Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

新刊書案内:子育てハッピー・アドバイス3 

2006年09月26日 | 一般
「将来、問題を起こさない子に育てるには、小さい頃から厳しく育てなければならない」という考えは間違っています。むしろ、親が一生懸命、子どもをしつけようとしたことが、逆効果になっているケースが増えています。

(「子育てハッピー・アドバイス3」/ 明橋大二・著)

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最近も、続発する少年事件がマスコミを騒がせています。それに対して、世間の見方はおおよそ次のようではないでしょうか。

「いいかげんな親が、子どもの養育をそっちのけで遊び歩いているために(ルナ註:母親が外で働いて子どもにかまっていない、という言い方も多い)、子どもがしつけもなされず放置され、その結果、少年非行、少年による凶悪事件が増えている」。

だから、世間でいま流行りの処方箋はこういうものです。

「親をもっと社会で監視して、子どもの面倒をしっかり見させ、しつけもしっかりさせる。それでもし、非行や凶悪事件が起こったら、それは親の責任として、親も処罰する」。




しかし、ほんとうにそうでしょうか。司法福祉を専門とする野田正人氏は、講演の中で次のように指摘しています。

「子どもが小さいときに、叩いてでもしつけなければならない、と考えている親が、現在、5年ごとに10パーセントずつ増えている。10年前は45パーセントだった数字が、5年前は60パーセント、最近は70パーセントになっている。

「また少年鑑別所や少年院に入っている子どもを見てみると、今から15年前までは、確かに、親が放任していて、ちゃんとした養育がなされていないから、事件を起こす、というケースが多かった。しかしその後、ある時期から、そういうタイプはむしろ減り、逆に、親が一生懸命子どもをしつけようとしたことが、結果として、逆効果になっているケースが増えている」。



これは、われわれ(精神科医)が、子どもの不登校や心身症を診ていて感じる印象とまったく一致しています。ただ、しつけという点でいうと、しつけがなされていないから問題が起きた、というよりも、むしろ体罰を含めた厳しいしつけが、結果として親子のコミュニケーションを妨げ、心のパイプ詰まりを起こし、子どもに問題行動や、症状を起こさせるひとつの要因になっている、ということです。



こんなことになるのは、ではいったいだれのせいなんでしょうか。それこそ、少年事件が起こるたびに、家庭の責任ばかりを強調し、子育て不安をあおっている政治家や有識者といわれる人たち、そしてマスコミの影響とはいえないでしょうか。

ちなみに統計でいえば、少年非行の数は増減を繰り返していますが、決して以前と比べて増えてはいません。凶悪犯罪については、戦後、少年による殺人は、昭和25年から昭和40年にかけては、年間400件前後だったのに対して、最近は年間100件というように、明らかに減少しています

また、世界のどの国でも、もっとも多く殺人をする年代は、10代後半から20代前半の若者です。しかし、ここ日本では、殺人事件を起こす最も多い年代は40代後半から50代前半の男性です。こんな国は他にありません。ですから、むしろ世界的な注目は、日本の若者の殺人事件は、なぜ少ないのか、ということに集まっているのです。

今必要なのは、しつけをしっかりしようとか、家庭の教育力をつけようとかいう抽象的な話ではありません。具体的に、子どもの発達に応じて、どのように子どもに関わってゆくのか、という知識であり、スキル(技術)なのです!

(上掲書より)

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日本の教育方針、教育改革が進もうとしているのは、監視強化、厳罰化、枠型強化です。教育基本法を変え、国家が介入しようとします。その動機は、すべての子どもを厳罰化、監視強化によって叩き上げようというのでさえもないのです。それはむしろ、今、問題行動を起こしている、「いい子」、「ききわけのよい子」、あるいは特別に脳の成長が早い子を選別して拾い上げ、その子たちにだけ重点的に高等の教育を与えてゆこう、とする教育の機会の平等を剥奪するものです。

ところが国民の多くは今、教育基本法の改変に賛成の雰囲気です。わたしはそこに、大人の人たちのコミュニケーション・スキルの未熟さがあると思っています。上記の引用でも、日本に特異な現象として、「40代後半から50代前半の年代に、殺人を犯す傾向が最も高い」とありますね。この指摘は裏づけとならないでしょうか。じっくりあいてを理解しようとするのを億劫がり、手っ取り早く言うことを聞かせようとして、力ずくという手段に走る。子どもたちを荒れさせたのは、そういう理解しよう、共感しようという努力を怠ってきたことが原因なのに、その手法を法的に権威づけようとする。

事情に通じておられる方々ならすでにご存知だったでしょうけれど、少年による凶悪事件は戦後は大幅に減少しているのです。でもわたしたちは増加している、と錯覚しています。なぜでしょうか。マスコミがそのように取り上げるからです。凶悪な少年犯罪を責めたてる論調の記事を執拗に流す、TVにいたっては感情をあおる仕方で、プライバシーを侵害してまで取材に押しかける。こういう事件は売れるのです。一方、戦後、少年による凶悪犯罪が激減していること、むしろいい大人による凶悪犯罪が多いという世界でも特異な現象が起きている、ということは、大新聞で書かれたのを見たことがあるでしょうか。わたしはありません。対話を重要視する市民派の学者、知識人、精神科医、カウンセラーらによる著作で、わたしはそういう情報を得ました。

日本は、今、アメリカと同様に、産業、官僚(戦前・戦中の戦争責任を問われるべきだった人たちの薫陶を強く受けた一部の官僚の指導の下…)、警察、そしてマスコミが一体となって、国家総動員体制を形成しようとしている。でも、抵抗はできます。子どもたちを、心豊かに育てることによってです。今、日本を背負っている人たちは、子どものころ、仕事に熱中していたお父さんに顧みられず、愛情に飢えた母親によって、精神的な虐待を受け続けてきた人たちです。愛するということを理解できない人たちです。自己評価が低く、会社や国家や宗教団体の威光に頼らなければ、アイデンティティを支えることのできない人たちなのです。ですから、これまでの方法とは逆をゆく必要があるのです。

今こそ、教育基本法の精神に立ち返るべきです。今こそ、日本国憲法の原理を心に銘記するべきなのです。わたしたちひとりひとりが、マスコミに踊らされず、自分で情報を集め、自分で考え、人間性を否定しようとする意見、全体主義を称揚する風潮を拒否してゆけば、そのうち、マスコミもそういう雰囲気を感じ取るでしょう。マスコミはセールスをもっとも重要視しますから、客の多いほうの肩を持ちます。世論が冷静になれば、戦前思考にしがみつく人たちの声もかすれてゆくのです。特に、エホバの証人だった人たちは、権力に、生きかたや考えかたを押しつけられることの苛立たしさ、屈辱をよく、理解できるはずです。わたしたち元エホバの証人は、そこで全体主義を経験していたのですから。
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「愛国心」「国益」ということばに目をくもらせない

2006年09月23日 | 一般
日中戦争に始まる15年戦争の経験は、良心的なジャーナリストにも多くの反省をもたらしました。ジャーナリズムこそナショナリズムの陥穽にはまりやすい、という実例を反省したはずなのです。しかし、最近は特に、ナショナリズムに同調するだけでなく、それを煽る報道さえあたりまえにみられるようになりました。中国で反日デモが行われている、中国が宇宙進出に成功した、というニュースが流れると、「中国人は民度が低い」という石原慎太郎東京都知事のコメントを大きく掲載し、ロケットは飛ばせても「中国は経済的にはまだ二流国だ(=日本の優位はまだ脅かされていない、の意)」というような報道が流されます。日本のジャーナリズムは、もう眉に唾をつけてかかったほうがいいような状況になっています。

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日本の戦後ジャーナリズムは、1945年までの国家主義の反省から、むしろナショナリズムを抑制してきた面が強い。しかしそれが経済大国化とともに変化し、ふたたび「普通の覇権大国」への仲間入りがしたいという願望が政・官・財界に生まれ、ジャーナリズムにもそれに同調する動きが強まってきた(これは1997年第一刷発行の本の記述です。今はもっと露骨ですよね)。

日本のエスタブリッシュメント(国家・市民社会のさまざまな次元で、意思決定や政策形成に影響力を及ぼす既成の権力機構、権威的組織、体制、勢力、また既成秩序などをさす:広辞苑第5版より)の中には、…湾岸戦争を機にPKOへの参加とともに、問題の多い国連の実態をそのままにして、安保理常任理事国入りをめざす機運が強まった。メディアの中にも、これを積極的に支持する主張が目立つようになった。折から皇太子の結婚が話題になって、ジャーナリズムによる皇室ブームも起こり、学校教育への「日の丸」「君が代」の強制導入とともにナショナリズム高揚の舞台装置となった。

1992年11月、経団連ホールで開かれた「世界のグランドデザインを考える」シンポジウムで、米UCLA国際センター所長のR・ローズクランスは「日本のナショナリズムとミリタリズムは沸騰しようとしている(慧眼! 10年後の日本を見事に言い当てている)。日本はやがて核武装して世界にその力を認識させるだろう」と基調報告した。これに対し日本側パネラーは「そのような考えも動きもない」と否定していた。報告を聞きながら私自身も、「核武装に反対し戦前型ナショナリズムを抑える日本社会の力は、そんなに弱いものではあるまい」と考えていた。アジアの反発も根強い。そのうえ、米国が日本の核武装に強く反対している情勢を考慮すれば、日本が核クラブの仲間入りできる可能性は当面はないと見るべきだろう。

だが、日本人が気づかない日本ナショナリズムの底流分析を、頭から否定するべきではないと自戒もした。日本人の心情も日本をめぐる国際環境も、ナショナリズムが強まる方向に進んでおり、日本のジャーナリズムも全体として、「国益」や「愛国心」には抵抗力が弱いからである。

(「ジャーナリズムの思想」/ 原寿雄・著)

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この本は1997年に書かれたものですが、著者の指摘は的確ですね。ほんとうに日本のジャーナリズムは「国益」「愛国心」には弱かったことを、わたしたちは今、目の当たりにしています。上掲書はこのように続けて書いています。

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ジャーナリズムの歴史はナショナリズムの歴史である。そのナショナリズムが排外主義に陥りやすいことも、歴史が証明している。何が真の国益かを見分けるのは常に微妙でむずかしく、対外問題の場合、ジャーナリストはほとんどいつも、時の政府の国益論に加担してしまう。特に日本は民主主義の歴史も浅く、市民的、民権的国益観が確立していないため、国家原理にもとづく国権的な国益観が今なお、まかり通りやすい。そしてもちろん、国益と政府益とは峻別されなければならないのに、政府は政権の利益のために「国益」を口実にしたがることが多い。

ジャーナリズムは日常的に、偏狭なナショナリズムを克服して、いつも真の国益とは何かを冷静に追求することが求められる。戦争になってからでは、本当は遅い。時の政府の利益と民衆のための真の国益とを見分ける眼力をどう養うか。それは、いつの時代のジャーナリストにとっても、最大の課題といってよい。とかくごまかされやすい「国益」に代えて、「国民益」という言葉を使うことを考えてみてもよい。「国民の生命、身体、財産の安全」を離れて「国の安全」はない。「国民の利益」を離れて政権の都合による「国益」が独り歩きをするのでは民主主義とはいえない。

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「愛国心」についても同様です。上掲書は次のように述べています。

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明治政府は、日本を近代的な統一民族国家として確立し、そのために天皇制を再編・強化した。そのスローガン「富国強兵」をジャーナリズムは支持した。明治から大正への自由民権、デモクラシー運動も、大勢は国粋主義を超えられなかった。いわゆる「内に自由民権、外に帝国主義」である。自由人福沢諭吉も日清戦争の主戦論者となり、「時事新報(諭吉が創刊した日刊新聞)」で戦費集めのキャンペーンを張った。クリスチャン・ジャーナリスト内村鑑三は日露戦争に反対しながら、旅順港陥落の報を聞いたとき、隣近所に聞こえるような大声で「帝国万歳」を叫んでいた。こういう話を聞くと、ジャーナリストにとって「国籍」の業の深さをあらためて痛感させられる。

朝日新聞も1931年の満州事変を機に、それまですでに軍部の対外膨張路線を支持していた大阪毎日新聞などと足並みをそろえたが、その「転向」の理由は「国益」のためだった。右翼の介入や、軍のボイコット運動を受けた販売(店)側からの圧力もあったが、それはきっかけにすぎない。

やがて日本ジャーナリズムは、軍国主義の支持者から推進者に変貌する。いったん戦争への道を歩み始めれば、新聞も放送も政府以上に愛国者になってしまう。政府が対外政策で世論(情報の一方的提供者のマスコミによって形づくられる)より強硬だったのは近衛内閣の時だけであった、という見方もできるくらいである。…ジャーナリストは普通の愛国者以上に愛国的になりやすい。そういう面があったこと、今もあることを否定できない。

「愛国」は冷静な判断力を失わせる。ジャーナリストは「愛国」の誘惑に負けてはならないのに、「国益」が目を狂わせる。これには、ナショナリズムがメディアにとって商売上の得策になる点も見逃せない。逆に言えば、愛国熱が高まろうとしているときに、それに水をかけるようなメディアは読者・視聴者から嫌われやすい。

戦争とジャーナリズムの歴史を見ると、どこの国でもジャーナリズムが愛国心を煽り、それによって高揚した世論がさらにジャーナリズムを煽りながら、その相乗作用によって新聞は部数を伸ばし、放送は視聴者を増やしてきた。ナショナリズムは、ジャーナリズムというビジネスにとって危険な魔力を持っている。朝日、読売、毎日の各社史とも、戦争によって新聞が発展してきたことをはっきり認めている。

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「愛国」は冷静な判断力を失わせる。たしかにそうです。個人の尊厳の尊重という戦後民主主義の基本的精神が十分に日本に根づかなかったのは、自民党の政策によることとともに、ジャーナリズムが民主主義を消化し切れなかったことに原因があるのではないでしょうか。前回も書きましたが、天皇制というのはそういう民主主義の精神に真っ向から対立する考え方で機能しています。しかもわたしたち国民は、なぜか皇室は別扱いにします。なぜかと問う必要はないでしょう。皇室のこととなると、メディアが別格扱いにするからです。憲法の精神を差し置いて、ただ単に「地位」という価値観で広めてきたからです。

教育基本法の改正についても、歴史的に考察して、また教育行政の批判もなく、ただ子どもたちが荒れている、それは戦後の教育が悪かったからだ=戦後教育のバックである教育基本法に問題があるという、素人くさい短絡的な判断で、改正してあたりまえというような扱いです。日本が世界市場で発展してゆくためには、人間の選別、格差はしかたがない、というそう、「国益」=「企業益」という観点で惑わされているからです。ほんとうに日本のジャーナリズムは、「国益」「愛国心」に弱い。

でもみんながみんなそうであるわけではありません。眼の黒いジャーナリストも少数ながら存在します。民主主義の原理をよく理解する知的で理性的な人の一文をご紹介します。

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私は、秋篠宮夫妻の「第三子」誕生報道に対する自らの立場を社内(共同通信社)で明らかにしておこうと思い、要旨以下のような文章を作って労働組合に投稿した。組合の中でジャーナリズム論を論議する専門部発行の不定期のニュースで発表することを考えたのだ。以前、愛子誕生報道を批判する文章を同じニュースに書いたことがあるが、今回は、予想される大々的な奉祝報道に警告になればと思い、誕生前に投稿した。たまたま、編集責任者の不在で、次善の好評は見送られてしまったが、掲載されることにはなった。投稿の見出しは、「祝意強制する紀子出産奉祝報道をやめよう」。以下、要旨。





紀子の出産は9月初旬を予定していると報道されている。これまでの他のケースと同様、今は表向きは静かだが、その時が来るやとたんに、それこそ馬に喰わせるほどの大量の原稿が、さまざまな出稿各部から吐き出されることになるのだろう。それも、白々しく歯の浮くような賛辞が、仰々しい最大級の敬語を伴って。それを予想しただけで、汚い表現で申し訳ないが、ヘドが出そうになる。気持ち悪い。

今回の子どもの誕生は、じかに「皇室典範改正」論議につながってくる。だが、それなら、その特別な存在を許しているこの社会のおかしさを、問題提起するような報道はできないものだろうか。その子どもが生まれるというだけで、どれほどの貴重な税金が費やされるのか。それは一般の子どもと、どれほどの差があるのか。あるいは、政府や各地の自治体などが、いかにばかげた騒ぎをするのか、それがほんとうに国民、市町村民の税金を使って行政がやるべき仕事なのか、などについて、批判的にチェックするような報道をこそ心がけるべきではないのか。

少なくとも、「おめでたい、おめでたい」と、にやけたしまりのない顔で、おべんちゃらばかりを繰り返す、意味のない駄弁を垂れ流すだけのような原稿だけは願い下げにしてほしい。企業の便乗商法や商店街での祝賀行事だの、ただ社会的な奉祝機運を盛り上げるためだけの記事など、いったいどこに配信する意味があるのだろう。これらを垂れ流すことで、相乗的に、結果的に、読者、視聴者に対し、祝意を強制することにつながることを、私たちは肝に銘じなければならないと思う。




誕生以来、徳仁(なるひと)ら「東宮家」と「秋篠宮家」との間の“待遇”の差を問題にし、いかに「秋篠宮家」が“限られた”費用、体制のなかで、子どもを養育しなければならないかを強調する記事が溢れている「職員数、医療体制…大きな差。皇太子家、秋篠宮家(読売新聞9月7日朝刊)」などと。そして、優先順位の高い“皇位継承者”という、その“地位”に最大の価値を置いて対処することを、当然のこととして政府・宮内庁に要求する。将来、天皇になるのだから、特別の養育態勢を整備すべきだというのだ。「天皇となる可能性のあるお子さまを、皇太子さま以外の宮家でどのように育てていくか。これまでにない知恵や工夫が求められる。宮内庁は職員を増やすなどして養育の態勢を整える必要がある(朝日新聞9月7日社説)」。「皇位継承の可能性が高い男の子だけに、《帝王学》をもにらみつつ、秋篠宮家の処遇を、早急に検討する必要がある(「東京新聞」9月7日社説)」等々。

法的根拠を厳密に問われることなく、その“地位”を最大限の根拠に最大級の待遇が保障される。天皇制とは、本当に無責任制度なのだとあらためて痛感する。それをメディアが率先して支えている。

(「無責任制度を支えるメディア」/ 中島啓明/ 「週間金曜日」9月22日号)

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民主主義がきちんと機能するためには、わたしたちひとりひとりが、冷静に考えなければなりません。そのためにも扇情的な情報を鵜呑みにしていてはならないし、個人と公との間に、きちんと一線を画する知性が求められます。上から期待されている通りにしゃべり、考えていたのでは、結局自分と自分の家族を、一部の権力者の利益のための捨て駒にさせてしまいます(注)。歴史を知り、憲法を理解し、自分の望む生きかた、願望を大切にして生きてゆく。そういう理性を養う必要があるのです。

(注)その究極の姿がエホバの証人です。彼らはエホバの証人の指導部の意志、つまり団体の体制の維持という目的のために、輸血治療を拒否するようにという指示うぃ、唯々諾々と従い続けるのです。それだけでなく、自分の子どもにまでエホバの証人の教理に従うよう半ば強要します。その結果、多くの子どもが死を選ぶことになっているのです。信者は自分で情報を集め、多面的にものごとを比較考量しようとしないから、つまり考え、判断することを、他人まかせにするから、こんな事態が生じているのです。

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英国のBBCはかつて1956年のスエズ戦争に際し、イーデン内閣の介入政策に批判的な立場を貫いた。マンチェスター・ガーディアン紙とともに、マスメディアが自国の戦争に抵抗した数少ない例である。そのBBCが1982年、英国対アルゼンチンのフォークランド戦争では、サッチャー政権から激しい圧力をかけられ、軍事行動に対する疑問や批判を放送することを一切禁じられた。BBCはあらゆる意見を公正に扱う原則で抵抗し、アルゼンチン政府スポークスマンの見解も反英デモも紹介した。

政府が国益と考えることを伝えるだけが真の国益ではない。ジャーナリズムにとっては真実こそが国益だ」という思想である。厳密に言えばそういう立場を貫こうとして政府との緊張関係を続け、苦心の努力にエネルギーを注いだというのが正確だろう。「事実の報道には主観的判断を加えず、戦争当事者のどちらの味方にもならない」というう客観報道と構成の原則がその武器となった。

(「ジャーナリズムの思想」/ 原寿雄・著)
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Interlude 雅子さまの不幸は…

2006年09月18日 | 一般
雅子さんの不幸は、リプロダクティブ・ライツがない、ということでしょう。

…角田由紀子/ 弁護士(「週間金曜日」 2006・9/15号より)


*リプロダクティブ・ライツ:妊娠中絶、受胎調節など、性と生殖に関する女性の自己決定権のこと。国家、男性、医師、宗教などからの規制や社会的圧力を受けることなく、女性が選択できる権利。

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インタビュアー(宮本有紀):
(天皇制が)何のために存在するのかというよりも、どうしたら存続させられるのかということが議論の中心です。男系男子による継承を続けるのか、女性・女系を認めるのかということに、社会の関心はあるようで、女性天皇制が男女平等の視点からみてもいいのではないかという議論もありますね。




角田由紀子:
人間の間に序列をつくる、しかも生まれによって特別な地位にある人をつくることは、平等思想とは相容れないもの。そのトップに男がなろうと女がなろうと、人に序列をつけることには変わりない。それを男女平等にしろ、というのは、女も兵士にして男と同じく人殺しができるようにする、もしくは女も男と同じく、過労死するような働き方をするようになればめでたいというのと同じ論理ですから、女も天皇になるのが男女平等というのは錯覚ではないでしょうか。

フェミニストといわれている法律家のなかにも、憲法14条(法の下の平等を定めた項目。すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地〔家柄のこと〕により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。)違反なんだから、皇室典範を改正して男女平等にしろという意見はあります。これまで男には許されて女にはできなかったことが、女にもできるようになるという面では、一見、男女平等のように見えるけれど、前提として私たちは何を実現するために男女平等を追求しているのか、ということを考えるべきです。

人間の不平等というスタートラインから平等というゴールに向かう道の途中に男女不平等がある。一見、ちょっと改善されたように見えても、それが実はゴールとは矛盾するものであったなら、それは一歩前進したとは言えない。男とか女とかではなくて、天皇制の仕組みそのものが問題なんですから。




宮本有紀:
女性天皇になっても、女性の自己決定権はないのだという視点がそこにはないですね。「子を産まない自由」がないシステムですから。




角田由紀子:
そうです。世襲制とはそういうものだから。しかも男のみによってつながってゆく世襲制というのは、そのシステムに入った女の人は、男の子を産むことを強要されるということ。雅子さんの不幸はリプロダクティブ・ライツがないということでしょう。いまはその問題を抱えるのは、主に皇太子妃ですが、女性が天皇になったら、その問題を抱えるのは天皇自身になるというだけのこと。

世襲制を取る限りは、女性が天皇になっても子を産まなければならない、ということに変わりはない。「あなたの代で終わっていいよ」とはならないわけだから。女性のリプロダクティブ・ライツとか性の自己決定権というものを確実なものにしていこうとしている時代に、絶対にそれが認められない世界がある。これはどこまでいっても、憲法の「個人の幸福追求権」とか「基本的人権の保障」というものと相容れない。この二つの価値は相容れないわけだから、その矛盾を放置せずに、すっきり憲法第一章(「天皇」の章)を削るのが筋ではないですか。そういう意味では私は憲法改正論者ですね。

…(中略)…

結婚や出産の強要は人権侵害だということは、社会の了解がほぼできつつある。ところが皇室ではそれが人権侵害とされていない。憲法学者は、“皇室は憲法の埒外だ”と言っているけれども、私は、その論理には納得できないものがあります。人が踏みつけられているのをみながら、そのままにしていいのかということ。“もともとあの人たちは人権保障規定の範囲外だから人権侵害があったって仕方ない”というのもひとつの態度でしょうが、人権侵害であるのは事実です。女の人権を侵害することによってでしか成り立たない制度に依拠しなければならない人を、なぜ私たちは象徴として仰がなければならないのか。そのことが議論されていないんじゃないかと思います。

そして、皇室女性への人権侵害は、私たちへの人権侵害を許していくものになっている。“必然的に人権侵害を伴う制度”によって私たちは何をしようとしているのか。そうまでして維持する必要性がどこにあるのか。雅子さんの問題から考えるべきことは、「お可哀想」などというレベルではなく、そういうことです。愛子ちゃん(原文ママ)の代になっても同じ。今後、皇室に性同一性障害の人が出現した場合、異性愛の結婚を強要されたら、当人も不幸だし配偶者になる人も不幸です。

このように、皇族のような存在をつくるということは、尊いものとして扱っているようで、実は人権を剥奪して踏みにじっているのです。

世襲制の持つ非人間性を払拭しようとすれば、今度は天皇制が持つ「ありがたみ」がなくなる。純粋な血が代々続いているということになっている物語を維持しようとすれば、非人間的なことをやらざるを得ないし、それは人権侵害だからやめたほうがいい、ということになると、その物語が成り立たなくなる。両立できない矛盾した制度をそれでも必要とする、というのなら、それはなぜかということを私たちは考えてゆくべきではないでしょうか。




宮本有紀・インタビュー後記:
年始の「歌会始」で秋篠宮夫妻がそろって「コウノトリ」を歌に詠みこんだときにはすでに、男子誕生までのシナリオはできていたように思える。紀子さん(原文ママ)は与えられた「健気(けなげ)な次男の嫁」の役を見事に演じているが、これはドラマではなく、現実だ。それが怖い。

彼女の出産は夫妻の意思というよりも「天皇制」という制度の意思だろう。具体的には何があったのかは知らないが、雅子さん(原文ママ)の健康状態からして妊娠・出産が望めないまま、紀子さんに産ませるしかない、という思惑がいろいろなところで渦巻いていたに違いない。

昔、怖いほど痩せていた皇太子妃時代の美智子さんを、子ども心に「この人可哀想」と思った記憶があるが、無理に笑っている感の雅子さんも、能面のような笑顔の紀子さんも、天皇家に入った女性はみな哀れだ。それはなぜだろう。

ジェンダーの視点で天皇制を見ると、この制度の抱える問題がよくわかる。天皇制を支える価値観が、どれほど女性の人権を踏みにじるものなのか、そして憲法の人権規定との矛盾をどうすべきなのか。「女性・女系か男系男子か」ということよりも先に、まず考えるべきことが私たちにはある。

(「週間金曜日」/ 2006年9月15日号より)

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「両立できない矛盾した制度をそれでも必要とする、というのなら、それはなぜかということを私たちは考えてゆくべきではないでしょうか」。

わたしたちが「天皇制」を維持したいと思うのはなぜでしょうか。言論の自由が保障されているこの日本で、昭和天皇の戦争責任を口にすると、暴徒に襲われるのはなぜでしょうか。どうして、皇室のこととなると、わたしたちは口をそろえてしまうのでしょうか。日本国憲法の第1条はこう述べています。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意にもとづく」。

つまり、日本は天皇によって特徴づけられ、日本国民は天皇によって結びつけられている、ということです。1946年に発足した第一次吉田内閣で国務大臣を務めた憲法学者の金森徳次郎は、戦後、「国体」は変わったかということについて、このように答弁しました。

「…天皇を憧れの中心とする国民のつながりということでございます。それを本(もと)として国家が存在していることを、国体ということばで言っているものと思う。…(略)…この点につきましては、絶対にわれわれは変わったことはない、又将来変わるべきものではないと信じておりまして、国体不変の原則をはっきりと言わざるを得ないと思うのであります」。

わたしたちは、天皇を、ひいては皇室を憧れることによって、他の日本人とつながるものであって、そのようにして日本国は存在すると言われています。すると、日本から皇室を取り去ると、日本は解体するのでしょうか。だから、皇室に入った女性の人間としてのあり方、生きかたをがんじがらめに拘束しても、彼女たちの人権を犠牲にしても、それは許されるのでしょうか。さらに、女性の人権が踏みにじられている皇室を憧れることによって、私たち国民が日本人としてのアイデンティティを持たなければならないのであれば、それは国民主権や国民個人の尊重という憲法の中心的な精神と矛盾するのではないでしょうか。

角田さんのお話によると、憲法学者たちも、皇室は基本的人権の保障規定の外にある、と言っているようです。どういうことかというと、日本国憲法の第二条には、「皇位は世襲のものであり」と定められていて、この記述そのものが法の下における平等を定めた第14条と矛盾しており、さらに第14条の土台である近代憲法原理とも矛盾しています。つまり、そもそも、日本国憲法のような憲法に第1章のような文章を入れること自体が矛盾なのであり、しかもそれが、近代憲法原理の最先端である日本国憲法のなかに現に存在している、しかも「国民の総意にもとづいて」。個人の尊重という原理とは相容れない原理は近代憲法原理によっては解釈できない、というのが憲法学の立場です。いわば、海の世界で生きる生きものに陸の世界のルールは役に立たず、逆もまた同じであるということです。日本国憲法に「天皇の章」が存在する以上、少なくとも皇室に対しては基本的人権の保障規定を当てはめようとすることはできない、ということなのだそうです。

憲法学者の浦部法穂名古屋大学大学院法学研究科教授はこのように述べておられます。

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「女帝禁止は違憲」論は、たしかに、規範論理(日本国憲法の精神に則った解釈)としては成り立ち得ない立論ではないが、しかし、それは、「象徴天皇制」の抱えるそもそもの矛盾=世襲制を捨象したところでのみ成り立ちうるものであるように、私には思える。そういう意味で、少なくとも「象徴天皇制」の制度内部の問題に関する限りは、他の憲法原理との矛盾をできる限り少なくしようという解釈方法は、この制度の抱える本質的矛盾を見失わせることにもなりかねない、という気がするのである。

(「憲法学教室」/ 浦部法穂・著)

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そもそも日本国憲法のような近代憲法の粋である憲法に、象徴天皇制があること自体がおかしいのであって、天皇に関する規定と、他の憲法原理をすり合わせてゆこうとするのは、日本国憲法における矛盾から目を逸らせることになりかねない。皇室女性の人権を問題にしようとするならば、角田さんのおっしゃるように、日本国憲法から天皇の章を削除することを議論するべきである、ということですね。現段階で、女性の人権を保障していこうとするならば、民間女性は皇室へは嫁ぐな、というしかありません。せっかく手に入れた保障された人権を手放すな、ということですね。

しかし、わたしたち日本人は、自分の人権を強く意識していません。むしろ粗末にしているのが現状です。自分の人間性を粗末にする人が他の人の人間性を尊重できるとは思えません。実際、他の人の人権など尊重していないのです、わたしたちは。近頃は個人の尊重よりも全体への一体化、全体への義理を尊重しようとする空気が強くなっています。イラクで、日本人のボランティア3名が人質になったとき、「日本の税金で救出されようとは厚かましい」とか「小泉首相に迷惑をかけた」とか言われました。ああいう世論に喜んだのはアメリカでしょう。挙国一致でブッシュ・ファミリーの中東戦略を支持してくれたのですから。イラク戦争では多くの市民、とくに子どもや女性が殺戮されました。大量破壊兵器は発見されませんでしたし、アルカイダとのつながりも判明しませんでした。イラク戦争の大義名分がなくなったのに、3名のボランティアに自己責任を要求した日本国民は、小泉首相に説明責任を厳しく追及することはしませんでした。

わたしたちは、今、ほんとうに、人権とは実のところ何なのか、豊かに生きるということは実のところどういうことなのか、本当に安全を得ようとするなら、強力な独裁者を擁立して全体主義をもたらすほうがいいのか、それとも個人個人の考え方、感じ方のほうをもっと理解していこうとするほうがいいのかをよく考えるべきところにいるのだと思います。だって、イラク戦争だって、異文化をもっとよく理解しようとすれば、今のような混迷をもたらさずにすんだのですから。




「両立できない矛盾した制度をそれでも必要とする、というのなら、それはなぜかということを私たちは考えてゆくべきではないでしょうか」。

天皇制を支える価値観が、どれほど女性の人権を踏みにじるものなのか、そして憲法の人権規定との矛盾をどうすべきなのか。「女性・女系か男系男子か」ということよりも先に、まず考えるべきことが私たちにはある。




角田さんと宮本さんの問いかけは、21世紀以降に生きてゆこうとするわたしたちに、今、生きる姿勢の根本的な決定が迫られていることを教えてくれているのです。すなわち、人間性の尊重を主張するか、全体性への服従か、という選択です。


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「生きる意義とは何か」

2006年09月14日 | 一般
エホバの証人の教理に、人間はエホバの目的のための奉仕者となるべく、神に創造されたというものがあります。エホバを信じない一般の人は人生の目的を知らないので空虚に生きている、人生のさまざまな判断において誤まりや失敗も多い。しかし、エホバの証人はエホバから「真の」人生の目的を与えられているので、失敗や過ちを避けて通ることができる、幸福な人生を送ることができる、と言います。

でも多くのエホバの証人の十代の子たちは、集会ではとろんと死んだような目をしています。当然です。試行錯誤をしながら、失敗から学び、自分流のものをみつけてゆくという過程をとおして、人間はアイデンティティを培ってゆきますし、そこから生きている実感というものを得ることができるのです。他人に言われた通りして過誤なく過ごせても、人生を豊かに生きているとは感じられず、自分のほんとうの意向、意欲を果たせず、それは重いいら立ちとなって蓄積し、ある日突然キレたり、ついに暴発したりします。あるいは意地悪な人柄になり、他人の自由を妬んで、ネチネチと他人を苦しめるようなことをして暗い喜びを得るようになったりするかもしれません。

人間は過誤なく暮らせなければならないのでしょうか。生きる目的は神から教えられなければならないのでしょうか。また神から生きかたを教えられない一般の人たちは「空虚に」いきているのでしょうか。「この男、不眠症につき。http://blog.goo.ne.jp/exit_hd1983」というブログでこんな記事がありました。とても読み応えのある記事だったので、諒解を得た上で全文紹介します。タイトルは「生きる意義とは何か」というものです。


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「もし進化論が真実だとすれば・・・
生きることに根本的な意義など存在しない・・・
ということになります。」
「エホバの証人」機関誌『目ざめよ!』特別号より

「エホバの証人」(キリスト教系宗教団体)の手下(笑)が
バイト先に来て機関誌を置いていったので、
ちょっと見てみた。

内容は簡単に言えば、、、

これまでの多くの科学の発見と、聖書の教えは矛盾しない。
(例えば、科学的には地球が六日間でできたなんて有り得ない。
 聖書には六日間だと書かれているが、
 聖書には「1日」が24時間だったとはどこにも書いていない。
 だから聖書は間違ってはいない。 などなど)
科学と聖書は両立するのであり、
科学的事実が証明されたからといって、
聖書が間違っているのではない。

だが、進化論は正しいとは言いがたい。
もしも、進化論が正しいのならば、
神によって創造されたのではない私たち人間には
生きる意義がなくなってしまいます。
さて、あなたはどうしますか?
生きる意義を与えてくれる神の創造を信じますか?
それとも生きる意義を与えない進化論を信じるのですか?

・・・といった感じ。


言いたいことは山ほどあるが、一点だけ僕の意見を。


神に創造されたのでなければ、
生きる意義は見出せないのだろうか。
もっと大きく言えば、
宗教を信じなければ生きる意義は見出せないのだろうか。

確かに、人間存在に本来的に定められているような意味での
「根本的な」生きる意義はないだろう。
でも、だからと言って悲観にくれなければ
ならない理由は何もない。

人間は類的存在である。
1人では生きていけない。無人島では発狂する。
自殺をする場合も、根本的には「類」としての自分の存在
に絶望するからである。

そのような「類」としての人間は、
類的存在であるが故の生きる意義を見出せる。

例えば僕は僕の彼女を必要とするし、彼女は僕を必要とする。
お互いにお互いの生に対して意義を見出し、与えている。
人間は、生の意義を他者に与え、他者から与えられる。
そのような「生の意義の相互付与」の
無数の網の中で人は生きている。

僕が「A君が存在していてくれて本当にうれしいよ」
と感じていると知っても、A君は「生きる意義がない」と
悲観にくれるだろうか?

僕に言わせれば、寿命が無限でもない限り、
家族や恋人や友人から付与される生の意義だけで
悲観することなく生きられるはずだ。
少なくとも、100年足らずの人生を過ごすには充分である。


では、キリスト教の言う生きる意義とはなんだろうか?
おそらく2つあって、ひとつは
「神が生かしてくれているのだから、
生きる意義があるに決まっている」というもの。
もうひとつは、「最後の審判で救われ、神の国へ入るため」
という目的的意義。

まあ、前者の方は真に神の存在を信じる者にとっては
生きる意義になるだろう。
だが、後者はどうか?
「根本的な生きる意義」なんてのを期待してる人は、
神の国で永遠に生きられることが決まった時にも、
きっと(いや、もっと!)「なんで生きているんだろう?」
と問うことになるだろう。
神の国での楽しいだけの永遠の生。生の意義を失わせるには
もってこいの環境だと僕は思うけど?


宗教を信じなくとも、
人間の生きる意義が失われるわけではない。
そんなに崇高な生きる意義が欲しいのだろうか?
そんなに崇高な生きる意義を求めているから、
多くの人から生の意義を与えられていることにも
気付かず、悲観にくれなければならなくなるのだ。


多くの宗教団体は、
「科学では生きる意義は与えられません。
信仰こそが生きる意義を与えるのです。」
と必死に唱える。
でも、僕に言わせれば、科学にも宗教にも頼らなくとも
生きる意義は見出せる。
確かに「根本的」なものではないかもしれないが、
誇りを持って生きるに不自由しない程度の生きる意義ならば。

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人生の豊かさは人間関係にある、というお考えにはわたしも全面的に賛成です。エホバの証人は仲間の目を怖れてビクビクして生きている場合が多い、そんな人生こそ空虚ではないでしょうか。
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アメリカの宗教右派、そのルーツ

2006年09月10日 | 一般
「エホバの証人はアメリカの宗教ですか」。

エホバの証人の野外奉仕(布教活動のこと)のために編まれた小さな本がありました。エホバの証人が区域の家々で、一般の人々が持つかもしれない「偏見」や「誤解」を解くために、エホバの証人の伝道者がどう説明できるかという観点から書かれたものです。エホバの証人の信条やその宗教を理解してもらおう、という趣旨の本です。その本の中に、上記のような質問形の副見出しが太字で書かれています。

わたしが現役のエホバの証人だった頃、ごくたま~に、「日本人は仏教で足りる。なにもわざわざ外国の宗教をしなくてもいい」という意見を言って、伝道者だったわたしを追い払おうとされる人もいました。そのようにおっしゃる方が言わんとするのは、宗教は地域に密着した文化のひとつである、日本人には日本の歴史に馴染みのある宗教文化があるんだ、という意味であったろうと、わたしはいまもそう受け止めています。

ですから、そういう方にエホバの証人の宗教を知らしめんとするならば、相手の方の考えかたを別の方面へと向けてみることが必要なのです。つまり、「新しい見方」というものを示してみるわけです。エホバの証人の教えは、ひとりエホバという神を支配者として、全人類(すべての人種、すべての民族、すべての国民)がそれぞれの文化、宗教、イデオロギー、人種、民族の桎梏を棄てて、エホバへの宗教を奉ずることによって、一致結束し、それによって争いのない、完全な平和を達成できる、というものです。

そこで、「ミトコンドリア・イヴ」などの話題を持ち出して、「すべての人間には共通の祖先がいる、ということを科学が明らかにしました。奥さまは、そういうニュースなどお聞きになったことはありませんか」などと話を振るわけです。つまり、全人類はひとりの人アダムの子孫であり、アダムはエホバによって創造されました、というふうに話を持って行きます。そのために、進化によってではなく、神による創造によって人間は存在するようになっただの、文化の違いや国家主義や人種の偏見が世界を分裂させていて、戦争の元になっているだの、そういう話題をものみの塔聖書冊子協会の出版した出版物から指し示します。そのような用途のために用意された書籍のひとつが、「聖書から論じる」という題の、濃い茶色の小さな本です。

さて、「日本人は仏教で足りる。なにもわざわざ外国の宗教をしなくてもいい」という意見が出た場合、最初に思い浮かぶ出版物の文章は、わたしにとっては上記のものでした。「エホバの証人の宗教は、特定の文化的な特徴を持つものではなく、すべての人類にあてはまる知恵の本、聖書にもとづくものであって、だから日本人にも大いに有益です」という方向で説得しようとするわけです。なにせ、エホバの証人によると、人間に必要な文化はたったひとつ、聖書にもとづく文化だけであるというのですから、この線を追ってゆくと、そこには「日本人にも必要で有益だ」となります。日本人もやはりアダムの子孫だからです、エホバの証人の教理によると。

では、上記の問題提起の後、「聖書から論じる」による「模範解答」はどういうものでしょうか。以下の通りになっています。





「エホバの証人は神の王国の擁護者であって,この古い世のいかなる国家の政治的,経済的あるいは社会的体制の擁護者でもありません。
確かにエホバの証人の現代における運動はアメリカ合衆国で始まりました。証人たちの世界本部がアメリカにあるために,聖書文書を印刷し,世界のほとんどの国にそれを送り届けることが可能になりました。しかし,証人たちはある国に対してほかの国以上に好意を持つことはありません。証人たちはほとんどあらゆる国におり,多くの場所にそれぞれの地域の証人たちの活動を監督する事務所を持っています。

考慮する点: ユダヤ人であったイエスはパレスチナに生まれましたが,キリスト教はパレスチナの宗教ではありません。イエスが人間として生まれた場所は考慮すべき最も重要な要素ではありません。イエスの教えた事柄は,すべての国の人々を公平に扱われるみ父,エホバ神から出たものでした。―ヨハネ 14:10。使徒 10:34,35。(「聖書から論じる」 / 「エホバの証人」の項目より)」




つまり、エホバの証人は、アメリカで勃興した宗教団体だが、アメリカを支持する宗教ではない、というかどこの国も特別に支援しようとする宗教団体ではない、ただ単に、世界的な活動を監督する事務所がアメリカにあるというに過ぎない、という内容です。自分たちはエホバの教えを実践しようとしている者に過ぎない、と主張しています。例として、ローマ帝国ユダ地方のナザレ生まれのイエスはパレスチナで布教を開始したが、キリスト教は今日、パレスチナの宗教とは見なされていない、と言うのです。

実際イエスは、ピラトに向かって、「自分の王国はこの世のものではない」と言いました。これは、わたしたちが一般に連想する「この世」「あの世」という意味ではなく、人間による統治をめざすのではなく、神による統治に希望をかけているということです。エホバの証人によると、神は代理執政官イエス・キリストを立てて、他のどこでもない、この地球上を支配する、と言います。神による支配が始まる際には、ハルマゲドンという戦争によって、神の支配に服従しない人々は、何人であれ殺されることになります。神に服従する人のみがこの地球上で永遠に生きられるようになる、というのがその教えです。ですから、エホバの証人は、アメリカを応援する国でもなく、どこも支援しない宗教だ、といいます。

でも、ちょっと待って。ふつうの人が、「キリスト教は外国の宗教だから、いらね」、「エホバの証人はアメリカの宗教だからけっこう」というのは、その文化的側面が自分の肌に合わない、と言うのであって、またそれは生活習慣や生活に対する考え方が合わない、という意味である可能性のほうが大きいのではないでしょうか。アメリカを支援するかどうかのことではありません。実際、エホバの証人の宗教スタイルというのは、まさにアメリカン・スタイルです。つまり、アメリカの歴史が生みだした国民のスピリットをよーく反映しているのです。具体的には以下の点です。

第一に、専門の僧職者を持たない、という点。
第二に、大衆運動を伴う宗教活動、という点。
第三に、きわめて保守的な、懐古的な道徳観、という点、
もうひとつ、科学(とくに進化論)や近代化への不信感、
その近代的工業社会が生みだす都市型生活の富裕で自由なライフスタイルへの嫌悪感または反感、という点…です。

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「信仰復興運動」が繰り返されることがアメリカ・キリスト教のもっとも顕著な歴史的特色であったといえるだろう。アメリカが最初の、全大陸的な信仰復興運動をみたのは、独立以前の1730~40年代のことであった。後に「大覚醒(The Great Awakening)」と称されるようになるこの信仰復興運動は、一面ではガリレオやニュートンや(ジョン・)ロックなどに代表される啓蒙主義や近代的な科学的世界観の興隆に対抗して起こった、環大西洋世界のキリスト教界による反撃の一部とみることができる。このときすでに、理性や科学にもとづく近代的・世俗的な世界観が流布してゆくなかで、いかに超自然的な信仰を維持・発展させてゆくのか、という近代以後今日に至るキリスト教の試練が始まったといってよい。

(「アメリカ・過去と現在の間」/ 古矢旬・著)

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「信仰復興運動」はキリスト教を大々的に自覚しなおす運動だったようです。18世紀はヨーロッパでも封建制度が解体し、資本主義が産声をあげ、科学技術の進展を伴ない、個人個人が経済的に豊かになろうとしつつある時代でした。封建主義が解体するということは、それまで人間の生き方というものが生まれついた身分によって決められていた状態から、今度は自分で生きかたを決めてゆかなければならない時代になったということでした。福沢諭吉はそのことをこう述べています。

「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』といへり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもつて、天地の間にあるよろづの物を資り(とり:=利用する、の意)、もつて衣食住の用を達し、自由自在、互ひに人の妨げをなさずして、おのおの安楽にこの世を渡らしめたまふの趣意なり。

「されども今広くこの人間社会を見渡すに、賢き人あり、愚かなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、そのありさま雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第、はなはだ明らかなり。『実語教(江戸時代のもっとも一般的だった修身書。寺子屋でよく用いられた)』に、『人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり』とあり、されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり。

「また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人といふ。すべて心を用ひ心配する仕事はむずかしくして、手足を用いる力役(力仕事。明治時代の工業の現場ではブルーカラーのような仕事も含んでいく。福沢は明らかに労働者:当時、共産主義を嫌う人たちが『無産階級』と呼んだ階級の人間を差別していることが見て取れる)はやすし。ゆゑ(=え)に医者・学者・政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使ふ大百姓などは、身分重くして貴き者といふべし。

「身分重くして貴ければ、おのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるやうなれども、その本を尋ぬれば、ただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違も出来たるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺に曰く、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与ふるものなり」と(=ベンジャミン・フランクリンのことば。『天は万物を人に与えずして、働きに与える』というもの)。されば前にもいへる通り、人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は、貴人となり富人となり、無学なる者は、貧人となり下人となるなり。(「学問のすすめ」より)」

むずかしいことば遣いですが、明治時代にはこれが「易しい」表現だったそうなのです。福沢は「わかりやすいことばで書いた」と言っているのです。わたしなどはなれないことば遣いに疲れちゃって、半分も読まないで放ったらかしにしているんですが…。内容はでもだいたいわかりますよね。生まれながらにして身分の決められていた時代は終わった、これからは封建時代に身分の低かった者でも学問を修めることで、貴人・富人になれる、ということです。ただ、その学問を修めるにも当時はとてもお金がかかって、貧しい人は子どもをなかなか学校へ上げることができませんでした。こういう状況を生まないようにと、日本国憲法では教育を受ける機会の平等を保障しています(第26条)。ところが構造改革ではこれも侵す方向へ向かっています。福沢によると、身分制度によって生き方にタガがかけられていた時代は終わったが、そのかわり人々には自分で自分の人生を切り拓いてゆくことが求められるようになった、ということです。

福沢の文に、フランクリンのことばが引用されています。19世紀初頭では、アメリカはヨーロッパ流の身分制度から抜け出た、とても平等意識の強い風潮だったので、トクヴィルというフランス人は感嘆したとその著書で書き残しています。その風潮を言い表すフランクリンのことばにこういうものがあります。

「ヨーロッパでは名門は価値があるが、この商品(名門、というブランド)を運ぶにアメリカほど不利な市場はどこにもない。アメリカでは他人のことを “あの人はどういう身分か?” とは聞かないで、 “あの人は何ができるか?” と聞くのである。その人に有用な技能があれば歓迎されるし、それをやってうまくできれば、彼を知る者から尊敬される。だが、ただ家柄がよいというだけの人が、それだけの理由で、何か官職か俸給を得て、社会に寄食しようとすれば、軽蔑され、無視されるであろう(「物語 アメリカの歴史」/ 猿谷要・著)」。

このような封建主義から脱却した社会では、個人の価値が尊重される代わりに、個人は自分で能動的に社会に関わっていかなければなりません。一方、封建社会では、とくに自分で多くの責任を負ってゆかなくても、決められた身分社会の中で生きていれば、因習や家制度などから自動的に心理的安定を与えられるのです。

結婚が一番わかりやすい例です。個人主義の社会で結婚を望むなら、家庭を治めるスキル、コミュニケーション・スキルを培って、自分で人間関係を築き上げて行かなければなりません。しかし封建制度や家父長制度のような社会であれば、一定の年齢になればお見合いの話などが持ってこられるものです。多く傷ついて失恋を経験したりしなくても、家庭を持てます。その代わり、自分の好きな人と必ず結婚できるとは限りません。それどころかロミオとジュリエットのような悲劇は起こりうるのです。集団主義はラクですが、自分の意向は多く放棄させられます。

一方個人主義では、自分の意向は尊重されますが、責任が多くて、傷つくことも多いし、傷ついても自分を信じ、立ち直ってゆく人間的成熟が求められます。はっきりいって個人主義は「しんどい」のです。日本では戦後の憲法は個人主義に立脚していますが、その精神が国民に十分行き渡らないのは、よりラクな集団主義に甘えかかる傾向があったからではないでしょうか。エホバの証人の偽善に嫌気が差していても、そこから抜け出せない人というのにも、この個人主義の責任を担うのを怖れるからではないかとわたしは推測しています。

えー、またまた脱線しましたが、アメリカは近代科学に立脚した、啓蒙的な精神で社会生活を営んでいったのです。啓蒙主義とは、人間の可能性は、正しい理性によって切り拓かれるものであり、そういう生きかたにこそ真実の認識人類の幸福とに導くものがある、とする考え方です。キリスト教界の伝統主義から離れてゆく考え方であり、「世俗化」ともいうべき精神態度でした。そういう世俗化した社会精神が伸びゆくなかで、キリスト教の伝統にしがみつきたい人々が、「超自然的な信仰」を守り、守るだけではなくさらに発展させようという意図を具体的に示そうとしたというわけです、「信仰復興運動」というのは。なぜキリスト教の伝統に執着するのかというと、アメリカにわたったイギリス人たちは、敬虔なキリスト教徒、ピューリタンという実践的なキリスト教徒だったからです。

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同時に、「大覚醒」は新世界への入植から一世紀以上を経たアメリカ植民地社会の変化に触発された運動でもあった。かつて1620年代にプリマス植民地を築いたピューリタンたちは、信仰の純粋性を求めてイギリス国教会から分離し、最初はオランダのライデンに渡り、その後信仰のための新天地を求めてアメリカを目指した人々であった。彼らに続いてマサチューセッツに入植したピューリタンもまた、宗教的な使命感に突き動かされて大西洋を渡った人々であった。

このようないわばアメリカ最初の宗教移民を新世界へと突き動かした動機は、カトリックやイギリス国教会等、ヨーロッパ・キリスト教界の下における組織信仰の形骸化や儀式化、伝統主義の浸透に対する危機感であったことはいうまでもない。いいかえるならば、初期アメリカのピューリタンにとっては、移住そのものが、信仰の形式化に対抗したプロテスタント的福音主義の再生・復興をめざす運動にほかならなかった。

そもそもプロテスタントとは、何よりも個々人が自らの体験を通して神の存在を確信し、あらためてそれに帰依する「回心」こそが信仰の要諦である、という訴えではなかったろうか。(ルナ註:そうなのか? エホバの証人の言う、「バビロン的」なキリスト教世界の信条については全然知らないんです…) そこでは形骸化した精緻な神学よりは、聖書の簡明直截なメッセージを頼りに、個々人の心からの祈りを通して、十字架上のキリストの犠牲の意味に目覚めてゆかねばならないことが強調されていなかったろうか。

思えば、そもそもが対抗すべき神学的伝統も信仰組織もなく、専門の僧職者の教えも希なところに、入植者個々の固い信仰心だけを基礎として建てられる以外になかったアメリカのキリスト教界にとって、個人の回心に重きを置く福音主義こそは、もっとも適合的な信仰のあり方だった。

新世界が巨大な既成協会も洗練された聖職者層も持たない事実を、ニューイングランドのピューリタンたちは、逆に新のキリスト教信仰にとっての機会ととらえなおした。自らを旧約聖書の預言者たちに擬した彼らにとって、奢侈や贅沢におぼれたヨーロッパ市民社会は、もはや信仰の場としてふさわしくなく、新世界の無垢な荒野こそが宗教的理想の根づく舞台となったのであった。荒野は、ひとりひとりが神との対面を通して信仰を鍛えなおし、回心(神の存在を実感するような体験を得ること)を遂げるのに絶好な環境だった。

アメリカが、プロテスタント国家の自意識を保持し続けてきた理由、そして福音主義的な信仰復興運動を繰り返してきた理由は、じつはこうした新開地の風土的条件にあったといえるかもしれない。

(「アメリカ 過去と現在の間」/ 古矢旬・著)

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でてきましたね、アメリカの宗教の特徴。メジャーな教会組織の形骸化、儀式化に反感を持ち、「そこから出て」、アメリカという新世界の、奢侈も贅沢もない、質素な生活を強いられる荒野での開拓民生活のなかで、個人的な体験の中に神の実在を見出そうとする、非正統的信仰の精神。しかも僧職者階級の人間が絶対的に不足するなかで、自分を旧約聖書の預言者とみなし、荒野の開拓民生活の中で、「ひとりひとりが神との対面を通して信仰を鍛えなおし、回心(神の存在を実感するような体験を得ること)を遂げる」マイナーな、マイナーな信仰。古矢先生は、これをアメリカのキリスト教の特徴として指摘され、それはアメリカという風土的条件によって規定された、と書いておられるのです。

どうです、エホバの証人の宗教の特徴が垣間見えませんか? この一文、おもしろいので連続で当分続けます。アメリカキリスト教の特徴とエホバの証人の宗教に通底する流れは同時にアメリカの宗教右派にも通じており、それがイラクの市民たちを虐殺しているのです…。


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倒幕までの時代の流れ(3)

2006年09月02日 | 一般
江戸時代の終焉における、政治指導者たちの混乱ぶりを知ると、閉鎖的な体制をこじ開けるということがどれほどエネルギーのいることかが、よーくわかります。権力の座を明け渡すまいという動機づけの執念深いこと…。ただ権力を行使することだけを愛する人たち。被支配者というのはあくまで自分たちの暮らしと誇りのためのしもべに過ぎないと考える人たち。

国家というレベルでなくても、一宗教団体でもこれは同じなんでしょうね。もっともエホバの証人の場合は、短絡的な判断と、独善的な聖書解釈によって、たくさんの、たくさんの人間の命が奪われています。これが公にさらされる恐怖というのは、きっと、フセイン元大統領のモニュメントが、イラク国民によって引き倒されるのをTVで見ていた金正日 “将軍” さまが感じた恐怖に匹敵するのかもしれません、統治体の連中や、日本支部の連中にとっては…。




「条件つきの愛とは、親や親に相当する養育者の気に入るとおりに、子どもが考え、行動したときにだけ、子どもを認める愛である。子供自身が自然に感じる感情は、親の基準から外れているときには、叱られる。それは子どもにとっては、ありのままの自分が拒絶されるということだ。幼い子どもは、世の中に対して無力なので、親に頼る。その頼る気持ちにつけこんで、親は自分の好みに子どもを調教し、子どもをのびのび育てようとしない。

そのような子どもは、自分の本当の気持ちは抑えて、親の承認を得るために、親が喜ぶことを話し、親が喜ぶ行動をとる。自分が自然に感じること、自然に欲求すること、自然に持つようになる考えが拒絶され続けたとき、自分の感情、思考、欲求に自信が持てなくなる。あるいは自分の自然な感情や思考や欲求に罪悪感さえ抱くようになる。他者からの評価がなければ自分の考えに、自分の感情に自信が持てない。自分が感じることよりも、他人から下される評価のほうを重視してしまうように教え込まれるのである。こうして大人になったとき、同じ方法で周囲に受けいれられようとする人が、権力や名声を追求するのである。権力や名声は周囲からの拍手であり、周囲からの承認であるからだ。他者からの承認がなければ安心できないのだ。

権力や名声を強迫的に求める人は、罪の意識にも苦しんでいる。それは実際の自分が拒否されてきたからである。自然な自分でいることを許されなかったのである。したがって、時に、自分の自然な感情、自然な考え、自然な欲求に向き合ったとき、『それは許されないことだ』という獏とした、骨髄反射的な叱責を自分の内部で下す。これが罪の意識である。彼にとっては、他者からの賞賛がなければならないのだ。それがなくても、自分は自分で納得のゆくように生きているから、これでいい、とは思うことができない (「安らぎと焦りの心理」/ 加藤諦三・著)」。




こういう観察を定規として測ってみると、エホバの証人の子どもたちは、何だかわからないけれど、権力や名声をとにかく得ようとする傾向が強くなるかもしれません。ところが、 「しかし、多くの人は、権力も名声も富も得ることはできないだろう。そうすると、そこには苦しみと惨めさと自分への無力感しかない。そのけっか、ある人は無気力になるであろう。他人の成功を妬んだり、他人の足を引っぱったり、他人を貶めるために人生を賭けるようになったり、反社会的な行動に身をゆだねたりして、そんなふうに生きてゆくしかなくなるであろう(上掲書)」。

こうなると、そういう人たちは、『権力を得られないなら、あるいは、権力を失うくらいなら、自分のみの破滅は覚悟の上で、自分から権力や名声を奪う者をかならず滅ぼす』、という動機にとりつかれるようになるのでしょうね…。こういう人ってあんがい多いですもんね。エホバの証人であるかどうかにかかわらず。権力者にとっては、国家や宗教組織は、自分の延長なのです。自分に承認をもたらすのは、国家や宗教組織であって、自分自身の個性や才覚ではないのですから。明治政府の高級官僚たちにとっても、幕末の官僚や天皇、公卿たちにとってもそれは同じだったのでしょうね。何が何でも、これまで自分に特権を許してきた体制を守らなければならなかったのでしょうね…。




アメリカによる開国条約締結の要求は、幕府にとっては天下の一大事でした。いうまでもなく二百五十年にわたる鎖国と幕藩体制を揺るがす要求であったからです。幕府は、この問題を処理する能力を持っていませんでした。ペリー来航時には、開国要求に対しては幕臣たちのほとんどは反対でしたが、圧倒的な軍事力の差を見せつけられ、外国貿易が動き始めるに従い、商人たちも外国貿易を組み入れ始めました。それにしたがい、徐々に開国論は有力大名たちにも受け容れられてゆきます。1857年(安政4年)に、ハリスが、当時のアメリカ大統領のピアースからの親書を持って、通商条約締結交渉を迫ってきたときには、有力大名たちもおおかた、開国やむなしとの判断でした。しかし、通商条約の実務交渉が始まると、日本側の全権委員は締結にあたっては、幕府だけの判断によってはならないという上申書が提出されたのです。

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天下の大事は、天下とともに議論し、同心一致の力を尽くし、末々に至るまで異論がないように衆議一定で「国是」を定めるべきである。そのためには、将軍が臨席し、御三家・譜代・外様の諸大名を召喚して、隔意なく評論いたさせた上で一決する。ここで議決されたものを、速やかに天皇に奏聞して(=報告して)、天皇の叡聞を経て(=許可を得た上で)天下に令する(=全国に布告する)べき…/ 大日本古文書・幕末外国関係文書・十八

(「幕末の天皇・明治の天皇」/ 佐々木克・著)

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江戸時代最後の天皇は、孝明天皇でした。徳川幕府下の天皇と公家たちは政治に関する実権は剥奪されていたとはいえ、政務機関は形式的に有してはいました。その機関を「朝廷」といいます。ここに、「禁中並公卿諸法度」によって、政治からは隔離されていた天皇に、再び政治の舞台への登場の機会が向けられたのでした。それまでは市井の人々、農民たちにも「天子さま」というものについてはほとんどまったく知られざる存在だったのです。いちばん偉いのは将軍さま(徳川将軍のこと。北朝鮮の将軍さまではない。あしからず)でした。今日のわたしたちが思うような感覚とはちょっと違っていたわけです。天皇家を怖れかしこむ風潮というのは、ですからやはり教育によって育まれたものなのですね、特に批判に対しては暴力によって対処するという強硬手段による「教育」によって。

さて、いま天皇に許可を仰がなければならないという判断がなされたのは、国家の基本的な方針である「鎖国体制」の変更というのは「天下の大事」であるから、武家の合意だけで決定するべきではなく、必ず天皇の許可を得べし、という考えがあったからです。通商条約を締結するということ(=開国)は国家の基本方針を新しく定める、という感覚を持っていたわけです。そこで、当時の老中堀田正睦(ほったまさよし)は京都の本能寺で、1858年2月に、朝廷より公卿を招いて通商条約を結ぶ承認を得ようとします。堀田正睦としては、いえ、幕府としては、当時の国際情勢と軍事技術の差を説明すれば、承認を得られるだろうと考えていたようです。

幕府にとって、それまでには経験したことのない政治的判断が要求されていたわけです。天皇の権威を借りてまで大きな変革が必要だったとはいえ、実際に執政していたのはやはり幕府であって、だから、幕府は現実的に対応しようとします。当時の日本の技術力ではとうていアメリカには及びませんでした。ですから、当面はアメリカ側の要求をまったく拒絶するという判断はできなかったのです。そしてそのことを朝廷に説明したわけです。「朝廷の代表である議奏(ぎそう:天皇の勅を公卿以下に伝えたり、天皇に議事を奏上する役職)は、条約締結に賛成するか否かは別として、幕府の説明は十分に理解したのである(上掲書)」。

しかし、孝明天皇は断固として攘夷を主張したのです…。攘夷というのは外国排撃を意味します。公卿全体が攘夷を望んだのではありませんでした。朝廷の中には、むしろ事態を現実的に把握していて、開国・通商条約締結はやむを得ないとする意見のほうが多かったのです。朝廷において、実際に政務に当たるに際しては、摂政・関白という役職の補佐がありました。摂政は、特に天皇が若年のあいだ、代わって執政をしますが、関白は天皇が成人後、執政に携わるのだそうです。孝明天皇が開国か攘夷かの判断を迫られた時に、関白職にあったのは、九条家、鷹司政通という人物です。この鷹司政通の主導により、孝明天皇の頑迷固陋の攘夷の意思が和らげられ、差し戻しの形で勅諚(ちょくじょう=天皇のお定め、の意)が出されました。通商条約調印ということになると、国家体制の重大事だから、徳川三家以下、諸大名がもう一度慎重に協議した上で、もう一度奏上(天皇に報告すること)するように、という内容でした。差し戻しですから、もう一度協議した上で、やはり同様の内容の決定であったなら、その時は承認される、というものです。つまり、開国へゴーサインだということです。鷹司もやはり事情に明るく、開国やむなし派だったのです。

孝明天皇が断固反対だったにもかかわらず、このような柔らかい形式になったのは、やはり朝廷は幕府と表立って対立するべきではない、という長年の意識があったからです。この頃の朝廷というのは、250年近く、行政権を幕府によって剥奪されていましたし、幕府にたてつくことなど意識にはなかったのです。このころの摂政・関白の務めは、朝廷が幕府との対立を回避するように調停することだったのです。

では、どうして孝明天皇はひとり頑迷固陋に開国反対を主張したのでしょうか。鷹司政通は家柄的には、孝明天皇よりも高かったということ、そして「この時鷹司政通は68歳。孝明天皇が15歳で即位したときの准摂政で、かつ34年間もの異例の長期間、関白の職にあり、円熟し、威望を備え、かつ現実的な老練公卿として、武家の世界でも高く評価されていた、事実上朝廷の実権を握る存在であった(『橋本景岳全集』/「幕末の天皇・明治の天皇」/ 佐々木克・著)」、彼は熟練した政治家だったのです。もちろんそんな鷹司政通もやはり現実路線を支持していました。開国やむなし、です。あくまでもアメリカの要求を拒絶すれば戦争となり、そうなれば日本は深刻な危機に見舞われることになるというのは、特に鷹司政通でなくとも理解できることでした。それではなぜ、孝明天皇は開国を拒絶したのでしょうか。

まさにその鷹司政通の存在が孝明天皇をして断固拒絶=攘夷の判断をさせた、ということらしいのです。

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孝明天皇が九条関白に当てた1月26日と2月20日付けの手紙がある(「孝明天皇紀」)。その中で孝明天皇は、自分と鷹司太閤(ルナ註:“太閤”は前関白、の意)が話し合った際には、自分のひと言に対し、「太閤は多言」で、自分の意見が通らない、しかも太閤は何でも「自分(鷹司)の存念通り立ねは置かぬ生質(=性質)」であると、あからさまに鷹司政通を嫌っていることを記していた。孝明天皇は老太閤に圧倒されていたのである。

(「上掲書」)

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いつの時代にも政治は、政治家の考えや感情に大きく左右されるものです。もちろん政治に携わる人たちの利害もね。だから国民は、期待できないし、幻滅しているからといって、社会のことに無関心でいてはならないのです、いえ、むしろ、だからこそ関心を持つべきなのではないでしょうか。この当時には庶民に参政権などありませんでしたが、今のわたしたちにはそれが憲法によって保障されているのですから。話を元に戻しましょう。

もうひとつの理由には、孝明天皇に同調する勢力が朝廷内でも発言権を強め始めたことがあります。天皇はいまや、幕府が単独で判断することを放棄し、いままで政策決定に参加しなかった外様の諸大名に意見を述べさせたり、果ては庶民にさえ意見を求めるようになり、そうした上で朝廷へも判断を求めてきたという時代の流れを汲み取ったことがあります。今や、久しくなかった政治舞台への復帰の気配を敏感に感じ取ったことがあったのでした。

朝廷内部にも、行政意欲が芽生えてきていたのでした。それですから、幕府依存を貫こうとする鷹司政通の、しかし強力な影響力と執行力への反感は、ひとり孝明天皇だけではなく、一部の急進的な公卿たちにもありました。公卿たちにも階級があり、朝議に参加することのできる家とできない家があったのですが、このたびの決定に際しては、孝明天皇に賛成する公卿たちを掘り起こすために、孝明天皇は朝議に参加する資格のなかった公卿たちにも意見を求めるようになったのです。その中でも中山忠能(ただやす)、正親町(おおぎまち)三条実愛(さねなる…この頃の漢字の読みはむつかしいですねー。変換がたいへんです…)といった急進派が、九条鷹司政通の勅諚案を書き改めるべきだと主張したようです。政治意識に目覚めたこれら急進的公卿たちは堂々と発言するようになりました。時代のこのような流れの前に、古いタイプの関白だった鷹司政通は病気を理由に、関白職を下りることになったのでした。

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公卿の上層部でも、開国・条約締結はやむを得ないとする意見が多かった。孝明天皇が拒否の意思を明らかにした後も、その傾向は変わらなかった。それでも条約締結不承認が多数意見となったのである。

そのきっかけが九条関白の勅諚案にあった。慣例にしたがったとはいえ、幕府に白紙委任をするような、そうした朝廷・公卿の主体性をないがしろにするような、鷹司の独断的なやり方に、猛然と一般の公卿たちが批判の声をあげはじめたのである。孝明天皇に続いて、公家たちもが当時の朝廷の政治体制=関白統制体制を批判し、政治的自己主張をするようになったのである。




…とはいえ、天皇、朝廷、公卿の開国承認を明確に得られなかったことは、武家たちにとっては予想外のことだった。朝廷内部にも幕府の方針に賛成せず、独自の協議を行う動きがあることも。山内豊信は、その動きと主張を、「無謀の書生同様の論」であると批判し、老中堀田正睦は「とても正気の沙汰とは思えない」と、呆れ嘆かざるを得なかった(「開国と幕末変革」/ 井上勝生・著)。容堂(山内豊信)と堀田の気持ちを代弁すれば、公卿は自分の都合と目先のことだけを見て国家全体を考えない。戦争ともなれば彼らは、それは武家の仕事だから、武家の責任でなんとかしろ、と迫るに違いない(この当時は、戦争は武家の役目であって、今日のような国民から徴兵するというような考えはなかった。庶民も戦争には従事しないのが身分制の時代の特徴)。勝手なものだ、といったところであろう。

(上掲書より)

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こうして幕府は、天皇の勅許無しに条約の調印を行うことになりました。これが原因で井伊大老は政敵から勅許を無視した無断調印であると、責められることになり、それに対し井伊直弼は弾圧をもって報いることになるのです。安政の大獄です。当時下級武士を中心に運動されていた攘夷主義を恐怖政治で圧し潰したのでした。有名な吉田松陰もこの大獄事件で投獄され、処刑されました。

勅許なしで条約調印を行ったことへの事後説明ということで、幕府は老中間部詮勝(まなべあきかつ)を京都に派遣します。

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9月17日以後、数回にわたって関白と面談し、幕府側の事情を説明した。

いまは外国との戦争に勝算がなく、時間稼ぎのための一時の「計策」として調印し、武備が充実した段階で、4年前の1854年の和親条約の状態に引き戻す(即ち、このたびの通商条約を破棄する)というものだった。

これを受けて天皇は、12月24日に「心中氷解」したとの言を発し、そして晦日には公武が力をあわせて「鎖国の良法」に引き戻すための良策を考案されたい、それまでは破約攘夷の実行をしばらく猶予するとの意向を、関白を通じて間部に伝えた。

この「破約攘夷」は、単に言い逃れの方便ではなく、大老井伊直弼と幕府の方針であった。直弼に即して言えば、ペリー来航の時点で、日本が武備充実を達成するまでの、策略としての開港を説いていたように、この時点では「開国やむなし」とする諸大名と公卿の意識にも通底するものである。現在のわたしたちの目からすれば、実現不可能なことをやろうとしているとしか見えないが、近代世界の国際関係論に立脚していない当事者たちは、程度の差こそあれ、可能性があると考えていたのである。

こうして、天皇・朝廷と幕府のあいだには、「無断調印(勅許を俟たずに調印したこと)」についての諒解が成立した。しかし、幕府の破約攘夷=「条約引き戻し」の約束は公開されず、諸大名にも秘密にされた朝幕間の密約であった。いずれ破棄することを予定しながら、条約を結んだことを外国側が知ることになったら、国際紛争となることは避けられないとの予測、それくらいの国際外交知識と配慮はあったのである(「明治維新と国家形成」/ 青山忠正・著)。

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でも、実際に条約改正が実現したのが、明治時代の終わりでした。日本は国民主権を一切認めず、帝政ドイツ型の体制を採用し、多くの犠牲を出して戦争に継ぐ戦争を繰り返し、ひたすら産業促進に努め、労働者を酷使して国富強兵政策をまっしぐらに突き進んできたのは、ただただ、この安政の不平等条約を改正しようという目標があったからでした。一方では朝鮮半島から大陸に帝国的侵略を目論み、日本が欧米から受けた不平等待遇を近隣アジア諸国に押しつけてきました。それは1945年に惨憺たる結果となって終了します。ですから、日本がそういう結末を迎えたのは、歴史的にある意味、必然的なことだったと評価する向きもあります。当時の日本はそれこそ欧米帝国主義の植民地と化するかしないかの瀬戸際だった、と。わたしが思うには、日本というのは、徹底してアメリカに踊らされているなあ、ということです。第二次世界大戦以降も、ね。やっぱり、日本のためをほんとうに思うなら、もういい加減アメリカとの関係を見直したほうがいい、とルナはつくづく思うのです。

いずれにせよ、この時点では、幕府の威信は弱くなり、天皇の発言力が増したことが見て取れました。特に、急進的勢力が朝廷内でも幅を利かせるようになってきました。が、それもつかの間、急進勢力は朝廷内でも失脚することになります。孝明天皇はあくまでも、旧体制の擁護を望んでいたのであり、身分制と鎖国体制は護持したかったのです。さらにここでも、民衆はまったく蚊帳の外でした。




はあ…。

実は今日の夜には運命的な出来事が起こりそうで、気が騒いでいます。ひたすら無心でこの記事を打っていました。人間関係って、基本的に戦争ですよね、とくにその入り口は…。
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人間関係を上手にサーフィンしよう!(3)

2006年09月02日 | 一般
「会話がはずむコミュニケーションの3条件」という文章をみつけました。エホバの証人の日本支部の「偉いさん」たちにゼヒお読みいただきたい一文でしたので、ご紹介します。

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条件1 相互性…会話のキャッチボール性を認識する
会話は自分だけ楽しむものではなく、相手も楽しませなくてはならない。フランスのモラリスト、ラ・ロシュフコーは、その著書「箴言集」でこんな指摘をしている。

話を交わすにあたって、相手を楽しませる人がそんなに多くないわけは、めいめいが相手の言うことよりも、自分の言おうとしていることに集中しているからであり、自分が話をしたくてたまらなくなると、相手の言うことなどには、てんで聞こうとしないからである。

おしゃべりの人は、親しい人や身近な人に対して、「まあ、聞けよ」と、自分だけでしゃべってしまう傾向にある。相手もおしゃべりで、負けず劣らずしゃべるとなると実ににぎやかになるが、それぞれが勝手にしゃべっているだけで、話は全然かみ合っていなかったりする。

身近な人との会話において、相互性の条件を確保するには、次の点に気を配るようにすればよい。

.自分ばかりしゃべらない。
おしゃべりな人にとってはつらい心得だが、自分が4割しゃべり、相手に6割しゃべってもらうつもりでいるとちょうどよい。

.自分のことばかり話題にしない。
あなたが自分のことを話したいように、相手も自分のことを話したいのだ。会話を相互通行のもの、つまりお互いのやりとりにするには、相手の話題にも耳を傾けよう。相手は自分にないものを持っている。相手の口から興味深い話が飛び出すかもしれないのだ。

.話しながら、相手の反応に気を配る。
話に夢中になっていると、うっかりして相手を傷つける言葉を言ってしまっていることもある。話しながら、相手の反応に気を配っていれば、早くそれに気づくことができて、「あ、何か気にさわったことを言ったみたいでごめん」と、すばやいフィードバックが可能になる。傷つけることばを言ってしまっても、対応が即座であれば、関係は容易に修復され、維持できるのだ。



条件2 水平性…同じ背丈でのやりとりがコミュニケーションを生かす
親しいコミュニケーションにおいては、人は誰でもが対等であり、上も下もない。それなのに、
・威張る
・卑屈になる
・過度に謙遜する
などの態度が持ち込まれると、会話はぎごちないものになる。そこで以下の点に注意しよう。

.威張った態度でものを言わないこと。
相手を下に見る心は、態度やことば遣いにどうしても表れるものだ。相手を見ないで話したり、あごを突き出して話したり…。

.説教口調にならないこと。
説教とは、自分自身の過去の経験の押しつけであり、「お前は何もわかっていない=お前はまちがっている」という、上から見下した決めつけの態度である。

上の人、年配者は、下の者、若い人は自分の言うことに従って当然、という刷り込みがまだ残っている。そのため、違った意見が出されると「生意気な!」とばかり、「何もわかっちゃいないな。世の中はそんなに甘いものじゃない」と、お説教が始まるのである。

これまで、わが国ではタテの序列が人々の生活を支配していた。儒教とその考えの下に制度化されていた「家」制度の執念深い影響である。職場での年功序列制度ができ上がっていて、人を見るとまず、瞬時に上か下かを定め、ことば遣いも態度も変えていた。

民主主義の基礎をなすものは、人はみな対等である、という「個人の尊重」の精神なのだ。対等だからこそ忌憚のない対話が可能になるのである。

.対等な会話を通じて、つながりを強める。
自分の言おうとすることを理解してもらおうとすることは、自分の思いどおりに相手を動かそうとすること、または自分の言うことに賞賛を要求することとはまったく別のことである。

戦後日本では、話のわかる上司、友だちのような父親が登場したが、尊敬され、信頼しあう存在にまではなれなかった。何が欠けていたか。話し合いや会話の精神がかけていたのだと私は思う。すなわち、相手の言い分や感情を尊重し、受容する態度が不足していたのだ。単に表現や物腰がフランクになっただけで、年長者が、自分の世界観を押しつける、という構図は変わらなかったのだ。押しつける、というのは相手を否定することである。これでは信頼関係が築き上げられるはずがない。むしろ、屈辱感の鬱屈した怒り、憤りが蓄積されてゆくだけだろう。近頃のキレる、キレたゆえの「親殺し」は、ここに大きな要因があるのだ、と私は見ている。信頼関係は、この「互いの立場の水平性」の条件を満たすことで培われてゆくものだ。

.敬語を使って話せば、上位者とも対等に話せる。
敬語は地位や年齢の差を埋めて、対等に話すための言葉である。近頃は年功序列も崩れつつあり、年下の者が上司となっていることは多い。だがたとえそうであっても、つまり上司が、部下の者より年下であっても、その年下の上司が年上の部下に向かって言うときには、「よろしく」ではなく、「よろしくお願いします」ということで会話の水平性は保てるのである。それはたとえ部下であっても、相手がこれまで受けてきた教育という背景を考慮に入れ、相手の感情に配慮し、そうすることで相手を尊重する、ということであるからだ。会話や、対話は、地位や門地や財力の差、または権力の程度の差で相手を従わせるものではない、人間と人間が心を交わす行為であるのだ。人間性そのものが問われるものなのだ。お互いに相手を認めあい、受容し、その人の歴史に配慮して、人間としての誇りを尊重した上でなければ、率直に意思を通わせることはできない。
ルナ註:これは特に、男性社会の風習が強いところでの男女が絆を培おうとするときには、同じことが言えます。対等に話し合えてこそ、愛情は日々確認しあえるし、そうすることで絆は強まるのだと思います



条件3 対面性(即興性)…思いがけなさが会話のいのち
会話が苦手という人の心にある原因のひとつに、「人に会うのが億劫」、つまり気が重いというのがあげられる。なぜ気が重いかといえば、相手に面と向かって会わなければならないからである。「目前の相手」とは、生身の人間であり、クセもあり、考えも違い、時には学識・経験にも違いがあり、それゆえ、自分の内の密かなプライドがかすんでしまったりして、傷つくことがあるかもしれないのだ。

対面コミュニケーションは、相手の生の声に触れ、ことばを聞き、目前の顔色・表情を見て、相手が何を言いたがっているか、どう思っているかを読み取って、その場その場で臨機応変に応えてゆくところに特徴がある。相手がどんな出方をするかは、話してみなければわからない。会話は筋書きのないドラマである。相手の思いがけない出方に接して戸惑う面がある反面、刺激されて、こちらも思いがけない発想が閃いたりする。人と会話をして、自分の話が相手にどんな反応を起こさせるかで、人間は自分を知ることもできる。

会話において、対面性の条件を生かすにはどうすればよいか。

.先入観、思い込みにとらわれない。
自分より頭の切れる人だから、うっかりしたことは言えないと、会話をする前から先入観にとらわれているようでは、のびのびした話ができなくなる。

.相手の目を見て、明るい表情で、話したり聞いたりする。
お互い、相手に見られている。会話上手の人は、「見られている」という意識から「見せる」方向へ自分をもってゆく。表情や、身振り手振りが豊かになる。キョロキョロしたり、気難しい表情でいるのでは、相手も居心地が悪くなり、会話は停滞する。職場で声をかけられても、下を向いてボソッとことばを返すだけで、すぐパソコンに向かう。これでは会話にならない。相手を見て、明るい表情で、「おはよう!」。これでこそ、対面性の条件が生きるのである。

(「人は話し方で9割変わる」/ 福田健・著)

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エホバの証人はとかく、「会話の水平性」に問題があります。上下序列意識がとても強く、新しく赴任してきた、「必要の大きな区域」に出向いてきた、特に兄弟たちに真っ先に投げかけられる質問は、「おいくつですか?」。年齢を確かめることで、相手への対応の仕方を値踏みするのです。また、年齢を訊くことで、自分のほうが年長であることを、それとなく当人たちにわきまえさせようとするのかもしれません。

わたしが、開拓者学校のお昼の援助で聞いた、生徒の経験のとき、あれ、何ていうんでしたっけ、先生役の兄弟たち、監督じゃなかったっけ、忘れちゃいましたが、先生役の兄弟の一人は地域監督だったのですが、ちょうどMTSのことに話が及びました。当時MTSは始まったばかりの頃だったので、地域監督はこう言ったものです。「MTSを卒業すれば、かなりの権威があると言われています」。だれに言われているかといえば、ベテルの偉いさんです。「かなりの権威」と言ったのは、エホバの証人社会の厳格なヒエラルキーの中の、どの辺に位置づけたものか、当時はまだはっきりしなかった、ということです。しばらく独身を誓約するのだから、まるっきり権威がなくっちゃかわいそうだし、それだと受講希望者が集まらなくなってくる可能性もあります。さりとて自分たちと同等程度だというのも、ちょっと抵抗を感じる、といったところだったのでしょう。

これくらい上下序列へのこだわりが強いのです、エホバの証人は。「巡回監督と特別開拓者の兄弟とでは、どっちが上?」と尋ねてきた姉妹もいました。こういう環境では、成員間の意思の疎通は十分にはかどらない、ということが、福田さんのお話で測るとよくわかりますよね。エホバの証人の社会では、「対等」性が占める部分は非常に狭い。権威への絶対服従は基本的な教理なのです。「真理」の書籍でも、「永遠に生きる」の書籍でも、「知識」の書籍でも、かならず一章が割かれて、権威への抵抗が及ぼす結果、としてアダムやコラを例にして教えこまれます。たとえ権威者の判断が間違っていても、権威者のその誤った方針の推進に喜んで協力するように、と教えられるのです。人々の暮らしをよくしようという考えがないことがよくわかるでしょう? 彼らにとって重要なのは権威が絶対的に固められること=権力そのものである、ということです。

ですからエホバの証人はコミュニケーションがヘタです。2世の巡回監督なんて、巡回訪問のときはすべての人に作り笑顔で接しますが、大会などで出あうと、自分から目を逸らしたりする、いじめられっ子タイプの反応をする人もいるんです。彼のアイデンティティが自分自身の経験ではなく、組織からの評価に依存していることを物語ります。誰かから評価されようとむきになると、自分らしさを放棄し、自分を採点する人々の好みに合わせなければなりません。こうしてエホバの証人の男性たちは「自分」を喪失するようになるのです。こういうのって、ほんとうにすぐれたお手本でしょう、反面教師というお手本…。

コミュニケーション・スキルは重要です。他の人とコミュニケーションを図ることで、人は自分という人間の別な側面を知ることができる、と福田さんは書いておられます。そうだとすれば、「自分」を取り戻すためにも、また「自分」を育んで行くためにも、会話するということは、とても重要だし、エホバの証人を離れた人が「回復」するための、最適のメンタルヘルスである、とも言えるのではないでしょうか。


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