Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

悲しい日記

2009年02月20日 | 一般

うちの課で、1月と2月で計2名、リストラされてしまった…。
年齢順かとこれまで生きた心地ではなかったけれど、経験の浅い順だった。



正直にいいます…
名前が知らされたとき、ほっとしてしまいました。(Tさん、Mさん、ごめんなさい。)


こんな自分なのに、これから強気で批判記事を書けるだろうか…。




書いていこう。


こんなイヤな時代を生み出した宮内、竹中、小泉を許さない。仕事とかかわることで、自分を高めてゆきたいって願う、ごくごくふつうの願いを打ち砕き、自分を小さく縮こまらせ、自分をみにくい保身主義者にさせる、この社会をつくった人たちを憎み、そしてわたしたちのほんとうの敵をしっかり見すえるためにも。


でも…
いちばんの敵は自分たち自身のうちにある。憲法が義務を課していたにもかかわらず、世の中のことに関心を持たず、自分のことだけにかまけ、権威に意見を言う人たちのほうを攻撃し、あざ笑うわたしたち国民が、こんな世の中をつくったのだ。まんまと世耕のメディア戦略にのせられ、自民党に投票し、ネトウヨの妄想が作りあげた仮想の敵、中国や韓国を憎み、アメリカに親近感を抱き続けてきたわたしたち国民がこんなイヤな世の中をつくったのだ…。

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Interlude : 「自己責任」を主張してきた人たちの「無責任」

2009年02月14日 | 「世界」を読む


「自己責任」を安易に口にする人ほどじつは「無責任」なひとなのです。そういうひとは実は無気力で、困難な事態に直面すると、問題の根本的解決から逃げる方便として「自己責任」をいうのです。そうです、「自己責任」は、問題を放置し、自分が変わらなければ解決の糸口がつかめない現実から逃避する方便なのです。

特にネトウヨと呼ばれる、日がな一日中コンピューターに張りついて、人と交際するということができない人格障害の気が多い人たちは、自分が汗をかきたくない、自分の責任で行動できない、失敗することが彼らには「沽券にかかわること」だからです。彼らは新しい道を切り拓いて自分を含めた社会を良いほうへ良いほうへ動かしてゆこうとはしない、面倒だし、自分がリーダーになれそうにないし、逆に「部下」的立場に立つのがいやだし…。

だから、現状を維持しようとする。今までのやり方を維持しようとする。大ぜいの人が今までのやり方のために生活すること、それどころか生きることすら困難になったようなとき、そんな社会の今までのやり方を痛烈に批判し、変えようとする動きをたたく。「困難に陥った連中の自己責任だ」と。そうやって自分の無力さ、無気力さ、無能さを覆い隠す。みんなで団結してことに当たろうとするムーヴメントに必ず水を差す。

好例が、2004年にイラクで人質になっって、イラク人より日本人のほうに手ひどくバッシングされたあの三人の方々です。彼らはアメリカに盲従して、憲法を神学としかみなさない無知無教養な宰相小泉さんのやり方に従わず、アメリカの圧力に苦しむイラク市民のサポート活動を行っていました。その活動は、ヨーロッパ主流論壇だけでなく、当時のアメリカ国務長官だったコリン・パウエルさんでさえも高く評価した活動でした。しかし人質になったとき、小泉さんへの反抗ということで自民党による情報操作により、読売・産経という反人権派新聞をはじめとして、激しいバッシングを加えたのでした。

彼らは湾岸戦争におけるアメリカからの低い評価をトラウマに持っており、それに悩んだ人たちで、とにかくアメリカに盲従して、アメリカから評価してもらいたい、あたかもそうすることが「国際的評価をあげる唯一の手立て」であるかのようにしか考えられないのです。アメリカにおんぶに抱っこという行動しかとれず、自分たちから新しい行動様式、新しい思想を発信して行こうということができない人たちでした。

そういう無力で無気力なひとたちが「自己責任」「税金の無駄遣い」などとののしったのでした。愚かなことです。税金は、それを納めたわたしたちのためにつかうものなのです。まさにあのような危機のときにこそ使われるべきものなのです。それなのに天下り役人たちの退職金のために、税金を湯水の如く使うことをいとわない日本国民が、あのとき、彼らの救済に税金を使うなと言ったのです。

ここには人権というものについての、また市民としての権利ということについての無理解があるのでしょう。事実、わたしたちは学校でそういうことは教えられてきませんでした。学校で教えられたのは、激しい競争を勝ち抜くために同胞を蹴落とすのは「正当な行為」であること、上からの指示には盲従すること、そうしないとまわりから浮いてしまっていじめの対象になって、自殺するところまで精神的に追いつめられかねないのが日本社会の掟であるということでした。

「自己責任」は本来、経済の世界の言葉でした。しかし、自己責任を主張する「新自由主義」信奉者自身が、リーマンショックにあたり、国家の庇護下にはいり、また税金からの救済を当てにする羽目に陥ったのです。「自己責任」はたしかに無責任だったのです。「自己責任」を主張したのは子どもじみた利己的な行動を正当化するための方便だったのです。



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このたびの金融破綻を生じさせた背景には、収入面で、米国の上位から四百人の総資産が、下から数えて一億五千万人の全資産を上回る、という極端な経済格差の構造がある。その結果、圧倒的に資産を握るごく一部のエリートたちが強力なネットワークを形成し、国家のみならずマーケットを支配するようになった。つまり、これら「新封建的貴族」たちの意志に大多数の人びとが従わざるをえなくなった構造が、現在の危機を生み出した。

新自由主義の台頭で、政府が市場操作から退場し、市場に任されるようになったのではない、市場(マーケット)は彼ら「新封建的貴族」たちに支配されるようになった。この変化は実はクリントン時代から始まっていた。

クリントン政権で国家経済会議議長や財務長官を務めたロバート・ルービンが進めた「ルービノミクス」と呼ばれる一連の金融規制緩和措置によって、それまで「モノ作りの下僕」とされていた「金融」が性格を変え、儲かるところだけに特化していった。その象徴が1999年に制定された金融近代化法で、銀行と証券・保険の同時営業を禁止したグラス・スティーガル法を廃止したことです。

これによって、利益率が薄くて一割を越すことがないモノ作りを中心に融資してきた商業銀行よりも、金持ちのカネを運用するファンドを顧客とする儲けの多い投資銀行に資金が移ってゆく。この投資銀行は「シャドー・バンキング」と呼ばれ、いわば闇の金融機関だといえる。なぜなら、行動は自由だから。投資手口も公開しなくてよいし、政府の規制も受けない。その代り、いざという場合には政府の救済を当てにしない「自己責任」が原則だった。そうやって「自己責任」というハイリスクの原則の上に、政府の規制の外での投資活動で、年20~30パーセントというハイリターンの配当を実現する。こういうハイリターンをねらって全世界の金融機関から投資銀行に投機資金が集まってくるようになる。

この金融緩和によって、貸し手責任の倫理の希薄化が主流になった。たとえば証券化された債権が第三者に売り渡されて、債務不履行の可能性というリスクを他人に押しつけてしまうというような行動にそれが表れている。(しかもそれらは、まともに債務履行できそうにない人たちを対象にした債権だった。)あっというまに莫大な収入が入り、またあっという間に破産してしまう、こういう金融が生業として主流になってしまい、そのけっか経済格差は急激に増大した。

この投資銀行=シャドー・バンキングは素人相手の商売であり、顧客はコストや適正価格など想像もつかない人たちで、当然ノウハウもないから、ゴールドマン・サックスやリーマン・ブラザースという「ブランド」を信用するしかない。それでも、ごく一握りのファンドマネージャーに巨万の富が集中したのだった。

こういう、マネタリストと呼ばれる新自由主義信奉者たちはことあるごとに「大きな政府」を批判して「小さな政府」を唱えてきた。ところが現実はどうか。今やアメリカは史上最大の「大きな政府」になった。しかもクリントン政権に入るまではゴールドマン・サックスの共同会長だった、先のロバート・ルービン元財務長官は「自己責任」とか「市場に任せろ」などと唱えながら、そのゴールドマン・サックスも含め、全投資銀行は政府の資金援助を当てにしている、これが現状だ。

そしてこのロバート・ルービンが現オバマ政権の経済チームに入っている。この危機を作った張本人が何の反省の弁もないまま、この事態の対処に当たるといのは、むしろそら恐ろしいものを覚える。オバマのいう「チェンジ」とはなにか。この人事からは決して明るい展望は見えてこないのだ。この金融危機の元凶がなぜ経済再生チームの主要メンバーなのか…。



(「金融破綻の元凶が再び登場する愚を問う」/ 本山美彦・京都大学教授/ 「週刊金曜日」2009・1・16号より)

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自己責任はしょせん無責任です。自分が金儲けができるようにするために、社会という共同体への責任、連帯、人情、人の繋がりというものをみな否定してしまう新自由主義の方便でしかなかった。精神医学大国のアメリカで育った、おそらく他者への共感能力が萎縮してしまった人たちが、人とのつながりから人生に意味を生み出していこうとする代わりに、カネを集めて他者を圧倒し、それによって自己評価を高めてゆこうとしたのが、「自己責任」信奉者だったのではないでしょうか。

オバマ政権には、この危機的な不況を生み出した張本人が、経済再生に当たる人事になっているようです。アメリカ頼みになっている日本の現状に、このままでは救済は期待できないように感じます。もう、消費大国主義を捨て、わたしたちは生きかたそのものを変えてゆくことを真剣に考えなければならない時期に来ていると思います。そう、わたしたちは「変わること」を本気で実行してゆかなければならない、もう「自己責任」を主張する意気地なしどもに遠慮などしていられない、そんな連中こそ排除してゆくべきだと、わたしは今、そう考えているのです。

今、またこういう危機的な時期には、わたしたちに必要なのは権力に寄りそって、その寵愛を得、自分だけは助かろうとすることではない、そうじゃなく、危機を乗り越えるために手間ひまを厭わず助け合うこと、そしてこういう危機をもたらした権威・権力を排除し、そのために連帯すること、コンピューターのまえに引きこもってしまうことではなく、生きている人々のところへ出かけ、人と結びつき、互助のきずなを編み上げてゆくことだと思うのです。そして人と人とが結び合うためには、自分の思い通りにならなければ気がすまないということではそれはできないのです。むしろ譲歩できるところは譲歩し、お互いの違いを尊重し、両方の益を生む最大公約数を見いだそうとする態度が求められているのです。そしてまさに、自己責任を言う人たちに欠けているのは、そういう民主主義的な手順を受け容れる能力だと、わたしは思うのです。そう、「自己責任」はそういう「面倒」を厭う人たちの便利な方便なのです。
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イスラエル軍元将兵の証言に見るメンタリティ (1)

2009年02月02日 | 一般
ちょっとあいだに挟んで、パレスチナに関する本をご紹介します。「沈黙を破る」です。これは、パレスチナ「占領地」で行われていることを、イスラエル軍兵士が告発した記録です。フリー・ジャーナリストの土井敏邦さんが記録したものです。

この本の表紙がまず衝撃的です。それは狙撃用の銃のテレスコープを覗いた写真で、照準を合わせられているのは家屋の屋上に立っているパレスチナ人住民の男性です。座標軸のような十字が交差した場所は、その男性の心臓部です。これは演出ではないのです。実際の銃で、実弾をこめた銃で、パレスチナ人住民をまさに狙撃できる状態にいるのです。

この写真を撮ったのはドタン・グリーンバーグという兵士で、この本には彼の証言も記録されています。このエントリーでは彼の証言を主に取り上げます。キャプションによると、

「当時、狙撃兵として従軍していたドタンが、狙撃銃のテレスコープにカメラを取り付けて撮った一枚の写真が「沈黙を破る」(告発する元イスラエル兵士たちが催した写真展)に出品され、大きな反響を呼んだ。それは民家の屋上に立つ青年の胸部に照準を定めた写真で、狙撃兵がゲーム感覚で民間人を簡単に射殺できる状況を知らしめる衝撃的な映像だった」。

まず、「沈黙を破る」というNGOについてご紹介しましょう。


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「沈黙を破る」は、過去四年ほどの間にイスラエル軍に徴兵された元戦闘兵士たちが作りあげたNGOです。占領地での兵役という体験、つまりパレスチナ人住民と対立し、日常レベルでその住民に影響を及ぼすという体験が、個人として、また社会としても私たちを道徳的に崩壊させています。兵役を解除された後、イスラエル社会は自分たちの裏庭で起こっている現実、さまざまな名目で行われていることをまったく知らないということに私たちは思い知りました。この認識に立って、私たちは「沈黙を破る」を立ち上げる決意をしたのです。

日常的なテロとの闘い、またパレスチナの一般住民との毎日の相互作用が私たちを破壊させていることに気づきました。私たちの正義がゆがめられ、モラルや感情を破壊しているのです。

これは(最初の活動として行われた写真展)私たちが体験した現実のほんの一部です。パレスチナ人の無実の民間人が傷つけられ、子どもたちはイスラエル軍による外出禁止令のために学校へ行くことを禁じられています。また親たちは、仕事がなく、または職場に出ることができないために家族に食べ物を与えることもできない。人々の家と、無実の住民の生活が侵され破壊されています。

この現実は私たちと共にあり、消えることはありません。この、あらゆる悲劇を体験し、私たちは決意しました。兵役を終えても、そこから逃れることができなかったのです。

私たちは、自分たちがやったこと、目撃してきたことを忘れるべきではありません。私たちは沈黙を破らなければならないのです。




(「沈黙を破る~元イスラエル軍将兵が語る “占領”」/ 土井敏邦・著)

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これから書き写すことはみな現実に起こったことです。残酷な描写があります。二世の元エホバの証人などは「いい子」ですから、こんな残酷な描写はブログなどでは控えるべきだとか言って、「批判」らしことをするかもしれません。あらかじめ言っておきます、そのように無残に殺された人びとは、自分の意志でそんな死にかたをしたのではありません。だれの意志か、イスラエル軍の一人一人の将兵のきまぐれによって、です。これが21世紀の戦闘なのです。自称「右翼」の方々は勇ましいことを言います、中国は脅威だ、尖閣諸島を防衛せよ、韓国は竹島から撤退せよ、日本が軍事行動を起こせさえすれば、あっというまに片づく…。軍事行動は相手のより強力な軍事行動を引き起こすだけなのに。その例が、ここパレスチナにあります。

そしていったん、軍事行動がとられたら、最初から最後まで徹底的に被害に遭うのはわたしたち非戦闘員の民衆なのです。ハリウッド映画のように、銃弾が体中に赤い点々をつけて行って、「うう…」といってばったり倒れる、そんな優雅な死に方なんてできません。どんな死に方か、以下の記事をごらんください。戦争が起きたら、イラク戦争のように、軍や政府は、戦争のおぞましさは「放映」しません。戦闘はあたかも映画どおりであるかのように映して、国民の支持を失わないようにするためです。酷い描写をブログでするな、というのはそういう政府の戦略にまんまと乗せられている、「だまされやすい人」=「愚かな人」である証拠です。わたしは、一部の「お上品ないい子」と自称「右」の方々を例に取りました。いちばんおつき合いしたくない人々だからです。

でも、理屈ばっかり立派に述べて悦に入っている左翼の人も、あらゆるものごとに無関心を装う人たちも、どうかここで描写されている無残な死者たちを直視してください。彼らの無意味な死が世界中の人びとの知るところとなり、それが政商政府による戦争行為を撤退させる動きにつながるなら、多少とも浮かばれることになるかもしれません。そして、パレスチナで起こっていることが、あのヘドの出るような無差別テロを行うイスラム過激派の自業自得だなどという解釈をしているのであれば、もういちど考え直してください。イスラム過激派と同様のことを、まず最初にイスラエルの人たちが行って来たのだということ、それをアメリカがバックアップし、そのアメリカに軍事的に追従しようとする日本は、このままその路線を行くのであれば、あのパレスチナの地をアメリカ軍と共に踏むことになるかもしれないことを、それもイスラエルの側に立って!

現実をありのままに直視する、それから口を開こうじゃありませんか。



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(証言者)精鋭部隊の将校
(現場)ラファ-「レインボー作戦」の現場
(日時)2004年5月

「レインボー作戦」(※)で最も印象に残っているのは、武力の行使を抑止するものがまったくないという感覚でした。 “無差別な力の行使” 、それより穏やかな表現はありません。

ラファのゼイトゥン地区でAPC(=装甲人員輸送車)に乗っていた11人の兵士とほかに二人の兵士が殺された話は覚えているでしょう?

※ 2004年5月12日、(パレスチナ人の)家屋を爆破するために大量の爆発物を運搬していたイスラエル軍のAPCが国境沿いの道路でパレスチナ人武装グループのロケット弾攻撃をうけた。APCは大爆発を起こし、乗っていた6人の兵士全員が死亡した、というのがパレスチナ人権センターの発表。イスラエル側の発表は11人が死亡した、となっている。その報復として、イスラエル軍は直ちにラファ周囲の難民キャンプに侵攻した。イスラエル軍の侵攻によって、5月12日から15日までの4日間で、100件の民家を壊し、二人の子どもを含む14人を殺害した。この家屋破壊で221家族、1308人がホームレスとなった。(パレスチナ人権センター調査より)

その結果「レインボー作戦」は行われることになったのです。戦闘作戦のブリーフィング(状況説明)には、南部旅団の司令官と師団司令官が出席していました。戦闘作戦第二グループで、旅団司令官は任務を提示し、その理由をこう説明しました。

「ゴラニ旅団がタルスルタン地区に侵攻した。その旅団をタルスルタン地区から移動させ、ラファ市に投入したい。ただ、タルスルタン地区への侵攻の成果を損なわないために、タルスルタン地区とラファ市との間につなぎ目のラインを作る。そこは建物やビニール温室が立ち並んでいる地域だ」。



インタビュアー;
 つまり、何をしろということですか?



とても漠然としています。ブリーフィングの最初に「ラファ市からタルスルタン地区への逃げ道を押さえる」と説明され、最後には「武装した者をできるだけ多く殺害する」と説明されました。司令官は(それをほのめかしたのではなく)その二つのことを言いました。そういう言葉を使ったのです。司令官は演壇をたたきました。そして短く、「使命は、できるだけ多くの人間を殺すことだ」と言いました。



インタビュアー;
 ストロー・ウィドウ(※)はどういう手順でやるのですか?



※ストロー・ウィドウ
イスラエル兵がパレスチナ人の民家の一部また全部を占拠し、攻撃また監視の拠点にすること。



D9(軍事用大型ブルドーザー)が民間人住居の周囲に対戦車用の深さ80センチほどの狭い溝を掘ります。その後に家に侵入するのですが、ドアからは入りません。仕掛け爆弾があった例がありましたから。その際、家の住民にはまったく通告しません。次にD9のシャベルで家の壁に穴をあけます。それをわれわれは「ドアをノックする」と呼びます。



インタビュアー;
 あなたが担当する地区ではどのように「ウィドウ」選びをするのですか。



この点で、私をとても悩ませたのは、誰もが好きなことをやるということです。家の選択の決断は、小隊長、せいぜい中隊長レベルが行います。その上(官)は、私がどの家を選択し、破壊したのかしなかったのか、またなぜ私がそれらの家々を破壊したのかはだれも知りませんでしたし、誰も、どんな質問もしなかったのです。発砲も同じです。



インタビュアー;
 その地区の司令官の指令では、あなた(現場指揮官)が建物を破壊するD9の操縦者に破壊の命令を出すときの基準はなんですか。



私が望めば、どんな家でもいいのです。たとえば、ある家がオレンジ色で、私がその色を嫌いだとする。そうしたらその家を破壊しようと決心する、そういうことです。破壊する建物をどのように決めるのかと私に質問するものは誰もいません。ガザ地区の航空写真を持ってきて、中隊長といっしょに座り、対戦車用のコンクリート・ブロックの上で、ジープのヘッドライトの灯りでその写真を見る。そのようにして事は進行します。

中隊長が「この家は嫌いか」と私に訊く。「そうですね」と答えると、彼は「じゃあ、残しては置くな。君のために破壊するぞ。この温室は? わかった、壊してしまおう」といった具合です。ほんの2分ほどで決まるんです。まるでコンピューター・ゲームです。ほんの2分ほどで終わるんです。



インタビュアー;
 「ストロ-・ウィドウ」とされた家の中では何をするんですか。



任務についてはさまざまな意見があります。つまり、任務ははっきりしていない、ということです。

たとえば、もし私が武装した者を誰も見なければ、OKです。武装した者が通らなければ、私は任務を果たしたことになります。そのために私はそこにいるんですから。しかし、もし私の任務が「武装した者を殺せ」ということなら、それでは任務を果たしたことにはなりません。なぜなら私は誰も殺していないからです。絶えず、圧力がかかってきます。一日に4回、「なぜ撃たないんだ? どうしたんだ?」と。

私たちが撃たないのは、武器を持った者を見ないからです。これは任務がクリアされたということです。しかし、「ストロー・ウィドウ」は狙撃兵を配備するための場所なのです。

また進入路を確保し、とりわけ温室を破壊することが(軍上層部から)求められます。この間、パレスチナ人家族は監視つきの部屋に閉じ込められます。私たちはそれ以上のこともします。家族を階下におろし、料理をさせるのです。



インタビュアー;
 建物のなかにどのくらい駐留するのですか。発砲命令とはどういう内容ですか。



48時間です。発砲命令は、武装した者、または疑わしい行動-たとえば、座って前かがみになっている者は、仕掛け爆弾を設置しようとしている可能性がある、あるいはそう思われる者はみな殺せ、という命令です。


インタビュアー;
 ちょっと待ってください、「仕掛け爆弾が設置している疑いがある」というのはどういう意味ですか。誰がそう判断するのですか。



私の判断では、屋上からわれわれを監視しているパレスチナ人です。その人物が双眼鏡を持っていればなおよいのですが、双眼鏡を持っていなくても構わない、そのような「怪しい人物」は射殺します。



インタビュアー;
 誰が「監視している人物」と決めるのですか。それも曖昧な問題の一つなのですか。



われわれの戦車を観察しているように見える人物、立ってわれわれの戦車を見ている者、窓からでも、屋上のようなところからでもいいのです。そんな者は射殺します。




(「沈黙を破る」/ 土井敏邦・著)

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あいまいな命令で、だれもが好きなことをやれる、見込みだけで発砲ができる、と、もうこれは軍事行動ではなく、ただ単に無差別破壊を狙ったものとしかいえないものです。射殺さえあいまいな基準、あいまいな判断で実行されています。日常的に実行されているのです。イスラエルの側がこういうことを行っているのです。一例を挙げておきましょう。


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2004年5月18日の早朝、イスラエル軍はラファ市の西部タルスルタン地区の住民にマイクで外出禁止令を告げた。エルモガイアル家の三女、高校生のアスマ(当時16歳)はこの日、試験が予定されていたが、学校へ行けなくなった。

銃声もなくなった午前11時過ぎ、母親のシリア(当時43歳)は、アスマに屋上の洗濯物を取るように、また三男のアハマド(当時13歳)には、屋上で飼っている鳩に餌をやるように指示した。

二人は屋上に上がっていった。その直後、屋上で激しい銃声が聞こえた。シリアは「アハマド、アスマ、すぐに降りておいで!」と叫んだが、まったく返事がなかった。部屋で休んでいた長男のアリ(当時26歳)は、アハマドが「アリ!」と叫ぶ声と激しい銃撃音を聞いた。アリはすぐに階段を駆け上がった。母親シリアがあとを追った。屋上入り口、階段の最上段でアハマドが倒れていた。床にはアハマドの脳が飛び散り、頭蓋骨は粉々になっていた。アハマドに近づこうとするアリと母親に向かって激しい銃撃が加えられた。

やっとアハマドの側まで接近すると、(アハマドは)大きな息をし、その2,3秒後に絶命した。アリはさらにアスマのようすを見るために、屋上へ上がった。イスラエル軍の銃撃が激しかったので、アリは這って進んだ。アスマが倒れている場所までは7,8mの距離だったが、15分以上もかかった。やっとアスマの側にたどりついたアリは、妹の姿に愕然とした。アハマドと同様、砕けた頭蓋骨と脳が周囲に飛び散っていたのだ。それを集めるために干してある洗濯物の衣服を取ろうと手を伸ばすと、その手を狙って銃弾を浴びせられた。アリは選択紐を引きちぎり、やっとTシャツを取り外すと、脳と頭蓋骨を集めた。さらにアスマの遺体を階段まで引きずっていった。

「アハマドは鳩にやる水を用意していました」と母親は、息子アハマドが射殺される経緯を語った。「そのとき、姉が銃撃で撃たれるのを目撃したのでしょう。そのことを急いで私たちに知らせようと階段を降りようとしたとき、狙撃兵が彼の頭部を一発の銃弾で撃ち砕いたのです」。屋上から数十メートル離れた建物の壁に穴が見えた。イスラエル軍の狙撃兵は、あの穴から二人を狙い撃ちしたのだと母親は言う。




この事件についてイスラエル軍側は当初、「この姉弟は屋上で爆弾を作ろうとしていて、誤まって爆死した」と説明した。しかし頭部が銃弾で砕かれている遺体を目撃した医者やジャーナリストたちの「爆死ではありえない」という証言が公になると、その主張を変えた。事件から四ヶ月ほど経た9月初旬、イスラエル軍スポークスマン、エリック・スナイダー大尉は、筆者にこう説明した。

「当時、あの地域では激しい銃撃戦が行われていました。だからイスラエル軍の狙撃兵に撃たれたという結論を出す証拠はないのです。そこではパレスチナ人の狙撃兵も撃っていたのです。パレスチナ人の狙撃兵は誰に向かって撃っているのか、まったく考慮しませんから。あの連中のなかには腕のいい狙撃兵もいます。二年半前にヨルダン川西岸でパレスチナ人狙撃兵が7人のイスラエル兵を殺害した例もあるほどです」。

私(著作者)はスナイダー大尉に訊いた。
「ということは、腕のいいパレスチナ人の狙撃兵が、一発で頭部を打ち抜けるほどの高性能なテレスコープで、相手が洗濯物を取り入れているパレスチナ人少女であることを識別できたにもかかわらず、撃ち殺したというのですか」。

するとスナイダー大尉は動揺したようすであわてて否定した。「そう確信していると言っているのではありません。そうじゃないんです。ただ今の段階での情報では、すぐに結論を出すのは難しいのです。調査が必要です」。

だが事件後、イスラエル軍によって調査が行われた形跡はない。




(上掲書)

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イスラエル人元将兵の証言によれば、このパレスチナ人少女は、パレスチナ人少女が洗濯物を取り入れようとしている、ということが識別された上で狙撃されたのです。次にその証言を紹介します。




(2)へつづく
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イスラエル軍元将兵の証言に見るメンタリティ (2)

2009年02月01日 | 一般
(承前)






(証言者)空挺部隊 軍曹
(場所)ジェニン
(時期)
2003年2月から3月

私たちは「ストロー・ウィドウ」の陣地につきました。この(度の作戦での)「ストロー・ウィドウ」は武装した者やわれわれの軍用車両によじ登ってくる者を狙うためだと告げられました。APC(装甲人員輸送車)はジェニンの建物の近くを一日二十四時間巡廻していました。そして子どもたちがAPCによじ登ってきて、上に取り付けられている機関銃を取り外そうとするのを待ち、その子どもたちを撃つ機会をじっと待っていました。私たちは(上官から)はっきりと、誰かがAPCによじ登るのをただ待っているように言われ、その者を撃ち殺すことを命じられていました。

自分たちは武装した者を対象にしていないことがすぐわかりました。たくさんのAPCが動き回っている通りをうろつくような武装したパレスチナ人はいません。彼ら(イスラエル側の上官たち)はあえて、APCによじ登る子どもたちや普通の人たちを探していたのです。私たちはそのことを将校たちとの話から理解しました。

一日か二日後、12歳の男の子がAPCによじ登りました。その少年の年齢にはいろいろな推測がされました。最初は8歳、後に12歳ということでしたが、私にはわかりません。とにかくその少年はАPCによじ登り始めたのです。そしてわれわれの狙撃兵のひとりがその少年を射殺しました。すでに言ったように、私たちは子どもたちを狙っていたのです。私たちのなかには、この作戦の目的は子どもを殺すことで、不必要だという者もいました。一方でこれはとてもいいことだと言う者もいたのです。



インタビュアー;
 その少年が武装していないということはわかっていたのですか。



間違いなくその少年は武装していませんでした。もしその少年が武装していたなら、もちろん合法的な標的です。




(証言者)軍曹
(現場)ナブルス
(日時)2003年末

私が最も混乱してしまうのは、占領地とは実際、開拓時代のアメリカの西部なのだということです。そこでは旅団や連隊、中隊の司令官たちは思いつくことは何でもやります。誰もそれをチェックしないし、止めもしないのです。

私たちは何日間もナブルスの旧市街に進駐しました。われわれに与えられた発砲命令は、「午前二時から四時までの間に旧市街にいる者は誰でも撃て」というものでした。つまり、彼らは死ぬ運命にあるということなのです。実際、「死ぬ運命にある」という言葉が使われました。作戦の説明のとき、連隊の司令官から聞いた言葉です。任務の前には必ずその司令官がブリーフィング(状況説明)をします。そこで多くの場合、司令官は、「午前二時から午前四時まで旧市街をうろついている者は誰でも死ぬ運命にある」と言うのです。また「午前一時から午前三時までの間にうろつく者は死ぬ運命にある」ということもありました。


こんなことがありました。イスラエルの狙撃兵がある家屋の屋上に一人のパレスチナ人の男性を見つけました。そこは私たちのところから二軒先の家の屋上で、狙撃兵からは50~70mほどの距離でした。私は夜間用双眼鏡でその男を観察しましたが、武装はしていません。午前二時でした。武装していないその男は屋上をぐるぐる回っていました。私たちがそれを小隊長に報告すると、彼は「そいつを倒せ」と命じました。その小隊長は無線ラジオでその男に “死” の運命を決定したのです。武装もしていない男性に対してです。



インタビュアー;
 その男性が武装していないことをあなたは目撃したのですか。



自分の目で、その男が武装していないことを目撃しました。「非武装の男が屋上にいます」と。しかし小隊長は、それを「その男は見張りだ」と解釈したのです。(たとえそうだったとしても)つまりその男は直接、われわれに危険を及ぼすものではないということです。しかし小隊長は、その男を撃つように命じ、われわれはそれを実行したのです。


アメリカで死刑が宣告されるときのことを考えてください。アメリカでは、すべての死刑宣告に何千という反対の訴えがあり、決断を下す裁判官たちは学問的に訓練され、それぞれのケースを真剣に受け止めます。反対するデモもあります。しかしここでは26歳の小隊長が、武装もしない男性に死刑を宣告するのです(=「彼は死ぬ運命にある」と言いきること)。

その男は何者だったのでしょうか。「見張り」とはいったい、どういうことでしょうか。「見張り」だからといって、それがいったい何だというのでしょうか。それが殺す理由になるのか。何より、その男性が「見張り」だと小隊長はどうしてわかったのでしょうか。明らかにわからなかったはずです。小隊長にわかっていたことは、「武装していない男性が屋上にいる」ということだけだったのです。私から見れば、不法な命令です。そしてわれわれはその命令を実行しました。一人の人間を殺したのです。その男性は死にました。私の考えでは、それは明らかに殺人です。しかもそれは唯一の例ではなかったのです。



(上掲書)

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占領地の住民に「死ぬ運命にある」と決めつけるどんな権利がイスラエル司令官にあるというのでしょう。彼らはもはやパレスチナ住民に対して「神」としてふるまっている。彼らは支配権を示しているのでしょうか、自分たちが主人であることを示しているのでしょうか、それともパレスチナはわれわれイスラエルのものであり、パレスチナ人はそこで生きることは「許されない」とでもいうつもりなのでしょうか。パレスチナ人の人権は微塵に踏みにじられるのです。戦争では降伏した人間は捕虜として捕らえられ、原則的には現場の判断で殺害されたりしません。しかしパレスチナ住民はイスラエルの気に入らない振る舞いに「見える」というだけで射殺されるのです。


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(証言者)空挺部隊 曹長
(現場)ナブルス


容疑者などを拘束するときには、通常の発砲命令が出ていました。つまり、「止まれ、止まれ、さもなければ撃つぞ!」と警告し、空中に向けてバン、バンと撃つ、というものです。

しかし、私たちの任務ではこのようなやり方はまったくしませんでした。実際にやったことは、「迅速な容疑者の拘束処置」です。つまり、「ワケフ(ヘブライ語で『止まれ』)! バン!」、もし命令してすぐにその人物が止まらなければ、手を挙げろと叫び、その直後、撃ち殺すということです。

脚を撃ったり、空に向けて撃つことはしませんでした。「止まれ、バン!」です。多くの場合、「止まれ!」はただ記録のためだけです。(とにかく撃つのです)バン! 止まれ!とね。そんなものです。



(証言者)曹長
(現場)ナブルス


通常、「銃撃が交わされた」というとき、一般の人たちはその意味をわかっていないのですが、それはパレスチナ人がカラシニコフか短銃で一発か二発撃ってきたということを意味するのです。そして通常、その直後、兵士たちが撃ち返します。自由にあらゆる方向に撃ちまくるのです。だから「銃撃を交わす」というのは、ほんとうは撃ち合うということではないのです。相手側からの一発の銃撃と、われわれ側からのあらゆる方向への乱射ということです。ほとんどの場合、その発砲源が確認されることはありません。発砲源という概念自体が存在しないようなものなのです。発砲源は確認されない。ほとんど確認しないのです。発砲源-それがまさにこの話にふさわしい言葉ですが-とは360度です。

ナブルスの旧市街では路地の頭上に家があります。つまり道路の上で建物が橋渡しにつながっている家があるのです。この事件は、そのような建物で起こりました。

その窓際に、誰かがいるのが確認されました。ある兵士が、窓に映った人影を見たのです。われわれはそれを狙って撃ち、その兵士の分隊も撃ちました。大混乱になりました。右も左もない。全員が撃ちまくったのです。こんなふうです。誰かが「(発砲源を)確認した!」と叫ぶ。するとバン、バン、バンです。その直後に「発砲の許可を願います!」と。そんな具合なんです。



(上掲書)

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PTSDという症状が発見されたのは、ベトナム戦争からの帰還兵によってでした。兵士として無差別的に虐待に従事していると、心に深刻な傷を残すということが知られるようになりました。これら「沈黙を破る」活動の元兵士たちも、自分に疑問を生じるようになったのでしょう、このような証言を世界に向けて発信しました。それは勇気ある行為です、自分の国の過ちを告発するというのは。

つぎに、このNPO「沈黙を破る」の活動を始めた動機などに踏み込んだインタビューが続きます。そこでひとりの証言だけをここでは引用してみます。兵士を取り巻く心理状況、そして彼への両親により批判、それにたいする反論と続きます。


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ドタン・グリーンバルグ

兵士は兵役の3年間ずっと銃を所持します。「銃と3年間結婚する」という冗談もあるほどです。どこへ行くにも銃を持ち歩く。三本目の手のようなものです。部隊のなかには訓練としてトイレやシャワールームまで持参させるところもあります。それは個人専用の “道具” となるのです。

そして兵士は外の世界を絶えずその(銃の)テレスコープを通して見ます。私は兵役時代、そういう生活をしてきました。テレスコープを通して馬やロバを見る。次に武装した青年を見る。一方で、子どもが遊んでいる姿もテレスコープを通して見ているのです。その時は不思議な感覚です。私はどんな女性でも簡単に撃てたのです。

引き金を引くことも簡単です。それが重要なことです。それは本人次第です。われわれ兵士にはパレスチナ人の家の屋根にある水タンクを撃つゲームがあります。住民が家庭用に使う水を貯めてあるあのタンクです。それを撃ち抜くゲームです。なぜそうするかわかりますか。それができるからです。ただ撃てるからやるのです。

誰も非難する者はいません。とにかく周囲にあるものはすべて撃てる。銃撃できる雰囲気がそこにはあるのです。状況がとても緊張していた時期でしたから。狙撃兵の自分は陣地につけば、そこからテレスコープであたりを覗き、ただ引き金を引くのです。それができるのです。



インタビュアー;
 それは「人を撃つ」という感覚が麻痺しているということですか。



そうです。狙撃兵は基礎訓練として、標的との距離をどう測るか、また長距離、短距離でどういうふうに撃つのかを学びます。訓練では段ボールの標的を狙う。それは人間の形をしていて、頭部や心臓部が描かれている。

訓練が終わると、兵士は現場で任務に就きます。そのとき、テレスコープの向こうに見えるのは人間です。それに銃口を向けるのです。相手はまったく罪のない人間であり、それに銃を向けるのは危険なことですが、テレスコープに映る “像” が何であるかは無視してしまう。六歳の少年であろうと、老人であろうと、テロリストであろうと、みな同じなのです。それを単なる “射撃の対象” “物体” と見ているのです。



インタビュアー;
 三年間の兵役中、どういう心境だったのですか、またそれはどう変化していったのですか。



占領地での兵士の心境をひとことで言えば、 “恐怖” です。自分の命の恐怖、そして友人の生命の恐怖です。そしてもう一つ頭のなかにあるのが、自分の使命(ミッション)、 “人間の盾” となってイスラエル国民を守らなければならないという “使命感” です。ひとたび軍服を着たら、イスラエル国民を守るという氏名を果たさなければならないのです。

自分の変化は、階段を登るようなもので、その一歩一歩はとても小さなものです。最初は「地上」から始まり、毎日少しずつ階段を登り、最後つまり三年後には「丘の上」にいる。そこは最初の一歩の場所からずいぶんとかけ離れていて、自分の精神状態も変わってしまっています。しかしそれに気づかないのです。

今日はパトロールに出て、住民の誰かに銃を向けて脅かす。外出禁止令なのに家に戻ろうとしないから、多少とも理由になる。その次の日は次のステップになる。「家に戻ろうとしないから」と、小さな子どもに銃を向けるまでになる。やがて自分が標準を合わせた少年の姿はあまり意識されず不鮮明になり、やがて意識から消え透明な存在になってゆく。存在しないわけではなく、透明な人間になるのです。パトロールしているときに、次々と同じような少年に出会うと、やがて撃つことも躊躇しなくなります。

これが、占領地の状況に兵士がどう “適応” していくかということを示すものです。住民とその状況が透明な存在になっていくのです。そして見えるのはただ自分の “使命” だけです。



インタビュアー;
 何があなたに “沈黙” を破らせたのですか。



イスラエル人は、家の窓から見ることができる “裏庭” のように近い占領地で起こっていることを、「ニュース」として(TVで)見るだけで、現地のパレスチナ住民と言葉を交わすこともありません。しかし私たちは兵士として “裏庭” の占領地に実際に身を置き、そこでパレスチナ人の日常生活を目の当たりにします。それは「ニュース」で見る「現場」とはまったく違います。

ただ兵士たちは “裏庭” で実際起こっていることを家族や友人に語ったりはしない。誰もが知っているのに語らないし、ときには否定さえする。これが重要な点です。イスラエル内では誰もがその問題に蓋をしてしまう。また占領地の現実に蓋をして受け入れるように教育されます。そして除隊後、イスラエル社会に戻り、占領地の現実を語ると、「いったい何を言ってるんだ。ばかげた話だ」と人びとは言い放つのです。



私が占領地とりわけヘブロンで兵役の任務についたとき、自分がこれまで教育されてきたことは事実ではなかったことを思い知りました。

ヘブロンではユダヤ人入植者の子どもたちが兵士である私の足元を走り回り、「これからアラブ人を殺すから、ぼくを止めないで」と言う。それも平然と、です。

パレスチナ人住民がイスラエル兵に路上で制止されること、パレスチナ人の子どもたちが学校からの帰り道、ユダヤ人入植者から投石されること、等々はヘブロンでは “自然なこと” なのです。入植者がパレスチナ人に投石するのに、私たちは被害者である住民に銃口を向ける。帰宅する(パレスチナ人)住民を止め、彼らの家屋に侵入して捜索する。それが、われわれが受けた指令です。

私は自問しました。「正気を失った夢想者」であるユダヤ人入植者たちを、どうして自分たちが守らなければならないのか。

自分の周囲の両親や教師たちは、占領地のことや入植者たちの問題をとるに足りないこととして片付けてしまっていました。占領地で起こっていることは、これまで私が教育されてきたこととまったく違っていました。パレスチナ人に対する扱い方や、パレスチナ人とユダヤ人の隔離のやり方は、みんなこの表現を嫌うけど、南アフリカでの黒人と白人の隔離「アパルトヘイト」のようなものです。それが現在、占領地で起こっていることなのです。

私は今、こう自問しています。「私の歴史の先生はアパルトヘイトについて教えながら、なぜヘブロンで起こっていることを教えなかったのだろう。これがこの地の現実なのに」と。自分が裏切られてきたように感じます。教師たちは教えもせず、私たちを占領地に送る。教室の中で「正義」や「人権」について語りながら、その教え子たちを占領地に送るのです。しかも「その責任者は誰か」と指差すこともしない。こういう社会のなかで、その “感情の重荷” をどう処理すればいいのか。だから私たちは “沈黙” を破ったのです。




ドタンの母親(小学校の教師)のコメント

私は、その写真(「沈黙を破る」の活動の一環として開かれた写真展の写真)を見て、占領地で自分たちがなにをしているのかを語る兵士たちの証言を聞いたとき、ドタンを抱きしめました。そして私は彼にこう尋ねました。「あなたもそんな行為をやったの?」と。住民を殴り、打ちのめすといったおぞましい行為をドタン自身もやったのかをどうしても知りたかったのです。

私や夫はドタンのやっていることに、また「沈黙を破る」の考え方にすべて同意しているというわけではありません。たしかに、「兵士は祖国を守るためのもので、警察官の仕事をするものではない」というドタンの主張には賛成します。しかし兵士としてやらなければならないこともあります。兵士たちにはそうする以外に選択の余地はないのだと私は思います。一方ドタンは、「いまや『沈黙を破る』ときがきた。占領地でイスラエル兵がやっているようなことは兵士の本来の役割ではないということをイスラエル国民は理解するべきだ」と考えているのです。




ドタンの父親(元イスラエル軍兵士)のコメント

私が当惑していること、ドタンに賛同できないことは、兵士として私たちがすべきことがあるという点です。私自身かつて戦闘兵士だった体験から思うことは、兵士は何よりもまず市民を守ることが期待されているということです。「守るべき市民」とはまず「自分のすべての家族」であり、イスラエル人全体です。今起こっていることは、軍隊のなかに時々、ストレスを抱いている兵士がいくらかいるということです。

私がそう確信するようになった実例を挙げましょう。

ヨム・キプール戦争(1973年の第四次中東戦争)のとき、私はガザ地区にいました。当時ガザはとても平穏でした。私たちの部隊は車で巡廻していました。突然、目の前に群集が現れました。子どもや女性などたくさんの住民が集まっていたのです。その住民たちに水を与えようと兵士の一人が水の入った魔法瓶を持って群衆のなかに入ってゆきました。するとその兵士は群衆に囲まれ見えなくなってしまった。そして間もなくすっと群衆が引くと、その兵士は倒れていて、すでに死んでいました。刺し殺されたのです。その兵士は住民を助けようとしたのに、殺されたのです。

つまりそんな状況が、私たちが「いい兵士」であることを許さないのです。私たちや兵士たちは緊張のなかにいます。兵士たちは一日二十四時間、任務についています。誰が近寄り襲って来るか予想もできない。「いい兵士」であろうとすると突然襲われるのです。だから兵士はあのように振舞うのです。

ドタンは、「兵士が検問所で警備することは、パレスチナ人住民を苦しめることになる」と言います。しかし、そこを通過する者のなかに自爆犯またはそう疑われる者がいれば、通行人をすべて止めなければならないのです。実際、女性が爆弾を運んでいたが、女性に対する検査は許されていなかったため、兵士たちはそれを調べることをしなかったという苦い体験があります。パレスチナ人のなかには、そのことを悪用する人がいるのです。そんな彼らが処罰されることには私は賛成です。ただ住民を苦しめるだけだったら、同意できませんが。




(上掲書)

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このお父さまは肝心のことを考えないようにしているとわたしは思います。つまり、パレスチナ人女性が爆弾を運び、自爆犯に手渡すのは、そこまで追いつめられるのは、まさに彼らパレスチナ人住民が「ただくるしめられるだけ」という仕打ちに長期間さらされ続けてきたからではないでしょうか。まさにイスラエル人でさえ「同意できない」ような仕打ちが、占領地で日常的に行われてきたからではないでしょうか。いえ、反論は元イスラエル軍狙撃兵のドタンさんご自身に委ねましょう。




(3)へつづく
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