Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

「いないことにされる私たち」の目立った点(1)

2021年04月14日 | 「令和」という時代の風景

 

 

 

--- なぜヨーロッパのように大学無償化ができないのですか?

 

「財政的に大学の学費を出すまでのお金はないよね」

 

 教育に対する公的支出は日本はOECD(経済協力開発機構)の加盟国中最低で、高等教育の家計負担の割合が大きい。お金がないのではなく、政府が税金を教育に使っていない。
--- 諸外国に比べて、教育にかけるお金が少なすぎます。

 

「だってみんな大学に行ったら、ブルーカラーの人がいなくなっちゃうでしょう」

 

--- ブルーカラーの給料や待遇を上げて、ブルーカラーに就きたい人が選ぶようにすればいいのではないでしょうか。介護職の人の低待遇が問題になっています。さらに国は、国の介護費用や医療費を減らそうとしています。

 

「もう国は面倒見きれないよ。家で見てもらうしかない。昔の日本はそうしていたんだ」

 

--- いま女性は外で働いています。介護で辞めざるを得ない人たちがいます。政府の女性活躍推進政策と逆行するのでは。

 

返事はなかった。

 

 

既得権益が守られ、経済的に恵まれていない人たちが這い上がることができない。格差を再生産する強固な仕組みはあまりに不公平だ。

 

 

(「いないことにされる私たち」/ 青木美希・著/ 「おわりに」より)

 


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こんな人間が、有識者として教育再生実行会議委員を務めている。こんな人たちを政治の場所から追放すれば、こんな政策は実行されなくなります。選挙なのです。自分の暮らしを向上させるのは選挙なのです。

 

 

 

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夫婦別姓こそ日本古来の伝統でした

2021年03月07日 | トリビア

 

 

 

「選択制」だと言っているのに、家族が壊れるだの意味不明なことを言って夫婦別姓制度に反対している日本会議系議員たち。しかし歴史を調べると、夫婦同姓は日本の伝統どころか、古来の日本の伝統を打ち破って、明治時代に無理くり導入されたものであることがわかります。今日日本会議系が日本の伝統だと言っていることの大半は同様に、明治時代につくり出されたものです。

 

 

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 旧(民法)法典において初めて一夫一婦と夫婦同姓の原理が明確に打ち立てられた。古来わが国では婦女は終生、生家の姓を名乗り、婚姻において特に姓を改めなかった。すなわち、夫婦は家籍を同じくしながら、その姓を異にするのが明治初中期までの日本一般の習わしであった。

 

 しかるに、重婚の排除、婚姻当事者の自由意志・自由承諾の理を法的に明確化(旧民法・人事編56条)して、法律上完全な一夫一婦制を確立した旧民法法典は、夫婦の姓の点においても伝統を破って、妻は夫の姓を名乗るべきものとした(同・人事編243条)。

 

 夫婦一体的キリスト教法理の影響を受けた新立法で、身分法上の一つの革命であったが、民法典論争(※)の当時の延期派が「耶蘇教以後の婚姻中心のヨーロッパ法制を導入したものとして、その旧法典を激しく攻撃した理由は、かかる一夫一婦制法制化・夫婦同姓原理確率の点にあったと思われる。

 

 

 

(「民法典論争資料集」/ 星野通・編著/ 松山大学法学部・松大GP推進委員会・増補より)

 

 

 

 

※民法典論争

 

法典論争の一つとして、民法相続編、親族編における「家」制度と近代法の関係をめぐって行われた論争。1891年法学者、穂積八束(ほづみやつか)が、論説「民法出でて忠孝亡ぶ」を発表。

 

わが国は祖先教=家制が国家の基礎であるという理由をもって家族関係を法律で律するということを排撃した。
これを契機に、家制度の重視、淳風美俗(じゅんぷうびぞく)維持の声が高まり、帝国議会において、家督相続や血統重視を唱える民法実施延期派と、妻や子にも一定の権利を認めることを主張する実施派・梅謙次郎らとの激しい論争となった。

 

論争は1892年11月、延期の決定により終結したが、家制度重視は明治民法のなかに色濃く盛り込まれた。

 

 

(「岩波・日本史辞典」より)

 

 

 

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2021年03月07日 | Monologues

 

 

このブログを開設してからもう15年。

 

今日、還暦になりました。還暦になって思うこと。

 

「死」を現実的に感じるようになりました。

死は怖ろしい。食べたり、読んだり、知ったりすることから永遠に断たれる。

わたしの周りの人たちは、わたしの死を見とどけた後も、それぞれの楽しみのために、自分の場所へ帰ってゆくでしょう。

しかし、死んだ者はもう何にも与ることができなくなるのです。

そう、眠るときのように、目を閉じたあと、しかし再び朝の光を見ることはない。

わたしも去ってゆく。

 

時間が惜しい。読みたかった本を、生きているうちに読んでしまいたい。

長年勤めた会社を、明日辞することになります。

 

しばらく専業主婦やってから、ふたたびアルバイトをしようと思います。

長くエホバの証人の開拓奉仕をしていたので、年金などまともにありません。

夫に申しわけないので、健康ある限り、働き続けたいと思います。

 

 

去年だったかな、エホバの証人を脱会された方が、漫画の単行本を出されていました。

立ち読みしていたんですが、印象的だったのは、辞める決意をして集会へ行くと、

みんなの表情がつくられたものに見えて怖かったというシーン。

 

あの世界では、本音を言うと、霊的に弱って危険な人物の烙印が押される。

だから集会や信仰の同士に対しては、喜ぶ表情と温和な表情をつくっていなければならない。

長老やお局姉妹になればある程度そこが自由にはなりますが。

 

人間同士の親しさというのは、ほんとうの気持ちを分かち合うこと。

気持ちに共感しあうことが「親しい」ということなのです。

本音を隠して作られた表情で交流しても、そこに友情を感じることはないのです。

集会から帰ってきて、ふと独りになると、そこはかとなく疲労と孤独感を覚えるのです。

 

 

そういえば、コロナ禍の今、彼らはどうしているんだろう。

インターネットで集会しているんだろうか。

たまに王国会館、日曜日に見ることがあるけど、車は駐車していない。

韓国で、キリスト教の集会が大クラスターになったので、集会も伝道も控えているのだろうと思う。

 

 

ま、もう関心はないけどね。

季節は春。

静かな春を、いまは満喫しよう。

 

 

かつて脱エホバの証人の掲示板にいた方々も、無理に幸福になろうとしなくていい、

ネトウヨなんかにならないで、エホバの証人の経験から、寛容な人間になっていってほしい。

今の世の中で幸福になんかなれないから。

新自由主義というのは、

労働者の人権や暮らしを守るために設けられたさまざまな規制から

企業を自由にしようというもの。

企業が自由になればなるほど、わたしたちの自由と生存権は奪われてゆくからです。

 

 

もう一つ。

日本国憲法の13条で、すべての人は個人として尊重される、と規定されているのは、

人はそれぞれ違うのだから、違いを差別や攻撃の理由にするんじゃなく、

違いを受容して、違うからこそ、協議して違ったまま共同してゆくことをめざそうということなのです。

エホバの証人みたいな宗教にハマろうとするのは、

敵を共有することでつながろうとすること。

そんなつながりのなかでは、いじめや反目、みなとちがうことに恐怖する孤独は絶えることはない。

愛はたんなる「執着する力」。

一方に執着すれば他方を排除することになる。

愛だけではしあわせになれない。

人と人との平和は、違いを受容する寛容にこそかかっている。

 

 

 

 

 

 

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千葉 野田 小4女児虐待死 対応記録した資料開示 経緯明らかに

2020年01月27日 | 平成日本の風景

 

 

 

千葉県野田市で小学4年生の女の子が虐待を受けた末に死亡した事件から24日で1年です。NHKの情報公開請求で児童相談所の対応を記録した資料の一部が新たに開示され、誤った状況判断のもとで不適切な対応がとられた経緯が明らかになりました。

 

 

 

去年の1月24日、千葉県野田市の小学4年生栗原心愛さん(10)が浴室で死亡しているのが見つかった事件では父親の勇一郎被告(42)が傷害致死などの罪で起訴され、来月21日に初公判が開かれるほか、32歳の母親が虐待を止めなかったとして執行猶予の付いた有罪判決が確定しています。

 

この事件では心愛さんが被害を訴えたアンケートのコピーを教育委員会が親に渡すなど、不適切な行政の対応も明らかになりました。 このうち児童相談所の対応についてNHKが県に情報公開請求したところ、対応をまとめた「児童記録」の一部が新たに開示されました。 資料には事件の1年余り前に児童相談所が一時保護したものの、1か月半で解除した理由について「安全に生活できる環境が整えられた」などと記されています。

 

しかしそのわずか2か月後には、勇一郎被告が担当者に対し 「これ以上、家庭をひっかきまわさないでほしい」 とか 「訴えることも検討している」 などと敵対的な発言を繰り返していたことが記録されているほか、「一時保護解除時の約束が守られていない」 という記述も確認できます。 こうした記録からは児童相談所が誤った判断のもとで不適切な対応をとり、心愛さんを取り巻く状況が悪化していったことがうかがえます。

 

県の検証委員会は一連の関係機関の対応について「不十分、不適切だった」と指摘していて、今後、再発防止に向けた実効性のある取り組みをどう進めていくかが問われています。

 

 

 

■検証の専門家「父親の言いなりになってしまった」

 

今回の事件で行政の対応を検証した千葉県の第三者委員会の副委員長を務めた東京経営短期大学の小木曽宏教授がNHKの取材に応じました。 このなかで小木曽教授は敵対的な姿勢を取る父親を前に、関係機関が不適切な対応を繰り返したことについて 「教育委員会によるアンケートの開示など、子どもの権利を守る側が決して、してはならないことが行われた。こうした対応を疑問に思わなかったことを含め、父親のペースに完全に巻き込まれ、要求に従ってしまったと感じる。また父親から組織ではなく職員個人の責任を追及することを示唆され、言いなりになってしまった。そうした中で、女の子が発したSOSは見逃されてしまった」 と指摘しました。

 

また 「現場職員の専門性の確保や養成が十分ではなく、事案の重大性の見立てやリスクアセスメントが正しくできていないことは根本的な問題だ」 と述べ、現場で対応にあたる職員の知識や対応能力が十分なレベルに達していないことが不適切な対応の背景にあると指摘しました。  そのうえで今後取るべき対策について 「児童相談所などの人員を増やすだけではなく、職員の専門性を高めるための研修が必要だ。単に研修を受ければいいということではなく、効果を検証し、その結果を次の研修に生かしていくことが重要だ」 と述べました。

 

 


■有識者委「頼れる大人が1人でもいたら救える命だった」

 

千葉県とは別に、教育委員会などの対応を検証してきた野田市の有識者委員会は23日、報告書を公表し 「頼れる大人が1人でもいたら救える命だった」 と当時の対応を批判しました。 報告書の中では、心愛さんが被害を訴えたアンケートのコピーを父親に渡した教育委員会の対応について「子どもへの裏切り」で、「子どもの権利に対する意識の低さは非常に大きな問題だ」 と指摘しました。

 

また父親に迎合した教育委員会や学校の関係者がいたとして 「子どもより自分や組織を優先させていると言われても仕方がない」 と厳しく批判しています。 さらに市については関係機関の要として積極的に動くべきだったのに協議の場を設けないなど、対応に問題があったとしています。 そのうえで 「女の子は公的機関の大人を信頼することができなかった。頼れる大人が1人でもいたら救える命だった」 と指摘しています。

 

 

■事件の経緯

 

小学4年生だった栗原心愛さん(10)が自宅で亡くなったのは去年1月24日の夜でした。 父親から 「浴室でもみ合いになった娘が呼吸をしていない」 と110番通報があり、警察と消防が駆けつけたところ自宅の浴室で倒れて死亡していました。 警察は冷水のシャワーをかけるなどの暴行を加えたとして父親の勇一郎被告(42)を傷害の疑いで逮捕しました。10日後には暴行を止めなかったとして母親も逮捕し、心愛さんが日常的に虐待を受けていた疑いがあるとみて捜査を進めました。 その結果、勇一郎被告が心愛さんに胸の骨を折るなどの大けがをさせるなど、たびたび虐待を加えていた疑いがあることがわかりました。

 

さらに虐待と心愛さんの死因との関連について捜査が進められ、検察は食事や十分な睡眠を取らせず、シャワーを浴びせ続けるなどの暴行を加えたことによって死亡したとして、去年3月、勇一郎被告を傷害致死などの罪で起訴しました。 一方、母親は夫の暴行を止めなかったなどとして傷害ほう助の罪で起訴され、すでに執行猶予の付いた有罪判決が確定しています。 父親の勇一郎被告については来月21日に初公判が行われる予定です。

 

 

 

NHK NEWS WEB 2020年1月24日 5時31分

 

 

 

 

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日米の貿易交渉を検証する~日米貿易協定の実態・日米FTA交渉の行方(2)

2019年12月12日 | 「世界」を読む

 

 

 

■「体制とりつくろい」のウソの数々

 

「切れ者」と称される茂木敏充前経済再生相(現外相)のもとで、「アメリカの言い分は全部飲みます。ただ、体制だけは繕ってください」(ネットへの揶揄を込めた投稿記事)と言われるほど、体制とりつくろいの悪知恵もしくは猿知恵がふんだんに盛り込まれたのが、今回の合意の特徴であった。ここでは、国会論戦の争点にもなった諸点について、ウソと猿知恵を暴くことを通じて、日米貿易協定の正体を浮き彫りにしたい。


□「自動車関税撤廃」のゴマカシ

 

アメリカはTPPで、自動車関税(2.5%)を25年、トラック関税(25%)を30年かけて撤廃し、自動車部品の8割を即時撤廃することを約束していた。しかし、日米貿易協定では、これは反故にされた。

 

政府は合意直後の説明文書では、自動車・同部品については「米国附属書に『さらなる交渉による関税撤廃』と明記」としたが、協定署名直後の10月18日の説明文書では「米国附属書に『関税の撤廃に関して更に交渉』と明記」とひそかに書き換えていた。

 

実際、公表された協定文に書いてあるのは「自動車・同部品の関税の撤廃については、今後のさらなる交渉次第である」ということだけである。しかも、この部分はいまだに翻訳は公表されていない。

 

「TAG」で使われた翻訳偽装の手口は使えないので、今度は合意直後には唯一の情報発信元だった政府説明文書を偽装したのである。

 

しかも政府は、自動車・同部品の関税が撤廃されたことにして「GDPが0.8%押し上げられる」という試算を発表しているが、鈴木宜弘教授の試算によれば、GDPは0.09%~ -0.07%と、ほぼゼロかマイナスになる(「農業協同組合新聞」2019年11月14日付け)。

 

また、自動車・部品関税を撤廃しなければ、アメリカは50%台の自由化率にとどまり、日米貿易協定はWTO(世界貿易機関)違反になって、無効な協定になるが、それを避けるために「さらなる交渉による撤廃」という空手形を織り込んでアメリカの自由化率92%をデッチあげた。

 

偽造・捏造はこの政権の常とう手段であるが、ひどすぎる。

 

□「追加関税なし」のゴマカシ

 

安倍政権を日米貿易交渉に引きずり込んだのは「自動車追加関税25%」の脅しだった。首相は、トランプ大統領の口約束をあてにして「追加関税なし」を勝ち取ったと言いわけしている。野党が「それなら首脳会談の議事録を公開しろ」と要求したが、政府与党はこれを拒絶したまま採決を強行した。

 

「追加関税なし」の根拠になっているのは、「協定が誠実に履行されている間、協定及び共同声明の精神に反する行動を取らない」という共同声明の文言である。これは2018年の共同声明と瓜二つだ。しかしトランプ大統領は、共同声明後も「追加関税は最高だ!」と言い、日米が大筋合意した直後にも「私が追加関税をやりたいと思えば、後になってやるかもしれない」「究極の交渉カードは自動車だ」と言い放っている(「朝日」「読売」2019年8月27日付け)。

 

しかも、協定本文には「協定のいかなる規定も安全保障上の措置をとることを妨げない」と明記されている。「安全保障」はトランプ追加関税の最大の口実であり、トランプ大統領が、自動車への追加関税という強力な武器を振りかざしながら、「第2ラウンド」で「アメリカ第一主義」むき出しの日米FTAをゴリ押しすることは必至である。

 

 


「日米の貿易交渉を検証する」/ 真嶋良孝・農民運動全国連合会副会長
 / 「経済」2020年1月号より

 

 

 

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日米の貿易交渉を検証する~日米貿易協定の実態・日米FTA交渉の行方(1)

2019年12月12日 | 「世界」を読む

 

 

 

ウソを平気で重ねるのが「二枚舌」だが、この政権はいったい「何枚舌」なのか? 2012年の安倍政権成立時から簡単に振り返ってみよう。

 

ウソの始まりは、自民党が政権復帰することになった2012年12月の総選挙。「TPP断固反対!ウソつかない、ブレない自民党」のポスターが全国に張り巡らされ、江藤拓・現農水大臣も選挙広報に「TPP交渉参加には断固反対いたします!」と公約していた。

 

しかし、安倍首相が政権に復帰して真っ先にやったことは「TPP参加」だった。当時、「日本農業新聞」は、「国益に反する『壊国』協定参加に一片の大義なし。重大な公約違反であり、不信任に値する」と断じた。

 

第二のウソは、トランプ大統領が2017年1月にTPP離脱を表明した後、安倍首相は「アメリカにTPP復帰を促す。日米FTAは断固やらない」と強がってみせた。しかも安倍政権は「アメリカ抜きのTPPは無意味」「米国をTPPに呼び戻すメッセージ」と称してTPP11(11か国による協定)を主導した。

 

第三は、日米FTAそのものである日米貿易交渉開始を宣言した2018年9月の日米共同声明。政府は「TAG」(物品貿易協定)という新語まででっち上げ、安倍首相は「これは包括的なFTAとはまったく異なる」と強弁した。

 

そして今回。トランプ大統領は2019年9月26日の日米首脳会談で「かなり近い将来、日本との包括的な協定をまとめる」と強調し、ライトハイザー通商代表は2020年春以降に「第2ラウンド」に入ると述べて、本格的な日米FTA開始を宣言した。しかし、安倍首相はこれに一言も反論しなかった。その一方、国内向けには「新たな協定を結ぶか否かも含め予断をもって言うのは差し控えたい」(衆院本会議10月24日)と白々しい答弁を繰り返している。相手が「予断」を持ち、やる気満々なのが明白なのに、である。

 

要するに、「TPP断固反対」から「TPP参加」に転じ、トランプ大統領のTPP離脱表明後は❝留守番役❞としてTPPの延命を主導し、さらに「日米FTAは断固やらない」から、「TAG」なる翻訳捏造でごまかし、最後は「包括的な日米FTA」を受け入れようとしているのである。

 

このことは2019年9月26日の日米共同声明第3項から明白である。

 

「①こうした早期の成果が達成されたことから、日米両国は、②日米貿易協定の発効後、4か月以内に協議を終える意図であり、また、③その後、互恵的で公正かつ相互的な貿易を促進するため、関税や他の貿易上の制約、サービス貿易や投資に係わる障壁、その他の課題についての交渉を開始する意図である」(①②③は引用者・真嶋による)。
①安倍政権は農産物をめぐる日米貿易協定を「最終合意」と言い、これ以上の交渉はないかのように装っているが、共同声明では「早期の成果」にすぎないとされている。
②何の協議を「4か月以内に」終えるのか、文言は不明瞭だが、政府の説明によると③の交渉で取り扱う課題を協議するという。1月1日発効とすれば、4月までは協議を終え、ライトハイザー通商代表の言う「第2ラウンド」に突入する。この交渉では、「関税」や「他の貿易上の制約」、サービス・投資など、ありとあらゆる課題を取り上げることが共同声明で合意されているのである。これはコメを含む農産物の関税削減・撤廃や、医薬品・医療保険制度、食の安全基準などを含む本格的・包括的な日米FTAそのものである。
もっとも、茂木外相は「これは『意図』の表明にすぎず、今後の交渉次第」と弁明しているが、❝負け犬❞の遠吠えか、国民を欺く隠ぺいにすぎない。

 

 


■「交渉」とは名ばかりの「大統領向けセレモニー」

2018年9月の日米共同声明から1年、2019年4月の閣僚協議開始からわずか半年、異例の超短期で決着した日米貿易交渉における安倍政権の意図は、日本の農産物を差し出して、対米自動車輸出権益を守るというもののはずだった。しかし、「牛を取られて車は取れず」---日本は牛肉、豚肉などの関税を大幅に引き下げるTPP合意のほぼ完全実施の一方で、アメリカは自動車でTPP合意の完全拒否という一方的譲歩となった。

安倍首相は「日米ウィンウィン(双方の利益)の結果になった」「一方的譲歩という批判は当たらない」「日本の農業者にとって利益となる協定」と強弁を続けているが、その空々しさ、破廉恥さは「桜を見る会」「森友・加計問題」での弁明と同列である。

鈴木宜弘東大教授は「トランプ大統領の選挙対策のためだけの『選挙対策協定』だ」と喝破しているが、実際、カウボーイハットをかぶったアメリカの農業団体代表を首脳会談と署名式に同席させ、トランプ大統領が「米国の農業にとって巨大な勝利」と勝ち誇ったことに象徴されているように、「交渉」とは名ばかりの「大統領選向けセレモニー」(北海道新聞)だった。

 

 

 

 

 

 

「日米の貿易交渉を検証する~日米貿易協定の実態・日米FTA交渉の行方」/ 真嶋良孝・農民運動全国連合副会長/ 「経済」2020年1月号より

 

 

 

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「青空の翳り」

2019年03月27日 | 脱アダルトチルドレン!自由に生きる!

 

 

 

 

うらうらに 照れる春日に 雲雀(ひばり)あがり 情(こころ)悲しくも 独りおもえば

                                            大伴家持・作 万葉集

 

 

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作者はなにを思い悩んで悲しんでいたのかは知らないですが、

2019年3月27日の春の陽気と柔らかな色の青空をみていると、

わたしはふと寂しくなりました。

 

気持ちはいまでも若いつもりですが、

年齢を重ねて、今は、やがて自分も死んでゆくんだということに気づくからです。

太田裕美が「青空の翳り」という歌で歌ったとおり、

春の空は、ひとに寂しい気持ちを起こさせる。

 

ちょっとした病床に就くと、生計を立てるためだけに生きていることが

どうにも耐えられなくなる。

悔いのない人生をおくるためには、

わたしはもっともっと余暇が欲しい。

生きている間に読んでおきたい本が山ほどある。

そんな暮らしができるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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日本を荒廃させたカルロス・ゴーンのたそがれ

2019年02月13日 | 「世界」を読む

 

 

 

 

 

「私は日産のために全力を尽くした」
「私は人生の二十年間を、日産の復活に捧げてきた」
2019年1月8日、金融商品取引法違反で逮捕拘留されていたカルロス・ゴーン元会長は公に顔を見せたときこう豪語しました。

 

前世紀末に日産の危機を救うべくルノーから派遣された「コストカッター」に異名をとるカルロス・ゴーンが打ち出した「日産リバイバルプラン」は生産を増やすことによって「リバイバル」を図るものではなく購買コストと人件費の大胆な削減によって利益を出そうとするものでした。2001年度末に過去最高の営業利益を上げることに成功したとき、ゴーン元会長自身がこう述べたのです。
「私のリバイバル・プランは成長による業績への貢献はいっさい前提にしていません(2001年10月18日、ゴーン社長スピーチより/ 「前衛」2019年3月号、「カルロス・ゴーンはなにを壊したのか」・湯浅和己・著より)

 

上記記事によれば、リバイバル・プラン一年目には、協力企業と呼ばれる下請けの部品供給企業を30%に及ぶ335社を取引停止として切り捨て、サービス・サプライヤーと言われる関連企業は40%削減、従業員も1万4200人を純減させました。2000年度営業利益2903億円のうち2870億円が購買コスト削減によるものでした。

 

2001年度も同様。この年度の営業利器増加のほとんどは下請け企業と労働者を犠牲にしたものでした。
「2001年度も購買コスト削減は収益改善に最も重要な役割を果たしました。…(中略)… 2001年度の購買コスト削減9%は2450億円の増益要因となりました」(ゴーン元会長、2001年度決算発表にて)。

 

2002年度には、予定より一年早く「日産リバイバル・プラン」の目標達成したゴーン元会長は新しい事業計画「日産180」を打ち出し、今後三年間で購買コストをさらに15%削減すると公表。その結果としてゴーン元会長は、「営業利益に最も寄与したのは、引き続き購買コストの改善だった。2001年度との比較で営業利益は約2500億円の増加だったが、そのうち購買コストの削減は2270億円の増益をもたらした」と話しました。日産の再建とは要するに人件費・購買コスト削減という社会を荒廃させるものでしかなかったのです。

 

2003年3月の参議院予算委員会で、日本共産党の池田幹幸参議院議員(当時)が日産の大リストラ問題を質問しています。その中で、25億円の負債を抱えて倒産した日産の二次下請け企業を以下のように取り上げました。

 

 

 

(以下、引用)----------------------------

 

 

リヴァイバル・ウラン発表から約一か月後、日産の一次下請けの愛知機械が二次下請け三十社を集め、向こう三年間で25%の購買コスト低減にご協力をお願いしたいと言った。結局、売り上げの四分の三を日産グループに依存しておるこの二次下請け企業は、もうまさに、(コストカット要請を)受けるも地獄、受けないも地獄という状況だったというふうに言っております。この会社は一年後に倒産したわけです。

 

結局日産はこういった状況に下請け企業を追い込んでいる。日産のこの『下請け企業を潰していく』というやり方を、政治は是正してゆく責任がある。

 

一将功なりて万骨枯れる、と言いますけれども、企業は助かったけれども、日本、国民経済的にはマイナスになったという状況があるのだということを私は強調したい。やはりV字回復が国民経済の回復には役立っていません。結局、大企業に身勝手なリストラに対しては規制してゆくべきだと思います。

 

リストラ、人減らしを推進する『効率の良い』一部企業が日本経済を舵取るのがいいのか、それとも、既存の企業、下請けも含めて支援をし、失業者を増やさない形で日本経済を支えてゆくのがいいのか、その答えは明らかだと思います。そういう点では政府の責任というのは非常に大事だ、少なくともリストラ支援政策というようなものはやめるべきだということを申し上げて、質問を終わります。

 

 

(池田幹幸参議院議員・日本共産党による2003年参議院予算委員会における質問/ 「前衛」2019年3月号・「カルロス・ゴーンはなにを壊したのか」. 湯浅和己・著より)

 


----------------------------(引用終わり)

 

 

 

2017年、日産は偽装を発覚させました。完成車両の検査を無資格者が行って資格を持っている人の名をかたって合格印を押印したのです。翌年夏には排ガス・燃費測定での不正検査が露見しました。さらに同年秋に、日産は200億円の申告漏れを国税庁から摘発されます。それは、長年にわたる人間犠牲の結末でした。同記事はこう続けています。

 

 

 

(以下、引用)----------------------------

 

 

日産が2018年9月に公表した不正検査についての報告には、
「日産では1990年代後半ごろから、日産リバイバル・プランが始動するなど、各車両製造工場におけるコスト削減が重要視されるようになったこととも重なり、技術員の異動はコスト削減策の一環としても位置付けられるようになった。現在の日産車両製造工場においては、完成検査を軽視する風潮が蔓延していることがうかがわれた。コスト削減の結果、車両製造工場がその生産性を健全に維持するために不可欠な要素が削減されることになるのは本末転倒である」と記載されています。

 

「ゴーンの経営が長く続く中で『ファンド体質』『投資体質』に変化してきたことが、根本の原因と考えるべきである」との指摘もあります。

 

 

(同上)

 

 

----------------------------(引用終わり)

 

 

 

まさに、コストカット、人件費カットとは安全より利益という考え方につながるのです。こんなやり方で会社の「再建」を急ぐのは、株主への配慮も大きいでしょう。会社は株主のものではない、かつては勢力を持っていたこの考え方をもういちどコモンセンスにしなければならないのではないかと思います。この記事は最後にこう締めくくっています。

 

 

 

(以下、引用)----------------------------

 

 

安倍首相は内閣官房長官時代の2006年、「ゴーンさんが果たした役割は大きい。ゴーンさんの出現により我々の認識は変わったように感じます」と評価しましたが、今やその評価が過ちであったことは明白です。

 

ゴーン容疑者のもとで、日産は国内生産台数を1998年度の1,528,000台から、2017年度の986,000台へと、19年間で35%も減少させています。同じ時期に国内の関連会社も514社(連結子会社と持分法適用会社)から103社へ、実に8割も削減しています。

 

「ゴーン氏は日本を強欲な株主資本主義モデルに作り替える尖兵になった。株主資本主義モデルは日本経済を慢性デフレに陥れた(産経新聞特別記者・田中秀男氏)」の指摘のように、ゴーン容疑者は、下請け切り、労働者・派遣切りを広げ、日本を長期不況の泥沼に突き落とし、日本経済を破壊しました。ゴーン容疑者を持てはやし、ゴーン流のリストラ・下請けカットを推進している自民党の責任も問われなければなりません。

 

 

(同上)

 

 

 

 

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「軍事で国は守れない」~神奈川県基地シンポジウムから

2019年01月13日 | 「市民」のための基礎知識

 

 

 

「軍事で国は守れない」~神奈川県基地シンポジウムから

 

 

 

孫崎(享)です。よろしくお願いいたします。
今日は(米軍)基地の問題を取り上げるということですが、私は根本的な問題である、「軍事力で国は守れない」ということを申し上げたいと思っております。

 

この問題は、第二次世界大戦のあと、新たに起こったことだと思います。私たち人類は歴史を重ねてきましたけれども、軍事力で自分たちを守れないという事態はなかったと思います。それは核兵器とミサイルという二つの兵器の問題があって、この兵器の破壊力があまりにも大きすぎるということから、新しい時代に入ったのだと思います。ただ日本は核兵器を持っていませんし、基本的に攻撃型ミサイルも持っていませんから、この軍事情勢をあまり勉強してこなかった。そのことは、軍事力の限界というものを実はあまり知らないし、考えてこなかったのだろうと思います。右派グループは、しばしば「平和的な手段で日本の安全を確保する」などは「お花畑の議論」と言いますが、私はむしろ、軍事力で平和が確保できるというほうが「お花畑」だと思っています。

 

 

 

■ミサイル防衛はできない

 

相手を攻撃するいちばんの根幹はミサイルですから、ミサイルというものはどういうものであるかを考えてみましょう。

 

ミサイルはたいへんな高速で飛んできます。ロシア、あるいは中国がアメリカに発射したとすると、それが標的に向かって落ちてくるときには秒速8000メートル、北朝鮮のミサイルが日本に落ちてくるときには秒速2000~3000メートルだと言われています。これを迎え撃つと言われ、日本に置かれているPAC3の秒速はマッハ5と言われていますから、秒速1800メートルぐらいです。つまり、落ちてくるミサイルのスピードが迎え撃つミサイルよりも速いのです。

 

いちばんの大きい問題は、たとえばPAC3を配備しましても、この射程距離は15~20キロメートルです。飛んでくるミサイルを80度の角度で迎え撃ちます。射程距離15~20キロメートルですから、実は守っている地域は半径2~3キロメートル(cos80°×15キロメートル=2.60キロメートル、cos80°×20キロメートル=3.47キロメートル)くらいしかありません。だから東京市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地にPAC3を配備しても、国会議事堂も首相官邸も、銀座も新宿も丸の内もどこも守っていないのです。

 

もうひとつ、非常に重要なポイントは、仮に北朝鮮などからのミサイルが日本に来ると想定した場合、日本の経済、社会、政治の中心地を狙って撃ってくるということになりますが、どのポイント、どの地点に落ちてくるのかはわからない。国会議事堂や首相官邸を狙っているかもしれないし、霞が関の官庁を狙っているかもしれない。このどこにミサイルが飛んでくるのかわからないのです。ミサイルがどこに飛んでくるかわからなければ、相手のミサイルの軌道の計算ができませんから、ミサイルを迎え撃って落とすことはできないのです。

 

これから日本政府はいろんなところにミサイルを配備します。しかし、ミサイルは日本の社会と政治と経済の中心地を守るという意味ではまったく実効性はないということをまずお分かりいただきたいと思っています。

 

そうすると、「そんなことを言ってもミサイル実験は成功したという報道があるじゃないか」と言われます。私は1985~6年にハーバード大学国際問題研究所で研究していました。ちょうど1986年に、隣にあるマサチューセッツ工科大学でミサイル防衛のシンポジウムがありました。そこに、「一週間前にミサイル防衛が成功した」という米軍の大佐クラスの人が参加していました。「成功した」とはどういうことなのか。当時のソ連がアメリカをミサイル攻撃の対象としていたのには二つの種類があります。

 ひとつは、政治・経済・社会の中心地へのミサイル攻撃であり、
 もうひとつはアメリカの持つミサイルを破壊するというものです。

アメリカのミサイルを攻撃するということであれば、ミサイル基地めがけて撃ってくるわけですから、当然、ミサイルの軌道を計算できます。だから迎撃できるということなのです。しかし、政治・社会・経済の中心地を破壊しようとしたときには、軌道計算などできませんから、もはやミサイル防衛はありえないのです。これが今日みなさんにお分かりしていただきたいひとつです。

 

 

 

■米軍が日本のために戦い勝つというというシナリオはない

 

もうひとつ、基地の問題を考える上でぜひわかってほしいポイントが一つあります。

 

アメリカにランド研究所というのがあります。米国の軍事研究所の中でもっとも能力が高いといわれているところですが、ここで2015年に次のような報告が出ました。

 

どういう報告かといいますと、「台湾正面」と言っているのですが、尖閣諸島と思ってください。尖閣諸島の周辺で、米中が戦ったら、どちらが有利になるかというものですが、結論から言いますと、1996年の時点では、米軍が圧倒的に勝つ、2003年でも米軍が圧倒的に勝つが、2010年にはほぼ均衡、2017年(予測)には中国が優位、という分析結果を導き出しています。核兵器を使用しないという前提です。

 

これの意味するところはたいへんなことです。日米安保条約があって、日本にはさまざまの基地があります。その前提は、米軍は確実に日本を攻撃する国をやっつけられるということです。ところが、2017年に尖閣諸島周辺で戦ったら、アメリカは負けるという予想の報告書です。なぜこんな現象が起こったのか。日本には米軍の基地があり、その米軍が尖閣諸島で中国と戦ったら負けるということはたいへんなことです。このことはほとんど日本では議論されていないのです。

 

それはさっき言ったミサイルと関係しています。中国はいま人工衛星を飛ばせるようになりました。人工衛星を飛ばせるということは、ミサイルの技術がたいへんに発達したということです。めざす地域に、10センチ、20センチ単位の誤差でしか狂わない、人工衛星を打ち上げられるということはそれくらいの技術を持っているということです。そうするとどうなるかというと、米軍基地の滑走路を攻撃すればいい、ということになります。アメリカは優秀な戦闘機を持っていますから、中国と(空中戦を)戦ったらたぶんアメリカの戦闘機が勝つでしょう。その戦闘機がどこから飛び立つのかといえば、尖閣諸島で戦って給油なしに基地に戻ってくることのできるのは沖縄の嘉手納基地しかありません。ということは、嘉手納基地の滑走路を壊せば、米軍の戦闘機は飛び立つことはできません

 

中国は米軍基地を攻撃できる中距離弾道ミサイル、短距離弾道ミサイル、巡航ミサイルを1200発以上持っていると言われます。ということで、もはや米軍が日本のために戦って勝つ、というシナリオはないのです。

 

 

 

■基地負担は米軍が払うと定められている

 

そうすると、なぜ尖閣諸島で勝てない米軍を置いているのか。沖縄にいる米軍の中心は、海兵隊です。しかし、海兵隊はもともと沖縄を守る部隊ではありません。その海兵隊を沖縄に置いている理由はきわめて単純だと思います。沖縄においておけば海兵隊の費用の7割は日本政府が払ってくれる。フィリピンであれば、フィリピン政府は、(フィリピンに)米軍基地を置くのであれば、当然米軍に、費用を負担しせなさい、と言います。しかし、日本であれば、日本政府は基地費用の7割を負担してくれるわけですから、米軍にとってみれば、これほどありがたいことはありません。

 

それでは、日米地位協定では、基地負担をどのように書いてあるでしょうか。日本が持つのは25%か、50%か、75%か、100%か。答えは、実はゼロなのです。

 

基地の問題について関心がある方でも、ゼロと思っている人は少ないと思います。しかし、日米地位協定には24条で、「日本国に合衆国軍隊を維持することに伴うすべての経費は、(2)に規定するところにより、日本国が負担すべきものを除くほか、この協定の存続期間中日本国に負担をかけないで合衆国が負担することが合意される」と、基本的に在日米軍基地の経費は米軍が自分で払うと書いてあります。ところが、日本が米軍の基地の負担をしなければならないと地位協定で義務づけられていると思わされている。いかに「洗脳」がすすんでいるか、ということです。

 

私は、この問題は、非常に深刻な意味合いを持っていると思っています。そもそも、米軍がなぜ日本にいるかといえば、米国の世界戦略のためにいるわけです。考えてみれば、横須賀にアメリカ第7艦隊の旗艦船がいます。なぜ横須賀なのか。横須賀を守るためなのでしょうか。太平洋、インド洋、あるいは湾岸を守るために第7艦隊入る。ということであれば、第7艦隊の費用は日本が払わないことになっている、といえばしっくりきます。また、沖縄にいる海兵隊は、アメリカが世界に出撃する緊急部隊ですから、なにも日本を守るためにいるわけではありませんから、日本が費用を負担する必要はありません。これらのことは非常に重要であって、日本の負担は基本的にゼロなのです。

 

 

 

■「軍事に意味なきおカネ」が生活をおかしくする

 

2016年11月に、読売新聞が、防衛省の資料をもとに各国の米軍基地負担の額を報じました。それによれば、
日本が7612億円、
ドイツが1876億円、
イタリアが440億円、
韓国が1012億円、
イギリス286億円となっています。

 

日本が米軍基地の負担をゼロにするということでなくても、せめてドイツの1876億円なみにすれば、5000億円くらい浮きます。5000億円あれば何ができるでしょうか。社民党の福島瑞穂議員がツイッターで国公立大学の無償化は4168億円、同じように小中学校の給食無償化は4720億円と試算を公表しています。自民党はしばしば教育の無償化を憲法に書き込もうと吹きますが、せめてドイツ並みの自主外交をやっていれば、国公立大学の無償化はできるのです。

 

若い人たちにしばしば言っているのは、日本がもう少ししっかりとした安全保障政策をとればそのおカネは教育に行くかもしれないし、保育園に行くかもしれない。軍事に意味のないおカネを費やすということは、私たちの生活をおかしくすることだということです。社会保障と軍事費にどれくらい出すかということは、実はおカネをどのように使うかということとものすごく関係があるのです。

 

 

 

■東アジアで外交的協力関係をつくる

 

安全保障の問題で、今日申し上げさせてもらったことでいちばん言いたいことは、「軍事でもって平和は保てない」ということです。それではどうしたらいいのか、という話になります。

 

いちばん戦争の理由になるのは、領土問題です。これはでも、解決すればいいのです。さらに重要なことは、第一次世界大戦、第二次世界大戦を戦ってきたドイツとフランスがこんにちなぜ戦争をしないのか。憎しみをやめて協力することが利益になる、そんな政策をドイツとフランスがやってきたからです。

 

最初は、戦争の源になる石炭、資源の問題、そして武器になる鉄。この石炭と鉄を欧州で共有しようということから始まり、こんにちのEUに連なりました。協力があるから戦争はしない、という体制を作りました。同じようにASEAN諸国にも、長きにわたる努力で、武力で問題を解決しない、外交で解決するという姿勢が行き渡っています。

 

なぜ東アジアでそれができないのか。私は、やろうと思えばできるものだと思います。軍事力ではなくて外交的な協力関係をつくることによって、日本の平和を達成する、このような道を歩んでいくべきではないかと思います。

 

 

 

 

 

「軍事で国は守れない」~神奈川県基地シンポジウムから/ 2018年11月23日、日本共産党神奈川県委員会主催。/ 「前衛」2019年2月号より

 

 

 

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「超国家主義の論理と心理」の目立った点~森友学園問題に寄せて

2017年03月10日 | 平成日本の風景

 

 

 

 

 

 森友問題にはため息をつかせられる。教育勅語自体はいいものだ、という開き直りにだれも明確な反論を言わない。この問題を追及して安倍政権に打撃を与えるには、もちろん、法的に追求できる問題、払い下げの違法性を問題にするべきだ。だが、この問題は、日本人の内面の暗闇を浮き彫りにしたようにわたしには見えてならない。

 

 ここでちょっと大変なのだが、丸山眞男の名論文、「超国家主義の論理と心理」を読んで、日本の真の病理は何かを突きつけてみたい。

 

 


 

(以下引用文)--------------

 

 


 まずなにより、我が国の国家主義が「超(ウルトラ)」とか「極端(エクストリーム)」とかいう形容詞を頭につけている所以(ゆえん)はどこにあるかということが問題になる。近代国家は国民国家(ネーション・ステート)と言われているように、ナショナリズムはむしろその本質的属性であった。こうしたおよそ近代国家に共通するナショナリズムと「極端なる」それとはいかに区別されるのであろうか。

 

 ひとは直ちに帝国主義ないし軍国主義的傾向を挙げるであろう。しかしそれだけのことなら、国民国家の形成される初期の絶対主義国家からしていずれも露骨な対外的侵略戦争を行っており、いわゆる19世紀末の帝国主義時代を俟たず(またず)とも、武力的膨張の傾向は絶えずナショナリズムの内在的衝動をなしていたと言っていい。我が国家主義は単にそうした衝動がより強度であり、発現の仕方がより露骨であったという以上に、その対外膨張ないし対内抑圧の精神的起動力に質的な相違が見いだされることによってはじめて真に「ウルトラ」的性格を帯びるのである。

 

 

 

(「超国家主義の論理と心理」より第2章の転載 / 丸山眞男・著 / 「世界」1946年5月号への寄稿)

 

 

 

--------------(引用終わり)

 

 

 

 日本の戦中戦前の国家主義は「超(ウルトラ)国家主義」あるいは「極端(エクストリーム)国家主義」と言われているが、そもそも近代国民国家はナショナリズムをその本質的特性としているのに、なぜ、日本の場合は「超(ウルトラ)」だの「極端(エクストリーム)」などという接頭語をつけられるのでしょうか。侵略戦争ならイギリスをはじめ、ヨーロッパ先進国だってやってきたことです。それにもかかわらず、日本のナショナリズムが「ウルトラ」呼ばわりされるのは、「対外膨張ないし対内抑圧の精神的起動力に質的な相違がある」からなのです。

 

 

 

(以下引用文)--------------


 

 

 ヨーロッパ近代国家はカール・シュミットが言うように、中性国家たることに一つの大きな特色がある。換言すれば、それは真理とか道徳とかの内容的価値に関して中立的立場をとり、そうした価値の選択と判断はもっぱら他の社会的集団(たとえば教会)ないしは個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、このような内容的価値から捨象された、純粋に形式的な法機構の上に置いているのである。

 

 近代国家は周知のごとく、宗教改革につづく16,17世紀に亘る(わたる)長い間の宗教戦争の真っただ中から成長した。信仰と神学をめぐっての果てしない闘争はやがて各宗派をして自らの信条の政治的貫徹を断念せしめ、他方、王権神授説をふりかざして自己の支配の内容的正当性を独占しようとした絶対君主も熾烈な抵抗に面して、漸次その支配根拠を公的秩序の保持という外面的なものに移行せしむるのやむなきに至った。

 

 かくして形式と内容、外部と内部、公的なものと私的なものという形で治者と被治者の間に妥協が行われ、思想信仰の道徳の問題は「私事」としてその主観的内面性が保証され、公権力は技術的性格を持った法体系のなかに吸収されたのである。

 

 

 

(同上)


 

--------------(引用終わり)

 

 

 

 ここの記述は重要だと思います。カール・シュミットについてはwikiで調べてください。ナチス時代のドイツの政治学者らしいです。それによれば、近代国家では、道徳や信仰などの「内容的価値」については個人の内面の問題として国家は介入せず、個人の意向に任せ、また「内容的価値」の選択も個人に委ねて尊重する、個々人が集まって社会生活を営むに必要な秩序維持という外面的な目的のために、国家権力は「法体系に従った手続き」という形式に則って執行される、ということです。

 

 このような考え方は、近代国民国家を生み出したヨーロッパの血まみれの宗教戦争への反省に由来しています。一方の信条が絶対正義で他方は悪とするような考え方で政治を行うことを断念し、思想信条に多様性を認め、尊重する寛容の精神が唱えられるようになりました。政治権力は個々人の内面の支配からはいっさい手を引き、公的秩序の維持だけを目的とする、ということで合意したのでした。

 

 だから、稲田朋美が代表を務める「道義国家云々」の会などは明らかに近代国家の定義に反しているし、塚本幼稚園で行われている「教育プログラム」は明らかに、個々人の内面を当人の自由選択に任せず、一部の大人たちの考え方を押しつけている点でも、近代主義に真っ向から反するものです。

 

 

 

(以下引用文)--------------

 

 

 

 ところが日本は、明治以後の近代国家の形成過程においてかつて、このような国家主権の技術的、中立的性格を表明しようとはしなかった。その結果、日本の国家主権は内容的価値の実体たることにどこまでも自己の支配根拠を置こうとした。幕末に日本に来た外国人はほとんど一様に、この国が精神的(スピリチュアル)君主たるミカドと政治的実権者たる大君(将軍)との二重統治の下に立っていることを示しているが、維新以後の(日本の)主権国家は、後者およびその他の封建的権力の多元的支配を前者に向かって一元化し、集中化することにおいて成立した。「政令の帰一」とか「政刑一途」とか呼ばれるこの過程において権威は権力と一体化した。しかもこれに対して内面的世界の支配を主張する教会のような勢力は存在しなかった。

 

 やがて自由民権運動が華々しく台頭したが、この民権論と、これに対して「陸軍および警視の勢威を左右にひっさげ、凛然として下に臨み、民心をして戦慄」(岩倉公実記~岩倉具視の著作物)せしめんとした在朝者との抗争は、真理や正義といったものの内容的価値の決定を争ったのではなく、「上(かみ)君権を定め、下(しも)民権を限り」といわれるように、もっぱら個人ないし国民の外部的活動の範囲と境界をめぐっての争いであった。

 

 およそ近代的人格の前提たる、道徳の内面化の問題が自由民権論者においていかに軽々に片づけられていたかは、かの自由党の闘将河野広中(こうのひろなか;wiki参照)が自らの思想的革命の動機を語っている一文によく表れている。その際、決定的影響を与えたのはやはりミルの「自由論」であったが、彼は、

「馬上ながら之を(「自由論」を)読むに及んでこれまで漢学、国学にて養われ、ややもすれば攘夷をも唱えた従来の思想が一朝にして大革命を起こし、忠孝の道位を除いただけで、従来持っていた思想が木っ端微塵のごとく打ち壊かるると同時に、人の自由、人の権利の重んずべきを知った(河野播州伝、上巻)」
…と言っている。

 主体的自由の確立の途上において真っ先に対決されるべき「忠孝」観念が、そこでは最初からいとも簡単に除外されており、しかもそのことについて何らの問題性も意識されていないのである。このような「民権」論がやがてそれが最初から随伴した「国権」論の中に埋没したのは必然であった。

 

 かくしてこの抗争を通じて個人の自由はついに良心に媒介されることなく、したがって国家権力は自らの形式的妥当性を意識するに至らなかった。そうして第一回帝国議会の招集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、日本国家が倫理的実体として価値内容の独占的決定者たることの公然たる宣言であったといっていい。

 

 

 

(同上)


 

--------------(引用終わり)

 

 

 

 日本のナショナリズムが「ウルトラ」あるいは「エクストリーム」と呼ばれるゆえんはまさに、国家が「道義」を決めよう、国家がただ一つの道義を体現しようとするところにあるのです。明治新政権は実権を握っていた幕藩体制の支配(それが「多元的」と書かれているのは、幕府が支配したのは各藩の大名たちであり、藩の領民たちはその各大名たちが支配していたから。こういう複雑な支配のしくみを指して「多元的」と呼んでいる)を天皇のスピリチュアルな「権威」に融合することによって、つまり、「内容的価値」を個々人の内面の自由から引き離して、それを国家によって決められ、与えられるものとし、つまり人間の多様性を否定し、国家にとって都合のよい単一の「人格」を一様に国民に植えつけようとした点がまさに「質的な相違」だった、それゆえに、日本のナショナリズムは「ウルトラ」であり、「エクストリーム」だったのです。20世紀最初の軍事作戦としての自爆攻撃を組織したところまで突き進むともうそれは「エクストリーム」を越えて「エキセントリック」あるいは「ファナティック」といってもいいでしょう。そんな「質的相違」なナショナリズム涵養の意志表明がまさに、第一回の国会開催直前の、教育勅語の発布だったのです。

 

 これは現代でも同じだと、わたしは思っているのですが、自由民権を擁護する、あるいはリベラルを自称する人たちさえその点を理解していないか、実践していないことが、真の近代主義が日本で育たなかった重要な原因となっていると思います。ここに挙げられている例では、河野広中が、自由民権運動を展開しながら、実は「忠孝」といった封建日本のゆがんだ儒教風の道徳観を総括できなかった、そんな風潮がやがて、大正デモクラシーをしてやがて昭和ファシズムの前に霧消せしめた、とされています。

 

 これとまったく同様の事態がわたしたちの眼前で繰り広げられています。教育勅語のなかから、親孝行(まさに「忠孝」の道徳則)、勤勉などの項目を切り出して、「これのどこが悪い」と開き直られたときに、リベラル派コメンテーターたちはもごもごと口ごもるか、反論しても明快とは言えないくどくどしいことしか言えないでいます。戦後、リベラル全盛の時代にも日本では依然と家父長制、年齢序列、子が親に気を遣うことを美徳とする「忠孝」則、体罰美化、根性論的精神主義は称揚されてきました。スポーツやTVドラマを通して。だって、いまだに高校野球は全員丸坊主です。あれは軍隊の習慣でした。個性を忘れさせるためです。それが21世紀のいまだに暗黙の了承とされているのです。

 

 ちなみに親孝行について言えば、子が親に従わなければならないのではない、親が子に気を配り、子どもが高い自尊心を培うよう指導し、真に自立してゆけるよう育てる義務があり、子どもはそういう教育を期待する権利があるのです。「忠孝」則はこの点で主格が転倒しています。さらに、学校のこまごました校則も、生徒の精神的成長とは逆の目的があり、それは、たとえ憲法の内面の自由に抵触していようが、直近の大人たちの脳内に生き残る「子どもらしさ、若者らしさ」観に従え、とにかく直近の権威者の方に従え…という意味の、旧態道徳の押しつけであり、近代的人格の養成というよりは、旧態依然たる「年少者は年長者に文句を言わず従え」式の道徳の押しつけなのだと、わたしは思っており、かつそうした考え方に強い憤りを持って反発を覚えるのです。そんなこんなで日本では近代的自由主義はまったく根づいていなかったといっても過言ではないでしょう。

 

 

 

(以下引用文)--------------

 

 

 

 果たして間もなく、あの明治思想界を貫流するキリスト教と国家教育との衝突問題がまさにこの教育勅語をめぐって囂々の論争を惹起したのである。「国家主義」という言葉がこのころから頻繁に登場したということは興味深い。この論争は日清・日露両役の挙国的興奮の波の中にいつしか立ち消えになったけれども、ここに潜んでいた問題は決して解決されたのではなく、それが片づいたように見えたのはキリスト教徒の側で絶えずその対決を回避したからであった。

 

 今年(1946年当時)初頭の詔勅で天皇の神性が否定されるその日まで、日本には信仰の自由はそもそも存立の地盤がなかったのである。信仰のみの問題ではない。国家が「国体」において真善美の内容的価値を占有するところには、学問も芸術もそうした価値的実体への依存よりほかに存立しえないことは当然である。しかもその依存は決して外部的依存ではなく、むしろ内面的なそれなのだ。

 

 国家のための芸術、国家のための学問という主張の意味は、単に芸術なり学問なりの国家的実用性の要請ばかりではない。何が国家のためかという内容的な決定をさえ「天皇陛下および天皇陛下の政府に対し(管理服務紀律)」忠勤義務を持つところの官吏が下す、という点にその核心があるのである。そこでは、「内面的に自由であり、主観のうちにその定在(ダーザイン)をもっているものは法律の中に入ってきてはならない(ヘーゲル)」という主観的内面性の尊重とは反対に、国法は絶対価値たる「国体」より流出する限り、自らの妥当根拠を内容的正当性に基礎づけることによって、いかなる精神領域にも自在に浸透しうるのである。

 

 従って、国家的秩序の形式的性格が自覚されない場合は、およそ国家秩序によって捕捉されない私的領域というものは本来、いっさい存在しないこととなる。わが国では私的なものが端的に私的なものとして承認されたことがいまだかつてないのである。この点につき「臣民の道」(wiki参照)の著者は「日常われらが『私生活』と呼ぶものも、畢竟これ臣民の道の実践であり、天業(=天皇への奉仕という臣民の務め)を翼賛し奉る臣民の営む業として公の意義を有するものである。 ~中略~ かくてわれらは私生活の間にも天皇に帰一し、国家に奉仕するの念を忘れてはならぬ」といっているが、こうしたイデオロギーはなにも全体主義の流行とともに現れ来ったわけではなく、日本の国家構造そのものに内在していた。したがって私的なものは、すなわち悪であるかもしくは悪に近いものとして、何ほどかのうしろめたさを絶えず伴っていた。営利とか恋愛とかの場合、特にそうである。そうして私事の私的性格が端的に認められない結果は、それに国家的意義を何とかして結びつけ、それによってうしろめたさの感じから救われようとするのである。

 

 漱石の「それから」の中に、(主人公の)代助と嫂(あによめ。=兄嫁)とが、
「一体今日は何を叱られたのです」
「何を叱られたんだか、あんまり要領を得ない。然し御父さんの国家社会の為に尽くす、には驚いた。何でも十八の年から今日までのべつに尽くしてるんだってね」
「それだから、あの位に御成りになったんじゃありませんか」
「国家社会の為に尽くして、金がお父さん位儲かるなら、僕も尽くしても好い」
…という対話を交わすところがあるが、この代助の痛烈な皮肉を浴びた代助の父は日本の資本家のサンプルではないのか。こうして「栄え行く道(野間清治・著)」と国家主義とは手に手をつなぎ合って近代日本を「躍進」せしめ、同時に腐敗せしめた。「私事」の倫理性が自らの内部に存せずして、国家的なるものとの合一化に存する、というこの論理は裏返しにすれば国家的なるものの内部へ私的利害が無制限に侵入する結果となるのである。

 

 

 

(「超国家主義の論理と心理」より第2章の転載 / 丸山眞男・著 / 「世界」1946年5月号への寄稿)

 


--------------(引用終わり)

 

 

 

 国家のために考え、国家のために自分のしたいことを抑え、国家のために服従しなければならないだけではない、内面の自由が侵食されきった社会では、「何が国家のためか」ということさえ国家が決めるのです。

 

 ここでドイツの哲学者ヘーゲルの難解な表現の文章が引用されていますが、わたしもヘーゲルが何を言ったのか詳しいことは知りません。しかしここでいわれているのは、近代国家であるなら、個々人の内面を法律で縛ってはならない、という理解でも大きく間違ってはいないでしょう。それとは反対に日本のウルトラナショナリズムは、国家が道徳的倫理的権威の体現であるため(おそらくそれが「國体」の正体だろうと想像します)、哲学、文学の人文学領域だけでなく、科学・芸術からそれこそ日常のルーティンワーク領域まで国家は干渉しうるのです。また事実干渉してきたのです。国家が道徳の体現であるなら、どんなことでも国家がよしとしたことが基準になるからです。これはまさに宗教原理主義というとらえ方が現代のわたしたちには理解しやすいでしょう。イスラム過激派と同様の性質の、そう、旧日本の「超国家主義」はまさに宗教原理主義だったのです。それゆえに「超(ウルトラ)」、「極端(エクストリーム)」だったのです。非合理的な思考、非合理的な判断、非科学的な判断が「八紘一宇」だの「一億総玉砕」だのという無内容な叫喚的スローガンで、根拠のないことを隠ぺいして、行き当たりばったりの政策・軍事作戦が推し進められたのでした。

 

 

 元エホバの証人の方々は、政府による内面干渉ないし指導要綱である「臣民の道」の上記引用文をみて気持ち悪くなったでしょう。まさにエホバの証人の「教育」内容そのものです。
「日常われらが『私生活』と呼ぶものも、畢竟これ臣民の道の実践であり、天業(=天皇への奉仕という臣民の務め)を翼賛し奉る臣民の営む業として公の意義を有するものである。 ~中略~ かくてわれらは私生活の間にも天皇に帰一し、国家に奉仕するの念を忘れてはならぬ」
エホバの証人の日本語教材では「臣民」はその通り使われていましたし、「天業」をエホバへの奉仕、「天皇」をエホバに置き換えれば、そのまんまものみの塔の研究記事かと錯覚します。エホバはいついかなる時も信者を見ている、それを意識して行動せよ、ということで、まさにフーコーのパノプティコン社会を実現させようとしていたのでした(フーコーの「監獄の誕生」についてはwikiで調べてみてください)。わたしはエホバの証人問題とは全体主義の問題だと主張していますが、その根拠は今日ここで述べたことです。だから、元エホバの証人の多くがネトウヨになるのを見るにつけ、こいつらは何にも目覚めていないな、まったく「マインドコントロールは解けて」いないな、と思うのです。

 

 

 丸山眞男に戻りますが、こうした内面の自由の浸食&支配はなにも昭和ファシズム興隆によって生み出されたものではなく、まさに明治維新の時期から日本人に刷り込まれていたものであり、その指針となっていたのが教育勅語なのです。そして内面の自由が国家によって支配されてしまっている中においては、「私的領域」というのは原理的に存在しえず、個人的な欲求についてはその一つ一つについて後ろめたさを感じなければならない、だから、なにかにつけて、「お国のため」という大義名分をこじつけるのです。その例が夏目漱石の小説から引用されていますが、うしろめたさを感じているうちはまだかわいいもので、開き直ってくると逆に「お国のために」等の大義名分で、何でも自分の好きに行おうとするのです。森友学園の園長は「強い日本を背負って立つ人材育成のために教育勅語の精神で育てる」学校開設のために、ありとあらゆるごまかし、国会議員による便宜利用などを平気で行うのです。それが「国家的なるものの内部へ私的利害が無制限に侵入する結果となる」ということなのです。

 

 この論文の第3章にはもっと衝撃的なこととして、こんな一文もあります。

 


 

 

(以下引用文)--------------

 

 

 

 国家主権が精神的権威と政治的権力を一元的に占有する結果は、国家活動はその内容的正当性の基準を自らのうちに、國体として持っており、したがって国家の対内および対外活動はなんら国家を超えた一つの道義的基準には服しない、ということになる。

 

~(中略)~

 

 わが国家主権は決してこのような形式妥当性に甘んじようとしない(=内容的価値の独占&支配・操作をやめようとしない)。国家活動が国家を超えた道義的基準に服そうとしないのは、…主権者(=天皇の権威をかさに着る官僚)自らのうちに絶対的価値が体現しているからである。それが「古今東西を通じて常に真善美の極致(「皇国の軍人精神」/ 荒木貞夫・著 8ページ)」とされるからである。

 

 したがってこの論理が延長されるところでは、道義(あるいは正義)は、こうした國体の精華が、中心的実体から渦紋状に世界に向かって広がってゆくところにのみ成り立つのである。「大義を世界に布く」と言われる場合、大義は日本国家の活動の前に定まっているのでもなければ、その後に定まるのでもない。大義と国家活動は常に同時存在なのである。大義を実現するために行動するわけだが、それとともに、行動することがすなわち正義とされるのである。「勝った方が正義」というイデオロギーが「正義は勝つ」というイデオロギーと微妙に交錯しているところに日本の国家主義論理の特性が露呈している。それ自体「真善美の極致」たる日本帝国は、本質的に悪を為し能わざるがゆえに、いかなる暴虐なる振る舞いも、いかなる背信的行動も許容されるのである!

 


 

(同上3章)


 

--------------(引用終わり)

 


 

 日本自身が「真善美の極致」の体現であるがゆえに、日本を越えた倫理観道義基準に従わなくていい、だから捕虜の扱いに関する国際条約に頓着しないし、日本の行動はすべて正義の基準なので、南京事件などの戦争犯罪もも「しようがなかった」、戦争犯罪も「当時としてはほかに取るべき道はなかった」などと無責任を鼓吹し、平気で某局せしめようということができるのだと思います。そしてそれは国家による隠ぺいだけでなされるものではなく、明治より刷り込まれてきたものであるがゆえに、まさに国民自身がその無責任の遂行者として率先できるのです。

 

 日本会議も籠池園長も稲田朋美も安倍晋三も、彼ら自身だけが特異なのではない、わたしたち国民のうちに、真の近代人としての資質が十分に育っていないのではないか、だから、教育勅語のなにが悪いと開き直られてすぐに明確に反論できないのだと思います。

 

 

 

 集中力が途切れてきたので、中途半端ですが、ここでいったん、筆をおきます。時間があるときにまた、第3章も読んでみたいと思います。

 

 

 


 

 

 

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「学校が教えないほんとうの政治の話」の目立った点(1)

2016年07月17日 | 「市民」のための基礎知識






政治参加の第一歩は、あなたの「政治的なポジション(立場)」について考えることです。政治的なポジションは、結局のところ、二つしかありません。


「体制派」か「反体制派」か、です。


「体制」とは、その時代時代の社会を支配する政治のこと。したがって「体制派」とはいまの政治を支持し「このままのやり方でいい」と思っている人たち、「反体制派」はいまの政治に不満があって「別のやり方に変えたい」と考えている人たちです。


さて、あなたはどちらでしょう。


どっちでもない?  あ、そうですか。そんなあなたは「ゆる体制派」「ぷち体制派」「かくれ体制派」です。どっちでもない、つまり政治に無関心で、とくにこれといった意見がない人は、消極支持とみなされて自動的に「体制派」に分類されます。


先にいっておきますが、政治的な立場に「中立」はありえません。


世の人びとはとかく「自分こそが中立で、まわりが偏っているのだ」といいたがります。あるいは「自分こそが正義で、まわりがまちがっているのだ」と考えたがります。とんだ誤解というべきでしょう。民主主義とは多種多様な意見を調整し、よりよい結論を導くためのしくみです。人の意見は多様なものである、という前提に立てば、どんな意見も少しずつ「偏っている」のが当たり前なのです。


とはいうものの、どんな国でも、どんな時代でも、数として多いのは「ゆる体制派」の人たちです。投票で国や自治体の代表者を選ぶ民主主義の下では、「体制派」は「多数派」とほぼ同じといっていいでしょう。政治に関心を持てと大人はいいますが、そんな大人もたいていは政治にたいして関心のない「ゆる体制派」なのです。


体制の側に立つか、反体制の側に立つか。あなたがどちらの立場に近いかは「いまの日本」をどう評価するかにかかっています。
A  豊かとはいえないけれど暮らしてはゆけるし、いまのところ平和だし、インターネットも使えるし、世の中こんなもんでしょ、と考えるか。
B  格差は広がっているし、ブラック企業が平気ではびこっているし、国は戦争をしたそうだし、こんな世の中まちがっているよ、と考えるか。


物事を楽観的にとらえて楽しく暮らすAタイプの人が「(ゆる)体制派」なら、社会のアラをさがし出し、ものごとを悲観的に考え、日本の将来を憂えるBタイプの人は「(ゆる)反体制派」になりやすい傾向がある、とは言えるでしょう。


人生、「ゆる体制派」でいけるなら、それに越したことはありません。政治のことを考えずに暮らせるのは幸せな証拠。本人がそれでよければ、なんの問題もありません。もちろんあなたが幸せでも、誰かを踏みつけている可能性はありますが。


これに対して「反体制派」は、自ら選ぶというよりも「やむをえず選ばされてしまう」立場、というべきでしょう。誰だってお上(体制)になんか、できれば刃向かいたくはありません。ところが「体制派」「ゆる体制派」だった人たちが、突然「反体制派」に転じる場合があります。「政治に目覚める」とは、じつのところ、こういうケースを指す場合が多いのです。




 

 

「学校が教えないほんとうの政治の話」 第1章 p.18-20 / 斎藤美奈子・著




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「国を愛する心/ 『国を愛する心』/ 三浦綾子・著」の目立った点 (1)

2016年04月06日 | 「市民」のための基礎知識






お便り拝見いたしました。

あなたもまた、近頃テレビや新聞でたびたび取り上げられている教科書問題について、若い母親のひとりとして、真剣に心配していられるのですね。

「私はその時まだ生まれておりませんでしたから、日本の国が、ほんとうに他国を侵略したものか、しないものか、よくわからないのです。また、終戦というべきか、敗戦というべきかもわからないのです。私は子どもに真実を教えたいのです。三浦さんは、第二次世界大戦において、日本が中国その他を侵略したと思いますか、ほんとうのところを教えてください」。

このお便りのなかに私は、あなたの謙遜と真実を感じました。私はある人から、「あなたはそれでも日本人ですか。日本が侵略をしたとか、残虐なことをしたとか、いろいろ書いていますが、あなたには愛国心がないのですか」とい手紙をもらったことがあります。困ったことに、これからはますます、「おまえはそれでも日本人か」という言葉が、多く使われるような気がしてなりません。

ところで、この間、澤地久枝(ノンフィクション作家、1930年=昭和5年生まれ)さんの講演会が旭川でありました。850人で満席になる会場に950人も入ったのです。澤地さんの話が終わったとき、ほんとうに嵐のような拍手が、いつまでもいつまでも鳴り響いておりました。誰もが、受けた感動をその拍手に込めたのです。(中略)

澤地さんは「もう一つの満州」というノンフィクションの中に書かれているとおり、少女時代、満州に育った方です。この澤地さんが昨年(=1981年)満州を訪ねられました。一人の抗日青年の生涯と、無残な死を調べるためでした。その取材旅行において、澤地さんは、日本が犯した数々の怖ろしい残虐行為を直接中国人の口からきかされたそうです。肉親の誰彼が、日本人の手によって、目の前で虐殺された話、一つの村が、赤子から老人まで皆殺しにされた話など、身の毛がよだつむごたらしい話であったと言います。

戦後40年にもなろうとして、いまだにそうした忌まわしい記憶を引きずって生きている人々のいることを、澤地さんは改めて知らされたのです。それらの人びとの目に、消しがたい悲しみと恨みを見たとも澤地さんは言われましたが、当然のことでしょう。

私たちは、敗戦後、初めて南京大虐殺の話を聞いたものでした。小さな子どもが串刺しにされたこと、妊婦がその腹を引き裂かれたこと、非戦闘員が一つ建物に閉じ込められて焼き殺された話なども聞きました。もし、私たちの故国に、他国の軍隊が乱入して、このような殺戮をくり返したとしたら、私たちはそれを「進出された」と言うでしょうか。それとも「侵略された」というでしょうか。いいえ、もっと強烈な表現を取るのではないでしょうか。日本政府が「侵略」という言葉をどんなに教科書から消し去ろうとも、いまなお現実に、肉親の無残な死を思い、悲しみ憤っている人々がたくさんいるのです。その人たちの胸から、「侵略」という言葉をどうして消し去ることができるでしょう。

学問は真実でなければなりません。とりわけ歴史は、その時の政府の都合で、勝手に書き改めるべきものではありません。一たす一は二であるはずです。けれども、一たす一は五であるという教科書がもしあったとしたら、あなたはその教科書を子どもさんに与えますか。明らかな侵略を進出などという言葉に置き換えることは、一たす一は五である、というのと同じで、いったい、一たす一は五であると強弁することが愛国心なのでしょうか。私には到底そうは思えないのです。私たちの国が、ほんとうにどんな歩みをしたのか、その真実を私たちは知るべきです。そして誤った歩みをしていたならば、その責任を取るべきです。それともあなたは、自分の子どものすることなら何でもよしよしというのが、親の愛だと思いますか。弱い者いじめをしようと、体の不自由な人も真似をして、そうした人々を辱めようと、他の人に乱暴しようと、人の家に火をつけようと、黙って見ているのが親の愛だと思いますか。


…(中略)…


さて、国を愛するとは、いったいどういうことでしょう。時の政府の言うままに、唯々諾々と従うことなのでしょうか。「侵略ではなかった、進出だった」と政府が言えば「そのとおり、そのとおり」と拍手をし、「戦いは負けたのではない、終わったのだ」と言えば「そうだ、そうだ」とうなずくことなのでしょうか。

あなたはまだ生まれていなかったそうですから、戦争中のことは何もご存じないでしょう。しかし(戦争中)二十代だった私は、当時の国民が、どんなに自分の国を信頼し、誇りに思っていたかを知っています。国のために死ぬということは、男性は無論のこと、私たち女性も、この上ない名誉に思ったことでした。そして、勝利を祈ってしばしば神社に参拝し、慰問袋を戦地に送り、かき消えるように亡くなった食料の乏しさにも愚痴を言いませんでした。いいえ、食料どころか、たった一人の息子を戦死させても、一生の伴侶である夫を戦地に死なせても、「お国のためだ」と歯を食いしばってその悲しみに耐えたのです。そうした純粋な気持ちを、私たち国民は、戦争のために利用されたのでした。そして戦争は負けたのでした。

私たち庶民は、戦争がある種の人びとの儲ける手段であるなどとは、夢にも思わなかったのです。あの時、戦争はいけないと言った人がもしあれば、その人こそ真の意味で愛国者だったのです。そうした人もわずかながらいました。でもその人たちは、国のしていることはいけない、と言ったために獄にとらわれ、拷問され、獄死さえしたのでした。真の愛国者は彼らだったのです。国のすることだから、何でもよしとするのは、国が大事なのではなく、自分が大事な人間のすることです。

もし、第二次大戦のとき、すべての日本人が戦うことを拒んでいたなら、原爆にも遭わず、何百人もの人が死なずにすんだのです。いや、他の国々のさらに多くの人々が殺されずにすんだのです。とにかく、日本の犯した罪を知っている人々が、侵略は侵略だと言い、敗戦は敗戦だと言っているはずです。でもその数が次第に少なくなっていくだろうという予感に、私は戦慄を覚えます


こんなお返事でお分かりいただけたでしょうか。日本と世界の真の幸福を祈りつつ。

 

 

(小学館発行月刊誌「マミイ」1982年11月号初出/ 1982-11-01/ 三浦綾子)

 

 

 

 

 

 

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安倍政権の裏の顔~『攻防・集団的自衛権』ドキュメント 1.ことの起こり

2015年09月20日 | 「市民」のための基礎知識

 

 

 

 

 

2001年初夏、元駐タイ大使岡崎久彦は、安全保障研究の第一人者である佐瀬昌盛・現防衛大学名誉教授の自宅に電話した。佐瀬は、「集団的自衛権(PHP新書)」を出版したばかりだった。

 

集団的自衛権は、自分の国が攻撃を受けていなくても、密接な他国が攻撃を受けた場合、いっしょになって反撃できる権利のことだ。憲法9条を持つ日本では、日本に直接攻撃があった場合にのみ反撃できる個別的自衛権しか認められていない。当時は集団的自衛権が政治課題にまったく上がっていなかったこともあり、専門的に扱った本は少なかった。

 

岡崎は電話で佐瀬にこう伝える。 「この本は最高の教科書だ。これで政治家を教育しよう」。 その後二人は作戦を練るために会った。佐瀬は尋ねた。 「どうやって政治家を教育するんだ」。 岡崎は、 「各個撃破だ。ひとりひとり教育していこう」、と答えた。 「だれからやるんだ?」 佐瀬の問いに岡崎は、まだ衆院当選三回にすぎなかった若手議員の名を即答した。 「安倍晋三だ。あれはぶれない」。

 

 

 

1980年ごろ、外務省から防衛庁に出向していた岡崎のもとを、米海軍の司令官が訪ねてきた。中東ではイラン・イラク戦争が起きていた。米海軍司令官は、在日米軍横須賀基地からペルシャ湾のホルムズ海峡までパトロールする任務のつらさを語った。

 

米艦船の甲板は、夏場にはセ氏50度にもなる。船内に冷房はなく、夜でも温度は下がらない。石油運搬の要衝海域であるホルムズ海峡を通るのは、「〇〇丸」という名前がついた日本のタンカーが多かった。それを守る米海軍の水兵たちは司令官を、「どうして日本の自衛隊が守らないのか。どうして、俺たちだけがつらい任務をしないといけないんだ」と突きあげていた。

 

司令官は岡崎にこう告げた。 「私は日本の政治の都合上、自衛隊がタンカーを守れないことは分かっているつもりだ。しかし、水兵たちには分からないんだ。わたしはただ、水兵たちが怒っているということだけでも、岡崎に理解していてほしい」。

 

日本に原油を運ぶタンカーのほとんどは、パナマ船籍かリベリア船籍だった。日本の海運業者は、税金や人件費を節約するため、経費が安い国に便宜上、船を登録する。自衛隊は日本船籍のタンカーなら守れるが、外国船籍を守ると集団的自衛権の行使にあたり、憲法違反になる恐れがあった。

 

岡崎は司令官の愚痴を聞き、「こんなばかばかしい話はない」と憤る。集団的自衛権の行使を認めるべきだと思った瞬間だった。

 

 

 

それから約10年後、岡崎の憤りは、外務省の怨念へと変わっていく。 イラクがクウェートに侵攻したことを機に勃発した湾岸戦争。当時の外務省条約局(現・国際法局)は、憲法の解釈をつかさどる内閣法制局に対して、 「自衛隊に多国籍軍の負傷兵の治療をさせたいが可能か?」と問い合わせた。しかし、返ってきた答えは、 「憲法9条が禁じる武力行使の一体化にあたる」と、派遣を否定するものだった。結局、日本は130億ドルを拠出したが、「カネしか出さないのか」と、米国を中心とした国際社会から強い批判を浴びた。それはやがて外務省内で「湾岸戦争トラウマ」と言われるようになった。

 

 

■「日本は禁治産者だ」

 

2000年5月の衆院憲法調査会。安倍は、「日本は持っているが、使えない」とい集団的自衛権についての政府見解を激しく批判した。

「かつてあった禁治産者は、財産の権利はあるけれども行使できなかった。まさにわが国が禁治産者であることを宣言するようなきわめて恥ずかしい政府見解ではないか」。

 

日本の安全を考えたうえでの政策的な必要性よりも、国家が当然、持つべきものを持っていないのはおかしいという観念が優先しているようだった。そこには、祖父・岸信介の考えが見える。岸は、日本での内乱を米軍が鎮圧することを許した旧日米安全保障条約を「不平等だ」と考え、安保改定に踏み切った。集団的自衛権を行使できるようになると、日本も米国を守ることができる。日米同盟がより対等な関係となり、真の「独立国家」へと一歩近づく。

 

安倍が強烈に意識する岸の答弁がある。

「外国に出て他国を防衛することは憲法が禁止しておる。その意味で集団的自衛権の最も典型的なものは持たない。しかし、集団的自衛権がそれに尽きるかというと、学説上、一致した議論とは考えない」

1960年の参院予算委。首相だった岸は、憲法9条のもとでは、外国まで自衛隊を派遣して、その国を守る典型的な集団的自衛権を持つことはできないが、そうでない限定的な集団的自衛権ならば、行使できる可能性を示唆していた。

 

当時、集団的自衛権を行使できるかどうか、政府の憲法解釈は固まりきっていなかった。

「国際法上は保有するが、憲法上、行使できない」

という憲法解釈が次第に固まってくるきっかけは、ベトナム戦争だった。1965年に米軍が北ベトナムを爆撃して以降、戦争は泥沼化する。

「米国の戦争に巻き込まれるのではないか」という世論の不安を背景に、野党が自民党政権を追求した。

政権は、「集団的自衛権が行使できないため、ベトナム戦争に参戦できない」という理屈で、野党の批判をかわす答弁が1970年代にかけて積み重ねられた。そして、

「持ってはいるが、使えない」

という憲法解釈が1972年の政府見解、1981年の答弁書で固まる。

 

1960年の岸の答弁は、安倍にとって、まるで「遺言」のようなものだった。「持っているが、使えない」という憲法解釈を忌み嫌い、それを変える推進力になったと同時に、

「限定的にしか使えない」という理屈にもつながってゆく。

 

 

■小泉内閣で共闘した旧友

 

安倍は、衆院憲法調査会で集団的自衛権の行使容認を訴えてから二か月後の2000年7月、第二次森内閣で内閣官房副長官に就任した。首相官邸で執務する官房副長官は、将来有望とされる中堅議員の登竜門だ。安倍が権力の中心に近づいたことは、岡崎ら集団的自衛権の行使を求める勢力にとって、大きな好機だった。
「一緒に相談してやろう」
岡崎は安倍に集団的自衛権の行使容認に向けて動き出すよう促した。翌年、小泉純一郎に首相が代わったが、安倍は副長官に留任した。安倍と岡崎は、集団的自衛権を使えるよう憲法解釈を変えることを小泉に働きかけ続けた。

2001年5月の国会答弁で、小泉はついに踏み込む。
「憲法に関する問題について、世の中の変化も踏まえつつ、幅広い議論が行われることは重要であり、集団的自衛権の問題について、さまざまの角度から研究してもいいのではないか」。
しかし、9月、米国で同時多発テロが発生し、集団的自衛権を使えるように憲法解釈を見直してゆくという動きはとん挫した。岡崎は当時をこう振り返った。
「この最中に、集団的自衛権を持ち出すと混乱する。遠慮して引っ込めた」。

 

 

 

■官房長官時代から準備

 

安倍は2005年10月、官房長官として初入閣した。ポスト小泉を見据えながら、集団的自衛権の行使容認への動きを加速させる。
「集団的自衛権行使容認に向けて、官房長官のころから綿密に検討していた」。
第一次政権で首相秘書官を務めた井上義行(後、参院議員、現在は落選)は明かす。
井上は官房副長官、官房長官時代も安倍の秘書官を務めた。安倍の知恵袋になっていたのは、当時、外務事務次官の谷内だった。安倍と谷内は、北朝鮮による拉致問題をめぐり、北朝鮮に対して強硬姿勢をとる方針でも一致し、気脈を通じていた。

 

そして、安倍は2006年9月、首相に就任する。
満を持して2007年、有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を立ち上げた。
谷内は、後輩で国際法に詳しい外務省国際法局長の小松一郎と二人で、
「米艦船が攻撃された場合に自衛隊が応戦できるか」
「米国に向かう弾道ミサイルを撃ち落とすことができるのか」
など、「憲法上できない」とされてきた4つの類型を練り上げ、集団的自衛権の行使容認について、議論の流れを作り出した。
しかし、安倍は約1年で退陣、安保法制懇の議論は宙に浮いた。

 

憲法解釈の見直し議論は雲散霧消したかに見えた。
だが、安倍は2012年12月、民主党から政権を奪い返し、首相に返り咲く。
解釈変更に向けて、外務省との二人三脚の関係をさらに強め、外務省出身者を要路に配置して突き進むことになる。

 

「集団的自衛権を持たない国家は禁治産者だ」
という安倍の観念と、外務省の「湾岸トラウマ」の怨念。二つの「念」は集団的自衛権の行使容認に向けた大きなエネルギーとして結びついた。

 

 

 

「安倍政権の裏の顔~『攻防・集団的自衛権』ドキュメント」/ 朝日新聞政治部取材班・著 より

 

 

 

 

 

 

 

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回帰

2014年12月31日 | 一般







来年より、またぼちぼち書いてゆこうと計画しています。



超ヒマがあれば見に来てくださいね。





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「奥さまは愛国」/朴順梨・北原みのり・共著 の目立った点

2014年08月21日 | 平成日本の風景

 

 

 

今の日本は、変だと思う。とても生きにくく、息苦しいと思う。

 

 

2012年冬、第2次安倍政権が誕生してから私はほとんどTVを見なくなってしまった。ニュースを見るのは気が重く、時代の空気をTVを通じて感じたり、何が起きているのかを直視するのに、疲れてしまったのかもしれない。考えてみれば、2011年の3月11日以来、ずっとTVや新聞の報道から目が離せない日々を送ってきたのだ。

 

東日本大震災の直後、私は数日間、涙が止まらなかった。あの日、家に帰れなかった友人たちが私の家に泊まっていた。スーパーに買い物に行き、6人分の朝食のため牛乳パックを数本買い物かごにいれていると、近くの男性が「買い占めかよ」と、ぼそ、とつぶやいた。近所のガソリンスタンドは全て閉まっていて車での移動は一切できず、とはいえそもそも行くあてがあるわけでもなく、東京に閉じ込められているような気分になった。目の前の映像で家や人や車が流されるのを見て、原発事故の全容は分からず何も手がつかないのに、牛乳パック一つを監視しあう日常に、名前のつけられない感情で泣き続けた。

 

耐えがたい気分で3月15日、私は行き先を決めずに新幹線に乗った。自由席はもちろんのこと、広島行きの新幹線はグリーン車も満席だった。メディアでは、東京の人が「逃げている」ことは報道されない。新幹線でツイッターを見ていると、知人が「逃げる者は恥を知れ」というようなことを書いていた。新幹線に乗っていることは、ネットでは書けない、と思った。

 

あの時メディアは「こんな状況でもパニックにならず、ゆずりあう日本人は世界から称賛されている」と紹介していた。確かに私たちは、奪い合うようなパニックを経験していないかもしれない。でも、この国ならではのパニックに確かに陥っていたのではないだろうか。互いに監視し合い、抜け駆けしないように注視し、批判しあい、みなが同じ方向を向くような力に、縛られていたのではないだろうか。

 

私が「愛国運動」を知ったのは、あの年の夏だった。人類史上最悪の原発事故から半年も経っていない8月に、フジTVに対し「韓流ドラマを流すな」という抗議デモが行われたのだ。あのデモは「愛国運動」ではなく「メディア批判」だ、という人も少なくなかった。が、人びとが振る無数の日の丸や、インタビューに答え「韓国スターは気持ち悪い」と笑う参加者の様子は、メディア批判の体すら取っておらず、嫌韓感情と熱狂的な愛国心が伝わってくるものだった。私は「彼等」のデモを週刊誌の連載などで批判した。

 

それからが大変だった。私は事実無根のことをネットに書かれ、会社の電話が鳴り止まず「日本が嫌いなら出て行け」と叫ばれ、会社のサーバーも攻撃を受け業務を停止せざるを得なかった。顔の見えない人たちから嫌がらせを受けるのが、次第に日常になっていった。

 

 

2013年8月15日、私はニコニコ動画に呼ばれて、「終戦記念日」の番組に生出演することになった。終戦の日に際して、数十人の言論人が一人ずつ10分間演説する、という主旨の番組だった。私は田母神俊雄氏の数人後くらいにステージに立つことになっていて、スタジオに着くと、ちょうど田母神氏が拳をふりあげ力一杯演説をしている最中だった。「韓国、ふざけるな‼」「反日教育するな!」と勢いよく韓国バッシングをする田母神氏に888888 888888の「拍手」が画面に溢れている。途端にその場に来たことを私は後悔した。

 

その日、私は祖母の話をした。今年89歳の祖母は、20歳の時に終戦を迎えた。その祖母が「戦争中一番怖かったのは、米軍でもB29でもなく、隣組のオジサンだった」と言っていた。空襲時に防空壕に入って、万が一そのあたりが火の海になったら確実に「蒸し焼き」になってしまう。だから防空壕には入りたくない、という祖母に、オジサンはギャーギャーわめいて「和を乱すな」と怒ったそうだ。また、戦後、旅館を経営していた祖母は、元日本軍兵士の戦友会で、お酒をつぐこともあった。その時に男たちは「中国で何をしてきたか」と繰り返し話していたという。どのように人を殺したか、どのように拷問したか。そんな話はきっと、妻や子どもたちにはできなかった、同じ境遇にいた男どうしだからこそ語れる話だったのだろう。祖母は「日本軍はそんなことをしていたのかって、本当に怖かったわ」と、私に「元日本軍兵士から聞いたこと」を話してくれた。

 

…そんな話をTVカメラの前で話した。戦争とは「かっこよく死んでゆく」ものでも、「あの国嫌い」というようなものでもなく、容赦なく自由を奪われ言葉を奪われ命を奪い奪うもの、そんなものは絶対にいやだ、と。

 

その話をしたことで何かが起きたわけではない。バッシングされたわけでもない。むしろ自分の話したいことを話せたのだから、それでよかったはずなのだ。それなのに、どういうわけなのだろう。私はその夜から激しい耳鳴りに悩まされるようになった。

 

 

ネットで何を言われても、叩かれても平気だと思っていた。私より激しく攻撃されている人はたくさんいるし、感情的な批判に振り回されないようにしよう、と思っていた。でも私はぜんぜん大丈夫じゃなかったのだと、あの夜に初めて気がついた。もしかしたら「買い占めかよ」と男に言われたときから」、もしかしたら新幹線の中で「逃げる者は恥を知れ」というツイートを読んだ時から、ずっとダメだったのかも。耳の中でずっとカサコソカサコソ音がしていて、動悸が激しく、不安な気分に押しつぶされそうになってようやく気がついた。私はずっと、もの凄いストレスの中を生きてたんだ。人と違うことを言ったり、自分の意見を言ったり、自分の思うままに行動して「間違った」ときに、ものすごい勢いで叩かれる空気が、もう限界だったのだ。

 

その時に、はっきりと私は自覚した。私はこの国が、嫌いだ。とても変な国になっている、この国が嫌いだと。

 

 

そんな私にとって、「愛国にはまる女性」たちは、まったく理解のできない存在に思えた。男とともに「韓流気持ち悪い」と言い、男とともに「慰安婦はうそつきだ」と言う。しかもそんな運動は、あはり3.11以降、目に見えて増えている。

 

もしあの震災と、あの原発事故が、彼女たちのきっかけだとしたら、私と彼女たちの違いは何だろう。3.11以降、この国をほんとうに怖いと思った。逃げたくてたまらないと思っている。一方で、同じように不安に感じ、怖いと思っただろう女たちが「国を愛そう」と動きはじめたのは、なぜだろう。彼女たちには、どんな未来が見えているのだろう。彼女たちの「生き方」は、新しいのか、それとも絶望なのか。

 

この国がどう変わったのか、なぜ私はこの国がここまで嫌になったのか。その答えを探るように、私は彼女たちを知りたいと思いはじめたのだ。

 

 

 


「奥さまは愛国」 / 北原みのり・朴順梨・共著 / 「はじめに」より

 

 

 

 

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