Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

両側の暴力

2005年11月05日 | 一般



オベッド一家が暮らすファルージャ北東部のアスカリ地区が米軍によって包囲されたのは4月4日の夜中だった。

「米軍に包囲された状態で、24時間ずっと攻撃にさらされていました。わたしたちはこの家に閉じこもっていましたが、いつこの家が攻撃されるかと不安でなりませんでした。まず電気が切られました。米軍が発電機を破壊したからです。電気のない生活が何日も続きました。水は屋上のタンクに残っていたので、6日間もちました。こんなことが起こるとは思っていなかったので、市場で買いだめすることもできませんでした」。

「この間、すぐに攻撃は止むだろうか、どこへ避難すべきだろうか、と考えました。しかし娘たちのことを思うと、考え悩んでいる暇などないと思ったのです」。

オベッド未亡人はもし、米軍がこの家を攻撃してきて、子どもたちにもしものことがあったらと、不安に駆られ、一家そろって避難することを決意した。5人の息子と2人の娘に昼食を作って食べさせ、午後、家を出発する準備をした。家から街の中心地までの道路は米軍に封鎖されていた。

白旗をかかげた乗用車に家族ら8人が乗った。後部座席にはオベッド未亡人自身と娘フワイダ(15歳)、据え息子のラスール(8歳)とその姉が乗っていた。車は、家から10メートルほど離れた道路に出て反対側の路線へ向けてUターンをしようとした。その瞬間だった。50メートルほど離れた家の屋上にいた米軍の狙撃兵が一家の乗った車を後方から銃撃した。その時のようすをオベッドはこう語っている。

「銃撃によって車の後部ガラスは粉々に砕けました。前の席にいた子どものひとりは肩を、男性(運転手?)は頭部を撃たれ、銃弾の破片は今も頭部に残っています。フワイダとラスールは共に後頭部のほぼ同じ箇所を撃たれ、…(カット:あまりにもむごたらしい描写なので。)…」。

フワイダは即死だった。ラスールはまだ呼吸をしていた。急いで、病院となっていた診療所に直行したが、手当てのしようがなく、バグダッドの病院へ救急車で運ばれる途中、意気を引き取った。




囚人虐待の中でも深刻で、イラク人に限らずイスラム社会全体を激怒させ、反米感情を修復不能なまでに高めたのが、米兵による女性囚人のレイプ疑惑である。

刑務所体験を語った聖職者アブドゥル・カーデル・アルイサウィ師は、刑務所内で直接、目撃したわけではないとしながらも、「米軍のイラク人通訳やガードマンから、米兵が女性をレイプしている現場を目撃したと聞いた。私自身、アブグレイブ刑務所で、ある男の妻が下着一枚で男性囚人の前に連れ出された光景を目撃しているので、その話はありうることだと思います」と語った。

しかし、その被害者自身から直接証言を得ることは不可能に近い。たとえ本人に非はなくても、レイプされ妊娠した女性は「家族の尊厳を傷つけた」として父親や兄弟に殺害されかねないからである。聖職者たちでさえ、直接会って当人たちに事情を聞くことができないほどだ。

こういう状況の中で2004年2月、ある被害者からイスラム教の聖職者たちに救援を求めるメッセージが届けられていた。バグダッド市内ニューバグダッド地区の聖職者ウダイ・マハディ・アルオバイダ師によると、そのメッセージはアブグレイブ刑務所にいる女性からの「米兵に強姦され妊娠した」という訴えだったという。

「そのメッセージの中で『わたしはどうすればいいのですか。イスラムの教えに従えば、この問題をどう解決すべきか教えてください』と聖職者たちに訊いてきました。しかし、我々が答える前に、釈放された直後、その女性は家族によって殺されました」とアルオバイダ師は語った。「アラブ人やイスラム教徒の伝統では、女性にこのような事態の責任はなくても、その女性が殺されてしまう。事件がこの女性の将来にわたってつきまとう噂や、家族の不名誉などを断ち切るためです。しかしこれは女性の過ちではなく、米軍の責任なのです。わたしたち聖職者はあらゆる機会を利用して、被害者の女性を殺さないよう訴えているのですが」。

(「米軍はイラクで何をしたのか」/ 土井敏邦・著)

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ここではアメリカ軍が行ったことは横に置いておきます。なのにわざわざ引用したのは、わたしはアメリカのイラク侵攻に反対だったので、イラク戦争においてアメリカ軍のイラク侵攻に正当性があるかのように誤解されたくはなかったからです。わたしがここでみなさんに注目してほしかったのは、女性に対する甚だしい人権侵害のことです。「名誉の殺人」と言われていて、婚前の娘や、結婚している妻が結婚関係外で性交渉を持ったりした場合、家族の名誉を汚したという罪に問われ、地域社会で村八分にされる、だからその女性を家族で殺害する、そうすれば家族の名誉は守られ、地域社会で今までどおり暮らしてゆけるのです。この手の殺人は「名誉の殺人」と呼ばれているのです。この殺人は法律によってさえ守られているのです、中東では。


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ヨルダンでも他の国々(アラブ世界のいくつかの国々)と同様、全ての殺人罪は普通法により何年かの懲役が科されることになっている。しかし、そのかたわらに第97条と第98条として添えられているのが、「名誉の殺人」に関わる殺人の場合、寛大な刑罰がなされると明記されている条項なのだ。

(「生きながら火に焼かれて」/ スアド・<出現>・著)

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「出現(SURGIR)」は、「精神的にも身体的にも苦痛をかかえ、罪深い慣習に拘束されている世界中の女性たちおよびその子どもたちのためのスイスの福祉団体」で、「<出現>は女性たちを打ちのめしている不公平な因習と日々、必死に戦っている(前掲書)」団体です。「生きながら火で焼かれて」は、「名誉の殺人」を奇跡的に生き延びた女性の証言を聞き取って、著された本で、2003年にフランスで出版されると、すぐにベストセラーになりました。2005年現在、日本を含め22ヶ国語で翻訳されています。「スアド」は仮名です。未だに家族から手にかけられる危険があるからだそうです。「米軍はイラクで何をしたのか」で記録されているように、刑務所で保護されてはいたものの、「釈放されるとすぐに殺される」のです。何が何でも婚外交渉によって妊娠した女性は家族によって、親兄弟によって処刑されなければ、家族は地域から追放されてしまうのです。スアドはイラク女性ではありません。「シスヨルダン」というヨルダン近辺の国では、女性は人間とは見なされておらず、出産直後に女児であれば間引きされたり(他の女の子の見ている前で)、成長しても悪い噂が立つと殺されます。


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母は床に羊の皮を敷いて横になり、出産している最中だった。横には叔母のサリマがいた。母の叫び声に続いて赤ん坊の泣き声が聞こえてきたかと思うと、母はすぐさま上体を起こしてひざまずき、生まれたばかりの赤ん坊に羊の皮を押しつけた。赤ん坊が体をばたつかせるのが見えた。しかし、すぐに動きは止まった。次に何が起こったのかはわからない。赤ん坊は家からいなくなった。恐ろしさに自分が呆然としていたのを覚えている。

母が出産と同時に窒息死させたのは女の赤ん坊だった。一度ではない、二度目のときにもわたしはその現場にいた。長女のヌーラが母親にこう言っているのも聞いた。「もし女の子が生まれたら、わたしも同じことをするのね」(前掲書)

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スアドにはハナンという妹がいましたが、ある日より家から消えました。スアドは目撃していました。弟がハナンの首をしめて殺す現場を、です。こんなことを読めば絶句されるでしょう。いったいどういう因習なんだと。「生きながら火に焼かれて」の前書きには、このように要約されています。


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女の子には学校に通う権利はない。そもそも、権利と呼べるものなど何ひとつない。ひとりで歩く自由さえ与えられない。わたしが生まれた村では、女の子として生を享けること自体が不幸なことなのだ。男たちが勝手に定め、盲目的に守り続けてきた法に従い、朝から晩まで家事、畑仕事、家畜の世話を奴隷のように黙々とこなし、十代の後半にさしかかる頃には親の決めた相手と結婚し、夫となった者に服従しながら男の子を産まなければならない。女の子ばかり産んでいると夫から捨てられる。娘は2,3人いてもいいが、それ以上は必要ない。

結婚前に男の人とつきあうことなど論外だ。視線を合わせたり話しをするだけで「シャルムータ」、つまり娼婦のようにみなされ、「名誉」を汚された家族はそのままふしだらな娘をほうっておけば、村八分にされ、ついには村から追放されてしまう。そこで名誉を挽回するため、実の娘を処分することになる。両親および息子たちのあいだで家族会議が開かれ、いつ、どこで、どんな方法で、誰が死刑を実行するかが決まる。

わたしは17歳くらいの頃、ある男の人に恋をした。好きになった気持ちはどうすることもできなかった。家を出て結婚したい、その一心で家族に嘘をつき、隠れて彼と逢った。たった数回の秘密のデート。その結果、わたしは家族の手によって火あぶりにされることになったのだ。(前掲書)

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この度、「米軍はイラクで何をしたのか」というブックレットを読んでいたら、この本で告発されていた習慣が、さも当たり前のことのように、イラク人によって語られているのを目にして、思い出したのです。冒頭に引用したところによると、

「そのメッセージの中で『わたしはどうすればいいのですか。イスラムの教えに従えば、この問題をどう解決すべきか教えてください』と聖職者たちに訊いてきました。しかし、我々が答える前に、釈放された直後、その女性は家族によって殺されました」とアルオバイダ師は語った。「アラブ人やイスラム教徒の伝統では、女性にこのような事態の責任はなくても、その女性が殺されてしまう。事件がこの女性の将来にわたってつきまとう噂や、家族の不名誉などを断ち切るためです。しかしこれは女性の過ちではなく、米軍の責任なのです。わたしたち聖職者はあらゆる機会を利用して、被害者の女性を殺さないよう訴えているのですが」。

…とあります。「アラブやイスラム教徒の伝統によれば」、婚外交渉によって妊娠した女性は「殺される」。なぜって、「その女性の将来にわたって噂がつきまとい、家族の不名誉を断ち切る」ためだ。しかし「これは女性の過ちではなく、米軍の責任なのです。だから被害者の女性を殺さないように訴えている」と言います。ではレイプしたのが米軍の兵士じゃなかったら、黙認したのでしょうか。ヨルダンの法律の第97条と第98条によると、黙認されるのです。

侵攻した米軍も野蛮であれば、侵攻された地域も野蛮。これってほんとうにイスラムの教えなのでしょうか。もしそうなら、とてもイスラムに共感なんてできません。ところで、中東では昔から女性の恋愛は抑圧されてきた歴史があります。聖書にも婚外交渉に対して死刑が執行される規定があるのです。





つづく
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2 コメント

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イスラム教徒は悪魔 (モハンマド)
2017-02-15 21:19:22
イスラム教徒というのは、イスラム教徒によって強姦された女子の子孫です。何の生きている値打も有りません。
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モハンマドさん (ルナ)
2017-03-12 23:38:42
イスラム教徒でひとくくりにするのはどうかな、と思います。過激派の無差別殺人は許せませんけどね。それと妙な宗教的偏見には反対です。
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