Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

本年もご訪問くださってありがとうございました 

2006年12月23日 | 一般
本年も、ルナのブログを訪問してくださってありがとうございました。週1回程度のノロマな更新のブログなのですが、不思議とアクセスipがゼロになったことがありません。更新のないときも訪問してくださって、ほんとうに感謝しております。書きたいテーマがたくさんあるのに、なかなかブログのための時間が取れず、もどかしい思いです。でもめげずに、日本の近代史を追い、アメリカのキリスト教原理主義を追い、そうすることによってエホバの証人のファシズム体質をあらわにし、それを一人でも多くの方々に示してゆきたいと思っています。

このブログの本質的なテーマは、個人主義をどう自分の暮らしに活かしてゆくか、ということです。初めは「人間性回復のために」というカテゴリーを考えていたのですが、今では、それはこのブログのメイン・テーマになりました。日本の近代史から、日本が国民個人から選択の自由をどのように奪ってきたか、アメリカのキリスト教原理主義が同様に、どのようにそれを蹂躙してきたかを浮き彫りにしたいと目論んでいます。

わたしは、こうした人権蹂躙の発想は、基本的な部分に、精神医学的なアンバランス、もしくは未成熟があるということに注目しています。アリス・ミラーという精神科医が「魂の殺人」という書物を書きました。アドルフ・ヒトラーは被虐待児であって、それが独裁者の行動様式になって表れたという内容です。山県有朋、伊藤博文、などの明治の元老たちから岸信介まで、覇権的な思考を実行していった人たちにも、共通する要素があると踏んでいます。そういう側面を浮き彫りにしてゆきたいのです。

何分、力量不足で思うようには書けませんが、色んな文献を紹介し、皆さまが議論するときの材料にしていただけるなら、幸甚につきます。

今年は暮れになって、個人の選択の自由にとって痛烈な一撃が加えられました。教育の憲法、教育基本法が反動的に変更されてしまいました。国民は、マスコミによる情報操作によって、ことの重大性を十分に理解していない状況に置かれています。マスコミの責任は本当に重い。新聞をはじめ、マスコミは戦前のように、大規模な国家事変が起きるとこぞって国家側の宣伝屋に成り下がりましたが、現代にも国民を無知にさせておく装置になっています。わずかに、数社の出版社が細々とリベラルな灯火をかざしています。今年の最後に、そういう出版社のひとつ、「株式会社・金曜日」発行の「週刊金曜日」に掲載された記事から、二つの文章をご紹介します。

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1.剥き出しの資本主義

今年の特徴としてまず言えるのは、「裸の資本主義」というか、「むき出しの資本主義」が露わになったように感じます。かつて米国最大の自動車会社GMの会長が、「GMにとっていいことは米国にとってもいいことだ」と発言したことがありましたが、とにかく「大企業にとっていいことは日本にとっていいことだ」式の、財界の利害追及がきわめて露骨な形で全面的に突出した年でしたね。

日本では戦後、「政・官・財」の「鉄の三角形」が高度成長期を支えてきたことは否定できないでしょう。これで70年代の石油危機も乗り切ったわけですが、バブルの崩壊によってこの構造も崩れた。ところがその後に出現したのは、日本経団連に象徴される財界が主導し、それに政治家や官僚が乗るというやり方です。小泉内閣時代から財界がバックについてこの傾向を推進してきましたが、とくに今年は顕著になった。

いま財界が推進しているのも、文字通り「赤裸々」なものでしょう。だって、金利は事実上の「ゼロ金利」のままにしろとか、消費税を上げろと主張する一方で、法人税は減税しろと要求するんですから。もう見え見えの自分本位の利益追求を正面立ててやっている。 (奥村宏・おくむらひろし・経済評論家)



私は今年を振り返ると、「人間はみんな(生きる機会、権利については)平等だ」とか、「生命や人権は誰であっても尊重されるべきだ」といった戦後日本があたりまえのこととして大前提にしていた価値観が、ついに崩れ始めたという思いが強くします。たとえば北海道では夕張市が財政再建団体になりましたが、理由はいろいろあって、日本の資本主義経済の大きな構造転換の中で置き去りになったという面が大きい。ところが「自己責任原則」を押し出してバサッと処理されてしまう。しかも、それに対し、北海道民からはそんなにはっきりした抵抗すら出ているわけではないのですから。

それと財界に関しては、奥村先生(前出の奥村宏氏)が指摘されるようにひどいと思います。日本経団連の御手洗富士夫会長が来年正月に発表する将来構想「希望の国、日本」の原案が11日の夕刊に掲載されていましたが、私は読んで本当に驚くと同時に、非常に腹が立ちましたね。「あなたたちは金儲けしていればいいんであって、なんでこんなよけいな説教を国民にするんだ」と。ほんとうにふざけるなという感じです。

「愛国心」なんてあなたたちに言われたくないよ。自分たちはいっぱい儲けながら、減税してくれなんて勝手なことばかり要求して。おまけに労働法を無視して、残業代払わないための制度改革を「労働ビッグバン」とか称して、要するに「やらずぶったくり」を合法化しようというようなことまでやろうとしているじゃないか」とね。そんな連中に教育がどうの、「愛国心」がどうのなんて言われる義理はない。こういう財界の姿勢というのは、やはり比較的最近の現象ですよね。 (山口二郎・北海道大学大学院法学研究科教授)



1990年代末以降、バブル崩壊のツケを、財界は時の政権を使って下の層に押しつけていった。その結果、格差社会化が加速し、顕在した。98年、突然、自殺率35%増という事態がそれを示した。都市部、とくに東京とか大阪では、前年比で実に50%増なんです。つまりバブルが崩壊してからごまかしごまかしやってきたが、ついにごまかしきれなくて一気に矛盾が顕在化したのが98年の自殺増だったと思います。以後、年間自殺者が3万数千を超える水準がずっと続いていて、世界でも最悪です。

同時に格差のなかで生きていけないという思いの人が非常に顕在化していますね、あらゆるところで。…たとえばフリーターとかなんとかいって、少し否定的に取り上げられることが多いですが、若い人と話すと、彼らの思いではもう日本は「奴隷社会」だと言います。仮に会社で働けても、彼らが職を得るのは営業とか流通の職ですが、そこではちょっと成績をあげると、またノルマをあげられて仕事がかぶさってくる。もう、こうなると倒れるまで「エンドレス」になる。しかも身分は常勤職じゃなくて、契約社員とかパート常勤で働かされる。「そういうところでがんばっても自分が摩滅していくだけじゃないか」という思いが伝わってくるんです。そろそろそういったサラリーマンという名の「奴隷社会」に気づいて、それについていけないという人たちが顕在化し始めている。日本のサラリーマンは「自覚なき奴隷」ですから。

-インタビュア: なぜこうした現状に対して国民は怒らないのでしょう。野田さんは、戦前国民が、死を強制する国家に抵抗することも抗議することもなく唯々諾々としてそれに従い死んでいった歴史と、今日の企業社員を中心とした自殺の異常な増加の共通点を指摘していますね。

いや、すぐれて今日的な問題だと思いますよ。団塊の世代の大部分は…会社人間として生きてきたので、自分たちが行き詰るとそれを抗議として示すチャネル(経路、手段、の意)を持っていないのです。…彼ら自身が自分の権利を主張していく、というよりも、70年代から「モーレツ社員」として会社に過剰適応して生きてきたのにもかかわらず裏切られた、そういう(恨み節、すねる)思いのほうが非常に強い。

若者を見れば、とくに団塊ジュニアになると、結局、親の後を継ぐ形で「周囲に適応する」という生きかたを子どものころから必死になってしてきている。彼らの生きかた、対人関係は「摩擦回避」なんです。他者に対し、自分の意見を本気で言って議論をしたり、思いを伝えたりしたために起こる「摩擦」を前もって避ける。共通の情報、同じ漫画を読んでいるとか、同じ店を知っているとか、同じ服を着ている、そういうことでつながってゆく。好みと情報で(人間関係が)つながる傾向が強くなったのは80年代です。

そうやって生きてきたから、「どうせ世の中に出ても、自分は抑圧されてボロボロにされる」と気づいたからといって、抗議の声をあげるような経験も訓練もまったく積んでこなかったから、できない。

-インタビュア: 団塊の世代は人数が多いから競争原理のなかで生きてきた。そこで競争に勝つために多数派につくという心理があるかもしれませんね。団塊ジュニアもそういう親の姿勢を見て、反射的に多数派につこうというようなベクトルが働くのかもしれません。

戦後の経済を担い、権力を掌握したのは教育勅語で育った世代です。彼らが戦後の復興と社会基盤の形成を成し遂げた。団塊の世代の一部は、70年の闘争の後、そうした上の世代に「ごめんなさい」と言わないと会社に雇われないからということで転向して、いかに自分が会社に忠実であるかという「忠実ゲーム」をしてきた。抗議運動に加わらなかった多数派も、もちろん忠実ゲームに加わった。

会社人間が猛烈に働くというのは表向きであって、実は「24時間会社のことを考えています」というしっぽの振り合いをやり、出世をめざした。その子どもたちも、多数派というのは始終拡がったり縮んだりして勝手に動向するから、いつも周りを見て、自分が少数派にならないよう、勘を鋭くしなければならない。これが今の子どもたちの現状です。 (野田正彰・のだまさあき・評論家、精神科医、関西学院大学教授)



上記の野田教授のコメントを受けて:山口二郎教授:
確かに国民が怒らないどころか、「弱い人間というのは、自分の側に責任があるんだ」みたいな風潮が強くなりましたね。

以前なら自民党内で主流派として力があった田中派なんかは、いろいろ評価はあっても(=評判はよくなくても)、都市から恵まれない地方にカネを持ってくるのが政治だと考えていた。やり方が汚いとか、私利私欲を追求する手段であったという側面も確かにありましたが、「自由競争の結果を是正するために再分配するのが政治なんだ」という前提だったわけです。ところが小泉時代になってそれは決定的に崩れたのですが、一方で弱くなった立場の人も、あまり要求をしない。自己主張をしないという傾向が強くなった。

教育基本法の「改正」に賛成する議論の中で、要するに「権利ばっかり主張して、個人主義が強くなっている」なんて主張をする保守派がいるけれど、まったくとんでもない事実誤認ですよ。もともと(抗議できない国民に)権利の観念なんていうのはこれっぽっちもなかったんですから。人間の尊厳や権利をきちんと主張できる人間を私たちが育ててこなかったという悲しい現実がありますね。



-インタビュア: そうした日本の企業風土の「奴隷状態」をいいことに、さらに格差拡大、不平等拡大の社会をつくろうとしているのが、財界主導の小泉-安倍政権なのですね。




2.「週刊金曜日」編集部・北村肇氏による「編集後記」

今年はたびたび、斉藤貴男さんの著作(「機会不平等」)の一節が頭をよぎった。三浦朱門氏へのインタビューだ。 「できる者は百人にひとりでいい。やがて彼らが国を引っぱってゆきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえればいいんです」。当時、三浦氏は教育課程審議会会長だった。1%の「エリート」と99%の実直な「その他」。この発想はもともと、財界から生まれた。企業の中枢を担う人材以外は、使い捨ての「労働力」さえあればいい…。新自由主義とは結局、一種の奴隷制に過ぎない。かくして格差は限りなく進み、日本はついに、米国に続く貧困率ワースト2の国となった。

永田町に目を向ければ、新保守主義とやらが大手を振る。市民と国家の主従関係を逆転させ、主権在国をもくろむ。それは格差拡大への不満をナショナリズムで解消させようという、悪辣な企みであることはもはや隠しようがない。

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「格差拡大への不満をナショナリズムで解消させよう」というのは、「国家」に個人を同一化させ、自らは不遇であっても、抗議をしたりせずに、国家(=大企業とそこに寄生する官僚・政治家たち、マスコミ人、芸能人、そして皇室の人々)の繁栄を誇りに思わせる、ということです。具体的な例を挙げましょう。

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過般佐倉の兵営に於いて招魂祭を行いし時、招かれし遺族中一人の老翁あり。親一人、子一人の身なりしに、其一子が不幸にも戦死したりとて初めは只泣く許りなりしが、此盛典(佐倉における招魂祭)に列するの栄に感じ、一子を失うも惜しむに足らずとて、後には大に満足して帰れりと云う。今若し大元帥陛下(天皇のこと)自ら祭主と為らせられて非常の祭典を挙げ給わんか、死者は地下に天恩の難有を謝し奉り、遺族は光栄に感泣して父兄の戦死を喜び、一般国民は万一事あらば君国の為に死せんことを冀う(こいねがう・請い願う、のことと思う)可し。多少の費用は愛む(おしむ)に足らず。くれぐれも此盛典あらんことを希望するものなり。
-「時事新報」/1895年11月14日付け論説。

大意: しばらく前に、千葉県の佐倉の兵営で招魂祭を行った際、そこに招かれた遺族の中にひとりのお爺さんがいた。このお爺さんは親一人、子一人の身だったが、そのひとり息子が不幸にも戦死したといって、最初は泣いてばかりいた。そのお爺さんがこの招魂祭に参加したところ、それを名誉に思い、晴れの場に昂揚して、自分の息子を失ったことも「惜しむに足りないことだった」といって大いに満足して帰っていった。

***

米国にはアーリントンがあり、ソ連にも、あるいは外国に行っても無名戦士の墓があるなど、国のために倒れた人に対して国民が感謝を捧げる場所がある。これは当然なことであり、さもなくして誰が国に命を捧げるか。
-中曽根康弘元首相、1985年靖国神社公式参拝のときのコメント。


(「国家と犠牲」/ 高橋哲哉・著)

命をなげうってでも(国家を)守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。そういう人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということですね。
-安部晋三・著/「この国を守る決意」より。

ルナ註:つまり、国家的に顕彰すれば、国民は自分の人生を放棄して国の政策・方針のために命をなげうつようになるだろう、国民の意志というのはそのようにして操作していくべきものだ、という意。拙文「世論操作:1941年の場合」を参照なさっていただければうれしいです。


(「安倍晋三の本性」/俵義文ほか週刊金曜日取材班・著)

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一人息子を失っても、「国家主義」がこのおじいさんの悲しみを癒したのです。新自由主義というのは、経済活動に国が干渉するな、という方針のことですから、本来国家主義と新自由主義というのは相矛盾するものなのですが、今現在進行している国家主義は「財界主導」なので、財界の都合の良いような仕方で「国家主義」が利用されているのです。商売人と言うのは自分の利益のためなら何でもあり、なんですね。

わたしたちは、自分の人生を豊かに生きるため、かのお爺さんのように、思考や感情まで国家=財界に操作されないようにするため、どのように自分を守れるのでしょうか。教育基本法が改定されてしまった今、彼らの手は憲法にまで伸びるでしょう。アメリカの力の下で外交をし、商売を続けてゆくために、どうしてもアメリカに評価されねばならないのです。そのためにも、戦争を辞さない国家アメリカと共に出兵できるようにしなければならないのです、彼らにとっては。

野田正彰教授のおっしゃるように、わたしたち自身が批判能力を奪われてしまいました。ですから、まず私たちが批判能力を取り戻し、自分の人生を自分でプロデュースできるようになってゆかねばならないとわたしは思うのです。
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「ポスト・デモクラシー」

2006年12月17日 | 一般
その後、エホバの僕であるヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。それで人々は彼を…葬った。…そして、その世代(ルナ註:救出者とともに生きた世代)のすべての者も、その父たちのもとに集められ(=死んでいって)、その後に、エホバもイスラエルのために行われたそのみ業(紅海の水を分けて乾いた道を出エジプトのために設けたり、エリコという都市を奇跡によって崩し、戦の最中に太陽を留めたりetc...)も知らない別の世代が立ち上がった。そして、イスラエルの子らはエホバの目に悪とされることを行って、もろもろのバアル(古代パレスチナ人の信奉する宗教の神)に仕えるようになった。(師士記 2:8-11)

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「エホバ」とは、聖書によるとイスラエルの守護神ということになっています。エホバを信奉する宗教は、奇跡によって救出されるのをリアルタイムで経験した世代が生きていた間は敬虔に擁護されていましたが、「エホバがその民イスラエルのために(奇跡的に)行われたみ業を知らない世代が立ち上がる」と、エホバの宗教は廃れ、入植したパレスチナの土着の宗教が採用されてゆくようになりました。エホバの証人はこういう行為を「背教」と呼びます。

聖書のこの記述は、人間への洞察というものを示しています。つまり、人間はなにか教訓を得て謙虚になっても、それが長く保たれるのはむずかしい、ということです。この洞察は、最近年の日本にとっても言い得ているように思えます。国家の基本的な価値さえ与党の単独強行採決で切り替えられてしまうのです。議論らしい議論は行われず、世論捏造によって“合意” が形成されました。そしてそれに対する国民の反応は、といえば「無関心」でした。



「ポスト・デモクラシー論」というのが、いま世界中の思想界で議論されているそうです。20世紀の歴史を通して発達してきたデモクラシーが、まさにデモクラシーが発達し根づいてきたその国々の中で終焉しつつある、というのです。

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…この論点は、イギリスの政治社会学者コリン・クラウチが言うような「ポスト・デモクラシー」論と共鳴する部分を持っている。クラウチは、20世紀の政治を通してデモクラシーが描いた「放物線」について語っている。

普通選挙(*)が一般化し社会権(*)が認められ、基本的人権の意識が浸透する20世紀の歴史的プロセスは…大量生産、大量消費のサイクルによる経済成長などと一致していた。

 *普通選挙;身分・性別・教育・信仰・財産・納税などを選挙権の制限的要件としない選挙[広辞苑第5版]。旧憲法では、女性に選挙権はなく、また男性であっても一定額以上の直接国税を納入していなければ選挙権は与えられませんでした。
 
 *社会権; 資本主義が発達すると、生存が危険になるほど労働者はいわるゆる“搾取”をうけるようになった。
 例を挙げると、人権宣言を擁するフランスの19世紀中葉、平均労働拘束時間は一日につき15時間、実働時間は13~14時間。それでも労働者一人の賃金では生活できず、女性・子どもが働きに出るのは日常的なことでした。成長期にある子どもにとって長時間労働は健康にも脅威でした。契約は日雇いで、労働者は、不景気が来たり、病気になったりすると、直ちに解雇された。失業しても社会保障はなく、貧しくなった人には生きてゆくことさえ困難でした。
 そこでこういう労働者の状況を改善し、人間らしい人生を送れるようにと、さまざまな社会保障や労働基準法、いわゆるセーフティ・ネットが制定されるようになりました。
 …しかしいまの日本が目指そうとする構造改革は、かつてのような企業保護優先の方向なのです。 


アメリカ合衆国およびスカンジナビア諸国においては第二次世界大戦直前、その他の国では第二次世界大戦直後、つまり西ヨーロッパおよび北米のほとんどの国では、20世紀半ばに民主主義がひとつの頂点を迎える。これらの国々では、人々は、クラウチの言葉を借りれば、「今日と比較すれば平均的教育水準においては、当時の人々は劣るにもかかわらず」、20世紀半ばには、政府機関が使う言語とのギャップが少ない政治言語を使いこなし、能動的市民としての「公共の生(=社会生活、社会とかかわって生きてゆく意識)」への参加が実現していた。投票率は現在よりも高く、収入に比して現在よりもずっと高価な新聞を購読して、世論の高い水準を維持していた、とクラウチは述べている。

① しかし、その後の政策課題の複雑化と専門化、
② 人々の生活の消費者化、
③ 政治参加の後退(投票率の低下)
④ 労働組合など中間団体の組織力の低下など、20世紀デモクラシーの「放物線」は下降局面を辿ることになる。そして1980年代後半以降の産業構造の変化、グローバル市場化、労働形態の非正規化を経て、1990年代になると20世紀デモクラシーの「放物線」はボトム(底)に近づくことになる。これが「ポスト・デモクラシー」期であって、デモクラシーの体裁は保たれるものの、
① 福祉国家が後退し、
② 貧富の格差が拡大し、
③ 政策決定が一部エリートに集中すること、
④ 市民の受動的な消費者化がさらに進行し、
⑤ また、政治不信と「政治の消費文化」化が進行する、とされる。「放物線」を描いたデモクラシー曲線が「デモクラシー以前」の水準値まで戻る傾向を見せているというのである。

日本の政治史に重ねてみるならば、クラウチの見取り図が教えるところは重大である。なぜなら、日本国憲法が成立したのはまさしく20世紀のデモクラシー放物線が上昇するところの頂点近い時期であり、その意味で20世紀において世界がもっとも民主的であった時代の政治文化の申し子だからだ。それに対してデモクラシーの放物線が下降し、、1990年代から2000年代にかけて「底を打つ」局面において、いまわたしたちの国に頭をもたげてきているのが、「新しい憲法」を制定しようという動きである。私たちの国は世界に先駆けて(!)「ポスト・デモクラシーの憲法」を持つ最初の国になろうとしている、と言えるのかも知れない。

クラウチもまた、「ポスト・デモクラシー」の兆候として、
① 指導者の個人化、
② TVを最初としたメディア政治の進行、
③ エリートによる支配、などをあげている。
わたしたち日本人にとって、ポスト・デモクラシーはもっとも不平等で、新自由主義的なエリートによる圧政的な支配を正当化する政体を意味する可能性が高くなっているのである。

(「テレビ国家(5)」/ 石田英敬・著/ 「世界」2006年11月号より)

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この一文は、いま日本におきていることを興味深く言い表しているように思います。いまの日本国民の極端な無関心というものをもたらした一要因に、「人々の生活の消費者化」があげられていますが、これは個人的にもピンときますね。「消費者化」というのは受動的な態度を意味します。生きること、人生の過ごし方が、趣味や個人的な探索活動、スポーツなどでの自己実現などを目指すのではなく、ただその場の楽しさにひたって生きる、たしかに ’80年代にはそんな雰囲気がありました。その場の楽しさに浸るのはいいことです。でもそうやって楽しんで生きるには、社会のありよう次第でもあるのです。ですから、積極的に政治参加を意識してゆくのは、国民ひとりひとりの責任だったのです。日本国憲法の第13条は、「この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」という「義務」を国民に課しているのです。そして教育基本法は、この憲法の理念を実現しようとするために設けられたのでした。

以前の教育基本法は日本国憲法とセットになった理念法です。理念法は教育の方針を定める法で、あらゆる法律の上に立つ法です。理念法が変わるということは、大仰に言えば国体が変わるということでもあります。上記の引用文で、「いまわたしたちの国に頭をもたげてきているのが、「新しい憲法」を制定しようという動きである。私たちの国は世界に先駆けて(!)「ポスト・デモクラシーの憲法」を持つ最初の国になろうとしている、と言えるのかも知れない」というくだりがあります。「(!)」がつけられているのは皮肉を表現するためです。つまり、日本はデモクラシーの放棄を、憲法で謳う、世界で最初の国になろうとしているのだ、という意味のアイロニーです。「改正」教育基本法は、理念を日本国憲法と異にしているため、憲法違反の法律であると主張する学者さんがおられます。わたしは引き続き、憲法違反であることゆえに、「改正」教育基本法を破棄するよう、訴えかけてゆこうと思います。

ところで、デモクラシーが実質を失い、労働の非正規化を促し、福祉国家の理念を放棄してしまうようになるまでに、国民を政治的無能力者に追い込んだのは、ひとつにはマスメディアに責任があるといえるでしょう。上記引用文によると、20世紀半ばには、平均的教育水準は現在の私たちに劣るといえども、つまり、進学率などがいまほど高くない時代であっても、また国民は収入が今ほど高くない時代であっても、新聞を定期購読し、そこから政府機関が使う言説についていって、能動的に政治に参加していった、とありますが、それにはメディアの報道の高い質が必要です。かつてのメディアの質の高さは、ウォーターゲート事件が新聞記者によって暴かれたという有名な事件が示していると思います。

でも、今のアメリカのメジャーなメディアは、政府の提灯持ちに成り下がっています。日本もまったく同様です。とくに、1950年代からTVが普及し始めました。この新しい媒体は民主主義に何か影響を与えたでしょうか。上記引用文は、「テレビ国家」という主題になっています。TVは民主主義を歪めるのに多大な貢献をした、という議論が展開されています。TVの「報道」は思考を通り越して、感覚に直接訴え、感情を操作する力を有していたのです。もちろん、TVだけではありません。新聞も、何を報道し、なにを報道しないでおくかということで、国民を情報から無知にさせておくこともできるのです。現役のジャーナリストがこのようなことを述べておられます。

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ニュースは「現実」を伝えるもの…。長い間、わたしはそう信じてきた。TVニュースに映し出される出来事や、新聞・雑誌に書かれていることが、そのまま世の中の動きを映し出したものだと思ってきた。自分の身の回りで起こっていることよりも、メディアを通じて知らされることの方が、世の中の典型的な例であり、それを知れば、社会のことがよりよくわかると思っていた。

ところが、自分で記事を書くようになると、それはとんでもない間違いだということに気がついた。こんなことを言うと無責任だと思われるかもしれないが、取材先をどこにするか、コメントの部分をどう使うかを変えるだけでも、「現実」をかえることは簡単にできる。パラグラフ(文章の中の一節、一部分)の順番を変えるだけでも、記事のトーンが激変することも少なくない。

締め切りやスペースの制約から、取材しても書けないことの方がはるかに多い。もしも記事の余白に、「これはあくまでも、限られたスペースと限られた時間の中で書いたものであって、ここで取り上げられているのは、世の中に無数にある見方のほんのひとつでしかありません」などと書くことができたら、どんなに気が楽になるだろうか…。読者の皆さまから、「菅谷さんの記事を読んで、○○のことがとてもよくわかりました」などという電子メールをいただいたりすると、正直言って嬉しいどころか、むしろドキリとしてしまうのだ。

わたしが、ニュースは「現実」そのものを伝えているのではない、と考えるようになったのは、今から(この本は、2000年8月18日第一刷発行となっています)10年ほど前、アメリカのニュース雑誌「ニューズウイーク」の日本版編集部に勤務していた頃だ。…

(「メディア・リテラシー」/ 菅谷明子・著)

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出来事の「現実」のすがたを伝えられずに、どうして読者は正確な判断を行えるのでしょうか。出来事や問題の「現実」が簡単に操作できるのであれば、どうして民主主義は機能できるのでしょうか。教育基本法改正論議において主張されてきた、「教育の荒廃」についての報道は、どれほど現実だったのでしょうか。実際には少年による凶悪犯罪は、1940~50年代に比して激減しているのに、あたかも現在がかつてないほど荒廃しているかのようなイメージを作り出したのは、報道ではなかったでしょうか。タウン・ミーティングのやらせというのは重大な問題です。マスコミはどうしてもっと真剣に追求しないのでしょうか。わたしたちはマスコミにいいように踊らされてきたのではないでしょうか。マスコミは、そのように国民を翻弄させるように誰かから要求されているのでしょうか。よもやそんなことは…。

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このコラムが読者の手元に届く頃、教育基本法改正法案や防衛庁省昇格法案、共謀罪はどうなっているだろうか。何とか踏ん張ってほしいと切に願っている。コラムを書いている現時点では、野党4党幹事長が確認した野党共闘は風前の灯だ。参議院・教育基本法特別委員会で、淡々と質疑が行われてゆくようすに愕然とする。改めて野党第1党・民主党の責任を私は問いたい。

衆議院での教育基本法改正法案の強行採決後、野党4党の国会議員が緊急集会を開き、参議院で成立させないため頑張ると拳をあげていたのは何だったのか。頼みの綱は、タウンミーティングでのやらせ問題や開催を請け負った広告代理店の経費の問題などの追及で追い込むことだ。市民からは「ひどいよね」という声の一方で「そんなもんじゃないかと思ってた」と、クールな声も聞こえてくる。

私が懸念するのは、官僚のイージーなやり方だ。このタウンミーティング事件は、私たちが何となく気づきながらも、その問題を直視せず、見逃してきた日本の民主主義の病んだ姿を明らかにした。すなわち審議会も含めて第三者の意見を聞くシステムは、現状では「お飾り」の要素が強く、結局は日本の政治が「役人の、役人による、役人のための」政治になっている事実をむき出しにして示した。その意味で民主主義の根幹を問う重要な問題だ。

(「吉田有里の政治時評」/ 記事・吉田有里 「週間金曜日」2006年12月15日号より)

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日本の民主主義はマスコミと官僚のタッグによって実質をなくしてしまったようですね。でも、わたしたちは失望して政治参加への意欲を投げ出してはならないと思います。フランスの学生たちのデモのように、あるいは9.11同時多発テロの真相を追究する市民たちのように、わたしたちは世論を喚起するために、声を上げてゆくことができます。すくなくとも、わたしルナは、マスコミ=官僚による情報操作には決して容易に欺かれないぞ、とここで宣言します。

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世論工作、1941年の場合

2006年12月10日 | 一般


十二月初七。この冬は瓦斯暖炉も使用すること能はず(あたわず)なりたれば、火鉢あんか置火燵(おきごたつ)など一ツづつ物置の奥より取出され四畳半の一間にむかしめきし冬仕度漸く(ようやく)ととのひ来りぬ。これらの器具は二十余年前或時は築地或時は新橋妓家(ぎか)の二階、またある時は柳橋代地の河岸にて用ひしもの。今日偶然これを座右に見る。感慨浅からずなり。

十二月八日。褥中(じょくちゅう;「褥」は「しとね」と読むから、娼婦を主人公にした小説か?)小説『浮沈』第1回起草。晡下(ほか;「晡」は夕方の意。広辞苑によると、申「さる」の刻。今でいうと午後4時頃)土州橋に至る。日米開戦の号外出づ。帰途銀座食堂にて食事中燈火管制となる。街灯商店の灯は追々に消え行きしが電車自動車は灯を消さず、省線(鉄道省経営の路線電車。一昔前の国鉄に相当)は如何にや。余が乗りたる電車乗客雑沓せるが中に黄色い声を張り上げて演舌をなすものあり。

(「断腸亭日乗」/ 永井荷風・作)

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第二次世界大戦といえば、わたしの世代なら自動的に「太平洋戦争」を思い浮かべますが、実は日本は日清戦争以来、ひっきりなしに戦争をしていたのです。とくに、アメリカ相手に戦争を行う前に、すでに中国相手に戦争を行っており、戦況は行き詰まっていました。中国との戦争は1931年に始まりましたから、終戦までの15年間続いた戦争、という意味で歴史学者たちは「15年戦争」と言います。

荷風の日記によると、対米開戦前夜、日本国民の生活は逼迫していた様子がうかがえますね。瓦斯は当時、国民の思うままに使うことはできなかったのです。7日の日記によると、火鉢やあんかが再び使用されるようになりました。 「このころ日本の経済状態は、ますます悪化していた。基礎物資の欠乏が深刻になったばかりでなく、働き手を兵隊にとられ肥料も十分にやれなくなった農業生産が減退しはじめ(た)(「日本の歴史(下)」/ 井上清・著)」。 中国との戦争の時点で、日本は経済が疲弊していたのでした。しかし、日本政府は外国のせいだとマスコミを通じて宣伝していました。「ABCD包囲陣」と名づけられ、A=アメリカ、B=イギリス(ブリティッシュ)、C=中国(チャイナ)、D=オランダ(ダッチ)の4国によって日本は包囲され、経済的にも軍事的にも脅威を受けていると国民には説明されていました。

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しかし、冷静に考えてみれば、中国は日本軍に奥深く侵略され、イギリスとオランダはナチス・ドイツに敗戦し、これらの国は日本を包囲するだけの余裕などなかったのである。また石油禁輸などの経済圧迫は、日本の南進(東南アジア方面への軍事侵攻)に対する対抗措置として採られたものである。

しかし、厳重な報道管制がしかれ、一方的な情報しか与えられていなかった日本国民には冷静な判断力はなかった。やり場のない敵意を抱いて、いらいらするばかりだった国民に、突然開戦と戦勝のニュースがとびこんできた。

12月8日午前7時。
「大本営陸海軍部午前6時発表。帝国陸海軍は本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という臨時ニュースがラジオで放送された。12月8日正午には宣戦の詔書が放送された。詔書は、「帝国は今や自存自衛のため蹶然(けつぜん;地を蹴って勢いよく立ち上がるさま。または勢いよく事を起こすさま。「広辞苑ん第5版」)起って(たって、と読む)一切の障礙(しょうがい:障碍に同じと思う…。「礙」は妨げる、の意があるから)を破砕するのほかなきなり」と述べていた。その後続々と日本軍の成果が発表された。

日本国民は興奮の極みに達した。12月8日、月曜日の朝、わが家(著者の江口圭一さんのお宅)はラジオのスイッチを入れていなかった。電話がなった。市内の親類からであった。(ルナの感想:昭和15年に普通のお宅に電話があったのかな…?)受話器をとった父が大声で、「ええっ! やりましたか! 圭一、ラジオをつけなさい!」と叫んだ光景を私は鮮やかに記憶している。「やったあ!」「やりましたか!」。これが日本国民の標準的な反応であったことを人々の回想から確かめることができる。「やっと便通があった、という感じがした」という人もいる。

12月10日、大本営政府連絡会議は今回の「戦争は支那事変を含め大東亜戦争と呼称す」と決定し、12日、政府は「大東亜戦争と称するは大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味する、と発表した。

(「1941年12月8日」・アジア太平洋戦争はなぜ起こったか/ 江口圭一・著)



1941年12月8日早朝、初冬の抜けるような青空が日本列島に広がっていた。午前7時、ラジオが定時の時報を告げると、「しばらくお待ち下さい」というアナウンスが入った。その一瞬の静寂を破るかのように臨時ニュースのチャイムがけたたましく鳴り響き、館野守男アナウンサーの張り詰めた声が続いた。

「臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部12月8日午前6時発表、帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋に於いてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋に於いてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。なお、今後重要な放送があるかもしれませんから、聴取者の皆さまにはどうかラジオのスイッチをお切りにならないよう願います」。

この日は臨時ニュースが13回、定時のニュースを含めるとニュース放送の回数は16回となり、局の新記録となった。ニュースの合間には「愛国行進曲」、「軍艦行進曲」、「敵は幾万」が国民の戦意を高揚するために流された。午前11時45分には情報局から「ただ今アメリカ、イギリスに対する宣戦の大詔(詔〈みことのり〉の意。尊敬語)が発せられ、また同時に臨時議会召集の詔書(天皇の大権を施行する旨を一般に公布する文書)が公布されました」との声明があった。正午にはラジオの時報に次いで「君が代」が流れた。それに続いて詔書が読みあげられると、東条英機首相が「大詔を拝して」と題する演説を行った。この後「帝国政府声明」があり、「英米両国の、東亜を永久に奴隷的地位に置かんとする頑迷なる態度」のため、開戦がやむにやまれぬものであったと説明された。

午後1時、第6回目の大本営発表があり、ようやくまとまった戦況が次のように発表された。しかし、真珠湾奇襲攻撃の戦果については、この段階では発表されなかった。
一、帝国海軍は本8日未明、ハワイ方面の米国艦隊ならびに航空兵力に対し、決死的大空襲を敢行せり。
二、帝国海軍は本8日未明、上海において英砲艦「ペトレル」を撃沈せり、米砲艦「ウエイキ」は同時刻我に降伏せり。
三、帝国海軍は本8日未明、新嘉坡(シンガポール)を爆撃し、大なる戦果を収めたり。
四、帝国海軍は本8日未明、「ダバオ」、「ウエーク」、「グアム」の敵軍事施設を爆撃せり。

午後5時には灯火管制がしかれた。この日の夕刻は、どの新聞も一面に大見出しで日本の開戦を告げていた。特大の活字の見出しの下には必ず「宣戦の大詔」が、これまた紙面の上段いっぱいに掲載され、下段には戦況や戦果が報じられていた。午後6時、首相官邸から情報局による放送が行われた。政府の発表は「政府が全責任を負い、率直に、正確に申し上げるものでありますから、必ずこれを信頼してください」とし、定時のニュースは聞き漏らしのないようにと国民に注意を呼びかけた。午後7時30分、情報局次長の奥村喜和男による「宣戦の布告にあたり国民にうったう」と題する演説が放送された。

午後8時45分、この日8回目の大本営発表が行われ、海軍の戦果が発表された。
一、本8日早朝帝国海軍航空部隊により決行せられたるハワイ空襲において現在までに判明せる戦果以下の如し。 戦艦二隻轟沈、戦艦4隻大破、大型巡洋艦(戦艦より小ぶりの軍艦で、戦艦より高速、航続力も大きい。通信、警戒能力を装備していて、偵察、警戒、主力艦の援護、護衛などの任務を行う軍艦のようです)4隻大破、以上確実、ほかに敵飛行機多数を撃破せり、わが飛行機の損害は軽微なり。
二、わが潜水艦はホノルル沖において航空母艦1隻を撃沈せるものの如きもまだ確実ならず。
三、本8日早朝グアム島空襲において軍艦「ペンギン」を撃沈せり。
四、本日敵国商船を捕獲せるもの数隻。
五、本日全作戦においてわが艦艇損害なし。

午後9時になると二つの大本営発表が行われ、ようやくこの日の臨時ニュースは幕を閉じた。午前7時に始まった臨時ニュースに、ほとんどの国民が釘付けになったのである。

(「流言・投書の太平洋戦争」/ 川島高峰・著)

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「余が乗りたる電車乗客雑沓せるが中に黄色い声を張り上げて演舌をなすものあり」と「断腸亭日乗」には記録されていますが、日本国民は緒戦の勝利にかなり酔っていたようすです。

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AM7:30での、情報局次長奥村喜和男による「宣戦の布告にあたり国民にうったう」という演説を聴いたある人はこのように当時の感想を振り返っています。
「日本国民の言いたかったことをズバリと言ってくれて胸のすく思いがし、感動を以って聞き入る。アナウンサーが『大放送』と言ったのは、そのときのわたくしの気持ちにピッタリ合った言葉としてうれしかった (櫻本富雄 「戦争はラジオにのって」)」。

戦争高揚のプロパガンダには、歌謡も大いにその役割を担った。「宣戦布告!」、「太平洋の凱歌」、「届け、銃後のこの感動」といった煽動的な「ニュース歌謡」である。中でもその後、よく知られることになる「進め一億火の玉だ」は早くも8日午後、ニュースの間奏曲としてたびたび登場した。なんとも稚拙な歌詞であったが「火の玉」というフレーズが国民の気持ちにピッタリきたのであろう。「火の玉」は流行語になった。

「進め一億火の玉だ」
一、行くぞ行こうぞ がんとやるぞ大和魂だてじゃない
  見たか知ったか底力 こらえこらえた一億の
  堪忍袋の緒が切れた
二、靖国神社の御前に 拍手打ってぬかずけば
  親子兄弟夫らが 今だ頼むと声がする
  おいらの胸にゃぐっときた
三、そうだ一億火の玉だ ひとりひとりが決死隊
  がっちり組んだこの腕で 守る銃後は鉄壁だ
  何が何でもやり抜くぞ
(ルナ註:4年8ヵ月後、広島と長崎の上空で、中心温度約1万1000度、表面温度7000度という、半径約150メートルほどの「小さな太陽」ともいうべき「火の玉」が出現、合計30万人以上が、ある者は蒸発し、ある者は焼け焦げ、ある者は皮膚がどろどろに融け、ある者は放射線障害で数週間以内に死にました(「太平洋戦争の歴史」/黒羽清隆・著)。「火の玉」に気分高揚させられた国民は「火の玉」によって地獄に落とされたのです)。

開戦の第一報に、「スッとした」という一種の壮快感や解放感、そして歓喜といった、明快な肯定を示す人が
多かった。

当時23歳で入営を1ヵ月後に控えていた中村泰秀は、開戦の報に接し「もやもやしていたものが一挙に吹っ飛んだ」(朝日新聞テーマ談話室編「天皇そして昭和 日本人の天皇観」)と記している。
これは世代を超えた共通の反応であった。この「もやもやしたもの」とは戦争目的への疑問にほかならない。アジアを欧米から解放すると言いながら、その欧米とは直接戦闘することなく、すでに中国で4年も戦争をしていたのである。しかも戦線はいたずらに拡大し、この泥沼化した大陸の「事変」に対する目的意識の喪失と厭戦気分が国民のあいだに蓄積されていたのである。
(ルナ註:つまり、世の中での閉塞感、生活苦などを、勇ましい行動はいっとき解消してくれる、カタルシスの作用を持っている、ということですね。こういうカタルシスはなにも戦争に限らないのでしょう。宇宙飛行に成功したとか、オリンピックでメダルをたくさん取ったとか、ワールドカップで優勝したとか、そんな国民のプライドを高めてくれるものはほかにもたくさんあるわけですよね…)

当時22歳であった小長谷三郎はその日記に「来るべきものが遂に来た。何時しか来るぞと予期して居たものが遂に来た」、「これぞ我らがひそかに期待した英米への鬱憤晴らしだ」と記している。そして次のような言葉で、その決意を語った。
「我らの気持ちはもはや昨日までの安閑たる気持から抜け出した。落ち付く可き処に落ち付いた様な気持だ。其れと共に新しい押さえ難い意気に駆り立てられないでは居られないのだ。個人主義的な一切の気持は何処かへすっ飛んでしまった。そして愛国的な民族的な大きな気持に支配されてしまった。
(「横浜の空襲と戦災 2」/ 横浜の空襲を記録する会・編)

ごく少数ではあるが、この戦争に不安を感じ敗戦を予感した人もいた。こういった人々は何らかの事情から欧米の技術水準や国力を熟知していた人々であった。したがって、知識人といえども専門分野の相違や価値観から必ずしもこのように考えていたのではない。

開戦当時33歳、中島飛行機の工場に勤めていた男性は、冷めた見方をしていた。

「工場で働いていると、日本でどれだけ飛行機が生産できるか、それがだいたいわかるんです。だから、日本がアメリカと戦争しても勝てるわけはないじゃないかと誰もが思っていました。…(中略)…若い労働量の豊富な工員たちは戦争に行っているので、…(中略)…(中年の工員は)これからの労働量を思い、そして、暗然とした」。(「日本人がいちばん熱狂した日」)

このように特殊な環境にあった人の方が冷静な判断材料を持っていた。このため、大学といえども、必ずしも時代を的確に捉えられる場ではなかった。「『全学生火の玉となって聖戦完遂に進もう』という教授たちのアジテーションに身体をふるわせて、万歳を叫んだ学生もいた。講義どころじゃなかった(日本人がいちばん熱狂した日)」のである。

(「流言・投書の太平洋戦争」/ 川島高峰・著)

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このように感情操作、思考操作によって誤導される国民。国民には正確な情報が十分に与えられないのです。マスコミがこぞって情報操作をしたからです。いえ、下手をすれば、マスコミの中にも十分な情報を持っていなかった場合もあるかもしれません。そういうわけで、「厳重な報道管制がしかれ、一方的な情報しか与えられていなかった日本国民には冷静な判断力はなかった。やり場のない敵意を抱いて、いらいらするばかりだった」という、マスコミによる大衆操作=マインド・コントロールがあったことは決して無視できない要素でした。

TVなんていうのは、あれはもうショウですから言うまでもないのですが、新聞なんかについては、わたしは報道されていること以上に、何が報道されていないか、に注意を向けていかなければならないと思います。幸い、インターネットの時代ですから、外国のジャーナリズムにも容易にアクセスできます。ルナは、自分を「熱狂しやすい」状況に置かないようにします。いつでも、中島飛行機の工員さんのように、大学のような恵まれた環境にいなくても正確で冷静な判断ができるようにしていたいと決意しています。わたしがエホバの証人を勇退できたのは、反対意見・情報に勇気を出して向き合ったからでした。だから、できるという確信があるのです。

マスコミがいかに国家主義に容易に染まれるかを示す情報を引用しましょう。

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戦争が始まった翌日、内閣情報局は出版社をよびつけて、「世論指導方針」を命令した。戦略的にわが国が絶対優位にあることを鼓吹すること、わが経済力に対する国民の自信を強めさせること、敵国の政治経済的ならびに軍事的弱点の暴露につとめること、国民の中に米英に対する敵愾心を執拗に植えつけることを指示した。

とくに厳重に警戒すべき事項として、次のことを達した。

「一、戦争に対する真意を曲解し、帝国の公明な態度を誹謗する言説。
二、開戦の経緯を曲解して政府および統帥府の措置を誹謗する言説。
三、開戦に際し、独伊の援助を期待したとなす論調。
四、政府、軍部とのあいだに意見の対立があったとなす論調。
五、国民は政府の支持に対し服従せず、国論においても不統一あるかのごとき言説。
六、中・満(中国と満州)その他外地関係に不安動揺ありたりとなす論調。
七、国民のあいだに反戦、厭戦気運を助長せしむるごとき論調。
八、反軍的思想を助長させる傾向ある論調。
九、和平気運を助長し、国民の士気を沮喪せしむるごとき論調。
十、銃後治安を攪乱せしむるごとき論調一切」(歴史学研究会「太平洋戦争史」)。

こうした言論取締りによって、東海地方の大地震も北海道の昭和新山の出現も新聞には掲載されなかった。

指導と取締りがすみずみにまで及ぶと、言論は、当局の意向に迎合して示された方針を守るのにもっぱらなため、内容は空虚なものとなった。こうしてよらしむべく知らしむべからずとした結果は、国民は考える意欲を失い、感じることを口にするのをおそれ、そのため自発的な愛国心も、合理的判断も、自主的な活動もすべて封じられた。したがって、ただお上の命令にしたがっておればよい、その裏で何をしようと、表向き戦争協力の形を示せばよい、そうした消極的態度に国民を陥れたのであった。

ところが、こうして国民の耳と眼と口をふさいだ支配者たちは、口をつぐんでしまった国民の姿を前にして、逆に民意をつかめぬ不安にかりたてられた。この独裁者の不安がますます取り締まりの強化をうながし、憲兵と警察によるスパイ政治の網の目があらゆる職場と地域に張り巡らされた。

手紙の検閲、電話の盗聴、盗聴器の据え付けまで行われ、投書と密告が横行した。東条内閣の施政は憲兵政治といわれた。東条とその側近たちは、支配階級の内部にまで不安の眼を向け、スパイ網を張り巡らせて、反対派を摘発した。支配階級の独裁は軍部の独裁となり、それはさらに東条とそれに連なる一派の独裁となった。こうした独裁は、逆に支配層内部の分裂を深め、彼らの戦争遂行能力を弱めていった。

(「昭和史」/ 遠山茂樹ほか・著)

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国家による独裁体制は、つまり国家によって主権が国民から奪われる際には、マスコミによる情報操作の効果が大きいのです。「一方的な情報しか与えられていなかった国民には、冷静な判断ができなかった」のです。逆に言えば、マスコミが政府の行為への批判をしなくなるとき、わたしたちの主権が奪われようとしていることを、まず疑ってかからなければならないということです。情報が一方的にしか与えられないでいることは、人間の人格形成に大きな影響を及ぼします。

「指導と取締りがすみずみにまで及ぶと、言論は、当局の意向に迎合して示された方針を守るのにもっぱらなため、内容は空虚なものとなった。こうしてよらしむべく知らしむべからずとした結果は、国民は考える意欲を失い、感じることを口にするのをおそれ、そのため自発的な愛国心も、合理的判断も、自主的な活動もすべて封じられた。したがって、ただお上の命令にしたがっておればよい、その裏で何をしようと、表向き戦争協力の形を示せばよい、そうした消極的態度に国民を陥れたのであった」。

みなさんが、エホバの証人という人たちとすこし腰をすえてつきあって見ると、こういうひととなりを実際に見ることができます。訓練されたエホバの証人は、自分で考えることをせず、感情を持つこと、考えること、行動することすべてにおいて、組織のマニュアルどおりに振る舞うのです。もはやこうなると「人間」とは言いません。みなさんは実際に完成されたエホバの証人を目の当たりにすると、強い嫌悪感と恐怖感を覚えるでしょう。しかし、そういう人格改造はカルト宗教だけの専売特許ではありません。もともとは国家が始めたことなのです、そういうことは。現に、1941年12月8日には、それ以降には、模範的な日本人はみな、模範的なエホバの証人のようになっていたのです。

一方で、言論を封殺しようとする人たちの疑心暗鬼というのが止まるところ、落ちつくところがないという現実には興味が深いですね。人から人間性を剥奪しようという試みは、決して長続きはしないという証しですね。




さて、現在の日本。どうでしょうか。マスコミは国民に対して報道を行っているでしょうか。それとも「お上」のために報道を行っているのでしょうか。

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NHKの海老沢勝二会長、読売新聞の渡辺恒雄社長などに代表されるように、日本の新聞社では政治部出身者が出世する傾向にある。イラクで「日本人3人が人質に」の一報が官邸に伝えられたとき、小泉は4人の新聞記者と会食していた。読売の橋本五郎、朝日の早野透、毎日の岩見隆夫、松田喬和の各氏だ。会食はそのまま2時間続いたが、彼らがそのとき何を話していたかはブラック・ボックスである。

日本の国民が生命の危機にさらされたとき、小泉が何をどう判断したかは、政治家として、総理大臣としての資質をうかがい知る重要な材料である。しかし、それを(国民に)知らせるべき彼らが、小泉と一緒にそこにいたということは、週刊誌に暴かれるまで分からず、その後も彼らは口をつぐんでいる。

もちろん、彼らはそれを書けないだろう。書くために集まっているのではないからだ。ただ言えることは、こうした新聞社の幹部たちが、いざというときに本当のことが言えるかどうか、疑問を感じざるを得ないということだ。

(「日本マスコミ『臆病』の構造」/ ベンジャミン・フルフォード・著)

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たとえマスコミが政府の取り込まれてしまっていても、それで私たちの命運が決まるわけではありません。わたしたちは自分で考える習慣を維持していければ、自分の感じたことを率直に表現する週間を身につけているなら、わたしたちは決して誰かに操られるだけの人生を送らされることのないよう、抗えるのです。支配されているのはラクではあります。面倒なことは他人に任せておけばいいのですから。自分の意思で生きるとなると、自分の下した決定や判断に、自分で責任を持たなければなりません。しかし、たとえば配偶者をある時期になれば与えられるのと、多くの失恋を経験することにはなっても、自分に納得のできる相手と結婚するのとでは、どちらが豊かな人生になるでしょうか。「自由」「個人主義」とは、じつはこういうことなのです。主権は絶対に国家に譲り渡してはならないのです、もう二度と!

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防衛「省」昇格の報道に思うこと

2006年12月01日 | 一般
11月30日に、衆議院本会議で防衛庁を「防衛省」へ昇格させることが可決されました。12月1日付毎日新聞の社説をちょっと見てみましょう。


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社説:防衛省昇格 責任の重さをかみしめよ
 

防衛庁を「省」に昇格させる防衛庁設置法改正案と国際平和協力活動などを自衛隊の主任務とする自衛隊法改正案が30日、衆院本会議で可決された。参院の審議は残るが、民主党も賛成したため今国会で成立する見通しになった。

防衛庁は昇格を目指す理由としてこんな趣旨の説明をしている。

① 防衛庁は内閣府の外局で、防衛庁長官は防衛政策や高級幹部の人事など、内閣府の長である首相を通じなければ閣議に諮ることができない。昇格によって外相など「省」の大臣と同様に、直接、閣議に諮り、予算要求なども財務相に求めることができる。

② 他国の組織は「省」で、「庁」は下に見られることがある。交渉でも、実態は「省」と変わらないと説明しなければならない。昇格は隊員の士気高揚にもつながる。

③ また、PKO協力法や周辺事態法などの制定過程では、米国の意向などに配慮する外務省が主導してきた。実際に派遣されるのは自衛隊で、防衛庁は武器使用などをめぐって外務省と対立する場面もあった。政策官庁として、国内調整の上でも外務省と同格になりたいという思いもあったようだ。





しかし「庁」であった重い理由を忘れてはならない。防衛政策は防衛庁長官と首相という二重のチェックを受けてきた。戦前、軍部の独走を許した教訓から、戦後の平和憲法を踏まえて、厳格にシビリアンコントロールを担保しようとする精神だ。そこには、外国に対する平和国家としてのメッセージもあった。

昇格は、国民の自衛隊に対するアレルギーが薄れ、理解が進んだこともあっただろう。野党第1党も賛成して可決されたことは、その表れだとも言える。北朝鮮の核実験など安全保障の重要性も増している。国際社会からの自衛隊の活動に対する要請も増え、その評価も高まっている時だけに、私たちも省昇格は時代の流れだと考える。

一方、自衛隊の主任務では自衛隊法3条第1項の「わが国の防衛」に、2項として周辺事態やPKO、テロ対策特別措置法などの海外活動も加えられた。それらは今まで同法の雑則で定められ、国防の余裕のある時に実施される「余技」という位置付けだった。久間章生防衛庁長官は、さっそく国会審議で、海外での事態に即応できる部隊や教育組織の必要性に触れた。

自民党内には、これを機に海外派遣の恒久法を求める声もある。案件ごとによる特別措置法制定は時間がかかり、国際平和協力を大義にすぐに部隊を派遣できる仕組みを作るというものだ。だが派遣先によって状況は違い、一くくりにするのは難しい。今回の法改正と恒久法の議論は全く別ものだと確認しておきたい。

省昇格には国民の信頼が不可欠で、防衛庁には一層の責任が求められる。談合事件や情報漏れなど不祥事が続くが、国民の厳しい目が光ることを自覚し、再発防止に万全を期してほしい。

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「昇格は、国民の自衛隊に対するアレルギーが薄れ、理解が進んだこともあっただろう」という観察は、ほんとうでしょうか。「アレルギー」という表現が、わたしには納得がゆきません。ひとつ前の段落でも指摘されているように、日本は「軍部の独走を許した経験」があり、またその「独走」を徹底した議論によって阻止できなかった、という「シビリアン」としての素養の未熟さがあったことへの反省が、日本国憲法の前文や9条、12条 (この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。また、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ) に書かせしめたのです。

そして教育基本法の前文には、「われらは先に、日本国憲法を確定し…」とあります。ここでいう「われら」とは、主権を天皇から奪還したわたしたち国民をさしていいます。主権者となったわたしたち国民があらためて日本国憲法を定めた、と教育基本法の前文は書きはじめたのです。これは国民の意志決定を宣言した文言なのです。ですから、ある国民が自衛隊への違和感を表明したとすれば、「アレルギー」のような、思考と意思を反映しない反応ではなく、戦前に軍部の独走を許し、また許してしまったシビリアンとしての未熟さへの反省を込めて、拒絶を表明したのです。ここのところはきちんと押さえてほしいものです、日本を代表するメジャー新聞ならね。

教育基本法の前文はさらに続けてこう言います。「われらは先に、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設し、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した」。「民主的で」というのは、国民が自分で考えて判断し、その判断を国民を代表する国会議員を通して国政・外交に反映させる、ということです。そのためには、正確で偏りのない情報がすべての国民に提供されなければなりません。その意味でマスコミの責任は重大なのですが、現実には国民から本当に重要な情報は隠すのです。これでは国民は偏りのない思考・判断はできないのです。偏った情報で下された判断はやはり偏ってしまいます。

みなさんは、エホバの証人が輸血をしないで死んでゆくことをニュースで見聞きして、異常な人たちだと思われなかったでしょうか。彼らは輸血医療については、偏った情報をものみの塔聖書冊子教会から教え込まれているので、敬虔な宗教心から誠実に輸血治療を避けるのです。しかもエホバの証人の教理にとって不都合な情報は、信者たちから隔離遮断されているのです。これを異常と思うのは健全な見かたです。では、自衛隊の海外派遣に理解を示す、というのは健全な判断であるといえるでしょうか。

わたしたちは学校で、日本国憲法についてどれほどのことを教えられたでしょうか。せいぜい、「国会」の章くらいでしょう、学校で扱われることというのは。でももっとも重要なのは、憲法が制定されるに至った経緯であり、憲法が伝えようとしている理念なのです。その理念が導入された歴史的経緯が重要なのです。そして、憲法について最も重要なことは、わたしたちは何も教えられてこなかったのです。マスコミによって偏った情報しか与えられず、憲法ということについてもきちんとした理解が与えられない、こんな状況で、いま国民が示している「理解」というのは、偏った理解であり、成熟した判断ではないのです。より高い見地から見ると、明らかに異常で未熟な判断です。わたしはいま、日本の新聞をはじめマスコミの、政府の提灯持ちのような態度に憤りを覚えます。これはマインド・コントロールです。マインド・コントロールには「不安をあおる」という手法があります。

たとえば、北朝鮮の脅威、といいますが、脅威を受けているのはむしろ北朝鮮なのです。なぜならば日本には巨大な米軍が強力な軍備を展開しています。また自衛隊の戦力というのも旧西側ヨーロッパ諸国よりも大きいのです。

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世界の軍事費ランキングでも、日本の自衛隊は1995年以来、第2位から第4位のレベルにあります。アメリカはもちろん群を抜いて第1位ですが、ヨーロッパ諸国、英・仏・独・伊が常連の上位国です。ほかに中国が入っています。

陸上自衛隊は実数14.7万人で、兵力数では世界17位。米・中・露・独よりは下位ですが、英・仏・伊よりは多くの人員を有しています。海上自衛隊は艦艇の総トン数43.8万トン。米・露・中・英につぐ世界第5位の海軍で、仏・英・伊よりも上位に位置しています。航空自衛隊については、作戦機510機、機数では世界12位で、米・中・露・仏よりは下位ですが、それでも英・独・イスラエルよりも多いのです。

これからみても、日本の自衛隊は、ヨーロッパの軍事強国に比べても小さいどころか、かなり大きな存在なのです。

一方、北朝鮮は、大規模な軍隊を保有してはいますが、実際には日本に大規模な侵攻作戦を展開するだけのモノ・カネ・ヒトの裏づけはありません。また通常弾頭の弾道ミサイルだけでは、米軍はもちろん、韓国・日本を屈服させる力にはなりません。

唯一、核弾頭を搭載した弾道ミサイルの配備は日本にとってきわめて厄介な存在となります。しかし、北朝鮮が核ミサイルを使用すれば、それはアメリカによる北朝鮮核攻撃に道を開くことになるでしょう。でも、実際に核戦争に突入するにしても、長距離ミサイルを搭載した戦略原潜を持たない北朝鮮にとっては、北朝鮮からアメリカの主要部分をミサイル攻撃できないのに対し、アメリカはICBM、SLBM、巡航ミサイル、戦略爆撃機などで北朝鮮全域を攻撃できるので、北朝鮮は自らの全滅を覚悟しなければ戦争に踏み切れませんし、踏み切ったとしてもアメリカには何らの打撃を与えられない可能性が高いのです。

(「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」/ 斉藤貴男・高橋哲哉・編・著)

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脅威を覚えているのはたしかに北朝鮮のほうなのです。また「国際社会の要請がある」といいますが、ほんとうに国「際」なのでしょうか。要請しているのはアメリカなのではないでしょうか。TVなどでは、イラクの国民から自衛隊は感謝されている、みたいな映像が流されますが、実際には、アメリカもアメリカの協力国もイラクから出て行ってほしい、という声のほうが大きいのです。アングロ・サクソン系の国(アメリカ・イギリス・カナダ・ニュージーランド・オーストラリア)は参加しましたが、韓国やイタリアなどは撤退しました。アングロ・サクソン系国家も撤退していますよね。日本はただただアメリカにくっついていたいだけなのではないでしょうか。小泉さんも安倍さんも、日米同盟を強調しています。そしてそういう政府を新聞は全面的に肩入れするのです。新聞がいうところの「時代の流れ」というのは、アメリカの軍備再編のあおりを食らって、在日米軍が縮小されつつある状況をいいます。これはむしろチャンスなのです、東アジアから軍事的緊張を緩和させるためのね。北朝鮮はなによりも在韓・在日の米軍が怖いのですから。

わたしの想像ですが、今回の防衛庁の「省」昇格は明らかに憲法改正への布石だと思うのです。だいたいからしてイラク派遣特措法にしろ、有事法にしろ、憲法違反の法律です。とにかく前例を作りまくって、改憲しやすくしようとしているのではないでしょうか。教育基本法「改正」成立のめどが立った情勢の余力を借りて、共謀罪まで衆院可決の勢いです。しかもまともな議論もしないのです。「やらせ」やマスコミによる情報操作で国民の不安をあおり、一気に反動化させようとする意図が露骨じゃないですか。わたしは、今日の毎日・読売の社説は忘れません。保存しておきます。マスコミがいかに国民の敵となってきたか、いかに国民を無知にさせておくのに加担してきたかを示す証拠なのです、これらは、ね。

絶対に許さない!


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