Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

「軍事で国は守れない」~神奈川県基地シンポジウムから

2019年01月13日 | 「市民」のための基礎知識

 

 

 

「軍事で国は守れない」~神奈川県基地シンポジウムから

 

 

 

孫崎(享)です。よろしくお願いいたします。
今日は(米軍)基地の問題を取り上げるということですが、私は根本的な問題である、「軍事力で国は守れない」ということを申し上げたいと思っております。

 

この問題は、第二次世界大戦のあと、新たに起こったことだと思います。私たち人類は歴史を重ねてきましたけれども、軍事力で自分たちを守れないという事態はなかったと思います。それは核兵器とミサイルという二つの兵器の問題があって、この兵器の破壊力があまりにも大きすぎるということから、新しい時代に入ったのだと思います。ただ日本は核兵器を持っていませんし、基本的に攻撃型ミサイルも持っていませんから、この軍事情勢をあまり勉強してこなかった。そのことは、軍事力の限界というものを実はあまり知らないし、考えてこなかったのだろうと思います。右派グループは、しばしば「平和的な手段で日本の安全を確保する」などは「お花畑の議論」と言いますが、私はむしろ、軍事力で平和が確保できるというほうが「お花畑」だと思っています。

 

 

 

■ミサイル防衛はできない

 

相手を攻撃するいちばんの根幹はミサイルですから、ミサイルというものはどういうものであるかを考えてみましょう。

 

ミサイルはたいへんな高速で飛んできます。ロシア、あるいは中国がアメリカに発射したとすると、それが標的に向かって落ちてくるときには秒速8000メートル、北朝鮮のミサイルが日本に落ちてくるときには秒速2000~3000メートルだと言われています。これを迎え撃つと言われ、日本に置かれているPAC3の秒速はマッハ5と言われていますから、秒速1800メートルぐらいです。つまり、落ちてくるミサイルのスピードが迎え撃つミサイルよりも速いのです。

 

いちばんの大きい問題は、たとえばPAC3を配備しましても、この射程距離は15~20キロメートルです。飛んでくるミサイルを80度の角度で迎え撃ちます。射程距離15~20キロメートルですから、実は守っている地域は半径2~3キロメートル(cos80°×15キロメートル=2.60キロメートル、cos80°×20キロメートル=3.47キロメートル)くらいしかありません。だから東京市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地にPAC3を配備しても、国会議事堂も首相官邸も、銀座も新宿も丸の内もどこも守っていないのです。

 

もうひとつ、非常に重要なポイントは、仮に北朝鮮などからのミサイルが日本に来ると想定した場合、日本の経済、社会、政治の中心地を狙って撃ってくるということになりますが、どのポイント、どの地点に落ちてくるのかはわからない。国会議事堂や首相官邸を狙っているかもしれないし、霞が関の官庁を狙っているかもしれない。このどこにミサイルが飛んでくるのかわからないのです。ミサイルがどこに飛んでくるかわからなければ、相手のミサイルの軌道の計算ができませんから、ミサイルを迎え撃って落とすことはできないのです。

 

これから日本政府はいろんなところにミサイルを配備します。しかし、ミサイルは日本の社会と政治と経済の中心地を守るという意味ではまったく実効性はないということをまずお分かりいただきたいと思っています。

 

そうすると、「そんなことを言ってもミサイル実験は成功したという報道があるじゃないか」と言われます。私は1985~6年にハーバード大学国際問題研究所で研究していました。ちょうど1986年に、隣にあるマサチューセッツ工科大学でミサイル防衛のシンポジウムがありました。そこに、「一週間前にミサイル防衛が成功した」という米軍の大佐クラスの人が参加していました。「成功した」とはどういうことなのか。当時のソ連がアメリカをミサイル攻撃の対象としていたのには二つの種類があります。

 ひとつは、政治・経済・社会の中心地へのミサイル攻撃であり、
 もうひとつはアメリカの持つミサイルを破壊するというものです。

アメリカのミサイルを攻撃するということであれば、ミサイル基地めがけて撃ってくるわけですから、当然、ミサイルの軌道を計算できます。だから迎撃できるということなのです。しかし、政治・社会・経済の中心地を破壊しようとしたときには、軌道計算などできませんから、もはやミサイル防衛はありえないのです。これが今日みなさんにお分かりしていただきたいひとつです。

 

 

 

■米軍が日本のために戦い勝つというというシナリオはない

 

もうひとつ、基地の問題を考える上でぜひわかってほしいポイントが一つあります。

 

アメリカにランド研究所というのがあります。米国の軍事研究所の中でもっとも能力が高いといわれているところですが、ここで2015年に次のような報告が出ました。

 

どういう報告かといいますと、「台湾正面」と言っているのですが、尖閣諸島と思ってください。尖閣諸島の周辺で、米中が戦ったら、どちらが有利になるかというものですが、結論から言いますと、1996年の時点では、米軍が圧倒的に勝つ、2003年でも米軍が圧倒的に勝つが、2010年にはほぼ均衡、2017年(予測)には中国が優位、という分析結果を導き出しています。核兵器を使用しないという前提です。

 

これの意味するところはたいへんなことです。日米安保条約があって、日本にはさまざまの基地があります。その前提は、米軍は確実に日本を攻撃する国をやっつけられるということです。ところが、2017年に尖閣諸島周辺で戦ったら、アメリカは負けるという予想の報告書です。なぜこんな現象が起こったのか。日本には米軍の基地があり、その米軍が尖閣諸島で中国と戦ったら負けるということはたいへんなことです。このことはほとんど日本では議論されていないのです。

 

それはさっき言ったミサイルと関係しています。中国はいま人工衛星を飛ばせるようになりました。人工衛星を飛ばせるということは、ミサイルの技術がたいへんに発達したということです。めざす地域に、10センチ、20センチ単位の誤差でしか狂わない、人工衛星を打ち上げられるということはそれくらいの技術を持っているということです。そうするとどうなるかというと、米軍基地の滑走路を攻撃すればいい、ということになります。アメリカは優秀な戦闘機を持っていますから、中国と(空中戦を)戦ったらたぶんアメリカの戦闘機が勝つでしょう。その戦闘機がどこから飛び立つのかといえば、尖閣諸島で戦って給油なしに基地に戻ってくることのできるのは沖縄の嘉手納基地しかありません。ということは、嘉手納基地の滑走路を壊せば、米軍の戦闘機は飛び立つことはできません

 

中国は米軍基地を攻撃できる中距離弾道ミサイル、短距離弾道ミサイル、巡航ミサイルを1200発以上持っていると言われます。ということで、もはや米軍が日本のために戦って勝つ、というシナリオはないのです。

 

 

 

■基地負担は米軍が払うと定められている

 

そうすると、なぜ尖閣諸島で勝てない米軍を置いているのか。沖縄にいる米軍の中心は、海兵隊です。しかし、海兵隊はもともと沖縄を守る部隊ではありません。その海兵隊を沖縄に置いている理由はきわめて単純だと思います。沖縄においておけば海兵隊の費用の7割は日本政府が払ってくれる。フィリピンであれば、フィリピン政府は、(フィリピンに)米軍基地を置くのであれば、当然米軍に、費用を負担しせなさい、と言います。しかし、日本であれば、日本政府は基地費用の7割を負担してくれるわけですから、米軍にとってみれば、これほどありがたいことはありません。

 

それでは、日米地位協定では、基地負担をどのように書いてあるでしょうか。日本が持つのは25%か、50%か、75%か、100%か。答えは、実はゼロなのです。

 

基地の問題について関心がある方でも、ゼロと思っている人は少ないと思います。しかし、日米地位協定には24条で、「日本国に合衆国軍隊を維持することに伴うすべての経費は、(2)に規定するところにより、日本国が負担すべきものを除くほか、この協定の存続期間中日本国に負担をかけないで合衆国が負担することが合意される」と、基本的に在日米軍基地の経費は米軍が自分で払うと書いてあります。ところが、日本が米軍の基地の負担をしなければならないと地位協定で義務づけられていると思わされている。いかに「洗脳」がすすんでいるか、ということです。

 

私は、この問題は、非常に深刻な意味合いを持っていると思っています。そもそも、米軍がなぜ日本にいるかといえば、米国の世界戦略のためにいるわけです。考えてみれば、横須賀にアメリカ第7艦隊の旗艦船がいます。なぜ横須賀なのか。横須賀を守るためなのでしょうか。太平洋、インド洋、あるいは湾岸を守るために第7艦隊入る。ということであれば、第7艦隊の費用は日本が払わないことになっている、といえばしっくりきます。また、沖縄にいる海兵隊は、アメリカが世界に出撃する緊急部隊ですから、なにも日本を守るためにいるわけではありませんから、日本が費用を負担する必要はありません。これらのことは非常に重要であって、日本の負担は基本的にゼロなのです。

 

 

 

■「軍事に意味なきおカネ」が生活をおかしくする

 

2016年11月に、読売新聞が、防衛省の資料をもとに各国の米軍基地負担の額を報じました。それによれば、
日本が7612億円、
ドイツが1876億円、
イタリアが440億円、
韓国が1012億円、
イギリス286億円となっています。

 

日本が米軍基地の負担をゼロにするということでなくても、せめてドイツの1876億円なみにすれば、5000億円くらい浮きます。5000億円あれば何ができるでしょうか。社民党の福島瑞穂議員がツイッターで国公立大学の無償化は4168億円、同じように小中学校の給食無償化は4720億円と試算を公表しています。自民党はしばしば教育の無償化を憲法に書き込もうと吹きますが、せめてドイツ並みの自主外交をやっていれば、国公立大学の無償化はできるのです。

 

若い人たちにしばしば言っているのは、日本がもう少ししっかりとした安全保障政策をとればそのおカネは教育に行くかもしれないし、保育園に行くかもしれない。軍事に意味のないおカネを費やすということは、私たちの生活をおかしくすることだということです。社会保障と軍事費にどれくらい出すかということは、実はおカネをどのように使うかということとものすごく関係があるのです。

 

 

 

■東アジアで外交的協力関係をつくる

 

安全保障の問題で、今日申し上げさせてもらったことでいちばん言いたいことは、「軍事でもって平和は保てない」ということです。それではどうしたらいいのか、という話になります。

 

いちばん戦争の理由になるのは、領土問題です。これはでも、解決すればいいのです。さらに重要なことは、第一次世界大戦、第二次世界大戦を戦ってきたドイツとフランスがこんにちなぜ戦争をしないのか。憎しみをやめて協力することが利益になる、そんな政策をドイツとフランスがやってきたからです。

 

最初は、戦争の源になる石炭、資源の問題、そして武器になる鉄。この石炭と鉄を欧州で共有しようということから始まり、こんにちのEUに連なりました。協力があるから戦争はしない、という体制を作りました。同じようにASEAN諸国にも、長きにわたる努力で、武力で問題を解決しない、外交で解決するという姿勢が行き渡っています。

 

なぜ東アジアでそれができないのか。私は、やろうと思えばできるものだと思います。軍事力ではなくて外交的な協力関係をつくることによって、日本の平和を達成する、このような道を歩んでいくべきではないかと思います。

 

 

 

 

 

「軍事で国は守れない」~神奈川県基地シンポジウムから/ 2018年11月23日、日本共産党神奈川県委員会主催。/ 「前衛」2019年2月号より

 

 

 

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「学校が教えないほんとうの政治の話」の目立った点(1)

2016年07月17日 | 「市民」のための基礎知識






政治参加の第一歩は、あなたの「政治的なポジション(立場)」について考えることです。政治的なポジションは、結局のところ、二つしかありません。


「体制派」か「反体制派」か、です。


「体制」とは、その時代時代の社会を支配する政治のこと。したがって「体制派」とはいまの政治を支持し「このままのやり方でいい」と思っている人たち、「反体制派」はいまの政治に不満があって「別のやり方に変えたい」と考えている人たちです。


さて、あなたはどちらでしょう。


どっちでもない?  あ、そうですか。そんなあなたは「ゆる体制派」「ぷち体制派」「かくれ体制派」です。どっちでもない、つまり政治に無関心で、とくにこれといった意見がない人は、消極支持とみなされて自動的に「体制派」に分類されます。


先にいっておきますが、政治的な立場に「中立」はありえません。


世の人びとはとかく「自分こそが中立で、まわりが偏っているのだ」といいたがります。あるいは「自分こそが正義で、まわりがまちがっているのだ」と考えたがります。とんだ誤解というべきでしょう。民主主義とは多種多様な意見を調整し、よりよい結論を導くためのしくみです。人の意見は多様なものである、という前提に立てば、どんな意見も少しずつ「偏っている」のが当たり前なのです。


とはいうものの、どんな国でも、どんな時代でも、数として多いのは「ゆる体制派」の人たちです。投票で国や自治体の代表者を選ぶ民主主義の下では、「体制派」は「多数派」とほぼ同じといっていいでしょう。政治に関心を持てと大人はいいますが、そんな大人もたいていは政治にたいして関心のない「ゆる体制派」なのです。


体制の側に立つか、反体制の側に立つか。あなたがどちらの立場に近いかは「いまの日本」をどう評価するかにかかっています。
A  豊かとはいえないけれど暮らしてはゆけるし、いまのところ平和だし、インターネットも使えるし、世の中こんなもんでしょ、と考えるか。
B  格差は広がっているし、ブラック企業が平気ではびこっているし、国は戦争をしたそうだし、こんな世の中まちがっているよ、と考えるか。


物事を楽観的にとらえて楽しく暮らすAタイプの人が「(ゆる)体制派」なら、社会のアラをさがし出し、ものごとを悲観的に考え、日本の将来を憂えるBタイプの人は「(ゆる)反体制派」になりやすい傾向がある、とは言えるでしょう。


人生、「ゆる体制派」でいけるなら、それに越したことはありません。政治のことを考えずに暮らせるのは幸せな証拠。本人がそれでよければ、なんの問題もありません。もちろんあなたが幸せでも、誰かを踏みつけている可能性はありますが。


これに対して「反体制派」は、自ら選ぶというよりも「やむをえず選ばされてしまう」立場、というべきでしょう。誰だってお上(体制)になんか、できれば刃向かいたくはありません。ところが「体制派」「ゆる体制派」だった人たちが、突然「反体制派」に転じる場合があります。「政治に目覚める」とは、じつのところ、こういうケースを指す場合が多いのです。




 

 

「学校が教えないほんとうの政治の話」 第1章 p.18-20 / 斎藤美奈子・著




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「国を愛する心/ 『国を愛する心』/ 三浦綾子・著」の目立った点 (1)

2016年04月06日 | 「市民」のための基礎知識






お便り拝見いたしました。

あなたもまた、近頃テレビや新聞でたびたび取り上げられている教科書問題について、若い母親のひとりとして、真剣に心配していられるのですね。

「私はその時まだ生まれておりませんでしたから、日本の国が、ほんとうに他国を侵略したものか、しないものか、よくわからないのです。また、終戦というべきか、敗戦というべきかもわからないのです。私は子どもに真実を教えたいのです。三浦さんは、第二次世界大戦において、日本が中国その他を侵略したと思いますか、ほんとうのところを教えてください」。

このお便りのなかに私は、あなたの謙遜と真実を感じました。私はある人から、「あなたはそれでも日本人ですか。日本が侵略をしたとか、残虐なことをしたとか、いろいろ書いていますが、あなたには愛国心がないのですか」とい手紙をもらったことがあります。困ったことに、これからはますます、「おまえはそれでも日本人か」という言葉が、多く使われるような気がしてなりません。

ところで、この間、澤地久枝(ノンフィクション作家、1930年=昭和5年生まれ)さんの講演会が旭川でありました。850人で満席になる会場に950人も入ったのです。澤地さんの話が終わったとき、ほんとうに嵐のような拍手が、いつまでもいつまでも鳴り響いておりました。誰もが、受けた感動をその拍手に込めたのです。(中略)

澤地さんは「もう一つの満州」というノンフィクションの中に書かれているとおり、少女時代、満州に育った方です。この澤地さんが昨年(=1981年)満州を訪ねられました。一人の抗日青年の生涯と、無残な死を調べるためでした。その取材旅行において、澤地さんは、日本が犯した数々の怖ろしい残虐行為を直接中国人の口からきかされたそうです。肉親の誰彼が、日本人の手によって、目の前で虐殺された話、一つの村が、赤子から老人まで皆殺しにされた話など、身の毛がよだつむごたらしい話であったと言います。

戦後40年にもなろうとして、いまだにそうした忌まわしい記憶を引きずって生きている人々のいることを、澤地さんは改めて知らされたのです。それらの人びとの目に、消しがたい悲しみと恨みを見たとも澤地さんは言われましたが、当然のことでしょう。

私たちは、敗戦後、初めて南京大虐殺の話を聞いたものでした。小さな子どもが串刺しにされたこと、妊婦がその腹を引き裂かれたこと、非戦闘員が一つ建物に閉じ込められて焼き殺された話なども聞きました。もし、私たちの故国に、他国の軍隊が乱入して、このような殺戮をくり返したとしたら、私たちはそれを「進出された」と言うでしょうか。それとも「侵略された」というでしょうか。いいえ、もっと強烈な表現を取るのではないでしょうか。日本政府が「侵略」という言葉をどんなに教科書から消し去ろうとも、いまなお現実に、肉親の無残な死を思い、悲しみ憤っている人々がたくさんいるのです。その人たちの胸から、「侵略」という言葉をどうして消し去ることができるでしょう。

学問は真実でなければなりません。とりわけ歴史は、その時の政府の都合で、勝手に書き改めるべきものではありません。一たす一は二であるはずです。けれども、一たす一は五であるという教科書がもしあったとしたら、あなたはその教科書を子どもさんに与えますか。明らかな侵略を進出などという言葉に置き換えることは、一たす一は五である、というのと同じで、いったい、一たす一は五であると強弁することが愛国心なのでしょうか。私には到底そうは思えないのです。私たちの国が、ほんとうにどんな歩みをしたのか、その真実を私たちは知るべきです。そして誤った歩みをしていたならば、その責任を取るべきです。それともあなたは、自分の子どものすることなら何でもよしよしというのが、親の愛だと思いますか。弱い者いじめをしようと、体の不自由な人も真似をして、そうした人々を辱めようと、他の人に乱暴しようと、人の家に火をつけようと、黙って見ているのが親の愛だと思いますか。


…(中略)…


さて、国を愛するとは、いったいどういうことでしょう。時の政府の言うままに、唯々諾々と従うことなのでしょうか。「侵略ではなかった、進出だった」と政府が言えば「そのとおり、そのとおり」と拍手をし、「戦いは負けたのではない、終わったのだ」と言えば「そうだ、そうだ」とうなずくことなのでしょうか。

あなたはまだ生まれていなかったそうですから、戦争中のことは何もご存じないでしょう。しかし(戦争中)二十代だった私は、当時の国民が、どんなに自分の国を信頼し、誇りに思っていたかを知っています。国のために死ぬということは、男性は無論のこと、私たち女性も、この上ない名誉に思ったことでした。そして、勝利を祈ってしばしば神社に参拝し、慰問袋を戦地に送り、かき消えるように亡くなった食料の乏しさにも愚痴を言いませんでした。いいえ、食料どころか、たった一人の息子を戦死させても、一生の伴侶である夫を戦地に死なせても、「お国のためだ」と歯を食いしばってその悲しみに耐えたのです。そうした純粋な気持ちを、私たち国民は、戦争のために利用されたのでした。そして戦争は負けたのでした。

私たち庶民は、戦争がある種の人びとの儲ける手段であるなどとは、夢にも思わなかったのです。あの時、戦争はいけないと言った人がもしあれば、その人こそ真の意味で愛国者だったのです。そうした人もわずかながらいました。でもその人たちは、国のしていることはいけない、と言ったために獄にとらわれ、拷問され、獄死さえしたのでした。真の愛国者は彼らだったのです。国のすることだから、何でもよしとするのは、国が大事なのではなく、自分が大事な人間のすることです。

もし、第二次大戦のとき、すべての日本人が戦うことを拒んでいたなら、原爆にも遭わず、何百人もの人が死なずにすんだのです。いや、他の国々のさらに多くの人々が殺されずにすんだのです。とにかく、日本の犯した罪を知っている人々が、侵略は侵略だと言い、敗戦は敗戦だと言っているはずです。でもその数が次第に少なくなっていくだろうという予感に、私は戦慄を覚えます


こんなお返事でお分かりいただけたでしょうか。日本と世界の真の幸福を祈りつつ。

 

 

(小学館発行月刊誌「マミイ」1982年11月号初出/ 1982-11-01/ 三浦綾子)

 

 

 

 

 

 

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安倍政権の裏の顔~『攻防・集団的自衛権』ドキュメント 1.ことの起こり

2015年09月20日 | 「市民」のための基礎知識

 

 

 

 

 

2001年初夏、元駐タイ大使岡崎久彦は、安全保障研究の第一人者である佐瀬昌盛・現防衛大学名誉教授の自宅に電話した。佐瀬は、「集団的自衛権(PHP新書)」を出版したばかりだった。

 

集団的自衛権は、自分の国が攻撃を受けていなくても、密接な他国が攻撃を受けた場合、いっしょになって反撃できる権利のことだ。憲法9条を持つ日本では、日本に直接攻撃があった場合にのみ反撃できる個別的自衛権しか認められていない。当時は集団的自衛権が政治課題にまったく上がっていなかったこともあり、専門的に扱った本は少なかった。

 

岡崎は電話で佐瀬にこう伝える。 「この本は最高の教科書だ。これで政治家を教育しよう」。 その後二人は作戦を練るために会った。佐瀬は尋ねた。 「どうやって政治家を教育するんだ」。 岡崎は、 「各個撃破だ。ひとりひとり教育していこう」、と答えた。 「だれからやるんだ?」 佐瀬の問いに岡崎は、まだ衆院当選三回にすぎなかった若手議員の名を即答した。 「安倍晋三だ。あれはぶれない」。

 

 

 

1980年ごろ、外務省から防衛庁に出向していた岡崎のもとを、米海軍の司令官が訪ねてきた。中東ではイラン・イラク戦争が起きていた。米海軍司令官は、在日米軍横須賀基地からペルシャ湾のホルムズ海峡までパトロールする任務のつらさを語った。

 

米艦船の甲板は、夏場にはセ氏50度にもなる。船内に冷房はなく、夜でも温度は下がらない。石油運搬の要衝海域であるホルムズ海峡を通るのは、「〇〇丸」という名前がついた日本のタンカーが多かった。それを守る米海軍の水兵たちは司令官を、「どうして日本の自衛隊が守らないのか。どうして、俺たちだけがつらい任務をしないといけないんだ」と突きあげていた。

 

司令官は岡崎にこう告げた。 「私は日本の政治の都合上、自衛隊がタンカーを守れないことは分かっているつもりだ。しかし、水兵たちには分からないんだ。わたしはただ、水兵たちが怒っているということだけでも、岡崎に理解していてほしい」。

 

日本に原油を運ぶタンカーのほとんどは、パナマ船籍かリベリア船籍だった。日本の海運業者は、税金や人件費を節約するため、経費が安い国に便宜上、船を登録する。自衛隊は日本船籍のタンカーなら守れるが、外国船籍を守ると集団的自衛権の行使にあたり、憲法違反になる恐れがあった。

 

岡崎は司令官の愚痴を聞き、「こんなばかばかしい話はない」と憤る。集団的自衛権の行使を認めるべきだと思った瞬間だった。

 

 

 

それから約10年後、岡崎の憤りは、外務省の怨念へと変わっていく。 イラクがクウェートに侵攻したことを機に勃発した湾岸戦争。当時の外務省条約局(現・国際法局)は、憲法の解釈をつかさどる内閣法制局に対して、 「自衛隊に多国籍軍の負傷兵の治療をさせたいが可能か?」と問い合わせた。しかし、返ってきた答えは、 「憲法9条が禁じる武力行使の一体化にあたる」と、派遣を否定するものだった。結局、日本は130億ドルを拠出したが、「カネしか出さないのか」と、米国を中心とした国際社会から強い批判を浴びた。それはやがて外務省内で「湾岸戦争トラウマ」と言われるようになった。

 

 

■「日本は禁治産者だ」

 

2000年5月の衆院憲法調査会。安倍は、「日本は持っているが、使えない」とい集団的自衛権についての政府見解を激しく批判した。

「かつてあった禁治産者は、財産の権利はあるけれども行使できなかった。まさにわが国が禁治産者であることを宣言するようなきわめて恥ずかしい政府見解ではないか」。

 

日本の安全を考えたうえでの政策的な必要性よりも、国家が当然、持つべきものを持っていないのはおかしいという観念が優先しているようだった。そこには、祖父・岸信介の考えが見える。岸は、日本での内乱を米軍が鎮圧することを許した旧日米安全保障条約を「不平等だ」と考え、安保改定に踏み切った。集団的自衛権を行使できるようになると、日本も米国を守ることができる。日米同盟がより対等な関係となり、真の「独立国家」へと一歩近づく。

 

安倍が強烈に意識する岸の答弁がある。

「外国に出て他国を防衛することは憲法が禁止しておる。その意味で集団的自衛権の最も典型的なものは持たない。しかし、集団的自衛権がそれに尽きるかというと、学説上、一致した議論とは考えない」

1960年の参院予算委。首相だった岸は、憲法9条のもとでは、外国まで自衛隊を派遣して、その国を守る典型的な集団的自衛権を持つことはできないが、そうでない限定的な集団的自衛権ならば、行使できる可能性を示唆していた。

 

当時、集団的自衛権を行使できるかどうか、政府の憲法解釈は固まりきっていなかった。

「国際法上は保有するが、憲法上、行使できない」

という憲法解釈が次第に固まってくるきっかけは、ベトナム戦争だった。1965年に米軍が北ベトナムを爆撃して以降、戦争は泥沼化する。

「米国の戦争に巻き込まれるのではないか」という世論の不安を背景に、野党が自民党政権を追求した。

政権は、「集団的自衛権が行使できないため、ベトナム戦争に参戦できない」という理屈で、野党の批判をかわす答弁が1970年代にかけて積み重ねられた。そして、

「持ってはいるが、使えない」

という憲法解釈が1972年の政府見解、1981年の答弁書で固まる。

 

1960年の岸の答弁は、安倍にとって、まるで「遺言」のようなものだった。「持っているが、使えない」という憲法解釈を忌み嫌い、それを変える推進力になったと同時に、

「限定的にしか使えない」という理屈にもつながってゆく。

 

 

■小泉内閣で共闘した旧友

 

安倍は、衆院憲法調査会で集団的自衛権の行使容認を訴えてから二か月後の2000年7月、第二次森内閣で内閣官房副長官に就任した。首相官邸で執務する官房副長官は、将来有望とされる中堅議員の登竜門だ。安倍が権力の中心に近づいたことは、岡崎ら集団的自衛権の行使を求める勢力にとって、大きな好機だった。
「一緒に相談してやろう」
岡崎は安倍に集団的自衛権の行使容認に向けて動き出すよう促した。翌年、小泉純一郎に首相が代わったが、安倍は副長官に留任した。安倍と岡崎は、集団的自衛権を使えるよう憲法解釈を変えることを小泉に働きかけ続けた。

2001年5月の国会答弁で、小泉はついに踏み込む。
「憲法に関する問題について、世の中の変化も踏まえつつ、幅広い議論が行われることは重要であり、集団的自衛権の問題について、さまざまの角度から研究してもいいのではないか」。
しかし、9月、米国で同時多発テロが発生し、集団的自衛権を使えるように憲法解釈を見直してゆくという動きはとん挫した。岡崎は当時をこう振り返った。
「この最中に、集団的自衛権を持ち出すと混乱する。遠慮して引っ込めた」。

 

 

 

■官房長官時代から準備

 

安倍は2005年10月、官房長官として初入閣した。ポスト小泉を見据えながら、集団的自衛権の行使容認への動きを加速させる。
「集団的自衛権行使容認に向けて、官房長官のころから綿密に検討していた」。
第一次政権で首相秘書官を務めた井上義行(後、参院議員、現在は落選)は明かす。
井上は官房副長官、官房長官時代も安倍の秘書官を務めた。安倍の知恵袋になっていたのは、当時、外務事務次官の谷内だった。安倍と谷内は、北朝鮮による拉致問題をめぐり、北朝鮮に対して強硬姿勢をとる方針でも一致し、気脈を通じていた。

 

そして、安倍は2006年9月、首相に就任する。
満を持して2007年、有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を立ち上げた。
谷内は、後輩で国際法に詳しい外務省国際法局長の小松一郎と二人で、
「米艦船が攻撃された場合に自衛隊が応戦できるか」
「米国に向かう弾道ミサイルを撃ち落とすことができるのか」
など、「憲法上できない」とされてきた4つの類型を練り上げ、集団的自衛権の行使容認について、議論の流れを作り出した。
しかし、安倍は約1年で退陣、安保法制懇の議論は宙に浮いた。

 

憲法解釈の見直し議論は雲散霧消したかに見えた。
だが、安倍は2012年12月、民主党から政権を奪い返し、首相に返り咲く。
解釈変更に向けて、外務省との二人三脚の関係をさらに強め、外務省出身者を要路に配置して突き進むことになる。

 

「集団的自衛権を持たない国家は禁治産者だ」
という安倍の観念と、外務省の「湾岸トラウマ」の怨念。二つの「念」は集団的自衛権の行使容認に向けた大きなエネルギーとして結びついた。

 

 

 

「安倍政権の裏の顔~『攻防・集団的自衛権』ドキュメント」/ 朝日新聞政治部取材班・著 より

 

 

 

 

 

 

 

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(インタビュー)力の論理を超えて ハーバード大学名誉教授・入江昭さん

2014年06月21日 | 「市民」のための基礎知識

 

 

 

 

                                                                              

   「過去は変えられないのだから、国家間の相互依存をさらに高めるしかないのです」=米ケンブリッジのハーバード大学、坂本真理氏撮影
 

 

 

 
 日本では、安倍政権による集団的自衛権行使容認に向けた議論が大詰めを迎えている。国家と軍事力という「力」の論理が前面に出ているが、60年前に米国に渡り、歴史研究を続けてきた入江昭ハーバード大名誉教授は、グローバル化した現代において、国家中心の世界観はもはや時代遅れだという。いま必要な視点は「シェア」と「つながり」だという入江氏にその理由を聞いた。

 

 


  ――長く米国で暮らす歴史家の目に、安倍政権下の日本はどう映っていますか。


   「自国中心的な見方に陥っていると思います。 『美しい国』 『日本の誇りを守る』 といった言葉に象徴される国家中心の思考は、あまりに現在の世界のあり方を知らない」

 

 


  ――時代からずれている、と?


   「そうです。最近の歴史学は大国間の関係、領土問題やパワーゲームだけに注目するのではなく、多国籍企業やNGO、宗教団体などの非国家的存在や、国境を超えた人間のつながりに重きを置いています。環境問題やテロリズムをはじめ、一つの国の内部では理解も解決もできない問題がほとんどだからです」


   「僕自身、過去には英米や中国の歴史、国際関係史など、国を単位とした歴史学を研究していました。国家にとらわれずに歴史を見る風潮が研究者の間に生まれたのは1980年代の終わりごろですが、私自身もそう感じ始めていました。米歴史学会の会長を退任する際にスピーチをし、『歴史学はもっと世界全体を見ないといけない』 と訴えると、予想以上に賛同してくれた人が多かった。それまでの歴史学は時代区分も西欧史を他国に当てはめる発想でしたが、西欧を中心から外す、ディセンターという考え方が生まれた。さらに、国家ではなく地球を枠組みとするグローバル・ヒストリー、国家間ではなく国境を超えた関係に注目するトランスナショナルと呼ばれる研究が進みました」


 

 

  ――国際関係論や政治学では、まだパワーポリティクスの理屈が目立ちます。「国境を超える」と言っても、現実的じゃないと言われませんか。


   「国際関係論における 『現実主義的な見方』 は皮相的で、現在の世界ではあまり意味を持たないと考えています。 『大国の興亡』 を書いたポール・ケネディ氏はたいへん立派な学者ですが、国益の衝突が世界を動かすという史観は非常に一面的です」


   「日本では60年代に現実主義的な見方が浸透しました。 『現実主義者の平和論』 を書いた国際政治学者の故高坂正堯(まさたか)さんとは親しく、当時は僕の考えも近かった。日米安保への観念的な反対には違和感を持っており、日米間の緊密な連携は重要と考えていたのです。国際関係史を専攻すると、軍備競争や政策決定論を重視せざるを得ないものですから」


   「しかしパワーバランスばかりに注目し過ぎたため、90年前後の東西冷戦の終結を予想できた研究者は僕を含めて誰一人いなかった。現実主義は面目を失ったと言えるでしょう。例えば今では、75年のヘルシンキ宣言でソ連が人権尊重を認めたことにより、東側諸国に民主化の希望が広がったと考えられていますし、同時にグローバル経済がソ連体制へ与えた影響も予想以上に大きかった。そんな国家を超えた深いつながりを理解しないと、冷戦終結は導けない。現実主義というのは 『文化や社会、思想による世界の変化』 を認めない考えなのです」


   「力対力の外交も大切ですが、それは他のつながりに比べると根本的ではないと多くの歴史家が考えるようになりました。トランスナショナルな歴史学というのは国家を超えた関係、例えば移民や文化交流、環境問題、女性運動、さらにはテロリズムなどを研究対象とします。昔から、歴史家が現在の歴史を認識するには30年かかると言われてきましたが、ようやく概念が現実に追いついたのかもしれません」

 

 

 

      ■     ■


 ――日本では今、中国の拡張主義への懸念が強まり、逆に「国家」が前面に出ていますが。


   「旧来の地政学的な発想ですね。中国の拡張主義は一面に過ぎないでしょう。これだけモノと人とカネが国境を超えて動いているのに、領土という動かないものだけを重視するのは世界の潮流に逆行します」


   「中国もまた変わらざるを得ません。国民すべてが中国政府の命令で動いているわけではないし、私の知る中国の研究者や留学生はみんな政府とは違う考えを持っている。日中、日韓の間にはシェア、共有できるものがたくさんあります。世界各国が運命を共有する方向に向かっているのに、 『中国が侵略してくる』 とだけ騒ぐのは、全体が見えていない証拠でしょう。領土だけに拘泥し、東アジア全体の状況を深刻化させているように見えます」

 

 


  ――憲法9条は現実に合わないという声があり、安倍晋三首相は集団的自衛権に踏み込もうとしています。


   「時代遅れなのは憲法9条ではなくて現実主義者の方でしょう。過去70年近く世界戦争は起きていないし、武力では国際問題は解決しないという考えに世界の大半が賛成している。」

  「集団的自衛権を行使する代わりに米国に守ってもらおうというもくろみも、まったく第2次世界大戦以前の考え方です。戦後日本が平和だったのは日米安保の核の傘のおかげか、9条のおかげか、という問いに簡単に答えは出ませんが、少なくとも日本自身が近隣に脅威を与えることはなかった。これは経済成長に必須の条件だったわけで、日本こそグローバル化の動きに沿っていた。いまや米国もオバマ大統領の下で軍備を縮小しようとしており、日本は世界の最先端を歩んできたのです。卑下したり自信喪失したりする必要はまったくない。それを今になって逆行させるというのは、日本の国益にもつながりません」

 

 


  ――日本国内では、排他主義的な動きも目立ち始めました。


   「フランスでも右翼政党が躍進しました。各国に共通する過渡的な現象だとは思いますが、非常に深刻ですね。経済の停滞により、自分たちが取り残されるのではないかという焦りが生まれ、偏狭なナショナリズムに向かわせるのでしょう」


   「ナショナリズムと言えば、歴史を直視することを自虐史観と批判する人たちもいますが、本当に日本に誇りを持つなら、当然、過去の事実を認めることができるはずです。現代人の見方で過去を勝手に変えることはできないと、歴史を学ぶ上で頭にたたき込まれました。様々な角度から深掘りして見ることは大切だが、いつ何があったという事実そのものは変えてはならない。例えば日本人でもトルコ人でもブラジル人でも、世界のどの国の人が見ても歴史は一つしかない。共有できない歴史は、歴史とは言えないのです」

 

 

 

      ■     ■


 ――「国家を超える」と言っても、経済のグローバル化には、格差拡大などの負の側面もあります。


   「だからと言って、冷戦や保護貿易主義の時代に戻ることはできません。環太平洋経済連携協定(TPP)も国益の対立と捉えるのは誤りで、基本的に私は賛成です。マイナス面を是正するには、経済以外の結びつきを尊重し、人間の意識も国境を超えることが求められます。カネの動き、人の動きはもう止められない。これからは、非国家的存在、国際NGOのような人道主義的なつながりがグローバル化の世界にもっと入ってくる必要があります」

 

 


  ――ではグローバル化に、個人はどう向き合えばいいのでしょうか。


   「今年、イリノイ州の公立高校を卒業した孫娘は、母親が日本、父親はアイルランド系です。また今年、送り出した最後の教え子の大学院生も父はドイツ系、母は中国系で、たいへん優秀な生徒でした。このように米国社会は人種の融合が進んでいます。オバマ大統領もそうですから。人も社会もいわば『雑種化』していく。これからの世界に希望があるとしたら、そこだと思います」


   「日本でも、明治維新というのはいわば文化の雑種化でした。それにもかかわらず、今になって排外的で国に閉じこもるような動きがあることが理解できません。日本だけがグローバル化の例外というわけにはいかないでしょう。 『古き良き日本』 などに戻ることはできないのです」

 

 

 

     *

 


  いりえあきら 34年生まれ。
  高校卒業後に渡米、シカゴ大、ハーバード大の教授を歴任した。元アメリカ歴史学会会長。
  近著に「歴史家が見る現代世界」。

 


  ■取材を終えて


 入江さんの言葉を反芻(はんすう)し、「理想主義と現実主義」について、改めて考えさせられた。「現実を見ろ」と言いながら、世の中の変化を黙って見過ごし、現状を肯定する罠(わな)に陥ってはいないか。グローバル化した世界では、国家を超えたつながりやシェアが鍵だという考えは確かに理想論かもしれない。だが理想こそ、あるべき未来をたぐり寄せる。今年80歳になる歴史家のしなやかな知に学ぶことは多い。


  終戦直後、国民学校5年生だった入江さんは、教科書の軍国主義的な記述を墨で塗らされた。それが歴史家としての原点だったという。国家は歴史をねじ曲げるし、簡単に書き換えもする。この経験こそが、「国境を超えて共有される歴史を編む」という覚悟を生んだのだろう。


  (ニューヨーク支局長・真鍋弘樹)

 

 

 


 朝日新聞デジタル 2014年6月19日05時00分

 

 

 

 

 

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「現代社会と自己への道」の目立った点~「もういちど読む、山川『倫理』」通読(1)

2011年04月15日 | 「市民」のための基礎知識

 

 

 

 

自分を探す旅

 

 

 

日常生活の中で、ふと、自分は何のために生きているのだろうか、自分はこれでよいのだろうか、これから自分はどうなるのだろうかという、さまざまな自己への問いかけが生まれることがある。

 

わたしたちは、このような心にわきあがる問いに対して、自分なりの答えを見つけ出そうとする。そのような試みのひとつが倫理、すなわち人間の生きる道筋を考えることである。人間は生きている限り、自己の生き方を問いかけ、、倫理を模索し続ける存在といえるかもしれない。

 

地球には、今まで無数ともいえる多様な生物が生まれてきた。その中でわたしたち人類は、あるときから命の神秘と価値に目覚め、命を守り、成長させることが善であり、命を傷つけ、破壊することは悪であることを悟った。人類だけが倫理や道徳という文化を持つことは、命の価値を自覚できる唯一の生きものとして、命への責任のあらわれと言えよう。それはまた、命を生み、育てる奇跡的な地球の自然への畏敬の念にもつながる。倫理をはじめ、哲学、宗教、芸術などの文化が生まれた根源は、そのような人類の命への目覚めや、自然への畏敬にあるともいえよう。とくに倫理は、与えられた命の重みをかみしめ、命を生み出した自然への畏敬の念を新たにすることでもあるだろう。

 

わたしたちは、このような人類の精神が目覚める歩みのなかに生きている。それは、自己とは何か、人間とは何か、人生とは何かを問い続ける長い長い心の旅である。その旅の道しるべとして、先人たちのさまざまな思想について学んでみよう。

 

 

 

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近代国家におけるアイデンティティの「素」ってなに?

2009年07月12日 | 「市民」のための基礎知識

おひさしぶりで~す。ずいぶんさぼっちゃってますね~。でも放置していても訪問してくださる方々がいらっしゃって、胸にじーんとくるものがあります。気まぐれにしか更新しないブログですが、これからも時々でも覗いてやってくださいませ。

 



さて、ひさしぶりにエントリーするに当たって、最近話題になった国旗国歌への態度の問題に関連して、「『国』とは? 『愛する』とは?」という憲法研究者の樋口陽一さんの記事をご紹介しようと思います。これは月刊誌「世界」の2006年6月号で特集された「憲法にとって『国』とは何か」というテーマの特集記事群の中の一本です。改憲の動きに対して、近代民主主義の原則をもう一度考え直そうという特集です。教育基本法改訂以前の考察です。

教基法改訂への動きがうねり始めた時代背景に、日本人なら国旗を崇拝するべきだの、君が代斉唱時に伴奏・斉唱拒否するなら日本を出て行け、など、「国」や「日本人」といったことばが多用された流れがあります。それは改訂された現在、裁判所が堂々と憲法にそぐわない判決を出してきている状態へと発展してきています。

改訂教基法の中の「愛国心」の表記を問題の俎上にのせて、「伝統と文化を尊重し、それらを育んできたわが国と郷土を愛する…態度を養う」という文言ですが、そもそも近代国家における国民の結合は、文化とか伝統で結びつけるものではないのではないか、そういう考察を述べている記事です。

改訂教基法は憲法と明らかにそぐわないものになりました。自民党の眼目は、かねてよりアメリカから要求されてきた改憲です。改訂教基法の精神を憲法にも書き込もうと言うものです。

樋口さんはかつて対談されたある作家の考えを引き合いに出されます。その作家は「ネーション」と「ステート」をしっかり区別するべきと提案されたのだそうです。

「ネーション」による結びつきというのはまさに改訂教基法が「愛国心」について言うところの、「伝統と文化」を生来的に共有する民族の集まりが国家である、とする考え方です。しかし、近代国家とは、「ステート」である、ということを強調しておられるのです、樋口さんは。「ステート」は法体系によって結びつけられるもので、それはさまざまにユニークな個々人による「社会契約」という新しい概念によってつくられるものが近代国家だ、とおっしゃられます。

ややこしいですね。「ネーション」は、血のつながり、民族という括りで結び付けられた集まりであり、近代国家はそのようなものではないのです。この説明を、「ネーション」と「ステート」の類似概念である、「エトノス」と「デモス」をつかったこういうたとえ話を述べられます。

「エトノス」というのは、民族、血のつながり、ナショナル・アイデンティティという意味であり、「デモス」は人為、民主主義、制度、の意味です。「ネイション」、「ステート」の概念との類似が感覚的にわかっていただけるでしょうか。

 

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デモスとしての国民国家は、人びとの生活実感としては、何でまとまろうとするのか。

井上ひさしさんの芝居に、『兄おとうと』という、吉野作造を取り上げたものがありますが、劇中、主人公の作造に言わせているこんな言葉があります。

ナショナリストの若者が斬奸状(悪者=奸を切り殺す趣意を書いた書状)を持って糾弾に来るのに対して、「このおにぎり(国民の集まりである国家を、米粒を集めたおにぎりに喩えている)の『芯』になっているのはなんだろう」と問いかけながら、吉野が応える場面です。

 

国の素(もと)は何か。

若者はまず、「民族だ」という。吉野は、「ちがうな。民族も種族も国の素にはならない」と言う。なぜなら、「世界のどこを探しても純血な民族など存在しない。わが国もまたしかり」と。

つぎにナショナリストの若者が、「国語を話すから日本人、それで決まりだ」と言う。吉野は「それもちがう。多言語国家もあれば、ひとつの言語を使ういろいろの国があり、その逆もある」と応える。

さらに、「この日の本の国をひとつに束ねているのは国家神道に決まっている」と若者が言うと、吉野は「それでもない。明治以前にはそんなものはなかった。宗教が国の素というのなら、イランもイラクもイエメンも、コーランの教えのもとにひとつの国になっていてもよいはずだが、そうはなっていない」と応える。

結局、「民族、ことば、宗教、文化、歴史、全部だめ。なら『芯』は何か」。吉野が言うのは、「ここでともに生活しようという意志だな。ここでともにより良い生活をめざそうという願い、それが国のもとになる。そして人びとのその意志と願いを文章にまとめたものが憲法なんだ」というわけです。

つまり、ある時代以前から人びとの前にヌっと当然のように横たわってきた何かではなくて、今その時代に生きている人々の意志の力でひとつの公共社会をつくってゆく、ということです。

 

ナショナリストの若者が主張するのが「エトノス」で、括弧つきですが「自然」のもの、言葉とか文化とか伝統とか、そういうネイティブなものです。それに対して吉野の主張するのが「デモス」としての国民で、それは(ひとりひとりユニークな個々人がユニークなままでひとつに)まとまろうとする意志だ。だからこそ、近代国家に値する公共社会をつくっていくためには、「ネーション」と「ステート」という仕分けをしっかりしなければならない、と言うのです。

 


(「『国』とは? 『愛する』とは?」/ 樋口陽一・談/ 「世界」2006年6月号より)

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最後の段落で、“括弧つきのですが「自然」のもの、言葉とか文化とか伝統とか、そういうネイティブなもの” とあるのは、伝統、文化 etc... というものも人間の手によるものですが、リアルタイムに生きている人びとが自分で選んだり、つくったりしたものではありません。たいていの場合、伝統・しきたりだから従え、というような強制的に、あるいは伝統・しきたりなんだから従うしかない、というような選択の余地のないものとして受けとめられるものです。自分で選び取ったり、新たにつくってゆくということができないもの、と意味で「人為の及ばないもの」→「受け入れなければならないものとして自ずと存在してきたもの」→「自然と存在するもの」となっています。

つまり近代民主主義国家は、国民が、リアルタイムに生きている人びとが自分で選び、自分でつくってゆくものであり、またそうでなければならないということです、樋口さんが訴えておられるのは。「国の素、国民を統合するもの」は、天皇制をも含む伝統でもなく、まして在りもしない「(純血)日本人のDNA」などではないのです。今、リアルタイムに生きている人びとが、自分の暮らし、自分の人生を目いっぱい良くしてゆこうという「意志」こそ国の素、国民を結びつけるもの、なのだということです。わたしもまったく同感です。「ネーション」、そして「エトノス」によって国家を定義することを否定するところから、近代民主主義国家は始まるものなのです。

しかし、教育基本法はむりやり強硬改訂され、改憲の動きでも「国柄」だの、「日本人のDNA」という強烈なナショナリズム色のことばさえ飛び交うのです。つまり今わたしたち日本を覆う雰囲気は、事実上近代国家の否定であるといえるでしょう。

 

樋口さんは続けて、「エトノス」そして「ネーション」の意味で国をまとめようとすることの危険を述べてこう書かれます。


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ただ、国をエトノスの意味でまとめようというのも、ある局面では意義をもちます。たとえば民族自決ということばは、大帝国の支配を解体させて、新しい状況をつくり出して行く起爆剤になることがある。

しかし、多民族帝国を解体させた瞬間に次の局面で現れてくるものはなにか、とりわけ90年代以降、われわれはそれをいやというほど目にしてきました。つまり、本当に民族自決しようとすれば、ひとつの地域の中に実際には入り組んでいるわけですから、それはやがて「民族浄化」に至ったのでした。「出て行け」「出て行かなければ殺す」ということになる。

だからこそ、エトノスという意味での国民、民族、それにつながるようなシンボルをたてる時には、近代国家はいつも非常に慎重だったのです。とりわけ「先進国」や「民主主義国」を標榜する国々では、「民族」ということばが出てくる場合には必ず複数で出てきている。ところが、日本の場合には、公式、非公式を含めて改憲案の下で「民族」ということばが、なんと単数で表記されている。このエトノスの単数表記にこめられている意図には非常に恐ろしい内容を含んでいるということを、わたしたちはもっと自覚する必要があると思います。

 

(上掲書より)

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この記事が出されて3年後のわたしたちは、「民族」単数表記の「改憲案にこめられている非常に怖ろしい意図」というのを目撃しましたよね。

カルデロンのり子さんの通う学校に出かけて行き、罵倒、脅迫を行った団体がなんの処分もされずのさばっているのです。わたしがもしのり子さんだったら、恐怖で登校拒否になったかもしれません。立川ビラ事件や麻生総理宅デモ・洞爺湖サミットのデモでの公安の謀略によるデモ参加者逮捕がある一方で、あんな怖ろしい脅迫的デモが容認されるのです、今の日本は。死者こそ出なかったものの、そこにこめられていた意図は、民族浄化の論理に通底するものなのです。

日の丸・君が代への個人的な態度表明の強制排除にもその論理は通底しています。そこにあるのは個々人の意志の自由、表現の自由を否定し、過去の人々が、とくに日本の場合、国を誤らせて、破壊に導いた人びとが作りあげてきた伝統や慣習、しきたりを無批判・無条件に受け入れ、服従せよという暗黙のメッセージが大手をふってまかり通りだしたのです。

 


わたしたちに対抗する術はないのでしょうか。まだ何とかなる道筋が残されています。いま、通読中なのですが、今年の3月に刊行された本に、このようなことが書かれていました。


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さらに日本の場合、1955年以来50年以上にわたって、短い例外期間を除き、自民党が一貫して権力の座にあったことによって、権力の融合と集中が一層強化されるという事情があった。

ふつうの近代民主主義国家なら、立法府による抑制均衡のほかにも、権力分立の原理の下で、司法による行政府へのチェックが存在する。さらに言論の自由の下で、メディアによる批判という事実上のチェックも存在する。

しかし、特定の政党が半永久的に権力を保持することが自明の前提となれば、これらのチェック機能も機能不全を起こすのである。

裁判所は憲法上、独立を保障されている。しかし、最高裁判所の長官は内閣が指名することになっており、そのほかの判事も内閣が任命することになっている。したがって、裁判所といえどもその時の内閣の動向、政治の動きとは無縁ではない。

実際、1960年代から1970年代初めにかけて、裁判所が労働事件などで比較的自由主義的な見地からの判決を出すことが多かった時には、その時の自民党政権が司法の左傾化に対して批判的な動きを起こし、最高裁判所判事の傾向が変化した。法廷の入れ替え(court packing)が事実上行われたと言うことができる。

この時以来、政府に批判的な判決を多発すると、人事の面で介入を受ける、ということを裁判所は思い知ったのである。それ以後、政治的な意味を含む事件について、裁判所は積極的に政府権力を批判したり、チェックするような判決を出すことを控えるようになった。

たとえば近年の例として、自衛隊のイラクへの派遣に反対するビラを自衛隊員の宿舎に配布したことが住居侵入に問われた事件でも、一審では無罪とされたにもかかわらず、最高裁は検察の主張をすべて是認し、被告人を有罪とした。これが示す意味は、自民党の永続政権下にあっては、権力の暴走により個人の権利を侵害することについて、積極的にチェックしようという姿勢を、もはや裁判所は放棄したということである。

 


(「政権交代論」/ 山口二郎・著)

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息をのみますよね、この文章。でもこれが現実なのです。根津先生やほかの先生方が裁判所によって憲法に反して退けられる背景には、こういうそら怖ろしい仕組みが働いていたのです。

これではもう日本には、近代社会の保障する人権は潰えるのも時間の問題じゃないか、と気分が沈みそうですよね。

でもあとひとつ、方法は残っています。この本のタイトルが示すとおり、「政権交代」です。上記の文章はまさに「なぜ政権交代が必要か」という章にあるのです。

民主党、社民党、共産党、どれも万全の選択肢ではない、それは事実です。しかし、自民党による単独永久支配が続くと、ほんとうにわたしたち、リアルタイムに生きているこのわたしたちの人生が、暮らしがアメリカの投機的野心家や富裕層の使い捨ての道具となってしまうのです。

ひとつの政党が半永久的に政権党に居座り続けることで裁判所が丸め込まれてしまうのであれば、権力の分立が消滅し、事実上独裁政権に堕してしまうのであれば、時折政権交代は起こすべきなのです。決めるのはわたしたちです。わたしたちにはまだ、自分たちの人生をコントロールできる機会が残されています。

わたしは、ものごとには臨界点があると思うのです。それを超えると、もう元には戻れない、という限界がある。

たとえば個人の場合、レイプなどされようものなら、女はもうレイプされる以前の自分には戻れない、一生トラウマを抱えて生きるのです。

また人権を尊重する社会を享受することについても臨界点があります。ある一線を超えるともう失った人権を取り戻せなくなる限界がある。戦前で言えば、それは1928年(昭和3年)の治安維持法「改正」がそうでした。それ以後、多数の人権派の人びと、また多数の共産党員が拷問に遭って、転向を強要され、事実、主義主張を放棄しました。わたしはそのひとたちを責めたりするつもりは毛頭ありません。拷問に耐えうる人間など存在しないからです。ひとえに、治安維持法改正を許した国民に責任があり、それ以後、もう以前の状態には戻れなくなったからです。

現代、2009年、わたしはそういう種類の臨界点はすぐそばまで来ていると感じています。すでに教育基本法が「改正」されましたし、ね。憲法ももう風前の灯です。あと残された希望は、政権交代を地道に支持し続けることだけです。わたしは、まだかろうじて言論がそこそこ自由にできる機会を利用して、人権の本当の意味を調べ、それをブログなどで公開するという手だても、ささやかながら、超ささやかながら、自分にできることかな、と勝手に思いこんでもいるのです。「人権」はいま、誤解を受けて敵意の的になっているからです。

きれいに締めくくれないのですが、今感じたことをここで終わることにします。「世間交代論」は教科書的な内容ですが、わかりやすくまとめられていますので、基礎教養書として、一度読んでおくことをお奨めします。いままで自分言葉でうまくいえなかったことが、言えるようになる気がする本です。

 

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社会現象を「科学的」に研究できるか (1)

2008年12月14日 | 「市民」のための基礎知識
オピニオン・ブログで述べられることに、どのようにしてある程度ではあっても説得力を持たせることができるでしょうか。そのためにはより客観的に、科学的に論じることができれば、ちょっとは説得力を高めることができるかもしれません。

でも、科学ということばからわたしたちが最初に連想するのは、やはり自然科学の分野の研究です。社会現象を扱う研究は「科学」と呼べるのでしょうか。メンヘラーたちは心理学や精神病理学に素人にしてはやけに詳しかったりしますし、そうした知識を使って、子どもの育て方や、親の「愛」を批判したりします。元エホバの証人たちも、心理学や精神病理学の知見をつかってエホバの証人を批判します。こういう人間を扱う分野で、実際、科学的な研究ができるものなのでしょうか。事実、エホバの証人などは、心理学や哲学、社会学が自分たちを痛烈に批判するものになるので、それらは科学とはほど遠い代物なので、それらを勉強するのはくだらないことだと豪語します。自分たちの教理こそおよそ科学とはかけ離れたものであることは棚上げするくせに。

しかしそれでも、自然科学とちがって、社会現象は人間の営みを基本としているわけです。

「科学的認識である以上、それは因果性という概念の使用ということとどうしても関連を持たざるを得ない。ところが、人間というものは意志の自由を持つために、その行為は非合理的なものを含み、したがってその営みには本来的に計測不可能性を帯びている。だから、人間の営みである社会現象は、非合理的なものを含んでいるために、目的→手段という目的論的な関連は辿れるかもしれないが、因果性の概念をあてはめて、原因→結果という関連を辿ることはできにくい。では科学的認識としては、社会科学は自然科学と較べて程度の低いものにならざるをえないのだろうか(大塚久雄/「社会科学の方法」より)」。

どうでしょう。わたしたちはいくら努力をして勉強しても、わたしたちの切実な訴えは、科学性の低さゆえに説得力が劣ってしまうのでしょうか。「Luna's “A Life is Beautiful”」の第2部の最初に、この問題を扱った本を読みました。そのメモとして、今回はエントリーします。


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中学生のとき、弟といっしょに一高 - 三高の野球戦を見に行ったのですが、入り口近くで群衆がなだれをうって動きはじめました。そしてそのなかへ、私も弟も入ってしまったのです。

どうにも逃げ出すわけにいかない。足がもう地についていないのです。着物を着、下駄をはいていたのですが、帽子や下駄などはいつのまにか、どこかへいってしまいまして、足がようやく地についたときには、よくも生きていたものだと思ったことがあります。

ああいうばあい、逃げ出すわけにはいかないものですね。力の強い人なら、少しはがんばって抵抗することもできるでしょうけれども、いくら強くたって、個々人が全体に徹底的に反抗して動こうとしたら、自分が死なないまでも大怪我をするだけで、無事に生きのびようとすれば、個々人はその流れのなかで、ただ全体の動きについていくほかはないでしょう。

マルクスは、自然成長的な分業の基盤の上でおこなわれる場合、経済現象はだいたいこうした性質をおびることになると言うわけなのですが、この群集の例をとってみると、それがもっと単純な形で現れてくるので、われわれの理解にはたいへん好都合です。




ところで、群集全体のものすごい力、教委に値するようなエネルギーは、しかし、よく考えてみると、諸個人の力の総和に他なりません。それが諸個人の協働の結果、倍加されていることはもちろんありますが、しかし、結局のところ、諸個人の、群集を形づくる一人一人の力の総和に過ぎないことは明らかですね。

…(略)…

そうした諸個人の力の総和にほかならぬ群集全体の力が、その場合、群集を形づくる諸個人自身から独立し、むしろ(ルナ註:諸個人に)対立するものとなっていることは明らかでしょう。皆どうにもならない。ただ、その群集の一人として全体の流れる方向に動いているだけです。一人一人は、みな、自分はそんなところへ行きたいとか、そういう動き方をしようなどとは、だれも思っていない。できたら、もちろん止めたいと思っている。早く流れの外へ出たいと思っている。

しかし、ちょっとそこまで出れば楽になるんだから、と思っても、どうにもならないで、どんどん一定の方向にもっていかれてしまうわけです。怪我せずにいたいから、ただ仕方ないから進むわけですが、その個々人の進むことが、また(ルナ註:群集の暴走の)力の総和の一環となっていくわけです。

こうして、自分たち自身の力が、自分たちにまったく対立した別のものになって、どうにもならなくなる。それはどこから来て、どこへ行くか、ぜんぜん見渡すこともできない。これが「疎外」だといったら、よくわかるんじゃないでしょうか。そしてまた、人間の「疎外」の現象が、とりもなおさず、社会関係の「物化」~人と人との関係がわれわれの目には物と物との関係として表れてくる~の現象であることも分かってくるのではないかと思います。



(「社会科学の方法」/ 大塚久雄・著)

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いくつか用語を説明します。まず、「自然成長的な分業」ですが、これはマルクスが使った用語らしいです。何のことかと思うに、この著者の解説によると、

「社会的分業、大ざっぱにいって、さまざまな職業分化だとお考え下さっていいと思います(上掲書)」。

つまり日本でいうと、農業労働者がいて、運送業者によって運ばれ、仲買業者に渡り、一部は食品加工業者に渡り、他は卸売市場で小売業者に卸される、また、農耕車を製造する工場はさまざまな部品を下請けに出し、下請けは部品を作るのに鋳物業者から材料を入手する、というような社会的分業が偶発的に、あるいは自然とできあがることをいうのだそうです。

こういう分業化された個々の業者は、その産業をまったく私的な行為としておこないます。鋳物業者は、自分のところから買ってくれる製造業を営む会社に納めることを考えて仕事をします。下請けの製造工場はその材料を部品に仕立てあげて元請け会社に納めることを考えて仕事をします。決して社会全体を意識して製造、納品するわけではないのです。みんな自分と従業員の生計を立てるため働くにすぎません。みんな、自分たちがそこそこ暮らしていけるように、いろいろやりくりして家族や友人や恋人同士でたまに楽しいときを過ごせるように、そんなささやかなことを願って自分の仕事をするわけです。

ところが、こうした個々の私的な営みの総和である、社会全体のレベルになると、需給のバランスをうまく取れない、景気の変動を招く、自分たちの作ったものが自分たちに還元されない、景気が極端に悪くなると自分を失業させる。個々人の仕事は、個々人である程度コントロールできますが、その個々人の分業体制の総和である社会レベルになると、もうコントロールできなくなる。こういう現象を、マルクスは「疎外」という言葉で表現したのだそうです。上掲書ではこのように説明されています。

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では「疎外」とはどういう現象なのか。それを少し説明してみましょう。先ほども申しましたが、マルクスの場合、具体的な人間というものは、社会をなして生産しつつある諸個人です。つまり、その諸個人がそれぞれ独自な生産用具をもって労働対象に働きかけつつ、さまざまなものを生産する。この、さまざまな物を生産する諸個人の力が、マルクスによって “生産諸力” と呼ばれているものです。 …(中略)… こうした生産諸力の総体が社会の生産力を形づくるわけです。

ところで、こうした生産諸力を支える基盤が、計画的ではなくて、「自然成長的な分業」である場合には、ほんらい人間諸個人の力の総和にほかならない社会の生産力が、そしてその成果たる生産物が、人間自身からまるで独立してしまって、その全体を見渡すことができず、また人間の力ではすぐさまどうすることもできないような動き、そういう客観的な過程と化してしまう。この意味で、まったく自然と同じようなものになってしまうというわけです。

つまり、経済現象というものは、ほんらいは人間諸個人の営みであり、その成果であるにもかかわらず、それが人間諸個人に対立し(もはや人間のコントロールの及ばないものになっているから)、自然と同じように、それ自体頑強に貫徹する法則性をそなえた客観的な運動として現れてくる、というわけです。

マルクスはそれを、哲学者にわかるように言えば、人間の「疎外」だ、と言っております。すなわち、彼のいう「疎外」とは、人間自身の力やその成果が人間自身から独立し、人間に対して、あたかも自然がそうであるような、独自な法則性をもって運動する客観的過程と化してしまうことであります。

つまり、経済現象がわれわれにとっていわば第二の自然として、マルクス自身の言葉を使えば、「自然史的過程」として現れるということであります。だからこそ、自然を取り扱うのと同じやり方で、同じ理論的方法を用いて、科学的認識が成立するのだとマルクスは言うわけなのです。



(上掲書)

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ここでいわれている「疎外」とは、個々人の労働から発する経済現象が、社会的分業の総和としての社会全体のレベルとなったときに、人間の意図の及ばない、ある場合には人間を富ませ、ある場合には人間を貧窮させるというような、人間に対して独立した、対立的な過程となる、そういう意味で、経済現象が人間を疎外するようになる、だからこそ、その経済現象は自然と同じようなものになるということができ、それゆえ、経済学のような社会科学も、科学的に社会現象を取り扱うことができる、とまとめてよいようです。わたしの、このまとめかたはもちろん、正確さを欠くかもしれませんが。

昨年から今年にかけての金融危機などはまさに、人間のお金儲けの行為が人間の暮らしを破壊してしまう、という現象で、大塚さんのこの記述は生々しくわたしたちの耳に響いてきませんか。このたびの金融危機は、実体経済の生産とは少し離れたバーチャル性のあるマネーゲームの招いた危機ではありますが。つまり金融工学という、一部の投機家たち、金融業者たちのルール無用の無法な経済活動が、まっとうな生産をおこなう諸労働者たちを食い詰めさせているわけです。

とりあえず、マルクスによれば、社会現象を研究したり、評論したりするときにも、科学的に論じ、記述することができる、ということらしいです。ですからわたしたちも、科学的な手順を意識するなら、まっとうに世の中の出来事を論じることができるわけです。そしてそうした意見の開陳は客観的であるものとして、訴える力を持たせることができるというわけです。

同書にはもう少し具体的で直感的な説明もしてくださっています。以下の通りです。

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さて、群集がなだれを打って動きだして混乱が生じたばあい、それを収拾するには、どうしたらよいでしょうか。皆さんは、どうお考えになりますか。この点で、マルクスの考え方を、著者なりに解釈して比ゆ的に説明してみますと、むしろ、こういうことになるのではないでしょうか。

どこか小高いところに立って、群集全体の動きを見渡す。高いところから見るのですから、個々の人間の細かい動きはともかく、群集全体がどこからどこへ動いているか、その大筋がはっきりとわかるでしょう。そのばあい、個々の人間を、独自な個性的な動きをする人間をする人間として取り扱うことは当然二の次です。群集全体が自然と同じような「もの」になって動いているのだから、さしあたっては人間を「もの」扱いにするほかはありません。ともかく、群集全体の動きを見定めて、方々に伝令をとばし、方向をいろいろ変えさせたり、止めたりしていくわけです。その極限は、軍隊などのように、計画的な隊列を作らせることになるでしょうが、ともかく、こうして混乱は収拾されるでしょう。

つまり、計画的に隊列をつくって行進すれば、そうした混乱は起こり得ないのだから、群衆に隊列行進という計画性を与えて、その混乱を解消していく。こうして、人間の「疎外」現象を解消していけばいいのだ、こうマルクスはいうのだと思います。これが彼のいう社会主義とその計画経済の意味するところでしょうが、それはともかくとして、「社会的分業の自然成長性」の結果たる「疎外」現象のために、人と人との関係がわれわれの目に物と物との関係として表れてくるような資本主義社会の経済現象を、科学的に認識するためには、このような意味で人間の営みである社会現象を自然史的過程として捉え自然科学と同じ理論的方法を適用することが必要ともなり、可能ともなるというわけです。



(上掲書より)

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なんとなく、共産主義のおおもとがつかめる説明ですよね。共産主義はこうした思考から生み出されたようです。

今回わたしたちが直面している大不況は、金融にもう少したががかけられていたら、回避できたものでした。前世紀末ごろから生じるようになった格差拡大は、一切の経済活動を市場に任せる、福祉から社会保障からなんでも市場に委ねるという、暴力的な政策がもたらしたものです。市場が判断できるのは採算性であって、公益性ではないのです。社会保障というのは採算が取れないものだから、公的に行われるものなのではないでしょうか。まさにわたしたちは「群集の無軌道なスタンピード(殺到)」に呑みこまれて、そこから逃げ出したくてももはや自分をコントロールできない状況にあるのです。うちの会社でも、12月最初の朝礼で、来年は本格的に残業規制がかかるかもしれないとか、覚悟を決めなきゃいけないとか、胃の痛くなるような話がされました。「財政再建」といえば市場原理主義的な政策はノンストップでアクションを演じさせていいような政治家(陰には歳出削減にこだわる財務省がいる)の無能。たしかに共産主義は崩壊しました。ソ連がなくなったとき、みんな資本主義の勝利だといいましたが、今、資本主義も行き詰ったことが明らかです。日本はいいかげんアメリカから離れて、もうちょっと社会主義的な政策を取り入れないと、ほんとうにわたしたちの暮らしはダウンです。2008年12月9日の毎日新聞によると、麻生さんは「労働は神が与えた罰(キリスト教)と思ってる国と、神と一緒にやる善行と思っている(日本のような)国では、労働に対する哲学が違う。日本の持っている底力の一番はこれだ」と言ってくれたそうです。このことばにそって政策転換を図ってほしいものです。




えーっと…、またまた話がそれましたが、とにかく、資本主義社会の非合理的に見える現象も、「疎外」という概念によって、自然と同じようなものとみなすことができ、したがって科学的研究も可能になる、ということです。大塚さんは、つぎに、マックス・ヴェーバーという社会学者の著作から、社会現象を科学的に陳述できるかどうかを考察されます。次回に続きます。
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違憲立法審査権、裁判所は人権保障の最後の砦…だと思う^^

2008年06月16日 | 「市民」のための基礎知識
「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する (日本国憲法前文)」。

現行憲法には「民主主義」という言葉は書かれていませんが、この文章が、日本は国民の権威によって国民の福利を達成し、増進させてゆく社会をめざしていることを表現しています。これは民主主義のエッセンスです。

ただ、日本の民主主義は「間接民主政」をとることにしました。前文に、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する」と定められているのです。国民が選挙によって代表者を選び、その代表者たちが、少数の意見をも十分に審理し、理性的な議論を尽くし、譲歩できる点は譲歩し、できるだけ多くの意見や要望を反映する結論を引き出し、最終的に多数決原理によって決定させるというのがそのやりかたです。

しかし、現実にはこのようには機能していません。1999年の国旗国家法から小泉時代のいわゆる「構造改革」路線の諸立法、安倍政権による教育基本法「改正」、テロ特措法延長と、自民党の手法は「理性的な議論を尽くす」どころか、一定の時間議論らしき茶番を演じたあと(自民党のシンパばかりを集めた審議会を組織するなどの茶番)、数の力でいやおうなく衆院通過、という、いわゆる「強行採決」を取るのです。反対意見を考慮して譲歩しようとはしないのです。しかし、このような強行採決して採択された立法も、憲法の規定を形式的に踏襲している以上、「民主的に決められた」として正当化されてしまいます。しかし、内実は民主主義の手順を無視するもので、それは単なる「暴挙」でしかないのです。


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代表者の多数が出した結論は、常に正しい内容であるという保証はありません。立憲主義の目標は、「個人の尊厳」の保障ですが、民主主義によって、個人の自由・権利を侵害する法律が制定されてしまうことも考えられます。

憲法とは、このような民主主義の暴走や誤りに一定の枠をはめようとするものなのです。国民投票も誤まる可能性がある、さらに代表者も誤まる可能性がある、ということを前提にして組み立てられたのが、憲法によって個人の尊厳を保障するという立憲主義の原理です。

民主主義と立憲主義の関係は、現実政治における「多数決原理による意思決定」と「個人の自由の尊重」との緊張関係としてとらえなければなりません。



(「憲法への招待」/ 渋谷秀樹・著)

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そこで裁判所は、多数決原理という民主主義的手順によって決められた法律を無効とする判断を下す権限を持つことになりました。国民の代表によって決められた法律をしかし、裁判所が無効にするとしたら、それは民主主義との対決的な態度ではないのでしょうか。特に日本の裁判官は民主主義的な手続きで選任されるのではないわけでもありますし。ただ日本国憲法では裁判所の違憲審査権に根拠を与えています。1945年に制定された憲法ですから、19世紀のアメリカで違憲審査権をめぐって行われた論争(*)を念頭に置いたからです。

(*)
当時アメリカ憲法には違憲審査権の規定が明文化されていなかったので、民主主義の原理によって立てられた立法を司法が無効認定することの問題性が議論されたのだそうです。事実、この問題は憲法理論上はかなりの難問であるということらしいです。



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違憲審査権の正当性は、アメリカ合衆国における理論状況を参考に、いくつかの立場から説明できます。



第一に、民主主義との矛盾はないとする立場の議論があります。

裁判所の違憲審査権によって、たとえば、政治活動の自由を制約する法律を違憲としたり、選挙権が平等になるようにしたりして、国民の意見が国政の場に正しく反映されるようにできる。つまり民主主義のプロセスが正常に機能するようにするものであるという説明です。

また、裁判所の違憲審査権の行使は、他の政治部門(=立法府と行政府)とのダイナミックな統治過程の展開の一局面であり、民主主義の究極的な理想をめざすという点で一致しているとも説明されたりします。



第二に、民主主義を統治原理として肯定しながらも、ときにはそれが正常な営みから逸脱することがあるとして、それへのブレーキの役割を裁判所に与えたという議論です。

裁判所を政治と違う「理の場」ととらえたうえで、法秩序や法原理の維持・貫徹が期待される法原理機関としての裁判所には、政治のもつ「非情さ」を法原理の枠に封じ込め、政治の「歪み」を正すことが求められます。つまり、裁判所が自由主義的性格をもつことに、違憲審査権の正統的根拠を求めようとするのです。




(「憲法への招待」/ 渋谷秀樹・著)

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民主主義が採用する多数決原理は暴走してしまうと(最近の自民党政治のように)、個人の自由、基本的人権の保護規定を蹂躙してしまう可能性があり、現代の日本人は多数決原理の暴走により、生存権さえ脅かされているのです。しかも世耕&竹中&小泉という現代のヒットラー&ゲッペルストリオの巧妙な宣伝により、国民自ら、人権を踏みにじる法律にやんやと手をたたくようにさえなって、人権蹂躙法が制定されてしまっているのです。

立憲主義というのは個人の自由と幸福に生きる権利をもっとも大切なものとみなす立場から、憲法を制定して国家権力を束縛しようとする、「人類の多年にわたる」知恵です。多数決原理が暴走すると、現在の日本やアメリカのように国民個人個人のそういう人権が蹂躙されてしまう可能性もあるのです。そこで違憲審査が振るわれるのですが、しかし民主主義の手法で採択された法律を強制的に無効にするという裁判所の行動は民主主義の原理と衝突することになります。日本国憲法は13条や25条で人権規定をおいていますから、多数決でこの人権を蹂躙する法律が通過してしまった場合には、基本的人権を守るために、立憲主義の原理のほうに重きがおかれるのです、すなわち違憲立法審査です。


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国会と内閣などは、民主主義の原理に基盤を置く機関であり、裁判所は、憲法裁判においては、立憲主義の原理にその基盤を置く機関です。違憲審査権は、民主主義によっても覆すことのできない価値を守るためにある。

つまり、憲法によって保障された権利や自由が、民主主義の原理によって侵犯されることを防ぐために、裁判所に与えられたととらえれば、民主主義的正統性を裁判所がもたなくても、その権限を行使して法律を違憲・無効とすることの正統性の基盤として説明することができるでしょう。



(上掲書より)

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もっとも、立川のビラまき裁判の結果を見れば、人権保障の最後の砦も…

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