Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

空へ

2021年03月07日 | Monologues

 

 

このブログを開設してからもう15年。

 

今日、還暦になりました。還暦になって思うこと。

 

「死」を現実的に感じるようになりました。

死は怖ろしい。食べたり、読んだり、知ったりすることから永遠に断たれる。

わたしの周りの人たちは、わたしの死を見とどけた後も、それぞれの楽しみのために、自分の場所へ帰ってゆくでしょう。

しかし、死んだ者はもう何にも与ることができなくなるのです。

そう、眠るときのように、目を閉じたあと、しかし再び朝の光を見ることはない。

わたしも去ってゆく。

 

時間が惜しい。読みたかった本を、生きているうちに読んでしまいたい。

長年勤めた会社を、明日辞することになります。

 

しばらく専業主婦やってから、ふたたびアルバイトをしようと思います。

長くエホバの証人の開拓奉仕をしていたので、年金などまともにありません。

夫に申しわけないので、健康ある限り、働き続けたいと思います。

 

 

去年だったかな、エホバの証人を脱会された方が、漫画の単行本を出されていました。

立ち読みしていたんですが、印象的だったのは、辞める決意をして集会へ行くと、

みんなの表情がつくられたものに見えて怖かったというシーン。

 

あの世界では、本音を言うと、霊的に弱って危険な人物の烙印が押される。

だから集会や信仰の同士に対しては、喜ぶ表情と温和な表情をつくっていなければならない。

長老やお局姉妹になればある程度そこが自由にはなりますが。

 

人間同士の親しさというのは、ほんとうの気持ちを分かち合うこと。

気持ちに共感しあうことが「親しい」ということなのです。

本音を隠して作られた表情で交流しても、そこに友情を感じることはないのです。

集会から帰ってきて、ふと独りになると、そこはかとなく疲労と孤独感を覚えるのです。

 

 

そういえば、コロナ禍の今、彼らはどうしているんだろう。

インターネットで集会しているんだろうか。

たまに王国会館、日曜日に見ることがあるけど、車は駐車していない。

韓国で、キリスト教の集会が大クラスターになったので、集会も伝道も控えているのだろうと思う。

 

 

ま、もう関心はないけどね。

季節は春。

静かな春を、いまは満喫しよう。

 

 

かつて脱エホバの証人の掲示板にいた方々も、無理に幸福になろうとしなくていい、

ネトウヨなんかにならないで、エホバの証人の経験から、寛容な人間になっていってほしい。

今の世の中で幸福になんかなれないから。

新自由主義というのは、

労働者の人権や暮らしを守るために設けられたさまざまな規制から

企業を自由にしようというもの。

企業が自由になればなるほど、わたしたちの自由と生存権は奪われてゆくからです。

 

 

もう一つ。

日本国憲法の13条で、すべての人は個人として尊重される、と規定されているのは、

人はそれぞれ違うのだから、違いを差別や攻撃の理由にするんじゃなく、

違いを受容して、違うからこそ、協議して違ったまま共同してゆくことをめざそうということなのです。

エホバの証人みたいな宗教にハマろうとするのは、

敵を共有することでつながろうとすること。

そんなつながりのなかでは、いじめや反目、みなとちがうことに恐怖する孤独は絶えることはない。

愛はたんなる「執着する力」。

一方に執着すれば他方を排除することになる。

愛だけではしあわせになれない。

人と人との平和は、違いを受容する寛容にこそかかっている。

 

 

 

 

 

 

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