Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

どんなときでも戦争は避けられる

2010年02月21日 | 一般


わたしは憲法の一字一句を変えてはならないなどとは思いません。内閣についての規定や、天皇の章、人権の深化・精密化を図ることなど、現行日本国憲法には課題が多いと思います。真に「改正」するべき点は多いと思います。

でも、今日、「改憲」というと、まず9条の第二項が念頭に置かれているのです。「時代の要請」などと嘯く傾向は今でも根強いです。時代が要請しているのではなく、アメリカが要請してきたのですが。

憲法を変えたいという市民が念頭に置くのは「中国・北朝鮮の脅威」論です。攻められたら守るしかない、その際に、9条第二項の交戦権の拒否は邪魔になる、というのです。挑発されたらすぐに感情的になって武力を振り回すしかない、そうしなければ「解決しない」と彼らは言いますが、それは解決ではなく、問題の深刻化ないしは生存権の破壊化なのだということがわかっていないのです。いったい中国や北朝鮮のような国々が、一発ミサイルを打ち込まれて「申し訳ありませんでした」と平伏してくると本気で思っているのでしょうか。戦争になれば日本のような国は徴兵しなければ兵力を保てません。召集令状が回ってくるのは自分たち、あるいは自分の子どもたちなのです。それがわかっているのでしょうか。

9条の問題を冷静に考えれば、こういう意見になります。ノーベル賞学者、益川先生へのインタビューを今回、ご紹介します。「どんなときでも戦争は避けられる」という信念に、わたしはいちばん感動しました。


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Q.
益川敏英(2008年ノーベル物理学賞受賞者)先生は、「9条科学者の会」(2006年設立)の呼びかけ人をされていますね。


益川:
趣旨に賛同して呼びかけ人に名を連ねることになったとき、「皆さまのお邪魔にならないように最後尾から静かについていきます」といった趣旨のことを書いたのですが、それはレトリックではなく、本心だったのです。

わたしは物理屋なので、そのような場の先頭で旗振りをすることが自分の使命ではないという気持ちがありました。しかし最近は、もっと積極的に関わらなければいけないと思うようになりました。講義とぶつからない限り、声がかかれば出かけていこうと思っています。

 

Q.
九条を守ろうという動きが草の根的な広がりを見せるなかで、現在、九条については護憲派が多数を占めるようになっています(2009年6月当時)。

益川:
9条を変えようという世論が強くなった時期もありましたが、議論がごまかされてきたのだと思います。一種の論争術で、細かい問題に引きこんで混乱させてごまかすという手法があります。

しかし、9条の問題の本質は、この国を戦争のできる国にするのかしないのか、ということです。この本質を外してはいけないと思います。

いま自衛隊が「海賊対策」のためにソマリア沖まで派遣されています(2009年6月当時)。9条があるにもかかわらず、さまざまな名目で少しずつ自衛隊が海外に出されるようになってきて、憲法9条があってもソマリア沖まで行っているではないか、という意見も出ていますが、しかし、やはり9条があるためにできないことがあります。

交戦権を否定する9条があるから、自衛隊は先制攻撃ができない。ソマリア沖に行く途中で海賊船に遭遇しても、自衛隊は先に撃つことはできません。仮に9条が戦争をしようといううえで何の邪魔にもならないのであれば、9条改憲という意見も出てこないでしょう。

わたしのいた名古屋大学には長谷川正安先生という憲法学者がいらっしゃって、「憲法問題を考えるときは、その条文だけ見てもわからない」と講義していました。条文だけではなく、「その周辺法をみなさい」と。9条であれば、9条の周囲にある自衛隊法などの法律を見ていけば、9条がどのような性格を持っているかがわかるというのです。

…(中略)…

そのような視点で見ると、9条があるために、自衛隊の行動にはさまざまな制約がかけられていることがわかります。その制約とは、先に銃を撃てない、ということに集約されています。改憲派の人たちはそこを変えたいのでしょう。

しかし、こちらから先に戦争を仕掛けるなんて、とんでもない話だと、わたしは思います。どんなときでも、戦争を避ける方法はあると思います。戦争は無理やりに、武力を以ってこちらの言い分を相手に押しつける行為です。そんな歴史を再び繰り返してはいけないと思います。

 

(「科学者と憲法9条」/ 益川敏英・京都産業大学教授/ 「世界」2009年7月号より)


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ブログ荒らしのコメントでは、ソマリア海賊が攻撃してきてから反撃したら、自衛隊員の危険が高まるとかいう雑な議論がよく見受けられるのですが、そもそも日本の場合、海上保安庁が訓練されているにもかかわらず、海自がいく必要があるのか、という本質的な議論は棚上げにされます。まずアメリカの意向ありき、で議論が進められるのです。

こういう人たちには、物事の本質などには頭の回らない、自己顕示欲だけで意見を書き、意地になって書いているうちに本気で戦争抑止を否定するようになる、雰囲気に流されやすいタイプが多いのです。彼らにはどこか、挫折感の埋め合わせに、権力や武力への憧憬を抱くようになっている嫌いがあると、わたしは感じたことがあるのですが。そう、彼らは基本的に、人間を憎んでいる、あるいは怖れているのではないかと思ったことがあります。おそらく、人間とのつきあい方が下手で、会社や地域で嫌われ者になっていたりするんじゃないでしょうか、そういう人たちは。

真に平和を築こうという人たちは、むしろ、人間に対する信頼感がある。理解を広げることでつながってゆこうとする。わたしは、人間の強さというのはそういうことだと思います。益川先生も、人間への信頼をこのように述べておられるのです。


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わたしは「これから200年たったら戦争はなくなる」と言っています。いろんな人から「本気か」と言われますが、もちろん本気です。

50年前のアメリカはほんとうに野蛮で、人種差別によって多くの黒人が殺されていました。しかし60年代の公民権運動を経て、いまや黒人の大統領が誕生しています。奴隷制は(表面上は)姿を消しました。かつて地球のいたるところにあった植民地も、表面上は存在しなくなりました。かつてアメリカの裏庭と言われたラテンアメリカでは自主的な政治を行う政府が多数派になっています。

もちろん、まだまだ多くの問題があることは事実です。しかし、これまでの100年間に進歩がなかったとは誰も言えないでしょう。これからの100年間でもそれなりの進歩はあると思います。いつでも揺り戻しはあると思いますよ。変革を怖れる勢力は、いつでも改革を値切ろうとします。そうやって右に行ったり左に行ったりしながらも、人類はここまで進んできたんです。

わたしは、人間に対して思い入れがあります。個々の人間を見ると実に嫌な面もありますが(笑)、人間という存在そのものは非常にすばらしいと思います。

 


(「科学者と憲法9条」/ 益川敏英・京都産業大学教授/ 「世界」2009年7月号より)


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中国はかつてはガチガチの共産主義で、それこそ世界革命をもくろんでいたかもしれませんが、むかしと同じような行動をこれから日本にも仕掛けてくると、単に不信感を表明して、非武装を解除したりすればそれこそ緊張を一気に高めてしまいます。

かつて江戸幕府が、徳川家に威信を捨てて、外様大名や下級武士を登用して、パリーやハリス相手に戦争回避外交を繰り広げたように、知恵を絞って、頭脳外交ができるはずなのです。そしてそういう国民の意思を政府に発信してゆくべきなのです。わたしたち国民も、もう二度と戦前のように、ずるずると軍部官僚の手に自分たちの運命をゆだねてしまうということを繰り返さないようにしたいと、切に切に思うのです。

コメント (2)
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