「将来、問題を起こさない子に育てるには、小さい頃から厳しく育てなければならない」という考えは間違っています。むしろ、親が一生懸命、子どもをしつけようとしたことが、逆効果になっているケースが増えています。
(「子育てハッピー・アドバイス3」/ 明橋大二・著)
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最近も、続発する少年事件がマスコミを騒がせています。それに対して、世間の見方はおおよそ次のようではないでしょうか。
「いいかげんな親が、子どもの養育をそっちのけで遊び歩いているために(ルナ註:母親が外で働いて子どもにかまっていない、という言い方も多い)、子どもがしつけもなされず放置され、その結果、少年非行、少年による凶悪事件が増えている」。
だから、世間でいま流行りの処方箋はこういうものです。
「親をもっと社会で監視して、子どもの面倒をしっかり見させ、しつけもしっかりさせる。それでもし、非行や凶悪事件が起こったら、それは親の責任として、親も処罰する」。
しかし、ほんとうにそうでしょうか。司法福祉を専門とする野田正人氏は、講演の中で次のように指摘しています。
「子どもが小さいときに、叩いてでもしつけなければならない、と考えている親が、現在、5年ごとに10パーセントずつ増えている。10年前は45パーセントだった数字が、5年前は60パーセント、最近は70パーセントになっている。
「また少年鑑別所や少年院に入っている子どもを見てみると、今から15年前までは、確かに、親が放任していて、ちゃんとした養育がなされていないから、事件を起こす、というケースが多かった。しかしその後、ある時期から、そういうタイプはむしろ減り、逆に、親が一生懸命子どもをしつけようとしたことが、結果として、逆効果になっているケースが増えている」。
これは、われわれ(精神科医)が、子どもの不登校や心身症を診ていて感じる印象とまったく一致しています。ただ、しつけという点でいうと、しつけがなされていないから問題が起きた、というよりも、むしろ体罰を含めた厳しいしつけが、結果として親子のコミュニケーションを妨げ、心のパイプ詰まりを起こし、子どもに問題行動や、症状を起こさせるひとつの要因になっている、ということです。
こんなことになるのは、ではいったいだれのせいなんでしょうか。それこそ、少年事件が起こるたびに、家庭の責任ばかりを強調し、子育て不安をあおっている政治家や有識者といわれる人たち、そしてマスコミの影響とはいえないでしょうか。
ちなみに統計でいえば、少年非行の数は増減を繰り返していますが、決して以前と比べて増えてはいません。凶悪犯罪については、戦後、少年による殺人は、昭和25年から昭和40年にかけては、年間400件前後だったのに対して、最近は年間100件というように、明らかに減少しています。
また、世界のどの国でも、もっとも多く殺人をする年代は、10代後半から20代前半の若者です。しかし、ここ日本では、殺人事件を起こす最も多い年代は40代後半から50代前半の男性です。こんな国は他にありません。ですから、むしろ世界的な注目は、日本の若者の殺人事件は、なぜ少ないのか、ということに集まっているのです。
今必要なのは、しつけをしっかりしようとか、家庭の教育力をつけようとかいう抽象的な話ではありません。具体的に、子どもの発達に応じて、どのように子どもに関わってゆくのか、という知識であり、スキル(技術)なのです!
(上掲書より)
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日本の教育方針、教育改革が進もうとしているのは、監視強化、厳罰化、枠型強化です。教育基本法を変え、国家が介入しようとします。その動機は、すべての子どもを厳罰化、監視強化によって叩き上げようというのでさえもないのです。それはむしろ、今、問題行動を起こしている、「いい子」、「ききわけのよい子」、あるいは特別に脳の成長が早い子を選別して拾い上げ、その子たちにだけ重点的に高等の教育を与えてゆこう、とする教育の機会の平等を剥奪するものです。
ところが国民の多くは今、教育基本法の改変に賛成の雰囲気です。わたしはそこに、大人の人たちのコミュニケーション・スキルの未熟さがあると思っています。上記の引用でも、日本に特異な現象として、「40代後半から50代前半の年代に、殺人を犯す傾向が最も高い」とありますね。この指摘は裏づけとならないでしょうか。じっくりあいてを理解しようとするのを億劫がり、手っ取り早く言うことを聞かせようとして、力ずくという手段に走る。子どもたちを荒れさせたのは、そういう理解しよう、共感しようという努力を怠ってきたことが原因なのに、その手法を法的に権威づけようとする。
事情に通じておられる方々ならすでにご存知だったでしょうけれど、少年による凶悪事件は戦後は大幅に減少しているのです。でもわたしたちは増加している、と錯覚しています。なぜでしょうか。マスコミがそのように取り上げるからです。凶悪な少年犯罪を責めたてる論調の記事を執拗に流す、TVにいたっては感情をあおる仕方で、プライバシーを侵害してまで取材に押しかける。こういう事件は売れるのです。一方、戦後、少年による凶悪犯罪が激減していること、むしろいい大人による凶悪犯罪が多いという世界でも特異な現象が起きている、ということは、大新聞で書かれたのを見たことがあるでしょうか。わたしはありません。対話を重要視する市民派の学者、知識人、精神科医、カウンセラーらによる著作で、わたしはそういう情報を得ました。
日本は、今、アメリカと同様に、産業、官僚(戦前・戦中の戦争責任を問われるべきだった人たちの薫陶を強く受けた一部の官僚の指導の下…)、警察、そしてマスコミが一体となって、国家総動員体制を形成しようとしている。でも、抵抗はできます。子どもたちを、心豊かに育てることによってです。今、日本を背負っている人たちは、子どものころ、仕事に熱中していたお父さんに顧みられず、愛情に飢えた母親によって、精神的な虐待を受け続けてきた人たちです。愛するということを理解できない人たちです。自己評価が低く、会社や国家や宗教団体の威光に頼らなければ、アイデンティティを支えることのできない人たちなのです。ですから、これまでの方法とは逆をゆく必要があるのです。
今こそ、教育基本法の精神に立ち返るべきです。今こそ、日本国憲法の原理を心に銘記するべきなのです。わたしたちひとりひとりが、マスコミに踊らされず、自分で情報を集め、自分で考え、人間性を否定しようとする意見、全体主義を称揚する風潮を拒否してゆけば、そのうち、マスコミもそういう雰囲気を感じ取るでしょう。マスコミはセールスをもっとも重要視しますから、客の多いほうの肩を持ちます。世論が冷静になれば、戦前思考にしがみつく人たちの声もかすれてゆくのです。特に、エホバの証人だった人たちは、権力に、生きかたや考えかたを押しつけられることの苛立たしさ、屈辱をよく、理解できるはずです。わたしたち元エホバの証人は、そこで全体主義を経験していたのですから。
(「子育てハッピー・アドバイス3」/ 明橋大二・著)
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最近も、続発する少年事件がマスコミを騒がせています。それに対して、世間の見方はおおよそ次のようではないでしょうか。
「いいかげんな親が、子どもの養育をそっちのけで遊び歩いているために(ルナ註:母親が外で働いて子どもにかまっていない、という言い方も多い)、子どもがしつけもなされず放置され、その結果、少年非行、少年による凶悪事件が増えている」。
だから、世間でいま流行りの処方箋はこういうものです。
「親をもっと社会で監視して、子どもの面倒をしっかり見させ、しつけもしっかりさせる。それでもし、非行や凶悪事件が起こったら、それは親の責任として、親も処罰する」。
しかし、ほんとうにそうでしょうか。司法福祉を専門とする野田正人氏は、講演の中で次のように指摘しています。
「子どもが小さいときに、叩いてでもしつけなければならない、と考えている親が、現在、5年ごとに10パーセントずつ増えている。10年前は45パーセントだった数字が、5年前は60パーセント、最近は70パーセントになっている。
「また少年鑑別所や少年院に入っている子どもを見てみると、今から15年前までは、確かに、親が放任していて、ちゃんとした養育がなされていないから、事件を起こす、というケースが多かった。しかしその後、ある時期から、そういうタイプはむしろ減り、逆に、親が一生懸命子どもをしつけようとしたことが、結果として、逆効果になっているケースが増えている」。
これは、われわれ(精神科医)が、子どもの不登校や心身症を診ていて感じる印象とまったく一致しています。ただ、しつけという点でいうと、しつけがなされていないから問題が起きた、というよりも、むしろ体罰を含めた厳しいしつけが、結果として親子のコミュニケーションを妨げ、心のパイプ詰まりを起こし、子どもに問題行動や、症状を起こさせるひとつの要因になっている、ということです。
こんなことになるのは、ではいったいだれのせいなんでしょうか。それこそ、少年事件が起こるたびに、家庭の責任ばかりを強調し、子育て不安をあおっている政治家や有識者といわれる人たち、そしてマスコミの影響とはいえないでしょうか。
ちなみに統計でいえば、少年非行の数は増減を繰り返していますが、決して以前と比べて増えてはいません。凶悪犯罪については、戦後、少年による殺人は、昭和25年から昭和40年にかけては、年間400件前後だったのに対して、最近は年間100件というように、明らかに減少しています。
また、世界のどの国でも、もっとも多く殺人をする年代は、10代後半から20代前半の若者です。しかし、ここ日本では、殺人事件を起こす最も多い年代は40代後半から50代前半の男性です。こんな国は他にありません。ですから、むしろ世界的な注目は、日本の若者の殺人事件は、なぜ少ないのか、ということに集まっているのです。
今必要なのは、しつけをしっかりしようとか、家庭の教育力をつけようとかいう抽象的な話ではありません。具体的に、子どもの発達に応じて、どのように子どもに関わってゆくのか、という知識であり、スキル(技術)なのです!
(上掲書より)
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日本の教育方針、教育改革が進もうとしているのは、監視強化、厳罰化、枠型強化です。教育基本法を変え、国家が介入しようとします。その動機は、すべての子どもを厳罰化、監視強化によって叩き上げようというのでさえもないのです。それはむしろ、今、問題行動を起こしている、「いい子」、「ききわけのよい子」、あるいは特別に脳の成長が早い子を選別して拾い上げ、その子たちにだけ重点的に高等の教育を与えてゆこう、とする教育の機会の平等を剥奪するものです。
ところが国民の多くは今、教育基本法の改変に賛成の雰囲気です。わたしはそこに、大人の人たちのコミュニケーション・スキルの未熟さがあると思っています。上記の引用でも、日本に特異な現象として、「40代後半から50代前半の年代に、殺人を犯す傾向が最も高い」とありますね。この指摘は裏づけとならないでしょうか。じっくりあいてを理解しようとするのを億劫がり、手っ取り早く言うことを聞かせようとして、力ずくという手段に走る。子どもたちを荒れさせたのは、そういう理解しよう、共感しようという努力を怠ってきたことが原因なのに、その手法を法的に権威づけようとする。
事情に通じておられる方々ならすでにご存知だったでしょうけれど、少年による凶悪事件は戦後は大幅に減少しているのです。でもわたしたちは増加している、と錯覚しています。なぜでしょうか。マスコミがそのように取り上げるからです。凶悪な少年犯罪を責めたてる論調の記事を執拗に流す、TVにいたっては感情をあおる仕方で、プライバシーを侵害してまで取材に押しかける。こういう事件は売れるのです。一方、戦後、少年による凶悪犯罪が激減していること、むしろいい大人による凶悪犯罪が多いという世界でも特異な現象が起きている、ということは、大新聞で書かれたのを見たことがあるでしょうか。わたしはありません。対話を重要視する市民派の学者、知識人、精神科医、カウンセラーらによる著作で、わたしはそういう情報を得ました。
日本は、今、アメリカと同様に、産業、官僚(戦前・戦中の戦争責任を問われるべきだった人たちの薫陶を強く受けた一部の官僚の指導の下…)、警察、そしてマスコミが一体となって、国家総動員体制を形成しようとしている。でも、抵抗はできます。子どもたちを、心豊かに育てることによってです。今、日本を背負っている人たちは、子どものころ、仕事に熱中していたお父さんに顧みられず、愛情に飢えた母親によって、精神的な虐待を受け続けてきた人たちです。愛するということを理解できない人たちです。自己評価が低く、会社や国家や宗教団体の威光に頼らなければ、アイデンティティを支えることのできない人たちなのです。ですから、これまでの方法とは逆をゆく必要があるのです。
今こそ、教育基本法の精神に立ち返るべきです。今こそ、日本国憲法の原理を心に銘記するべきなのです。わたしたちひとりひとりが、マスコミに踊らされず、自分で情報を集め、自分で考え、人間性を否定しようとする意見、全体主義を称揚する風潮を拒否してゆけば、そのうち、マスコミもそういう雰囲気を感じ取るでしょう。マスコミはセールスをもっとも重要視しますから、客の多いほうの肩を持ちます。世論が冷静になれば、戦前思考にしがみつく人たちの声もかすれてゆくのです。特に、エホバの証人だった人たちは、権力に、生きかたや考えかたを押しつけられることの苛立たしさ、屈辱をよく、理解できるはずです。わたしたち元エホバの証人は、そこで全体主義を経験していたのですから。