Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

日本人に告ぐ

2008年03月30日 | 一般
わたしの好きな民話劇、「夕鶴」。



つうは与ひょうのために身を削って機を織る。与ひょうは欲深い友人にそそのかされてつうにたくさん布を織らせてお金にする。

つうのせりふ。「あんたがおカネを好きなのなら、あたしはそれでいい。でもあんたが好きなおカネはもうたくさんあるのだから、あとは二人きりで静かに楽しく暮らしたいのに。畑を耕したり、子どもたちと遊んだりして…」。

生きることを楽しめない人間は手段そのものを目的にしてしまう。生きることを楽しむとは、人とのかかわりを楽しむということ。人との関わりあいに人間の生きる意味がある。すると人との関わりあいを楽しめない人間には生きる意味合い、生きる目的がないことになる。実際、そういう人間は自分の生きている意味が分からない。だから手段を目的にする。ところが「銀を愛することには際限がない(伝道の書/ 聖書)」。いくら稼いでもいくら貯めこんでも「満ち足りることがない(伝道の書/ 聖書)」。

つうにはおかねに対する態度に限度があった。つうが愛したのはおかねではなく与ひょうだった。つうは与ひょうとの人間関係を楽しむことができた。日常お決まりのルーティンワークも与ひょうと一緒にするのなら、つうにはこれ以上なく楽しいことになった。つうは人との関わりあいを楽しむことができたので、手段と目的を転倒させることはなかった。




手段と目的が転倒しているのがエホバの証人。

神への奉仕の業(=布教活動)は神に愛を表す方法のひとつだったのに、奉仕の時間を報告することで愛を表せるという本末転倒=「量(布教活動に費やした時間)※」が少ないと愛も少ないという思い違い。だから「量」が気にかかる。挙げ句が家庭が崩壊するまで、あるいは人格が崩壊するまで量をかせいで疲れ果てる。

生きることについて、手段と目的が転倒するのは、やはり人との関わりあいを楽しめない、コミュニケーション・スキルの未成熟さがあるに違いない。人と心を開いて関われないから、人を信じられないし、理解できない。人に心を開いて本音で関われないから、理解しあうことも信用を醸成してゆくこともできない。

心を開かないから、規則に頼る。規則にきれいに沿った人なら安心できる、という思考。組織から肩書きを与えられている人は、「規格合格品」の保証書を与えられたのと同じ。それは一級市民権のような重みがある。だからみんな「規格合格品」の保証書を得ようとして励む。巧妙なマインド・コントロール。

でも規則に頼って営まれる人間関係は融通がきかない。思わぬ事態の展開にとっさに対処できない、つまり規則にない事態には対処ができない。だから問題を起こした人は有無を言わせず除去してしまう。理解できないことをすべて排除してしまう。規則にない事態、状況はすべて排除する。これは魔女裁判の原因でもある。たとえば、レイプされた女性はいたわられるのではなく逆に非難される。レイプ犯を非難する以上に。レイプ犯が擁護されることすらある。つまりレイプ犯に犯意を起こさせた女性の方が悪いというのだ、エホバの証人の「長老」や産経新聞などに言わせると!



温室の中の人間関係。試験管の中の人間関係。エホバの証人の中の人間関係は、日本人社会の人間関係にそっくりだ。日本人社会でも、「緊急事態」を引き起こす人間が排除される。イラクの3人の人質、反戦ビラを配布する市民運動家たち、アメリカ兵にレイプされた女子…。問題の原因からは目をそらせ、問題の原因に光を当てることになった事件の被害者たちがバッシングされる。

そこまでして問題の原因から目をそらせるのはなぜ?
事態を改善しようとしないのはなぜ?
それがわたしたちの人生を抑圧しているというのに! 



日本人に告ぐ。日本人よ、あなたたちはエホバの証人やオウム真理教のようなカルト宗教を非難し、その信者たちを嘲笑することはできない。なぜならば、あなたたちもおなじだからだ。あなたたちもカルト宗教とおなじ思考回路を駆使しているからだ。あなたたちの発想はカルト宗教の発想だ。あなたたちの思考習慣はカルト宗教の思考習慣だ。

エホバの証人時代の自分を、そこから離れてから思い返してみると、ほんとうにこっけいな考え方&あわれな生き方だったと思う、つくづくと…。でも外へ出てもおなじだった。日本人はカルト宗教の信者のように、みんなから浮かないように窮々としていて、みんなと同じでいるよう窮々として、「世間」に波風を立てないように窮々として生きている。

波風を身に招かないよう、つまり規則にない事態を身に招かないよう、おおかたの日本人は人と関わりあうことを怖れている。人に心を開くことを怖がっている。浅くあたりさわりのない人間関係にしようとしている。だから生きていることに実感がない。当然のことだ。他人の感受性に媚びるために生きていて楽しいはずがない。人から評価されることのために生きていて安心できるわけがない。自分を評価してくれた人がいなくなれば、ゼロになる。そんな人生に実感があるわけがない。だから日本人はいま、手段でしかない経済を至上の目的にしている。人間と関わりあうことを楽しめないから。








 ※(解説)
 エホバの証人の布教活動は、布教に費やした時間を報告させることによって管理されています。むかしは「開拓奉仕」といって、1年間に1000時間を布教活動に費やすという誓約を立てさせます。一ヶ月平均にして90時間です。強制はされない、ということになっていますが、独身の人とか主婦とかはひっきりなしに、開拓奉仕を行うようにプレッシャーをかけられます。
 月90時間ですから、当然男性であれば、就業ができません。ウィークデーに布教にやってくる若い男性たちはだから、フリーターです。ウィークデーの日中に布教活動にやってくる若い女性たちは、「自発的ニート」ともいうべき人たちです。2007年現在、開拓奉仕の要求時間は月70時間だそうです。
 この誓約は果たせなくても罰則はありません。果たしていると目立つ機会が与えられることもあるというていどの「報酬」はあります。エホバの証人には年3回の「大会」という催しがあって、布教活動に時間を多く費やし、信者を多くかき集めている成績優秀者は「大会」でのステージに招かれて成功譚を披露する機会が与えられることがあるのです。
 たいへん効果的な人間管理で、これは実はトヨタ方式です。トヨタの社員管理と酷似しています。信者ひとりひとりの宗教団体への求心力を維持し、精神的に宗教団体に依存させるという効果があります。詳しくは、ブックマークの「エホバの証人情報センター」を参照なさってみてください。たとえばこちらなど。



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新学習指導要領案の「道徳」教育 (下の弐)

2008年03月23日 | 一般
親がいなくても子は育つ、と言います。たしかに身体は自然に大きくなります。しかし人間の成長というのはただ単に身体が大人になってゆくというだけのものではありません。精神的な成長があってはじめて人間は的確な判断力と良心をもった大人となるのです。

精神的な成長というのは、建物の工事のようなところがあります。つまり、基礎工事がなされていないとその上の工事には入れない、それと同じように、心の発達もそれぞれの段階がふまえられていないと、いつまでも未発達のままでいることになります。心の発達における基礎工事とは、人生の最初期の段階です。先回書き写した中の「基本的な構え」が形成される段階です。

人格のバランスの取れた成長は、生きるということに対する基本的な構えという基礎がきちんと据えられてはじめて遂げられるものだと、交流分析は説明します。「基本的な構え」という基礎が不十分だと、人格という建物は建ちません。どれだけ時間がたっても基礎工事の途中のままなのです。自分が気に入らないとかんしゃくを起こし、親が自分の思うとおりにしてくれるよう激しく泣くのが幼児ですが、そのまま大人になると、暴力を使って脅し、あるいは実際に暴力攻撃によって相手を打ち倒す、そうやって自分の言うとおりにさせようとします。日常頻繁に使われるこの手段は、実は幼児的行動なのです。

「基本的な構え」という人格の成長のための基礎工事ができていないために、いつまでも幼児的な行動をとることを、「固着」という専門用語が当てられています。暴力や脅迫によって相手の人をいうとおりにさせようとする人たちは、幼児的な行動様式に固着しているのです。

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われわれの基本的な構えは、人類の代表として最初に自分にかかわってくる母親との交流(=コミュニケーション)にはじまり、幼児期における両親の側の接し方の有りようと、それに対する幼いわれわれの受けとめ方によって形成されてゆくのである。

幼児である自分から見ると、すでに「自他肯定」の構えを培った親が、幼児に適切なふれあいを与えてくれることは、「自分が肯定されたこと」(交流分析用語では、「自分はOKである」)に通じる。この結果として安定した自己意識(「意識」といっても幼児の場合、まだ「感情」の状態だが)ができあがり、自己肯定(=自信)が芽生え、次には最初の外的な対象である母親を肯定することにつながる。乳幼児の時点では、社会というのは自分と母親の二者関係であるから、この時点における母親を肯定する=信頼するということは後に人間、もっと大きくいえば人類を信頼する精神態度の芽となる。

(ルナ註: 自分に自己肯定感=自信が芽生えることと、他者肯定=他者信頼とのあいだに論理的つながりがあるとどうして言えるのか、理解できないと思われる人も多いことでしょう。人間関係の分野ですから、両者に合理的因果関係があるかどうか、自然科学的手法で立証することはできません。が、人間は自分に自信を与えてくれる人、自分の可能性を信じて励ましてくれる人に信頼感を持ちます。人間の心の性質にはそういう傾向がある、ということで次に進むしかないのです、心理療法の分野では。)

このような人生早期に芽生える、自分と他者への最低限度の信頼感は、その人が将来人間関係を営む際の土台となり、それが未発達のままであった場合には、生涯を通じて安定した人間関係をつくり、深めてゆくことが困難になるのである。

以下、「基本的な構え」とコミュニケーション能力との関係についてまとめてみよう。

1.「自分らしい自分」でコミュニケーションが取れ、また、「相手の人らしい相手の人」をも尊重できるような、バランスのとれた人格を成長させるには、最低限の自己信頼(I’m OKの構え)が培われていなければならない。

2.最低限の他者信頼(You are OK の構え)が培われてはじめて、相互的な交流ができるようになる。

人格の形成において、「You are OK」という「構え」の基礎が形成されないことには、他人との間に温かい、人間らしい人間関係を発展させるコミュニケーションを展開し得ないのである。

つまり、他者不信の「構え」が強いときには、人間関係は「相補的なレベル」にとどまることになる。「相補的なレベル」とは、ギブ・アンド・テイクという打算的な人間関係である。お互いが相手の役に立つあいだは関係が続けられるというものである。相補的な交流(ルナ註:交流=コミュニケーション)の根底には、常に自己中心的な動機が潜んでおり、そこでは、自分の利益の追求が最大の関心事であるために、他人は自分が利用するための操作の対象になりやすく、物質の一部とみなされることさえありうる。他者不信の「構え」がさらに根を下ろすと、人は自己愛の殻に閉じこもって、他者との交流を拒否するようにさえなる。

著者が扱った例をあげると、ある夫婦が仲むつまじく暮らしている。一見、愛情と信頼を土台とした交流が行われているように見える。しかし、ひとたび夫が失業したとか、妻が育児に専念しはじめたとかいう事情が起きると、ふたりの交流に行き違いが生じるようになる。これは、双方が相手に期待していた役割に失望し、その結果相手への欲求不満が増長していっているからである。

このように、比較的簡単に壊れやすい夫婦関係というものは、お互いに利益を与えうる間は仲良くしよう、といった一種の契約によって成り立っているものといえよう。最近、アメリカで発行されている結婚カウンセリングの本をみると、結婚関係をうまく営んでゆくために、それまでは話し合われたことのないようなことがら、お互いの納得事項や期待すること、夫婦間の役割に関するルールを作り、それを守れという類のアドバイスがたくさん書かれている。

確かに、愛と信頼に裏打ちされた真実の交流ができない未成熟な人間関係においては(=「相補的な交流)においては)、この種の、意識のコントロールによる交流を図ることによって一応の適応状態を保持することも必要となってくるであろう。

この種の交流は(「相補的な交流」は)、今日では親子の間にもよく見られる。たとえば、「教育ママ」とその子どもたちとの間で行われる「条件つきのふれあい」もそのひとつであろう。このような親たちは、自分にとって望ましい、子どもの行動や成績に対してだけ「報酬」(=ほめること、ねぎらうこと、などの評価)を与える。つまり、「あなたは(お母さんの言いつけどおり)ピアノをよく練習するから好きよ」とか、子どもが試験でいい点数を取ってきたときだけ笑顔を見せてあげる (ルナ註:わたしのエホバの証人時代の実体験では、カルト宗教の成員の場合、親が信奉する宗教団体によく評価されるようにふるまったときにニコニコと機嫌よく接する、など) とかいった類である。これでは、なんらかのお返しを期待できる、という条件の下で、あるいは親を喜ばせることという契約の下で子どもを育てていることになる。

このような親の働きかけが日常的に固定化すると、子どものほうも、親の要求に応えることによって愛情を確認するようになり、相手の要求に応えることによって人間関係を維持しようとするようになる。


(「セルフ・コントロール」/ 池見酉次郎・杉田峰康・著)

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条件つきの愛情関係というのは、親の側の利己心です。親の好み、親の意向を子どもに押しつけているのです。でも親は子どもの人権を踏みにじっているという思いはありません。それどころか、彼らはそれを「愛」だと思い込んでいます。

たしかに「愛」ですが、それは親が子どもに示す愛ではなく、子どもが親に与えなければならない「愛」であり、親が子どもに「愛」することを要求し、その義務を課しているのです。家族の役割という観点から見ると、この場合は子どもが親に対して、「親」の役割を背負わされていることになるのです。これがアダルト・チルドレンです。

アダルト・チルドレンは子どもっぽい大人という意味ではなく、逆に子どものころから、大人の役割を背負ってきた子ども、それゆえに子どもらしい情緒体験を十分に表出できなかった子どもたちをいいます。

子どもは脳の成長に合わせ、親とのかかわりや子どもらしいいっぱいの好奇心で周囲へ働きかけ、そこで体験するいろいろのことから受けた印象や抱いた感情を「自己表現」として、少しずつ表現あるいは主張するようになりますが、それを親によって共感され、ほめられることによって、「自分」というものに対して自信を持つようになるのです。ですから、子ども時代にそういう情緒体験をしなかったアダルト・チルドレンたちは、自分に自信を持てない人たちなのです。

人間の身体は、たとえ食物が不十分であっても、遺伝プログラムによって成長はします。しかし、精神的な成長は子ども時代には子どもらしい情緒表現を重ね、また子どもらしい情緒体験を重ねてゆかなければ、次の成長段階へ進まないのです。こういうことはこれからこのブログでおいおい書いてゆくつもりです。






交流分析では、コミュニケーション能力は人格の成熟度に応じて高まってゆくものであり、人格の成長は順を追って成長してゆくものであり、ひとつひとつの段階をクリアしなければ次の段階に進みえず、身体の年齢は大きくなってもクリアできないままの精神年齢に留まり続ける(固着)傾向が強く見られる、したがって低いコミュニケーション能力と幼いままの性格で成人してしまうために、人間関係をうまく作れず、うまく維持できずといった人になるのだ、とちょっと大雑把に言ってしまうとこうなります。

成熟した人間と成長するには、上記引用文にあるとおり、「人類の代表として最初に自分にかかわってくる母親との交流(=コミュニケーション)にはじまり、幼児期における両親の側の接し方の有りようと、それに対する幼いわれわれの受けとめ方によって形成されてゆく」ものなので、人生の極初期における親の役割をする人間との関わり方にかかっているのです。

これはつまり、学校教育で国家主義的道徳教育を強制的に施したところで、「基本的な構え」にゆがみがあると、つまり「I’m not OK, You Are OK」であったり(=わたしは他の人に較べて見劣りする、他人が大きく見えるetc…)、「I’m OK, You Are not OK」(他人はわたしのように正しくない、相手はわたしに較べて立派じゃないetc…)という「構え」であったりすれば、健全なコミュニケーションをとることが困難なままであり、したがって成熟した人間関係を構築したり、維持したりすることもできないままである、ということになります。

いじめという問題も、このコミュニケーション能力と未成熟な人格という点に起因します。直山木綿子京都市教育委員会指導主事のおっしゃった(文末参照)、「10年前に比べると、人付き合いが下手な子どもが増えている。自分の思いを伝えられなくて孤独になったり、攻撃的になってしまう。言語力の低下はいじめ問題にも影響していると思う。お互いに意思疎通が下手だから小さい誤解が生まれ、大きなことにつながっていく。まずは言葉の力がないとダメだと思う。…大人もコミュニケーションが下手になったと思う」 という問題は、国語力を強化して解決できることではなく、むしろそれは人間を信頼する能力の問題なのです。「10年前に較べると」とおっしゃっていますが、宮崎勤事件では、大人の女性とコミュニケーションを図る能力の低下した青年だと言われていたことからわかるように、10年前も20年前も、日本人のコミュニケーション能力はそんなに変わってはいないのです。1980年前後は中学校が荒れていました。暴力事件が頻々と起こっていました。形態は異なっていても、他人に対して攻撃的にふるまうというコミュニケーションの貧困という側面では同じだったのです。

問題を本当に解決したいのであれば、幼児養育を支援する政策が必要です。と同時に、家庭環境の支援、虐待の連鎖を止めるための新しい「親教育」などの支援に力を入れるというのがほんとうだとわたしは思います。

そのためには価値観を根本的に変えてゆかなければならない部分もあるでしょう。これが日本人に忌み嫌われます。面倒なのです。それだけではなく、すでに現役社会人として成功している人たちのアイデンティティは、今ある価値観の上に建っています。価値観が変わると、それらの人たちのアイデンティティが崩れてしまいかねません。そんなことに彼らが賛成するはずもありません。ですからこういう変化は政策で誘導することは事実上不可能です。最新の教育学や精神医学の知見を啓蒙啓発し、個々人が自発的に変わってゆくのが最も現実的なのでしょうか。少なくとも、道徳という価値観を国策として上から押しつけるやり方では何も変わらず、いえ、いっそう問題を深刻化させるだけである、ということは事実です。

日本人が心理主義を嫌う最大の理由は、それが個々人を個別に尊重しようという民主主義的な思想であるからです。個人個人を個別に尊重しようというのは面倒なのです。それよりかは人間をひとくくりにして、たとえば「日本人たるものかくあるべし」という考え方でひと括りにしてしまって、ついてこれない個性は切り捨ててゆくという従来どおりのやり方なら「効率的」です。とくに日本を経済大国という地位に置き続けようという暗黙の目的を追い求めるのであれば、それに役に立たない個性は不必要なのです。不必要な人材の教育にお金をかけなくてよい、というのが小泉=安倍路線の教育改革でした。障害者福祉や老人医療・福祉が削減されるのも、経済成長の足かせになる人たちのためにカネをつぎ込んでいられるか、という非情な考え方の表れです。ここまで視覚を広げると、学校教育の問題というのはすぐれて社会の仕組みの問題であり、国家のあり方の問題でもあるということに思いが至ります。








---------(上)の引用部分-----------

◇言語力低下、いじめにも影響◇
 --京都市教委指導主事・直山木綿子(なおやま・ゆうこ)氏

 各教科にわたって言語活動に関する項目が新設された。文部科学省の言語力育成協力者会議委員を務めた京都市教育委員会の直山木綿子指導主事に言語活動の重要性などを聞いた。

--なぜ言語活動が重要なのか。

◆10年前に比べると、人付き合いが下手な子どもが増えている。自分の思いを伝えられなくて孤独になったり、攻撃的になってしまう。言語力の低下はいじめ問題にも影響していると思う。お互いに意思疎通が下手だから小さい誤解が生まれ、大きなことにつながっていく。まずは言葉の力がないとダメだと思う。

--言語力低下の原因は。

◆言葉で人とかかわり合う場面が少なくなった。「便利」な社会になり、何も話さずに生活できる。当然、使わなければ低下する。家の中でも携帯電話のメールでやりとりする家庭もある。「ご飯よー」って、メールを送るんですよ。それを聞いた時は背筋が寒くなった。大人もコミュニケーションが下手になったと思う。

--学力低下の原因に言語力の低下も挙げられる。

◆国語の力がなかったら、理科や社会の問題も読み取れない。読解力の低下が学力低下の一因にもなっていると思う。

--学習指導要領改定案は各教科で言語活動に力点を置いた。

◆当然だと思う。ただ、算数には算数の目標があり、社会には社会の目標がある。算数の目標を達成するために言語活動が入るべきで、言語活動のための算数になったらいけない。各教科の目標のために授業を進めていけば、本当は言語力もつくはずだ。今は百マス計算やドリルで点数をつけ、知識偏重になりすぎた。指導要領案は各教科の原点(目標)に戻ろうというメッセージなんだと思う。

--原点を忘れた教員がいる?

◆それはいますよ。教師の仕事も多様化・多忙化し、子どもと向き合っている時間が少なくなった。その中で、子どもに計算力や英単語を身につけさせることに終始して、原点を忘れてしまった。ただし、言語力は学校だけが頑張っても向上しない。子どもは家庭や地域で育ち、言語力を培っていく。学校と地域、家庭の連携が必要だと思う。

【聞き手・高山純二】





(下の参につづく)↓
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新学習指導要領案の「道徳」教育 (下の参)

2008年03月23日 | 一般
(下の弐からつづき)



内閣府は2005年4月に、「『日本21世紀ビジョン』専門調査会報告書」をまとめました。そこでは、人口の減少や環境問題対策に効果的に対応できなければ、経済活動の停滞・縮小に直結する、財政健全化への取り組みを怠ると、財政は破綻する。財政破綻の懸念から、国債が暴落し、円も暴落する。超インフレが現実のものとなり、経済活動も国民生活も大混乱に陥る、というような懸念から書きはじめられているらしいですが、この報告書に対して三橋規宏千葉商科大学教授など、日経新聞記者上がりの学者さんたちがこのような批評を書いておられます。

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「日本21世紀ビジョン」は人口減少時代の日本経済の姿を2030年までという中期的展望の中で描いており、将来の日本の姿を考えるためのたたき台を提供している点では評価できる。

しかしその内容に立ち入るといくつかの問題点が指摘できる。最も気になる点は、国家百年の計を考える場合に必要な、国としての理念、国家目標が明確に示されていないことである。

「経済の拡大こそすべてに優先する」とするGDP至上主義、別の言葉でいえば、GDP信仰という、日本人の心の底に深く根づいた価値観を思い切って転換させることなく、日本が人口減少時代を乗り切ることはもはや不可能である。

明治の近代化以降、日本は欧米にキャッチアップするという国家目標に向かって、人口を増やし、経済規模を拡大させ、経済を発展させてきた。特に戦後の日本は10%成長を10年近く続けることで、先進国の仲間入りを果たし、経済規模ではアメリカに次ぐ世界第二の経済大国の地位を不動のものにしてきた。それが日本人の誇りでもあった。

この過程で、経済成長がすべてに優先するとする経済至上主義の考え方が日本人の心の中に深く定着し、そのことに疑問すら持たずに今日に至っている。しかしその「誇り」も近い将来傷つけられてしまいそうだ。「日本21世紀ビジョン」が指摘するように、人口減少時代に入り、日本の経済成長率が低下するため、2014年ごろには中国にGDPを追い抜かれてしまう。過去のトレンド延長ケースに陥れば(過去に起こったことを将来のシミュレーションに当てはめ、将来にも起こるとすると、の意)、円安が大幅に進み、2030年頃にはGDPの規模でインドに並ばれてしまう。経済至上主義者たちにとっては悪夢のような事態が近い将来現実のものとなってくる可能性もある。

しかも50年、100年という大きなサイクルで発生している人口減少の流れを、短期間に人為的に変えることは不可能である。これまで信じて疑わなかったGDP至上主義、GDP信仰の価値観、考え方を思い切って変えない限り、日本の将来には悲観材料だけが並び立つことになる。「たいへんだ、たいへんだ」と嘆き、失意の時間だけが無為に流れ、日本から活力が失われ、日本全体が衰弱してしまう。

このような悲劇的な事態を回避するためには、ここで思い切ってこれまでの価値観、考え方を転換させる必要がある。これまでのGDP目標のかわりに、一人当たりGDPを低下させないこと、つまり一人当たりGDPの水準維持・向上を新たな国家目標にすることである。「大きいことはいいことだ」というGDP目標の呪縛から開放されれば、日本の将来像について明るい展望、姿を描くことが可能になる。

一人当たりGDPは、その国の生活水準、つまり豊かさを示す指標である。なぜ高い経済成長を目指すかといえば、結局、国民の生活水準を上げ、国民生活を豊かにするためである。このように考えるなら、経済成長は豊かな生活を実現させるための手段にすぎない。目的はあくまでも豊かな生活の実現である。

特に戦後の日本は、この目的と手段を取り違え、手段のはずの経済成長が目的化してしまった。一人当たりGDPの水準維持・向上を目標にすることは、本来の姿に戻ることを意味しているのではないか。日本や欧米などの成熟した先進国社会では、継続的な経済成長によって、一人当たりGDPは十分に高くなっており、生活を豊かにするインフラや日常生活に必要な製品ストックも備わっている。

このような社会では、経済成長を目指すよりも、一人当たりGDPの水準を守り、生活の質的向上を図る政策こそ望ましい。

一人当たりGDPの増加率は、経済成長率から人口増加率を差し引くことで求めることができる。経済成長率がゼロでも、人口増加率がマイナスなら、その分一人当たりGDPは増えることになる。だから一人当たりGDPを引き上げるためには、人口減少はマイナス要因ではなく、プラス要因として位置づけることができるのである。

イギリスやフランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国は、人口数も経済規模も日本よりも小さい。それゆえに彼らの存在価値が日本よりも低いといえるだろうか。彼らの築き上げた豊かな生活、文化は日本だけではなく多くの国の憧れである。国際政治、国際外交の世界でも大きな影響力を持っている。GDPが大きいからという理由だけで世界の国々から尊敬され、信頼されるわけではない。その国の国家理念、目標、文化、生活、科学技術などの総体が国としての品格を作りあげるのである。

人口大国の中国やインドがGDPの規模で日本を上回ったからといってそれがどうだというのだ。人口が減り、経済規模が伸びなくても、質の高い生活の実現、特色ある文化の発信、環境技術の開発などを通し、日本が世界に貢献し、尊敬され、信頼される道を切り開くことは可能なのである。

人口減少をチャンスと受けとめ、新しい国家目標へ向け、日本を作り変える覚悟を持ち、それを実行することで、20世紀の日本では考えることのできなかった、質の高い、自信と活力にあふれた新しい日本を創ることが可能になる。そのためにもGDP信仰からの脱却を急がなければならない。



(「ゼミナール日本経済入門・2007年度版」/ 三橋規宏ほか著)

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熱い主張ですね。保守的な日経新聞の元記者とは思えない熱い血の通った主張です。豊かな生活を得るための経済成長だったのに、これまで日本人は経済成長のために豊かな生活を犠牲にしてきたのです。ここで「豊かな生活」というのは単に、ラグジュアリー車と最新の電化製品にあふれた暮らしをさすのではないことはいうまでもありません。市場の失敗としての代表格の公害病に苦しむ人々はいまだに補償を求めて国を、企業を相手に訴訟を行っています。そして新学習指導要領案を提出させた学校と子どもたちの問題。コミュニケーション能力の際立った低下。国家経済は大きくなりましたが、明らかに世界第二の経済大国の国民は豊かでも幸福でもないのです。戦後を通し、いつだってわたしたちは眉間にしわを寄せていました。経済成長至上主義がなにをもたらしたか、かつて日本に在住したジャーナリストはこのように書いています。

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日本人も、どこの国の人にも劣らず、人間的な温かさを発揮できる。わたし自身、困っている人に対する日本人の親切や気配りにはたびたび心を動かされてきた。非情に感動的なことさえあった。しかし、そうした日本人の温かい気持ちは、しばしば表現の道をさえぎられる。これはおおかた企業の圧倒的な影響力のせいである。

サラリーマンは会社と「結婚」することを求められていたので、サラリーマンの妻たちは夫の愛情不足の代償を探さなくてはならない。そのために、たいていは息子に過剰な愛情を注ぐことになる。そこから生じる不健全な結果については、これまでもいろいろ書かれている。少なくともあるTVドラマでは、十代の息子に、宿題をかたづけた褒美としてマスターベーションを手伝う母親が登場したほどだ。

母親にも会社にも抑圧され、さらには職場の同僚から幼稚な行動をそそのかされるために、若いサラリーマンはしばしば女性と不器用につきあうしかできなくなり、実りのない冷え冷えした関係しか結べなくなる。若者向けの漫画にはとっぴな性的空想が描かれ、ロープや凶器を使って女性に暴力をふるう場面がたくさん出てくるが、こうした驚くべき現象も、「中流階級」の男性が情緒的な成熟を妨げられているために生じている結果なのだ。そもそも「従順」を女性に強要し、そして痛めつけようと空想するのが情緒不安定であることの、(そしてもちろん未成熟であることの)あらわれであることは世界共通である。

つまるところ、成長過程にある人間には、一定の自由が必要なのだ。その自由があってこそ、人間が手に入れることのできるもっともすばらしいものが成熟した人間の愛情関係であるということがわかるようになる。日本のサラリーマンはそのことを覚るための自由(時間のゆとり)を持っていない(会社での活動に時間とエネルギーをすべてとられているので)。ましてや、そのような愛情関係を育んで維持してゆくことなどできない。



(「人間を幸福にしない日本というシステム」/ カレル・ヴァン・ウォルフレン・著)

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子どもたちの成長と成熟の問題が、道徳を強制的に学校で教え込まれなかったことではなく、家庭環境が破壊されていたことにある、と冷静な眼を持つ人は声をそろえて言います。交流分析は人格の成長には、成熟した大人による幼児とのコミュニケーションが決定的な影響を及ぼすことをあきらかにしました。経済学者も良心的な人は、経済至上主義が決して豊かさをもたらすのではないことを主張します。外国人から見れば、日本人のコミュニケーション能力が未成熟なのは、会社との異常な関わり方にあると映るようです。それはわたしたちも知っているはずのことです。

自民党の教育改革は問題の本質を見誤っていると、わたしは主張します。国家主義を強制したところで子どもたちの問題は何一つ改善されません。体罰を導入すれば火に油を注ぐ結果になるでしょう。恐怖と屈辱で抑圧することが子どもたちを歪めてきた原因だからです。市場原理を教育に導入すればこれまでの路線をより滑らかに継続させるに過ぎません。子どもたちに起きている問題をさらに助長することになるでしょう。価値観そのものを内省してみる必要に、今日本人は迫られています。









 与ひょう、あたしの大事な与ひょう、あんたはどうしたの?
 あんたはだんだんに変わってゆく。
 なんだか分からないけれど、
 あたしとは別な世界の人になって行ってしまう。

 あの、あたしには言葉も分からない人たち、
 いつかあたしを矢で射たような、
 あの恐ろしい人たちとおんなじになって行ってしまう。
 どうしたの? あんたは。

 どうすればいいの? あたしは。
 あたしは一体どうすればいいの?
 …あんたはあたしの命を助けてくれた。
 何のむくいも望まないで、ただあたしをかわいそうに思って矢を抜いてくれた。

 それがほんとうに嬉しかったから、
 あたしはあんたのところに来たのよ。
 そしてあの布を織ってあげたら、あんたは子どものように喜んでくれた。
 だからあたしは、苦しいのを我慢して何枚も何枚も織ってあげたのよ。

 それをあんたは、そのたびに「おかね」というものと取りかえてきたのね。
 それでもいいの、あたしは。
 あんたが「おかね」が好きなのなら。

 だから、その好きな「おかね」がもうたくさんあるのだから、
 あとはあんたと二人きりで、
 この小さなうちの中で、
 静かに楽しく暮らしたいのよ。

 あんたはほかの人とは違う人。あたしの世界の人。
 だからこの広い野原のまん中で、
 そっと二人だけの世界を作って、畑を耕したり子供たちと遊んだりしながら
 いつまでも生きて行くつもりだったのに…。

 だのに何だか、あんたはあたしから離れて行く。
 だんだん遠くなってゆく。
 どうしたらいいの?
 ほんとにあたしはどうしたらいいの?


 (「夕鶴」/ 木下順二・作)

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死刑推進派を嫌悪するわたしの理由

2008年03月16日 | 一般







今、ちょうど年度末で、こき使われてへとへとです。で、なかなかブログのための時間が取れません。で、今回はわたしが運営している別のブログの記事にちょっと加筆してエントリーします。横着ですね。




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 秋田県藤里町で06年4、5月に起きた連続児童殺害事件で殺人と死体遺棄の罪に問われ、死刑を求刑された畠山鈴香被告(35)に対する判決が19日、秋田地裁(藤井俊郎裁判長)で言い渡される。長女彩香ちゃん(当時9歳)の橋からの転落への関与と、米山豪憲君(当時7歳)の殺害を認め、「極刑を望む」と公判で繰り返し発言した被告だが、自分の母親にあてた手紙には厳刑を恐れる気持ちが書かれていた。



 「少なくとも無期懲役。怖い」。白い縦書きの便せんには、黒ボールペンで被告の小さく丁寧な文字がつづられている。昨年12月3日の接見禁止解除後、母親に2、3日おきに届いた手紙の中で、畠山被告は自分の受ける刑を予測し「怖い」と吐露していた。



 畠山被告は昨年10月31日の被告人質問で「米山さんの望む通りの刑。極刑を望む」と初めて発言した。母と弟が初めて接見した同12月4日、被告はドアのすき間から様子をうかがってなかなか近づかず、最初に「母さん、ごめんなさい、ごめんなさい」と口にしたという。「家族を思うと死刑になっていいのか二つの心を持っている」と揺れる心を公判で話したのは同12月21日。今年1月25日の死刑求刑は想定していたようで、接見した家族にも取り乱した様子は見せなかったという。



 被告の母親あての手紙には、家族への思いがつづられている。母親が温かい弁当を差し入れた際には「母さんの弁当が一番おいしい」と書かれ、「彩香へ」と書かれた手紙には母親が用意したクリスマスケーキを「食べるんだよ」と記してあった。豪憲君の遺族にも謝罪など10通以上の手紙を送ったが、遺族は「サル芝居」と被告への怒りを強めている。



 事件から間もなく2年。豪憲君の遺骨は秋田県能代市の寺に納められ、行く先が決まらなかった彩香ちゃんの遺骨も昨年春、ひっそり同市の別の寺に預けられた。彩香ちゃんの小さな遺骨は本堂に安置され、生前好きだった黄色い花を供えるなどして住職夫妻が手厚く供養しているという。【田村彦志】






毎日新聞 2008年3月15日 2時30分


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鈴香被告の「怖い」という気持ちは正直なものでしょう。死にたくない、という気持ちがあるのは正直なことでしょう。また一方で、ご遺族の許しがたいという気持ちも当然です。ただこれはこの二者間の問題です。



でも、ご遺族の自然な感情に便乗して、怒りを発散させるマスコミやマスコミに煽られる大衆が死刑を要求するのは行き過ぎです。死刑はいまのところ合法的であるとはいえ、やはり一人の人間を殺すことですから。犯罪者とはいえ、人の生き死にを大衆感情で決定してはならないと思うのです。



殺人の償いはいつでも応報の死であるべき、という言い分にはわたしは同意しかねます。むしろ人を殺すに至った自分の行為と心情を明らかにし、そこから殺人という犯罪に至らせる人間の行動原理というものの例としてファイルして、どうすれば人間をそこまで追い込まないようにするかというレベルで対処していくのも、償いのあり方ではないでしょうか。



というのは人をして人殺しに至らせる要因というものには必ず、社会のあり方が拘わっていると思うのです。たとえ、それは個々の家庭の問題で、自制心を働かせることができない未熟な人間に育ったことがあるとしても、それはそのように育てられるに至った事情があるはずです。そしてその事情には必ず、社会、あるいは世間の構造というものが関わっているのです。



そういう事情が野放しになっていてはまた同じような事件が起こるのではないでしょうか。ところがもし、世の中のあり方、その社会のアイデンティティに関わるあり方というものに、なにか欠陥があったということが判明したとき、大衆はそれを変えていこうとするでしょうか。それともそれを維持したまま、躓いた人を処理してしまえという全体主義的な思考で片付けるでしょうか。



わたしが見てきた限りでは、人々は自分の責任とかいわれると、つまり原因が自分たちにあるというように、お鉢が自分に回ってくるとそれを受けとめて取り組もうとはしませんでした。むしろ、問題を起こした人に問題があるのだとして、責任を押し付け、厳罰を持って黙らせてしまうのです。



「わたしが見てきた限り」というのは、たちえば、ちょっと昔に起こった「アダルト・チルドレン・バッシング」などの出来事です。子どもが引きこもったり、リスかを繰り返したり、挙げ句が親を殺害したり、子どもが親になって、その子どもを虐待したり…、そうしたことは、親の育て方に問題があった、というアダルト・チルドレン説に真っ向から反対し、それは甘えだだの、道徳を持ち出したりして非難したりだのしたバッシングでした。アダチル・バッシングは、カウンセラーの信田さよ子さんによると、親の側の免責だということでした。



アダルト・チルドレンという「症状」は(人と接することが怖いとか、完全主義で人を傷つけずにはコミュニケートできないとか、うつに陥ったり、親への暴力行為に出る、など)たいてい、アダチル本人に、自分を卑下する深層意識、自分を責め立てる深層意識が基盤にあります。いくらがんばって仕事していてもいつも、これではダメだ、もっとがんばらなきゃと気を張る一方でさらにがんばってしまう、そうしてうつ病に陥ってゆく…、あるいは自分はダメな人間だという基本的な自我像があって、人づき合いでいつも追従的で下卑た振る舞いをしてしまって、さらに自己嫌悪に陥る…、などなどあるのですが、そういう人たちに、それはあなた自身がもともとダメなんじゃなくって、「アダルト・チルドレン」だからだよ、親によるあなたへの関わり方が間違っていたからだよって言って、そういう人たちに一から十まで自分を責める必要がない、あなた自身はもっとたくさん可能性と素質があるんだよというメッセージを与えるものでした。それは子ども自身の「免責」だったのです。子どもたちに欠陥や問題があるんじゃない、だから顔を上げてやり直そう、というメッセージを送るものでした。



アダチル・バッシングはそれに反対して、親に子どもが従うのはあたりまえだ、どんな理由があれ親に暴力を振るったり、親を責め立てるなんて道義に反する、昔の人たちはそんなことは言わなかったなどなど、親が悪いんじゃなく、子どもが甘えているのだ、というメッセージを持つもので、それは親の側の「免責」だった、と信田さよ子先生は指摘されました。



アダチル・バッシングは教育勅語に基づく家族観を押しつけようとする反動的発想です。日本人は問題が親や政府、役人といった権力が認められる側に批判が向けられると、それを回避しようとします。それはつまり問題を根本的に解決しない、いいえ、権力側・体制側に批判の矛先を向けるよりは、躓いていった方の連中を有無を言わせず片付けてしまおう、という発想でもあります。親がどうあれ、子どもは勝手に育つものだというのは、子どもを育てる責任を回避するいいわけです。精神科医たちも小児科医たちも、幼児期における親、あるいは血は通っていなくても親代わりになる大人による関わり方は、後々の人格の成長にとって決定的な影響を及ぼすということを口をすっぱくして述べ、書きます。しかし、とくに日本ではこういう心理主義というのが受けいれられません。それはあまり重要な責任は回避したいという発想と、日本の伝統風習にそぐわない、日本人たるもの…というそれこそ科学的根拠のない精神主義で片付けようとするのです。日本人は責任が自分たち伝統的な体制側に向けられるとそれを徹底的に叩くというのをわたしは見てきました。



犯罪者は有無を言わせず厳罰に処すべし、自分たちの意識に起因する本質的な問題に話が向けられないうちに、問答無用で片付けてしまえというのと同じなのです、厳罰主義者たちの言い分は。どんな立派な理論で飾られていてもね。だからわたしは厳罰主義に徹底的に反対します。日本人の言う死刑存置論にも徹底的に反対します。死刑囚を生み出すような社会のゆがみ、自分たちの全体主義的な発想というゆがみ、責任回避の卑怯な態度がダイッ嫌いで、いいえ、そういうのを憎悪していますから、徹底的に反対するのです。日本人の死刑推進派には問題を本質的に取り組もうという姿勢を拒否するいやらしさがあります。特に鳩山法相のやり口には嫌悪を覚えます。死刑執行された人たちの氏名まで公表し、報復復讐主義に血をたぎらせる大衆感情をさらに煽る結果を生み出しています。12月の死刑執行には政策的な意図さえうかがえるという指摘もあります。



「法務省は7日、東京と大阪で3人の死刑囚に死刑を執行したことを発表した。先月29日、死刑を執行した囚人の氏名を公表する方針を決めて以来初の執行となった。今年の夏、死刑問題について「ベルトコンベアー発言」で多いに物議をかもした鳩山法相が執行のサインをしたわけだが、今回の執行も死刑確定囚の古い方から順には行われておらず、当局の様々な思惑のようなものが見えてくる。

 今回死刑が執行されたのは、府川博樹(42)、池本登(74)、藤間静波(47)の3人。このうち府川は、確定の時期から見てある程度予想された結果だったが、大阪で執行された池本は享年74歳。昨年の77歳の高齢者死刑囚への執行に続く高齢囚への執行であり、法務省が改めて「老齢でも執行」という方針を確認したものといえる。
 一方、東京で執行された藤間は、以前より拘禁ノイローゼ(長期間にわたって拘束されることにより起こる精神的疾患)の症状があり、弁護側が「拘禁による精神状態の悪化により、刑罰の意味さえ理解出来ていない」として執行停止を求めていた。
 これまで、精神疾患を抱えた囚人への執行は見送られる傾向が強かったが、今回の藤間への執行について法務省は「受刑能力に問題は無かった」との見解を示し、新たな先例を作った」。(Ameba ニュース



犯罪者とはいえ、死刑は殺人行為です。合法的とはいえ、死刑は人を殺すということです。それを政治的宣伝なんかに利用しようなんて、これだけで吐き気を催します。こういう態度から覗えるのは、殺人事件を減らしていこうという発想ではなく、「とにかく俺たちの暮らしに波風を立てないでくれ、嫌なことや不公正なことがあっても黙って従え、お上に逆らうな」という暗黙のメッセージです。わたしは、だから、こう答えます。



「嫌です!」



わたしはアダルト・チルドレンの一人で、日本の世間からは決して理解されず、むしろ一方的に締め付けられる側の人間ですから、こういう連中には決して妥協しないのです。



ちょっとアツくなっちゃいましたね。トーンを落とします。





日本人は「伝統」とか「しきたり」というものであればとにかくそれを維持しようとします。でもそれは社会の構成員である私たちのエゴではないでしょうか。世の中を良くしてゆくためには絶えず変革、調整が必要です。それを差し置いて、表面に出てきた「腫れ物」だけを切除してしまえばいいと言うのは、怠惰であり、短絡的であり、エゴイスティックだと思うのです。犯罪者を死刑にするだけでは本質的な対処にはならないと思います。まして被害者感情に便乗して大衆がマスコミと一緒になって死刑を要求するというのであれば、それも一種の殺人だと思います。


死刑を廃止しよう、と主張する人々の主張の根拠として、「冤罪が起きやすい構造」が指摘されています。これは今の日本では特にいえることかもしれません。死刑が執行された後で、無罪が判明した場合、死刑判決を下した裁判官たち、検察官たちは応報として死刑にされるでしょうか。マスコミはそのときも世論を煽って、冤罪で人を殺した彼らを死刑を要求するでしょうか。さらに裁判員制度が実施されるようになると、民間人の審理によって死刑判決が下される場合も考えられます。もしその判決に性急さがあって、実は冤罪だったとしたら、その裁判員たちは応報として死刑に処されるでしょうか。応報として人を死刑にするという考え方は、やはり野蛮であると思われないでしょうか。わたしはそう思います。










 われわれをして現在あらしめているものは、「伝統」の強い影響力です。
 だから伝統を軽蔑することはバカげています。

 しかし、人間的諸関係が常に改善されるべきものであるとすれば、
 われわれの自意識や知性が成長するにつれて、
 われわれは「伝統」を制御し、
 「伝統」に対して批判的な態度をとりはじめねばなりません。

 受けいれられている伝統の中で、
 何がわれわれの運命と尊厳にとって有益であるか、
 われわれはこれを知ることに努めるべきで、
 それに従って、お互いの生活を形成してゆかねばなりません。




 アルバート・アインシュタイン




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資料 言論暴力団・産経 5

2008年03月15日 | 文学・芸術・雑学・健康
 
[産経]古森義久が慰安婦問題でデマ報告をする



最近3Kの古森義久氏は、慰安婦問題での史実の捏造報道がバレ、もうゴマカシが効かなくなりヤケになっているのか、自身のブログで元大本営参謀で世日クラブの監査役を務めている統一協会関係者・高橋正二氏のトンデモ報告とやらを連発で紹介している。

あまりにも内容がデタラメなので取り上げることにします。

ちと長いですが、がまんして読んでください。

(「軍による強制連行はなかった」(1)と「従軍慰安婦の仕掛け人たち」(2)のツッコミについては、とりあえず保留中です。)

「米軍も売春女性を徴用した」‐‐元大本営参謀の証言(3)
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/157217/#cmt
(古森ブログ 以下一部引用)
元大本営参謀で戦後は明治薬科大学の理事長などを務めた高橋正二氏の報告を続けます。高橋氏は終戦直後に米軍と直接、接触する「有末機関」の一員だった貴重な体験を経ています。
その有末機関時代に米軍は日本側に売春宿の開設や日本女性の売春婦としての徴用を命じた経緯が証言されています。
軍隊とセックスというのは、なにも日本軍だけが例外だったわけではないことの証明といえましょう。

以下は高橋氏の報告からの引用です

「米軍も女性の強制徴用を求めていた」

(前略)昭和20年8月24日、厚木飛行場に参りましたが、それはひどい有様でした。先遣隊(隊長テンチ大佐)約150名は28日、マッカーサー司令官は30日、到着し、ただちに横浜へ、私どもは神奈川県庁の一部に陣取り、9月20日、ミズーリ艦上降伏文書調印式における代表団一行の出迎えなどに忙殺されていました。

これら期間を通じて、頭を悩まし続けたのが、進駐軍兵士により暴行、強姦などが毎日毎日、被害の訴えがあることでした。

『進駐軍兵士により治安騒乱のうち、最もてこずったのは日本婦人に対する暴行、強姦などの風紀上の問題であった。最初の訴えに対し、第八軍司令官アイケルバーガー中将は「若い学生がジャングルから飛び出して、広々として校庭に出たようなもの、しばらく我慢してくれ、我々の方でも十分、気をつけるから」との話であったが、来る日も、来る日も、この種の訴えは一向に減る様子もなく、そのたびごとに報告者の悲憤慷慨は想像に絶する激越なものであった』(有末精三著『有末機関長の手記』)

当時、進駐軍軍人、ことに黒人の児を宿して生まれた混血児は3000人ともいわれ、澤田廉三元大使、および美喜夫人の経営するエリザベスサンダーホーム(大磯における孤児院)をはじめ、各種の施設や社会事業などのこれら悲劇の対策は講ぜられたものの、わが国、社会に残した傷跡はまことに残念なことでありました」

進駐軍の初仕事とはなんであったのか

「一、厚木飛行場に先遣隊が進駐してきた日の翌日の8月29日、米軍連絡将校が東京の警視庁に現れ、『娼家の施設をみせろ』と言ってきた(売春施設問題が初仕事ではないか)

二、同年9月28日、東京都衛生局が初めて受けた命令は『女』の問題。都衛生課員の与謝野光博士がGHQ(連合軍総司令部)公衆衛生局長サムス大佐のもとで交渉を開始、都内に残っていた花柳街五箇所および特飲街十七箇所(うち一箇所『千住』のみ日本人用)を接取された。

三、売春施設だけでは満足しない米兵は街の一般婦女子にも手を出し、パンパンガールとして自ら乗り出した日本婦人も現れた。

四、昭和28年2月27日、第十五回国会参議院本会議で、社会党の藤原道子議員の質問演説にも左のとおり触れている(当時の女性議員協議の結果)。

『アメリカ当局には軍紀の励行を望みたい。どうしてもそれができないならば、日本の女性をこれ以上、蹂躙することなく、この際、本国から対象となるべき必要数の女性を呼び寄せて、自国の女性によって性の解決をされるように要望したいのであります。(拍手)』
(以上 全文はソース)





この高橋正二氏って人の証言は、内容だけじゃなく時系列もメチャクチャだなぁ

古森氏は、「米軍は日本側に売春宿の開設や日本女性の売春婦としての徴用を命じた経緯が証言されています。」などと言ってるが

米軍用の慰安所は、日本政府が国策として敗戦わずか3日後の1945年8月18日には、進駐軍の上陸に備えて、目にもとまらぬ早さで内務省警保局長から警察部長宛の無電通牒を発し、米兵のための慰安所の準備を各都道府県に命じ、全国の警察も慰安婦集めをしています。そして早い自治体では9月3日から営業を開始しています。


以下参考 従軍慰安婦 吉川春子P146~147より
[埼玉県史・通史編7]

昭和20年(1945)8月15日に敗戦により、日本は占領下に入った。埼玉県では9月14日の米陸軍代四三師団の熊谷への「進駐」を皮切りに…占領軍部隊の「進駐」が始まった。その数は20年11月現在で約17000人の多数にのぼった…。
さて、これより前、敗戦からわずか3日後の8月18日、内務省は、警察部長名で「外国軍駐屯地における慰安施設に関する件」の通牒を発した。「性的慰安」を含む、「外国駐屯地慰安施設」の設置・整備を指示したものであった。具体的指示を与えている「整備要綱」から第三・四項を示そう。

三 警察署長は左の営業に付いては積極的に指導を行ない、設備の急速充実を図るものとする。
性的慰安施設
飲食施設
娯楽場

四 営業に必要なる婦女子は芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習密売淫犯者等を優先的に之を充足するものとする。

この通牒をうけて、8月26日、特殊慰安施設協会(RAA)を設立し、東京銀座街頭に「新日本女子に告ぐ」の募集広告を出し、華々しく営業に乗りだしたのである。
(以上)


つまり、米軍が日本側に売春宿の開設や日本女性の売春婦としての徴用を命じたもなにも、それより前に日本政府が命じてるわけです。

[特殊慰安施設協会(RAA)について]
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c6%c3%bc%ec%b0%d6%b0%c2%bb%dc%c0%df%b6%a8%b2%f1
特殊慰安施設協会は内務省が中心になり占領軍対策として半官半民(5000万円ずつ出資)で設立された。



P152より
[北海道警察史2 昭和編]

その募集については主として業者を通じて行なったが、事の重要性に鑑み警察官自身も直接それに従事した。すなわち警察保管の旧娼妓名簿から前職者の住所・氏名を調査し、彼女らを訪ね毛布、砂糖などを贈って、日本及び日本人のため再び稼働するように説得し、協力を求めた。このような官民挙げての努力により450余名の現職者と合わせて本道の特種慰安婦は総勢770余名に増強された。
(以上)



P158より
[兵庫県警察史 昭和50年3月発行]

慰安所は押すな押すなの大盛況であった。しかし終戦の年も押し詰まった12月15日にGHQ(連合国司令部・吉川)から進駐軍将校に対し慰安所への立ち入り禁止命令が発せられ、MPによる取り締まりがはじまった。このため慰安所はわずか3ヶ月で閉鎖せざるえなくなり、1000名を超える慰安婦は失職し、次第に街娼化していった。いわゆるパンパンガールの出現である。
(以上)


GHQによる公娼廃止指令について
1946年1月、GHQは全兵士にこの公娼施設への立入りを禁止すると共に、「日本の身代金や前借金などの名目で拘束された公娼制度は民主主義に反する」として、「日本に於ける公娼廃止に関する件(覚書)」を発し、日本政府に公娼制度(貸座敷・娼妓)を全て廃止するよう、命令した。

それを受け、1946年2月、日本政府は「廃娼令」を施行した。

こうして、基本的に日本国内の売春行為は非合法となった。

だが、戦後社会の混乱による、そして、進駐軍兵士による婦女暴行事件などを防ぐためにと、1946年11月、日本政府は、私娼取締りを名目として、旧遊廓を事実上存続させる方針を決定した。

GHQは、これを黙認した。GHQも、日本の民主化改革のために公娼制度を廃止したが、実際は、米軍兵士のための売春婦を必要としており、また、性病予防の観点からも、こういった性的慰安施設が必要だったのである。



あと、pr3さんもこんな指摘をされている。

「黙然日記」より
古森義久氏、統一協会関係者を熱心に紹介する。
http://d.hatena.ne.jp/pr3/20070423/1177322897
コメント欄でも指摘されていますが、お年を召した高橋氏の証言にはだいぶ事実誤認があるようですね。言っている内容自体もかなりひどくて、引用部分はそれこそ人種偏見丸出しの上に、混血児が生まれたのはどう考えても占領開始から9ヶ月後以降なんですが(エリザベス・サンダースホーム設立は1948年)、なんで占領開始直後の話をしているときにこの話題が出るのか

以上のことから、古森氏にはデタラメな報告をヤメてもらいたい。

 (RAAに関して間違いがあったので後から追記、修正しました。)



出典はこちら
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資料 言論暴力団・産経 4

2008年03月14日 | 文学・芸術・雑学・健康
[慰安婦問題]産経・古森氏が、また歪曲報道

占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm
http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070506071615


(2007/5/5 産経)
【ワシントン=古森義久】終戦直後の日本国内で占領米軍の命令により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。しかし同議員は戦争中の日本の慰安婦は旧日本軍が政策として一様に拘束し、強制した女性ばかりだった点が米軍用慰安婦とは異なると述べた。

AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。
(以下略 全文はソース)

>日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き

AP通信の報道では、こんなこと書いてないし、自己のイデオロギーを絡めて報道しすぎです。

当ブログでは、こないだもこちらの記事で取り上げてますが、終戦わずか3日後に日本政府(内務省)は、進駐してくるアメリカ軍のための慰安所を作るよう、8月18日付けで「外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局長通牒」を出し、各都道府県の警察に対して米兵慰安所の急設を指示しています。

慰安所の設置方法は、警察が指導し、おもに業者にやらせる方法で「特殊慰安施設協(RAA)」を設立しています。


だいたい、「日本だけが悪いんじゃないんだ~!」といった3Kの報道が、逆効果なうえ日本のイメージを失墜させ続けているだけだと、何度言ったら・・・・


↓5/4付けAP通信全文の翻訳は2ちゃんにネ申がいたので拝借しました。

「ニューヨーク・タイムズ」より
GIs Frequented Japan's 'Comfort Women'
GIも日本の「慰安婦」を頻繁に利用
(機械翻訳)GIは日本の'従軍慰安婦'によく(しばしば)行きました。
http://www.nytimes.com/aponline/world/AP-Americas-Comfort-Women.html?_r=2&oref=slogin&oref=slogin
WW2中に行われた、慰安婦を兵士に供するするという忌まわしき行いには、知られざる続編があった。無条件降伏後、日本は米軍兵士に対して似たような慰安婦システムを用意していたのである。

この度初めて英訳された史料によれば、アメリカ当局は、女性が売春を行うことを強制されていたことを知りながら、売春システムを作ることを許可していた。彼らは日本軍がアジアで占領地の女性に対して行ってきたひどい行いを十分に熟知していたにもかかわらず。

1946年の春、マッカーサー将軍がこれらの公的売春宿を閉鎖するまで、数万の女性が米兵に安価なセックスを提供すべく雇用されていた。

これらの史料によれば、これらの売春宿は45年8月以降、米兵が大挙流入してくる前に急遽設立されたもの。

「残念ながら、われわれ警察は占領兵のために売春宿を用意せざるを得なかった。」と、茨城県警の公式記録は伝える。「この政策の狙いは、プロの女性を防波堤とすることで、一般の婦人および少女を守るという点にあった。」

この命令は、1945年8月18日、日本の特使が降伏文書の作成のためにフィリピンへと発つ前日に、内務省から発せられた。

茨城県警は直ちに作業に取り掛かった。適当な施設は県警の独身寮しかなく、急遽これが売春宿へと改装され、海軍からベッドなどが用意された。20人の女性が集められ、9月20日に開業した。

「予想されたとおり、開業と同時に売春宿は大盛況となった(elbow to elbow)。慰安婦は当初昨日まで敵であり、言語も人種も異なる人間を相手にすることに抵抗を示し、また大きな不安を感じていた。しかし彼女らの給料は高く、次第にかつ平和に彼らは仕事を受け入れていった。」

日本政府の資金で運営されていたRAA(娯楽保養組合)の援助の下、警察当局と東京のビジネスマンは売春宿のネットワークを設立した。45年8月28日には厚木に占領軍の先遣隊が到着し、その日の夕方までには先遣隊の兵士はRAAの売春宿を見つけていた。

「私は2~3人のRAAの上役とその売春宿へ駆けつけ、そこに500人から600人の列が出来ていることに驚きました」と、RAAの広報担当主任のカブラギセイイチは1972年の回顧録に書き残している。アメリカの憲兵はこれら兵士の統制をするのに必死だった。

文民政府と警察によって作られ、かつ管理されていたにもかかわらず、そのシステムは日本軍がアジアに作り上げた慰安婦のそれと同じだった。

カブラギによれば、アメリカのGIは料金を先払いしてチケットとコンドームを受け取った。最初のRAA売春宿であるコマチエンは38人の女性を擁していたが、余りの需要に直ちに100人まで増員した。それぞれの女性が1日に15人から60人の兵士の相手をした。

アメリカの歴史化ジョン・ドウアーは、彼の著作「敗北を抱きしめて:第2次大戦の日本の軌跡」の中で、1セッション(短いもの)で15円、タバコひと箱の半分ほどの値段だったと記している。

カブラギは、これらの需要の急増によって、ライセンスされた売春婦以外の女性に対してまでも募集をかけざるを得なくなったと記している。

コマチエンで働いていた19歳の女性(親族を戦争で失っていた)、タキタナツエは、事務員募集の広告を見て応募した。彼女はそこで慰安婦以外の仕事の空きは無いと聞かされ、その仕事を受けるよう説得された。

占領軍が撤退した1952年以降に書かれたカブラギの回顧録によれば、タキタは売春宿での仕事を始めた数日後、列車に身を投げたという。

「最も悲劇的な被害者は、『新しき日本の女性』を求む、という公募に応えてやってきた、何の経験も無い女性達だった」と彼は書いている。

1945年の終わりまでに、35万人の米兵が日本に駐留していた。この間、RAAは最大で7万人の売春婦を米兵のために雇用していた、とカブラギは書いている。可能性は必ずしも否定されていないが、日本人以外の女性が海外からこのRAAシステムのために集められたという明確な証拠は存在しない。

広島平和研究所の歴史学教授であるタナカトシユキは、カブラギの残した数字を立証することは困難だと警告している。しかし、タナカ氏は同時にRAAというのはこの時期に存在した売春宿の一部に過ぎず、私的な売春宿の数はこれらを大きく上回るだろうとも付け加えた。

田中の発見した史料によれば、アメリカの占領当局は、米兵を客とする慰安婦のためのペニシリンを日本政府に供与し、RAAの売春宿の近くに予防施設を設営し、当初は、米兵がそれらの施設を利用することを容認していた。

占領当局は、このGI向けの慰安婦システムが、日本軍兵士のためのそれに類似していることを理解していた。

1945年12月6日、GHQ厚生保険局のシニアオフィサーであったマクドナルド中佐のメモによれば、アメリカの占領軍は日本の慰安婦が多くの場合強制されていたことを認識していた。

「その少女は、彼女の両親の経済的困窮とその両親らの懇請、そして彼女自身の「自分が犠牲になっても家族を助けたい」という思いのために、売春宿と契約せざるを得なかったのだ」と彼は書いている。「しかしながら、われわれの情報提供者は、以前ほどではないにせよ都会部には奴隷として売春を強制される例がまだ存在する、と信じていた。」

従軍牧師からの警告(文句)と、この慰安婦問題が米国本土に伝わることへの懸念から、1946年3月25日に、マッカーサーは全ての売春宿を非合法化した。RAAはすぐに解散した。

マッカーサーの懸念はモラルの問題にとどまらなかった。タナカによれば、この時点までに米兵の4分の1以上が性病に罹患していたのである。

「全国的な売春宿の非合法化は15万人以上の女性の職を奪った」とタナカは2002年の性奴隷についての本に書いている。「その多くは非合法での売春を続けたが、その多くが性病と貧困に苦しんだ。」

海外からの集中的な圧力を受けて、1993年に日本政府は、アジアにおいて売春宿を運営し、女性に兵士への奉仕を強いたことに一定の役割を果たしたことについて謝罪した。この問題は依然として議論の的となっている。

1月に、カリフォルニアの下院議員マイク・ホンダは日本の性奴隷の使用に対する非難決議を提議した。これは、慰安婦に対する保証を行うための私的機関として、93年の謝罪の2年後に設立されたアジア女性基金の解散を前に、日本に対して新たにプレッシャーをかける思惑もあってのことであった。

この基金は、5万人とも20万人とも言われる、日本軍のために奴隷化された多くの女性のうち、フィリピン・韓国・台湾の285人の女性に対してのみ補償を行った。それぞれの女性は200万円を受け取った。オランダ人とインドネシア人の女性の一部も支援を受けた。

この基金は3月31日に予定通り解散した。

この基金のエグゼクティブディレクターであったワダハルキは、この基金の創設は日本のリーダー達の態度に重要な変化があったことを意味すると同時に、正義を行うべしという日本のサイレントマジョリティの意思の反映であると語った。また、この基金は私的なものではあれど、日本政府は46億円を支出したメインスポンサーであったという点も彼は指摘した。

しかし同時に、かれはこの基金が予想を下回ったということを認めた。「ほとんどの女性は名乗り出なかった」と彼は語った。

日本女性に対する搾取を認識し、解決するための第一歩としては、この基金は完全に失敗だった。彼女ら日本女性にはその資格があったにも関わらず、誰一人として補償を求めては来なかったのだ。

「日本の女性は誰一人として名乗り出なかった」とワダは語った。「彼女らが自身の意思と関係なく強いられていたのだと言える、と感じない限り、名乗り出ることは出来ないと彼女らは感じている。」

-------------------
以上で翻訳終わり。英語としてはすごく平易な文章だから、そんなに誤訳は無いと思う。まぁ、GHQは命令したのではなく、強制などがあることを知っていたにもかかわらず容認した、またそれが牧師らによって公になりそうだったので慌てて閉鎖した、というあたりでしょうかね。
(以上)



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資料 言論暴力団・産経 3

2008年03月14日 | 文学・芸術・雑学・健康


2007-06-30 12:28:27 gataro-cloneの投稿

産経新聞古森記者、こんどは、ワシントンからではなく2ch情報を見て記事を書く【木田貴常さん】

テーマ:マスゴミ

前に捏造記事を古森記者が書いたことで謝罪した産経新聞 ⇒

【APの慰安所設立米軍命令報道】産経新聞が古森義久記者の捏造記事を謝罪訂正することに決定したよ【美しい壷日記】
asyura2.com/07/cult4/msg/334.html
投稿者 一市民 日時 2007 年 5 月 22 日 00:17:18: ya1mGpcrMdyAE

だがそんなことでは懲りない産経新聞古森記者、今度は駐在先のワシントンからではなく、2ch情報を元に記事を書いているという。

==========================================

産経新聞古森記者、こんどは、ワシントンからではなく2ch情報を見て記事を書く
http://www.asyura2.com/07/senkyo37/msg/341.html
投稿者 木田貴常 日時 2007 年 6 月 30 日 08:28:15: RlhpPT16qKgB2

産経新聞古森記者は、週末になるとテレビの討論番組を意識してか、地球の裏側ワシントン市から反「反日」ニュースを送ってきます。しかし最近は、自分の足で稼いだ情報は殆ど無く、古いネタのリニューアルとか外信記事を翻訳捏造するとか、2次加工、3次加工ばかりが目に付きます。

今度は何と、20日も前の2chネタをiza親衛隊から教わって、記事に仕立てたようです。
しかも今回は、サンフランシスコの小さな通信社の有料記事を、無断で無料で使ったという疑惑すら感じます。

(1)
どんな記事かは、古森義久氏自らのブログでお楽しみください。
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/209812/

~~~~~~~~~引用開始

慰安婦決議案の推進の主役はやはり中国系団体だった
2007/06/29 05:36

アメリカ下院外交委員会が6月26日に可決した慰安婦問題での日本糾弾決議案はなぜこの時期に審議され、採択されたのか。まだ本会議での取り扱いが残っているとはいえ、この時点で全体の構図の再確認をしておくことが必要でしょう。
「この時期の採択は日本側有志が6月14日のワシントン・ポストに意見広告を載せたからだ」などという根拠のない憶測が朝日新聞などに堂々と書かれています。英語でいえば、wishful thinking とでもいえましょうか。
決議案がこの時期に表決に付されたのは、もちろん複合の要因がありますが、最大の力は在米中国系反日団体による激しいロビー工作です。そのことを証する報道を私は産経新聞で紹介しました。例の「世界抗日戦争史実維護連合会」という組織がトム・ラントス外交委員長、ナンシー・ペロシ下院議長らカリフォルニア選出の民主党下院議員に「アジア系有権者の票と資金」を武器として、「脅し」ともいえる圧力をコンスタントにかけ続けてきたことの成果が今回の表決だといえます

これら中国系団体は日本が戦争の歴史について、なにか新たな言動をとったから非難をぶつけてくるというのではありません。常にこの種の問題で日本を叩いていること自体が目的なのです。マイク・ホンダ議員はそのための「手段」なのです。

朝日新聞も共同通信もNHKも、この中国系団体の役割にはまったく触れることがありません。「抗日連合会」がニューヨーク・タイムズへの意見広告などで、堂々とその名前を表面に出しても、「中国系」については一切、無視です。それを認めると、自分たちがこれまで提示してきた慰安婦問題に関する「構図」の虚構性が証されてしまうから、なのでしょうか。少なくとも中国系団体がからんでいることを報じるのが客観報道の基礎だと思うのですが。

以下はラントス議員が「抗日連合会」から脅されていた事実の経緯を報じた記事です。6月28日の産経新聞に掲載されました。
なおそのあとに、私が引用し、紹介した英文記事の原文を載せました。

産経新聞6月28日付

「慰安婦決議案 米下院委が可決 中国系反日団体が圧力」 [AD] AdSpace

▲Rectangle AD▲photo.staphoto.end
google_ad_section_start(name=s1) hombun
 【ワシントン=古森義久】米下院外交委員会(トム・ラントス委員長)が26日、慰安婦問題に関する対日非難決議案を可決したが、この動きの背後では中国系反日団体がラントス委員長に激しい圧力をかけ、敏速に採決の動きをとらなければ次回の選挙で別の候補を支援するという政治的脅しがあったことが報じられている。

 この情報はカリフォルニア州中部のニュースを報じる地方通信社「ベイ・シティ・ニューズ」(本社・サンフランシスコ)の6月14日発報道として流され、地元の新聞数紙に掲載された。


委員長に「対抗馬」示唆


 同報道によると、歴史問題で日本を一貫して非難している在米中国系団体「世界抗日戦争史実維護連合会」(以下、抗日連合会と略)の幹部たちは、他の在米中国系組織幹部とともに同州クパナティノの中国料理店で集会を開き、マイク・ホンダ議員らが下院に提出した慰安婦決議案の可決促進を協議した。抗日連合会のイグナシアス・ディン副会長(中国系米人)が語ったところでは、同幹部連は下院のナンシー・ペロシ議長とラントス委員長が(慰安婦決議案の採決推進に関して)言い逃げをしているとの見解を明示した。とくにラントス委員長は人権擁護派の評判にもかかわらず「同決議案支持へのわれわれの訴えに応じず、有権者とアジア系米人社会への軽侮を示している」と主張したという。

 このディン氏の発言はちょうどラントス委員長らが日系長老のダニエル・イノウエ上院議員から同決議案を審議しないよう要請され、さらに訪米した安倍晋三首相と会談して、同首相から慰安婦問題について「申し訳ない」という言明を得て、同決議案への取り組みをソフトにしたようにみえた時期と一致する。

 しかし「ベイ・シティ・ニューズ」の報道によると、抗日連合会の幹部らは民主、共和両党議員への政治献金者であり、このままではラントス委員長らに献金目的にのみ利用され、実際の行動では放置されるという懸念を表明した。そしてディン氏らは「選挙区の33%がアジア系住民であるラントス委員長が同氏らと意思疎通できないならば、もう新しい議員の選出の時期となるだろう」と告げた。ディン氏らはこの「脅し」をラントス委員長のカリフォルニア第12区の人口動態の数字と過去の投票結果で裏づけ、2008年の下院選挙では自分たち自身の候補をラントス委員長への対抗馬として立てることを示唆した。

 ディン氏は「ラントス事務所の私たちに対する最近の扱いにはまったく当惑している。すでに対抗候補として十分に資格のあるアジア系米人女性を含む数人を考慮している」と語ったという。

 在外中国系住民により1994年に設立された抗日連合会はホンダ議員の選挙区に本部をおき、中国政府とも密接なきずなを持ち、戦争や歴史に関して日本を一貫して非難してきたほか、2005年には日本の国連安保理常任理事国入りへの反対署名を4200万人分集めたと発表している。ディン氏ら幹部は1990年代からホンダ氏と連携して日本非難の決議案の作成や提出にかかわり、政治資金も集中的に提供してきた。

 ラントス委員長の事務所ではこのディン氏らの動きについての報道に対し26日、「もう実際の事態展開で事情は変わった」と述べた。



 以下は上記の記事の素材となったアメリカ側通信社報道の英語の原文です。

CUPERTINO (Bay City News Service) — A group of Asian Americans were calling on the community and elected officials on June 8 to help lobby the Japanese government into an apology for the forced prostitution it forced on Asian women before and during World War II.

Members of the Global Alliance for Preserving the History of World War II in Asia, the Chinese Americans for Democracy in Taiwan and others met in a Chinese restaurant June 8 to encourage support for House Resolution 121, introduced by Rep. Mike Honda (D-San Jose).

The resolution urges the government of Japan to acknowledge, apologize and accept the historical responsibility for the Japanese Imperial Armed Forces’ coercion of young women into sexual slavery.

"This is a human rights issue, this is a women’s rights issue," Barry Chang said. "This is the right thing to do."

The Japanese government has not yet made a formal apology, although it has acknowledged the situation, according to Chang.

Some group members said that House Speaker Nancy Pelosi (D-San Francisco) and Congressman Tom Lantos (D-San Mateo/San Francisco) have been giving them the runaround, according to Ignatius Ding, executive vice president of the Global Alliance for Preserving the History of World War II in Asia.

The group alleges that Lantos, who has a strong reputation in human rights, is showing disrespect to voters and to the Asian American community for not responding to their calls for support for H.R. 121

Members of the group, several of whom are donors to the Democratic and Republican parties, expressed concern that they are used for fundraising purposes but when it comes to action they are left out.

The resolution currently has 129 co-sponsors but requires 218 to ensure passage. Ding said he does not understand how a morally correct resolution with no financial strings or political agenda can be put so easily aside.

The resolution also has 9,000 churches across the United States in support, according to Ding.

Chang and Ding also suggested that if Lantos, who represents a district that is 33 percent Asian American, can’t communicate with them, then perhaps it’s time for new representation.

The group backed their threat with demographic numbers from the 12th California District and election results that they feel lend support for putting up their own candidate to run against Lantos in the 2008 election.

Ding said he is "totally puzzled" by the treatment they have received from Lantos’ office. "He has been good to us, until recently," Ding said.

Ding said the groups have several candidates in mind, including one well-qualified Asian American woman, who he declined to name.


~~~~~~~~~~引用おわり


「世界抗日戦争史実維護連合会」を、「以下、抗日連合会と略」とか、memberを幹部と訳したり、なかなか香ばしい翻訳ですが、もともとの記事はどおってことありません。アメリカでのロビー活動ではあたりまえの光景です。

まあ、その元記事の中味はともかく、それを自分の記事に仕立てる古森氏の扱いの雑さが目立ちます

> このディン氏の発言はちょうどラントス委員長らが日系長老のダニエル・イノウエ上院議員から同決議案を審議しないよう要請され、さらに訪米した安倍晋三首相と会談して、同首相から慰安婦問題について「申し訳ない」という言明を得て、同決議案への取り組みをソフトにしたようにみえた時期と一致する。

と古森氏は書いていますが、ダニエル・イノウエ上院議員がラントスに書簡を送ったのは3月ですし、ラントスら米民主党有力議員が安倍晋三と懇談したのは4月27日です。この中華料理店での会合が6月8日ですから、時期が一致するとはどういう意味なのでしょうか?

なんでもムチャクチャ書いても支援する親衛隊向けの記事なのでしょうか?

内容が雑なことだけかと思いましたら、ソースの記事に対する礼儀も雑なようです。
同じizaブログにni0615氏がツッコミのエントリーを示しています。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/210860/


ソースは2ch
そして、有料記事ということを見落としているような気がして成りません。


" Buy - Jun 8, 2007 - BCN43:CUPERTINO: ASIAN AMERICANS CALL FOR JAPANESE APOLOGY"

こういう記事でも、土曜、日曜、月曜のTVはネタとして飛びつくのでしょうか?

出典はこちら
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資料 言論暴力団・産経 2

2008年03月14日 | 文学・芸術・雑学・健康


 


     東京弁護士会が、「国立第二小問題」で校長、国立市教委、産経新聞の
                     人権侵害を指摘!


【当時の校長に勧告】

                                         東弁人第168号
                                          2005年3月29日
○○○○ 殿
                                          東京弁護士会
                                          会長 岩井 重一

                            勧告書

 貴殿が、国立市立第二小学校の校長として在職中、2000年3月28日付の「卒業式実施報告書」に、「日の丸」の掲揚に反対する児童らが集団で校長に詰めより「日の丸」の降納及び「土下座」による謝罪をさせたと読みとれる記載をしたことは、事前の説明なく「日の丸」を掲揚した理由等の説明を校長に対して求めようとした児童らの意見表明権の行使につき歪曲して記載するものであり、児童らの意見の表明を「相応に考慮」すべき義務に違反し児童らの意見表明権を侵書するものといわざるを得ません。
 よって、今後は児童らの意見表明権を尊重し、二度とかかる行為に及ぶことのないよう、勧告致します。



【国立市教委に勧告】
                                          東弁人第168号
                                          2005年3月29日
国立市教育委員会 御中
                                           東京弁護士会
                                          会長 岩井 重一


                          勧告書

 貴委員会は、国立市立第二小学校(以下「国立二小」といいます。)の1999年度当時の○○○○校長に対し、2000年3月24日に実施された同校の卒業式について「卒業式実施報告書」の作成を指示し、結果、同校長は2000年3月28日付で同報告書を作成しましたが、同報告書には、「日の丸」の掲揚に反対する児童らが集団で校長に詰めより「日の丸」の降納及び「土下座」による謝罪をさせたと読みとれる記載があります。これは、事前の説明なく「日の丸」を掲揚した理由等の説明を校長に求めようとした児童らの意見表明権の行使に関して歪曲した記載であるといわざるを得ません。
 貴委員会は、報告書の作成に閲し校長に適切に指導助言すべき立場にあるものであり、同校長に上記の如き記載をさせたことは、指事助言に遺漏があったと認められ、ひいては児童らの意見の表明を「相応に考慮」すべき義務(子どもの権利条約第12条1項)に違反し児童らの意見表明権を侵害するものといわざるを得ません。
 しかも本件では、当該地域において、その後、政治団体の街宣活動が頻繁に行われるなど、国立二小の卒業生に対して多大な心理的負担を与える事態も発生しており、このような事態が招来されたことは真に憂慮すべきことです。
 よって今後二度とかかる事態を招来しないよう、また今後は児童らの意見表明権に十分配慮した教育行政を遂行されるよう、勧告致します。



【産経新聞社に要望書】
                                           東弁人第168号
                                            2005年3月29日
株式会社 産業経済新聞社
代表取締役会長 住田 良能 殿
                                            東京弁護士会
                                            会長 岩井 重一

                           要望書

                          要望の趣旨

 「産経新開」の2000年4月5日付朝刊に掲載された「児童30人、国旗降ろさせる」と題する記事(以下「本件記事」といいます。)には、同年3月24日に行われた国立市立第二小学校(以下「国立二小」といいます。)の卒業式の様子につき、式典終了後に子どもたち30人が日の丸降納を校長に対して迫ったかのような記載があり、また、児童が興奮して涙ながらに「謝れ」「土下座しろ」等と謝罪を要求した旨の記載があります。これらは教育委員会の卒業式実施報告書をもとに記事にされたと思われますが、当会の調査によると必ずしも事実を正確に伝えたものとは認められません。
 この点について別紙(写)添付のとおり、当会は国立市教育委員会及び当時の国立二小の校長○○○○氏に対し勧告しました。
 このような誤解を生じる記事を掲載することは、児童らの名誉及びプライバシーのみならず、子どもの権利条約で保障された意見表明権を侵害するものであります。
 しかも本件記事が端緒となって、当該地域においてその後、政治団体の街宣活動が頻繁に行われるなど国立二小の卒業生に対して多大な心理的負担を与える事態も発生しました。
 当会は、本件記事掲載に際し、貴社の十分な裏付取材がなされなかったことを深く憂慮するものであり、貴社におかれてもかかる取材経過を真摯に再調査されること、そして今後、国立二小を含む学校の入学式・卒業式に関連する報道を行う場合は、本要望書の趣旨に沿って子どもの人権に十分配慮し、慎重な取扱いがなされるよう、ここに強く要望いたします。




【新聞報道】

産経新聞に人権配慮要望 卒業式国旗報道で弁護士会 (河北新報3/31)
http://www.kahoku.co.jp/news/2005/03/2005033101003418.htm

 産経新聞の記事で、東京都国立市立第二小の児童が卒業式で日の丸を降ろすよう校長に集団で迫ったかのように報道されたとして、保護者3人から人権救済の申し立てを受け、調査した東京弁護士会は31日までに、産経新聞社に対し「記事は正確ではなく、児童の人権に十分配慮してほしい」と要望した。
 産経新聞は2000年4月5日付朝刊で、同年3月の卒業式を「児童30人、国旗降ろさせる」「校長に土下座要求」などの見出しで報道した。
 29日付の要望書は児童らが校長に(1)日の丸を降ろしてほしいと発言(2)掲揚の説明が事前になかったことの謝罪を要請(3)居合わせた1人が「土下座」という言葉を使用--は事実としたが「その場にいた約30人が一斉に土下座による謝罪を求めたとは認められない」と指摘。

※その他、四国新聞・熊本日日新聞・中国新聞・静岡新聞・山陽新聞・秋田魁新報・東奥日報・福島民友新聞・岩手日報


子供の権利侵害:東京弁護士会が産経新聞に要望書 (毎日3/31)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050401k0000m040107000c.html

 東京都国立市立第二小の00年の卒業式で「児童が集団で国旗を下ろすよう校長に詰め寄り土下座での謝罪を求めた」などと産経新聞が報じたことに対し、東京弁護士会は29日付で、同新聞社に「報道は正確でなく、人権に配慮した報道を望む」との要望書を出した。同市教委や当時の校長には「(報道のもととなった)わい曲した報告で、児童の意見表明権を侵害した」と勧告した。

 産経新聞が00年4月に報じた後、政治団体の街宣活動が行われ、児童の保護者が同年7月、人権救済を申し立てた。

 同弁護士会が調査した結果▽報道は校長が市教委に出した「卒業式実施報告書」を閲覧か入手して書かれた▽実際は校長から離れた一部の児童が「土下座してもいいくらいだ」と吐き捨てた程度--と判断。勧告や要望書で「報告や報道は、誤った印象を与え、児童の名誉やプライバシー、意見の表明権を侵害している」と批判した。【井崎憲】

 ▽国立市教委の話 勧告は真摯(しんし)に受け止めたい。今後とも教育行政に生かしていきたい。

 ▽産経新聞社広報部の話 記事は確かな取材に基づいた事実を伝えたもので児童らのプライバシー等も十分配慮している。

出典はこちら



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資料 言論暴力団・産経 1

2008年03月14日 | 文学・芸術・雑学・健康

2005年03月20日

産経新聞、「過激な性教育」報道で人権侵害・・・のメモ

■■■■■産経新聞の捏造報道に関するメモ 〜 人権侵害とは、こういうことさ 〜

▼産経の記事「これも人権侵害? 全国弁護士会、次々「勧告」」
>「過激な性教育を行った教員の処分は人権侵害、国歌斉唱も人権侵害など、
全国の弁護士会が、イデオロギー色の強い人権侵害勧告などを
次々に出している現状が、人権擁護法案をめぐって18日開かれた自民党
法務部会・人権問題調査会で報告された。
>城内実衆院議員がまとめた報告によると、東京都立の養護学校で、性器を
露出した等身大の女性の人形を性教育に使った教員が平成15年に都教委
から厳重注意の処分を受けたが、東京弁護士会は今年1月に教育の自由
などを侵す人権侵害として都教委に警告。警告書の中では養護学校から
都教委に提出された人形など教材の返還なども求めた。
http://www.sankei.co.jp/news/050319/sha042.htm

実際に何があったのか?

▼「都が性教育に不当な介入」 教材や教具没収 校長ら116人処分 1000人が人権救済申請へ (2003/12/20)
http://www6.plala.or.jp/fynet/2scrap181-seikyoiku-gakkou.html#%83y%81[%83W%82%CC%82%CD%82%B6%82%DF
▼あなたはどう考えますか?−「性教育バッシング」 http://www.sexuality2003.com/genkou_1.html

かいつまんで言うと、真相はこうだ。
知的発達に障害を持つ子ども達が通う東京都・七生養護学校では、
障害児の発達にあわせ、内外の研究を生かした性教育が、
保護者も話し合い、賛同する中で行われていた。
ところが土屋たかゆき都議(バックには国家神道系カルト・日本会議)ら、および
石原都知事の意を受けた東京都教委は、これを「行き過ぎた性教育」と攻撃し、
どかどかと学校に乗り込んで教材を「調査」、挙句の果てに都教委が教材を
押収するという暴挙に出た。これに随行していたのが 産 経 新 聞 記者である。
発達障害をもつ子どもに対しては、性教育はできるだけ具体的に行なう必要がある。
何も知らないままで成長した結果、性犯罪被害にあうことだってあるのだ。
だからこそ布製の人形(性器も再現してある)などを用いているというのに、こともあろうに
議員どもは「まるでアダルトショップだ」などと放言(なんでそんなアダルトショップに詳しいの?w)
彼らは「過激な性教育が行われている」という非科学的なデッチアゲのキャンペーンのために
障害児教育の現場をふみにじったのだ。「 人 権 侵 害 」とはこういうものである。
▼養護学校児童の保護者も、こうした異常な「性教育弾圧」にきびしく抗議。
http://www.sexuality2003.com/jittai.html
http://www.sexuality2003.com/youbou.html
▼石原都知事にこそ、きちんと性教育をw
 ※避妊もせずに浮気して隠し子を作り、10数年も認知せず。
 http://d.hatena.ne.jp/claw/20040905#p1
▼フジサンケイグループの「性論」路線 ・・・「まるでアダルトショップだ」w
 http://pink.zakzak.co.jp/ 
 ・・・ライブドアの下に逝ってよし(@∀@)





2006-11-23 19:09:58

重篤な産経症が発現しました・産経新聞が人権侵害を助長するコラムを掲載

テーマ:産経症

産経の書く内容は、ほとんどトンデモだが、今回のはちょっと捨て置けない。とはいいつつ一週間も経ってしまったが。

内容はある意味、人権侵害か報道被害。

「国会周辺で改正反対と声高に叫んでいるのは、文部科学省とともにこの国の教育をおかしくした日教組、それに共産党と過激派系団体の面々がほとんどだ。」


これ、曲がりなりにも(ほんとに根性とか思想とかが曲がってるけど)全国紙が書く内容か?ネトウヨ並みのレッテル貼りだぞ。市民運動に参加している人間に対して、「過激派系団体」ってなんだ?ほとんど名誉毀損といえる内容だと思う。

それとも、産経は参加者に取材して「過激派系団体」であることを確認したのか?
この書き方じゃ、日教組でも共産党でもない参加者は、これから周囲の人間から過激派呼ばわりされることになりかねない。

今回のは合法的なデモだと思うし、それに市民が参加するのも合法であろう。
今回の産経のコラムは、市民がデモに参加するのを萎縮させるための威圧とも取れる。下手すりゃ職場や学校での差別など具体的な被害だって出かねない。


”政府に逆らうような奴はこんな目にあうぞ”と脅しをかけているようなものだ。
産経こそ過激派右翼新聞と呼ぶにふさわしい。



(以下引用、太字は筆者による)


平成18(2006)年11月17日[金]
 男が身につけるモノの中で腕時計は最も厄介な存在の一つだ。時間を知るだけの用なら100円ショップで買えるもので十分だが、世の中には腕時計で人物の値踏みをするというご仁もいる。

 ▼金ピカのブランド品をひけらかすような人物はおおむね底が浅く、ちょっと見は地味でもよく見れば、通好みの品を身につけている人物は信頼できるんだとか。この話を聞いてから小欄は外で腕時計をしないようにしている。

 ▼公共工事をめぐる談合事件で逮捕された和歌山県知事も大の腕時計ファンだそうだ。地検特捜部の家宅捜索で知事公舎からは「改革派」に似合わぬ高級品がいくつも出てきた。中には談合の仲介役からのプレゼントもあったという。高いモノを身につければ男が上がると錯覚をしたのだろうか。

 ▼今こそ正確な時を刻む時計が必要な人たちもいる。きのう教育基本法改正案は衆院を通過したが、審議時間が通算100時間を超えても野党は「まだ時間が足りぬ」と本会議をボイコットしてしまった。彼らの時計はゆっくりと進むようだ。

 ▼政権交代を目指す民主党の小沢一郎代表が、天下分け目の戦いになる来年夏の参院選へ向け与野党激突ムードを高めたいのはよくわかる。だが、教育を政争の具にするのはいただけない。国会周辺で改正反対と声高に叫んでいるのは、文部科学省とともにこの国の教育をおかしくした日教組、それに共産党と過激派系団体の面々がほとんどだ。

 ▼小沢さんは彼らと共闘することが、政権交代の早道だと本気で考えているのだろうか。「反対のための反対」を生業(なりわい)にしていたかつての社会党がたどった道に民主党も一歩踏み出したのだとしたら取り返しがつかない。時計の針を元に戻してはなるまい。

出典はこちら





 

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オーストラリア連邦議会による先住民族への謝罪から学ぶべきこと

2008年03月09日 | 一般






今年の2月12~13日、オーストラリアの第42回連邦議会で先住民族に対する謝罪決議が、全会一致で採択されました。謝罪のようすはTV生中継されました。朝9時という時間帯でしたが、オーストラリア国民のおよそ130万人が視聴したそうです。杉田弘也神奈川大学・青山学院女子短期大学講師の記事によると、「先住民族の人々にとって過去の重荷から解放され心癒された日であったと同時に、多くの非先住オーストラリア人にとっても心揺さぶられる出来事だったようだ。世論調査では、謝罪への支持が決議の前後で55%から68%へ上昇し、ケヴィン・ラッド首相の支持率は70%に達した」ということです。


謝罪決議文の一部が引用されていました。以下に書き写しておきます。






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私たちは、オーストラリア人同胞に重大な悲しみ・痛み・喪失をもたらした、歴代の議会と政府による法と政策を謝罪します。

私たちは特に、アボリジナルとトーレス海峡諸島の子どもたちを、彼らの家族・コミュニティ・伝統的な土地から引き離したことを謝罪します。

盗まれた世代とその子孫、そして残された家族の痛み・苦しみ・苦痛に対し、ごめんなさい。母親たち・父親たち・兄弟たち・姉妹たちへ、家族やコミュニティを破壊し、ごめんなさい。そして誇り高き文化を持った誇り高き人々に対しこのようにして加えられた侮辱とさげすみに対して、ごめんなさい。(謝罪決議より)





(「オーストラリア連邦議会の先住民族への謝罪が持つ意義」/ 「世界」2008年4月号/ 杉田弘也)




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シドニー・モーニングヘラルド紙はこの決議を「素朴な、でも大きな意味を持つ言葉」と表現しました。素朴な言葉だからこそ、真摯で率直な心情が伝えられるんですよね。もってまわった言い回しや形式ばった文章というのは「心」が伝わってきません。儒教文化圏の人々は、心から謝罪したいと思うなら、日常語で素直な言葉で言い表すことの効果を、よく学ぶべきでしょう。事実、本当に自分の非を認めようと決意したときには、人間は自然と率直な表現を用いるものです。そしてそのときには、自分の信条を赤裸々に告白するでしょう。もってまわった格式ばった表現と言うのは逆に、素直になれないときに自然と出てくる表現です。くどくど言い訳するときにも、「素朴な表現」は影をひそめるでしょう。わたしたちはこういうことを自分の経験から、理解できるはずです。ですから「素朴な表現」から謝罪の真摯な姿勢が明らかに覗えた、というのは自明の理だといえるでしょう。

この記事には、このたびの決議に至るまでの経緯が簡潔に述べられています。

1990年に、先住民族委員会(ATSIC)とアボリジナル和解評議会が、超党派の合意によって設立されました。これで先住民族との「和解」は大きく一歩を踏み出しました。92年6月には、「マーボウ判決」が下りました。オーストラリア連邦最高裁判所による判決で、先住民族が土地の先住的所有権を持っており、それは今日でも有効である可能性を認めたのだそうです。オーストラリア史上初めての判断だそうです。92年12月には当時の首相キーティングさんが歴史的な談話を打ち出しました。以下のようなものです。





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先住民族から土地を収奪し、伝統的な生活を破壊し、伝染病とアルコールを持ち込み、彼らを殺し、子供を母親から奪い、差別と排除を繰り返してきたのは私たち…。




(同上記事より)




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翌年、キーティング元首相はマーボウ判決を「先住権原法」として法制化しました。そして1995年、人権機会均等委員会(HREOC)に対して、親子強制隔離政策に対する調査を諮問しました。

こうした流れにストップをかけたのが前首相のジョン・ハワードさんでした。ハワード前首相は先住民族との和解や多文化主義政策を推し進めようとする政策に偏りすぎていると主張し、アジア太平洋地域重視の外交重視とそしてより民主的な共和制への移行に脅威を覚える大都市近郊の労働者階級(主にホワイトカラー)の支持を得て選挙を勝ち抜きました。首相の座にすわるや否やハワード前首相は先住民族問題を狙い撃ちしATSICへの予算を大幅に削減し、2004年には廃止してしまいます。

こうしたハワードさんの姿勢の影響下で、連邦最高裁は「ウィク判決」を下します。1996年のことです。それは「先住的土地所有権と放牧借地権が共存する可能性を示した(上記記事)」ものでした。これに基づいてハワード政権は、先住民族の権利を削減する改正法案を提示し、1998年7月に議会を通してしまいました。さらに保守的な法律家を連邦最高裁の判事に任命して、先住民族側に不利な状況を作り出してゆくのでした。



一方、キーティング元首相によって諮問されていた、HREOCによる、親子隔離政策の実態はこのハワード政権時代に詳細に明かされるようになりました。「親子隔離政策」というのは、アボリジニたちを白人社会に同化させるための政策です。アボリジニの子どもたちを親から引き離して教会の収容施設に強制移住させ、白人のマナー、キリスト教と英語を教え込み、アボリジニのアイデンティティの抹殺を図ったのです。いいえ、アボリジニという民族の白人民族への吸収をも図るものでした。上記記事にはこのように記述されています。





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オーストラリア全国で約10万人ともいわれる(隔離政策の)被害者は、ほとんどがいわゆる「混血」の先住民族の子どもたちだったが、これはこの政策が全国規模で公式な政府の政策として採用された1910年ころ、社会ダーウィニズムの影響を強く受け、「純血」の先住民族は早晩絶滅すると考えられていたからだった。

そして1930年末ころまで、「混血」の子どもたちを強制隔離する背後には、ヨーロッパ系オーストラリア人との作為的な婚姻政策によって先住民族の「血」を薄め、数世代後にはオーストラリアから先住民族の痕跡を消し去るという優生学的なねらいがあった。

1940年代以降の目標は、先住民族の生物学的吸収(ルナ註:民族浄化=エスニック・クレンジングと同様、とてもおぞましい言葉ですね)ではなくなったが、先住民族文化・社会をヨーロッパ的社会へ同化させることが明示された目標となり、政策は継続された。

HREOCによる調査報告書は、隔離政策が人権の著しい侵害というだけでなく、国連のジェノサイド条約で定義されるジェノサイドに該当すると結論づけ、謝罪を中心に金銭的補償を含む勧告を行った。

これを受けて、すべての州・地域議会(うち過半数が当時は保守政権だった)、強制隔離を実行した警察、収容施設の管理・運営に当たっていた各教会は、次々に謝罪を行った。唯一、ハワード政権下の連邦議会のみが、報告書に代表される歴史観を「喪章史観(もしょうしかん)」として退けたハワード首相の強い意向から、1999年8月に、「心からの深い後悔」は示したが、謝罪は拒否し続けた。





(上掲記事)




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このときのハワード前首相の言い分はこうです。

「現在の世代が過去の行為に対し、責任を負う必要はない。また当時は善意から行われたものだった。謝罪が金銭的補償の根拠とされる可能性がある」。

なんとまあ、日本の一部政治家や右翼論客による中国侵略行為への責任回避の理由とそっくりなこと。笑っちゃいますよね。

オーストラリアには「白豪主義」といって、アジア系移住者への排除政策があったんですが、こうまで同じような考え方をするのを見ると、かえって安心しますよね、「白豪主義」という人種偏見には根拠がないなあって。結局、おんなじ人間だなあって…。

中国で反日デモがあったとき、そういえばオーストラリアは日本を擁護してくれてましたっけ。中国と韓国は過去にこだわりすぎだ、オーストラリアは過去にこだわらない、日本軍によるオーストラリア人捕虜虐待への恨みは捨て去った、とか。あの背景には、国内における先住民族政策があったんでしょうね。「先住民へのジェノサイド政策」という過去にもこだわりません、という…。

それでも、ハワード政権時代の右傾化した当時オーストラリアの人々の人種・民族観は日本人が持つ中国・韓国観よりはずっと進んだものだったようです。引用記事にはこのように書かれています。




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ハワードの評伝を著した政治学者のエリントンとヴァン・オンズレンは、ハワードがほかの人種の人々を個人的に差別することはないが、人種問題への理解を欠いており、それはオーストラリア人の多くが、移民に対し個人レベルでは親しくなる一方、差別を包含した社会的・政治的見解を持っていることと共通している、と分析した。





(上掲記事)




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少なくとも、ハワードさんをはじめ、オーストラリア人は差別を包含した社会的・政治的偏見にはまだ捉われているものの、個人レベルでは融和しているのに対して、日本のとくにネット右翼は中国人をシナ人と呼び、「民度」が低いという表現で公人(たとえば石原都知事など)が公に言い放つような、人種差を容認し続けるのとはちょっと違いがあるようです。「民度」の低さでは日本人も偉そうなことを言えそうにないですよね。

こうした経緯で、ラッド首相率いる連邦議会の謝罪が行われたわけです。オーストラリアでは地方議会も、教会も警察もみな謝罪していましたが、唯一連邦政府だけは謝罪していませんでした。ハワード時代には「連邦議会による謝罪」から遠ざかる反動的逆流現象が幅を利かせていました。

でも、ラッド政権による連邦議会の謝罪によって、オーストラリアは国民が一丸となって、全オーストラリアの総意として、先住民族への謝罪を果たしたのでした。

ただ、ラッド謝罪は金銭的補償については拒否しています。しかし、やはりそれは必要でしょう。というのは、記事によると、現在でも「先住民族と非先住民族との間の、教育・医療・住環境・雇用・収入などのあらゆる点において格差は巨大なもの」であるそうです。

この背景には、「一般のオーストラリア国民は謝罪決議を支持するにしても、国による補償には強い拒否反応を示すのではないか」という観測があるのだそうです。しかし、現実にはタスマニア州では個人補償を行う法律が制定されているそうなので、また同様の動きを他の州も見せているようです。そうなると補償制度が州によって異なるのは不平等です。やはり連邦国家として統一した補償制度を設ける必要があるのではないでしょうか。





さて、この記事でわたしが注目したのはいうまでもなく、「日本が学ぶべきこと」と題された一文です。引用しましょう。




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この問題はまさにオーストラリアが抱える歴史問題であり、過去の行為を正当化したり、その存在すら否定したりすることで過去を美化しようとする勢力が存在している点でも、日本の歴史問題と共通している。したがって今回の謝罪決議からいくつかの教訓を得ることができる。

第一に、議院内閣制の国では議会の意思であることに意義がある。政府による謝罪は、たとえ過半数意見の集約だとしても、それは国民の一部が示した意思に過ぎない。

侵略戦争、植民地支配、捕虜虐待、女性を軍の性的奴隷としていたこと、強制集団自決などへの謝罪は、首相や内閣ではなく、国民を代表する議員によって構成される議会の全会一致の決議、あるいはそれに近いものであることが求められる。

第二に、謝罪が受けいれられるためには、それが心からのものでなければならない。

今回の謝罪決議が先住民族の人々から支持された理由は、ラッドとネルスンの演説の内容やそのトーンから、彼らが誠実かつ真剣にこの問題を考え、、謝罪したことが読み取れたからであろう。

第三に、政権交代の持つ可能性を明快に示したことである。開会のセレモニーも謝罪決議も終わってみれば実に簡単なことだったが、政権交代があったからこそ可能だった。選挙期間中、労働党は政府からの攻撃を極力避け、ハワード政権の政策を争点とするため、コピー・キャットと揶揄されながら、政策上の相違を極小化する戦術を採った。しかしながら、政権を変えることは国を変えることだった。





(上掲記事)




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日本の場合は政府の中のたとえば河野さんの談話だとか、村山さんの談話がアジア諸国への謝罪の表明でしたが、国会の総意ではありません。それどころか河野談話への批判すら、自民・民主各党の一部議員には根強くあるのです。ですからアジア問題はアジア諸国の日本軍による蹂躙の被害者にとってはいまだに終わっていないのです。日本の有権者に選ばれた議員の全会一致による謝罪表明が行われて初めて、それは一つのモメンタムとなりうるのです。

もうひとつ、ラッド労働党の選挙戦略が、「政策上の相違を極小化する戦術」だったのなら、保守党も労働党も似たようなものだな、労働党にもそんなに期待できないな、というふうに選挙までは国民に思われていたに違いないでしょう。ここ日本でも、リベラル派からは、自民党は問題外だが民主党もうさんくさいなあ、と思われています。でもこうなってみると、やはり政権交代にはおおいに意義があるようですね。

みなさん、ほんとうに、ほんとうに、自民党独裁はここでいったんストップをかけましょう。民主党も頼りないように思いますが、頼りないからこそ私たち国民もコントロールしやすい面もあると思います。ぜひ、ガミガミ言い続けて、国民の主権にモノをいわせようではありませんか。






用語解説

*社会ダーウィニズムとは

 ダーウィンの進化論のなかでもとりわけ,選択原理と生存競争の概念を人間社会に適用して,社会の発展を説明し制御しようとする社会理論および社会運動の総称。
 とりわけ,19世紀後半~20世紀初頭にかけての西洋社会の帝国資本主義を生物学的に正当化しようとした一種のイデオロギーとして機能した。社会ダーウィニズムには,大さく三つの傾向が区別される。
①個人間の生存競争を重視するものがあり,社会進化論の提唱者であるスペンサーの立場が典型である。
②集団間の生存競争を重視するもので,資本主義の形態が自由放任型から帝国主義型へ移行した時期に,西洋列強の植民地支配を正当化するイデオロギーとしてもてはやされたものである。
③いわゆる「優生学」。
 この言葉自体は,ダーウィンのいとこだったフランシス・ゴルトン(1822~1911)によってはじめて使われた。


*優生学とは

 人類の遺伝的素質を向上または減退させる社会的要因を研究して、悪性の遺伝的素質を淘汰し改善をはかることを目的とした応用遺伝学の一分野。1883年イギリスの遺伝学者 F =ゴールトンが提唱。
 もともと優生学とは,文明化の進んだ社会では自然選択が機能しなくなる恐れがあるから,人為選択の原理を人間社会のなかに導入する必要があるという発想から生まれたものであり,人間の遺伝形質になんらかのかたちで手をくわえようとする試みの全般を指す。
 細かく言えば,よい遺伝形質の増加を目指す「積極的優生」と,悪い遺伝形質の減少を目指す「消極的優生」とに区別される。
 現在の先端医療における遺伝子治療の技術は,消極的優生との関連で,その発想の是非がいまなお議論の的となっている。
 このような優生政策を国政の基本に据えたのがかつてのナチス・ドイツであり,優生思想はヒトラーによってユダヤ人虐殺政策の理論的根拠として利用された。



 日本でもハンセン氏病患者に虚勢手術を行ったりした例があります。

用語解説は、こちらのブログより無断転載。




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