Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

ルポ・メディア・リテラシー

2007年01月17日 | 一般
わたしたちはいま、グローバル・ビレッジ(地球村)に住んでいます。地球が狭くなって村に住んでいるみたいに、他の国で起こったことがすぐにメディアを通して伝わります。ところが、わたしたちが知っているつもりの世界も、実はTVや新聞、雑誌などのメディアを通して、見たり聞いたりした限りのものでしかないのです。

我々が見たり聞いたり読んだりするものは、編集者の写真の選び方や映像の送り手のものの見方、書き手のものごとの捉え方に限られたものでしかないのです。

バリー・ダンカン(カナダ・メディア・リテラシー協会会長)

(「メディア・リテラシー」/ 菅谷明子・著)

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メディア・リテラシーの授業の中でも、広告はもっとも頻繁に扱われるテーマのひとつである。広告はメディアの経済基盤であり、その簡潔さ、密度の濃い情報量、それに加えて強烈なヴィジュアルのインパクトを与えるだけに、その仕組みを教えるのは重要だとされている。調査会社ニールセンの調べによれば、カナダの子どもが一日に見たり聞いたりする広告の数は約500にもなり、高校を卒業するまでに見るTVコマーシャルにいたっては35万本にものぼるという。

トロント市のブルーカラーが多く住む地区にある、公立セダブラエ高校でメディア・リテラシーを教えるニール・アンダーセン先生は、「メディアをコントロールするのが業界の仕事なら、視聴者や読者の側を賢くするのが私の仕事です」と胸をはる。アンダーセン先生は、「我々は常にメディアを介してコミュニケーションを図っているため、メディアについて教えることは数学や理科よりも重要だ」と語る。

…いよいよ授業が始まった。
教室の真ん中に置かれたTVスクリーンがオンになって、若い美男美女が映し出された。

仕事から帰ってくる男を女が迎える。二人が抱き合う。そのまま、フロアになだれ込み、今度は裸で抱き合っている。女性の顔がアップになる。二人がベッドを共にする。その後、見つめあったままコーヒーを飲む。「本当の悦びはすぐ(インスタント)には来ません」という文字が映し出され、インスタント・コーヒーがアップになる。

超セクシーなコマーシャルに、生徒たちの目はクギ付けだ。ピューピューと口笛を鳴らす男子生徒に、おどけたポーズでキャッキャと大笑いする女子生徒。机から身を乗り出している生徒までいる。教室は盛り上がった。

映像が終わったところで、机に腰をかけたまま先生が質問を投げかける。
「このCMは、何を売っている?」
「…コーヒーのコマーシャルだけど、売っているのは明らかにセックスだと思う」、男子生徒がそう答えると、教室がざわめいた。
「このコーヒーを飲めば、ロマンスがやってくる。そういうイメージを売っていると思います」と女子生徒。

「なぜコーヒーのコマーシャルにこんなセクシーなシーンが必要なんだろう?」
「広告は、理性じゃなくて感覚に訴えるのが効果的だから。質が良くっておいしいって言っても注目されなければ意味がないから」と、覚めた調子で、別の男子生徒が言った。

授業は賑やかで、(日本人が思っている)「勉強」とはかけ離れた雰囲気だ。こうした授業で、ほんとうに効果があるのだろうか。アンダーセン先生は余裕たっぷりに、「生徒に聞いてみるのが一番ですよ」と言って、廊下へ消えてしまった。そのとたん、子どもたちの視線がさっとこちらに集まった。

「メディア・リテラシーの授業から、何を学びましたか?」、こう問いかけると、空中に花が咲いたかのように、生徒たちの手がいっせいにのび上がった。
「家でTVを見ていても、授業の癖が抜けなくて、ついつい分析してしまうんです。このシーンはこうだとか、すぐに解説しちゃうから、家族はうるさがって『黙ってTVを見なさい!』って怒っちゃうんです。でも、わたしに言わせれば、TVを疑問も持たずにそのまま見ているほうがずっと危険だと思うんです」と、女子生徒が言った。あちこちから「うちも同じ」という声が聞こえる。

新聞の読み方が変わったと言ったのも女子生徒だった。「記事のアングルとか、写真の使われ方、それにタイトルやキャプション(写真や図版の説明文、映画やTVの字幕)までもが気になるの。この記事が第一面にあるのはなぜかとか考えちゃう。おかげで新聞を読むのにずいぶん時間がかかるけど…」。

広告をテーマにした授業で、ナイキのスニーカーが高いのは、宣伝に莫大な資金が使われるからだ(*)と知った男子生徒は、ブランド・イメージに惑わされない「賢い消費者」になったと、得意そうに話してくれた。
(*)ナイキのバスケットシューズの原価は、5ドル60セント(1993年現在)でしかないのに、その10倍以上で売られているのは、有名スポーツ選手を莫大な契約金で広告に起用するためであり、その一方で、スニーカー工場で働く途上国の女性労働者には、一日1ドルも支払われていないことなどを、メディア・リテラシー授業用の教科書「メディアとポピュラー・カルチャー」は指摘し、企業がメディアと密接に結びついて、大衆文化や消費社会を作り上げている仕組みを平易に解説している。

最近、学校近くの黒人地区に引っ越してきた黒人の女子生徒は、メディア・リテラシーの考えを使って面白い観察をした。
「ニュースの選択基準について考えるようになったんです。前に住んでいた中流住宅地で起きてもニュースにならないような事件が、ここで(黒人の住む地域)起きると大ニュースになることがわかったんです。この地域は黒人地区で治安が悪いって言うレッテルが貼られているから、『やっぱり』って感じで報道されるように思います。こういうことが続くから、余計に危ないイメージが出来上がるのだと思います」。

「(TVの)ニュース番組は、結局は作っている側の主観がニュースとして報道されるだけだ、ということが今ではよく理解できるようになりました」と言う生徒は、以前ほどTVを見なくなったと言う。



(「メディア・リテラシー」/ 菅谷明子・著)

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今回は、メディア・リテラシーという視点の具体例をご紹介しました。みなさんは、何か「感じ」をつかんで下さったでしょうか。生徒たちの意見から、わたしは、「事実」というものは、基本的に「現場」にいない限り理解できないものなのだ、という感想を持ちました。報道は、新聞のものであれ、TVニュースであれ、程度の差はあっても、結局それは制作側の主観が披露されているに過ぎないのです。ましてや報道側に明らかな体制への肩入れの意図があるならば、別の女子生徒のこのことばに注意を払いたいと思いました。

「どんな時でも、メディアを懐疑的に見ることは必要だと思います。自分がその出来事を直接に見たり経験しない限り、メディアの情報はすべてが二次的なものだから」。


この本から、実際の授業の様子をあと一度、近いうちにご紹介しようと思います。というのは、この本には、このような問題提起があったからです、「メディア・リテラシー的に見れば、歴史も作られたもの…」。

この本は新書版ですので、またルポルタージュなので、どなたにも読みやすい内容となっています。ぜひみなさんがご自分でお読みになってみるようにお勧めします。岩波書店から刊行されています。¥819という価格もお手ごろでしょ?

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