Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

人生を充足させる「心がまえ」

2005年11月27日 | 一般
人生を充足させるものは、持って生まれた資質でもなく、生来のハンディ・キャップでもなく、生れ落ちた環境でもなく、まして誰か動機の悪い人間でもありません。自分自身の決定にかかっています。自分自身の思考にかかっています。持って生まれた悪い星を井戸端で批判するか、上昇を望んで必要なステップを見極めて、身につけてゆくか、自分の決定、判断にかかっています。

エホバの証人の子として生れ落ちた運命を呪うか、リスクを冒しても脱出するか、人生の輝きはこのポイントでの自己決定にかかっています。世の中の流れに身を任せて生きてゆくか、自分の権利を行使するべく行動を起こすか、自分の決定にかかっています。人の意見のうち、最も楽そうなものに乗っかって生きていくか、自分の頭で考える労を惜しまないか、自分の決定にかかっています。人間として生れ落ちたなら、自分の足で立って歩いてゆくのは、自分の責任なのです。だれも自分の人生を肩代わりできないし、だれかの目的のための捨て駒にもさせない、自分の人生を自分で運営して行く、それは自分の責任なのです。誰かを欺いて生きてゆくのも自分の決定ですが、必ず報いを受けます。その報いは自分自身の問題なのです。

「心は自分自身の苦しみを知っており、その喜びによそ者は関わりを持たない(Pr.14:10)」わたしはこの聖句を、自分の目標達成のための労苦は自分で受け入れ、だれかに肩代わりさせることもしない代わりに、達成に至った充足感は、自分だけの栄光として喜んで受け入れることができる、というふうに受けとめていました。エホバの証人を辞めてからの人生はまさにこのことの試験の連続でした。メチャメチャ泣きましたし、傷つきましたし、思っていたような華々しい栄誉も得られていません。独身で子どもを産んでいませんので、今流に言うと「負け組」ですし、会社でも、性格がきついと言われ、お局とは対立しましたし、ケンカもしました。それでもエホバの証人でいた頃よりははるかに自己表現できるようになりましたし、眉間にしわを寄せることもありません。あした会衆へ行くのが辛い…なんてことももうありません。わたしはこれで正解だったんだと、思っています。信じていないのに、間違っていると分かっているのにだらだらとエホバの証人をやっていたら、誰かの悪口とか不平不満をたらたら言うだけで、人生を費やしてしまっていたことでしょう。

自分に正直に生きるためには、自分の責任で決定することがどうしても必要なのだと思います。今回は、とても勇気づけられる自己啓発モノの本を紹介します。

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人生を「試合」にたとえると、その試合にどうかかわるか、ということについて、3つのパターンがある。

まず、傍観者タイプ。
大多数の人がこれだ。自分の人生に何が起こるか、まるで見物人のように眺めている。彼らは、拒否されたり、バカにされたり、傷ついたり、負けたりするのを怖れて、「試合場」のセンターコートに出ようとしない。波風を立てることも、関わり合いになることも好まない。自分でしなければならないあらゆる決定の局面に際して、まるでスポーツ競技をTV観戦でもするかのように、眺めている。「誰かが何とかしてくれないかなあ」というのがその心意気である。

傍観者タイプの人のほとんどは勝つことを怖れている。彼らが最も怖がっているのは、敗れることではない。「勝つ可能性」を怖れているのだ。自分の目標を達成してゆくことを、ここでは「勝つこと」にたとえるが、勝つことには責任がついてまわり、あとに続く人々の模範にならなければならない、という重荷を背負うことになる。そしてこのことが「傍観者タイプ」の人々にとっては、たいへんな苦痛なのだ。だから彼らは世の中のことについても、自分に関わる決定についても、他人についてまわるようにする。誰かが道を整備してくれるのを待ってから、歩き出すのだ。

次に、敗者タイプとなる、もうひとつのパターンがある。敗者とは、世界中に何百万といる飢えと貧困に苦しむ人々のことを言うのではない。ここで言う「敗者」とはまさにこの国(U.S.A.)の豊かな社会にいる人々のことだ。彼らには勝利などない。なぜなら、彼らは「…のような」人間であることを望んでいるからだ。…のように見えること、…のような服を着ること、…のような楽しみを得ること、…のように稼ぐこと、…のような家に住むこと、…のように行動すること、…のように生きること…。「敗者」を見分けるのは簡単だ。彼らはすぐに人を羨むし、何かにつけ批判する。それでいながら自分自身をさげすんでいるのだ。そして同じような境遇、同じような精神性の人間を「仲間」として歓迎する。決して新しい出会いを求めてゆかないし、人から学んで自分を向上させようともしない。

3番目のパターンが「勝者」たちだ。彼らはごく自然に自分の望む人生を手に入れる人たちだ。彼らは、職場で、家庭で、地域社会で、国中で、一丸となって切り拓いてゆく。自分ばかりではなく、多くの人々の利益になる目標を定め、そこに到達しようと努力する。

「勝利」ということばはあまりにも実利主義的に聞こえるかもしれない。あるいは、学業における「優」の数とか、運、優劣を競うこと、スポーツ選手の輝かしい業績などを想像するかもしれない。しかし、その認識は間違っている。真の「勝利」とは、ただ自分が本来持って生まれた能力を自分なりにとことん追求することを意味するのだ。

「勝利」とは、持って生まれた才能や潜在的能力を活かし、延ばすこと。そしてそれを目標や目的に向けてフルに結集してゆくこと。「勝利」とはしあわせを創り出してゆくことだとも言える。
「勝利」とは自分自身を、高い自己評価の持てる人間に完成させてゆくという夢を、人生の時間の許す限り実現してゆくことだ。
「勝利」とは、愛情、協力関係、社会的関心を持ち、環境づくりに責任を持ち、そしてそこから何かを得ることだ。
「勝利」とは、これまで5番だった成績をへとへとになるまで努力して、4番に引き上げることだ。
「勝利」とは、他人のしあわせのために、自分自身を惜しみなく分け与えることだ。
「勝利」とは、動物を人間と同じように扱い、他人を兄弟姉妹と同じように接することだ。
「勝利」とは、自分が自分自身であることを喜べることだ。
「勝利」とは、長いあいだに形成されてきた習慣なのだ。これは「敗北」、「傍観」についても同じことが言える。
「勝利」とは、無条件の愛情であり、一つの考え方であり、ひとつの生きかたである。
「勝利」とは、心がまえがすべてである。

才能はどこにでも転がっている。買うこともできるし、かき集めることもできる。世の中にはアルコール依存症の才能のあふれる者でいっぱいだ。教養を得ることは、簡単だとはいえない。学士号、修士号、博士号も、やれば手に入れることはできる。資格取得証明書で部屋中を飾り立てることだって可能だ。だが世の中には、高度な教育を受け、高い教養を身につけながら、他人と協調することができないために、つまはじきされている人がたくさんいる。

勝利に至るかどうかを決定づけるのは、心がまえである。持って生まれた能力ではない。カネを積めば買えるものではもちろんない。すべての人間が平等であるわけではない。呪われて生まれてきたものもいれば、祝福されて生まれてきた者もいる。平等は創造者の造られた道ではない。しかし誰でも自ら選んで、不平等の低いほうに安住する自己決定権は、平等に持っている。

環境が恵まれてさえいれば、「勝利」への指向心が培われ育つというものではない。わたしたちは逆境の中から生まれた「勝利者」に何度となくお目にかかっているはずだ。先天的ハンディ・キャップを押しのけ、スラムから這い出して、自己実現を果たした者は数知れない。そこは自分自身と、他者からの双方からの尊敬に満ちた新しい世界だ。どこが問題なのか? 答えは心がまえである。あなたの心がまえが、願望達成へとつながるドアを開くキーともなり、閉ざしてしまうロックともなる。

(「成功の心理学」/ D.ウェイトリー・著)

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エホバの証人には「勝利者」タイプのひとは全くといっていいほどいませんでした。一人もいない、と言っても言い過ぎではありません。エホバの証人は長老や組織に伺ってでなければ、決断しませんでしたし、行動しませんでした。他の成員がどう言うかを、いつもビクビクしていなければなりませんでしたし、開拓者が数名も一気に減ったときの巡回訪問などでは、長老達はしょんぼりしていました。そのことを言い立てられるからです。あきらかに間違っている、と分かっていても、自分達で声を上げようともしません。「エホバが正すのを待つ」といって、「傍観」するのです。会衆の成員がいじめられていようとも、辱められていようとも。

協会の言うとおりの人間であること、組織に「用いられやすい」人材であることに腐心していました。ウェイトリーのことばを借りて言えば、「…のように見えること、…のような服を着ること、…のような楽しみを得ること、…のように稼ぐこと、…のような家に住むこと、…のように行動すること、…のように生きること」でした。つまり「敗者」の生きかたをしていたのです。自分と言うものはかなりの程度「押し殺す」必要があったのです。

こんな宗教にどうしてはまるのでしょうか。それは以前から「傍観者」タイプとして生きてきたからではないでしょうか。何でも他人任せで、楽をしていい目をしたい、みたいな考えで生きてきたからかもしれません。性的虐待なんかを受けていたら、自分に自信がもてないので、何か自信を得ようとして神の威光に頼ったのかもしれませんし、自分からリスクを避けて生きてきたので、何にも充実感がないし、人間との絆ができない、だから宗教活動で、絆を得ようとしたのかもしれませんが、自分であることを取り締まられる体質の社会では、しょせん孤独を深めるだけでした。

人間と強い絆で結ばれていたい、なら、自分で目標をきめて、そのために奮闘努力するべきです。自分の責任で生きるべきです。自分で考え、自分で決定し、自分で選択する。自分であることを誇りに思えなくては人生を充足させることなんてできない、「勝利」とは…の項目を読んでいると、そういう感想を持ちました。

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小泉首相の「資格」

2005年11月19日 | 一般
今回はちょっと時事ネタを扱って見たいと思います。

今日のTVニュースによると、韓国大統領との会談を前に、小泉首相は靖国参拝を、あくまで国民の一人として参拝している、と言っています。韓国としては小泉首相の靖国参拝を問題にしたい意向は強いようです。

小泉首相の靖国参拝については多くの訴訟が起こされていますが、今年の9月30日に大阪高裁で下された審判では、憲法違反と判断されました。この判決はとても緻密な調査が行われていて、画期的と評価されています。

小泉首相は首相就任以来、4度参拝していますが、そのすべてに対して大阪高裁は国民の一人としてではなく、内閣総理大臣の職務としてなされている、と判断しました。
「その調査は、参拝公約の履行であること、参拝時の首相談話や首相の所感、参拝前後の首相の言動や国会答弁、参拝時の衣服、献花の際の肩書き、参拝時の公用車の使用、首相秘書官の随行、参拝時の肩書き付きの記名、拝礼方式、玉串料の公費私費の区別、、その時々の靖国状況、国内海外の反響、国立追悼施設をめぐる状況などを、あらゆる角度から詳細に、時間を追って事実を積み重ねていった (「被害者への想像力こそが問われている」/ 田中伸尚/ 「世界」2005年12月号より)」うえでの判断でした。

とくに、「2回目の参拝時に、小泉首相が靖国神社に到着したあと、TV取材陣の到着を約1時間も待ってから参拝した事実まで目を行き届かせていて、『私的な参拝であるなら、このようなことが必要だとは考えられない』と認定したのも説得力がある(同記事)」。ところが小泉首相は10月17日に再び参拝しました。

憲法と言うのは国の最高法規です。何のために憲法を制定するかというと、「権力の濫用を抑えて、それをより多くの国民の利益に役立つようにするため(「憲法読本」/ 杉原泰雄・著)」なのです。憲法によって国家国民を治めるのに、憲法によって権力に枷(かせ)をはめようとするのを立憲主義といいます。

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立憲主義の原則は、アメリカの独立革命(1776年)や、フランス革命(1789年)のような近代市民革命のなかで生み出されてきた政治の原則です。それは、政治と社会の根本的なあり方を国の最高法規である憲法に定めておき、その憲法にしたがって政治を行うという原則、つまり憲法に反する権力の組織や行使を法的に無効なものとして排除しようとする政治のあり方を意味します。その要点は、憲法がはっきりと認めていることがらについて、憲法がはっきりと認めている方法でしか、権力者は政治を行うことができないということです。

(「憲法読本」/ 杉原泰雄・著)

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違憲判断が下されてもなおその行為をやめない首相は、歴代の首相のなかでも小泉首相だけなんだそうです。首相が憲法を尊重しない国っていったいどういう国でしょうか。エホバの証人の指導部はエホバの証人の憲法たる聖書の精神をまったく尊重しません。だからキリスト教としてはキワモノ、異端とみなされます。日本はどうでしょう、国民の多くは声を上げないのです。

わたしは靖国神社のことはまったく関心ありません。宗教のことですし、戦地で親族を失った方々が是非御霊を靖国神社で祀ってほしいというならそうしてあげればいいと思います。文句を言いたいのは憲法を尊重しない首相の態度、裁判所による違憲判決の結果を無視するその態度です。これでは日本は立憲主義の国家ではなくなるのです。憲法を尊重しない人間が国政を担う、しかも国政の最高責任の立場に立つ、そんな「資格」があるのでしょうか。

エホバの証人のなかの、良心的にキリスト教を追い求める人たちは、エゴイスティックな「牧者」たちの理不尽なイジメや抑圧行為に心痛めています。およそ知性というものの欠落した、暴力的な躾で子どもたちの心に深い深い傷を与えてきました。立憲主義というのは政治権力者によるこういう行為をなくそうという決意から、歴史の教訓を踏まえて編み出されたものです。自民党は憲法そのものを「改正」しようとしています。読売新聞も自民党の側に立った改正憲法の試案を掲載しました(読売新聞2004年5月3日付け)。その内容は、国民主権、基本的人権、平和主義という日本国憲法の3本柱を崩す内容になっています。とくに基本的人権の抑制は良心的な人々や戦争を経験した世代の人々によって「復古」と評されているのです。小泉首相の憲法無視の態度は、改正のための「前例作り」なのでしょうか。

こういう風潮は小泉首相の任期のあいだだけの現象なのでしょうか。わたしはそうじゃないと思います。アメリカの世界戦略の再編が関わっているという意見にうなずくからです。もともと、憲法改正は朝鮮戦争前後の時期にマッカーサー自ら吉田内閣に迫ったのです。それはソ連が原爆を保有するようになり、中国が誕生して共産主義との冷戦の緊張が高まったために、アメリカの日本占領政策が変更されたときに由来します。それまでは、非軍事化、民主化路線であったのが、冷戦の高まりという事態に対応して、共産主義の侵略の防波堤としての役割を負わせるべく、アメリカの同盟国として育成するという方針に変わりました。この時には憲法の9条が焦点だったのです。もちろんいまでも9条は焦点です。憲法改正論議の目玉は9条改正です。

しかしそれ以外にも、社会不安がかつてなかったほど異常に高まって、手っ取り早く不安をなくしたいという心理もあるのでしょう、基本的人権の見直しまで手を入れようとしているのです。異常犯罪などの不安は権利の濫用が原因であるからというのです。これは大きな間違いです。むしろ人権というものをよく理解せず、尊重しなかったから子どもたちの心は傷つき、未熟なまま成長するようになったのです。憲法論議そのものを「神学論争」として退けて、自衛隊をイラク派兵した小泉首相のように、もっとも規範とすべき基準について考えるのをやめ、力で人間の精神を抑え込もうとしてきたからなのです。個性を踏みにじり、周囲の期待のために生きさせようとしてきたからなのです、エホバの証人がその子どもたちに対してしたように。

最高法規について考えることをやめてはならない。小泉首相の憲法無視、解釈論議さえ退ける思考停止の独断をわたしたちは黙って見ていてはいけない。こういう人間に国政を委ねているという自分たちの判断について、わたしたち自身が反省しなければならないと、わたしは思うのです。
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法と道徳

2005年11月11日 | 一般
法と道徳はまた別の判断だと言えます。わたしはこの二つを混同してはならないと思います。法的判断は道徳的に善であるとか悪であるとか、という問題とは違うということについて、今日思ったことを書いてみます。

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わが国では、法と道徳との分離が徹底せず、法の基準と道徳の基準を混同しがちである。このため道徳によって法を理解する傾向、反対に法によって道徳を理解する傾向がみられる。わたしはこれを、法の道徳化ないし道徳の法化現象と呼んでいる。法的に悪いことは道徳的にも悪いこと、あるいは、法的に許されることは道徳的にも許される、という考え方を持つ人がいる。

たとえば、道徳的に非難に値する行為をしていながら、それを追求されると開き直って、「私の行為のどこが法に触れるのか」と反論する人がいる。ここには、法にふれさえしなければ何をしても許されるという、間違った法治主義の考え方がある。わたしたちは法のみによって生きているわけではない。むしろ法よりは道徳その他の社会規範のほうが日常生活の中では、もっと大切であろう。そして徳を重んじる人が信頼され、尊敬される。

ふつうの市民の間でもそうである。ましていわんや、人の上に立つ人や、社会に影響を与える地位にある人には、法以上に徳が求められているのである。残念ながら日本の財界人、政治家、官僚たちは、法に反してさえいなければ、社会や多くの市民にいくら迷惑をかけても平気で、合法だと言い逃れをする傾向がある。

違法が明るみに出て、たまたま逮捕され、有罪になる人もいる。しかし法律問題は証拠がものを言うから、検察官が立証できなければ法律上は無罪になる。法律上有罪か無罪かを論じる以前に、証明できない裏取引や闇のわいろは無数にある。法律の網は完璧なものではないから、日本の政治家はその網の目をくぐって、道義的に許されない行為を無数に繰り返してきた。この結果、政治倫理はいまや地に落ちている。

(「法とは何か」/ 渡辺洋三・著)

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エホバの証人というと「輸血拒否」で知られています。聖書に書かれていることばに忠実に従おうとするからです。聖書には次のように書かれています。

「というのは,聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば,あなた方は栄えるでしょう。健やかにお過ごしください(使徒たちの活動 15:28‐29)」。

エホバの証人は医療側から強制的に輸血されたとき、裁判を起こします。さもないと、会衆の中で処罰されるからです。一般の人々は、上記の聖書のことばが輸血治療に適用されうるのか、とお思いでしょう。その通りです。これは解釈の問題です。その解釈は理にかなっているかどうか、が問題なのです。

しかし、ひとたび宗教団体の教理として立てられてしまえば、もう法律は介入できません。「教会自律権」といって、教団の組織、運営についての自由は、日本の憲法第20条、21条によって保障されているからです。20条は、信教の自由を保障したもので、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け(てはならない)、又政治上の権力を行使してはならない」、第21条は、「集会、結社、及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」。特に第20条は政教分離の原則を土台として据えています。宗教は完全に個人的な問題である、だから国家は宗教については全く第三者でしかない、ということです。

また、最近になって、「自己決定権」という新しい概念も主張されるようになりました。「人格的自律権」ともいうそうです。ある個人的な事柄について、個人は公権力から干渉されることなく、自分で決定できる権利ということです。憲法の裏づけは、第13条です。それは「幸福追求権」と言われ、「全ての国民は個人として尊重される。生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と書かれています。生きることをあえて断念することが「幸福の追求」なのか、とわたしは個人的に思うのですが、有名な武田みさえさんの訴訟では、東京高等裁判所はこれは公共の福祉に反しない、と見なしました。

東京地裁では、
「絶対に輸血しないという治療契約を結んだとしてもそれは無効であると述べました。たとえ危機的状況に至っても輸血をしないという特約を医師がすることは公序良俗に反する,という理由からです。医師の主要な義務は自分の最善を尽くして患者の命を救うことであるから,そのような契約は,患者の宗教上の信念がどうあれ,初めから無効である,というのが裁判官の意見でした。治療に関して患者が事前にどんな要請をしようと,結局のところ,専門家としての医師の意見のほうが優先される,という裁定が下され」たからです。
(「選択権を擁護する判決」/ものみの塔 98年 12月15日号)

朝日新聞の指摘するところによると,高等裁判所はこの場合,命の危険な状況になっても血を用いないことで当事者双方が合意して契約が成立していたということを示す証拠は十分ではないとしながらも,裁判官たちはそのような契約の適法性に関して一審の裁判所とは意見を異にしました。「当裁判所は,当事者双方が熟慮した上で絶対的無輸血の合意が成立している場合には,これを公序良俗に反して無効とする必要はないと考える」と述べています。さらに同紙は,「人はいずれは死すべきものであり,死に至るまでの生きざまは自ら決定できる」という,裁判官たちの見解を紹介しました。
(「選択権を擁護する判決」/ものみの塔 98年 12月15日号)

自己決定権のいう「一定の個人的な事がら」は、個人の尊厳や本人にとっての善き人生である、と解釈するならば、「自分の生命や身体の処分についての事がら」という意味を含む、という判断です。武田みさえさんの件では、「各個人が有する自己の人生のあり方、つまりライフスタイルは自らが決定できるという自己決定権に由来するもので、いわゆる『尊厳死』を選択する自由も認められるべきだ」という判断でした。最高裁判所でも、2000年2月29日に、「患者が,輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして,輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合,このような意思決定をする権利は,人格権の一内容として尊重されなければならない(目ざめよ 2000年9月22日号 世界展望)」としました。

信教の自由とはこれほどまでに優先されます。それは信教の自由が「世界人権宣言」でも保障されている人権で、それは普遍的権利であると現代では見なされているのです。「人権中の人権」とさえ言われる権利なのです。これは個人の権利として行使されるから、ここまで尊重されます。これが現在の法の方針です。わたしは生きるということを放棄することが自由だとは思いません。もちろん、意に沿わない生きかたを強要されることにも嫌悪を覚えます。しかしこれは倫理観です。法は基本的人権の定義に沿って判断します。

次元が異なっているのです。法は個人のある判断の善悪是非を教えようとするものではありません。「人権」の定義に適合するかどうかを判断するのです。エホバの証人は輸血を拒否する法的権利を勝ち取りました。聖書の文言を独自に解釈する自由も持っています。しかし、そういう聖書の解釈が道義的かどうかは法律の問題ではありません。もし、エホバの証人自身が、その解釈に確たる自信を持っていないなら、法的には責められるいわれはなかったとしても、良心的に、道義的にも責められるいわれはない、と言えるでしょうか。慎重な調査を経ずして決められた解釈のためにおおぜいの人々が死にました。ひと言、かつての解釈は現在の知識に照らし合わせると誤っていたと言わざるを得ない、と言えば、こんな問題は起こらずにすむのです。

ひとつ、気になることがあります。上記に引用した、

2000年2月29日に、「患者が,輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして,輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合,このような意思決定をする権利は,人格権の一内容として尊重されなければならない(目ざめよ 2000年9月22日号 世界展望)」

…という文章と、集英社による「Imidas2005」の文章が微妙に違っています。後者では、200年2月29日、最高裁第三小法廷判決は、「最高裁はその概念(つまり自己決定権)を用いることなく事件を処理している」となっています。この違いって重大なのでしょうか? 時間を見てまた調べてみようと思います。





最後に、武田みさえさんの裁判についての、ものみの塔協会の出版物の記事を掲載しておきます。関心のある方はご覧になってみてください。そしてご自分なりにお考えになってみていただけたら幸いです。


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選択権を擁護する判決
全宇宙で最も傑出した方ご自身が,インフォームド・チョイス(十分に情報を与えられた上での選択)の考えを支持しておられます。それは人間を創造した方です。人間の必要とするものについて無限の知識を有しておられ,取るべき賢明な進路に関して寛大に教えや警告や導きをお与えになります。それでも,ご自分が理知ある被造物に賦与した自由意志を無視されません。預言者モーセは神の見地に立ってこう述べました。「わたしは今日,天と地をあなた方に対する証人として立て,あなたの前に命と死,祝福と呪いを置いた。あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も共に生きつづけるようにしなければならない」―申命記 30:19。
この原則は医療の分野にも影響します。インフォームド・チョイスもしくはインフォームド・コンセント(十分に情報を与えられた上での同意)という概念は,今までそれがあまり広まっていなかった日本その他の国々でも次第に受け入れられるようになってきました。中村道太郎博士は,インフォームド・コンセントについてこのように解説しています。「これは,医師が患者に病状や予後,更には治療法とその副作用などを患者にわかり易い言葉で説明し,予後や治療法についての自己決定権を認めようという考え方である」―「日本医事新報」。
これまで長年,日本の医師たちは一般に,さまざまな理由から,患者を扱うそのような方法に消極的でしたし,裁判所も医学界の慣習を重んじる傾向にありました。ですから,1998年2月9日,東京高等裁判所の稲葉威雄裁判長によって,インフォームド・チョイスを擁護する判決が言い渡されたのは,画期的なことでした。その判決はどのような内容でしたか。どんな論争点のゆえに事は法廷に提出されたのでしょうか。
1992年7月,エホバの証人である63歳の武田みさえは,東京大学医科学研究所付属病院に行きました。肝臓に悪性腫瘍があるとすでに診断されており,手術の必要があったのです。血の誤用を禁ずる聖書の命令に是非とも従いたいと思っていたみさえは,ただ血を使用しない治療を受けたいという願いを医師団にはっきり伝えました。(創世記 9:3,4。使徒 15:29)医師団はこの決定により,どんな結果になろうとも医師たちと病院側に責任を問わないと明記された,みさえの免責証書を受け入れました。そして,みさえの願いどおりにすることを請け合いました。
ところが,手術の後,まだ鎮静状態にあった時に,みさえは輸血を施されました。それは,はっきり表明した意向に反することでした。この無断輸血については秘密にされていましたが,暴かれてしまいました。病院の一職員がそのことを取材記者に漏らしたようです。当然理解できるとおり,この誠実なクリスチャン婦人は,無断で輸血が施されたことを知って愕然としました。医療スタッフを信頼し,医師たちが約束を守って自分の宗教上の信念を尊重してくれるものと信じていたのです。みさえは,医師と患者の関係を甚だしく侵害するこの行為によって被った精神的苦痛のゆえに,また他の人々が同じような医療処置を受けずにすむように判例を確立したいと考えて,この事件を法廷に提出しました。


公序良俗
東京地方裁判所の3人の裁判官は,本件を審理して,医師側に有利な,したがってインフォームド・コンセントの権利には否定的な裁定を下しました。1997年3月12日に言い渡されたその判決の中で裁判官は,絶対に輸血しないという治療契約を結んだとしてもそれは無効であると述べました。たとえ危機的状況に至っても輸血をしないという特約を医師がすることは公序良俗に反する,という理由からです。医師の主要な義務は自分の最善を尽くして患者の命を救うことであるから,そのような契約は,患者の宗教上の信念がどうあれ,初めから無効である,というのが裁判官の意見でした。治療に関して患者が事前にどんな要請をしようと,結局のところ,専門家としての医師の意見のほうが優先される,という裁定が下されました。
さらに,この裁判官たちによれば,医師は,提案する手術の基本的な手順,作用,危険などを説明することが期待されるとしても,上と同じ理由で,「いかなる事態になっても患者に輸血をしないかどうかの点は」説明する義務を負わないということです。判決はこうでした。「被告医師らが手術中いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの原告の意思を認識した上で,原告の意思に従うかのように振る舞って,原告に本件手術を受けさせたことが違法であるとは解せられないし,相当でないともいうことはできない」。この考え方は,もし医師たちが輸血をすることもあり得ることを説明していたならば,患者は手術を拒否して病院を去っていたかもしれないから,というものでした。
裁判所のこの判断は,インフォームド・コンセントを擁護する人たちを驚かせ,当惑させました。民法の指導的権威者である山田卓生教授は,武田訴訟の判決とそれが日本におけるインフォームド・コンセントに及ぼす影響について論じ,こう書きました。「もし,本判決の考え方が通用するとすれば,輸血拒否,そしてインフォームド・コンセントの法理は風前の灯になってしまう」。(法律関係の雑誌,「法学教室」)そして強い言葉で,強制輸血を「だましうちにも近い重大な信頼違反」として非難しました。山田教授はさらに,信頼を破壊するそのような行為は「とうてい許されない」とも述べています。
みさえは控え目な性質であったため,人目を引く立場に立つことに難しさを感じました。しかし,エホバのみ名と,血の神聖さに関する義の規準を擁護することにあずかれると考え,自分の分を果たそうと決意しました。みさえは自分の弁護士にあててこう書きました。「チリに等しい,それにも満たない私のような至らない者をなぜ用いられるのかと思いますが,石にでも叫ばすことのおできになられる方ですから,エホバ神の言われるとおりに行動するよう努力する時,力を与えて下さるでしょう」。(マタイ 10:18。ルカ 19:40)審理で証言台に立ったみさえは,裏切られたために経験した精神的な苦痛について,震える声で説明しました。「輸血されたことは強姦されたことと同じです」。その日,法廷にいた多くの人は,みさえの証言に涙を禁じ得ませんでした。


思いがけない励まし
地方裁判所の判決を受けて,本件は直ちに高等裁判所に控訴されました。1997年7月にその控訴審での口頭弁論が始まり,その時には青白い顔色ながらも決然とした表情のみさえが,車椅子に座ってそこにいました。ガンが再発しており,衰弱してきていました。しかし大いに励まされたのは,そのとき裁判長が,異例のことながら,同法廷が採用する指針をはっきり表明したことです。一審の裁判所は,医師が患者の意向に同意するかのように行動しながらひそかに別の行動を取ることに決めて患者の意向を無視するとしても,医師にはそうする権利があると裁定しましたが,高等裁判所はその判断に同意していない,という点を裁判長は明らかにしたのです。当法廷は,医療に関して「患者を無知のままにして頼らせよ」という意味の,「知らしむべからず。依らしむべし」という温情主義<パターナリズム>の倫理観を支持しない,と裁判長は述べました。後にみさえは,「この間の地裁の判決とはまったく違った公正な裁判官の話を聞くことができ,本当にうれしい」と述べました。そして,「このことをずっとエホバに祈っていたので」と付け加えました。
その翌月,みさえは,愛する家族や,自分の誠実な信念を理解し尊重してくれた別の病院の医療スタッフに看取られ,亡くなりました。息子の雅美と家族の他の成員は,みさえの死を深く悲しみましたが,訴訟がみさえの意向どおりに完結するよう見届ける決心をしました。


判決
ついに1998年2月9日,高等裁判所の3人の裁判官は,一審の裁判所の判決を覆す判決を下しました。その小さな法廷の中は,この裁判の行方を誠実に見守っていた取材記者や各学界の人々でいっぱいでした。主要な新聞やテレビ局はこの判決について報道しました。英字新聞の見出しには,「裁判所: 患者は治療を拒否できる」,「高裁: 輸血は権利の侵害」,「強制輸血を行なった医師が敗訴」,「エホバの証人に輸血損害賠償」といったものがありました。
判決に関する報道は正確で,圧倒的に好ましいものでした。デイリー・ヨミウリ紙はこう報じました。「稲葉威雄裁判長は,医師たちが患者の拒否していた処置を行なったことは不適切であった,と述べた」。また同紙は,「[輸血]をした医師たちは原告の患者に自分の受ける治療を選ぶ機会を与えなかった」とも明言しました。
朝日新聞の指摘するところによると,高等裁判所はこの場合,命の危険な状況になっても血を用いないことで当事者双方が合意して契約が成立していたということを示す証拠は十分ではないとしながらも,裁判官たちはそのような契約の適法性に関して一審の裁判所とは意見を異にしました。「当裁判所は,当事者双方が熟慮した上で絶対的無輸血の合意が成立している場合には,これを公序良俗に反して無効とする必要はないと考える」と述べています。さらに同紙は,「人はいずれは死すべきものであり,死に至るまでの生きざまは自ら決定できる」という,裁判官たちの見解を紹介しました。
実際,エホバの証人はこの問題について研究し,自分は最善の生き方を選んでいるという確信を抱いています。これには,輸血に伴う周知の危険を避けて,その代わりに,多くの国で広く行なわれ,神の律法とも調和した,血を用いない治療法を受け入れることも含まれます。(使徒 21:25)憲法学で著名な日本の一教授は,「本件[輸血]治療拒否は『いかに死ぬか』という死のありかたの選択というよりも,いかに生きるかという生のありかたの選択である」という点を指摘しました。
高等裁判所のこの判決は,医師の裁量権が一部の医師たちの思うほど大きなものではないことに注意を喚起するはずです。また,この判決により,倫理上の指針を確立する病院がさらに多くなることでしょう。裁判所のこの裁定は一般に受け入れられ,これまでは自分の受ける治療に関してあまり意見を述べられなかった患者たちにとって励みとなるものですが,当事者すべてがこれを心から受け入れたわけではありません。当の国立病院と3人の医師たちは,この件を最高裁判所に上告しました。ですからわたしたちは今後,日本の最高裁が,宇宙の主権者がされるのと同じように患者の権利を擁護するかどうか,注視する必要があります。

(「選択権を擁護する判決」/ものみの塔98年 12月15日号)

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両側の暴力(続き)

2005年11月05日 | 一般
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「人が妻をめとり,それと関係を持った後にこれを嫌うようになり,その女について悪行のとがめをし,その女に悪名を着せて,『これはわたしがめとった女で,わたしはこれに近づいたが,処女の証拠を見なかった』と言った場合,その娘の父と母はその娘の処女の証拠を手に取り,その都市の門のところにいる年長者たちに提出しなければならない。そして,娘の父親は年長者たちにこう述べるように。『わたしは自分の娘をこの男の妻として与えましたが,彼はこれを嫌うようになりました。そして今,彼女について悪行のとがめをし,「あなたの娘には処女の証拠のないことが分かった」と言っています。ですが,これがわたしの娘の処女の証拠です』。そして彼らはそのマントを都市の年長者たちの前に広げるように。次いで,その都市の年長者たちはその男を捕らえてこれを懲らしめなければならない。そして,その者に銀百シェケルを科して,それを娘の父親に与えるように。彼はイスラエルの処女に悪名を負わせたからである。そして彼女は引き続きその者の妻としてとどまる。その者は[命の]日の限り彼女と離婚することを許されない。

「だが,もしそれが真実であると判明し,その娘に処女の証拠が見いだされないのであれば,彼らはその娘をその父の家の入口のところに連れ出すように。その都市の人々はこれを石撃ちにしなければならず,彼女は死ななければならない。彼女は父の家で売淫を行ない,イスラエルにおいて恥ずべき愚行を犯したからである。こうしてあなたは,自分の中から悪を除き去らねばならない。

「人が所有者に所有される女と寝ているところを見いだされた場合,その両人は,すなわち女と寝ていた男もその女も共に死ななければならない。こうしてあなたはイスラエルから悪を除き去るのである。

「ある人と婚約した処女の娘がいて,[別の]男が市内でこれに出会って共に寝た場合,あなた方はその両人をその都市の門のところに連れ出して,これを石撃ちにしなければならない。そのふたりは死なねばならない。娘は市内にいたのに叫ばなかったため,男のほうは仲間の者の妻を辱めたためである。こうしてあなたは自分の中からよこしまな事を除き去らねばならない。

「しかし,男が婚約しているその娘を見つけたのが野原であり,その男が彼女をつかまえてこれと寝たのであれば,彼女と寝たその男のほうだけが死ななければならない。そして,その娘に対しては何も行なってはならない。その娘には死に価する罪はない。この場合は,人が仲間の者に立ち向かい,これを,すなわち魂を殺害した場合と同じだからである。その者が彼女を見つけたのは野であったのである。婚約していたその娘は叫んだが,これを救い出す者がいなかった。

「人がある娘,すなわち婚約していない処女を見つけ,これをとらえて共に寝,その者たちが見いだされた場合,彼女と寝たその男はその娘の父に銀五十シェケルを与えなければならない。そして,その者が彼女を辱めたゆえに,彼女はその者の妻となる。その者は[命の]日の限り彼女と離婚することを許されない。

(申命記 22:13‐29)

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結婚してから、女性の側に男性経歴があれば、「石撃ち」、石を投げつけて殺されることになっていました。結婚している女を誘惑した男性は処刑されますし、誘惑に乗った女性も同じです。しかし、女性の側が助けを得られる状況になかった場合は、つまり意に反してレイプされた場合には、男性のほうだけが処刑されました。野原にいたのであれば、助けを呼ぶことができないからです。しかし、屋内などであれば、意図的な密会であるとみなされ、両方とも処刑されます。結婚していない女性であれば、誘ったほうも誘われたほうも処刑されません。ふたりは結婚しなければなりません。こんな規定になっているのは、おそらく財産の相続のことなどのことが関わっているからでしょう。

当時のパレスチナでの女性の地位を明らかにする記述が創世記と士師記にあります。


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彼らが横にならないうちに,その都市の男たち,すなわちソドムの男たちがその家を取り囲んだ。少年から年寄りまで,民のすべてがこぞってやって来たのである。そしてロトに向かって呼ばわり,こう言いつづけた。「今夜お前のところに来た男たちはどこにいるのか。我々がその者たちと交わりを持てるように我々のところへ出してくれ」。

ついにロトは彼らのところへ出て入口のところに行ったが,自分の後ろでその戸は閉じた。そうしてこう言った。「わたしの兄弟たち,どうか悪いことはしないでください。お願いです。いまわたしには,男と交わりを持ったことのない娘が二人います。どうかそれをあなた方のところに出させてください。そしてそのふたりに,あなた方の目に良いと思うことを行なってください。ただこの人たちにだけは何もしないでください。せっかくわたしの屋根の陰のもとに来たのですから」。

すると彼らは言った,「向こうへ引き下がれ!」 そうしてさらにこう言った。「この独り者は外国人として住むためここにやって来たくせに,なんと裁き人になろうとしているのだ。さあ,あの者たちよりお前をひどい目に遭わせてやろう」。そして彼らはこの人,つまりロトに激しく押し迫り,戸を押し破ろうとして近づいて来た。そのため,かの人々は手を伸ばしてロトを自分たちのところへ,家の中に引き入れ,その戸を閉じた。一方では,家の入口のところにいた男たちを,その最も小なる者から最も大なる者まで打って盲目にならせた。そのため彼らは入口を見つけようとして疲れ果ててしまうのであった。(創世記 19:4‐11)


彼らがその心をいこわせていると,見よ,その都市の男たち,全くどうしようもない者たちがその家を取り囲み,戸口に向かって押し合いをするのであった。そして,その家の持ち主である老人にこう言いつづけた。「お前の家に入ったあの男を出せ。我々がその男と交わりを持つためだ」。それを聞いて家の持ち主は彼らのところに出て行き,こう言った。「いや,兄弟たち,どうか,悪い事はしてくれるな。この人はわたしの家に入ったのだ。そのような恥ずべき愚行をしてはいけない。ここにわたしの処女の娘と,この人のそばめがいる。どうかそれを出させてくれ。あなた方はそれを犯し,あなた方の目に良いようにするがよい。しかしこの人に対しては,そのような恥ずべき愚行をしてはならない」。

それでも,男たちはその言葉を聴こうとしなかった。そのため,その人は自分のそばめを取って,これを外の彼らのもとに連れ出した。それで彼らはその女と交わりを持ちはじめ,朝まで夜通しこれを辱め,そののち夜の明けるころに彼女を送り返した。それで,その女は朝になるころに戻って来たが,自分の主人がいるその人の家の入口のところで倒れた―明るくなるまでそのままであった。その後,彼女の主人は朝になって起き上がり,家の戸を開けて外に出,道を行こうとした。すると,見よ,その女,すなわち自分のそばめが,両手を敷居に掛けたまま家の入口のところに倒れているのであった。それで彼は言った,「立ちなさい。さあ行こう」。だが,それに答える者はいなかった。そこでその人は彼女をろばに乗せ,立って自分の所に行った。
(裁き人の書 19:22‐28)

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ものみの塔協会の教えによると、創世記の出来事は、紀元前の20世紀ころ、士師記の出来事は紀元前14世紀ころから10世紀ころとされています。あまり当てにしないで下さい。それに創世記の記述というのはおおかた創作ですから。それでもその記述には女性への見方がはっきり見て取れるのです。この年代からすると、およそ1000年間、女性は人身御供同然に扱われ続けていたことになります。エホバの証人だったころは、ここの記述にはずいぶん気持ちを乱されていました。みなさんはどう思われます?

紀元前5世紀になると、女は自由に捨てられている風潮がうかがえます。スアドの村でも、男の子を産めない妻はポイっと捨てられていました。


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「また,これがあなた方のする二番目の事である。それは結果として,エホバの祭壇を涙で,また泣き悲しみや嘆息で覆い,もはや供え物のほうに振り向くことも,喜びをもってあなた方の手から[何かを]受け取ることもないまでにならせている。そしてあなた方は言った,『これは何のためか』と。このためである。すなわち,エホバ自身,あなたとあなたの若い時の妻との間について証しをする者となったからである。それはあなたの伴侶,あなたの契約の妻であるにもかかわらず,あなたはこれに対して不実な振る舞いをした。しかし,それを行なわない者が一人いた。それは,彼が霊の残りを有していたためである。そして,その者は何を求めていたか。神の胤である。それであなた方も,自分の霊に関して自らを守り,自分の若い時の妻に対してだれも不実な振る舞いをしてはならない。神は離婚を憎んだのである」

と,イスラエルの神エホバは言われた。「また,自分の衣を暴虐で覆った者をも」と,万軍のエホバは言われた。「それであなた方は,自分の霊に関して自らを守り,不実な振る舞いをしてはならない。
(マラキ書 2:13‐16)
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今日のエホバの証人の社会でも女性は低められています。女性は会衆の中では教師の仕事はできません。「欺かれやすい」からだそうです。創世記には、エバが「蛇」に欺かれたからだ、という理由です。また女性は夫を「かしら」として立てなければなりません。服従しなければならないとされています。アブラハムの妻サラなどが模範とされています。自己実現することよりも、家事に従事することをよしとします。もちろん、古代社会のことですから、つまり今日のように女性に、男性同様の人権を認めるというような考えのなかった時代のことですから、聖書にそう書かれているのは仕方がないにしても、その記述をそのまま現代に適用させようとするエホバの証人の姿勢には疑問が大いにあるわけです。

1946年、第二次世界大戦への反省から、国連で「世界人権宣言」が制定されましたが、そこには女性の地位を向上させようとする目的で、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」が含まれています。その第一条には、「女子に対する差別とは、性に基づく区別、排除、又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない)が男女の平等を基礎として、人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は無効にする効果又は目的を有するものをいう」となっていて、女性を生物学的に男性と同じ人間であるとみなそうという姿勢が打ち出されました。生理が違い、脳の仕組みに違いはありますが、その違いは「違い」であって「差」ではないのです。日本国憲法にも同様の考えが盛り込まれています。第24条第2項で、「法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と規定されています。が、自民党はこの両性の平等を定めた憲法第24条を見直そうとしています。女性を再び、家庭に縛りつけようとしているのです。明治憲法下の女性のようにまでは行かなくても。このことについてはまた書きます。


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女は全き柔順をもって静かに学びなさい。わたしは,女が教えたり,男の上に権威を振るったりすることを許しません。むしろ,静かにしていなさい。アダムが最初に形造られ,その後にエバが[形造られた]からです。また,アダムは欺かれませんでしたが,女は全く欺かれて違犯に至ったのです。しかし女は,健全な思いを持ちつつ信仰と愛と聖化のうちにとどまっているなら,子を産むことによって安全に守られるでしょう。
(テモテへの第一の手紙 2:11‐15)

同じように,妻たちよ,自分の夫に服しなさい。それは,み言葉に従順でない者がいるとしても,言葉によらず,妻の行状によって,つまり,深い敬意のこもったあなた方の貞潔な行状を実際に見て引き寄せられるためです。そして,あなた方の飾りは,髪を編んだり,金の装飾を身に着けたり,外衣を着たりする外面のものであってはなりません。むしろ,もの静かで温和な霊という朽ちない装いをした,心の中の秘められた人を[飾り]としなさい。それは神の目に大いに価値のあるものです。神に望みを置いた聖なる女たちも,先にはそのようにして身を飾り,自分の夫に服していたからです。サラがアブラハムを「主」と呼んでこれに従っていたとおりです。そしてあなた方は彼女の子供となったのです。もっともそれは,あなた方がいつも善を行ない,どんな怖ろしい事をも恐れずにいるならばのことです。
(ペテロの第一の手紙 3:1‐6)
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…女性は「劣った性」という見方が反映されています。身の飾り方はそれなりに同意する人はいるかもしれませんが、現代では、うまくゆく夫婦というのは主従関係であるより、対等の関係である、と言われます。主従関係では一見うまく行っているようでも、子どもにある影響を及ぼしているなど、隠れた問題が見え隠れするようになっています。

女性に対するこういう蔑視、人権剥奪を「ひとつの文化」などとしていてはいけないのではないでしょうか。むしろそういう社会には「文化」がないのです。今、有効な何かができるか、と訊かれればわたしは答えられません。しかし、一人一人の生きる権利を尊重するということは今すぐにでも始めることはできます。

不安に駆られ、何か答えを容易に見つけようとして外国人排斥に走ったり、統制を強めることで治安を維持しようなどというのは、結局、中東の野蛮な因習と基礎では同じなのですから。復讐のための人殺しでは問題を何も解決しません。侮辱は攻撃を身に招くだけです。これは心理学的にも立証されていることです。「生きながら火に焼かれて」ではスアドはジャックリーヌという「出現」のメンバーに救われるのですが、ジャックリーヌは、彼女の村へ行って、スアドの身柄を引き受ける交渉をする際にも、内心の怒りを抑え、相手の人々を非難・口撃は一切していません。相手の慣習を一たん受け入れ、相手の立場で交渉したのです。性急な口撃、反論は逆襲を身に招くだけであることを知っていたからです。ひとりひとりを敵視して排斥することで、結果を急ぐのではなく、じっくり話し合って両者が歩み寄るような解決法は決して不可能ではありません。誰でも自分という存在は大切にしたいと思うのです。だから、他の人も同じように大切にすべきものとして認めようとするのではないでしょうか。

…とはいっても、中東地域やパキスタン、インド、などでは今でも女の子たちが間引きされ、殺されています。そしてそれが「名誉の殺人」として容認されているのです。わたしはこれを読んだときから、「出現」に半年ごとに寄付はしています。それくらいしかできることはありません。いえ、それくらいでも意識して生きている、ということにもうちょっとだけ自信を持ってもいいかな、とは思うのですが…。とにかくあまりに悲惨で…。

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両側の暴力

2005年11月05日 | 一般



オベッド一家が暮らすファルージャ北東部のアスカリ地区が米軍によって包囲されたのは4月4日の夜中だった。

「米軍に包囲された状態で、24時間ずっと攻撃にさらされていました。わたしたちはこの家に閉じこもっていましたが、いつこの家が攻撃されるかと不安でなりませんでした。まず電気が切られました。米軍が発電機を破壊したからです。電気のない生活が何日も続きました。水は屋上のタンクに残っていたので、6日間もちました。こんなことが起こるとは思っていなかったので、市場で買いだめすることもできませんでした」。

「この間、すぐに攻撃は止むだろうか、どこへ避難すべきだろうか、と考えました。しかし娘たちのことを思うと、考え悩んでいる暇などないと思ったのです」。

オベッド未亡人はもし、米軍がこの家を攻撃してきて、子どもたちにもしものことがあったらと、不安に駆られ、一家そろって避難することを決意した。5人の息子と2人の娘に昼食を作って食べさせ、午後、家を出発する準備をした。家から街の中心地までの道路は米軍に封鎖されていた。

白旗をかかげた乗用車に家族ら8人が乗った。後部座席にはオベッド未亡人自身と娘フワイダ(15歳)、据え息子のラスール(8歳)とその姉が乗っていた。車は、家から10メートルほど離れた道路に出て反対側の路線へ向けてUターンをしようとした。その瞬間だった。50メートルほど離れた家の屋上にいた米軍の狙撃兵が一家の乗った車を後方から銃撃した。その時のようすをオベッドはこう語っている。

「銃撃によって車の後部ガラスは粉々に砕けました。前の席にいた子どものひとりは肩を、男性(運転手?)は頭部を撃たれ、銃弾の破片は今も頭部に残っています。フワイダとラスールは共に後頭部のほぼ同じ箇所を撃たれ、…(カット:あまりにもむごたらしい描写なので。)…」。

フワイダは即死だった。ラスールはまだ呼吸をしていた。急いで、病院となっていた診療所に直行したが、手当てのしようがなく、バグダッドの病院へ救急車で運ばれる途中、意気を引き取った。




囚人虐待の中でも深刻で、イラク人に限らずイスラム社会全体を激怒させ、反米感情を修復不能なまでに高めたのが、米兵による女性囚人のレイプ疑惑である。

刑務所体験を語った聖職者アブドゥル・カーデル・アルイサウィ師は、刑務所内で直接、目撃したわけではないとしながらも、「米軍のイラク人通訳やガードマンから、米兵が女性をレイプしている現場を目撃したと聞いた。私自身、アブグレイブ刑務所で、ある男の妻が下着一枚で男性囚人の前に連れ出された光景を目撃しているので、その話はありうることだと思います」と語った。

しかし、その被害者自身から直接証言を得ることは不可能に近い。たとえ本人に非はなくても、レイプされ妊娠した女性は「家族の尊厳を傷つけた」として父親や兄弟に殺害されかねないからである。聖職者たちでさえ、直接会って当人たちに事情を聞くことができないほどだ。

こういう状況の中で2004年2月、ある被害者からイスラム教の聖職者たちに救援を求めるメッセージが届けられていた。バグダッド市内ニューバグダッド地区の聖職者ウダイ・マハディ・アルオバイダ師によると、そのメッセージはアブグレイブ刑務所にいる女性からの「米兵に強姦され妊娠した」という訴えだったという。

「そのメッセージの中で『わたしはどうすればいいのですか。イスラムの教えに従えば、この問題をどう解決すべきか教えてください』と聖職者たちに訊いてきました。しかし、我々が答える前に、釈放された直後、その女性は家族によって殺されました」とアルオバイダ師は語った。「アラブ人やイスラム教徒の伝統では、女性にこのような事態の責任はなくても、その女性が殺されてしまう。事件がこの女性の将来にわたってつきまとう噂や、家族の不名誉などを断ち切るためです。しかしこれは女性の過ちではなく、米軍の責任なのです。わたしたち聖職者はあらゆる機会を利用して、被害者の女性を殺さないよう訴えているのですが」。

(「米軍はイラクで何をしたのか」/ 土井敏邦・著)

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ここではアメリカ軍が行ったことは横に置いておきます。なのにわざわざ引用したのは、わたしはアメリカのイラク侵攻に反対だったので、イラク戦争においてアメリカ軍のイラク侵攻に正当性があるかのように誤解されたくはなかったからです。わたしがここでみなさんに注目してほしかったのは、女性に対する甚だしい人権侵害のことです。「名誉の殺人」と言われていて、婚前の娘や、結婚している妻が結婚関係外で性交渉を持ったりした場合、家族の名誉を汚したという罪に問われ、地域社会で村八分にされる、だからその女性を家族で殺害する、そうすれば家族の名誉は守られ、地域社会で今までどおり暮らしてゆけるのです。この手の殺人は「名誉の殺人」と呼ばれているのです。この殺人は法律によってさえ守られているのです、中東では。


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ヨルダンでも他の国々(アラブ世界のいくつかの国々)と同様、全ての殺人罪は普通法により何年かの懲役が科されることになっている。しかし、そのかたわらに第97条と第98条として添えられているのが、「名誉の殺人」に関わる殺人の場合、寛大な刑罰がなされると明記されている条項なのだ。

(「生きながら火に焼かれて」/ スアド・<出現>・著)

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「出現(SURGIR)」は、「精神的にも身体的にも苦痛をかかえ、罪深い慣習に拘束されている世界中の女性たちおよびその子どもたちのためのスイスの福祉団体」で、「<出現>は女性たちを打ちのめしている不公平な因習と日々、必死に戦っている(前掲書)」団体です。「生きながら火で焼かれて」は、「名誉の殺人」を奇跡的に生き延びた女性の証言を聞き取って、著された本で、2003年にフランスで出版されると、すぐにベストセラーになりました。2005年現在、日本を含め22ヶ国語で翻訳されています。「スアド」は仮名です。未だに家族から手にかけられる危険があるからだそうです。「米軍はイラクで何をしたのか」で記録されているように、刑務所で保護されてはいたものの、「釈放されるとすぐに殺される」のです。何が何でも婚外交渉によって妊娠した女性は家族によって、親兄弟によって処刑されなければ、家族は地域から追放されてしまうのです。スアドはイラク女性ではありません。「シスヨルダン」というヨルダン近辺の国では、女性は人間とは見なされておらず、出産直後に女児であれば間引きされたり(他の女の子の見ている前で)、成長しても悪い噂が立つと殺されます。


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母は床に羊の皮を敷いて横になり、出産している最中だった。横には叔母のサリマがいた。母の叫び声に続いて赤ん坊の泣き声が聞こえてきたかと思うと、母はすぐさま上体を起こしてひざまずき、生まれたばかりの赤ん坊に羊の皮を押しつけた。赤ん坊が体をばたつかせるのが見えた。しかし、すぐに動きは止まった。次に何が起こったのかはわからない。赤ん坊は家からいなくなった。恐ろしさに自分が呆然としていたのを覚えている。

母が出産と同時に窒息死させたのは女の赤ん坊だった。一度ではない、二度目のときにもわたしはその現場にいた。長女のヌーラが母親にこう言っているのも聞いた。「もし女の子が生まれたら、わたしも同じことをするのね」(前掲書)

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スアドにはハナンという妹がいましたが、ある日より家から消えました。スアドは目撃していました。弟がハナンの首をしめて殺す現場を、です。こんなことを読めば絶句されるでしょう。いったいどういう因習なんだと。「生きながら火に焼かれて」の前書きには、このように要約されています。


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女の子には学校に通う権利はない。そもそも、権利と呼べるものなど何ひとつない。ひとりで歩く自由さえ与えられない。わたしが生まれた村では、女の子として生を享けること自体が不幸なことなのだ。男たちが勝手に定め、盲目的に守り続けてきた法に従い、朝から晩まで家事、畑仕事、家畜の世話を奴隷のように黙々とこなし、十代の後半にさしかかる頃には親の決めた相手と結婚し、夫となった者に服従しながら男の子を産まなければならない。女の子ばかり産んでいると夫から捨てられる。娘は2,3人いてもいいが、それ以上は必要ない。

結婚前に男の人とつきあうことなど論外だ。視線を合わせたり話しをするだけで「シャルムータ」、つまり娼婦のようにみなされ、「名誉」を汚された家族はそのままふしだらな娘をほうっておけば、村八分にされ、ついには村から追放されてしまう。そこで名誉を挽回するため、実の娘を処分することになる。両親および息子たちのあいだで家族会議が開かれ、いつ、どこで、どんな方法で、誰が死刑を実行するかが決まる。

わたしは17歳くらいの頃、ある男の人に恋をした。好きになった気持ちはどうすることもできなかった。家を出て結婚したい、その一心で家族に嘘をつき、隠れて彼と逢った。たった数回の秘密のデート。その結果、わたしは家族の手によって火あぶりにされることになったのだ。(前掲書)

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この度、「米軍はイラクで何をしたのか」というブックレットを読んでいたら、この本で告発されていた習慣が、さも当たり前のことのように、イラク人によって語られているのを目にして、思い出したのです。冒頭に引用したところによると、

「そのメッセージの中で『わたしはどうすればいいのですか。イスラムの教えに従えば、この問題をどう解決すべきか教えてください』と聖職者たちに訊いてきました。しかし、我々が答える前に、釈放された直後、その女性は家族によって殺されました」とアルオバイダ師は語った。「アラブ人やイスラム教徒の伝統では、女性にこのような事態の責任はなくても、その女性が殺されてしまう。事件がこの女性の将来にわたってつきまとう噂や、家族の不名誉などを断ち切るためです。しかしこれは女性の過ちではなく、米軍の責任なのです。わたしたち聖職者はあらゆる機会を利用して、被害者の女性を殺さないよう訴えているのですが」。

…とあります。「アラブやイスラム教徒の伝統によれば」、婚外交渉によって妊娠した女性は「殺される」。なぜって、「その女性の将来にわたって噂がつきまとい、家族の不名誉を断ち切る」ためだ。しかし「これは女性の過ちではなく、米軍の責任なのです。だから被害者の女性を殺さないように訴えている」と言います。ではレイプしたのが米軍の兵士じゃなかったら、黙認したのでしょうか。ヨルダンの法律の第97条と第98条によると、黙認されるのです。

侵攻した米軍も野蛮であれば、侵攻された地域も野蛮。これってほんとうにイスラムの教えなのでしょうか。もしそうなら、とてもイスラムに共感なんてできません。ところで、中東では昔から女性の恋愛は抑圧されてきた歴史があります。聖書にも婚外交渉に対して死刑が執行される規定があるのです。





つづく
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