Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

どこでボタンを掛け違えたのか

2006年08月27日 | 一般
暑いですねー。暑いけれど、じとーっとする話を書いてしまうルナなのですが。組織は国家でも宗教団体でも、成員のためにあるものですが、多くの場合、組織は自己愛的になり、自分たちの栄光や福利のために成員を低い地位に貶めて使役するという構図になりがちです。エホバの証人は、特に日本においては、もうこのように成り下がっているのです。組織の拡大に貢献できるあいだは賞賛によって報いるが、病気や老齢によって十分な貢献ができなくなると、あとの暮らしは自己責任で看て下さい、となります。実はこれがこれから日本に訪れようとする新自由主義社会の様相なのです。日本の経済成長、国家の威信を高めるのに貢献できる人材は国家で支援するが、そうでない者は知らん、というものです。障害者や、自分独自の目標を追い求める人、長期の病人、老人、失業者は自己責任だから、自分で面倒を見ろ、という施政方針です。どこでこんなふうになってしまうのでしょうか。ちょっと以下の文章をごらんになって見てください。

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社会に喜ばれる商売を
いままでのように、ただモノをつくって売ることだけを経済の活力にしていると、生産力がどんどん高くなって、たくさんのものが短い時間でつくれるようになれば、国内で余るのは決まっているのです。

たとえば自動車だと、国内で必要な自動車の二倍をつくっている。そんな国は他にはありません。二倍つくって国内でとても消費しきれない車をアメリカへ売ったり、ヨーロッパへ売ったり、オーストラリアやアジアに売っている。モノをつくって輸出し、お金を稼ぐことを経済の主流にしてしまうと、いずれ壁にぶつかる。国内にある国民生活の需要を再点検せずに、国外の市場でモノを売りさばくことばかりに目を向けているからです。あるいは輸出できるような文化や学術を国内で育成せず、モノつくりだけに国の財政を使っているからです。

国内でなぜモノが売れないか。それは同種のモノを、モデルチェンジするだけで売ろうとするからです。健康な生活の中からほんとうの需要が生まれる前に、生産者のほうが、つくったものを鳴物入りで、消費者に売りつけてしまう。

たとえばモノをつくるということではなく、創造性を育てる教育環境や、福祉事業、文化的な事業、学術的な研究条件、自然環境の回復、そういうところに投資を回す。モノがあふれてゴミ処理に困ったり、奇抜な宣伝でむりやりに買わせることがない、もっと社会全体の健康な生き方、バランスの回復を考えてはどうでしょうか。

日本の戦後50年(ルナ註:この講演は1995年の6月に行われました)は、つくって売る以外のことは、まったく知恵がなかった。このことがいま大きな問題になっています。経済大国日本が世界の人に喜ばれる何を、いったい残しえたのでしょうか。世界史の中に日本の富が残した足あとを思うとき、淋しさを感じるのは私だけでしょうか。国内の需要が抑えこまれているのは、富の分配がまずいからです。そのことが結局は、相手の社会全体に喜ばれる商売をすることを不可能にしているのです。根はひとつなのです。




カネだけを見る日本の企業
私はウィーン大学にいたときに、ある縁があって、ここのところ難民キャンプの救援活動をやっています。『信濃毎日新聞』でも呼びかけてくださって、長野の方からたくさんの衣類やその他のものを送っていただいたのですが、衣類、薬品、医療機械、いわゆる募金と現物の寄付を集めて、これを難民キャンプに運んでいくわけです。一回運ぶと薬やなんかでだいたい300kg以上になる。ご存知のようにエコノミークラスで行くと20kgしか飛行機には積めません。それ以上のものは超過料金を取られる。超過料金を払っていたら募金はなくなってしまいますので、私たちは航空会社に交渉します。そうすると日本の航空会社でそういうことを引き受けてくれるところはどこもないのです。「いいですよ、難民キャンプを助けるんだったら、うちはただで積んであげますよ」と言ってくれるのは、ドイツのルフトハンザとオランダのKLM、オランダ航空です。こういうことひとつを見ても、日本の企業がいかに品位がないというか、低級で未熟。利益以外に関心がなく、まったく無教養。もうけ以外のことは考えたことがない非文化的な企業であることがわかると思います。

1995年の3月、阪神大震災の被災者で、避難所に非難している子どもを25人、春休みのあいだ、ヨーロッパにホームステイに招待されて連れていったんですが、被災者の子どものために、そのときもいろいろな航空会社に交渉しました。「そういうお子さんだったら格安で乗せましょう」と気持ちよく言ってくれたのは、やはりルフトハンザです。飛行機に乗っているときも、地震で心が傷ついた子どもたちを、なんとか楽しませようとして、スチュワーデスがジュースを持ってきたり、パイロットが操縦をしているコックピットに子どもたちを入れて、見せてくれたり…。私たちからいえば、そういうことは日本の航空会社がやらなきゃいけないことだと思うのですが、どこもやってくれませんでした。

それだけではありません。震災で家を全部失って福井県のおばあさんのところに母と子で疎開している被災者がいました。そのお子さんも、元気になるために海外へのホームステイを希望し、参加しました。関西空港から出発しますので、そのお子さんはお母さんと一緒に前日に大阪に出てきて、メールパルクに一泊したのです。私はせめてこの母子のために宿泊代を割り引いてください、とめーるぱるくにたのんだのですが、まったくとりあってもらえませんでした。メールパルクは郵便貯金を原資とする公共性の高いものです。それがこのありさまなのです。ところがフランクフルトに着いて、そこのホテルに25人の子どもは一泊したのですが、この時、フランクフルトのホテル・シェラトンでは、子どもたちのために料金を3分の1にしてくれました。

こういうことを考えてみても、なぜ日本が行き詰ったかということがわかるのではないでしょうか。

日本はかつて(バブルの時期)儲けたお金でアメリカの、たとえばニューヨークなどの一等地を買いあさる。あるいはオーストラリアの観光地の一等地を買う。ハワイでもそうです。私がいたウィーンでも、カフェ・モーツァルトといって、昔からおいしいコーヒーを飲ませてくれる伝統ある喫茶店があります。これはウィーンっ子の自慢の喫茶店です。そこを三越が買い占めて、その喫茶店を洋服を売るブティックに変えてしまうということがわかってきた。ウィーンの人がカフェ・モーツァルトを残す署名運動をしました。大金の札束でウィーンの伝統あるカフェ・モーツァルトを買い占めた、それだけでなくその喫茶店を洋服売場にしてしまうなんてとんでもない、と非難ごうごうでした。それで三越も計画を断念し、いちおう、喫茶店はいまも続いています。

ある人が指摘していたように、日本が戦後貧しかったとき、アメリカの企業は宮城の真ん前の土地を買い占めて、そこで何かやりましたか。京都の歴史的建造物で金儲けをしましたか。そんなことはしませんでした。あるいは日本人の心の故郷といわれているようなところを買い占めて、自分のところの商売のためにすっかり環境を変えてしまったか。そういうことはしないわけです。カネのためならなりふりかまわず、という日本の企業の姿勢がはっきり見えて、たいへん寂しい思いをしました。カネだけが見えて社会(そして、「心」「情緒」というものを有する人間、とつけ加えてもいいとルナは思う)が見えないと企業は方向を誤ります。人間の心がわからないと、ほんとうの需要を探し当てることができません。

儲けたお金を、また次々にどこか儲ける先はないかといって、外国の一等地を買い占めたり、外国人の自尊心を傷つけるようなことをする。松下などは、アメリカの大きな映画会社を買い占めたのですが、結局うまくいかなくて撤退している。ソニーも同様の過ちをして手を引いた。三菱地所も債務を抱えてロックフェラーセンター経営から撤退しました。お金さえ儲けられればどこにでも目をキョロキョロさせて、大きな立場からの見通しもなく、文化や伝統の尊重もなく、ばかな投資をしてしまう。そのことが相手の国民をほんとうに喜ばせるのか、ほんとうの需要をつかんでいるかふぉうかということも考えないのですね。

(「ほんとうの豊かさとは」/ 暉峻淑子・てるおかいつこ・著)

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ここで指摘されている企業の行動様式には、人間への配慮、人間指向といった姿勢がまったく見えてこないのです。わたしはそこに日本の戦後の姿勢がうかがえるように思います。つまり、本質的には日本は戦後も変わらなかったのです。日本の国民というものは、戦前は国家を具現する現人神=天皇の「御栄え」のための捨て駒でしたが、戦後は経済大国の名誉を築いてくれる企業のための捨て駒なのです。いずれにしても、日本という組織の部品でしかなかったのです。

そういう精神態度から転換を図り、国民一人一人の「生」を尊重し、ひとりひとりが自分の望むとおりの自己実現に挑戦できるように、と、国民主権と個人の尊重、そして二度と戦争で殺し、殺される惨禍を招かないよう、平和主義を掲げる日本国憲法が制定されたのでした。そしてそういう新憲法の理念を達成するには、教育に依存するところが大きいというので、教育基本法が制定されました。こちらのほうはアメリカは髪の毛一本ほども関わっていないジャパンオリジナルです。

でも結局、個人を尊重しようという理念そのものが尊重されず、日本が一等国になるために、経済大国になるために、という目標のために、「国民総動員」体制とさえいえるような、個人を尊重しない方針がまかり通って行くようになります。学歴偏重、受験戦争が強いられ、過度の競争のために画一化指向が強まって、異なった個性の子が排除されるようになる、規則に従うことが「協調性」の名の下に強要され、やがて子どもたちは本当の自分を抑圧し、嫌うようにさえなる、自分を嫌う気持ちから他の人への攻撃心が強まり、攻撃的、破壊的指向の投影として引きこもりが生じ、またその反動形成として罪悪感にさいなまれるようになります。こうして子どもたちの心が踏みにじられ、破壊されて、「子どもの荒廃」が報道され、戦後の教育が悪かった、教育基本法が間違っているという主張がなされるのです。本末転倒ですよネ。

そこで、日本を立て直すのに、こういう考えがあります。

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ゼロ成長率の経済から、正の経済成長率への転換をめざして、今日、日本ではエコノミストをはじめ、政策担当者、政治家を中心にして、なんとか日本経済を大不況から脱却させるための政策議論が盛んである。確かに正の経済成長率は社会、経済の諸問題(たとえば、失業、財政赤字、社会保障財源など)を解決してくれる可能性が大である。しかし、発想の転換をして、経済成長を求めることが人間の幸福にとってほんとうに重要なのか、経済成長を求めなくとも多くの諸問題を解決してくれる方策はあるのではないか、といったことを考えてみることも価値がある。

ここでの私の主張は、わが国ではもう経済成長だけを求める時代は終焉したというものである。経済への見方を変えれば、経済成長率はたとえ最悪ゼロであったとしても、豊かでかつ人間らしい生活が送れるのではないか。そう主張する根拠をいくつか述べておこう。

第一に、日本の一人あたりGDPや国民所得はいまや世界最高水準になっており、所得水準が高くなったので、これ以上の生活水準を求めなくてよいのではないか。もとより、後に述べるように、物価水準の高さや住居の質が依然として良好でないことなどから、日本人はまだ豊かではない、という説に説得力はある。したがって、これらの課題に取り組むために、私自身もゼロ成長率ではなく、0.5%から1%の成長率が理想とする意見に反対しないし、むしろ賛成する。

第二に、たかい経済成長率、たとえば3~4%の成長率を達成するためには、労働時間をいままで以上に長くする必要がある。やっと欧米型の労働時間に近づきつつある現在、さらにわが国の悪しき伝統である「サービス残業」を考慮すれば、これ以上の労働時間の延長を求めるのではなく、人生を楽しみ、ゆとりのある時間を持つことの価値に、日本人も目覚めていいのではないか。ひたすらに働いて高い経済成長を求めるのは、いわば先進国に追いつくために発展途上国に課せられた「必要性」でもある。戦後の長い期間にわたった日本人の長時間労働はまさにこれに該当していた。もうそういう時代ではない。

第三に、日本を含めた先進国が高い経済成長を求めると、南北間経済格差はますます拡大する怖れがある。貧困に苦しむ発展途上国に、経済成長の可能性を追求する余地を与えるためにも、先進国は一歩後退するか、足踏みをしてもよいのではないか。当然のことながら、発展途上国が経済成長促進を図るのは理にかなっており、世界経済をひとつのケーキに例えれば、先進国が取り分を多く切り分けようとすれば、発展途上国の必要最低限の取り分をも奪ってしまうことになる。

第四に、先進国の経済成長は限度のある世界の天然資源(石油、鉱物、森林、水産など)の枯渇に拍車をかけることは避けられない。次世代の人たちの生活を脅かさないためにも、節度のある天然資源の利用を考慮するのはいまや重要な課題である。

第五に、高い経済成長は世界の環境破壊を促進させる影響力を持つ。高い成長をめざす経済活動は二酸化炭素をはじめ、さまざまな環境汚染や地球温暖化の原因になるので、快適な人間生活を送れるようにするためには、ほどほどの経済成長に抑制することも時代の要請である。

以上のような理由によって、日本経済に関していえば、必ずしも経済成長を第一の目標とする必要はない、というのが私(著者である橘木俊詔教授)の意見である。高い経済成長を達成しなくても、他の政策をうまく活用すれば、人々の生活を向上させ、かつ幸福の程度を悪化させずにすむ、と考えている。

(「家計からみる日本経済」/ 橘木俊詔・著)

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こういった考え方は、大局的で、自分のことだけに執着しないで、他国の国民の福利にも考慮を払います。そして、人間主義です。経済成長のために国民が生まれてくるのではなく、この国に生まれてきた人々が、人生を十分に楽しめるように、生活を支援していこうとする考えです。これこそが日本国憲法の理念です。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理念と目的を達成することを誓ふ。 (日本国憲法 前文)」

ところでね、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって」っていう文章にはアメリカ合衆国もふくまれますよね? う~ん、日本人はアメリカよりも進んでる憲法を持っているのかもしれないなあ…。

「専制と隷従」、アメリカと日本のことじゃない? また日本がこれからめざそうとする二極化社会において、「持てる者」と「持たざる者」のあいだの関係もそうなるでしょう。言論や思想、など個人の尊厳が「偏狭」な考えに「圧迫」されてきたが故に、事情はここまで来ました。日本の景気が回復しているっていうのは正確じゃない。大企業が潤いつつあるだけであって、依然それ以外では不況にあえいでいるのです。大企業は海外で生産し、海外で販売し、儲けを海外でストックするので、結局儲けが日本国内に循環しません。大企業が儲けても日本にはなんら影響しないのです。

わたしは思うんですが、今声高に主張されている「愛国心」って、じつは「愛国家機構・大企業心」であるということ。心のノートなどでは美しい日本の国土を愛するようにっていうけれど、美しい日本の国土の景観や環境を破壊しているのは、わたしたちに愛するようにとのたまう日本の政府なのです。政府を動かすのは経済界の主力です。「日本経団連の奥田会長は、各政党を採点して、企業の要求を実現する政党に多くの献金をする、と公言しました。カネのある者は政治も社会も思うままに動かせるということを宣言したのです(「格差社会をこえて」/暉峻淑子・著)」。かつての天皇が座っていた座に、いまでは商売人が座そうとしているのです。

むしろ愛国心って、自分が生きてゆく社会、つまり共同体に生きる人間への愛だとわたしは考えます。だから、その人間の暮らしを荒廃させるやり方に抵抗することこそ、わたしの愛国心の表明であると、そう考えています。そして奥田会長のような、国民のカネで企業活動を世界へ広げてゆこう、そのためにはアメリカと密接に結びつき、おこぼれをちょうだいしよう、さらにそのためにも、アメリカは戦争好きな国だから、アメリカが戦争するところでは日本も忠犬のように共に戦闘できるようにしよう、というような、国民を犠牲にする人たちこそ非国民だと、言いたいです…。
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安倍晋三、真打ち登場!

2006年08月20日 | 一般
戦争は臆病者のすること。

貴戸朋子(かんこ・ともこ/産婦人科医。日本人として初めて「国境なき医師団」に参加した人。ボスニア・ヘルツェゴビナで働いた)

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ミロシェビッチが死んだ。獄中での自然死だった。ハーグ国際戦犯法廷が旧ユーゴスラビアにおける戦争犯罪と人道に対する罪を裁こうとしたけれど、言いたい放題、司法もお手上げだったようだ。たしかに彼は、大衆の心をつかむのが上手だった。不満と不公平感を植えつけ、嫉妬心と恐怖心を駆り立て、独自の歴史解釈を引用してセルビア民族の誇りを煽り、「君のお金を隣人の異教徒が盗んでいるのだ。われわれの生活を脅かしているのは彼らだ」とキャンペーンを張ったのだった。

旧ユーゴ時代のボスニアには、他民族他宗教の人々がモザイク状に入りまじって暮らしていた。内戦勃発前夜、東ボスニアの古都スレブレニツァの病院で、セルビア人の看護婦がイスラム教徒の病人の世話を拒否したそうだ。腕を組んで動こうとせず、病気の伯父を看ようとしなかったと、友人のファティマが話してくれた。

病院の救急車の運転手だったイスラム教徒のオマーは、開戦前には長閑(のどか)な農村地帯の町に住んでいた。ある夜、周囲のセルビア正教徒の家々の電灯が消され、蝋燭が灯されているのに気づいた。正教の日でもないのにおかしいなと気味が悪くなり、理由はわからないまま、とにかく自分の家でも電灯を消し、蝋燭を灯した。

すると翌朝、裏口にカラシニコフ(銃)が一丁置いてあったそうだ。権力掌握と武力行使を目的に情報操作が表と裏で着実に進行していた時期だった。それでもオマーは、ふつうのセルビア系隣人が、宗教は違うけれど、ともに暮らしてきた自分たちを追い出すはずはないと考えていた。が、そのカラシニコフを見て事の深刻さを覚った彼は、車に家族を乗せ、イスラム教徒が大半を占めるスレブレニツァに逃れてきたのだった。

その直後、ボスニア・ヘルツェゴビナは、美しい大地を「民族浄化」の血で染めることになる。殺しの先鋒に立ったのは正規軍ではなく、極右勢力の民兵だったということだ。ふつうの市民であったはずの人たちが、虐殺の請負人であり、ふつうの人々を殺していった。武器は銃とナイフとレイプだった。そしてその後に報復を受けたのは加害には加わらなかったまっとうな人々だった。

戦いが終わって時が経った今日、ボスニアの人々に「なぜ戦ったの?」と訊いてみても、当の本人は首を傾(かし)げてしまう。「狂ったように殺し合いをして、悪魔にでも憑かれたように戦ったけれど、あれは何だったんだろう」と。

マーシュは内戦のあいだ難民生活を送り、戦後は孤児施設で育った。高校生になる彼が言ったことは、「あの戦争は、話し合いに失敗した大人たちの暴力沙汰だ。イラク戦争も石油を独り占めしたいという動機を持った(ルナ註:マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」によると、軍事産業会社ユナイテッド・ディフェンス社を擁するカーライル社の役員であったブッシュ(父)元大統領、石油発掘会社、ハリバートンの役員、ディック・チェイニーなどのつながり…)、話し合いのできない人間による破壊行動だ。戦争は臆病者のすること。アメリカこそ世界で一番臆病者の国だ」。

戦後7年経って、スレブレニツァを再訪した。町は寂びれて、サラエボ近郊かっら強制移住させられてきた住民は不幸そうで、かつて負傷者や病人やお腹を空かせた人々でごったがえしていた市民病院は閉鎖されていた。外来診療所だけが開いていたが、医者も患者もいなくて、玄関脇で看護婦がけだるそうにタバコを吸っていた。わたしを見て「戦争が残したもので、よいものは何ひとつないわ」と、彼女は吐き捨てるように言った。

人間の創りだしたインスティトゥーション(機構、仕組み、制度、慣習といった意味)というものは不条理だ。人間社会は不公平で正義に非ず、だ。わたしたち庶民を捨石にすることこそあれ、決して護ってはくれない。他人を破壊するには高等な武器は必要ないし、我が身を護るにはどんなに高い壁を築いても、また最新兵器で武装しても決して足りることはない。

安全や平和というのは、案外多種多様な人々が、モザイク状に混在することにあるのかもしれない。意図的に流されるインチキな情報を鵜呑みにし、その結果不安にさせられたり、煽られたり、騙されたりしないこと。権力の構造のトリックにはめられないように思考を巡らし、多様性と異質なものに寛容な、自由人であることが安心をもたらすのではないか。社会の表舞台に立てない人々、差別されていると感じている人々、傷つけられた人々、不当に扱われている人々の存在を知り、思いをはせ、共感することが、人間社会を少しでもまっとうにしてゆく道筋だと思うのだが…。



(貴戸朋子/ 「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」/ 高橋哲哉・斉藤貴男・編・著)

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情報操作が大衆の、特に不安定な生活を強いられている人々を動揺させる。不安が妬みと猜疑心を膨張させる。そこで論を尽くす環境が用意されていれば、それ以上の悲劇的な展開には至らないものを…。ある時きっかけが演出される。最初に行動が起こされ、犠牲者が生じる。目の前で家族や愛する人を無残な仕方で失った人たちは怒りを抱き、怒りは憎しみにまで醸成される。憎しみに猛り狂った心は冷静な思考・判断の余裕を奪い去る。それが、「狂ったように殺し合いをして、悪魔にでも憑かれたように戦う」という事態を引き起こす。日本人は戦争の狂気を特に味わい知った国民であったはずなのに。

声高に中国や北朝鮮の脅威が報道され、不安を煽られているわたしたち。小泉式「構造改革」は格差社会の方向へ舵を切る。生活の不安定な人々を作り出すために。めざす「地」は、現在のアメリカのような不平等で野蛮な競争社会。そこでは、失業したまま就職にありつけない貧困層が、ただ一つ残された就職口を選択する。選択せざるを得ない。軍に入隊する。イラクへ行かされる。そして…。日本も憲法全面改「訂」しようとしている。小泉さんは先鞭をつけた。そして真打ち登場。安倍晋三。憲法9条第2項が変えられれば、自衛隊が今までできなかったことができるようになる。つまり、アメリカ軍とともに戦闘を行うこと。

どうしてそこまでアメリカに追従するの? 財界主導の政治って放置していては危ないのはなぜ? 

憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」は、こうしたことを、とってもわかりやすく説明してくれています。日ごろから活字慣れしている人なら、半日で読み終えることができます。これはとくに、今のあまり活字に親しまない若者層向けに書かれた本です。ぜひ、一度お読みになってみてください。非常に易しく書かれているので、日ごろ本を読みつけない人でも、よーく理解できます。面倒でも、こういうことは大切なことです。なぜなら…。

安全や平和のためには、意図的に流されるインチキな情報を鵜呑みにし、その結果不安にさせられたり、煽られたり、騙されたりしないこと。権力の構造のトリックにはめられないように思考を巡らし、多様性と異質なものに寛容な、自由人であることが安心をもたらすのではないか。社会の表舞台に立てない人々、差別されていると感じている人々、傷つけられた人々、不当に扱われている人々の存在を知り、思いをはせ、共感することが、人間社会を少しでもまっとうにしてゆく道筋…だからです。

憲法が変えられてしまったら、教育基本法が変えられてしまったら、もとに戻るのはかなり困難になります。エホバの証人時代のように、自分の望まないことを「喜び」と自分に言い聞かせなければならない時代、上層階級の満足のために大衆の命と人間性が消費される時代になってしまってからでは…。





「(格差社会の)底辺に生きる人たち、彼らはそれより上の社会を守るために進み出る。彼らに代わって率先して命を投げ出す。彼らの自由を護るために。

階級社会は貧困と無知を土台にしてのみ可能となる。戦争の努力が目的とするのは、社会を飢餓状態に保つためだ。戦争は支配者が被支配者に対して行うもの。その目的は、自分たちに有利な社会体制を無傷で維持することである」(「華氏911」/ マイケル・ムーア・監督)

この社会はアメリカでは現実です。日本では近未来の予想図です。すでに始まってはいるんですが…。





わたしは、拒否します、そんな人生!


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ハラスメント:藤岡悦子さんの場合

2006年08月06日 | 一般
いったいにハラスメントを行う人間は、自分が相手よりも優れているということを自分と相手に、そして自分と相手を取り巻く周囲の人々に示したいのです。ハラスメントを行う人間は、相手を支配しようとしているのです。これがハラスメントを行う人の基本的な動機です。彼らは他者と親密に結びつこうという動機がありません。他者は自分にとっては脅威であり、自分のコントロールの下に置かなければならないと思いこんでいるのです。

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ここで言う「相手を支配下におく」というのは、相手の意見や意向を認めず、相手を知的、精神的に服従させることをいう。ハラスメントの加害者はこの支配と服従の関係によって、相手から同意を引き出す。その裏には脅迫が隠されていることもある。被害者のほうは相手に服従させられているため、自分の考えを主張することもできない。

このように無理やり誰かの考えや価値観を受けいれさせるというのは、相手を対等な人間とみなしていない証拠である。モラル・ハラスメントの加害者と被害者の間では、こういったことがあたりまえのように行われてしまうのだ。

この支配関係は、時には洗脳のように相手の精神を奪うところまでいってしまうこともある。そうなったら、被害者のほうは精神障害に追い込まれることにもなりかねない。実際、精神病の国際分類では、「人格の解離」を引き起こす可能性の高い出来事のひとつに、洗脳のような「長期にわたる強制的な説得」をあげている。この支配関係の中で、被害者は心理的に束縛され、蜘蛛の巣に捕らえられた獲物のように「自由な人間である」という自覚を衰弱させてゆく。だが、自分が心理的に強制侵入を受けているとは自覚していないことも多い。

この支配には三つの側面がある。
1.相手のアイデンティティを失わせることによって、相手を自分に頼らせる。
2.相手を服従させ、依存させることによって、自分の言うことをきかせる。
3.相手に自分の刻印を残す。たとえば、自分と同じ意見や好みを持たせる、など。

こういった支配は被害者の意思を無視し、その個性を否定する。したがって、被害者の精神を破壊するためには、この支配が不可欠になる。被害者は少しずつ抵抗力を失い、加害者のすることに批判を加えることさえできなくなる。もちろん、だからといって、被害者が加害者のすることに心の底から同意しているわけではない。しかし、そうせざるを得なくなっているのだ。

被害者は加害者から人間ではなく「モノ」とみなされ、自分の意見を言えない状態を押しつけられている。何かについて考えるときには、加害者と同じ考えを持たなければならないのだ。加害者にとって、被害者は平等な権利を有する「他者」ではない。協力して支えてくれる「友人」でもない。意見を言ったり、忠告を行ったりせずに、ただひたすら自分に屈従する奴隷的賞賛者といった存在なのである。

(「モラル・ハラスメント」/ マリー=フランス・イルゴイエンヌ・著)

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まるでエホバの証人の指導者を意識して言っているような記述ですが、このような、ハラスメントの加害者の精神態度を見ると、自己愛性人格障害の診断基準が思い浮かびます。

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自己愛性人格障害の特徴
 
自分を愛するという行為は、健全な心の発達のためには必要なものですが、それが病的に肥大化して自分に対する誇大感を持つようになると、それは自己愛人格障害と呼ばれるものになります。健全な人のように、ありのままの自分を愛することができないのです。

御都合主義的な白昼夢に耽る。
自分のことにしか関心がない。
高慢で横柄な態度。
特別な人間であると思っている。
自分は特別な人間にしか理解されないと思っている。
冷淡で、他人を利用しようとする。
批判に対して過剰に反応する。
虚栄心から、嘘をつきやすい。
有名人の追っかけ。
宗教の熱烈な信者。

他人に対する共感に乏しく、他人を自分のために利用します。他人の業績を横取りして自分のものにしたりします。優越感に浸るために他人を利用します。他人の存在とは、素晴らしい自分を映し出す鏡である、くらいにしか思っていません。ですから、他人から批判されたりすると、すぐにカッとなって怒ります。あくまでも自分は優れた存在なのです。

もともと、裏付けのない優越感ですので、話のつじつまを合わせるために嘘をつくこともありますが、本人には嘘をついているという意識はあまりありません。ときにはホラ話のように、話がどんどん大きくなっていって、どこまで本当なのか分からなくなります。

有名人に近付くことで自分を特別な存在だと思い込んだりします。政治的な大物に近付いて自分の誇大感を膨らませることもあります。自分も同じ世界の人間になったように錯覚して、裏付けのない空想的な野心にのめり込んだりすることもあります。

誇大感を持つ人には二つのタイプがあります。自分は素晴らしいと言うタイプと、あなたは素晴らしいというタイプです。あなたは素晴らしいというタイプの人は、その素晴らしい人に奉仕している私も素晴らしい特別な存在だと言うふうになります。偉大な独裁者を崇拝する献身的な国民、偉大な神に身を捧げる熱狂的な信者、ワンマン経営者に心酔して滅私奉公する素晴らしい幹部社員、有名な歌手の応援をする熱狂的なファンなどです。

すべてに言えることは、ありのままの自分が愛せないのです。自分は優越的な存在でなければならず、素晴らしい特別な存在であり、偉大な輝きに満ちた存在でなければならないのです。愛すべき自分とは、とにかく輝いていなければならないのです。しかし、これはありのままの自分ではないので、現実的な裏付けを欠くことになります。

しかし、本人にしてみれば、高慢だと言われてもぴんと来ないかもしれません。それよりは、他人や周囲の出来事を過小評価していると言った方が理解されやすいかもしれません。自分より優れたものを認めたがらず馬鹿にしているので、他人の能力や才能が見えまず、他人の優秀さを無視します。そして、他人を見下したり軽蔑したりすることに快感を覚えたりします。


診断基準:

誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

1.自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2.限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3.自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4.過剰な賞賛を求める。
5.特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6.対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9.尊大で傲慢な行勤 または態度。

「境界例と自己愛の障害からの回復」/http://homepage1.nifty.com/eggs/index.html より

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人生を精いっぱい豊かに生きたいと願うなら、「こういった人々からは離れなさい(テモテ第二 3:5)」という聖書の助言に従うのがベストですが、イルゴイエンヌ先生によると、「この支配関係の中で、被害者は心理的に束縛され、蜘蛛の巣に捕らえられた獲物のように「自由な人間である」という自覚を衰弱させてゆく。だが、自分が心理的に強制侵入を受けているとは自覚していないことも多い」から、抜け出られないのです、彼らエホバの証人のうち、冷めた人たちも。

えー…、ルナお得意の脱線ですが、とにかく、ハラスメントの加害者は相手を支配しようとしています。そのために、相手のアイデンティティを破壊しようとします。その手口のひとつが、相手を嘲弄することです。体の傷などを嘲ることもそうです。今日と9日は「原爆の日」ですので、被爆して受けた傷を言い立てられた女性の例を紹介します。

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昭和20年の8月6日、一瞬にして多くの犠牲者を出した、あの憎むべき戦争。私は、いや多くの広島の市民は、そのためにどんなに苦しんだかしれない。あの苦しみは「ピカ」に会った人でなくては分からないと思う。

8月6日8時15分、私たちはお客さんと玄関で話をしていた。父は海軍で江田島の兵学校へ行っており、私たちは母と子ども4人で生活していた。そしてまたこの日は、私たちにとって姉の命日にあたっていた。姉は昭和14年に川で溺死していたのだが。警戒警報解除のあとで、市民は安心していた時だった。

私は光った瞬間、後を振りかえって、異様な光を見た。それが私にとって、不幸な道への始まりだった。

逃げなくてはと思って、私の部屋に逃げこもうとした。もう少しで私の部屋だという時、私の小さな体の上に、天井や大黒柱やガラスなどが落ちてきた。私の小さな体は、いろいろな物の下敷きになっていた。
「お母ちゃん」
と三度呼んだが、返事がなかった。壁土とほこりと一しょになって臭う、その強い臭いの中に、私は気を失ってしまった。

気がついた時、母と兄の顔が、私の顔を上から心配げにのぞきこんでいる。私の体は下敷きになったままである。なぜ出られないんだろうと思った。足が大黒柱にはさまれて、その柱が動かないのである。とうとう材木屋の叔父さんが来て助けてくれた。その時、私の体は半身傷をうけ、肉をえぐりとられていたが、不思議に痛さは感じなかった。

市内は火の海だ。「ゴーゴー」と恐ろしい音を立てて燃えている。あちらこちらからさけび声が聞こえてくる。一夜が明けた。三次(みよし)から多くの人たちが助けに来て下さった。その人たちは、私たちをトラックにのせてくれた。私は坐ることができなかったので寝ていた。しばらくして、ある所でおろされた。見ると、ものすごい避難者だった。敵の飛行機が上空を旋回していて、気が気でなかった。

ガラスでえぐり取られた傷口は、ザクロが口を開いた時のように、ぽっかりと口を開けている。見ていると自分でも恐ろしくなった。傷が次第に痛み出した。トラックにのせられて、吉田の病院へ行き、薬をつけてもらった。そこでは、何十人もの人々が、私の見ているうちに、苦しそうに誰かの名を呼びながら死んで行った。

八月十三日、私たちは父のいる江田島へ行った。そこで毎日兵学校の病院へ通った。私は傷が痛くて苦しみぬいた。十五日に、とうとう日本は負けた。田舎へ行ったが、あつかいは冷たかった。一家は皆苦しんだ。

私の傷あとは、一生かかっても、とれないものであった。なぜこのように傷あとを気にするのでしょう。それはみんなから「ピカドン傷」といって、からかわれ、またののしられ始めたからです。その時私は、こんなことぐらいと思って、父にも母にも言わないでだまっていた。

二十一年六月四日、また広島に舞もどってきた。そこでも私は、近所の人や同級生や、下級生にまでばかにされ、いじめられた。そうして、いじめられながらも、がまんして、新制中学に入学した。そこに入学してから、またしても悲しみがふえた。私のからかわれ方は、ますますさかんになってきた。そのために、私の内気だった性質が、がらりと変わった。男のような性質に変わっていた。自分ながら、びっくりするぐらいであった。高等学校へ入ってからは、校内では誰も言わなくなったが、中学時代の人に出あうと、町の中でも、どこででも、からかわれる。

だけど私は、こう思って諦めている。
「私は戦争犠牲者の一人なのだ」
だが、これから先のことを考えると、生きていくことが恐ろしい。大きくなって道で出あった時、また「ピカドン傷」といわれはしないか、そしてまた、言われた時の恥ずかしさとくやしさ…考え出すとたまりません。

日本人は、なぜ人のことでも、悲しみと苦しみを分けあおうとしないのでしょう。私は一日も早く、何ごとも笑って過ごせる日がくるようにと、一つの思いをこめて、心からお祈りいたしております。

親しくしていた先生やお友だちと死別したことを、悲しいとは思いますけれど、また一方ではうらやましいと思っています。私もあの時、下敷きになったまま死んでいたほうがよかったような気がします。(文字使いは原文のママ)

(当時〈=被爆時〉小学校五年)高等学校二年  藤岡悦子 (ルナ註:この本は、1951年に出版されました)



(「原爆の子」/ 長田新・編)

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そんなことを言われても気にしなければいい、もっと自分に自信を持ちなさい、などというのは第三者の気分でしかありません。重要なのは、藤岡さんが、「いっそ原爆投下時に死んでいればよかった」とまで思うほど、精神的に追いつめられていた、ということです。自分で好んで傷ついたわけじゃないのですから。

体の特徴や病気を継続的に言い立てるというのは、人間をここまで追い込むのです。エホバの証人からゼイゼイいいながら抜け出してきた人たちを待ち受けているのは、「人のことでも、悲しみや苦しみを分かち合おうとしない」日本人の非情な待遇でした。そこにはあえて傷つけようという動機があるわけではないのでしょう。たとえば、JWIC の管理人さんも、マイナスの感情をとうとうと吐露した投稿に対して「第三者的」な正論を言って、相手への理解を示さないことがよくありました。それどころか、吐露する人の消極的な勘定を非難さえするのです。しょせんは第三者か、とわたしは内心で気持ちが引いていったものでした。

つまり、人を傷つけようという意図はなくとも、傷つけることがあるのです。それは、自分のほうが立場が優位であるという自覚がそうさせるのです。反対に、意図的にハラスメントを行う人は、相手を貶めて、自分が上になろうとする。言葉で傷つける人というのは、他人を自分と対等とは見なしていないのです。エホバの証人ではなっかた人々が、エホバの証人に関わろうとするときに、元エホバの証人の人たちから反撥を受けることがたまにあるのも、根本的なところで見下すような気持ちがうかがわれるからかもしれません。「見下す」が言い過ぎなら、あるいは「興味本位」という気持ち、助けてあげよう、という過干渉などの動機です。

自分を助けるのは自分でなければならない、でないと立ち直ったことにならないのです。気落ちしているときに必要なのは、助け上げられることではなく、立ち直ってゆくための自信を回復してもらうことであり、それには今のあなたは決してダメじゃない、あなたの感じたことは当然だ、エホバの証人のほうに非難されるいわれがあるという主張は正鵠を得ている、という「承認」を与えてもらうことなのです。それが与えられない場合が多いのは、言葉による侮辱や口撃を、深刻に悩むほどのものではない、という全体主義的な発想があるからです。どうしてそれが「全体主義的」なのかといえば、個人の主観にかまっていては社会が成り立ってゆかない、重要なのは自分が所属している社会が、その目的を達成してゆくことであり、個人はそのために自分を抑制してゆかなければならない、という考えがあるからだとわたしは思います。

いえ、そうじゃない!  人間個人が持つようになる自発的な意欲は、いつもいつも自分が所属する社会のそれと一致するわけじゃない。むしろその社会が目標とすることとは正反対のほうに興味や意欲を持つようになることだってある。だから、個人はもっと自由に、生きるステージを選べるように、尊重されなければならない。だから、エホバの証人のような社会から抜け出たいと思ったときに、それが罪悪であるかのような教育が施されていると、自由に生きる場所を選択することができなくなります。アメリカ相手に戦争をすることに、誰も反対しないよう、思想統制や情報操作、警察暴力などを使って、国民を操作しようとするなら、悲惨な結果を身に招く結果になる。規模は異なりますが、エホバの証人と大日本帝国には共通して横たわる要素があります。他人を自分の支配下に置こうという精神です。「心」まで支配するために、反対意見や反対の生き方などを誹謗、中傷することによって、相手の自尊心を破壊するハラスメントが策略として使用されます。エホバの証人の、排斥者やそこまでいかなくても叱責者への冷遇は、立派なハラスメントです。「存在を無視する」というのは、モラル・ハラスメントの手口として、イルゴイエンヌ先生は指摘しておられます。

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「モラル・ハラスメント」の加害者が、相手を不安に陥れて、支配下に置こうとするときのよく使う方法をまとめておこう。

1.見解や信条や意欲、目標から、趣味にいたるまで、相手の考えを嘲弄し、確信を揺るがせる。
2.相手に言葉をかけない。
3.人前で笑いものにする。
4.他人の前で悪口を言う。
5.釈明する機会を奪う。
6.相手の欠陥を笑う。
7.不愉快なほのめかしをしておいて、それがどういうことか説明しない。
8.相手の判断力や決定に疑いをさしはさむ。

(「モラル・ハラスメント」/ M.F.イルゴイエンヌ・著)

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こういう特徴は、現役のエホバの証人だけに見られるものではもちろんありません。以前はいろいろなHPを見たりしていましたが、タチの悪い「元」エホバの証人の人もいました。ある掲示板では、揚げ足を取る質問ばかり次々に繰り出して、そのくせ自分では何も意見を言わない人がいました。ああいうのがモラル・ハラスメントの手口なのです。つまり、相手が一生懸命自分の意見を言うのをからかっているわけです。そうすることによって、相手の人が、少なくとも自分よりは劣った人間であることを掲示板を見ている人々の前で示したいのです。

自分が相手を支配しようとするのは、おそらく自分というアイデンティティが確立できておらず、現在の自分を自分で軽蔑しているのでしょう。エホバの証人から立ち直るというのは、まず自分がしたいことを、お金になるかどうかなんて問題外にして、それを見つけだすことから始まるのだと思います。自分のしたいことをすることが、自分に自信を持たせてゆくんです。だって、好きなことなら失敗を乗り越えて、続けてゆけますからね。

藤岡さんの場合は、人前で、体の傷を嘲られたので、(3)と(6)による攻撃を受けたわけです。体の傷を「下級生にまでばかにされ」ます。「日本人は、なぜ人のことでも、悲しみと苦しみを分けあおうとしないのでしょう。私は一日も早く、何ごとも笑って過ごせる日がくるようにと、一つの思いをこめて、心からお祈りいたしております」、藤岡さんはこのように締めくくっておられます。わたしも、そういいたい。なぜ、人は他人の立場で感じてあげられないのでしょう。なぜ、自分を顕示しようとするのでしょう。エホバの証人が傷つけてきたのと同じ方法で、なぜ感受性の繊細な人にハラスメントを加えなければならないのでしょう。

そのようにするのは、支配したいという動機があるからなのです。他者を支配下に置こうというのは、対等につき合ってゆくだけの、自分に自信が持てないからなのでしょうか。おそらくそういうものが隠されているのでしょう。エホバの証人の社会でも、明治憲法下の社会でも、「個人」というものは一切尊重されず、個人はむしろ圧殺されてきたからです。「自分」を持たないように調教されてきたのですから。自己愛性人格障害の人のような方法で、他者を支配しようとすることは、実は孤独を深めることなのです。権力で尊敬を勝ち得ることはできません。もし、傷ついた人と、苦しみや悲しみを分かち合うために、自分の自己顕示欲を放棄したなら、そのとき、新しく人と結びつく機会が開けます。友情というのは相手をそのままで承認することです。そしてそれが人に自信をもたらすのです。わたしたちは、立ち直ろうとして、実は孤立を深めてきたのではないでしょうか。元エホバの証人も、日本も。権力や名声を樹立しようとして、ひとりでも多くの人を打ち負かし、支配下に収めようとするのです。

藤岡さんは、今の日本をどう見るでしょうか。「日本人は、なぜ人のことでも、悲しみと苦しみを分けあおうとしないのでしょう。私は一日も早く、何ごとも笑って過ごせる日がくるようにと、一つの思いをこめて、心からお祈りいたしております」、この祈りがかなえられていると見るでしょうか。むしろ失望しているでしょう。挫折から立ち直ってゆくのにいちばん必要なのは「勇気」であるといわれます。そのとおりです。他者を支配下に収めようという動機を捨てることは、確かに勇気がいることです。自分が、自分の想像するほど偉くはないということを認めることなのですから。でもそれができれば、もう半分以上立ち直ったといえるのです。

「すべてに言えることは、ありのままの自分が愛せないのです。自分は優越的な存在でなければならず、素晴らしい特別な存在であり、偉大な輝きに満ちた存在でなければならないのです。愛すべき自分とは、とにかく輝いていなければならないのです。しかし、これはありのままの自分ではないので、現実的な裏付けを欠くことになります(境界例と自己愛の障害からの回復より)」、なぜなら、自分は他人とは違う、違わなければならない、でないとこれまでの人生が無駄だったことになる、という思い込みは、「現実的な裏づけを欠く」ものです。優越しなくても、これまでの人生は無駄になったりはしません。それはむしろ、知恵の源になっているのですから。立ち直れます。どんな境遇にあっても。広島市でさえ、「原爆の子」が出版された1951年にはみちがえるように復興していたのですから。たった6年で。

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寒い冬がやって来て、トタン張りやバラック建の小屋に住む人々を泣かせた。すきっ腹に寒さが一層しみた。でもまた春がやって来た。七十五年は草木も生えぬといわれた焼野原に鉄道草が青い芽を出した時、人々は驚いて立ち上がった。オジヤを売る屋台店には仕事のない人々が朝からつめかけてあふれていた。鎚の音が焼け跡の街に響きはじめた。

(「原爆の子」/長田新・編)

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破壊された自尊心、成長を阻止された自己同一性、まるで廃墟のように、空っぽの自分。でも、ひょっとしたら、どこかで自分を認めてくれている人が、そっと見つめていてくれるかもしれません。それは、広島市の電車の軌道に芽が吹いたような小さいものではあるかもしれません。命ってけっこうしぶといものなんですよね。

コメント (4)
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