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Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

アメリカの宗教右派、そのルーツ(3)

2006年10月29日 | 一般
南北戦争は「世界最大の内乱」と言われることがあります。その世界最大の戦争が終わって4年後のことです。大陸横断鉄道が開通しました。北部が圧倒的に優勢になったアメリカは莫大な富を生みだすことになります。蒸気機関車のように轟音を立てて、いま、資本主義が華々しく開花しようとしていたのです。

「鉄道はアメリカで最初に現われた大企業であり、後に巨大な産業的企業の財政を処理し、それを管理してゆく上で唯一の利用可能な手本となった。また、鉄道の発起人、融資者、経営者たちは、巨額の投資や複雑な管理様式を必要とする民間事業体を設立し、その財政をまかない、それを経営した最初の実業家たちであった。アメリカの実業家は他の国々の実業家に先んじて新しい方法を開拓した。それは、アメリカの鉄道が公企業ではなく民間企業であったためであろう。また、鉄道網や個々の鉄道が大規模なものであったためでもある。1875年までに、アメリカのひとつの鉄道会社、“ペンシルバニア鉄道” だけで当時のフランスの鉄道の二分の一、イギリスの鉄道の三分の一以上の営業距離をもっていた(「アメリカ史の新観点」/ C.V.ウッドワード・編)」。

鉄道の民間企業による経営は莫大な富を経営者たちにもたらし、農民との格差はおそろしく開きました。カネがマモンのように崇められる時代、「金ピカ時代」といわれる社会をもたらしました。稼いだ者が勝ち組というような、怖しい思想が広まります。「社会ダーウィニズム」です。

「純粋に生物学の理論であったダーウィンの進化論が社会に適用され、自由競争の結果、適者が勝ち残り、不適者は脱落してゆくのが自然淘汰の結果であるとする、ソシアル・ダーウィニズムの考えが時代の潮流となった(「物語・アメリカの歴史」/ 猿谷要・著)」。

失業してゆく者、倒産の憂き目に遭う経営者、彼らは淘汰されるべき「不適者」であるので、今日とは違い、何のセーフティ・ネットの保護も受けることはありませんでした。極端な市場原理主義とも言うべき「自由放任主義」、政府は市場に一切介入しないという方針ですが、当時の共和党は自由市場主義の方針を採っていましたから、独占的な資本家たちは企業連合(カルテル)や企業合同(トラスト)などを積極的に推し進め、政界にも食い込んで行くようになります。政界もまた産業界を利用して、癒着が常態化しました。今の中国のさらなる過激版とでも言えるでしょうか。

「こうして産業界は急激に膨張し、政界は腐敗して汚職が続出する。南北戦争での北軍の英雄グラント将軍は1869年から1877年まで二期にわたり大統領職に就いたが、彼の周辺は汚職にまみれ、今では(引用元の本は1991年初版発行。2006年現在では史上最悪の大統領はジョージ・W・ブッシュでしょう)史上最低の大統領と評価されている。グラントの在任中の1873年マーク・トウェインはチャールズ・ウォーナーとの共著で『金ぴか時代』という小説を発表したが、そのなかには議員やロビイストたちが、いかにカネで簡単に買われるかが、実に露骨なまでに描かれている。後にこの小説のタイトルは、南北戦争後から19世紀末までの物質万能、趣味俗悪、政治腐敗などを象徴するようになった。

「アメリカはかつて、ヨーロッパの束縛から逃れて神の国を実現しようとしたのではなかったろうか。アメリカはかつて『すべての人は生まれながらに平等である』と宣言して独立したはずではなかったろうか。アメリカはかつて天から与えられた使命に感じて西へ向かった人々の国ではなかったろうか。そういう人たちの無垢な精神は、どこへいったのだろうか(上掲書)」。

「かつて天から与えられた使命に感じて西へ向かった」というのはこういうことです。アメリカ合衆国は領土を大陸全般に広げてゆくのですが、その際に、インディアンへのジェノサイドやメキシコ異教国への軍事侵攻という手段を使うのでした。その行為を正当化するために言われたのが、「マニフェスト・デスティニー(明白な使命)」という標語でした。デモクラシーを広めてゆくための、神から与えられた明白な使命であり、合衆国民はそのために選ばれたのだという意味です。「この選民思想による使命感は、やがて西部全域でインディアンが抵抗できなくなるまで虐殺し、さらに太平洋の島々に及び、アジアにも広がろうとする(上掲書)」。インディアンやメキシコ人への侵略行為が無慈悲なピューリタニズムの押しつけであったことを示すシャーマン将軍のことばが残されています。彼は征服したニューメキシコを去るにあたり、ネイティブ・アメリカンたちにこのように言ったのでした。

「私は、今後の10年間にこのテリトリーから、日干しの泥で作られた家が一掃されることを期待しています。どうかあなた方が、レンガ造りの傾斜した屋根を持つ家の建て方を学ばれるよう望んでいます(つまりヨーロッパ・スタイルの家)。私たちヤンキーは、平らな屋根も泥を使った屋根も大嫌いなのです(「アメリカ・過去と現在の間」/ 古矢旬・著)」。

そういうわけで、猿谷要・東京女子大学名誉教授は、上記の最後の文章、「そういう人たちの無垢な精神は、どこへいったのだろうか」という問いかけに対し、このように応じておられます。

「実は、そう考えること自体に誤りがあったのだ。歴史家A.M.シュレシンジャーはこう書いている。『我々は(アメリカの白人)、アメリカ史の一時期に、“無垢の終焉” という語句を不用意に当てはめる。これは致命的間違いというよりは、好意的な修飾である。国は何度、その無垢を失うことができるのか。カルヴァンとタキトゥスで育った人々が無垢でいられるはずがない。侵略、征服、虐殺の上に建設された国家で無垢なものなどなかった。黒人を組織的に奴隷にし、インディアンを虐殺した国民で無垢なものは何もなかった。革命によって成立し、その後、内乱によって引き裂かれた国家で無垢なものはなかった。憲法は、人間は無垢だとは当然、仮定しなかった(「アメリカ史のサイクル」/ A.M.シュレシンジャー・著)』(上掲書)」。

今日のネオコンのブッシュ政権の勢力にも、このような流れが脈々と引き継がれているのでしょう。それはおいおいご紹介してゆきます。

さて、話を戻して、これまで、南北戦争後のアメリカ社会の物質主義化を少しご紹介しました。資本主義、重工業の発達には、合理的、科学的な考え方に立脚した思考があります。それは生物進化論という生物学の理論を、社会のありようにまで強引に適用させたことにも見られます。そしてそういう合理主義は、福音主義キリスト教の、原理主義的な宗教観とは相容れないものでした。こんな時代の流れのなかで、アメリカのキリスト教はどのように自らの占める位置を確保し、さらに拡大をも図ってゆくのでしょうか。ここでアメリカのキリスト教は大々的に「信仰復興運動」の大キャンペーンを張ることになるのです。

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南北戦争の終結と奴隷解放は、反奴隷制を共通の信条とすることで保たれてきた北部福音派の一体性を大きく揺るがせる結果となった。ときあたかも近代的産業主義が勃興し、科学的合理的な世界観が北部都市を中心に急激な広がりを見せ始めていた。それは信仰の世界に危機が訪れたことを意味する。危機の一因は、キリスト教界の内部に発するリベラルな聖書解釈の動向にあった。

聖書を (神から与えられた霊的預言的な文書としてではなく) 歴史的文書資料として見直し、科学的な思考や歴史学的な思考にもとづいて再解釈し、聖書の神話的、非科学的部分を画定すべきであると主張するこのリベラルな動向が、聖書主義、回心(エホバの証人で言うところの「転向」)、キリストの再臨などを絶対視する保守的な福音主義の基盤を大きく掘り崩しつつあったのである。

しかし、なんといってもこの時期の福音主義的信仰にとって最大の危機は、チャールズ・ダーウィンが提唱した進化論によってもたらされた。それは、自然現象を観察と実験にもとづく科学の対象とし、そこから自然世界を科学的に再構成するという科学革命のひとつの到達点にほかならなかった。それは生物学上の革命でありながら、そのような科学の一分野をはるかに超える社会的衝撃をもたらした。

人類を含め全宇宙の万物を神の被造物とする聖書の一字一句を真実と考え、これを信仰の基礎におく福音主義者たちにとって、生命のないところから生命が発し、与えられた自然の環境との何億年にもわたる交渉と適応の過程を経てさまざまな種が生まれ、滅びてきたとする進化論は、彼らの信仰の根本を破壊しかねない衝撃であった。

進化論の登場により、それに対する福音主義キリスト教徒たちの硬い抵抗が引き起こされて、「近代主義と原理主義」という、以後今日まで一世紀半にわたりアメリカ・プロテスタンティズムを二分する非妥協的対立軸が形成されたのであった。



世紀転換期、進化論に対する保守的な福音主義者たちからの激しい抵抗が繰り返された。その主だった人々は、1895年ナイアガラに集い、危機に直面したキリスト者が信ずるべき「根本主義五原則」を採択する。五原則とは、
1. 聖書の言葉の隅々まですべてが真実であるという「聖書の逐語的な無謬性」、
2. イエスは神であるという「イエスの神性」、
3. 処女からキリストが生まれたという「処女降誕」、
4. キリストは人類の罪を背負って十字架についたとする「代償的贖罪論」、
5. 人間の罪が劫罰のなかで焼き尽くされるときにキリストが再び降臨するという「キリストの肉体的復活と身体的再臨」…からなる。

ここに示された神学的立場から見るならば、現状における人間社会は、罪に汚れ、破滅に向かって進みつつある「前千年王国」の段階にある。キリストの再臨がいつあってもおかしくない今、すべてのキリスト者は悔い改め、信仰を堅くすべきであると主張するこの前千年王国説は、「天啓的歴史観」に立脚していた。イギリスで同じような危機感のもとで信仰復興を行った「プリマス兄弟団」によってアメリカに持ち込まれたこの神学思想は、聖書のうちでも、とりわけ預言的な性格の強い「ダニエル書」や「黙示録」のメッセージを重視し、古代から現在にいたるまでの種々の歴史的事件はつとに聖書に預言されていたという注解を行いながら、終末におけるキリストの再臨を待ち望むというものであった。それは福音主義者の現世的戦闘性を生みだすこととなった。

その影響は遠く、中東情勢を語るときにハルマゲドンに言及する現代のTV福音伝道師の言説にまで及んでいる。この危急のとき、手をこまねいていたら、われわれキリスト者は堕落したまま千年王国を迎えなければならない。眼前の戦いこそが、まさにキリスト者にとっての最終的な戦いであるという。この終末論的思考が、現代の原理主義に独特の熱狂的で好戦的な色合いを添えているのである。

(「アメリカ 過去と現在の間」/ 古矢旬・著)

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福音主義キリスト教徒は、だから、「近代化」を精神的に受け入れることができなかった人たちです。19世紀末までには古典物理学が完成され、欧米の人たちはそれまで神がかりに思われた自然現象を合理的に説明できるようになっていました。そのころには物理学はもはやこれ以上の進展はないと言われてさえいました。最後の難問である「光」の研究が物理学の新たな進展をもたらしたのですが、時代は合理主義の精神が広く受け入れられるようになり、物質文明が毒々しい花を咲かせはじめたのでした。しかし、同時に合理主義、科学的な精神は宗教的な因習や偏見を打破し、人間の生きかたに活路を開いたのも事実です。それだからこそ、アメリカのキリスト教徒は、自分たちの信仰にとって時代の精神が「危機」と受け止めるようになったのです。

もちろん、キリスト教徒の中にも、科学的・合理的批判を受け入れ、聖書のある部分を神話的創作として認めても、そのあと残る部分に立脚して信仰を立てていこうとする派もありました。「近代化」には人間の生活に便利と快適を提供する一面もあり、そういった側面は採用していくほうがよいとする一派です。こうした人たちは「熱狂的で戦闘的」な態度を持ちませんでした。ところが、もっとも保守的なキリスト教徒たち、「近代科学の手法による歴史的事実の発見や、社会認識の発展にかかわりなく、聖書の字句すべてを額面どおりに(上掲書)」事実と見なし、エホバの証人のように「神の霊的なメッセージ」として受けとめ、聖書と相容れない科学的な知見、それがもたらす進んだ社会認識のほうを否定してしまう派があり、彼らは戦闘的な態度を有するようになるのです。これはかなり目立つわけです。20世紀末でさえ、中絶手術を行う医療機関に爆弾を仕掛けるという、文字通りのテロ行為が行われているのです、アメリカでは。女性がローライズのジーンズの着用を禁ずる法が成立した州もあります。

このような頑迷固陋のキリスト教徒たちが団結し、根本主義五原則を採択し声明として打ち出すのです。宗教感情というものの怖ろしさをうかがわせる出来事ですよね。ピューリタニズムというものは、アメリカの白人市民の深層心理に焼き付けられていたようです。こういうのはたいてい、家庭での教育、躾がもたらすものです。エホバの証人の創始者である、チャールズ・テイズ・ラッセルもそうです。

「チャールズの両親はキリスト教世界の諸教会の信条を心から信じており,彼にもそれを受け入れてもらうことを目標に子育てを行ないました。そのため,チャールズ少年は,神は愛であると教えられましたが,同時に,神は人間を元々不滅のものとして創造し,救いが予定されている人々以外の全員をとこしえの責め苦に遭わせるために火の燃える場所を準備されたと教えられました。そのような考えは,十代のチャールズ少年の誠実な心を不快にさせました。

「自分の力を使って人間を創造しておきながら,その人間がとこしえの責め苦に遭うのを予知し,予定しているような神には知恵も公正も愛もあるはずがない。その規準は多くの人間の規準よりも低いことになる」と,チャールズは考えました。しかし,若き日のラッセルは無神論者ではありませんでした。ただ,一般に理解されている諸教会の教えを受け入れることができなかったのです。「そのような信条の各々には真理の要素が幾らか含まれていたものの,それらの信条は全体として人を惑わすものであり,神の言葉と矛盾していることを私は徐々に悟るようになった」と,彼は説明しています。

(「ふれ告げる」/ ものみの塔聖書冊子教会・作←「作」というのは、この本の記述にはかなりの潤色があるらしいのです。ニューヨーク本部の執筆委員が、そのことに心を痛めて脱会したという情報が、JWIC で報告されています)」。

ラッセルの両親は、ラッセルにも「キリスト教世界の諸教理を受け入れてもらうことを目標に子育てを行った」ようですが、ラッセルは期待通りになる反面、教理への自然な疑問をも抱くようになります。ですが、親の教えへの忠実さは越えることができず、キリスト教徒として、もうすこし受け入れやすい解釈を探し求めていたようです。こういうのって、19世紀後半における標準的なアメリカ人労働者の精神だったのでしょうか。こういう人たちが、近代的合理主義や科学精神、物質文明に対して戦闘的に抗うようになったのです。その意識下にあるものは変化への怖れでしょうか、それとも時代の流れに置き去りにされてゆくことへの不満があったのでしょうか。原理主義的なキリスト教の有りようを古矢教授はさらにこう述べておられます。

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20世紀冒頭のキリスト教における「根本主義」「原理主義」の背後には、アメリカ・キリスト教に初めから内在していた近代科学や個人主義的リベラリズムに対する根本的な不信感の流れをうかがうことができる。さらにいえば、原理主義とは、近代や科学の「攻勢」に対して信仰という領域をどのようにして防衛するかという課題に対する、アメリカの福音主義的立場からするひとつの回答であった。

一個の人間存在のレベルで見るならば、この課題は自らの霊的存在にかかわる信仰の部分と、世俗的存在にかかわる合理的知的な部分とをどのように両立させながら、ひとりの人間としての人格的統合を保つか、という問題となる。信仰と科学の矛盾を解決することは、人間が一貫した人格を取り戻すことを意味する。両者が引き裂かれたままでは、宗教は存立しえない。どうすればこの知識偏重の世俗社会の中で、真の霊性を取り戻すことができるか、霊的存在としての人間を回復できるか、これが近代世界においてまじめなキリスト教徒が考え続けてきた問題であった。したがって、この矛盾のなかで一貫して、過激に信仰の優位を説き続けてきた原理主義者を肯定的に評価する、主流のプロテスタント宗教者も少なくはない。彼らこそは、人間が科学や知識のみではよりよく生きえないというメッセージを執拗に発し続けてきたのである。

むろん、信仰と知の対立は、アメリカだけに現われた現象ではなかった。しかし、ヨーロッパの場合ならば、問題を引き受け、対立の前線に立つのは何よりもまず、地域の共同体や伝統的信仰組織たる教会や専門の聖職者であったといえよう。逆に人間の流動性の高い人工国家アメリカにおいては、それらの土着の共同体的な緩衝組織は、きわめて脆弱であった。それだけに、個人に大幅な信仰の自由、教派選択の自由が許され、多元的な宗教世界が展開されたとはいえる。

しかし、それは同時に、近代(科学的合理的精神)の侵食によって信仰が衰えるとき、個人が信仰復興の前線を担うことを求められることを意味してもいた。信仰復興のメッセージが、既成の教会や教派を飛び越えて、野外大集会を媒介として直接信徒に届けられ、個人的回心体験を梯子にして個々人を再度組織化してゆくというかたちの信仰復興運動が、アメリカに繰り返されてきた理由はまさにそこにある。

そしてその場合、説教師が届けるメッセージはそれ自体きわめて反近代的、反科学的、反進化論的であり、保守的、復古的な福音主義であり、しかし音信を伝達する手段は大衆説得の効率性を重視し、大衆集会であろうと、ラジオであろうと、TVであろうと、いかなる近代的テクノロジーが積極的に活用されるのである。

(「アメリカ 過去と現在の間」/ 古矢旬・著)

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堅苦しい文章ですね。ちょっとかみ砕いておきます。

アメリカのキリスト教には、近代化や個人主義(全体・共同体のための “個人” ではなく、“個人” の尊重と個人の権益を保障するための “全体、集団” という考えかた)への不信感がありました。信仰による自分の在りかた、信仰による人との結びつきを重視する傾向がありました。信仰、神、不謬の聖書というものがなければ、自分という存在は立ちえない、とする考えかたです。ですから、かれらは、近代のもたらす科学の成果や、合理主義的な考えかたにもとづく社会の有りようには徹底的に反感・嫌悪を表しました。それらが、とくに進化論や聖書の高等批判が信仰の土台を切り崩すからです。

しかし、テクノロジーの進歩や合理主義の精神は、世俗的な暮らしを豊かにするものであることは否定できません。これはとても魅力的です。しかし「豊かさ」という魅力は同時に信仰の基礎を破壊するのです。そして信仰が破壊されれば、彼らのアイデンティティも崩壊するのです、彼らにとっては。教派によっては、聖書から神話と画定された部分を除いても、残る部分から信仰は打ち立てることができるとするものもありましたが、原理主義的な態度は、近代化、科学精神、合理主義といったものを全く否定する方法で、世俗生活の利便よりも、信仰のほうを重視するのです。彼らの主張はこうです。

「人間は、科学やより明快になった知識ではよりよく生きられない。霊的価値観(宗教的価値観、という意味に受け取って間違いではないです)によってのみ、それが可能であり、アメリカはこのイデオロギーによって特徴づけられる」。

こうして彼らは、近代社会、科学的合理的精神への不信感を露骨に表し、否定するのです。わたしは、エホバの証人の輸血拒否や、そのまえに主張されていた予防接種禁止などの医療テクノロジーへの否定的態度には、こういったアメリカ社会に内在していた原理主義的なキリスト教の精神を受け継いでいると強く感じます。なぜなら、近代化や科学技術や合理主義への同様の反感はヨーロッパにもあったのですが、ヨーロッパでは伝統的な教会組織が対応するわけです。しかし、アメリカでは伝統的教会組織の影響力が脆弱でした(注:国家というものはみな「人工的」ですが、ここで「人工的」とあえて表現されているのは、アメリカが封建主義という経験を克服して国民国家をつくり上げたのではなく、初めから、封建主義の経験を持たずに、ピューリタンたちの思惑によって、国民国家として成立した国であるという意味です)。

だから、個人個人が近代化の流れになかで信仰をいかに守り、つまり自分たちのアイデンティティを守るかという問題に対処する。「個人的な回心体験が重視される(上掲書)」、つまり個人が対応するのだから、専門の聖職者のような歴史的評価、統一された神学による検討などふまえずに、信仰が語られる。そうすると個人的見解の色濃い教理が語られるようになる→トンデモ教理が登場する可能性も高くなる…エホバの証人のように…。現に、かれらの送り出すメッセージは「きわめて反近代的、反科学的、反進化論的であり、保守的、復古的な福音主義(上掲書)」だったのです。

この点なんて、エホバの証人は忠実に受け継いでいますよね。「純潔」を守りましょうなんていう言葉が生きているのはおそらくエホバの証人社会だけではないでしょうか。現実には、いろんな男性と交際する機会が多いほど、よりマッチするパートナーを見つけやすいのです。人を見る目もできますしね。実際、抱かれてみてあとでなんとなく不快に感じたということで、自分の本当の気持に気がついたりするということがあるのです。科学への不信というのもエホバの証人の特徴です。科学者による捏造事件などはしばしば取り上げられる話題です。だから科学に信頼をおいてはいけないというわけです。商業主義というのもやり玉に挙げられます。この点も、近代的な社会への反感が受け継がれているといえるのではないでしょうか。とくに伝統的宗教への敵意はエホバの証人の場合、凄まじい。「好戦的」という点では、エホバの証人は裁判を頻繁に起こします。輸血拒否というトンデモ教理を、信教の自由という個人的な権利の問題にすりかえて騒ぎ立てます。立憲国家ならどこでも信教の自由は保障しようとします。しかも法は宗教道徳の合理性にはタッチしません。どんな教理であれ、宗教を選択し、奉じるのは個人の権利であり、国家は介入しないのが大原則であるからです。それをいいことにトンデモ教理を正当化するのです。

一方で、音信の伝達には最新の技術が駆使されるという点もエホバの証人の特徴です。ラジオも使用されていましたし、エホバの証人はラジオ局を持っていたのです。聖書講演を吹き込んだレコードを訪問先で聞かせるということも行われていました。最近になると、電話回線を使用して、大会を全国で同時に開催するということも行います。エホバの証人はまさにアメリカの宗教だといえるのではないでしょうか。


以下、次回に続きます。


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絆を深める方程式

2006年10月16日 | 一般
今、大阪では「24 Ⅳ」が深夜に放送されていまして、ハマッています(笑)。ちょっと夜遅く帰ってきたときに、このまま眠ると朝起きれないかな、と思って何気なくTVをつけたときからのご縁で…。毎日放送されているので、もう体力が限界まで消耗しています。放送時間に起きれるようにと、生活が不規則になってしまって…。

というわけで、久しぶりにポップ・サイコロジー系の一文で今回、お茶を濁します。(^^ゞ

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もし男性が自分の悩みごとや愚痴を話し始めたら、相手の話をすべて肯定的に受け入れることが重要です。人が弱音を吐いたり愚痴を言ったりするときは、何かうまくいかないことを、自分のせいではないと弁解することが多いものです。客観的に聞いていると、必ずしもそのひとが正しいとは限らない場合もあります。でも、そこで「あなたもよくないわ」と、相手を批判するのは、批判するほうも大人げないのです。

悩みごとを聞いてほしいと思うとき、誰しも自分のことを慰め、元気づけてくれる相手を選びます。言い換えれば、自分の味方だと信じている人を選ぶのです。恋人は、それに当てはまる第一の存在でしょう。ですから、愚痴や悩みごとの内容はどうであれ、相手を全面的に肯定してあげることが、恋人として求められていることではないでしょうか。

具体的には、相手に対して、「受容」「協力」そして「称賛」の姿勢を示すこと。

まず、「あなたの気持ち、よくわかるわ」と、相手を受けいれます。そうして、相手が気持ちよく話せるように「それからどうなったの?」などと先を促す「協力」をして、最後に「あなたのいいところは、妥協しないところね。だから、そんなふうに思うのよね」などと、相手の「いいところ」としてこちらが解釈をしてあげるのです。これは「称賛」です。

このようにして、女性が愚痴を受け止めてあげれば、男性は十分に満足して、気がおさまります。すると、「まあ、そんなこと言ってたってしょうがないし、また明日からがんばるよ」と前向きになれる余裕が生まれますし、「ところで、君のほうはどうなの?」と相手を気遣うゆとりも出てきます。そして、「このひとがそばにいてくれてほんとうによかった」と、女性の存在に心から感謝するはずです。

もし、どうしてもひと言、アドバイスをしておくべきだと思ったときには、先にあげた三つの中でも、とくに「称賛」を込めたことばを述べると、余裕のない相手も素直に聞くことができます。

自分に置き換えて想像してみるとわかりやすいでしょう。悩みごとを相談したとき、男性に「それは君が、はっきり意見を言わないから悪いんだよ」と言われると、心の中ではそれが正しいとわかっていても、ムッとくるでしょう。でも、「君は優しいから、ノーと言えなかったんだね。それは君の長所のひとつだよ。でも、ビジネスなら、相手にもう少しビシッと言ってもよかったんじゃない?」などと、やさしい励ましのことばを聞けば、「この人はわたしのことをわかってくれている」と、男性に対する信頼を深めるはずです。

この、「受容+協力+称賛=深まる絆」の方程式は、恋人同士だけでなく、あらゆる人間関係を円滑にする、コミュニケーションの重要なポイントとなります。ぜひ、心にとめておいてください。

(「“大切な人”の心をつかむ気のつかい方」/ 山田桂子・著)

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この「受容」っていうのは、わたしもふだんから意識して使ってきてるんですが、効果絶大です。私自身の人格的欠陥を完璧にカバーしてくれるスキルなんです。特に、人柄について言われる形容詞。優柔不断だとか、神経質だとか、繊細だとかいわれること。こうしたことも多面的に考えると、また違う評価ができます。

たとえば、優柔不断だということは、いろんな可能性に思いがはせって決断がつかない状態ですから、「聡明だ」ということができます。事実、さまざまなケースを検討できるんですから、ね。繊細だというのは他の人の気持ちを覚れる思いやり深さ、臆病さは慎重さ、というように、それらを別の面から評価すると、長所も見えてくるわけです。どんぶり勘定の課長が細かいミスを指摘されてやり直しているときでも、「課長って気持ちの切り替えが早いですね」というと、「そりゃおまえ、くさっていてもしようがないよ。ミスというのはね、しないようにしようとするとかえって起きるもんだよ。ミスはどうフォローするかという視点が重要なんだよ」などと講釈を始めたりして、でも本人はいい気分になれるんです。「おまえのミスのためにこっちが定時で帰れないんだよッ」というわたしの本音は隠しといて、そういってあげると相手は元気を取り戻します。

会社の人間関係ではここまで気を使う必要はないかもしれませんが、男女関係では、このスキルが他のオンナに差をつけます。ゼヒみなさんも研究なさってみてください。

さてさて、放映まであと一時間。コーヒーのみまくって、がんばって観ます!
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9.11同時多発テロ陰謀説

2006年10月08日 | 一般
ミステリーというものは多くの人に好まれます。わたしも好きです。ちょっと前の映画ですが、「ロング・キス・グッドナイト」という女性アクション映画がありました。記憶をなくした元CIA工作員暗殺要員のヒロインが、CIAの陰謀を大立ち回りのあげくに阻止する、という内容です。そのCIAの陰謀というのが、予算獲得のためにイスラム人によるテロをでっち上げようとするものでした。タンクローリーに化学爆弾を詰め込み、それを都会の真ん中で爆発させるという計画でした。こういうのはもちろん、派手好きのハリウッド映画の中での話だと、だれでもそう思いますよね。現実にこんな事があるはずがないと…。

2001年9月11日に起こった同時多発テロがまさに現実版のアメリカ製テロだったというと、「とうとうルナも男狂いが高じてアタマのねじが飛んだか」と思われるでしょうか。

「人は小さな嘘にはすぐ気がつくのに、大きな嘘は逆に信用してしまうものだ。それだけでなく、それが嘘だと思うこと、主張することが恥ずかしくなってしまう。それで、よく考えもせずに「ありえない」と決めつけてしまう。9.11も同じだ。まさかこんなに嘘で塗り固められているなんて、当初は誰もが思っていなかった。私(ベンジャミン・フルフォードというジャーナリスト)もそのひとりだった」。

…という締めくくりで書かれた本を、この手の本としてはちょっと払いすぎかなと思いましたが、購入しました。みなさんはどうお感じになるでしょうか。わたしはですね、アメリカ政府の説明はあきらかにおかしいと思います。私の感想は、アメリカによる自作自演、という結論に限りなく収束していきます。ほとんどが直感です。類推による直感です。いいわけじみた説明のしかたや、説明回避の姿勢がものみの塔協会にそっくりだからです。ご紹介しますね。

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戦争の最初の犠牲者は真実である。

戦争時は、正しい情報が国民に伝えられないものだ。その後のアフガニスタン戦争やイラク戦争など。「テロとの戦い」のきっかけとなったアメリカの9・11同時多発テロも例外ではない。

2001年に起きたこのテロ事件は、3000人以上の死者を出した史上最悪のものである。この事件については、当初から「アメリカ政府の発表はおかしい」「これは絶対ヤラセだ」と主張する人がすでに存在した。しかし、彼らは9.11事件以前からの「陰謀論者」であり、宇宙人の侵略を信じたり、アポロ13号の月面着陸は嘘だったというような “トンデモ論者” たちだった。彼らの語る「陰謀説」は、あくまで「説」であり、妄想好きな頭のおかしい人が考えることだと思われていた。

当時は著者も「テロはオサマ・ビンラディンを中心とするアルカイダが起こした」と信じていたのだ。そしてイラクは無関係だとしてもアフガニスタンはこれに関与していると考えていた。また、「事件の背後にユダヤ資本がある」という説も耳に入ってきたが、私はずっと「ユダヤ人に対する差別は絶対にしてはいけない」と “調教” されてきた。反ユダヤ的な言説に対しては聞く耳を持たないようにしてきたのだ。日本の「エセ」が被差別を悪く利用するように、アメリカを影で支配する人々はユダヤ人差別のタブーを利用して自分たちに対する調査を防ぐ。

‘05年になって、明治天皇のお孫さんにあたる中丸薫 (ルナ註:アマゾンで検索して調べてみたんですが、この人はちょっと突飛な話を書く人です。人類はナントカ星人という宇宙人によって進化させられたとか、アメリカ軍が爬虫類人間をつくっているとか、世界を破滅させようとしている秘密結社とか…。中世の身分制のような格差社会を目指し、自分たちがその頂点に立とうというアメリカのネオコン型の勢力というならまだしも、「仮面ライダー」にでてくるショッカーみたいな秘密結社となると、急にはうなずけないですよねー。なんでもその秘密結社というのは、フリーメイスンとか、スカル&ボーンズとかいうんだそうで、ブッシュ大統領はその秘密結社のメンバーだとか…。ただ、突飛だからといってそれで頭からまったく除外しようとは思いませんけれどもね) さんから、事件のおかしな点を指摘したビデオ「911ボーイングを探せ」を見るようにと渡されたが、最初はとても見る気にはなれなかった。彼女には「あなたは日本の闇の部分についてはよく書かれていますけど、世界の闇については何も知りませんね」と言われたものだ。

中丸さんから何度もしつこく見るように言われて、半信半疑でビデオを見てみた。目の覚める思いだった。確かに、不可解な点が多すぎる。私の仕事柄(アメリカのニュース雑誌「フォーブス」の元特派員、アジア太平洋支局長、という経歴のジャーナリスト)、これまでニセの情報に対してはかなり免疫のあるほうだったが、どう考えても私を含めて多くのアメリカ人が信じてきたものが、実は間違いだったのではないかとの思いが強くなってきた。

インターネットで「9.11陰謀説」と英語で入力して検索してみた。すると200万件ものリンク先がヒットした。マスコミではほとんど取り上げられていないのに、いつの間にこんなに議論になっていたのか、という驚きを隠せなかった。私はその後1年をかけて取材を続け、情報を精査した。その結果、事実を調べれば調べるほど不可解な部分が出てきて、同時に別のストーリーが徐々に見えてきた。

最近になって、“トンデモ論者” ばかりでなく、各界の専門家やジャーナリストたちのなかからも、9.11に関しての具体的な矛盾や疑問点が数多く噴出している。アメリカでは「真相究明を進める学者たちの会」が結成され、シカゴやロサンゼルスなど各地で真相究明会議が行われた。今年の10月には日本でも行われる予定だ。最近のアメリカ国内のいくつかの世論調査では、半数以上の人が政府の説明に疑問を持っているとの結果が出ている。今後さらに注目を浴びることは間違いないであろう。

ところがこれは、アメリカやヨーロッパでの話。世界で最も忠実にアメリカ政府の情報を信じきっているのは、ほかでもない日本人なのである。アメリカのマスコミが報道しないから日本のマスコミも当然報道しない。インターネットで検索しても、英語のものに比べて日本語のサイトはおどろくほど少ない。

日本は今、米国債をせっせと買ってアメリカの戦費を調達し、つくられた「テロとの戦い」のために土地や人、カネを提供している。そしてそれは、世界の人々を幸福にするどころか、逆に不幸にしている。日本人はその優れた技術力や経済力をどのように使うべきなのか。日本人はアメリカを盲信し、追従していてはいけない。日本の国力、文化力をもってすれば、世界中の多くの人々を幸福にできる。その事に早く気づいてほしい。

(「暴かれた9.11疑惑の真相」/ ベンジャミン・フルフォード・著)

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「日本人はアメリカを盲信し、追従していてはいけない」というご意見には大賛成です。アメリカに対して日本はどれだけの税金をつぎ込んでいるか。在日米軍を支えているのは日本のお金です。2004年現在で米軍在留経費は46億1500万ドル、そのうち75パーセントにあたる32億ドルが日本が負担しているのです。

「この金額は、日本以外のアメリカの同盟国26カ国全体で負担している米軍駐留費の合計額よりも大きい(「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」/ 高橋哲哉・斉藤貴男・編・著)」。

上記の本はさらにこのようにも述べています。

「また、日本は安保ただ乗りしていていいのか、という人もいますが、日本に基地を設けて大きな利益を得ているのはアメリカのほうなのです。在日米軍に対して日本政府は米軍基地の民間人従業員2万人の給与と基地の水道光熱費のほぼ全額を負担するとともに、基地内の建設、民有地の地代、周辺住宅の防音工事を負担し、さらに国有地は無償提供しています。その上で在日在留経費32億ドル、さらに「思いやり予算」といって、在日米軍駐留費とは別の、日本側の判断で提供しているお金をも含めると、在留経費は日本円で6500億円になります。これは米兵一人当たりおよそ1650万円を負担している計算になります。さらにアメリカの戦争への資金協力も積極的に行われています」。

安保ただ乗りしているのはアメリカのほうなのです。これだけアメリカにお金をつぎ込んだ見返りに何があるんでしょう。安全性を十分検証させないままの牛肉を輸入させられることですか? アメリカとの交渉中の中川さんの目が潤んでいたのが印象的でした。最後にはアメリカ側はほとんど恫喝じみていたらしいですね。アメリカにこれだけお金をつぎ込んで、一方国民の生活の安全は削減されてゆくのです。福祉予算はどんどん減らされますよね。アメリカという国の正体というものに私たち日本人はもういい加減に気づいていいのではないでしょうか、少なくともブッシュ政権という狂気には。

みなさんは、9.11陰謀説をどう評価されるでしょうか。単なる「トンデモ」でしょうか、それとも…。

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人間関係を上手にサーフィンしよう! (4)

2006年10月07日 | 一般

本来の力を発揮できないクセ者、「他人のリズム」




「どうしてあんなバカなことをしたんだろう」「あそこでしくじるなんて、最低だよ」「おれってやつはつくづく情けない」「あーあ、こうすればよかったのに」…。あれこれ後悔したり反省したり、ガツンと言われて立ち直れなくなってしまったり…。人間だから当然あることです。

あなたが過去にやってしまったことでクヨクヨしているからといって、「打たれ弱い人間だ」「こんなことじゃ一生負け犬だ」などと決めつける必要はありません。誰にだってクヨクヨしたくなるときはあります。しかし、過去にとらわれている状態は苦しいもの。将来の目標に向けてエネルギーを使うことができなくなり、過去に気持ちがいってしまう。だから現在がうまくいくはずがない。たとえば同じ寝不足でも、将来の計画に夢中になって眠れないのと、過去を悔いるあまり眠れないのとでは、気分は雲泥の差です。なぜ過ぎたことをクヨクヨ考えてしまうのか。大失敗にくじけない人、打たれてもハネ返すパワーを持った人とどこが違うのか。

それは過去を認めていないからです。
「あいつに負けるなんてこと、あっていいわけがない」「あんなことでミスするなんて、信じられない」「迷惑かけるつもりはなかったのに」「うまくいくはずだったのに」「運が悪かっただけだ」「早く忘れよう」「気にしない、気にしない」…。つまり、間違った競争意識、周囲の目を意識することで「失敗」と思いこんでしまっている。かつて赤面症で悩んでいたころのわたしは、まさにそうでした。「緊張しているのを見せたくない」「あがってしまったらまずい」「大事なところで恥をかきたくない」「笑われるのはイヤだ」…。こういう緊張の仕方は、すべて周囲から見た自分を基準にしています。つまり他人のリズムにはまっているのです。

わたしはメンタル・トレーニングで「リズム」という言葉をよく使います。自分のリズムでものごとを進めているときは、人は流れに乗って力を発揮できますが、他人に合わせているときは、本来の力を発揮できなくなる。本当の力を発揮できるのは「自分のリズム」でいるときなのです。
だからたとえば、スポーツの世界でも「強い人」はわがままだったり、図々しかったりする。「お先にどうぞ」的な“いい人”では生きていけない部分がある。チームプレイのなかでも、自分のミスを「あ、あれはピッチャーのせい」と頭を切り換えて、自分のプレーに集中する。「やってしまった…。みんなに迷惑をかける」と引きずっていると、ミスがミスを呼ぶということにもなりかねない。

もちろん、「おれが、おれが」というっだけでは人間関係においては問題があるから、周りを判断する目を持っていなくてはならないのですが、自分の力を発揮する、ということを考えると、自分のリズムに徹するのがいちばん早い。

楽になるためには、自分の失敗を認めてやることです。
うまくいかなかった。自分の行動のどこがまずかったのか。手順のどこでミスをしたのか。では、次にどうすればよいのか。今すべきことは何か。もしも誰かに迷惑をかけたなら、その事実を認める、とはすなわち「相手に心から謝る」こと。ありのまま認めることで、苦しさから解放され、次の一歩に向けてのエネルギーが生まれてくるのです。

(「逆境を生き抜く・打たれ強さの秘密」/ 岡本正善・著)

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エホバの証人という宗教にかかわってしまったことで、人生の貴重な時間を棒に振ってしまった。そう思うと悔しくって仕方がないですよね。一生けんめいやってきたのに、能無しの長老や無能のお局どもの虚栄心のために屈辱ばかりなめさせられてきた。思い出すと思い切り仕返しをしたくなってきます。

こういう感じ方は、だからエホバの証人の指導者たちの無能のせいだ、お局どもの権力欲のせいだということに執着しているから生じるのです。もちろん、それらは事実です。エホバの証人の指導者は、自分たちが信じていたい宗教を実現させていたいがために、多くの信者の人生を道具にするのです。人間として低級な連中です。他人は自分の充足のための奉仕者である、という信念に取りつかれているのです。精神年齢が幼い頃のままで止まっているのです。幼児はたしかにそのように自己中心的です。思いどおりにならなければ泣き喚き、ぶったり蹴ったりします。いい年をしたオッサン、オバハンどもの精神状態はそのときのままなのです。

しかし、そこにいつづけたことには、自分自身の選択という要素も多分にあるというのも事実です。どうしてだったのでしょうか。自分自身の未熟さということもあります。マインド・コントロールということもあります。つまり、いまさらエホバの証人をやめても、もう世の中に居場所を見つけることができない、逃げ道はないんだと思い込まされているのです。世の中で生きていくには高級取りでなければならず、社会的地位がないとダメだし、若くなくっちゃいけない、という他力本願な姿勢が身についていることもあるでしょう。それらは自分自身に欠陥があるということです。自分のしたいこと、自分の気持ち、岡本トレーナーの言葉でいえば、「自分のリズム」がつかめていないのです。自分という存在を肯定的に評価できず、他人に認めてもらおうとするから、他人の言いなりになってきたのです。

自分の失敗や弱さ、未熟さをまず認めてみること。認めたうえで、それを否定しないこと、肯定すること。自分は未熟さがあるけれど、人間なんてみな同じようなもの、とくに日本人はね、と客観的に評価すること。そうすれば、今自分は何をするべきかが見えてくる、と著者はおっしゃっておられるのです。これは特別な人でないとできない、なんていうものじゃありません。ほんのちょっと勇気を奮い起こせば、誰にだってできることです。そのほんのちょっとの一歩を踏み出すことが、あしたへの大きな前進になるのです、これはこういうふうに断定的に言えることです。

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自分の限界を乗り越えてゆくためのスキル

2006年10月07日 | 一般
勝利、というものは他人を打ち負かして、相手を貶めることではありません。自分の限界をのりこえることです。戦いは相手の人間と行うのではなく、自分が戦う相手なのです。相手チーム、相手選手は、自分が自分の限界をさらに遠く押しのけて、自分の成長、自分の向上を図ることを阻止しようとする障害物、人生の試練です。それらを自分で飛び越えて行くのが、自分の成長、また向上であって、敵は自分自身だけです。スポーツではこういうのが純粋に表れます。スポーツで「勝つ」のは技術、素質ではなく、メンタル・タフネス、精神力の強さが第一要素なのです。メンタル・タフネスを発揮する心理テクニックを、今回はご紹介します。

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スポーツには「攻めの心理」と「守りの心理」があります。といっても、攻撃のときが攻めの心理で、守備のときが守りの心理ということではありません。攻めの心理とは、自分の持っている力を100パーセント発揮することに意識をおいた積極的な心理です。勝敗やミスのことを考えず、ある意味で開き直った状態のときに生まれます。逆に、守りの心理とは、勝敗やミスしないことに意識をおいた消極的な心理といえるでしょう。

この「守りの心理」は、じつはスポーツではマイナスに作用することが多いのです。たとえば、勝利を意識するあまり、「ここでプレーにミスが出ると負けてしまう」という思考が生じたとすると、人は「ここではミスのないプレーをしよう」という考えに陥ります。すると、攻めの心理のときは一歩踏み込めたプレーが、逆に一歩後退してしまうプレーになってしまうのです。また、攻めの心理のときには勢いのある大きなプレーができていたのに、それが弱々しいこじんまりしたプレーになったりもします。慎重にプレーをするつもりが、逆にミスをする可能性を高めているわけです。

ただし、過度に攻めの心理が強すぎるのもよくありません。ここはどう考えても無理すべきではないという状況で、「一か八かやってみよう」という無理なプレーに踏み切ってしまう危険性があるのです。これは「自分はもっとできるだろう」という過度な攻めの心理から生まれた「欲の心理」が根底にあるのです。

攻めの心理と欲の心理の違いを少し説明します。攻めの心理は、自分が持っている力の範囲を冷静に受け止めた上で、持てる力をすべて出し切ろうという心理です。一方、欲の心理は、持っている力を知りつつも、抑制をきかせられず「もっと、もっと」と突き進んでしまう心理を言います。

以上のことから、試合時の最適な心理状態を総合的に考えると、攻めの心理が7割、守りの心理が3割くらいにミックスされた心理がベストであると著者は考えます。




【攻めの心理の実践】

1.定位置よりも一歩前でプレーしてみよう。
柔剣道や、野球の打者と守備の選手のように、相手と自分の間に距離が生じるスポーツでは、守りの心理が強いときには、無意識のうちにいつもより後ろに下がって距離を広げているものです。これは、ミスを怖れるあまり生じる「相手からの攻撃からはできるだけ逃げておきたい」、「自分から無理して攻撃的なプレーを仕掛けなければ逃げ切れる」という心理の表れです。こういう状態のときには、相手に積極的に攻められると完全に受身になり、逆にミスにつながることが多くなります。

それを防ぐためにも、あえて攻めの心理を持たざるを得ない状況に自分を置くことが必要になります。たとえば、今自分と相手との距離が通常よりも長ければ、守りの心理に入っているときなので、あえて定位置よりも一歩前に出てみましょう。そうすれば、それにあわせて気持ちも前面に押し出される形で自然に攻めの心理になるはずです。

2.あえていつも以上にプレー動作を大きくしてみよう。
守りの心理のときのプレーは、「ミスをしないように」慎重になっていますので、動きも遅く小ぢんまりしています。これは、過度にていねいにプレーしようとして、思い切りのよさが欠けている状態ともいえます。こういうときは、自分の動きが小ぢんまりしている分だけ、相手に大きな動作ですばやく攻められると、圧倒されてしまう可能性が高まります。また、「このリードを守らなくてはならない」という気持ちが、体の緊張を生んで固くなったりもするので、相手の攻めに対応できなくなります。

こういう状態のときには、あえていつも以上にプレー動作を大きくするように心がけてください。「いつものようにおおきく」という程度では、守りの心理のときにはまだ実際の動作は小さいものです。ですから「いつも以上に大きく」くらいに意識して、ようやくいつもと同じくらいの動作になるのです。

心は動作をつくり、動作は心をつくります。だらだらした動作をしていれば、心もだらけてしまいますし、きびきびした動作をしていれば、心も適度な緊張感のある引き締まった状態になるものです。これと同様に、プレーを小ぢんまりした動作から大きい動作にすることで、攻めの心理を取り戻すことができるのです。

3.点差を広げて勝利するように意識を持とう。
守りの心理は、相手よりも点差でリードした瞬間、強く勝利を意識することから生じます。すると「勝つためには、このわずかなリードを守らなくてはならない」と考えてしまうものです。そうなると、これ以上攻めて点数を取ろうというよりも、わずかなリードをいかにして守っていけばいいのか、ということに意識が集中してしまうのです。

そういうときは、「同じ勝つなら大量の点差をつけて勝とう」と意識して考えることが大切です。すると「リードを守ろう」から「リードを広げよう」と攻めの心理を喚起しやすくなるのです。格下の相手と試合をするときでも「ただ勝てばいいんだ」という意識を捨て、「攻められるだけ攻めて、点差を思い切り広げて勝とう」というように、最後まで攻めの心理を持ち続ける習慣づけが大切になります。

4.マイナスではなくプラスの展開をイメージ。
野球で、ノーアウト、ランナー1塁のケースがあったとします。この場合よく用いる戦略のひとつに、送りバントがあります。このときの考え方は、「打ったら、もしかしたらダブルプレーで一気に台無しになるかも知れない。それだったらひとつアウトになってもいいから1塁ランナーを2塁に進めて、あとの打者に任せよう」という、基本的にマイナスの展開をイメージしたものといえます。

逆に、同じ場面で強打の戦術を用いるときの考え方は、「何もここで打ったからといってダブルプレーになるとも限らないし、自分がヒットを打ってランナー1,3塁になるほうがチャンスも大きくなる。みすみす送りバントをしてアウトをひとつ増やすこともないさ」という、基本的にプラスの展開をイメージしたものといえます。

一般的に、前者のような心理で送りバントをすると、ミスすることが多いものなのです。逆に後者のような心理で強打をすると、以外に成功することが多いものなのです。もちろん、送りバント=守りの戦法、強打=攻めの戦法というわけではありませんが、今述べたような心理状況でバッターボックスに入るとすれば、前者は守りの心理、後者は攻めの心理です。
大切なのは、あるケースに置かれたときにマイナスの展開のイメージではなく、プラスの展開のイメージを基本にして自分のプレーを考えるということです。たとえは野球でしたが、ほかのスポーツでも同様なケースは多々あると思いますので、参考にしてみてください。

5.心で作り出した限界を打ち破ってみよう。
守りの心理の強い選手の特徴として、ものごとをやる前から、心の中で「無理だ」と思うことには絶対手を出さない、という傾向が見られます。ある意味で、ゴールの見える道筋のほうを選択しやすいということです。

これは、心の中の「コンフォート・ゾーン(気持ちが安楽な範囲)」に対しての執着が強いため、気持ちが少しでも不安にさらされる「新しいこと」に対して激しい拒否反応を示してしまうからです。こういうタイプの選手は、新しい技術や戦術に対してあまり乗り気になれないものです。そのため、ついつい長年やり慣れた技術や戦術から離れられなくなり、相手に簡単に研究されてしまいます。

また試合中に相手に攻められても、新しい技術や戦術に対して「今までしたことがないから無理だ。成功するはずがない。今までどおりにやろう」と心の中に限界をつくってしまいがちです。

守りの心理の強い選手は、やはり日ごろから、練習やスポーツ以外のことにも前向きに取り組む習慣づけが大切といえるでしょう。

6.相手の攻めの心理に、自分の心理を同調させる。
自分が守りの心理で、相手が攻めの心理の場合、相手の仕掛けてきたプレーに対し、それを受身で応戦するのではなく、あえて相手のプレーと同じように自分のプレーを行い、正面からぶつかってみることが大切です。

例えば、ボクシングで相手が強気に連打を打ってきたときに、自分が「相手の一発をもらってはダウンするかも」という気持ちで、ガードのみで応戦したのでは、逆に体が萎縮して腰も引けてしまい、相手のパンチをもらいやすくなります。

そういうときは、相手の攻撃にあわせて敢えて攻めの心理を喚起し、自分も連打を打つことが大切です。両者のプレーがぶつかり合うときというのは、普段守りの心理の強い選手でも、知らず知らずのうちに攻めの心理になっているものなのです。「自分も攻めの気持ちを持たなくてはならない」と考えるよりも先に、体をつかって相手と真っ向からぶつかってゆくことで、攻めの気持ちをかき立てるというのも、ひとつの有効な手段といえるでしょう。

7.敗北に意識を向けてみる。
守りの心理は、勝利を強迫的に意識することから生じます。そして守りの心理で戦うときは、それがいちばんの勝利への近道だと考えているものです。

どうしても守りの心理から攻めの心理に切り換えられないときには、負けた場合をイメージしてみてください。それまで勝利に脅迫されていた意識を、逆方向に向けてみるのです。そして、守りの心理で負けた場面のイメージと、攻めの心理で負けた場面のイメージを心のなかで比較するのです。

守りの心理が強いときには、攻めの心理でプレーすると負けてしまう、と怖れてしまっているわけですから、この比較は、あえて良法の心理を「敗北」という同じ土俵に並べてみるのが目的です。すると、同じ負けるのであれば、消極的なプレーをして後悔するより、悔いのないように積極的なプレーをするほうがいいと考えられるはずです。

このように、最高の結果だけではなく、最悪の結果を想定してみると、案外冷静に、自分がどうすればいいのかわかるものです。その結果、攻めの心理が喚起されたなら、今度はその攻めの心理で行ったプレーによって勝利がもたらされるイメージを描くようにすればよいのです。

8.攻めの心理7割、守りの心理3割のブレンド心理。
攻めの心理が強ければよい、というものではありません。攻めの心理があまりに強いと、冷静さを欠いて、自分の能力以上のプレーを「もっと、もっと」と追い求める心理状況に陥ってしまいます。これは「欲の心理」というマイナスの状況です。

そういうときは、攻めの心理を7割、守りの心理を3割くらいの心理状況にしようとしてみてください。そのほうほうとは、自分の持っている力を100パーセント発揮しようと考えるのではなく、持っている力の70~80パーセントの力で戦おうとすることです。

欲の心理のときには、抑制機能が働かなくなっているので、100パーセントの力を発揮しようと考えてしまうと、火に油を注ぐ結果になってしまいます。それで、余力を残して戦おうとすると、それが抑制効果となって、欲の心理に歯止めをかけてくれるのです。

そうやって歯止めをかけておいて、「攻めの気持ちでいくのはいいけど、今ちょっと強すぎるみたいだから、少し守りの気持ちを入れて慎重にプレーをしていこう」と考えることが大切なのです。

(「勝ちに行くスポーツ心理学」/ 高畑好秀・著)

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わたしはとくに、「5」で指摘されている、自分でつくり上げた狭い「限界」を打破する、ということが課題でした。ここでまた前に出ると、周囲から総バッシングを受けるのではないか、そうなると自分がかわいそうになって泣き崩れてしまう…というイメージ、それがわたしの行動力に限界を設けてしまっています。いわばトラウマとなっているわけです、過去の経験が…。そのけっか、なにかにチャレンジして、傷ついたり、恥ずかしい思いをして、自分の惨めさをまた新たに銘記してしまうよりも、手を引いて、傷つくことなく、安全に過ごそう、という気持ちに流されてしまうのです。そしてエホバの証人時代と同様、同じ失敗、同じつまづきを経験するのです。そういう経験ばかり繰り返されると、これが自分の人生だ、世の中なんてこんなものなんだ、と向上心を放棄してしまいかねません。それでは生きてはいても、何ごとも達成できず、ただ単に動物のように死ぬまで食べるだけ、という人生になってしまいます。

自分を押さえつけているトラウマを乗り越えて生きていくとき、結果は華々しくなくっても、自分はできるだけのことをした、やるべきことはやったな、という充足感を経験できるのです。それが人間にとって「最善の生きかた」なのだと、わたしは確信しています。だからわたしは、人間関係でも生業でも、現在の自分のベストを完全燃焼させることを追い求めてゆこうと決意しています。メンタル・タフネスのスキルは、あらゆる人間関係をたくましく拓いてゆく秘訣、なのです。

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風…、追想

2006年10月03日 | 一般
「人はだれもただ一人、旅に出て
 人はだれもふるさとを振り返る
 ちょっぴりさみしくて振り返っても
 そこにはただ風が吹いているだけ
 人はだれも人生につまづいて
 人はだれも夢破れ、振り返る
 
 何かを求めて、振り返っても
 そこにはただ風が吹いているだけ…」

がらんとした建物
もう騒ぐ声は聞こえない
あのころ、流行っていた歌が聞こえる

でも目は閉じない
涙があふれそうだからじゃない
過ぎた日々が、今そこにあるかのように思い出されるから

私はひととき立ち止まっていたいのに
世界は動いてゆく
引きちぎられながら、雲が風に飛ばされるように

きびすを反して、私は歩きだす
吹きつける風に背をかがめながら
枝々は揺りうごき、まるで挑みかかって来るよう

手のひらのうちで煙草に火をつける
ささやかな抵抗のつもり
煙がしみて目を細める

一年後のこの日、
今日の私をどうふり返っているだろう
一年後のこの日、
どこでどうしているんだろう

雲に遮られて、陽がいっとき翳った
私は見上げて、先にあるものの兆しを探してみるけれど
そこにあるのは、吹きつける風と木々のざわめきだけ

進んでいこう。生きている限り。
生きてゆこう。進める限り。
襟をあわせて、私はまっすぐ前を見る。

誰かに指図されたからじゃない、
誰かに褒められようなんて色気に衝き動かされてるんでもない、
あそこにたどり着きたい、私は決めたんだ、自分で、ね。
だから、歩いてゆく、いまはひとりでも。
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アメリカの宗教右派、そのルーツ(2)

2006年10月01日 | 一般
アメリカに入植した人たちは、わたしが想像する以上に強い使命感を持ったキリスト教徒だったようです。自らの宗教的な信念を具現しようとする意欲を抱いていたようです。彼らからすれば、制度と儀式、形式に凝り固まったヨーロッパのキリスト教会、その組織・制度は腐敗したものでした。ピューリタンたちは、そういう既成の教会組織と制度に不信をもっており、だからもっと純粋にキリスト教を実現しようとしていたのでした。

新世界に入植した人たちには、専門の僧職者たちが少なかったこと、入植した後、大陸の西部への開拓に乗り出したことなどが原因となって、アメリカ人のキリスト教はきわめて市民的な、個人的な信仰体験を重要視するようになっていました。しかし、西部開拓に乗り出したということはまた、新たな入植地での世俗生活を確立してゆく過程でもありました。世俗生活が安定し、豊かになることは、信仰生活の形骸化をもたらします。生活が豊かになるにつれ、教会への寄付も増えます。そうなると教会も安定度を増し、制度化されるようになる、つまりかつてピューリタンたちが違和感を抱くようになったヨーロッパの教会がたどったシナリオが再現されることになるのです。

こういう過程のなかでキリスト教の復興運動は起きるようになり、世俗生活を更に発展させる科学技術の進展、進化論の登場などの要因が、キリスト教への信仰に脅威を及ぼすようになると、科学や合理主義的な精神への、キリスト教側の批判的対抗軸として、原理主義が現われるようになりました。以上の流れが、「アメリカ・過去と現在の間」では、順に歴史が概観されています。

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しかしながら、移住が世俗生活をともなう以上、荒野もまた、文明化の危機を免れることはない。宗教者としての入植者たちにとって、開拓の一歩一歩は理想的な信仰世界を実現する過程であったつもりかもしれない。しかしそれは多面、生活者としての入植者たちにとって、それはより豊かで安定した世俗生活への道であることにほかならない。世俗生活がそれなりに豊かさを増し、落ち着いてゆくにつれ、各地のキリスト教教会も発展し、制度的安定をみていくのであるが、それはまた同時に信仰の形式化、儀式化の危機の到来をも意味していたのである。

この危機を克服し、日々信仰を復興し続けなければ、アメリカのキリスト教もヨーロッパのキリスト教の轍を踏むことになる。そうならないためには、何よりも広範な、個々人の(霊的)覚醒と回心が求められることになる。信仰復興運動のうねりである「大覚醒」は、このようなアメリカ固有の社会状況から発した福音主義的な復興運動でもあった。

かつてピューリタンは、回心体験の有る無しを教会員の資格とするのがふつうであった。しかし、いまや、親によって幼児期に洗礼を受けさせられた者に、回心体験がなくともいわゆる半途契約を認めたりするなどといった制度が、しだいに教会組織に入り込んでいった。このような制度に象徴される信仰の弛緩、懈怠(けたい;なまけおこたること。もと仏教用語で、「精進」の反意)を改め、信仰の引き締めをはかることが、信仰復興運動を指導した聖職者、説教師、伝道師たちの目的であった。規制の教会組織への不信に発した信仰復興運動は、しばし教会を出て、野外における大衆集会という形をとって展開された。神の劫罰がいまにも下るといった内容の説教が、人々の恐怖と熱狂をかき立て、多くの人々は回心を体験する。

(「アメリカ/ 過去と現在の間」/ 古矢旬・著)

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聖書の「申命記」に、このような記述があります。

「食べて満ち足りた時に、あなたはその与えてくださった良い地のゆえにあなたの神エホバをほめたたえなければならない。自分に気を付けて、あなたの神エホバを忘れることのないよう、わたしが今日命じるそのおきてと司法上の定めと法令からそれることのないようにしなさい。これは、あなたが食べてまさに満ち足り、良い家を建ててそれに住み、あなたの牛や羊が増え、銀や金があなたのために増え、あなたの持つすべてのものが増え、それによってあなたの心がまさに高ぶり、あなたをエジプトの地、奴隷の家から携え出されたあなたの神エホバを忘れるようなことのないためである(申命記 8:10‐14 )」。

人間は世俗生活が豊かになれば、信仰が形骸化し、おろそかになるということです。どこの国民でも、人間である以上は、これは当然のことかもしれません。聖書に書かれている古代イスラエルの歴史は、生活が潤沢になれば先祖伝来の宗教を粗末にするようになり、近隣民族の宗教と信仰合同が進むようになって、そのたび「エホバの懲らしめ」としての苦難に見舞われ、つまり近隣の強国から侵略されたりするようになった、でもそのたび「悔い改めて」、エホバへの宗教を復興することで、外国の圧力を排除できたとなっています。

「彼らは神のことばに背く振る舞いをし、至高者の助言を軽べつしたからである。それゆえ、神は難儀をもって彼らの心を従えるようになり、彼らはつまずき、これを助ける者はだれもいなかった。それで、彼らは苦難の中からエホバに助けを呼び求めるようになり、神はいつものように、彼らに対する圧迫から彼らを救ってくださった(詩編 107:11‐13)」。

もちろん、アメリカに入植したキリスト教徒たちは、神の懲らしめを受けたりはしませんでした。ただキリスト教の指導的な人たちが潤沢になってゆく生活のなかに、また近代化してゆき、科学と合理的な精神が人々の価値観に入り込んでゆくなかで、どのようにキリスト教をなお広め、発展させてゆくかという課題に取り組むようになるのです。つまり、国民のアイデンティティとしてのキリスト教が人々の間に占める位置を確保しようとするわけです。そのための運動が「信仰復興運動」でした。

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二度目の信仰復興運動の高まりは、19世紀前半に起こっている。第一次の信仰復興運動と第二次との間には、ヨーロッパとアメリカで、政治を宗教から切り離す世俗的な国民主義革命が勃発し (*ルナ註: フランス革命により、人々が身分制度や荘園・農奴制度などに特徴づけられる封建制から自由になって、土地から離れて工場で労働するようになり、また工場で生産された商品を販売する商人となり、商業の発達は金融をも発達させ、そのようにして商工業が発達してゆく社会を統合するために、領土を画定し、そこに住まう人々を「国民」とみなし、国民を統括する「国家」が成立するようになる、という社会の一大変化がありました。近代国家はこのようにして始まったのでした)、工業化と都市化が緒につき、資本主義経済が急成長するといった、いわば啓蒙主義に立脚した近代的国民国家が形成されていった。

国家としてのアメリカ合衆国が形成される際に、政教分離原則が比較的滑らかに採用されていった理由のひとつは、当時のアメリカ社会が全体としてすでに、きわめて多元的な宗教、教派を含んでいた状況が挙げられる。ヨーロッパにおいて峻烈な宗教戦争を経て形成されたほとんどすべての教派がやってきた新世界においては、クェーカーのような少数派にたいする過酷な弾圧は見られたものの、広大な自由地に散在して各教派は棲み分けを行ったので、独立期までには比較的寛容で多元的な宗教世界が成立していた。そんな世界において、このような多元的な教派組織がすべて、ひとつの世俗政府の下で共存するためには、政教分離原則を立てる以外には選択肢はなかったといえるだろう。

とはいえ、アメリカにおける政教分離の原則は、独立革命によって新しく成立した共和主義国家と福音主義的なキリスト教とのきれいな分離を意味したわけではない。独立革命はむしろその両者を反ヨーロッパ感情で結びつけたのだった。近年の宗教史家があきらかにしたように、アメリカ・プロテスタントの大半、とりわけ福音主義的な宗教指導者のほとんどは革命を支持した。彼らは、専制か自由かという善悪二元論を前提とする革命の大義を、反キリストかキリストかという宗教的二元論の世俗版とみなしたのである。すなわち、自由とは、世俗的には専制からの自由を、宗教的には罪からの解放を意味していると、そういうレトリックで独立革命を遂行したのだった。説教壇から政治的教説を宗教的レトリックにくるんで発信してゆくという、福音伝道師の政治介入のパターンは、この時に確立をみたといってよい。

政教分離原則は、一方で教派教会間の信者獲得競争を激しくさせる結果となった。革命後、共和主義 (主権が国民にあり、国民の選んだ代表者たちが合議で政治を行い、国民が直接・間接の選挙で国の元首を選ぶことを原則とする政治形態) が新しい国民社会形成の原理とされ、急速に西部開拓が進行し、民主政が定着してゆくにつれて、宗教指導者たちは、この世俗社会の急速な拡大に対応させて、いかにして多数の信者を獲得し、信仰生活を維持・拡大していくべきかという課題に直面する。ここに来て信仰復興運動は西部の新開地を中心としてふたたび頻繁な熱狂的野外集会と大衆的回心という形をとって展開されてゆく。

この第二次信仰復興運動の特色は、それが現世社会のいろいろな共和主義的改革運動 (国民ひとりひとりの意向をよりひろく拾い上げて政策に反映させ、人権を拡充させ、そのようにして個々人の人生をより豊かにしてゆこうという主旨) と結びついた点である。女性選挙権運動、禁酒運動、学校改革、刑務所改革、そしてとりわけ奴隷制撤廃運動など、高い道義主義に貫かれた19世紀前半の社会運動は、信仰復興の盛り上がりという背景を抜きにしては考えられない。アメリカの福音主義復興運動は政教分離原則にもかかわらず「政治化」していったのであった。

福音主義キリスト教の「政治化」は、奴隷制を道義的悪と指弾する北部福音派と、奴隷制を南部固有の伝統的社会秩序として擁護する南部福音派との対立は、内戦(南北戦争)の勃発に先だって各教派内部の南北分裂を引き起こした。今日に至るまでの、南北両地域のキリスト教の性格の違いは、この時の分裂に起因しているところが少なくない。

(「アメリカ 過去と現在の間」/ 古矢旬・著)

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クェーカー教は広辞苑第五版によると、
「プロテスタントの一派であるフレンド派の別名。1650年頃、G.フォックスがイギリスで創始。人間の“内なる神の光”を信じ、個人を尊重する。個人の霊的体験を重視するために、長老と青少年保護にあたる監司のほかに職位はなく、洗礼や聖餐の否定、礼拝も無形式という教理を持つ。政治社会活動に熱心で、奴隷解放、平和運動に活躍、兵役にも良心的忌避を行う。信徒はイギリスやアメリカに多い。日本には1886年に伝わった。基督友会と称し、普連土(ふれんど、のもじり)女学校を経営」…という教派です。

もうひとつ、福音主義については広辞苑第5版はこう記述しています。
「聖書中心のプロテスタンティズム的思想。一般に、キリストの十字架による罪の赦しという福音を中心とし、伝承と祭儀のかわりに敬虔な心情と実践を重んじる運動・考えかた」。エホバの証人も遠くにはここにルーツがあるのかもしれませんね、この説明を読む限りは。

それはともかく、アメリカではこの福音主義的なキリスト教派・教会が根を張っていったわけです。政治的には政教分離が確立されて、教会は政治には直接関わりませんでしたが、思想的には近代的な人道主義に傾倒するようになりました。それは合理的・批判的または物質的な近代精神が人々に広がってゆくなかでどのようにしてキリスト教や教会が位置を占め、また拡大してゆくかという戦略という意味あいも多分にあったわけです。それは人道主義的な世俗の近代精神を聖書的レトリック(言い回し。修辞法)をつかって説明してゆくものでした。上記の例によると、ヨーロッパ、特にイギリスの支配からの自由を求めた人々の要求を、罪(=専制をも含む)からの自由ということばで言い表して、独立革命に精神的な影響力を及ぼそうとしたことなどに見られます。アメリカはイギリス国王による重い支配を独立革命によって切り断ったのでした。有名なトーマス・ジェファーソンによる独立宣言にはこのように書かれています。

「われわれは、自明の真理として、すべてのひとは平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を賦与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる。

また、これらの権利を確保するために人類のあいだに政府が組織されたこと、そしてその正当な権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる。

そしていかなる政治の形態といえども、もしこれらの目的を毀損するものとなった場合には、人民はそれを改廃し、彼らの安全と幸福とをもたらすべしと認められる主義を基礎とし、また権限の機構を持つ、あらたな政府を組織する権利を有することを信ずる。

永く存続した政府は、軽微かつ一時的の原因によっては、変革されるべきではないことは、実に慎重な思慮の命ずるところである。したがって、過去の経験もすべて、人類が災害の堪え得られるかぎり、彼らの年来従ってきた形式を廃止しようとせず、むしろ耐えようとする傾向を示している。

しかし、連続せる暴虐と簒奪(さんだつ)の事実が明らかに一貫した目的のもとに、人民を絶対的暴政(ルナ註:デスポティズム、とルビが振られている)のもとに圧倒せんとする企図を表し示すに至ったとき、そのような政府を廃棄し、自らの将来の保安のために、新たなる保障の組織を創設することは彼らの権利であり、また義務である。

これら植民地の(つまりアメリカ入植者たちの)隠忍した苦難は、まったくそういう場合であり、今や彼らをして、余儀なく、従前の政治形態を変革せしめる必要はそこから生ずる。大英国の現国王の歴史は、これら諸邦の上に、絶対の暴君制を樹立することを直接の目的としてくり返して行われた、悪行と簒奪の歴史である。

ゆえに、われらアメリカの連合せる諸邦の代表は全体会議に集合し、われらの志向の誠直を至高なる世界の審判者に希念しつつ、これら植民地の善き人民の名において、またその権能によって、厳粛に公布し宣言する。

“この連合せる植民地は自由にして独立なる国家である。また(権利として)然かあるべきである”。

この宣言の支持のためにわれわれは聖なる摂理の保護に信頼しつつ、相ともに、われらの生命財産および名誉を捧げることを誓う。

以上   (「世界人権宣言集」/ 高木八尺ほか・編)」

直接にはイギリスの「暴政」からの独立を宣言したものですが、キリスト教会はこれを宗教的にも解釈して、ヨーロッパ教会の腐敗からの自由という意味に受け止めたのでしょう。もともとアメリカ大陸に入植した人々はピューリタンでしたしね。つまりアメリカのキリスト教には、メジャー教会への強い反感、敵意、不信があるということです。そしてこれは福音主義キリスト教会の聖書中心主義を経由して、しっかりエホバの証人に継承されている、と言えるのではないでしょうか。「伝承を排し、敬虔な心情と実践を重んじる」という信仰形態とともに。もっともエホバの証人の「敬虔な心情と実践」というのも、かなり形式的で、メジャーな教会にも引けを取らないものですが。

ただエホバの証人は世俗的な人道主義には関わりません。だいいち関われませんわな…。甚だしく人道に反していますからね、いろいろな点で。しかし、19世紀前半の福音主義キリスト教の復興運動は、当時の人権拡張の思想を取り入れて、政治化していったのでした。政治化するというのがアメリカのキリスト教の特徴だといってよいのでしょう。これは後の、ネオコンと結びつく宗教右派を生みだす土壌でもあるのです。

ところで、上記の独立宣言、現役さんにゼヒ読んでもらいたいですね。
「そしていかなる政治の形態といえども、もしこれらの目的を毀損するものとなった場合には、人民はそれを改廃し、彼らの安全と幸福とをもたらすべしと認められる主義を基礎とし、また権限の機構を持つ、あらたな政府を組織する権利を有することを信ずる」…のくだり、ね。能無しのろくでもない長老は罷免すべきですよ。少なくともキリスト教徒には、「偽教師」に害されることなく信仰する権利がある、くらいの主張はできませんかねえ…。「はなのエホバの証人回想記」では、エホバの証人の男性は頼りない、って書かれてましたけど、ホントその通り。このくらいの自己主張はしなきゃ、ねえ。そう思いません?

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