の治癒力は医者と同じかそれ以上と考えている。
村に医者はおらず、隣村の医者は1回の往診に1円かかる。
治療代は15銭相当の米か、何個かの卵を持っていけばすむ。

気分が悪くなったり痛みや病気になると、医者を呼ぶこともあるが、神仏に頼んだり祈祷師を頼る。
本人か身内が祈祷師のところに行く。
祈祷師は症状を調べ、生年月日を聞き、患者の頭の上で御幣を振り、お札や護符を授ける。
牛や馬が病気になったときも祈祷師に相談する。
地鎮祭には祈祷師を呼ぶ。

子供の名は祈祷師の勧めによってつけられたり変更されたりする。
厄年に子供が生まれたら、祈祷師は動物の名で呼ぶことを勧める。
5歳を過ぎて何ともなければ本名で呼ばれる。

物に憑かれると祈祷師を訪ねる。
憑き物は主に犬の霊だが、猫や鼠の霊もある。
犬神が赤ん坊の病気の原因と信じる人がいる。
犬神は信心深くない人の家に憑く。
犬神に憑かれたことがはっきりしたら、すぐに祈祷師のとろこに行かねばならない。
家に憑く霊には貧乏神と福の神の二種類ある。

呪術師は人を呪い、祈祷師は呪いを解く。
人の幸福のために祈る祈祷師はほとんどが男性だが、人に害をもたらす魔女は女性である。
呪術を使う女がいると信じられ、たたりや呪いをすると信じられていた。
犬神持ちという噂のある女性、あるいは犬の霊を使う呪術師や犬の霊が憑いた人が各部落にいる。

宗教と祈禱の人数と年収
神社1人 254円
寺(臨済宗)1人 85円
稲荷祈祷師2人 39円
三宝荒神の祈祷師1人 46円
他の祈祷師2人 8円

祈祷師の社会的地位はせいぜい中の下ぐらい。
祈祷師は医者より信頼されているのに、村での地位は低く、収入も少ないのは不思議です。
呪術師が人を呪うのは誰かに頼まれたからで、どういう人がなぜ呪術師に頼むのか、そこらをジョン・エンブリーが調べてくれてたら。

志水宏行「村落社会における宗教意識の変容」は、昭和49年に行われた兵庫県養父郡大屋町(現在は養父市)の調査についての論文です。
病気などの時に祈祷師に頼んだことがある人は15.7%、7人に1人とあります。
多くの人が祈祷師に頼んでたのはいつごろまでだったのか知りたいものです。

『須恵村 日本の村』は、1935年の時点で、村の様子、習慣などが以前とは様子が違ったとあります。

村の変化の原因として、以下の事柄があげられています。
国の政策、村の指導、農業の機械化、交通の発達、教育の普及、村の外に出る若者たち(軍隊や就職)、商業の発達と金銭の流通(自給自足から貨幣経済に)、協同組織の衰退など。

宗教行事の簡略化も村の変化の一つです。
政府は倹約を奨励し、結婚や出産、葬儀で無駄な出費をやめさせている。
この政策は祭りの縮小の大きな原因になっている。
毎年の祭りは昔のほうが普通に行われていた。
県庁が副業を奨励する中で小麦栽培の仕事が増え、祭りは少なくなりつつある。

かつて葬儀はとてもお金がかかった。
遺族は立派な会食を行い、親戚は墓地に飾る豪華な反物を贈っていた。
以前は、お盆にはすべての死者を追悼し、部落中の人が菓子や提灯の贈り物を持ってその年に亡くなった人の家を訪問した。
今は多くの部落では各家が十銭ずつ出し合い、代表一人が遺族を訪問してそれを渡す。
祭りや宴会が減少するにつれて、それに伴う相互の交流も減少した。

共同体が行なっていた葬儀が現在は家族葬になり、さらには直葬が増えているわけですが、この変化は戦前からすでにきざしていたようです。

ジョン・エンブリー『須恵村 日本の村』(1)

2025年05月10日 | 
人類学者のジョンとエラのエンブリー夫妻は日本の農村調査のため、1935年11月から一年間ほど熊本県須恵村(あさぎり町)に滞在しました。
東京外国語学校を卒業した日本人が通訳をしています。

ジョン・エンブリーはフィールドノートをもとに博士論文を書き、それをさらにまとめたのが1939年に出版された『須恵村 日本の村』です。

球磨川沿いにある須恵村は1933年の統計によると人口1663人、戸数285戸で、ほとんどが農家です。

村には臨済宗寺院があり、檀家は50戸。
それ以外の家は隣村の真宗寺院の門徒。
江戸時代、相良藩は真宗を禁じており、須恵村でも秘密の集まりが開かれていた。

宗派の違いを知っている者はほとんどおらず、家がどの寺に属しているか知らない若者もいる。
特別な時でさえ参拝することは滅多にない。
来世のことを思い、仏陀について考えるのは年寄りである。
釈迦と阿弥陀の違いを話すことはできず、釈迦と仏陀を別々の仏様と考えていることも多い。

僧侶は経を上げた後にいつも話をするが、その話を理解しようとすることはない。
僧侶が話す輪廻は聞き手には理解されないようである。

御正忌報恩講には6日間、講師が説教をする。
ほとんどの真宗の信者は寺を訪れ、供物を持参する。
田植えの供養である植付けご供養は、田植えの間に殺された虫のために催され、真宗の僧侶が説教する。

『須恵村 日本の村』には、それは違うんじゃないかと思う個所があります。
日本語ができないジョン・エンブリーが誤解したか、通訳のミスか、翻訳がおかしいかのではないかと思います。

若い人が仏教に関心がないとありますが、すべての若い人がそうではないと思います。
僧侶の話を理解できない、理解しようとしないということも、みんながそうだとは思えません。
須恵村は隠れ念仏の村だったわけですから、熱心な聞法者が少なくないと思います。

植え付け供養を真宗の僧侶がしたということはいささか驚きです。
どういう説教をしたのか聞いてみたいもんです。
虫のための供養は今も行われているようです。

遺体は白装束に着替え、首に下げられた頭陀袋に2、3枚の硬貨が入れられる(三途の川の渡し賃?)。
友引になくなった場合、藁人形が棺に置かれる。

僧侶が到着すると隣の家で待つ。
葬儀の会食が始まるが、この会食には魚はない。
遺族は僧侶と酒を酌み交わす。
会食が終わると、僧侶は読経する。
この間、部落の手伝いの男たちは、庭や納屋で食べたり飲んだりして楽しんでいる。

葬儀が終わると、男たちは棺を墓地に持っていく。
供養が三日またぎを好まない。(三日は三月の間違い?)

葬儀の規模は年齢と社会的地位によって異なる。
赤ん坊が死んでも部落の半分しか来ず、親戚はほとんど来ない。
働き盛りの人が亡くなったら多くの親戚が来るし、部落の手伝いも多い。
年寄りが死んだ場合、人はいずれ死ぬものなので、家族が特に悲嘆にくれることはない。

葬儀の前に会食し酒を飲むということは間違いだと思います。
通夜での会食(通夜ぶるまい)のことじゃないでしょうか。

年寄りが死んでも悲嘆にくれないというのはジョン・エンブリーの誤解だと思います。
小泉八雲『日本人の微笑』に、「私の日本人の乳母が先日何か大変面白いことでもあったようににこにこしながら私のところへ来て、夫が死んで葬式に行きたいから許してくれと云って来ました。私は行ってお出でと云いました。火葬にしたようです。ところで晩になって帰って来て、遺骨の入った瓶を見せました。そして「これが私の夫です」と云いました。そしてそう云った時、実際声を上げて笑いました。こんな厭な人間をあなた聞いたことがありますか」とあります。

芥川龍之介『手巾』はこんな話です。
大学教授(モデルは新渡戸稲造)の家に婦人が訪れ、先生の教え子である息子が亡くなったことを報告するが、婦人は涙もためず、声も平生どおりで、微笑さえ浮かべていることを先生は不思議に思う。
ところが、先生がテーブルの下に落とした団扇を拾おうとしたら、たまたま婦人の膝の上にある婦人の手が激しく震え、ハンカチを両手で引き裂かんばかりに握っているのを見る。
婦人は顔では笑っていても、全身で泣いていた。
感情をあからさまにしないのが日本人の美徳だったと思います。

神主は村の農民で、村役場が推薦し、県庁が正式に任命する。(国家神道なので神主は公務員待遇)
村役場からは年254円の報酬で、村人から約270円の寄付を受け取る。
1935年の500円は、大卒初任給90円(20万円)とすると約110万円、米10kg2円50銭(3000円)として60万円。
神主だけでは生活できません。


堀江宗正編『いま宗教に向きあう1 現代日本の宗教事情』(2)

2025年04月30日 | 仏教
『いま宗教に向きあう1』に、宗教、霊魂、あの世などについてのアンケート結果が引用されています。
日本人の霊魂観、死後観について、そうなのかという内容です。

朝日新聞の死生観調査(2010年)
「宗教は大切」と答える人は、20代が10%、30代15%、40代21%、50代30%、60代は37%、70歳以上は57%。
「霊魂は残る」と答える人は、20代54%、30代57%、40代53%だが、50代46%、60代38%、70歳以上38%。
高齢者のほうが宗教を重視し、若者のほうが死後も霊魂は残ると考えている。

統計数理研究所「日本人の国民性調査」(2013年)でも、あの世の存在を信じる若い人は多い。
「宗教を信じる」20代13%、30代20%、40代30%、50代37%、60代31%、70歳以上44%。
「あの世を信じる」20代45%、30代41%、40代48%、50代47%、60代34%、70歳以上31%。
1958年の調査では、「あの世を信じる」20代13%、30代14%、40代21%、50代9%、60代39%、70歳以上37%だった。

2010年、大学生にこの世とあの世と魂のイメージを描かせた。
この世は都会的な暗いイメージで、あの世は空の上にある明るい自然の楽園として描かれる。
魂は足、身体の順になくなり、輪郭も希薄になって、軽くなって上昇してゆく。
鬼や化け物や妖怪は見られない。

「死後はある」と答えるのは約7割、「天国がある」は約5割、「地獄がある」は約4割。
死後の世界は現世よりも明るく、地獄イメージは弱く、死ぬと多くは浄化コースをたどり、十分に休息を取ってから、先祖にはならずに生まれ代わるというイメージが、若年から中年世代に有力である。

地獄を説く宗教は多いですが、死後の苦しい世界はイメージされていないようです。
あの世や霊魂という概念は宗教と切り離せないと思うのですが、先祖供養を必要としないということは、死後の世界はこの世の延長上にあると考えているのでしょうか。

とはいえ、墓を大切にする意識は若い人にもあります。
朝日新聞の調査だと、両親や祖父母の墓を守るのは子どもの義務だと思う割合は、全世代で7割以上で、20代は77%、70歳以上80%。

子どもに負担をかけたくないから墓じまいをすると言う人が少なくないです。
それは親の世代が子供や孫の墓に対する気持ちを誤解しているということです。

墓地に埋葬せず、山や海に遺灰を撒く自然葬に関心がある人は、20代が54%だが、70歳以上は25%。
墓を守ることは義務だと考える一方で自然葬に関心を持つということは、自分の死についてと、家族や先祖への思いが違うからではないでしょうか。
これは延命治療について、自分の時は何もしないでほしいと思っても、家族の場合は簡単には割り切れないのと同じことだと思います。

世論調査で「宗教を信じていますか」「信心深いほうですか」といった質問に対し、「わからない」という回答が多いことに対し日本人の宗教に対する「曖昧な立場」を表すものとされます。

そのことについて、真鍋一史「「日本人の国民性調査」の二次分析の試み」は、そうした解釈を批判しています。
人はある事項について知れば知るほど、その事項について単純に判断することができなくなる。

たしかに、「私は宗教を信じている」とか「信じていない」と単純には言えません。
ですから、日本人の死後観はこうだとか、若い人はこういう霊魂観だと言い切ってはいけないのでしょう。