Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

新学習指導要領案の「道徳」教育(下の壱)

2008年02月28日 | 一般
心理療法といえば、フロイドの精神分析が始まりでした。その後カール・ロジャースの来談者中心療法などが登場しました。20世紀になって「こころ」は哲学的観察、臨床的観察というレベルから、科学的研究の対象へとなっていったのです。

精神分析は治療法としてはもはや権威を残してはいません。統合失調症患者を精神分析医に診せようと勧める人は現代人にはいないでしょう。それでも、人間、人生というものを考えるときには、精神分析という視点は欠かせないものです。人の心には「無意識」という機能の領域があること、「抑圧」という概念、心の発達論など、今日の精神医学に及ぼした影響はやはり際立っています。(ただし、眠っていれば金儲けができるというようなマーフィーの法則だのといったトンデモ人生論がいう精神分析は歪曲です)

1960年代に、エリック・バーンという精神分析医が「人生ゲーム」(現在でも入手できます)という本を著しました。精神分析を焼き直しというか、改訂というか、精神分析を元にして「交流分析」という心理療法を開発しました。精神分析の「口語版」、「大衆版」とかいわれましたが、実際は精神分析同様、概念が多くて煩雑という精神分析の欠点をそのまま残しています。理論が単純化されていないという欠点も精神分析と同じです。

それでも人間の心の働き、性質を説明するモデルとしてはとても使いやすく、看護師たちの患者応対のスキルとして使われ始め、今ではカウンセラーたちにとって欠かせないツールになっています。



ひと昔前には、性格の不一致のために離婚したというような言い習わしがありました。性格というのは変えることのできないもので、性格とはなにやら宿命的なものというような受けとめられていたのです。でも交流分析では「性格」は変えることができるといいます。性格とは個々人に生まれつき固有に備わったものではなく、生後の人間との交流によって形成されてゆくものであり、性格は、その人が生きているうちに出会うさまざまな状況に対処するときの、その人独特の反応のしかただというのです。

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われわれが、人生の早期に、その人にとって何らかの意味ある刺激や体験(S、と表記する)と出会い、それが何度となく繰り返される(これを「強化」という)と、ある種の情動、すなわち強い感情的な態度(D、と表記する)ができ上がり、次にそれが基になって、その人の現在の行動を規定する一式のパターン(R、と表記する)が形成されることになる。

すなわち、以下のように表せる。
S(刺激)→D(情動)→R(反応)

交流分析のパーソナリティー理論の中心は、「基本的な構え」と「脚本」という二つの概念にまとめられる。

「基本的な構え」とは、一口にいうと、ことわざにもあるように「三つ子の魂百までも」ということになる。

人はおよそ3歳ごろまでに、親からの愛情(ときにはその剥奪)にまつわるさまざまな刺激(S)を受ける。無力な乳児をとりまく最も重要な環境は母親であるから、生後一年間に乳児が体験する母親とのふれあいは、きわめて重要な意味を持つ。

母親が与える愛撫やスキンシップは、子どもが受ける最初の刺激(S)であり、その量、様式、内容がもとになって、子どものうちに、ある種の情動(D)が生じてゆく。

この過程において、母親とのふれあいを通して子どもが、
自分は存在する価値があるのか、
また、この世は信頼するに足るのか、
…を決める上できわめて重要な感情態度となる。

すなわちこれは、自分と他者に対する最低限の信頼感(これを「基本的信頼感」と呼ぶ)の芽生えとなる。基本的信頼感は、いわば人間が健全に成長する上での「安全弁」である。


(「セルフ・コントロール」/ 池見酉次郎・杉田峰康・著)

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ここの引用文のおわりのほうで、「この過程において、母親とのふれあいを通して子どもが、自分は存在する価値があるのか、また、この世は信頼するに足るのか、…を決める上できわめて重要な感情態度となる」という一文がありますが、これはもちろん、生まれたばかりの赤ちゃんがこんなことばや概念でそう思うというのではありません。生まれたばかりの赤ちゃんの心というのは、不安か安心か、快いか不快かというような超原始的な感情しかありません。まだ思考というようなことはできないのです。またそれゆえ、つまり、安心か否か、快いか否かという感情だけで判断して生きているので、超自己中です。

生まれたばかりのころは夜と昼の区別もつかない状況ですから、これといった原因がなくても不安になったら昼夜構わず抱っこを求め泣きます。なにか不快に感じることがあったら昼夜構わず泣きます。ママの疲労の度合いとかいった、他者の都合など考えません。ママが「他者」だとさえ思っていないのです。ママは自分のツールであり、おなかがへったらおっぱいをくれるもの、不安に思ったら抱っこをして安心させてくれるもの、あくまで自分の延長線上に存在するものでしかありません。

でもここで、泣いて要求を出せば、自分の望む安心や快を得られる、というリアクションを何度も得ることで、自分は保護されていて、呼びかければ保護が得られるという…、理解とはいいませんよね、何というんでしょうか、そういう感覚を得るのであり、それがその子の将来の性格形成にとって(性格は人生航路を上手に航行できるかどうかを左右するものなので)とても重要なことだ、という意味のことをおっしゃっておられるわけです、筆者はね。それが医者である筆者によって「基本的信頼感」という概念で表現されているのです。

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交流分析では、親子のふれあいの程度や内容によって子どもがそれぞれ個々に形成してゆく「基本的な構え」を次の4つに分類して考える。

1.自他肯定(I am OK, You are OK)
2.自己否定、他者肯定(I am not OK,You are OK)
3.自己肯定、他者否定(I am OK, You are not OK)
4.自他否定(I am not OK, You are not OK)

いうまでもなく、人生に対するこのような「基本的な構え」の形成には母親の影響が大きいいが、離乳、歩行をきっかけにして、子どもの活動範囲が広がるとともに、両親の「しつけ」そのほか両親の接し方によって強化されてゆく。

この段階になると、肌のふれあいといった身体的レベルから、子どもの行動に対する承認や「報酬」といった人格的なふれあいへと、内容的にも変化してゆく。このようにして両親による子どもへの接し方、関わり方に対する子どもの側の受けとり方(or 子どもの反応態度)が、その子どもの将来のあらゆる人間関係への反応の仕方のひな型として、固定的に身につけられるのである。

先に「三つ子の魂百まで」という例をあげたのは、その後、その子どもが成長してゆく過程で、大人になってからも、何らかの新たな学習体験によって修正が行われない限り、この「基本的な構え」は一生の行動パターンとして、その子ども(成長した後は、「その人」)に影響を与え続け、あるいは「性格」としてその人を支配するからである。




さらに交流分析では、人が乳児期に獲得する「基本的信頼感」の歪みと、その後の人生体験との関連を「脚本」という概念でとらえる。

子どもは先天的条件付け=遺伝的な素質を基盤にし、親との不十分な、あるいは歪んだふれあいが刺激として与えられると、3~5歳ごろまでに歪んだ「基本的な構え」を身につけてしまう。その後、その子どもが10歳になるまでに、対人関係を含めた特定の人生経験を経ると、その “対人関係を含めた特定の人生体験” は、あらかじめ歪められた「基本的な構え」によって、素直でない、歪んだ反応をしてしまうことによる、「傷つき体験」である場合が多いために、その子どもは、自己像や人生観が特異な形で歪められる。そのような歪みは無意識化され、その後の人生における行動パターンを支配するようになるのである。

このようにしてできあがった人生の「脚本」はバランスの取れた人格の成長発展を妨げ、ときには心身の不適応や異常を生じさせることも多い。また、このような「脚本」こそが、交流分析がめざす「本来の自分にそって生きる人生」、創造的で後悔のない、のびのびとした人生とはほど遠い人生をわれわれにもたらす、重大な要因なのである。


(上掲書)

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上記引用文の中で重要な点は、
「その後、その子どもが成長してゆく過程で、大人になってからも、何らかの新たな学習体験によって『基本的な構え』が修正されない限り」
…という部分です。

これはつまり、「基本的な構え」は修正可能なものである、ということです。事実、交流分析によるカウンセリングでは、「『脚本』の書き換え」によって、クライエントの人格を向上させようとするのです。

交流分析における用語としての「脚本」というのは歪められた、あるいは不健全な、個人における人生のマニュアルとでもいいましょうか、政権でいうところの「施政方針」のようなものです。「脚本」というのは歪んだものを指していいます。「基本的な構え」の(1)の、自他肯定という健康な「構え」を培った人には「脚本」はありません。そういう人は自分の人生を、自分の思うとおりに切り拓いてゆくのです。したがって「脚本」は、その「脚本」を持つにいたった人を束縛するものだともいえます。「脚本」は人を挫折に導き、敗北に導き、失意を味わうように、人の意志を導くのです。

西南戦争において、かつての盟友西郷隆盛と袂を分かって戦うことになった山県有朋は、「木留(きどめ)の戦闘」にあたってこのような歌を即吟しました。
 木留山 しらむ砦の すてかがり けぶるとみしは さくらなりけり (「山県有朋」/ 岡義武・著)
意味は多分こんなところだと思います^^ ↓
 木留山での戦闘で、砦が、うち捨てられたかがり火に煙って白くみえたのは、桜が散っているのだった…

こういうように、戦争を美しいものに例える性向、壮絶さを美化する性向には「人生ははかない。なぜなら、自分はもっとも大切な人にも十分に構われないような人間だから。いくら泣き叫んでも、母はぼくに答えてくれなかった。でも壮絶に最期を遂げれば、お母さんは自分に優しい顔を見せてくれるかもしれない、壮絶な最後に至ってはじめて、お母さんは自分に謝ってくれる、自分をほめてくれるetc...」というような「脚本」を持っている場合があるのです。

人間の行動は、たとえば誰かによる事業は、それを行う人が「I am OK, You are not OK」のような不健全な「構え」を持っているなら、その事業は「脚本」を実現するために行われている可能性があるのです。「脚本」というのはその名のとおり、筋書きですから、不幸な人生の筋書きを意味する交流分析用語の「脚本」は破滅的な結末に至らせる筋になっているのです。不健全な「構え」を持っている人は、ものごとが自分の脚本どおりになるのを見届けることによって、自分の人生観は正しいことを確認して「安心」するのです。やっぱり、自分は間違っていなかった、と確認し、その人の「脚本」がさらに強化されてゆくのです。

これはつまり、「脚本」を立証するために現実を作ってゆく、ということです。現実を客観的にとらえるのではなく、自分の「脚本」に合うように現実を解釈するということでもあるです。これはかなり怖ろしいことです。くわしくはおいおい説明します。アルコール依存症の夫と別れずに、共依存する妻というのは、「自分にとって大切な男性は自分が世話をすることでしか自分を認めてくれない」という経験から無意識に自己犠牲的な、自分をひたすら消耗することが筋立てられている「脚本」を持っている場合があります。たいていそういう人は父親もアルコール依存症だったのです。そういう人にとってはアルコールに逃避しない健全な男性は「頼りなく」思えるのです。信じがたいでしょうけれど…。だから結局、父親のような夫を選び、自分が子どもだったころの家族関係を再現するのです。現実を自分の「脚本」に合わせて作ったのです。人間の心のしくみというのはなんだかそら怖ろしいですね。

こんな人が国家の元首になると、その人の「脚本」につき合わされる国民はたまったものじゃありません。そんなことがあるかなあ、と思われるでしょうか。アドルフ・ヒトラーは少年時代、暴力と体罰によって虐待された人間です。抗議することも反抗することも暴力によって打ち懲らされ、黙らされてきたのです。そしてあのような政治が決行されたのでした。

暴力を振るう人は実は誰よりも暴力を怖れています。暴力が怖ろしいから、その暴力によって他人を黙らせようとするのです。自分が暴力を怖れているので、相手もそうだろうと思うのです。そこへ、暴力的な脅迫に屈しない人が現れると、暴力を怖れる人は混乱し、錯乱して殺害に至ることもあります。自分は暴力に屈してこれまで生きてきたのに、ひるまないで生きてきた人がいる…。自分は実は弱虫じゃないか、自分は卑怯だったのではないか、そういう評価を自分に対して下すことが認められないのでしょう。

警察官は、少年やこれ見よがしに威嚇を示す未熟な大人が暴力行為で脅迫してきたら、いったんひるむようにと助言します。ひるまないで毅然とすると、相手は相手の常識が覆されて、混乱する場合が多いからです。そうなると衝動的に殺害にいたります。命を落としたくなかったら、いったんはひるむのがよいのです。余談ですが…。




さて、乳児は母親とのかかわりから、まず人生航路を生きてゆくための基本的な態度である「基本的な構え」を培いますが、それが人格形成にどう関わってくるのでしょうか。




(下の弐)につづく
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資料: メモ 老人医療の現状・新高齢者医療制度(04年11月)

2008年02月27日 | 一般
2004・11・3 原 義弘



1.老人医療の現状

 老人医療を年齢で3区分 2002年10月改悪

①老人保健法
 75歳以上の後期高齢者全員が該当し、この法で処理される。
(住民登録・外国人登録のあるもの全員、ただし、生活保護適用者は除外)

一定以上所得世帯    2割負担
一般世帯・低所得世帯  1割負担


  月額負担限度額      外来      入院(世帯)
一定以上     40,200円   72,300円+総医療費の1%
一般世帯     12,000円     40,200円
低所得Ⅱ世帯   8,000円      24,600円 
低所得Ⅰ世帯   8,000円      15,000円


 1割2割の定率で負担し、月額限度額をこえた負担は、高額医療費で償還する。低所得者には減額限度額認定証を発行する。
(法の規定では75歳からだが、経過措置で昭和7年9月30日生まれ以前を該当者としている)


②前期高齢者
 70歳から75歳未満までは、健康保険法の該当となり、「高齢受給者証」が交付され、負担率や限度額などは、老健法該当者と同様の扱いとなる。その費用負担は、加入している健康保険が、受け持つことになった。(経過措置で昭和7年10月1日生まれ以降が該当)


③老人医療費助成事業
 自治体の条例で運用している、65歳から70歳未満の老人医療費助成も、老人保健法改悪の影響を受け、負担率や限度額などを老健法と同じ負担とされ、さらに、住民税非課税者のみ適用と所得制限が強化されている。そして、いくつかの自治体では制度の廃止にまで踏み込んできている。

 

2.新高齢者医療制度

①新たな高齢者医療制度の創設
 政府は平成14年の改悪をふまえ、平成20年にさらなる大改悪(法改正を伴わないものは前倒し実施)を行うための「基本方針」を閣議決定し、その基本方針に基づいて、現在、社会保障審議会・医療保険部会などで、審議が進められている。その中の一つの課題が、新しい高齢者医療制度の創設であり、『65歳から75歳未満の前期高齢者、75歳以上の後期高齢者と、二つのグループに分け、それぞれの特性に応じた新制度を創設することにより、現行の老人保健法・退職者医療制度を廃止する』としている。


②後期高齢者だけの独立した健康保険
 後期高齢者については、
 『(1)生理的能力が低下していることに起因する医療・受療行為の特性を考慮し、国民皆保険の枠組みを堅持しつつも、後期高齢者をそれ以外の集団と分けた上で、後期高齢者に相応しい負担の仕組みを採るとともに、
  (2)給付面においても、地域において医療サービスを介護サービスと連携して提供することにより生活の質(QOL)の向上を図ることが必要であることに着目して、独立した保険制度とする』として、 その審議のなかでは、『75歳をこえた後期高齢者の生理特性の変化』『高齢者に相応しいQOL(生活の質)が確保されるべき』等の発言、そして、『医療の適正化』『医療費の適正化』の発言が相次いでいる。

 要するに、後期高齢者の医療については、その生理特性の変化を理由に、医療・医療費を抑制することが議論されている。


③後期高齢者に保険料負担を強要
 その高齢者だけの健康保険制度は、加入者の保険料、国保および被用者保険からの支援、公費により賄うとされており、加入者である75歳以上の後期高齢者から、保険料を徴収するという大きな問題があり、その保険料は月額7,000円程度が予定され、徴収方法なども介護保険と同様とされ、年金天引きされる。


④被扶養者の前期高齢者にも保険料負担が
 前期高齢者は、『現在と同様に国保または被用者保険に加入することとし、各制度間の前期高齢者の偏在による医療費負担の不均衡を調整し、制度の安定性と公平性を確保する』としています。

 すなわち、前期高齢者の加入人数の多い国保の財政支援を、若い加入者の多い健保組合などから、医療費負担の不均衡調整という名で、大きな負担を求めるということであり、さらに大きな問題としては、そうした財政負担や支援を若年世代から受けること、後期高齢者が保険料負担をすることなどを理由に、健康保険の被扶養者(保険料負担の対象ではない)であっても、その前期高齢者から保険料を徴収するとしている。


⑤若年者からも社会連帯的保険料の徴収
 前期高齢者からも年金天引きで、負担が強要されるだけではなく、若年者からも、高齢者医療制度への社会連帯的な保険料を徴収することとしている。

 審議会議論は一巡の議論を終えて、中間とりまとめをして、これから詳細について固めてゆくための、二巡目の議論に入っている。

 審議会の部会における、新高齢者医療制度の議論の一部を紹介したが、保険者の再編・統合及び医療保険制度の一元化などについても審議されている。

 その他の社会保障審議会の部会についても同様に、憲法25条に規定されている国民の生存権を否定するような、社会保障制度の改悪が議論されている。



市民社会フォーラムより
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資料 医療費抑制政策批判(上)

2008年02月27日 | トリビア

第2587号 2004年6月7日


短期集中連載〔全5回〕

「医療費抑制の時代」を超えて
イギリスの医療・福祉改革

第1回 医療費拡大に転じたイギリスの医療改革に学べ

近藤克則(日本福祉大教授/医療サービス研究)


 日本の医療費(概算値)は,2002年度に実質(介護保険に医療費の一部が移された2000年度を除き)史上初めて減少した。しかも,OECD加盟諸国の医療費水準(GDP比)の平均よりも低い水準からさらに,である。日本の医療費水準は,先進7か国中第6位で,イギリスをわずかに上回ってきた。しかし,わが国は近く第7位に転落するであろう。なぜならば,イギリスは,医療費水準を1.5倍にするNHS(国民保健サービス)改革の最中にあるからである。最新のOECDデータによれば,すでに日本(2000年)とイギリス(2001年)はともに7.6%で並んでしまった。



なぜイギリスに学ぶのか

 アメリカの医療制度は紹介されることが多い。しかし,アメリカの医療費水準は,日本の約2倍であり,医師・看護師数も多く,民間医療保険が中心で無保険者が4000万人を超えている。日本とは,状況がまったく違う。

 一方,なぜかイギリスの医療やその改革動向がまとめて紹介されることは少ない。イギリスは,医療費水準も,医師数も,全国民に医療を保障する制度を持つ点も,わが国と状況が似ている。また,サッチャーら保守政権による競争重視の改革も経験している。この点でも,株式会社の病院経営への参入による競争強化が論議されているわが国の将来を占う上で,大いに参考になる。

 今の日本では大幅な医療費拡大を伴う医療改革など考えられない。対して,医療費拡大に転じざるを得なかったイギリスの経験は,日本が学ぶべき教訓に満ちている。ブレア政権がなぜ大胆な改革に踏み切ったのか,それはどのようなものか,そして教訓は何かなどを,本連載では考えてみたい。



保守党の「内部市場」による競争重視の改革

 イギリスの医療改革の大きな節目は2つある。サッチャーらの保守党により行われた1991年改革と,ブレアが率いるニューレイバー(新しい労働党)が政権に返り咲いた1997年以降の改革である。

 保守党は「医療費を抑制したままでも,競争を重視すれば医療の質は上がる」という信念のもとに改革を進めた。公的な医療保障制度という外部構造はそのままに,その内部に市場を形成した。それまで一体であった医療サービスの「買い手」(予算をたて費用を支払う側)と「売り手」(医療サービスを提供する側)を分離し,さらに病院間に「競争」を持ち込んだ。また,民間資金と経営手法を使って病院など社会資本を整備していくPFIも導入した。

 これらの改革で,「競争」や「民間の手法」を注入すれば,医療費をさほど拡大しなくても,効率化が進み,医療の質は高くなるはずであった。



「第3世界並み」の危機的状況

 しかし,実際にはそうはならなかった。象徴は,待機者リスト問題である。

 待機期間の長さは半端ではない。ブレア政権のもとで「新しいNHS計画(連載第4回で紹介する)」に掲げられた目標の高さ(低さ?)が,現状の深刻さを雄弁に語ってくれる。日本の病院医療は,「3時間待ちの3分診療」と批判されているが,イギリスでは救急部門の最大待機時間を4時間にすること,病院外来患者の予約の最大待機期間を3か月にすることが目標である。目標がこの水準ということは,現状はさらにひどいわけである。総選挙のマニフェストで掲げた公約である「待機者リストを10万人分減らす」という数値目標を,「超過達成した」とブレアは成果を強調した。しかし,残っている待機者リストは,まだ約100万人分もあった。その中には,がんと診断されて手術を待っていた患者が,他の緊急手術のために手術を4回も延期され,その間に手遅れになってしまった例もある。その他,インフルエンザが流行すれば,ベッド不足で廊下で3日も待たされるなど,まさに危機的状況であり,「イギリスの病棟医療は第三世界並」というのにもうなずける。



医療荒廃の原因

 かつて国民に「揺りかごから墓場まで」安心を保障する福祉国家の医療保障制度として名を馳せたNHSが疲弊した理由は,以下の4点である。

 第1は,長期化した低医療費政策のつけである。イギリスのGDP(国内総生産)に占める医療費の割合は,日本と並んで7%台と,先進7か国の中では最低。アメリカのおよそ半分,他のヨーロッパ先進諸国よりも25%前後低いのである。これが続けば,やがて供給量不足や質の低下に陥っても不思議でない。職員,例えば看護師の給与は他業種の(同等の学歴の女性)給与と比べ約3分の2という低い水準だったからである。第2の理由は,NHSの組織が巨大化・官僚化したことである。単一雇用者としては,ヨーロッパで最大の規模であり,職員数は,百万人弱。常勤換算でも,78万人に上る。第3に,繰り返される制度改革による混乱,paper workなど新たな負担の増大である。

 そして第4に,これらが相まって職員の士気の低下を招いていることである。

 NHSが危機的状況であることは,誰の目にも明らかであり,総選挙においても,医療政策は国民の最大の関心事であった。だから97年にブレアらが政権につくと,ただちにNHS改革に乗り出したのである。

 


第2回 荒廃する医療現場-「対岸の火事」なのか?

近藤克則(日本福祉大教授/医療サービス研究)

第2588号 2004年6月14日

 前号では,待機者リスト問題を例に,NHS(国民保健サービス)の危機的状況とその原因を述べた。今回は,医療従事者の量的不足,さらには彼(女)らが長時間労働のために疲弊しており,医療事故が多発していることを紹介しよう。そして,日本の現状と比べてみよう。



深刻な人員不足

 イギリスでは,医師が1万人,看護師で2万人は不足しているという。医師不足の原因は,人口当たりの医師数が他のヨーロッパ諸国に比べ少ないのに加え,仕事の多さや給与の安さなど待遇の悪さから,養成しても医師・看護師が海外に流出していることにある。年間新規登録医師数は,1995年の1万1000人から2000年の8700人へと26%も減少していた。この医師・看護師不足への対処法は,日本では考えられない方法である。それは,医師・看護師の海外からの「輸入」である。世界中から,英語の試験をパスした医師・看護師が集められている。その規模は,看護師で年間5000人を超えるという。



研修医は週56時間以上働く

 イギリス政府は,研修医の労働時間の上限を(EUの基準である週48時間を超える)56時間(日曜も休まず働いても毎日8時間)に引き上げている。しかし,問題となったのは,この引き上げではない。上限を超える長時間労働をしている研修医が年々増加しており,2001年には60%を超えていたことである。



高い自殺率

 医療従事者の自殺率の高さが指摘されている。医師の自殺率は他の専門職の2倍に上り,看護師の自殺率は,他職種の女性の実に4倍であるという。さらに看護師の3人に2人は抑うつ状態という調査結果もある。



増える退職(希望)者

 看護師を対象にした公務員労働組合(Unison)の調査によれば,87%が退職を考えたことがあり,60%の者が給与の低さを理由としている。40%が昨年1年間に提供できるケアの質が低下したと答え,3分の2が病院の職員不足が頻繁に生じていると訴えている。大学における看護教育の定員は増加し人気を集めているものの,学生たちの脱落率は17%に上っている。これらの背景には,夜勤を含む不規則な勤務パターンなど看護師の労働条件の厳しさがある。



相次ぐ医療事故・スキャンダル

 2001年1月に,3歳のナジヤちゃんが酸素の代わりに笑気ガスを投与され死亡,2月には18歳のウェイン君が薬を誤って脊髄腔に注入され死亡している。このような医療事故は年間84万件起きているという推計も出された。

 ブリストルで起きた小児心臓外科スキャンダルも大きな注目を集めた。心臓外科手術を受けた1歳未満の子どもの術後30日以内死亡率が,ブリストルの病院で異常に高く,他の12病院と比べ約2倍であり,統計学的にも「はずれ値」を示していたのである。もし,他の病院で手術を受けていたのなら,30-35人は死なずに済んだであろうという。



「対岸の火事」なのか-日本にも医療現場荒廃の兆し

 以上のようなイギリスNHSの荒廃ぶりを知った当初,「イギリスの医師・看護師たちは大変だ」と同情し,日本の方がマシだと思った。いわば「対岸の火事」である。しかし,少し冷静になって日本の実情をみてみると,すでに似たような状況があることに気づいた。



名義貸し問題の背景にある医師不足

 日本で社会問題となっているのが,「医師の名義貸し」問題である。札幌医大に端を発したが,文部省の調査によれば,全国51もの大学でみられ,1161人の医師が関与していたという。これは単に倫理の問題なのであろうか?

 実は,この背景に医師不足がある。人口あたりの医師数は,日英で同水準でOECD平均を下回る。日本の8656病院を対象とした立ち入り検査で,医師数が医療法に基づく標準に満たない医師不足の病院は,2002年度で25%もあるのである。地方により問題は深刻で,北海道・東北などでは,50%を超える病院が医師数不足である。名義だけ借りて標準数を満たそうとした医師不足の病院の思惑と,バイトなしには生活できない研修医や若い医師たちの利害が一致した事情が名義貸し問題の背景にある。

 

 

表 日英米3か国の医療資源比較
  イギリス 日本 米国
GDP比医療費水準(%) 7.3 7.6 13.1 2000
稼働医師数(人口千対) 2 1.9 2.7 2000
稼働看護師数(人口千対) 8.4 7.8 8.1 1998
平均在院日数 9.8 43.7 7.5 1996
*OECD Health Data2003. 日英米とも揃っている最新年データを示した。

研修医の長時間労働とうつ
 研修医をはじめとする長時間労働についても,イギリスに同情などしていられない。日本では,国立大学病院の研修医たちの平均労働時間は,イギリスの労働基準上限の56時間を軽く超える92時間である。文部省研究班の調査によれば,1年目の研修医のうち,研修開始後に新たにうつ状態になった者が25%もいるのである。うつになった研修医ほど受け持ち患者が多く,自由時間が少なく,やはり長時間労働がその背景にあることが示されている。そして長時間労働の末に,自殺だけでなく過労死する医師まで,わが国にはいるのである。

医療事故
 医療事故でも,日本がイギリスよりマシな状態とはとても思えない。医療事故のニュースは,連日のように新聞紙上をにぎわせている。医療事故の中には,倫理上の問題や,マニュアルの整備や手順の見直しで防げたものもある。しかし,現場にもう少し人手があり,基準労働時間が守られていれば,防げた事故もあったのではなかろうか。上述した長時間労働でうつ状態に陥っていた研修医の方が,医療事故の危険が高かったことも,そのことを示唆している。

 こうしてみると,イギリスNHSで見られた医療現場の荒廃ぶりは,決して「対岸の火事」ではない。日本でも,イギリスと同水準の医療費抑制政策がとられてきた。だから,驚くにはあたらないのである。

 
 
 
 

本連載について
本連載は,弊社刊行書籍『「医療費抑制の時代」を超えて―イギリスの医療・福祉改革』(近藤克則 著)に収載されている内容をもとに,著者が最新の情報を加えて書き下ろした短期集中連載です。


近藤克則氏
1983年千葉大卒。船橋二和病院リハビリテーション科長などを経て,1997年日本福祉大助教授。2000年8月より1年間University of Kent at Centerbury のSchool of Social Policy, Sociology and Social Research の客員研究員。2003年より現職。専門分野はリハビリテーション医学,医療経済学,政策科学,社会疫学。
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資料 医療費抑制政策批判(下)

2008年02月27日 | トリビア
第3回 第三の道とニュー・パブリック・マネジメント

近藤克則(日本福祉大教授/医療サービス研究)


 世界で初めて,すべての国民に医療を保障して半世紀,NHSはイギリス人の誇り・心(soul)であった。それが,長期に及ぶ医療費抑制の結果,「質」が低下し「医療費」の安さだけが取り柄になってしまった。

 国民の不満が高まる中,「第三の道」をスローガンにNHS改革を公約に掲げ,1997年の総選挙で勝利したのがニューレイバー(新しい労働党)のブレア政権であった。



「第三の道」

 「第三の道」とは,「公正」を「効率」よりも重視した古い労働党の「第一の道」でもなく,「効率」のために「公正」を犠牲にした保守党の「第二の道」でもない。「公正」も「効率」も共に重視する思想である。

 保守党政権の行ったことでもよい点は残し,変えるべき点は改革するという。保守党による内部市場導入のNHS改革(1990年)についても,次の3点は残すべきとした。(1)医療サービス計画部門と提供部門の分離,(2)プライマリ・ケアの重視,(3)中央政府から現場により近い部署への権限委譲である。

 一方,捨て去るべき点と改革の方向として,以下を含む7点を示した。(1)財政的理由や競争でなく臨床的ニーズや協力を重視する,(2)競争での優位を守るために共有できなかった最善の医療実践(best practice)を共有する,(3)効率偏重を廃し効果や医療の質も評価する,などである。



NHS改革に見るニュー・パブリック・マネジメント

 ブレアのNHS改革の全体像(図)をとらえるためには,ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)を知る必要がある。それは,公共サービスに民間企業の経営手法や競争を導入することで効率化を図ろうとする理論と行政改革をさしている。



 その第1の特徴は,品質管理の重視である。まず国として保証すべき医療の水準をNSF(National Service Framework)で示した。NSFでは「最良の実践(best practice)」をEBM(根拠に基づく医療)に沿って明らかにした。

 第2の特徴は,効率の重視である。NPMでは,“Value for money”や“best value”などが強調され,「投じた費用に見合う最大限の価値」を生み出すことが求められる。これを推進するひとつの機構が,国立最適医療研究所(NICE)である。これは費用対効果(=効率)の視点から,医療技術を評価する研究機構である。

 第3の特徴は,現場への権限委譲である。プライマリ・ケア・トラストや病院を運営するNHSトラストの裁量を広げた。その代わり臨床現場における統治(クリニカル・ガバナンス)の重要性を強調した。NSFやNICEの示した基準を参考にしながら,生涯研修や専門職の自己規制を通じて診療の質を確保する責任は現場にあるとした。

 第4の特徴は,評価の重視である。医療の質や成果については,3つの方法-(1)PAFと呼ばれるベンチマーク,(2)NICEやNSFで推奨されたガイドラインが遵守されているかどうか保健医療改善委員会(CHI)が監査などでモニタリング,(3)サービスの質についても,患者(顧客)の経験したサービス内容や意見を重視し,CHIがチェックするようになったのである。

 PAFとは,病院や運営主体であるトラストの業績や成果をベンチマーク(数値化された指標群)で評価する仕組みである。これにより,待機期間・患者数,平均在院日数,コスト,主要疾患別の死亡率や自宅退院率,再入院率などが,病院を運営するトラストごとに公開され,その善し悪しが一目でわかるようになってしまった。



「医療の質」と「公正」の重視

 NPMの考え方は,すでに保守党により導入されていた。では,何が新しくなったのか?

 違いは,「質」と「公正」の重視である。保守党の信奉した新自由主義では,「効率」を重視し,政府による規制や介入は「非効率」として嫌い,市場や競争に委ねることを好む。他の売り手に競り勝つために,事業者は「効率」とともに「質」の向上を追求するはずであり,悪「質」事業者は市場から撤退を迫られる。その結果,医療の「質」は高くなると信じた。しかし,現実はそうならなかった。

 これに対しブレア政権は,「効率」は引き続き重視するが,そのために「質」を犠牲にはしないとした。そして,「質」を高めるために図示したような仕組みを導入したのである。

 もうひとつ,「健康の不平等」を容認せず「公正」や「平等」を重視した。例えば,政府が設置した委員会(アチェソン委員長)により,社会階層の低い層で健康状態が依然として悪いことが報告された。そして,この「健康の不平等」をなくすため政府の行動計画を発表した。また,受けられる医療の居住地間格差に対しても,NICEを設置して,費用効果の視点から全英で提供されるべき医療技術を検討したのである。さらにPAFでも「公平なアクセス」がモニタリングされている。

 以上,「第三の道」とNPMが,ブレアのNHS改革の思想であり,そのグランドデザインである。





第4回 医療費を大幅拡大するNHSプラン

近藤克則(日本福祉大教授/医療サービス研究)


 NHSの危機的状況から脱するために,ブレア政権が着手した医療改革は,第3の道を基本理念とし,ニュー・パブリック・マネジメントの手法を用いた改革であった。効率だけでなく効果(質)や公正も重視するものである。

 しかし,その成果には懐疑的な意見が多かった。改革の第一線であるべき医療現場は,長年の医療費抑制政策と人手不足などに疲れ「どうせ今度もよくなるはずがない」というあきらめが広がっていた。



医療費を1.5倍に拡大

 2000年新春インタビュー番組(BBC)の中で,ブレア首相は突然,大幅な医療費引き上げ宣言をした。

 当初は「誰も信じなかった」と言われるのも無理はない。突然で,しかも引き上げ幅が,5年間でなんと1.5倍という大幅なものであったからである。しかし,それなりの根拠はあった。GDP比で6%台(当時)に過ぎないイギリスの医療費水準を,他のヨーロッパ諸国の平均水準(GDP比約10%)まで引き上げれば1.5倍になるというのだ。

 言い換えれば,NHSの危機的状況は低医療費がもたらしたものであること,いくら制度改革をしても新たな投資なしには効果は上がらないことが,多くの人にとって明らかだったのである。



NHSプラン

 3月には,ブラウン財務相が,毎年実質で6.1%増の資金をNHSに投入すると約束した。それを受けて,7月に発表されたのが,白書「NHSプラン-投資のための計画,改革のための計画」である。ブレアらがNHS創設(1948年)以降で最大の抜本改革プランと呼ぶものである。

 このプランで,新たに投入する医療費を,どのように使うのか,数値目標とともに示した。例えば,2004年までに,看護師2万人,医師を1万人増やす。そのために医学部の学生定員も1997年比で40%拡大する,などである。

 日本で「医療改革」と言えば,「医療費の一層の抑制」か「株式会社の参入による競争の促進」などによる「効率化」を思い浮かべる人が多い。しかし,イギリスではまったく異なる医療改革が進んでいる。医療の効率だけでなく,安全や質,公正も高めることをめざし,大幅な医療費拡大を伴う改革なのである。



ブレアのNHS改革は成功したのか

 ブレア政権が,1997年からNHS改革に取り組んで早くも7年経った。果たして一連の改革は,成果を上げているのであろうか。賛否両論の評価がある。

 政府は,NHSの業績が改善していると宣伝している。パフォーマンス評価(PAF,2003)の結果によれば,急性期病院を運営する176トラストで,最高ランクの三つ星は前年の45から63へと4割も増えている。これは,待機者リストの長さなど9項目の目標の達成度などで評価されたものである。

 NHS予算を見ると,1997年度の439億ポンド(約8.8兆円)から2002年度に567億ポンド(約11.3兆円)になり,2005年度には764億ポンド(約15.3兆円)と,1997年に比べ1.7倍となる計画である。これによりNHS職員の人件費は20%も増加した。医療費が抑制された1990年代半ばには減少していた看護師が,1997年以降で5万人増えた。建物や設備に対する投資額も,20%の削減から60%の増加に転じたという。



上がらぬ成果or評価には時期尚早?

 国際公衆衛生学会での発表のために2004年4月にイギリスを訪れたその際に,イギリスからの参加者4人に,NHS改革への評価を尋ねてみた。2人は「数字は,操作されている」などの理由で懐疑的な評価であったが,NHSの第一線で働く2人は好意的な評価をしていた。Canterburyに足を延ばして,Kent大学の社会政策学者Baldock教授にも評価を尋ねてみた。その答えは,「医療費用や養成される医学生の数など,インプットが増えたことは間違いない。しかし,インプットを増やしたからといって,直ちにアウトプットやアウトカムの改善にはつながらない。医療には技術が不可欠だからだ。医学生が一人前になり実際に患者を診るようになるには10年かかる。この間に確認されたのはそのことだ」であった。



成果があがらぬ理由

 十分な成果が見られない他の理由としては,以下が考えられる。

 第1は,医師や看護師数もEU諸国よりまだ少なく,人手不足であること。

 第2は,下がりきった医療従事者の志気が改善しないことである。同じ人数でも,医療従事者の志気が低ければパフォーマンスも低い。NHS改革で行われたことは,第三者が定めた標準や基準による評価と,他のトラストとの比較や賞罰など,もっぱら外圧による誘導であるとも言える。これらは低下した医療従事者の士気にはたしてプラスに作用するのであろうか。

 第3に,投入された新たな資金が,欠損の穴埋めに消えてしまった可能性である。例えば,安すぎた看護師の給与の引き上げや,長時間であった研修医の労働時間の短縮などに使われた医療費は,新たなサービス供給を生み出さない。

 イギリスの経験が示すのは,いったん医療現場が荒廃してしまえば,その回復には多大な医療費の拡大が必要になること,しかも医療費を大幅に拡大しても,その効果が現れるには,長い年月が必要となることである。比喩的に言えば,いったん借金がふくれ上がってしまうと,それを返済して完済し,さらにプラスに転じるのは容易でないのである。





最終回 日本の医療改革への示唆

近藤克則(日本福祉大教授/医療サービス研究)


 医療費抑制政策のために荒廃したNHSの危機的状況と,日本にも同じような荒廃の兆しが見られることを述べてきた。そして,ブレア首相のもとで進められているNHS改革の全体像や医療費を1.5倍に拡大しても,すぐには改善しない状況も紹介した。最終回では,日本が学ぶべき教訓を考えたい。



医療費抑制が過ぎれば現場は荒廃する

 日本で医療改革と言えば,「医療費の抑制」「競争強化」などによる「効率化」が課題としてあげられる。

 しかし,「医療費の抑制」を続ければ,いくら「競争を導入」してみても,やがて医療従事者の士気は低下し,医療現場が荒廃することをイギリスの経験は示している。日本の医療費水準は,その経済力に比べ高くない。長年イギリスをわずかに上回るレベルであったそれも,近いうちに先進7か国中最下位になるレベルである。

 すでに病院を中心に医師不足が明らかとなっている。都市部でも小児科医・麻酔科医・産婦人科医などの定員割れが報じられている。当直を挟んだ32時間勤務が当たり前の過密労働による疲弊は,医療事故の多発と無縁とは言い難い。このような状態から,一律に医療費を抑制して,さらに効率化を図れば,医療現場が荒廃する危険は高い。



効率化の余地

 日本の医療に,効率化の余地は大きいのか。少し分析的に考える必要がある。

 効率とは,投入される資源・費用とそれにより生み出される産出・効果の比率,費用対効果のことである。効率を上げるためには,費用を抑えるか,効果を高めるか,あるいはそれらを同時に実現することである。したがって効率化が容易なのは,費用が膨らみ非効率が目立つ場合である。日本の医療はこれに当てはまらない。費用は低く,WHOも日本の医療効率は優れていると認めている。

 効率がよい所からさらに効率を上げるには慎重さが必要である。下手に費用を抑えると,効果(質)が落ちる。逆に高額の電子カルテシステムを導入して,効率を高めようとしても,膨らんだ費用に見合うほどには効率が高まらない可能性は高い。



3つのE

 「効率」は,医療制度改革の唯一の基準ではない。医療サービス研究の分野では,医療を評価する基準として,3つのE-Effectiveness(効果),Efficiency(効率),Equity(公平・公正)を用いることがコンセンサスとなっている。そして,これら3Eを同時に満たすことはできないことも常識である。質がよい医療をすべての人に提供するにはお金がかかり,安くすれば(すべての人に医療を提供する)公平・公正か質か,どちらかが犠牲になる。つまり,これらをバランスさせることが重要である。

 サッチャーら保守党が追求していた「効率偏重」の「第二の道」に決別したブレアらの「第三の道」は,「効率」とともに「質(効果)」「公正」も追求する「3Eのバランス」を追求する道と言える。

 わが国の医療改革の課題は,今でも低くはない「効率」を一層高めることだけではない。効果や安全性を含む「医療の質」や「医療のかかりやすさ」も視野に入れた「3Eのバランス」がとれたものであるべきだ。



「第3次医療革命」と医療サービス研究

 New England Journal of Medicineの編集長であったRelmanは,「第3次医療革命」が進行中であり「医療費抑制の時代」を超えて「評価と説明責任の時代」へと,時代は向かっていると述べた。

 医療費の一律抑制の弊害に多くの人が気づきはじめている。効率化を追求するには,ニーズとサービスの間にある3つのミスマッチ-「ムダ」「ムラ」「ムリ」が,どこにあるのか見極める必要がある。個々の医療技術の効果や効率を評価して,効果のevidenceがない医療や非効率な医療だけを選択的に抑制すべきである。

 病院や医師の間に見られるパフォーマンスの格差は予想以上であることもわかってきている。医療経済学や政策科学の手法を取り入れた医療サービス研究で,それらを評価することも必要である。医療の質・効率・公正をきちんと評価して,それを国民に説明する時代に突入している。



イギリスに学ぶ日本医療の課題

 イギリスに学ぶべき点の第一は,いったん医療が荒廃すれば,その立て直しには膨大な費用と10年単位の時間が必要となることだ。将来に禍根を残すような事態を招く前に,日本も現在のような厳しい医療費抑制策を見直すべきである。

 第二に,日本の医療改革の課題は,追加投入されるお金を効率的に効果的に使う仕組みを整備することである。日本では,これが大きく遅れている。

 第三に,その仕組み作りに向け実証的な根拠を提供する医療サービス研究を推進することである。それにより,医療の効果や質,効率,公正の現状を評価し,どうすればそれらを改善できるのかを明らかにし,その結果を国民にも公表することである。そのことなしに,医療水準の維持に必要な適度な医療費拡大にも国民の理解は得られまい。

 これらが,「医療費抑制の時代」を超えて「評価と説明責任の時代」に向かう「第3次医療革命」の必要条件である。



***

 拙著「『医療費抑制の時代』を超えて-イギリスの医療・福祉改革」(医学書院刊)では,医療費は,公的な財源で拡大すべき理由も述べた。現在の医療費抑制・効率化に偏重した改革論議に疑問を感じている多くの方に手に取ってほしい。そして「適度な医療費拡大に裏打ちされた」「質が高く公正で効率的でもある医療の実現」こそが,日本医療の改革課題であると,多くの医療関係者・国民に確信していただけることを願っている。

(連載おわり) 
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資料:後期高齢者医療制度のねらい

2008年02月27日 | トリビア
 『高齢者の医療の確保に関する法律』をはじめとした「医療改革法」では、公的保険給付範囲を削減・縮小することとあわせて、都道府県が「医療費適正化計画」を策定し、5年毎に結果を検証していくことが義務化された。

  数値目標の達成が困難な都道府県に対しては、厚生労働大臣の指示で、その県だけに適用される診療報酬を導入するなど、ペナルティとなりかねない仕組みも導入された。

 「医療費適正化」とは、都道府県を国の出先機関とし、「いかに患者に保険医療を使わせないか」を競争させることであろう。

 「医療費適正化」のターゲットにされている後期高齢者(原則75歳以上)の医療保険とその運営にあたる都道府県「後期高齢者医療広域連合」の問題点を検証する。  



◇保険料の新たな負担◇

 問題点の第1は、75歳以上の後期高齢者は、給与所得者の扶養家族で今は負担ゼロの方に新たに保険料負担が発生することだ。

 政府が示している平均的厚生老齢年金受給者の場合の保険料は、月額6,200円で、年間74,400円の負担増となり、2ヵ月ごとに介護保険料と合わせて2万円以上が年金から天引きされていく(月額15,000円以上の年金受給者の、老齢年金、遺族年金、障害年金から天引き)。

 これまで扶養家族となっていたために保険料負担がゼロの人(厚生労働省の推計では約200万人)には、激変緩和措置として2年間は半額になる措置が取られることになっているが、新たな負担には変わりない。

 また、現役でサラリーマンとして働いている人が75歳になれば、その扶養家族は新たに国民健康保険に加入しなければならず、国民健康保険料が丸まる負担増となる。



◇現行制度にない厳しい資格証明書の発行◇

 第2に、保険料を「年金天引き」ではなく「現金で納める」人(政府の試算では2割と見込まれている)にとっては、保険料を滞納すれば「保険証」から「資格証明書」に切り替えられ、「保険証」を取り上げられる。

 さらに、特別な事情なしに納付期限から1年6ヶ月間保険料を滞納すれば、保険給付の一時差し止めの制裁措置もある。

 年金収入の少ない低所得者への厳しいペナルティだ。現行制度では、高齢者に対しては資格証明書発行の対象から外してきたことと比較すると、問答無用な冷厳なシステムとなっている。



◇給付を切り縮める『差別医療』の導入◇

 第3に、医療機関に支払われる診療報酬は、他の医療保険と別建ての「包括定額制」とし、「後期高齢者の心身の特性に相応しい診療報酬体系」を名目に、診療報酬を引き下げ、受けられる医療に制限を設ける方向を打ち出している。 


 厚生労働省から示されているのは、主な疾患や治療方法ごとに、通院と入院とも包括定額制(例えば、高血圧症の外来での管理は検査、注射、投薬などをすべて含めて一カ月○○○円限りと決めてしまう方法)の診療報酬を導入する方向である。

 国保中央会では昨年12月、後期高齢者を対象とした「かかりつけ医」の報酬体系を導入し、「登録された後期高齢者の人数に応じた定額払い報酬」とし、「医療機関に対するフリーアクセス(『いつでも、誰でも、どこへでも』)の中の『どこへでも』をある程度制限」することを提言した。
後期高齢者に対する医療内容の劣悪化と医療差別を招く恐れがある。



◇保険料自動引き上げの仕組み◇

 第4に、後期高齢者が増え、また医療給付費が増えれば、「保険料値上げ」か「医療給付内容の劣悪化」か、というどちらをとっても高齢者は「痛み」しか選択できない、あるいはその両方を促進する仕組みになっている。

 2年ごとに保険料の見直しが義務付けられ、各広域連合の医療給付費の総額をベースにして、その10%は保険料を財源にする仕組みとなっている。さらに後期高齢者の人数が増えるのに応じてこの負担割合も引きあがる仕組みだ。

 これらのことが受診抑制につながることにもなり、高齢者のいのちと健康に重大な影響をもたらすことが懸念される。



◇独自の保険料減免が困難に◇

 第5に、保険料は、「後期高齢者医療広域連合」の条例で決めていくことになるが、関係市町の負担金、事業収入、国及び県の支出金、後期高齢者交付金からなる運営財源はあるものの、一般財源を持たない「広域連合」では、独自の保険料減免などの措置が困難になってくる。

 これまで、地域の医療体制や被保険者の健康状態の違いが反映した自治体ごとの医療保険制度であったために、保険料水準にはおのずから違いがあったが、県内統一の保険料になれば、大都市部と山間部での医療体制の大きな相違等で、新たな医療格差が発生する恐れが強くなる。



◇当事者の声が直接届かない◇

 第6に、広域連合議員の定数は制限されており、半数以上の市町から議員を出すことができない。しかも、その議員は「各市町の長及び議会の議員」のうちから選ばれることとなっており、当事者である後期高齢者の意見を、直接的に反映できる仕組みとしては不十分なものになっている。

 住民との関係が遠くなる一方、国には「助言」の名をかりた介入や、「財政調整交付金」を使った誘導など大きな指導権限を与えている。このままでは、広域連合が、国いいなりの“保険料取立て・給付抑制”の出先機関になる恐れがある。



◇広域連合の改善を◇

 国にこれらの問題点を是正していくよう強く求めていく必要があるとともに、当面、広域連合の規約に次の3点を盛り込んで是正が必要ではないか。

 ①広域連合議会で重要な条例案の審議を行う場合、高齢者等から直接意見聴取する機会、例えば公聴会などを実施し、広域連合議員にはそこに出席することを義務付けること。

 また、被保険者の声を直接聴取する恒常的な機関として、市町の国民健康保険運営協議会に相当する「協議会」の設置について、積極的に検討すること。

 ②一定の基準を設けて、業務報告や財務報告等の各市町議会への報告を義務付けること。

 ③住民に対する情報公開の徹底を義務付けること。


 地方自治法により自治体として扱われる「広域連合」に対して、住民による請願・陳情権や条例制定の直接請求権は保障されている。今後は、住民の声と広域連合議会での審議を結びつけて、抜本的な是正を図っていくことが必要である。


 
 全国保険医団体連合会HPより

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トリビア: 歴史、そして国民の人生観

2008年02月22日 | トリビア
陵墓調査 古代史解明への新たな一歩に
2008年2月23日(土)01:51


 謎の多い日本古代史の解明の新たな一歩となり得る。

 日本考古学協会など16学会の代表が奈良市の 神功 ( じんぐう ) 皇后陵( 五社神 ( ごさし ) 古墳)を調査した。皇族の墓所である陵墓への本格的な立ち入り調査が許可されたのは初めてだ。従来、否定的だった宮内庁が方針を変え、長年の考古学者の希望が実現した。

 第14代仲哀天皇の妻の墓とされる巨大な前方後円墳で、4世紀後半から5世紀初めの築造とみられる。16人の研究者が墳丘の最下段の平らな面に入り、写真撮影などを行った。

 学会側は、大阪府下の 百舌鳥 ( もず ) 古墳群の仁徳天皇陵などさらに10か所の陵墓の立ち入り調査を要望している。陵墓の構造や、墳丘上の 埴輪 ( はにわ ) の状況などが詳細に分かれば、築造時期などもより明確になるだろう。

 歴代の天皇陵をはじめとする陵墓は、896を数える。日本の古代国家の成立過程を解明するカギを握る巨大前方後円墳のほとんどが陵墓に指定され、宮内庁の管理下にある。

 幕末から明治時代の初期に、古事記や日本書紀、延喜式などを参考に指定された。今日では、陵墓の築造時期と被葬者の年代にずれがあるとして、研究者からは多くの疑問が投げかけられている。

 古墳時代の天皇陵で、被葬者が宮内庁の見解通りとして研究者の間で認められているのは、京都市の天智天皇陵と、奈良県明日香村の天武・持統天皇陵の2か所だけだ。継体天皇陵など、所在地をめぐって、宮内庁の見解と考古学者の通説が分かれている陵墓もある。

 宮内庁は、戦前の宮内省時代から、戦後の一時期にかけて、継体天皇陵など10か所の天皇陵について、陵墓指定の見直しを検討したが、結局、変更は見送った。宮内庁は、100%確実な資料が見つからない限り、陵墓指定の変更はできないとしている。

 宮内庁がこれまで陵墓の「静安と尊厳の保持」を理由に、考古学者の陵墓への立ち入りを厳しく制限してきたのは、陵墓の被葬者について、宮内庁と異なる見解が続出するような事態を警戒したため、という見方もある。

 だが、学術目的で考古学者が陵墓に立ち入ることが、「静安と尊厳」を乱すことにはならないだろう。これまでの対応は、神経質過ぎたのではないか。

 宮内庁は、もっと考古学者らによる陵墓の研究に、積極的に便宜をはかってもよいのではないか。科学的研究によって古代史への新たな知見が加えられれば、日本国の成り立ちに対する国民の理解と関心も深まるだろう。


gooニュースより

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天皇の家系は戦前には、神話時代までさかのぼり、それが「史実」として教えられていました。そして国民はそれを信じ込まされていて、天皇家は人間以上の存在であるとされたのでした。人間は人間以上の支配者には黙って服従しなければならない、というわけで、日本人には十分に、自分らしい生き方をすることが認められていませんでした。

戦後はアメリカ流の民主主義が入り込んできましたが、日本人はそれを表面的にしか受けいれず、つまり形式だけ民主主義に格好を見せてはいても、実際にものごとを裁量する際には、戦前流の、権威にモノを言わせる、逆に言えば有無を言わせないやり方を根強く続けてきたのです。その際に、権威の正当性が議論されることはまずありませんでした。

日本流の「権威の正当性」は年齢による序列、ジェンダーの序列、身分、役割の序列というようになっています。そしてこれらの序列意識を守っていれば人間関係も社会関係もうまくいくのだと、教育勅語で教えられたのでした。「勅語」というのは天皇による教え、天皇のご託宣という意味です。天皇はふつうの人間ではなかったので、そのご託宣、その教えは絶対に守らなければならないものでした。権威にモノを言わせるやり方の究極の源にはやはり天皇があったのです。

戦後、歴史は実証的に調べられるようになり、科学的な研究方法が導入されるようになりました。そのためには天皇のお墓である墳墓に立ち入って調査する必要があります。ところが戦後になっても、宮内庁という天皇家、天皇制度の世話役、番人たちは天皇家を神聖に思う態度を続けます。事実がつまびらかになると、天皇家の神聖さが色あせてしまうと考えるのです。子どものように幼稚な考え方ですね。

でも、わたしたち国民の中にも、天皇家を神聖なものにしていたい人はいっぱいいます。権威や序列がモノを言う体制だと自分たちが生きてゆくのに、自分らしさを抑えこまれてしまいます。それなのになぜあえて権威の強要や序列の枠を重要視しようとするのでしょうか。それは自分でモノを考えたり、自分で自分の人生をプロデュースしていくことのできない人がいるからです。人の言われるままに動いていれば、役割や仕事は自動的に与えられるし、決まりきったコースを生きていれば大きな失敗もせずに暮らしていける、だから権威によって定められた生き方のほうがいい、努力しなくても年を取れば自動的に偉くなれる序列制度があるほうがラクでいい、とそういう人たちは考えるのです。

そういう人たちは人生というただ一度きりの機会を冒険しようという人たちのことを、「人間ができていない」といいます。子どもじみているといいます。社会の決まりきった体制を乱すのはまちがっている、というのです。いいえ、他人の生き方を束縛してしまおうとすることの方がまちがっています。みんながみんな、ちょうど動物が本能に従って何世代もまったく同じ生き方をするように、お定まりのコースを自動的に生きていくことで満足するわけではないのです。人には人の願望があります。自分の人生は自分でプロデュースしたい人が、決まりきった人生行路を歩まされると、とても不幸になります。人生は一度きりしかないのだから、失敗を怖いと思わない人たちは自分の生きたいように生きるのがいちばんいいのです。

天皇家を神聖にして、権威と序列を大切にする生きかたもあってよいでしょう。それは一つの宗教のように存在していていい。そうやって生きるほうが幸せな人たちもいるのだから。でもそれをすべての人に押しつけてはならない。史実を覆い隠してうやむやにし、天皇家を神聖にしておこうとするのはまちがっている。事実がはっきりしても、それでも天皇制を大切にしたい人たちはそうできるでしょう。




事実がはっきりしない方が日本を愛しやすい、という人は、ほんとうは日本を愛してはいません。日本のほんとうの姿を愛せないから、空想上の理想的な日本の姿を作りあげるのでしょう。そんなのはほんとうの愛国心ではありません。日本の歴史を洗いざらい明らかにした上で、過去の過ちから教訓を得、それを現在と未来に生かしてゆく、そうやって日本を人間が豊かに生きることのできる国にしてゆくことで、日本はほんとうに誇ることのできる国になるのです。歴史はある部分を隠したり、ある出来事を否定したりしてはならない。歴史を知ることは、その国民の生き方に関わってくるのです。事実はつまびらかにするべきです。宮内庁は学術研究に口をさしはさむべきではありません。
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新学習指導要領案の「道徳」教育(上)

2008年02月17日 | 一般
道徳とはいいものだと、わたしたちは漠然と受けとめます。道徳的であれば犯罪は起きないし、人々が憎しみ合うこともないだろう、と感じますよね。

でもそれは正確な受けとめ方ではないとわたしは考えています。エホバの証人というカルト性の強い宗教団体にいた経験からそう思うのです。犯罪に走ったりさせないのは自己コントロールできるかできないかという問題であり、憎しみ合うか否かはコミュニケーション能力の問題だとわたしは考えています。

道徳はある程度の強制力を持つ規範です。道徳という規範がどれ程の強制力を持つかは、その社会の法にかかっています。また社会全体、地域での人々の結びつきのあり方にもかかっています。

戦前では天皇主権の体制であったり、家父長制という伝統的制度が敷かれていました。そしてそのその制度は明治憲法によって支えられていました。また、一般に受けいれられている宗教も道徳に強制力を与えます。日本では徳川政権以来、偏った形の儒教が尊ばれていました。身分制と家父長制を維持するためです。

こうしたことから、道徳という規範はそれ自体は良いとか悪いとか言う性質のものではなく、単に社会を結びつける紐帯のようなものだとわたしは考えています。

人間の自然な性質を否定するような考え方にもとづいている規範が道徳(=良いもの)として受けとめられていると、人間を抑圧するものになる可能性もでてきます。戦前の規範がそうでした。日本人は決して自己の人生を自分の望むとおりに築き上げて行くことが許されてはいませんでした。「日本人であるならば、世界に対して、とくにアジア諸国に対し国威を掲揚し、東洋の頭たるべく勤勉に国家高揚の役に立つ人間でなければ」ならなかったのです。日本は欧米列強に追いつき、不平等条約の呪縛から解放されなければならず、しかしアジア諸国には日本に対するアジアの側の不平等条約を押しつけ、帝国として君臨しようという目的があったからでした。これを大国主義といいます。人間個々人の教育、しつけが国策のために一方向に決められていたのです。

ちなみに、エホバの証人という宗教でも似たようなことが強調されていました。エホバの証人たるもの、その看板を社会に知らしめ、エホバの証人の指導部が定めた道徳規範に則り、自分を否定、放棄して指導部に忠誠を尽くさなければならない、そのようにしてエホバの証人の組織の偉いさんを喜ばさなければならなかったのです。目的は何かというと、とくにはっきりとしていないのが実情なのですが、強いて言えば、アメリカ的なキリスト教の価値観を広く世界に知らしめて、アメリカ人の、あるいはアメリカナイズされたエホバの証人指導者たちを満足させ、また安心させるため、とでもいいましょうか…。

この、「指導的な人たちを安心させる」ということは意外と重要な動機なのです。自己形成といいましょうか、アイデンティティといいましょうか、そういうものの形成が未熟な人たちは、他人に自分の慣れ親しんだ慣習やイデオロギーを押しつけ、それを教化することで自己存在感を得るのです。

これだけを聞くとなんだか空疎な感じがするでしょうか。でも実際他人を束縛するということは空疎な行為なのです。人間というものは、その最も基本的な欲求として、愛されたい、受けいれられたいという欲求を持ちます。信じがたいくらいシンプルな話ですが、これが人間が生涯をかけて求めるもののすべて、精神的な必要のすべてなのです。

まだテクノロジーのない非農耕文化の時代の人間を想像してみてください。彼らは何をして暮らしていたでしょうか。狩りをして糧食を得、そのほかの時間は集団で暮らしていたでしょう。そこでは家族と共同体との交際が人間の生活活動のすべてでした。いまでもそうです。わたしたちはどんな苦境にあろうと、愛し愛され、認め認められ、支え支えられる人間関係があれば、特に男女間でそういう関係があれば、立ち向かってゆけるじゃないですか。

生命の目的は増殖を続けることです。哺乳類は生殖によって増殖してゆきます。霊長類は生殖行為から歓楽と幸福を得ます。雌猫にとって性交は痛くて苦しいものだそうですが、人間はそうではありません。男女は肌を合わせることによって言葉では言い表せない意思、感情の交流を得るのです。これが人間の幸福の基礎です。

さらに人間は他の動物と違い、精神性がずっと高いですから、単にセックスに明け暮れるだけではやがて飽きてしまいます。人間は世界を探求し、形而上のものごとに関心をもち、技術を作りあげ、芸術を創作します。人間は人との愛情関係の上にたってさらに多くの好奇心を満たそうとします。「創造する」ことは人間に達成感を与え、幸福をさらに大きくします。これが人間の営みのすべてです。愛するパートナーとともにクリエイトに携われるならもっとしあわせです。「しあわせ」ポイントは人間との愛情関係です。多くの創造を行っても、人間との愛情関係がなければ、人間は生きていて空疎な感覚を抱きます。

人からの愛情に飢えている人が、他人を必要以上に束縛したり、支配したりして、自分は愛されている、支持されているという基礎的な幸福感を得ようとします。しかし、一方的な支配や束縛は、相手の人の「自分は愛されている」という感覚を満たしません。だから他人を支配する人はよけい支配の度を強め、相手が自分のそばにいるように束縛を強めます。そうすればますます相手の人の気持ちは離れてゆくのです。

(ちなみに、支配や束縛が相手の人の「自分は愛されている」という感覚を満たせないのは、そういう束縛が相手の人のプライバシーを侵害するからです。プライバシーを侵害することは、人間個人を尊重していないことになるのです。人から愛情を得たいのであれば、相手の人を尊重することです。プライバシーを尊重することが相手の人を尊重するということです。このことはまた機会を改めて書きましょう。)

道徳という規範は度をわきまえないと、この「支配や束縛」に堕すのです。規律によって何百万、何千万という人間を秩序正しくそろえようとすると、何百万、何千万の人々のプライバシーをある程度、場合によっては相当程度放棄させなければ成し遂げ得ません。プライバシーを侵害されたり、蹂躙されたりすると人間は苛立ちと脅威を覚え、自分は尊重されていないという深い不満と怒りを引き起こします。何百万、何千万の人間の深い不満と怒りを発現させないようにするには、権力によって監視と罰を加えなければならなくなります。愛国心や道徳を上から強制しようとすると、かならず恐怖政治、恐怖支配に至るようになるのはこのためです。愛国心や道徳は上から押しつけるものではないのです。上から押しつけてはならないものなのです。

明治憲法時代の日本が上から道徳と愛国心を強要したのは、帝国主義的国家拡大を企てたためでした。エホバの証人が道徳と組織愛を強要するのは、アメリカ人キリスト教原理主義者たちの歪み偏った人格の愛情飢餓を慰撫するためでした。歴史や社会現象を見ると、人間は国家として、また共同体として立てる目標を誤まると、道徳という規範で画一的に人間を支配、束縛するようになる、と言えるのではないでしょうか。国家が「道徳」や「愛国心」を指導しようと言い出すときには、わたしたちはまず、自分たちのうちにある、愛情欲求の飢餓感を顧みる必要があると思います。「道徳」や「愛国心」によって連帯感を築こうという議員たちを政界に送り込むのは私たちなのですから。時代の空気というものには、私たちの心の深層にあるものが色濃く反映されるものです。





このほど、中教審(中央教育審議会)が新学習指導要領案を打ち出しました。私が関心をもっているのは上記の理由から、「道徳教育」です。新教育基本法により、「郷土愛」やら「日本の伝統を愛する心」を学校で組織的に教えられることになります。2008年2月16日付け毎日新聞に、新学習指導要領案が簡潔に紹介されていましたので、まず、そこから内容を見てみましょう。

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特集:新学習指導要領案(その3) 小学校/中学校/幼稚園 / 2008年02月16日

■小中学校 ■  

◆道徳◆
 
◇生徒の感動呼ぶ魅力ある教材で
 道徳教育は学校の教育活動全体で行う。あいさつや社会の規律など、発達段階に応じて指導の重点化を図る。「道徳教育推進教師」を中心に全教師が指導に協力。先人の生き方や自然、スポーツなど生徒が感動する魅力的な教材を活用し、道徳性の育成につながる体験活動を推進。

▽小学校
※自立心や生命を尊重する心を育てる
※人間としてしてはならないことをしないこと(低学年)
※集団や社会の決まり(中学年)
※規範の意義を理解(高学年)

▽中学校
※社会への主体的参画
※道徳的価値に基づく生き方への考えを深める

◆特別活動◆

◇小学校…集団宿泊
◇中学校…職場体験
 児童生徒の発達の段階に応じて、自然の中での集団宿泊(小学校)や職場体験活動(中学校)を推進する。
※より良い人間関係を築こうとする自主的、実践的な態度の育成

▽学級活動
※集団の一員としてより良い学校作りに参画
※清掃など当番活動の役割と働くことの意義の理解(小学校)
※異年齢集団による交流(小学校のクラブ活動や中学校の生徒会活動)
※意見をまとめるなどの話し合いや自分たちの決まりを作って守る活動、
人間関係を形成する力を養う活動(小中学の児童会、生徒会の活動)
※集団への連帯感、公共の精神(学校行事)



◆総合学習◆
 
◇総則から独立「探究的に」
 教育課程の位置づけを明確にし、指導を充実するため、総則から取り出して新たに独立した章立てにする。教科の枠を超えた横断的・総合的な学習、探究的な学習を行うことをより明確化し、目標に「探究的な学習」を明示。各学校は社会や日常生活とのかかわりを重視して目標と内容を設定。

▽小学校
※学習活動の例示に、「地域の人々の暮らし」「伝統と文化」を追加
※外国語活動の目標、内容との違いに留意し、適切な学習活動を行う

▽中学校
※学習活動の例示に、「職業や自己の将来」を追加

 
■幼稚園 ■

◇幼児と児童の交流図る◇
 幼稚園と小学校を円滑に接続するため、幼児と児童の交流の機会を設けたり、教師の意見交換や合同の研究の機会を作ったりして、連携を図る。規範意識や思考力の芽生えなどに関する指導も充実させる。

 幼稚園と家庭の連続性を確保するため、家庭での生活に配慮した指導を幼児に行い、保護者が幼児期の教育の理解を深める活動を充実させる。

 1日の教育課程が終わった後に、保護者の要請で実施する預かり保育については、幼児の心身の負担に配慮する。言語力の育成を重視し、話すことに加え聞くことも大切にして、伝えあいができるようにする。

※幼稚園が義務教育とその後の教育の基礎を培うことを明確化
※和やかな雰囲気で教師や他の幼児と食べる楽しさを味わう。
食べ物への興味を持ち、進んで食べる気持ちを育てる。
※遊びを楽しみながら物事をやり遂げようとする気持ちを持つ
※幼児が自ら行動する力を育て、
他の幼児との共通の目的が実現する喜びを味わうようにする
※集団生活を通して、幼児が決まりの必要性に気付くようにする
※幼児が自分の思いを伝え、教師の話も聞いて、言葉による伝えあいができるようにする
※幼児が多様な体験をし心身の調和のとれた発達を促すよう援助する
※預かり保育の計画をたて、指導体制を整備する
※園は保護者同士の交流の機会を設けたり、情報を提供したりして、
地域や保護者に機能や施設を開放する


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◇言語力低下、いじめにも影響◇
 --京都市教委指導主事・直山木綿子(なおやま・ゆうこ)氏

 各教科にわたって言語活動に関する項目が新設された。文部科学省の言語力育成協力者会議委員を務めた京都市教育委員会の直山木綿子指導主事に言語活動の重要性などを聞いた。

--なぜ言語活動が重要なのか。

◆10年前に比べると、人付き合いが下手な子どもが増えている。自分の思いを伝えられなくて孤独になったり、攻撃的になってしまう。言語力の低下はいじめ問題にも影響していると思う。お互いに意思疎通が下手だから小さい誤解が生まれ、大きなことにつながっていく。まずは言葉の力がないとダメだと思う。

--言語力低下の原因は。

◆言葉で人とかかわり合う場面が少なくなった。「便利」な社会になり、何も話さずに生活できる。当然、使わなければ低下する。家の中でも携帯電話のメールでやりとりする家庭もある。「ご飯よー」って、メールを送るんですよ。それを聞いた時は背筋が寒くなった。大人もコミュニケーションが下手になったと思う。

--学力低下の原因に言語力の低下も挙げられる。

◆国語の力がなかったら、理科や社会の問題も読み取れない。読解力の低下が学力低下の一因にもなっていると思う。

--学習指導要領改定案は各教科で言語活動に力点を置いた。

◆当然だと思う。ただ、算数には算数の目標があり、社会には社会の目標がある。算数の目標を達成するために言語活動が入るべきで、言語活動のための算数になったらいけない。各教科の目標のために授業を進めていけば、本当は言語力もつくはずだ。今は百マス計算やドリルで点数をつけ、知識偏重になりすぎた。指導要領案は各教科の原点(目標)に戻ろうというメッセージなんだと思う。

--原点を忘れた教員がいる?

◆それはいますよ。教師の仕事も多様化・多忙化し、子どもと向き合っている時間が少なくなった。その中で、子どもに計算力や英単語を身につけさせることに終始して、原点を忘れてしまった。ただし、言語力は学校だけが頑張っても向上しない。子どもは家庭や地域で育ち、言語力を培っていく。学校と地域、家庭の連携が必要だと思う。

【聞き手・高山純二】



(中)につづく

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新学習指導要領案の「道徳」教育(中)

2008年02月17日 | 一般
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◇歯止め規定を原則撤廃 「指導禁止」と誤解招き ◇

 新指導要領案では、いわゆる「歯止め規定」を原則撤廃した。
 歯止め規定とは「……を扱わないものとする」などと定めた規定で、例えば「乾電池の数は2個までにする」(小学校理科)や「イオンについては扱わないこと」(中学校理科)と表現されている。

 歯止め規定の本来の趣旨は、児童・生徒全員に教える学習内容の範囲を明確に示すためのもので、最低基準を理解した児童・生徒に発展的な学習内容の指導を禁止するものではなかった。

 しかし、学校現場では、歯止め規定を「指導の禁止」を示した規定だと誤解しているケースもあり、新学習指導要領では小学校家庭科の「調理に用いる食品は、生の魚や肉は扱わない」など一部を除いて原則撤廃した。

 また、中学校の新学習指導要領には部活動に関する規定を総則に新たに規定し、「スポーツや文化および科学などに親しませ、学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養(かんよう)などに資するものであり、学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること」と明示した。

 このほか、文部科学省は学習指導要領に定められた範囲外の学習内容を指導できる従来の「教育特区」制度に加え、4月から手続きを簡素化した制度を導入する方針。従来は内閣総理大臣の認定が必要だったが、新制度では文科相の認定で、自治体独自の教育が可能になる。地域の自主性や創意工夫などを生かすことが狙いだ。



◇災害時の備え/裁判員制度/浴衣の着付け。 現代社会を反映 改正基本法、「愛国心」も随所に ◇

 浴衣の着付け、裁判員制度、家族との触れ合い--。
 小中学校の学習指導要領案では、改正教育基本法の理念を反映するとともに、現代社会を映し出す学習内容も新たに規定された。

●民謡、長唄も
 改正教育基本法で、いわゆる「愛国心」表記が新設されたことから、各教科で日本の伝統と文化を重視する指導項目が新設・充実された。小学校算数では、今まで小3で指導していた「そろばん」を「我が国の伝統的な計算器具」(文部科学省)として小4でも指導することになった。

 中学校技術・家庭では「和服の基本的な着方を扱う」として浴衣の着付けを学び、中学校音楽では「民謡・長唄」が歌唱の指導に導入される。具体的には「ソーラン節や勧進帳」(文科省)などを想定。10年後にはソーラン節を口ずさむ子どもも出てくるかも。

●ネット社会に対応
 中越沖地震(07年7月)など自然災害が相次ぐ中、中学校保健体育(2年)では「2次災害によって生じる傷害」を学んで自然災害に備える。登下校中の事故や事件も多いため、小学校体育(5年)では「身の回りの生活」の危険を教える。校内の事故だけでなく、犯罪の起こりやすい場所などを指導することになりそうだ。

 いじめの温床にもなっている学校裏サイトなどインターネット社会の問題に対応するため、小中の総則と道徳に「情報モラル」に関する記述を新設。中学校技術・家庭でも個人情報保護など情報モラルの充実を図る。また、来春始まる「裁判員制度」についても、初めて中学校社会の公民分野に盛り込まれた。

●家族との触れ合い
 出生率が低下し、一人っ子家庭も少なくない。この少子高齢化社会を受け、中学校技術・家庭では「幼児との触れ合い」が必修化される。文科省は「一緒に遊ぶ」「読み聞かせをする」ことなどを想定。小学校特別活動のクラブ活動などでは「異年齢集団による交流」を図って、人間関係の構築に役立ててもらう。

 また、小中学校の特別活動では、小学校が自然の中での集団宿泊活動、中学校が職場体験活動が充実された。さらに、小学校では「勤労を重視する観点」(文科省)から「清掃」を初めて明示。規律を重視して、規範意識を高めるよう求める内容になっている。

 

◇渡海文科相「期待してほしい」 学力向上に自信◇

 公表された新学習指導要領案について、渡海紀三朗文部科学相は「学力を再生させることも(改定の)大きな目的。今の状況をしっかりと分析して、学力が向上するような学習指導要領を作ったので、期待してほしい」と述べ、学力低下への懸念払しょくに自信を示した。

 渡海文科相は「指導要領が機能しなければ結果が出ない。実施体制も含め、指導要領が機能するようさらなる努力をしたい。先生がやる気になることも大事。心を一つにして頑張らないといけない」と教員の奮起を促し、文科省としては条件整備などをより一層図る考えを示した。

 また、今回の指導要領案の特徴に改正教育基本法の理念を反映させたことを挙げる一方で、道徳の教科化を見送った理由について「教科化すれば教科書を作らなければいけない。道徳教科書の検定は難しい」と説明した。




(毎日新聞 2008年2月16日 東京朝刊)

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京都市教育委員会の直山木綿子さんとのインタビューは、ここには引用しなかった国語教育指導要領に関するものですが、わたしが興味を持った点があります。「言葉で人と関わりあう機会が減ったために、人付き合いの下手な子が多くなった」とおっしゃっていることです。つまりはコミュニケーションを上手にとれないようになっている、ということですね。そういう子たちは、「自分の思いを伝えられなくて孤独になったり、攻撃的になってしまう。言語力の低下はいじめ問題にも影響していると思う。お互いに意思疎通が下手だから小さい誤解が生まれ、大きなことにつながっていく(上記引用より)」ことになる、と観察しておられます。これは言い得ている、と思われる方々もいらっしゃるでしょう。わたしもそう思います。特に口下手、話下手の男性は直ぐに怒って声を荒げます。自分の言いたいことをうまく言い表すことができないか、あるいは自分の気持ちを率直にいうことをよしとしない、個人的な信条、信念(=規範)があるか、そういうような理由があるのでしょう。電話もネットも経由しない、ライブでの会話をするスキルこそ、現代日本人にとって最も必要な「教育」だとわたしは思います。

そして学校は人間と人間が感情や思いを交流させる場所ではなくなっており、単に授権テクニックを教授することに追われている、という学校現場への批判的な観察も披露しておられます。そのことは、「歯止め規定」を現場の教師たちが本末転倒して解釈している現状にも表れているように思えました。「歯止め規定の本来の趣旨は、児童・生徒全員に教える学習内容の範囲を明確に示すためのもので、最低基準を理解した児童・生徒に発展的な学習内容の指導を禁止するものではなかった。しかし、学校現場では、歯止め規定を『指導の禁止』を示した規定だと誤解しているケースもあ」るのだそうです。こういうことはよく起こります。

昔70年代に、絶滅危惧種保護のために、象牙の輸入をはじめ、国内に持ち込むことを禁止していたことがありました。あるとき、ショパンの展示会のような催しが企画されましたが、ショパンが使っていたピアノだけが日本に荷降ろしできませんでした。そのピアノの鍵盤が象牙でできていたからです。こういうのは、法規定の意味するところ、めざすところが何か理解していないのでしょうね。理解していても、どこからかケチをつける人たちがいて、それらの人々に騒がれるのが嫌だったのかもしれないでしょうが。新教育指導要領は学校現場にそういう本末転倒した解釈が入り込まないようにしようという意図が盛り込まれているようです。

それにしても、コミュニケーション能力の育成というのは本来学校でするものではなく、家庭で、あるいは地域のつきあいなどを通して行われるはずのものです。新指導要領もいうとおり、「言語力は学校だけが頑張っても向上しない。子どもは家庭や地域で育ち、言語力を培っていく。学校と地域、家庭の連携が必要」なのです。この背景には家庭と地域の結びつきが弱くなってしまっている現状があるにちがいありません。それはこの記述があることからも覗えます。

“「家族との触れ合い」
 出生率が低下し、一人っ子家庭も少なくない。この少子高齢化社会を受け、中学校技術・家庭では「幼児との触れ合い」が必修化される。文科省は「一緒に遊ぶ」「読み聞かせをする」ことなどを想定。小学校特別活動のクラブ活動などでは「異年齢集団による交流」を図って、人間関係の構築に役立ててもらう。また、小中学校の特別活動では、小学校が自然の中での集団宿泊活動、中学校が職場体験活動が充実された。さらに、小学校では「勤労を重視する観点」(文科省)から「清掃」を初めて明示。規律を重視して、規範意識を高めるよう求める内容になっている”

こうしたことを改善するために、「道徳」を学校教育という上からの指導をしなければならないのでしょうか。言い換えれば、これまで学校で「道徳」の授業を行ってこなかったことが、こういう現状を生み出したのでしょうか。それは違うとわたしは強く主張します。家庭や共同体を細切れにしてしまったのは、夫や父親が家庭から心理的に、ある場合には単身赴任という形で物理的に切り離され、会社で働くことに奪われたからです。また激しい受験競争のために、子供たちが互いに結びつくというよりは、ライバル同士になってしまい、自然な友情が育たなくなったからです。

こうしてみると問題は社会のあり方、制度のあり方に所在しているのではないでしょうか。こういうことは70年代にはしきりに言われていましたが、オイルショックやプラザ合意によるドルの為替レート切り下げなどを経験し、経済に危機が感じられるたびに声が小さくなっていきました。プラザ合意のすぐ後に不動産&株式バブルの時代になって、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という思い上がりの絶頂に立つにいたり、そういう指摘はすっかり聞こえなくなりました。バブルがはじけて深刻な不況に陥ると、(それまでも国労潰しなどの策略はすでに行われてきてましたが)今度は本格的に市場原理主義政策が打ち出されるようになり、貧困が顕在化するようになり、親たちも子どもたちもストレスにさらに押しつぶされるようになってきています。小児精神科医の古荘純一さんはこんな風な指摘をされています。

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社会学者の佐藤俊樹さんは『不平等社会日本』(中公新書)という著書の中で、近年、わが国では職業の親子継承性が再び高まり、“機会の平等”が失われ、日本は努力が報われない社会になりつつあると警鐘を鳴らしておられます。

親がホワイトカラー上層部や医師、弁護士などの専門職である場合、子どもが同じ職業に就く割合が、そうでない親を持つ場合よりも高くなる傾向が非常に強まっていると指摘しています。たしかに、二世議員や二世タレントを多く見かけるようになりましたから、その指摘はなるほどとうなずけます。

そして平均的に見て高所得層の親は教育への関心が高く、子どもの教育にかける金額も大きくなるということです。子どもがどのような職業に就くかは、どのような教育を受けさせるかで決まってきますから、親の所得格差は子どもたちに教育格差を生じさせる大きな要因となるのです。

日本社会では最近、「勝ち組、負け組み」とか「上流、下流社会」ということばを耳にするようになりました。これまでわが国は「中流社会」といわれ格差が小さかったものですが、最近は大きく格差がついている。いわゆる二極化の傾向にあります。小泉内閣が行った構造改革政策も、結果的に格差拡大を助長した印象があります。



社会的に弱い立場の子どもは、大人の保護下で育ちます。大人社会の格差の影響を受けることは避けられないでしょう。しかし、子ども時代は人生の始まりです。子どもの人生は親の階級(お金を持っているかどうか)で決まるといわんばかりの書物も出ているようですが、子どものときに、成績や運動競争の勝ち負けではなく、大人社会で使われる「勝ち組、負け組み」が決まってしまうのでしょうか。…子どもの勝ち負けの判断が、自分の力では変えることのできない状況にまで範囲が広がってゆくことには疑問を感じます。


(「不安に潰されるどもたち」/ 古荘純一・著)

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安倍さんは教育基本法を「改正」するにあたり、子どもたちの「荒れ」の原因は伝統的道徳観の衰弱にあると決めつけましたが、実際は経済効率最優先の社会のあり方に素材するものと思われます。しかも教育にさえも市場原理を導入し、経済成長に使えそうな人材だけを育成しようとする政策をも安倍さんは打ち出しました。そうなればますます教育の機会不平等は深まってゆくのです。所得格差が広がり、親は働いても働いても収入が増えず、ますます会社での労働に体力気力が奪われ、もう家庭を顧みる精神的な余裕を持てないようななった、そんなだから学校で「道徳」という規範を教えようとするのでしょうか。ではそれはいったい、どんな規範ですか。子どもたちひとりひとりの希望や感受性や素質を尊重するものでしょうか。それとも「全体」に迎合し、従順にならせる規範でしょうか。

上記毎日新聞からの引用文でも、「集団生活を通して、より良い学校づくりに貢献する喜び」、「集団への連帯感、公共の精神の涵養」が盛り込まれています。「良い学校づくり」とはどういうことを指して言うのでしょうか。石坂洋次郎の小説「青い山脈」では、自由に男子大学生と交友を持とうとする女子生徒を、他の女子生徒たちが「校風を乱す」という大義名分で奉公しようと画策します。石坂さんはこの小説で、家父長制度の下で閉塞的だった人間関係を律する「古い道徳観」を打破して、民主主義的な男女平等の精神を謳いあげられたのですが、経済効率至上主義によってバラバラになった人間を、ふたたび「全体主義」に近い考え方で連帯させようとしていないでしょうか。人と人が連帯するのはすばらしいことです。人間が友情を育み、恋愛を育むのは、人間と連帯したいからでしょう。でもそれはここの人間の選択にもとづいて相手を選ぶ関係であって、ある少数の人たちの目的の下に、人々が強制的に統一させられることとはまったく別のことです。

今回の新学習指導要領では、道徳を「科目」として定めることは見送られたようです。中教審でも、道徳を上から一律的に教え込むことについてある程度の行き過ぎを気にする人たちがいたのでしょうか。そうあってほしいです。わたしが小学生のころ、道徳の時間のために配られた副読本には、戦争で子どもを失ったお母さんが、子どもを生んだときに植えた木が散らす落ち葉を拾い集め、「これは一郎の木の葉、これは二郎の木の葉…」とつぶやく場面などがありました。当時の道徳の時間用の副読本には反戦メッセージが強くこめられていました。でも今は「心のノート」という副読本があって、そこでははっきり、郷土愛が打ち出され、それへの連帯感を強めるような内容になっているとのことです。道徳という教科には、その時代の精神というものが明確に反映されるものなのでしょう。何をもって「道徳」とみなすかも、その時代によって異なってくるものです。70年代に少女時代を送った私には当時と今の道徳観の違いがはっきり見えます。

やはり道徳というものは、学校で教えられるものじゃないし、ましてや教育基本法に書き込まれるべきものでもありません。いわんや憲法にそれを反映させるなどはとんでもない暴挙です。

今の日本の世の中の、ぎすぎすした雰囲気、寒々した人間関係、こういった風潮を危惧する気持ちは私も同じです。でもこういう風潮を生み出したのは、旧教育基本法に問題があったからではありません。経済効率ばかり追い求めてきたことが最大の問題だとわたしは主張します。人々が互いにつながりあうあたたかい社会というものはどのようにして形成されるのでしょうか。来週はそのヒントとなることを書きます。





(下)につづく

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不平等条約を結ばされる日本 (中)

2008年02月03日 | 日本のアイデンティティー
ロシア、アメリカが日本に来航するようになった時期に幕政を担っていたのは、老中阿部正弘。開明的な人で、それまで徳川一門で行っていた幕政を改め、雄藩外様大名との強調を進めました。雄藩大名たちもこの機会を逃さず、幕政に食い込んでいこうと企てるようになり、薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)は自分の養女篤姫を時の将軍家定の夫人として送り込むことに成功しましたが、それも阿部正弘の協力があったのです。

ヨーロッパの歴史では、封建制は諸荘園領主の割拠から国王に富と権力が集中する絶対王政へと移行するようになり、商業が十分発達するようになると、封建制が崩されてゆきました。自由に商業を行うためには、封建制のような、土地と交通を封建領主が一手に掌握するような社会の仕組みが邪魔になります。ある封建的土地所有者の領地から別の封建的土地所有者の領地へと移動するのに、いちいち関税を支払っていたのでは、高くつきます。ですから商売人たちは「自由」を求めて戦ったのでした。彼らが求めた自由は、私的所有の自由、通行の自由、ギルドなどの地元の職人組合による独占からの自由などです。自由と民主主義はもともとは資本主義の発達によって主張され、闘い取られてきたイデオロギーだったのです。

日本でも、資本主義は芽を吹き始めていました。徳川施政は各藩の経済力が幕府を圧倒しないように、参勤交代という制度を設けて、各藩にたくさんのお金を出費させていました。また、身分位階制度を徹底させることによって、武士が農業に携わることのないようにし、農業と農村から武士を切り離して、城下町に住まわせて統制しました。ところがこの身分位階制と参勤交代という制度が、逆に商業を発達させる原因になったのです。武士たちは農工業生産を行わないので、農民から農産物を年貢として取立て、それを貨幣に換え、その貨幣で必要な物資を買い入れる必要が生じたのです。これが社会的分業を生じさせ、封建制とは相容れない商品経済の必要性を、幕府の考えの及ばないところで生じさせたのでした。

幕末には、幕府の経済は疲弊しきっていましたが、薩摩藩のような先見性の高い藩は、琉球を隠れ蓑とした外国との密貿易や、大坂を通らない日本海ルートの開発による商品流通経路の新設などによって、財政を潤すようになっていたのです。そこへアメリカによる開国要求に直面した幕府から、諮問が行われました。幕府は事態に対処するに当たって、協力を要請してきたのです。金持ち藩はこの機会を捉え、幕政に参加しようと企てたのです。その政策の一環として、島津斉彬は阿部正弘の協力を得て、篤姫を将軍家定に嫁入りさせました。将軍家との縁をつくったのです。

さて、阿部正弘率いる幕府からの開国要求にどう対処するか諮問を受けた諸雄藩大名たちは、だいたい三つの意見に分かれました。強硬打ち払い派、戦争を避けようとする消極的開国派、積極的開国派です。島津斉彬は最初に積極的通商派に変わりました。すでに日本全国に大交易網を作り上げていた実績がそうさせたのでしょう。

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斉彬はハリス来日のころには、「交易が盛んになり、武備が十分になり、世界中の(つまり欧米列強に比肩できるような)強国」をめざす、と述べる。

改革派の旗頭、越前藩松平慶永(よしなが)も、鎖国し続けることができないのは「具眼のもの、瞭然、我より航海をはじめ、諸州(世界)へ交易に出る」と、日本のほうから海外へ進出する通商意見を上申した。

最後まで打ち払い策を上申した大名は少数で、徳川家門の尾張藩、水戸藩、そして鳥取藩、川越藩の4藩だったといわれている。

しかし、尾張藩は、老中の最後の諮問には、たびたびの諮問の上、「別段のご処置になったので、今更言うべきことはない。日本の難儀が予想される。十全のご処置、ご考慮を」という上申をし、条約承認に妥協する意見を出した。

攘夷論の中心であった水戸藩徳川斉昭(なりあき)すら、条約の勅許が要請されるようになってからは、「いわれなく打ち払いは不可能」という意見を朝廷に送る。「ハリスの無礼の申し立て少なからず、痛憤に堪えず」と言って、条約に批判的だった土佐藩山内豊信(とよしげ)も、翌年には「戦えないという兵」に戦争を求めるのは「無謀」であり、今は条約承認を求める、という意見を朝廷に説くのである。

戦争論も出たのだが、「衆議」を重ねて、条約はやむをえないという、大名の合意が作り出されたというのが、条約承認問題の真相である。それが大名の世論であった。通商条約の是非は、日本の「万民の生命」がかかわる現実の問題であり、尾張藩や土佐藩のような拒絶論、批判論の雄藩も、度重なる諮問の後には「衆議」に加従うのであった。



(「幕末・維新」/ 井上勝生・著)

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こうして有力大名たちの合意もおおかたでき上がったところで、安政四年10月にアメリカ駐日総領事タウンゼント・ハリスが江戸城に登城し、将軍家定に謁見したのでした。ハリスは謁見のようすを日記に書き記しています。

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1857年12月7日 (安政四年10月21日)

やがて合図があると、信濃守は手をついて、膝行しはじめた。私は半ば右に向かって謁見室へ入っていった。その時、一人の侍従が高声で、「アメリカ使節!」と叫んだ。私は入り口から6尺(約1.8m)ばかりのところで立ち止まって、頭を下げた。それから室のほとんど中央まで進み、再び立ちどまって頭を下げ、又進んで、室の端から10尺(約3m)ばかり、私の右手の備中守と丁度相対するところで停止した。

そこには備中守と、他の5人の閣老とが、顔を向けて平伏していた。私の左手には大君の3人の兄弟が同様に平伏し、そして彼らのいずれも、私の方へ殆ど「真ん向き」になっていた。数秒の後、私は大君に次のような挨拶の言葉をのべた。

「陛下よ、合衆国大統領よりの私の信任状を呈するにあたり、私は陛下の健康と幸福を、また陛下の領土の繁栄を、大統領が切に希望していることを陛下に述べるように命ぜられた。私は陛下の宮廷において、合衆国の全権大使たる高く且つ重い地位を占めるために選ばれたことを、大なる光栄と考える。そして、私の熱誠な願いは、永続的な友誼(ゆうぎ)の紐によって、より親密に両国を結ばんとするにある。よって、その幸福な目的の達成のために、私は不断の努力を注ぐであろう」。

ここで、私は言葉を止めて、そして頭を下げた。短い沈黙ののち、大君は自分の頭を、その左肩をこえて、後方へぐいっと反らしはじめた。同時に右足を踏み鳴らした。これが3,4回くり返された。それから彼は、よく聞こえる、気持ちのよい、しっかりとした声で、次のような意味のことを言った。

「遠方の国から、使節をもって送られた書簡に満足する。同じく、使節の口上に満足する。両国の交際は、永久に続くであろう」。



謁見室の入り口に立っていたヒュースケン君は、このとき大統領の書簡をささげて、三度お辞儀をしながら、前に進んだ。彼が近寄ったとき、外国事務相は起立して、私のそばに寄った。私は箱にかけた絹布の覆紗(ふくさ=袱紗)を取って、それを開いた。そして書簡の被覆(カバー)をあげて、外国事務相がその文書を見ることができるようにした。それから、私はその箱を閉じ、絹の覆紗(6,7条の紅白の縞模様があった)をかけ、そして、それを外国事務相に手渡した。

彼は両手で受け取って、彼よりも少し上座に置かれている美しい漆塗りの盆にそれを載せた。それから彼は再び元のところへ座った。

次いで私は大君の方へ向き直った。大君は丁寧に私にお辞儀をし、これによって謁見の式がおわったことを私に知らせた。私はお辞儀をして後へさがり、停止してお辞儀をし、再び退って、また停止し、またもお辞儀をして、それで終わった。


(「日本滞在記」/ T.ハリス・著)

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この日はこうして合衆国大統領の親書を手渡すだけで終わったようです。5日後、ハリスは再び「外国事務相」を訪ねて、通商条約を結びたい合衆国の意図を延々二時間に亘って述べます。12月12日に日記にはこのように記されています。

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1857年 12月12日 土曜日 (日本の当時の暦では、安政四年10月26日)

私は、スチーム(蒸気)の利用によって世界の情勢が一変したことを語った。日本は鎖国政策を放棄せねばならなくなるだろう。日本の国民に、その器用さと勤勉さを行使することを許しさえするならば、日本は遠からずして偉大な、強力な国家となるだろう。

貿易に対する適当な課税は、間もなく日本に大きな収益をもたらし、それによって立派な海軍を維持することができるようになろうし、自由な貿易の活動によって日本の資源を開発するならば、莫大な交換価値を示すに至るだろう。この生産は、国民の必要とする食料の生産を少しも阻害するものではなく、日本の現在有する過剰労働などを使用することによって振興するだろう。

日本は屈服するか、然らざれば戦争の惨苦をなめなければならない。戦争が起きないにしても、日本は絶えず外国の大艦隊の来航に脅かされるに違いない。何らかの譲歩をしようとするならば、それは適当な時期にする必要がある。

艦隊の要求するような条件は、私のような地位の者が要求するものよりも、決して温和なものではない。平和の外交使節に対して拒否したものを、艦隊に対して屈服的に譲歩することは、日本の全国民の眼前に政府の威信を失墜し、その力を実際に弱めることになると述べ、この点はシナの場合、すなわち1839年から1841年に至る(阿片)戦争と、その戦争につづいた諸事件、および現在の戦争とを例にとって説明した。

私は外国事務相に、一隻の軍艦をも伴わずして、殊更に単身江戸へ乗り込んできた私と談判をすることは、日本の名誉を救うものであること。問題となる点は、いずれも慎重に討議さるべきこと。日本は漸を追うて開国を行うべきことを説き、これに附随して、次の三つの大きな問題を提出した。

1.江戸に外国の公使を迎えて居住させること。
2.幕府の役人の仲介なしに、自由に日本人と貿易させること。
3.開港場の数を増加させること。

私は更に、アメリカ人だけの特権を要求するものではなく、アメリカ大統領の満足するような条約ならば、西洋の諸大国はみな直ちに承認するだろうと附言した。

私は、外国が日本に阿片の押し売りをする危険があることを強く指摘した。そして私は、日本に阿片を持ち込むことを禁ずるようにしたいと述べた。

私の使命は、あらゆる点で友好的なものであること。私は一切の威嚇を用いないこと。大統領は単に、日本を脅かしている危険を日本人に知らせて、それらの危険を回避することができるようにするとともに、日本を繁栄な、強力な、幸福な国にするところの方法を指示するものであることを説いて、私の言葉を終わった。




私の演説は二時間以上におよんだ。外国事務相は深い注意と関心をもって傾聴した。そして、私の言うところを十分了解できぬときには、度々質問を発した。私の演説が終わったとき、外国事務相は私の通報に感謝し、これを大君(たいくん:徳川将軍のこと)に伝達し、然るべく考慮することにすると述べ、これは、これまで幕府にもたらされた問題の中で最も重大なものであると語った。

外国事務相は、これに附言して、日本人は重要な用務をアメリカ人のように迅速に処理することなく、大勢の人々に相談しなければならぬことになっているから、これらの目的のために十分な時日を与えてもらわねばならぬと述べた。これは万事延引を事とする日本人のやりかたを私に諒承させんがためであった。

私は、私の述べた一切の事について、十分な考慮を彼らに希望し、そして、質問されることがあるならば、どんな事でも喜んで詳細の説明をしようと答えた。

外国事務相は親切に私の健康をたずね、私の病気に対し篤く遺憾の意を表した。例のように茶菓のもてなしがあって、私は4時ごろ宿所へ帰った。



(「日本滞在記」/ タウンゼント・ハリス・著)

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通商条約の草案作りの実務交渉は和暦安政四年12月11日から開始されました。この内容もハリスは日記に書き記しています。この内容についてはまた別の機会に書きます。交渉が始まった日の翌日、日本側の全権委員であった岩瀬忠震(ただなり)と井上清直は二人の連名で上申書を老中に提出しています。

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「天下の大事」は「天下と共に」議論し「同心一致」の力を尽くし、末々にいたるまで異論がないように「衆議一定」で「国是」を定めるべきである。そのために将軍が臨席し、御三家・譜代・外様の諸大名を召し出して、「隔意」なく「評論」をいたさせた上で「一決」する。ここで議決されたものを、速やかに天皇に奏聞し天皇の許可を得た上で天下に令する。
(「大日本古文書 幕末外国関係文書」18)

この文書で、もっとも注目すべき点は、日本国家における天皇の位置・政治的役割が明快に示されていることである。国家の最高基本方針である「国是」を、まず武家の衆議で「一決(多数決ではなく近世的慣行である全員合意方式)」し、それを天皇に報告し、天皇が朝廷に諮り、その上で勅許を得て、さらにそれを天下に布告すべし、という意見である。

通商条約を結ぶこと(開国)は、単に幕府の鎖国の法を改めるのではなく、新しく国是を定めることである、という解釈である。したがってその新たな国是は、将軍ではなく、天皇が全国に布告するものであるべきだ、という主張であった。この意見だけでは、天皇と将軍、朝廷と幕府との、政治的位置関係が見えてこないが、天皇の政治的役割をはっきりと示した点において、画期的な主張であった。

この上申に対して老中がどのような意見を述べたのか、よくわからない。

しかしこの後、明けて安政5年正月5日に、幕府がハリスに、天皇・朝廷の承認を得てから通商条約に調印する運びにしたいことを告げ、老中堀田備中守正睦(まさよし)が21日に上京の途についたのは、幕府首脳部が上申の趣旨を受け止めたものであったことを示している。堀田は2月5日に京都に着く。彼自身は天皇と朝廷の承認を得ることは可能だと見通していた。


(「幕末の天皇・明治の天皇」/ 佐々木克・著)

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幕府にとって天皇や朝廷は法的には「下」にあるものでした。幕府は摂政や朝廷を通して天皇を監視し、封圧していたのです。しかし、いざ「国是」の大改定を前にすると、天皇という古代の権威を借りようとするのでした。征夷大将軍の承認は天皇が行っていたので、深層意識では、天皇という制度について、神がかり的な認識は受け継がれてきたのでしょう。

しかし、幕閣の説得や工作にもかかわらず、孝明天皇は拒絶し、戦争をも辞さない決意を表明するのです。そしてこのときに孝明天皇が持ち出したのが「万王一系」という概念でした。いうまでもなく、明治時代になって「万世一系」と呼ばれた考え方です。これは天皇家に代々伝わる神国思想でした。長い間幕府に封圧されていた天皇が幕末にその存在を顕示するようになります。そして天皇のこういう神国思想は、国学を重んじていた井伊直弼が大老に就任したときに、勢力を得、大名が参画し始めた幕政に粛清を生むのです。再び徳川宗家による幕政を取り戻そうという反動勢力が席巻するようになるのでした。


以下、続きます。
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