Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

菅直人の履歴、そこから見えたこと (若干の修正あり2011-1-15)

2010年12月12日 | 一般





菅直人という男のプロフィールらしき文章を見つけました。読んで思ったことは、やはり菅さんには、今の日本を引っ張っていく役は務まらないな、いうことでした。みなさんはどう思うでしょうか。




(以下引用文)-----------------------------



菅氏との初対面は1977年4月、保谷市の東伏見小学校体育館で開いた江田氏(江田三郎・旧社会党書記長)と、「あきらめないで参加・民主主義をめざす市民の会」代表の菅氏らとの公開討論会のときであった。


菅氏はすでにその前年、1976年の衆院総選挙(ロッキード選挙)に初立候補し、新人ながら次点で落選していた。この後、77年参院選、79年総選挙と続けて落選したが、80年の衆参同日選挙で、当時の東京七区から最高点で当選した。


菅氏は1977年以降、江田三郎氏との出会いで作られた「社会市民連合(社市連)」を名乗った。


筆者はその選挙区の、菅氏の住む武蔵野市の隣、小金井市に住んでいて、もちろん新聞記者としての限度内のきわめて些細な裏方の手伝いだったが、個人的にボランティアのようなこともした。いわゆる三バン(地盤・看板・鞄=カネ)を持たない、おまけに既成政党の支援もない、徒手空拳の若者が志を立てたことに強い共感を覚えたからである。


当選後もときどきは筆者の陋屋(ろうおく=狭くてみすぼらしい家。自分の家をへりくだって言うことが多い・岩波国語辞典第四版)にも顔を出し、呑んだり酔いを醒ましていったりした。いつも雑談の域を出なかったが、甘いマスクで上手に隠してはいるが頭のいい勉強家であることは、ことばの端々に表れていた。



…(中略)…



感心するのは、彼が自分の権力欲や野心を否定してみせない部分である。もちろんソフトムードの人だから、そうしたものをギラつかせはしない。しかしそんなものはありませんという顔もしない。政治家がそうしたものを持たないはずはない。持っていないという人がいて、それがほんとうなら、政治家としての素質に欠ける部分があると言えるだろう。


…(中略)…



権力に近づこうとする菅氏の武器は、これも当たり前のことに近いが、現実主義というものではないかと筆者は思っている。


菅氏は27歳のとき、「理想選挙」の市川房枝さんが81歳の高齢を理由に選挙にはもう出ないといっていたのを口説き落とし、参院全国区で二位当選をさせた事務局長を務めている。


菅氏の、その行動力ももちろん武器だが、市川さんを担ぎ出したのは、その「理想」主義からだろうという説も成り立ちそうだが、筆者はそうではないとにらんでいる。


市川さんを口説いたのは、おそらく全国区なら勝てると読めたからではないだろうか。


市川さんは東京地方区から三回続けて当選し、4回目の’71年についに落選した。定数4人の東京では、都民の20パーセント近くの支持がないと当選しない。しかし、当時の全国区なら、全国の2パーセント弱の人びとの支持で当選できる。市川さんには、それを得られるだけの知名度があった。菅氏にはそういう計算で勝算を感じ取っていたのだと思う。


菅氏の著書、『日本 大転換』(光文社、1996年)には、この市川選挙のいきさつが詳しく書かれている。そして、市川さんが200万票弱を獲得して当選後、当時経団連の土光敏夫会長と会ったところ、土光氏は市川さんの要請に応じて、「経団連は政治献金を廃止します」と答えたという話を披露し、続けてこう書いている。

「…200万票をバックにすれば、経団連だって方針を変えるのです。その『政治』のリアリティーに驚きました」。

これが政治家を志す直接のきっかけになったのかもしれない、と菅氏は書いている。それは理想の高さへの共鳴とは別次元のものというべきだろう。

 


ロッキード選挙での初立候補のときでも、ロッキード事件糾弾集会にでていて、「糾弾」という発想のしかたに違和感を覚えたといい、次のように述べる。

「…演壇に立った人たちは『自民党を潰す』と声高に叫ぶのですが、つぶす手段は明確ではない。…デモや集会をいくらやっても、あの自民党がつぶれるものではないだろう。そんなことを考えながら、演説を聞いていました」。

ここには、それまでの「革新」派との見事なまでの断絶があり、政治に対してほとんど冷たいまでのリアリスティックな把握のしかたがある。




1996年1月、橋本内閣の旧厚生相となり、すぐに薬害エイズ問題の資料公開をさせ、旧厚生省の責任をはっきりさせたことが菅氏を一躍日本でもっとも人気の高い政治家にした。そのいきさつも著書に詳しいが、筆者にはこの本に書いていないことで強く印象に残ったことがある。


旧厚相就任間もないころ、東京銀座の小さなスナックバーで偶然出会ったことがある。…菅氏といっしょに菅氏の友人である秘書官がきていて、話題はもちろん、薬害エイズ問題になった。酒席での話を書いてしまうのはよくないかもしれないが、これはもう終わった話で、誰にも迷惑はかからないだろうから記録しておく。


筆者は、官僚たちが身構えていてやりにくいだろうけれど、これはやらなきゃいけないね、というふうなことを言った。菅氏は黙っていたが、秘書官は「やれると思うんです」と答えた。へえ、それはまた自信のあることで、という顔をした筆者に彼はこう説明をした。

「(旧)厚生省も、先輩たちのしたことをもう隠し通せないと覚悟しているんじゃないかと思うんです。それなら菅が大臣というのは一つのチャンスではないか。他の者ならごまかせるが、なにしろ菅は『あっち側』、つまり被害者・患者側の応援団だったのだから、この問題には詳しく、厳しい。公開するほかなかったんだと先輩に弁解できる。そういう点で、手順を踏んでやれば、解決できるとわたしらは思っています」。



メモを取ったわけではないので、言葉通りではないから不正確かもしれないが、趣旨はこういうことだったと思う。その後、この見通しを裏付けるように事態が進んだので、なるほどと感じ入ったものだった。


菅氏には、このように自分の位置も含めて客観的に事態を見通し、目的に進んでいく才能があるということであろう。








(「人物戦後政治」/ 石川真澄・著)


-----------------------------(引用終わり)





菅さんの特徴は「現実主義」である、ということですが。


筆者の石川さんがここで言おうとした現実主義は、旧社会党が、その内部で、理論をめぐる闘争などで分裂し、政権をとるという目的が二の次に置かれていたような状態を思い浮かべて、菅さんは、政権を取る、という目的達成を主眼においているので現実主義だ、とおっしゃったのかもしれません。


わたしは、現在の菅さんの内閣のやり方を見ていて、現実主義というのはよく言いえていると思います。沖縄県民の圧倒的な県外移設という意思を軽々と踏みにじって、沖縄県民の意志除外の日米合意踏襲のやり口、実質的意味の骨抜き的な労働者派遣法改正、社会保障の小泉方針踏襲的なやり方など、事態が現実に動いている方向に沿った政策を打とうとしているように見えるからです。「事態が現実に動いている方向」というのは不正確かもしれません。「官僚たちが実際に動かしている方向」というのがより正確でしょうね。


つまり、菅さんのやりかたというのは、例えば、官僚たちに内在する雰囲気を読み取って、それにそった方向へ物事を進める、そうすることで、実績を挙げて、「有言実行」内閣をアピールし、民主党の地位を決定的に上げていこうとする、こういう意味での「現実主義」ということではないでしょうか。



上記引用文の筆者によると、市川さんのときでも、「理想に対する共感」ではなく、現実に当選させることができるという市川さんをめぐる範囲に「内在する」エネルギーがあったから、市川さんに選挙に出させたのだということです。



薬害エイズ問題でも、抵抗する官僚を押しのけて資料公開させたわけではなく、すでに官僚の内部にもう隠しおおせないという雰囲気が充満していたのを見切って、それを利用したわけだったんですね。





つまり菅さんは、大きな理念を掲げ、それを現実化させようという人ではないんです。はじめに、権力への自分の野心があり、それは政治家としては当然のことだとしても、その野心を達成していくのに、国民の声を汲み取ろうとするというよりは、あらかじめ政治家の中、官僚の中、そしてアメリカの意向の中にうごめくエネルギー、例えて言うなら「マグマ」の動向を読み取り、そのマグマの意志には逆らわないで、そのマグマが現実世界に出やすいように環境を整える、そういう才能なわけです、菅さんは。




そうすると、菅さんの政策の方針、2011年1月に行われた両院議員総会での斎藤恭紀(さいとうやすのり)さんのおっしゃった言葉を借りれば、「マニフェストに書いてあったことは実現させず、マニフェストに書いてないことばかり、実行してゆく」=国民の要求すること(有言のこと)は実行せず、国民に言っていなかったこと、かつ、国民の大多数が望まないこと (辺野古移設を「甘受していただく(38の暴言)」という方針、TPP参加といういきなり言い出された方針など) を実行しようとする、そんな菅さんの方針の理由が呑みこめるじゃありませんか。


 


今の日本に必要なのは、前例を踏襲することではありません。アメリカのマグマに追従することでもない。そういう現状追認的なことではもう日本は立ちゆかないのです。日本に今必要なのは、まったく新しい方針であり、それを想像し、具体的に設計し、多くの失敗を重ねて現実化していく、日本は今こういう才能を必要としているのです。



そのためには、マグマの意志を押しとどめて、地下深くへ幽閉してしまうことがまず必要なのです。アメリカ、経団連、左右のイデオロギストの暴走などを押しとどめ、国民目線に立った新しい社会を構想していかなければなりません。それは確かに困難なことであり、面倒なことではあります。ですが、これからわたしたちが人間らしく生きて生きたいなら、中世の被支配層のような、明日をも知れぬ閉塞した生きかたを強要されたくないなら、「そんな夢みたいなことムリじゃないかな」などと言ってはいられないのです。もう、そうするしか生き残る道はないのです。


そしてそういう新しいものの創造のためには、菅さんはまったく無能だということが、石川さんの観察から伺えるのではないかと思うのです、わたしは。


コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする