Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

夫婦別姓こそ日本古来の伝統でした

2021年03月07日 | トリビア

 

 

 

「選択制」だと言っているのに、家族が壊れるだの意味不明なことを言って夫婦別姓制度に反対している日本会議系議員たち。しかし歴史を調べると、夫婦同姓は日本の伝統どころか、古来の日本の伝統を打ち破って、明治時代に無理くり導入されたものであることがわかります。今日日本会議系が日本の伝統だと言っていることの大半は同様に、明治時代につくり出されたものです。

 

 

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 旧(民法)法典において初めて一夫一婦と夫婦同姓の原理が明確に打ち立てられた。古来わが国では婦女は終生、生家の姓を名乗り、婚姻において特に姓を改めなかった。すなわち、夫婦は家籍を同じくしながら、その姓を異にするのが明治初中期までの日本一般の習わしであった。

 

 しかるに、重婚の排除、婚姻当事者の自由意志・自由承諾の理を法的に明確化(旧民法・人事編56条)して、法律上完全な一夫一婦制を確立した旧民法法典は、夫婦の姓の点においても伝統を破って、妻は夫の姓を名乗るべきものとした(同・人事編243条)。

 

 夫婦一体的キリスト教法理の影響を受けた新立法で、身分法上の一つの革命であったが、民法典論争(※)の当時の延期派が「耶蘇教以後の婚姻中心のヨーロッパ法制を導入したものとして、その旧法典を激しく攻撃した理由は、かかる一夫一婦制法制化・夫婦同姓原理確率の点にあったと思われる。

 

 

 

(「民法典論争資料集」/ 星野通・編著/ 松山大学法学部・松大GP推進委員会・増補より)

 

 

 

 

※民法典論争

 

法典論争の一つとして、民法相続編、親族編における「家」制度と近代法の関係をめぐって行われた論争。1891年法学者、穂積八束(ほづみやつか)が、論説「民法出でて忠孝亡ぶ」を発表。

 

わが国は祖先教=家制が国家の基礎であるという理由をもって家族関係を法律で律するということを排撃した。
これを契機に、家制度の重視、淳風美俗(じゅんぷうびぞく)維持の声が高まり、帝国議会において、家督相続や血統重視を唱える民法実施延期派と、妻や子にも一定の権利を認めることを主張する実施派・梅謙次郎らとの激しい論争となった。

 

論争は1892年11月、延期の決定により終結したが、家制度重視は明治民法のなかに色濃く盛り込まれた。

 

 

(「岩波・日本史辞典」より)

 

 

 

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新刊書案内  「あなたのおじいさまはねぇ」

2013年04月15日 | トリビア






最新刊をご紹介します。自民党と民主党タッグでの壊憲に反感を持たれる方々にぜひとも読んでいただきたいブックレットです。

 

(以下引用文)-------------------------




今日は、昔、私の親しんだ方のお話をしようと思って伺ったわけでございます。昔々、われわれ日本人は戦争をしておりました。まわり近所に背を向けて戦争をしていた。それでなんとかして平和を取り戻さなければいけないというのが私の夫(三木武夫元首相)やそのお友だちの意見でございました。


一所懸命平和を唱えておりますと、官憲の目が光って、特高警察なんていうのが跡をつけ回すんですね。それで、それをまいて、真夜中になってから家にいらして、こそこそっと握り飯などを食べて、また闇の中へ消えていくというようなお友だちもございました。


でも私は、数少ない、そういう平和を願うお友だちは非常に大事にしなければいけないと思って、真夜中でも急いで何かお腹にたまるものをと心がけていたものでございます。ほんとうに、ほんとうに苦労して一所懸命に、平和のために働いている方が多うございました。


いま総理大臣をやってらっしゃる安倍晋三さんのおじいさまの安倍寛さんという人も、ほんとうに熱心に平和を説いていらしたのです。


でも、安倍晋三さんが総理大臣になると、すぐにその系図が出ましたけれども、安倍家のほうは一つも書いていなくて、お母さまのお里のことばっかり。岸家の孫だとかなんとかって書いてあるんですね。私にとっては、どうも何かが足りない。反対なんじゃないか。やっぱり、安倍(寛)さんのお孫さんなのだから、安倍(晋三)さんのお父さま、おじいさまのことをもっと語るべきではないかと思ったわけでございます。


けれども、新聞はそれを書きませんでした。そうなったのは、発表がなかったのではないかと思います。新聞社の人は、そんなに嗅ぎまわってものを書こうという態度ではない、発表されたままを書く。ということは、安倍家のほうはもうご先祖さまではなくて、岸家だけがご先祖として堂々とつながっている、という感じだったのかもしれません。


でも、私は、今の安倍総理のおじいさま(安倍寛氏)と親しゅうございました。仲良しにしていただいておりました。というのは、あの方は一所懸命平和を説かれたのです。日本中で、こんな戦争をしてはいけないのだ、平和でなくてはいけないのだ、ということを一所懸命説いていらっしゃいました。特高警察などが跡をつけ狙って、演説会では何かっていうと「弁士注意!」なんて、大きな声をお巡りさんがあげるんですね。でも、そんなことをかまっちゃいないで、一所懸命、一所懸命、大衆に向かって、いま日本はどうあるべきかということを説いていらした安倍寛さんという人の姿を思い浮かべます。


背がすらりと高くって、あんまり肉付きはよくなかったのですけれども、がっちりした体つきの方でございました。安倍寛さんには奥さまがいなかった。だから、ご自分のお家へ帰っても誰もいないから、夜遅くなって、「ああ、お腹すいた。奥さん、頼む」なんて言って入ってらっしゃるんです。私のところにいらっしゃれば、すぐ三木が迎えて、二人で非戦論を語ることができるというので、よく来てくださったんですね。三木と二人で、戦争をしないためにはどうしたらよいか、この戦争を避けるためにはどうしたらよいか、ということを相談しておりました。


歳にすれば、私と安倍さんはいくつくらい違ったんでしょうか。二十歳くらい違ったのかもしれません。安倍寛さんの立派なお話を聞いていると、おっしゃることはとってもわかりやすくて、すばらしい方に思いました。立派なことをおっしゃっているなと思いながら、一所懸命に聞いておりました。そして、少しでもあるものをとっておいて、明日いらしたら、安倍さんに食べさせたいと思ったくらいです。


というのは、その頃はだんだん食料が少なくなってきておりまして、なかなか美味しい牛肉も手に入らないし、新鮮なお魚も手に入りにくくなっておりました。少しでも栄養のあるものは、安倍さんのために、あるいは三木武夫のために、そして夜中にこそこそっと食事をして、また闇の中に消えて行く人たちのために、取っておきたかった。


私は歳がだいぶ隔たっておりましたから、話が分かったような、分からないような、なんでございますけれども、何かそうしたお方たちのやることに共感を覚えるというか、敬意を表して、せめてなんとかしてお腹の足しになるようなものをと思って、一所懸命心がけていたものでございます。


安倍寛さんは、いつも何にも不服をおっしゃらずに、食べたらすぐに「さあ行こう」と言って、また闇の中に消えておしまいになりました。私は、ご苦労さまだなあと思いながら、どうぞまた今晩、また明日、というようにしてお見送りをしたものでございます。あの方がいったん口をついたらほんとうに凛々しくて、素敵な演説をなさっているのはよくわかっておりましたから、安倍先生のいらっしゃるときには、本当にできるだけのことをして差し上げなければいけないと思っておりました。


安倍さんは奥さまもいらっしゃらず、孤独で一所懸命日本中を走り回って、国民のために、あるいは、将来の日本のために働いていらした人でございます。帝国議会の衆議院議員でしたが、1942年の翼賛選挙では、三木と同じく翼賛政治体制協議会の推薦を受けずに当選し、当時の軍部主導の議会を厳しく批判してがんばられた方です。


それを、今の新聞は何も書いてくれない。私はもう、腹が立って仕方ありません。もっともっと、新聞社の人がそこまで書いてくれれば…おじいさまの安倍寛さんがこういう方だったということを、この平和な日本をつくるためにどんなにかご苦労なさったのかということを、書いてほしかったのです。


今の私たちに、戦争も知らない、ほんとうに平和な時代をつくってくださったのは、安倍寛さんたちだったと思うのですけれども、それを新聞は一つも書かない。私は、新聞社の人は若いから何も知らないんだ、どうしてこれを教えてあげる人がいなかったか、と考えてみました。でも、いまや新聞社の社長だって何だって、みんな戦後に生まれた若い人ばっかりなのですね。戦後60年ですから、そろそろもう定年退職しなければいけない人たちが、新聞社を支配している。それじゃどうにもならない。


私は、少しでも声を大にして安倍寛さんのことを申し上げたい。こういう人が立派な言葉で、国民のために平和を説いたことを、皆さまにも知っていただきたいと、心から思います。

 

 

 

 

(「あなたのおじいさまはねぇ」/ 三木睦子・談/ 「いま、憲法の魂を選び取る」・岩波ブックレット№867 より)



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新聞社は嗅ぎまわって何かを書くのではなく、発表されたことをそのまま書く、っていう感想が、3・11原発災害以降のわたしたちには、ずしんと響く言葉ですよね。



この文章は、2007年6月9日、安倍さんの最初の政権時代に、9条の会の学習会で語られた、三木武夫元首相の奥さまのお話です。



このブックレットは、税込み525円のたいへんに財布にやさしい刊行物です。「壊憲」に向けて濠を埋めて行く第二次安倍政権の対米隷属外交への強烈な怒りを込めて、ぜひお勧めしたいです。大きな本屋さんでしか購入できないかもしれません。セブンイレブンで受け取れば送料、手数料なしで買えますので、ぜひネットでご注文ください。






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ことばづかいで探るブロガー&コメンターの深層心理(上)

2009年07月26日 | トリビア

今日はちょっと軽めの話題…のつもりでしたが、書き終わってみるとけっこう重くなった部分もありました。

「話し方で相手の心の9割がわかる」と題する、自己啓発系? ポップサイコロジー系? の本を購入して、帰りの電車内で読みきりました。面白かったのでご紹介します。

ネトウヨ系の粗暴なコメント、高圧的なコメント分析、ブロガー分析などにも使ってみたら楽しいと思います。ちょっと息抜きに、まあ、ご覧になってみてください。


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【口ぐせ編】

■「ここだけの話だけど…」という口ぐせのひとは…

①自己顕示欲の強い人。自分に注目を集めたい人。
  「ここだけの話」とことわることで、情報の価値を高めて、自分が人に教える立場、助言や忠告をたれる立場であることを顕示しようとする。

②小心で責任逃れタイプのひと。
  自分がしゃべったことで、あとで問題(あるいは「騒ぎ」)になったらどうしよう、とビクビクしている人。「ここだけの話」とことわることで、ほかに広げたりしないでよと念押しのセリフ。

 

▽「ここだけの話だけど…」の有効利用する。
 「ここだけの話だけど…」ということで、その場にいる人との連帯感を強める作用があり、「秘密を守ってくれるよね」というこちらの信頼を表明することにもなり、信頼関係を一歩強めることができる。

 ただし、やたらめったら「ここだけの話」を連発すると、軽い人間、週刊誌人間のレッテルを貼られてしまうかも。

 「ここだけの話」はここぞ、というときにするからこそ信頼関係につながるもの。

 

 

■「キミだけに言うけど…」と内緒話をしたがるひとは…

男性からこのように言われるのは、言われたほうに気がある証拠。
 自分の秘密やプライベートなことを思い切って打ち明けるのは、相手を信頼している証拠、好意を寄せている証しです。あるいは、もっと親しくなりたいというサインを送っている可能性もあり。

女性の場合、周囲とコミュニケーションを深め、調和しようとする傾向が男性よりずっと強い。だから「打ち明け話」の回数が増える。内緒話は信頼と親和意欲の表明ですから。ですから、女性から男性への「あなただけに言うことだけど」ということばを特別な好意だと思い込むと、じつはほかの人にも同じように言っていた、ということもあるかも。

 


▽反対に、自分のことは一切話さないひとは…
 自己防御に一生けんめいなタイプ。相手と深く関わりたくないという気持ちの表れ。傷つくことへの怖れのために心理的に引きこもってしまっているとか、他人を信用できず、「どうせ自分のいうことなどちゃんと聞いてもらえない」とスネているか、強い劣等感の埋め合わせのため、「おまえらなんかとまともにつき合えるか」という見下しのサインの表明である場合。

 

 

■「今だから言うけど…」と言わなきゃ気がすまないひとは…

①サービス精神旺盛なひとで、おしゃべりの場を盛り上げたいひと。
  
②優越感を得たいひと、自慢したいひと。
  他人が知らないことを知っているというのは気持ちがいいもの。大したことではなくても、相手が知らないことを自分が知っていると、自分の方が偉くなったような気になれる。他人より一歩リードしているんだぞ、という優越感を味わえる。

 

 

■「こんなことは言いたくないけど…」と言うひとは…

相手を見下していることを言外にあらわしている。あるいは相手は自分より下であるということを思い知らせ(または、認めさせ)ようとしている。攻撃的な言いかた。聞かされるほうを確実に怒らせる言いかたで、また怒らせて=あいての感情をかく乱させて、自分は冷静に振る舞うことで、周囲にも自分の優越性を演出してみせることができる。

「言いたくないけど」ということばは「言われたくない」の裏返し。「オレも言われるのはイヤだから、おまえも言われたくないという気持ちは分かる。だからホントは言いたくないが、それでも言わずにはおれない。おまえがそれだけだめなヤツだ」という意味合いを多分に含んでいる言いかた。

「じゃあ、聞きたくないね」
「聞きたくないが、そこでしゃべっているのは勝手だよ」と応えるのもひとつの手。ただしケンカになる可能性大。その点要注意。でもそもそも「こんなことは言いたくないけれど」という言いかたで攻撃を仕かけてくることのほうが失礼なこと。相手を下に置こうという企ては失礼千万。下手(したで)にでる必要はなし。

 

 


【とっさの返答編】

■「はい、検討します」でお茶をにごすひとは…。

相手に賛成ではないが、あからさまにそうは言えないときの逃げ口上のことば。
 そう言うひとは、検討はするでしょうが、それは相手の意見を取り入れようというのではなく、自分の意見をどう通すか、という方向での仕切りなおしでしょう。したがって、「はい、検討します」ということばが出たときは、相手はこちらのいうことを聞くつもりはないと覚悟したほうがいい。

 

 

■「いまやるところです」と調子のいい返事をするひとは…。

プライドばかりが高いひとです。

プライドが高いひとは、自主性を軽んじられ、人から命令されると、やる気を失う。人に命令されてやったのでは、相手の言いなりになった=相手に従属したということになる。それがイヤだから、あくまでも自分で進んでやったと思いたいがため、本当は言われなくてもやった、命令に服したのではなく、いままさにやろうとしていたということにしたいがために、「いまやるところです」と答えるのです。

 

 

■「しかし」「だから」「つまり」「すごく」「しょせん」のひとことが多いひとは…。

①「しかしですね…」とことあるごとに連発するひとは…
 相手に対し、否定的な態度だが、相手を否定するニュアンスよりも自分に注目を集めようとするニュアンスの方が強い。自分を目立たせるために相手を押しのけるっていう感じ。

②「だから」の口ぐせは、自己主張が強いタイプ。「だから私が言ったでしょう」というニュアンスを強調したい言いかた。上から目線のことば遣いではある。

③「つまり」で話をまとめようとするひとは、話に論理的道すじをつけたい人ではあるが、中には話の展開が苦手で、論理的表現が練習不足で不得手であるため、それをカバーするために頻繁に使う場合がある。

④「すごく」をよくつかうひとは、感情的なタイプ。感情の起伏が激しく、しゃべっているうちに(あるいは、ブログなどを書いているうちに)自己コントロールがきかなくなる人に多い。
(ルナ註: わたしはこのタイプです^^)。

⑤「しょせん」をよくつかうひとは、皮肉屋さん。世の中のことは相手よりもより多く知り尽くしている、という態度を顕示しようとしている。このタイプはほかに、老人を装ってみたり、達観している風なことば遣い、枯れたようなことば遣いなどをよくつかう。相手をとかく批判はするが自分では責任を取ろうとはしない。議論が自分の手に負えなくなってくると「熱く議論する若さはいいものだが、世の中は熱情では動かないものだよ、ふう」などというようなことを言って逃げる。

 

 

【露骨な上から目線の言いかた集編】

■「だから言ったじゃない」と言ってくるひとは…

優越することへの欲求がたいへんに強いタイプ。
この言いかたは、「あなたのやり方では失敗するということがわかっていた」ということを言いたい、また、「私のやり方ならもっとうまくやれた」ということを強調したい言いかたです。

しかし、これを言われるほうの側に立ってみると、このことばはこれ以上なく不快で屈辱的。それでなくとも失敗を自覚していて、「自尊感情」が低下しているのです。「オレってドジだなあ」、「あたしってダメだなあ」と、自分の価値が低く感じられるときなのです。平たく言えば、思い切りへこんでいるときなのです。

そんなときに「だから言ったじゃない」と追い打ちをかけて言うひとは、さらに相手の自尊心を低めようとしているのです。これはもう攻撃です。相手の自尊心を殲滅しようとする「攻撃」です。この目的は、そのことばを言われる人に自分が優越していることを徹底的に見せつけ、思い知らせようとすることです。まったく思いやりのかけらもない行為です。

 

(「話し方で相手の心の9割がわかる!」/ 渋谷昌三・著)

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その「思いやりのなさ」の根っこにあるのは、「自分の忠告を無視するから失敗した→自分の思い通りに動かなかったことへの意趣返し→自分はあなたを支配し、援助し、従わせていたい」という怖ろしい動機です。

過干渉して子どものコミュニケーション能力を萎えさせてしまう「毒になる親」の動機であり、パートナーを共依存に巻き込む人格障害系の人物の精神的性向なのです。またカルト宗教の教祖の取り巻き連中の腹の底にある動機もこれです。彼らは失敗を成長の貴重な機会とはみなしません。ほんとうはひとは失敗経験から成功への知恵やコツを学んでゆくものです。ですから、失敗したときにこそ、そのひとの自尊感情をなだめて上げなければならないのです。それが相手を愛するということです。相手の人が自分の足で立ち上がり、失敗経験から教訓を得、再び挑戦していけるように、「あなたは大丈夫」のメッセージを、信頼に基づく肯定的なことばでたゆまず与えるのが思いやりであり、また「愛」なのです。

ところが「だから言ったじゃない」というひとは相手の失敗のときを、相手を潰し、自分の必要性を認識させ、従わせる絶好の機会とみなすのです。「それみなさい、だからあたしのいうことにしたがってればよかったのよ」という恋人の女性や妻は、自分がいなければあなたは一人前にやっていけないんだよというメッセージを思い知らせるチャンスとみなします。ただ妻がこのような思いを抱くのは、夫の方が日頃から妻に「愛されている」「必要とされている」という実感を感じさせない、愛情表現の少なさに原因があるのかもしれません。親が子どもにこの仕打ちを与えるのは、愛を十分に実感できていない妻の場合とは異なり、ひたすら悪辣です。そのひとは子どもに自分を認めてもらいたいのです。子どもから評価と賛辞を受けたいのです。これを親子逆転現象と言います。いえ、私が勝手に名づけたんですけれどね。

つまり、本来、親が子どもを励まし、一生けんめいやったことを素直に賞賛してあげることによって、「じぶんはやれるんだ」という自信を育んでゆけるのですが、「だからいったじゃない」といって子どもを攻撃する親は、子どもから賛辞と評価を受けて自分に自信を生じさせたいのです。本来、親である自分が子どものためにやってあげなければいけないことを、子どもにしてもらいたいのです。子どもが親の心理的必要の世話をするよう求められるのです。「ぼくが、あたしが親の言うことに服従すればものごとはうまくいくんだ、親ってすごいなあ」という視線、態度の表明を親が、子どもに暗に要求するのです。子どもの役割と親の役割が逆転しています。

こうして育った子どもは、自分で目標を見つけてそれを達成することで人生から充足を得るということができない大人になってしまいます。そのうちに、だれかに生きる意味や目的を与えられないと何をしても一生けんめいになれない、というそんな人生にやがて空虚を覚えるようになります。こういうひとはカルト宗教やかつて日本を席巻した「超国家主義」などというものににハマります。

なぜなら、カルト宗教では神あるいは教祖の与えた使命を果たすことが人間の本分であるということが教え込まれます。つまり自分でやりたいことが見つけられず、探す術も知らず(親のいうとおりに従うことを調教されてきたため)、そこへ人生の意味、また達成感ある仕事を教団から教えられることに自己実現の機会を見いだすのです。超国家主義も同じです。そこでは天皇のために一命を捧げて靖国神社で祀られる生きかたこそ、日本人の本分であると教えられます。つまりひとがひとり、どう生きるべきかということを国が教え、指図し、強要するのです。意識下のレベルでの実存的な自信を育み損ねた多くの現代人のなかで、カルトにさらわれるのは少数派です。が、国家を神格化し、国家への帰依を求める人、国家主義にハマるひとは大勢いるのです。


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自己価値観(意識下のレベルでの自信のこと)は民主主義の心理的基盤であり、民主主義の心理的目標でもあります。

逆に自己無価値観はファシズムの温床になります。独裁者になるのは自己無価値観型の人間である場合が多く、自己無価値観人間が束になって独裁者を支持しやすいからです。

独裁者は、強力な権力欲、支配欲、顕示欲を持ちますが、いずれの欲求も、自己無価値観人間が事故価値観を得ようとして希求するものなのです。独裁者の心の底には深い自己無価値観が横たわっているのです。

独裁者の多くは、虐待されたり、それに近い形の養育を受けています。

たとえばヒットラーは、父親から鞭で打ちのめされ、犬のように口笛で呼ばれたりするなかで育ちました。スターリンも、酒に酔った父親に厳しく鞭打たれ続け、サダム・フセインは異母兄弟とともに、母親の再婚相手であり継父に虐待されて育ったと言われています。いずれの仕打ちも、基本的な自己無価値観を人の心の奥底に生み出してしまう養育環境でした。

 

一般大衆としての自己無価値観人間は、自由な場面に立たされると戸惑ってしまいます。自分の感覚、感情、欲求、判断、意見を信じられないために、内的判断基準がないからです(自分で価値判断ができない、という意。そうなったのは親から言われることに無批判に、自動的に服従して育ってきたため。自分の体験から自分独自の教訓や方針、知恵などを発見することが許されなかったから。「毒になる親」参照)。だからむしろ、権力者が決定してくれて、権力によって強制的に行動させられる方が安心なのです。

また、自己無価値観人間は、独裁者と心理的に一体化することで、自分が力を得たかのような高揚感を得るのです。それは一種の麻薬の陶酔状態に似ています。このために、容易に独裁者を支持してしまうのです。

 

支配者が国民を支配する手法はむかしから変わりません。「分断し、孤立させよ」です。これにより、国民は無力感に貶められ(人間同士の協力が奪われ、破壊されるということだから)、自己無価値観を刷り込まれるよう親子関係など人間関係を操作し、自己無価値観を刷り込まれた人間たちはまさに、その無価値観から逃避するために、理性的な民主主義指導者よりも、情緒に訴えかけてくるわかりやすいメッセージを送り出すやはり情緒的な独裁者を受け入れてしまうのです。

しかしこのことは、自由で闊達な欲求を抑えつけることでもありますので、国民の側に不満・敵意が蓄積することになります。この不満・敵意が独裁者に向かわないように、独裁者は敵をつくりだし、この敵と戦うことこそ聖戦なんだ、という幻想を演出します。さらに、この敵と戦うことは、民衆が共同で闘うという連帯意識を生み出し、民衆の自己価値観の高揚をもたらす、という作用があります。こうして独裁政権を支持する回路のようなものができあがり、それは国家の壊滅に至るまで続くのです。

 


(「なぜ自信が持てないのか」/ 根本橘夫・著)

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これが今の日本で起きていることです。またエホバの証人の社会を支える原理でもあります。エホバの証人の「教育」は屈辱を与えることによって、個性を摘み取り、他者とは異なるユニークであるゆえ貴重な個人、という意識を抹消させてしまうものです。そうすることによって、信者のひとりひとりは、教団指導部によって与えられる評価、地位や役職、大会でステージで目立たせてもらえること、などによってでしか自分を評価できず、だから必死で評価されようとして、他人に気に入られるような生き方に没頭してゆきます。自分の本当の欲求を自分で抹殺して、上層部からの地位と名声を必死に得ようとするのです。その結果自分の本当の気持ちを殺してしまうため、つまり個性的な自分を認めない生き方をしてきたので、他者をも大切に思えず、互いが互いを監視して、だれも人間らしい幸せを抜け駆けで、得ることがないようにする、という息苦しい社会を作り出してゆくのです。







(下)へつづく

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ことばづかいで探る、ブロガー&コメンターの深層心理(下)

2009年07月26日 | トリビア

(承前)



エホバの証人じゃない人たちは、彼らエホバの証人を笑うことはできません。いまや日本人はまったく同じことをやっているからです。国旗国歌への崇拝行為の強要、個々人の個人的理念をつぶすことによって少数の人びとの旧態依然たる価値観への統一を実行しようとしています。

カルト宗教信者を嗤うひとたちは、自分たちがまったく同じことをやっている、ということにさあ、気づけるでしょうか。その根本的な原因である「自己無価値観の消失」は、ひとがまだ幼児だった時代にすでに親をはじめ、周囲の人間関係という「環境」によって始められている場合が多いのです。

親はなくとも子は育つ、というのは正確ではありません。親の役割は血がつながっていなくてもできる、という意味を言おうとしているのなら、それは正しいです。しかし、飯さえ食わせておけば子どもは勝手に育つものだと言う意味で言われるのであれば、それはとんでもない間違いです。

子どもが大人になるというのには、心理的な面が一番重要なのです。コミュニケーションによって相互理解をはかり、種の保存に貢献できるような生き方を、つまり共同生活を上手にこなす能力は、親が子どもにどれだけ肯定的に接して、子ども自身に自分は大丈夫、やっていける、という、ことばにも考えにもならない、深層意識レベルでの「自信」を育めるかにかかっているのです。公共心や道徳心というのは、そういう、「自分は大丈夫であり、自分は貴重な存在であり、だけど自分ひとりじゃ生きていけるものではない、だから他者とも共同して生きていかなきゃならないから、他者も自分と同じく大切な人だ」という無意識の感覚がその(道徳心・公共心の)源泉なのです。道徳や公共心というのはナショナリズム教育によって涵養されるものでは決してないのです。

あと、横道に逸れたついでにもうひとつ。

根本さんの著作の引用文で、「また、自己無価値観人間は、独裁者と心理的に一体化することで、自分が力を得たかのような高揚感を得るのです」という部分がありました。

昨今の日本社会では、立場の低い側がバッシングされることが多いですよね。沖縄県で少女が米兵にレイプされれば、少女側に問題があったといい、漁船が海自の艦船に衝突されれば、漁船の方が悪い、非正規の労働に落ち込んだら自己責任だから政府にモノを言い立てるのは悪いともいう。名声を獲得してゆく経済学者が、消費税の逆進性を十分知っていながら、会社ばかりに法人税の負担を強いるのは不公平だが、所得の低い人に負担が重くなる消費税は、広く薄く取れるので公平だとヌケヌケという。

こうした「自己責任」論者の動機もまさにこれです。権力への迎合、権力との一体化が動機なのです。そして権力の側に立って国民を見下し、被害者や犠牲者の方をバッシングすることは、それで自分が権力者になったかのような優越感を得ることができるからなのです。それで何を達成するのか。まさに「自己無価値観」を埋め合わせることを達成できたかのような錯覚を味わうことができるということだけなのです。

まさか一流大学の有名教授までがそんなバカな動機を、と思うかもしれませんが、団塊の世代やその子どもたちの世代は、過剰な競争を勝ち抜くために、子ども時代に、無邪気に遊ぶ機会が奪われ、評価という「椅子」が公正に用意されているような、互いに向上させるようなポジティブな競争ではなく、椅子を限定させられる椅子取りゲームを強要される競争、そう、足の引っ張り合いというネガティブな競争を強いられてきたため、心を許せる友人もなく、家父長制的な歪んだ自意識のために配偶者にも甘えることができない、そんな貧しい人間関係のなかで生きてきた人たちなのです。名声を博し、業績を残したとしても、「自己無価値観」は名声や財産では埋め合わせることができないのです。これは古代から賢人たちの指摘する点です。「銀を愛する者は決して銀に満ち足りることはない(聖書/ 伝道の書)」。

「自己無価値観」を埋め合わせるために、彼らはいつも「自分は上である」ということを確認していなければならないのです。この点はまた詳しく書きましょう。とにかく、権力側にたって国民をバッシングするネトウヨ連中の動機は、「自己無価値観」が原因であり、それゆえ彼らは人格的成長が子どものまま止まってしまった人たちなのです。高遠菜穂子さんたちが捕われとなったイラク人質事件の自己責任バッシングを、超保守系の哲学者さえこのように総括しています。

「結局あのバッシング騒ぎにあったのは、次のような感情以外の何ものでもなかった。テロリストとは交渉せず、という政府の主張を貫くことによって、仮に人質が殺害された場合、それは『彼らの自己責任』であるのだから、政府および政府の強硬姿勢を主張し、支持する人びとは責任を負わなくていい、ということだ。つまり、自己免責のための予防線を張っていたのである」(「自由とは何か」/ 佐伯啓思・著)。

つまり、小泉純一郎はアメリカという権力に自らを同一化させて他の自民党勢力に差をつけ、バッシングした市井の人びとは、強そうな姿勢の権力に自らを一体化させていたのです。少なくとも市井のバッシングした人びとの場合は、そうすることによって他の市井の人びとより優越感を得ようとしたのです。自分は彼らとは違い、優越した人間であり、彼らのような不幸な目に遭うことはない、という見かけの安心感を得たいがための騒動だったのです。これらも根元を見れば、自己無価値観の埋め合わせのための行動なのです。



…って、またまたコントロール不能のルナの暴走ですが、話を元に戻します。



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もっとも、思いやりがないひとといっても、そのひとにすれば、自分の忠告を無視して失敗する道を選んだ、ということを認識させたいのかもしれません。

しかし、失敗した側のひとにしてみれば、予告されたとおりであるかのように失敗を指摘されて立つ瀬がない。忠告した人に対して、自分の立場も価値も低くなっていることはわかりすぎるほどわかる。それだけに、「だから言ったじゃない」は、死者に鞭打つような効果を持つことばなのです。

 

また、このことばには、「ほ~ら、ざまあ見ろ」とあざけるようなニュアンスも含まれていますから、まったく愉快ではありません。

もっと腹立たしいのは、実際には事前になにも忠告されていなかった場合です。
「だから言ったじゃない」と言った人は内心、「あんなふうにやったら失敗するに違いない」と思っていたのかもしれません。しかしそれを口には出さなかった。ところが、いざ失敗したのを見ると、自分の予想通りだったので、ついつい、「だから言ったじゃない」と言ってしまう。自分でも前もって忠告したような気になっているのです。忠告された覚えもないのに、「だから言ったじゃない」といきなり偉そうにされた方はたまったものではありません。

 


(「話し方で相手の心の9割がわかり!」/ 渋谷昌三・著)

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「だから言ったじゃない」は、相手をただただやっつけるためだけの攻撃用のことば。教育のつもりで子どもに使っても、教育効果はまったくありません。ただただ屈辱を味わうだけの、ひたすらに攻撃のことばでしかないのです。このように失敗に対して侮辱で応答していると、子どもは失敗を怖れて積極的に何かをしようという気概を失ってしまうかもしれません。このことばは使ってはならないのです。このことばを使いたくてしようがない人は、あきらかに同じようにして傷つけられてきた人です。まず、自分のトラウマを癒すことから始めるべきです。

子どもが悪さばかりする時に、悪さで子どもがいたい思いをして泣くと、「だから言ったでしょ」と言いたくなるのは人情ですが、子どもはいたずらをするもの。いたずらや遊びが子どもの情操を育てるのです。よく遊んだ子どものほうが塾通いをしてきた子どもより活発で賢いです。「ほらほら、何やったの? ここか~、痛いのは。そっか~痛いね~、痛いね~」とまず子どもの痛みに共感してあげて、その後、「どこでどうしたの、そっかー、これからこれをするときは気をつけようね~、よしよし~」っていうように、イタズラの結果痛い思いをしても、それを非難しないのがベストなのだそうです(「子育てハッピーアドバイス」ほか~より)。わたしは子どもを持った経験がないので偉そうには言えないのですが。

話を元に戻します。


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失敗して自尊の感情が低下しているときに慰めてくれて、自尊心をいつものラインまで引き上げる手助けをしてくれるひとには、とても好意を感じるものです。いい人間関係をつくるには、「だから言ったじゃない」は封印すべきことばです。

 

なお、このことばは責任を回避したいときにも使われることが多いのです。

たとえば、部下のミスが発覚したときに、「だからオレは言っただろう、これじゃダメだって。それを聞かないからこんなことになるんだ」などという上司がいるものです。上司である自分の責任がないかのようにアピールする。そういう上司に限って、部下がうまくやった時には、「あ、やっぱりね。オレが言ってたとおりだろう? そうやればうまくいくって」と調子よく言ったりするものです。

 



■「ある意味ではキミの言うとおりだ」と、スッキリ賛同しないひと…

①まず、負けず嫌いのタイプです。
 「ある意味ではキミの言うとおりだ」は「別の意味ではぼくの言うとおりで、キミは間違っている」ということをいいたいわけです。議論や会議で形勢が不利になってきたときなどに口にする人が多いのではないでしょうか。相手の論理がしっかりしていて、とても太刀打ちできない。しかし素直に「キミが言うとおりだ。ぼくが間違っていた」とは口が裂けても言いたくないタイプです。そこで「ある意味では…」と全面的な敗北を回避しているのです。

②優柔不断なタイプも。
「こういう点から見ればいいと言えるし、別の点からは賛成できない」
「ある意味ではこうであり、別の意味ではこうである」といったように、結論をなかなか出せない。はっきり白黒をつけるのを避け、つまるところ、「この件については保留にしておこう」としてしまうわけです。

 

 

■「キミのためを思うから」ではじめる恩着せがましいひと…

これは恩着せがましい独善タイプ。

このタイプの人はたいてい、確固とした人生哲学を持っているものです。仕事のやり方もしっかり決めていて曲げようとしません。そしてそれを正しいものと確信しているのです。したがって、自分のやり方から外れている人を見ると、「そんなふうにしないほうがいいのに」と感じてしまうし、そう教えたくなるタイプです。他人の生き方ややり方が気になってしようがない。それでついつい口を挟みたくなる、というわけです。

しかし、こういうひとは疎まれるものです。「教えてやる」という高圧的な態度や、「自分のやり方がいちばん正しい」と思っているところが、他人にはムカツクところです。たしかに、そのひとが言っていることは正しい。正しいとわかっていても、聞きたくないという気にさせられるのです。

人間というものは他人に従属したがらないということを理解できていないのでしょう。偉そうにする人の偉そうな言葉はあまり聞きたくない、という人間心理の機微がわからないのでしょう。

この手のタイプの人は、せっかく “自分” が、役に立つ素晴らしいことを「教えてあげている」のに、相手が聞きたくない素振りをしているのを見てますます高圧的になったりします。「年上の者のいうことは聞くもんだ」などと説教をはじめ、よけいに嫌がられます。

本当に相手のためを思っているひとというのは、自分の考えは自分の考えとして主張する一方で、相手のやり方を尊重するものです。そして相手が本当に困っているときにこそ、援助の手を差しのべるのです。それも恩着せがましさなど一片も見せずに。なぜかというと、相手の自尊心に敬意を払うからです。相手の人の自尊感情を守ろうとするからです。

多くの場合、「キミのためを思うから」というひとに、ほんとうに相手のためを思っているひとはいないと考えてよさそうです。やはり、「だから言ったじゃない」というひと同様、相手に自分の重要性をむりやり見せつけ、認めさせようとしているだけなのでしょう。

 

 

■「オレの若いころは…」を連発するひとは…

現状への不満があり、かつ、向上心を失っている。

過去というのはとかく美化して記憶されているもの。美化して記憶されている「過去」の自分は当然輝いている。それを思い出して、「オレ(アタシ)の若いころは」と口に出してしまうその裏には、現状に対する不満があります。

それは、昔に比較して色あせてしまった自分自身に対する不満かもしれませんし、世の中全般に対するものかもしれません。とにかく「いま」に対していら立っているわけです。

また向上心を失ってしまっている場合にも「若いころは」と言いたがるものです。がんばっていたころの自分を振り返っているのでしょう。

「いまこのとき」をいきいきと何かに打ち込んでいるなら、昔など振り返ったりしないのです。

明確な目標を見失っている、会社や家庭での役割が見あたらなくなっている…。こうした喪失感がこのことばとなって出ることもあります。あるいは実年齢に関係なく、精神的な老化現象なのかもしれません。ものごとを柔軟に考えることができず、自己中心的でわがままになり、頑迷になったひとほど「オレは昔はなあ、…」というようなことを言いたがるものです。

 

 

■「悪いようにはしないから」となだめるひと…

親分肌の自信家。他人の能力を信用せず、“自分がいちばん” と思っている。相手にとっても悪いようにするつもりはないが、何よりもまず自分にとっていちばんいいようにしたい、という魂胆がある。

「悪いようにしないから」というひとは「わるいようにはしないから、とにかく自分の勧めに従いなさい、わたしの言うとおりに動きなさい」という意味をこめています。これこれこういう理由があるので、という説明を省いて「悪いようにはしないから」のひと言ですませてしまう。

ひとは、対等の相手に対しては、きちんとした説明をしようとするもの。それを省くというのはやはり、「こいつに詳しいことを言ってもわからんだろう、いうことを聞かんだろう」とタカをくくっているのです。なぜ「いうことを聞かせ」ようとするのかというと、やはり、まず第一に自分にとってよいことが及ぶようにする、ということを目論むからです。相手を単に利用するだけでは恨まれてしまいますから、相手に損をさせることは確かにないでしょうが、あくまでもそれは自分によっての利得の次の関心でしかない、ということは覚えておいた方がいいようです。

 

 

(「話し方で相手の心の9割がわかる!」/ 渋谷昌三・著)

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小型文庫本のポップサイコロジー系の本ですが、けっこう深いことが書いてあるじゃありませんか。いちがいにバカにはできないですよね。わたしは活字派の人間ですので、つまり、インターネットはまだまだ活字には及ばないと考えている人間ですので、本はどんなものでも敬意を表します。エログロ暴力系はもちろん除外されますが。体裁の軽さでランク付けしたりはしません。現にこのようなハウツー系の本でしたが、おもいきり深いものがあったことですしね。

ネトウヨ系の “論客” 分析に、また身近な人間との付き合いの “戦略” に活用できるようでしたら活用なさってみてください。また一生けんめい意見をコメントしたのに無情に削除されたというような屈辱を味わったときにも、その人間性分析で、傷ついたプライドの回復を試みられてはいかがでしょうか。そのブロガーのエントリーしている文章のくせを調べるんです。ここでは本の一部分しか紹介できませんでしたが、この本は600円です。本の体裁からするとちょっと高いかな、と思うかもしれませんが、内容は深いです。600円以上の価値はあります。どこかで一杯引っかけて帰るのを一日だけ我慢すれば、あるいはタバコ二箱分を減らせれば、買える本です。タバコ二箱はちょっとキツイかもしれませんけどね^^。

 




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視線で相手の気持ちを推し量る

2009年07月21日 | トリビア

 

 

 

 

■あいさつのとき、ジッと見つめてくる人

 

目を見つめてあいさつをしてくる人は、そうするとあなたが落ち着かなくなることを知っている人です。不安な気持ちにさせておいて、自分が優位に立ちたい、自分のペースに持っていこう、というわけです。

 

 

 

■よく視線を合わせてくる人

 

支配欲求が強い、 外交的、 親和欲求が高い、 他人指向的  (他人の動向を気にしたり、他人のことをあてにする傾向) のいずれかだと考えてよいでしょう。

 

 

 

■遠くから視線を送ってくる人

 

たとえば、パーティ会場などで遠くから視線を送ってくる人は、あなたと話したい、話のきっかけを作りたいと思っています。

 

 

 

■自分が話している間中、視線を送ってくる人

 

自分の行動に自信が持てないタイプか、あなたを支配したいと考えているかのいずれかです。前者であれば、あなたがどんな反応を示すかが心配なのです。後者であれば、あなたを説得したいと思っています。

 

 

 

■自分が話している間中、視線を左右にキョロキョロと向ける人

 

落ち着きを失って、不安を感じている証拠。神経質で不安感が強いタイプです。 あるいは、いろいろと考えをめぐらしているのかもしれません。この場合は、考えをまとめようとしている段階では、視線を落としたり、目をつむったり、遠くを見つめたりしますが、考えがまとまったら、また視線を合わせてくるものです。

 

 

 

■すぐに視線をはずす人

 

なにか強いコンプレックスを持っています。自分が他人にどう思われているかを非常に気にしています。そういう意味で、人の視線を怖れています。

 

 

 

■自然な会話をしている途中、急に視線をはずす人

 

「話を切り上げたい」「あなたの意見には賛成しかねる」というサインです。こんなときは話題を切り替えるのが賢明です。

 

 

 

■視線を下にそらす人

 

気が弱い人です。

 

 

 

■視線を左か右にスッとそらす人

 

好意を感じていないという心理の表れ。あなたを拒否しているサインです。

 

 

 

■上目づかいの視線を送ってくる人

 

あなたに対してへりくだっているサインです。他力本願の甘えん坊タイプ。自分の力で物事を収めることが苦手な人でしょう。女性であれば、「リードはあなた任せで、自分は受け身。甘えたい、頼りたい」と思っている時です。

 

しかし、部下や子どもを叱ったときに、相手がこの上目づかいをしているようであれば、それは反抗心をアピールしていることになります。叱ることは自分の日頃のうっ憤を晴らすことでも相手を従わせるために人格破壊をすることでもありませんので、言葉が過ぎたのならすぐに謝って訂正しましょう。

 

 

 

■見下ろすような視線を送ってくる人

 

他人に対して支配的なタイプ。あなたより偉い、優位にいるぞとアピールしています。リードしたい、仕切りたいというサインです。

 

 

 

■視線が不自然な人

 

視線の合わせ方、はずし方が不自然な人は、対人関係に強い不安を感じているとみてよいでしょう。

 

 

 

■パチパチとしきりにまばたきする人

 

本心は気の弱い人です。あるいは、相手より自分の方が立場が不利なことで戸惑っているのかもしれません。目を合わせるのが怖くて、その緊張がまばたきに表れてしまうのです。

 

 

 

 

「話し方で相手の心の9割がわかる!」/ 渋谷昌三・著

 

 

 

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サイパン島の「クリフ (崖)」についてのトリビア

2009年05月19日 | トリビア

「レッド・クリフ」という映画がよく客を集めているそうです。戦争スペクタルというのは派手なシーンが目を引いて、見栄えがするんでしょう。NHKの番組だったんですが、ロシアとグルジアの戦闘を逃れて、疎開のような暮らしをしている子どもが、「以前は戦争映画が好きだったけれど、今はひどく嫌いになった」というコメントを述べていたのが印象的でした。

田○神さんだか、ネトウヨさんだか、「物知り」な方々は勇ましいことをいいます。核武装論まで言いだす始末です。

わたしは、経験は人を賢くする、とは思いません。経験から学ぶことがひとを賢くする、と思います。NHKの番組で、上記のコメントを述べた子どもは、戦争というものがどんなものかを経験し、それは非戦闘員である人たちが真っ先に犠牲にされるものだということを学んだ、という点で、学識豊かなネトウヨさんたちなんかよりずっとずっと賢くなったんだと思います。

それはさておき、かつて日本に占領されていたマリアナ諸島のサイパン島には、「バンザイ=クリフ」という「クリフ(崖)」があります。そう呼ばれるようになったいきさつについての記事を、ご紹介します。

 

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日本を攻撃目標の中心にしっかり据えたアメリカ軍が、中部マリアナ諸島のサイパン島 (本土防衛線として日本軍に重視されていた) の上陸に成功したのは、昭和19年の6月15日、終戦の1年2ヶ月前である。

この「マリアナ作戦」には、アメリカ側にもいくつかの問題点があった。その第一は、マリアナ諸島に基地を持っても、そこから日本本土まで、当時としては最大級の爆弾を積み、無着陸で往復できる爆撃機が未完成だったことだ。

しかし、ついにそれが完成した。『超要塞』といわれる「ボーイングB29」の登場である。この完成で、B29の搭乗員たちは、酸素マスクを装着することなく、1万メートルの高高度で、最大9トンの爆弾を抱え、最長5200キロを飛ぶことができる。もうアメリカ軍は、マリアナからなら、日本本土の主な都市を、どこでも爆撃し、しかも無着陸で基地に帰ることができるのだ。

 


サイパン島西南西のマリアナ沖海戦は、6月19-20日の両日にわたって展開されたが、日本側は「大鳳」はじめ3隻の空母を失う。アメリカ軍の損害は軽微であった。これで日本は、空母も空母だが、貴重な搭乗員の主力 (=熟練兵士) を喪った。

もうこうなると、サイパンの運命は決したのと同じである。制海権も制空権も持たぬ軍隊はどうしたらよいか。 (日本の場合) もはや「玉砕」以外にないことは誰もが知っていた。

それでも、日本軍の陸上部隊は、20日間の激戦をたたかい抜く。7月6日、斉藤義次陸軍中将、南雲忠一海軍中将らが自決し、残余の兵士は7日と8日に、最後の「バンザイ突撃」で戦死した。

 


しかし、悲惨なのは、信頼した軍人たちに先立たれてしまった2万5000の一般住民の運命である。それでも住民たちは、サイパン島北側のギリギリまで、どうにか辿りつく。アメリカ軍はしきりに呼びかける。住民を死から引きとめようとするのである。

しかし、それに応じるくらいなら、今まで生きてはいない。「投降勧告」をしり目に、用意した手榴弾で自爆する。毒薬を飲む。次々と死んでゆく。「戦陣訓」のさとすとおり、「生きて虜囚 (りょしゅう) の辱めを受けず」の死に方を、軍人ならぬ民間人が忠実に守ったのである。

サイパン島の北端にあるマッピ岬からは、とくに多くの女性が断崖に身を躍らせて自殺した。アメリカ兵の呼びかけをしり目に、次々と身を投げる。中には幼い子どもを抱いたまま身を躍らせる母親もいる。

多くのアメリカ兵、とくに若くして従軍した独身の青年兵たちは、この光景のおそろしさに慟哭した、という。「バンザーイ!」の最後の一声は、のちのちまで彼らの耳に残った。のちに、この場所は、「バンザイ=クリフ(崖)」または「スイサイド(自殺)=クリフ」と呼ばれた。

 


(「戦中用語集/ 三國一郎・著/ 1985年刊」)

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この本には、「戦陣訓」についての記事も掲載されています。兵士たちの規律を維持するためのマインド・コントロール教訓みたいなものでした。

戦陣訓の8番目に、有名な「名を惜しむ」の項があるのです。

「生きて虜囚 (りょしゅう) の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ(なかれ)」というものです。

これは本来、軍人に向けられた行動規範でしたが、ここサイパンでは、民間人もこの規範に倣って、投降するよりも死を選んだのでした。沖縄の集団自決も、この戦陣訓の行動規範が適用されたんですね。

それにしても、なぜ、軍人に向けられた訓話を、民間人が知っていたんでしょう。なぜ民間人までが、その規範に倣わなければならなかったのでしょう。戦争というのは酷いものです。今なら、化学兵器だの生物兵器だのがあるから、そんなものが使用されたら、民間人はひとたまりもありませんよね。そういう生物兵器だか化学兵器だかは、実際にイラン・イラクあたりのクルド人避難民に対して使われたそうです。写真雑誌で以前、見たことがあって、食事が喉を通りませんでした。

小泉さんやネトウヨさんたちは、特攻で死んでいった若者の死を無駄にするな、と言いますが、わたしは、こういう無名の民間人の犠牲者の死という歴史の事実を無駄にしたくないです。この記録から学び、学んだことにもとづいて判断し、行動しようと決意しています。


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資料 言論暴力団・産経 5

2008年03月15日 | トリビア
 
[産経]古森義久が慰安婦問題でデマ報告をする



最近3Kの古森義久氏は、慰安婦問題での史実の捏造報道がバレ、もうゴマカシが効かなくなりヤケになっているのか、自身のブログで元大本営参謀で世日クラブの監査役を務めている統一協会関係者・高橋正二氏のトンデモ報告とやらを連発で紹介している。

あまりにも内容がデタラメなので取り上げることにします。

ちと長いですが、がまんして読んでください。

(「軍による強制連行はなかった」(1)と「従軍慰安婦の仕掛け人たち」(2)のツッコミについては、とりあえず保留中です。)

「米軍も売春女性を徴用した」‐‐元大本営参謀の証言(3)
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/157217/#cmt
(古森ブログ 以下一部引用)
元大本営参謀で戦後は明治薬科大学の理事長などを務めた高橋正二氏の報告を続けます。高橋氏は終戦直後に米軍と直接、接触する「有末機関」の一員だった貴重な体験を経ています。
その有末機関時代に米軍は日本側に売春宿の開設や日本女性の売春婦としての徴用を命じた経緯が証言されています。
軍隊とセックスというのは、なにも日本軍だけが例外だったわけではないことの証明といえましょう。

以下は高橋氏の報告からの引用です

「米軍も女性の強制徴用を求めていた」

(前略)昭和20年8月24日、厚木飛行場に参りましたが、それはひどい有様でした。先遣隊(隊長テンチ大佐)約150名は28日、マッカーサー司令官は30日、到着し、ただちに横浜へ、私どもは神奈川県庁の一部に陣取り、9月20日、ミズーリ艦上降伏文書調印式における代表団一行の出迎えなどに忙殺されていました。

これら期間を通じて、頭を悩まし続けたのが、進駐軍兵士により暴行、強姦などが毎日毎日、被害の訴えがあることでした。

『進駐軍兵士により治安騒乱のうち、最もてこずったのは日本婦人に対する暴行、強姦などの風紀上の問題であった。最初の訴えに対し、第八軍司令官アイケルバーガー中将は「若い学生がジャングルから飛び出して、広々として校庭に出たようなもの、しばらく我慢してくれ、我々の方でも十分、気をつけるから」との話であったが、来る日も、来る日も、この種の訴えは一向に減る様子もなく、そのたびごとに報告者の悲憤慷慨は想像に絶する激越なものであった』(有末精三著『有末機関長の手記』)

当時、進駐軍軍人、ことに黒人の児を宿して生まれた混血児は3000人ともいわれ、澤田廉三元大使、および美喜夫人の経営するエリザベスサンダーホーム(大磯における孤児院)をはじめ、各種の施設や社会事業などのこれら悲劇の対策は講ぜられたものの、わが国、社会に残した傷跡はまことに残念なことでありました」

進駐軍の初仕事とはなんであったのか

「一、厚木飛行場に先遣隊が進駐してきた日の翌日の8月29日、米軍連絡将校が東京の警視庁に現れ、『娼家の施設をみせろ』と言ってきた(売春施設問題が初仕事ではないか)

二、同年9月28日、東京都衛生局が初めて受けた命令は『女』の問題。都衛生課員の与謝野光博士がGHQ(連合軍総司令部)公衆衛生局長サムス大佐のもとで交渉を開始、都内に残っていた花柳街五箇所および特飲街十七箇所(うち一箇所『千住』のみ日本人用)を接取された。

三、売春施設だけでは満足しない米兵は街の一般婦女子にも手を出し、パンパンガールとして自ら乗り出した日本婦人も現れた。

四、昭和28年2月27日、第十五回国会参議院本会議で、社会党の藤原道子議員の質問演説にも左のとおり触れている(当時の女性議員協議の結果)。

『アメリカ当局には軍紀の励行を望みたい。どうしてもそれができないならば、日本の女性をこれ以上、蹂躙することなく、この際、本国から対象となるべき必要数の女性を呼び寄せて、自国の女性によって性の解決をされるように要望したいのであります。(拍手)』
(以上 全文はソース)





この高橋正二氏って人の証言は、内容だけじゃなく時系列もメチャクチャだなぁ

古森氏は、「米軍は日本側に売春宿の開設や日本女性の売春婦としての徴用を命じた経緯が証言されています。」などと言ってるが

米軍用の慰安所は、日本政府が国策として敗戦わずか3日後の1945年8月18日には、進駐軍の上陸に備えて、目にもとまらぬ早さで内務省警保局長から警察部長宛の無電通牒を発し、米兵のための慰安所の準備を各都道府県に命じ、全国の警察も慰安婦集めをしています。そして早い自治体では9月3日から営業を開始しています。


以下参考 従軍慰安婦 吉川春子P146~147より
[埼玉県史・通史編7]

昭和20年(1945)8月15日に敗戦により、日本は占領下に入った。埼玉県では9月14日の米陸軍代四三師団の熊谷への「進駐」を皮切りに…占領軍部隊の「進駐」が始まった。その数は20年11月現在で約17000人の多数にのぼった…。
さて、これより前、敗戦からわずか3日後の8月18日、内務省は、警察部長名で「外国軍駐屯地における慰安施設に関する件」の通牒を発した。「性的慰安」を含む、「外国駐屯地慰安施設」の設置・整備を指示したものであった。具体的指示を与えている「整備要綱」から第三・四項を示そう。

三 警察署長は左の営業に付いては積極的に指導を行ない、設備の急速充実を図るものとする。
性的慰安施設
飲食施設
娯楽場

四 営業に必要なる婦女子は芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習密売淫犯者等を優先的に之を充足するものとする。

この通牒をうけて、8月26日、特殊慰安施設協会(RAA)を設立し、東京銀座街頭に「新日本女子に告ぐ」の募集広告を出し、華々しく営業に乗りだしたのである。
(以上)


つまり、米軍が日本側に売春宿の開設や日本女性の売春婦としての徴用を命じたもなにも、それより前に日本政府が命じてるわけです。

[特殊慰安施設協会(RAA)について]
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c6%c3%bc%ec%b0%d6%b0%c2%bb%dc%c0%df%b6%a8%b2%f1
特殊慰安施設協会は内務省が中心になり占領軍対策として半官半民(5000万円ずつ出資)で設立された。



P152より
[北海道警察史2 昭和編]

その募集については主として業者を通じて行なったが、事の重要性に鑑み警察官自身も直接それに従事した。すなわち警察保管の旧娼妓名簿から前職者の住所・氏名を調査し、彼女らを訪ね毛布、砂糖などを贈って、日本及び日本人のため再び稼働するように説得し、協力を求めた。このような官民挙げての努力により450余名の現職者と合わせて本道の特種慰安婦は総勢770余名に増強された。
(以上)



P158より
[兵庫県警察史 昭和50年3月発行]

慰安所は押すな押すなの大盛況であった。しかし終戦の年も押し詰まった12月15日にGHQ(連合国司令部・吉川)から進駐軍将校に対し慰安所への立ち入り禁止命令が発せられ、MPによる取り締まりがはじまった。このため慰安所はわずか3ヶ月で閉鎖せざるえなくなり、1000名を超える慰安婦は失職し、次第に街娼化していった。いわゆるパンパンガールの出現である。
(以上)


GHQによる公娼廃止指令について
1946年1月、GHQは全兵士にこの公娼施設への立入りを禁止すると共に、「日本の身代金や前借金などの名目で拘束された公娼制度は民主主義に反する」として、「日本に於ける公娼廃止に関する件(覚書)」を発し、日本政府に公娼制度(貸座敷・娼妓)を全て廃止するよう、命令した。

それを受け、1946年2月、日本政府は「廃娼令」を施行した。

こうして、基本的に日本国内の売春行為は非合法となった。

だが、戦後社会の混乱による、そして、進駐軍兵士による婦女暴行事件などを防ぐためにと、1946年11月、日本政府は、私娼取締りを名目として、旧遊廓を事実上存続させる方針を決定した。

GHQは、これを黙認した。GHQも、日本の民主化改革のために公娼制度を廃止したが、実際は、米軍兵士のための売春婦を必要としており、また、性病予防の観点からも、こういった性的慰安施設が必要だったのである。



あと、pr3さんもこんな指摘をされている。

「黙然日記」より
古森義久氏、統一協会関係者を熱心に紹介する。
http://d.hatena.ne.jp/pr3/20070423/1177322897
コメント欄でも指摘されていますが、お年を召した高橋氏の証言にはだいぶ事実誤認があるようですね。言っている内容自体もかなりひどくて、引用部分はそれこそ人種偏見丸出しの上に、混血児が生まれたのはどう考えても占領開始から9ヶ月後以降なんですが(エリザベス・サンダースホーム設立は1948年)、なんで占領開始直後の話をしているときにこの話題が出るのか

以上のことから、古森氏にはデタラメな報告をヤメてもらいたい。

 (RAAに関して間違いがあったので後から追記、修正しました。)



出典はこちら
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資料 言論暴力団・産経 4

2008年03月14日 | トリビア
[慰安婦問題]産経・古森氏が、また歪曲報道

占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm
http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070506071615


(2007/5/5 産経)
【ワシントン=古森義久】終戦直後の日本国内で占領米軍の命令により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。しかし同議員は戦争中の日本の慰安婦は旧日本軍が政策として一様に拘束し、強制した女性ばかりだった点が米軍用慰安婦とは異なると述べた。

AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。
(以下略 全文はソース)

>日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き

AP通信の報道では、こんなこと書いてないし、自己のイデオロギーを絡めて報道しすぎです。

当ブログでは、こないだもこちらの記事で取り上げてますが、終戦わずか3日後に日本政府(内務省)は、進駐してくるアメリカ軍のための慰安所を作るよう、8月18日付けで「外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局長通牒」を出し、各都道府県の警察に対して米兵慰安所の急設を指示しています。

慰安所の設置方法は、警察が指導し、おもに業者にやらせる方法で「特殊慰安施設協(RAA)」を設立しています。


だいたい、「日本だけが悪いんじゃないんだ~!」といった3Kの報道が、逆効果なうえ日本のイメージを失墜させ続けているだけだと、何度言ったら・・・・


↓5/4付けAP通信全文の翻訳は2ちゃんにネ申がいたので拝借しました。

「ニューヨーク・タイムズ」より
GIs Frequented Japan's 'Comfort Women'
GIも日本の「慰安婦」を頻繁に利用
(機械翻訳)GIは日本の'従軍慰安婦'によく(しばしば)行きました。
http://www.nytimes.com/aponline/world/AP-Americas-Comfort-Women.html?_r=2&oref=slogin&oref=slogin
WW2中に行われた、慰安婦を兵士に供するするという忌まわしき行いには、知られざる続編があった。無条件降伏後、日本は米軍兵士に対して似たような慰安婦システムを用意していたのである。

この度初めて英訳された史料によれば、アメリカ当局は、女性が売春を行うことを強制されていたことを知りながら、売春システムを作ることを許可していた。彼らは日本軍がアジアで占領地の女性に対して行ってきたひどい行いを十分に熟知していたにもかかわらず。

1946年の春、マッカーサー将軍がこれらの公的売春宿を閉鎖するまで、数万の女性が米兵に安価なセックスを提供すべく雇用されていた。

これらの史料によれば、これらの売春宿は45年8月以降、米兵が大挙流入してくる前に急遽設立されたもの。

「残念ながら、われわれ警察は占領兵のために売春宿を用意せざるを得なかった。」と、茨城県警の公式記録は伝える。「この政策の狙いは、プロの女性を防波堤とすることで、一般の婦人および少女を守るという点にあった。」

この命令は、1945年8月18日、日本の特使が降伏文書の作成のためにフィリピンへと発つ前日に、内務省から発せられた。

茨城県警は直ちに作業に取り掛かった。適当な施設は県警の独身寮しかなく、急遽これが売春宿へと改装され、海軍からベッドなどが用意された。20人の女性が集められ、9月20日に開業した。

「予想されたとおり、開業と同時に売春宿は大盛況となった(elbow to elbow)。慰安婦は当初昨日まで敵であり、言語も人種も異なる人間を相手にすることに抵抗を示し、また大きな不安を感じていた。しかし彼女らの給料は高く、次第にかつ平和に彼らは仕事を受け入れていった。」

日本政府の資金で運営されていたRAA(娯楽保養組合)の援助の下、警察当局と東京のビジネスマンは売春宿のネットワークを設立した。45年8月28日には厚木に占領軍の先遣隊が到着し、その日の夕方までには先遣隊の兵士はRAAの売春宿を見つけていた。

「私は2~3人のRAAの上役とその売春宿へ駆けつけ、そこに500人から600人の列が出来ていることに驚きました」と、RAAの広報担当主任のカブラギセイイチは1972年の回顧録に書き残している。アメリカの憲兵はこれら兵士の統制をするのに必死だった。

文民政府と警察によって作られ、かつ管理されていたにもかかわらず、そのシステムは日本軍がアジアに作り上げた慰安婦のそれと同じだった。

カブラギによれば、アメリカのGIは料金を先払いしてチケットとコンドームを受け取った。最初のRAA売春宿であるコマチエンは38人の女性を擁していたが、余りの需要に直ちに100人まで増員した。それぞれの女性が1日に15人から60人の兵士の相手をした。

アメリカの歴史化ジョン・ドウアーは、彼の著作「敗北を抱きしめて:第2次大戦の日本の軌跡」の中で、1セッション(短いもの)で15円、タバコひと箱の半分ほどの値段だったと記している。

カブラギは、これらの需要の急増によって、ライセンスされた売春婦以外の女性に対してまでも募集をかけざるを得なくなったと記している。

コマチエンで働いていた19歳の女性(親族を戦争で失っていた)、タキタナツエは、事務員募集の広告を見て応募した。彼女はそこで慰安婦以外の仕事の空きは無いと聞かされ、その仕事を受けるよう説得された。

占領軍が撤退した1952年以降に書かれたカブラギの回顧録によれば、タキタは売春宿での仕事を始めた数日後、列車に身を投げたという。

「最も悲劇的な被害者は、『新しき日本の女性』を求む、という公募に応えてやってきた、何の経験も無い女性達だった」と彼は書いている。

1945年の終わりまでに、35万人の米兵が日本に駐留していた。この間、RAAは最大で7万人の売春婦を米兵のために雇用していた、とカブラギは書いている。可能性は必ずしも否定されていないが、日本人以外の女性が海外からこのRAAシステムのために集められたという明確な証拠は存在しない。

広島平和研究所の歴史学教授であるタナカトシユキは、カブラギの残した数字を立証することは困難だと警告している。しかし、タナカ氏は同時にRAAというのはこの時期に存在した売春宿の一部に過ぎず、私的な売春宿の数はこれらを大きく上回るだろうとも付け加えた。

田中の発見した史料によれば、アメリカの占領当局は、米兵を客とする慰安婦のためのペニシリンを日本政府に供与し、RAAの売春宿の近くに予防施設を設営し、当初は、米兵がそれらの施設を利用することを容認していた。

占領当局は、このGI向けの慰安婦システムが、日本軍兵士のためのそれに類似していることを理解していた。

1945年12月6日、GHQ厚生保険局のシニアオフィサーであったマクドナルド中佐のメモによれば、アメリカの占領軍は日本の慰安婦が多くの場合強制されていたことを認識していた。

「その少女は、彼女の両親の経済的困窮とその両親らの懇請、そして彼女自身の「自分が犠牲になっても家族を助けたい」という思いのために、売春宿と契約せざるを得なかったのだ」と彼は書いている。「しかしながら、われわれの情報提供者は、以前ほどではないにせよ都会部には奴隷として売春を強制される例がまだ存在する、と信じていた。」

従軍牧師からの警告(文句)と、この慰安婦問題が米国本土に伝わることへの懸念から、1946年3月25日に、マッカーサーは全ての売春宿を非合法化した。RAAはすぐに解散した。

マッカーサーの懸念はモラルの問題にとどまらなかった。タナカによれば、この時点までに米兵の4分の1以上が性病に罹患していたのである。

「全国的な売春宿の非合法化は15万人以上の女性の職を奪った」とタナカは2002年の性奴隷についての本に書いている。「その多くは非合法での売春を続けたが、その多くが性病と貧困に苦しんだ。」

海外からの集中的な圧力を受けて、1993年に日本政府は、アジアにおいて売春宿を運営し、女性に兵士への奉仕を強いたことに一定の役割を果たしたことについて謝罪した。この問題は依然として議論の的となっている。

1月に、カリフォルニアの下院議員マイク・ホンダは日本の性奴隷の使用に対する非難決議を提議した。これは、慰安婦に対する保証を行うための私的機関として、93年の謝罪の2年後に設立されたアジア女性基金の解散を前に、日本に対して新たにプレッシャーをかける思惑もあってのことであった。

この基金は、5万人とも20万人とも言われる、日本軍のために奴隷化された多くの女性のうち、フィリピン・韓国・台湾の285人の女性に対してのみ補償を行った。それぞれの女性は200万円を受け取った。オランダ人とインドネシア人の女性の一部も支援を受けた。

この基金は3月31日に予定通り解散した。

この基金のエグゼクティブディレクターであったワダハルキは、この基金の創設は日本のリーダー達の態度に重要な変化があったことを意味すると同時に、正義を行うべしという日本のサイレントマジョリティの意思の反映であると語った。また、この基金は私的なものではあれど、日本政府は46億円を支出したメインスポンサーであったという点も彼は指摘した。

しかし同時に、かれはこの基金が予想を下回ったということを認めた。「ほとんどの女性は名乗り出なかった」と彼は語った。

日本女性に対する搾取を認識し、解決するための第一歩としては、この基金は完全に失敗だった。彼女ら日本女性にはその資格があったにも関わらず、誰一人として補償を求めては来なかったのだ。

「日本の女性は誰一人として名乗り出なかった」とワダは語った。「彼女らが自身の意思と関係なく強いられていたのだと言える、と感じない限り、名乗り出ることは出来ないと彼女らは感じている。」

-------------------
以上で翻訳終わり。英語としてはすごく平易な文章だから、そんなに誤訳は無いと思う。まぁ、GHQは命令したのではなく、強制などがあることを知っていたにもかかわらず容認した、またそれが牧師らによって公になりそうだったので慌てて閉鎖した、というあたりでしょうかね。
(以上)



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資料 言論暴力団・産経 3

2008年03月14日 | トリビア


2007-06-30 12:28:27 gataro-cloneの投稿

産経新聞古森記者、こんどは、ワシントンからではなく2ch情報を見て記事を書く【木田貴常さん】

テーマ:マスゴミ

前に捏造記事を古森記者が書いたことで謝罪した産経新聞 ⇒

【APの慰安所設立米軍命令報道】産経新聞が古森義久記者の捏造記事を謝罪訂正することに決定したよ【美しい壷日記】
asyura2.com/07/cult4/msg/334.html
投稿者 一市民 日時 2007 年 5 月 22 日 00:17:18: ya1mGpcrMdyAE

だがそんなことでは懲りない産経新聞古森記者、今度は駐在先のワシントンからではなく、2ch情報を元に記事を書いているという。

==========================================

産経新聞古森記者、こんどは、ワシントンからではなく2ch情報を見て記事を書く
http://www.asyura2.com/07/senkyo37/msg/341.html
投稿者 木田貴常 日時 2007 年 6 月 30 日 08:28:15: RlhpPT16qKgB2

産経新聞古森記者は、週末になるとテレビの討論番組を意識してか、地球の裏側ワシントン市から反「反日」ニュースを送ってきます。しかし最近は、自分の足で稼いだ情報は殆ど無く、古いネタのリニューアルとか外信記事を翻訳捏造するとか、2次加工、3次加工ばかりが目に付きます。

今度は何と、20日も前の2chネタをiza親衛隊から教わって、記事に仕立てたようです。
しかも今回は、サンフランシスコの小さな通信社の有料記事を、無断で無料で使ったという疑惑すら感じます。

(1)
どんな記事かは、古森義久氏自らのブログでお楽しみください。
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/209812/

~~~~~~~~~引用開始

慰安婦決議案の推進の主役はやはり中国系団体だった
2007/06/29 05:36

アメリカ下院外交委員会が6月26日に可決した慰安婦問題での日本糾弾決議案はなぜこの時期に審議され、採択されたのか。まだ本会議での取り扱いが残っているとはいえ、この時点で全体の構図の再確認をしておくことが必要でしょう。
「この時期の採択は日本側有志が6月14日のワシントン・ポストに意見広告を載せたからだ」などという根拠のない憶測が朝日新聞などに堂々と書かれています。英語でいえば、wishful thinking とでもいえましょうか。
決議案がこの時期に表決に付されたのは、もちろん複合の要因がありますが、最大の力は在米中国系反日団体による激しいロビー工作です。そのことを証する報道を私は産経新聞で紹介しました。例の「世界抗日戦争史実維護連合会」という組織がトム・ラントス外交委員長、ナンシー・ペロシ下院議長らカリフォルニア選出の民主党下院議員に「アジア系有権者の票と資金」を武器として、「脅し」ともいえる圧力をコンスタントにかけ続けてきたことの成果が今回の表決だといえます

これら中国系団体は日本が戦争の歴史について、なにか新たな言動をとったから非難をぶつけてくるというのではありません。常にこの種の問題で日本を叩いていること自体が目的なのです。マイク・ホンダ議員はそのための「手段」なのです。

朝日新聞も共同通信もNHKも、この中国系団体の役割にはまったく触れることがありません。「抗日連合会」がニューヨーク・タイムズへの意見広告などで、堂々とその名前を表面に出しても、「中国系」については一切、無視です。それを認めると、自分たちがこれまで提示してきた慰安婦問題に関する「構図」の虚構性が証されてしまうから、なのでしょうか。少なくとも中国系団体がからんでいることを報じるのが客観報道の基礎だと思うのですが。

以下はラントス議員が「抗日連合会」から脅されていた事実の経緯を報じた記事です。6月28日の産経新聞に掲載されました。
なおそのあとに、私が引用し、紹介した英文記事の原文を載せました。

産経新聞6月28日付

「慰安婦決議案 米下院委が可決 中国系反日団体が圧力」 [AD] AdSpace

▲Rectangle AD▲photo.staphoto.end
google_ad_section_start(name=s1) hombun
 【ワシントン=古森義久】米下院外交委員会(トム・ラントス委員長)が26日、慰安婦問題に関する対日非難決議案を可決したが、この動きの背後では中国系反日団体がラントス委員長に激しい圧力をかけ、敏速に採決の動きをとらなければ次回の選挙で別の候補を支援するという政治的脅しがあったことが報じられている。

 この情報はカリフォルニア州中部のニュースを報じる地方通信社「ベイ・シティ・ニューズ」(本社・サンフランシスコ)の6月14日発報道として流され、地元の新聞数紙に掲載された。


委員長に「対抗馬」示唆


 同報道によると、歴史問題で日本を一貫して非難している在米中国系団体「世界抗日戦争史実維護連合会」(以下、抗日連合会と略)の幹部たちは、他の在米中国系組織幹部とともに同州クパナティノの中国料理店で集会を開き、マイク・ホンダ議員らが下院に提出した慰安婦決議案の可決促進を協議した。抗日連合会のイグナシアス・ディン副会長(中国系米人)が語ったところでは、同幹部連は下院のナンシー・ペロシ議長とラントス委員長が(慰安婦決議案の採決推進に関して)言い逃げをしているとの見解を明示した。とくにラントス委員長は人権擁護派の評判にもかかわらず「同決議案支持へのわれわれの訴えに応じず、有権者とアジア系米人社会への軽侮を示している」と主張したという。

 このディン氏の発言はちょうどラントス委員長らが日系長老のダニエル・イノウエ上院議員から同決議案を審議しないよう要請され、さらに訪米した安倍晋三首相と会談して、同首相から慰安婦問題について「申し訳ない」という言明を得て、同決議案への取り組みをソフトにしたようにみえた時期と一致する。

 しかし「ベイ・シティ・ニューズ」の報道によると、抗日連合会の幹部らは民主、共和両党議員への政治献金者であり、このままではラントス委員長らに献金目的にのみ利用され、実際の行動では放置されるという懸念を表明した。そしてディン氏らは「選挙区の33%がアジア系住民であるラントス委員長が同氏らと意思疎通できないならば、もう新しい議員の選出の時期となるだろう」と告げた。ディン氏らはこの「脅し」をラントス委員長のカリフォルニア第12区の人口動態の数字と過去の投票結果で裏づけ、2008年の下院選挙では自分たち自身の候補をラントス委員長への対抗馬として立てることを示唆した。

 ディン氏は「ラントス事務所の私たちに対する最近の扱いにはまったく当惑している。すでに対抗候補として十分に資格のあるアジア系米人女性を含む数人を考慮している」と語ったという。

 在外中国系住民により1994年に設立された抗日連合会はホンダ議員の選挙区に本部をおき、中国政府とも密接なきずなを持ち、戦争や歴史に関して日本を一貫して非難してきたほか、2005年には日本の国連安保理常任理事国入りへの反対署名を4200万人分集めたと発表している。ディン氏ら幹部は1990年代からホンダ氏と連携して日本非難の決議案の作成や提出にかかわり、政治資金も集中的に提供してきた。

 ラントス委員長の事務所ではこのディン氏らの動きについての報道に対し26日、「もう実際の事態展開で事情は変わった」と述べた。



 以下は上記の記事の素材となったアメリカ側通信社報道の英語の原文です。

CUPERTINO (Bay City News Service) — A group of Asian Americans were calling on the community and elected officials on June 8 to help lobby the Japanese government into an apology for the forced prostitution it forced on Asian women before and during World War II.

Members of the Global Alliance for Preserving the History of World War II in Asia, the Chinese Americans for Democracy in Taiwan and others met in a Chinese restaurant June 8 to encourage support for House Resolution 121, introduced by Rep. Mike Honda (D-San Jose).

The resolution urges the government of Japan to acknowledge, apologize and accept the historical responsibility for the Japanese Imperial Armed Forces’ coercion of young women into sexual slavery.

"This is a human rights issue, this is a women’s rights issue," Barry Chang said. "This is the right thing to do."

The Japanese government has not yet made a formal apology, although it has acknowledged the situation, according to Chang.

Some group members said that House Speaker Nancy Pelosi (D-San Francisco) and Congressman Tom Lantos (D-San Mateo/San Francisco) have been giving them the runaround, according to Ignatius Ding, executive vice president of the Global Alliance for Preserving the History of World War II in Asia.

The group alleges that Lantos, who has a strong reputation in human rights, is showing disrespect to voters and to the Asian American community for not responding to their calls for support for H.R. 121

Members of the group, several of whom are donors to the Democratic and Republican parties, expressed concern that they are used for fundraising purposes but when it comes to action they are left out.

The resolution currently has 129 co-sponsors but requires 218 to ensure passage. Ding said he does not understand how a morally correct resolution with no financial strings or political agenda can be put so easily aside.

The resolution also has 9,000 churches across the United States in support, according to Ding.

Chang and Ding also suggested that if Lantos, who represents a district that is 33 percent Asian American, can’t communicate with them, then perhaps it’s time for new representation.

The group backed their threat with demographic numbers from the 12th California District and election results that they feel lend support for putting up their own candidate to run against Lantos in the 2008 election.

Ding said he is "totally puzzled" by the treatment they have received from Lantos’ office. "He has been good to us, until recently," Ding said.

Ding said the groups have several candidates in mind, including one well-qualified Asian American woman, who he declined to name.


~~~~~~~~~~引用おわり


「世界抗日戦争史実維護連合会」を、「以下、抗日連合会と略」とか、memberを幹部と訳したり、なかなか香ばしい翻訳ですが、もともとの記事はどおってことありません。アメリカでのロビー活動ではあたりまえの光景です。

まあ、その元記事の中味はともかく、それを自分の記事に仕立てる古森氏の扱いの雑さが目立ちます

> このディン氏の発言はちょうどラントス委員長らが日系長老のダニエル・イノウエ上院議員から同決議案を審議しないよう要請され、さらに訪米した安倍晋三首相と会談して、同首相から慰安婦問題について「申し訳ない」という言明を得て、同決議案への取り組みをソフトにしたようにみえた時期と一致する。

と古森氏は書いていますが、ダニエル・イノウエ上院議員がラントスに書簡を送ったのは3月ですし、ラントスら米民主党有力議員が安倍晋三と懇談したのは4月27日です。この中華料理店での会合が6月8日ですから、時期が一致するとはどういう意味なのでしょうか?

なんでもムチャクチャ書いても支援する親衛隊向けの記事なのでしょうか?

内容が雑なことだけかと思いましたら、ソースの記事に対する礼儀も雑なようです。
同じizaブログにni0615氏がツッコミのエントリーを示しています。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/210860/


ソースは2ch
そして、有料記事ということを見落としているような気がして成りません。


" Buy - Jun 8, 2007 - BCN43:CUPERTINO: ASIAN AMERICANS CALL FOR JAPANESE APOLOGY"

こういう記事でも、土曜、日曜、月曜のTVはネタとして飛びつくのでしょうか?

出典はこちら
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資料 言論暴力団・産経 2

2008年03月14日 | トリビア


 


     東京弁護士会が、「国立第二小問題」で校長、国立市教委、産経新聞の
                     人権侵害を指摘!


【当時の校長に勧告】

                                         東弁人第168号
                                          2005年3月29日
○○○○ 殿
                                          東京弁護士会
                                          会長 岩井 重一

                            勧告書

 貴殿が、国立市立第二小学校の校長として在職中、2000年3月28日付の「卒業式実施報告書」に、「日の丸」の掲揚に反対する児童らが集団で校長に詰めより「日の丸」の降納及び「土下座」による謝罪をさせたと読みとれる記載をしたことは、事前の説明なく「日の丸」を掲揚した理由等の説明を校長に対して求めようとした児童らの意見表明権の行使につき歪曲して記載するものであり、児童らの意見の表明を「相応に考慮」すべき義務に違反し児童らの意見表明権を侵書するものといわざるを得ません。
 よって、今後は児童らの意見表明権を尊重し、二度とかかる行為に及ぶことのないよう、勧告致します。



【国立市教委に勧告】
                                          東弁人第168号
                                          2005年3月29日
国立市教育委員会 御中
                                           東京弁護士会
                                          会長 岩井 重一


                          勧告書

 貴委員会は、国立市立第二小学校(以下「国立二小」といいます。)の1999年度当時の○○○○校長に対し、2000年3月24日に実施された同校の卒業式について「卒業式実施報告書」の作成を指示し、結果、同校長は2000年3月28日付で同報告書を作成しましたが、同報告書には、「日の丸」の掲揚に反対する児童らが集団で校長に詰めより「日の丸」の降納及び「土下座」による謝罪をさせたと読みとれる記載があります。これは、事前の説明なく「日の丸」を掲揚した理由等の説明を校長に求めようとした児童らの意見表明権の行使に関して歪曲した記載であるといわざるを得ません。
 貴委員会は、報告書の作成に閲し校長に適切に指導助言すべき立場にあるものであり、同校長に上記の如き記載をさせたことは、指事助言に遺漏があったと認められ、ひいては児童らの意見の表明を「相応に考慮」すべき義務(子どもの権利条約第12条1項)に違反し児童らの意見表明権を侵害するものといわざるを得ません。
 しかも本件では、当該地域において、その後、政治団体の街宣活動が頻繁に行われるなど、国立二小の卒業生に対して多大な心理的負担を与える事態も発生しており、このような事態が招来されたことは真に憂慮すべきことです。
 よって今後二度とかかる事態を招来しないよう、また今後は児童らの意見表明権に十分配慮した教育行政を遂行されるよう、勧告致します。



【産経新聞社に要望書】
                                           東弁人第168号
                                            2005年3月29日
株式会社 産業経済新聞社
代表取締役会長 住田 良能 殿
                                            東京弁護士会
                                            会長 岩井 重一

                           要望書

                          要望の趣旨

 「産経新開」の2000年4月5日付朝刊に掲載された「児童30人、国旗降ろさせる」と題する記事(以下「本件記事」といいます。)には、同年3月24日に行われた国立市立第二小学校(以下「国立二小」といいます。)の卒業式の様子につき、式典終了後に子どもたち30人が日の丸降納を校長に対して迫ったかのような記載があり、また、児童が興奮して涙ながらに「謝れ」「土下座しろ」等と謝罪を要求した旨の記載があります。これらは教育委員会の卒業式実施報告書をもとに記事にされたと思われますが、当会の調査によると必ずしも事実を正確に伝えたものとは認められません。
 この点について別紙(写)添付のとおり、当会は国立市教育委員会及び当時の国立二小の校長○○○○氏に対し勧告しました。
 このような誤解を生じる記事を掲載することは、児童らの名誉及びプライバシーのみならず、子どもの権利条約で保障された意見表明権を侵害するものであります。
 しかも本件記事が端緒となって、当該地域においてその後、政治団体の街宣活動が頻繁に行われるなど国立二小の卒業生に対して多大な心理的負担を与える事態も発生しました。
 当会は、本件記事掲載に際し、貴社の十分な裏付取材がなされなかったことを深く憂慮するものであり、貴社におかれてもかかる取材経過を真摯に再調査されること、そして今後、国立二小を含む学校の入学式・卒業式に関連する報道を行う場合は、本要望書の趣旨に沿って子どもの人権に十分配慮し、慎重な取扱いがなされるよう、ここに強く要望いたします。




【新聞報道】

産経新聞に人権配慮要望 卒業式国旗報道で弁護士会 (河北新報3/31)
http://www.kahoku.co.jp/news/2005/03/2005033101003418.htm

 産経新聞の記事で、東京都国立市立第二小の児童が卒業式で日の丸を降ろすよう校長に集団で迫ったかのように報道されたとして、保護者3人から人権救済の申し立てを受け、調査した東京弁護士会は31日までに、産経新聞社に対し「記事は正確ではなく、児童の人権に十分配慮してほしい」と要望した。
 産経新聞は2000年4月5日付朝刊で、同年3月の卒業式を「児童30人、国旗降ろさせる」「校長に土下座要求」などの見出しで報道した。
 29日付の要望書は児童らが校長に(1)日の丸を降ろしてほしいと発言(2)掲揚の説明が事前になかったことの謝罪を要請(3)居合わせた1人が「土下座」という言葉を使用--は事実としたが「その場にいた約30人が一斉に土下座による謝罪を求めたとは認められない」と指摘。

※その他、四国新聞・熊本日日新聞・中国新聞・静岡新聞・山陽新聞・秋田魁新報・東奥日報・福島民友新聞・岩手日報


子供の権利侵害:東京弁護士会が産経新聞に要望書 (毎日3/31)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050401k0000m040107000c.html

 東京都国立市立第二小の00年の卒業式で「児童が集団で国旗を下ろすよう校長に詰め寄り土下座での謝罪を求めた」などと産経新聞が報じたことに対し、東京弁護士会は29日付で、同新聞社に「報道は正確でなく、人権に配慮した報道を望む」との要望書を出した。同市教委や当時の校長には「(報道のもととなった)わい曲した報告で、児童の意見表明権を侵害した」と勧告した。

 産経新聞が00年4月に報じた後、政治団体の街宣活動が行われ、児童の保護者が同年7月、人権救済を申し立てた。

 同弁護士会が調査した結果▽報道は校長が市教委に出した「卒業式実施報告書」を閲覧か入手して書かれた▽実際は校長から離れた一部の児童が「土下座してもいいくらいだ」と吐き捨てた程度--と判断。勧告や要望書で「報告や報道は、誤った印象を与え、児童の名誉やプライバシー、意見の表明権を侵害している」と批判した。【井崎憲】

 ▽国立市教委の話 勧告は真摯(しんし)に受け止めたい。今後とも教育行政に生かしていきたい。

 ▽産経新聞社広報部の話 記事は確かな取材に基づいた事実を伝えたもので児童らのプライバシー等も十分配慮している。

出典はこちら



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資料 言論暴力団・産経 1

2008年03月14日 | トリビア

2005年03月20日

産経新聞、「過激な性教育」報道で人権侵害・・・のメモ

■■■■■産経新聞の捏造報道に関するメモ 〜 人権侵害とは、こういうことさ 〜

▼産経の記事「これも人権侵害? 全国弁護士会、次々「勧告」」
>「過激な性教育を行った教員の処分は人権侵害、国歌斉唱も人権侵害など、
全国の弁護士会が、イデオロギー色の強い人権侵害勧告などを
次々に出している現状が、人権擁護法案をめぐって18日開かれた自民党
法務部会・人権問題調査会で報告された。
>城内実衆院議員がまとめた報告によると、東京都立の養護学校で、性器を
露出した等身大の女性の人形を性教育に使った教員が平成15年に都教委
から厳重注意の処分を受けたが、東京弁護士会は今年1月に教育の自由
などを侵す人権侵害として都教委に警告。警告書の中では養護学校から
都教委に提出された人形など教材の返還なども求めた。
http://www.sankei.co.jp/news/050319/sha042.htm

実際に何があったのか?

▼「都が性教育に不当な介入」 教材や教具没収 校長ら116人処分 1000人が人権救済申請へ (2003/12/20)
http://www6.plala.or.jp/fynet/2scrap181-seikyoiku-gakkou.html#%83y%81[%83W%82%CC%82%CD%82%B6%82%DF
▼あなたはどう考えますか?−「性教育バッシング」 http://www.sexuality2003.com/genkou_1.html

かいつまんで言うと、真相はこうだ。
知的発達に障害を持つ子ども達が通う東京都・七生養護学校では、
障害児の発達にあわせ、内外の研究を生かした性教育が、
保護者も話し合い、賛同する中で行われていた。
ところが土屋たかゆき都議(バックには国家神道系カルト・日本会議)ら、および
石原都知事の意を受けた東京都教委は、これを「行き過ぎた性教育」と攻撃し、
どかどかと学校に乗り込んで教材を「調査」、挙句の果てに都教委が教材を
押収するという暴挙に出た。これに随行していたのが 産 経 新 聞 記者である。
発達障害をもつ子どもに対しては、性教育はできるだけ具体的に行なう必要がある。
何も知らないままで成長した結果、性犯罪被害にあうことだってあるのだ。
だからこそ布製の人形(性器も再現してある)などを用いているというのに、こともあろうに
議員どもは「まるでアダルトショップだ」などと放言(なんでそんなアダルトショップに詳しいの?w)
彼らは「過激な性教育が行われている」という非科学的なデッチアゲのキャンペーンのために
障害児教育の現場をふみにじったのだ。「 人 権 侵 害 」とはこういうものである。
▼養護学校児童の保護者も、こうした異常な「性教育弾圧」にきびしく抗議。
http://www.sexuality2003.com/jittai.html
http://www.sexuality2003.com/youbou.html
▼石原都知事にこそ、きちんと性教育をw
 ※避妊もせずに浮気して隠し子を作り、10数年も認知せず。
 http://d.hatena.ne.jp/claw/20040905#p1
▼フジサンケイグループの「性論」路線 ・・・「まるでアダルトショップだ」w
 http://pink.zakzak.co.jp/ 
 ・・・ライブドアの下に逝ってよし(@∀@)





2006-11-23 19:09:58

重篤な産経症が発現しました・産経新聞が人権侵害を助長するコラムを掲載

テーマ:産経症

産経の書く内容は、ほとんどトンデモだが、今回のはちょっと捨て置けない。とはいいつつ一週間も経ってしまったが。

内容はある意味、人権侵害か報道被害。

「国会周辺で改正反対と声高に叫んでいるのは、文部科学省とともにこの国の教育をおかしくした日教組、それに共産党と過激派系団体の面々がほとんどだ。」


これ、曲がりなりにも(ほんとに根性とか思想とかが曲がってるけど)全国紙が書く内容か?ネトウヨ並みのレッテル貼りだぞ。市民運動に参加している人間に対して、「過激派系団体」ってなんだ?ほとんど名誉毀損といえる内容だと思う。

それとも、産経は参加者に取材して「過激派系団体」であることを確認したのか?
この書き方じゃ、日教組でも共産党でもない参加者は、これから周囲の人間から過激派呼ばわりされることになりかねない。

今回のは合法的なデモだと思うし、それに市民が参加するのも合法であろう。
今回の産経のコラムは、市民がデモに参加するのを萎縮させるための威圧とも取れる。下手すりゃ職場や学校での差別など具体的な被害だって出かねない。


”政府に逆らうような奴はこんな目にあうぞ”と脅しをかけているようなものだ。
産経こそ過激派右翼新聞と呼ぶにふさわしい。



(以下引用、太字は筆者による)


平成18(2006)年11月17日[金]
 男が身につけるモノの中で腕時計は最も厄介な存在の一つだ。時間を知るだけの用なら100円ショップで買えるもので十分だが、世の中には腕時計で人物の値踏みをするというご仁もいる。

 ▼金ピカのブランド品をひけらかすような人物はおおむね底が浅く、ちょっと見は地味でもよく見れば、通好みの品を身につけている人物は信頼できるんだとか。この話を聞いてから小欄は外で腕時計をしないようにしている。

 ▼公共工事をめぐる談合事件で逮捕された和歌山県知事も大の腕時計ファンだそうだ。地検特捜部の家宅捜索で知事公舎からは「改革派」に似合わぬ高級品がいくつも出てきた。中には談合の仲介役からのプレゼントもあったという。高いモノを身につければ男が上がると錯覚をしたのだろうか。

 ▼今こそ正確な時を刻む時計が必要な人たちもいる。きのう教育基本法改正案は衆院を通過したが、審議時間が通算100時間を超えても野党は「まだ時間が足りぬ」と本会議をボイコットしてしまった。彼らの時計はゆっくりと進むようだ。

 ▼政権交代を目指す民主党の小沢一郎代表が、天下分け目の戦いになる来年夏の参院選へ向け与野党激突ムードを高めたいのはよくわかる。だが、教育を政争の具にするのはいただけない。国会周辺で改正反対と声高に叫んでいるのは、文部科学省とともにこの国の教育をおかしくした日教組、それに共産党と過激派系団体の面々がほとんどだ。

 ▼小沢さんは彼らと共闘することが、政権交代の早道だと本気で考えているのだろうか。「反対のための反対」を生業(なりわい)にしていたかつての社会党がたどった道に民主党も一歩踏み出したのだとしたら取り返しがつかない。時計の針を元に戻してはなるまい。

出典はこちら





 

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資料 医療費抑制政策批判(上)

2008年02月27日 | トリビア

第2587号 2004年6月7日


短期集中連載〔全5回〕

「医療費抑制の時代」を超えて
イギリスの医療・福祉改革

第1回 医療費拡大に転じたイギリスの医療改革に学べ

近藤克則(日本福祉大教授/医療サービス研究)


 日本の医療費(概算値)は,2002年度に実質(介護保険に医療費の一部が移された2000年度を除き)史上初めて減少した。しかも,OECD加盟諸国の医療費水準(GDP比)の平均よりも低い水準からさらに,である。日本の医療費水準は,先進7か国中第6位で,イギリスをわずかに上回ってきた。しかし,わが国は近く第7位に転落するであろう。なぜならば,イギリスは,医療費水準を1.5倍にするNHS(国民保健サービス)改革の最中にあるからである。最新のOECDデータによれば,すでに日本(2000年)とイギリス(2001年)はともに7.6%で並んでしまった。



なぜイギリスに学ぶのか

 アメリカの医療制度は紹介されることが多い。しかし,アメリカの医療費水準は,日本の約2倍であり,医師・看護師数も多く,民間医療保険が中心で無保険者が4000万人を超えている。日本とは,状況がまったく違う。

 一方,なぜかイギリスの医療やその改革動向がまとめて紹介されることは少ない。イギリスは,医療費水準も,医師数も,全国民に医療を保障する制度を持つ点も,わが国と状況が似ている。また,サッチャーら保守政権による競争重視の改革も経験している。この点でも,株式会社の病院経営への参入による競争強化が論議されているわが国の将来を占う上で,大いに参考になる。

 今の日本では大幅な医療費拡大を伴う医療改革など考えられない。対して,医療費拡大に転じざるを得なかったイギリスの経験は,日本が学ぶべき教訓に満ちている。ブレア政権がなぜ大胆な改革に踏み切ったのか,それはどのようなものか,そして教訓は何かなどを,本連載では考えてみたい。



保守党の「内部市場」による競争重視の改革

 イギリスの医療改革の大きな節目は2つある。サッチャーらの保守党により行われた1991年改革と,ブレアが率いるニューレイバー(新しい労働党)が政権に返り咲いた1997年以降の改革である。

 保守党は「医療費を抑制したままでも,競争を重視すれば医療の質は上がる」という信念のもとに改革を進めた。公的な医療保障制度という外部構造はそのままに,その内部に市場を形成した。それまで一体であった医療サービスの「買い手」(予算をたて費用を支払う側)と「売り手」(医療サービスを提供する側)を分離し,さらに病院間に「競争」を持ち込んだ。また,民間資金と経営手法を使って病院など社会資本を整備していくPFIも導入した。

 これらの改革で,「競争」や「民間の手法」を注入すれば,医療費をさほど拡大しなくても,効率化が進み,医療の質は高くなるはずであった。



「第3世界並み」の危機的状況

 しかし,実際にはそうはならなかった。象徴は,待機者リスト問題である。

 待機期間の長さは半端ではない。ブレア政権のもとで「新しいNHS計画(連載第4回で紹介する)」に掲げられた目標の高さ(低さ?)が,現状の深刻さを雄弁に語ってくれる。日本の病院医療は,「3時間待ちの3分診療」と批判されているが,イギリスでは救急部門の最大待機時間を4時間にすること,病院外来患者の予約の最大待機期間を3か月にすることが目標である。目標がこの水準ということは,現状はさらにひどいわけである。総選挙のマニフェストで掲げた公約である「待機者リストを10万人分減らす」という数値目標を,「超過達成した」とブレアは成果を強調した。しかし,残っている待機者リストは,まだ約100万人分もあった。その中には,がんと診断されて手術を待っていた患者が,他の緊急手術のために手術を4回も延期され,その間に手遅れになってしまった例もある。その他,インフルエンザが流行すれば,ベッド不足で廊下で3日も待たされるなど,まさに危機的状況であり,「イギリスの病棟医療は第三世界並」というのにもうなずける。



医療荒廃の原因

 かつて国民に「揺りかごから墓場まで」安心を保障する福祉国家の医療保障制度として名を馳せたNHSが疲弊した理由は,以下の4点である。

 第1は,長期化した低医療費政策のつけである。イギリスのGDP(国内総生産)に占める医療費の割合は,日本と並んで7%台と,先進7か国の中では最低。アメリカのおよそ半分,他のヨーロッパ先進諸国よりも25%前後低いのである。これが続けば,やがて供給量不足や質の低下に陥っても不思議でない。職員,例えば看護師の給与は他業種の(同等の学歴の女性)給与と比べ約3分の2という低い水準だったからである。第2の理由は,NHSの組織が巨大化・官僚化したことである。単一雇用者としては,ヨーロッパで最大の規模であり,職員数は,百万人弱。常勤換算でも,78万人に上る。第3に,繰り返される制度改革による混乱,paper workなど新たな負担の増大である。

 そして第4に,これらが相まって職員の士気の低下を招いていることである。

 NHSが危機的状況であることは,誰の目にも明らかであり,総選挙においても,医療政策は国民の最大の関心事であった。だから97年にブレアらが政権につくと,ただちにNHS改革に乗り出したのである。

 


第2回 荒廃する医療現場-「対岸の火事」なのか?

近藤克則(日本福祉大教授/医療サービス研究)

第2588号 2004年6月14日

 前号では,待機者リスト問題を例に,NHS(国民保健サービス)の危機的状況とその原因を述べた。今回は,医療従事者の量的不足,さらには彼(女)らが長時間労働のために疲弊しており,医療事故が多発していることを紹介しよう。そして,日本の現状と比べてみよう。



深刻な人員不足

 イギリスでは,医師が1万人,看護師で2万人は不足しているという。医師不足の原因は,人口当たりの医師数が他のヨーロッパ諸国に比べ少ないのに加え,仕事の多さや給与の安さなど待遇の悪さから,養成しても医師・看護師が海外に流出していることにある。年間新規登録医師数は,1995年の1万1000人から2000年の8700人へと26%も減少していた。この医師・看護師不足への対処法は,日本では考えられない方法である。それは,医師・看護師の海外からの「輸入」である。世界中から,英語の試験をパスした医師・看護師が集められている。その規模は,看護師で年間5000人を超えるという。



研修医は週56時間以上働く

 イギリス政府は,研修医の労働時間の上限を(EUの基準である週48時間を超える)56時間(日曜も休まず働いても毎日8時間)に引き上げている。しかし,問題となったのは,この引き上げではない。上限を超える長時間労働をしている研修医が年々増加しており,2001年には60%を超えていたことである。



高い自殺率

 医療従事者の自殺率の高さが指摘されている。医師の自殺率は他の専門職の2倍に上り,看護師の自殺率は,他職種の女性の実に4倍であるという。さらに看護師の3人に2人は抑うつ状態という調査結果もある。



増える退職(希望)者

 看護師を対象にした公務員労働組合(Unison)の調査によれば,87%が退職を考えたことがあり,60%の者が給与の低さを理由としている。40%が昨年1年間に提供できるケアの質が低下したと答え,3分の2が病院の職員不足が頻繁に生じていると訴えている。大学における看護教育の定員は増加し人気を集めているものの,学生たちの脱落率は17%に上っている。これらの背景には,夜勤を含む不規則な勤務パターンなど看護師の労働条件の厳しさがある。



相次ぐ医療事故・スキャンダル

 2001年1月に,3歳のナジヤちゃんが酸素の代わりに笑気ガスを投与され死亡,2月には18歳のウェイン君が薬を誤って脊髄腔に注入され死亡している。このような医療事故は年間84万件起きているという推計も出された。

 ブリストルで起きた小児心臓外科スキャンダルも大きな注目を集めた。心臓外科手術を受けた1歳未満の子どもの術後30日以内死亡率が,ブリストルの病院で異常に高く,他の12病院と比べ約2倍であり,統計学的にも「はずれ値」を示していたのである。もし,他の病院で手術を受けていたのなら,30-35人は死なずに済んだであろうという。



「対岸の火事」なのか-日本にも医療現場荒廃の兆し

 以上のようなイギリスNHSの荒廃ぶりを知った当初,「イギリスの医師・看護師たちは大変だ」と同情し,日本の方がマシだと思った。いわば「対岸の火事」である。しかし,少し冷静になって日本の実情をみてみると,すでに似たような状況があることに気づいた。



名義貸し問題の背景にある医師不足

 日本で社会問題となっているのが,「医師の名義貸し」問題である。札幌医大に端を発したが,文部省の調査によれば,全国51もの大学でみられ,1161人の医師が関与していたという。これは単に倫理の問題なのであろうか?

 実は,この背景に医師不足がある。人口あたりの医師数は,日英で同水準でOECD平均を下回る。日本の8656病院を対象とした立ち入り検査で,医師数が医療法に基づく標準に満たない医師不足の病院は,2002年度で25%もあるのである。地方により問題は深刻で,北海道・東北などでは,50%を超える病院が医師数不足である。名義だけ借りて標準数を満たそうとした医師不足の病院の思惑と,バイトなしには生活できない研修医や若い医師たちの利害が一致した事情が名義貸し問題の背景にある。

 

 

表 日英米3か国の医療資源比較
  イギリス 日本 米国
GDP比医療費水準(%) 7.3 7.6 13.1 2000
稼働医師数(人口千対) 2 1.9 2.7 2000
稼働看護師数(人口千対) 8.4 7.8 8.1 1998
平均在院日数 9.8 43.7 7.5 1996
*OECD Health Data2003. 日英米とも揃っている最新年データを示した。

研修医の長時間労働とうつ
 研修医をはじめとする長時間労働についても,イギリスに同情などしていられない。日本では,国立大学病院の研修医たちの平均労働時間は,イギリスの労働基準上限の56時間を軽く超える92時間である。文部省研究班の調査によれば,1年目の研修医のうち,研修開始後に新たにうつ状態になった者が25%もいるのである。うつになった研修医ほど受け持ち患者が多く,自由時間が少なく,やはり長時間労働がその背景にあることが示されている。そして長時間労働の末に,自殺だけでなく過労死する医師まで,わが国にはいるのである。

医療事故
 医療事故でも,日本がイギリスよりマシな状態とはとても思えない。医療事故のニュースは,連日のように新聞紙上をにぎわせている。医療事故の中には,倫理上の問題や,マニュアルの整備や手順の見直しで防げたものもある。しかし,現場にもう少し人手があり,基準労働時間が守られていれば,防げた事故もあったのではなかろうか。上述した長時間労働でうつ状態に陥っていた研修医の方が,医療事故の危険が高かったことも,そのことを示唆している。

 こうしてみると,イギリスNHSで見られた医療現場の荒廃ぶりは,決して「対岸の火事」ではない。日本でも,イギリスと同水準の医療費抑制政策がとられてきた。だから,驚くにはあたらないのである。

 
 
 
 

本連載について
本連載は,弊社刊行書籍『「医療費抑制の時代」を超えて―イギリスの医療・福祉改革』(近藤克則 著)に収載されている内容をもとに,著者が最新の情報を加えて書き下ろした短期集中連載です。


近藤克則氏
1983年千葉大卒。船橋二和病院リハビリテーション科長などを経て,1997年日本福祉大助教授。2000年8月より1年間University of Kent at Centerbury のSchool of Social Policy, Sociology and Social Research の客員研究員。2003年より現職。専門分野はリハビリテーション医学,医療経済学,政策科学,社会疫学。
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資料 医療費抑制政策批判(下)

2008年02月27日 | トリビア
第3回 第三の道とニュー・パブリック・マネジメント

近藤克則(日本福祉大教授/医療サービス研究)


 世界で初めて,すべての国民に医療を保障して半世紀,NHSはイギリス人の誇り・心(soul)であった。それが,長期に及ぶ医療費抑制の結果,「質」が低下し「医療費」の安さだけが取り柄になってしまった。

 国民の不満が高まる中,「第三の道」をスローガンにNHS改革を公約に掲げ,1997年の総選挙で勝利したのがニューレイバー(新しい労働党)のブレア政権であった。



「第三の道」

 「第三の道」とは,「公正」を「効率」よりも重視した古い労働党の「第一の道」でもなく,「効率」のために「公正」を犠牲にした保守党の「第二の道」でもない。「公正」も「効率」も共に重視する思想である。

 保守党政権の行ったことでもよい点は残し,変えるべき点は改革するという。保守党による内部市場導入のNHS改革(1990年)についても,次の3点は残すべきとした。(1)医療サービス計画部門と提供部門の分離,(2)プライマリ・ケアの重視,(3)中央政府から現場により近い部署への権限委譲である。

 一方,捨て去るべき点と改革の方向として,以下を含む7点を示した。(1)財政的理由や競争でなく臨床的ニーズや協力を重視する,(2)競争での優位を守るために共有できなかった最善の医療実践(best practice)を共有する,(3)効率偏重を廃し効果や医療の質も評価する,などである。



NHS改革に見るニュー・パブリック・マネジメント

 ブレアのNHS改革の全体像(図)をとらえるためには,ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)を知る必要がある。それは,公共サービスに民間企業の経営手法や競争を導入することで効率化を図ろうとする理論と行政改革をさしている。



 その第1の特徴は,品質管理の重視である。まず国として保証すべき医療の水準をNSF(National Service Framework)で示した。NSFでは「最良の実践(best practice)」をEBM(根拠に基づく医療)に沿って明らかにした。

 第2の特徴は,効率の重視である。NPMでは,“Value for money”や“best value”などが強調され,「投じた費用に見合う最大限の価値」を生み出すことが求められる。これを推進するひとつの機構が,国立最適医療研究所(NICE)である。これは費用対効果(=効率)の視点から,医療技術を評価する研究機構である。

 第3の特徴は,現場への権限委譲である。プライマリ・ケア・トラストや病院を運営するNHSトラストの裁量を広げた。その代わり臨床現場における統治(クリニカル・ガバナンス)の重要性を強調した。NSFやNICEの示した基準を参考にしながら,生涯研修や専門職の自己規制を通じて診療の質を確保する責任は現場にあるとした。

 第4の特徴は,評価の重視である。医療の質や成果については,3つの方法-(1)PAFと呼ばれるベンチマーク,(2)NICEやNSFで推奨されたガイドラインが遵守されているかどうか保健医療改善委員会(CHI)が監査などでモニタリング,(3)サービスの質についても,患者(顧客)の経験したサービス内容や意見を重視し,CHIがチェックするようになったのである。

 PAFとは,病院や運営主体であるトラストの業績や成果をベンチマーク(数値化された指標群)で評価する仕組みである。これにより,待機期間・患者数,平均在院日数,コスト,主要疾患別の死亡率や自宅退院率,再入院率などが,病院を運営するトラストごとに公開され,その善し悪しが一目でわかるようになってしまった。



「医療の質」と「公正」の重視

 NPMの考え方は,すでに保守党により導入されていた。では,何が新しくなったのか?

 違いは,「質」と「公正」の重視である。保守党の信奉した新自由主義では,「効率」を重視し,政府による規制や介入は「非効率」として嫌い,市場や競争に委ねることを好む。他の売り手に競り勝つために,事業者は「効率」とともに「質」の向上を追求するはずであり,悪「質」事業者は市場から撤退を迫られる。その結果,医療の「質」は高くなると信じた。しかし,現実はそうならなかった。

 これに対しブレア政権は,「効率」は引き続き重視するが,そのために「質」を犠牲にはしないとした。そして,「質」を高めるために図示したような仕組みを導入したのである。

 もうひとつ,「健康の不平等」を容認せず「公正」や「平等」を重視した。例えば,政府が設置した委員会(アチェソン委員長)により,社会階層の低い層で健康状態が依然として悪いことが報告された。そして,この「健康の不平等」をなくすため政府の行動計画を発表した。また,受けられる医療の居住地間格差に対しても,NICEを設置して,費用効果の視点から全英で提供されるべき医療技術を検討したのである。さらにPAFでも「公平なアクセス」がモニタリングされている。

 以上,「第三の道」とNPMが,ブレアのNHS改革の思想であり,そのグランドデザインである。





第4回 医療費を大幅拡大するNHSプラン

近藤克則(日本福祉大教授/医療サービス研究)


 NHSの危機的状況から脱するために,ブレア政権が着手した医療改革は,第3の道を基本理念とし,ニュー・パブリック・マネジメントの手法を用いた改革であった。効率だけでなく効果(質)や公正も重視するものである。

 しかし,その成果には懐疑的な意見が多かった。改革の第一線であるべき医療現場は,長年の医療費抑制政策と人手不足などに疲れ「どうせ今度もよくなるはずがない」というあきらめが広がっていた。



医療費を1.5倍に拡大

 2000年新春インタビュー番組(BBC)の中で,ブレア首相は突然,大幅な医療費引き上げ宣言をした。

 当初は「誰も信じなかった」と言われるのも無理はない。突然で,しかも引き上げ幅が,5年間でなんと1.5倍という大幅なものであったからである。しかし,それなりの根拠はあった。GDP比で6%台(当時)に過ぎないイギリスの医療費水準を,他のヨーロッパ諸国の平均水準(GDP比約10%)まで引き上げれば1.5倍になるというのだ。

 言い換えれば,NHSの危機的状況は低医療費がもたらしたものであること,いくら制度改革をしても新たな投資なしには効果は上がらないことが,多くの人にとって明らかだったのである。



NHSプラン

 3月には,ブラウン財務相が,毎年実質で6.1%増の資金をNHSに投入すると約束した。それを受けて,7月に発表されたのが,白書「NHSプラン-投資のための計画,改革のための計画」である。ブレアらがNHS創設(1948年)以降で最大の抜本改革プランと呼ぶものである。

 このプランで,新たに投入する医療費を,どのように使うのか,数値目標とともに示した。例えば,2004年までに,看護師2万人,医師を1万人増やす。そのために医学部の学生定員も1997年比で40%拡大する,などである。

 日本で「医療改革」と言えば,「医療費の一層の抑制」か「株式会社の参入による競争の促進」などによる「効率化」を思い浮かべる人が多い。しかし,イギリスではまったく異なる医療改革が進んでいる。医療の効率だけでなく,安全や質,公正も高めることをめざし,大幅な医療費拡大を伴う改革なのである。



ブレアのNHS改革は成功したのか

 ブレア政権が,1997年からNHS改革に取り組んで早くも7年経った。果たして一連の改革は,成果を上げているのであろうか。賛否両論の評価がある。

 政府は,NHSの業績が改善していると宣伝している。パフォーマンス評価(PAF,2003)の結果によれば,急性期病院を運営する176トラストで,最高ランクの三つ星は前年の45から63へと4割も増えている。これは,待機者リストの長さなど9項目の目標の達成度などで評価されたものである。

 NHS予算を見ると,1997年度の439億ポンド(約8.8兆円)から2002年度に567億ポンド(約11.3兆円)になり,2005年度には764億ポンド(約15.3兆円)と,1997年に比べ1.7倍となる計画である。これによりNHS職員の人件費は20%も増加した。医療費が抑制された1990年代半ばには減少していた看護師が,1997年以降で5万人増えた。建物や設備に対する投資額も,20%の削減から60%の増加に転じたという。



上がらぬ成果or評価には時期尚早?

 国際公衆衛生学会での発表のために2004年4月にイギリスを訪れたその際に,イギリスからの参加者4人に,NHS改革への評価を尋ねてみた。2人は「数字は,操作されている」などの理由で懐疑的な評価であったが,NHSの第一線で働く2人は好意的な評価をしていた。Canterburyに足を延ばして,Kent大学の社会政策学者Baldock教授にも評価を尋ねてみた。その答えは,「医療費用や養成される医学生の数など,インプットが増えたことは間違いない。しかし,インプットを増やしたからといって,直ちにアウトプットやアウトカムの改善にはつながらない。医療には技術が不可欠だからだ。医学生が一人前になり実際に患者を診るようになるには10年かかる。この間に確認されたのはそのことだ」であった。



成果があがらぬ理由

 十分な成果が見られない他の理由としては,以下が考えられる。

 第1は,医師や看護師数もEU諸国よりまだ少なく,人手不足であること。

 第2は,下がりきった医療従事者の志気が改善しないことである。同じ人数でも,医療従事者の志気が低ければパフォーマンスも低い。NHS改革で行われたことは,第三者が定めた標準や基準による評価と,他のトラストとの比較や賞罰など,もっぱら外圧による誘導であるとも言える。これらは低下した医療従事者の士気にはたしてプラスに作用するのであろうか。

 第3に,投入された新たな資金が,欠損の穴埋めに消えてしまった可能性である。例えば,安すぎた看護師の給与の引き上げや,長時間であった研修医の労働時間の短縮などに使われた医療費は,新たなサービス供給を生み出さない。

 イギリスの経験が示すのは,いったん医療現場が荒廃してしまえば,その回復には多大な医療費の拡大が必要になること,しかも医療費を大幅に拡大しても,その効果が現れるには,長い年月が必要となることである。比喩的に言えば,いったん借金がふくれ上がってしまうと,それを返済して完済し,さらにプラスに転じるのは容易でないのである。





最終回 日本の医療改革への示唆

近藤克則(日本福祉大教授/医療サービス研究)


 医療費抑制政策のために荒廃したNHSの危機的状況と,日本にも同じような荒廃の兆しが見られることを述べてきた。そして,ブレア首相のもとで進められているNHS改革の全体像や医療費を1.5倍に拡大しても,すぐには改善しない状況も紹介した。最終回では,日本が学ぶべき教訓を考えたい。



医療費抑制が過ぎれば現場は荒廃する

 日本で医療改革と言えば,「医療費の抑制」「競争強化」などによる「効率化」が課題としてあげられる。

 しかし,「医療費の抑制」を続ければ,いくら「競争を導入」してみても,やがて医療従事者の士気は低下し,医療現場が荒廃することをイギリスの経験は示している。日本の医療費水準は,その経済力に比べ高くない。長年イギリスをわずかに上回るレベルであったそれも,近いうちに先進7か国中最下位になるレベルである。

 すでに病院を中心に医師不足が明らかとなっている。都市部でも小児科医・麻酔科医・産婦人科医などの定員割れが報じられている。当直を挟んだ32時間勤務が当たり前の過密労働による疲弊は,医療事故の多発と無縁とは言い難い。このような状態から,一律に医療費を抑制して,さらに効率化を図れば,医療現場が荒廃する危険は高い。



効率化の余地

 日本の医療に,効率化の余地は大きいのか。少し分析的に考える必要がある。

 効率とは,投入される資源・費用とそれにより生み出される産出・効果の比率,費用対効果のことである。効率を上げるためには,費用を抑えるか,効果を高めるか,あるいはそれらを同時に実現することである。したがって効率化が容易なのは,費用が膨らみ非効率が目立つ場合である。日本の医療はこれに当てはまらない。費用は低く,WHOも日本の医療効率は優れていると認めている。

 効率がよい所からさらに効率を上げるには慎重さが必要である。下手に費用を抑えると,効果(質)が落ちる。逆に高額の電子カルテシステムを導入して,効率を高めようとしても,膨らんだ費用に見合うほどには効率が高まらない可能性は高い。



3つのE

 「効率」は,医療制度改革の唯一の基準ではない。医療サービス研究の分野では,医療を評価する基準として,3つのE-Effectiveness(効果),Efficiency(効率),Equity(公平・公正)を用いることがコンセンサスとなっている。そして,これら3Eを同時に満たすことはできないことも常識である。質がよい医療をすべての人に提供するにはお金がかかり,安くすれば(すべての人に医療を提供する)公平・公正か質か,どちらかが犠牲になる。つまり,これらをバランスさせることが重要である。

 サッチャーら保守党が追求していた「効率偏重」の「第二の道」に決別したブレアらの「第三の道」は,「効率」とともに「質(効果)」「公正」も追求する「3Eのバランス」を追求する道と言える。

 わが国の医療改革の課題は,今でも低くはない「効率」を一層高めることだけではない。効果や安全性を含む「医療の質」や「医療のかかりやすさ」も視野に入れた「3Eのバランス」がとれたものであるべきだ。



「第3次医療革命」と医療サービス研究

 New England Journal of Medicineの編集長であったRelmanは,「第3次医療革命」が進行中であり「医療費抑制の時代」を超えて「評価と説明責任の時代」へと,時代は向かっていると述べた。

 医療費の一律抑制の弊害に多くの人が気づきはじめている。効率化を追求するには,ニーズとサービスの間にある3つのミスマッチ-「ムダ」「ムラ」「ムリ」が,どこにあるのか見極める必要がある。個々の医療技術の効果や効率を評価して,効果のevidenceがない医療や非効率な医療だけを選択的に抑制すべきである。

 病院や医師の間に見られるパフォーマンスの格差は予想以上であることもわかってきている。医療経済学や政策科学の手法を取り入れた医療サービス研究で,それらを評価することも必要である。医療の質・効率・公正をきちんと評価して,それを国民に説明する時代に突入している。



イギリスに学ぶ日本医療の課題

 イギリスに学ぶべき点の第一は,いったん医療が荒廃すれば,その立て直しには膨大な費用と10年単位の時間が必要となることだ。将来に禍根を残すような事態を招く前に,日本も現在のような厳しい医療費抑制策を見直すべきである。

 第二に,日本の医療改革の課題は,追加投入されるお金を効率的に効果的に使う仕組みを整備することである。日本では,これが大きく遅れている。

 第三に,その仕組み作りに向け実証的な根拠を提供する医療サービス研究を推進することである。それにより,医療の効果や質,効率,公正の現状を評価し,どうすればそれらを改善できるのかを明らかにし,その結果を国民にも公表することである。そのことなしに,医療水準の維持に必要な適度な医療費拡大にも国民の理解は得られまい。

 これらが,「医療費抑制の時代」を超えて「評価と説明責任の時代」に向かう「第3次医療革命」の必要条件である。



***

 拙著「『医療費抑制の時代』を超えて-イギリスの医療・福祉改革」(医学書院刊)では,医療費は,公的な財源で拡大すべき理由も述べた。現在の医療費抑制・効率化に偏重した改革論議に疑問を感じている多くの方に手に取ってほしい。そして「適度な医療費拡大に裏打ちされた」「質が高く公正で効率的でもある医療の実現」こそが,日本医療の改革課題であると,多くの医療関係者・国民に確信していただけることを願っている。

(連載おわり) 
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資料:後期高齢者医療制度のねらい

2008年02月27日 | トリビア
 『高齢者の医療の確保に関する法律』をはじめとした「医療改革法」では、公的保険給付範囲を削減・縮小することとあわせて、都道府県が「医療費適正化計画」を策定し、5年毎に結果を検証していくことが義務化された。

  数値目標の達成が困難な都道府県に対しては、厚生労働大臣の指示で、その県だけに適用される診療報酬を導入するなど、ペナルティとなりかねない仕組みも導入された。

 「医療費適正化」とは、都道府県を国の出先機関とし、「いかに患者に保険医療を使わせないか」を競争させることであろう。

 「医療費適正化」のターゲットにされている後期高齢者(原則75歳以上)の医療保険とその運営にあたる都道府県「後期高齢者医療広域連合」の問題点を検証する。  



◇保険料の新たな負担◇

 問題点の第1は、75歳以上の後期高齢者は、給与所得者の扶養家族で今は負担ゼロの方に新たに保険料負担が発生することだ。

 政府が示している平均的厚生老齢年金受給者の場合の保険料は、月額6,200円で、年間74,400円の負担増となり、2ヵ月ごとに介護保険料と合わせて2万円以上が年金から天引きされていく(月額15,000円以上の年金受給者の、老齢年金、遺族年金、障害年金から天引き)。

 これまで扶養家族となっていたために保険料負担がゼロの人(厚生労働省の推計では約200万人)には、激変緩和措置として2年間は半額になる措置が取られることになっているが、新たな負担には変わりない。

 また、現役でサラリーマンとして働いている人が75歳になれば、その扶養家族は新たに国民健康保険に加入しなければならず、国民健康保険料が丸まる負担増となる。



◇現行制度にない厳しい資格証明書の発行◇

 第2に、保険料を「年金天引き」ではなく「現金で納める」人(政府の試算では2割と見込まれている)にとっては、保険料を滞納すれば「保険証」から「資格証明書」に切り替えられ、「保険証」を取り上げられる。

 さらに、特別な事情なしに納付期限から1年6ヶ月間保険料を滞納すれば、保険給付の一時差し止めの制裁措置もある。

 年金収入の少ない低所得者への厳しいペナルティだ。現行制度では、高齢者に対しては資格証明書発行の対象から外してきたことと比較すると、問答無用な冷厳なシステムとなっている。



◇給付を切り縮める『差別医療』の導入◇

 第3に、医療機関に支払われる診療報酬は、他の医療保険と別建ての「包括定額制」とし、「後期高齢者の心身の特性に相応しい診療報酬体系」を名目に、診療報酬を引き下げ、受けられる医療に制限を設ける方向を打ち出している。 


 厚生労働省から示されているのは、主な疾患や治療方法ごとに、通院と入院とも包括定額制(例えば、高血圧症の外来での管理は検査、注射、投薬などをすべて含めて一カ月○○○円限りと決めてしまう方法)の診療報酬を導入する方向である。

 国保中央会では昨年12月、後期高齢者を対象とした「かかりつけ医」の報酬体系を導入し、「登録された後期高齢者の人数に応じた定額払い報酬」とし、「医療機関に対するフリーアクセス(『いつでも、誰でも、どこへでも』)の中の『どこへでも』をある程度制限」することを提言した。
後期高齢者に対する医療内容の劣悪化と医療差別を招く恐れがある。



◇保険料自動引き上げの仕組み◇

 第4に、後期高齢者が増え、また医療給付費が増えれば、「保険料値上げ」か「医療給付内容の劣悪化」か、というどちらをとっても高齢者は「痛み」しか選択できない、あるいはその両方を促進する仕組みになっている。

 2年ごとに保険料の見直しが義務付けられ、各広域連合の医療給付費の総額をベースにして、その10%は保険料を財源にする仕組みとなっている。さらに後期高齢者の人数が増えるのに応じてこの負担割合も引きあがる仕組みだ。

 これらのことが受診抑制につながることにもなり、高齢者のいのちと健康に重大な影響をもたらすことが懸念される。



◇独自の保険料減免が困難に◇

 第5に、保険料は、「後期高齢者医療広域連合」の条例で決めていくことになるが、関係市町の負担金、事業収入、国及び県の支出金、後期高齢者交付金からなる運営財源はあるものの、一般財源を持たない「広域連合」では、独自の保険料減免などの措置が困難になってくる。

 これまで、地域の医療体制や被保険者の健康状態の違いが反映した自治体ごとの医療保険制度であったために、保険料水準にはおのずから違いがあったが、県内統一の保険料になれば、大都市部と山間部での医療体制の大きな相違等で、新たな医療格差が発生する恐れが強くなる。



◇当事者の声が直接届かない◇

 第6に、広域連合議員の定数は制限されており、半数以上の市町から議員を出すことができない。しかも、その議員は「各市町の長及び議会の議員」のうちから選ばれることとなっており、当事者である後期高齢者の意見を、直接的に反映できる仕組みとしては不十分なものになっている。

 住民との関係が遠くなる一方、国には「助言」の名をかりた介入や、「財政調整交付金」を使った誘導など大きな指導権限を与えている。このままでは、広域連合が、国いいなりの“保険料取立て・給付抑制”の出先機関になる恐れがある。



◇広域連合の改善を◇

 国にこれらの問題点を是正していくよう強く求めていく必要があるとともに、当面、広域連合の規約に次の3点を盛り込んで是正が必要ではないか。

 ①広域連合議会で重要な条例案の審議を行う場合、高齢者等から直接意見聴取する機会、例えば公聴会などを実施し、広域連合議員にはそこに出席することを義務付けること。

 また、被保険者の声を直接聴取する恒常的な機関として、市町の国民健康保険運営協議会に相当する「協議会」の設置について、積極的に検討すること。

 ②一定の基準を設けて、業務報告や財務報告等の各市町議会への報告を義務付けること。

 ③住民に対する情報公開の徹底を義務付けること。


 地方自治法により自治体として扱われる「広域連合」に対して、住民による請願・陳情権や条例制定の直接請求権は保障されている。今後は、住民の声と広域連合議会での審議を結びつけて、抜本的な是正を図っていくことが必要である。


 
 全国保険医団体連合会HPより

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トリビア: 歴史、そして国民の人生観

2008年02月22日 | トリビア
陵墓調査 古代史解明への新たな一歩に
2008年2月23日(土)01:51


 謎の多い日本古代史の解明の新たな一歩となり得る。

 日本考古学協会など16学会の代表が奈良市の 神功 ( じんぐう ) 皇后陵( 五社神 ( ごさし ) 古墳)を調査した。皇族の墓所である陵墓への本格的な立ち入り調査が許可されたのは初めてだ。従来、否定的だった宮内庁が方針を変え、長年の考古学者の希望が実現した。

 第14代仲哀天皇の妻の墓とされる巨大な前方後円墳で、4世紀後半から5世紀初めの築造とみられる。16人の研究者が墳丘の最下段の平らな面に入り、写真撮影などを行った。

 学会側は、大阪府下の 百舌鳥 ( もず ) 古墳群の仁徳天皇陵などさらに10か所の陵墓の立ち入り調査を要望している。陵墓の構造や、墳丘上の 埴輪 ( はにわ ) の状況などが詳細に分かれば、築造時期などもより明確になるだろう。

 歴代の天皇陵をはじめとする陵墓は、896を数える。日本の古代国家の成立過程を解明するカギを握る巨大前方後円墳のほとんどが陵墓に指定され、宮内庁の管理下にある。

 幕末から明治時代の初期に、古事記や日本書紀、延喜式などを参考に指定された。今日では、陵墓の築造時期と被葬者の年代にずれがあるとして、研究者からは多くの疑問が投げかけられている。

 古墳時代の天皇陵で、被葬者が宮内庁の見解通りとして研究者の間で認められているのは、京都市の天智天皇陵と、奈良県明日香村の天武・持統天皇陵の2か所だけだ。継体天皇陵など、所在地をめぐって、宮内庁の見解と考古学者の通説が分かれている陵墓もある。

 宮内庁は、戦前の宮内省時代から、戦後の一時期にかけて、継体天皇陵など10か所の天皇陵について、陵墓指定の見直しを検討したが、結局、変更は見送った。宮内庁は、100%確実な資料が見つからない限り、陵墓指定の変更はできないとしている。

 宮内庁がこれまで陵墓の「静安と尊厳の保持」を理由に、考古学者の陵墓への立ち入りを厳しく制限してきたのは、陵墓の被葬者について、宮内庁と異なる見解が続出するような事態を警戒したため、という見方もある。

 だが、学術目的で考古学者が陵墓に立ち入ることが、「静安と尊厳」を乱すことにはならないだろう。これまでの対応は、神経質過ぎたのではないか。

 宮内庁は、もっと考古学者らによる陵墓の研究に、積極的に便宜をはかってもよいのではないか。科学的研究によって古代史への新たな知見が加えられれば、日本国の成り立ちに対する国民の理解と関心も深まるだろう。


gooニュースより

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天皇の家系は戦前には、神話時代までさかのぼり、それが「史実」として教えられていました。そして国民はそれを信じ込まされていて、天皇家は人間以上の存在であるとされたのでした。人間は人間以上の支配者には黙って服従しなければならない、というわけで、日本人には十分に、自分らしい生き方をすることが認められていませんでした。

戦後はアメリカ流の民主主義が入り込んできましたが、日本人はそれを表面的にしか受けいれず、つまり形式だけ民主主義に格好を見せてはいても、実際にものごとを裁量する際には、戦前流の、権威にモノを言わせる、逆に言えば有無を言わせないやり方を根強く続けてきたのです。その際に、権威の正当性が議論されることはまずありませんでした。

日本流の「権威の正当性」は年齢による序列、ジェンダーの序列、身分、役割の序列というようになっています。そしてこれらの序列意識を守っていれば人間関係も社会関係もうまくいくのだと、教育勅語で教えられたのでした。「勅語」というのは天皇による教え、天皇のご託宣という意味です。天皇はふつうの人間ではなかったので、そのご託宣、その教えは絶対に守らなければならないものでした。権威にモノを言わせるやり方の究極の源にはやはり天皇があったのです。

戦後、歴史は実証的に調べられるようになり、科学的な研究方法が導入されるようになりました。そのためには天皇のお墓である墳墓に立ち入って調査する必要があります。ところが戦後になっても、宮内庁という天皇家、天皇制度の世話役、番人たちは天皇家を神聖に思う態度を続けます。事実がつまびらかになると、天皇家の神聖さが色あせてしまうと考えるのです。子どものように幼稚な考え方ですね。

でも、わたしたち国民の中にも、天皇家を神聖なものにしていたい人はいっぱいいます。権威や序列がモノを言う体制だと自分たちが生きてゆくのに、自分らしさを抑えこまれてしまいます。それなのになぜあえて権威の強要や序列の枠を重要視しようとするのでしょうか。それは自分でモノを考えたり、自分で自分の人生をプロデュースしていくことのできない人がいるからです。人の言われるままに動いていれば、役割や仕事は自動的に与えられるし、決まりきったコースを生きていれば大きな失敗もせずに暮らしていける、だから権威によって定められた生き方のほうがいい、努力しなくても年を取れば自動的に偉くなれる序列制度があるほうがラクでいい、とそういう人たちは考えるのです。

そういう人たちは人生というただ一度きりの機会を冒険しようという人たちのことを、「人間ができていない」といいます。子どもじみているといいます。社会の決まりきった体制を乱すのはまちがっている、というのです。いいえ、他人の生き方を束縛してしまおうとすることの方がまちがっています。みんながみんな、ちょうど動物が本能に従って何世代もまったく同じ生き方をするように、お定まりのコースを自動的に生きていくことで満足するわけではないのです。人には人の願望があります。自分の人生は自分でプロデュースしたい人が、決まりきった人生行路を歩まされると、とても不幸になります。人生は一度きりしかないのだから、失敗を怖いと思わない人たちは自分の生きたいように生きるのがいちばんいいのです。

天皇家を神聖にして、権威と序列を大切にする生きかたもあってよいでしょう。それは一つの宗教のように存在していていい。そうやって生きるほうが幸せな人たちもいるのだから。でもそれをすべての人に押しつけてはならない。史実を覆い隠してうやむやにし、天皇家を神聖にしておこうとするのはまちがっている。事実がはっきりしても、それでも天皇制を大切にしたい人たちはそうできるでしょう。




事実がはっきりしない方が日本を愛しやすい、という人は、ほんとうは日本を愛してはいません。日本のほんとうの姿を愛せないから、空想上の理想的な日本の姿を作りあげるのでしょう。そんなのはほんとうの愛国心ではありません。日本の歴史を洗いざらい明らかにした上で、過去の過ちから教訓を得、それを現在と未来に生かしてゆく、そうやって日本を人間が豊かに生きることのできる国にしてゆくことで、日本はほんとうに誇ることのできる国になるのです。歴史はある部分を隠したり、ある出来事を否定したりしてはならない。歴史を知ることは、その国民の生き方に関わってくるのです。事実はつまびらかにするべきです。宮内庁は学術研究に口をさしはさむべきではありません。
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